永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 20… 永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 2010年9月6日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。元順天堂大学医学部教授。学位は、医学博士。 1965年、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室に入局し、島崎敏樹教授、宮本忠雄助教授のもとで学んだ。村上靖彦、市橋秀夫、中安信夫らと共に日本の精神病理学第3世代を代表する人物である。主として統合失調症の研究を行った。 1937年12月5日、静岡市生まれ。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東京医科歯科大学医学部卒業。1965年4月、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室入局、1965年10月、関東労災病院神経科勤務、1967年1月、私立多摩湖病院勤務、1972年7月、成増厚生病院勤務、1975年1月、同愛記念病院神経科勤務。
岡本 健一(おかもと けんいち、1937年12月3日 - )… 岡本 健一(おかもと けんいち、1937年12月3日 - )は、日本のジャーナリスト・考古学者。京都府京都市生まれ。 1961年京都大学文学部史学科国史専攻卒、毎日新聞社入社。1962年高松塚古墳発掘で被葬者の推定を行う。京都支局・社会部・学芸部に勤務。学芸部副部長、1982年部長・1985年論説委員兼編集委員、1991年論説副委員長、特別編集委員、1999年客員編集委員。1999年京都学園大学人間文化学部教授。2008年定年退職。1979年“稲荷山鉄剣銘発見”のスクープと一連の解説で日本新聞協会賞グランプリ、1999年長年の公正な文化財報道と啓発的な著作で藤森栄一賞(長野県考古学会賞)。
毛利 三彌(もうり みつや、1937年12月3日 - )は、… 毛利 三彌(もうり みつや、1937年12月3日 - )は、日本の演劇学者、成城大学名誉教授。 福井県福井市出身。東京大学文学部美学科卒業、1965年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院演劇科修了、M.A.取得、1966年秋から半年、ノルウェー国立科学研究所の奨学金を得てオスロ大学に留学、1967年成城大学専任講師、助教授、教授、文芸学部長、図書館長を務め、2008年定年退職、名誉教授。 1972年からイプセン研究の著書を刊行、1995年三部作が完結する。1986年文学博士(明治大学)。1985年、日本演劇学会河竹賞受賞、1989年、ミルウォーキー大学客員教授、1996年から2006年まで日本演劇学会会長、国際演劇学会(IFTR)理事、1997年よりノルウェー学士院会員。
武藤 治太(むとう はるた、1937年12月2日 - 202… 武藤 治太(むとう はるた、1937年12月2日 - 2025年12月10日)は、日本の経営者。大和紡績社長を務めた。兵庫県出身。祖父は鐘紡社長を務めた武藤山治。 1960年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年4月に大和紡績に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1992年6月に社長に就任。2003年6月に会長に就任し、208年6月から相談役を務めた。 2025年12月10日、病気のため死去。88歳没。
福地 建夫(ふくち たけお、1937年(昭和12年)12月2… 福地 建夫(ふくち たけお、1937年(昭和12年)12月2日 - )は、日本の海上自衛官。第21代海上幕僚長。第5代横須賀地方総監・福地誠夫の次男で、親子で横須賀総監を務めている。 東京府出身。麻布高等学校卒業(父の福地誠夫は旧制麻布中学校出身)。防衛大学校第5期卒業後、海上自衛隊入隊。護衛艦「よしの」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、舞鶴地方総監、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第21代海上幕僚長に就任。 山崎小五郎:1952.4.26-1952.7.31 山崎小五郎:1952.8.1-1954.6.30
天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - … 天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - 2013年4月30日)は、石川県鳳至郡門前町(現・同県輪島市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は宮永 征夫(みやなが ゆきお)。最高位は西前頭3枚目(1962年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。現役時代の体格は179cm、124kg。 輪島高校定時制課程門前分校(現・門前高校)では、相撲部に所属し、2年生の時には県大会で個人優勝という実績を残した。この年(1954年)には、国民体育大会や全国高等学校総合体育大会相撲競技大会にも出場している。 1955年、時津風部屋の関係者からの勧誘を受けた。間も無く、高校を中退して同部屋へ入門し、同年5月場所で初土俵を踏んだ。
山崎 晃資(やまざき こうすけ、1937年12月1日 - 2… 山崎 晃資(やまざき こうすけ、1937年12月1日 - 2023年4月21日)は日本の医学者、精神科医。医学博士。専門は児童青年精神医学、特に自閉症問題。北海道出身。 北海道後志支庁管内虻田郡倶知安町に生まれる。1962年、北海道大学医学部医学科卒業。1967年、北海道大学大学院医学研究科神経内分泌専攻博士課程修了。 北海道大学医学部精神科助手を経て、1974年、市立札幌病院附属静療院児童部長。のぞみ学園副医長。 1982年から東海大学医学部精神科学教室教授。2003年から2005年まで東海大学教育研究所教授、東海大学付属相模中学校・高等学校校長を兼任。2005年から臨床児童精神医学研究所所長、目白大学客員教授。
根本 良一(ねもと りょういち、1937年(昭和12年)11… 根本 良一(ねもと りょういち、1937年(昭和12年)11月30日 - 2024年(令和6年)5月21日)は、日本の実業家・政治家。元矢祭町長。 町長在任中の平成10年代後半に全国規模で行われていた「平成の大合併」の真っ只中にあって、「血の雨が降る」とまで言われた昭和30年代の「昭和の大合併」後の地方の惨状を目の当たりにした自身の経験から、このままでは山村が見捨てられると危惧し全国の市町村に先駆けて合併しない宣言を行った。また、様々な町政改革を実行し地方自治体自立の先駆者として全国的に名を馳せた。元衆議院議員の田中康夫は尊敬の念を込めて「先生」と呼び慕っていた。
石毛 直道(いしげ なおみち、1937年11月30日 - )… 石毛 直道(いしげ なおみち、1937年11月30日 - )は、日本の人類学者。専門は文化人類学。勲等は瑞宝中綬章。学位は、農学博士(東京農業大学・1986年)。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。文化功労者。 京都大学人文科学研究所助手、甲南大学文学部助教授、国立民族学博物館教授、国立民族学博物館館長などを歴任した。 千葉県出身の文化人類学を専攻する人類学者である。京都大学や甲南大学に勤務し、国立民族学博物館では館長に就任した。東京農業大学より農学博士の学位を授与された。国立民族学博物館と総合研究大学院大学より名誉教授の称号を授与された。日本コナモン協会では筆頭理事を務めた。
松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )… 松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )は、日本における昭和期に活躍した女優。本名・田中 曠子(旧姓・出井)。旧芸名は松山 清子。愛媛県松山市出身。 1968年の「ボンカレー」(大塚食品)発売以来、長らくパッケージモデルを務め、CM、ホーロー看板でも知られる。 愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれる。愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社する。 1957年6月4日公開の『勢揃い桃色御殿』に新人女優・松山清子として、端役デビューする。11月19日公開の『侍ニッポン』で本格デビューを飾る。
豊國 範(とよくに すすむ、1937年11月30日 - 20… 豊國 範(とよくに すすむ、1937年11月30日 - 2022年2月23日)は、大分県中津市出身(出生地は滋賀県、もしくは朝鮮民主主義人民共和国平安北道(旧朝鮮平安北道))で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は大塚 範(おおつか すすむ)。最高位は東張出小結(1962年5月場所)。現役時代の体格は176cm、131kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押し、内掛け。 大分県立中津南高等学校から中央大学に進学し、同大学の相撲部では、主将を務めるなど活躍した。在学中の1960年、周囲の反対を押し切って、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門。同年5月場所に於いて、幕下付出で初土俵を踏んだ。 学生相撲出身者の角界入りは、紅陵大学(現・拓殖大学)出身の吉井改め吉井山(出羽海部屋、最高位・前頭11枚目)以降も、幾人かあった。
奥村 皓一(おくむら こういち、1937年11月29日 - … 奥村 皓一(おくむら こういち、1937年11月29日 - )は、日本の経済学者。関東学院大学名誉教授。 岐阜県可児市出身。1961年早稲田大学政治経済学部卒、東洋経済新報社に入社。編集局編集委員を務めた。中央大学・国学院大学非常勤講師を経て、大東文化大学国際関係学部教授→関東学院経済学部教授。99年「国際メガメディア資本 M&Aの戦略と構造」で中央大学博士(経営学)。関東学院大学経済学部教授を務め、2007年定年、名誉教授。 定年後は日本大学・国学院大学で非常勤講師を務め、2019年現在は公益財団法人政治経済研究所主任研究員。
浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)1… 浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)11月28日 - )は、日本の教育学者、国語教育学者。神戸大学名誉教授。 愛媛県今治市生まれ。1960年広島大学教育学部卒業、1962年同大学大学院教育学研究科修士課程修了、1967年同大学院博士課程単位取得退学。1969年福岡教育大学講師、1971年同助教授、1979年神戸大学教育学部教授。1984年「ロシア・ソビエトにおける文学教育の成立と発展に関する研究」で広島大学教育学博士。2001年神戸大学を定年退官、名誉教授、鳥取大学教育学部教授。2003年早稲田大学教育学部特任教授。 1981年石井賞(全国大学国語教育学会)、1998年大村はま賞(大村はまの会)、2002年教育研究賞(日本教育研究連合会)をそれぞれ受賞した。
見城 慶和(けんじょう よしかず、1937年〈昭和12年〉1… 見城 慶和(けんじょう よしかず、1937年〈昭和12年〉11月27日 - )は、日本の夜間中学教師。山田洋次監督の映画『学校』(第1作)の主人公のモデルの一人として知られる。群馬県沼田市出身。 群馬県立沼田高等学校から東京学芸大学を卒業。大学卒業前にふと立ち寄った本屋で見つけた塚原雄太の『夜間中学生』に感銘を受け、夜間中学の教員になる決意をする。 地方公務員の教員となり、1961年から42年間、都内の公立中学校夜間部に国語担当教師として勤務。1993年には、見城らをモデルにした『学校』が公開される。1999年には長年の実績が評価され吉川英治文化賞を受賞。2003年の定年退職後もなお、夜間中学生を中心にした学びの場「えんぴつの会」を運営している。
中村 勝彦(なかむら かつひこ、1937年11月27日 - … 中村 勝彦(なかむら かつひこ、1937年11月27日 - 2019年12月13日)は、日本の作曲家。専門はCMソング・アニメソング・童謡・歌謡曲。 東京生まれ。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業したが、美学芸術を学ぶため、同大学の文学部に再入学し美術史を専攻、卒業。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
野間 惟道(のま これみち、1937年〈昭和12年〉11月2… 野間 惟道(のま これみち、1937年〈昭和12年〉11月26日 - 1987年〈昭和62年〉6月10日)は、日本の出版人、実業家。講談社5代目代表取締役社長、日刊現代代表取締役社長を務めた。東京府(現・東京都)出身。旧姓は阿南(あなみ)。 陸軍大将・阿南惟幾の五男として生まれる。東京大学法学部卒業後、三菱電機に勤務していたが、野間省一の長女・佐和子と結婚。野間家に入り、1965年講談社取締役に就任。常務、専務と昇進し、1975年からは4年半にわたり、日刊現代に出向し社長を務め、新分野の開発にあたった。その後同社に復帰。副社長を経て、1981年第5代社長に就任。雑誌部門を大きく伸長させるが、1987年6月10日、急性硬膜下血腫のため急死。
横須賀 功光(よこすか のりあき、1937年11月26日 -… 横須賀 功光(よこすか のりあき、1937年11月26日 - 2003年1月14日)は、日本の写真家。 神奈川県横浜市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。 大学在学中から資生堂の社内報『ハウスオーガン』の仕事に就く。 1983年、日本人初のイタリアンヴォーグ、ドイツヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランススタッフカメラマンとなる。 前田美波里、山口小夜子、宮沢りえなどの資生堂ポスターを撮影。
安藤 孝子(あんどう たかこ、1937年11月26日 - )… 安藤 孝子(あんどう たかこ、1937年11月26日 - )は元祇園甲部芸妓で、日本テレビ系列(一部地域除く)の深夜番組『11PM』の藤本義一の初代アシスタントを務めた。芸妓名は『孝千代』(たかちよ)であった。 大阪市南区(現・中央区)宗右衛門町の生まれで、4歳の頃京都市に引っ越した。彼女は6歳から日本の舞踊を習い始めた。10代で祇園甲部芸妓、貝田孝江(かいだ たかえ)の妹分として店出し(芸妓、舞妓の披露)、舞妓、芸妓時代を経て、タレントに転身。1958年日本女子大・国文科卒業。『11PM』の初代アシスタントとして火曜日、木曜日(よみうりテレビ制作)の担当を務めた。現在、株式会社安藤監査役。 この項目は、芸能人一般(俳優/女優・歌手・お笑い芸人・アナウンサー以外のタレントなど)に関連した書きかけの項目です。
布施 晶子(ふせ あきこ、1937年11月24日 - 201… 布施 晶子(ふせ あきこ、1937年11月24日 - 2011年4月5日)は、日本の社会学者。札幌学院大学前学長。社会学系コンソーシアム初代理事長、北海道社会学会会長などを歴任した。専門分野は家族社会学、女性問題や、現代社会における高齢者の社会学的視点、ジェンダーフリー。北海道出身。
内田 吉彦(うちだ よしひこ、1937年11月24日 - )… 内田 吉彦(うちだ よしひこ、1937年11月24日 - )は、日本のスペイン・ラテンアメリカ文学者、翻訳家。フェリス女学院大学名誉教授。 埼玉県生まれ。1962年東京外国語大学スペイン語科卒業、同大学院中退、1979年東海大学助教授、1986年中京大学教授、1990年フェリス女学院大学教授、2008年定年退任、名誉教授。 1994年会田由賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
清水 慎次郎(しみず しんじろう、1937年11月24日 -… 清水 慎次郎(しみず しんじろう、1937年11月24日 - 2013年5月30日)は、日本の実業家。第9代目三井物産社長。台湾新幹線の受注を実現させたほか、IT(情報技術)、物流、金融など新事業に本格参入するなど商社のビジネス範囲を広げた。2002年、国後島のディーゼル発電施設の不正入札事件などの責任を取り、社長辞任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三浦 勇一(みうら ゆういち、1937年11月23日- 20… 三浦 勇一(みうら ゆういち、1937年11月23日- 2015年1月5日 )は、日本の経営者。トクヤマ社長、会長を務めた。 東京都出身。1962年に東京大学工学部を経て、1964年に東京大学大学院化学研究科を修了し、同年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1988年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務を経て、1997年6月には社長に就任。2002年4月に会長に就任。 2015年1月5日、食道癌のために死去。77歳没。
井石 広一(いいし ひろかず、1937年11月23日 - )… 井石 広一(いいし ひろかず、1937年11月23日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。 赤穂高校から1956年に広島カープへ入団。 1958年に一軍初出場も同年で引退。
出井 伸之(いでい のぶゆき、1937年〈昭和12年〉11月… 出井 伸之(いでい のぶゆき、1937年〈昭和12年〉11月22日 - 2022年〈令和4年〉6月2日)は、日本の実業家、企業経営者。 ソニー株式会社社長、同社最高経営責任者などを歴任したのち、クオンタムリープ株式会社を創業、代表取締役会長を務めた。 ソニーの社長を経て会長兼最高経営責任者に就任した。公職としては内閣に設置されたIT戦略会議にて議長を務め、日本銀行参与や日本経済団体連合会副会長としても活動した。また、ゼネラルモーターズ、ネスレ、エレクトロラックス等の社外取締役を歴任。2014年8月現在、アクセンチュア、百度、フリービット、レノボグループの社外取締役を務めている。会長兼最高経営責任者退任後は、ソニーの最高顧問・アドバイザリーボード議長も務めたのち、退任した。
大原 祐子(おおはら ゆうこ、1937年〈昭和12年〉11月… 大原 祐子(おおはら ゆうこ、1937年〈昭和12年〉11月21日 - 2017年〈平成29年〉4月14日)は、日本の歴史学者。元東京大学教養学部助教授。専攻は、カナダ史。 東京都生まれ。父は元協和銀行常任監査役の大原申三(1908年〈明治41年〉1月17日 - 1967年〈昭和42年〉7月3日)。 立教女学院小学校および同中学校卒業を経て、1956年3月、立教女学院高等学校卒業。1960年3月、立教大学文学部史学科卒業。1963年3月、立教大学大学院文学研究科修士課程史学専攻修了(文学修士)。同年4月、世界経済調査会研究員(1971-72年の中断期間をはさんで1977年3月まで)。1973年5月、カナダ・ヴィクトリア大学大学院修士課程歴史学専攻修了(Master of Arts)。
草野 浩二(くさの こうじ、1937年11月20日 - 20… 草野 浩二(くさの こうじ、1937年11月20日 - 2025年10月17日)は、日本の音楽プロデューサー・ディレクター。 東京府出身で、暁星学園を経て早稲田大学第一商学部を1960年3月に卒業する。 1960年4月に東京芝浦電気へ入社してレコード事業部制作部ディレクターとなり、坂本九の「悲しき六十才」を手掛け初仕事で初ヒット作品を輩出する。以来1960年代初期はカバーポップスの全盛時代を作り、1970年代は邦楽ポップスの黄金時代を築いた。 東芝EMI退社後はファンハウスを経てフリーランスの音楽プロデューサーとして活動し、コンピレーション・アルバム監修、コンサートプロデュース、新人育成などを手掛ける。
野村 純一(のむら じゅんいち、Augustinus Jun… 野村 純一(のむら じゅんいち、Augustinus Jun’ichi Nomura, 1937年11月20日-)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック名古屋教区第3代司教を務めた。洗礼名は「アウグスチノ」。 高知県高知市に長男として生まれ、1949年8月15日に主税町教会で受洗。1956年に東京カトリック神学院、上智大学文学部哲学科に進み、1962年3月に上智大学大学院哲学研究科修士課程修了。同年にローマ・プロパガンダ神学校へ留学し、1964年12月19日にローマ・プロパガンダ神学校聖堂で司祭に叙階。1967年6月に教皇庁立ウルバノ大学神学部博士課程修了し、同年9月に帰国。 1967年9月から、カトリック主税町教会、カトリック名古屋教区本部事務局、東京カトリック神学院、カトリック小牧教会、カトリック布池教会司祭を経て、 1993年7月4日に名古屋教区司教に叙階され、教区長に就任。
西島 建男(にしじま たけお、1937年11月20日 - 2… 西島 建男(にしじま たけお、1937年11月20日 - 2016年7月24日 )は、日本のジャーナリスト、文筆家。元朝日新聞記者。 東京生まれ。成蹊大学政治経済学部卒業。朝日新聞社に入社、学芸部次長、同部編集委員を務めた後退社。
金井 進二(かない しんじ、1937年11月20日 - )は… 金井 進二(かない しんじ、1937年11月20日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 群馬県出身。立教大学卒業。劇団民藝出身。田村企画に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
古井 由吉(ふるい よしきち、1937年11月19日 - 2… 古井 由吉(ふるい よしきち、1937年11月19日 - 2020年2月18日)は、日本の小説家、ドイツ文学者。いわゆる「内向の世代」の代表的作家と言われている。代表作は『杳子』(1970年)、『聖』(1976年)『栖』(1979年)『親』(1980年)の三部作、『槿』(1983年)、『仮往生伝試文』(1989年)、『白髪の唄』(1996年)など。精神の深部に分け入る描写に特徴があり、特に既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みている。 東大独文科卒。1971年に男女の愛の微妙な心理の揺れをついた『杳子』で芥川賞受賞。その後『行隠れ』、『聖』『栖』『親』三部作などで、民俗学や病理学を駆使した刺激的な作風を展開している。
大桑 齊(おおくわ ひとし、1937年(昭和12年)11月1… 大桑 齊(おおくわ ひとし、1937年(昭和12年)11月19日 - 2020年(令和2年)4月14日)は、日本の仏教史学者、大谷大学名誉教授。真宗大谷派善福寺前住職。専攻、日本近世宗教思想史。 石川県生まれ。金沢大学法文学部卒業。大谷大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1992年「近世初期民衆思想史研究」で大谷大学より文学博士の学位を取得。大谷大学助教授、1984年教授、2008年定年退職、名誉教授。大谷大学在籍中には、同大学図書館長・同大学院文学研究科長・佛教史学会会長を務める。
菊池 威雄(きくち よしお、1937年11月19日 - )… 菊池 威雄(きくち よしお、1937年11月19日 - )は、日本の国文学者。文学博士(2006年、早稲田大学にて取得)。岡崎女子短期大学元教授。 長崎県長崎市生まれ。1960年山口大学教育学部第一中等学科卒業。1962年早稲田大学大学院修士課程修了。2006年「天平の歌人大伴家持」で早稲田大学にて博士(文学)。高校教師をしながら『万葉集』を中心に古代日本文学について執筆する。岡崎女子短期大学元教授、神奈川県立衛生短期大学教授。 陶芸工房「飛天窯」主宰。短歌同人誌「伶」主宰。
西原 恭治(にしはら きょうじ、1937年11月17日 - … 西原 恭治(にしはら きょうじ、1937年11月17日 - )、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学生の頃から速球派投手として、地元では名が知られていた[要出典]。 大阪府立岸和田高では、1953年夏の甲子園府予選準々決勝で市岡高の中西勝己と投げ合い、日没引き分け再試合の末に辛勝。決勝まで進むが片岡宏雄のいた浪華商に敗れ、憧れの「甲子園」にはあと一歩届かずに終わった。 高校卒業後の1956年、西鉄ライオンズへ入団。稲尾和久と同期。同年7月には初先発を果たす。1957年には5試合に先発、初勝利も記録した。同年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでも、最終第5戦に若生忠男をリリーフして登板、チームの日本一に力を添えた。
佐々木 襄(ささき じょう、1937年11月16日 - 20… 佐々木 襄(ささき じょう、1937年11月16日 - 2015年7月22日)は、日本の声楽家、歌手、ミュージカル俳優。本名は常田哲司(つねだ・てつじ)。 1937年11月16日、東京都大島町波浮出身。 1959年、東京芸術大学声楽科在学中にくすのせ堅志、舟田均、舟田勝とともにロイヤルナイツを結成。 のちに、ソロの声楽家、ミュージカル俳優として活動。東芝EMIよりレコードを発表している。 2015年7月22日、誤嚥性肺炎により死去。77歳没。
常見 和正(つねみ かずまさ、1937年〈昭和12年〉11月… 常見 和正(つねみ かずまさ、1937年〈昭和12年〉11月15日 - 2006年〈平成18年〉3月17日)は、日本の経営者。元宇部興産(現・UBE)社長・会長。 京都府舞鶴市出身。京都府立西舞鶴高等学校を経て、1960年(昭和35年)に京都大学工学部を卒業し、宇部興産に入社。一貫して宇部興産主流の化成品部門を歩み、樹脂・ゴム事業本部技術部長、宇部興産取締役等を経て、1999年(平成11年)より取締役社長( ‐ 2005年、2003年からは取締役会長も兼任)。自動車用のアルミホイールなど不採算事業の再構築を進めたほか高機能樹脂事業などを強化した。2006年(平成18年)、心不全により逝去。68歳没。
原田 和夫(はらだ かずお、1937年(昭和12年)11月1… 原田 和夫(はらだ かずお、1937年(昭和12年)11月15日 - )は、日本の銀行家。みちのく銀行頭取を務めた。 秋田県出身。1961年(昭和36年)、当時の弘前相互銀行に入行。 労働組合副委員長、各支店長、企画調整、業務推進部長等を歴任する。また、海外出張は百回を超え特に中国、ロシアには50回以上訪れるなど、精力的な行動力には定評があった。 2000年(平成12年)、増田孝介頭取が健康上の理由で退任したため、副頭取から後任として昇格した。しかし、2005年(平成17年)5月20日に金融庁、東北財務局から業務改善命令と個人情報保護法に基づく勧告措置を受け、5月30日付で原田と大道寺小三郎会長は、引責辞任した上、ほとんどの役員も退任に追い込まれた。
花井 幸子(はない ゆきこ、1937年(昭和12年)11月1… 花井 幸子(はない ゆきこ、1937年(昭和12年)11月12日 - 2022年(令和4年)10月1日)は、日本のファッションデザイナー。神奈川県横浜市出身。 新聞、広告関係、雑誌等で、ファッションイラストレーター、写真家としても活動。また審査員として、各団体、企業主催のコンクールなどの審査に携わった。 「生活のすべてがデザインの場である」との自論から、きもの、ゴルフウェア、宝飾品、インテリア、食器等44アイテム以上ものライセンス商品を展開。「ユキコ・ハナイ」は華やかな色や柄、流麗なシルエットが特徴で、大手企業のユニフォームや学校制服のデザインも多数手がけた。 元モデル・テレビ司会者の芳村真理とは同年代ということもあってか、彼女のモデル時代から40年以上に及ぶ親交を結んだ。
伊達錦 一成(だてにしき かずなり、1937年11月12日 … 伊達錦 一成(だてにしき かずなり、1937年11月12日 - 没年不明 )は、宮城県遠田郡涌谷町出身(生まれは東京府)で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は廣瀬 一成(ひろせ かずなり)。173cm、102kg。最高位は東十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 入門する前は農業を営んでいた。1954年5月場所に初土俵。1963年7月場所に十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越すが、翌9月場所は5勝10敗と負け越し、2場所で幕下に陥落。1964年5月場所に再度十両に昇進するも、十両下位に甘んじて再び2場所で幕下に陥落。1965年5月場所限りで27歳で廃業した。
橘家三蔵(たちばなや さんぞう、1937年11月11日 - … 橘家三蔵(たちばなや さんぞう、1937年11月11日 - 1997年2月3日)は落語家。本名∶佐野 行男。生前は落語協会所属。 1937年11月東京市浅草区生まれ。東京都立忍岡高等学校卒業。 1957年3月、七代目橘家圓蔵に入門し「三蔵」を名乗る。 1962年5月、三遊亭生之助と共に二ツ目昇進。 1973年9月、林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥、金原亭桂太の十人で真打昇進。 1997年2月3日死去、59歳没。 『長短』『出来心』などを好く演じていた。
松島 利行(まつしま としゆき、1937年11月11日 - … 松島 利行(まつしま としゆき、1937年11月11日 - 2018年5月11日)は、日本の映画評論家。三留まゆみは妻。 東京生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業後、毎日新聞社に入社。『サンデー毎日』編集部を経て、1979年2月より正式に毎日新聞の映画担当記者となる。その後、毎日新聞の映画・囲碁担当の編集委員も務めた。 日活芸術学院講師。文化庁芸術祭賞、毎日映画コンクール、キネマ旬報などの審査選定委員を務める。 2018年5月11日、心不全のため死去。80歳没。
養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )… 養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、日本の医師、医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。ニュース時事能力検定協会名誉会長。神奈川県鎌倉市出身。 2003年に出版された『バカの壁』は450万部を記録し、第二次世界大戦後の日本における歴代ベストセラー5位となった。 1937年(昭和12年)、小児科医の養老静江(1899〜1995年)と養老文雄(三菱商事勤務)の次男として神奈川県鎌倉市で生まれる。4歳の時に父親を結核で亡くし、その後は鎌倉で小児科「大塚医院」を営む母・静江の腕一つで育てられる。 私立ハリス幼稚園(鎌倉市)を卒園し、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校、東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院での1年間のインターン(研修医)を務める。
八木田 宜子(やぎた よしこ、1937年11月11日 - 2… 八木田 宜子(やぎた よしこ、1937年11月11日 - 2022年12月12日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京生まれ。東京大学教育学部卒業。駒場時代は樺美智子の同級生で、安保反対運動に参加していた。卒業後は編集者。乙骨淑子、奥田継夫、山下明生、掛川恭子らの同人誌「こだま」の参加を機に創作活動の傍ら、英米文学の翻訳を手掛ける。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月1… 甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月11日 - 2025年(令和7年)10月24日)は、日本の政治家。元滋賀県守山市長(2期)。 滋賀県守山市出身。実家は守山市にある臨済宗大徳寺派少林寺。6歳で得度する。同志社大学文学部を卒業。卒業後はマツダオート京都に就職し、課長となる。その後、守山市役所に入り、守山市土地開発公社に勤務し、同事務局長になる。1989年少林寺の住職に就く。 1995年守山市長選挙に立候補し初当選。1999年は無投票で再選。2003年に三選を目指したが、元守山市議の山田亘宏に敗れた。 2008年春の叙勲で旭日双光章を受章する。 2025年10月24日、病気療養中に守山市内の病院で死去した。
森永 純(もりなが じゅん、1937年11月11日 - 20… 森永 純(もりなが じゅん、1937年11月11日 - 2018年4月5日)は、日本の写真家。 1937年、長崎県長崎市にて誕生。日本大学芸術学部写真学科を卒業し、1962年にアメリカ合衆国の写真家であるユージン・スミスの助手を勤めていた。日本写真批評家協会新人賞、日本写真協会年度賞を受賞。 2018年4月5日、心不全のため死去。80歳没。
村重 寧(むらしげ やすし、1937年11月10日 - )は… 村重 寧(むらしげ やすし、1937年11月10日 - )は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。早稲田大学名誉教授。 1956年東京都立武蔵丘高等学校卒業。1962年早稲田大学第一文学部美術史専修卒業、1964年同大学大学院文学研究科美術史学専攻修士課程修了、1967年同博士課程単位取得満期退学。1964年早稲田大学文学部助手。1967年東京国立博物館学芸部資料課研究員(文部技官)、1968年同法隆寺宝物館研究員、1979年同学芸部美術課主任研究官、1985年同絵画室長、1989年同美術課長、1992年同企画課長。その間、女子美術大学、東京大学、筑波大学など非常勤講師。1994年早稲田大学文学部美術史専修教授、2008年早稲田大学文学学術院定年退職。
永友 一美(ながとも いちみ、1937年11月10日 - 2… 永友 一美(ながとも いちみ、1937年11月10日 - 2008年7月15日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元宮崎県議会議員(4期)。 宮崎県児湯郡川南町出身。宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。農業を経て1991年4月に宮崎県議会議員に初当選し、以後4期連続当選を果たす。2003年4月には県議会副議長に就任。 2006年4月には宮崎県議会自由民主党会長に就任。2007年1月に東国原英夫宮崎県知事に就任して以降は、「改革派知事」と「保守王国のドン」との対決として注目された。2月の県議会では知事に最初に代表質問をした政治家となった。知事からは「いちみ(一味)という名前だけあってスパイスの聞いた質問」と挑発された。
林 貞行(はやし さだゆき、1937年11月10日 - )は… 林 貞行(はやし さだゆき、1937年11月10日 - )は、日本の外交官。
牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994… 牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994年1月20日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 成田高等学校では投手、五番打者として活躍。1955年夏の県予選、南関東大会で3完封、5本塁打を記録。南関東大会決勝で鴻巣高を延長10回の末に破り、夏の甲子園に出場。甲子園では2回戦(初戦)で津久見高の田中喜八郎と投げ合うが、大差で完封負けを喫する。高校同期に左翼手、四番打者の平山正行(南海)がいた。 法政大学へ進学。エース、中心打者として活躍するが、東京六大学野球リーグは当時、長嶋茂雄、杉浦忠らの立大全盛期であり、法大は優勝に届かなかった。しかし1957年秋季リーグで、シーズン最優秀防御率0.19のリーグ記録を達成。
水田 寛和(みずた ひろかず、1937年11月9日 - )は… 水田 寛和(みずた ひろかず、1937年11月9日 - )は、日本の経営者。東急百貨店社長、会長を務めた。大分県出身。 1962年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に東京急行電鉄に入社。1995年4月に東急百貨店取締役に就任し、1996年6月に常務、1998年4月に専務を経て、2000年4月には社長に就任。2008年4月から2010年1月までに会長を務めた。
樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8… 樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8日 - 1960年〈昭和35年〉6月15日)は、日本の学生運動家。安保闘争で死亡した東京大学の女子学生である。 曽祖父は鳥取県出身の数学者樺正董、父は社会学者の樺俊雄。 1937年(昭和12年)に東京都北多摩郡武蔵野町(現:武蔵野市)の学者の家系に生まれた。2人の兄がいる。中学から父の神戸大学赴任に伴い兵庫県芦屋市に移る。 芦屋市立山手中学校、兵庫県立神戸高等学校を卒業後、一浪して東京の研数学館(お茶の水校)へ通ったが、授業に満足できず、6月に紅露外語予備校に移ったが、午前中だけの授業に飽き足らず、2学期から駿台予備学校に移る。1957年(昭和32年)に東京大学文科二類(現在の文科三類)に入学。