スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
伊知地 寧次郎(いちぢ やすじろう、1896年8月8日 - … 伊知地 寧次郎(いちぢ やすじろう、1896年8月8日 - 1967年11月6日)は、日本の実業家。 福岡県出身。1915年福岡県立中学修猷館を経て、1922年慶應義塾大学部理財科(現・経済学部)卒業。 大同電力に入社。天竜川電力、矢作水力、矢作工業、昭和曹達の各理事を歴任。1943年7月鶴見曹達専務、1948年日東味の精社長、1952年2月東亞合成化学工業常務、1954年東北化学工業社長を経て、1958年鶴見曹達および東亞合成化学工業の社長に就任する。 1959年矢作製作所取締役、1960年寺岡製作所会長、1963年日本アクリル化学社長、東海興業監査役も務めた。 1964年藍綬褒章受章、1966年勲三等に叙せられる。
里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965… 里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月22日 - 1965年3月21日)は、ジャーナリスト、実業家。関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴。
遠藤 永次郎(えんどう えいじろう、1895年8月8日 - … 遠藤 永次郎(えんどう えいじろう、1895年8月8日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人。陸軍技術少将。工学博士。専門は燃料学、造兵学。 福岡県出身。1915年福岡県立中学修猷館、1918年7月第五高等学校工科を経て、1921年3月九州帝国大学工学部応用化学科を卒業。 1921年6月、陸軍工兵中尉任官。1935年1月、論文「発動機燃料ノ「ノツキング」性及防止ニ関スル研究」により工学博士の学位を得る。1939年8月陸軍航空兵大佐に累進。1940年12月陸軍航技大佐に転科し、1941年7月陸軍燃料廠廠員となる。1944年3月陸軍航技少将に累進し、同月、陸軍燃料廠が改組された陸軍燃料本部の陸軍燃料技術研究所所長に就任。
原田 義和(はらだ よしかず、1895年8月1日 - 197… 原田 義和(はらだ よしかず、1895年8月1日 - 1973年6月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
中村 研一(なかむら けんいち、1895年(明治28年)5月… 中村 研一(なかむら けんいち、1895年(明治28年)5月14日 - 1967年(昭和42年)8月28日)は、日本の洋画家。日本芸術院会員。
石田 寿(いしだ ひさし、1895年4月11日 - 1962… 石田 寿(いしだ ひさし、1895年4月11日 - 1962年2月20日)は、日本の裁判官。長崎地方裁判所所長、京都地方裁判所所長、高松高等裁判所長官などを歴任した。 福岡地方裁判所判事などを務めた石田精一の二男として福岡市に生まれる。1913年福岡県立中学修猷館、1916年第五高等学校独語法律科を経て、1920年東京帝国大学法学部独法科を卒業する。在学中の1919年には高等文官試験行政科に合格している。東大在学中は後の首相広田弘毅が創設した学生寮「浩浩居」で生活しており、その頃から広田との信頼関係が築かれた。 卒業後、三菱合資会社に一時勤務するが、1922年司法官試補となり横浜地方裁判所に勤務する。
長 勇(ちょう いさむ、1895年1月19日 - 1945年… 長 勇(ちょう いさむ、1895年1月19日 - 1945年6月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
緒方 龍(おがた りゅう、1895年1月 - 1955年3月… 緒方 龍(おがた りゅう、1895年1月 - 1955年3月)は、日本、満洲国、朝鮮の医師。 緒方道平の四男として福岡市に生まれる。祖父は緒方郁蔵。医学者緒方大象、政治家緒方竹虎は兄。1914年福岡県立中学修猷館、1917年7月第五高等学校医科を経て、1921年7月京都帝国大学医学部を卒業。 満洲国の斉斉哈爾鉄道病院院長、朝鮮の清津赤十字病院院長を歴任。戦後、福岡市の在外同胞援護会救療部聖福病院の初代院長となり、引揚者の医療救護にあたった。在職中の1955年3月死去。
三輪 寿壮(みわ じゅそう、1894年(明治27年)12月1… 三輪 寿壮(みわ じゅそう、1894年(明治27年)12月15日‐1956年(昭和31年)11月14日)は日本の法律家、政治家。労働農民党書記長、日本労農党書記長、第二東京弁護士会会長、衆議院議員。
泉 甲二(いずみ こうじ、1894年8月31日 - 1980… 泉 甲二(いずみ こうじ、1894年8月31日 - 1980年11月10日)は、日本の歌人、美術評論家。本名は山田 邦祐。 福岡県福岡市田島に生まれる。1915年福岡県立中学修猷館を経て、1920年早稲田大学文学部英文科を卒業し、研究社に入社。在学中の1917年から北原白秋に師事している。 戦後、「婦人画報」編集局に移り、1935年白秋の歌誌「多磨」創刊に参加、のち編集に従事。1953年に同誌が終刊後、中村正爾の歌誌「中央線」創刊に参加。 本名名義で美術書も出版した。
木下 祝夫(きのした いわお、1894年 - 1980年10… 木下 祝夫(きのした いわお、1894年 - 1980年10月23日)は、香椎宮宮司。ドイツ語翻訳家。
川越 庸一(かわごえ よういち、1893年〈明治26年〉12… 川越 庸一(かわごえ よういち、1893年〈明治26年〉12月27日 - 1983年〈昭和58年〉6月3日)は、日本の実業家。「中京デトロイト化構想」の創案者。大同メタル工業創業者・社長・会長、相談役、名古屋YMCA理事長、豊田式自動織機自動車部初代部長を務めた。 藍綬褒章、勲四等瑞宝章受章、従五位。温かく飾らない謙虚な人柄で慕われた。名古屋商工会議所会頭を務めた佐々部晩穂氏とは姻戚関係にある。 川越直夫の二男として、福岡市に生まれる。福岡県士族。1912年(明治45年)福岡県立中学修猷館を経て、1915年(大正4年)熊本高等工業学校機械工学科(現熊本大学工学部)を卒業する。在学中に自動車に大きな興味を覚え、卒業論文に自動車の設計図を提出している。
津上 退助(つがみ たいすけ、1893年9月10日 - 19… 津上 退助(つがみ たいすけ、1893年9月10日 - 1974年7月4日)は、日本の技術者で実業家。津上製作所(現・ツガミ)創業者。
日高 信六郎(ひだか しんろくろう、1893年4月10日 -… 日高 信六郎(ひだか しんろくろう、1893年4月10日 - 1976年6月18日)は、日本の外交官、登山家。駐イタリア、イタリア社会共和国大使、日本山岳会会長。
児島 善三郎(こじま ぜんざぶろう、1893年2月13日 -… 児島 善三郎(こじま ぜんざぶろう、1893年2月13日 - 1962年3月22日)は、日本の洋画家である。
土岐 政夫(とき まさお、1892年4月1日 - 1965年… 土岐 政夫(とき まさお、1892年4月1日 - 1965年3月5日)は、日本の官僚。
石橋 鞆次郎(いしばし ともじろう、1891年11月20日 … 石橋 鞆次郎(いしばし ともじろう、1891年11月20日 - 没年不詳)は、日本の裁判官。 石橋次作の二男として、福岡県早良郡田隈村に生まれる。1912年福岡県立中学修猷館を経て、1917年早稲田大学英語第一法律科(司法科)卒業。 1921年判事に任官し、長崎地方裁判所、福岡地方裁判所、熊本地方裁判所、鹿児島地方裁判所、大分地方裁判所、1947年11月福岡高等裁判所の各判事を務めた後、1951年12月佐賀地方裁判所所長兼佐賀家庭裁判所所長を経て、1954年10月鹿児島地方裁判所所長兼鹿児島家庭裁判所所長に就任。
守島 伍郎(もりしま ごろう、1891年5月23日 - 19… 守島 伍郎(もりしま ごろう、1891年5月23日 - 1970年6月4日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員。
豊島与志雄(とよしま よしお、1890年(明治23年)11月… 豊島与志雄(とよしま よしお、1890年(明治23年)11月27日 - 1955年(昭和30年)6月18日)は、日本の小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者。法政大学名誉教授。明治大学文学部教授もつとめた。日本芸術院会員。
石井 平雄(いしい ひらお、1890年5月15日 - 没年不… 石井 平雄(いしい ひらお、1890年5月15日 - 没年不詳)は、日本の裁判官、弁護士。 白石儀七の四男として大阪府に生まれる。1909年福岡県立中学修猷館を経て、1917年東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1923年石井家の養子となる。 1917年司法官試補となり、大阪地方裁判所、和歌山地方裁判所、高知地方裁判所、再び大阪地方裁判所の判事を経て、大阪控訴院(現・大阪高等裁判所)判事に就任。その後、1934年12月大阪地方裁判所部長判事、再び大阪控訴院判事を経て、1940年12月京都地方裁判所部長判事となる。退官後に弁護士となった。
江上 緑輔(えがみ ろくすけ、1889年9月 - 没年不詳)… 江上 緑輔(えがみ ろくすけ、1889年9月 - 没年不詳)は、日本、朝鮮の検察官。 江上末吉の長男として福岡県に生まれる。1908年福岡県立中学修猷館、1911年7月第五高等学校英語法律科を経て、1917年7月東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。 長崎地方裁判所などの検事を務めた後、朝鮮に渡り、釜山地方法院、晋州支庁、咸興覆審法院、平壌覆審法院、京城地方法院の各検事を経て、1940年清津地方法院検事正、1943年3月大田地方法院検事正に就任する。
加野 宗三郎(かの そうざぶろう、1889年7月14日 - … 加野 宗三郎(かの そうざぶろう、1889年7月14日 - 1946年1月23日)は、日本のパトロン、美術品収集家。 「金盛」という酒を醸造販売する、造り酒屋「萬屋」を営む加野熊次郎の長男として、福岡市中奥堂町(現・博多区)に生まれる。1908年福岡県立中学修猷館を経て、1911年大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)醸造科を卒業。 家業の酒造業を営む傍ら、美術や文芸に関心を向け、多くの美術家や詩人・俳人らと交友を持つ。所有する別邸「柳北亭」や「環水荘」は、来福の文人墨客のたまり場となった。交友のあった美術家には、青木繁、青山熊治(ドイツ語版)、津田青楓、森田恒友、正宗得三郎、村上華岳、榊原紫峰、冨田溪仙、小野竹喬、山崎朝雲、冨永朝堂、恩地孝四郎などがあり、文筆家では与謝野鉄幹・晶子夫妻、北原白秋、吉井勇、高浜虚子といった人たちがいた。
夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年(明治22年)1月… 夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年(明治22年)1月4日 - 1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家。他の筆名に海若藍平、香倶土三鳥など。現在では、夢久、夢Qなどと呼ばれることもある。戒名は悟真院吟園泰道居士。禅僧としての名は雲水(うんすい)、法号を萠円と称した。
吉田 鞆明(よしだ ともあき、1888年(明治21年)12月… 吉田 鞆明(よしだ ともあき、1888年(明治21年)12月20日 – 1955年(昭和30年)9月20日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。ジャーナリスト。
青木 敬輔(あおき けいすけ、1888年11月 - 没年不詳… 青木 敬輔(あおき けいすけ、1888年11月 - 没年不詳)は、日本の裁判官。 青木輪之輔の長男として福岡県に生まれる。1908年福岡県立中学修猷館、1913年7月第五高等学校英語法律科を経て、1916年7月京都帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。 卒業後、司法官試補、予備検事となるが、1918年判事に転じ、徳島地方裁判所、和歌山地方裁判所、大阪地方裁判所、高知地方裁判所、神戸地方裁判所、再び大阪地方裁判所の判事を経て、1927年大阪控訴院(現・大阪高等裁判所)判事に就任する。その後、奈良地方裁判所部長判事、神戸地方裁判所部長判事を歴任し、1940年2月若松区裁判所監督判事兼福島地方裁判所若松支部部長となる。
石原 雅二郎(いしはら つねじろう、1888年(明治21年)… 石原 雅二郎(いしはら つねじろう、1888年(明治21年)3月6日 - 1946年(昭和21年)11月8日)は、日本の内務・警察官僚、政治家、教育者。官選県知事、津市長、中央大学教授。 福岡県企救郡小倉町紺屋町(現北九州市小倉北区)で石原雅広の二男として生まれる。1906年、福岡県立中学修猷館、1910年7月、第一高等学校独法科を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し京都府属となる。 1915年9月、東京府属兼内務属となる。以後、栃木県理事官、特殊財産管理局事務官・第二課長、警保局図書課長、同外事課長、兼同保安課長、警察講習所教授兼内務書記官、社会局社会部長、同保険部長などを歴任。
緒方 竹虎(おがた たけとら、1888年〈明治21年〉1月3… 緒方 竹虎(おがた たけとら、1888年〈明治21年〉1月30日 - 1956年〈昭和31年〉1月28日)は、日本のジャーナリスト、政治家。交詢社会員、朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。 兄の緒方大象は医学者・九州大学名誉教授、弟の緒方龍は医師。二男の緒方研二は元日本電気(NEC)副社長、三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。 早稲田大学卒業後、東京朝日新聞社に入社。若くして主筆となり、1943年副社長。1944年退社し政界入り。情報局総裁、小磯内閣、東久邇内閣で国務相となる。
古坂 嵓城(こさか がんじょう、1888年1月2日 - 19… 古坂 嵓城(こさか がんじょう、1888年1月2日 - 1974年11月16日)は、日本の教育者。青山学院大学学長、青山学院院長・理事長。
大西 斎(おおにし いつき(ひとし、さい)、1887年12月… 大西 斎(おおにし いつき(ひとし、さい)、1887年12月16日 - 1947年12月20日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞副主筆。 福岡市鳥飼の大西百之の子として、福岡県柳川に生まれる。母方の叔父には、京都帝国大学総長を務めた松井元興、鐘紡社長、日本合成化学工業社長、民生産業(現・UDトラックス(旧:日産ディーゼル))社長を務めた城戸季吉がいる。1908年、福岡県立中学修猷館を卒業。修猷館在学中には、玄洋社の柔道道場「明道館」で柔道を学んでいる。1911年、東亜同文書院を卒業し(第8期生)、同年大阪朝日新聞に入社する。同期入社には、修猷館の2年上級である緒方竹虎がいる。 1917年、上海特派員、1919年、北京特派員となり、1924年に帰国後、東京朝日新聞に転じる。
坂井 大輔(さかい だいすけ、1887年(明治20年)10月… 坂井 大輔(さかい だいすけ、1887年(明治20年)10月16日 – 1932年(昭和7年)5月9日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、逓信参与官。武道教師[3]。
林 繁蔵(はやし しげぞう、1887年(明治20年)9月5日… 林 繁蔵(はやし しげぞう、1887年(明治20年)9月5日 - 1945年(昭和20年)10月3日)は、朝鮮総督府官僚。朝鮮殖産銀行頭取。
斎村 五郎(さいむら ごろう、1887年(明治20年)5月4… 斎村 五郎(さいむら ごろう、1887年(明治20年)5月4日 - 1969年(昭和44年)3月13日)は、日本の剣道家。段位は範士十段。昭和の剣聖の一人に挙げられ「剣聖十段」といわれた。また、その気性の激しさから、“雷五郎”、“ケンカ五郎”とも呼ばれた。
梶原 貫五(かじわら かんご、1887年3月6日 - 195… 梶原 貫五(かじわら かんご、1887年3月6日 - 1958年12月14日)は、日本の洋画家である。 福岡市出身。福岡県立中学修猷館を中退。1910年上京して東京美術学校西洋画科に入学し、黒田清輝や藤島武二に師事する。在学中の1914年には東京大正博覧会に「化粧の後」を出品し受賞。同年の第3回光風会展に「女」を出品、1916年第4回光風会展では初入選を果たす。1916年3月東京美術学校を卒業。 1917年光風会第5回展に「裸体」で今村奨励賞を受賞、1928年光風会々友、1931年第18回展で光風会会員となる。 官展には、1916年第10回文部省美術展覧会(文展)に「縁陰」「窓際」が初入選となり、第11回文展「想韻」、文展の後身である帝国美術院展覧会(帝展)は、1922年第4回展「九月の日」を出品以来毎年出品し、第5回帝展「芽立ち頃」、第7回展「赤い日傘」などが主な作品である。
今見 昇(いまみ のぼる、1887年2月 - 没年不詳)は、… 今見 昇(いまみ のぼる、1887年2月 - 没年不詳)は、日本の林業技術者、実業家。 士族前田実穂の二男として福岡県に生まれ、1897年今見義勇の養子となる。1907年福岡県立中学修猷館を経て、1916年東北帝国大学農科大学林学科を卒業。 1916年朝鮮総督府営林廠技手となるが、フィリピンのマニラ麻会社の支配人に迎えられる。ここで、後に南洋興発を設立する松江春次が南洋視察に訪れ、今見が南洋諸島を案内したことで親交を深めた。その後、このマニラ麻会社が倒産したため、南洋庁産業試験場技師を経て、1930年樺太庁技師となり、農林部林業課長を務めた。 1937年7月退官し、松江に迎えられ南洋興発技師となり、1941年12月取締役に就任。
金生 喜造(かのう きぞう、1887年 - 1982年)は、… 金生 喜造(かのう きぞう、1887年 - 1982年)は、日本の地政学者、地理学者。 福岡県立中学修猷館を経て、東京高等師範学校英語科を卒業した後、ベルリン大学外国人語学科に学ぶ。 中学修猷館の英語教諭などを務めた後、福岡日日新聞に入社し、主筆を務めるが、その傍ら、地政学に関する数多くのドイツ語文献を翻訳し、自らも地政学に関する著作を著す。1941年、設立された日本地政学協会の参与に就任。1943年、新聞統制により福岡日日新聞が九州日報と統合され西日本新聞となるとその調査部長に就任する。 戦後、公職追放を受けるが、解除後、西日本新聞副主筆、福岡市立拓殖専門学校講師などを務めている。
安川 第五郎(やすかわ だいごろう、1886年(明治19年)… 安川 第五郎(やすかわ だいごろう、1886年(明治19年)6月2日 - 1976年(昭和51年)6月25日)は、日本の実業家。安川電機社長、九州電力会長、日本原子力発電初代社長、日本原子力研究所初代理事長、日本原子力産業会議会長、1964年東京オリンピック組織委員会会長。
緒方 大象(おがた だいぞう、1886年2月5日 - 195… 緒方 大象(おがた だいぞう、1886年2月5日 - 1956年7月20日)は、日本の医学者。九州大学名誉教授。リンパ心臓の研究で知られる。緒方道平の次男。弟には政治家緒方竹虎と医師緒方龍がいる。長男は同じく九州大学医学部生理学教授を務めた緒方道彦。 福岡市に生まれる。1904年福岡県立中学修猷館、1907年第五高等学校医科を経て、1907年9月東京帝国大学医学部に入学するが、同年12月に京都帝国大学福岡医科大学に転学し、1911年11月同大学の後身である九州帝国大学医学部を卒業する。五高の同期には大川周明がおり、共に五高の校友会雑誌「龍南会雑誌」の雑誌部委員を務めた。 1912年1月九州帝大医学部の石原誠教授の生理学教室に入室。
今井 博茂(いまい ひろしげ、1885年12月1日 - 19… 今井 博茂(いまい ひろしげ、1885年12月1日 - 1935年7月29日)は、日本の造兵技術者。海軍造兵少将。 福岡県出身。1905年福岡県立中学修猷館、1909年7月第五高等学校工科を経て、1912年7月東京帝国大学工科大学造兵学科を卒業。東大在学中の1911年2月、海軍造兵学生試験に合格。 1912年海軍造兵技士として呉海軍工廠に入り、呉海軍工廠砲熕部部員、舞鶴海軍工廠造兵部部員を務めた後、1918年造兵監督官として米国に出張。帰国後、佐世保海軍工廠造兵部部員、呉海軍工廠砲熕部部員などを務め、1929年11月海軍造兵大佐に累進し、横須賀海軍工廠造兵部部員となる。1932年10月呉海軍工廠砲熕部部員を経て、1934年11月佐世保海軍工廠造兵部長に就任する。
大藪 虎亮(おおやぶ こりょう、1885年12月1日 - 1… 大藪 虎亮(おおやぶ こりょう、1885年12月1日 - 1966年)は、日本の国文学者。号は紫牛。 福岡県出身。1905年福岡県立尋常中学修猷館、1909年第五高等学校英語文科を経て、1912年東京帝国大学文科大学国文学科を卒業。 1920年第四高等学校教授に就任し、国語を講じる。1935年旧制広島高等学校教授に転じて、国語を講じる。
塚本 虎二(つかもと とらじ、1885年8月2日 - 197… 塚本 虎二(つかもと とらじ、1885年8月2日 - 1973年9月9日)は、キリスト教無教会主義の伝道者、新約聖書研究家。
宮川 一貫(みやかわ いっかん、1885年(明治18年)1月… 宮川 一貫(みやかわ いっかん、1885年(明治18年)1月5日 - 1944年(昭和19年)3月25日)は、昭和期の政治家、柔道家。衆議院議員。
中島 利一郎(なかしま りいちろう、1884年1月2日 - … 中島 利一郎(なかしま りいちろう、1884年1月2日 - 1959年1月6日)は日本の東洋比較言語学者。国士舘大学教授、元臨時帝室編修官補)。雑誌『中央史壇』で小谷部全一郎を痛罵したことで知られる。
富田 勇太郎(とみた ゆうたろう、1883年8月12日 - … 富田 勇太郎(とみた ゆうたろう、1883年8月12日 - 1946年2月24日)は、日本の官僚、銀行家。大蔵省理財局長、満州興業銀行初代総裁。
藤井 甚太郎(ふじい じんたろう、1883年3月25日 - … 藤井 甚太郎(ふじい じんたろう、1883年3月25日 - 1958年7月9日)は、大正・昭和期の日本史学者。法政大学文学部名誉教授。明治維新史の実証主義的研究の先駆者として活躍した。
和田 三造(わだ さんぞう、1883年(明治16年)3月3日… 和田 三造(わだ さんぞう、1883年(明治16年)3月3日 - 1967年(昭和42年)8月22日)は、明治・大正・昭和期の日本の洋画家、版画家。帝国美術院会員。1953年(昭和28年)、大映映画『地獄門』で、色彩デザイン及び衣裳デザインを担当し、この作品で、1954年(昭和29年)の第27回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞。
池田 隆徳(いけだ りゅうとく、1882年5月 - 1966… 池田 隆徳(いけだ りゅうとく、1882年5月 - 1966年)は、日本の精神医学者。巣鴨保養院院長、東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)教授。学位は、医学博士。 1882年5月、福岡県に生まれる。1900年、福岡県中学修猷館、1903年、第五高等学校医科を経て、1908年、東京帝国大学医科大学を卒業し大学院に進み、呉秀三のもとで精神病学を研究する。その傍ら、同大学で助手、東京府巣鴨病院(東京都立松沢病院の前身)で医員を務める。1910年6月、巣鴨保養院院長に就任し、精神病者救治会事業で呉秀三を支えた。東京女子医学専門学校教授も務めている。 巣鴨保養院では、1924年7月31日に統合失調症と診断された作家島田清次郎が入院しており、池田が診療を行ったが、1930年4月29日にここで死去している。
波多野 養作(はたの ようさく、1882年3月 - 1935… 波多野 養作(はたの ようさく、1882年3月 - 1935年7月)は、日本の探検家。外務省嘱託。日露戦争末期に外務省の特命で中国西域を探査。
高島 基江(たかしま もとえ、1882年2月18日 - 19… 高島 基江(たかしま もとえ、1882年2月18日 - 1969年3月28日)は日本の実業家。東洋高圧工業社長、帝国燃料興業総裁、満州合成燃料理事長。
増永 元也(ますなが げんや、1881年10月 - 1956… 増永 元也(ますなが げんや、1881年10月 - 1956年7月5日)は、日本の官僚、政治家。衆議院議員。
大八木 喬輔(おおやぎ きょうすけ、1881年7月 - 没年… 大八木 喬輔(おおやぎ きょうすけ、1881年7月 - 没年不詳)は、日本の陸軍法務官、弁護士。 福岡県遠賀郡底井野村(現・中間市)に生まれる。1900年福岡県中学修猷館、1904年7月第一高等学校独法科を経て、1907年7月京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 卒業後、直ちに志願兵として小倉歩兵第14連隊に入隊し三等主計に任官。1909年東京第1師団軍法会議法務官、次いで岡山第17師団軍法会議法務官、1912年台湾総督府軍法会議法務官、1916年青島守備軍軍法会議法務官兼青島守備軍法院裁判官、1920年小倉第12師団軍法会議法務官を歴任し、軍事法務上の一大権威と称されるが、1925年官を辞し、小倉市で弁護士を開業。