伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 199… 伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 1997年10月24日)は、日本の俳優である。1967年(昭和42年) - 1972年(昭和47年)の一時期、二階堂 浩(にかいどう ひろし)と名のった時期がある。東宝資料室では伊海田 宏と表記されている。テッサロニキ国際映画祭等に出品されて再評価される『㊙湯の街 夜のひとで』(監督渡辺護、1970年)に「トリ金」役で出演しているほか、テレビドラマ『スーパーロボット レッドバロン』(1973 - 1974年)の「デビラー総統」役、『スーパーロボット マッハバロン』(1974年 - 1975年)の「ララーシュタイン」役で知られる。 1931年(昭和6年)1月8日、新潟県北蒲原郡(現・阿賀野市)に生まれる。
田中 重信(たなか しげのぶ、1931年1月8日 - 202… 田中 重信(たなか しげのぶ、1931年1月8日 - 2021年8月26日)は、日本の経営者。フジクラ社長、会長を務めた。東京都出身。 1953年に千葉大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線(のちのフジクラ)に入社。1978年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年12月には社長に昇格。1999年6月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。 1997年4月に藍綬褒章を受章し、2003年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2021年8月26日死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
塚越 恒爾(つかごし つねじ、1931年1月8日 - 201… 塚越 恒爾(つかごし つねじ、1931年1月8日 - 2016年3月21日)は、元アナウンサー、児童文学作家。 神風号のパイロットとして名前を知られた塚越賢爾の長男として東京に生まれる。 1955年横浜国立大学工学部卒業。当初は父と同じく朝日新聞社に入って航空分野で活躍しようとした節があるが、相談相手で賢爾を知っていた斉藤寅郎に「君は本流を歩きなさい」と反対され、NHKにアナウンサーとして入局。あさま山荘事件やアポロ11号月着陸の報道特別番組における現場からの中継に携わった。 1987年の定年退職後は対話総合研究所を設立して後進の指導を行う一方、児童文学の執筆も行い、「ファンタ爺さん」として全国の小学校で口演などを行い、語り伝えの普及に努めた。
三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021… 三好 徹(みよし とおる、1931年1月7日 - 2021年4月3日)は、日本のジャーナリスト、作家。東京生まれ。推理小説、スパイ小説、歴史小説などを発表した。本名は河上 雄三。 小学生時代は「雷電為右衛門」などの少年講談や推理小説を愛読。旧制中学校1年の時に陸軍幼年学校を目指したが不合格、2年修了時に合格して、14歳で第二志望だった名古屋陸軍幼年学校に入学した。東京幼年学校の同期に西村京太郎、名古屋幼年学校の2期上に加賀乙彦がいた。敗戦で元の学校に戻り、東京府立第一商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)卒業後、横浜高等商業学校(在学中に横浜国立大学経済学部に改名)に進学、卒業後1950年、読売新聞社に入社。
湯浅 武(ゆあさ たけし、1931年1月7日 - 2020年… 湯浅 武(ゆあさ たけし、1931年1月7日 - 2020年12月24日)は、日本の経営者。東京都出身。 1953年に早稲田大学文学部を卒業し、同年に読売新聞社に入社。一般事業部長、スポーツ事業部長、事業本部次長、事業本部総務、読売興業常務を経て、1987年に読売ジャイアンツ球団代表に就任し、専務を経て、1992年にはオーナー代行に就任。1998年からは非常勤顧問を務め、読売旅行取締役も務めた。 2020年12月24日心不全のために死去。89歳没。
荒岡 昭(あらおか あきら、1931年1月6日 - )は、神… 荒岡 昭(あらおか あきら、1931年1月6日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。 逗子開成中学校から横浜専門学校を経て、1950年に大映スターズへ入団。1952年に退団。 1954年に西鉄ライオンズで復帰し、同年引退。
八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年… 八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年〈令和元年〉10月24日)は、日本の女優。 大阪府大阪市出身。宝塚音楽学校卒業。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。公称身長154cm。 幼少時に父を亡くし、母子家庭で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。 聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団34期生として入団。入団時の成績は50人中19位。入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、人気を博した。
福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、… 福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、日本の野球選手(投手)。1940年代から1950年代にかけてアマチュア野球でプレーした。
桑原 洋子(くわはら ようこ、1931年(昭和6年)1月6日… 桑原 洋子(くわはら ようこ、1931年(昭和6年)1月6日 - )は、日本の社会福祉学者。 北海道生まれ。1953年大阪女子大学文芸学部社会福祉学科卒業。56年大阪市立大学大学院法学研究科修士課程修了。佛教大学講師、1971年ロンドン大学上級法律学研究所に学ぶ。花園大学文学部教授、龍谷大学社会学部教授、2001年四天王寺国際仏教大学教授。 1994年「英国児童福祉制度史研究」で専修大学より博士(法学)の学位を取得。
瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年… 瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年3月15日)は、日本の美術評論家。 東京府生まれ。中央大学法学部卒業後、1950年代から岡本太郎、花田清輝らの前衛芸術運動「夜の会」に参加するなど美術評論に関わり、多くの著述を執筆した。東京芸術大学でも美術論や芸術史の講義をした。日本に多くの西洋美術を紹介する。とくに社会や経済の視点から美術を論じた美術社会学研究が著名で、海外でも知られている。 総合美術研究所所長・国際美術評論家連盟会長・ジャポニズム学会常任理事・国際浮世絵学会理事などを歴任。 テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても、たびたび出演した。 2011年3月15日、肺炎のため80歳で死去。
矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993… 矢野 祐弘(やの すけひろ、1931年1月6日 - 1993年6月11日)は、愛媛県出身のアマチュア野球の野球指導者。 西条高校(旧制西条中学校)を経て、立教大学に進学し野球部に属したが、2年で中退。1950年3月に母校の西条高校の監督に就任した。1956年の選抜高校野球で初めて甲子園への出場を果たし、1959年の全国高校野球では、エースの金子哲夫を擁し、初めて全国制覇を果たした。1962年の岡山国体でも優勝を果たした。 実績を買われて、1965年から1977年までの間、亜細亜大学の監督を務めた。山本和行投手を擁し1971年春に東都大学野球リーグで亜大3回目の優勝を果たすと、全日本大学野球選手権大会で法政大学を破り亜大を全国大会初優勝に導いた。
多田 治夫(ただ はるお、1931年1月5日 - 2016年… 多田 治夫(ただ はるお、1931年1月5日 - 2016年4月24日)は、日本の心理学者。金沢大学名誉教授。 第四高等学校出身。1953年(昭和28年)、金沢大学法文学部哲学科(心理学専攻)卒。同大学助手、助教授、教授を経て、1996年(平成8年)定年退官、同大学名誉教授。放送大学石川学習センター所長を経て、2001年(平成13年)より金沢工業大学学生相談室顧問、2004年(平成16年)から同大客員教授。 専門はカウンセリング心理学、被害者心理学に関する研究を展開しており、多数の著書がある。石川被害者サポートセンター代表理事、「金沢こころの電話」会長などを経験し、各種の地域臨床活動の実践で知られる。
吉井 光照(よしい みつてる、1931年1月4日 - 201… 吉井 光照(よしい みつてる、1931年1月4日 - 2017年1月18日)日本の政治家。山口県防府市出身。山口県立防府高等学校卒業。元衆議院議員(4期)。 党派を超えた人気があり、今も「山口県の公明党を築いた立役者」の評価を受ける[要出典]。
木原 啓吉(きはら けいきち、1931年1月4日 - 201… 木原 啓吉(きはら けいきち、1931年1月4日 - 2014年)は、日本のジャーナリスト、環境学者。千葉大学名誉教授 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て、1950年第七高等学校文科卒業。1953年東京大学法学部卒。朝日新聞社に入り、盛岡支局勤務から始め、小繋事件を取材、のち公害キャンペーンと環境問題を担当、編集委員をへて、1981年千葉大学教養部教授となる。1996年定年退官、江戸川大学教授。環境庁の自然環境保全審議会委員、ナショナル・トラストを進める全国の会幹事長。
岡 道男(おか みちお、1931年1月4日- 2000年3月… 岡 道男(おか みちお、1931年1月4日- 2000年3月3日)は、日本の西洋古典文学者。
藤多 哲朗(ふじた てつろう、1931年1月4日 - 201… 藤多 哲朗(ふじた てつろう、1931年1月4日 - 2017年1月1日)は、日本の薬学者・天然物化学者。京都大学名誉教授。 多発性硬化症治療薬フィンゴリモド (FTY720) の開発において、基礎となる重要な発見をした。京都大学評議員、日本生薬学会会長(第16代)、一般財団法人生産開発科学研究所評議員を歴任。京都市左京区出身。 1953年 京都大学医学部薬学科卒業。1958年 京都大学大学院薬学研究科博士課程(新制大学院1期生)を修了。生薬学教室にて刈米達夫教授に師事。 1959年 京都府立医科大学助手(生化学教室:能勢善嗣教授主宰)。1963年 京都大学化学研究所助手(生理活性部門:藤田榮一教授主宰)。
岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年… 岸部 清(きしべ きよし、1931年1月3日 - 2019年2月11日)は、日本の歌手、実業家、元「東京ウエスタンボーイス」のメンバーで「ザ・サンズ・オブ・ドリフターズ」(現在の「ザ・ドリフターズ」)の初代リーダー。第一プロダクション創業者である。群馬県出身。
横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2… 横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2015年2月17日)は、日本の音楽評論家。 探偵小説家の横溝正史の長男として東京に生まれる。少年時代に音楽評論家の属啓成から音楽理論を学んだ。東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)在校中に疎開で転校し、岡山県矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)及び早稲田大学第一文学部英文科をそれぞれ卒業。 大学卒業後に東京新聞に入社、23年間、文化部音楽担当記者を務め、1977年に退社、音楽評論家となる。 100回を超える渡航を重ね、2005年にフィンランド政府よりフィンランド獅子勲章騎士第1級章を授与される。その他、武蔵野音楽大学、東京音楽大学、昭和音楽大学、成城大学短大などで教鞭をとった。
田内 幸一(たのうち こういち、1931年1月3日 - 19… 田内 幸一(たのうち こういち、1931年1月3日 - 1996年11月18日)は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授。 専攻はマーケティング論で、田島義博らと日本マーケティング学会の期成に関与したが発足時には早世、故人となった。 満洲国奉天市出身。桐朋高等学校を経て、1954年一橋大学商学部卒業、1959年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。深見義一ゼミ出身。経営学者の田島義博第24代学習院院長は大学時代からの友人。 1959年文部教官に採用され一橋大学商学部助手に就任。1960年一橋大学商学部専任講師。シカゴ大学経済学部留学を経て、1965年一橋大学商学部助教授、1971年同教授。1984年文部省短期在外研究員としてミラノ大学でファッション産業研究に従事。
吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日… 吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日 - 2007年(平成19年)1月13日)は、日本の画家、版画家。 広島県因島市出身。大阪府立天王寺高等学校卒業。京都市立芸術大学名誉教授。2007年に膵臓癌のため死去。 初期にはリトグラフの制作を行なうが、後にリトグラフと銅版を併用した。女性や静物などをモチーフとし、臨場感のある虚構空間を描き出すことで知られる。作品は現代人の不安や心理的真空感を反映したものと評される。
塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 19… 塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 1993年9月15日)は、福岡県大牟田市出身の元体操選手。1956年メルボルンオリンピック体操男子団体銀メダリスト。 三池中学校、福岡県立三池高等学校を経て、1953年東京教育大学体育学部卒業。東京都立新宿高等学校教諭、早稲田大学教育学部・人間科学部教授を歴任。 1956年(昭和31年)のメルボルンオリンピックに出場、団体で銀メダルを獲得、個人総合で12位、吊り輪7位、平行棒8位だった。1958年(昭和33年)の世界選手権団体で銀メダル、個人総合9位。全日本選手権で個人総合2位。1962年(昭和37年)欧州遠征監督、日ソ対抗コーチ、1963年(昭和38年)欧州遠征監督、1964年(昭和39年)欧州遠征コーチ、同年の東京オリンピック、1968年(昭和43年)のメキシコシティーオリンピック、1966年(昭和41年)世界選手権各チームリーダー、1970年(昭和45年)世界選手権、1972年(昭和47年)ミュンヘンオリンピック各審判員、1974年(昭和49年)世界選手権コーチ、1978年(昭和53年)アジア大会本部役員を務める。
石川良輔(いしかわ りょうすけ、1931年1月3日- )は、… 石川良輔(いしかわ りょうすけ、1931年1月3日- )は、日本の昆虫学者、東京都立大学名誉教授。初期には膜翅目の系統分類学の研究に携わり、やがてオサムシの種分化の研究を開拓した。 京都府生まれ。横浜国立大学理学部生物学科卒業。九州大学大学院農学研究科昆虫学専攻博士課程満期退学。1971年「日本産コツチバチ属の検討」で、理学博士(北海道大学)。国立科学博物館研究員、東京都立大学理学部教授、95年定年退官、名誉教授。
平田 寛(ひらた ゆたか、1931年1月3日 - 2013年… 平田 寛(ひらた ゆたか、1931年1月3日 - 2013年9月14日)は、日本の美術史学者、九州大学名誉教授 1931年、佐賀県で生まれた。九州大学文学部を卒業し、同大学大学院に進んだ。 修了後は九州大学文学部助手に採用され、その後奈良国立文化財研究所所員となった。1971年、九州大学文学部助教授に就いた。1978年に教授昇格。1995年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は長崎純心大学教授として教鞭をとった。1996年、学位論文『絵仏師の時代』を九州大学に提出して文学博士号を取得。2004年1月、講書始で「絵仏師」を御進講。 2013年9月、膀胱癌のため、自宅で死去。82歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018… 磯村 修(いそむら おさむ、1931年1月3日 - 2018年11月10日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児… 原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児童文学研究者、翻訳家、中京大学名誉教授。 名古屋市生まれ。本名・昌一。南山大学文学部英文科卒、市邨学園短期大学(現・名古屋経済大学短期大学部)教授、1980年中京大学文学部教授、2002年名誉教授。台湾国立成功大学客員教授。日本イギリス児童文学会会長、日本児童文学学会会長を務めた。1974年新美南吉文学賞を『児童文学の笑い』で受賞。2004年児童文化功労者褒章。
道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1… 道場 六三郎(みちば ろくさぶろう、1931年〈昭和6年〉1月3日 - )は、日本料理の料理人。勲等は旭日小綬章。 赤坂常盤家チーフ、銀座ろくさん亭店主、懐食みちば店主などを歴任した。 石川県江沼郡山中町(現在の加賀市山中温泉地区)出身の日本料理の料理人である。「赤坂常盤家」のチーフなどを経て「銀座ろくさん亭」の主人となる。その後、銀座に「懐食みちば」も新たに出店した。身長168cm。 1931年1月3日、三男三女の末っ子として誕生。「六人兄弟の三男」という意味で「六三郎」と名付けられた。実家は老舗の山中漆器を扱う店であり、地元が歴史のある有名な温泉街だったこともあって、幼少時から料理に親しむ環境で育った。
石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月… 石指 集三(いしざし しゅうぞう、昭和6年(1931年)1月3日 - 昭和57年(1982年)10月28日)は日本の実業家。元・丸神海産取締役社長、キング食品工業代表取締役、神和工業取締役、神港商事取締役。 妻春子は弁護士、公証人雑賀愛造の次女。なお日本商工会議所会頭、王子製紙社長などを歴任した足立正の足立家と雑賀家は姻戚関係にある。 鳥取県境港市生まれ。 昭和22年(1947年)丸神海産入社、昭和28年(1953年)社長に就任。大篠津食品工業(株)、神和工業(株)各代表取締役のほか、日本輸出水産缶詰組合理事も務めた。 趣味は読書。住所は境港市明治町。
富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 -… 富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 - 2020年11月25日)は、日本の彫刻家。成安造形大学名誉教授、櫛引町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。第47代横綱柏戸剛は再従兄弟にあたる。
新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 -… 新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2025年〈令和7年〉1月27日)は、日本の法学者、弁護士。茨城大学名誉教授。 群馬県高崎市末広町に生まれる。高崎市立北小学校、旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1954年(昭和29年)に東京大学法学部を卒業。1953年(昭和28年)司法試験に合格し、1956年(昭和31年)第二東京弁護士会登録の弁護士となる。1959年(昭和34年)から日本教職員組合の顧問弁護士。 砂川事件・朝日訴訟・堀木訴訟・全逓中郵事件・家永教科書裁判など数々の憲法裁判に携わる。茨城大学人文学部教授、1996年定年退官、名誉教授。
行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は… 行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は、日本の大蔵官僚、財務官。 神奈川県出身。1943年(昭和18年)に間門国民学校卒業、1948年(昭和23年)には神奈川県立横浜第一中学校卒業した。 同年、第一高等学校に入学。同校文科乙類(ドイツ語)のクラスメートには、本間長世(東大名誉教授、アメリカ史)、芳賀徹(東大教授、比較文化史)、高階秀爾(東大教授、美術史)らがいた。翌年、学制改革に伴い新制東京大学を受験するも不合格となり、1950年(昭和25年)に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学した。同大学新聞学科のクラスメートには、早坂茂三(田中角栄秘書)、岡村喬生(オペラ歌手)、越智勝幸(日本経済新聞政治部長)らがいた。
左近 淑(さこん きよし、1931年1月2日 - 1990年… 左近 淑(さこん きよし、1931年1月2日 - 1990年9月7日)は、日本の牧師・聖書学者。 日本画家であった父・木下茂・イクの次男として神奈川県横浜市に誕生。旧制神奈川県立横浜第一中学校を卒業。肺病による療養生活、並びに敗戦による心身両面の挫折を契機に1947年、日本基督教団横浜明星教会にて洗礼を受け、同時に伝道者としての召命を与えられて、1948年、日本基督教神学専門学校(現・東京神学大学)に入学。 1955年、「アリステアスの手紙」の研究で、同校より神学修士を授与される。日本基督教団四谷新生教会伝道師を経て、1958年から1963年にかけてフルブライト奨学金を得てニューヨークのユニオン神学大学大学院Th.D.課程に学ぶ。
海部 俊樹(かいふ としき、1931年〈昭和6年〉1月2日 … 海部 俊樹(かいふ としき、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2022年〈令和4年〉1月9日)は、日本の政治家。位階は正二位、勲等は大勲位菊花大綬章(没後叙勲)。 衆議院議員(16期)、労働政務次官(第1次佐藤第2次改造内閣 - 第2次佐藤内閣)、内閣官房副長官(三木内閣)、自由民主党国会対策委員長(第21代)、文部大臣(第98・107代)、自由民主党総裁(第14代)、大蔵大臣(第95代)、内閣総理大臣(第76・77代)、新進党党首(初代)などを歴任した。 国際天文学連合(IAU)会長の海部宣男、2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠の従兄である。 名古屋市東区七曲町(現・東区東桜一丁目)に生まれる。
藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 199… 藤井 凡大(ふじい ぼんだい、1931年1月2日 - 1994年7月24日)は、日本の作曲家、指揮者、音楽教育家である。 大分県竹田市生まれ。 幼児の頃から母に生田流箏曲を学ぶ。旧制福岡高等学校時代、福岡合唱協会で知り合った指揮者の石丸寛から影響を受ける。 九州大学工学部造船学教室へ進学し、1953年卒業。在学中より作曲を始める。同年、東京新聞主催の全国邦楽コンクール作曲部門で「和楽器と管弦楽協奏の為の一楽章」を自演(箏)して作曲部門の第1位となり、文部大臣賞、NHK賞を受賞。以後、放送音楽を中心とする作曲・指揮活動に入る。 作品には「東洋の楽器による交響曲・西遊記」(1967年文部省芸術祭レコード部門受賞)、「絲竹交響」、「伊勢物語抄」などの邦楽器楽曲、「北原白秋の詩による9つのカノン」、「筑紫のわらべ唄」などの合唱曲、オーケストラ作品等、作曲・編曲多数。
根井 正利(ねい まさとし、1931年1月2日 - 2023… 根井 正利(ねい まさとし、1931年1月2日 - 2023年5月18日)は、日本出身のアメリカ合衆国の集団遺伝学者・進化生物学者。ペンシルベニア州立大学教授 (the Evan Pugh Professor of Biology)・同大学分子進化遺伝学研究所所長。日本遺伝学会、日本人類遺伝学会名誉会員。 最先端の分子生物学の知識を考慮しつつ、単独または学生との共同研究により分子進化の分野での新しい統計的理論を開発してきた。それとともに、進化理論に関するいくつかの新しい概念を提唱した。 遺伝子間に相互作用がある場合、自然選択は常に遺伝子座の連鎖を強めるか、または同じ連鎖関係を維持する傾向のあることを最初に数学的に証明した。
中川 晴之助(なかがわ はるのすけ、1931年1月2日 - … 中川 晴之助(なかがわ はるのすけ、1931年1月2日 - 2018年11月25日)は、東京放送(TBS、現・TBSホールディングス / TBSテレビ)演出部、映画部に所属した監督、テレビディレクター。 1931年(昭和6年)、洋画家の中川一政の次男として生まれる。1953年(昭和28年)、國學院大學文学部を卒業。1955年(昭和30年)、東京放送の前身であるラジオ東京(KRT)に入社する。1985年(昭和60年)、テレパックへ出向し晩年まで東京放送ホールディングス社友であった。 2018年11月25日に肺炎のため死去した。87歳没。墓所は雑司ヶ谷霊園。 1966年(昭和41年)、中川は1月より放映開始された円谷特技プロダクションが制作するTBSテレビの特撮テレビ番組『ウルトラQ』のコイン怪獣カネゴンが登場する話「カネゴンの繭(まゆ)」を監督した。
石原 勝敏(いしはら かつとし、1931年(昭和6年)1月2… 石原 勝敏(いしはら かつとし、1931年(昭和6年)1月2日 - 2021年(令和4年)11月30日)は、日本の生物学者。埼玉大学名誉教授。 島根県生まれ。1953年島根大学文理学部卒業。1957年東京大学大学院理学研究科博士課程退学。1960年「ウニ卵の受精にともなうアルドラーゼの遊離と活性化」で理学博士。埼玉大学理学部助教授、1976年教授。1994年定年退官、名誉教授。
大西 利美(おおにし としみ、1931年1月2日 - 201… 大西 利美(おおにし としみ、1931年1月2日 - 2011年4月3日)は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車副社長や、愛知製鋼会長、日野自動車工業会長等を歴任した。藍綬褒章受章。 1953年東北大学工学部機械科卒業、トヨタ自動車工業入社。1975年トヨタ自動車工業生産技術企画室主査。1978年トヨタ自動車工業生産技術開発部長。1980年トヨタ自動車工業取締役に昇格。1984年トヨタ自動車取締役田原工場長。 1986年トヨタ自動車常務取締役元町工場長。1988年トヨタ自動車専務取締役。1992年トヨタ自動車取締役副社長。 退任後、愛知製鋼取締役会長、日野自動車工業取締役会長等を歴任した。1993年中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長。
千成 俊夫(せんなり としお、1931年1月2日 - 201… 千成 俊夫(せんなり としお、1931年1月2日 - 2017年11月25日)は、日本における音楽教育学の先駆者の一人。チェンバロやリコーダーの演奏家。古楽の演奏・普及のために幾つも団体を設立し、演奏会の企画、古楽の資料研究や解説に尽力した。 1931年1月2日、北海道芦別市で、四男三女の二男として生まれる。富岡(現、厚真町)国民学校を卒業(1943年)後、学徒動員により三笠の炭鉱で働く(1945年)。北海道学芸大学一類中学校音楽科(現、北海道教育大学札幌校)を卒業し、札幌市立信濃中学校(1953年)、札幌市立北栄中学校(1956年)に勤務する。 古楽の演奏・普及のために『札幌リコーダー協会』を設立する(1959年)。
廣重 力(ひろしげ つとむ、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 廣重 力(ひろしげ つとむ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2025年〈令和7年〉5月22日)は、日本の医学者。医学博士。北海道大学名誉教授。北海道大学総長、大学入試センター所長、北海道医療大学学長などを歴任した。 2025年(令和7年)5月22日9時26分、死去した。94歳没。死没日付で従三位に叙された。 日本生理学会常任幹事 (1978年-1993年)、日本内分泌学会理事 (1982年-1995年)、日本神経科学学会理事(1986年-1992年)などのほか、国外のアメリカ内分泌学会にも所属している。 1997年度、数学では旧課程履修者、新課程履修者(現役生)のために2種類の試験科目が設けられた。
澤田 浩(さわだ ひろし、1931年1月1日 - 2021年… 澤田 浩(さわだ ひろし、1931年1月1日 - 2021年11月21日)は日本の実業家。ニップン代表取締役会長、製粉協会会長、日本・トルコ協会会長を歴任。 八王子空襲で被災し、東京都立第二中学校(現東京都立立川高等学校)を経て、1953年一橋大学経済学部卒業。大学では村松祐次ゼミナールに参加。大学卒業後、日本製粉入社。 1993年から日本製粉代表取締役社長。業績低迷が続く中、従業員の3分2を削減するなどリストラを進め、工場の閉鎖・集約化を進める一方、中食事業などで積極的なM&Aを展開。売上高を500億円増やした。また阪神・淡路大震災では、倒壊した工場の再建などにあたった。 2002年社長を退任し、会長に就任。
小川 勇夫(おがわ いさお、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 小川 勇夫(おがわ いさお、1931年〈昭和6年〉1月1日 ‐ 2007年〈平成19年〉3月21日)は、日本の政治家。位階は正五位。 相模原市長(3期)、神奈川県議会議員(4期)を歴任した。
小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 197… 小針 晛宏(こはり あきひろ、1931年1月1日 - 1971年11月21日)は日本の数学者。 京都府生まれ。京都府立山城高等学校を経て京都大学理学部卒業。在学中は広中平祐らと共に機関紙『EOUS』の編集に携わる。『数学セミナー』、『大学への数学』等に投稿を重ねた。1960年、京都大学大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学部助手を経て、同大学教養部助教授。在任中の1971年没。 京大全共闘の支持者で、以下のような詩を書き残している。全共闘=過激派系の京大新聞六九年四月七日号に掲載された「学問とは何かーハレンチな真実の叫び」と題する記事の一節である。 ―ある自由の女神の独白―教養部は大学の下半身ね。
増井 禎夫(ますい よしお、1931年1月1日 - 2024… 増井 禎夫(ますい よしお、1931年1月1日 - 2024年4月18日)は、日本生まれでカナダ国籍の細胞生物学者。トロント大学名誉教授、王立協会フェロー。 1971年、カエル卵の卵母細胞から卵成熟を引き起こす卵成熟促進因子(英語版)(maturation promoting factor, MPF)を発見。MPF は後に普遍的かつ中心的な細胞周期の制御因子であることが判明し、1980年代後半からのこの分野の爆発的な発展に大きく貢献した。
稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994… 稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994年2月24日)は、日本の小説家、放送作家。大阪府大阪市出身。 記録映画のマネージメントを務める傍ら、1968年文芸誌の新人賞に入選、しかし多忙のため作家活動に専念しなかった。テレビCF、記録映画のプロデューサを努める。 1985年肝臓癌の手術を受けるが全摘ができないと分かると、生きた証として小説家活動に打ち込むと周囲に宣言し、1989年『ダブルオー・バック』にて本格的に小説家デビュー。1991年『ダック・コール』にて数々の賞を受賞し期待されるも、1994年わずか9冊を残して癌のため没した。 作品は自身の趣味であった猟銃の知識を生かしたハードボイルドな推理小説で、少年の視点・目線やニヒリズムを取り入れたものであった。
三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2018年〈平成30年〉8月19日 )は、日本の歴史学者。元中央大学文学部教授。日本の近代史の研究者として知られ、日本古文書学会常任理事などを務めた。岡山県新見市出身。 1931(昭和6)年、岡山県阿哲郡新見町(現:新見市)で出生する。1943(昭和18)年、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には岡山大学名誉教授の佐藤巌がいた。1945(昭和20)年、学徒動員先だった山口県の小野田セメント工場で玉音放送を聴く。 5年制であった旧制中学を4年で飛び級卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年に京都にある第三高等学校文科へ進学した。
山本 清治(やまもと せいじ、1931年〈昭和6年〉1月1日… 山本 清治(やまもと せいじ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉6月28日)は、日本の政治家。広島県三原市長(2期)。位階は正六位。 広島県出身。広島県立忠海高等学校卒業。三原市役所に入り、助役などを務める。1993年三原市長選挙に立候補し、無投票で当選する。1997年に再選。市長は2001年まで務めた。
上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2001年〈平成13年〉7月21日)は、文芸評論家。 広島県生まれ。本名・中村宏。早稲田大学文学部フランス文学科卒。同大学院修士課程修了。1967年『三田文学』で「共感と挫折」を発表し、文芸評論家として活動を開始。二松学舎大学教授を務めた。遠藤周作などキリスト教作家を論じた。
伊藤 幸治(いとう こうじ、1931年1月1日 - 2023… 伊藤 幸治(いとう こうじ、1931年1月1日 - 2023年10月6日)は、日本の経営者。澁澤倉庫社長を務めた。 北海道出身。1954年に小樽商科大学商学部を卒業し、同年4月に澁澤倉庫に入社。1986年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月に副社長に就任し、1996年6月には社長に昇格。2000年6月から2004年6月までに会長を務めた。 2003年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2023年10月6日、死去。92歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
中村 一(なかむら まこと、1931年1月1日 - )は、日… 中村 一(なかむら まこと、1931年1月1日 - )は、日本の造園学者。京都大学名誉教授。日本造園学会会長も歴任。京都造形芸術大学客員教授。日本庭園・歴史遺産研究センター顧問。農学博士。愛称はピンさん。台湾台南市生まれ。和歌山県出身。 1972年から、岡崎文彬を引き継ぎ京都大学農学部林学科造園学講座の主任教授として後進の育成にあたるとともに、レクリエーションや造園の本質的な意味について深く研究。 1953年、京都大学農学部林学科卒業。同期に近藤公夫。1955年、京都大学大学院農学研究科林学専攻修士課程修了。京都大学助手。その後講師、助教授を経て1975年、京都大学農学部教授。 文化庁文化財保護審議会第三調査会委員、京都府文化財保護審議会委員、京都市文化財保護審議会委員など多数。
陰里 鉄郎(かげさと てつろう、1931年1月1日 - 20… 陰里 鉄郎(かげさと てつろう、1931年1月1日 - 2010年8月7日)は、日本の美術評論家。 長崎県北松浦郡生月町出身。1956年東京藝術大学美術学部藝術学科卒。神奈川県立近代美術館、東京国立博物館、東京国立文化財研究所の学芸員、1982年三重県立美術館館長、横浜美術館館長、女子美術大学教授、名古屋芸術大学教授。