武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012… 武田昌輔(たけだ まさすけ、1922年1月9日 - 2012年6月25日)は、日本の法学者。 青森県青森市出身。1944年中央大学法学部卒。大蔵省に入り、大蔵省高等財務講習所(現在の税務大学校)第1期となり、主税局税制第一課を経て、1966年成蹊大学経済学部助教授、1967年教授、1988年学部長。1989年退任、名誉教授となる。税務会計研究学会会長、財団法人租税資料館理事長を務めた。専門は法人税法。
橋本 南海男(はしもと なみお、1922年〈大正11年〉1月… 橋本 南海男(はしもと なみお、1922年〈大正11年〉1月8日 - 1997年〈平成9年〉12月11日)は、日本の経営者。沖電気工業社長、会長を務めた。群馬県出身。 1922年、群馬県富岡市出身の父・市郎の子として台湾に生まれる。台南市旧制第一中学校、旧制台北高等学校理科甲類卒。1944年に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業し、1946年に沖電気工業に入社した。1970年に取締役に就任し、1975年に常務、1979年6月に専務を経て、1982年5月に社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1992年10月に相談役を経て、1993年6月に特別顧問に就任。通信機械工業会会長も務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。
富岡 惣一郎(とみおか そういちろう、1922年1月8日 -… 富岡 惣一郎(とみおか そういちろう、1922年1月8日 - 1994年5月31日)は、日本の洋画家。 新潟県高田市南本町出身。新潟県立高田商工学校卒業。黄変や亀裂、剥落などのない白い絵の具を自ら開発して作品を手がけ、「トミオカホワイト」と呼ばれた。著名な作品に「白の世界シリーズ」など。 現在[いつ?]、新潟県南魚沼市の八海山山麓には、1990年(平成2年)11月に開館した「トミオカホワイト美術館」があり、富岡惣一郎の作品が多数収蔵・展示されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
片山 滉(かたやま あきら、1922年1月7日 - 1978… 片山 滉(かたやま あきら、1922年1月7日 - 1978年10月7日)は、宮城県仙台市出身の俳優。岐阜大学卒。本名同じ。東映に所属していた。 東映の映画・テレビで脇役中心に活動。 1978年10月4日、自動車で外出した後に消息を絶ち、3日後の10月7日、静岡県賀茂郡南伊豆町の県道下に転落した自動車内で遺体となって発見された。56歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
久保 慶三郎(くぼ けいさぶろう、1922年(大正11年)1… 久保 慶三郎(くぼ けいさぶろう、1922年(大正11年)1月7日 - 1995年(平成7年)5月30日)は、昭和から平成時代の土木工学者。 1945年(昭和20年)東京帝国大学工学部第二工学部土木工学科を卒業し、同大講師、1948年(昭和23年)第二工学部助教授、1963年(昭和38年)東京大学生産技術研究所教授を歴任し、1982年(昭和57年)退官する(名誉教授)。埼玉大学へ転じ、1985年(昭和60年)より工学部長を務め、1987年(昭和62年)退官し、さらに東海大学教授となった。
森岡 茂夫(もりおか しげお、1922年1月7日 - 201… 森岡 茂夫(もりおか しげお、1922年1月7日 - 2018年6月4日)は、日本の経営者。山之内製薬社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1945年に東京帝国大学農学部農林学科を卒業し、1947年5月に山之内製薬に入社。1970年2月に取締役に就任し、1976年3月に常務、1979年8月に専務を経て、1980年3月に社長に就任。1992年6月に会長も兼任し、同年10月には会長に専任し、2000年6月までに務めた。 1999年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2018年6月4日、老衰のために死去。96歳没。
楠山 春樹(くすやま はるき、1922年1月7日- 2011… 楠山 春樹(くすやま はるき、1922年1月7日- 2011年10月30日)は、中国古典研究者、専門は老荘思想などの中国哲学。早稲田大学名誉教授。 1922年、東京で生まれた。父・楠山正雄は、大正・昭和前期に活躍した演劇評論家で、児童文学者。早稲田大学文学部東洋哲学科で学び、1943年に卒業。同大学大学院に進み、福井康順に師事した。 大学院修了後、早稲田大学文学部助教授に就任。1962年、教授に昇格。1977年、学位論文『老子伝説の研究』を早稲田大学に提出して文学博士号を取得。1992年に早稲田大学を定年退職し、名誉教授となった。 学界では、1989年から1991年まで日本中国学会理事長をつとめた。
新章 文子(しんしょう ふみこ、1922年1月6日 -201… 新章 文子(しんしょう ふみこ、1922年1月6日 -2015年10月14日)は、日本の小説家。 京都府生まれ。本名・中島光子。京都府立第一高等女学校卒業。1939年、宝塚音楽舞踊学校(現・宝塚音楽学校)に入学して、1941年に「京千鈴」の芸名で宝塚歌劇団に入団して初舞台を踏む。宝塚歌劇団29期生。同期生に淡島千景、久慈あさみ、南悠子らがいる。 1944年に宝塚歌劇団を退団して京都市役所に勤務する。1948年、本名名義で童話集『子りすちゃんとあかいてぶくろ』を刊行する。1959年『危険な関係』で第5回江戸川乱歩賞を受賞し、第42回直木三十五賞候補に挙がる。なお同作は初めて直木賞候補となった江戸川乱歩賞受賞作である。
上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 20… 上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 2002年3月8日)は、日本の経営者、工学博士。山陽特殊製鋼社長を務めた。兵庫県姫路市仁豊野出身。父は上杉源蔵(元 福徳相互銀行)。 桃李小学校(現 姫路市立砥堀小学校)、旧制姫路中学(現:兵庫県立姫路西高校)卒業。1945年に東京帝国大学工学部冶金工学科を卒業し、1949年5月に山陽特殊製鋼に入社。1959年5月に取締役に就任し、1961年5月に常務、1974年12月に専務を経て、1981年2月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1989年6月に取締役相談役に就任し、1992年6月に相談役に就任。 常務時代に、山陽特殊製鋼倒産事件が起こる。
伊藤 正(いとう ただし、1922年1月6日 - 2004年… 伊藤 正(いとう ただし、1922年1月6日 - 2004年11月18日)は、日本の経営者。住友商事社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1949年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本建設産業(のちの住友商事)に入社した。1966年7月に鋼材貿易部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1983年6月に社長に昇格し、1990年6月に会長に就任した。1995年6月に相談役に就任し、1997年2月から名誉顧問を務めた。 1984年2月に藍綬褒章を受章した。 2004年11月18日、急性骨髄性白血病のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日… 青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日 - 1995年(平成7年)11月26日)は、日本の法学者。位階は正五位。 専門は法哲学、刑事法。元日本大学法学部教授。 高梨公之博士に師事し、法哲学、刑事法の分野においての業績で有名。 記念論文集に『青木清相教授古稀特別記念号』日本法学第57巻第4号平成4年(日本大学法学会)がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助… 四代目 寶 山左衛門(たから さんざえもん、六代目福原百之助、本名: 若林 英次、1922年1月5日 - 2010年8月7日)は、東京市芝区宇田川町出身の長唄囃子方、篠笛演奏家・作曲家。福原流鳴物六代目宗家、福原流百之助派四代目家元。東京芸術大学客員教授、国立劇場養成所講師。 長唄囃子方五代目福原百之助の跡取りとして生まれ、母親も長唄の師匠。幼い頃より芸の薫陶を受けた。 1939年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。 第二次世界大戦中は駆逐艦の建造等に動員されたが、戦後邦楽界の再建に携わり、1940年に福原英次を名乗る。1964年に六代目百之助を襲名。1981年に長唄協会理事。
奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 201… 奥田 晴義(おくだ はるよし、1922年1月5日 - 2012年12月1日)は、日本の詩人。愛媛県生まれ。中央大学法学部卒。『中央評論』編集部に勤務し、中央大学出版部長、中央大学就職部長を務めるかたわら詩を書いた。
藤田 晋(ふじた すすむ、1922年 <大正11年> 1月5… 藤田 晋(ふじた すすむ、1922年 <大正11年> 1月5日 - 2008年 <平成20年> 6月15日)は、日本の経営者。安藤建設社長、会長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1946年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、同年に安藤組(のちの安藤建設)に入社。 1967年に取締役に就任し、1972年5月に常務、1975年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1982年6月には社長に昇格。1989年6月に会長を経て、1997年6月には相談役に就任。 1993年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2008年6月15日急性肺炎のために死去。86歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2… 山田 風太郎(やまだ ふうたろう、1922年1月4日 - 2001年7月28日)は、日本の小説家。本名は山田 誠也(やまだ せいや)。戦後日本を代表する娯楽小説家の一人。東京医科大学(入学時は東京医学専門学校)卒業、医学士号取得。 『南総里見八犬伝』や『水滸伝』をはじめとした古典伝奇文学に造詣が深く、それらを咀嚼・再構成して独自の視点を加えた伝奇小説、推理小説、時代小説の3分野で名を馳せる。特に奇想天外なアイデアを用いた『魔界転生』や忍法帖シリーズに代表される大衆小説で知られている。2010年(平成22年)、その名を冠した「山田風太郎賞」が創設された。 筆名は、中学生時代に3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷 / 雨 / 雲 / 風という符丁、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来する。
木村 肥佐生(きむら ひさお、1922年(大正11年)1月4… 木村 肥佐生(きむら ひさお、1922年(大正11年)1月4日 - 1989年(平成元年)10月9日)は、亜細亜大学アジア研究所教授。チベット研究で著名。モンゴル名はダワサンボー。 長崎県佐世保市生まれ。九州学院卒業後、海員養成所に入り、南洋定期航路線に乗り組むも船員生活を断念。1940年、興亜院のモンゴル留学生として蒙古善隣協会興亜義塾に二期生として入学(同じくチベット調査した西川一三は三期生)。1941年蒙古善隣協会職員。1942年、大東亜省内蒙古張家口大使館調査課。1943年、チベットに潜行して諜報活動に従事し、プンツォク・ワンギャルらチベット人と知り合う。1950年、インド経由で日本に帰国。
神保 博行(じんぼ ひろゆき、1922年1月4日 - 201… 神保 博行(じんぼ ひろゆき、1922年1月4日 - 2012年)は、日本の教育哲学者、香道家。 東京生まれ。東京文理科大学哲学科卒。中央大学文学部教育学科教授。1992年定年退職、名誉教授。三条西実隆を始祖とする香道御家流の皆伝で、香道御家流桂雪会会長。
大河 百々代(おおかわ ももよ、1922年1月4日 - 19… 大河 百々代(おおかわ ももよ、1922年1月4日 - 1942年7月)は、日本の女優である。父は大都映画創立者の河合徳三郎、姉は女優の琴路美津子、異母姉も女優の三城輝子である。満20歳で早世した。 1922年(大正11年)1月4日、東京府東京市(現在の東京都区部)に、のちに河合映画製作社、大都映画を設立する河合徳三郎を父とし、「大川世喜子」として生まれた。 東京高等音楽学院大塚分教場(現在の東邦音楽大学)に学び、1934年(昭和9年)に父の経営する大都映画に12歳で入社する。同年、隼秀人(のちのハヤフサヒデト)主演、大江秀夫監督のサイレント映画『俺は日本人だ』に出演して、映画界にデビューする。
勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正1… 勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正11年〉1月4日 - 2019年〈平成31年〉2月2日)は、室町時代に栄えた日野家分家である烏丸家の分家に当たる勘解由小路家11代目の当主、子爵。山口県に在住し、日本一長い五文字の名字を持つ人物の一人であることでも知られていた。山形県山形市生まれ。 出生時の名は松村淳二。大分県知事や貴族院勅選議員を務めた松村義一の次男であり、戸籍上の父である勘解由小路資承は母方の祖父にあたる。4歳で資承の養嗣子となり、資淳に改名し、勘解由小路家11代目当主となった。 母の松村好子(まつむら いつこ)は子爵勘解由小路資承の長女であり、副島種臣の外孫でもあった。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1922年1月4日 - 2018年10月28日)は、日本の経営者。兼松江商社長、会長を務めた。静岡県御殿場市出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、同年に兼松江商に入社。1969年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年12月に社長に就任し、1989年6月には会長に就任し、1992年6月に相談役を経て、1994年6月から名誉顧問を務めた。 1983年5月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年10月28日老衰のために死去。96歳没。
藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3… 藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日 - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
皆川 和子(みながわ かずこ、1922年1月3日 - 201… 皆川 和子(みながわ かずこ、1922年1月3日 - 2014年8月16日)は、日本の音楽家。 立正高等女学校(現・東京立正高等学校)、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)出身。 1943年から子供たちに始めた歌唱指導が、戦後はひばり児童合唱団へと発展し、安田祥子・由紀さおりの姉妹をはじめ幾多の才能を育てた。合唱団の現代表で元子役の皆川おさむは甥。個人レッスンで吉永小百合に歌を教えた。 2014年8月16日、中下咽頭腫瘍のため死去。92歳没。生涯独身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鈴木 幸寿(鈴木 幸壽、すずき ゆきとし・こうじゅ、1922… 鈴木 幸寿(鈴木 幸壽、すずき ゆきとし・こうじゅ、1922年1月2日 - 2009年8月1日)は、日本の社会学者。東京外国語大学名誉教授。 福島県出身。東北帝国大学法文学部社会学科卒、同大学院特別研究生修了。東京外国語大学助教授、教授、学長を務め、名誉教授、明星大学教授、和洋女子大学学長を歴任。
品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016… 品川 孝子(しながわ たかこ、1922年1月2日- 2016年1月27日)は、日本の教育評論家。新潟県妙高高原町生まれ。日本女子大学家政学部卒。児童科で児童心理学を専攻し卒業。田中教育相談所、主婦の友相談室で教育相談を担当。品川不二郎と結婚、共著も多く、マスコミ、講演を行った。
橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう、1922年1月1日… 橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう、1922年1月1日 - 1983年12月17日)は、日本の政治学者、評論家。弘文堂社員などを経て、明治大学政治経済学部教授。在任中に没した。 長崎県上県郡峰村(現・対馬市)の生まれ。父祖の地は広島県。橋川家は、代々対馬の海産物や木炭などを広島まで運ぶ商いをしていた。 文三3歳の時、父親の故郷・広島県安芸郡仁保村(現・広島市南区仁保)に一家で帰郷。安芸郡海田町などで育つ。青崎尋常小学校(現・広島市立青崎小学校)、広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属高等学校)を経て上京、第一高等学校文科乙類に入学。文芸部に所属。1942年卒業。 同年、東京帝国大学法学部入学。
白井 美則(しらい よしのり、1922年1月1日 - 201… 白井 美則(しらい よしのり、1922年1月1日 - 2015年4月19日)は、日本の裁判官、弁護士。元高松高等裁判所長官。元四天王寺大学学長。 香川県三豊郡上高瀬村(現 三豊市高瀬町)出身。旧制香川県立三豊中学校、東京帝国大学法学部法律学科卒業。 1947年(昭和22年)高等文官試験司法科合格。1949年(昭和24年)高松地方裁判所判事補。1959年(昭和34年)大阪地方裁判所判事に任官。1974年(昭和49年)徳島地方裁判所・家庭裁判所所長、1976年(昭和51年)大阪高等裁判所総括判事、1978年(昭和53年)京都家庭裁判所所長、1980年(昭和55年)大阪家庭裁判所所長を歴任。 1977年(昭和52年)7月20日、大阪高等裁判所総括判事時に「固定資産価格決定取消等及び固定資産審査決定取消請求控訴事件」では、固定資産課税標準価格についての審査の申出に対してされた固定資産評価審査委員会の審査決定の取消しを求める訴えを、既に係属中の右価格について市長の決定の取消しを求める訴えに併合して提起したときは、前者の訴えの出訴期間の遵守につき、行政事件訴訟法20条を類推適用すべきであるとした。
進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1… 進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1月1日 - 1999年(平成11年)5月9日)は、東京出身の文芸評論家、随筆家、小説家。本名は若倉 雅郎(わかくら まさお)、旧姓は進藤(しんどう)。 川端康成・志賀直哉・芥川龍之介などの論考や、同時代の第三の新人を含む昭和文学の評伝で知られるほか、随筆・回想や小説も書いた。長男は眼科医・作家の若倉雅登。
野崎 一(のざき ひとし、1922年〈大正11年〉1月1日 … 野崎 一(のざき ひとし、1922年〈大正11年〉1月1日 - 2019年〈令和元年〉9月25日)は、日本の化学者(有機合成化学・有機金属化学)。勲等は勲二等。学位は工学博士(京都大学・1949年)。京都大学名誉教授、日本学士院会員。 京都大学工学部教授、岡山理科大学教授などを歴任した。 有機合成化学、有機金属化学を専攻する有機化学者である。1922年〈大正11年〉1月1日生まれ、岡山県出身。太平洋戦争後の日本の有機化学研究を牽引した。京都大学名誉教授。2019年〈令和元年〉9月25日に死去。 三女は東京大学大学院工学系研究科で初の女性教授の野崎京子。 カルボカチオンを基盤としたテルペン類の合成、カルベノイドを利用した新規反応の開発などに取り組み、戦後復興期にあった日本有機化学界を牽引する業績を上げた。
森島 健男(もりしま たてお、1922年 (大正11年) 1… 森島 健男(もりしま たてお、1922年 (大正11年) 1月1日 - 2020年 (令和2年) 8月16日)は、日本の剣道家、元警視庁警察官。称号は剣道範士、警視庁剣道名誉師範。段位は元九段(2000年 (平成12年) 返上)。 熊本県上益城郡益城町出身。旧制中学校で武道専門学校(4期)出身の水野尾清から剣道を学び始める。水野は、試合ばかりやっていると将来伸びないとして基本稽古を重視したため、試合は1回戦で負けていたという。 1939年(昭和14年)、国士舘専門学校国語漢文剣道科に入学し、斎村五郎、小川忠太郎に師事する。1943年(昭和18年)に卒業。 1945年(昭和20年)、陸軍に召集される。
卜部 政巳(うらべ まさみ、1922年(大正11年)1月1日… 卜部 政巳(うらべ まさみ、1922年(大正11年)1月1日 - 1999年(平成11年)12月14日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(2期)。 島根県出身。平壌で生まれる。1942年(昭和17年)専修大学専門部商科を修了。召集され陸軍軍曹となる。 郵政省に入省し松江地方貯金局(現貯金事務センター)勤務となる。その後、全逓(のちの日本郵政公社労働組合)島根地区書記長、全逓中央本部執行委員、同執行委員長、島根県労働組合総評議会議長、島根県物価対策協議会議長などを務めた。 1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙に島根県全県区から日本社会党公認で出馬して初当選。第31回総選挙、また1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙に島根県地方区から出馬したがいずれも落選。
縫田 曄子(ぬいた ようこ、1922年1月1日 - 2024… 縫田 曄子(ぬいた ようこ、1922年1月1日 - 2024年9月9日)は、日本のジャーナリスト。女性初のNHK解説委員、東京都民生局長、国立婦人教育会館初代館長、市川房枝記念会理事長などをつとめた。 1922年(大正11年)1月1日、中国の上海で生まれた。上海は、中国問題専門家のジャーナリストだった父、太田宇之助の赴任先だった。名前の「曄」には「日本と中華の懸け橋になるように」という願いがこめられた。 1939年(昭和14年)、立教高等女学校を卒業し、津田英学塾に入学した。1942年(昭和17年)9月、津田英学塾を繰り上げ卒業した。卒業後、半年ほど国際文化振興会調査部に勤務した。同期に堀田善衛がいた。
田代 一正(たしろ かずまさ、1922年(大正11年)1月1… 田代 一正(たしろ かずまさ、1922年(大正11年)1月1日 - 2000年(平成12年)5月25日)は日本の大蔵官僚。防衛庁経理局長、防衛庁長官官房長、防衛事務次官、日本銀行理事、日本証券金融取締役副社長、平和相互銀行代表取締役会長兼社長などを歴任。 兵庫県出身。東京帝国大学経済学部経済学科卒業。東京帝大経済学部経済学科在学中に高等試験行政科を合格。1943年9月 大蔵省入省。外資局属。1945年1月 名古屋財務局。1946年2月 浜松税務署長。1959年8月 主計局主計官(外務、通商産業担当)。1963年5月 主計局主計官兼主計局総務課(企画担当)。1965年6月 銀行局総務課長。1966年7月 国税庁調査査察部長。
小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1… 小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉10月28日)は、日本の機械工学者。東北大学教授を経て、豊田工業大学学長や、日本伝熱学会会長、日本熱物性研究会会長等を歴任した。 長野県長野市生まれ。旧制長野商業学校(長野県長野商業高等学校)、旧制横浜高等工業学校、東北帝国大学工学部を経て、1949年同大学院修了。1959年文部省の在外研究員としてアルゴンヌ国立研究所留学。1960年東北大学教授。1970年静岡大学教授。1981年日本伝熱学会会長。1983年日本熱物性研究会会長。1984年 豊田工業大学教授、豊田工業大学副学長。1990年豊田工業大学第3代学長就任。
須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日 - 201… 須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日 - 2015年1月9日)は、日本の脚本家・小説家。日本統治時代の朝鮮京城府生まれ。鹿児島県いちき串木野市串木野地域出身。別名義に須崎 勝弥。 父が三菱鉱業に勤め、京城支社にいる頃に生まれる。市来尋常高等小学校(現いちき串木野市立市来小学校)在学を経て、1939年(昭和14年)旧制京城中学校卒業。1942年(昭和17年)旧制第一高等学校卒業。東北帝国大学法学部在学中の1943年(昭和18年)に学徒出陣となり、1944年(昭和19年)に卒業扱い。学徒出陣では出水海軍航空隊に少尉で任官され、沖縄戦線に出撃するなどをして茨城県百里海軍航空隊で終戦を迎えた。
長谷川 房雄(はせがわ ふさお、1922年(大正11年)1月… 長谷川 房雄(はせがわ ふさお、1922年(大正11年)1月 - 2020年(令和2年)12月29日)は、日本の建築学者。専門は建築環境工学、建築計画学。東北大学名誉教授。工学博士。 1922年(大正11年)、静岡市生まれ。1934年(昭和9年)3月、静岡市立安西小学校卒業。1939年(昭和14年)3月、静岡県立静岡中学校卒業。1942年(昭和17年)9月、静岡高等学校 (旧制)理科一類卒業。1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学第二工学部建築学科卒業。同年11月、財団法人建設技術研究所に就職。1951年(昭和26年)3月、同退職。4月、東北大学工学部建築学科助教授、1961年(昭和36年)9月、『建築壁体の熱伝導計算法に関する研究』により工学博士(東京大学)。
石原 光男(いしはら みつお、1922年 - )は、神奈川県… 石原 光男(いしはら みつお、1922年 - )は、神奈川県出身のプロ野球選手。 浅野中学校から1946年にセネタースへ入団。同年退団。
韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は… 韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は、日本のジャーナリスト。日本共産党で赤旗編集局長等を歴任し、既存マスコミの報道におけるタブーへの批判などを展開した。 長野県小諸町生まれ。実家は洋服屋。小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進学。大学在学中金沢で陸軍に勤務。高島善哉ゼミ出身。 大学に復学後、共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に本間要一郎(のちに横浜国立大学名誉教授)、岡稔(のちに一橋大学教授)、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)らとともに参加し、主要メンバーとして活動した。民研はのちに、学生自治会委員長となった弓削達(のちに東京大学名誉教授)から批判を受けるなどし解散して社会科学研究会に改組した。
桶川 隆(おけかわ たかし、1922年 - )は、大阪府出身… 桶川 隆(おけかわ たかし、1922年 - )は、大阪府出身のプロ野球選手。
合力 栄(ごうりき さかえ、1922年 ‐ 2012年)は、… 合力 栄(ごうりき さかえ、1922年 ‐ 2012年)は、日本の商学者、(商学総論)。元 八幡大学 (現 九州国際大学)学長。佐賀県出身。 その後熊本学園大学教授、日本経営診断学会顧問、日本中小企業学会理事副会長などを勤める。 アララギ会に所属した事があり斎藤茂吉と九州の関係性を研究した書がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
浅野 芳(あさの かおる、1922年 - )は、気象予報士。… 浅野 芳(あさの かおる、1922年 - )は、気象予報士。群馬県出身。気象大学校卒業。 気象庁天気相談所長や日本気象協会主任技師などを務め、TBSの夕方の番組のJNNニュースコープ(50分時代)に出演していた時は、お天気コーナーを担当していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
浅野 二郎(あさの じろう、1922年 - )は、園芸学者。… 浅野 二郎(あさの じろう、1922年 - )は、園芸学者。千葉大学名誉教授。日本庭園学会会長などを歴任。農学博士。 福島県生まれ。京都大学農学部卒業。京都大学講師、香川大学助教授を経て1964年香川大学農学部教授就任。1977年千葉大学園芸学部教授。 主な庭園設計に徳島県徳島市の料亭「渭水苑」(旧和田吉郎邸)庭園がある。他、梁川城本丸の庭園遺跡調査など、多数。 1987年度日本造園学会上原敬二賞受賞。
葛西 善三郎(かさい ぜんざぶろう、1922年 - 2017… 葛西 善三郎(かさい ぜんざぶろう、1922年 - 2017年)は、日本の農学者。 旧制滝川中学校卒業鳥取高等農業学校卒業、鳥取大学農学部同窓会京都支部設立に参画し初代支部長を務める。京都大学農学部農林化学科卒業。1947年京都大学助教授、1957年京都大学食糧科学研究所教授。1985年京都大学を定年退官、同年京都大学名誉教授となる。京都大学を定年退官後は近畿大学農学部教授となる。 1956年日本土壌肥料学会賞受賞。
吉井巌(よしい いわお、1922年 -1995年 )は、国文… 吉井巌(よしい いわお、1922年 -1995年 )は、国文学者。大阪に生まれる。京都大学文学部を卒業。国文学を専攻。帝塚山学院大学教授。 『古事記』を中心とした『記紀』系譜の研究が有名で、特に『上宮記』一伝にいう、継体天皇の父系の祖であるホムタワケが通常応神天皇とされるところを、垂仁天皇の子・誉津別命と解釈したことはよく知られる(『天皇の系譜と神話 二』)。また王朝交代説において応神天皇が始祖的な大王とされたのに対し、いち早く応神天皇の始祖性を否定する見解を示した(『天皇の系譜と神話 一』)。『ヤマトタケル』においては、ヤマトタケルの伝承のそれぞれがヤマトタケルの別名と密接に結びついていることに注目し、その名前に関連して述べられた伝承を1人の英雄像として統合する形で生まれたのが『記紀』におけるヤマトタケルであると論じた。
羽鳥 卓也(はとり たくや、1922年 - 2012年[要出… 羽鳥 卓也(はとり たくや、1922年 - 2012年[要出典])は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。アダム・スミス、デヴィッド・リカードなどの古典派経済学を研究した。 岐阜県生まれ。1947年、慶應義塾大学経済学部卒業。専修大学経済学部助教授、福島大学経済学部助教授、1962年、「古典経済学の研究」で名古屋大学経済学博士。福島大教授、岡山大学法文学部教授。1985年経済学史学会代表幹事。1988年、定年退官、熊本学園大学教授。
久留島 陽三(くるしま ようぞう、1922年 - )は、マル… 久留島 陽三(くるしま ようぞう、1922年 - )は、マルクス経済学者。岡山大学名誉教授、福山平成大学名誉学長。 広島県生まれ。東京帝国大学在学中の1943年12月に学徒出陣で軍に入隊。1945年12月復学。1947年東京帝国大学経済学部卒業。学部で大河内一男のゼミに所属し、職工農家の調査を実施。ゼミ生の田添京二、大塚斌とともに学生労働問題研究会をつくり、労働組合の実態調査を実施。前者は「「職工農家」に関する研究――N工場における調査を中心として」、後者は「戦後日本労働組合の動向」として大河内一男編『戦後社会の実態分析』(日本評論社、1950年)にまとめられた。1949年東京帝国大学特別研究生(前期)修了。
今野 博(こんの ひろし、1922年(大正11年)- )は、… 今野 博(こんの ひろし、1922年(大正11年)- )は、日本の都市計画家。工学博士(東京大学)。岩手県生まれ。前田環境美術(株)会長。財団法人 都市づくりパブリックデザインセンター顧問。 1945年東京帝国大学第二工学部土木工学科卒。日本住宅公団首都圏宅地開発本部長から同首都圏宅地開発本部長を経て、建設省都市局区画整理課長、1970年1月に街路課長を歴任し、1971年同省都市局技術参事官。また1967年より兼務にて東京大学工学部都市工学科講師。1974年日本住宅公団理事、衆議院建設委員会調査員。1981年(株)都市開発技術サービス代表取締役社長を経て、同社取締役会長。都市計画コンサルタント協会の会長と都市づくりパブリックデザインセンター理事長、日本都市計画学会会長も歴任。
谷 昌恒(たに まさつね、1922年 - 没年不明)は、日本… 谷 昌恒(たに まさつね、1922年 - 没年不明)は、日本の教育者。北海道家庭学校の第5代校長を務めた。 1922年、東京府に生まれる。母が植村正久に洗礼を受け、熱心なキリスト者の家庭に育つ。戦時下の学生時代は地質学の研究に当たる。理科学生であったために兵役は免れたが、同年輩の友人の多くは戦場に赴き戦死した。 1945年、東京大学理学部地質学科を卒業する。戦後、戦災孤児たちの姿を見て志を与えられ、福島県に堀川愛生園(養護施設)を創設、戦災孤児たちとの生活を始める。1965年、堀川愛生園を辞し、社会保障研究所主任研究員として、主に各国制度の比較研究に従事する。 1969年、北海道家庭学校の第5代校長として招かれ、いわゆる非行少年の教育、指導にあたる。
村尾 清一(むらお きよかず、1922年 - )は、日本のジ… 村尾 清一(むらお きよかず、1922年 - )は、日本のジャーナリスト、文筆家。 香川県香川郡直島町生まれ。京都三高から、東京大学法学部政治学科卒業。 二代目・週刊新潮編集長の野平健一は旧三高時代の同級生。仏文学者の河盛好蔵は、京都三高の同じフランス文学のクラスの先輩だった。 終戦3年目の1948年に読売新聞社に入社し、社会部記者となる。 1953年 中東特派員で英国エリザベス女王の戴冠式を取材。1954年3月には第五福竜丸事件のスクープ報道に関わり、放射性降下物について「死の灰」という造語で伝えた。同年1月に、辻本芳雄(社会部次長)のもとで原子物理学に関する解説連載記事「ついに太陽をとらえた」に関わっていたことが早い初動につながったという。
山本 平弥(やまもと へいや、1922年(大正11年)- 2… 山本 平弥(やまもと へいや、1922年(大正11年)- 2012年(平成24年))は、日本の学者、海上保安官、海軍軍人(予備将校)である。最終階級は海軍大尉。工学博士。 新潟県長岡市において生まれる。1943年(昭和18年)東京高等商船学校機関科(現・東京海洋大学)卒業。 大阪商船に入社するも、海軍に応召。重巡洋艦「足柄」、防空駆逐艦「秋月」に乗り組み、機関科分隊士として軍務につく。1944年に乗艦「秋月」が沈没し、九死に一生を得る。その後、横須賀海軍砲術学校教官に転任し、海軍予備生徒の教育に従事。終戦時は海軍大尉。 戦後は、大阪商船に復帰するが、間もなく海上保安庁に入庁し、巡視船機関長等を歴任し、海上保安大学校教授(現・名誉教授)、第七管区海上保安部長、海上保安学校長を歴任。
宮下 章(みやした あきら、1922年 - 2002年)は、… 宮下 章(みやした あきら、1922年 - 2002年)は、食文化研究者。 長野県伊那谷生まれ。旧制大倉高等商業学校(現・東京経済大学)卒業。長年にわたり和紙、凍豆腐、海藻、鰹節、海苔などの研究をつづけ、全国を調査旅行。晩年は食物文化史の研究に専念。文学的な表現で書かれた著書の数々が有名[要出典]。古文書や海外の類似する伝統食にも着目した内容となっている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。