スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
稲垣 武(いながき たけし、1934年(昭和9年)12月12… 稲垣 武(いながき たけし、1934年(昭和9年)12月12日 - 2010年(平成22年)8月5日)は、日本のフリーランスジャーナリスト。 朝日新聞記者・『週刊朝日』副編集長を務めた。 埼玉県生まれ。終戦時は国民学校5年生で、教科書墨塗りを体験したと述懐している。 兵庫県立神戸高等学校に進み、中学生から高校生にかけてはアグネス・スメドレーやエドガー・スノーによる毛沢東伝『中国の赤い星』を貪り読み(伝説化した)延安時代の毛沢東の詩詞を暗唱できるほどにまでなった。高校一年生時には日本共産党の青年支部民主青年同盟に加盟申請するも不認可となり、市会議員選挙で日本共産党候補の選挙運動に励んだ。しかし選挙後大腸カタルで1週間ほど入院、入院中にフランス & 水野 (1950)を読んだことで退院とともに党活動を中止し、ブリントン, 岡 & 篠原 (1952)を読んだことや、20代間もない時期のハンガリー動乱で共産主義に対する幻想を捨てたという。
友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 20… 友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 2022年8月19日)は、兵庫県出身の俳人。本名は清。 神戸市灘区生まれ。兵庫県立神戸高等学校を経て、甲南大学文学部卒業。大学在学中、高浜虚子の「ホトトギス」、波多野爽波の「青」に投句。1957年「椰子会」を結成。1958年より「青」編集。1968年、「青」を辞し「雲母」入会、飯田龍太に師事。同誌同人。同人誌「椰子」創刊。1991年、椰子会代表。1992年、「柚」創刊に参加。1993年、廣瀬直人の「白露」創刊に参加。1998年「椰子」終刊。2012年「椰子会」解散。 1977年、第1回雲母選賞、1978年、第25回現代俳句協会賞、2006年、『雲の賦』で第6回俳句四季大賞、2009年、『友岡子郷俳句集成』で第24回詩歌文学館賞、2013年、『黙礼』で第5回小野市詩歌文学賞受賞、2018年、『海の音』で第52回蛇笏賞受賞。
髙嶋 弘之(たかしま ひろゆき、1934年〈昭和9年〉5月1… 髙嶋 弘之(たかしま ひろゆき、1934年〈昭和9年〉5月18日 - )は、日本の音楽ディレクター・プロデューサー。髙嶋音楽事務所代表。「ビートルズの日本での仕掛人」として有名。一男二女の父親で、次女はヴァイオリン奏者の高嶋ちさ子。 兵庫県武庫郡御影町(現:神戸市東灘区御影)生まれ。兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学第一文学部(演劇専修)を卒業。1959年東京芝浦電気(株)レコード事業部(のちの東芝音楽工業→東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン)入社、洋楽ディレクターとしてスタート。1964年、ビートルズの初代ディレクターとなり、訪日時にも担当。その後、邦楽担当となり和製ポップスで数々のヒットを作る。
高嶋弘之(たかしま ひろゆき、1934年 - )は、日本の音… 高嶋弘之(たかしま ひろゆき、1934年 - )は、日本の音楽ディレクター・プロデューサー。高嶋音楽事務所代表。「ビートルズの日本での仕掛人」として有名。娘はバイオリニスト・高嶋ちさ子。
馬場 豊(ばば ゆたか、1933年11月30日 または 19… 馬場 豊(ばば ゆたか、1933年11月30日 または 1934年1月18日 - )は、日本の飛込競技選手、指導者。元飛び込み日本代表。 兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学水泳部に所属、1953年から1955年まで日本学生選手権水泳競技大会の男子飛び板飛び込みで3連覇。マニラで行われた1954年アジア競技大会の同種目で銅メダルを獲得、1955年の日本選手権水泳競技大会でも同種目で優勝している。 早稲田大学理工学部卒業後は株式会社天御津に就職し、1956年の日本選手権水泳競技大会の3m飛び板飛び込みで2連覇を達成。1956年メルボルンオリンピックに出場するも、大会中、現地の五輪プールで練習中に負傷し、高飛び込みで11位、板飛び込みで12位に終わり入賞を逃した。
扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年〈昭和8年〉5月10日 … 扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年〈昭和8年〉5月10日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本の女優、タカラジェンヌ(娘役・41期生)、政治家。本名:林 寛子(はやし ひろこ)。旧姓は木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。 参議院議長(第26代)、国土交通大臣(初代・第2代)、運輸大臣(第78代)、北海道開発庁長官(第72代)、建設大臣(第69代)、国土庁長官(第36代)、科学技術政務次官(鈴木善幸改造内閣)、参議院文教委員長、参議院議員(5期)、保守党党首(初代)、新進党参議院議員会長(第3代)、靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)などを歴任した。 位階は従二位、称号は旭日大綬章(女性初)、桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章、台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士。
村上 敦(むらかみ あつし、1933年1月3日 -2018年… 村上 敦(むらかみ あつし、1933年1月3日 -2018年1月16日 )は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。関西国際大学初代学長・名誉教授。瑞宝中綬章受章。 神戸市出身。兵庫県立神戸高等学校を経て神戸大学経済学部を1955年に卒業。1957年、同大学院経済学研究科修士課程を修了し、神戸大学経済学部助手となる。1960年に講師、1963年助教授を経て、1971年に教授に就任した。 1972年、論文「低開発国の経済発展と貿易政策」で経済学博士号を取得。1996年、神戸大学を定年退官し、名誉教授となる。同年より、関西女学院短期大学教授。関西国際大学の初代学長及び同大学の名誉教授を歴任した。
游 仲勲(ゆう ちゅうくん、1932年10月8日 - )は、… 游 仲勲(ゆう ちゅうくん、1932年10月8日 - )は、日本の経済学者。専門は、社会主義経済論、計画経済論、中国経済論、新興国経済論、華僑・華人経済論、人間の国際移動研究など。日本華僑華人学会創始者で初代会長。 1932年、台湾・台北で台湾人の父と日本人の母の家庭に生まれた。幼少期から日本で育ち、教育もすべて日本で受けた。兵庫県立神戸高校を卒業後、神戸大学経済学部に進学。卒業後は同大学大学院経済学研究科に進み、博士課程を修了。 熊本商科大学(現・熊本学園大学)、国際大学大学院、亜細亜大学、東邦学園大学(現・愛知東邦大学)教授を務めた。1970年、学位論文『華僑経済の研究』を神戸大学に提出して経済学博士号を取得。
生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 20… 生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家、サッカー選手・指導者。選手時代のポジションはGK。 兵庫県立神戸高等学校を経て、関西学院大学に入学し、サッカー部に所属。全関学(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として鴇田正憲らと共に1953年、1955年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝に貢献した。 大学卒業後に新三菱重工業(後の三菱重工業)へ加入。井上健や北口晃らと共に創設期の同サッカー部を牽引し、1956年の都市対抗選手権準優勝、1959年の全日本実業団サッカー選手権大会準優勝などに貢献した。 日本代表としては竹腰重丸監督時代の1955年の東南アジア遠征で代表デビュー。
久保 浩(くぼ こう、1932年 - 2025年)は、兵庫県… 久保 浩(くぼ こう、1932年 - 2025年)は、兵庫県神戸市出身の彫刻家で、千葉県佐倉市在住。日展参与。2013年長嶋茂雄の佐倉市民栄誉賞の記念品「銀のボール」を製作した。
中原 佑介(なかはら ゆうすけ、1931年8月22日 - 2… 中原 佑介(なかはら ゆうすけ、1931年8月22日 - 2011年3月3日)は、日本の美術評論家。京都精華大学学長、同大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。本名は江戸頌昌(えどのぶよし)。神戸一中、旧制三高、京都大学理学部卒、京都大学大学院中退。湯川秀樹研究室で理論物理学を専攻していたが、在学中の1955年美術評論が雑誌に掲載されたのを機に、美術批評家となる。 1965年、赤瀬川原平の「千円札裁判」で特別弁護人となる。 1970年に第10回日本国際美術展「東京ビエンナーレ」(通称「人間と物質」展)のコミッショナー、1976年と1978年にベネチア・ビエンナーレのコミッショナーを務めた。1990年3月から9月まで水戸芸術館美術部門芸術総監督を務めた。
周 達生(しゅう たっせい・男性、1931年5月6日 - 2… 周 達生(しゅう たっせい・男性、1931年5月6日 - 2014年5月4日)は、在日中国人の民族学者・文化人類学者。国立民族学博物館名誉教授。専攻は動物生態学・物質文化論。 1931年、兵庫県神戸市生まれ。旧制神戸一中・神戸高校を経て、甲南大学文理学部理学科卒業。 京都大学理学部動物行動学研究室研究員を経て、1979年、国立民族学博物館の館長を務めていた梅棹忠夫に誘われ、研究員として勤務し始める。同助教授、教授を務め、総合研究大学院大学教授も併任。1995年3月末をもって定年退職となり同名誉教授。1995年より1年間、関西学院大学総合政策学部教授を務めた。 2014年5月4日午前8時10分、肺炎のため神戸市中央区の病院で死去。
小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28… 小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の小説家。本名:小松 実(こまつ みのる)。 『易仙逃里記』(1962年)でデビューして以降、人類と文明の可能性を模索し続けた、SF小説の大家。作品に『日本アパッチ族』(1964年)、『果しなき流れの果に』(1966年)、『日本沈没』(1975年)など。 星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ、日本SF界を代表するSF作家であり、戦後の日本を代表する小説家でもあった。 1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。
豊原 大成(とよはら だいじょう、とよはら ひろしげ 193… 豊原 大成(とよはら だいじょう、とよはら ひろしげ 1930年9月26日-2022年1月23日)は、日本の仏教学者。浄土真宗を中心に研究する。浄土真宗本願寺派宗会議員、全日本仏教会元理事長。 また、浄土真宗本願寺派総長、学校法人龍谷大学理事長、総務、同派西福寺住職、築地別院輪番、津村別院・堺別院輪番、四天王寺国際仏教大学教授を務めた。
國弘 正雄(くにひろ まさお、1930年8月18日 - 20… 國弘 正雄(くにひろ まさお、1930年8月18日 - 2014年11月25日)は、日本の同時通訳者、翻訳家、文化人類学者、ニュースキャスター、政治家。「同時通訳の神様」と呼ばれ、外務大臣・首相を務めた三木武夫のブレーンとしても知られた。参議院議員を1期務め、護憲派として活動した。 現在の東京都北区に生まれる。東京府立六中(現・東京都立新宿高等学校)に入学するが、父親の転勤により、神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)に転校する。同級生に小松左京と高島忠夫がいた。神戸空襲に遭い、親しくしていた知人の最期を看取った経験から、強い反戦思想を持つようになる。 中学時代、新渡戸稲造の伝記に感銘を受け、英語の猛勉強を開始した。
南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひ… 南風 洋子(みなかぜ ようこ、本名:若杉 洋子(わかすぎ ひろこ)、1930年1月22日 - 2007年8月19日)は、日本の女優。劇団民藝に所属していた。兵庫県神戸市出身。夫は映画監督・演出家の若杉光夫。娘は女優の若杉民。
山路 修(やまじ おさむ 、1929年8月31日 - )は日… 山路 修(やまじ おさむ 、1929年8月31日 - )は日本の元サッカー選手。ポジションはDF。
近藤 晋(こんどう すすむ、1929年(昭和4年)5月3日 … 近藤 晋(こんどう すすむ、1929年(昭和4年)5月3日 - 2017年(平成29年)2月2日)は、日本のテレビ・映画プロデューサー。日本のプロデューサーの草分け的存在。兵庫県神戸市出身。 神戸一中学校、成城高校を経て、学習院大学を中退。劇団民藝演出部を経て、1959年にNHK入局。 1985年にNHK退職後、総合ビジョン、東北新社クリエイツ社長などを歴任しながら、企画プロデューサーとしてテレビ、映画、演劇など広い分野で活躍。 2017年2月2日、誤嚥性肺炎のため死去。
多木 浩二(たき こうじ、1928年12月27日 - 201… 多木 浩二(たき こうじ、1928年12月27日 - 2011年4月13日)は、日本の美術評論家・写真評論家・建築評論家。専門は芸術学。元千葉大学教授。 写真評から出発し、美術、建築、思想と多岐にわたって批評活動を展開した。スポーツと社会の関連も論究。著書に『眼の隠喩』(1982年)、『天皇の肖像』(1988年)、『シジフォスの笑い』(1997年)などがある。 兵庫県神戸市生まれ。神戸一中、旧制第三高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業。和光大学助教授、東京造形大学教授、千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授を歴任。 1955年、『美術批評』誌の第2回芸術評論賞にて「井上長三郎論」で佳作入選。
刀祢館 正也(とねだち まさや、1928年11月6日 - 1… 刀祢館 正也(とねだち まさや、1928年11月6日 - 1978年1月8日)は、日本の政治家である。衆議院議員(1期)。従五位勲四等。父は元朝日新聞社取締役。
浮田 典良(うきた つねよし、1928年9月12日 - 20… 浮田 典良(うきた つねよし、1928年9月12日 - 2005年1月12日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。京都大学名誉教授。 1928年、東京市渋谷区で生まれた。父の転勤に伴い、幼少期は東京、上海、横浜、神戸を転々とした。神戸第一中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)在学中の16歳の時に、勤労動員中の事故で左腕を失った。広島高等師範学校を卒業し、京都大学文学部史学科に入学。1952年に同大学を卒業。 卒業後は、京都女子中学校・高等学校で教鞭を執った。翌1953年からは京都大学教養部助手に就いた。1958年に大阪府立大学に転じた。1963年から1965年まで、ドイツ・フンボルト財団の奨学生としてミュンスター大学に留学し、W. ミュラー=ヴィレ(英語版)(Wilhelm Müller-Wille)ほかの下で研究を進めた。
廣重 徹(広重 徹、ひろしげ てつ、1928年8月28日 -… 廣重 徹(広重 徹、ひろしげ てつ、1928年8月28日 - 1975年1月7日)は、日本の科学史家。元日本大学教授。 兵庫県神戸市生まれ。旧制兵庫県立第一神戸中学校、旧制第三高等学校を経て、1952年に京都大学理学部物理学科を卒業(旧制の大学は3年制)。素粒子論を志して大学院に進学したがドロップアウトした。在学中から民主主義科学者協会の活動をした。 1957年、日本大学理工学部講師(物理学教室物理学史研究室)となり、1973年より同教授を務めた。1962年、名古屋大学より理学博士の学位を取得。現代物理学史の研究、および明治以後の日本の自然科学の社会史的研究に業績を上げたが、若くして没した。 反核運動で著名な物理学者武谷三男の三段階説を実証により否定している[要出典]。
舛田 利雄(ますだ としお、1927年〈昭和2年〉10月5日… 舛田 利雄(ますだ としお、1927年〈昭和2年〉10月5日 - )は、日本の映画監督、脚本家である。兵庫県神戸市出身。 1944年に兵庫県立第一神戸中学校(現:県立神戸高校)から、新居浜工業専門学校(現:愛媛大学工学部)に進学するも、1945年7月に同学校が行う軍事教練に反発し[要出典]退学処分になる。その1ヶ月後に終戦を終え、大阪外国語大学ロシア語学科(現:大阪大学外国語学部)。へ入り直す。当時の舛田は、大の軍人嫌いの少年だったという。 大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)ロシア語学科卒業。大学卒業後は教師になるつもりであったが、名作フランス映画の再上映を観て感動し映画に関心を持つ。映画監督を目指し、大学卒業後に上京。
別宮 貞徳(べっく さだのり、1927年3月28日 - 20… 別宮 貞徳(べっく さだのり、1927年3月28日 - 2025年3月21日[要出典])は、日本の英文学者・翻訳家。元上智大学文学部教授。 1927年、東京府で生まれた。兵庫県立第一神戸中学校、第一高等学校理科を経て、東京大学理学部動物学科に入学。しかし在学中に聖職者を志し、東京カトリック神学院に入学。健康上の問題で休学し、上智大学ラテン哲学科を経て、同大学英文学科を卒業。同大学大学院修士課程を修了。 1972年から1992年まで上智大学教授。 同僚であったピーター・ミルワード、チェスタトンなどの多くの翻訳のほか、誤訳批評・批判でも知られる。また、クラシック音楽にも造詣が深く、数多くの著書がある。
正森 成二(まさもり せいじ、1927年1月19日 - 20… 正森 成二(まさもり せいじ、1927年1月19日 - 2006年10月18日)は、日本の弁護士(自由法曹団)。日本共産党衆議院議員。
杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 20… 杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 2002年4月2日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、実業家。選手時代のポジションはHB、FB。 兵庫県立第一神戸中学校を経て関西学院大学法学部に入学。在学中はサッカー部に所属した。1948年3月に大学を卒業し、同年4月に京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)に入社。 同社入社後もサッカーを続け、鴇田正憲らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として1950年、1953年および1955年の全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)の優勝に貢献した。 1951年2月11日の全関西戦で日本代表として初出場 し、1951年3月にインドで開催されたアジア競技大会、1954年3月の1954 FIFAワールドカップ・予選など国際Aマッチ3試合を6試合に出場した。
岡田 吉夫(おかだ よしお、1926年8月11日 - 200… 岡田 吉夫(おかだ よしお、1926年8月11日 - 2002年6月22日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。元丸紅参与。 兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)時代は賀川浩らと共に活躍。神戸高等工業学校(神戸大学工学部の前身)を経て、早稲田大学に進学して、ア式蹴球部に所属した。1950年に大学を卒業して大平鉱山(岡山県)に入社した。 関学クラブ在籍時の1951年2月11日、全関西戦で日本代表として初出場した。以降は1951年のアジア大会、1954 FIFAワールドカップ・予選、1954年のアジア大会などに出場。合計で国際Aマッチ7試合に出場した。 また、1990年代には早稲田大学ア式蹴球部女子の監督を務めた。
村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月2… 村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月20日 - 1986年(昭和61年)11月15日)は日本の教育者、日本海軍軍人。 一般的には村上雄蔵と表記。父秋太郎、母繁子の長男として兵庫県神戸市に出生。幼少より困窮に苦しむ。神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)夜間部に通う傍ら、神戸川崎造船所(後の川崎重工業神戸造船所、現在の川崎重工業船舶海洋ディビジョン神戸工場)に勤務。 1944年(昭和19年)、帝国海軍飛行予科練習生(甲飛15期)、三重海軍航空隊から浦戸海軍航空隊(高知)に移り終戦(終戦時2等飛行兵曹)。戦後は神戸に戻り、GHQからの払い下げ品を闇市で販売して生計を立てる。この時実践的な英会話を身に付ける。
松下 康雄(まつした やすお、1926年1月1日 -)は、兵… 松下 康雄(まつした やすお、1926年1月1日 -)は、兵庫県神戸市出身の第27代日本銀行総裁。元大蔵事務次官。
岩谷 俊夫(いわたに としお、1925年10月24日 - 1… 岩谷 俊夫(いわたに としお、1925年10月24日 - 1970年3月1日)は兵庫県神戸市灘区出身の新聞記者、サッカー選手、サッカー指導者。 御影師範学校附属小学校でサッカーを始める。 1938年に兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)へ進学、ア式蹴球部のエースとして1941年に明治神宮競技大会で優勝、翌1942年には主将として橿原神宮大会優勝と明治神宮競技大会連覇に貢献した。1943年に早稲田大学に進学しア式蹴球部へ入部。 1945年7月に兵役に就いたが、病気のために同年8月に除隊となった。戦後は早稲田大学に復学し、1946年と1947年に関東大学サッカーリーグ戦と東西大学1位対抗において2年連続二冠に貢献した。
丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1… 丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1月30日)は、日本の物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は素粒子物理学。世界で最初の、第4のクォークである「チャームクォーク」の発見者。東京出身。従四位。 1971年から名古屋大理学部教授を務め、原子核乾板の実験装置で得られた宇宙線の素粒子反応の中から、特異な様式で崩壊する新粒子を発見。同年の物理学会で、それを「X粒子」と名付けて報告した。この粒子は、広島大学の小川修三(後に名古屋大学)らによって、4つめのクォーク(当時の表現では「第4の粒子」)であると主張されたが、当時においては広く認められるまでには至らなかった。 しかしこのことが、小林誠や益川敏英に4つめのクォークの存在を確信させ、両者が小林・益川理論(クォーク6個の理論)を生み出す契機となった。
鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 20… 鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 2004年3月5日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、経営者。1940年代から1950年代の日本を代表する右ウイング。 神戸市立西灘小学校、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高校)を経て、1944年に関西学院大学経済学部に入学。在学中はサッカー部に所属し、関西学生サッカーリーグなどで優勝した。 1950年3月に大学を卒業後、1950年4月に田辺製薬(現:田辺三菱製薬)に入社。サッカー部では、賀川太郎とのコンビで活躍し、全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝に貢献。また、杉本茂雄らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)で4回の優勝の優勝に貢献した。
則武 保夫(のりたけ やすお、1925年4月12日 - 20… 則武 保夫(のりたけ やすお、1925年4月12日 - 2002年11月18日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授、元立正大学教授。専攻は国際金融論、金融論。神戸経済大学(現 神戸大学)に入り、新庄博のもとで金融論を専攻。門下生には、瀧口治元山口大学教授、有馬敏則大阪学院大学教授・元滋賀大学教授、藤原秀夫同志社大学教授、平島真一元専修大学教授、藤田誠一神戸大学教授、高屋定美関西大学教授などがいる。2002年、従三位勲三等旭日中綬章受章。
園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 201… 園田 正和(そのだ まさかず、1925年1月5日 - 2012年1月20日)は、兵庫信用金庫の名誉会長。 1965年瀧川勝二(当時兵庫トヨタ自動車社長)などの推薦をうけ、1951年に誕生した神和信用金庫の、全国で一番若い理事長として30歳にて就任。1974年はりま信用金庫と神和信用金庫は合併し、兵庫信用金庫が誕生。理事長に就任。 兵庫県神戸市出身。雲中小学校、神戸一中、(現兵庫県立神戸高等学校)、同志社大学卒業。神戸市中央区熊内の財閥一家で当時は不動産や両替業を営む園田家の長男として誕生。(詳細:自費出版「奴雁の人」より)。
賀川 浩(かがわ ひろし、1924年12月29日 - 202… 賀川 浩(かがわ ひろし、1924年12月29日 - 2024年12月5日)は、兵庫県出身のスポーツライター、サッカー選手。賀川太郎(元サッカー日本代表)は実兄。 神戸一中2年にサッカー部にマネージャーとして入部、5年時にはFW選手として全国大会を制覇。その1ヶ月後に第二次世界大戦が始まった。戦争末期には特別攻撃隊に志願し、出撃数日前に終戦を迎えた。朝鮮北部の海州にいた賀川は上官であった川上晃良(社会人登山家で、戦後利尻岳の冬季初登頂を果たす)らと共に部隊の飛行機に乗って南側に脱出することが出来た。 復員後神戸商大、大阪サッカークラブなどの黄金時代に選手として活躍し、優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などを経験した。
伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月2… 伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月24日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の官僚。科学技術事務次官を最後に退官し、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理等を歴任。日本初の総合的な原子力政策となる「原子力開発利用長期計画」作成に加わるなど、原子力行政に深く携わった。 兵庫県神戸市に生まれる。神戸一中(のちの兵庫県立神戸高等学校)、旧制第三高等学校(のちの京都大学総合人間学部)を経て、1947年(昭和22年)に東京工業大学(のちの東京科学大学)電気工学科(旧制)を卒業。同年商工省に入省(機械局)。 1954年(昭和29年)に通商産業省工業技術院で日本最初の原子力予算担当、米国アルゴンヌ国立研究所原子力留学、科学技術庁調査課長、ロンドン日本国大使館科学担当(一等)書記官、科学技術庁秘書課長、原子力局次長、研究調整局長、原子力安全局長などを経て、1979年(昭和54年)に科学技術事務次官を最後に退官。
坂元 正一(さかもと しょういち、1924年(大正13年)1… 坂元 正一(さかもと しょういち、1924年(大正13年)1月20日-2006年(平成18年)12月28日)は、日本の産婦人科学者。医学博士(東京大学)。元東京大学医学部教授、東京大学名誉教授。勲二等瑞宝章受章。 東京都出身。神戸一中を経て、海軍兵学校を卒業(72期)。第二次世界大戦期は艦上爆撃機操縦員であった。 1950年(昭和25年)東京大学医学部卒。1956年(昭和31年)東大医学博士、東大助手。関東中央病院産婦人科部長、1963年東大医学部講師、1965年助教授、1970年教授となる。1984年定年退官、名誉教授、東京女子医科大学教授・母子総合医療センター所長、1992年埼玉医科大学教授。
原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2… 原條 あき子(はらじょう あきこ、1923年3月9日 - 2003年)は、日本の詩人。マチネ・ポエティクに属し、押韻定型詩を試みた。芥川賞作家池澤夏樹の母。声優の池澤春菜と起業家、投資家の池澤摩耶は孫。画家のSaya(摩耶の娘)は曽孫。 本名は山下澄。兵庫県神戸市に生まれる。兵庫県立第一高等女学校(現在の兵庫県立神戸高等学校)を卒業後上京、日本女子大学に学ぶ。第2外国語として学んでいたフランス語の力をつけるためにアテネ・フランセに通い、福永武彦と知り合う。福永の誘いによって、マチネ・ポエティクの集まりに参加し、原條あき子の筆名を使用するようになる。1944年、女子大卒業直後に福永と結婚、1945年に長子夏樹をもうける。
宮田 孝治(みやた こうじ、1923年1月15日 - )は日… 宮田 孝治(みやた こうじ、1923年1月15日 - )は日本出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはハーフバック(現在の守備的MF)。
賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990… 賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990年3月6日)は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。 神戸一中(現・県立神戸高校)、神戸経済大学(現・神戸大学)を経て、1948年に田辺製薬サッカー部に入団。全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝を遂げた田辺製薬の黄金期を支えた一人だった。同時期の天皇杯全日本サッカー選手権大会には大阪クラブの選手として出場し、1951年から3年連続で準優勝している。 日本代表としてもワールドカップ・スイス大会予選など、国際Aマッチ5試合に出場した。 2006年に第2回日本サッカー殿堂入りした。サッカーライターの賀川浩は実弟である。
則武 謙(のりたけ けん、1922年7月18日 - 1994… 則武 謙(のりたけ けん、1922年7月18日 - 1994年3月6日)は日本のサッカー選手。ポジションはFW。 兵庫県立第一神戸中学校時代は岩谷俊夫らと共に1941年に明治神宮大会優勝、翌1942年に橿原神宮大会優勝と明治神宮大会連覇に貢献した。1941年に神戸経済大学に進学し、戦後の1947年4月3日に行われた第1回東西対抗戦に関西選抜の一員として出場した。 日本代表としては1951年3月3日のインド空軍戦で代表デビュー。同月9日の1951年アジア競技大会のアフガニスタン代表戦で国際Aマッチの出場歴を有する。
伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - 20… 伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - 2021年12月19日)は、日本の実業家。武藤絲治に認められ、のちにカネボウ会長になる。日本航空元会長。建築学者の横尾義貫は従兄にあたる。江藤新平の曾孫。
別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24… 別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24日 - 2012年〈平成24年〉1月12日)は、日本の作曲家。 1922年に別宮貞俊(東京工業大学教授を務めたのち実業界に転じ、住友電気工業株式会社初代社長などを歴任)と病理学者で東京帝大医学部教授の山極勝三郎の長女梅子の息子として東京に生まれた。翻訳家の別宮貞徳は弟。 兵庫県立第一神戸中学校から成城高等学校、第一高等学校を経て東京大学理学部物理学科を1946年(昭和21年)に卒業。同年に「管弦楽のための二章」を発表して作曲家としてデビューした。翌1947年(昭和22年)、同大学文学部美学科に入学し1950年(昭和25年)卒業。この間、柴田南雄らの新声会に参加し作品を発表している。
後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 20… 後宮 俊夫(うしろく としお、1922年4月12日 - 2018年12月23日)は、日本の海軍軍人、牧師(日本基督教団)。最終階級は海軍大尉。海軍兵学校70期。陸軍大将の後宮淳は叔父、榎本保郎は義兄に当たる。 1922年(大正11年)、陸軍軍人(陸軍中佐)であった後宮太朗の長男として和歌山県和歌山市に生まれる。神戸第一中学校4年の時、海軍兵学校に入学し、1941年、70期としてこれを卒業。卒業後には連合艦隊勤務となり士官として戦艦「霧島」に乗務、1942年にはソロモン海戦で負傷している。その後、戦艦「山城」、駆逐艦「霜月」に続けて乗務するも、1944年9月からは結核のため療養となりそのまま終戦を迎えた。
沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 20… 沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 2013年4月27日)は、日本の女性の歌人である。中国残留孤児帰国運動にも携わった。 父は国文学者の沼波瓊音(本名 : 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。妹は女優で声優でもあった沼波輝枝。また、名付け親は、安井てつ(元東京女子大学学長)。
新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 20… 新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 2014年3月24日)は、日本の教育学者・社会学者。学位は、文学博士(広島大学・1961年)。広島大学名誉教授、武庫川女子大学名誉教授。 神戸市出身。第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)・広島高等師範学校を経て、1942年10月広島文理科大学に入学。卒業直前の1945年8月6日に広島市への原子爆弾投下により被爆。同年9月広島文理科大学教育学科を卒業。稲富栄次郎に師事。卒業の翌日、広島女子高等師範学校教諭に就任、翌年広島高師助教授に転任。1951年、広島大学教育学部助教授に配置換えとなり、1971年同教授。1968年からは広島大学助教授併任のまま文部省社会教育官として3年間つとめ、広島大学では教育学部長・大学教育研究センター長などの役職を歴任。
久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2… 久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2011年9月9日)は、日本の実業家。 阪神電気鉄道代表取締役社長・会長・取締役相談役、阪神タイガースオーナーを歴任した。 戸籍上の表記は久萬俊二郎。 兵庫県神戸市生まれ、高知県高知市出身。神戸一中、旧制高知高等学校を経て、戦時中の学徒出陣により東京帝国大学法学部を仮卒業後、戦争も熾烈になってきた1945年3月、一個中隊を率いて玉砕寸前まで戦った元海軍将校。 1946年に阪神電鉄入社。1978年取締役就任、1982年社長昇格。1992年から会長。1984年から阪神タイガースのオーナーを、明治大学・一場靖弘の、いわゆる「裏金問題」で辞任するまで20年間にわたり務めた。
末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 … 末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 - 1991年12月5日)は、日本の天文学者。専門は、天体物理学、とりわけ太陽物理学。1967年日本学士院賞受賞、1991年勲二等瑞宝章受章。 兵庫県神戸市出身(出生地は富山県)。旧制神戸一中、第一高等学校を経て東京帝国大学理学部天文学科に進学し、東大では萩原雄祐に天体物理学を学んだ。
加藤 信幸(かとう のぶゆき、1920年1月2日 - )は日… 加藤 信幸(かとう のぶゆき、1920年1月2日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはハーフバック。 東京帝国大学へ進学し運動会ア式蹴球部へ入部。4年次には主将を務めた。戦後の1947年に田辺製薬へ加入。1950年代に全日本実業団サッカー選手権大会で強さを誇った同クラブの中心選手として活躍した。 日本代表としては戦前、戦後を通じて活躍した。1942年8月8日の東亜競技大会で代表デビュー。1951年3月にインドで開催された第1回アジア競技大会に出場するなど国際Aマッチ1試合に出場した。
伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 201… 伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 2010年12月27日)は、日本の法学者(英米法・憲法)、裁判官。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は法学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授、文化功労者。名の表記は「正己」であり、「正已」や「正巳」は誤り。専門書でも誤記されることがある。司法省調査課嘱託、専修大学法学部非常勤講師、法務庁調査意見局調査員、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、最高裁判所判事、日本育英会会長、財団法人国際科学技術財団会長などを歴任した。末延三次門下。弟子に、樋口範雄など。 兵庫県出身の法学者である。専門は英米法、憲法で、とりわけ表現の自由とプライバシーの関係性を研究した。