スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
浦井 洋(うらい よう、1927年11月8日 - 2015年… 浦井 洋(うらい よう、1927年11月8日 - 2015年4月30日)は、日本の政治家、医師。元衆議院議員(日本共産党公認、7期)・党兵庫県委員。 東神戸病院名誉院長、兵庫県民医連会長を歴任。 兵庫県神戸市出身。神戸医科大学(現・神戸大学医学部)卒業後、東神戸診療所長、東神戸病院院長をへて、1969年の第32回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区(神戸市全域)から初当選。その後連続7選するものの、1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選。 議員在任中はアスベスト問題や乳幼児医療費無料化などに取り組む。衆議院議員落選後は医療現場に戻り、港湾労働者への診療を行っていた。2015年4月30日、呼吸不全のため死去。
磯 博(いそ ひろし、1927年5月24日 - 2006年1… 磯 博(いそ ひろし、1927年5月24日 - 2006年1月26日)は、日本の美術史学者。関西学院大学名誉教授。専攻は日本美術史。 夫人は松蔭中学校・高等学校校長の磯由美子。
品川 正治(しながわ まさじ、1924年7月26日 - 20… 品川 正治(しながわ まさじ、1924年7月26日 - 2013年8月29日)は、元・日本火災海上保険(現損害保険ジャパン)会長で、経済同友会終身幹事、財団法人国際開発センター会長。財界人としては珍しく、新自由主義的な経済政策への批判、平和主義・護憲の立場から発言や運動を行っていた。「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」(全国革新懇)の代表世話人。 兵庫県神戸市出身。第二次世界大戦中の1944年12月、旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)卒、旧制第三高等学校在学中に大日本帝国陸軍に召集され、中国戦線に出兵する。戦闘で負傷し、散弾の破片を体内に残していた。中国で二等兵のまま終戦を迎え、抑留の後、1946年に復員。
矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日 -… 矢野 徹(やの てつ、1923年〈大正12年〉10月5日 - 2004年〈平成16年〉10月13日)は、日本のSF作家、翻訳家。坂田 治名義による作品もある。 愛媛県松山市生まれ。兵庫県立第二神戸中学校を経て、中央大学法学部卒。第二次世界大戦中は学徒出陣で陸軍第11師団騎兵第11連隊に所属。階級は軍曹。 日本に本格的なSF出版が芽生える前の、海外SFのファン1号といわれ、SFに興味があった晩年の江戸川乱歩に面識を得る。そのまま、SF翻訳家、SF作家となり、幅広く活躍した。 冒険小説『カムイの剣』は角川書店によりアニメ映画化された。また、代表作『折紙宇宙船の伝説』は日本国外でも出版され、高い評価を受けた。
後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10… 後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10月12日)は、日本の経済学者・経済思想史研究家。 神戸市生まれ。兵庫県第二神戸中学校(「神戸二中」、現在の兵庫県立兵庫高等学校)卒業。兵庫県立神戸高等商業学校(のちの神戸商科大学、現在の兵庫県立大学)を経て神戸大学卒業。指導教官は福田徳三門下の宮田喜代蔵。近畿大学商経学部元教授。思想の科学研究会会員。 マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるカルヴァン派に相当するものが、日本における浄土真宗であると考え、『真宗と資本主義』(所書店、1973年)を著した。また恩師と同じ福田門下である大熊信行の着想を展開させた『配分の経済学』(同文館出版、1977年)を出版した。
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日… 安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。第二神戸中学校卒業後、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。
清家 清(せいけ きよし、1918年 <大正7年> 12月1… 清家 清(せいけ きよし、1918年 <大正7年> 12月13日 - 2005年 <平成17年> 4月8日)は、日本の建築家。 日本における代表的な現代建築家。戦後すぐに「森邸(1951年)」を発表し、同じ50年代に発表された、池辺陽の「立体最小限住宅(1950年)」、増沢洵の「最小限住宅」、広瀬鎌二の「SHシリーズ」、と共に機能主義による都市住宅のプロトタイプを提案し、住宅をはじめとする明瞭で軽快な作品で日本の伝統的モダン美を独自の解釈ではじめて形にした。 勲二等瑞宝章及び紫綬褒章受章。工学博士(東京工業大学)。主な称号に東京芸術大学名誉教授、東京工業大学名誉教授、日本建築学会名誉会員、東京建築士会名誉会員。
八尋 俊邦(やひろ としくに、1915年2月1日 - 200… 八尋 俊邦(やひろ としくに、1915年2月1日 - 2001年10月27日)は東京都出身の実業家。三井物産の社長や会長を歴任したほか、商社出身者として初めて経済団体連合会副会長を務めた。1987年に勲一等瑞宝章を受章。 東京で生まれたものの、日本製粉勤務の父の仕事の関係でまもなく福岡県久留米市に転居。4年後、父が下関支店長となったため、下関に転居。 養治小学校、旧制豊浦中学校(現:山口県立豊浦高等学校)、旧制第二神戸中学(現:兵庫県立兵庫高等学校)を経て、1932年旧制麻布中学校卒業。旧制東京商科大学(現:一橋大学)卒業。大学では一橋新聞部、上田辰之助ゼミナールに所属。戸倉勝城(元阪急監督)は小学校、中学校の友人。
吉川 勇次(よしかわ ゆうじ、1915年1月20日 - 19… 吉川 勇次(よしかわ ゆうじ、1915年1月20日 - 1977年2月6日)は、日本のヤクザ。暴力団三代目山口組若頭補佐、初代吉川組組長。三重県度会郡出身。 大正4年(1915年)三重県度会郡に生まれた。 大正8年(1919年)、兵庫県神戸市に移住した。 昭和6年(1931年)、神戸二中(後の兵庫県立兵庫高等学校)に入学した。田岡一雄(後の三代目山口組組長)らと喧嘩を繰り返した。その後、父親の病死で神戸二中を中退した 昭和20年(1945年)終戦後、田岡一雄と再会した。 同年、田岡が神戸市兵庫区下沢通りで田岡組を作った。吉川勇次も田岡組に参加した。戦後の混乱で警察力は弱体化していた。田岡は、街や闇市の警備のために、神戸市新開地の「花月劇場を本拠地に「自警団」を結成し、闇市への不良在日外国人の干渉を排除した。
室井 綽(むろい ひろし、1914年7月11日 - 2012… 室井 綽(むろい ひろし、1914年7月11日 - 2012年10月5日)は、植物学者。専門は竹の分類、植物の生態。「日本竹笹の会」の会長として研究をリードし、「竹博士」と呼ばれた。 兵庫県赤穂市生まれ。1938年、盛岡高等農林学校農学部(現岩手大学農学部)卒業。1948年、第二神戸中学校(現兵庫県立兵庫高等学校)の教諭となり、1956年、富士竹類植物園(静岡県駿東郡長泉町)の初代園長となる。1962年「有用竹類の形態学的特性とその利用に関する研究」で北海道大学農学博士。1973年、県立兵庫高等学校を退職し、姫路学院女子短期大学教授。同年、兵庫県生物学会長。2012年10月5日、肺炎のため死去。
磯田 一郎(いそだ いちろう、1913年1月12日 - 19… 磯田 一郎(いそだ いちろう、1913年1月12日 - 1993年12月3日)は、日本の銀行家、元ラグビー日本代表選手。 住友銀行頭取・会長、経団連副会長などを歴任した日本を代表する銀行家で、住銀の高収益体質を確立し都市銀行上位行に発展させるなどの功績を挙げるなど、「住友銀行中興の祖」「住友銀行の天皇」と称された。しかし晩年には住銀と反社会的勢力の関係を近づけさせてしまうなど負の側面が目立ち、最終的にイトマン事件が原因で引責辞任した。 海軍軍人だった父親の赴任先、京都の舞鶴に生まれ、父が退役後、岡山の三井物産船舶部(後の商船三井)に入社したため岡山で育つ。岡山市立内山下小学校から旧制岡山一中(後の岡山県立岡山朝日高等学校)に進むが、父の転勤で旧制第二神戸中学校(のち兵庫県立兵庫高等学校)に転校。
池田 芳蔵(いけだ よしぞう、1911年(明治44年)5月8… 池田 芳蔵(いけだ よしぞう、1911年(明治44年)5月8日 - 2001年(平成13年)8月13日)は、日本の実業家。兵庫県出身。大英帝国勲章KBE。 三井物産の社長・会長、日本放送協会(NHK)の会長を歴任した。 神戸二中、旧制第三高等学校を経て1936年に東京帝国大学経済学部卒業。中学から大学まで野球部に所属。 1936年に三井物産に入社し、食料部門を歩む。穀物油脂部長、1954年-1958年ニューヨーク支店次長、1961年-1963年台北支店長、1963年-1965年ロンドン支店長、1965年-1967年取締役ロンドン支店長、1967年業務部長、1968年常務取締役、1971年副社長を経て、1973年社長、1979年会長に就任し、1982年退任。
四本 潔(よつもと きよし、1908年9月29日 - 198… 四本 潔(よつもと きよし、1908年9月29日 - 1981年4月14日)は、日本の実業家。川崎重工業社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1932年に京都帝国大学工学部を卒業し、川崎汽船に入社した。1966年に川崎航空機社長に就任し、川崎重工業副社長を経て、1969年11月に川崎重工業社長に就任した。1977年6月に会長に就任日本初のヘリコプターの生産を手掛けたり、アメリカのボーイング社との提携によるYX開発に携わるなど日本の航空機技術の発展に大きな功績を残した。 民間輸送機開発協会理事長、日本航空宇宙工業会会長なども歴任した。 1971年11月に藍綬褒章を受章。 1981年4月14日心筋梗塞のために死去。
東山 魁夷(ひがしやま かいい、1908年〈明治41年〉7月… 東山 魁夷(ひがしやま かいい、1908年〈明治41年〉7月8日 - 1999年〈平成11年〉5月6日)は、日本の画家、版画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人で、風景画の分野では国民的画家といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山 新吉(ひがしやま しんきち)。 船具商を営んでいた父・浩介と妻・くにの次男として神奈川県横浜市の海岸通に生まれる。父の仕事の関係で3歳の時に兵庫県神戸市西出町へ転居。兵庫県立第二神戸中学校(現:兵庫高校)在学中から画家を志し、東京美術学校(現:東京芸術大学)の日本画科へ進学した。結城素明に師事。在学中の1929年第10回帝展に『山国の秋』を初出品し、初入選を果たす。
戸沢 一隆(とざわ かずたか、1907年1月 - 没年不明)… 戸沢 一隆(とざわ かずたか、1907年1月 - 没年不明)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。兵庫県神戸市楠町(現・中央区)出身。 兵庫県立神戸第二中学校を経て、神戸高等商業学校を卒業し、1929年に阪神電気鉄道に入社した。 神戸二中時代からテニスに親しみ、神戸高商時代も続いた。入社は、甲子園付近にテニスコートを設置する事業を計画した阪神電気鉄道が、「庭球経験者を求む」という求人票を出してそれに応じた結果だったという。 入社後は主に会計分野の仕事を手がけた。その間、二度応召している。 1956年から球団代表を務め、オーナーの野田誠三の要請で藤村排斥事件の解決に当たる。野球には「門外漢」だった戸沢は野田からの球団代表指名を断ったが、説得に折れての就任だった。
大谷 俊夫(おおたに としお、1907年 - 没年不詳)は、… 大谷 俊夫(おおたに としお、1907年 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、元俳優である。当初のキャリアは水谷 登志夫(みずたに としお)名義で、監督、俳優としてスタートした。 1907年(明治40年)、広島県呉市に生まれる。旧制・神戸第二中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)卒。1923年(大正12年)、子爵家の長男、23歳の小笠原明峰が京都に設立した小笠原プロダクションに参加、翌1924年(大正13年)、水谷 登志夫名義で『風船売りの小母さん』(短編)を自らのオリジナル脚本で監督し、デビューしている。同プロダクションでは、同作以降は俳優として、1926年(大正15年)の同社の解散まで4本に出演した。
森 鹿三(もり しかぞう、1906年11月5日 - 1980… 森 鹿三(もり しかぞう、1906年11月5日 - 1980年8月10日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。 1906年、兵庫県神戸市生まれ。旧制神戸第二中学校から第三高等学校文科丙類に進学。1926年、京都帝国大学文学部東洋史学科へ入学し、1929年に卒業した。 卒業後は、東方文化学院京都研究所の助手となった。翌1930年より研究員。研究所の歴史地理学研究室で研究に従事。戦後、東方文化学院が京都大学の機関となると、1949年より京都大学人文科学研究所教授となった。1963年から67年(第4代)、1969年から70年(第6代)の2期にわたって所長を務めた。1961年 京都大学にて文学博士を取得。
楠見 義男(くすみ よしお、1905年3月24日 - 199… 楠見 義男(くすみ よしお、1905年3月24日 - 1996年2月2日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。農林次官。 兵庫県出身。 1925年第六高等学校 (旧制)文科甲類卒、1928年東京帝国大学法学部政治学科卒。同年農林省に入る。大臣官房秘書課長、同調査課長、満洲国産業部参事官兼理事官、同総務庁企画処長、農林省総務局長、資材局長、食糧管理局長官、農林次官などを歴任する。1947年の第1回参議院議員通常選挙において全国区から無所属で立候補して当選した(のち緑風会に入る)。国会内では農林委員長を務めた。1953年の第3回参議院議員通常選挙でも再選されたが、栃木県佐野市の投票所においてこの選挙で次点となった平林剛(左派社会党)の所属政党が誤って「日本共産党」と表示されたため、翌1954年9月に楠見ほか下位当選者6名の当選が取り消された。
久山 秀雄(ひさやま ひでお、1905年〈明治38年〉1月2… 久山 秀雄(ひさやま ひでお、1905年〈明治38年〉1月23日 - 1971年〈昭和46年〉8月23日)は、日本の内務・警察官僚。陸軍司政官、内務省警保局長。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 兵庫県出身。久山春次郎の長男として生まれる。兵庫県立第二神戸中学校を経て、第一高等学校を卒業。1927年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1923年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年4月、内務省に入省し兵庫県属となり内務部地方課に配属。 以後、地方警視・福井県警察部保安課長、青森県警察部特別高等警察課長、神奈川県警察部警務課長、内務事務官・警保局図書館勤務、山梨県書記官・警察部長、内閣情報部書記官・第一課長、同第二課長兼務、警保局警務課長などを歴任。
神崎 清(かんざき きよし、1904年8月31日 - 197… 神崎 清(かんざき きよし、1904年8月31日 - 1979年3月2日)は、日本の小説家、文筆家。 島本 志津夫(しまもと しづお)の筆名も用いた。 香川県高松市出身。旧姓は河野であった。 兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)から大阪高等学校に進学。大阪高等学校在学中の1925年に大阪で創刊された文芸同人誌『辻馬車』に藤沢桓夫らとともに参加。 東京帝国大学文学部国文科を1928年に卒業。卒業後、大森高等女学校(現・三田国際学園中学校・高等学校)の教員を務めたが、思想的な理由により1930年に退職に追い込まれる。以後、文筆業に就く。 島本志津夫名義で映画『女學生と兵隊』の原作も手がけた。
瀧川 勝二(たきがわ かつじ、1904年8月22日 - 19… 瀧川 勝二(たきがわ かつじ、1904年8月22日 - 1993年11月28日)は日本の実業家。元兵庫トヨタ自動車会長。 兵庫県神戸市出身。第二神戸中学校卒業(同窓会理事長)、第六高等学校卒業、京都大学卒業。父親は瀧川儀作で神戸トヨペットの前身であるカネキ商店を経営していた。 1946年商工省陸運管理局の指示で兵庫県自動車整備配給株式会社が解体され兵庫トヨタ販売が設立。瀧川勝二は取締役に就任する。 1963年運輸大臣表彰。1965年厚生大臣表彰。1967年藍綬褒章受章。1973年トヨタ自動車販売店協会理事長に就任。1975年勲三等旭日中綬章受章。1977年日本自動車販売協会連合会会長に就任。1979年トヨタ自動車販売店協会会長に就任。
竹中 郁(たけなか いく、1904年4月1日 - 1982年… 竹中 郁(たけなか いく、1904年4月1日 - 1982年3月7日)は、日本の詩人。本名、育三郎。 兵庫県神戸市兵庫区出身。生家は裕福な問屋で、1歳の時紡績用品商の竹中家へ養子に出された。兵庫県立第二神戸中学校、関西学院大学文学部英文学科卒。画家の小磯良平は二中の同制作作品「彼の休息」は竹中がモデルをつとめている。小磯の弟子の石阪春生は竹中の甥。 中学時代より北原白秋に傾倒し、『近代風景』『詩と音楽』などの白秋主宰の雑誌で詩人としての履歴をスタートした。1924年に北川冬彦、安西冬衛らの「亜」のグループと交流をもち、モダニズムのスタイルの影響をうける。1925年、第1詩集『黄蜂と花粉』を発表する。
金井 元彦(かない もとひこ、1903年〈明治36年〉11月… 金井 元彦(かない もとひこ、1903年〈明治36年〉11月28日 - 1991年〈平成3年〉8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。 行政管理庁長官(第43代)、参議院地方行政委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、政策審議会地方行政部会長、自民党党紀委員長、参議院議員(2期)、兵庫県知事(第36-37代・公選)、兵庫県立近代美術館長(第3代)、兵庫県副知事、青森県知事(第45代・官選)などを歴任。 1903年(明治36年)、後に初代灘区長となる金井元雄と岡山県玉島地区の醤油商の出身の金井ことみの元に姫路市五軒邸に生まれる。金井家は赤松氏の幕下の太尾興次の末裔であり神戸市で育つ。大開第二尋常小学校(現・神戸市立兵庫大開小学校)、旧制第二神戸中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法科を卒業した。
小磯 良平(こいそ りょうへい、1903年<明治36年>7月… 小磯 良平(こいそ りょうへい、1903年<明治36年>7月25日 - 1988年<昭和63年>12月16日)は、日本の昭和期に活躍した洋画家である。 肖像画、特に群像を多く手がけたことで知られる。 1903年(明治36年)、旧三田藩の旧家で貿易に携わっていた岸上家の8人兄弟姉妹の次男として、神戸市神戸(現在の中央区)の中山手通に生まれた。兵庫県立第二神戸中学校(現在の兵庫県立兵庫高等学校)では竹中郁と同級で、生涯の親友だった。東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)西洋画科に進み、猪熊弦一郎・岡田謙三・荻須高徳らの同級生と画架を並べる。在学中の1925年(大正14年)に親戚の小磯吉人の養子となり改姓し、同年「兄妹」が帝展入選、1926年(大正15年)「T嬢の像」が帝展特選を果たす。
綿谷 雪(わたたに きよし、1903年〈明治36年〉1月17… 綿谷 雪(わたたに きよし、1903年〈明治36年〉1月17日 - 1983年〈昭和58年〉5月18日)は、日本の作家、時代考証家、日本武術(古武道)史研究家。 和歌山県和歌山市出身。牧師だった父に「キヨシ」と名付けられるも、生後間もなく死別。母の再婚に伴い、綿谷家に入る。旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)を経て、1930年に早稲田大学政治経済学部卒。在学中、教授の山口剛から推薦を受け真山青果に師事し、創作、歴史考証を学ぶ。 戸伏 太兵(とぶし たへい)の筆名で小説や戯曲も書き、『戯曲集 天ノ川辻』所収の「天ノ川辻」「十津川秋雨の譜」「遊撃四番隊」の3作が第11回直木賞の候補になっている。
横溝 正史(よこみぞ せいし、本名:漢字同じ(よこみぞ まさ… 横溝 正史(よこみぞ せいし、本名:漢字同じ(よこみぞ まさし)、1902年〈明治35年〉5月24日 - 1981年〈昭和56年〉12月28日)は、日本の推理作家。兵庫県神戸市東川崎出身。 当初は筆名は本名読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした。戦前にはロマン的な『鬼火』、名探偵・由利麟太郎が活躍する『真珠郎』、戦後には名探偵・金田一耕助を主人公とする『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』などの作品を著した。 姪は女優の由美かおる。 横溝は1902年(明治35年)5月24日、兵庫県神戸市東川崎(現:中央区東川崎町)に父・宜一郎(ぎいちろう)、母・波摩の次男として生まれた(三男とする説もある)。
島田 叡(しまだ あきら、1901年〈明治34年〉12月25… 島田 叡(しまだ あきら、1901年〈明治34年〉12月25日 – 1945年〈昭和20年〉6月26日)は、日本の内務官僚、沖縄県知事(官選第23代)。 第二次世界大戦末期、沖縄戦時の知事であり、「島守」として知られる。座右の銘は、「断じて敢行すれば鬼神も之を避く」。 1901年(明治34年)、兵庫県武庫郡須磨村(現在の神戸市須磨区)の開業医・島田五十三郎の長男として生まれた。須磨尋常高等小学校(現 神戸市立西須磨小学校)尋常科から兵庫県立第二神戸中学校(旧制神戸二中、現 兵庫県立兵庫高等学校)へ進学。須磨小、神戸二中では重成格(内務官僚、鹿児島県知事、参議院議員)と同期。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部へ入学。
牛場 友彦(うしば ともひこ、1901年(明治34年)12月… 牛場 友彦(うしば ともひこ、1901年(明治34年)12月16日 - 1993年(平成5年)1月12日)は、日本の官僚、実業家。近衛文麿の側近として内閣総理大臣秘書官を務め、朝飯会を発足させた。戦後、日本輸出入銀行幹事、アラスカパルプ副社長、日本不動産銀行顧問を務める。 京都府出身。旧制神戸二中、旧制一高を経て、1925年東京帝国大学法学部卒業、1929年オックスフォード大学卒業。 1936年にカリフォルニア州のヨセミテで開催された太平洋問題調査会に、西園寺公一の通訳として参加。近衛文麿の側近時代、尾崎秀実を近衛文麿に紹介し、彼が内閣嘱託となるきっかけをつくった。また、岸道三とともに近衛内閣の「朝食会(朝飯会)」を組織した。
重成 格(しげなり かく / ただす、1901年7月13日 … 重成 格(しげなり かく / ただす、1901年7月13日 - 1956年10月16日)は、日本の内務官僚、政治家。鹿児島県知事(官選第30代、公選初代-第2代)、参議院議員(1期)。 紡績会社に勤めていた岡山県岡山市の重成壽太郎の長男として生まれる。兵庫県武庫郡須磨村(現 神戸市の一部)の須磨尋常高等小学校(現 神戸市立西須磨小学校)尋常科卒業。兵庫県立第二神戸中学校(旧制神戸二中、現 兵庫県立兵庫高等学校)から第一高等学校(旧制)へ進学。須磨小、神戸二中では島田叡(内務官僚、官選沖縄県知事)と同期。また、神戸二中では島田叡、渡辺大陸(後にプロ野球監督)、有馬大五郎(音楽学者、国立音楽大学学長)らと野球部に所属。
渡辺 大陸(わたなべ たいりく、1901年7月8日 - 19… 渡辺 大陸(わたなべ たいりく、1901年7月8日 - 1955年12月11日)は、兵庫県出身のプロ野球監督。 神戸二中を経て1920年(大正9年)に明治大学予科へ入学し、野球部の剛球投手として活躍。しかし大学生活4年目の1923年(大正12年)に学歴詐称が発覚して明大を退学する。 台北交通団ではエースとして1931年の第5回全日本都市対抗野球大会で準優勝に貢献。 戦後は1946年シーズン終了後、宇高産業社長の宇高勲から宇高レッドソックス監督として迎えられるが、チームは日本野球連盟に加盟を拒否された。その後は宇高が会長となった国民野球連盟の発足に尽力。1950年、大洋ホエールズの総監督(初代監督)に就任したが、総監督の立場にとどまり実際の指揮は中島治康に任せていたという。
有馬 大五郎(ありま だいごろう、1900年9月12日 - … 有馬 大五郎(ありま だいごろう、1900年9月12日 - 1980年10月3日)は、日本の音楽教育家、音楽学者、声楽家。NHK交響楽団副理事長、国立音楽大学学長などを歴任。 兵庫県神戸市で江戸時代から続く富裕な米穀肥料卸売商「有馬商店」の当主の家に生まれる。入江尋常小学校(現:神戸市立入江小学校)在学中、東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)出身の音楽教師の感化で音楽に熱中。1913年、兵庫県立第一中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)に入学。1915年、学区変更により兵庫県立第二中学校(現:兵庫県立兵庫高等学校)に編入。1919年、同校卒業。1920年、北海道帝国大学予科入学。同校を1年で中退し、1921年、慶應義塾大学文学部予科に転じる。
水野 浩(みずの ひろし、1899年4月23日 - 1970… 水野 浩(みずの ひろし、1899年4月23日 - 1970年3月22日[要出典])は、日本の俳優である。本名は水野 浩一(みずの こういち)。青年期の舞台俳優から映画俳優に転向、老年期まで脇役に徹したことで知られる。 1899年(明治32年)4月23日、兵庫県神戸市に生まれる。 旧制・兵庫県第二神戸中学校(通称神戸二中、現在の兵庫県立兵庫高等学校)を卒業し、演劇を志して、佐藤紅緑が1915年(大正4年)に起こした劇団「日本座」に参加、その後、喜劇や歌劇(オペラ)、剣劇等の劇団を渡り歩く。満30歳を迎える1929年(昭和4年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社、舞台俳優から映画俳優に転向する。その後、月形龍之介の月形プロダクション、尾上菊太郎の尾上菊太郎プロダクションに移籍したというが、出演記録は不明である。
由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年… 由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年1月27日)は、日本の牧師、讃美歌作家。日本の讃美歌の発展の中心的な役割を果たし、賛美歌「きよしこの夜」の訳者として知られる。パスカルの研究家で「パンセ」を翻訳した。教育者・郷土史研究者足立正の次男。 鳥取県西伯郡上道村(現境港市)に足立正の次男として生まれ、生後間もなく由木虎松の養子になる。 養父虎松の宣教活動のために、鹿児島、神戸、対馬などに転居する。養父の影響を受けてクリスチャンになり、神戸二中時代に洗礼を受ける。洗礼を受けてすぐの中学3年の時、すでに最初の賛美歌を作った。1914年、死の危険に直面して献身を決意する。関西学院高等学部文科(関西学院大学文学部の前身)で聖書学と神学を専攻する。
ターザン山下(ターザンやました、8月19日 - )は、フリー… ターザン山下(ターザンやました、8月19日 - )は、フリーのラジオDJ・クラブDJ、ナレーター、タレント。本名・山下 悟(やました さとる)。イベントや結婚式(ブライダル関連)のMC・司会者なども務める他、放送制作・イベント&ブライダル等のパーティー企画運営を手がける会社・株式会社ターザン堂の代表でもある。
小谷口 直子(こたにぐち なおこ)は、兵庫県生まれのクラリネ… 小谷口 直子(こたにぐち なおこ)は、兵庫県生まれのクラリネット奏者。 兵庫県立兵庫高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部卒業。同大学大学院修士課程修了。文化庁派遣芸術家在外研修員としてウィーン国立音楽大学に留学。 これまでに、クラリネットを藤井一男、村井祐児、山本正治、川畑真一、J.ヒンドラー、G.パッヒンガーに、室内楽をG.ポコルニー、A.クユムジャンに師事。 現在、京都市交響楽団 首席奏者。オーケストラ活動の他、ソロリサイタルや室内楽公演、各地でのアウトリーチ活動等、全国で幅広い活動をしている。また、日本音楽コンクールをはじめ各種コンクールの審査員としても起用されている。京都市立芸術大学、同志社女子大学非常勤講師。
乾 昇 は、日本の経営者。住友金属工業社長を務めた。
永井 幸治 は、日本のテレビプロデューサー。
梅野 修一(うめの しゅういち)は、日本の国土交通技官。下関… 梅野 修一(うめの しゅういち)は、日本の国土交通技官。下関市港湾局長、港湾空港技術研究所特別研究主幹、国土交通省大阪航空局長、国土交通省東北地方整備局長などを歴任した。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立兵庫高等学校を経て、1989年大阪大学大学院工学研究科修了、運輸省入省。運輸省港湾局環境整備課補佐官を経て、1999年運輸省第一港湾建設局秋田港湾工事事務所長。2009年下関市港湾局長。 2014年国土交通省中国地方整備局港湾空港部長。2016年国土交通省総合政策局公共事業企画調整課長。同年辞職、海上・港湾・航空技術研究所港湾空港技術研究所特別研究主幹。2017年国土交通省航空局航空ネットワーク部空港技術課長。
小椋 大輔(おぐら だいすけ)は、日本の建築学者。京都大学大… 小椋 大輔(おぐら だいすけ)は、日本の建築学者。京都大学大学院工学研究科建築学専攻建築環境計画学講座教授。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立兵庫高等学校を経て、1992年神戸大学工学部建築学科卒業。1994年神戸大学大学院工学研究科環境計画学専攻修士課程修了。 1995年神戸大学大学院自然科学研究科環境科学専攻博士後期課程退学、神戸大学工学部文部技官。2000年博士(工学)。 2004年京都大学大学院工学研究科建築学専攻助手。2007年京都大学大学院工学研究科建築学専攻助教。2010年京都大学大学院工学研究科建築学専攻准教授。 2012年奈良文化財研究所客員研究員。2017年京都大学大学院工学研究科建築学専攻教授。
東本 慎也(ひがしもと しんや)は、日本の化学者。大阪工業大… 東本 慎也(ひがしもと しんや)は、日本の化学者。大阪工業大学工学部応用化学科教授。工学博士(大阪府立大学)。日本エネルギー学会関西支部幹事。触媒学会2019/2020代議員 。 専門は、無機エネルギー・無機材料化学(特に太陽光・光触媒・光電気)、電気化学・物理科学/物質化学(量子化学含む)。 1992年兵庫県立兵庫高等学校卒業。1996年大阪府立大学工学部(現在の大阪公立大学工学部)応用化学科卒業。2001年同大学大学院工学研究科物質系専攻博士後期課程修了、工学博士(大阪府立大学)。パリ第6大学(現在のソルボンヌ大学) 博士研究員を経て、 2003年大阪工業大学工学部応用化学科に着任。2012年同学科准教授、2021年同学科教授。
脇浜 紀子 は、京都産業大学現代社会学部現代社会学科教授。元… 脇浜 紀子 は、京都産業大学現代社会学部現代社会学科教授。元読売テレビアナウンサー、プロデューサー。