スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 20… 山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 2014年1月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 厚生大臣、内閣官房長官、総務庁長官、運輸大臣、衆議院議員などを歴任。 佐賀県伊万里市出身。山下徳次郎の長男として誕生。福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、明治大学専門部法科を経て、1944年、専修大学法学部卒業。 父の徳次郎は1926年に炭鉱向け材木店(現・ヤマシタ)を創業。大学卒業後の1947年に佐賀県議会議員に初当選。1949年に父の家業である山下徳次郎商店の代表取締役に就任する。その後、日本杭木協会理事や全国木材協会理事、佐賀県木材協会会長を歴任し佐賀県議会にて議員4期・議長2選を経て、1969年、旧佐賀県全県区から第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年〈大正8年〉5月2… 杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年〈大正8年〉5月26日 - 1987年〈昭和62年〉9月20日)は、私財を投げうってインドの緑化に尽力し、インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる。 1919年、杉山直樹(夢野久作)、クラの長男として生まれる。福岡県福岡市出身。二男は三苫鉄児、三男は杉山参緑。 1935年(昭和10年)、祖父杉山茂丸没、1936年(昭和11年)、父杉山直樹没、祖父と父を相次いでなくす。 1937年(昭和12年)、福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業。1938年(昭和13年)19歳、農園の土地を売らずに一家を養うために、陸軍士官学校(53期)に入学する。軍人が戦争反対運動をやらぬ限り戦争は止められないと考え、反戦活動を行い、憲兵隊に捕われる。
大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月2… 大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月20日 - 2014年(平成26年)3月12日)日本の小説家・評論家。本名は同じく「巨人」と書いて「のりと」。マルクス主義の立場を堅持し、唯物論的観点から個人の尊厳を創作で追究した。小説・批評のいずれにおいても、常に主体を明確にした、論理性を重んじる文体を用いた。 戦後、「近代文学」などに小説・評論を発表。戦後文学・思想の方向性を巡る論争で積極的に発言する。1955年から25年間書き継いだ『神聖喜劇』のほか、『五里霧』(1997年)、『迷宮』(2004年)など。 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)、旧制福岡高等学校卒業、九州帝国大学法文学部中退。
池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう、大正4年(1915年)6月… 池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう、大正4年(1915年)6月12日 - 平成11年(1999年)6月25日)は、日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。九州大学医学部名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。甥は臨床心理学者の池見陽。 福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のメイヨー・クリニックに留学し、帰国後、日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。
春日 和男(かすが かずお、1915年2月8日 - 2012… 春日 和男(かすが かずお、1915年2月8日 - 2012年)は、日本の国語学者。九州大学名誉教授。 長野県生まれ。春日政治の長男で、親子二代で九州大学国語国文の教授を務めた。旧制福岡県立福岡中学を経て、京都帝国大学文学部国文科卒。1962年「古代国語における存在詞の展開」で九州大学文学博士。福岡経済専門学校教員、福岡商科大学(校名変更、のち福岡大学)助教授、九州大学文学部助教授を経て、教授となる。1978年定年退官、名誉教授、帝京大学文学部教授を務めた。
鶴 襄(つる のぼる、1915年1月25日 - 2006年1… 鶴 襄(つる のぼる、1915年1月25日 - 2006年12月21日)は、日本の教育者。学校法人鶴学園創設者。鶴学園名誉総長。 広島県広島市にて鶴家の四男として出生。父は旧制広陵中学校(現・広陵高等学校)、広島電機高等学校(現・広島国際学院高等学校)の設立に尽力した鶴虎太郎。その後、福岡県に移り、1932年福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業。同期に麻生典太がいた。広島県に戻り、芸備日日新聞(後に中国新聞社に吸収)に勤務。南満州鉄道にも勤めた。退職後は広島電機高等学校勤務を経て、広島高等電波学校(現・広島工業大学高等学校)、次いで学校法人鶴学園を創設した。1963年に広島工業大学、旧広島高等学校及び附属中学校(現広島なぎさ中学校・高等学校)デネブ高等学校、広島工業大学専門学校、なぎさ公園小学校等、数多くの学校教育機関の設立に携わった。
佐藤 晃一(さとう こういち、1914年3月4日 - 196… 佐藤 晃一(さとう こういち、1914年3月4日 - 1967年7月7日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。元東京大学文学部教授。主としてトーマス・マンを研究した。 秋田県出身。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、福岡高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学独文科卒。その後、兵役に就き、第一高等学校教授、東京大学教養学部助教授から、1948年同大学文学部助教授、1961年教授、1967年主任教授となり日本独文学会理事長となるが、7月7日急逝した。 1942年アドルフ・ヒトラーの『吾が闘争』の翻訳が刊行された際には、木村謹治、相良守峯らとともにこれを絶賛し、戦後口を拭ってマンのナチスへの抵抗を礼賛した(池田浩士『ファシズムと文学』)。
河野 正(かわの ただし、1914年(大正3年)1月1日 -… 河野 正(かわの ただし、1914年(大正3年)1月1日 - 2007年(平成19年)9月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。 福岡県出身。1931年(昭和6年)旧制福岡県立福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業。九州医専(現久留米大学医学部)卒業。 九州大学解剖学助教授を経て1946年(昭和21年)福岡県篠栗町で診療所開業。1951年(昭和26年)医療法人済世会設立。 福岡県議会議員となった後、1953年(昭和28年)から1955年(昭和30年) まで左派社会党、同年第27回衆議院議員総選挙に旧福岡1区で初当選。1990年(平成2年)に政界を引退、計8期(22年間)。同年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲五等からの昇叙)。
宮崎 宣久(みやざき のぶひさ、1914年(大正3年) - … 宮崎 宣久(みやざき のぶひさ、1914年(大正3年) - 1992年(平成4年))は、日本の出版人、編集者である。1914年(大正3年)、福岡市博多区須崎の生まれ。1932年(昭和7年)3月、福岡中学卒業。1936年(昭和11年)3月、福岡高等学校文科甲類を卒業。中学・高校時代の同級生には大西巨人がいる。 その後、東京帝国大学経済学部経済科に進学し、在学中は帝大新聞の編集に参画。卒業後は朝日新聞社の記者を務める。 1946年(昭和21年)4月、福岡で三帆書房を設立し、総合文化誌「文化展望」を創刊。編集には宮崎宣久・高田康治・大西巨人・牟田口宗一郎があたった。創刊号には太宰治の「十五年間」が掲載され、他にも織田作之助は「都市展望 大阪」を、坂口安吾は「ぐうたら戦記」、野間宏は「兄弟」などの作品が掲載された。
秀村 欣二(ひでむら きんじ、1912年6月19日 - 19… 秀村 欣二(ひでむら きんじ、1912年6月19日 - 1997年4月8日)は、日本の西洋史学者(古代ローマ史)。東京大学教養学部名誉教授。 1912年、福岡県福岡市で生まれた。旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高校)、旧制福岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部西洋史学科に進学。1936年に同大学を卒業。 東京大学教養学部教授。1973年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は青山学院大学文学部教授として教鞭を執り、1984年に退職した。
麻生 太賀吉(あそう たかきち、1911年〈明治44年〉9月… 麻生 太賀吉(あそう たかきち、1911年〈明治44年〉9月29日 - 1980年〈昭和55年〉12月2日)は、日本の実業家、政治家。麻生セメント会長。衆議院議員(3期)。第92代内閣総理大臣麻生太郎の父。 1911年(明治44年)9月29日、九州の炭鉱王麻生太吉の三男・太郎を父に、子爵加納久朗の妹・夏子を母として福岡県嘉穂郡飯塚町(現・飯塚市)に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)を卒業し、昭和4年から昭和7年まで九州帝国大学(現・九州大学)法文学部聴講生。1931年(昭和6年)に祖父の経営する麻生商店に入社し、1934年(昭和9年)に社長となる。1935年(昭和10年)、帝国軍人後援会福岡県支会経費として2000円寄付により1937年(昭和12年)褒状下賜。
秀島 乾(ひでしま かん、本名読み:ひでしま つとむ、191… 秀島 乾(ひでしま かん、本名読み:ひでしま つとむ、1911年 - 1973年)は、日本の都市計画家。戦後すぐに日本最初の都市計画のコンサルタントとして活躍した人物。計画士を自称。佐賀県東松浦郡相知町生まれ。 旧制福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業後、1936年早稲田大学理工学部建築学科に入学し佐藤武夫に師事。佐藤は戦時中満州の調査研究を熱心に行い、影響を受ける。大学卒業後、満州国民政部営繕需品局(その後建築局に改名)技師。1940年技佐。同年臨時国都建設局兼任。新京第一期五か年計画など新京の都市計画全般に携わるほか、満州における満州集団住区制理論、都市計画と集団住区制、住宅傾向などについて研究発表する。
麻生 徹男(あそう てつお、1910年(明治43年)1月7日… 麻生 徹男(あそう てつお、1910年(明治43年)1月7日 - 1989年(平成元年)7月11日)は、昭和期の医師、医学博士。大日本帝国陸軍軍医として日中戦争、太平洋戦争に従軍した。 福岡県で産婦人科医・麻生貞の長男として生まれる。福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)、福岡高等学校を経て、1935年(昭和10年)3月、九州帝国大学医学部卒業。産婦人科を専攻。同年4月、医籍登録を行い同大医学部副手となる。 1937年(昭和12年)11月応召。大日本帝国陸軍衛生部見習士官として14号兵站病院に勤務。中国の上海や南京を転勤。1939年(昭和14年)、報告書「花柳病ノ積極的予防法」を作成。この報告書は、戦後、慰安婦問題に関して千田夏光らの著作で度々引用されることになる(後述)。
西 亦次郎(にし またじろう、1909年5月28日 - 19… 西 亦次郎(にし またじろう、1909年5月28日 - 1974年11月13日)は、福岡県出身の実業家。元西鉄ライオンズオーナー・社長。日本プロ野球(日本野球機構)におけるドラフト制度の生みの親と言われる。 旧制福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)、福岡高等学校 (旧制)を経て、1930年九州帝国大学法文学部卒業。西日本鉄道の前身会社の九州電気軌道に入社。小倉営業所長、東京出張所長、西鉄本社運輸局次長、小倉支社副支配人となり、戦前のプロ野球チーム・西鉄軍においてはチームと本社間のパイプ役を務めた。戦後の1950年、前年暮れに創立したばかりの西鉄クリッパース(翌1951年、西日本パイレーツを吸収し西鉄ライオンズに改称)オーナーに就任。
吉田 俊雄(よしだ としお、1909年〈明治42年〉5月7日… 吉田 俊雄(よしだ としお、1909年〈明治42年〉5月7日 - 2006年〈平成18年〉12月)は、日本の海軍軍人、作家。最終階級は海軍中佐。長崎県佐世保市出身。 旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)より海軍兵学校へ進む。病気のため留年し1931年(昭和6年)11月、123人中41番で卒業した(59期)。 1933年(昭和8年)4月少尉任官、翌年11月中尉、1937年(昭和12年)4月海軍大学校選科学生。この間大尉に進級している。第28駆逐隊附、重巡洋艦「妙高」分隊長を経て、軍令部出仕(3班8課)となり、日蘭会商の随員を務めた。帰国後再び軍令部出仕となり、臨時戦史部に所属。第二次世界大戦中は主に軍令部3部8課に勤務。
花田 清輝(はなだ きよてる、1909年〈明治42年〉3月2… 花田 清輝(はなだ きよてる、1909年〈明治42年〉3月29日 - 1974年〈昭和49年〉9月23日)は、作家・文芸評論家。巧みなレトリックを駆使した文体を特徴とし、映画や演劇の評論も多く手がけ、日本のアヴァンギャルド芸術論の先駆的存在であった。 1909年3月29日、福岡県福岡市東公園に生まれ、一人っ子として育つ。先祖は毛利輝元であり、清輝の曽祖父は黒田藩の右筆で、名前には代々「輝」の字を付ける習いだった。旧制福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)時代は柔道に熱中し、また父ともに短歌を新聞等に投稿していた。 1926年4月、鹿児島の第七高等学校甲類に入学、西田哲学に没入、また寮誌『白光』を創刊し長編詩「樹下石上」などを発表。
吉川 英史(きっかわ えいし、1909年2月13日 - 20… 吉川 英史(きっかわ えいし、1909年2月13日 - 2006年4月13日)は、日本の音楽学者。文化功労者。 広島県深安郡神辺町(現・福山市)出身。旧姓・佐藤、本名・英士。旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)を経て、1933年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒。1945年東京帝大講師、1946年 - 49年東京音楽学校講師を兼任、東京芸術大学教授。東京芸大邦楽科の新設に尽力。その後武蔵野音楽大学教授、東洋音楽学会会長、義太夫協会会長、琵琶楽協会会長、宮城道雄記念館館長などを歴任した。1972年NHK放送文化賞・紫綬褒章、1979年勲三等瑞宝章、1993年文化功労者、1994年神辺町名誉町民(福山市名誉市民)。
小谷 心太郎(こたに しんたろう、1909年(明治42年)1… 小谷 心太郎(こたに しんたろう、1909年(明治42年)1月18日 - 1985年(昭和60年)6月18日)は、昭和期の歌人。 岡山県出身(大阪市北区出身とも)。福岡中学(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、東京帝国大学へ進み、東大在学中の1932年(昭和7年)に「アララギ」に入会、斎藤茂吉に師事。1936年、サイパンに赴任。戦時中は海軍に従軍し戦場詠を詠んだ。 終戦の後は「新泉」、「アザミ」に入り活動する。1958年、「童牛」創刊。1977年に「宝珠」で第4回日本歌人クラブ賞を受賞。1985年死去、享年76。
藤林 甲(ふじばやし こう、1908年5月25日 - 197… 藤林 甲(ふじばやし こう、1908年5月25日 - 1979年8月21日)は、日本の照明技師である。牧野省三のマキノ・プロダクションにキャリアを始め、東宝を経て戦後、日活の製作再開とともに新東宝から移籍、石原裕次郎主演作のほとんどすべての照明を設計した。テレビ映画では、ユニオン映画の初期作品を手がけたことで知られる。本名は同じで読みが「ふじばやし まさる」。初期別名藤林 まさる(ふじばやし まさる)。日本映画テレビ照明協会の第5代・第7代会長を歴任した。 1908年(明治41年)5月25日、福岡県福岡市に生まれる。 1921年(大正10年)3月、旧制小学校を卒業、同年4月、福岡県筑紫郡堅粕町(現在の同県福岡市博多区堅粕)の福岡県立福岡中学校(現在の福岡県立福岡高等学校)に入学するも、のちに中途退学する。
森部 静武(もりべ しずたけ、1906年(明治39年)11月… 森部 静武(もりべ しずたけ、1906年(明治39年)11月19日 - 1994年(平成6年)7月14日)は、日本のヴァイオリニスト。九州交響楽団専務理事。勲五等瑞宝章を1978年(昭和53年)に受賞。父は陸軍少将の森部静夫。 鈴木章に師事していた。 福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、早稲田高等学院商科に進むも1928年(昭和3年)に中退。1930年(昭和5年)、東邦電力に入社。1935年(昭和10年)、九州鉄道(現・西日本鉄道)に入社。1961年(昭和36年)スポーツセンター常務に就任し、1967年(昭和42年)に退任。 学生時代からヴァイオリンを始め、戦前はヴァイオリニストとしてNHKに出演。戦後の1953年(昭和28年)九州交響楽団設立にあたり、懇意であった石丸寛と行動をともにする。
福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - … 福井 英一郎(ふくい えいいちろう、1905年9月9日 - 2000年11月3日)は、日本の気候学者・自然地理学者。東京教育大学名誉教授。門下から多数の気候学者を輩出した「日本の気候学の父」。 1905年、福岡県福岡市に生まれ育った。旧制福岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地理学科で学んだ。1928年に卒業。 卒業後は、日本大学、立正大学、東京府立第一中学校(東京都立日比谷高等学校の前身)などで教鞭を執った。1930年4月、東京文理科大学の助手に採用。1933年、学位論文『日本気候論』を東京帝国大学に提出して理学博士の学位を取得。 1939年1月、大日本帝国陸軍気象部嘱託を兼ねるようになり、同年4月には東京文理科大学専任講師に昇任した。
若松 満則(わかまつ みつのり、1904年7月29日 - 1… 若松 満則(わかまつ みつのり、1904年7月29日 - 1945年9月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中佐。
進藤 一馬(しんとう かずま、1904年(明治37年)1月1… 進藤 一馬(しんとう かずま、1904年(明治37年)1月1日 - 1992年(平成4年)11月28日)は、日本の政治家、実業家。 早稲田大学政治経済学部卒業後、中野正剛秘書、西日本新聞社の前身の九州日報社取締役を経て、玄洋社社長となる。戦後に自由民主党に加わり、衆議院議員を経て、福岡市市長を4期務めた。 福岡市西職人町(現中央区舞鶴)出身。旧福岡藩士・進藤喜平太(玄洋社の創立者の一人)の四男。 旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)、早稲田大学政治経済学部卒業。1929年(昭和4年)、中野正剛の秘書となり、1933年(昭和8年)に中野が結成した東方会に入会し総務部長となる。その後、九州日報社(現・西日本新聞社)取締役を経て、1944年(昭和19年)10月、第10代玄洋社社長に就任し、1946年(昭和21年)にGHQにより解散させられるまで社長を務めた。
真藤 慎太郎(眞藤 愼太郎、しんどう しんたろう、1883年… 真藤 慎太郎(眞藤 愼太郎、しんどう しんたろう、1883年(明治16年)7月1日 - 1971年(昭和46年)1月11日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。玄洋社社員。 福岡県福岡区(現福岡市)で回船問屋・真藤利吉の長男として生まれる。福岡県立福岡中学校を卒業後、玄洋社に所属。中国大陸で活動し、日本の対ロシア帝国政策に着目してロシア語を習得。日露戦争開戦後、通訳として従軍した。 その後、カムチャツカ半島沿岸などの北洋漁業で財を築いた。1926年6月、日魯漁業(現マルハニチロ)の取締役に就任。その他、日魯漁業副社長、東洋製罐取締役、函館水産販売取締役、函館製網船具取締役、樺太共同漁業取締役、台湾殖産工業取締役、北千島水産社長、函館定温倉庫社長、北千島鱈漁業社長、北海道護謨社長、北日本漁業社長、東都冷蔵社長、函館公海漁業取締役、輸出鱈協会理事長、中央水産業会副会長、西部瓦斯顧問などを務めた。
松本 健次郎(まつもと けんじろう、明治3年10月4日(18… 松本 健次郎(まつもと けんじろう、明治3年10月4日(1870年10月28日) - 昭和38年(1963年)10月17日)は、日本の実業家。父・安川敬一郎とともに炭鉱で安川財閥を築いた。 旧自宅は旧松本家住宅(国の重要文化財)として保存されている。カトリック。既婚、7男6女。 安川財閥の創始者安川敬一郎の二男として、筑前国福岡藩(現・福岡県福岡市中央区)に生まれる。1887年(明治20年)、福岡県福岡中学を卒業。しかし、卒業試験中に急性脚気となり、進学を断念。同年上京、イーストレーキの国民英学会に通う。同期に小野塚喜平次がいる。1890年(明治23年)安川敬一郎の兄、松本潜(ひそむ)の子が亡くなったため、松本家に養子として入籍。
後藤 武夫(ごとう たけお、1870年9月13日(明治3年8… 後藤 武夫(ごとう たけお、1870年9月13日(明治3年8月18日) - 1933年(昭和8年)2月25日)は、日本の実業家。帝国興信所(現・帝国データバンク)、日本魂社創業者。福岡県出身。 筑後国出身。1883年(明治16年)、福岡県立福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)を経て、1887年(明治20年)4月、上京して東京英語学校に入学するが、1890年(明治23年)に帰郷して井尻高等小学校 (現・福岡市立三宅小学校)の教員となる。1894年(明治27年)、妻子を伴って大阪市へ移り、 関西法律学校(現・関西大学)に入学し、勤めながら修学し、1897年(明治30年)に卒業する。福岡日日新聞記者を経て1898年(明治31年)上京の後、明治33年(1900年)に帝国興信所(現・帝国データバンク)を設立した。
梶原 熊雄(かじわら くまお、1870年3月2日(明治3年2… 梶原 熊雄(かじわら くまお、1870年3月2日(明治3年2月1日) - 没年不明)は、日本の発明家。旭光学工業(後のPENTAX)の創業者。 福岡県福岡薬研町(現・福岡市中央区天神)出身。旧制福岡中学校、京都画学校卒業。1894年(明治27年)から1906年(明治39年)まで宮崎県師範学校兼宮崎県立宮崎中学校教諭、佐賀県立第一中学校兼小城中学校教諭を歴任した。1906年に中国政府から招聘され蘇州高等師範学堂教習となり、1909年(明治42年)に南京高等学堂教習となり、1912年(明治45年)に辛亥革命が起きたため辞職し帰国した。 1919年(大正8年)に旭光学工業を創業した。
林 和太郎(はやし わたろう、1869年(明治2年) - 1… 林 和太郎(はやし わたろう、1869年(明治2年) - 1918年(大正7年)3月10日)は、明治期の鉄道官吏(帝国鉄道庁参事)。 筑前国(現・福岡県福岡市)生まれ。福岡中学を経て、1892年(明治25年)慶應義塾大学部理財科を卒業し、福岡新報の前身である福陵新報に入社。小幡篤次郎のすすめで山陽鉄道に入り、鉄道国有化に伴い帝国鉄道庁(のち鉄道院)に移った。1907年(明治40年)、同庁参事(高等官六等)に叙任され、運輸部運転課勤務。1909年(明治42年)1月、鉄道院を依願退官し、玉川電気鉄道の取締役に転じた。
井上 微笑(いのうえ びしょう、1867年8月1日(慶応3年… 井上 微笑(いのうえ びしょう、1867年8月1日(慶応3年7月2日) - 1936年(昭和11年)6月12日)は熊本県を拠点として働いた俳人。 1867年(慶応3年)、筑前国秋月(現・福岡県朝倉市)生まれ。本名藤太郎。福岡中学、東京英吉利法律学校(現・中央大学)を卒業し、佐賀県庁に入庁した。1892年(明治25年)父親の仕事の関係で、熊本県人吉市に移り住み、球磨郡湯前町役場に勤務する。傍ら句作に励み、夏目漱石を主宰に寺田寅彦ら五高生が中心となっておこした俳句結社紫溟吟社の銀杏に投句し、漱石より称賛された。 のち俳句結社白扇会を主宰し「白扇会報」を発刊する。1909年(明治42年)、九州日日新聞(現・熊本日日新聞)俳壇の選者となる。
芦名 裕子(あしな ゆうこ、2月3日 - )は、日本の宗教学… 芦名 裕子(あしな ゆうこ、2月3日 - )は、日本の宗教学者・国文学者。聖学院大学講師。旧姓は城戸。元自民党衆議院議員の孫で、元教育党党首城戸嘉世子の長女。日本基督教団奈良高畑教会教会員。
兼本 新吾 は、日本の声優、俳優。福岡県出身。
許斐 亮太郎 は、日本の政治家。国民民主党所属の衆議院議員(… 許斐 亮太郎 は、日本の政治家。国民民主党所属の衆議院議員(2期)。
半田 俊哉(はんだ としや)は医師で、美容外科医。大塚美容形… 半田 俊哉(はんだ としや)は医師で、美容外科医。大塚美容形成外科・歯科 総院長。フジテレビの「B.C.ビューティー・コロシアム」に美のプロフェッショナル(カウンセラー役)として出演していた。
松本 龍 は、日本の政治家、部落解放運動家。位階は従三位。
高田 久徳(たかた ひさのり)は、日本の実業家、投資家。東京… 高田 久徳(たかた ひさのり)は、日本の実業家、投資家。東京理科大学イノベーション・キャピタル株式会社共同創業者・代表取締役。東京理科大学・共創型デザインイノベーション研究部門客員教授。 福岡県出身。福岡県立福岡高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業、東京理科大学大学院経営学研究科技術経営修士課程修了(優秀学生賞)、東京理科大学・共創型デザインイノベーション研究部門客員教授、オックスフォード大学サイード・ビジネス・スクールExecutive Education Leadership Program 修了。大学卒業後、第一生命保険相互会社(現第一生命保険株式会社)、Mountain Capital Advisors(現The Carlyle Group(カーライル・グループ))及び農林中央金庫に勤務し、ニューヨーク及び東京に於いてM&Aファイナンス、ベンチャー投資、プライベート・エクイティ投資及びクレジット投資業務等に従事。
西村 直之(にしむら なおゆき)は、日本の精神科医。認定NP… 西村 直之(にしむら なおゆき)は、日本の精神科医。認定NPO法人リカバリーサポート・ネットワーク代表、一般社団法人日本SRG協議会(JSRG)の代表理事。依存問題を抱える人たちのケア・回復支援、依存問題の対策、責任あるゲーミング(RG:Responsible Gaming)政策の専門家。 福岡県飯塚市生まれ。福岡県立福岡高等学校卒業、琉球大学医学部医学科卒業、同大学大学院修了(医学博士)。 臨床精神薬理学を研究後、国立病院初の開放治療型の薬物依存入院治療プログラム(DRP)を国立肥前療養所(現:肥前精神医療センター)にて展開。認知修正とセルフケアに焦点を当てた精神保健福祉センター用の薬物依存の家族教室プログラムを開発・実施。