柏原 祐泉(かしわはら ゆうせん、1916年8月5日 - 2… 柏原 祐泉(かしわはら ゆうせん、1916年8月5日 - 2002年2月6日)は、浄土真宗の仏教史学者。学位は、文学博士(大谷大学・論文博士・1972年)。大谷大学名誉教授。 滋賀県生まれ。1940年大谷大学文学部国史学科卒。1949年同予科教授、1950年大谷大学短期大学部助教授、1962年大谷大学助教授、1966年教授、1972年「日本近世近代仏教史の研究」で大谷大学より文学博士の学位を取得。1982年退任、名誉教授、1983年函館大谷短期大学学長。1985年退任、名誉教授。
千原 大五郎(ちはら だいごろう、1916年8月4日 - 1… 千原 大五郎(ちはら だいごろう、1916年8月4日 - 1997年6月3日)は、日本の建築史家、工学博士。一級建築士資格所有。東京都生まれ。専門は東洋建築史。 南アジアの宗教建築の体系化を考案し、拓殖大学教授、日本ユネスコ国内委員会委員、株式会社大建設計相談役などを歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
内藤 莞爾(ないとう かんじ、1916年8月4日 - 201… 内藤 莞爾(ないとう かんじ、1916年8月4日 - 2010年9月17日)は、日本の社会学者。九州大学名誉教授。
小柳 富男(こやなぎ とみお、1916年(大正5年)8月2日… 小柳 富男(こやなぎ とみお、1916年(大正5年)8月2日 - 1971年(昭和46年)12月14日)は、日本の飛込競技選手。1936年ベルリンオリンピックに出場した。 1916年8月2日、福岡県に生まれる。大阪府立今宮中学校(現在の大阪府立今宮高等学校)を卒業し、早稲田大学に進学する。早稲田大学では競泳が一般的であった中で飛込競技の実力を大いに伸ばし、1935年8月6日にベルリンオリンピック飛込競技の日本代表となることが発表された。ベルリンオリンピックでは飛板飛込と高飛込の両方に出場し、飛板飛込で133.07点、高飛込で94.54点を獲得しいずれも8位となった。その後、1939年の日本選手権では高飛込で優勝、1940年の日本選手権では飛板飛込で優勝、1946年の日本選手権では再び高飛込で優勝した。
田中 ふさ子(たなか ふさこ、1916年(大正5年)8月1日… 田中 ふさ子(たなか ふさこ、1916年(大正5年)8月1日 - 1943年(昭和18年)1月25日) は、日本の教育者。1936年(昭和11年)から1942年(昭和17年)にかけて長野県の小学校に教師として勤務し、生活綴方運動の実践を行った。指導した児童詩「ツクシ」(下平京子作)は児童詩集などに多く紹介された。 1916年(大正5年)8月1日、長野県上伊那郡伊那町で生まれる。子どもの頃に肋膜炎で一か月静養したこともあり、女学校入学後も再発するなど、小柄で病弱だった。しかし女学校時代は、弓やテニスをよくやるなど活発な面があり、数学と国語が得意で成績もよかった。 1933年(昭和8年)伊那高等女学校を卒業し、卒業後は家業を手伝った。
勝又 豊次郎(かつまた とよじろう、1916年8月1日 - … 勝又 豊次郎(かつまた とよじろう、1916年8月1日 - 1993年4月3日)は、日本の経営者。勝又自動車社長、会長を務めた。千葉県匝瑳郡須賀村(現在の匝瑳市)出身。 1940年に早稲田大学専門部政経科を卒業し、同年にゴム統制会に入社。 1942年7月に勝又商店(のちの勝又自動車)常務に就任し、1943年11月には社長に昇格。1955年にトヨタ自動車販売社長であった神谷正太郎の誘いを受け、トヨタ自動車系のディーラーとなり、千葉トヨペット、カローラ店2店、オート店2店、ビスタ店2店の計8社を率いる全国でも有数の勝又グループを育て上げた。1977年から1991年までに千葉経済同友会代表幹事を務め、幕張メッセ建設の調整役を務めるなど地元千葉経済界のリーダー的存在として活躍した。
中野 幡能(なかの はたよし、1916年〈大正5年〉7月31… 中野 幡能(なかの はたよし、1916年〈大正5年〉7月31日 - 2002年〈平成14年〉12月3日)は、日本の歴史学者。宇佐八幡宮の研究で知られる。 大分県宇佐生まれ。1943年東京帝国大学文学部宗教学科卒。大分県立教育研究所副所長、61年新設の大分県立芸術短期大学教授、68年「八幡信仰史の研究」で東京大学文学博士。83年定年退官、名誉教授。91年秋勲三等瑞宝章受勲。西日本文化賞受賞。
中原 呉郎(なかはら ごろう、1916年〈大正5年〉7月31… 中原 呉郎(なかはら ごろう、1916年〈大正5年〉7月31日 - 1975年〈昭和50年〉6月12日)は、日本の医師。詩人の中原中也は兄で、弟に伊藤拾郎がいる。山口県吉敷郡(現:山口市)出身。 中原謙助、フクの六人兄弟の五男として生まれる。 1924年頃、弟の拾郎にハーモニカを教える。 1938年3月に山口高等学校を卒業して、4月に長崎医科大学に入学した。 1942年1月13日、医師免許証を取得し、同月20日に短期現役軍医として入隊する。 1946年、中原医院の事務員となる。 1955年には国立療養所多磨全生園厚生技官となる。 1959年に整形外科医長に就任した。はにかに屋で大酒飲みだったが、深酒した翌日も絶対に休診することはなかったとされる。
梅澤 邦臣(うめざわ くにおみ、1916年7月30日 - 2… 梅澤 邦臣(うめざわ くにおみ、1916年7月30日 - 2006年1月23日)は、日本の通商産業技官。科学技術事務次官を経て、原子力安全技術センター理事長、海洋科学技術センター理事長、ライフサイエンス振興財団理事長等を歴任した。 東京都生まれ。1938年武蔵高等学校理科卒業。1941年北海道帝国大学理学部地質学鉱物学科卒業。1944年商工省地質調査所技師。1953年通商産業省大阪通商産業局総務部技術課長。1956年工業技術院調整部業務課長。 1962年科学技術庁計画局科学調査官。1963年科学技術庁原子力局次長。1964年科学技術庁計画局長。1967年科学技術庁研究調整局長。1968年科学技術庁原子力局長、造船技術審議会委員。
日高 繁明(、1916年(大正5年)7月30日 -没年不明)… 日高 繁明(、1916年(大正5年)7月30日 -没年不明)は日本の映画監督、脚本家。宮崎県出身。通り名は「はんめい」。妻は元東宝専属女優の川合玉江。 主に時代劇やアクション映画などの監督を務めた。 宮崎中学校卒業後、衣笠貞之助に師事。 1936年(昭和11年)、松竹下加茂撮影所に入社。 1941年(昭和16年)、東宝に移籍。 1950年(昭和25年)、『淑女と風船』を中野潔と共同監督。 1954年(昭和29年)、『透明人間』(小田基義監督)以後、映画脚本家としても活躍。 1955年(昭和30年)、『姿なき目撃者』で正式に映画監督デビュー。 1959年(昭和34年)、東宝を退社。 1960年(昭和35年)、第二東映に入社。
谷川 宏(たにがわ ひろし、1916年〈大正5年〉7月29日… 谷川 宏(たにがわ ひろし、1916年〈大正5年〉7月29日 - 1989年〈平成元年〉2月7日)は日本の大蔵官僚。大臣官房日本専売公社監理官、国税庁間税部長、東京国税局長、関税局長、石油開発公団副総裁、北海道東北開発公庫総裁などを務めた。 群馬県高崎市赤坂町に生まれる。旧制東京高等師範学校附属小学校を経て、東京高等師範学校文科甲類を卒業。1939年10月 高等試験行政科を合格。東京帝国大学法学部政治学科卒業。1940年 大蔵省入省。専売局長官官房兼専売局販売部属。1950年5月13日 主計局主計官(歳入、大蔵、終戦処理担当)。1951年4月 主計局主計官(大蔵、外務、政府関係機関担当)。1952年4月 主計局主計官(歳入、大蔵、外務、政府機関、調達担当)。
鳥越 俊雄(とりごえ としお、1916年(大正5年)7月28… 鳥越 俊雄(とりごえ としお、1916年(大正5年)7月28日 - 1990年(平成2年)3月30日)は、日本の実業家。鳥越製粉専務。鳥越製粉創業者鳥越彦三郎の孫。ジャーナリスト鳥越俊太郎の父。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。1939年、京都帝国大学経済学部卒業。住友本社に勤務。札幌の北日本鉱業所に配属された。現場で鉱山労働者などから相手にされず、いじめにあい、神経症を発症した。1940年、長男の俊太郎が誕生したときは九大の精神科の病棟に入院していた。1943年、退職。対人恐怖症を克服しようと、仏教に傾倒した。京都帝国大学文学部に入学した。 1946年5月、同大学中退。同年10月、鳥越商店入社、監査役。
鶴岡 一人(つるおか かずと(かずんど)、1916年7月27… 鶴岡 一人(つるおか かずと(かずんど)、1916年7月27日 - 2000年3月7日)は、広島県呉市東二河通(現:西中央)出身 のプロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者。1946年から1958年までは「山本 一人(やまもと かずと)」。
中沢 護人(なかざわ もりと、1916年7月27日 - 20… 中沢 護人(なかざわ もりと、1916年7月27日 - 2000年2月22日)は、日本の科学技術史家。 山梨県出身。1939年、東京帝国大学を卒業し、日本製鐵に入社。1942年以後、横浜事件に連座し、戦後退社。1955年から東京大学生産技術研究所に技官として勤務。ドイツの技術史家ルートヴィヒ・ベック(Ludwig Beck) の『鉄の歴史』を日本語に翻訳し、1979年の日本翻訳文化賞受賞。幼いころに受洗したキリスト教徒であり、中国派のマルクス主義者。 長兄はNHK職員、次兄の中沢厚は中沢新一の父、妹は網野善彦の妻。中沢家は山梨の豪商で、父親は生物学者。
宮島 龍興(みやじま たつおき、1916年7月27日 - 2… 宮島 龍興(みやじま たつおき、1916年7月27日 - 2007年11月26日)は、日本の物理学者、理学博士。筑波大学学長、理化学研究所理事長を務めた。 熊本県出身。1939年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1952年に東京教育大学教授に就任し、1970年3月から1974年3月までに学長を務めた。1974年5月に原子力委員会委員、1976年7月に筑波大学学長を経て、1980年4月から1988年4月までに理化学研究所理事長を務めた。 1989年4月に勲一等瑞宝章を受章。 2007年11月26日に死去。91歳没。
林 雄二郎(はやし ゆうじろう、1916年(大正5年)7月2… 林 雄二郎(はやし ゆうじろう、1916年(大正5年)7月27日 - 2011年(平成23年)11月29日)は、日本の官僚、未来学者、財団運営者。 東京生まれ。1940年に東京工業大学電気化学科卒。1942年に技術院に入職後、戦後は経済安定本部、経済企画庁で長期計画に関わる。同庁在籍時の1959-1960年にフランス留学。 帰国後の1965年に、同じ経済企画庁・当時総合開発局の下河辺淳(のち東京海上研究所理事長)、同じく当時総合計画局の宮崎勇(のち経済企画庁長官、大和総研特別顧問)らと共に「1985年の日本人のライフスタイルを検討する会議」を通じ、各界に大きな影響を与え、「林リポート」をまとめ提言し、日本社会を変化・発展させるためのガイドラインとなった。
牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002… 牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002年3月22日)は、日本の民俗学者。 京都府京都市出身。別名=茅原茂(チハラ)。1940年國學院大學文学部国文科卒、朝日新聞社に入社。東京社会部次長、「週刊朝日」編集長、東京企画部長などを経て、1971年退社後、社友となる。1976年日本大学講師、1977年白梅学園短期大学教授を務めた。旧制京都二中時代に柳田國男に出した手紙が縁で門下生になる。1940年閑院宮賞。1947年日本民俗学会設立に参加。柳田民俗学の後継者として民俗学を中心に多くの著作がある。
岩田 幸彰(いわた ゆきあき、1916年(大正5年)7月25… 岩田 幸彰(いわた ゆきあき、1916年(大正5年)7月25日 - 1994年(平成6年)3月15日)は、日本の会社役員及び日本ヨット協会役員、そして日本オリンピック(JOC)委員である。 長きに渡り日本オリンピック委員を務め、1964年東京オリンピック招致活動と運営に尽力。そして1972年札幌オリンピック招致活動成功の功労者の一人である。位階は正六位。 1916年(大正5年)、父・岩田幸美と母・道子の長男として生まれる。成城高校を卒業後、1938年(昭和13年)4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学。 高校生の頃からスキーの滑降回転複合競技で大会に出場するなどスポーツを嗜んでいたが、東京帝国大学ではヨット部に所属し、1941年(昭和16年)の全日本選手権で東京帝国大学(東京大学)が明治神宮競技大会夏季海洋競技で初優勝した時の東京帝大ヨット部主将であり、雑誌「体育日本」に「暁の超特急」吉岡隆徳と並んで「競技界優秀選手十傑」に選ばれている。
辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月2… 辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月23日 - 2004年(平成16年)8月28日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。京都市出身。位階は正三位。 1947年(昭和22年)検事任官。法務大臣官房長、刑事局長、最高検刑事部長等を経て、1976年(昭和51年)に次長検事。1978年(昭和53年)東京高検検事長、1979年(昭和54年)に検事総長に就任。 1981年(昭和56年)に定年退官後、弁護士登録し法制審議会委員等を務めた。1988年(昭和63年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。死後、正三位に叙された。
大井 敏夫(おおい としお、1916年7月21日 - 200… 大井 敏夫(おおい としお、1916年7月21日 - 2006年8月29日)は、日本の実業家。前郁文堂社長。 1916年(大正5年)7月、東京市本郷区森川町に大井久五郎四男に生まれる。1940年(昭和15年)東京商科大学卒。日本郵船入社。旧帝国陸軍中尉。1945年(昭和20年)3月、大井一族の郷里である長野県佐久市岩尾の大井静江と結婚。 1946年(昭和21年)3月、日本郵船を退社し、父久五郎の創業した郁文堂書店を継いだ。1949年(昭和24年)10月、郁文堂出版有限会社社長。『郁文堂 独和辞典』などドイツ語の学習参考書やドイツ文学関連書籍を数多く刊行した。引退後は郷里佐久の大井氏の家系を研究し、岩尾家譜(現代語訳)を出版した。
寺田 建比古(てらだ たけひこ、1916年(大正5年)7月2… 寺田 建比古(てらだ たけひこ、1916年(大正5年)7月20日 - 2008年(平成20年)3月8日)は日本の英米文学者。 高知県に生まれ、東京帝国大学文学部英文学科入学、1939年(昭和14年)に卒業。京都大学教授を経て、神戸大学教授、名誉教授。2008年(平成20年)3月8日、膵臓癌のため、大阪府高槻市の自宅にて歿する。 佐喜浜の庄屋の家系。長男の寺田泰比古は早稲田大学先進理工学部教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
原 佑(はら たすく、1916年7月20日 - 1976年3… 原 佑(はら たすく、1916年7月20日 - 1976年3月14日)は、日本の哲学者、東京大学教養学部教授を務めた。 山梨県生まれ。旧制一高を経て1942年東京帝国大学哲学科卒。戦後に東大教養学部教授、定年前の59歳で死去。 イマヌエル・カント、ニーチェ、ハイデッガーなどドイツ哲学の多くの翻訳を行い、哲学史・歴史哲学の研究著書も多い。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日… 坂田 道太(さかた みちた、1916年〈大正5年〉7月18日 - 2004年〈平成16年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 衆議院議長(第64代)、法務大臣(第40代)、防衛庁長官(第33代)、文部大臣(第91・92代)、厚生大臣(32代)、衆議院議員(17期)等を歴任した。 父は衆議院議員や八代市長を務めた坂田道男。 坂田道男の長男として熊本県八代市で生まれる。旧制八代中学校、旧制成城高等学校(現・成城大学)、1938年東京帝国大学文学部独文科卒業。石井光次郎商工大臣の秘書官を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に熊本県全県区から出馬し、初当選した。以後、17期連続当選。
萩原 竜夫(はぎわら たつお、1916年7月18日 - 19… 萩原 竜夫(はぎわら たつお、1916年7月18日 - 1985年6月19日)は、日本の民俗学者、日本史研究者。 東京市深川区門前仲町生まれ。幼時受洗。1941年、東京文理科大学文学部国史学科卒業。1942年、国民精神文化研究所嘱託。1949年、東京学芸大学助教授を経て、1967年、明治大学文学部教授。1962年、博士論文「中世祭祀組織の研究」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される。
山崎 六哉(やまざき ろくや、1916年7月18日 - 20… 山崎 六哉(やまざき ろくや、1916年7月18日 - 2001年8月12日)は、日本の経営者。シチズン時計社長、会長を務めた。 東京都出身。1941年に東京工業大学機械工学科を卒業し、1945年にシチズン時計に入社。 1962年5月に取締役に就任し、1969年11月に常務、1977年6月に専務、1979年6月に副社長を経て、1981年6月には社長に就任。1987年6月から1990年6月までに会長を務めた。 1982年4月に藍綬褒章を受章し、1987年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年8月12日肺炎のために死去。85歳没。
西四辻 公敬(にしよつつじ きみよし、1916年〈大正5年〉… 西四辻 公敬(にしよつつじ きみよし、1916年〈大正5年〉7月17日 - 1991年〈平成3年〉1月9日、74歳没)は、滋賀プラスチックス創業者・代表取締役。スケベ椅子の開発者として知られる。 子爵・西四辻公堯(貴族院議員)の三男。次兄に冷泉為任がいる。学習院初等科を経て、1940年、立命館大学卒。 1964年から、ソープランド用バスタブで日本一のメーカーである滋賀プラスチックスを経営。雄琴のソープランド49軒のバスタブは全て滋賀プラスチックスの製品であり、日本全国では80パーセントのシェアを持つ。東京都のパレスホテル、ヒルトンホテル、ホテルニューオータニ、ホテルオークラ、リーガロイヤルホテルなど一流ホテルのスチームバスは全て同社の製品で占められている他、クレムリン宮殿のサウナやアメリカ海軍の第7艦隊の船内サウナも同社の製品である。
林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983… 林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983年1月21日)は、日本の経済学者。東京都立大学名誉教授。専門は財政学。経済学博士(東京大学、1962年)。栃木県宇都宮市生まれ。
宮原 正吾(みやはら しょうご、1916年(大正5年)7月1… 宮原 正吾(みやはら しょうご、1916年(大正5年)7月11日 - 1977年(昭和52年)9月21日)は、日本の実業家。備前信用金庫理事長(現・備前日生信用金庫)。岡山県高梁市出身。 1916年(大正5年)岡山県に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)へ進学した。1934年(昭和9年)同校を卒業して、第六高等学校文科乙類へ入学した。1937年(昭和12年)、同高校を卒業し、浪人した後、1938年(昭和13年)東北帝国大学法学部へ入学した。1941年(昭和16年)同大学を卒業し、就職した。その後、1974年(昭和49年)8月、備前信用金庫の第3代理事長に就任した。
遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - … 遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - 1975年10月19日)は、日本の経済学者。東京大学教授。専攻は財政学、学位は経済学博士(1962年)。実兄に東大野球部で投手として活躍した遠藤洋吉がいる。 北海道に生まれる。京都府立京都第一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第一高等学校を経て1940年東京帝国大学経済学部卒業。同年東京帝国大学経済学部助手、1949年東京大学社会科学研究所助教授、1958年同教授。1963年東京大学経済学部教授に移り、1970年から1972年まで同経済学部長。
岡村 吉右衛門(おかむら きちえもん、1916年7月6日 -… 岡村 吉右衛門(おかむら きちえもん、1916年7月6日 - 2002年)は、染織家。民藝運動家。鳥取県鳥取市出身。 中国大陸、沖縄、戦後は北海道を中心に日本各地を歩き、民俗、工芸を調査。成果生かした創作活動で知られる。
平田 恭助(ひらた きょうすけ、1916年7月5日 - 19… 平田 恭助(ひらた きょうすけ、1916年7月5日 - 1940年5月12日)は、昭和戦前期の登山家。伯爵平田栄二(松堂)の四男。母は前田利昭の娘・静子。東京府出身。 慶應義塾大学在学中より谷川岳の登山を行い、1939年9月26日に共に未踏であった一ノ倉沢の滝沢下部の初登攀を果たして山岳界に衝撃を与えた(山岳ガイドの浅川勇夫が同行)。同年には社会人山岳団体である東京登歩渓流会に加入する。 慶應義塾大学には槇有恒・三田幸夫・大島亮吉・早川種三ら優れた登山家を輩出した山岳部があったが、平田は山岳部に所属せずに「モルゲンロートコール」というサークルに所属していた。東京登歩渓流会の幹部であった杉本光作によれば、山岳部は内部進学者が多く、外部から慶應に進学した平田はその空気に馴染めなかったのだという。
真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、… 真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、日本の女優である。旧芸名は高松 美絵子(たかまつ みえこ)、本名は高橋 美枝子(たかはし みえこ)。1930年代から1940年代にかけての間、新興キネマ現代劇のスター女優として活躍したことで知られる。 1916年(大正5年)7月2日、福島県に生まれる。1934年(昭和9年)、旧制・麹町高等女学校(現在の麹町学園女子高等学校)を卒業する。 1935年(昭和10年)、トーキーによる現代劇を製作するスタジオである、日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に入社する。最初の芸名は「高松美絵子」で、もっとも初期に記録に残る作品は、阿部豊が監督し、日活、協同映画社、太秦発声映画、ゼーオー・スタヂオ、日本ビクター各社が提携して製作した大作『海国大日本』で、広瀬恒美演ずる「松井敏夫」の妹「静子」役であった。
西尾 常三郎(にしお つねさぶろう、大正5年(1916年)7… 西尾 常三郎(にしお つねさぶろう、大正5年(1916年)7月2日 - 昭和19年(1944年)11月13日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍少佐だったが特別攻撃隊に志願、富嶽隊隊長として特攻、戦死。二階級特進により大佐となる。正七位、勲三等、功二級。
渡辺 武夫(わたなべ たけお、1916年7月2日 - 200… 渡辺 武夫(わたなべ たけお、1916年7月2日 - 2003年9月11日)は、埼玉県出身の洋画家。日本芸術院会員。浦和画家の一人。瑞宝章受章者。
西川 辰美(にしかわ たつみ、本名同じ、1916年(大正5年… 西川 辰美(にしかわ たつみ、本名同じ、1916年(大正5年)6月30日 - 1971年(昭和46年)3月7日)は、日本の昭和期に活動した漫画家。東京府東京市南葛飾郡(現・東京都葛飾区)出身。
苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日 - … 苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日 - 2010年10月20日)は、日本の実業家。三菱商事副社長、米国三菱商事社長、三菱自動車工業副会長、国際大学理事長、ニューヨーク日本商工会議所会頭などを歴任した。 北海道小樽市出身。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業、三菱商事入社。大学在学中、日米学生会議に参加し、宮澤喜一(のちに内閣総理大臣)、奈良靖彦(のちに駐カナダ大使)、山室勇臣(のちに三菱銀行副頭取)らと交遊を持った。財閥解体後、奈良らとともに、野間省一講談社社長の協力を得て貿易会社・飛鳥(「奈良」から「飛鳥」を連想して命名)を設立し、宮澤の弟宮澤泰(のちに駐西ドイツ大使)なども参画したが、1年で倒産した。
小山 正孝(おやま まさたか、1916年〈大正5年〉6月29… 小山 正孝(おやま まさたか、1916年〈大正5年〉6月29日 - 2002年〈平成14年〉11月13日)は、日本の詩人・中国文学者。「四季」「山の樹」「文学館」同人。関東短期大学教授。丸山薫賞受賞。 盆景家小山潭水の次男として、東京青山に生まれる。府立四中を経て、旧制弘前高等学校に進み、本格的に文学を志す。 高等学校時代に、杉浦明平の紹介で立原道造と知り合い、強い影響を受け、詩作を始める。したがって、初期には岩野泡鳴から立原へと発展したソネット形式を多用した、独自の世界を描いた抒情詩を多く作った。が、後には、散文的要素が強い哲学的、幻想的な世界を構築したり、日常に潜む危機を描いていった。また、初期から晩年まで、その詩の中心的課題は、「愛」であった。
村上 孝太郎(むらかみ こうたろう、1916年(大正5年)6… 村上 孝太郎(むらかみ こうたろう、1916年(大正5年)6月29日 - 1971年(昭和46年)9月8日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員(1期)。位階は従三位、勲等は勲二等。 本籍地は愛媛県越智郡宮窪村(宮窪町を経て現・今治市)。東京で村上常太郎の長男として生まれる。広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属中学校)、旧制第一高等学校を経て、1939年(昭和14年)東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大在学中の1938年(昭和13年)10月、高等試験行政科試験に合格。卒業後は大蔵省に入省。配属先は専売局長官官房書記兼大臣官房文書課。神戸税関総務部長、神戸税関業務部長兼税関長官房主事を経て1942年(昭和17年)1月、大蔵事務官・理財局勤務となり第四艦隊司令部付が発令されラバウルに赴任。
太田 辰夫(おおた たつお、1916年〈大正5年〉6月29日… 太田 辰夫(おおた たつお、1916年〈大正5年〉6月29日 - 1999年〈平成11年〉1月31日)は、日本の中国語学者・中国文学者。 東京生まれ。東京外国語学校支那語科卒、1961年「現代中国語文法の歴史的研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。神戸市外国語大学助教授、教授、1982年名誉教授、京都産業大学教授。1999年、肺炎のため死去。死没日付をもって勲六等単光旭日章を追贈された。 呉承恩を『西遊記』の作者ではないとする立場にたって、中国古典文学大系版の『西遊記』の翻訳にたずさわった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
梁瀬 次郎(やなせ じろう、1916年〈大正5年〉6月28日… 梁瀬 次郎(やなせ じろう、1916年〈大正5年〉6月28日 - 2008年〈平成20年〉3月13日)は、日本の実業家。位階は従四位。勲等は勲二等。 梁瀬自動車株式会社社長、株式会社ヤナセ社長、日本経営者団体連盟常任理事などを歴任した。 東京府出身の実業家である。父親・梁瀬長太郎が設立したヤナセグループの経営を引き継ぎ、自動車輸入の最大手企業に発展させた 。アメリカ車の販売に寄与したとして、2004年に日本人としては本田宗一郎や豊田英二らに続く5人目となる米国自動車殿堂入りを果たした。『自動車を斬る』(実業の日本社)など著書多数。 1916年生まれ、東京府出身である。1923年に関東大震災が発生し、父の郷里である群馬県碓氷郡豊岡村(現高崎市)に避難した。
武田 隆夫(たけだ たかお、1916年6月26日 - 198… 武田 隆夫(たけだ たかお、1916年6月26日 - 1986年10月11日)は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。マルクス経済学専攻。 長野県小県郡西塩田村(現上田市)出身。気象台勤務の父の転勤で旧制台北第一中学校、台北高等学校を経て、1939年東京帝国大学経済学部卒。大内兵衛に師事。東京大学助教授、1952年教授。1967年学部長。1977年定年退官、名誉教授、東京経済大学教授。地方財政審議会長。
坂野 正高(ばんの まさたか、1916年6月26日 - 19… 坂野 正高(ばんの まさたか、1916年6月26日 - 1985年7月10日)は、日本の歴史学者。専門は、中国政治外交史。 1916年、ニューヨーク市生まれ。東京帝国大学法学部卒業。東京帝国大学東洋文化研究所助手(1942年 - 1948年)、東京都立大学講師・助教授・教授(1948年 - 1962年)、東京大学法学部教授(1962年 - 1976年)、国際基督教大学教授(1976年 - 1985年)を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大庭 忠男(おおば ただお、1916年6月24日 -2012… 大庭 忠男(おおば ただお、1916年6月24日 -2012年12月26日 )は、日本の翻訳家。 佐賀県三養基郡北茂安町(現みやき町)生まれ。日本大学高等師範部英語科卒業。極東国際軍事裁判国際検察部翻訳顧問、米国映画字幕翻訳、米国ニュース日本語版監修、英米推理小説翻訳などを行う。エラリー・クイーン、シドニィ・シェルダン、コリン・デクスターなどを多く翻訳。1999年唯一の著書で、ポツダム宣言受諾後も戦争が続いた件について記した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
毛利 可信(もうり よしのぶ、1916年6月22日 - 20… 毛利 可信(もうり よしのぶ、1916年6月22日 - 2001年4月17日)は、日本の言語学者、英語学者。大阪大学名誉教授。 東京生まれ。父は毛利八十太郎。旧制北野中学、旧制三高文甲を経て、1939年東京帝国大学文学部英文科卒、新京中学校教諭、1942年陸軍通訳として南方派遣第二十五軍司令部勤務。1947年神戸第一中学校教諭、1951年九州大学講師、1953年助教授、1961年大阪大学文学部教授、1964年「英語意味論研究」で阪大文学博士、1980年定年退官、名誉教授、大手前女子大学教授。1992年秋、勲二等瑞宝章受勲。1993年大手前女子大退職。
相馬 信夫(そうま のぶお、Aloysius Nobuo S… 相馬 信夫(そうま のぶお、Aloysius Nobuo Soma, 1916年6月21日-1997年10月6日)は、日本のカトリック教会聖職者。洗礼名は「アロイジオ」。カトリック名古屋教区第2代司教を務めた。 相馬又二郎と鈴子の三男として、東京市神田区で生まれた。祖父は専修大学創立者相馬永胤。1921年にカトリック神田教会で受洗し、1934年3月に浦和高等学校を卒業し、1941年3月に東京帝国大学理学部天文学科を卒業。さらに同大学院で学んだ。1942年に応召し、ニューブリテン島現パプア・ニューギニアのラバウルに出征。1946年に帰国。 1953年に東京カトリック神学院入学。1960年3月18日に東京教区司祭として叙階された。
佐口 透(さぐち とおる、1916年6月20日 - 2006… 佐口 透(さぐち とおる、1916年6月20日 - 2006年11月13日)は、日本の歴史学者。金沢大学名誉教授。東トルキスタンの研究で知られる。 1916年(大正5年)、石川県金沢市で生まれた。東京帝国大学で学び、卒業。 戦時期には民族研究所所員として岩村忍とともに敗戦直前の内モンゴルの西北研究所に出向。中国ムスリムの現地調査に従事した。 太平洋戦争後は富山大学助教授に就いた。1964年、学位論文『十八~十九世紀東トルキスタン社会史研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1971年に金沢大学教授。摂南大学教授を務めた。 専門は東洋史で、モンゴル帝国から19世紀までの中央アジア、東トルキスタン、新疆のムスリム、回民の研究で知られる。
馬淵 辰郎(まぶち たつお、1916年6月20日 - 199… 馬淵 辰郎(まぶち たつお、1916年6月20日 - 1995年9月28日)は、日本の実業家。三菱石油(のちのENEOS)の社長や会長、石油連盟副会長を務めた。勲二等瑞宝章受章。 岐阜県出身。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。大学では排球部に所属し、のちに東京商科大学排球部監督も務めた。部の後輩に村井勉(元アサヒビール社長)、米倉功(元伊藤忠商事社長)、荒川和夫(元サッポロビール社長)、川勝堅二(元三和銀行頭取)などがいる。 三菱石油では経理畑を歩む。常務を経て、1978年、水島製油所原油流出事故で辞任した渡辺武夫前社長の後任として三菱石油社長に就任。約190億円の累積赤字を一掃したが、健康問題もあり、1983年に社長を退任し会長に就任。
佐々木 正五(ささき しょうご、1916年6月18日 - 2… 佐々木 正五(ささき しょうご、1916年6月18日 - 2014年11月20日)は、日本の海軍軍医(軍医大尉)、微生物学者、医学博士。慶應義塾大学名誉教授、東海大学名誉教授。東海大学医療技術短期大学学長。正七位(1945年)、勲二等瑞宝章(1994年)。 樺太の機関車を扱う商家に生まれた。1925年、慶應義塾幼稚舎入学。慶應義塾普通部卒業後、慶應義塾大学医学部予科修了、慶應義塾大学医学部本科卒業。1941年4月、慶應義塾大学医学部細菌学教室助手、5月に海軍二年現役軍医科士官となる。伊号第四潜水艦軍医長として真珠湾攻撃に参加し、詳細な日記を残した。1944年より陸上勤務。1945年に復員、慶應義塾大学医学部細菌学教室に戻り、小林六造に師事。
薮田 東三(やぶた とうぞう、1916年6月16日 - 19… 薮田 東三(やぶた とうぞう、1916年6月16日 - 1986年8月3日)は、日本の経営者。滋賀県大津市出身。 1940年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 取締役を経て、1972年9月に常務に就任した。1977年3月に愛知製鋼副社長に就任し、1980年3月から社長を務めた。 1986年8月3日転移性肺腫瘍のために死去。70歳没。
山本 正淑(やまもと まさよし、1916年(大正5年)6月1… 山本 正淑(やまもと まさよし、1916年(大正5年)6月15日 - 2009年(平成21年)9月5日)は、日本の厚生官僚。高知県出身。厚生事務次官、日本赤十字社社長などを歴任した。 旧制高知高等学校を経て東京帝国大学を卒業後、1940年(昭和15年)厚生省に入省。 退官後は、医療金融公庫総裁、財団法人厚生年金事業振興団理事長を経て、1987年(昭和62年)4月1日から1996年(平成8年)10月まで第12代日本赤十字社社長を務めた。 2009年(平成21年)9月5日、脳出血のため東京都新宿区の病院で死去、93歳。