犬養 智子(いぬかい ともこ、1931年4月18日 - 20… 犬養 智子(いぬかい ともこ、1931年4月18日 - 2016年4月9日)は、日本の作家、翻訳家。 家事、女性問題、高齢者問題、都市問題などについて発言する一方、イラストも手がけ、童話、小説、翻訳も執筆する。 東京府出身。父親は波多野元武(三井物産勤務後千代田証券投資取締役)、母親は瀬下清(三菱銀行第3代会長)の三女・克。長女の犬養亜美はエッセイスト。祖父の波多野承五郎(1858年 - 1929年)は報知新聞記者、フランス公使館付書記官、朝野新聞社長、三井銀行役員、衆議院議員を歴任。 学習院女子短期大学文学科英語専攻卒業後、学習院大学政経学部政治学科に編入学して1954年に卒業する。1955年、米国イリノイ大学大学院入学。
森 常治(もり じょうじ、1931年4月17日 - 2015… 森 常治(もり じょうじ、1931年4月17日 - 2015年2月23日)は、日本の英文学者、詩人。早稲田大学理工学部名誉教授。 森於菟の五男として埼玉県大宮市に生まれる。森鷗外の孫。東京都立大森高等学校を経て早稲田大学第一文学部英文科卒業。同大学院文学研究科博士課程中退。小説家を目指し、丹羽文雄の『文学者』に参加、60年10月の『新潮』に「明るい砂丘の林の中で」を載せた。1961年より早大理工学部で英語を教え、1971年教授、2002年定年退任、名誉教授。日本記号学会会長。1987年『文学記号の空間』で平林たい子文学賞受賞。ケネス・バークの研究で知られる。文芸誌『同時代』同人。
太田 富雄(おおた とみお、1931年4月17日 - 201… 太田 富雄(おおた とみお、1931年4月17日 - 2016年11月27日)は、日本の脳神経外科医、大阪医科大学名誉教授。 1956年京都大学医学部卒、同大学院脳神経外科博士課程修了、1961年「合成樹脂による脳動脈瘤の破裂予防およびその補強法」で京都大学より医学博士の学位を取得。大阪医科大学教授、2002年定年退任、名誉教授、医誠会病院脳機能研究所、大阪脳神経外科病院、富永脳神経外科病院院長。
南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日… 南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。広島県広島市出身。 1956年に広島大学工学部を卒業し、同年に日立造船に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1992年4月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月に相談役に就任。
村田 忠良(むらた ただよし、1931年4月17日 - 20… 村田 忠良(むらた ただよし、1931年4月17日 - 2008年8月30日)は、日本の精神科医。 北海道生まれ。号・狸山人。1956年北海道大学医学部卒、1962年同大学院精神医学専攻博士課程修了、医学博士。北大医局員、士別市立病院医長、平松病院副院長、1971年聖母会天使病院精神科医長。1975年天使女子短期大学教授(兼任)。北海道家庭生活総合カウンセリングセンター理事長。アルコール依存症の治療に尽した。
団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月… 団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。 SMものなどの官能小説の第一人者として著名である。代表作に『花と蛇』。多くの作品が映画化された。作家活動の他、鬼プロダクションを設立して、ピンク映画やSM雑誌を手掛けた。将棋雑誌の出版も行った。 本名は黒岩幸彦(くろいわ ゆきひこ)。初期のペンネームに黒岩松次郎、花巻京太郎。なお、本人の弁によると“鬼六”の読みは、“おにろく”でも“きろく”でもどちらでも構わないとのこと。 滋賀県彦根市の映画館「金城館」を経営する父のもとに生まれ、幼い頃から映画を楽しむと同時に実家の映画館は遊び場でもあった。
富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月1… 富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月16日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の政治家。初代鶴岡市長、旧鶴岡市12代市長。2011年旭日中綬章受章。 鶴岡市出身。東北大学経済学部を卒業後、山形県庁に入庁。企画調整部長等を歴任。 1991年、旧鶴岡市の市長選で初当選。以後5期18年にわたって市長を務めた。市長在任中には、学術研究機関の整備による地域振興を政策理念の柱にとし、慶應義塾大学先端生命科学研究所の招致などに尽力した。「官僚的な人物だった」と一部では評価されている。 2011年、旭日中綬章受章。 2018年6月18日、肺炎のため鶴岡市内の病院で死去。87歳没。
石井 三雄(いしい さんゆう、1931年4月15日 - 2… 石井 三雄(いしい さんゆう、1931年4月15日 - 2021年)は、日本の政治家。元狛江市長(3期)。 東京都狛江市出身。1971年には狛江市議会議員に初当選し、以降4期16年務めた。その間には市議会議長も務めている。そして1984年、吉岡金四郎の後を引き継ぎ、市長となった。 市長時代には小田急電鉄複々線事業によって高架駅舎となるため、当時の市議(後の市長となる)矢野裕は議会で「車椅子利用者のためにエレベーターの設置すべき」という主張に対して、それに賛同して当時エスカレーターの設置で十分という考えだった小田急に対してエレベーター設置を要請した。そのほかの取り組みは狛江駅北口整備、北口地下駐車場整備、災害対策、あいとぴあセンター建設などを積極的に推進した。
板津 邦夫(いたづ くにお、1931年4月14日 - 202… 板津 邦夫(いたづ くにお、1931年4月14日 - 2023年1月26日)は、日本の彫刻家。北海道教育大学名誉教授。 北海道出身。北海道札幌東高等学校、東京芸術大学卒業。東京芸術大学では石井鶴三に師事した。木の特性を生かした、土俗的風合いを持った自由で斬新な木彫作品で知られる。北海道教育大学旭川校の彫刻ゼミの卒業生らでつくる彫刻グループ「青銅会」の設立者・指導者。
松浦 保(まつうら たもつ、1931年4月14日 - 201… 松浦 保(まつうら たもつ、1931年4月14日 - 2012年6月8日 )は、日本の経済学者。専門は経済学史。洗礼名 ステファノ カトリック府中墓地 建屋内納骨堂に遺骨が納めらる。 北海道勇払郡追分町(現・安平町)生まれ。1956年慶應義塾大学経済学部卒。イタリア政府留学生として、ローマ大学に留学。その後、ノルウェー・オスロ大学などにも留学。帰国後、慶應義塾大学経済学部助教授、同教授。 1977年、論文の盗用を指摘され退職勧告を受ける。78年3月3日に慶大は同問題を受けて解雇を決定した。入門書的なものであったため地位保全を求めて争う。慶應義塾大学経済学部教授を退職し、ローマ大学ジーニ社会統計研究所研究員、アメリカ経済学史常任理事、ミラノ・ボッコーニ商科大学客員教授、イタリア国際電信電話会社日本代表、在日イタリア商工会議所専務理事、関東学園大学経済学部教授などを歴任。
今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 20… 今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 2008年1月27日)は、日本の地方公務員、経営者。兵庫県副知事、サンテレビジョン会長を務めた。兵庫県豊岡市出身。勲三等旭日中綬章。位階は正五位。 1949年に兵庫県庁に入庁し、1954年に関西大学法学部を卒業。1993年から1997年までに副知事を務め、サンテレビジョン会長も務めた。 2008年1月27日肺炎のために死去。76歳没。
日渡 惺朗(ひわたし せいろう、1931年4月13日 - 2… 日渡 惺朗(ひわたし せいろう、1931年4月13日 - 2023年5月23日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 鹿児島県出身。1956年に九州大学工学部機械工学科を卒業し、1960年に富士製鉄(現在の日本製鉄)に入社。 1987年に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1993年6月に山陽特殊製鋼副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に就任。 2023年5月23日老衰のために死去。92歳没。
大牧 広(おおまき ひろし 1931年4月12日 - 201… 大牧 広(おおまき ひろし 1931年4月12日 - 2019年4月20日)は、日本の俳人。 東京府荏原区(現品川区)出身。弦巻学園高等学校卒。1965年、「馬酔木」「鶴」に入会。1971年、「沖」に入会し能村登四郎、林翔に師事。1974年、沖新人賞、83年、沖賞受賞。1989年、「港」を創刊・主宰。2009年、第64回現代俳句協会賞受賞。2015年、『正眼』で第30回詩歌文学館賞受賞。2016年、第15回山本健吉賞受賞。2019年、『朝の森』で第53回蛇笏賞受賞。市井人の哀愁をたたえつつ俳諧味のあふれる作風。門人に櫂未知子、仲寒蝉がいる。 2019年4月20日、膵臓癌のため死去。88歳没。蛇笏賞の授賞式の前に死去したため、授賞式では仲寒蝉が代理出席した。
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931… すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。位階は従四位。 日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。 1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。 父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
河原 敬(かわはら たかし、1931年(昭和6年)4月11日… 河原 敬(かわはら たかし、1931年(昭和6年)4月11日 - 2011年(平成23年)4月13日)は、日本の政治家。北海道歌志内市長(3期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 北海道芦別市出身。北海道歌志内高等学校卒。歌志内市役所に入り、企画開発、財政、総務の各課長、土地開発公社理事、助役などを歴任し、1992年、歌志内市長選挙に立候補し、現職の堀内日出男を破って当選した。1996年に無投票で再選。2000年も無投票で三選した。歌志内市長は2004年まで務めた。 死没日付をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された。
小林 俊弘(こばやし としひろ、1931年(昭和6年)4月1… 小林 俊弘(こばやし としひろ、1931年(昭和6年)4月11日 - 2020年(令和2年)3月28日)は、日本の政治家。元長野県小諸市長。 現在の小諸市出身。1950年(昭和25年)長野県北佐久農業高等学校卒業。北大井村役場に入り、小諸市に合併後、教育次長、総務部長などを経て、1992年(平成4年)小諸市助役となり、1996年(同8年)小諸市長選挙に当選し、2期務めた。2013年(同25年)旭日双光章受章。 2020年3月28日、肝不全のため、小諸市内の病院で死去。88歳没。死没日をもって正六位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
那須田 稔(なすだ みのる、1931年4月10日 - )は、… 那須田 稔(なすだ みのる、1931年4月10日 - )は、日本の児童文学作家。
上野 武志(うえの たけし、1931年4月9日 ‐ 2013… 上野 武志(うえの たけし、1931年4月9日 ‐ 2013年9月8日)は、日本の高校野球指導者。東京都(当時は東京府)出身。 現在の豊島区池袋に生まれた。母は宇都宮学園高等学校を経営する上野家の長女で、その弟の上野秀文が同校の校長を務めていた。宇都宮中学を経て、栃木県立宇都宮高等学校では三塁手、早稲田大学教育学部に進み、卒業後は富士機械製造でプレーし、監督も務めた。1959年秋に叔父の秀文から誘われ、宇都宮学園高校野球部コーチとなり、翌年6月から監督に就任。1961年の第43回全国高等学校野球選手権大会に同校を出場させて以降、甲子園常連校となった。1995年の第77回全国高等学校野球選手権大会後に監督を退き総監督になったが、1999年末に引退。
広中 平祐(ひろなか へいすけ、正字体:廣中 平祐、1931… 広中 平祐(ひろなか へいすけ、正字体:廣中 平祐、1931年(昭和6年)4月9日 - )は日本の数学者。ハーバード大学元教授。京都大学数理解析研究所元所長。日本人で2人目のフィールズ賞受賞者である。専門は代数幾何学で、フィールズ賞受賞対象の研究は「標数0の体上の代数多様体の特異点の解消および解析多様体の特異点の解消」。日本学士院会員。
池高 聖(いけたか さとし 1931年4月8日 -2022 … 池高 聖(いけたか さとし 1931年4月8日 -2022 年1月20日)は、山口県周南市の徳山大学を経営する学校法人徳山教育財団理事長。元東洋鋼鈑株式会社専務取締役兼下松工場工場長。北九州市小倉北区出身。2022年1月20日午前6時01分誤嚥性肺炎で死去。
小西 昭之(こにし あきゆき、1931年4月7日 - 199… 小西 昭之(こにし あきゆき、1931年4月7日 - 1994年8月1日)は、日本のジャーナリスト。 長野県出身。長野県松本県ヶ丘高等学校、東京大学教養学部教養学科卒業後、1955年毎日新聞入社。イギリス留学(ロンドン大学政治経済大学院修了)、外信部記者、ロンドン特派員を経て、北米総局長、外信部部長を歴任。 縣陵新聞部時代(1949年~1951年)、小西が部長を務めた1950年の中日新聞社主催全国新聞コンクールで第2位、1951年の朝日新聞社主催全国新聞コンクールで第3位の成績を残している。
田中 茂樹(たなか しげき、1931年(昭和6年)4月7日 … 田中 茂樹(たなか しげき、1931年(昭和6年)4月7日 - 2022年(令和4年)10月4日)は、日本の元マラソン選手、日本人初のボストンマラソン優勝者。広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)出身。身長162cm。庄原市民栄誉賞。 1931年(昭和6年)4月7日、中国山地山間の農村・広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)に生まれる。 14歳の時、国民学校での朝礼中、130キロ離れた広島市に投下された原爆の閃光を見た。まもなく大やけどを負った被爆者が、田中の村にもたくさん運び込まれて寺で焼かれた。「アメリカは人殺しの国じゃ」と憎悪を募らせた。 14歳で父を亡くし、2人の兄は軍隊に召集された。そのため牛の手綱を取り田畑を耕作し、母の農作業を手伝いながら1年遅れで広島県比婆西高等学校(現・広島県立庄原実業高等学校、庄原格致高等学校)比婆西高校に進学。
寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳… 寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。東邦大学医学部に脳神経外科教室を創設、初代教授を務めた。静岡市出身。「寺尾栄夫」表記も多用される。 1931年、男ばかりの3人兄弟の次男として静岡市に誕生。静岡市城内東小学校卒業。1948年、静岡県立静岡中学校4年終了で、静岡高等学校 (旧制)に入学したが、学制変更により1年で廃止。新制静岡大学文理学部プレメディカルコースに入学。2年後に東京大学医学部入学。1955年、東京大学医学部卒業。医師免許を取得、東京大学医学部附属病院第一外科・脳神経外科に入局と同時に大学院生となった。大学院在籍の間に教授の指示で、船医を経験した。
西村 暹(にしむら すすむ、1931年4月7日 - 2022… 西村 暹(にしむら すすむ、1931年4月7日 - 2022年9月5日)は日本の生化学者、分子生物学者。在米中ハー・ゴビンド・コラナの研究室において、遺伝暗号解読プロジェクトで中心的な役割を果たした。1968年コラナはこの仕事でノーベル生理学・医学賞を受賞した。帰国後はtRNAの研究に転じ世界的な研究拠点を形成した。アメリカ生化学・分子生物学会名誉会員。東京府東京市深川区(現東京都江東区)生まれ。 その後、癌研究会癌研究所、オークリッジ国立研究所(ロックフェラー財団給費研究員)、ウィスコンシン州立大学等を経て
大南 正瑛(おおなみ まさてる、1931年4月6日 - 20… 大南 正瑛(おおなみ まさてる、1931年4月6日 - 2023年5月20日)は、日本の工学者。勲等は瑞宝重光章。学位は工学博士(京都大学・1960年)。立命館大学名誉教授・京都橘女子大学名誉教授。材料力学専攻。 京都府生まれ。学校法人立命館総長、立命館大学学長、京都橘女子大学(現:京都橘大学)学長を歴任した。 また、社団法人日本私立大学連盟常務理事、文部科学省大学設置・学校法人審議会常任委員、大学入試センター運営委員、財団法人大学コンソーシアム京都副理事長、文部科学省大学設置分科会運営委員、同省中央教育審議会専門委員、同省大学評価・学位授与機構評議員を歴任した。
阿見 宏介(あみ こうすけ、1931年4月5日 - 2015… 阿見 宏介(あみ こうすけ、1931年4月5日 - 2015年2月15日)は、歴史作家、放送作家。 本名・鈴木 久尋。東京生まれ。 学習院大学卒。文化放送に勤務時、ラジオプロデューサー。1975年芸術選奨受賞。芸術祭ラジオドラマ部門で14年連続優秀賞受賞。鈴木久尋演劇事務所ステージ97代表。歴史小説を書いた。
内川 義高(うちかわ よしたか、1931年4月4日 - )は… 内川 義高(うちかわ よしたか、1931年4月4日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。現役時代の専門は長距離走・マラソン。 1952年ヘルシンキオリンピックのマラソン競技に日本代表として出場した。 佐賀県神埼郡東背振村(現・吉野ヶ里町)出身。7人兄妹の三男だった。 卒業した佐賀県立三養基高等学校では目立った競技歴はなく、旧制中学5年の時に駅伝選手の不足を理由に走ることを強要された時には練習にいつもついていけなかったという。1955年の読売新聞記事では、その学年の12月に学校が佐賀県の駅伝大会で優勝したことで陸上競技への関心が高まり、先輩選手が二人在籍する三井山野炭鉱に入社したと記されている。
梅田 博之(うめだ ひろゆき、1931年4月4日 - 201… 梅田 博之(うめだ ひろゆき、1931年4月4日 - 2019年7月1日)は、日本の朝鮮語学者。 東京外国語大学教授・麗澤大学教授を経て、東京外国語大学名誉教授、麗澤大学名誉教授。東京都出身。
石丸 利人(いしまる としひと、1931年(昭和6年)4月4… 石丸 利人(いしまる としひと、1931年(昭和6年)4月4日 - 2000年(平成12年)3月11日)は、日本のボクサー。 早稲田大学出身。早稲田大学在学中に1952年ヘルシンキオリンピック、ハワイ大学在学中に1956年メルボルンオリンピックに出場し、ヘルシンキ五輪では1回戦で敗退、2度目の出場となったメルボルン五輪では2回戦で敗退した。 2000年3月11日23時17分、肺炎のため死去。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
依田 憙家(よだ よしいえ、1931年4月3日 - )は、日… 依田 憙家(よだ よしいえ、1931年4月3日 - )は、日本の東洋史学者。早稲田大学名誉教授。 東京牛込生まれ。本籍長野県。長野県野沢北高等学校を経て、1957年早稲田大学日本史卒。1961年、同大学院商学研究科修士課程修了。1966年、早稲田大学社会科学研究所助手。1967年に専任講師、1970年に助教授を経て、1975年に教授。1992年、「日本帝国主義と中国」で中華人民共和国南開大学歴史学博士。1998年、移行により早稲田大学アジア太平洋研究センター教授。2002年定年退任、名誉教授。この間、北京大学客員教授、復旦大学研究員など。
加藤 晋平(かとう しんぺい、1931年4月3日- )は、日… 加藤 晋平(かとう しんぺい、1931年4月3日- )は、日本の考古学者。モンゴル国考古研究所名誉教授。ユーラシア考古学。 東京出身。1954年千葉大学理学部卒、1961年東京大学大学院博士課程満期退学、立教大学博物館学研究室助教授、千葉大学教養部教授、1983年筑波大学教授、95年定年退官、國學院大學教授、札幌学院大学教授を務めた。
柳澤 嘉一郎(やなぎさわ かいちろう、1931年4月3日- … 柳澤 嘉一郎(やなぎさわ かいちろう、1931年4月3日- )は、日本の生命科学者、筑波大学名誉教授。妻は柳澤桂子。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1954年東北大学理学部生物学科卒業、1963年コロンビア大学大学院修了、1970年東北大学理学博士。ブランダイス大学、スローン・ケタリング癌研究所、東京都立アイソトープ研究所遺伝研究室、1975年東京教育大学教授、1976年筑波大学教授、1995年定年退官、名誉教授。柳澤研究室出身者に相賀裕美子国立遺伝学研究所名誉教授など。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
福原 黎三(ふくはら れいぞう、1931年4月2日 - 19… 福原 黎三(ふくはら れいぞう、1931年4月2日 - 1970年2月27日)は、広島県東広島市八本松町出身のサッカー選手、サッカー指導者。 1945年8月6日、原爆投下後の広島市に入り入市被爆。 1946年広島一中(のちの鯉城高等学校、現広島国泰寺高等学校)3年生のときにサッカーを始める。重松良典は一中サッカー部の1年先輩にあたる。また学校の同期には原田康夫(広島大学学長)、坂田正二(呉大学学長)、沢田昭二(名古屋大学名誉教授)、葉佐井博巳(広大名誉教授)などがいる。 全国中等学校蹴球大会(現全国高等学校サッカー選手権大会)が学制改革により全国高等学校蹴球選手権大会となった1948年に優勝した鯉城高校のフォワード(センターフォワードあるいはインサイドレフト)。
勝田 有恒(かつた ありつね、1931年4月2日 - 200… 勝田 有恒(かつた ありつね、1931年4月2日 - 2005年4月26日)は、日本の法制史学者。一橋大学名誉教授。専門は西洋法制史。1991年比較法史学会設立発起人・同学会理事就任、1995年同学会理事長就任。1983年日本学術会議政治学・法律学研究連絡委員。1998年法文化学会設立発起人・同学会顧問就任。 1931年、熊本県熊本市生まれ。1944年、東京高等師範学校附属国民学校(筑波大学附属小学校の前身)卒業。1948年、鹿児島県立第一鹿児島中学校(県立鶴丸高校の前身)4年を修了し、1949年に第七高等学校(鹿児島大学の前身)理科1年修了。一橋大学法学部に進み、町田實秀に師事した。1957年に卒業し、同大学大学院に進む。
倉多 爽平(くらた そうへい、1931年4月2日 - )は、… 倉多 爽平(くらた そうへい、1931年4月2日 - )は、日本の元俳優。福島県双葉郡広野町出身。日本歯科大学出身。父は詩人・医師の額賀誠志。妻は女優の瞳麗子。長男はプロゴルファー額賀靖生。長女は歌手の弘妃由美。 倉田順、倉田爽平名義で活動していた時期もある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山本 善之助(やまもと ぜんのすけ、1931年(昭和6年)4… 山本 善之助(やまもと ぜんのすけ、1931年(昭和6年)4月1日 - 2001年(平成13年)10月11日)は、日本の写真家。一部文献では山本 善之介とも。 1931年(昭和6年)4月1日、当時の東京市本郷区(現・東京都文京区の一部)で、上野のアメヤ横丁の布団屋(現在のたいまる本店の場所)の七人兄姉弟の五男として生まれる。父:廣三郎、母:冨美子。 1945年(昭和20年)3月、聖橋工業高校(神田駿河台:聖橋高等工学校)を第2学年で戦時動員令にて終了中退。 1946年(昭和21年)4月、東京都立芝商業学校(旧制中学、現東京都立芝商業高等学校)を入学、1950年(昭和25年)3月卒業。 1950年(昭和25年)4月、東京都立芝商業高等学校(新制高校)第4学年編入、1952年(昭和27年)3月卒業(1年間休学)。
前田 專學(まえだ せんがく、1931年4月1日 - )は、… 前田 專學(まえだ せんがく、1931年4月1日 - )は、日本のインド哲学者、仏教学者、東京大学名誉教授。文学博士。公益財団法人中村元東方研究所理事長・東方学院長。 愛知県名古屋市に生まれる。実兄は原始仏教及び上座仏教研究者の前田惠學、祖母は日本画家の前田錦楓。 愛知県立瑞陵高等学校を経て、1955年東京大学文学部印度哲学梵文学科卒。同大学院人文科学研究科修士課程修了後、フルブライト奨学生として米国ペンシルベニア大学大学院東洋学専攻博士課程に留学。修了後、同大学助教授などを経て、1982年に東京大学文学部印度哲学科教授。1991年定年退官、名誉教授。武蔵野大学教授・副学長を歴任。1973年文学博士(東京大学)。
望月 喜市(もちづき きいち、1931年4月1日- )は、日… 望月 喜市(もちづき きいち、1931年4月1日- )は、日本の経済学者、ソ連・ロシア研究者。北海道大学名誉教授、ロシア科学アカデミー極東支部経済研究所名誉教授。NPO法人ロシア極東研理事。
吉田 直哉(よしだ なおや、1931年4月1日 - 2008… 吉田 直哉(よしだ なおや、1931年4月1日 - 2008年9月30日)は日本の演出家、テレビディレクターである。元NHK特別主幹(理事待遇)。
則武 真一(のりたけ しんいち、1931年(昭和6年)4月1… 則武 真一(のりたけ しんいち、1931年(昭和6年)4月1日 - 2018年(平成30年)10月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(日本共産党公認、1期)。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岡山県本部長。 岡山県出身。広島大学文学部仏文学科を卒業後、山陽新聞記者、同労組委員長や新聞労連中央執行委員などを歴任。岡山県議会議員を務めた後、1979年(昭和54年)第35回衆議院議員総選挙で岡山1区から立候補し初当選。1980年(昭和55年)第36回総選挙にも立候補したが再選はならなかった。2006年(平成18年)12月10日、報道関係者OBと共に岡山マスコミ九条の会を設立する。 2018年10月2日、老衰のため岡山市北区の病院で死去。
山田 三郎(やまだ さぶろう、1931年4月 - 2020年… 山田 三郎(やまだ さぶろう、1931年4月 - 2020年11月)は、日本の農業経済学研究者、東京大学名誉教授。 1957年東京大学農学部農業経済学科卒、62年同大学院博士課程修了、「明治七年以降日本農業の資本・労働・土地と生産・所得」により、東京大学から農学博士を取得。同年東大農学部助手、63-68年米国、タイ、マレーシアに出張。1968年東京大学東洋文化研究所専任講師、71年助教授、76年教授。92年定年退官、名誉教授、日本大学農獣医学部教授。 長くアジアにおける農業の国際比較研究に取り組み、国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計の分析などを蓄積し、1992年には、その集大成となる『アジア農業発展の比較研究』を刊行した。
田邊 昇学(たなべ しょうがく、1931年4月 - 2008… 田邊 昇学(たなべ しょうがく、1931年4月 - 2008年6月10日)は、日本の造園系建設官僚。 1949年に旧制成蹊高等学校高等科理科甲類を卒業し、群馬県土木部、建設省都市局公園緑地課長などに勤務した[要出典]。 1982年当時は住宅・都市整備公団理事を務めていた。同年、第7回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 東京都公園審議会会長、都市公園法施行五十周年記念事業実行委員会委員などの役職を歴任した[要出典]。日本公園緑地協会では会長を務めた。 死去前年の2007年に『20世紀後半期における都市およびその都市圏の変遷に関する比較研究』で博士(農学)の学位を東京大学より取得している。 2008年6月10日、呼吸不全のため死去。
重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2… 重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2020年10月1日)は、日本の工学者。東京理科大学名誉教授。東京理科大学学長補佐や、諏訪東京理科大学初代学長を務めた。藍綬褒章受章。 重倉珉祐(東北大学名誉教授)長男として、1931年仙台市に生まれる。東北大学工学部建築学科、同大学院博士課程を経て小野田セメント中央研究所に7年間勤務、東京理科大学に転じ助教授、39歳で教授となる。 建築学科主任、理工学部長、理工学研究科長、火災科学研究所長、学長補佐などの要職を歴任した。1998年東京理科大学諏訪短期大学を四年制大学に転換するため学長として赴任、転換後、諏訪東京理科大学学長を務めた。専門は建築材料学。
平井 照敏(ひらい しょうびん、1931年(昭和6年)3月3… 平井 照敏(ひらい しょうびん、1931年(昭和6年)3月31日 - 2003年(平成15年)9月13日)は、日本の俳人・フランス文学者。青山学院女子短期大学名誉教授。本名・てるとし。 東京都生まれ。1954年(昭和29年)東京大学文学部仏文科卒業、同大学院比較文学比較文化修士課程入学。1959年(昭和34年)詩集『エヴァの家族』を刊行、詩人として活動を始め、またフランス詩の研究も行う。青山学院短期大学に勤務しのち教授。2001年(平成13年)青山学院女子短期大学名誉教授。 1965年(昭和40年)ごろから俳句を作りはじめ、加藤楸邨に師事、「寒雷」に入会。寒雷賞受賞、同誌編集長になる。1974年(昭和49年)句集『猫町』を刊行、主宰誌「槇」を創刊する。
安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004… 安倍 基雄(あべ もとお、1931年3月31日 - 2004年1月23日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正四位。 文部政務次官(細川内閣)、衆議院議員(通算4期)を務めた。父は内務大臣を務めた安倍源基。 1931年(昭和6年)、東京生まれ。永田町小学校(現麹町小学校)、旧制成蹊高等学校を経て、1953年(昭和28年)、東京大学法学部法律学科卒業。大蔵省に入省。理財局総務課に配属。昭和28年旧制入省組同期には、吉野良彦、大場智満、津島雄二、近藤鉄雄らがいた。1959年(昭和34年)、フルブライト留学生としてペンシルベニア大学大学院に留学、計量経済学を専攻。1961年(昭和36年)、ペンシルベニア大学大学院でPh.D.(経済学博士号)を取得。
柏木 敏夫(かしわぎ としお、1931年3月31日 - 20… 柏木 敏夫(かしわぎ としお、1931年3月31日 - 2003年2月25日)は、プロ野球審判員で元セントラル・リーグ審判部副部長。旧制明石中学(現在の兵庫県立明石高等学校)卒業後、地元の会社を務めてから1959年セ・リーグ審判部入局し、審判部副部長をつとめた後、1989年引退。セ・リーグ袖番号は20(1988年から1989年引退まで、20は1998年以降土山剛弘がつけている。なお、2010年にセパが統一され現在は白井一行がつけている。)。通算出場試合数は3044。オールスターゲームにはよく出場したが、日本シリーズの出場経験はない。 審判時代は強気の「強権発動」で鳴らし、つまらない野次やルール無知によるクレームはガンとして撥ね付けていた。
伊藤 利男(いとう としお、1931年3月31日 - )は、… 伊藤 利男(いとう としお、1931年3月31日 - )は、日本のドイツ文学者、九州大学名誉教授。 長野県生まれ。1954年東京大学文学部独文科卒業、1957年同大学院修士課程修了、文学部助手、1960年九州大学教養部講師、助教授、1971年文学部助教授、1985年教授、1995年定年退官、名誉教授。
清水 徹(しみず とおる、1931年3月31日 - )は、日… 清水 徹(しみず とおる、1931年3月31日 - )は、日本のフランス文学者・翻訳家。明治学院大学名誉教授。 東京府生まれ。1954年東京大学フランス文学科卒業、1956年同大学院修士課程修了、東京大学助手、國學院大學助教授、1965年明治学院大学文学部助教授、1970年教授。1986年同図書館長、1997年退職。 ヌーヴォー・ロマン作家のミシェル・ビュトールの研究、翻訳を行い、1967年に「時間割」の訳でクローデル賞。1985年に出版したマルグリット・デュラス『愛人』は、1992年に映画公開され文庫判はベストセラーになった。1991年、ビオイ=カサーレス『モレルの発明』の翻訳でBABEL国際翻訳大賞日本翻訳大賞・文学部門。
西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本… 西 桂太(にし けいた、1931年3月31日 - )は、日本の男性俳優、声優、演出家、映像ディレクター、吹き替えディレクター、翻訳家、劇作家。本名及び演出家としての名義は大西 桂太。翻訳家としての名義は秋元 良介。大阪府出身。 1956年、大学在学中にぶどうの会演出部に入団。早稲田大学演劇科卒業後はTBS放送劇団、青年工房、土の会で俳優・声優として活動後、フリーランスとなり、日本合唱センター、劇団アトリエ座、劇団どらま座、声の劇団イマージュ(代表を経て、顧問)、演劇企画集団「人」などを設立した。 日活芸術学院、東京アナウンス学院などで講師も行っていた。 2017年、親戚関係にあたる高嶺巌によって引退していることが明かされた。
坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は… 坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は、日本の映画監督、先端映像研究所代表取締役社長。愛媛県越智郡桜井町(現・今治市)出身。