阿部 幸男(あべ ゆきお、1919年〈大正8年〉10月20日… 阿部 幸男(あべ ゆきお、1919年〈大正8年〉10月20日 - 2008年〈平成20年〉3月2日)は、日本の経営評論家。専門はコンビニエンスストア経営。 1919年、新潟県五泉市に生まれる。1941年に東京大学文学部心理学科を卒業したのち、1945年に雪印乳業に入社。研修センター主幹、研修センター所長を歴任し、定年退職した。1970年代前半から海外のコンビニエンスストアを日本に紹介し多数の著作を残したほか、中小企業庁コンビニエンスストアマニュアル委員、農林省食品小売業経営合理化推進委員などを歴任した。2008年に死去。
上原 貴美子(うえはら きみこ、1919年10月20日 - … 上原 貴美子(うえはら きみこ、1919年10月20日 - 1945年6月20日)は、沖縄陸軍病院第一外科の看護婦長。
奥田 靖雄(おくだ やすお、1919年10月19日 - 20… 奥田 靖雄(おくだ やすお、1919年10月19日 - 2002年3月22日)は、日本の言語学者、国語教育の理論家・指導者。 本名は布村政雄。富山県富山市出身。日露協会立専門学校ハルピン学院を卒業、建国大学研究院助手。戦前は民族学を専攻したが、戦後、言語学に転じ、言語学研究会および教育科学研究会・国語部会を指導。宮城教育大学教授を経て、同大学名誉教授。学位は文学博士(大阪大学・1993年)。 1919年10月19日、富山県富山市愛宕町に生まれる。。1932年に富山県立富山中学校(現・富山県立富山高等学校)に入学。1933年に両親が死去。兄・布村一男を頼って満州国に渡り、新京商業学校を経て、日露協会立専門学校ハルピン学院入学。
茂木 勇(もぎ いさむ、1919年10月19日 - 2009… 茂木 勇(もぎ いさむ、1919年10月19日 - 2009年8月28日)は、日本の数学者。筑波大学名誉教授。理学博士。専門は微分幾何学。 1947年東京文理科大学理学部数学科卒、理学博士の学位を取得し、その後、東京高等師範学校助教授、東京教育大学助教授、教授、カナダ国サスカチュワン大学客員教授、筑波大学教授、同副学長を勤める。その後文教大学教授、同大学学長を歴任、後、同大学名誉教授を務める。日本数学教育学会名誉会長。 1993年、勲三等旭日中綬章を受章。2009年8月28日、悪性リンパ腫のため死去。 著書に『微分幾何学とゲージ理論』(共著,共立出版)などがある。高校向け教科書、参考書の執筆者としても著名で、科学新興社の矢野健太郎の『解法のテクニック』の改訂版を執筆を担当した。
向井 啓雄(むかい ひろお、1919年10月14日 - 19… 向井 啓雄(むかい ひろお、1919年10月14日 - 1983年)は、ジャーナリスト、翻訳家。ロンドン出身。向井忠晴の子。 1942年、慶應義塾大学英文科卒。45-52年、アメリカピッツバーグ大学でジャーナリズムを学ぶ。54-55年、イギリス、アフリカを視察。同盟通信社、共同通信社、進駐軍施設、凸版印刷などに勤務。
飯島 登(いいじま のぼる、1919年10月14日 - )は… 飯島 登(いいじま のぼる、1919年10月14日 - )は、日本の医学者、聖マリアンナ医科大学名誉教授。 東京生まれ。東京帝国大学医学部卒、1950年「ショックの研究」で東京大学医学博士。東京大学講師、聖マリアンナ医科大学教授、1990年定年、名誉教授。がんの治療にヨードを用いた。 Original Papers Review etc. 原著論文(症例報告を含む)
森井 眞(もりい まこと、1919年10月14日 - 202… 森井 眞(もりい まこと、1919年10月14日 - 2023年8月10日)は、日本の歴史学者。明治学院大学文学部名誉教授、元同学学長。長年、宗教改革者ジャン・カルヴァンの研究に従事した。日本基督教団千歳丘教会員。 1919年、秋田県生まれ(東京都生まれとする情報もある)。旧制第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学文学部西洋史学科を繰り上げ卒業。敗戦時まで従軍する。1959-1961年、ストラスブール大学プロテスタント神学部に留学。1961年、宗教学博士号取得。1965年、明治学院大学文学部フランス文学科助教授、1967年、同教授。1979年、同大学文学部長(- 1982年)、1982年、同大学学長(- 1992年)。
國領 經郎(こくりょう つねろう、1919年 <大正8年> … 國領 經郎(こくりょう つねろう、1919年 <大正8年> 10月12日 - 1999年 <平成11年> 3月13日)は、洋画家、日本芸術院会員。位階は従四位。 神奈川県横浜市生まれ。東京美術学校図画師範科卒業。日展、光風会展、日洋展などのほか、国際形象展、アジア現代美術展などにも出品、国際的に活動。戦前の中学校美術科教諭に始まり、1985年に横浜国立大学教育学部の教授を退任するまで、美術教育の分野でも多くの業績を残した。 1947年日展初入選、1955年、1969年、1971年の日展で特選、1983年第2回宮本三郎記念賞受賞、1986年日展で内閣総理大臣賞受賞。1991年日本芸術院賞受賞、同年日本芸術院会員。
中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1… 中桐 雅夫(なかぎり まさお、1919年10月11日 - 1983年8月11日)は、日本の詩人、翻訳家。 本名は白神 鉱一(しらかみ こういち)。 福岡県生まれ。1939年、英作文と教練の出席時間不足により兵庫県立神戸高等商業学校で進級不可能となり、同校中退後、父の預金通帳を盗み出して金を下ろし、家出して上京。徴兵逃れで日本大学芸術学科に途中入学し卒業。読売新聞の政治部記者として働く。詩誌『Le Bal』を主催し、田村隆一と知りあう。戦後、田村、鮎川信夫、黒田三郎と『荒地』を設立。のちに詩誌『歴程』にも参加。ミステリーやSFを翻訳しつつ、英国モダニズム詩人、特にW・H・オーデンを翻訳、詩作を行い、大学でも英文学の教員として活動した。
倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 20… 倉橋 健(くらはし たけし、1919年10月11日 - 2000年5月17日)は、日本の英文学者、演劇評論家、演出家。早稲田大学名誉教授。本名の読みは「けん」。 日本統治時代の朝鮮京城で出生後、現在の長野県飯山市で育つ。弟の倉橋潔は化学者(大阪大学名誉教授)。1941年早稲田大学英文学科卒。応召、1947年復員、1949年ワシントン州立大学留学、帰国後は早稲田大学文学部助手、講師、助教授、1958年教授。1970年から1989年まで早稲田大学演劇博物館館長。1988年から1990年まで日本演劇学会会長。1990年定年退任、名誉教授。1983年秋、紫綬褒章受勲。 アーサー・ミラーなどの翻訳だけでなく、劇団青俳に参加し安部公房の戯曲『どれい狩り』『快速船』の舞台演出を担当した。
大内 淳義(おおうち あつよし、1919年10月10日 - … 大内 淳義(おおうち あつよし、1919年10月10日 - 1996年4月20日)は、元日本電気会長。
渡辺 康(わたなべ やすし、1919年(大正8年)10月10… 渡辺 康(わたなべ やすし、1919年(大正8年)10月10日 - 1985年(昭和60年)9月25日)は、日本の銀行家。東京銀行頭取を務めた。 千葉県出身。1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に東京銀行に入行した。 ブエノスアイレス支店長、営業部次長、国際投資部長を歴任。 1972年5月に取締役に選任、国際投資部長を委嘱。1973年10月取締役ニューヨーク支店長委嘱、常務、専務、副頭取を経て、1982年6月には頭取に昇格した。 1985年9月25日、肺炎のため、頭取在職中に死去。65歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月… 武川 忠一(むかわ ちゅういち、1919年(大正8年)10月10日 - 2012年(平成24年)4月1日)は、日本の歌人。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1940年(昭和15年)、早稲田大学専門部に入学、1943年、早稲田大学文学部国文科に編入学。このころ作歌を始め、仲間とともに窪田章一郎を中心に早稲田大学短歌会を作り、窪田空穂の教えを受けた。 1946年、帰郷していた諏訪で「まひる野」創刊に参加、発刊の事務作業等は諏訪において行った。同年早稲田大学文学部文学科国文学専攻卒業。1947年上京、早稲田高等学院教諭などを経て、早稲田大学社会科学部教授となった。
皆川 定之(みながわ さだゆき、1919年10月9日 - 1… 皆川 定之(みながわ さだゆき、1919年10月9日 - 1986年12月11日)は、群馬県桐生市東堤町出身の元プロ野球選手、コーチ、監督。 プロ野球選手の皆川康夫は子。 鉄道省職員だった父の三男として、桐生市に生まれる。 桐生西小卒業後、桐生中学に進学。当初、父は進学校である桐生工業に進んでほしいと思っていたが、兄が以前通っていたことや、野球部が強いことなどから父の反対を押し切り、同校に入学した。 桐生中学時代には、2年夏からベンチ入りを果たすと、1934年夏(2回戦敗退)、1935夏(2回戦敗退)、1936年春(準優勝)、1936年夏(ベスト4)の4回の甲子園に出場。同級生には大阪タイガースでも同僚になる青木正一(投手)、稲川豪一(三塁手)、後に近鉄のスカウトになる塚越源市(捕手)がいた。
道正 邦彦(どうしょう くにひこ 1919年10月9日 - … 道正 邦彦(どうしょう くにひこ 1919年10月9日 - 2016年10月26日)は、日本の官僚。内閣官房副長官(事務担当)、労働事務次官。
田島 敏弘(たじま としひろ、1919年(大正8年)10月9… 田島 敏弘(たじま としひろ、1919年(大正8年)10月9日 - 1995年(平成7年)4月17日)は日本の実業家。日本興業銀行副頭取や、富士重工業の社長や会長を務めた。 1942年に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本興業銀行入行。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。北浦海軍航空隊に配属。名古屋監督官事務所に転じ、のち造兵監督官に就任し材料関係を担当した。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。戦後、GHQとの渉外に従事。 その後、日本興業銀行に復帰し、融資第三部長、調査本部長、常務、副頭取、顧問を歴任。
宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年〈大正8年〉10月8… 宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年〈大正8年〉10月8日 - 2007年〈平成19年〉6月28日)は、日本の政治家、大蔵官僚。 内閣総理大臣(第78代)、財務大臣(初代)、大蔵大臣(第88・89・105・106・107代)、農林水産大臣(第18代)、郵政大臣(第56代)、副総理(竹下内閣)、内閣官房長官(第44代)、外務大臣(第98代)、通商産業大臣(第30代)、経済企画庁長官(第12・13・17・18・29代)、衆議院議員(12期)、参議院議員(2期)、自由民主党総裁(第15代)、自由民主党総務会長を歴任した。55年体制最後の内閣総理大臣。愛称はキー坊[要出典]。 宮澤裕・こと夫妻の長男として東京市に生まれた。
山下 菊二(やました きくじ、1919年10月8日 - 19… 山下 菊二(やました きくじ、1919年10月8日 - 1986年11月23日)は、日本の画家。 徳島県三好市に生まれる。1937年、香川県立工芸学校卒業。翌1938年に上京し、福沢一郎の絵画研究所に入る。 1944年から1949年まで東宝映画教育映画部に勤務、この間、応召による戦場体験と1946年から1948年までの東宝争議を体験した。1946年、高山良策、大塚睦らと「前衛美術会」を結成。 1949年、美術文化協会の会員になるが、翌年、退会。以後、多くの会を結成、あるいは参加。また、日本共産党に入党し、山村工作隊にも参加した。 1952年、小河内村でのダム反対闘争に参加。以後、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに関与。
山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 20… 山下 徳夫(やました とくお、1919年10月7日 - 2014年1月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。 厚生大臣、内閣官房長官、総務庁長官、運輸大臣、衆議院議員などを歴任。 佐賀県伊万里市出身。山下徳次郎の長男として誕生。福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)卒業後、明治大学専門部法科を経て、1944年、専修大学法学部卒業。 父の徳次郎は1926年に炭鉱向け材木店(現・ヤマシタ)を創業。大学卒業後の1947年に佐賀県議会議員に初当選。1949年に父の家業である山下徳次郎商店の代表取締役に就任する。その後、日本杭木協会理事や全国木材協会理事、佐賀県木材協会会長を歴任し佐賀県議会にて議員4期・議長2選を経て、1969年、旧佐賀県全県区から第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
園田 清充(そのだ きよみつ、1919年10月6日 - 19… 園田 清充(そのだ きよみつ、1919年10月6日 - 1985年9月7日)は、日本の政治家。位階勲等は従三位勲一等、勲章は瑞宝章。国土庁長官(第8代)、参議院議員(4期)を歴任した。 1919年(大正8年)10月6日、熊本県下益城郡豊野村(現宇城市)にて旧家の長男として出生。1936年(昭和11年)法政大学入学、1940年(昭和15年)に徴兵。 復員後1947年(昭和22年)豊野村農業協同組合長を経て、熊本県議会議員に初当選、熊本県議会議員(4期)18年間県議会に在職。熊本県連幹事長、熊本県議会議長を歴任後、北口龍徳の死去に伴う第6回参議院議員通常選挙熊本地方区補欠選挙で初当選。 農林水産委員会に11年10か月在籍、1970年(昭和45年)2月から1971年(昭和46年)1月にかけて農林水産委員長を務める。
沢木 欣一(さわき きんいち、1919年〈大正8年〉10月6… 沢木 欣一(さわき きんいち、1919年〈大正8年〉10月6日 - 2001年〈平成13年〉11月5日 )は、富山県出身の俳人。「風」を主宰、戦後の社会性俳句を主唱した。妻は俳人の細見綾子。 富山市生まれ。父が朝鮮で教職にあったため、幼少から中学卒業までを朝鮮で過ごす。金沢の旧制第四高校に入学した1939年より俳句をはじめ、「馬酔木」「寒雷」などに投句、加藤楸邨、中村草田男に師事。1942年、東京帝国大学国文科入学。1943年、召集を受け旧満州の牡丹江の部隊に配属。遺稿になるかもしれないと考え、句集の草稿を後に妻となる細見綾子に託す。1944年、綾子の尽力で第一句集『雪白』出版。9月に東大卒業。
高島 益郎(たかしま ますお、1919年10月6日 - 19… 高島 益郎(たかしま ますお、1919年10月6日 - 1988年5月2日)とは最高裁判所判事、外交官(駐ソ連大使等)。宮城県出身。 旧制第二高等学校文科甲類を経て東京帝国大学法学部を卒業し、1941年に外務省に入省。1942年に陸軍に召集され、主計少尉となる。北朝鮮で捕虜となりシベリア抑留。極寒のため凍傷となり、足の小指を失った。後にこの時をふりかえり「ソ連の体制は嫌いだが、ロシア人は愛すべき国民」と語る。 復員後は外交官としてイギリス、香港に勤務し、ジュネーブ総領事、シドニー総領事などを歴任 外務省条約局長として日中国交正常化交渉にあたる。後に外務事務次官に就任。外務事務次官時代には鈴木善幸首相と伊東正義外相が日米共同声明の解釈で対立した際には、伊東外相辞任と同時に事務次官の辞表を提出したことがある。
宮崎 勇(みやざき いさむ、宮﨑 勇、1919年(大正8年)… 宮崎 勇(みやざき いさむ、宮﨑 勇、1919年(大正8年)10月5日 - 2012年(平成24年)4月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少尉。太平洋戦争における撃墜王。
小川 アンナ(おがわ アンナ、1919年10月4日 - 20… 小川 アンナ(おがわ アンナ、1919年10月4日 - 2015年7月24日)は、静岡県庵原郡富士川町(現:富士市)生まれの詩人。女性。本名は芦川 照江(あしかわ てるえ)。日本現代詩人会会員。
林屋 永吉(はやしや えいきち、1919年10月4日 - 2… 林屋 永吉(はやしや えいきち、1919年10月4日 - 2016年5月18日)は、日本の外交官。スペイン大使。 京都府宇治市出身。歴史学者林屋辰三郎の実弟。 1941年3月、大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)本科西語部を卒業後、同年4月24日付けで外務省留学生を命ぜられ、スペイン・サラマンカ大学で学んだ。後年に駐ボリビア大使、駐スペイン大使を務めた。 ユカタン半島・マヤ文明の「ポポル・ヴフ」(中央公論社)や「大航海時代叢書」(岩波書店)の訳者でもある。メキシコのノーベル文学賞作家オクタビオ・パスと交友があり、スペイン語版の松尾芭蕉「おくのほそ道」を共訳した。レアル・アカデミア・エスパニョーラの準会員(correspondientes)になった。
岡部 嶺男(おかべ みねお、1919年10月3日 - 199… 岡部 嶺男(おかべ みねお、1919年10月3日 - 1990年9月4日)は、日本の陶芸家。 愛知県瀬戸市出身。加藤唐九郎の長男。 1937年(昭和12年)、愛知県立瀬戸窯業学校卒。1940年(昭和15年)、東京物理学校中退。主な受賞歴に、日展特選・北斗賞、プラハ国際陶芸展グランプリ、日本工芸会奨励賞など。「岡部嶺男青磁」と呼ばれる独特な作風で知られた。 旧姓は加藤。父の唐九郎とは不和で、永仁の壺事件によって決裂し、のちに妻の実家の姓である岡部姓を名乗るようになった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古岡 勝(ふるおか まさる、1919年(大正8年)10月1日… 古岡 勝(ふるおか まさる、1919年(大正8年)10月1日 - 2005年(平成17年)9月30日)は、福岡県出身の武道家(無双流居合斬道創始者、無双直伝英信流居合道範士十段、柔道六段)、会社役員(学習研究社最高顧問)。武号は二刀斎。 居合は初め夢想神伝流を学び、次いで無双直伝英信流第21代・平井阿字斎より無双直伝英信流を学んだ。 1937年(昭和12年)福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)を卒業後、陸軍予備士官学校に入学。日中戦争に陸軍将校として従軍し、白兵戦で日本刀を使った経験が何度もあるという。最終階級は大尉。 戦後、学習研究社の創業者で叔父の古岡秀人に誘われ、東京に移住して同社に入社した。
両角 良彦(もろずみ よしひこ、1919年10月 -)は、日… 両角 良彦(もろずみ よしひこ、1919年10月 -)は、日本の官僚。通商産業事務次官。ナポレオン研究家。
佛坂 泰治(ぶっさか やすはる、1919年10月 - 201… 佛坂 泰治(ぶっさか やすはる、1919年10月 - 2019年9月1日)は、日本海軍の軍人(軍医)、医師。坊ノ岬沖海戦時の駆逐艦雪風軍医長として知られる。 1919年、佐賀県に生まれる。父が医師であった影響で医の道に進み、1936年(昭和11年)に九州医学専門学校(現久留米医大)に入学。卒業後、海軍に親戚がいたことから海軍軍医少尉として任官した。海軍砲術学校、海軍軍医学校普通科で学んだ後、海軍工廠に配属された。 その後、重巡洋艦鳥海、駆逐艦朝潮などでの勤務を経て、1944年に一旦内地に配属(佐世保海軍病院)になったが、1945年に第十七駆逐隊の軍医長として駆逐艦「雪風」 に乗組、戦艦「大和」に随伴し沖縄に向かったが、大和が沈没するなど艦隊は壊滅したため、大和及び沈没した随伴艦の生存者などの救助、治療を行った。
柿沼 幸一郎(かきぬま こういちろう、1919年9月29日 … 柿沼 幸一郎(かきぬま こういちろう、1919年9月29日 - 2010年8月16日)は日本の行政官。元公正取引委員会委員、元公正取引委員会事務局長。新日鉄合併事件の独占禁止法的処理にあたった。神戸税関長や日本銀行理事等も歴任。1989年勲二等瑞宝章受章。 栃木県出身。旧制足利中学校(のちの栃木県立足利高等学校)を経て、1941年12月旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を繰り上げ卒業。大学では田中誠二ゼミナールに所属。卒業論文は「法律社会学の諸問題」。 1942年1月大蔵省入省、会社部勤務(六給俸)。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年同月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年5月、経理学校を卒業し東京監査官付となる。
竹本 正男(たけもと まさお、1919年〈大正8年〉9月29… 竹本 正男(たけもと まさお、1919年〈大正8年〉9月29日 - 2007年〈平成19年〉2月2日)は、日本の体操選手。日本体育大学副学長、日本体育大学名誉教授。1952年ヘルシンキオリンピック・1956年メルボルンオリンピック銀メダリスト、1960年ローマオリンピック金メダリスト。島根県浜田市出身。旧制浜田中(島根県立浜田高等学校)、日本体育会体操学校高等師範科(現・日本体育大学)卒業。「体操の神様」とも言われていた。浜田市名誉市民でもあった。 ローマ五輪を最後に引退。日本体育大学教授として後進の指導、研究に従事した。 ほかに、日本体操協会副会長、日本体操協会顧問、日本体育大学理事、日本体育大学女子短期大学副学長などの要職を歴任した。
中川 順(なかがわ すなお、1919年9月29日 - 201… 中川 順(なかがわ すなお、1919年9月29日 - 2010年5月22日)は、日本の実業家。テレビ東京(TX)元社長。広島県出身。
鈴木 六林男(すずき むりお、1919年9月28日 - 20… 鈴木 六林男(すずき むりお、1919年9月28日 - 2004年12月12日)は、俳人。本名・次郎。 山口高等商業学校(現・山口大学)中退。初学時代は「串柿」に投句し、永田耕衣、加藤滋の選を受ける。学生時代に同人誌「螺線」を創刊、「蠍座」「京大俳句」「自鳴鐘」に関わり西東三鬼に師事、新興俳句運動に参加した。 1940年応召、中国大陸、フィリピン諸島を転々とし、1942年、バターン・コレヒドール戦での負傷により帰還、退院後に除隊。戦後に商業学校にもどり中退。「青天」「雷光」「夜盗派」「梟」「風」「頂点」などに関わり、社会性俳句の中心作家として注目を受ける。1971年、「花曜」を創刊・主宰。季を無季の地続きにあるものとして捉え、戦後も戦争句・無季句を詠み続けた。
中澤 一夫(なかざわ かずお、1919年 <大正8年> 9月… 中澤 一夫(なかざわ かずお、1919年 <大正8年> 9月27日 - 2001年 <平成13年> 3月23日)は、日本の造園家。1979年から浜松市助役をつとめ、財団法人浜松市公園緑地協会理事長、静岡県立浜松建設技能専門学校講師、日本造園修景協会静岡県支部長、財団法人浜松市公園緑地協会常務理事を歴任。位階は従五位。 大阪府出身。千葉高等園芸学校造園科(現千葉大学園芸学部)に進学し、1940年、満洲国高等官試験合格。1941年大学卒業後、満洲国大同学院13期生。満洲国交通部都邑計画司交通部技佐。1945年、長春日本人安民区難民収容所所長。1947年、大阪府土木部勤務。1952年、茨木市役所施設課長。
島田 廣(しまだ ひろし、1919年9月27日 - 2013… 島田 廣(しまだ ひろし、1919年9月27日 - 2013年7月25日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者である。本名・白成珪。第二次世界大戦前から日本バレエ界で活躍し、日本バレエ協会会長や新国立劇場舞踊部門の初代芸術監督を務めた。1986年に紫綬褒章を受章し、2002年には文化功労者に選ばれている。妻はバレエダンサーで、日本バレエ協会初代会長を務めた服部智恵子(はっとり ちえこ)。 1919年に京城(現在のソウル特別市)で生まれた。京城でコリアン・クリスチャン・カレッジの英文科に通っていたが、父親の反対を受けて日本に渡り、慶應義塾大学仏文科への編入を試みた。しかし、親の同意した渡航証明が間に合わなかったために編入試験が受けられず、日本大学芸術科の編入試験を受けて入学した。
山崎 富栄(やまざき とみえ、1919年〈大正8年〉9月24… 山崎 富栄(やまざき とみえ、1919年〈大正8年〉9月24日 - 1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の美容師。作家・太宰治の愛人の一人であり、最晩年の太宰の看護や執筆活動の介助を続けたことと太宰と共に入水自殺を遂げたことでも知られる。 東京府東京市本郷区(現:東京都文京区本郷)に生まれる。父・山崎晴弘は日本最初の美容学校であるお茶の水「東京婦人美髪美容学校」(通称・お茶の水美容学校。後継校が現存するかは不明)の設立者。富栄はその次女。 父の下で美容技術の英才教育を受けて育つ。京華高等女学校から錦秋高等女学校(後の錦秋学園高等学校、現在は廃校)に転じて卒業。女学校卒業後、YWCAで聖書や英語、演劇を習う。
中村 悌次(なかむら ていじ 、1919年(大正8年)9月2… 中村 悌次(なかむら ていじ 、1919年(大正8年)9月24日 - 2010年(平成22年)7月23日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海兵67期首席。第11代海上幕僚長。最終階級は、帝国海軍では海軍大尉、海自では海上幕僚長たる海将(海軍大将に相当)。京都府出身。 1980年代以降の海上自衛隊とアメリカ海軍の緊密な関係を作り上げた海上自衛隊中興の祖の一人。三重県立津中学校四年修了時に海軍兵学校を受験し合格した。海軍兵学校第67期を首席で卒業し、遠洋航海に出る。なお、67期が遠洋航海をした最後の期となる。重巡洋艦「高雄」乗組みを経て駆逐艦「夕立」に水雷長として乗組む。スラバヤ沖海戦では水雷長として魚雷発射の指揮をとり敵艦に向け魚雷を8本発射するが、発射した魚雷のうち半分が目の前で自爆し、敵艦には1発も当たらず悔しい思いをしている。
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日… 金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年(平成30年)2月20日)は、埼玉県出身の日本の俳人。現代俳句協会名誉会長。日本芸術院会員。2008年、文化功労者に選出される。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。 加藤楸邨に師事した。「寒雷」所属を経て「海程」を創刊し、主宰した。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論と実作の両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動した。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任した。 埼玉県比企郡小川町の母の実家で、父・金子元春と母・はるの長男として生まれる。父の元春は開業医で、「伊昔紅(いせきこう)」の俳号を持つ俳人である。
岸本 泰延(きしもと やすのぶ、1919年9月23日 - 2… 岸本 泰延(きしもと やすのぶ、1919年9月23日 - 2012年10月17日)は、日本の経営者。昭和電工社長、会長を務めた。 岡山県岡山市出身。1941年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、翌年に昭和電工に入社した。1967年2月に取締役に就任し、同年8月に常務、1973年2月に専務を経て、1979年7月に副社長に就任し、1981年3月には社長に昇格した。1987年3月に会長に就任し、1995年3月から相談役を務めた。 2012年10月17日、転移性肺がんのために死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 201… 伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 2010年12月27日)は、日本の法学者(英米法・憲法)、裁判官。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は法学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授、文化功労者。名の表記は「正己」であり、「正已」や「正巳」は誤り。専門書でも誤記されることがある。司法省調査課嘱託、専修大学法学部非常勤講師、法務庁調査意見局調査員、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、最高裁判所判事、日本育英会会長、財団法人国際科学技術財団会長などを歴任した。末延三次門下。弟子に、樋口範雄など。 兵庫県出身の法学者である。専門は英米法、憲法で、とりわけ表現の自由とプライバシーの関係性を研究した。
村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 19… 村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商科大学を卒業し、同年に東京ガスに入社。1969年9月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1976年1月に社長に就任。エネルギー産業の近代化を推進し、1969年には東京電力と共同でアラスカ産の液化天然ガスを導入した 1979年に藍綬褒章を受章。 1981年7月1日肝不全のために死去。61歳没。
徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年… 徳武 敏夫(とくたけ としお、1919年9月20日 - 没年不明)は、日本の教育評論家、平和運動家。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。1946年から1959年まで出版社勤務、1965年大連外語外賓教授として渡中。1967年から歴史教育者協議会副委員長に就く。1975年高知大学、1981年和光大学、1982年法政大学で非常勤講師を務める。家永三郎の教科書検定訴訟を30年以上支援し、支援する全国連絡会常任委員。
松本孝之(まつもと たかゆき、1919年9月20日 - 20… 松本孝之(まつもと たかゆき、1919年9月20日 - 2002年4月9日 )は日本の実業家。上新電機の元代表取締役社長。岡山県岡山市出身。 1941年昭和高等商業学校(現大阪経済大学)卒業、大阪貯蓄銀行(現りそな銀行)入行。1972年上新電機常務取締役、1976年同社専務取締役、1985年同社代表取締役社長。 元上新電機社長で、同社創業者・浄弘信三郎の子息・2代目社長の浄弘博光が急死したことにともない後を継いで社長に就任。社長在任中には同社の東証1部上場も果たした。 1986年には会長に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
溝呂木 繁(みぞろぎ しげる、1919年 <大正8年> 9月… 溝呂木 繁(みぞろぎ しげる、1919年 <大正8年> 9月20日 - 2016年 <平成28年> 11月19日)は、日本の経営者。日本衛星放送社長、会長を務めた。位階は正四位。 神奈川県出身。1942年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に逓信省に入省。大臣官房長、1969年11月に経理局長、1971年7月に郵政局長、1973年7月から1975年7月までに郵政事務次官を務めた。1977年11月には田村電機製作所社長に就任し、1984年6月に会長を経て、1984年12月から1988年6月までに日本衛星放送社長を務めた。 1989年11月に勲二等旭日重光章を受章した。2016年死去。死没日付をもって従七位から正四位に進階した。
竹岡 正夫(たけおか まさお、1919年9月20日 - 19… 竹岡 正夫(たけおか まさお、1919年9月20日 - 1985年12月10日)は、日本の国文学者・国語学者。香川大学名誉教授。 京都府亀岡市出身。京都府師範学校、東京高等師範学校卒、1945年9月東京文理科大学国文科卒。1967年「富士谷成章の学説についての研究」で東京教育大学文学博士。 京都府第三中学校教諭、京都府立亀岡高等学校教諭、香川大学学芸学部助教授、1969年教育学部教授、1982年定年退官、名誉教授、大谷女子大学教授。子に考古学者の竹岡俊樹がいる。
大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月2… 大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月20日 - 2012年(平成24年)6月15日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。桐朋学園大学音楽学部名誉教授。 台湾台北市において、動物学者の父・大島正満と、東京音楽学校卒の母・イマコの五男として生まれる。 1940年(昭和15年)東京音楽学校予科を経て本科器楽科卒業。1942年(昭和17年)同校研究科修了。田中規矩士、レオ・シロタ、井口基成に師事。 1947年(昭和22年)フェリス女学院(当時の校名は「横浜山手女学院」と変えられていたが、1950年(昭和25年)に「フェリス女学院」に戻される)専門学校音楽科創設と共にピアノ講師となる。
原 正雄(はら まさお、1919年9月19日 - 2008年… 原 正雄(はら まさお、1919年9月19日 - 2008年10月7日) は、日本の実業家。帝国ホテル代表取締役社長や、日本ホテル協会会長を務めた。 武蔵高等学校を経て、1941年東京帝国大学経済学部卒業。1942年第一銀行入行。第一銀行京橋支店長を経て、業績不振が続いていた帝国ホテルに招かれ、1970年から帝国ホテル専務取締役。1974年帝国ホテル代表取締役専務。1976年帝国ホテル代表取締役社長。1979年日本ホテル協会会長。1986年帝国ホテル取締役相談役。
田中 成豪(たなか なりたか、1919年9月19日 - )は… 田中 成豪(たなか なりたか、1919年9月19日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。1939年は田中幸雄、1940年から1949年は田中幸男の登録名でプレーしていた。
加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月1… 加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月19日 - 2008年(平成20年)12月5日)は日本の評論家。医学博士(専門は内科学、血液学)。妻は評論家・翻訳家の矢島翠。
矢島 鈞次(やじま きんじ、1919年9月19日 - 199… 矢島 鈞次(やじま きんじ、1919年9月19日 - 1994年5月26日)は、日本の経済思想史家。東京工業大学名誉教授。 京都府出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)経済学科卒。上田辰之助ゼミ出身。文部省在外研究員、北京大学講師を経て、1953年東京学芸大学助教授、1966年教授、1968年東京工業大学教授、1980年定年退官、名誉教授、国際事情研究センター設立、同所長、1982年青山学院大学教授、1993年東京工業大学博士(学術)。教え子に山本忠通元国際連合事務総長特別代表など。