細川 興一(ほそかわ こういち、1947年6月17日 - )… 細川 興一(ほそかわ こういち、1947年6月17日 - )は、日本の大蔵官僚。富山県富山市出身(父も富山県、母は石川県)。血液型はB型。元日本政策金融公庫代表取締役総裁。 細川は地方行政に興味があったことから、当初は大蔵省(後の財務省)より自治省(後の総務省)が第1志望であった。大蔵省か自治省かで迷ったが、小粥正巳大臣官房秘書課長補佐の「君がこれから自治省に断りに行くことが、大蔵省での最初の仕事だよ」という一言で大蔵省入省を決意した。 地方行政に興味があったことから、国家公務員上級試験(甲種)を行政職で受験していた。しかし、大蔵省を志望する者は、法律職か経済職が大多数だった。細川曰く「『大蔵省では行政職は採らない』と言われた。
森元 恒雄(もりもと つねお、1947年6月17日 - )は… 森元 恒雄(もりもと つねお、1947年6月17日 - )は、日本の政治家、自治官僚。元自由民主党参議院議員。大阪府和泉市出身。 大阪府立三国丘高等学校、東京大学法学部卒業。1970年に自治省(現・総務省)に入省。財政局地方債課長、大臣官房企画室長、岐阜県副知事などを歴任。1999年8月14日に大臣官房総務審議官。2000年5月に退官。翌2001年の参議院議員選挙で比例区から自民党公認で立候補して当選。当選1回。2003年の第1次小泉2次改造内閣で内閣府大臣政務官に就任。次の第2次小泉内閣でも留任した。2007年の参議院議員選挙で落選した。 2008年に立教大学経済学部特任教授となり、2013年まで務めた。
奈良橋 陽子(ならはし ようこ、1947年6月17日 - )… 奈良橋 陽子(ならはし ようこ、1947年6月17日 - )は、日本のキャスティングディレクター、演出家、映画監督、劇作家、作詞家、英会話教育家である。アップスアカデミー(UPS)代表。モデル・ランゲージ・スタジオ(MLS)会長。 千葉県市川市出身。国際基督教大学言語学専攻卒業。長男は俳優の野村祐人、長女は女優・演出家の米倉リエナ。母方の祖父は関屋貞三郎。元夫はジョニー野村。 父親の奈良橋一郎は外交官で、カナダ・モントリオールにある国際連合の専門機関である国際民間航空機関(ICAO)日本政府代表部に勤務しており、奈良橋も5歳でカナダに渡る。1962年、日本に帰国し聖心インターナショナルスクールを卒業後、国際基督教大学言語学専攻を卒業した。
大林 宏(おおばやし ひろし、1947年6月17日 - )は… 大林 宏(おおばやし ひろし、1947年6月17日 - )は、日本の検察官、第25代検事総長。 東京都出身。一橋大学法学部在学中、司法試験に合格。一橋大卒業後、司法修習を経て、1972年検事任官。任官同期には、横田尤孝(最高裁判事、元次長検事)、中尾巧(元大阪高検検事長)、熊﨑勝彦(元最高検公安部長)、三井環(元大阪高検公安部長)等がいる。 検事総長就任までの38年間のうち20年間は法務省勤務だが、札幌地検や東京地検などで捜査検事の経験があり、本人はいわゆる「赤レンガ派」と称されることには違和感を覚えるとコメントしている。また、検事初の一等書記官として在中国大使館に赴任時代した際には、中国残留日本人の帰国支援、伊藤律への事情聴取などを行った。
武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、… 武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、男性、1947年6月16日 - )は、日本の漫画原作者。血液型はO型。別ペンネームは史村 翔(ふみむら しょう)。 代表作に『ドーベルマン刑事』、『北斗の拳』、『サンクチュアリ』、『HEAT-灼熱-』など多数。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)出身。 貧しい農家の末っ子で、佐久市立野沢中学校を卒業後、家庭の事情などもあり高校へは進学しなかった。 15歳の時に自衛隊生徒として熊谷基地の航空自衛隊に入隊。自衛隊時代は三等空曹として福岡県と佐賀県の境にある航空自衛隊背振山レーダー基地に勤務。よど号事件発生時にもレーダーの運用を行っていた。 7年間在職した自衛隊を除隊後、コンピュータの専門学校に通ったが、1971年の暮れ頃、自衛隊生徒時代の同期であった本宮ひろ志の仕事場にアシスタントとして転がり込む。
安里 カツ子(あさと カツこ、1947年6月16日 - 20… 安里 カツ子(あさと カツこ、1947年6月16日 - 2013年12月5日)は日本の実業家、政治家(沖縄県副知事)。沖縄県名護市屋我地出身。 1947年(昭和22年)6月16日生まれ。 那覇商業高校(現:沖縄県立那覇商業高校)、商業実務専門学校卒業。1967年、琉球石油(現:りゅうせき)に入社。1987年、りゅうせきビジネスサービス設立に参画。1993年、りゅうせき社長、その後専務などを経て2006年からりゅうせき副社長。また、1996年には県経営者協会の女性リーダー部会を立ち上げた。2007年から4年間沖縄県副知事を務めた。 2013年12月5日11時40分、心不全により死去。享年66歳。
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )… 秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、日本の歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 山梨県東山梨郡後屋敷村(現山梨市)生まれ。旧姓、堀内。山梨英和中学校・高等学校、國學院大學文学部卒。岡野弘彦に師事し、1974年「人」短歌会入会。1985年、「応答に抑揚ひくき日本語よ - 宮柊二の歌とともに」で第3回現代短歌評論賞次席。日本語教師として働くかたわら、1990年の第5回「現代短歌を評論する会」にて「フェミニズムを体現した歌人たち」のテーマで研究発表。以後、三ヶ島葭子などの女性歌人を中心に「青鞜」の女性運動について研究を行うようになる。 1993年、「人」解散に伴い藤井常世主宰の「笛」に参加。
立山 良司(たてやま りょうじ、1947年6月15日 - )… 立山 良司(たてやま りょうじ、1947年6月15日 - )は、国際政治学者、防衛大学校名誉教授。
山本 麗子(やまもと れいこ、1947年6月15日- )は、… 山本 麗子(やまもと れいこ、1947年6月15日- )は、宮城県出身の料理研究家(クッキングプロデューサー)。日本体育大学女子短期大学部卒業。 4歳から東京で暮らし、台湾で生活をした両親の影響で中国料理に目覚め、今も年に数回中国に出掛ける。20代にフランス料理を食べ歩き。フランスを中心にヨーロッパ等で料理を学ぶ。その後、香港をはじめとしてアジア料理の研究を重ね、広く和洋中の料理を探求。リヨンのピラミッドで衝撃的なタルトタタンに出会い、ケーキ、デザートの道に入る。1994年、長野県北佐久郡北御牧村(現在の東御市)に移住し、自宅で料理、お菓子教室を主宰している。北は北海道、南は沖縄から通う受講生もいる。
三田 明(みた あきら、1947年〈昭和22年〉6月14日 … 三田 明(みた あきら、1947年〈昭和22年〉6月14日 - )は、日本の歌手、俳優。東京都昭島市出身。本名・辻川 潮(つじかわ うしお)。太陽企画所属。 清純な風貌と美声で1960年代を中心にヒットを飛ばした。また、『長七郎江戸日記シリーズ』など時代劇を中心に俳優としても活動している。 父は長崎県、母は山口県徳山市(現・周南市)出身で、父が徳山の土木関係の会社に勤めていたときに母と知り合い結婚。4年後、二人で関西に移り、その後東京へ出て大工となる。この間、母は8人の子供を生み、東京で生まれたのが潮(明)。父の仕事は不安定で、人を集めて酒をよく飲み、母や子供にもよく手を出し生活も苦しかったという。
江村 治樹(えむら はるき、1947年6月14日 - )は、… 江村 治樹(えむら はるき、1947年6月14日 - )は、日本の中国史学者、名古屋大学名誉教授。 1947年、京都府舞鶴市で生まれた。京都府立西舞鶴高等学校を卒業し、神戸大学文学部史学科に進学。東洋史学専攻で学び、1971年に卒業。名古屋大学大学院文学研究科史学地理学科(東洋史学専攻)に進み、1975年に博士課程を中退。 中退後、京都大学人文科学研究所助手に採用され、東洋考古学の研究に従事。1981年、名古屋大学文学部助教授に就き、東洋史学講座を担当した。1995年に同教授昇格。後に同文学研究科教授に配置換え。1998年、学位論文『春秋戦国秦漢時代出土文字資料の研究』を名古屋大学に提出して文学博士号を取得。
楠 恒男(くすのき つねお、1947年6月14日 - )は日… 楠 恒男(くすのき つねお、1947年6月14日 - )は日本の実業家。英会話スクールジオスの代表取締役会長兼社長。徳島県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 イーオン代表取締役社長の安藝清(アンジェラ・アキの実父)は同じく徳島県出身でかつ徳島県立城南高等学校時代の同級生である。 また、父親である楠才之丈(1917-2003)は阿波おどり実行委員会初代委員長。德島市同和教育推進協議会元会長、徳島市議会元議員。
宮内 洋(みやうち ひろし、1947年6月14日[注釈 1]… 宮内 洋(みやうち ひろし、1947年6月14日[注釈 1] - )は、日本の俳優。東京都出身[注釈 2]、千葉県銚子市育ち。身長179cm、体重71kg[注釈 3]、血液型B型。丹波プロダクション、東映俳優センターを経て株式会社オフィス28所属。
木樽 正明(きたる まさあき、1947年6月13日 - )は… 木樽 正明(きたる まさあき、1947年6月13日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 銚子商業1年次の1963年、夏の甲子園に一塁手として出場し、準々決勝に進むが今治西高に敗退。2年上のチームメートに三塁手の田中達彦がいた。2年次の1964年は夏の県予選は3回戦で東金商に敗れ、秋季関東大会県予選では決勝に進むが市銚子高に完封負け。3年次の1965年には夏の甲子園でエース・4番打者として順調に勝ち進み、準決勝で高鍋高の牧憲二郎と投げ合い2-1で逆転勝ち。決勝では三池工と対戦するが上田卓三に0-2で完封を喫し、準優勝にとどまった。同年の岐阜国体では、決勝で岐阜短大付の淵上澄雄に投げ勝ち優勝。
生江 隆之(なまえ たかゆき、1947年(昭和22年)6月1… 生江 隆之(なまえ たかゆき、1947年(昭和22年)6月13日 - )は、日本の実業家。三井ホーム、セレスティンホテルの代表取締役社長、日本ツーバイフォー建築協会会長等を歴任した。 宮城県出身。学校法人桐朋学園理事長を務めた生江義男は父。桐朋小学校、桐朋中学校・高等学校を経て、1971年(昭和46年)慶應義塾大学文学部卒業後三井不動産に入社。99年取締役人事部長に昇格。02年常務執行役員人事部長、05年専務取締役専務執行役員アコモデーション事業本部長兼アセット運用部長。 2009年(平成21年)から子会社の三井ホーム社長に転じ、グローバル化などにより売上を増加させる中期経営計画等にあたった。11年に日本ツーバイフォー建築協会会長、住宅生産団体連合会副会長。
早川 一枝(はやかわ かずえ、1947年6月13日 - )は… 早川 一枝(はやかわ かずえ、1947年6月13日 - )は、日本の元競泳選手。静岡県出身。1964年東京オリンピック日本代表。400m・800m・1500m自由形の元日本記録保持者。 富士市立富士中学校、吉原市立商業高等学校、別府大学卒。 1962年アジア競技大会の400m自由形で2位入賞を果たした。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。400m自由形に出場し、予選落ちだった。 1966年アジア競技大会に出場、400m自由形と400mフリーリレーで2冠を達成した。 日本選手権の400m自由形では4連覇、800m自由形では6連覇を達成している。400mの4連覇は6連覇の五十嵐千尋、5連覇の山田沙知子に次ぐ歴代3位の記録。
佐藤 竹秀(さとう たけひで、1947年6月13日 - 20… 佐藤 竹秀(さとう たけひで、1947年6月13日 - 2001年3月13日)は、静岡県富士市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。
安江 健治(やすえ けんじ、1947年6月13日 - )は、… 安江 健治(やすえ けんじ、1947年6月13日 - )は、日本の経営者。愛知県出身。 1970年に京都大学工学部を卒業し、同年にユニチカに入社。2006年6月に取締役を就任し、2008年6月に専務を経て、2009年6月に社長に就任。2014年6月に取締役相談役に退いた。
保持 卓一郎(やすもち たくいちろう、1947年6月12日 … 保持 卓一郎(やすもち たくいちろう、1947年6月12日 - )は、RNB南海放送の元男性アナウンサー。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
山岡 葉子(やまおか ようこ、1947年6月12日 - 20… 山岡 葉子(やまおか ようこ、1947年6月12日 - 2001年12月25日)は日本の女性声優。神奈川県出身。 劇団若草、劇団現代、現代制作舎、江崎プロダクション、同人舎プロダクションを経て、オフィス薫に所属していた。 2001年12月25日に死去。54歳没。 特技は歌、中国語。趣味はバードウォッチング。 太字はメインキャラクター。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
加藤 繁秋(かとう しげあき、1947年〈昭和22年〉6月1… 加藤 繁秋(かとう しげあき、1947年〈昭和22年〉6月11日 - 2022年〈令和4年〉8月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。 香川県出身。1966年香川県立丸亀高等学校卒業。高松郵便局勤務の後、社青同中央部副委員長、日本社会党香川県政策審議会事務局長を経て、日本社会党県組織部長。1990年の総選挙で旧香川2区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 その後1996年の総選挙、1998年の参院選、2000年の総選挙、2003年の総選挙と続けて社会民主党から立候補したが、全て落選した。 2022年8月17日、膵臓がんのため、死去。75歳没。
鳥谷 元(とりや はじめ、1947年6月11日 - )は、福… 鳥谷 元(とりや はじめ、1947年6月11日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 築上中部高校(現:青豊高校)時代は、福岡県大会で飯塚商と延長36回戦った事もある。 1965年の第1回プロ野球ドラフト会議において、中日ドラゴンズからドラフト11位で指名され入団した。 速球が武器の本格派で、同年のドラフト1位指名の豊永隆盛とともに成長が期待された。1967年に1軍で4試合に登板した。 1968年オフに広島東洋カープへ移籍するが、1軍での登板は無く、1972年限りで現役を引退した。 タフで故障の少ない選手で、カーブに切れがあり、コントロールもよく、思い切りのいいピッチングをみせるが、むきになるところがあった。
4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 … 4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 - 1984年1月31日)は、大阪府大阪市出身の上方噺家。本名: 山田 昇(やまだ のぼる)。出囃子は『たぬき』。
中江 昌彦(なかえ まさひこ、1947年6月11日- )は、… 中江 昌彦(なかえ まさひこ、1947年6月11日- )は、翻訳家。 東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒。トリオ・レコードのレコード・ディレクターを経て、翻訳を始める。ブレット・イーストン・エリスなど小説のほか、ロック関係の翻訳が多い。 母は中江泰子、祖母は料理研究家の中江百合、女優の東山千栄子は大伯母。
妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 20… 妹尾 一朗(せのお いちろう、1947年6月11日 - 2015年6月26日)は、日本の洋画家。生命と宇宙の神秘をテーマに、動植物をモチーフとした幻想絵画の世界観を描く。作品の主な表現技法として、油彩・テンペラを用いている。宮城県塩竈市出身。 1971年 上智大学文学部社会学科卒業。 1972年 東京芸術学園卒業。 1973年 独立展入選。 1975年 ブロードウェイ新人展新人賞第一席受賞、同ギャラリーと契約。太陽美術展銅賞受賞。 1976年 フランス国際展国際賞受賞。ル・サロン交流展選抜。ブロードウェイギャラリーにて個展。太陽美術展銀賞受賞。太陽美術協会会員。 1977年 第一回日洋展入選。ル・サロン展銅賞受賞。
井上 保廣(いのうえ やすひろ、1947年(昭和22年)6月… 井上 保廣(いのうえ やすひろ、1947年(昭和22年)6月11日 - 2019年(令和元年)10月22日)は、日本の政治家、福岡県太宰府市長(2期)。 福岡県出身。福岡大学法学部卒。太宰府市役所に入り、助役となり、2007年の太宰府市長選挙に立候補し、初当選する。2011年に再選。2015年の選挙では元市議の芦刈茂に敗れた。
くず 哲也(くず てつや、本名:野村 哲也、1947年〈昭和… くず 哲也(くず てつや、本名:野村 哲也、1947年〈昭和22年〉6月10日 - 2021年〈令和3年〉1月31日)は、日本のタレント、フリーライター、ラジオパーソナリティ。 東京都出身。東京都立広尾高等学校、武蔵野美術大学産業デザイン科卒業。大学卒業後、広告会社に入社するが3か月で退社。その後は特に定職に就く訳でもなく音楽グループの「日暮し」の結成に関わったり、平凡出版(現・マガジンハウス)で「平凡パンチ」のライターをしたり気ままな活動をし、せんだみつお、鈴木ヒロミツ、高橋基子、黒田征太郎、浅井慎平、野末陳平らと出会い親交を温めて来た。ある時ニッポン放送のプロデューサー・上野修にマイクテストを受けるようにと半ば強引にニッポン放送に呼ばれる。
ひし美 ゆり子(ひしみ ゆりこ、1947年〈昭和22年〉6月… ひし美 ゆり子(ひしみ ゆりこ、1947年〈昭和22年〉6月10日 - )は、日本の女優。本名は菱見 地谷子。 身長158センチメートル。 東京都中野区鷺宮1丁目(現・若宮1丁目)生まれ。父は北海道出身で戦時中は技術者として兵器の会社に勤務していたほか、後の千葉工業大学で教えていたこともある。父方の祖父は江戸出身で、彰義隊の残党として北海道に移り住み、ミス北海道の女性と結婚した。 父は戦後、手動式拡大コピー機の会社「スミラ工藝社」を興して成功したが、やがて事業に失敗し、負債処理のために中野の家を引き払い、1954年8月、三鷹市牟礼(現・井の頭4丁目)に転居。 1963年、中野区立北中野中学校から藤村女子高等学校に入学。
五十嵐 一(いがらし ひとし、1947年(昭和22年)6月1… 五十嵐 一(いがらし ひとし、1947年(昭和22年)6月10日 - 1991年(平成3年)7月11日)は、日本の中東・イスラーム学者。井筒俊彦の弟子。比較文学の学者である五十嵐雅子は妻。長男の五十嵐中も大学教授である。十数の言語の読み書きが出来、イスラム思想、数学や医学、ギリシア哲学などを研究していた。 新潟県新潟市出身。新潟大学教育学部附属新潟小学校、新潟県立新潟高等学校を経て、1970年(昭和45年)に東京大学理学部数学科を卒業した。理数系から人文系に転身し、1976年(昭和51年)に同大学院美学芸術学博士課程を修了した。同年からイランに留学し、イラン革命が起こった1979年(昭和54年)までイラン王立哲学アカデミー研究員を務めた。
初宿 正典(しやけ まさのり、1947年6月10日 - )は… 初宿 正典(しやけ まさのり、1947年6月10日 - )は、日本の法学者(憲法学)。博士(法学)。京都大学名誉教授。出身は滋賀県。
草野 厚(くさの あつし、1947年6月10日 - )は、日… 草野 厚(くさの あつし、1947年6月10日 - )は、日本の政治学者、慶應義塾大学総合政策学部名誉教授。専門は戦後日本外交論、政策過程論、国際関係論、国際協力政策論(ODA)。
喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、… 喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)、沖縄県議会議長、沖縄社会大衆党委員長などを務めた。沖縄県中頭郡西原町出身。 琉球大学卒業。1988年の第6回沖縄県議会議員選挙で中頭郡選挙区より立候補し初当選。以後、5期連続当選し2004年に沖縄社会大衆党(社大党)委員長に就任。同年の第20回参院選で民主党・社民党・共産党と共に野党共闘体制を構築し、社大党の副委員長・糸数慶子を無所属の野党統一候補として出馬、当選させた。2008年の第10回県議選においては県政の与野党を逆転させたものの自身は落選し、社大党も議席を減らす結果となったが委員長職を続投した。
網本 勝弥(あみもと かつや、1947年6月10日 - )は… 網本 勝弥(あみもと かつや、1947年6月10日 - )は、日本の経営者。フジタ社長を務めた。大阪府出身。 1970年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、同年に藤田組(のちのフジタ)に入社した。2002年4月に執行役員に就任し、2005年6月に社長に就任。2008年4月に代表取締役を経て、6月に顧問に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
柴山 俊之(しばやま としゆき、1947年6月9日 - )は… 柴山 俊之(しばやま としゆき、1947年6月9日 - )は、日本のミュージシャン、作詞家。サンハウス、Zi:LiE-YA、Electric Mud、BLUES LION、Rubyなどのバンドを率い、ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。ボーカル、ハーモニカ、タンバリン、マラカスを担当。ステージネームは菊。 福岡県福岡市出身。福岡大学卒。剣道三段、ボイラー技士免許。福岡県立筑紫丘高等学校を1年1学期で退学後、福岡大学附属大濠高等学校へ転入。ダンスホールに入り浸る。ダンスホールのバンドでギターを弾いていた高校の同級生・笠原久義を偶然見かけたことからバンドに興味を持つ。当初はドラムを担当していたが、あるダンスパーティーでボーカルを務め(パーティーに来ていた女の子に声をかけられるなどで気をよくし)たことなどから、ボーカルにシフトする。
岡村 敬二(おかむら けいじ、1947年6月9日 - )は、… 岡村 敬二(おかむら けいじ、1947年6月9日 - )は、日本の図書館司書、書誌学者。学術博士(総合研究大学院大学・論文博士・2006年)。京都ノートルダム女子大学名誉教授。専門は出版文化史。 広島県三原市に生まれる。1973年に京都大学法学部を卒業後、大阪府立図書館の司書となる。その後、大阪府立夕陽丘図書館、大阪府立中之島図書館を経て、1998年に京都文化短期大学教授、2000年に京都学園大学教授、2004年に京都ノートルダム女子大学教授に就任し、2017年に定年退任により名誉教授。2006年には「日満文化協会の歴史:草創期を中心に」で、学術博士(総合研究大学院大学)の学位を取得。 満洲国を中心とする外地における出版史・書籍史の著作が多い。
六本木 じろう(ろっぽんぎ じろう、1947年6月9日 - … 六本木 じろう(ろっぽんぎ じろう、1947年6月9日 - )は、東京都板橋区出身の歌手である。本名は川崎 俊夫(かわさき としお)。 週に3〜4回のボランティア活動(仕事でお世話になった港区と渋谷区を主とした、特養ホームやデイサービスセンター他への訪問)を中心とする歌唱活動やYOUTUBE(エムむすび)でのビデオレター活動、自らのこれまでの経験やネットワーク、そして保有する宅地建物取引士やビル経営管理士の資格をもとに、若手の経営者や起業家を支援する活動を行っている。 中央大学商学部を卒業後、1971年森ビル株式会社に入社。入社後、経理、貸室営業、不動産交渉、ビルマネージメント、コンサルタント業務、リゾート開発、商業ビル開発及び運営等の諸業務を担当。
寺本 民生(てらもと たみお、1947年6月9日 - )は、… 寺本 民生(てらもと たみお、1947年6月9日 - )は、日本の医学者、医学博士。専門は、内分泌、代謝、動脈硬化など。帝京大学医学部学部長(2010年~2013年)、帝京大学 臨床研究センター センター長(2013年~)、日本内科学会理事長(2009年4月~2013年3月)、日本動脈硬化学会理事長(2013年4月~2014年3月)、日本医学会連合理事(臨床内科部会)、厚生労働省薬事・食品衛生審議会委員、一般社団法人日本専門医機構理事長(2018年~)。寺本内科歯科クリニック院長。 東京都出身。1973年、東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院第一内科に入局し、シカゴ大学留学、東京大学助手などを経て現職。
江口 憲一(、1947年〈昭和22年〉6月9日 - )は、日… 江口 憲一(、1947年〈昭和22年〉6月9日 - )は、日本の特撮映画の撮影監督。東京都出身。東宝映像美術所属。 東京写真大学を卒業後、日テレ報道部のカメラマンとして入社。しかし、政府関係の会議が中心であったため面白みを感じられず、自身の写真について考えるため半年間インドを旅する。1973年に退社しフリーとなり、テレビドラマの撮影助手として活動を始める。1974年に東宝映像に入社。 映画『ノストラダムスの大予言』(1974年)で特撮作品に初参加したのち、映画『大空のサムライ』(1976年)より特撮監督の川北紘一の下で特撮班チーフカメラマンを務める。ゴジラシリーズでは、川北が離れた後も『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)まで参加した。
酒井 健二(さかい けんじ、1947年6月9日 - 2018… 酒井 健二(さかい けんじ、1947年6月9日 - 2018年5月1日)は、日本の経営者。日本ペイント社長、会長を務めた。 山口県出身。1973年に広島大学大学院工学研究科を修了し、同年4月に日本ペイントに入社した。2004年4月に執行役員に就任し、2005年6月に取締役、2007年6月に専務を経て、2009年4月に社長に就任し、2014年10月には日本ペイントホールディングスに就任。2015年4月に会長に就任。 2018年5月1日、急性心不全のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
計良 智子(けいら ともこ、1947年〈昭和22年〉6月9日… 計良 智子(けいら ともこ、1947年〈昭和22年〉6月9日 - 2016年〈平成28年〉3月17日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道札幌市でアイヌの文化の伝承に取り組む市民団体「ヤイユーカラの森」の創設メンバーの1人であり、旧静内町のアイヌ文化伝承者である織田ステノから受けた教えをもとに、長期にわたってアイヌ文化や歴史を伝える活動のために貢献した。 北海道白老町で誕生した。祖父母がアイヌだが、自身の誕生時にはすでに祖父が故人であり、祖母は同化政策に従って、民族の文化を捨てて父を育てざるを得なかったことから、子供の頃はアイヌ文化とは無縁の生活だった。 中学校を卒業し、集団就職で上京した際に、周囲から「北海道・イコール・アイヌ」と言われ、他者との違いを考えさせられ、苦悩に陥った。
木村 藤子(きむら ふじこ、1947年6月8日-)は、日本の… 木村 藤子(きむら ふじこ、1947年6月8日-)は、日本の作家。 信用金庫の元職員。青森県むつ市在住。 青森県下北郡田名部(現・青森県むつ市)に、8人兄弟の末っ子として生まれる。母親は、周囲から霊能力者とみなされる人物であった。高校卒業後、信用金庫に勤める。30代の時、神の声を聞いて霊視・透視能力を授かる。 1990年(平成2年)9月、むつ市内のマエダ百貨店で開催された爬虫類ショーのアミメニシキヘビが逃げた際、その所在を言い当てたとして全国的にその名が知れわたり、「青森の神様」「ヘビの神様」と言われる。美輪明宏・江原啓之らと『オーラの泉』に出演した。
西村 昌樹(にしむら もとき、1947年6月8日 - )は、… 西村 昌樹(にしむら もとき、1947年6月8日 - )は、千葉県出身の日本の柔道家。身長185cm。体重115kg。 1966年日本大学第一高等学校卒業、拓殖大学卒業。1972年の全日本選手権3位。ミュンヘンオリンピック柔道男子重量級銅メダリスト。 (階級表記のない大会は全て重量級での成績)
広瀬 和雄(ひろせ かずお、1947年6月8日 - )は、日… 広瀬 和雄(ひろせ かずお、1947年6月8日 - )は、日本の考古学者、国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学名誉教授。主たる研究領域は、弥生時代・古墳時代の政治構造。 近年の主要な研究テーマは古墳時代の政治構造や観念領域の研究である。日本列島各地に展開した前方後円墳の特質として「見えるかたちでの死者の王権」としての可視性、形状における斉一性、そして、墳丘規模に顕現する階層性の3点を掲げ、前方後円墳を、大和政権を中心とした首長層ネットワークすなわち「前方後円墳国家」と呼ぶべき国家の表象であると論じて、国家の成立を「利益共同体」という従来にない観点から説明した。2003年(平成15年)3月の研究集会「弥生時代の実年代」にも参加した。
大島 一彦(おおしま かずひこ、1947年6月8日 - )は… 大島 一彦(おおしま かずひこ、1947年6月8日 - )は、英文学者、早稲田大学名誉教授。 専門はジェイン・オースティン、ジェイムズ・ジョイス、D・H・ロレンスを中心とするイギリス小説、及び小林秀雄、小沼丹を中心とする日本近現代文学。 茨城県生まれ。1970年早稲田大学文学部英文科卒、1975年同大学院博士課程単位取得満期退学。1972年早大文学部助手、1976年専任講師、1980年助教授、1985年教授、文学学術院教授。2018年停年退職、名誉教授。作家・英文学者の小沼丹に師事し、没後に全集を編んだ。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
藤原 瑠美(ふじわら るみ、1947年6月7日 )(本名 八… 藤原 瑠美(ふじわら るみ、1947年6月7日 )(本名 八鳥瑠美)は、医療福祉ジャーナリストである。日本とスウェーデンを行き来し、スウェーデンの介護、特にアンダーナースのケアに関する定点観察をエスロヴ市にて行っている。 東京都出身。1947年6月7日団塊世代まっただ中の生まれ。本名は八鳥瑠美(はっとり るみ)で、旧姓藤原瑠美はペンネーム。清泉女子大学英文科卒業後、銀座の株式会社和光に勤務する。時計宝飾部課長、宣伝企画部副部長、婦人用品部部長、広尾店店長などの管理職を務める。1990年から11年間自宅にて認知症の母の在宅介護を副介護者がいない中、大田区福祉公社の協力会員の手を借りて続け看取った。
高尾 栄司(たかお えいじ、1947年6月7日 - )は、日… 高尾 栄司(たかお えいじ、1947年6月7日 - )は、日本のノンフィクション作家。群馬県出身。上智大学を経て、バローダ大学(The Maharaja Sayajirao University of Baroda)、ベナレス大学大学院(Banaras Hindu University)で哲学専攻。 渡英し、オックスフォードの哲学者Jonathan ReeからチュートリアルでL.ヴィトゲンシュタインを学んだ。 帰国後は集英社特派記者、Sterling News Papers(在ムンバイ)東京支局長となり、ヨーロッパ、中近東などを取材。ビートルズの元ドラマー、ピート・ベストをテーマにした『ビートルズになれなかった男』(大宅賞候補作)などで知られる。
森 省二(もり せいじ、1947年6月7日 - 2024年1… 森 省二(もり せいじ、1947年6月7日 - 2024年12月6日)は、日本の精神科医、文筆家。医学博士(論文博士・1980年)。 岐阜県出身。名古屋市立大学医学部卒業。1980年「偽循環病型分裂病について」で、医学博士。同大学助手、愛知医科大学講師、名古屋柳城短期大学教授、愛知みずほ大学教授を経て、澄鈴会理事・顧問、尾源研究所研究員。 故郷に戻り、地域の医療と福祉に関与する。暮らしに密着した臨床からストーリーを探り、こころの統合を目指している。
大住 圭介(おおすみ けいすけ、1947年6月6日- )は、… 大住 圭介(おおすみ けいすけ、1947年6月6日- )は、日本の経済学者。経済学博士(1987年)。九州大学名誉教授。元日本応用経済学会会長。 福岡県生まれ。1970年九州大学経済学部卒業。1975年同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。1987年「長期経済計画の理論的研究」で経済学博士の学位を取得。熊本大学教養部講師、助教授、青山学院大学経済学部助教授、教授、1992年九州大学経済学部教授、2000年経済学研究院教授。2012年定年退任、名誉教授、福岡女子大学教授。2014年日本応用経済学会会長。2017年退職。理論経済学、数理経済学専攻。
村上 信夫(むらかみ のぶお、1947年〈昭和22年〉6月6… 村上 信夫(むらかみ のぶお、1947年〈昭和22年〉6月6日 - )は、日本の演出家、プロデューサー。大阪府出身。 1947年、大阪府出身。 1971年、早稲田大学第一文学部卒業。宝塚歌劇団に入団。演出助手として活動。 1979年以降、宝塚歌劇団の演出家として活躍。 1997年に宝塚歌劇団、プロデューサーに転身。宝塚歌劇団のベルリン公演、韓国公演などの制作を担当。また数多くの宝塚の作品を制作する。 2007年、宝塚クリエイティブアーツに入社。宝塚専門チャンネルのタカラヅカ・スカイ・ステージのプロデューサーを担当。2012年に定年退社。以降、宝塚歌劇団卒業生のライブとかのプロデューサーを数多く手がけている。
会田 照夫(あいだ てるお、1947年6月5日 - 2021… 会田 照夫(あいだ てるお、1947年6月5日 - 2021年2月22日)は、埼玉県春日部市出身のプロ野球選手(投手)。アンダースロー投手であった。 子は3男で、エコノミストの会田卓司、プロ野球選手の会田有志(三男)がいる。 小学6年から野球を始め、中学3年の時に遊撃手から投手に転向。 上尾高等学校ではエースとして1964年秋季関東大会に進むが、1回戦で市銚子高に延長10回サヨナラ負け。翌1965年夏の甲子園県予選でも準々決勝に進出するが、大宮高校に敗退し甲子園出場はならなかった。高校の1年上に山崎裕之、同期に江田幸一がいる。 卒業後は高校時代の監督である野本喜一郎に引き連れられ、当時は東都大学野球リーグ二部に低迷していた東洋大学に進学。