板倉 周二(いたくら しゅうじ、大正15年(1926年)4月… 板倉 周二(いたくら しゅうじ、大正15年(1926年)4月23日 - )は日本の実業家。鳥取缶詰代表取締役会長。境港商工会議所参与。元永瀬石油監査役。 岳父は元鳥取缶詰代表取締役会長の板倉乾。長男は鳥取缶詰代表取締役社長の板倉良多。 昭和19年(1944年)大阪陸軍幼年学校卒業。昭和20年(1945年)陸軍航空士官学校廃止により中退。昭和22年(1947年)松江高等学校理科甲類卒業。昭和25年(1950年)大阪大学工学部発酵工学科卒業。 昭和26年(1951年)鳥取缶詰勤務。昭和30年(1955年)同社常務取締役に就任。昭和56年(1981年)同社代表取締役社長に就任。 趣味は読書。座右の銘は分相応。
八剣 浩太郎(やつるぎ こうたろう、1926年4月23日 -… 八剣 浩太郎(やつるぎ こうたろう、1926年4月23日 - 2009年6月8日)は、日本の小説家。本名、岡田稔。北海道生まれ。明治大学卒。 教師や新聞記者を経て、文筆業に入る。江戸時代を舞台にした時代小説を書き、桔梗之介を主人公とする『孤剣奥の細道』以下の作品などがある。 2009年6月8日、胆管癌のため死去。
井山 計一(いやま けいいち、1926年4月23日 - 20… 井山 計一(いやま けいいち、1926年4月23日 - 2021年5月10日)は、日本のバーテンダー。世界的に知られるカクテル「雪国」の考案者として知られる。2018年にはカクテル「雪国」の誕生秘話と井山の半生を描いたドキュメンタリー映画『YUKIGUNI』が製作された。2020年にはバーテンダーとして現代の名工を受賞している。 1926年、山形県酒田市に産まれる。山形県立酒田商業学校を卒業後、神奈川県横浜市の東京芝浦電気軍需工場で働く。召集令状が届いたのは終戦の2日後であり、従軍はしていない。戦後は叔父が経営するダンスホールでプロダンサーとして指導を行う。そこの生徒であった女性と結婚して仙台市へ移住し、バーテンダー見習い募集の貼り紙を見て、これに応募し採用される。
高木 博(たかぎ ひろし、1926年(大正15年)4月22日… 高木 博(たかぎ ひろし、1926年(大正15年)4月22日 - 1996年(平成8年)6月29日)は、日本の政治家。福島県須賀川市長(4期)。 福島県郡山市出身。旧制安積中学(現・福島県立安積高等学校)を経て、陸軍士官学校に入る。1945年(昭和20年)終戦により同校が閉鎖されたため中退となる。戦後、福島県庁に入り、農政課長、土木部次長、福島県立医科大学事務長などを歴任する。1981年(昭和56年)須賀川市助役に就任。1984年(昭和59年)須賀川市長に当選。4期務める。1996年(平成8年)4月に無投票で4回目の当選を果たしたが、5月に体調を崩して入院。6月29日に須賀川市内の病院で肝不全で死去した。
岡山 誠司(おかやま せいじ、1926年4月22日 - )は… 岡山 誠司(おかやま せいじ、1926年4月22日 - )は、日本の情報工学者、物理学者、一橋大学名誉教授。 富山県新湊市中伏木(現・射水市)生まれ。第四高等学校卒、1948年東京帝国大学理学部物理学科卒、1962年東京工業大学工学博士。1948年東京工業大学助手、1963年同工業教員養成所助教授、1969年同工業材料研究所助教授を経て1969年一橋大学経済学部教授。1990年定年退官、名誉教授となる。情報科学、計量情報学。温度基準の理論的設計、標準計測法が専門。
山崎 善平(やまざき ぜんぺい、1926年4月21日 - 2… 山崎 善平(やまざき ぜんぺい、1926年4月21日 - 2005年7月5日)は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。 府立第十二中から明治大学を経て、1950年に大洋ホエールズへ入団。しかし、契約金を1年かからずに使い切るほどの酒癖がたたり、1年で大洋を解雇される。同級生の杉下を頼り、1951年には名古屋ドラゴンズに移籍。1952年6月3日の古巣・大洋戦ダブルヘッダー第2試合(門司老松)では1試合6盗塁のプロ野球記録をマーク。内容は二盗1、三盗3、本盗2であった。足は速くも遅くもなかったが、一か八かの賭けに勝ち続けた結果であると杉下は述べている。この記録は1989年10月16日の中日戦で広島の正田耕三が同じく1試合6盗塁をマークしたのみで現在もプロ野球タイ記録として残っている。
泉 三太郎(いずみ さんたろう、1926年4月21日 - 2… 泉 三太郎(いずみ さんたろう、1926年4月21日 - 2003年1月10日)は、日本のロシア文学者、翻訳家、図書出版社社長。 本名・山下三郎。兄にドイツ文学者の山下肇。弟に三浦大四郎(文芸座プロモーション代表取締役)。 東京生まれ。1949年、東京外国語大学ロシア科を卒業し、泉 三太郎名義で『イルクーツク物語』の翻訳(1961年度テアトロン賞)など、当時のソビエト文学の翻訳、紹介とともに、自作の小説、評論等を発表する。さらにソビエトの演劇を紹介し、「イルクーツク物語」「私のかわいそうなマラート」などの日本での上演にも関わった。 1955年に大病を患ったのを機に、出版社経営に注力するようになり、図書出版社社長、ダヴィッド社取締役などを務めた。
佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1… 佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1926年4月20日 - 2022年4月7日)は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属で参議院議員(4期)を務めた。 秋田県雄勝郡山田村出身。秋田県立能代高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、自治省に入省。後に秋田県庁に移り、厚生部長などを歴任。山崎五郎の死去に伴う1976年の参議院議員補欠選挙に秋田県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属し、北海道開発政務次官、自民党参議院政策審議会長などを務めた後、1990年第2次海部改造内閣の総務庁長官として初入閣。1995年には政府が提出した宗教法人法改正案を審議する参議院宗教法人等に関する特別委員長に就任したが、創価学会を基盤とする野党の新進党の強い反発で審議は混乱し、精神的にも肉体的にも自信を失った佐々木は健康上の理由で委員長を辞任。
杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - 202… 杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - 2020年9月6日)は、日本の医学者(生化学・腫瘍学)・医師。学位は、医学博士(東京大学・1957年)。国立がんセンター名誉総長、東邦大学名誉学長、国立がん研究センター名誉総長。日本学士院会員。文化功労者。位階は従三位、勲等は勲一等。 東京大学医学部助手、財団法人癌研究会癌研究所研究員、国立がんセンター研究所研究員、国立がんセンター研究所生化学部部長、国立がんセンター研究所所長、国立がんセンター総長、東邦大学学長、日本学士院院長などを歴任した。 生化学と腫瘍学を専攻する東京府出身の基礎医学研究者である。国立がんセンター在職時に東京大学医科学研究所教授に併任された。
大高 猛(おおたか たけし、1926年 (大正15年) 4月… 大高 猛(おおたか たけし、1926年 (大正15年) 4月20日 - 2000年 (平成12年) 1月22日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪を拠点に活動していた。 山口県出身。山口県立下関工業高等学校卒業。1948年(昭和23年)、明治工業専門学校(現・九州工業大学)卒業。 1953年(昭和28年)、大高デザインアソシエーツ(後の大高デザインプロダクション)を設立。1966年(昭和41年)、日本万国博覧会アートディレクター。1981年(昭和56年)、国際デザイン交流会アートディレクター。 1988年(昭和63年)、浪速短期大学(現在、大阪芸術大学短期大学部)教授に就任(のち、名誉教授)。
大塚 光信(おおつか みつのぶ、1926年4月20日 - 2… 大塚 光信(おおつか みつのぶ、1926年4月20日 - 2016年3月3日)は、日本の国語学者。京都教育大学名誉教授。 岡山県生まれ。1952年京都大学文学部卒業。卒業論文は「ドチリナ・キリシタン考」。「中世国語の国語史的研究」を研究課題として同大学大学院に進学し、1956年に修了。その後、尾道女子短期大学講師、京都教育大学教授、1990年定年退官、名誉教授。梅花女子大学教授、1992年から1995年まで学長。2004年春瑞宝中綬章受勲。
森永和彦(もりなが かずひこ、1926年4月20日-2012… 森永和彦(もりなが かずひこ、1926年4月20日-2012年3月30日)は、国際政治評論家。 神奈川県出身。東京大学経済学部卒。時事通信社に入り、解説委員長、監査役を務めた。日米関係、食料問題の立場から論陣を張った。
石川 松太郎(いしかわ まつたろう、1926年4月20日 -… 石川 松太郎(いしかわ まつたろう、1926年4月20日 - 2009年5月26日)は、日本の教育学者である。 東京出身。東京文理科大学卒業。和洋女子大学教授、図書館長、日本女子大学教授を経て、昭和女子大学大学院講師を務めた。父は石門心学研究の石川謙。父のあとを継ぐように日本教育史の研究に志す。江戸時代の寺子屋の研究や、そこで使われた往来物と呼ばれる教科書類の研究に力を注ぎ、謙堂文庫と称する、往来物などのコレクションは、近世往来物集成として刊行されるにいたった。 また、時代劇などでの寺子屋が登場する場面などでの、時代考証の指導をすることもあった(NHK『寺子屋ゆめ指南』など)。 なお、謙堂文庫の往来物コレクションは、没後は東京書籍の運営する東書文庫に移管され、その他の近世期の和書は横浜国立大学の図書館に寄贈された。
田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日… 田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日 - 2000年〈平成12年〉8月9日)は、日本の社会学者・社会運動家。 群馬県桐生市生まれ。本籍東京市(現港区)。武蔵高等学校卒、1948年東京帝国大学経済学部卒、商工省調査統計局勤務。1950年法政大学大原社会問題研究所勤務、1963年同社会学部助教授、1964年教授。1970-1971、1978-1981年社会学部長。1993年退職、名誉教授。1983年原水爆禁止日本協議会代表理事。 1987年に発病し、1995年パーキンソン症状を伴う進行性核上性麻痺と診断される。1993年東京都重度心身障害者手当を申請するが、判定医の診断により却下される。
清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年〈大正15年〉4月1… 清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年〈大正15年〉4月18日 - 2022年〈令和4年〉10月25日)は、日本の実業家。株式会社ライフコーポレーション創業者、日本スーパーマーケット協会および国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)創立者、名誉会長。 スーパーマーケット「ライフ」を興し、売上高7,000億円という日本最大の食品スーパーマーケットチェーンを一代で築いた。ダイエーの中内㓛、セブン&アイホールディングスの鈴木敏文、イオンの岡田卓也らとともに戦後の流通業界を牽引した人物である。 三重県津市生まれ。両親は大阪市天満で乾物・缶詰・青果などを販売する食料品店を営んでいた。 1944年(昭和19年)、陸軍に入隊して戦技特別研究要員(白兵戦、剣道助教)として中国に出征した。
茂木 計一郎(もぎ けいいちろう、1926年4月18日 - … 茂木 計一郎(もぎ けいいちろう、1926年4月18日 - 2008年12月13日)は、日本の建築家。東京芸術大学名誉教授。芸大での教育と合わせて茂木建築設計事務所にて各種の設計活動を行った。代表作に学陽山勧行寺(監修)、江戸川区小岩アーバンプラザ、セントピアあわら、下田市市民文化センター、その他住宅作品などを多数手がけており、研究はイタリア、中国(また陶器などを収集)、日本では奈良、京都、また馬籠、妻籠など各地のデザイン調査研究に従事。 神奈川県横浜市に生まれる。1954年 東京芸術大学美術学部建築科卒業。1956年 東京大学大学院数物系研究科修士課程修了。丹下健三研究室在籍。修了後も東京大学建築科丹下健三研究室にて研究及び設計活動に従事。
小川 宏(おがわ ひろし、1926年〈大正15年〉4月17日… 小川 宏(おがわ ひろし、1926年〈大正15年〉4月17日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本のフリーアナウンサー・司会者。元NHKアナウンサー。東京都墨田区出身。 東京府南葛飾郡寺島町(後の東京市向島区、現:東京都墨田区東向島)生まれ。東京府立第七中学校(現:東京都立墨田川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科建築科を卒業後、一旦間組(現在の安藤ハザマ)に入社するも半年で退職。NHKには二次募集で1949年に入局した。同期には八木治郎、大塚利兵衛、福島幸雄、穂坂俊明がいる。鶴岡放送局、郡山放送局(現在はいずれも支局)に勤務後、1952年より東京勤務となる。 1955年より『ジェスチャー』の4代目司会者として10年にわたって活躍。
櫻井 三男(さくらい みつお、1926年(大正15年)4月1… 櫻井 三男(さくらい みつお、1926年(大正15年)4月17日 - 2006年(平成18年)4月)は、日本のジャーナリスト、実業家。 上毛新聞元専務・論説委員長。上毛新聞TRサービス元取締役。 長男は元総務事務次官の櫻井俊。孫は嵐のメンバーの櫻井翔。 群馬県出身。父は太田市出身の教師。1948年(昭和23年)旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。1949年(昭和24年)名古屋大学法経学部を中退。1950年(昭和25年)上毛新聞社に入社。入社後は報道部長、企画室長、高崎支社編集局長を経て、1974年(昭和49年)同社取締役に就任。1977年(昭和52年)同社常務を経て、1989年(平成元年)同社専務・論説委員長に就任。
山田 直稔(やまだ なおとし、1926年4月16日 - 20… 山田 直稔(やまだ なおとし、1926年4月16日 - 2019年3月9日)は、日本の実業家。 ワイヤーロープの販売を行う浪速商事株式会社の経営を行う傍ら、羽織、袴に金色の帽子、金色の扇子という格好でオリンピックや大相撲を観戦したことから「オリンピックおじさん」としても知られた。 富山県東礪波郡井波町(現南砺市)出身。富山市立工業学校(現在の富山県立富山工業高等学校)を経て、日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)建築学科に進む。 山田は大学生だったときに阿部定事件の犯人だった阿部定と出逢い、『あんたね、男は人生一代だよ!』と激励されたことを生前に語っている。 大学卒業後にワイヤーロープ業界に入り、1960年に浪速商事株式会社を設立する。
榎原 一夫(えばら かずお、1926年〈大正15年〉4月16… 榎原 一夫(えばら かずお、1926年〈大正15年〉4月16日 - 2000年〈平成12年〉7月24日)は、日本の政治家。1971年から1991年まで大阪府吹田市長を務めた。藍綬褒章、勲三等旭日中綬章。 大阪府出身。1948年(昭和23年)3月、旧制摂南工業専門学校(現:大阪工業大学)土木科卒業後、吹田市役所入り。市職員組合委員長など歴任した。 1971年(昭和46年)、吹田市長選に社会党と共産党の推薦で立候補し、自民党と民社党推薦で現職の山本治雄と新人1人をやぶり初当選を果たした。 ※当日有権者数:163,775人 最終投票率:66.27%(前回比:-pts) 同年5月14日に就任した。 同和行政の進め方をめぐり、1期目の途中で社会党が与党を離脱した。
城戸健一(きど けんいち、1926年(大正15年)4月15日… 城戸健一(きど けんいち、1926年(大正15年)4月15日 - 2015年(平成27年)10月7日)は、日本の学者。専門は建築音響工学・電気音響工学・音声情報処理・情報工学。 1926年4月15日生まれ。1948年3月、東北帝国大学工学部電気工学科卒業。同年4月、東北大学に奉職。1956年3月、同大学工学部助教授。1961年3月、工学博士(東北大学)。1962年4月、東北大学電気通信研究所教授。1976年4月、同大学応用情報科学研究センター長。1990年4月、同大学名誉教授、千葉工業大学教授・音響情報研究所所長。1994年5月、オンテックR&D代表取締役会長。2007年11月、瑞宝中綬章受章。
宮井 勝成(みやい かつなり、1926年4月14日 - )は… 宮井 勝成(みやい かつなり、1926年4月14日 - )は、中央大学硬式野球部総監督。元中央大学硬式野球部監督、元早稲田実業学校硬式野球部監督。
亀高 素吉(かめたか そきち、1926年4月14日 - 20… 亀高 素吉(かめたか そきち、1926年4月14日 - 2012年10月1日)は、元神戸製鋼所社長・会長。 神戸市出身。1946年に兵庫県立神戸経済専門学校を卒業、さらに1950年に神戸経済大学(現神戸大学)を卒業後、神戸製鋼所に入社。 1977年に取締役に就任。その後、常務、専務、副社長を経て、1987年に社長に就任した。社長在任時代、USスチール、テキサス・インスツルメンツ(TI)、アルミナム・カンパニー・オブ・アメリカなどとの合弁事業を展開し、複合経営化を推進した。1996年から1998年までは会長を歴任。 また、秘書室長だった頃から、ラグビー部(現在の神戸製鋼コベルコスティーラーズ)の強化に尽力。
大谷 瑞郎(おおたに みずお、1926年4月14日 - 19… 大谷 瑞郎(おおたに みずお、1926年4月14日 - 1992年1月29日)は、日本の歴史学者。武蔵大学経済学部教授。 東京府荏原郡平塚村(現・東京都品川区)生まれ。東京、函館、静岡、富山に住み、富山高等学校尋常科・高等科を経て、1949年東京大学経済学部経済学科卒。学生時代は大内力のゼミに参加。1951年武蔵大学助手、1953年専任講師、1958年助教授、1960年教授。西洋経済史を担当。在職中に死去。
早崎 守俊(はやさき もりとし、1926年4月13日 - 2… 早崎 守俊(はやさき もりとし、1926年4月13日 - 2023年11月7日)は、日本のドイツ文学者、名古屋大学名誉教授。 大阪府生まれ。本籍・石川県。本名・早﨑良久。1948年第八高等学校理科甲類卒、1952年東京大学文学部独乙文学科卒。同志社大学助教授、名古屋大学教養部助教授、同教授、語学センター教授、同センター長事務代理、総合言語センター教授、1990年定年退官、名誉教授。愛知工業大学客員教授。妻の早﨑ふき子(1929-2020)は、『カフカの椅子』(角川書店 2006)等の歌集および『美の四重奏』(春日井建論、山中智恵子論、馬場あき子論、塚本邦雄論)(雁書館 1993)等の作家論集を著わした歌人で、2008年梨郷賞(中部日本歌人会大賞)受賞。
藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 200… 藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 2005年2月6日)は、東京府出身の実業家。元キユーピー社長。 府立三中、陸軍幼年学校、陸士を経て、水産講習所(現東京海洋大学)卒業。中島董商店入店。中島董商店から1951年にグループ会社の食品工業(現キユーピー)設立に伴い移動。1971年社長、1993年副会長、1995年取締役相談役、1999年顧問、2001年特別顧問。勲三等旭日中綬章(1996年)。2005年2月6日死去。享年79。
田中 誠一(たなか せいいち、1926年(大正15年)4月1… 田中 誠一(たなか せいいち、1926年(大正15年)4月11日 - 2003年(平成15年)4月8日)は、日本の政治家、第25・26代松山市長。 松山市出身。旧制愛媛県立松山商業学校(現 愛媛県立松山商業高等学校)を卒業後、1945年、第11師団(香川県善通寺市)に入隊。 終戦後の1946年、松山市役所職員に採用される。市民課長、企画管理部長を歴任し、助役を3回にわたり(1979年6月25日-1979年7月9日、1983年6月25日-1984年12月25日、1987年6月25日-1989年10月10日)務める。 1991年、5選を狙う当時の現職市長中村時雄に対抗して出馬し初当選。「しあわせひろがるまち松山」をスローガンに、その後2期8年間にわたって松山市長を務めた。
二宮 康明(にのみや やすあき、1926年4月10日 - 2… 二宮 康明(にのみや やすあき、1926年4月10日 - 2023年11月15日)は、日本の紙飛行機の設計者、日本紙飛行機協会会長、日本インダストリアルデザイナー協会会員、工学博士、自家用飛行機操縦士。ハードSF研究所客員研究員。 紙飛行機設計歴50年の世界的権威、設計したオリジナル機は、競技機から軽飛行機、プロフィール機まで2,600機を超え、素材には紙だけでなくバルサ材やスチレンペーパーも使用して紙飛行機の可能性を追求している。1967年、第1回国際紙飛行機サンフランシスコ大会でグランプリを獲得。1985年シアトルでの第2回大会では元宇宙飛行士マイケル・コリンズらとともに審査委員を務めた。 1967年から、月刊『子供の科学』で紙飛行機の付録を連載。
大林 辰蔵(おおばやし たつぞう、1926年4月10日 - … 大林 辰蔵(おおばやし たつぞう、1926年4月10日 - 1992年2月19日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)。国産ロケット、人工衛星の開発と打ち上げに尽力した。 東京大学理学部卒業後、郵政省電波研究所に入る。1961年京都大学工学部教授、1966年東京大学教授、1981年文部省宇宙科学研究所教授。1990年退官し、東京大学名誉教授、宇宙科学研究所名誉教授。1976年東レ科学技術賞受賞。 1992年2月19日、急性心不全により65歳で死去。
槇田 仁(まきた ひとし、1926年4月10日 - 2010… 槇田 仁(まきた ひとし、1926年4月10日 - 2010年)は、心理学者、筆跡学者、慶應義塾大学名誉教授。 山梨県生まれ。1950年慶應義塾大学文学部哲学科心理学専攻卒業。52年同大学院修士課程修了、東京少年鑑別所技官、1954年中京大学講師、1955年精神医学研究所心理室所員、主任。1964年「パースナリティに於ける指向性の研究 生活態度乃至興味の基礎的一側面について そのdimensionの設定並びにテスト化」で慶大文学博士。1969年慶應義塾大学文学部助教授、71年教授。92年定年退任、名誉教授。槇田パーソナリティ研究所理事長・所長。専攻、パーソナリティ、人事・組織心理学、臨床心理学。
古谷 雅樹(ふるや まさき、1926年4月9日 - 2021… 古谷 雅樹(ふるや まさき、1926年4月9日 - 2021年3月29日)は、日本の植物学者、東京大学名誉教授。 東京生まれ。1949年東京帝国大学理学部卒業。1960年理学博士。イェール大学大学院でPh.D.取得。東京大学理学部助教授、69年教授、87年定年退官、名誉教授、理化学研究所国際フロンティア研究システム、日立基礎研究所勤務。フィトクロム研究を推進した。
日下 喜一(くさか きいち、1926年4月8日 - )は、日… 日下 喜一(くさか きいち、1926年4月8日 - )は、日本の政治学者。青山学院大学名誉教授。 北海道出身。早稲田大学卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科政治学科博士課程修了、法学博士。拓殖大学助教授、青山学院大学法学部助教授、教授。94年定年退職、名誉教授、関東学院大学教授。2000年退職。
戸部 新十郎(とべ しんじゅうろう、1926年(大正15年)… 戸部 新十郎(とべ しんじゅうろう、1926年(大正15年)4月8日 - 2003年(平成15年)8月13日)は、日本の小説家。 石川県七尾市生まれ。祖先は戦国時代に今川義元に属した尾張笠寺城主の戸部新左衛門政直である。この「戸部新左衛門」という名は、尼子騒兵衛の漫画「落第忍者乱太郎」の登場人物「戸部新左ヱ門」(忍術学園の教師)の由来になっている。また、「新十郎」という名は戸部新左衛門政直の息子の名であり、戸部の父が祖先の名にあやかって命名したそうである。スポーツライターの戸部良也は弟。 金沢一中(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業、早稲田大学政治経済学部中退。北国新聞社記者を経て、作家となる。クラブ雑誌に多岐流太郎の筆名で時代小説を書きはじめていたが、昭和四十年代に入ると長谷川伸創始の「新鷹会」の同人となり、筆名を本名の「戸部新十郎」に改めた。
青木 薪次(あおき しんじ、1926年4月8日 - 2015… 青木 薪次(あおき しんじ、1926年4月8日 - 2015年11月6日)は、日本の政治家。愛称はシンちゃん。 参議院議員(4期)、参議院建設委員長、参議院逓信委員長、日本社会党参議院議員会長、労働大臣(第60代)。 静岡県庵原郡庵原村(のちの静岡県静岡市清水区)出身。東海大学科学技術専門学校を中退。国鉄労働組合を経て、1974年7月の第10回参議院議員通常選挙にて日本社会党から立候補する。静岡県選挙区で初当選を果たし、以後、連続4回当選。 1994年6月、自社さ連立政権の村山内閣において、日本社会党参議院議員会長の浜本万三が労働大臣に就任したため、その後任として日本社会党参議院議員会長に就任した。
橋本 恕(はしもと ひろし、1926年〈大正15年〉4月7日… 橋本 恕(はしもと ひろし、1926年〈大正15年〉4月7日 - 2014年〈平成26年〉4月6日)は、日本の外交官。駐中華人民共和国特命全権大使を歴任。徳島県鳴門市出身。位階は従三位。 駐中国特命全権大使であった1991年11月28日、外相兼副総理であった渡辺美智雄宛ての極秘電報「天皇御訪中(本使意見具申)」で、「中国は明年の国交正常化20周年に際し、官民あげて天皇訪中を切望し、これが実現すれば名実ともに日中間の戦後は終わり友好協力の新時代が確固不動になると強い期待を表明している」と天皇訪中の実現を強く訴えた。 また、天皇訪中の実現のため、政界工作やマスコミ工作を行った。橋本は1992年6月26日、共同通信社社長の犬養康彦と面会。
宝山 省二(ほうざん しょうじ、1926年4月5日 - )は… 宝山 省二(ほうざん しょうじ、1926年4月5日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは三塁手。
松阪 輝久(まつさか てるひさ、1926年4月5日 - 20… 松阪 輝久(まつさか てるひさ、1926年4月5日 - 2006年3月4日)は、日本出身の数学者。ブランダイス大学教授。後にアメリカ国籍を取得した。代数幾何学に業績を残した。アンドレ・ヴェイユの弟子。 1952年、京都大学理学博士。ヴェイユの代数幾何学の研究を継続し、ヴェイユの在籍していたシカゴ大学で1954年から1957年まで研究者として在籍した。 その後、ノースウェスタン大学やプリンストン高等研究所(IAS)に在籍。 1958年にはエジンバラで開催された国際数学者会議に招待される。 1959年から60年までグッゲンハイム・フェロー。 1961年、ブランダイス大学数学科に赴任。1966年、アメリカ芸術科学アカデミー会員に選出された。
柳田 敏司(やなぎだ としじ、1926年4月4日 – 201… 柳田 敏司(やなぎだ としじ、1926年4月4日 – 2011年8月17日)は、日本の考古学者。 大宮市生まれ。1947年埼玉師範学校本科卒業。1951年3月國學院大學文学部史学科を卒業。卒業論文は「武州大宮宿檢地の一考察」。中学校、高等学校の教員を経て、1956年7月、埼玉県教育局社会教育課文化財保護係に異動となり、以後、埼玉県の文化財保護行政に携わる。埼玉県庁で、文化財保護課長、埼玉県立博物館長などを歴任したのち、埼玉県文化財保護審議会委員、埼玉県考古学会長なども務める。2005年秋の叙勲で双光旭日章受章。
加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 … 加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、日本の経済学者。学位は経済学博士(慶應義塾大学)、慶應義塾大学名誉教授。名は「かん」と有職読みすることもある。政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、嘉悦大学学長、千葉商科大学名誉学長、日本経済政策学会会長・日本計画行政学会会長・ソ連東欧学会代表理事・公共選択学会会長等を歴任。
端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3… 端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3日 - 2008年(平成20年)11月2日)は、日本の実業家、銀行家、企業経営者。富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取、会長、相談役。大阪府大阪市東区(現中央区)瓦町(所謂船場地区)出身。
加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 … 加藤 寛(かとう ひろし、1926年(大正15年)4月3日 - 2013年(平成25年)1月30日)は、日本の経済学者。学位は経済学博士(慶應義塾大学)、慶應義塾大学名誉教授。名は「かん」と読むこともある。政府税制調査会会長、内閣府規制改革担当顧問、嘉悦大学学長、千葉商科大学名誉学長、日本経済政策学会会長・日本計画行政学会会長・ソ連東欧学会代表理事・公共選択学会会長等を歴任。 位階は従三位。勲等は勲一等瑞宝章。 岩手県東磐井郡千厩町(現・一関市)生まれ。豊川市長などを歴任した加藤守道の二男。名前については「かとうかん」もしくは「カトカン」と言われることが多く、本人もそのように名乗ることがあった。
島田 良二(しまだ りょうじ、1926年4月3日 - 200… 島田 良二(しまだ りょうじ、1926年4月3日 - 2005年7月1日)は、日本の文学者。千葉大学名誉教授。 旧制松本高等学校文科、東京大学文学部を経て1957年、東京大学大学院文学研究科博士課程修了。千葉県立佐倉高等学校教諭、茨城大学人文学部助教授、千葉大学教養部教授を歴任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
渡辺 五郎(わたなべ ごろう、1926年4月3日 - 200… 渡辺 五郎(わたなべ ごろう、1926年4月3日 - 2008年2月25日 )は、日本の農林官僚。農林水産事務次官、食糧庁長官、日本中央競馬会理事長を務めた。東京都出身。 1950年に東京大学経済学部を卒業し、1951年に農林省に入省。蚕糸局糸政課(現在の農産局総務課)に配属。1962年から農林経済局金融課で勤務する。 愛知用水公団総務部長、広島県農政部長、畜産局蓄政課長、大臣官房総務課長、大臣官房秘書課長、構造改善局農政部長などを経て、1977年に国土庁土地局次長になる。 1979年7月に大臣官房長に就任し、1981年7月に食糧庁長官を経て、1983年7月から1984年7月までに農林水産事務次官を務めた。
酒井 広(さかい ひろし、1926年4月3日 - 2017年… 酒井 広(さかい ひろし、1926年4月3日 - 2017年4月20日)は、日本の司会者、アナウンサーである。NHKを経てフリーアナウンサーとなり『酒井広のうわさのスタジオ』では、ほのぼのトークと親しみのある人柄で人気を集め一時代を築いた。 東京府東京市京橋区(現在の東京都中央区)出身。1950年、法政大学卒業。法大在学中は法政大学弁論部に所属。卒業後、NHKに入局。新潟・福岡[疑問点 – ノート]の各局を経て東京アナウンスへ。特に、社会・家庭教養番組で一時代を築いた[要出典]。 1982年にNHK退職後、フリーとなり、日本テレビ(局契約)・テレビ朝日などで活躍した。1989年の第15回参議院議員通常選挙では比例区から友部達夫らが結成した年金党公認候補として立候補するが、落選。
山下 武(やました たけし、1926年4月3日 - 2009… 山下 武(やました たけし、1926年4月3日 - 2009年6月13日)は東京生まれの文芸評論家、演出家。古本関係の著述活動で著名であった。 法政大学文学部卒業。日劇の舞台監督やNET(現・テレビ朝日)の演芸番組『大正テレビ寄席』のプロデューサーとディレクターを務めた。 椎名麟三に師事し、作家活動を行う。また近代文学研究者でも活動。工学院大学を経て、芝浦工業大学に勤務。 父は落語家の柳家金語楼、異母弟はロカビリー歌手として一世を風靡した山下敬二郎、異母妹は女優・声優の有崎由見子。祖父は三遊亭金勝。叔父は先代昔々亭桃太郎。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中田 鉄治(なかだ てつじ、1926年(大正15年)4月1日… 中田 鉄治(なかだ てつじ、1926年(大正15年)4月1日 - 2003年(平成15年)9月10日)は、日本の政治家。 夕張市長を1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年にわたり務めた。 秋田県に生まれ、生後すぐに夕張町へ移住する。 高等小学校卒業後、北海道殖産銀行(後の旧北海道拓殖銀行)、北海道炭礦汽船の事務職員を経て、1945年(昭和20年)秋に夕張市役所へ入庁した。 夕張市の企画室長だった1970年(昭和45年)に「石炭産業に未来はない」との観点から新産業誘致を打ち出すなど早くから炭鉱の斜陽化・衰退への危機感を持ち、夕張市助役を務めていた1977年(昭和52年)には「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして「石炭の歴史村」事業の計画の端緒を付けた。
升味 準之輔(ますみ じゅんのすけ、1926年4月1日 - … 升味 準之輔(ますみ じゅんのすけ、1926年4月1日 - 2010年8月13日)は、日本の政治学者。東京都立大学名誉教授。専門は日本政治史。 長崎県出身。1948年、東京大学法学部卒業。東京大学研究生を経て、1952年から東京都立大学講師。1953年から同大学助教授。1963年から同大学教授。学外では、日本政治学会理事長や日本学術会議会員などを歴任した。 近現代日本の政治史・政党史の実証研究を行い、主要国の政治過程に関する比較研究に従事した。戦後日本の政党政治を「55年体制」と名づけたことで知られている。また、九条の会の活動に賛同していた。 弟子の御厨貴は、「多くの若き東大出身の政治学者が、安保問題をはじめとする現実政治批判に傾斜したのに対して、升味さんは常に一歩距離を置」き、岡義武を師と仰ぐ形で「歴史分析、いや歴史の追体験とそれへの耽溺に惹きこまれてい」ったと述べている。
渡部 経彦(わたなべ つねひこ、1926年4月1日 - 19… 渡部 経彦(わたなべ つねひこ、1926年4月1日 - 1976年12月19日)は、日本の経済学者。専門は、経済政策・計量経済学。学位は、経済学博士(東北大学・1962年)(博士論文「国際比較の観点からみた産業連関分析の応用」)。京都大学経済研究所教授・大阪大学経済学部教授を歴任。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
小池 精一(こいけ せいいち、1926年4月1日 - 199… 小池 精一(こいけ せいいち、1926年4月1日 - 1990年12月10日)は、日本の経営者。山梨県出身。 1945年に陸軍士官学校を経て、1949年に早稲田大学理工学部土木工学科を卒業し、同年に間組に入社。 1981年12月に取締役に就任し、1983年12月に常務、1985年12月に専務、1987年に副社長を経て、1989年12月には社長に就任。 1990年12月10日肺炎のために死去。64歳没。
内田 宜人(うちだ よしと、1926年4月 - 2016年)… 内田 宜人(うちだ よしと、1926年4月 - 2016年)は、昭和から平成時代の労働運動家。中学校教師。元東京都教職員組合(都教組)墨田支部長。 鳥取県で生まれ、東京で育つ。東京府東京市泰明尋常小学校、東京府立第一中学校卒。1944年第一高等学校の受験に失敗し、鳥取県の国民学校の助教となる。1945年徴兵。 1952年早稲田大学第一文学部仏文科卒業。同年より東京都墨田区の公立中学校教員。1987年定年退職。この間、東京都教職員組合(都教組)墨田支部長、都教組本部執行委員、東京地方労働組合評議会(東京地評)常任幹事、東京都同和教育研究協議会会長、全国同和教育研究協議会副委員長を務め、勤評反対闘争、主任制反対闘争、部落解放教育、平和教育などに熱心に取り組んだ。