飛山 一男(とびやま かずお、1925年(大正14年)2月2… 飛山 一男(とびやま かずお、1925年(大正14年)2月20日 - 2015年(平成27年)10月23日)は、日本の実業家。いすゞ自動車社長(1984年 - 1992年)、会長を務めた。 長野県の生まれ。山梨工業専門学校(現在の山梨大学)卒業後、1946年(昭和21年)にいすゞ自動車(当時の社名はヂーゼル自動車)に入社する。 軽自動車の研究や開発に携わり、後にアメリカ合衆国の自動車メーカーゼネラルモーターズと連携する等、戦後の自動車における日米関係の良化に貢献した。1984年(昭和59年)にいすゞ自動車社長に就任し、1992年(平成4年)までその職にあたった。1991年(平成3年)には会長職に就任した。
栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - … 栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、東京府南葛飾郡小岩村下小岩(現・東京都江戸川区南小岩)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。第44代横綱。本名は大塚 清(おおつか きよし)で、のちに栃木山守也の養子となって中田 清(なかた きよし)となる。 1925年に、小岩村(現・江戸川区南小岩)で蛇の目傘の製造を営む家の二男として生まれる。少年時代から運動神経は抜群で、並外れた体力と恵まれた体格を見た近所の八百屋の勧めもあって、下小岩尋常小学校(現・江戸川区立下小岩小学校)卒業後、13歳で春日野部屋の門を叩き、1939年1月場所で初土俵を踏む。十両昇進を機に名乗った四股名の「栃錦」は、春日野の現役名である栃木山守也と、その兄弟弟子だった大錦卯一郎から付けたものであり、当時の期待ぶりが窺える。
加藤 一夫(かとう かずお、1925年2月18日 - 201… 加藤 一夫(かとう かずお、1925年2月18日 - 2012年10月7日)は、日本の経済学者。静岡大学名誉教授。専門はイギリスの経済・政治思想。 秋田市生まれ。秋田市商業学校(現・秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、福島経済専門学校(現・福島大学)に進学、その後、1949年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。秋田大学学芸学部助教授、1971年静岡大学教養部助教授、1972年教授、1977年教養部長、1982年学長、1987年定年退官、名誉教授、1991年「トマス・モアの社会経済思想」で東京経済大学経済学博士。 甥は予備校講師の今井宏。今井は「経済学者ではあるが、物静かな文学青年タイプの人で、著書にもその傾向が常につきまとった」と伯父・加藤のことを評している。
森 淳司(もり あつし、1925年2月18日 - )は、日本… 森 淳司(もり あつし、1925年2月18日 - )は、日本の国文学者。学位は、文学博士(日本大学・論文博士・1978年)。日本大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1948年日本大学法文学部国文科卒業。日本大学文理学部助教授、教授、1978年「柿本朝臣人麻呂歌集の研究」で、文学博士の学位を日本大学より取得。95年定年退任、名誉教授。
高橋 清(たかはし きよし、1925年(大正14年)2月18… 高橋 清(たかはし きよし、1925年(大正14年)2月18日 - 2015年(平成27年)7月3日)は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(第12・13・14代)。 長男は政治学者で東京大学大学院法学政治学研究科教授の高橋進(2010年死去)、次男は元日本銀行金融研究所所長、大阪経済大学教授の高橋亘。 宮城県遠田郡涌谷町生まれ。1944年宮城師範学校卒業。1952年津久井郡中央小学校で教員生活をはじめた。1955年当時の上司に勧められ川崎市立古市場小学校教諭に転じ、教頭にもなった。1974年全日本自治団体労働組合(自治労)傘下の川崎市教職員組合の委員長、職員局長を経て、1983年に伊藤三郎市長(当時)の下、助役に就任。
吉村忠典(よしむら ただすけ、1925年2月17日-?)は、… 吉村忠典(よしむら ただすけ、1925年2月17日-?)は、日本の西洋史学者。古代ローマ史を専門とした。 愛知県出身。東京帝国大学文学部西洋史学科卒。1953年横浜国立大学教育学部講師、助教授、教授。1990年定年退官、名誉教授、湘南国際女子短期大学教授。
千葉 一男(ちば かずお、1925年2月16日 - 2014… 千葉 一男(ちば かずお、1925年2月16日 - 2014年4月9日)は、日本の経営者。新王子製紙社長、会長を務めた。 宮城県出身。1950年に東京大学経済学部商学科を卒業し、同年に王子製紙に入社。1974年11月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1987年6月に副社長に就任し、1989年6月に社長に昇格した。社長在任時には、1993年に実施された神崎製紙との合併を取りまとめた。1995年6月に会長に就任し、1996年10月に取締役相談役を経て、1997年6月から相談役を務めた。 1990年4月に藍綬褒章を受章し、1997年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2014年4月9日、心不全のために死去。
冨田 弘一郎(とみた こういちろう、1925年2月16日 -… 冨田 弘一郎(とみた こういちろう、1925年2月16日 - 2006年5月22日)は、日本の天文学者。本格的なプロフェッショナルの天体観測を公共の天文台で職業として行なった草分け的な日本人の一人である。 東京府(現・東京都)出身。小惑星を多数発見し、2009年までにそのうち9個が番号登録され、7個が命名されている。 小惑星 (2391) 冨田は彼にちなんで命名された。
谷山治雄(たにやま はるお、1925年2月16日-2009年… 谷山治雄(たにやま はるお、1925年2月16日-2009年4月30日)は、税制学者。 東京生まれ。本名・三浦誠。中央大学卒業、大蔵省に入る。静岡大学講師などをへて、1962年に株式会社税制経営研究所を創立、所長。金沢大学講師。
榎本 肇(えのもと はじめ、1925年(大正14年)2月16… 榎本 肇(えのもと はじめ、1925年(大正14年)2月16日 - 2010年(平成22年)5月13日)は、日本の逓信官僚、工学者。東京工業大学名誉教授。電子通信学会副会長。 神戸工業専門学校機械科を経て、1944年(昭和19年)東京工業大学航空機工学科へ入学する。のち電気工学科へ転科。1948年(昭和23年)卒業後、逓信省電波局に入省する。その後、1954年(昭和29年)国際電信電話研究所、1967年(昭和42年)東京工業大学教授、1985年(昭和60年)富士通常任顧問。同年電子通信学会副会長。芝浦工業大学教授を歴任した。 逓信省電波局では、主に雑音電波の統計的測定理論、フェージングの情報理論的研究、散乱伝搬の多重散乱機構に関する研究を行った。
福田 一郎(ふくだ いちろう、 1925年2月16日 - 2… 福田 一郎(ふくだ いちろう、 1925年2月16日 - 2003年9月4日)は日本の音楽評論家。 日本大学を1947年に卒業後、1954年から『スイングジャーナル』誌で海外のジャズ・アルバムの紹介記事等を担当する。大橋巨泉らとの親交の影響でジャズ・クラブにも出入りし、大橋の代理で司会を担当した事から、DJなど自ら発信する役割も担っていく。ジャズの市場に限界を感じていた所にプレスリーらの台頭を見てロック市場の可能性に着目し、ロック主体の取材・評論活動に切り替えていく。1960年代末からビートルズなどの洋楽をラジオパーソナリティとして紹介するなど、洋楽評論の草分けとして活躍。若い頃から月に1度のペースでニューヨークを訪れ、現地のアーティストを取材したりライブを見ていた。
君島 久子(きみしま ひさこ、1925年2月15日 - 20… 君島 久子(きみしま ひさこ、1925年2月15日 - 2023年6月8日)は、日本の中国文学者・民族学者。国立民族学博物館名誉教授、聖徳学園岐阜教育大学名誉教授。 栃木県出身。慶應義塾大学文学部卒業。旧・東京都立大学大学院修士課程修了。国立民族学博物館教授を務め、1990年に定年退任し名誉教授、聖徳学園岐阜教育大学・岐阜聖徳学園大学教授。中国中央民族大学および雲南大学名誉教授。 中国児童文学研究会代表として『西遊記』『王さまと九人のきょうだい』など、多くの中国の昔話・民話の翻訳・研究著書を刊行している。
山本 広(やまもと ひろし、1925年2月15日 - 199… 山本 広(やまもと ひろし、1925年2月15日 - 1993年8月27日)は、日本のヤクザ、暴力団・一和会会長、三代目山口組組長代行。通称は山広(やまひろ)。 兵庫県津名郡都志村(現:洲本市五色町都志)で出口千代吉の三男として生まれる。 2歳の時、姉の嫁ぎ先に養子に出て、以降「山本」姓を名乗る。 神戸市兵庫区の兵庫高等小学校を卒業後、一時工員として働いたが、1942年、海軍へ徴兵され、南方方面を転戦して海軍一等兵曹となって1947年に復員した。 復員後、尼崎市の土建業・白石組(白石幸吉)の若衆となり、暫く白石の下で土木業務や神戸港の港湾荷役業務などに従事し、次第に頭角を現し、実績を出していった。
近藤 義郎(こんどう よしろう、1925年2月14日 ‐ 2… 近藤 義郎(こんどう よしろう、1925年2月14日 ‐ 2009年4月5日)は、日本の考古学者。岡山大学名誉教授。戦後の日本考古学を主導した重要な考古学者の一人である。 1925年(大正14年)、栃木県足利市に生まれる。栃木商業学校(現栃木県立栃木商業高等学校)を卒業。京都大学文学部を卒業。岡山大学へ赴任して以後、晩年まで数々の発掘調査を実施し、重要な調査成果と研究論文を次々と発表した。岡山大学法文学部教授ののち、名誉教授。考古学研究会代表、岡山の自然を守る会会長、前方後円墳研究会代表などを歴任した。 1979年(昭和54年)、古代オリエント史を専攻する三笠宮崇仁親王が楯築墳丘墓を見学した際には現地で説明にあたった。
吉原 政雄(よしはら まさお、1925年2月13日 - 20… 吉原 政雄(よしはら まさお、1925年2月13日 - 2017年4月28日)は、日本の実業家。パレスホテル初代代表取締役社長の吉原政智の子で、同社名誉会長。元日本ホテル協会会長。 1948年慶應義塾大学経済学部卒業。1977年パレスホテル代表取締役社長。1978年慶應義塾評議員。1985年日本ホテル協会会長。1989年日本ホテル厚生年金基金理事長。1994年藍綬褒章受章。1999年勲三等旭日中綬章受章。2001年パレスホテル代表取締役会長。2004年昭和大学監事。2011年パレスホテル相談役名誉会長。2017年脳卒中で逝去。 父は元パレスホテル代表取締役社長の吉原政智。母は元阪神急行電鉄代表取締役社長の小林一三の長女。
進士 慶幹(しんじ よしもと、1925年〈大正14年〉2月1… 進士 慶幹(しんじ よしもと、1925年〈大正14年〉2月13日 - 1987年〈昭和62年〉3月10日)は、日本の日本史学者。 暁星中学校を経て、1947年日本大学法文学部文学科史学専攻卒業、文学部助手。1949年東京大学史料編纂所入所、1972年日本大学教授。1987年3月10日、咽頭腫瘍のため死去。没後、勲四等瑞宝章を贈られた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
坂東 徹(ばんどう とおる、1925年(大正14年)2月13… 坂東 徹(ばんどう とおる、1925年(大正14年)2月13日 - 2010年(平成22年)9月2日)は、日本の政治家。旭川市長、旭川市名誉市民。 北海道旭川市出身。坂東幸太郎の四男として生まれる。1945年(昭和20年)東京獣医畜産専門学校卒業。1948年(昭和23年)旭川市役所に奉職し3年間勤務後、旭川隣保会第三保育所長、敬生会老人ホーム敬生園長などを務め、1959年(昭和34年)に旭川市議会議員に当選。市議4期の間に、市議会副議長も務めた。 1978年(昭和53年)に旭川市長選挙に立候補し、現職の松本勇を破って、初当選。五十嵐広三、松本と続いた革新市政から保守市政を奪還した。以降4期、市長を務めた。
もろさわ ようこ(1925年2月13日 - 2024年2月2… もろさわ ようこ(1925年2月13日 - 2024年2月29日)は、日本の女性史研究家。本名は兩澤葉子。一般財団法人「志縁の苑」代表理事。 1925年、長野県北佐久郡本牧村(現・佐久市)生まれ。 生家が没落し、女中奉公をしながら小学校を卒業。旧制専門学校入学者検定合格。戦中、疎開してきた陸軍士官学校・生徒隊本部に勤める。戦後、北信毎日新聞の記者(1946年)、鐘淵紡績丸子工場にあった鐘紡丸子高等文化学院の教員(1947年)を経て、1949年に上京した。 1946年には、初めて選挙で一票を投じた。 1951年、日本婦人有権者同盟(会長:市川房枝)の本部事務局に入り、機関紙『婦人有権者』を編集。また、財団法人婦選会館が発行する『月刊婦人展望』の編集者をつとめた。
2代 式守 伊三郎(しきもり いさぶろう、1925年2月13… 2代 式守 伊三郎(しきもり いさぶろう、1925年2月13日 - 1987年10月15日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1963年11月~1987年9月。荒汐部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。北海道白糠町出身。本名は松井利雄(まつい としお)。 1936年に木村昭夫の名で初土俵。入門時は荒汐部屋の所属だったが、1943年1月場所後に5代荒汐は荒汐部屋を閉鎖して双葉山道場に弟子を譲った為、以降は双葉山道場から名称を変えた時津風部屋の所属となる。1950年1月に十両格に昇格。1956年5月に幕内格に昇格。1962年1月、2代式守伊三郎襲名。1963年9月場所、三役格行司の4代木村誠道がこの場所限り廃業したため、翌11月場所に38歳の若さで三役格に昇格。
稲垣 富士男(いながき ふじお、1925年2月12日 - )… 稲垣 富士男(いながき ふじお、1925年2月12日 - )は、日本の経営学者・会計学者。商学博士(論文博士・1969年)。青山学院大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 東京市(現江東区)出身。1942年旧制日本大学第一中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒、1945年陸軍経理学校卒、1947年中央大学商学部卒、同大学院商学研究科博士課程中退、1969年「連結財務諸表論 アメリカにおける発展を中心として」で、商学博士の学位を取得。 中央大学助教授、日本大学商学部助教授、青山学院大学経営学部教授。1993年定年、名誉教授。 2002年、勲三等旭日中綬章受章。
鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日… 鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日 - 1991年3月18日)は、日本の下着デザイナー。 スキャンティーの命名者とされる。洋画家の鴨居玲は弟。 大阪府豊中市生まれ。父はジャーナリストの鴨居悠。 幼少期から子供時代の大半を石川県金沢市で過ごす。 豊中高等女学校(現・大阪府立桜塚高等学校)卒業。 旧制大阪府女子専門学校(大阪女子大学)国文科卒業。 新関西(夕刊紙)の校正係・家庭欄記者や、大阪読売新聞の学芸課記者を経て、独立。 3万円の退職金を元手に、下着デザイン・製造販売に着手。 1956年(昭和31年)1月、大阪市内に「チュニック制作室」という下着メーカーを設立(1958年に株式会社化)。
左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年… 左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大尉、海将。鹿児島県出身。海兵72期。 海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。 兄の正章と同じく旧制横須賀中(30期)から海軍兵学校へ入校。1943年(昭和18年)9月に卒業(第72期)、海軍少尉候補生。伊勢型戦艦1番艦「伊勢」乗組。乗艦実習の後、11月15日附で最上型重巡洋艦4番艦「熊野」乗組を命ぜられる。なお、兄の正章も太平洋戦争開戦時に海軍少尉として「熊野」に勤務している。
武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 198… 武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 1981年2月22日)は、日本の古典中国文学者、漢文学者。 大阪市出身。京都大学文学部中国文学科卒、奈良女子大学助教授、福井大学教育学部教授、立命館大学文学部教授。在職中に56歳で死去。『Viking』同人。
下村康正(しもむら やすまさ、1925年2月10日 - 20… 下村康正(しもむら やすまさ、1925年2月10日 - 2009年8月18日)は、日本の法学者。刑法学者。学位は、法学博士(中央大学)。元司法試験考査委員。中央大学名誉教授。東京都生まれ。 旧制巣鴨中学校卒業。1947年中央大学法学部卒業。恩師は草野豹一郎。1948年中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1963年中央大学通信教育部長に就く。1979年中央大学大学院法学研究科長・中央大学評議員に就任。1981年フランス・エクスマルセイユ第3大学客員教授(1982年まで)。1995年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第一東京弁護士会)。2002年、勲三等瑞宝章受章。
濱口 博章(浜口博章、はまぐち ひろあき、1925年2月10… 濱口 博章(浜口博章、はまぐち ひろあき、1925年2月10日 - )は、日本の国文学者。甲南大学・姫路獨協大学名誉教授。 兵庫県尼崎市生まれ。甲陽中学校を経て、1948年京都帝国大学文学部国文学科卒業。1956年同大学院退学。甲南大学講師、助教授、教授、1989年名誉教授、姫路獨協大学教授、1996年名誉教授。
岡本 正剛(おかもと せいごう、1925年2月10日 - 2… 岡本 正剛(おかもと せいごう、1925年2月10日 - 2015年1月16日)は、日本の武道家。大東流合気柔術六方会宗師。 岡本正剛は38歳という、武道を始めるには一般的に遅いと言われる年齢ではじめて大東流合気柔術の門をくぐった。それまで武道とは無縁の生活を送っていたが、知人から面白い技を使う人がいると聞き、冷やかし半分で堀川幸道のもとに見学に行ったのがその始まりだった。入門以来、ほぼ無欠席で稽古にいそしんだが本人は、「稽古後に皆でビールを飲むのが楽しみで通っていた」という。岡本は堀川門下生のなかでは異例のスピードで昇進した。 岡本の功績のひとつは、それまであまり知られることのなかった大東流合気柔術という武道を広く世に知らしめたことである。
花岡 宗助(はなおか そうすけ、1925年2月9日 - 20… 花岡 宗助(はなおか そうすけ、1925年2月9日 - 2015年11月14日)は、日本の官僚。通商産業省貿易局長を最後に退官後、日本輸出入銀行理事を経て、大阪ガス副社長に就任。のち特殊法人日本自転車振興会第9代会長。 東京府出身。1951年に東大法学部卒業後、通商産業省入省。同期には、田中誠一郎(経企次官)、宗像善俊(中小企業庁次長、公取委員、アジ研所長)など。 1974年大臣官房秘書課長、1976年大阪通産局長、1978年日銀政策委員を経て、1979年貿易局長。退官後は輸銀理事を経て、1982年大阪ガス入社。常務、専務を経て、1988年副社長就任。 1991年から日本自転車振興会の副会長(当時の会長は大薗英夫 1949年 通産省入省)となり、1993年から会長に就任する。
森本 信男(もりもと のぶお、1925年2月9日 - 201… 森本 信男(もりもと のぶお、1925年2月9日 - 2010年9月13日)は、日本の地球科学者。大阪大学名誉教授、京都大学名誉教授。専門は結晶学・鉱物学。学位は、理学博士(1954年)(学位論文「砒素硫化物の結晶構造」)。 長野県北安曇郡大町(現:大町市)生まれ。 X線結晶学を駆使した硫化銅鉱物の研究は、無機化学への貢献も大きい。また、これらの研究の過程で、新鉱物阿仁鉱 (anilite) を発見した。 1995年、岡山県で発見された新鉱物が森本柘榴石 (morimotoite) と命名された。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大河内 常平(おおこうち つねひら、1925年2月9日-19… 大河内 常平(おおこうち つねひら、1925年2月9日-1986年6月26日)は、日本の作家、刀剣研究家。 本名・山田常平(じょうへい)。東京生まれ。 敗戦後、日本大学芸術学部に進学し卒業後、進駐軍に勤めるかたわら推理小説を書き、「地獄からの使者」が『別冊宝石』の懸賞に入選。以後多くの小説を書くが、70年代に筆を折り、刀剣研究と軍装コレクションに熱中した。
岩崎 巌(いわさき いわお、旧字体: 岩崎 巖、1925年〈… 岩崎 巌(いわさき いわお、旧字体: 岩崎 巖、1925年〈大正14年〉2月9日 - 2020年〈令和2年〉4月16日)は、日本の作詞家、教員。早稲田大学学生歌『早稲田の栄光』(補作:西條八十/作曲:芥川也寸志)、応援歌『ひかる青雲』(作曲:古関裕而)ほか、神奈川県立高等学校校歌等を作詞した。 静岡県清水市宮加三(現・静岡市清水区宮加三)に、父大次郎、母そめの三男として生まれる。生後3カ月で母と、5歳の時に父と死別し、親戚に育てられる。その後、叔父の庄太郎・トシ夫妻の養子となる。 その後、庄太郎の仕事の関係で静岡県庵原郡富士川町(現・富士市)から横浜市へ転居する。横浜市立南吉田尋常小学校を経て関東学院中等部で学ぶ。
常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ、1925年2月9日 - … 常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ、1925年2月9日 - 1987年4月29日)は、岡山県児島郡小田村(現在の倉敷市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は橋本 正(はしもと ただし、旧姓は石川(いしかわ))。最高位は東前頭2枚目 (1952年5月場所)。現役時代の体格は175cm、98kg。得意手は左四つ、下手投げ、内掛けなど。 年寄・10代出羽海(元関脇・鷲羽山)の義理の叔父。 実家は農家で、14歳の時に同郷の藤島親方(元横綱・常ノ花、後の出羽海親方)を慕って、出羽海部屋への入門を願った。だが、体重不足により新弟子検査で合格できず、1939年暮れの検査で飯を腹一杯に詰め、廻しに鉛を入れた上に水をたらふく飲んでようやく合格した。
末包 良太(すえかね りょうた、1925年(大正14年)2月… 末包 良太(すえかね りょうた、1925年(大正14年)2月8日 - 1987年(昭和62年)10月24日)は、昭和時代の計算機科学者。 京都市に生まれる。第三高等学校、東京帝国大学工学部航空学科を経て1948年(昭和23年)同大学応用数学科を卒業。同大助手を経て1951年(昭和26年)電気試験所材料部数学研究室に勤務し、駒宮安男とともに1952年(昭和27年)継電器式自動計算機のパイロットモデルETL Mark Iを完成させた。これは日本初の逐次式自動計算機であった。のち駒宮と共に大型継電器式自動計算機ETL Mark IIの開発に着手し、1955年(昭和30年)高木正英や桑原繁らとともにこれを完成させた。
古田 光(ふるた ひかる、1925年2月8日 - 2007年… 古田 光(ふるた ひかる、1925年2月8日 - 2007年3月17日)は、日本の哲学研究者。横浜国立大学名誉教授。 中国・撫順市生まれ。1944年第三高等学校卒業。1947年東京文理科大学卒業。1954年横浜国立大学講師、1969年助教授、1970年教授。1990年定年退官、名誉教授、唯物論研究協会委員長、富山国際大学教授。 2004年4月瑞宝中綬章受章。2007年3月17日、胃癌のため死去。
加藤 一(かとう はじめ、1925年2月7日 - 2000年… 加藤 一(かとう はじめ、1925年2月7日 - 2000年2月10日)は画家。元競輪選手、元自転車競技選手。競輪選手選手登録番号1690。 東京・神田小川町生まれ。幼い頃から趣味として絵を描き続ける傍ら、生家の自転車を乗り回していた。旧制法政中学校から法政大学経済学部に入学し、自転車競技において活躍する最中に太平洋戦争で召集を受ける。復員後は法大を休学して東京美術学校(現・東京藝術大学)図案科に入学したが数か月で退学し、法大に復学して自転車競技を続けることになった。 大学卒業後から国民体育大会において短距離種目だけでなくロード種目においても優勝を重ねたことからヘルシンキオリンピックの代表候補に内定していた。
三輪 正弘(みわ まさひろ、1925年2月7日 - 2013… 三輪 正弘(みわ まさひろ、1925年2月7日 - 2013年7月7日)は、日本の建築家、インテリアデザイナー。 東京市(現中野区東中野)出身。父は弁護士・政治家の三輪寿壮、弟は医学者の三輪史朗。1949年東京工業大学建築学科卒。『新建築』の編集、建築綜合研究所(現アール・アイ・エー)を経て、1971年三輪環造形研究所を設立し所長(のち三輪環境計画と改称)。1971年東京造形大学教授、1977年武蔵野美術大学教授、1995年名誉教授。日本インテリアデザイナー協会会長。一級建築士。1985年『インテリアデザインとは何か』で日本図書館協会特定賞受賞。「にんべん本店ビル」「貝類博物館」「軽井沢町立博物館」など。
比嘉 敬(ひが たかし、1925年2月7日 - 2003年1… 比嘉 敬(ひが たかし、1925年2月7日 - 2003年12月11日)は、日本の経営者。沖縄タイムス社、琉球朝日放送社長を務めた。沖縄県中頭郡宜野湾村(現在の宜野湾市)出身。 陸軍航空士官学校を卒業し、1950年に沖縄タイムス社に入社した。1974年に監査役に就任し、取締役、東京支社長、常務、専務を経て、1982年に社長に就任。1992年から1年間会長を務めた。1994年から2000年までに琉球朝日放送社長を務めた。 2003年12月11日肺癌のために死去。78歳没。
秦 豊(はた ゆたか、1925年2月6日 - 2003年7月… 秦 豊(はた ゆたか、1925年2月6日 - 2003年7月29日)は、日本のニュースキャスター、政治家。参議院議員(2期)。 1925年愛媛県西条市に生まれる。1945年旧制関西大学専門部経済学科中退、NHKに入局し記者、アナウンサーとなる。 1950年レッドパージによりNHKを退職。翌1951年ラジオ九州入社。1957年同局で日米会談特派員、報道課長、制作部長、論説委員などを歴任。 1966年文化放送ニュースキャスター。1967年4月 - 1971年3月日本教育テレビニュースキャスター。夕方のANNニュース→ANN 夜のワイドニュースメインキャスター。1972年5月日本教育テレビの沖縄復帰記念式典中継特別番組の司会を務める。
外西 寿彦(ほかにし ひさひこ、1925年2月5日-1993… 外西 寿彦(ほかにし ひさひこ、1925年2月5日-1993年7月21日)は、日本の産婦人科医、産婦人科学者。周産期医療、母子救急医療の権威。鹿児島県の周産期医療・新生児医療の改善と発展に尽力した。鹿児島市立病院第5代院長。 宮崎県出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1951年に旧制県立鹿児島医学専門学校(後の旧制県立鹿児島医科大学、現・鹿児島大学医学部)卒業。1958年4月、旧制県立鹿児島医科大学より医学博士号授与。鹿児島大学産婦人科(町野碩夫教授)に入局し、1958年1月より助手、1961年5月より講師。1966年2月に鹿児島大学助教授となるが、鹿児島市立病院に招かれて7月に退職。
沖 種郎(おき たねお、1925年2月5日 - 2005年)… 沖 種郎(おき たねお、1925年2月5日 - 2005年)は、日本の建築家、都市計画家。通称「オキタネ」。 1925年(大正15年)、京都府峰山町に生まれる。1945年(昭和20年)第六高等学校 (旧制)を卒業後、東京大学に入学。1951年(昭和26年)同大工学部建築学科卒業後、大学院修士課程に進学。丹下健三計画研究室に所属し学ぶかたわら、広島平和記念会館本館、神奈川県立図書館・音楽ホール計画、外務省庁舎計画案、広島子供の家、愛知県民館を担当する。1954年(昭和29年)修士課程修了後、丹下健三のもとで清水市庁舎、図書印刷・原町工場(沼津市)、香川県庁舎を担当するほか、白百合学園(仙台市)や旭洋印刷社屋などを手がける。
山本 進一(やまもと しんいち、1925年(大正14年)2月… 山本 進一(やまもと しんいち、1925年(大正14年)2月5日 - 2013年(平成25年)1月25日)は、日本の法学者・裁判官・弁護士だった人物。法学博士(明治大学)。明治大学学長。専門は民法全般。 東京出身。1942年、慶應義塾商業学校卒業。1944年、明治大学専門部法科卒業。赤紙で召集を受ける。1945年、復員。1947年、高等試験司法科試験合格。1949年、明治大学法学部卒業。東京地方裁判所判事補に任官。1952年、東京簡易裁判所判事を併任。1953年、退官。明治大学法学部助教授(民法担当)。弁護士登録。1954年、明治大学法学部教授。1962年、博士(法学)。論文の題は「無効行為転換の理論」。
宇尾 光治(うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992… 宇尾 光治(うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992年10月16日)は日本の物理学者。専門分野は核融合・プラズマ物理学。京都大学名誉教授。1991年紫綬褒章受章。 北海道札幌市生まれ。1952年京都大学工学部電気工学科卒、同教室助手、同講師。1960年、学位論文「同軸積層ケーブルの伝送特性 」で、工学博士(京都大学)。1962年よりアメリカ・プリンストン大学研究員、西ドイツ・マックスプランク研究所客員教授、イギリス・カラム研究所研究員を経て、1966年京都大学工学部教授。 1950年代よりヘリカル型核融合装置の研究に従事し、1958年に独自のヘリオトロン方式を提唱し、以降も実験を重ねながら装置の改良を進めた。
山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年… 山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年〉2月4日 - 1992年〈平成4年〉4月1日)は、昭和から平成初期の国税官僚、政治家。小田原市長(2期)。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学、旧制第一高校を経て、1949年(昭和24年)東京大学法学部卒業。国税庁に入り、1953年倉吉税務署長、1955年金沢国税局総務部総務課長。1965年札幌国税局総務部長、1967年国税庁長官官房審議官、1968年国税庁長官官房参事官、1969年東京国税局調査第1部長、1970年東京国税局調査第1部長兼調査第2部長兼兼調査第3部長。同年東京国税局調査第1部長。1971年東京国税局総務部長、1973年広島国税局長、1975年大蔵省銀行局保険部長、1976年国税庁次長、1977年東京国税局長。
伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988… 伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988年5月25日)は、日本の検事総長・東京高検検事長・法務事務次官。「ミスター検察」と呼ばれた。名前の「栄」の正しい表記は旧字体の「榮」。没後、従三位を贈られた。
吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993… 吉田 正樹(よしだ まさき、1925年2月3日 - 1993年2月6日)は、日本の経営者。三菱油化(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。山口県下関市出身。 1947年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に商工省に入省した。1963年4月に三菱油化に移り、1973年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1981年3月に社長に就任した。 1984年11月に藍綬褒章を受章した。 1993年2月6日肝不全のため死亡。68歳没。
山口 昌哉(やまぐち まさや、1925年2月3日 - 199… 山口 昌哉(やまぐち まさや、1925年2月3日 - 1998年12月24日)は、日本の数学者(非線形数学)。京都大学名誉教授。社会・経済システム学会初代会長。 数学の力学系分野におけるカオス・フラクタル研究の先駆者。その他、主として非線型偏微分方程式の数値解析分野で業績を残した。研究の幅が広く、生物科学や社会科学への応用も積極的に行った。 溝畑茂とは京大在学中からの親友。弟子は多く、まとめて山口組と通称されることがある。西田孝明、西浦廉政、俣野博、宍倉光広、磯祐介らがいる。
大橋 節夫(おおはし せつお、1925年2月2日 - 200… 大橋 節夫(おおはし せつお、1925年2月2日 - 2006年6月7日)は、日本のハワイアン歌手、スティール・ギター奏者、ソングライター、編曲家。 東京都出身。ニックネームは「オッパチ」「オッパチさん」(オッパッツさん)。後に石原裕次郎や五木ひろしがカバーした「倖せはここに」などがヒットし、戦後の日本にハワイアンブームをもたらした。加山雄三のヒット曲「お嫁においで」の編曲、演奏を手がけたことでも知られる。 節分に産声を上げたところから節夫と名付けられる。12歳からウクレレを始めたが、間もなくスティール・ギターに転向。 1941年にセブンスターズ・ハワイアンを結成。1943年に海軍予備員となり、翌年に洲ノ崎派遣隊隊長として出征。
菱川 文博(ひしかわ ふみひろ、1925年(大正14年)2月… 菱川 文博(ひしかわ ふみひろ、1925年(大正14年)2月1日 - 2017年(平成29年)1月11日)は、日本の地方官僚、実業家。広島と長崎で相次いで原子爆弾の被害を受けた二重被爆者のひとり。 兵庫県阪神県民局長、コナミ工業株式会社名誉会長、株式会社G-7ホールディングス社外取締役を歴任した。 兵庫県明石市大蔵町で出生。父は兵庫県庁の職員、母は助産師(両親の略歴については後述)。両親はいずれも仕事で忙しかったので、菱川は祖母ために育てられた。 明石市立人丸小学校卒業後、旧制県立明石中学校(のちの兵庫県立明石高等学校)に進学。相撲が好きで、幼少時は強かったが、このときは周囲より体が小さかったので入部をあきらめ、吹奏楽部に入り大太鼓を担当した。
曽根田 郁夫(そねだ いくお、1925年2月1日 - 199… 曽根田 郁夫(そねだ いくお、1925年2月1日 - 1995年5月6日)は日本の政治家、厚生官僚、参議院議員(1期)。 北海道生まれ、福島県出身。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1947年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。翌年厚生省入省。年金局長、社会局長、社会保険庁長官、厚生事務次官を経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙で茨城県選挙区から自民党公認で立候補して落選。1983年の第13回参議院議員通常選挙で茨城県から自民党公認で立候補して当選。
斉藤 一雄(齋藤 一雄、さいとう かずお、1925年(大正1… 斉藤 一雄(齋藤 一雄、さいとう かずお、1925年(大正14年)1月30日 - 2005年(平成17年)10月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、東京都議会議員(4期)。東京神田出身。 1952年(昭和27年)明治大学商学部を卒業する。労働組合に入り、東京都労連政治部長、東京地評副議長などを歴任し、1973年(昭和48年)東京都議会議員に当選する。以後4回当選。1986年(昭和61年)日本社会党自治体議員団全国会議議長を務める。 1990年(平成2年)第39回衆議院議員総選挙に社会党公認で旧東京3区から立候補し初当選、当選1回。社会党東京都本部委員長、衆議院環境委員会理事などを歴任した。
夏堀 正元(なつぼり まさもと、1925年1月30日 - 1… 夏堀 正元(なつぼり まさもと、1925年1月30日 - 1999年1月4日)は、日本の小説家。 1925年、北海道小樽市において、小樽地方裁判所の判事を務めていた夏堀悌二郎(のちに北海道会議員、公選初代の八戸市長)の子として生まれる。1939年に父の郷里青森県に移る。1941年に中央大学予科に入学、1944年に旧制早稲田大学国文科に入学する。学徒出陣し、戦後大学に戻るが、1950年に中退する。北海道新聞社に入社、1954年に退社し、1956年に「呪文脱出」を『新潮』に発表し、作家として立つ。1960年に下山事件に取材した長編小説『罠』を刊行、評価される。1965年より同人誌『層』を5年間運営、黒井千次、井出孫六、色川武大などが加わった。