鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004… 鳴海 要(なるみ かなめ、1920年10月5日 - 2004年8月28日)は、日本の陶芸家。りんご釉の開発者。 青森県中津軽郡岩木町(現 弘前市)出身。1951年県工業試験場窯業部研究員、1954年加藤土師萌に師事。1956年東京藝術大学美術学部副手。1961年現代日本陶芸特選。1964年に帰郷し、賀田で築窯する。 1977年岩木町褒賞、1996年青森県文化賞、1999年青森県褒賞、2003年青森りんご勲章をそれぞれ受賞した。2003年、鳴海要記念陶房館を開設し、同年地域文化功労者文部大臣表彰を受けた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10… 半澤 良一(はんざわ りょういち、1920年(大正9年)10月4日 - 1990年(平成2年)12月9日)は、日本の政治家。元千葉県館山市長(4期)。位階は従五位。 千葉県出身。旧制千葉県立安房中学校(現・千葉県立安房高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入る。翌年学徒動員で兵役に就く。1944年に大学を卒業。1946年復員と同時に帰郷し、家業の酒造会社を継いだ。1961年館山市教育委員、1968年千葉県教育委員、1972年館山市商工会議所会頭となる。 1974年館山市長選挙に保守系無所属で立候補し、当選。4期務める。就任当初、館山市は財政赤字で、財政改革を断行し、市の財政を黒字に転換した。
三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月… 三枝 佐枝子(さいぐさ さえこ、1920年(大正9年)10月4日 - 2023年(令和5年)1月12日)は、日本の編集者、著述家。中央公論社編集局長、商品科学研究所所長などを務めた。旧姓、若尾。 若尾金造の三女として山梨県甲府市に生まれる。生家の若尾家は甲州財閥の中心的存在だった。 1938年東洋英和女学院高等部、1941年日本女子大学を卒業。1942年、同郷の三枝守雄と結婚。守雄は東大生時代に本郷追分のYMCAに寄宿していたことから佐枝子と知り合った。 守雄が気付いた新聞の三行広告をきっかけに、1946年4月に中央公論社に入社。 1958年9月、嶋中鵬二に代わって『婦人公論』編集長となり、日本で初めて商業誌の女性編集長となった。
竹内 潔(たけうち きよし、1920年10月4日 - 198… 竹内 潔(たけうち きよし、1920年10月4日 - 1984年8月21日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)。三木派。従四位勲二等
向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 20… 向井孝(むかい こう/たかし、1920年10月4日 - 2003年8月6日)は、日本の詩人、社会運動家。 東京都出身。中央大学卒。1947年日本アナキスト連盟に加盟。1952年WRI(戦争抵抗者インター)に参加、1956年WRI日本部書記。「自由連合」「イオム通信」を発行。詩誌「コスモス」同人。
樋口 善典(ひぐち よしのり、1920年10月4日 - 20… 樋口 善典(ひぐち よしのり、1920年10月4日 - 2006年11月23日)は、日本の経営者。共同印刷社長、会長を務めた。 福岡県出身。1938年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に第一銀行に入行。1969年1月に取締役に就任し、第一勧業銀行でも務め、1971年10月常務就任、1973年4月に清和興業社長を経て、1975年8月に共同印刷副社長に就任し、1977年8月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1986年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年11月23日肺炎のために死去。86歳没。
北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 19… 北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 1993年1月14日)は、将棋棋士、囲碁棋士。三重県鈴鹿市出身。将棋では板谷四郎九段門下。日本将棋連盟棋士番号76。囲碁では関西棋院中部総本部所属のプロ三段、伊神肇六段(関西棋院中部総本部代表)門下。 現代の棋士制度上での、唯一の、囲碁・将棋双方のプロ棋士であった。 早稲田大学卒業後、教員の傍ら、1948年10月の第2回全日本アマチュア将棋名人戦で三重県代表として出場し優勝。1950年の第4回では西日本代表(西名人)となり全国準優勝。 その後、1956年に奨励会初段試験に合格し同年奨励会「予備クラス」に入り、当時順位戦から陥落して「予備クラス」入りしていた浅沼一、後に棋士となる木村嘉孝・内藤國雄・佐伯昌優・伊達康夫らを相手に、内藤に1敗のみの11勝1敗の成績で1期で昇段を決め、翌1957年に四段昇段。
石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 20… 石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 2004年7月9日)は、北海道出身の俳人。本名は和郎(かずろう)。1938年、旧制日本大学中学校(現、日本大学第一中学校・高等学校)卒業、國學院大學中退。戦後、結核のため清瀬の国立東京病院に入所。1952年、東京療養所俳句サークル誌「松濤」の加藤楸邨の選を受け、翌年、「寒雷」に入会。また石田波郷に師事し、1954年、俳誌「鶴」に入会。「鶴」支部句会で小林康治からも学んだ。波郷没後、1974年、小林康治の「泉」創刊に参加、編集を担当、1980年より「泉」を辞した小林に代わり選を務める。1988年、俳人協会評議員。1990年、健康上の理由で「泉」主宰を綾部仁喜に譲る。
長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2… 長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - 2020年4月16日)は、日本の化学者(物理化学)。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1953年)。「電荷移動理論」を提唱・実証し、分子科学・スピン化学を開拓した。東京大学物性研究所教授、分子科学研究所所長、岡崎国立共同研究機構機構長、総合研究大学院大学初代学長、国際純正・応用化学連合 (IUPAC) 会長、日本学士院第23代院長などを歴任。位階は従三位、勲等は勲一等。文化勲章受章者。 1920年、静岡県駿東郡鷹根村(現沼津市)柳沢生まれ。静岡県立沼津中学校を経て、1943年東京帝国大学理学部化学科卒業。大学院進学同日に休学し海軍技術見習尉官に任じられ青島方面特別根拠地付を命じられる。
福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3… 福田 信之(ふくだ のぶゆき、1920年〈大正9年〉10月3日 - 1994年〈平成6年〉11月27日)は、日本の物理学者。理学博士 東京教育大学教授、筑波大学副学長・学長を歴任。世界平和教授アカデミー元会員、日韓トンネル研究会元顧問。香川県高松市出身。 香川県高松市出身。高松中学校(現・香川県立高松高等学校)、第一高等学校(現・東京大学)、北海道帝国大学理学部を卒業後、理化学研究所に入所。仁科芳雄博士のもとでニ号研究 (原子爆弾開発研究) に携わった。この研究で福田は六フッ化ウランの熱拡散分離の理論を担当した。 世界的水準の「筑波研究学園都市」を建設し、そこに東京教育大学を移転させて核になる総合大学にしようという計画があった。
岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年… 岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年12月14日)は、日本の経済学者。経済学博士(九州大学)。大分県大分郡庄内町(現由布市)出身。 1939年に大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)、1941年に大分高等商業学校を卒業。 1943年、学徒として出陣。翌年、大日本帝国海軍海軍対潜学校卒業。1945年には海軍中尉となるが、終戦で復員。 1946年、九州帝国大学法文学部経済学科を卒業。翌年、九州大学経済学部助手となる。1952年、武蔵大学経済学部専任講師。1953年に同助教授、1958年に教授。1961年、同学生部長。 1966年11月、九州大学にて「戦後日本の関税政策」で経済学博士号を取得。
木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年… 木村時夫(きむら ときお、1920年9月30日- 2009年2月17日)は、日本の政治史学者。 埼玉県春日部市生まれ。1944年早稲田大学文学部史学科卒業。学徒出陣で入隊、復員後は早稲田大学高等学院教諭をへて、68年早稲田大学社会科学部教授。75-83年社会科学研究所長。91年定年退任、名誉教授。
平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月2… 平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月29日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は、法学博士(東京大学、1962年〈昭和37年〉、学位論文は「刑事訴訟法」)。東京大学名誉教授。元東京大学総長。日本学士院会員。勲一等瑞宝章受章。文化功労者。熊本県熊本市出身。 父は鹿本選出の県会議員、のち熊本市長の平野龍起。同郷(熊本県鹿本町来民)の内閣総理大臣清浦奎吾(内務官僚、検事、司法次官、司法大臣、総理大臣、戦前の刑事訴訟法策定)の影響を受け、刑事法研究の世界に入り、小野清一郎に師事する。その後、アメリカ合衆国に留学。 かつて自著で「欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断する所であるのに対して、日本の裁判所は有罪を認定するだけの所である」という痛烈な司法行政批判を行った事がある。
松浦 健郎(まつうら たけお/けんろう、1920年9月29日… 松浦 健郎(まつうら たけお/けんろう、1920年9月29日 - 1987年5月7日)は、日本の脚本家、小説家。 埼玉県秩父郡大滝村大血川(現・秩父市)出身。1942年日本大学専門部国文科中退、満州映画協会に入社。1944年東宝に移籍し、黒澤明、山本薩夫らの助監督を務める。1948年脚本家に転向、代表作に「風速40米」(1958年)、「電光石火の男」(1960年)、「青年の椅子」(1962年)など。弟子に雪室俊一、曽田博久がいる。1966年からは小説も書いた。 生涯に映画脚本を約170本、テレビなどの脚本を含めると約340本を手掛けた敏腕だったが、その作業は弟子との共同作業が多く、作成の多くが弟子たちに口述筆記、清書させるものであった。
伊東 孝一(いとう こういち、1920年(大正9年)9月28… 伊東 孝一(いとう こういち、1920年(大正9年)9月28日 - 2020年(令和2年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。 最終階級は陸軍大尉。 宮城県大崎市で出生、生後間もなく一家が神奈川県横須賀市へ転居し当地で育った。横須賀中学校を経て陸軍予科士官学校に進み、1938年(昭和13年)末、同校を卒業。歩兵第32連隊付となる。1939年(昭和14年)、陸軍士官学校に進み、1940年(昭和15年)9月、同校(第54期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官。 1941年(昭和16年)10月、陸軍中尉に昇進。歩兵団司令部、第5軍司令部における勤務を経て、原隊である歩兵第32連隊へ復帰し、第2大隊第8中隊長に就任。
柚木 進(ゆき すすむ、1920年9月28日 - 1997年… 柚木 進(ゆき すすむ、1920年9月28日 - 1997年10月22日)は、広島県呉市山手町出身のプロ野球選手(投手)。1940年代後半-1950年代に南海ホークスのエースとして活躍した。
鈴木 和夫(すずき かずお、1920年9月27日 - 201… 鈴木 和夫(すずき かずお、1920年9月27日 - 2011年1月18日)は、日本の経営者。凸版印刷社長を務めた。 東京都出身。1944年に東京商科大学を卒業し、同年に凸版印刷に入社。1967年1月に取締役に就任し、1969年1月に常務、1971年1月に副社長を経て、1973年12月から1981年3月までに東京書籍社長を務めた。1978年8月に再び凸版印刷副社長に就任し、1981年2月には社長に昇格。1991年6月に会長に就任し、1993年6月に取締役相談役を経て、1998年6月に特別相談役に就任。 1985年4月に藍綬褒章を受章。 2011年1月18日に多臓器不全のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2… 梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2003年3月23日)は、昭和中期(1940年代後半-1950年代前半)のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。現役時代は阪神タイガースで活躍し、引退後は阪神の投手コーチを務めた、大阪府大阪市出身。 成器商業学校から専修大学へ進学。専修大学時代は4番(ないし5番)エースとして、東都大学リーグで6季連続優勝に貢献した。専修大学卒業時に阪神から声がかかったが、学徒出陣となり満州へ行くこととなる。1946年に満州から帰国し、発足した中央工業の野球部に入る。 翌1947年2月1日に南海から勧誘されるが、阪神への義理を通し、自ら電話で阪神に連絡をとり、阪神に入団する。
亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2… 亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2011年1月17日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(2期)、全国農業共済協会長。 徳島県三好市池田町生まれ。徳島県立池田中学校卒業。第六高等学校在学中は江尻宏一郎(元三井物産社長)と柔道部に所属した。 東京帝国大学法学部卒業後、1943年 農林省入省(馬政局嘱託)。食糧庁総務部企画課長、水産庁生産部長、林野庁林政部長、農林経済局長、大臣官房長、食糧庁長官を経て、1972年 農林事務次官に就任。退官後は大日本水産会長に就任。 1977年の第11回参議院議員通常選挙徳島県選挙区で自由民主党から出馬し、初当選。2期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で連合の乾晴美にやぶれ落選。
加藤 寛嗣(かとう かんじ / ひろつぐ、1920年(大正9… 加藤 寛嗣(かとう かんじ / ひろつぐ、1920年(大正9年)9月26日 - 2002年(平成14年)3月17日)は、第14代四日市市長。三重県四日市市塩浜地区馳出町出身。 三重県四日市市の旧家の加藤寛の長男で、三重県知事の田中覚は従兄弟であった。ハワイ州で生まれた。1944年(昭和19年)9月に東京帝国大学経済学部を卒業し、津海軍工廠に配属され終戦を迎えた。1945年(昭和20年)11月、三菱銀行に入行した。1946年(昭和21年)4月、日本肥料株式会社四日市工場に転じた。東海瓦新化成株式会社、三菱油化株式会社旭工場総務部長を経て、1967年(昭和42年)12月に三菱油化を退職した。 その間、1947年(昭和22年)に四日市市議会議員に当選し、以後12年間に各委員長、副議長を歴任した。
高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年〈大正9年〉9月25… 高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年〈大正9年〉9月25日 - 1995年〈平成7年〉9月9日)は、日本の推理作家。本名は高木 誠一(たかぎ せいいち)。津軽方言詩人・医師の高木恭造の甥に当たる。 青森県青森市生まれ。4代続いた医者の家系だった。幼少時に母親と死別。 旧制青森中学校(現:青森県立青森高等学校)から四修で第一高等学校理科乙類に入学。東京帝国大学理学部化学科の受験に失敗し、京都帝国大学薬学部に進んだが1年で中退、京都帝国大学工学部冶金学科卒。 非嫡出子として生まれ、一高入学の年に父親が亡くなり、家は破産して一家は離散し、親族からの援助で学業を続けた。その暗い生い立ちのせいもあってか、「出身地・青森」には生涯思い入れを見せなかった。
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月2… 村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 東京で生まれ、父はホーリネス教会派のクリスチャンだった。栃木県宇都宮市で育つ。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。高島善哉ゼミ出身。 1943年に大学を卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入校。小島直記らは同期生にあたる。1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後は三菱化成(現三菱ケミカルホールディングス)に入社したがやがて退社。
渓間 秀典(たにま しゅうてん、1920年9月24日 - 1… 渓間 秀典(たにま しゅうてん、1920年9月24日 - 1989年7月1日)は、プロ野球球団阪急ブレーブスの球団代表、球団社長。 大阪市の天満にある万福寺の住職の次男として生まれる。 龍谷大学文学部に進学し、映画監督の松林宗恵とは同期であった。1944年に大学卒業した後に、海軍航空隊に志願し、海軍士官となる。 復員後は、京阪神急行電鉄に入社。 1968年10月にパ・リーグ会長に就任した岡野祐の後任として、プロ野球球団阪急ブレーブスの球団代表に就任した。1976年から1978年までは球団社長を務めた。 1989年7月1日に心不全のために死去。68歳没。
奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9… 奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9月23日 - 2009年 <平成21年> 5月11日 )は、日本の経営者。太陽神戸銀行頭取を務めた。位階は正四位。 大阪府大阪市出身。1941年に高文行政科に合格し、1942年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1972年11月に神戸銀行(のちの太陽神戸銀行)常務に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1983年6月には頭取に昇格した。1987年6月に会長に就任し、1990年4月に太陽神戸三井銀行(のちのさくら銀行)会長に就任し、1991年6月に相談役、1998年7月に常任顧問、2000年4月に名誉顧問を歴任した。 関西テレビ放送監査役、兵庫県公安委員会委員長も務めた。
村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 20… 村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 2020年9月24日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。宮崎県都城市出身。 1941年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日立造船に入社。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月から1988年6月までに社長を務めた。 2020年9月24日急性肺炎のために死去。100歳没。
高橋 國雄(たかはし くにお、1920年〈大正9年〉9月22… 高橋 國雄(たかはし くにお、1920年〈大正9年〉9月22日 - 2016年〈平成28年〉8月1日)は、日本の政治家。位階は従四位。千葉県市川市長を務めた(5期)。 千葉県市川市に生まれる。法政大学商業学校(現法政大学中学校・高等学校)を経て、法政大学専門部政治経済科卒業。1940年(昭和15年)に市川市役所に入り、同市総務部長、同市助役を務める。 1977年(昭和52年)に市川市長選挙に出馬し、初当選する。以降5期連続当選し、1997年(平成9年)に退任する。 1998年(平成10年)に勲三等旭日中綬章を受章する。 1999年(平成11年)に市川市から名誉市民を贈られる。 2016年8月1日、心不全のため死去。
高橋 敬典(たかはし けいてん、1920年9月22日 - 2… 高橋 敬典(たかはし けいてん、1920年9月22日 - 2009年6月23日)は、日本の金工家。 山形県山形市銅町出身。茶の湯釜で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。本名は高橋高治(たかじ)。 映画監督の村川透は女婿。 社団法人日本工芸会参与、山形鋳物工業団地協同組合副理事長、山形市輸出入組合理事、山形県物産協会理事等を歴任。
崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 -… 崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 - 2002年9月2日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。本貫は慶州崔氏。創氏改名時の日本名は新田慶吉。 5・16軍事クーデター当時は朴正煕の直属の上官であり、第四共和国期に22代交通部長官、第五共和国期には国会議員を経て7代駐日大使を務めた。 1920年9月、日本統治時代の忠清北道陰城郡に生まれる。陰城三成普通学校を卒業した後、内地に留学し豊橋中学校で学んだ。 1938年、日本陸軍に志願(志願兵1期)。1939年12月、陸軍兵志願者訓練所を修了して歩兵第79連隊に配属。同世代の中で最も優秀な成績であり、下士官候補生に選ばれた。そこで中隊長の松田靖彦大尉に目をかけられ、彼の推薦で陸軍士官学校の試験にも合格したほか、1942年秋、汝威島での演習中に引き合わされた小野武雄中佐に薫陶を受ける。
堀井 岸雄(ほりい きしお、1920年9月21日 - 201… 堀井 岸雄(ほりい きしお、1920年9月21日 - 2014年3月)は、日本の社会学者。元八幡大学(現:九州国際大学)学長。福岡県門司市(現北九州市)生まれ。 福岡県門司市に生まれ、昭和13年(1938年)に門司中学校を卒業後、一旦門司鉄道管理局に就職したが、昭和15年(1940年)4月、八幡大学の前身である戸畑市の九州専門学校法政科に入学する。昭和17年(1942年)には東北帝国大学法文学部社会学科に入学した。大学では新明正道教授に師事した。昭和18年(1943円)12月、学徒動員で応召、久留米第12師団に入隊する。翌年9月に復員し、大学に復学した。昭和23年(1948年)、母校である戸畑専門学校(前九専)に社会学と心理学の担当教授として就任し、以後八幡大学の教授、学長を歴任するに至った。
三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21… 三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21日 - 2004年(平成16年)1月19日)は、日本の海軍技術大尉、学者。専門は電気音響工学。 1920年9月21日、青森県五戸町生まれ。1943年9月、東北帝国大学工学部電気工学科卒業。1945年3月、海軍技術大尉。同年11月、逓信省電気試験所に入所し、4号電話機の開発に従事。1952年8月、日本電信電話公社入社。1957年8月、工学博士(東北大学)。1959年、日本電信電話公社電気通信研究所伝送研究室室長。1962年、日立製作所中央研究所入所。1977年、東京電機大学工学部電気通信工学科教授。2004年1月19日、83歳で死去。 1985年5月から1987年まで、日本音響学会会長を務めた。
栗本 正(くりもと ただし、1920年(大正9年)9月19日… 栗本 正(くりもと ただし、1920年(大正9年)9月19日 - 1986年(昭和61年)10月28日)は、日本の声楽家(バス、バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。元名古屋芸術大学学長。妻も声楽家(メゾソプラノ)の栗本尊子。 台湾出身。父は三輪神社(石川県)等の社掌であったが、台湾基隆神社社掌補任により移住したため、現地にて出生。父の任期満了により帰国、神奈川県立川崎中学校(旧制)卒業。1937年(昭和12年)東京音楽学校入学。同期に中山悌一がいる。1941年(昭和16年)東京音楽学校声楽科卒業。1943年(昭和18年)東京音楽学校研究科修了。宮廷歌手ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。
沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18… 沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18日 - 2007年6月5日)は、日本の小説家。北海道を代表する文芸同人誌『札幌文学』『北方文芸』の編集人・発行人としても活躍。元・財団法人北海道文学館理事長。 1920年(大正9年)、北海道札幌郡豊平町大字平岸村(現・札幌市豊平区平岸)で、リンゴ農家を営み、同町の町会議員も務めた澤田清五郎の五男として生まれる。札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)第16期卒。札商卒業の頃から作歌を開始し、1941年(昭和16年)に陸軍高射砲学校入学。高射砲学校卒業後は小樽、北千島などに赴任、敗戦時は埼玉県栗橋町の高射砲陣地の中隊長。1947年(昭和22年)に西尾廣子と結婚。
小松 勇五郎(こまつ ゆうごろう、1920年(大正9年)9月… 小松 勇五郎(こまつ ゆうごろう、1920年(大正9年)9月18日 - 1995年(平成7年)12月23日)は、広島県出身の通産官僚。通商産業事務次官。神戸製鋼会長。位階は従三位。勲一等瑞宝章。 呉第一中学、広島高等学校文科乙類、東京帝国大学法学部卒業。1944年軍需省入省、整備局配属。戦後は通商産業省へ移り、広島通産局、鉄鋼局鉄鋼政策課、企業局企業第一課勤務を経て、1953年外務省経済局スターリング課に出向、1955年-1960年在西ドイツ大使館一等書記官としてボンに駐在。帰国後ヨーロッパ経済の実情を『小松レポート』にまとめ論客として登場した。 通商局国際経済課長、重工業局産業機械課長、企業局企業第一課長、大臣官房総務課長、通商局国際経済部長(1968年~1971年)、官房長(1971年6月~1972年5月)、通商局長(1972年6月~、次の和田敏信局長で通商政策局と改組)、初代産業政策局長(1973年7月~、企業局から改組)を経て、事務次官(1974年11月~1976年7月)。
柳田 盈文(やなぎた つねふみ、1920年9月18日 - 1… 柳田 盈文(やなぎた つねふみ、1920年9月18日 - 1991年2月10日)は、日本の経営者。東急建設社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1937年に東京横浜電鉄(のちの東京急行電鉄)に入社し、1940年には攻玉社高等工学校土木科を卒業。 1970年に取締役に就任し、1973年に常務、1985年に専務を経て、1985年12月には東急建設社長に就任。1990年6月には副会長に退いた。 1991年2月10日肺炎のために死去。70歳没。
齋藤 裕(さいとう ひろし、1920年 <大正9年> 9月1… 齋藤 裕(さいとう ひろし、1920年 <大正9年> 9月18日 - 2000年 <平成12年> 10月6日)は、日本の実業家。位階は従三位。 1987年から1993年まで新日本製鐵(新日鉄、現日本製鉄)社長、1993年から1998年まで新日鉄会長、1994年から1998年まで経済団体連合会評議員会議長を務めた。国際鉄鋼協会会長等も歴任した。 東京市日本橋大伝馬町出身。1938年に東京府立第一中学校を卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)に進学した。八幡製鐵に入社。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。
塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 - 1… 塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 - 1998年6月10日)は日本の実業家。ワコール創業者。日本会議初代会長。 TVドラマ『西部警察』、日本全国縦断ロケ、PART-III第49話「京都・幻の女殺人事件-京都篇-」において本人役で出演している。
荘子 邦雄(しょうじ くにお、1920年9月16日 - 20… 荘子 邦雄(しょうじ くにお、1920年9月16日 - 2021年3月25日)は、日本の法学者。専門は刑法。東北大学名誉教授。札幌学院大学名誉教授。法学博士(北海道大学、1962年)。兵庫県出身。叙従三位。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 19… 和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 1992年6月29日)は、日本の人類学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。第三高等学校を経て、1945年京都大学理学部卒業。京大教授時代には京都大学アフリカ学術調査隊に参加。梅棹忠夫とは三高の同級生で京都大学アフリカ学術調査隊に参加した良き友人だった。その後は富山大学人文学部教授、中部大学国際関係学部教授を歴任した。 実の息子にWOWOW代表取締役社長の和崎信哉、文化人類学者で中部大学国際関係学部教授の和崎春日がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高田 卓爾(たかだ たくじ、1920年9月16日 - )は、… 高田 卓爾(たかだ たくじ、1920年9月16日 - )は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。大阪大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授。鳥取県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
岸 俊男(きし としお、1920年9月15日 - 1987年… 岸 俊男(きし としお、1920年9月15日 - 1987年1月21日)は、日本史学者、京都大学名誉教授、専門は日本古代史。 1920年、古社寺修理技師・岸熊吉の子として京都市上京区に生まれ、直後に父の仕事の都合で奈良市に移り、以後生涯の拠点であった。奈良県立奈良中学校・第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部史学科に入るが、学徒動員によって満足に学業に打ち込めないまま、1944年9月に卒業。直後に再度召集を受けて海軍少尉となった。敗戦後に京都帝国大学大学院生として学業復帰を認められ、復学した。 1946年9月、京都帝国大学助手に採用された。1951年、奈良女子大学文学部講師となり、1953年に助教授昇格。
田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 20… 田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 2007年12月20日)は、日本の映画監督である。関西学院大学文学部卒業。大阪市東区(現・中央区)船場出身。
和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 … 和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 - 1983年(昭和58年)2月18日)は、兵庫県姫路市出身の脚本家。映画監督・市川崑の妻。本名は市川 由美子(いちかわ ゆみこ)、旧姓は茂木(もぎ)。
渋谷 守生(しぶや もりお、1920年(大正9年)9月13日… 渋谷 守生(しぶや もりお、1920年(大正9年)9月13日 - 2014年(平成26年)12月13日)は、日本の政治家。東京都議会議長を務める等、政治家として活躍する傍らで将棋の普及にも大きく貢献し、2012年に日本将棋連盟からアマチュア八段を授与された。位階は正五位。 以下、将棋関係の連載、コラム等多数 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
池本 正夫(いけもと まさお、1920年(大正9年)9月13… 池本 正夫(いけもと まさお、1920年(大正9年)9月13日 - 2001年(平成13年)5月26日)は、昭和から平成時代の政治家。京都府宇治市長。 宇治市出身。莵道青年学校卒業。 宇治市議会議員4期、1973年(昭和48年)市議会議長、1977年(昭和52年)宇治商工会議所副会頭を経て、1980年(昭和55年)以来、宇治市長に4選。1996年(平成8年)引退した。 2001年(平成13年)5月26日、胃がんのため京都府宇治市の病院で死去した。
後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月… 後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月12日 - 2007年(平成19年)11月1日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し、東京都武蔵野市議会議員・副議長、第2代武蔵野市長を歴任した。1960年代から1970年代にかけて日本各地に多く誕生した革新系首長の一人である。 1920年(大正9年)9月12日、東京府北多摩郡武蔵野村(のちの東京都武蔵野市)に生まれる。 1943年(昭和18年)8月、中央大学法学部を中退。終戦時には第三〇二海軍航空隊に中尉として所属し、厚木航空隊事件に際しては上官の小園安名大佐の命により「抗戦の使者」として谷田部海軍航空隊へ駆り出されたものの、同隊の説得を断念している。
金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日… 金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日 - 2003年〈平成15年〉5月26日)は、日本の船舶工学者、溶接工学者、構造力学者、材料力学者、破壊力学者、材料強度学者。工学博士。東京大学名誉教授、日本造船学会名誉員。 福井県福井市清川上町80番地(現 福井市松本1丁目)の福井中学校の博物教師・金澤祿郞の次男として出生。1923年(大正12年)9月の父の新潟中学校への異動に伴って新潟県新潟市学校町通3番町(現 新潟市中央区)に転居。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学第一工学部船舶工学科を半年繰り上げ卒業、東京帝国大学第一工学部大学院に入学。
前田 金五郎(まえだ きんごろう、1920年9月11日 - … 前田 金五郎(まえだ きんごろう、1920年9月11日 - 2013年2月21日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に井原西鶴。専修大学名誉教授。 1920年、静岡県清水市に生まれる。1944年、東京文理科大学文学科国語国文学専攻卒業。大阪府立岸和田中学校教諭を経て、1945年に応召。復員後、複数の高校で教鞭を執った後、1966年専修大学文学部国文科助教授に就任。1972年、同教授。1991年、専修大学を定年退職し、名誉教授となった。2013年2月21日、消化管出血のため東京都で死去。 小西甚一が「怪物」と評するほど、博識な人物として知られた。
伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961… 伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961年1月16日)は日本の編集者、出版社経営者。書肆ユリイカ代表。 釜山広域市生まれ。旧制京城中学校卒業まで、京城で過ごす。旧制福岡高等学校を経て、1943年、京都帝国大学経済学部卒業。出征して北支や内蒙古で転戦し、戦後に上京して前田出版社に勤務。 原口統三『二十歳のエチュード』の出版を手がけ、同書をベストセラーとする。1948年、同書の紙型を持って独立し、書肆ユリイカを創立。1950年頃から主に詩書を出版。1956年、詩誌『ユリイカ』を創刊。没後の1962年に遺稿集『ユリイカ抄』が刊行され、その業績により第1回藤村記念歴程賞を受けた。
藤井 桑正(ふじい そうしょう、1920年9月9日 - 20… 藤井 桑正(ふじい そうしょう、1920年9月9日 - 2000年8月5日)は朝日放送(ABC)元会長・社長。 大阪府泉南市出身。大阪府立岸和田高等学校、東京帝国大学経済学部卒業後、朝日新聞社へ入社。その後、朝日放送へ中途入社。営業局長、編成局長、総務局長、1974年常務、1979年専務、1983年副社長を経て、1990年6月社長に就任。1995年6月会長へ就任。1999年に相談役へ退く。その他には日本民間放送連盟副会長も務めた。2000年8月5日、胃ガンのため79歳で死去。 社長時代の1992年頃、やしきたかじんが警備員の態度の悪さに腹を立て、ラジオ番組内で「(朝日は)アホから偉くなる放送局」と発言し、当時の副社長が激怒した事件があり、副社長は口論の末、たかじんに一生立ち入り禁止処分を下した。
杉山 茂樹(すぎやま しげき、1920年9月9日 - 199… 杉山 茂樹(すぎやま しげき、1920年9月9日 - 1992年12月20日)は、日本の映画プロデューサー。松竹大船撮影所で活躍後、国際放映に転じ、テレビ映画を手がけた。 静岡県立静岡中学校、京都大学文学部哲学科卒業。松竹京都撮影所で日活出身の市川哲夫監督の映画『我輩は探偵でアル』(1949年(昭和24年)5月23日公開)を、マキノ正博監督の『非常線』(1947年)のプロデューサー・小倉浩一郎のもとで製作、プロデューサーとしてデビュー。1960年(昭和35年)11月30日に公開された番匠義彰監督の映画『浮気のすすめ 女の裏窓』で初めて松竹大船撮影所作品を手がけた。1961年(昭和36年)8月6日に公開された、酒井辰雄監督の映画『ひとり寝』を最後に、12年間で79本を製作してきた松竹京都を去り、大船撮影所へ異動。