川口 民一(かわぐち たみかず、1931年〈昭和6年〉7月2… 川口 民一(かわぐち たみかず、1931年〈昭和6年〉7月23日 - 2022年〈令和4年〉5月30日)は、日本の政治家。岩手県雫石町長(2期)や岩手県議会議員(1期)を歴任。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県岩手郡雫石町出身。旧制岩手県立盛岡農学校(現・岩手県立盛岡農業高等学校)卒。卒業後の1949年御所村役場に入る(のち合併で雫石町役場勤務)。1971年雫石町議会議員に当選。4期務め、副議長、議長を務めた。 1986年、雫石町長選挙に立候補し、現職を破って当選。1989年に鶯宿温泉開発(株)社長と雫石町観光協会会長に就任した。雫石町長は2期務め、1994年の町長選挙で元岩手県議会議長の川口善弥に敗れた。
磯崎 新(いそざき あらた、1931年(昭和6年)7月23日… 磯崎 新(いそざき あらた、1931年(昭和6年)7月23日 - 2022年(令和4年)12月28日)は、日本の建築家、一級建築士、アトリエ建築家。日本芸術院会員。 大分県大分市出身。父は実業家で俳人の磯崎藻二。妻は彫刻家の宮脇愛子。茨城・つくばセンタービルや米国・ロサンゼルス現代美術館などで知られ、ポストモダン建築をリードして国際的に活躍した。 CIAM以降、さまざまな現象へ分裂解体しつつあった世界の建築状況を整理し、改めて総合的な文化状況の中に位置づけ直し、全体的な見通しと批評言語を編纂した役割において、磯崎はポストモダン建築を牽引した建築家の一人であると言われる。特に日本では丹下健三以降の世代にとって、1970年以降の建築言説の展開の大凡は磯崎によって編成されてきたと見なされている。
坂本 公延(さかもと ただのぶ、1931年7月23日 - )… 坂本 公延(さかもと ただのぶ、1931年7月23日 - )は、日本の英文学者、著作家。広島大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1955年大阪大学英文科卒業。1957年同大学院修士課程修了。 1959年大阪工業大学専任講師、1964年助教授、1965年広島大学助教授、1977年教授、1979年「ヴァージニア・ウルフ 小説の秘密」で大阪大学文学博士。1995年広島大学を定年退官、名誉教授、広島女学院大学教授。2002年退職。 2011年秋、瑞宝中綬章受勲。小説を日本語、英語で書き、短篇小説'The Spirit in the Stone'などが英国BBC海外放送で朗読された。ほか短編集『別れる理由』で中国新聞社新人登壇・文芸作品第1席。
喜多 洋三 (きた ひろみ、1931年 <昭和6年> 7月2… 喜多 洋三 (きた ひろみ、1931年 <昭和6年> 7月23日 -2013年 <平成25年> 8月5日) は、日本の政治家。元大阪府守口市長(5期)。位階は従四位。旭日中綬章。 大阪府出身。関西大学経法学部卒。守口市役所に入り、第二助役などを務める。 1987年守口市長選挙に立候補し、当選。守口市長を5期務める。2007年に退任した。2013年に死去。
荒巻 禎一(あらまき ていいち、1931年(昭和6年)7月2… 荒巻 禎一(あらまき ていいち、1931年(昭和6年)7月22日 - )は、日本の政治家、弁護士。元京都府知事。 旧制福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)4年修了、旧制福岡高等学校1年修了、九州大学法学部卒業
山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2… 山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2014年8月6日)は、日本の俳人。本名・公夫。大阪府出身。 大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。卒業後は眼科医として勤務。1948年に「馬酔木」入会、水原秋櫻子に師事。また1949年より「南風」入会し山口草堂にも師事する。「馬酔木」「南風」同人、「南風」副主宰を経て、2004年に「南風」代表に就任。 句集に『眞竹』『白蔵』『山麓』『翠微』『四時抄』『晩翠』『春の顔』。1995年、『翠微』により第35回俳人協会賞、2003年『四時抄』により第3回山本健吉文学賞および第4回俳句四季大賞を受賞。ほかに馬酔木新人賞、南風賞などを受賞。俳人協会名誉会員、日本文藝家協会会員。
岡本 栄一(おかもと えいいち、1931年7月22日 - )… 岡本 栄一(おかもと えいいち、1931年7月22日 - )は、日本の社会福祉学者。 兵庫県佐用郡生まれ。1955年同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻卒、同大学院文学研究科修士課程中退。児童福祉施設、ボランティア活動推進機関などの福祉現場で働く。1990年聖カタリナ女子大学教授、西南女学院大学保健福祉学部教授、流通科学大学サービス産業学部教授。大阪ボランティア協会理事長・九州保健福祉大学大学院(通信制)教授を経て、現在、大阪ボランティア協会 顧問。
阿部 幸子(あべ ゆきこ、1931年〈昭和6年〉7月22日 … 阿部 幸子(あべ ゆきこ、1931年〈昭和6年〉7月22日 - 1992年〈平成4年〉12月8日)は、日本の英文学者。夫はイタリア文学者の阿部史郎。 愛知県名古屋市生まれ。専門学校卒業後、南山大学英文科へ学士入学、1955年名古屋大学大学院修士課程修了、1958年京都大学大学院英文学専攻博士課程満期退学。 光華女子短期大学助教授、ノートルダム女子大学助教授、大谷大学助教授、ドイツへ留学の後、1969年学園紛争のため辞職。京都工芸繊維大学助教授、1973年教授、1989年岡山大学教育学部教授。赴任後程なく、肝臓癌に冒されていることが分かり闘病ののち、61歳で死去。
矢澤 富太郎(やざわ とみたろう、1931年7月22日 - … 矢澤 富太郎(やざわ とみたろう、1931年7月22日 - 2010年12月18日)は、大蔵官僚。大蔵省関税局長、太田昭和監査法人会長等を務めた。2003年瑞宝中綬章受章。 東京府出身。旧制東京都立武蔵中学校を経て、一橋大学経済学部在学中の1952年に公認会計士二次試験に合格。一橋大学では赤松要ゼミナールに所属し、経済政策を学ぶ。その後岩田巌の誘いで大学院に残った後、1954年に大蔵省入省。 大蔵省では主税局担当審議官や東京国税局長、関税局長を務めるなどして税務行政等にたずさわった後、1985年7月に退官し、岩田巌の指導教官であった太田哲三の開設した監査法人太田哲三事務所の会長に就任、同年10月、同事務所が昭和監査法人と合併してできた太田昭和監査法人会長に就任。
高瀬 昌弘(髙瀬昌弘)(たかせ まさひろ、1931年7月22… 高瀬 昌弘(髙瀬昌弘)(たかせ まさひろ、1931年7月22日 - 2019年12月28日)は、日本のテレビ監督、著作家。福岡県出身。 1954年、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。同級生に脚本家の上條逸雄、俳優の宇津井健などがいた。同年、東宝撮影所演出部に入社。稲垣浩監督の『宮本武蔵』(1954年)で初めて助監督に付き、以後稲垣浩監督のもとで1965年までの間に20本の助監督を務め、師と仰ぐ。その間に黒澤明監督『隠し砦の三悪人』(1958年)の助監督につき、丸山誠治監督『サラリーマン御意見帖 男の一大事』(1960年)でチーフ助監督に昇進。1965年末、東宝テレビ部へと移籍し、テレビドラマ『青春とはなんだ』第17話「遠い空の果てに」(1966年2月13日放送)で監督デビュー。
クロイワ・カズあるいはクロイワカズ(1931年7月21日 -… クロイワ・カズあるいはクロイワカズ(1931年7月21日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。早稲田大学英文科卒業。血液型O型。もとコピーライター。本名、黒岩一雄。漫画集団、日本漫画家協会、横浜ペンクラブ、ジャパンチ各会員。 ひとコマ漫画(カートゥーン)作家。理知的でスマートな作風。意識的に説明を排したストイックさが最大の特徴。 ひとコマ漫画家集団“JAPUNCH”の一員としての一連の著作 "JAPUNCH"の一員として この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
二見 忠男(ふたみ ただお、1931年〈昭和6年〉7月21日… 二見 忠男(ふたみ ただお、1931年〈昭和6年〉7月21日 - 1994年〈平成6年〉8月1日)は日本の俳優、声優。本名同じ。 東京都出身。早稲田大学卒業。テアトル・エコーに所属していた。 大学卒業後、1957年2月、グループかささぎに所属。1958年3月にテアトル・エコーに入団。味わい深い脇役としてテレビドラマ、舞台、映画、アニメなどで活躍。特に『仮面の忍者 赤影』では飄逸な忍者を一人二役で演じた。 1970年代、1980年代には『太陽にほえろ!』をはじめ、東宝・NTV系のアクションドラマの悪役としてもお馴染みの存在だった。 テアトル・エコー退団後はオールススタッフへ移籍。舞台『いずみたくミュージカル・俺たちは天使じゃない』を最後に、1994年8月1日、肺癌のため死去。
山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 202… 山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 2026年3月13日)は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家。 『間違いだらけの少年H』などの共著者である山中典子は二番目の妻である。 北海道小樽市で8歳まで育った。父親の仕事の関係で神奈川県平塚市に転居するが、戦争中縁故疎開で再び小樽に戻った。1944年に旧制小樽中学校(現、北海道小樽潮陵高等学校)の面接試験を受けたとき、戦争の現状を問われて「負け戦です」と答え、付き添いの教師をうろたえさせる。彼としては苦戦しているという率直な気持ちを述べたつもりだった。付き添った教師は不合格をおそれたが、結局は合格した。 日本の敗戦が決まった際、当時まだ14歳ながら敗戦を天皇に詫びるため、真剣に自決しようと考え辞世の句まで練っていたが、友人から「連合艦隊司令長官や軍司令官でもないお前が、どうして自決など考えるのか」と呆れられ「それもそうだ」と我に返ったという。
瀬野 精一郎(せの せいいちろう、1931年7月20日 - … 瀬野 精一郎(せの せいいちろう、1931年7月20日 - 2022年1月11日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。専門は日本中世史、主な研究対象は中世武士。 長崎県佐世保市生まれ。1954年九州大学文学部国史学科卒業。1957年同大学院修士課程修了、九大助手。1960年東京大学史料編纂所教務職員、1962年同助手、1976年同助教授、1977年早稲田大学文学部助教授、1978年「鎭西御家人の研究」で早稲田大学文学博士。1982年同教授。2002年定年退職、名誉教授。2022年1月11日、前立腺癌のため死去。90歳没。 門下生に海老澤衷(早稲田大学文学学術院教授)、久保健一郎(早稲田大学文学学術院教授)、高木徳郎(早稲田大学教育・総合学術院教授)、大塚ひかりなどがいる[要出典]。
大日方 俊子(おおひなた としこ、1931年7月20日 - … 大日方 俊子(おおひなた としこ、1931年7月20日 - 2022年5月6日)は、日本の作詞家、著述家、音楽プロデューサー。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員、日本映画音楽協会会長、日本音楽著作権協会正会員。 東京府生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。東京放送(現・TBSテレビ)でテレビディレクターを務めた後フリーに。音楽プロデュース、音楽イベント企画・コーディネートに加え、レコーディングのプロデューサー・ディレクターとして、音源制作に携わる傍ら、訳詞・作詞をはじめ、1968年、ザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」(同年5月1日発売、ポリドール)の作詞を「ひろまなみ」名義で担当。
北里 深雪(きたざと みゆき、1931年7月20日 - )は… 北里 深雪(きたざと みゆき、1931年7月20日 - )は、日本の元女優、元声優。東京府出身。 聖心女子大学在学時、夏休みの宿題に悩む中で新聞広告を見たことを機に俳優座養成所の門を叩いた。この時、両親からは大目玉を食らったという。 1954年、劇団新人会の設立に参加し同劇団で活動。同期には北條美智留がいる。ドラマ『夫婦百景』の共演が縁で同劇団の穂積隆信と結婚するもすぐに離婚し、1955年に劇団四季に移籍した。 1956年、海外ドラマ『名犬リンチンチン(英語版)』にて主人公のラスティ・ハリス少年の吹き替えを担当し、子供を中心に人気を得た。同作の担当者である大久保正雄によると、キャスティング時に候補者がさえず悩んでいたところ、北里の「子供らしい明るさと甘さに満ちた声」がとびこんできたといい、それまで下馬評にも挙がらなかった中での抜擢だったという。
宮坂 広作(みやさか こうさく、1931年7月20日 - 2… 宮坂 広作(みやさか こうさく、1931年7月20日 - 2010年10月19日)は、日本の教育学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1954年東京大学教養学部教養学科卒業。同大学大学院教育行政学専門課程修了。教育学博士(1968年、東京大学)。 お茶の水女子大学助教授を経て、1979年東京大学教育学部教授。退官後、同大学名誉教授。山梨学院大学教授を歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日… 水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日 - 2008年〈平成20年〉6月10日)は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。 映画監督としてはMIKE MIZNO(マイク・ミズノ)の名義を使っていた。出生時の本名は水野 和夫(みずの かずお)であったが、山下奉文陸軍大将への尊敬の念と、自ら製作・監督し山下を演じた『シベリア超特急』シリーズへの愛着から、戸籍上の本名を山下奉文と一文字違いの山下奉大(やました ともひろ)に改名した。日本アカデミー賞の発案者。 1931年(昭和6年)7月誕生。戸籍では19日の生まれだが、両親が「17日だったよ」と言っていたような気がするとも述べている。
関谷 透(せきや とおる、1931年7月19日 - 2016… 関谷 透(せきや とおる、1931年7月19日 - 2016年8月8日)は、日本の精神科医、著作家。精神科医で法政大学教授の関谷秀子は実娘。 昭和六年(1931年)旧満州の奉天にて父・秋治郎と母のもとに3人兄弟の第2子として生まれる。父・秋治郎は満州で軍人をしていた伯父により満州に来るように勧められ、満州医科大学を受験し合格して第一期生となった。その後満州医科大学卒、病理学研究室に所属していたが大学から派遣される形で官僚となった。父・秋治郎は結婚し3人の子供をもうけた(透は2番目の子供。他に姉と弟がいる)。一家は満州、新京、ハルビンと住まいを転居していった。透は小学校に上がった時に担任の先生に将来何になりたいか、と訊かれ「僕は医者になります」と答えている。
米川 良夫(よねかわ りょうふ、1931年7月19日 - 2… 米川 良夫(よねかわ りょうふ、1931年7月19日 - 2006年4月27日)は、日本のイタリア文学者・翻訳家。國學院大學名誉教授。 1931年、ロシア文学者米川正夫の五男として東京に生まれる。名前が「よしお」ではなく「りょうふ」なのは、父正夫が当時レフ・トルストイの全集を翻訳していたことに因む。。早稲田大学第一文学部仏文科在学中、学生運動に熱中したため、卒業後、母の発議によりフランスに遊学。パリで2年あまり仏語仏文学を学んでいたが、第二外国語として研究していたイタリア語に惹かれたため、ローマに移ってイタリア文学を研究、伊文学者となった。 帰国後は國學院大學教授となった。2006年4月27日に肺癌のため死去した。
太田 和夫(おおた かずお、1931年(昭和6年)7月18日… 太田 和夫(おおた かずお、1931年(昭和6年)7月18日 - 2010年(平成22年)7月20日)は、日本の医師。東京女子医科大学名誉教授、元日本移植学会理事長、元日本透析医学会理事長である。 旧制成蹊高等学校(24期)を経て、1957年3月に東京大学医学部医学科を卒業。1958年6月に東京大学第2外科に入局する。 1970年1月、東京女子医科大学理論外科助手、同年10月に講師、1972年2月に助教授を経て、1973年1月に東京女子医科大学人工腎臓センター教授に就任。1979年4月に東京女子医科大学腎臓病総合医療センター外科教授、同センター副部長、1983年4月所長を歴任した。
折原 久左ヱ門(おりはら きゅうざえもん、1931年7月18… 折原 久左ヱ門(おりはら きゅうざえもん、1931年7月18日 - 2022年2月1日)は、日本の金工家、金属造形作家。北海道教育大学名誉教授。日本芸術院賞受賞者。 山形県南村山郡南沼原村(現・山形市南沼原)に生まれる。山形師範学校予科を経て東京教育大学に入学し、講師として来ていた芳武茂介から鉄板の絞りや鍛金技法を学んだ。1955年に東京教育大学を卒業し、福島大学助手、ついで北海道学芸大学岩見沢分校助手、北海道学芸大学函館分校助教授を経て、1974年に、北海道教育大学(元・北海道学芸大学)の教授となった。 1956年の第12回日展に「鉄花器」が初入選した。その後、日展や全道展、日本現代工芸美術展などに出品を重ねた。
中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月1… 中原 美紗緒(なかはら みさお、1931年(昭和6年)7月18日 - 1997年(平成9年)7月8日)は、昭和期のシャンソン歌手、女優。 本名は室 美紗緒(旧姓は中原)。 叔父に画家の中原淳一、義理の叔母に女優で元タカラジェンヌの葦原邦子がいる。長男は映画監督・映像プロデューサーの室希太郎。妹の夫はミステリ作家の渡辺剣次。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒業。 代表曲は、「パリのお嬢さん」、「フルフル」、「私の心はバイオリン」、「河は呼んでいる」、「バス通り裏」、「夜は恋人」などがある。
福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - … 福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - 没年不明 )は、長崎県諫早市川床町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。 少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市でトヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。 その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。 1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。
中川 浩一(なかがわ こういち、1931年7月17日 - 2… 中川 浩一(なかがわ こういち、1931年7月17日 - 2008年8月19日)は、日本の地理学者、茨城大学名誉教授。専門は交通地理学、産業考古学。夏目漱石や森鷗外の研究者でもある。鉄道ファンとしても知られ、鉄道ピクトリアルの編集委員を務めていた。東京市出身。中川元は父方祖父。 卒業論文・修士論文の指導は尾留川正平から受け、結婚式の仲人も尾留川が務めた。 もはゆには、東京鉄道同好会の会誌。第1号から第16号までは別冊。第17号以降はRomanceCarの一コーナーとして収録。 ClubCarは、関西鉄道同好会の会報。 RomanceCarは、東京鉄道同好会(1953年に鉄道友の会に吸収)の会誌。
山内 一也(やまのうち かずや、1931年7月17日 - )… 山内 一也(やまのうち かずや、1931年7月17日 - )は、日本のウイルス学者、獣医師。農学博士。東京大学 名誉教授。専門は人獣共通感染症学、ウイルス学。 北里研究所所員、国立予防衛生研究所室長、東京大学医科学研究所教授、日本生物科学研究所主任研究員などを歴任。日本ウイルス学会名誉会員、ベルギー・リエージュ大学名誉博士。 国立予防衛生研究所室長などを経て東京大学医科学研究所教授。天然痘と牛疫という二大感染症の根絶に貢献。牛疫根絶計画では、国際獣疫事務局(OIE)学術顧問、国連食糧農業機関(FAO)顧問を務めた。また、2000年初頭の牛海綿状脳症問題(BSE問題)にからみ、食品安全委員会プリオン専門調査会の委員を務めた。
木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 20… 木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 2014年3月8日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 明治大学卒業。1953年、東京放送劇団入団。第5期生同期には、里見京子、黒柳徹子がいる。テレビ勃興時代から活動をはじめ、晩年までCMや舞台に出演。 以前はKプロダクション、プロダクション・タンクに所属していた。 声種はハイバリトン。 NPO法人の日本ネイリスト協会で副理事長も務めた。妻は株式会社ユミ・クリエイションの木下ユミ(木下由美)で、娘はネイリストの木下美穂里。 2014年3月8日死去。82歳没。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。
田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日… 田村 憲司(たむら けんし、1931年〈昭和6年〉7月16日 - 2021年〈令和3年〉10月11日)は、日本の実業家。日本土建名誉会長。ZTV代表取締役社長。津商工会議所会頭、三重県商工会議所連合会会長。三重県建設業協会顧問。TBSテレビアナウンサーの田村真子は孫。 三重県出身。弁護士で衆議院議員田村秢の二男。旧制津中学校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。中外炉工業に入社。父親の勧めで日本土建に入社。 1960年、日本土建専務取締役。1966年、代表取締役社長。2007年、代表取締役会長。2016年、取締役名誉会長。 1990年、ZTV代表取締役社長。1991年、社団法人三重県建設業協会長として、三重建設図書館の設置を提案、実現する(2006年に休館。
松本 章男(まつもと あきお、1931年7月16日 - )は… 松本 章男(まつもと あきお、1931年7月16日 - )は、日本の作家、随筆家。 京都市生まれ。京都大学文学部仏文科卒業。元人文書院取締役編集長。京都の地誌、古典などに関する随筆、小説を執筆する。 2008年、『西行 その歌 その生涯』で第17回やまなし文学賞受賞。
山下 正男(やました まさお、1931年7月16日 - )は… 山下 正男(やました まさお、1931年7月16日 - )は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。専門は論理と数理の比較思想史。 京都府京都市出身。1953年京都大学文学部哲学科卒。1958年同大学院博士課程満期退学。1965年関西学院大学文学部助教授、1968年京都大学人文科学研究所助教授、1981年教授。1995年定年退官、名誉教授、近畿大学文芸学部教授。
深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 20… 深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 2014年7月14日)は、日本の作家。本名は深田 雄輔。 1982年に『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞。 東京市で生まれる。曾祖父は江戸城の「奥」に出入りする御用商人で、祖父深田米次郎は日本橋で深田銀行を設立するも不況により愛知銀行 (東海銀行の前身)に吸収され父は、入サ証券を創業して、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に丸三証券(前身の「長尾秀一商店」)へ売却している。なお、この頃避暑に湘南に行った際、東条英機首相と会っている。暁星高等学校を経て早稲田大学法学部に入学し、在学中より堀辰雄に傾倒して曽野綾子らとともに同人誌『ラマンチャ』に参加している。
小池 滋(こいけ しげる、1931年7月15日- )は、日本… 小池 滋(こいけ しげる、1931年7月15日- )は、日本の英文学者、鉄道史研究家、東京都立大学名誉教授。
森田 光德(もりた みつのり、1931年(昭和6年)7月15… 森田 光德(もりた みつのり、1931年(昭和6年)7月15日 - 2007年(平成19年)9月17日)は、日本の実業家。シャボン玉石けん株式会社の3代目代表取締役社長。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)で、石鹸の卸問屋の創業者である森田範次郎の三男として産まれる。学習院大学進学後、演劇に熱中し劇評家を目指したが、親に請われて3年の条件で、卸問屋を法人化した株式会社森田商店に入社した。 1964年(昭和39年)、2代目社長だった範次郎の長男が急逝したことに伴い、急遽社長に就任した。本社を若松区から小倉北区に移転し社名を森田商事に改称。主力商品を石鹸から合成洗剤に切り替えたことで業績は上がり、1965年(昭和40年)代には年商が8,000万円を越え、社員は60人以上に達した。
伊上 勝(いがみ まさる、本名:井上 正喜()、1931年7… 伊上 勝(いがみ まさる、本名:井上 正喜()、1931年7月14日 - 1991年11月16日)は、日本の脚本家。群馬県出身。他に「井上 勝」、「森 利夫」などの筆名があった。 長男は脚本家の井上敏樹。孫は脚本家の井上亜樹子。 群馬県立高崎高等学校を卒業後、明治大学に進学。文学部でフランス文学を専攻し、27歳で卒業。広告代理店宣弘社に入社。 東芝商事がテレビ・ラジオ用脚本を募集しているのを知り『遊星王子』の脚本を一晩で書き上げて応募したところ入選。テレビドラマとなったこの『遊星王子』(日本テレビ)の原作・脚本を務めてデビュー。 以後『豹の眼』(TBS)・『快傑ハリマオ』(日本テレビ)など、宣弘社のテレビ冒険活劇物の脚本を執筆した。
岡 百合子(おか ゆりこ、1931年7月14日 - 2022… 岡 百合子(おか ゆりこ、1931年7月14日 - 2022年9月23日)は日本の教育者・歴史研究者。 主な著書に『ぼくは12歳』(共編・筑摩書房)、『大空に舞った少年よ』(編著・筑摩書房)、『白い道をゆく旅―私の戦後史』(人文書院)、『朝鮮・韓国』(岩崎書店)、『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』(平凡社)、『いのちの行方』(共著・径書房)、『市民がつくる日本・コリア交流の歴史』(共編著・高麗博物館編・明石書店)がある。 1931年7月14日、東京に生まれる。朝鮮史研究会、歴史教育者協議会に所属した。 1954年、お茶の水女子大学史学科卒業。東京都の公立中学と都立高校の社会科教諭として1986年まで勤務。
近藤 潤子(こんどう じゅんこ、1931年7月14日 - )… 近藤 潤子(こんどう じゅんこ、1931年7月14日 - )は、日本の助産師、看護師、保健師、看護学者。学位は看護学修士。天使大学大学院助産研究科特任教授、聖路加国際大学名誉教授、札幌医科大学名誉教授。 聖路加看護大学看護学部教授、札幌医科大学保健医療学部教授、札幌医科大学保健医療学部学部長(初代)。天使女子短期大学衛生看護学科教授、天使女子短期大学学長、天使大学学長(初代)、天使大学大学院助産研究科研究科長(初代)、学校法人天使学園理事長などを歴任した。 北海道虻田郡倶知安町出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桜井 毅(さくらい つよし、1931年7月13日 - )は、… 桜井 毅(さくらい つよし、1931年7月13日 - )は、日本の経済学者・マルクス経済学研究者。武蔵大学名誉教授。経済学博士。「櫻井毅」とも表記することがある。 1931年7月13日生まれ、東京市(現・東京都)出身。武蔵中学校・高等学校、武蔵大学経済学部卒業。東京大学大学院社会科学研究科博士課程修了。1961年、武蔵大学助手。1967年、博士論文「生産価格論研究」により、東京大学から経済学博士の学位を受ける。1968年、武蔵大学経済学部教授。1992年、武蔵大学長に就任し2000年まで勤めた。2000年、同大学名誉教授の称号を受ける。 日本の代表的なマルクス経済学者である宇野弘蔵に師事し、桜井の生産価格の理論は、宇野経済学の原理論と呼ばれる分野に大きな影響を与えた。
槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 201… 槇 弥生子(まき やよいこ、1931年7月13日 - 2015年5月19日)は、日本の歌人。 東京市生まれ。二松学舎大学文学部国文科卒業。本名・森本早百合。歌人・万葉学者の森本治吉は夫の父、歌人の森本平は息子。 1946年、万葉講座にて森本治吉と出会い、後日「白路」に入会、1953年、「醍醐」に入会。その後、「醍醐」選者を経て、2004年に「開耶(さくや)」を創刊、主宰。この間、日本歌人クラブ中央幹事(1990年-1993年)。1975年、歌集『ふりむくことなし』にて第1回短歌公論処女歌集賞受賞。2015年5月19日、誤嚥性の窒息のため死去。
築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 201… 築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 2013年12月15日)は日本の歌手、女優。本名は西原利枝。東京府東京市(現在の東京都区部(東京23区)に相当)出身。旧芸名は姫路リエ子。 鷗友学園高等女学校在学中、戦争のため、静岡県榛原郡に疎開。榛原高等女学校(現・静岡県立榛原高等学校)を卒業後、東京に戻り、ムーラン・ルージュの歌手になる。 1950年、姫路リエ子の芸名で映画『恋しかるらん』で女優デビュー。翌1951年、大映に入る。以降、1955年まで映画出演を続けた。 その間の1954年、ビクターレコードに入社。翌1955年、「金色仮面(ゴールデンマスク)」(漢字は「黄金仮面」としている資料もある)の芸名で覆面歌手として『ジャニー・ギター』でデビュー。
木内 幸男(きうち ゆきお、1931年7月12日 - )は、… 木内 幸男(きうち ゆきお、1931年7月12日 - )は、茨城県土浦市出身の高校野球指導者。茨城県立取手第二高等学校・常総学院高等学校の野球部監督を歴任したことで知られる。
賀陽 文憲(かや ふみのり、1931年〈昭和6年〉7月12日… 賀陽 文憲(かや ふみのり、1931年〈昭和6年〉7月12日 - 2021年〈令和3年〉2月16日)は、日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第4王子。皇籍離脱前の名・身位は文憲王(ふみのりおう)。 1931年(昭和6年)7月12日誕生。1947年(昭和22年)10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱、賀陽 文憲()となる。学習院大学卒業後、髙島屋に勤務した。伏見宮家の現当主である伏見博明と大韓帝国最後の皇太子と言われた李垠の子•李玖とは、学習院時代の学友である。
大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - 20… 大塚 康生(おおつか やすお、1931年7月11日 - 2021年3月15日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。島根県生まれ、山口県育ち。演出を担当する際には、鈴木一というペンネームを用いることがある。晩年は日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員、テレコム・アニメーションフィルム顧問であった。 1931年、島根県に生まれる。小学2年生のときに山口県山口市に転居した。戦前から終戦直後にかけての少年時代に機関車や米軍の軍用車両などのスケッチに熱中し、やがて絵で生計を立てたいと思うようになる。 旧制中学を卒業後、1951年に山口県庁に就職するも、翌年には漫画家を目指して上京を決意。
平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )… 平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )は、日本の比較文学研究者、評論家。東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。
市川 博邦(いちかわ ひろくに、1931年7月11日 - 2… 市川 博邦(いちかわ ひろくに、1931年7月11日 - 2016年3月2日)は、日本の経営者。象印マホービン社長を務めた。創業者市川重幸の弟でもある。 東京都出身。1956年に大阪市立大学文学部を卒業し、同年に協和魔法瓶工業(現在の象印マホービン)に入社。1961年に監査役に就任し、1968年に取締役、1977年に常務、1978年に専務を経て、1982年に副社長に就任し、1987年2月には社長に昇格。2001年2月に会長に就任。 1992年に藍綬褒章を受章。 2016年3月2日に呼吸不全のために死去。84歳没。
池田 利夫(いけだ としお、1931年7月11日 - 201… 池田 利夫(いけだ としお、1931年7月11日 - 2012年3月12日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。慶應義塾大学国文科卒。1963年同大学院博士課程満期退学。1976年「日中比較文学の基礎研究 翻訳説話とその典拠」で慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。1960年慶應女子高等学校講師、1963年鶴見女子大学講師、助教授、鶴見大学教授、2002年定年、名誉教授。
小林 薫(こばやし かおる、1931年7月11日 - )は、… 小林 薫(こばやし かおる、1931年7月11日 - )は、日本の国際的経営評論家。経営学者。産業能率大学名誉教授。 1954年、東京大学法学部卒業。マンハッタン大学経営学部にフルブライト・プログラムで留学。 その後、興亜石油、日本能率協会などを経て現職。 NHK教育テレビ「英語ビジネスワールド」(講師として1998年4月から1年間)や「英語で勝負」に出演した経験を持つ。 ASTD(1981年より)、ドラッカー学会、国際ビジネス研究学会、組織学会、米国教育訓練学会、欧州経営開発学会などに所属、米国経営近代化学会(SAM)国際理事兼日本支部長、人材育成学会副会長も務める。 ピーター・ドラッカーとは約50年に及ぶ親交を結び、ダイヤモンド社刊のドラッカーの『21世紀の企業経営』(ビデオ8巻+解説書)の総監修や、『経営の新次元』『新しい経営行動の探求』などの訳出も行っている。
吉井 正澄(よしい まさずみ、1931年7月10日 - 20… 吉井 正澄(よしい まさずみ、1931年7月10日 - 2024年5月31日)は、日本の政治家。熊本県水俣市長(2期)、水俣市議会議員(5期)などを歴任した。 熊本県葦北郡久木野村(現水俣市)生まれ。1950年3月、熊本県立芦北農林高等学校卒業、農林業自営。 1975年4月、水俣市議会議員に初当選、連続5期務めた。この間、市議会議長を2期務めた。また、自民党水俣市支部長を務めた。1985年、全国市議会議長会公害対策特別委員会委員長。 1994年、水俣市長選挙に自民党の推薦を受けて立候補。健康上の理由により出馬を断念した岡田稔久市長の後継候補である助役の小松聰明、水俣商工会議所会頭の原一夫を破り初当選した。
三船 正俊(みふね まさとし、1931年7月10日 - 20… 三船 正俊(みふね まさとし、1931年7月10日 - 2012年9月16日)は、福岡県山田市(現:嘉麻市)出身のプロ野球選手。 福岡県立山田高等学校(現在は統合され福岡県立嘉穂総合高等学校)、日鉄鉱業二瀬を経て、1952年に大阪タイガースに入団。同年はルーキーながら開幕投手を務め、この試合で完封を記録した。タイガースでルーキーでありながら、開幕投手を務めたのは、1936年春の藤村富美男以来2人目の快挙だった。同年シーズンは、防御率4点台ながら7勝を挙げるなど、将来を非常に期待された。1953年も6勝を挙げ、防御率も3点と改善したが、1954年は僅か10試合の登板で1勝に終わった。同年オフに金銭トレードで東映フライヤーズに移籍。
来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2… 来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2013年11月25日)は、日本の声優、女優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属していた。東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原)出身。 キャリア初期は、本名の櫻井 良子(さくらい りょうこ)名義でも活動していた。 小さい頃から本を朗読することが好きであり、アナウンサーになることを志望していた。 当初は東京府青山師範学校(後の東京第一師範学校)に通っていたが、小学4年生から東京都白金国民学校(現:港区立白金小学校)に転校。戦時中は疎開がてらに茨城県立土浦高等女学校(現:茨城県立土浦第二高等学校)に進学し、女子寮に入る。
坂口 昂吉(さかぐち こうきち、1931年7月8日 - 20… 坂口 昂吉(さかぐち こうきち、1931年7月8日 - 2021年4月6日)は、日本の西洋史学者。学位は博士(史学)(慶應義塾大学・2000年)。慶應義塾大学名誉教授。