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赤司 道雄(あかし みちお、1920年12月7日 - 199… 赤司 道雄(あかし みちお、1920年12月7日 - 1993年2月22日)は、日本の聖書学・宗教学者。立教大学名誉教授。 第一高等学校を経て、1943年東京帝国大学宗教学科卒、1952年東京大学大学院特別研究生修了、助手、1950-1952年シカゴ大学へ留学、1953年立教大学一般教育部助教授、教授。1965年「旧約聖書捕囚以後の思想史の研究 神の応報の問題をめぐって」で文学博士(東京大学)。1980年シカゴ大学併設ミドヴィル神学校名誉神学博士。1986年立教大学を定年退職。立教大学名誉教授。同仁自由キリスト教会牧師。 1993年2月22日、肝臓癌のため死去。
角田 礼次郎(つのだ れいじろう、1920年12月4日-20… 角田 礼次郎(つのだ れいじろう、1920年12月4日-2020年11月17日 )は、日本の法律家。位階は正三位。 元最高裁判所判事、元内閣法制局長官。角田 禮次郎とも表記。 台湾総督府勤務の父親の任地である台湾の高雄で生まれ、1932年(昭和7年)まで同地に住んでいた。 第一高等学校を経て1944年(昭和19年)に東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入り、自治省から内閣法制局に。大平、鈴木、中曽根の三内閣にわたって内閣法制局長官を務めた。内閣法制局長官として憲法改正、閣僚靖国神社公式参拝、徴兵制違憲などについて政府統一見解を政府答弁書をまとめる中心的存在だった。 1975年3月18日、衆議院内閣委員会で内閣法制局第一部長として「昭和という元号は、法律上の基礎はなく、慣習として用いられている」「陛下に万一のことがあれば、昭和という元号がその瞬間に消え、空白の時代が始まる」と答弁した。
青鹿 明司(あおしか めいし、1920年11月12日 - 2… 青鹿 明司(あおしか めいし、1920年11月12日 - 2008年5月28日)は、日本の大蔵官僚。茨城県副知事、理財局次長、内閣官房内閣審議室長、常陽産業開発センター理事長、常陽銀行副頭取、同行頭取、同行会長などを歴任。茨城県水戸市千波町在住。趣味はゴルフ。 東京府出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大在学中に高等試験行政科に合格。1943年9月 大蔵省入省。主計局属。同年、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業し、海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 1946年2月 松江税務署長。1954年6月1日 大臣官房文書課長補佐。
秋田 稔(あきた みのる、1920年10月5日 - 2017… 秋田 稔(あきた みのる、1920年10月5日 - 2017年4月28日)は、日本の神学者。恵泉女学園名誉学園長。 現中国東北部(満洲)生まれ。大連第一中学校、第一高等学校卒、東京帝国大学文学部倫理学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻(旧制)修了、ハーバード大学ハーバード燕京研究所客員研究員、国際基督教大学助教授、準教授、教授、1973年北星学園大学学長、恵泉女学園長、1995年退任、名誉学園長、山梨英和学院長。
山井 湧(やまのい ゆう、1920年7月22日 - 1990… 山井 湧(やまのい ゆう、1920年7月22日 - 1990年4月16日)は、中国思想学者、東京大学名誉教授。 1920年、兵庫県生まれ。中学四修で第一高等学校に入学した。卒業後は東京帝国大学支那哲学科に進学したが、1942年に学徒出陣のため繰り上げ卒業。軍隊では内地勤務であったため、戦後いち早く復員し、大学に戻った。 長く特別研究生、都立高校教諭としての勤務を経て、母校である東京大学文学部中国哲学研究室助手となった。1962年に中央大学助教授として着任。1964年、東京大学文学部助教授に就任。1971年に教授昇進。1981年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった〔疑問ありーノート参照〕。その後は大東文化大学教授として教鞭をとり、文学部長も務めた。
山口 啓二(やまぐち けいじ、1920年5月22日 - 20… 山口 啓二(やまぐち けいじ、1920年5月22日 - 2013年7月7日)は、日本の歴史学者。日本近世史が専門。 後に衆議院議員となる弁護士の山口政二の次男として、東京に生まれる。1942年、第一高等学校文科丙類卒業。同年、東京帝国大学文学部国史学科入学。 1944年、卒業。のち東京大学史料編纂所教授を経て、1979年、名古屋大学文学部教授となり、1983年退官。歴史科学協議会会員。
乾 崇夫(いぬい たかお、1920年1月16日 - 2012… 乾 崇夫(いぬい たかお、1920年1月16日 - 2012年9月13日)は、日本の工学者(造船学・船型学)。学位は工学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京府出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学工学部船舶工学科卒業。船体の造波抵抗、流れの可視化、数値解析、球状船首の研究などを行い、1958年東京大学から工学博士号取得。論文は「船体の造波抵抗に関する研究」。 1958年東京大学工学部教授、1980年定年退官、玉川大学教授、1988年文化功労者となる。日本学士院会員。2012年9月13日、肺炎により東京都内の病院で死去した。92歳没。 造船学や船型学を専門としており、波の重要性に着目し波紋解析的船型試験法を開発した。
阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2… 阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2001年9月3日)は、日本の銀行家・エコノミスト・思想史家・翻訳家。 愛知県生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省に入省する。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍運輸本部付となり、徴用船の配船業務に従事。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 戦後は日本銀行に移り、調査局、広島支店、国庫局に在勤。その後日本輸出入銀行・アジア開発銀行に転じた。 2001年9月3日、肺腺癌のため死去。
河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7… 河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7月10日[要出典])は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。息子は西洋中世史研究者の河原温。 第一高等学校から1949年東大独文科卒。横浜国立大学講師、1953年東大教養学部助教授、教授。1981年定年退官、名誉教授。明治大学教授を務め、1991年退職。100歳で死去。[要出典] この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
福田 敏南(ふくだ としなみ、1920年 - 没年不詳)は、… 福田 敏南(ふくだ としなみ、1920年 - 没年不詳)は、日本の学校経営者、学校法人福田学園(現・学校法人純真学園)理事長を長く務め、東和大学学長、純真女子短期大学学長なども歴任した。 父親は裁判官で、兄福田喜東と長姉福田昌子は後にそれぞれ衆議院議員となった。 1938年福岡県中学修猷館、1942年第一高等学校文科丙類を経て、東京帝国大学法学部在学中に満州へ出征して3年間のシベリア抑留を経験し、復員後は官僚となり、商工省(後の通商産業省)に入省した。1972年から1974年にかけて勤めた福岡通産局長を最後に通産省を退職し、1976年1月28日付で学校法人福田学園(現・学校法人純真学園)理事長および純真女子短期大学第二代学長となって、同年の第34回衆議院議員総選挙に福岡県第1区から出馬したが、落選した。
窪田 正八(くぼた しょうはち、1919年11月7日 - 1… 窪田 正八(くぼた しょうはち、1919年11月7日 - 1997年9月20日)は、日本の国土交通技官。気象庁長官を務めた。 山梨県出身。旧制第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、後に気象庁に入庁した。1978年4月から1980年4月までに長官を務めた。気象大学校で非常勤講師も務めた 1997年9月20日に肺炎のために死去。77歳没。
福富 節男(ふくとみ せつお、1919年10月31日 - 2… 福富 節男(ふくとみ せつお、1919年10月31日 - 2017年12月18日)は、日本の数学者・社会運動家。元東京農工大学教授。専攻は、位相幾何学。 1919年、樺太に生まれる。第一高等学校理科を卒業後、東京帝国大学理学部数学科に進学。卒業間際に、1942年9月、樺太の砲兵連隊へ入営。1943年から陸軍特殊情報部で暗号解読作業に従事する。マニラに派遣された際、太平洋戦争におけるフィリピン戦線のさなか、ルソン島を逃げ回り、辛うじて生還。1945年、東京大学に戻り、助手として数学研究に従事する。「日本数学会」の設立にも参加し、岩波書店の『数学辞典』の編集に携わる。 1962年11月、日本大学文理学部数学科助教授であった福富節男ら四人は、秋葉安太郎学部長から、「日大の思想にあわぬ」との理由で、辞職を迫られる。
森井 眞(もりい まこと、1919年10月14日 - 202… 森井 眞(もりい まこと、1919年10月14日 - 2023年8月10日)は、日本の歴史学者。明治学院大学文学部名誉教授、元同学学長。長年、宗教改革者ジャン・カルヴァンの研究に従事した。日本基督教団千歳丘教会員。 1919年、秋田県生まれ(東京都生まれとする情報もある)。旧制第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学文学部西洋史学科を繰り上げ卒業。敗戦時まで従軍する。1959-1961年、ストラスブール大学プロテスタント神学部に留学。1961年、宗教学博士号取得。1965年、明治学院大学文学部フランス文学科助教授、1967年、同教授。1979年、同大学文学部長(- 1982年)、1982年、同大学学長(- 1992年)。
村上七郎(むらかみ しちろう、1919年〈大正8年〉9月14… 村上七郎(むらかみ しちろう、1919年〈大正8年〉9月14日 - 2007年〈平成19年〉9月18日)は、日本の実業家。テレビ新広島副社長、フジテレビジョン専務取締役、関西テレビ放送社長、日本民間放送連盟副会長などを務めた。 陸軍大将を務めた菅野尚一・ハルの七男に生まれる。東京で誕生後、山口県に転居(一部のプロフィールには山口県出身と明記)。末子であるため、学生時代に村上水軍の末裔である母方の血筋を継ぎ、村上健三の養子となる。第22代因島村上家当主。 第一高等学校を経て、1947年東京大学法学部卒業後、共同通信社に入社。社会部記者として出発し、同期にはのちにTBSニュースキャスターを経て参議院議員となる田英夫がいた。
今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998… 今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998年11月6日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。厚生大臣(第66代)、衆議院議員(7期、自由民主党)。 長野県長野市出身。第一高等学校を経て、1944年東京帝国大学第一工学部土木工学科を卒業。戦後の1949年建設省に入省。秋田工事事務所長、東北地方建設局道路部長、計画局地域計画課長、計画局技術調査官などを経て、1970年四国地方建設局長。退官後に1972年の第33回衆議院議員総選挙で旧愛媛3区から無所属で立候補し初当選。その後、自由民主党に入党、宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)所属。農水・厚生政務次官、党社会部会長、衆院農水委員長などを歴任した後、1985年第2次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣した。
松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 20… 松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 2007年11月9日)は、フランス文学者、東京大学名誉教授。 父の任地、現在の青森県弘前市に生まれ、翌年東京に移転。第一高等学校理科から、1941年東京帝国大学理学部物理学科を繰り上げ卒業、1942年同地震研究所助手、1943年同文学部仏文科に入学し、1946年卒業。大学院研究生を経て1951年中央大学助教授、1954年東京大学教養学部助教授、1967年教授、1979年定年退官、名誉教授。上智大学教授を務め1984年退職。1981年から1985年まで日本フランス語フランス文学会会長、1984年フランス政府より教育功労章を授与される。1992年勲三等旭日中綬章。
今井 源衛(いまい げんえ、1919年2月16日 - 200… 今井 源衛(いまい げんえ、1919年2月16日 - 2004年8月12日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1971年)(学位論文「王朝文学の研究」)。九州大学名誉教授、梅光女学院大学名誉教授。1989年勲二等瑞宝章受章。 三重県四日市市に生まれる。1943年第一高等学校卒業、1947年東京大学国文科卒業、大学院進学、高校教師を経て、1953年清泉女子大学助教授、1956年九州大学助教授、1971年「王朝文学の研究」で、九州大学より文学博士の学位を取得、教授昇任。1978年文学部学部長、1982年定年退官、梅光女学院大学教授。1989年勲二等瑞宝章受章。 『源氏物語』をはじめ、王朝物語研究における一方の雄だが、日本古典のレズビアン物語とされる『我身にたどる姫君』の訳註を行ったり、論文「女の書く物語はレイプからはじまる」(『王朝の物語と漢詩文』収録)で、『源氏』などのセックスの多くは強姦であると論じて、三田村雅子らの反論を呼んだ、大胆さをもった研究者であった。
原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012… 原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012年3月20日)は、日本の数学史家、フランス文学者、翻訳家。大阪大学名誉教授。 フランス科学思想史、近世ヨーロッパ数学史を専攻し、ルネ・デカルト、ケプラー、ホイヘンス、ロベルヴァル、ライプニッツを軸に研究論文・翻訳を行い、フランス語教育にも長くたずさわった。若き日はスタンダール、アラン、ヴァレリーらの翻訳も行った。 京都市出身。姫路市に育つ。第一高等学校理科乙類を経て、1938年京都帝国大学哲学科入学、1940年退学し1942年東京帝国大学仏文科卒業。1942年入営し少尉で敗戦、1945年8月20日中尉(いわゆるポツダム中尉)で除隊、1947年同志社女子専門学校教授、1949年関東学院大学経済学部助教授。
須磨 未千秋(すま みちあき、1918年1月25日 - 20… 須磨 未千秋(すま みちあき、1918年1月25日 - 2008年8月21日)は、日本の外交官。外務省経済局次長、駐タンザニア特命全権大使、香港総領事、駐マレーシア特命全権大使、駐カナダ特命全権大使を歴任した。 秋田県出身。1939年第一高等学校文科甲類卒業、東京帝国大学法学部政治学科入学。1941年に高等試験外交科本試験に合格。同年大学を卒業し、外務省に入省した。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 終戦連絡中央事務局連絡官、在ビルマ日本国大使館一等書記官等を経て、1957年外務省アジア局第三課長。
川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 19… 川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 1999年7月5日)は、日本の劇作家、小説家、フランス文学者。東京都立大学名誉教授。 栃木県足利市出身。第一高等学校を経て、東京帝国大学仏文科卒。一高時代から小説を書き、戦後は都立大学助教授、教授、1957年小説「般若心経」が中央公論新人賞佳作として掲載される。66年戯曲「関東平野」で第12回岸田國士戯曲賞受賞。82年都立大を定年退官、名誉教授、獨協大学教授。
美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日… 美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日 - 1992年(平成4年)11月29日)は、日本の農業経済学者・教育学者・家政学者。専門は農業経済学・農民教育論・農業家政学・農業協同組合経営論など。農産物市場論において市場構造分析の基礎を築き、農協の経営主義を批判するなど、研究領域は多岐に渡る。教育学博士(北海道大学)。名寄女子短期大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1938年第一高等学校 (旧制)卒業。1942年東京帝国大学農学部卒業。同年、日本勧業銀行に入社。1945年東京帝國大学大学院(旧制)特別研究生修了。その後、病気療養。1955年協同組合短期大学協同組合科助教授に就任。
海原 治(かいはら おさむ、1917年2月3日 - 2006… 海原 治(かいはら おさむ、1917年2月3日 - 2006年10月21日)は、日本の内務・警察・防衛官僚、軍事評論家。大阪府出身。本籍は徳島県。 第一東京市立中学校・第一高等学校を経て、1939年に東京帝国大学法学部を卒業し、内務省入省。入省同期に後藤田正晴がいた。内務省大臣官房文書課勤務を経て、1940年1月に高知県事務官を発令。太平洋戦争勃発と前後して、1940年2月、陸軍第11師団歩兵第43連隊(徳島)に入営、経理部幹部候補生になり、第11師団経理勤務班隊長の陸軍主計大尉として終戦を迎える。 終戦によって第11師団は兵器を県に引渡し、県が占領軍へと引き渡すことになっていたが、目録を作成して引き渡す第11師団の経理勤務班の隊長でありながら、それを受け取る高知県事務官でもあったので同師団でもっとも早い召集解除となった。
山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月… 山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月24日)は、社会学者。 高知県生まれ。名古屋で育つ。姉は詩人の水野八重子。第一高等学校卒、1940年東京帝国大学文学部社会学科卒、中華民国北京国立新民学院講師。応召し、ニューブリテン島で敗戦を迎える。名古屋市立女子専門学校(のち名古屋市立女子短期大学)教員、1949年岐阜大学講師、1951年南山大学助教授、1959年大阪市立大学助教授、教授、1977年定年退官、名誉教授、駒澤大学教授、91年定年退任。 南山大学時代に名古屋大学の村松常雄のもとでフロイト精神分析を学び、ミシガン大学に学んでイスラエルのキブツを調査した。家族社会学。
丸尾 文治(まるお ぶんじ、1917年 - 2015年1月5… 丸尾 文治(まるお ぶんじ、1917年 - 2015年1月5日)は、日本の生物学者(生化学・分子生物学・農芸化学)、教育者。勲等は勲三等。学位は農学博士(東京大学・1954年)。東京大学名誉教授、社団法人日本生化学会名誉会員。 片倉製糸紡績株式会社での勤務を経て、東京帝国大学農学部助手、東京大学農学部助教授、東京大学応用微生物研究所教授、社団法人日本生化学会会長(第26代)、東京大学応用微生物研究所所長、東京大学評議員、日本大学農獣医学部教授、日本大学農獣医学部次長、埼玉第一高等学校校長(第3代)などを歴任した。 生化学、分子生物学、農芸化学などを専攻する静岡県出身の生物学者である。枯草菌の酵素に関する研究が知られており、α-アミラーゼの生成を制御する7つの遺伝子を特定し、それらを組み合わせることで生産性を従来の数千倍にまで向上させた。
本多 丕道(ほんだ ひろみち、1916年〈大正5年〉5月11… 本多 丕道(ほんだ ひろみち、1916年〈大正5年〉5月11日 - 1990年〈平成2年〉8月5日)は、日本の警察官僚。第68代警視総監。位階勲等は従三位勲二等。 東京府出身。第一高等学校を卒業。1940年(昭和15年)10月、高等試験行政科試験に合格。1941年(昭和16年)3月、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し神祇院属となる。 短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年(昭和16年)4月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年8月に卒業し「霧島」乗組となる。以後、「知床」乗組、下関防備隊主計長、第104航空基地隊主計長、東印海軍航空隊主計長などを歴任しジャワ島で終戦を迎えた。
中村 英雄(なかむら ひでお、1916年(大正5年)5月1日… 中村 英雄(なかむら ひでお、1916年(大正5年)5月1日 - 1988年(昭和63年)10月22日)は、日本のドイツ文学者。 広島県広島市に広崎英雄として生まれ、両親が離婚して父の中村姓を名のる。三歳で天津に移る。1941年早稲田大学文学部独文科卒、小林正樹らとシナリオ「われ征かん」を執筆したのち入隊、陸軍予備少尉となり南鳥島で敗戦を迎える。舟木重信を師とあおぎ、同人誌に小説を書く。1946年早大附属早稲田第一高等学校専任講師。1949年日本共産党に入る。早大理工学部専任講師、51年助教授、52年文学部助教授、教授、1987年定年退任、名誉教授。左翼的学者として行動した。
藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1… 藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1985年1月2日)は、日本の漢学者。 三重県阿山郡(のちの上野市、現伊賀市域)生まれ。家系は津藩伊賀上野城代の藤堂家。父の赴任により大連で育つ。1938年、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部支那哲学科卒業後、外務省研修員として北京へ留学する。そのまま応召し、1941年に現地で除隊、さらに通訳として軍務に従事する。敗戦を南京で迎え、その翌日には軍命でハノイへ飛び、1947年に中国経由で復員する。 帰国後は第一高等学校教授を経て、1950年に東京大学文学部専任講師、1954年に同助教授、1963年に同教授。東大紛争で全共闘支持を表明し、1970年、強行排除に抗議して辞職、その直後から『11PM』に出演して「女へんの漢字」を解説したり、1971年からはNHKテレビの『中国語講座』講師を担当するなど、マスコミでも活躍した。
森田 鉄郎(もりた てつろう、1914年10月22日 - 1… 森田 鉄郎(もりた てつろう、1914年10月22日 - 1996年2月5日)は、日本の西洋史学者。 1914年10月22日、父・福井県出身・弁護士・摩寿意善太郎、母・広島県出身・山田ツヤの次男として東京麻布区に生まれる。兄は日本の美術家、東京芸術大学名誉教授・摩寿意善郎。麻布中学校卒業後、1932年、旧制第一高等学校に入学。 1935年東京帝国大学文学部西洋史学科入学。1939年同卒業。秩父宮御用掛・学習院大学教授・渡邉八郎長女・千江と婚姻。(祖父は大村藩士・初代大阪府知事・元老院議官・会計検査院長・貴族院議員・渡邉昇)婚姻後京都市岡崎円寺151・「吉富楼」経営の森田久の夫婦養子となり、姓を森田と改める。
今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 … 今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 - 2004年(平成16年)10月24日)は、日本の物理学者(流体力学)。理学博士(論文博士・1943年)。文化勲章受章者。航空機の飛行に関係した空気力学の基礎理論において大きな業績を上げた。 1914年に関東州大連に生まれ、神戸市で育った。幼少時より学業に秀で、跳び級制度により小学校5年修了で第一神戸中学校に入学した。1年の飛び級で卒業し、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部物理学科で寺沢寛一教授に師事、1936年に卒業。 卒業してからは、しばらく大阪帝国大学理学部の友近晋教授のもとで助手を務め、2年半のちに東大へ講師として戻り、1942年に助教授、1950年に教授に昇進した。
栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年(大正3年)8月2… 栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年(大正3年)8月28日 - 2009年(平成21年)11月8日)は、昭和期の官僚、実業家。第10代海上保安庁長官。 東京府(現東京都)出身。第一高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学経済学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。大学卒業後、逓信省に入省し管船局に配属された。 1940年、短期現役海軍主計科士官(4期)を志願。同年5月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月に経理学校を卒業。摩耶に配属。佐世保海軍航空隊、佐世保鎮守府第一特別陸戦隊をへて、1942年(昭和17年)3月、主計大尉に昇進し、同年10月、セレベス島(現・スラウェシ島)のケンダリで第753海軍航空隊の主計長として勤務。
中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日… 中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日 - 1992年(平成4年)11月25日)は、日本の内務・警察官僚。警視総監。位階は正四位。 東京都出身。第一高等学校を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年、東京帝国大学法学部を卒業。同年、内務省に入省し計画局属となる。1939年に徴兵され入営。1942年召集解除となる。 内務省に復帰し福岡県警察部職業課長に就任。以後、企画院勤務、内務省防空総本部業務局勤務、神奈川県警察部経済保安課長、同警備第一課長などを歴任し終戦を迎えた。 1946年、内務省警保局防犯課勤務となり、以後、山梨県警察部長、国家地方警察山梨県本部警察長、国家地方警察千葉県本部警察長、国家地方警察本部刑事部鑑識課長、同総務部会計課長、警察庁長官官房会計課長、茨城県警察本部長、警察庁警ら交通部長、警視庁交通部長、警察庁警務局人事課長、警視庁総務部長、同警務部長、警察庁警務局長などを歴任。
篠崎 信男(しのざき のぶお、1914年6月21日 - 19… 篠崎 信男(しのざき のぶお、1914年6月21日 - 1998年4月16日)は、日本の人口学者。 東京出身。別名・神寺人言(じんげんひとよ)。 第一高等学校、東京帝国大学理学部数学科をへて、1939年長谷部言人によって新設された人類学科に移り第一期生として卒業。 1961年「血族結婚部落に関する生体人類学的研究」で東京大学理学博士。 1943年厚生省に入り、人口問題研究所、同人口資質部長。1984年日本人口学会会長。1984年勲二等瑞宝章受勲。
堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 20… 堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 2005年5月11日)は、日本の詩人、官僚、実業家。 埼玉県熊谷市生まれ。国鉄御徒町駅に勤めながら苦学して専門学校入学資格検定試験(専検)に合格し1934年 第一高等学校に入る。1940年、高等試験に合格。1941年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大蔵省入省。管財局属。1959年、東京国税局総務部長。1960年、熊本国税局長。1961年、国税庁徴収部長。1962年調査査察部長、1964年、直税部長。1965年、原子燃料公団理事。1967年、動力炉核燃料事業団理事。1969年、忠勇社長。1975年、相談役。1976年、大阪証券金融社長。社業の傍ら、詩を書き、1978年「弾道」で日本詩人クラブ賞受賞。
永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991… 永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991年6月3日)は、日本の地球科学者である。岩石磁気学という分野を開いた。日本の南極観測を指導した。 愛知県岡崎市出身。第一東京市立中学、旧制第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、東京大学地震研究所を経て東京大学教授に就任した。疎開中は挙母町(現・豊田市宮町)の浄覚寺に滞在した。奇しくも30年前に日本人で初めて南極へ向かった白瀬矗が晩年1946年同じ挙母町に転居し亡くなった後、白瀬の妻と次女タケコが浄覚寺に滞在している。1944年7月、東京大学 理学博士、論文名は「火山岩、自然残留磁気およびその地球磁気学的諸問題への応用について(英文) 」。
山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - … 山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - 2011年12月3日)は、日本のマルクス経済学者、立教大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。第一高等学校卒、1936年東京帝国大学経済学部卒。1954年「再生産論」で立教大学経済学博士。1936年東京貯蓄銀行書記、1938年東亜研究所所員、1940年日本鉄鋼連合会書記、1941年鉄鋼統制会書記、日本鋼管書記、1946年立教大学経済学部助教授、1948年教授となり、1978年定年退任、名誉教授。愛知大学教授を務めた。マルクス経済学の厳密な検証において功績があったが、現実の世界経済、世界の社会主義国の崩壊など、理論と現実の乖離は大きく、大きな課題を残して2011年12月3日、98歳で逝去。
榊 米一郎(さかき よねいちろう、1913年(大正2年)3月… 榊 米一郎(さかき よねいちろう、1913年(大正2年)3月5日 - 2014年(平成26年)2月20日)は、日本の電子工学者。名古屋大学名誉教授、豊橋技術科学大学名誉教授。位階は従三位。 京都府京都市出身。父はサンスクリット学者で京都帝国大学名誉教授の榊亮三郎。1932年旧制第一高等学校理科甲類卒業、1935年東京帝国大学工学部電気科卒業、沖電気勤務、1939年名古屋帝国大学嘱託となり、助教授、1951年「磁気測定法に関する研究」で名古屋大学工学博士。1952年名古屋大学工学部教授。1967年 - 1969年工学部長。1974年定年退官、名誉教授、豊田工業高等専門学校校長、1976年退官、名誉教授、豊橋技術科学大学初代学長となる。
太田邦夫(おおた くにお、1913年2月23日 - 1997… 太田邦夫(おおた くにお、1913年2月23日 - 1997年4月23日)は、昭和・平成期の病理学者。東京医科歯科大学、東京大学各名誉教授、日本医学会4代会長。 兵庫県神戸市にて大阪商船副社長の太田丙子郎の長男として生まれる。旧制第一高等学校を経て1937年(昭和12年)東京帝国大学医学部医学科を卒業し、陸軍軍医として北支やラバウルで死線を彷徨う。 東京帝大助手を経て1941年に同講師、1944年医学博士号取得、癌研究所病理部長、1948年東京医科歯科大学教授となる。癌研所長の中原和郎の推薦で、ニューヨーク市のスローン・ケタリング癌センター(en:Memorial Sloan Kettering Cancer Center、アルフレッド・スローン、チャールズ・ケタリングの寄付による研究施設)に留学し、外科病理を研修。
畑 敏雄(はた としお、1913年1月5日 - 2009年1… 畑 敏雄(はた としお、1913年1月5日 - 2009年12月31日)は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。元群馬大学学長。元日本接着協会会長。 大阪府出身。第一高等学校理科乙類を経て、1940年東京工業大学応用化学科卒業。太平洋戦争中は風船爆弾のこんにゃく糊研究に従事。1962年東京工業大学工学博士の学位を取得。1963年東京工業大学教授。1973年停年退官、群馬大学工学部教授。1975年群馬大学学長。元日本接着協会会長。1984年、勲二等旭日重光章を受章。2009年12月31日、東京都練馬区石神井町の自宅で急性心不全のため死去し、一行院で葬儀・告別式が執り行われた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
吉田 健一郎(よしだ けんいちろう、1913年 - 1991… 吉田 健一郎(よしだ けんいちろう、1913年 - 1991年)は、日本の外交官。外務省賠償部長、駐ハンガリー特命全権大使、駐シンガポール特命全権大使、駐ニュージーランド特命全権大使。 愛媛県出身。1933年第一高等学校文科甲類卒業。1936年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。1948年連絡調整中央事務局第一部連絡課長。1949年連絡調整中央事務局第一部総務課長。同年外務省政務局情報部文化課長。1952年在ロスアンゼルス日本政府在外事務所所長。1952年在ロサンゼルス日本国総領事館総領事。同年外務省情報文化局第一課長。外務省情報文化局外務参事官を経て、1957年外務省アジア局賠償部調整課長。
河野 六郎(こうの ろくろう、1912年12月16日 - 1… 河野 六郎(こうの ろくろう、1912年12月16日 - 1998年10月7日)は、日本の言語学者。文学博士(東京大学、1962年)。東京教育大学名誉教授。専門は朝鮮語・中国語。 1912年、兵庫県神戸市生まれ。第一高等学校を経て、1937年(昭和12年)東京帝国大学言語学科卒業。 1940年(昭和15年)小倉進平の推薦を受け京城帝国大学助手に就任。1941年(昭和16年)同大講師。1942年(昭和17年)同大助教授。 第二次世界大戦後、1958年より東京教育大学言語学教室教授。1962年、「朝鮮漢字音の研究」を東京大学に提出して文学博士号を取得。1976年、東京教育大学定年退官後に大東文化大学教授に就いた(1983年まで)。
増山 元三郎(ますやま もとさぶろう、1912年10月3日 … 増山 元三郎(ますやま もとさぶろう、1912年10月3日 - 2005年7月3日)は、日本の数理統計学者。 北海道小樽市生まれ。旧制第一高等学校理科乙類を経て、1937年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。中央気象台衛生気象係。1939年、東京大学医学部物療内科教室嘱託。1943年「ベクトル量の相関測度について」で理学博士の学位を取得。1944年文部省統計数理研究所第三部兼任所員。1952~1953年インド統計研究所客員教授として、P・C・マハラノビス所長のもとで研究。1965年ノースカロライナ大学統計学部客員、1966年カトリック大学数学科統計研究室教授、1970年~1988年、東京理科大学教授。
上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日 … 上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日 - 1990年)は、日本の統計学者、マルクス経済学者。長く東京経済大学で教鞭を執り、同大学名誉教授となった。 上杉は、第二次世界大戦後の経済学界において、「社会統計学派の指導的理論家」であったとされる。 東京に生まれる。父・上杉慎吉は、東京帝国大学法学部教授で、天皇主権説に立つ憲法学者であった。なお、弟・上杉重二郎は、長じて労働運動史の研究者となり、北海道大学教授などを務めた。 1930年に第一高等学校に入学し、1933年に東京帝国大学経済学部に進んだ。学生時代の上杉は、日本共産青年同盟(共青)に参加し、滝川事件に関連して1934年と1935年の2度、検挙勾留された。
高橋 幸八郎 (たかはし こうはちろう、1912年6月1日 … 高橋 幸八郎 (たかはし こうはちろう、1912年6月1日 - 1982年7月21日)は、日本の歴史学者。専門は西洋経済史・フランス史。 福井県今立郡河和田村(現在の鯖江市河和田町)の地主の家に生まれる。1929年、第一高等学校文科甲類に進学し、1932年に卒業。同年、東京帝国大学文学部西洋史学科入学。同期入学に林健太郎、秀村欣二らがいる。1935年に卒業し、大学院に進学する。東京市立上野中学校教諭等を経て、1941年に京城帝国大学助教授に任じられる。1947年東京大学社会科学研究所赴任。1950年5月に助教授、1952年6月に教授となる。その間、1952年から1953年にフランス政府招聘客員教授も務めた。
林 茂(はやし しげる、1912年5月4日 - 1987年7… 林 茂(はやし しげる、1912年5月4日 - 1987年7月3日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本政治史。 1912年、和歌山県で生まれた。1932年に第一高等学校文科乙類を卒業し、東京帝国大学法学部政治学科に入学。1936年に卒業し、同大学大学院に進学した。1938年に東京帝国大学大学院を退学。 1942年、京城帝国大学法文学部助教授に就任。翌1943年、陸軍に臨時召集、終戦まで過ごした。 1948年、東京大学社会科学研究所助教授に就いた。1956年、同研究所教授に昇格。1973年、東京大学を退任し、名誉教授となった。その後は神奈川大学法学部教授として教鞭をとった。1976年、津田塾大学学芸学部教授に転じた。
関屋 光彦(せきや みつひこ、1912年4月1日 ー 199… 関屋 光彦(せきや みつひこ、1912年4月1日 ー 1994年)は、日本の哲学者。 朝鮮京城生まれ。第一高等学校卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒、同大学院、1939年青山学院中学部教諭、1941年文部省専門学務局学務課嘱託、1943年松本高等学校教授、1949年信州大学文理学部助教授、1950年教授、1951年津田塾大学教授、1954年国際基督教大学教授。1966年退職、1967年東海大学文学部教授、1971年東京女子大学短期大学部教授、1978年定年退職。 聖書研究会を主催した。妻は森有正の妹。松本高校では辻邦生を教えた。
生田 勉(いくた つとむ、1912年2月20日 - 1980… 生田 勉(いくた つとむ、1912年2月20日 - 1980年8月4日)は、日本の建築家・建築学者。東京大学名誉教授。木造の温かみを生かした住宅・山荘作品に独自の境地を開いた。また、アメリカの文明批評家であるルイス・マンフォードの著作の紹介者としても知られる。 北海道小樽市生まれ。旧制第一高等学校から、1939年東京帝国大学工学部建築学科卒。一高同期に立原道造、大学の一期上に丹下健三・浜口隆一がいる。特に立原とは深く交わった。また、ル・コルビュジエの作品・思想に強い影響を受けた。 その後逓信省営繕課勤務を経て、1944年旧制一高教授。その後東大教養学部助教授となり、1961年教授、1972年定年退官。
小関 藤一郎(こせき とういちろう、1912年1月1日 - … 小関 藤一郎(こせき とういちろう、1912年1月1日 - 2002年11月10日)は、日本の社会学者。 1912年、東京で生まれた。第一高等学校文科に入学し、1931年に卒業。東京帝国大学文学部社会学科で学び、1934年に卒業。同大学大学院に進学したが、1935年に退学。戦中は外地で過ごした。 1947年、三重県社会教育課長。1950年、三重県立大学専任講師となり、社会学を担当。1952年、南山大学経済学部助教授となった。1954年に同教授昇格。1960年、関西学院大学社会学部教授に転じた。1970年から1972年には、同社会学部長を務めた。1977年、学位論文『デュルケームと近代社会』を関西学院大学に提出して社会学博士号を取得。
三井 為友(みつい ためとも、1911年12月12日 - 1… 三井 為友(みつい ためとも、1911年12月12日 - 1998年9月13日)は、日本の教育学者。東京都立大学名誉教授。 旧名・松井大造。長野県諏訪郡富士見町出身。旧制諏訪中学校卒、第一高等学校卒、在学中左翼活動で検挙される。京都帝国大学文学部哲学科から東大に転じ、1937年東京帝国大学文学部教育学科卒。1940年同大学院教育学修士課程修了。 脚気のため帰郷、諏訪高等女学校(現長野県諏訪二葉高等学校)で教えた際千野敏子を教えた。1943年から東大学生主事補を務め、1944年東京第二師範学校教授に就任するが、同年5月応召、北満洲からボルネオ島に転戦し敗戦を迎える。捕虜生活ののち1946年7月帰国。
吉山 博吉(よしやま ひろきち、1911年(明治44年)12… 吉山 博吉(よしやま ひろきち、1911年(明治44年)12月1日 - 2007年(平成19年)5月2日)は、日本の実業家、第4代日立製作所社長・会長、電気学会会長、環太平洋産業連関分析学会設立発起人等を歴任した。 山口県萩市に生まれた。旧制第一高等学校から東京帝国大学工学部電気工学科に進み、1935年(昭和10年)大学卒業と同時に日立製作所に入社した。入社後は主として重電畑を歩み、1952年(昭和27年)電機事業部技術部長となり、1961年(昭和36年)11月取締役、1964年(昭和39年)11月常務、1968年(昭和43年)5月専務、1969年(昭和44年)11月副社長などを経て1971年(昭和46年)11月社長に就任、1981年(昭和56年)6月に社長退任、会長に就任、1987年(昭和62年)6月に会長退任。
石原 周夫(いしはら かねお、1911年11月19日 - 1… 石原 周夫(いしはら かねお、1911年11月19日 - 1983年12月27日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 広島県御調郡美ノ郷村(現在の尾道市)出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。東京帝大法学部在学中に高等試験行政科を合格。1934年に大蔵省入省(預金部兼大臣官房文書課)。主計局審査課長、主計局法規課長、主計局法規課長兼主計局企画課長、主計局法規課長兼主計局調査課長などを経て、1948年7月10日に主計局総務課長兼主計局調査課長。同年10月8日に主計局第二部長兼主計局主計官。1949年6月1日に主計局次長(次席)。1950年5月から同年7月の間は米国出張として派遣される。