根本 實(ねもと みのる、1938年 - ) は、日本の材料… 根本 實(ねもと みのる、1938年 - ) は、日本の材料工学者。工学博士(東北大学・1966年)。九州大学名誉教授。元佐世保工業高等専門学校校長。元久留米工業大学学長。元日本金属学会副会長。元日本鉄鋼協会副会長。瑞宝中綬章受章。 東京生まれ。千葉県立佐原高等学校を経て、1960年東北大学工学部金属工学科卒業。1965年東北大学大学院工学研究科金属工学専攻博士課程単位取得退学。1966年東北大学より工学博士の学位を取得。1969年東北大学工学部助教授。1982年九州大学工学部教授。1992年日本金属学会副会長、軽金属学会理事。1994年日本鉄鋼協会副会長。1999年佐世保工業高等専門学校校長。
野中 ユリ(のなか ゆり、1938年 - )は日本の美術家。… 野中 ユリ(のなか ゆり、1938年 - )は日本の美術家。銅版画、平版、印刷版画、デカルコマニー、コラージュ、パステル、油彩、タブロー・コラージュ、オブジェ、装丁、挿画の分野で活動。 画家の野中曜子の娘として東京府に生まれる。東京都立駒場高等学校卒業。1953年頃から銅版画を始め、関野凖一郎や駒井哲郎や瀧口修造に師事。それ以来、正規の美術学校には入らず、独学で研鑽を積む。1957年、瀧口の推薦で瀧口企画のグループ展「銅版画展」(タケミヤ画廊)に出品。同年「第1回東京国際版画ビエンナーレ展」(東京国立近代美術館)にも出品。1959年の第1回個展で澁澤龍彦の知遇を得る。
川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交… 川上 隆朗(かわかみ たかお、1938年 - )は日本の外交官。 神奈川県生まれ。1961年に東京大学法学部卒業後、外務省に入省する。フランス、イタリア、英国、ザイール(現コンゴ民主共和国)、国連代表部、OECD代表部などでの海外勤務を経て、経済協力局政策課長、審議官を務める。その後、1988年にソ連特命全権公使となる。そして、1990年に経済協力局長を務めた。1994年に駐パキスタン大使となる。1997年には駐インドネシア大使として赴任する。2001年に国際協力事業団総裁(~2003年)、後に外務省参与、国際協力機構顧問、2007年に国際開発高等教育機構理事長を歴任した。2013年、秋の叙勲で瑞宝重光章を受章した。
佐藤 健一(さとう けんいち、1938年 - )は、日本の数… 佐藤 健一(さとう けんいち、1938年 - )は、日本の数学史研究者。数学教師をしながら近世寺子屋の数学教育を研究。明治大学付属中野八王子高等学校教頭。東京理科大学非常勤講師、日本数学史学会会長、和算研究所理事長、NPO法人和算を普及する会代表。 1938年、満洲国新京市(現・中華人民共和国長春市)に生まれる。1944年秋に朝鮮の釜山から引き揚げ、東京都立川市に移住。1945年、東京都立曙国民学校(現・立川市立第二小学校)に入学するが空襲警報が鳴り止まないため入学式の翌日から一日も学校へ行くことが出来ず、5月から父の実家がある山形県東置賜郡高畠町に疎開。高畠町立屋代小学校に入学。戦後、父は軍人であったことから公職追放され宮城県刈田郡七ヶ宿村で開墾団を結成して働く。
渡辺 圭(わたなべ けい、女性、1938年〈昭和13年〉 -… 渡辺 圭(わたなべ けい、女性、1938年〈昭和13年〉 - )は、日本のジャーナリスト。神奈川県生まれ。1956年慶應義塾女子高等学校卒業。1960年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)入社。報道ディレクターとして文化大革命下の中国やベトナム戦争を取材。1970年フリーとなる。1981年米国ウィスコンシン州ミルウォーキーに移り住む。
小玉 武(こだま たけし、1938年 - )は、日本の編集者… 小玉 武(こだま たけし、1938年 - )は、日本の編集者、文筆家。 東京生まれ。神戸、横浜で育つ。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校を経て、1962年に早稲田大学教育学部を卒業後、サントリーに入社する。宣伝部に配属され、広告制作、『洋酒天国』の編集に携った後、広報部長、文化事業部長など。1979年には『サントリークォータリー』を創刊し、編集長を務めた。のち取締役出版局長としてTBSブリタニカに出向する。2000年早大参与に就任。教育学部などで講座を担当する。戸板女子短期大学講師も2009年まで務めた。石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞前事務局長、公益財団法人練馬区文化振興協会理事、日本アルバン・ベルク協会常任理事、森澄雄主宰俳句結社『杉』同人。
赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本… 赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本テレビ放送網のプロデューサー、演出家。日企代表取締役会長。 千葉県出身。父親が新聞記者だったこともあって、早くからマスコミ業界を志望していた。 慶應義塾高等学校では安部譲二と同級生だった。 1962年3月に慶應義塾大学文学部仏文科を卒業し、同年4月に日本テレビ放送網株式会社に入社。芸能局音楽部に配属された。 1974年に日本テレビを独立して、番組制作会社・日企を設立する。
蜷川 真夫(にながわ まさお、1938年 - )はジェイ・キ… 蜷川 真夫(にながわ まさお、1938年 - )はジェイ・キャスト代表取締役。『AERA』元編集長。富山県出身。 富山県立富山中部高等学校、東京大学文学部社会学科を卒業後、朝日新聞社に入社した。社会部記者として遊軍を担当。1975年、田中角栄の選挙区にある、新潟支局六日町(現・南魚沼市六日町地域)駐在に志願して赴任した。これは立花隆の『田中角栄研究』に触発されたもので、異例の人事だったという。1976年のロッキード事件では新聞だけでなくテレビや雑誌とも協力し、視野を広げた。その後、ニューデリーに特派員として3年間赴任した。 『週刊朝日』に移動し、副編集長を務めた。ノンフィクションの連載企画に力を入れ、電子技術の未来の連載を執筆した。
笠原 靖(かさはら やすし、1938年 - )は、日本の絵本… 笠原 靖(かさはら やすし、1938年 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター、小説家。男性。福井県ふるさと大使。 福井県小浜市出身。明治大学法学部卒業。福井放送アナウンサー、学習研究社を経て、イラストレーターとして独立。空手(日本空手協会所属 5段)。 1990年『夏の終り』で、第7回織田作之助賞受賞。雑誌に作品を多数発表。「中学生の時には犬の言語ノートを作っていましたね。」という程の動物好きで、犬を題材とした作品を多く執筆していた。元警視庁捜査第一課長とその愛犬・フーバーの名コンビが、様々な事件を解決していく動物推理小説『名犬フーバーの事件簿』は、2008年水曜ミステリー9にて、里見浩太朗主演でテレビドラマ化された。
山崎 哲夫(やまざき てつお、1938年(昭和13年) - … 山崎 哲夫(やまざき てつお、1938年(昭和13年) - )は、日本の官僚。法務省入管法改正担当参事官、東京入国管理局長などを歴任した。 長野県東筑摩郡上川手村(現安曇野市)生まれ。1956年(昭和31年)長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業。1961年(昭和36年)早稲田大学政治経済学部を卒業。同年、法務省入省。 以降、法務省入管法改正担当参事官(現行改正入管法立法担当)、登録課長、入国在留課長、福岡入国管理局長、東京入国管理局長を歴任。この間、外務省にも出向し、在ニューヨーク日本国総領事館領事査証部長を務めている。1990年(平成2年)、出入国管理法の在留資格などの改正再編を担当した。 2002年(平成14年)10月、WEDOFY(国際企業人事サービス株式会社・新橋国際法務合同事務所)を創立した。
海野 泰男(うんの やすお、1938年(昭和13年) - )… 海野 泰男(うんの やすお、1938年(昭和13年) - )は、日本の国文学者。専門は中古文学、美術史(西洋絵画)。常葉学園大学第5代学長・名誉教授・名誉学長。文学修士。 1938年(昭和13年)、静岡県出身。1957年(昭和32年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京大学文学部国語国文学科卒業。1967年(昭和42年)、同大学院人文科学研究科修士課程(国文学)修了。麻布高校教諭等を経て、1984年(昭和59年)、常葉学園大学教授。2002年(平成14年)、同大学長。常葉学園大学名誉教授、名誉学長。
木村 栄一(木村 榮一、きむら えいいち、1938年 - )… 木村 栄一(木村 榮一、きむら えいいち、1938年 - )は、日本の薬学者・化学者(専門は生物有機科学)。静岡大学理学部客員教授、広島大学医学部名誉教授、元日本薬学会会頭。 1957年(昭和32年)、静岡県立静岡高等学校卒業、東京大学薬学部卒業、同大学院修士修了後、フルブライト留学生としてNorth Carolina州立大大学院博士課程入学、化学系Ph.D(博士)取得。帰国後、広島大学医学部総合薬学科に着任、同活性構造化学講座教授。2002年(平成14年)、同大学定年退職、医学部名誉教授。2003年(平成15年)度日本薬学会会頭、2004年(平成16年)、紫綬褒章、2014年(平成26年)度春、瑞宝中綬章受章。
柴 順三郎(しば じゅんざぶろう、1938年 - )は、日本… 柴 順三郎(しば じゅんざぶろう、1938年 - )は、日本の地方公務員、教育者。元静岡県副知事、元気象審議会委員、元学校法人三島学園理事等を務めた。 静岡県出身。静岡県立韮山高等学校卒業。1959年(昭和34年)3月、日本大学短期大学部卒業後は静岡県に奉職。県の企画部長・出納長などの職務を経験した後、同県副知事に就任。副知事に就任して以来、静岡県広報協会会長、気象審議会委員、静岡県日中友好協議会理事長などの要職に就いた。 副知事の任期満了に伴い、後任として鈴木雅近氏が選任された。退任後は、学校法人三島学園(知徳高等学校)理事を務めた。 2008年(平成20年)4月、瑞宝中綬章を受賞。
村山 敦(むらやま あつし、男性、1938年 - )は、日本… 村山 敦(むらやま あつし、男性、1938年 - )は、日本の経営者。関西国際空港株式会社(関空会社)の元代表取締役社長。 京都市出身。1961年に京都大学法学部を卒業し、松下電器産業(現 パナソニック)に入社。同社ではコンプレッサー部門を長年担当したのち、1994年には人事部長に、翌年には取締役となる。その後、常務、専務、副社長を歴任する。社長の中村邦夫とともに経営改革に取り組み、業績の「V字回復」を実現した。 松下での手腕を買われ2003年6月、関空会社の社長に就任。同社社長としては初めての民間企業出身者である。 コスト削減などを徹底した結果、2004年3月期決算(単体)は純利益が43億円となり、開港10年目にして初の黒字化を達成するなどの成果をあげた。
魚田 勝臣(うおた かつおみ、1938年 - )は、日本の計… 魚田 勝臣(うおた かつおみ、1938年 - )は、日本の計算機科学の研究者、専攻は情報システム、情報システム教育およびソフトウェア工学、専修大学名誉教授。一般社団法人情報システム学会事務局長。
高杉 弘之(たかすぎ ひろゆき、1938年(昭和13年) -… 高杉 弘之(たかすぎ ひろゆき、1938年(昭和13年) - )は、日本の教育者である。国立特殊教育総合研究所研究員として勤務した後、広島大学教育学部教授となる。障害児教育を研究分野としていた。岡山県真庭市出身。 1938年(昭和13年)岡山県阿賀郡呰部村(現:真庭市)の高杉家に出生する。地元に近い岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、ノンフィクション作家になる河内洋輔がいる。その後、1957年(昭和32年)に同校を卒業する。 その後、東京大学へ進学する。同大学文学部で学び、1962年(昭和37年)に同大学を卒業する。その後、東京大学大学院人文社会系研究科へ進学する。ここで、日本において盲ろう教育の草分的な存在であった梅津八三名誉教授が高杉の指導教官となる。
金沢 宏(かなざわ ひろし、1938年 - )は、山口県出身… 金沢 宏(かなざわ ひろし、1938年 - )は、山口県出身のアマチュア野球選手(投手)。 岩国高校では、エースとして1955年秋季中国大会県予選準決勝に進むが山口高に敗退。翌1956年春季山陽大会では決勝に進出するが、岡山東商に大敗を喫する。同年夏は県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。高校同期に杉本公孝がいた。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中2回優勝。1959年春季リーグでは野村徹とバッテリーを組み、1年下の安藤元博との二本柱で活躍。木次文夫、徳武定之らの強力打線の援護もあって、4連覇を続けてきた立大に競り勝ち優勝を飾る。同季のベストナインにも選出された。直後の全日本大学野球選手権大会でも決勝で再試合の末、関学を降し優勝。
髙城 壽雄(たかぎ としお、1938年 - )は、日本の発明… 髙城 壽雄(たかぎ としお、1938年 - )は、日本の発明家、実業家。タカギ創業者で、同社代表取締役社長を経て、代表取締役会長。経営法博士。 福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)出身。3歳のときマレー作戦で父を亡くし、愛媛県新居浜市の母方の伯父の養子となる。福岡県立門司東高等学校在学中から、発明で多数の受賞をしたが、部の備品を破壊するなどの校内暴力で2度の無期限謹慎処分を受けたのち退学。 1956年に小倉豊国高等学校卒業後、上京してトラック運転手として働きながら東京都大井職業訓練所ラジオ・テレビ科で学んだのち、無線工業(現ディーアンドエムホールディングス)に入社。その後、小倉に戻り22歳で家電製品修理業を起業。
小野 信輔(おの しんすけ、1938年 - )は、日本の機械… 小野 信輔(おの しんすけ、1938年 - )は、日本の機械工学者、熱工学者。九州大学名誉教授、元北九州市立大学国際環境工学部教授。日本工学アカデミー正会員。工学博士(九州大学、1976年)。 1938年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に九州大学工学部機械工学科卒業後、1966年同大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学。1976年に「予混合気における発火と火炎伝ぱに関する基礎的研究」で工学博士号を取得した。 1966年九州大学工学部講師、1967年助教授を経て、1978年教授。1979年からは同大学大学院総合理工学研究科教授を併任(1998年まで)。1999年に同大学大学院工学研究科教授となり、2001年退官、名誉教授。
正木 晴彦(まさき はるひこ、1938年 - )は、日本の仏… 正木 晴彦(まさき はるひこ、1938年 - )は、日本の仏教学者、哲学者。長崎大学名誉教授、元副学長。光永寺(長崎市)住職。 1938年、広島県広島市生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に学習院大学文学部哲学科卒業。1964年に東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1967年に同博士課程を単位修得退学後、長崎大学に着任。1967年4月教養部助手、同年11月講師、1972年8月助教授、1977年3月教授、1997年10月環境科学部教授を経て、2004年3月に定年退官、名誉教授。1988年から1990年にかけて同大学評議員、2003年から退官まで副学長を務めた。 大学退官後は光永寺住職となったほか、地球システム・倫理学会の設立発起人となり、2016年現在も同学会理事を務めている。
尾前 喜八郎(おのまえ きはちろう、1938年-)は、日本の… 尾前 喜八郎(おのまえ きはちろう、1938年-)は、日本の陶芸家。鹿児島県姶良市に窯を構えて活動。白薩摩の新たな魅力を引き出した作品が多数表彰される。日本工芸会正会員。鹿児島県美術協会名誉会員(元会長)。 鹿児島県鹿児島市加治屋町生まれ。1957年鹿児島県立甲南高等学校卒業。同高校では美術部に所属した。広告代理店のデザイナーを志望して日本大学芸術学部デザイン科に進学。同大学卒業後に広告代理店出身教授の助手を務めるが、進路を再考。弥生遺跡や薩摩の古窯を廻り、土の温もりを感じさせる土器に触れて、幼少期に父親によく連れられて行った東市来町美山(薩摩焼の最大の産地)の記憶もあって、陶芸の道に入ることを決める。
五代 友和(ごだい ともかず、1938年 - )は、鹿児島県… 五代 友和(ごだい ともかず、1938年 - )は、鹿児島県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 鹿児島玉龍高校では、エースとして1956年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で県岐阜商の田中和男に完封を喫する。同年夏は県予選を勝ち抜き東九州大会に進むが、1回戦でエース三浦清弘を擁する別府鶴見丘高に完封負け。 立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中5回優勝、全日本大学野球選手権大会2回優勝。1957年には春秋季連続優勝を経験。長嶋茂雄、杉浦忠らが卒業した1958年も森滝義巳とともに投手陣を支え、リーグ四連覇を果たす。1959年秋季リーグでも早大との優勝決定戦で森滝をリリーフし優勝を飾った。同年の第3回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、日本の優勝に貢献。
比嘉 康雄(ひが やすお、1938年 - 2000年)は、沖… 比嘉 康雄(ひが やすお、1938年 - 2000年)は、沖縄県の写真家。フィリピン生まれ。東京写真専門学校卒業。
益岡 康夫(ますおか やすお、1938年 - )は、元日本航… 益岡 康夫(ますおか やすお、1938年 - )は、元日本航空の客室乗務員訓練部の英語専門教官で、人気テレビドラマ「スチュワーデス物語」に実名で出演したことから人気となった。 熊本県で生まれ、青山学院大学文学部英米文学科卒業後、カリフォルニア大学バークレー校への留学を経て日本航空に入社する。その後客室乗務員訓練部の英語専門教官になり、業務の一環として、1983年から1984年にかけてテレビ放送された日本航空の客室乗務員訓練生を描いたTBSのテレビドラマ「スチュワーデス物語」に実名で出演する。 なお、この際にはジョン・マッコーレー、ヒルボーンなどの他の教官も数名出演したものの、益岡はその役の内容から数回に渡り登場したこともあり一躍社内外で有名になる。
岩澤孝雄(岩沢孝雄、いわさわ たかお、1938年- )は、日… 岩澤孝雄(岩沢孝雄、いわさわ たかお、1938年- )は、日本の経営学者。 栃木県宇都宮生まれ。1960年宇都宮大学農学部農芸化学科卒、森永乳業(株)勤務、(財)流通経済研究所主任研究員、1988年関東学院大学経済学部教授、2003年長岡大学産業経営学部教授。日本商工会議所「商店街等活性化実施計画策定指導委員会」委員、日本商工会議所「中小小売商業活性化事業支援研究会」委員を務めた。
小濱啓次(こはま あきつぐ、1938年‐ )は、日本の医師、… 小濱啓次(こはま あきつぐ、1938年‐ )は、日本の医師、川崎医科大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1964年奈良県立医科大学卒、1969年大阪大学大学院医学研究科麻酔学修了、医学博士(大阪大学)。ユタ大学フェローをへて、1975年川崎医科大学助教授、77年教授。2004年名誉教授、川崎医療福祉大学教授。ドクターヘリの活用で知られる。2021年、瑞宝小綬章受章。
三宅 宣哉(みやけ のぶや、1938年 - ?)は、日本のラ… 三宅 宣哉(みやけ のぶや、1938年 - ?)は、日本のランドスケープアーキテクト。 大阪工業大学建築学科を卒業。近代造園研究所、西川環境設計研究所を経て、緑地設計研究所を設立した。 主なランドスケープ作品に、 高槻市森林観光センター、水戸市植物公園、愛知県緑化センター、 古今伝授の里フィールドミュージアム、国際花と緑の博覧会などがある。
藤田好茂(ふじたよししげ、1938年- )特定非営利活動法人… 藤田好茂(ふじたよししげ、1938年- )特定非営利活動法人関西修景自由作家連合代表。株式会社景観設計研究所。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
遠藤 織枝(えんどう おりえ、1938年 - )は、日本の言… 遠藤 織枝(えんどう おりえ、1938年 - )は、日本の言語学者。元文教大学教授。 岐阜県生まれ。1961年、お茶の水女子大学国文科卒。1977年、同大学院人文科学研究科博士課程中退。2003年、「中国女文字研究」でお茶の水女子大学より博士(人文科学)を取得。 文教大学教授を務め、2009年に退職。日本語学・日本語教育専攻。1988年、エイボン女性年度賞受賞。2017年、文化庁長官表彰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
金田 利子(かねだ としこ、1938年 - )は、児童発達学… 金田 利子(かねだ としこ、1938年 - )は、児童発達学者、静岡大学名誉教授。 大阪府生まれ。1966年お茶の水女子大学大学院家政学研究科児童学専攻修士課程修了。県立新潟女子短期大学講師、日本福祉大学助教授、静岡大学教育学部教授(児童発達学)。2002年定年退官、名誉教授、白梅学園大学教授、2010年同朋大学教授、2011年名古屋芸術大学教授。
工藤力男(くどう りきお、1938年 - )は、日本の日本語… 工藤力男(くどう りきお、1938年 - )は、日本の日本語学者。 1938年、秋田県秋田市新屋で生まれた。金沢大学法文学部を卒業し、京都大学大学院文学研究科に進んだ。修士課程を修了。 修了後は愛知県・大阪府の高等学校教諭を経て、広島女子大学文学部助教授に就いた。岐阜大学教育学部助教授に転じ、後に同教授昇格。1994年、成城大学文芸学部教授に就いた。2009年に成城大学を定年退職。
高野 陽(たかの あきら、1938年 - )は、日本の小児医… 高野 陽(たかの あきら、1938年 - )は、日本の小児医学者、東洋英和女学院大学名誉教授。 富山県に生まれる。1963年金沢大学医学部卒業。1970年「小児の発育に関する追跡研究」で徳島大学より医学博士の学位を取得。国立公衆衛生院母性小児衛生学部、東洋英和女学院大学人間科学部教授。2009年定年退職、名誉教授。2009年度より北陸学院大学幼児教育学科教授。
小田桐 昭(おだぎり あきら、1938年 - )は、日本のC… 小田桐 昭(おだぎり あきら、1938年 - )は、日本のCMディレクター、イラストレーター。小田桐昭事務所代表。 北海道生まれ。1961年に金沢美術工芸大学美術工芸学部産業美術学科(現・デザイン科)を卒業し、同年に電通入社。松下電器、資生堂などのクリエイティブディレクター、トヨタ自動車やサントリーなどのクリエイティブスーパーバイザーを務め、クリエイターとして国内外で高く評価される。松下担当時代の部下に、鏡明、関三喜夫らがいる。大林宣彦をCMディレクターに引き込んだのは小田桐である。 2010年には、オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパン名誉会長に就任。 イラストレーターとしても活躍し、数々の作画を手掛けている。
上村 哲彦(かみむら てつひこ、1938年 - )は、日本の… 上村 哲彦(かみむら てつひこ、1938年 - )は、日本の英文学者、関西大学名誉教授。 高知県生まれ。関西大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了。京都女子大学助教授、関西大学教授、2007年定年退任、名誉教授。2016年11月、瑞宝中綬章を受章。 D・H・ロレンスが専門。
後藤 宗俊(ごとう むねとし、1938年 - )は、日本の考… 後藤 宗俊(ごとう むねとし、1938年 - )は、日本の考古学者。別府大学名誉教授。大分県出身。 1961年、九州大学文学部史学科考古学専攻卒。1992年、九州大学において学位論文「東九州歴史考古学的論考-古代豊国の原像とその展開」で文学博士を取得。その後、別府大学文学部の教授に就任。2009年に定年を迎え、名誉教授に就任。1987年、坪井清足賞受賞。
永田 一良(ながた いちろう、1938年 - )は日本の実業… 永田 一良(ながた いちろう、1938年 - )は日本の実業家。 九州大学卒業後、1961年に日立製作所入社。後に日立製作所研究開発本部技術主管、1995年に日立製作所取締役電機システム事業本部長に就任。1997年には日立エンジニアリング代表取締役社長に就任し、2005年に退社。 CDP統括小委員会委員長、 日立理科クラブ副代表理事、日本技術士会理事を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
林 義正(はやし よしまさ、1938年 - )は、日本の自動… 林 義正(はやし よしまさ、1938年 - )は、日本の自動車エンジニア。日産自動車でエンジン開発を手がけた後、2012年3月まで東海大学工学部教授を務めた。 日産時代には1989年に実戦デビューした日産・VRH35の開発主管を務め、以下のような実績を挙げた。 モータースポーツ分野の研究が盛んに行われている。中でも開発コースにおいては、全日本スポーツカー耐久選手権(JLMC)やル・マン24時間へ参戦する為の車両開発が行われている。同学科ではプロトタイプレーシングカーの開発を行っており、前述の通り2008年にはル・マン24時間レースへの参戦を果たした。その後も2009年 - 2011年にかけてアジアン・ル・マン・シリーズに参戦するなど活動を続行してきたが、2012年3月に林が退任することに伴い、2012年1月に富士スピードウェイでテスト走行を行ったのを最後にプロジェクトを終了した。
三好 正堂(みよし せいどう、1938年(昭和13年) - … 三好 正堂(みよし せいどう、1938年(昭和13年) - )は、日本の医師。専門は神経内科、リハビリテーション科。 広島県生まれ。1964年、九州大学医学部卒。九州大学神経内科(黒岩義五郎教授)で5年間の研修、ニューヨーク大学リハビリテーション科(Howard A. Rusk)で3年間の留学。1974年九州労災病院、1975年九州厚生年金病院(現JCHO九州病院)リハビリテーション科部長を経て、1981年開業。リハビリテーション専門医として34年間で1万人以上の患者を改善させた実績を持つ。早期回復のための運動として、椅子を利用して立ったり座ったりするシンプルな「起立-着席運動」を提唱し、脳卒中急性期の片麻痺、大腿骨頚部骨折、肺炎など、多くの疾患で効果を上げている。
谷口 正次(たにぐち まさつぐ、1938年 - )は、日本の… 谷口 正次(たにぐち まさつぐ、1938年 - )は、日本の工学者、資源・環境ジャーナリストである。京都大学大学院経済学研究科元特任教授、資源・環境戦略設計事務所代表、NPO法人ものづくり生命文明機構副理事長などを務める。 東京都出身。九州工業大学工学部鉱山工学科を卒業後、1960年小野田セメント株式会社に入社。同社常務取締役、秩父小野田株式会社専務取締役、太平洋セメント株式会社専務取締役などを歴任。2001年屋久島電工社長の傍ら、1998-2008年国連大学ゼロエミッション・フォーラム産業界代表理事として地球環境問題に取り組む。2008年資源・環境戦略設計事務所代表。2006-2009年国際日本文化研究センター共同研究員、千葉商科大学政策情報学部非常勤講師、2014-2016年京都大学大学院経済学研究科特任教授。
相良 直彦(さがら なおひこ、1938年 - )は、日本の菌… 相良 直彦(さがら なおひこ、1938年 - )は、日本の菌類学者。京都大学名誉教授。 1938年、大分県出身。1960年、京都大学農学部卒業。1962年京都大学大学院農学研究科修士課程修了、1962年京都大学教養部助手、1975年京都大学教養部助教授、1989年京都大学教養部教授、1991年京都大学大学院人間・環境学研究科教授、1975年京都大学農学博士。論文の題は「Studies on the ammonogenous fungi(アンモニア性菌類に関する研究)」 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
田中 欣和(たなか よしかず、1938年 - )は、日本の教… 田中 欣和(たなか よしかず、1938年 - )は、日本の教育学者。関西大学名誉教授。 京城生まれ。引き揚げ後は徳島県で育つ。京都大学を経て、同大学大学院博士課程中退。1967年4月に新設された関西大学文学部教育学科に赴任、のち教授。1974年4月の創設時から同大学部落問題研究室(1985年6月人権問題研究室に改組)室員となり、2006年10月に人権問題研究室室長に就任した。2008年3月、定年退職。2017年11月、瑞宝中綬章を受章。関西人権啓発研究会会長、トロツキー研究所幹事、米原市人権尊重のまちづくり審議会会長を歴任。
坪内 良博(つぼうち よしひろ、1938年 - )は、日本の… 坪内 良博(つぼうち よしひろ、1938年 - )は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。 京都府出身。京都大学文学部卒業後、同大学院学研究科博士課程修了。京都大学東南アジア研究センター助手、助教授を経て、1982年に同教授。1993年に「矢野事件」で辞職した矢野暢の後任として同所長を務める。1998年に京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科へ移籍し、研究科長を務めた。2001年より甲南女子大学文学部教授を経て、2004年に同部長となる。2005年4月より同学長となり、6年間務めた。2016年11月、瑞宝中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中村 尚司(なかむら ひさし、1938年 - )は、日本の経… 中村 尚司(なかむら ひさし、1938年 - )は、日本の経済学者。龍谷大学名誉教授。龍谷大学安重根東洋平和研究センター客員研究員。専攻は、地域経済論、エントロピー論、南アジア研究などをフィールドにした「民際学」。 1938年、京都市で出生。1961年、京都大学文学部卒業後に、アジア経済研究所勤務を経て龍谷大学経済学部教授、京都大学東南アジア研究センター客員教授。
星野 力(ほしの つとむ、1938年 - )は、日本の工学者… 星野 力(ほしの つとむ、1938年 - )は、日本の工学者。専門は計算機科学、人工生命。 1965年、京都大学大学院博士課程修了。京都大学原子エネルギー研究所助教授。1977年から川合敏雄とともにPACS (並列計算機)を開発。1980年筑波大学機能工学系・工学システム学類助教授、のち教授。退官後、同大学名誉教授。趣味のSFと先端科学技術を結びつけた総合科目の講義「科学技術とSF」を行った。
宮澤 政文(みやざわ まさふみ、1938年 - )は、日本の… 宮澤 政文(みやざわ まさふみ、1938年 - )は、日本の航空宇宙工学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1962年京都大学工学部航空工学科を卒業。 航空宇宙技術研究所入所。1969年ニューヨーク大学航空宇宙研究所助手となる。1973年、同大学大学院理工学研究科航空宇宙工学にて高速空気力学の研究に従事し、PhD(博士号)を取得。 帰国後宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)に入所。ロケット開発本部副本部長を経て、筑波宇宙センター所長となる。 1990年、日本航空宇宙学会理事に就任。静岡大学工学部教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉田博宣(よしだ ひろのぶ、1938年 - )は、日本の造園… 吉田博宣(よしだ ひろのぶ、1938年 - )は、日本の造園学者。農学博士(京都大学)。京都大学名誉教授。京都大学教授を経て、日本大学生物資源科学部教授。 1955年[要出典] - 2001年, 日本造園学会 評議員。1960年、京都大学農学部 林学科 卒業後、同学科造園学講座勤務。1997年 - 1999年, 日本緑化工学会 会長。1997年 - 2001年, 京都大学大学院農学研究科教授。1998年 - 2000年, 日本造園学会 関西支部長 1999年、国際造園家協会日本支部(IFLA JAPAN) 理事。 2001年、京都大学を退官、同大学名誉教授。2001年、日本大学生物資源科学部教授。
緒方 敏郎(おがた としろう、1938年 - )は声楽家。福… 緒方 敏郎(おがた としろう、1938年 - )は声楽家。福岡県出身 国立音楽大学声楽科卒業。藤原歌劇団、二期会に所属し、東京を中心に演奏活動を行ってきた。1968年、九州芸術工科大学(現九州大学)教官に着任。1972年からは、文部省在外研究員としてウィーン国立音楽大学に留学。帰国後は九州芸術工科大で教鞭を執る一方、福岡などで多くの合唱団を指導。 長男はテューバ奏者の緒方淳一、長女は声楽家の緒方美知子。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。
秋山 登(あきやま のぼる、1938年 - )は映画評論家。… 秋山 登(あきやま のぼる、1938年 - )は映画評論家。 1938年生まれ。慶應義塾大学卒業。元朝日新聞編集委員。2024年現在、朝日新聞に映画批評を掲載しているほか月刊誌のHanada(飛鳥新社)でも「今月のこの1本」のタイトルで連載中である。かっては、映画雑誌のFlix(ビジネス社)にも映画批評を掲載していた。また、日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞の選考委員も務めている。
林瑛二(はやし えいじ、1938年-)は、日本の英文学者。慶… 林瑛二(はやし えいじ、1938年-)は、日本の英文学者。慶應義塾大学名誉教授。
宮田 侑(みやた すすむ、1938年 - )は、日本の学校経… 宮田 侑(みやた すすむ、1938年 - )は、日本の学校経営者、学校法人明海大学元理事長、学校法人朝日大学元理事長。歯学博士。藍綬褒章(2003年)、旭日中綬章(2014年)受章者。父は宮田慶三郎。 1961年、慶應義塾大学商学部卒業。1977年、「歯科医療管理に対する経営学的思考」で、大阪歯科大学から歯学博士を授与。1979年から1987年まで、社団法人日本私立歯科大学協会常務理事を務めた後、明海大学副学長などを経て、1997年に学校法人明海大学理事長、学校法人朝日大学理事長(どちらも2014年3月末日まで。その後、それぞれの法人の相談役に就任)。 2012年、中国の教育分野の発展への貢献と、人的交流による日中友好を推進したとして、中国国家友誼賞を受賞。