野水 克己(のみず かつみ、1924年12月1日 - 200… 野水 克己(のみず かつみ、1924年12月1日 - 2008年11月5日)は、日本の数学者。 大阪府出身。旧制第三高等学校卒、大阪大学理学部卒、シカゴ大学でPh.D.を取得。名古屋大学、ブラウン大学教授。パリ大学、ボン大学、ブラジルの純粋応用数学研究所(ポルトガル語版)(IMPA)、大阪大学客員教授。専門は多様体上の接続論。
1924年(大正13年)生まれ:861人
野水 克己(のみず かつみ、1924年12月1日 - 200… 野水 克己(のみず かつみ、1924年12月1日 - 2008年11月5日)は、日本の数学者。 大阪府出身。旧制第三高等学校卒、大阪大学理学部卒、シカゴ大学でPh.D.を取得。名古屋大学、ブラウン大学教授。パリ大学、ボン大学、ブラジルの純粋応用数学研究所(ポルトガル語版)(IMPA)、大阪大学客員教授。専門は多様体上の接続論。
井上 秀雄(いのうえ ひでお、1924年(大正13年)12月… 井上 秀雄(いのうえ ひでお、1924年(大正13年)12月1日 - 2008年10月7日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。 1924年、愛知県生まれ。京都大学文学部に入学し、三品彰英に師事。1950年、京都大学文学部史学科卒業。1962年より大阪工業大学講師、1963年より同助教授、1973年より同教授。1975年に東北大学文学部へ移り、教授を務め、1988年に定年退官、名誉教授。その後は樟蔭女子短期大学教授として教鞭をとり、1993年~1999年には樟蔭女子短期大学学長を務めた。 通説とは異なった多くの問題提起をした。倭を大和朝廷とする通説に対して、朝鮮半島南部にいた人を倭人と呼んだ、などがその一例である(「倭・倭人・倭国」東アジア古代史再検討 第2部参照 人文書院)。
堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1… 堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1日 - 2015年〈平成27年〉7月14日)は、日本の実業家。株式会社堀場製作所創業者および同社最高顧問。 京都帝国大学理学部教授の堀場信吉の長男として京都市に生まれる。京都教育大学附属京都小学校・京都教育大学附属京都中学校(現:京都教育大学附属京都小中学校)、旧制甲南高等学校(現:甲南大学)を経て、1946年(昭和21年)京都帝国大学理学部物理学専攻卒業。物理学者を志したが、在学中の1945年(昭和20年)に太平洋戦争が日本の敗戦に終わると、堀場の指導教授であった荒勝文策が日本の原子力爆弾開発の中心人物であったために、京大の原子力核実験施設はGHQによってすべて粉々に解体され、研究の道に進むことを断念する。
草下 英明(くさか ひであき、1924年12月1日 - 19… 草下 英明(くさか ひであき、1924年12月1日 - 1991年6月22日)は、日本の科学解説者、科学ジャーナリスト。 東京府(現・東京都)出身。立教大学経済学部卒業。在学中には、箱根駅伝に出場した経験がある(第22回大会)。1947年大成建設(旧大倉組)に入社した後、1948年から誠文堂新光社「子供の科学」のち「科学画報」編集部、1952年には教育弘報社勤務、1953年から平凡社の編集部員、1956年から五島プラネタリウム解説員。 1957年に創設されたSFファングループ「宇宙塵」に、初期から参加。短編「カスティリョ・ゴメスの脚」が、のちに『宇宙塵傑作選〈1〉日本SFの軌跡』に収録されている。
高原 宏平(たかはら こうへい、1924年12月 - 200… 高原 宏平(たかはら こうへい、1924年12月 - 2006年3月)は、日本のドイツ文学者。ローザ・ルクセンブルクやヴァルター・ベンヤミン、エルンスト・ブロッホ、ヨハネス・R・ベッヒャーの翻訳者。同志社大学名誉教授。関西国民文化会議・対外文化連絡部〈ドイツ・グループ〉や新日本文学会、活動家集団思想運動で活動した。 東京都目黒区生まれ。第二次世界大戦中には、東京大学農学部農業経済学科で東畑精一に師事しながら、高津正道らの集まりに参加していた。後年、武井昭夫は、吉本隆明の「自分たちの世代の学生・生徒は左翼思想の影響を受けることがまったくできなかった」という主張を批判する際に、吉本と同い年である高原宏平の戦時下における学生生活に触れて、「吉本さんと同年配ないしもっと若い人たちで戦中から左翼だった人はいるわけです」と証言していた。
千家 紀彦(せんげ のりひこ、1924年〈大正13年〉12月… 千家 紀彦(せんげ のりひこ、1924年〈大正13年〉12月 - 1994年〈平成6年〉7月12日)は、日本のジャーナリスト、作家。筆名には、志摩紀久夫(しまきくお)、青柳淳郎(あつろう)、本間丫閑斎(あかんさい)がある。朝鮮半島の大邱市生まれ、東京市麻布区材木町(現・東京都港区六本木)育ち。本籍は島根県大社町。両親はいとこ婚であり、父方の祖父も母方の祖父も千家尊福。父は尊福の養子・千家尊宣、弟に千家崇彦がいる。母方の伯父は詩人千家元麿。学習院では三島由紀夫と同級生だった。 幼い頃から父親にDVを受け、14歳の時、父親と女中の性行為を目撃してから不良化。1939年、学習院中等科2年生の時に煙草を吸って退寮処分となる。
松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - … 松橋 忠光(まつはし ただみつ、1924年11月30日 - 1998年12月11日)は、日本の警察官僚、著作家。 警察官としての最終階級は警視監。内村鑑三系無教会主義のクリスチャン。 民主警察幹部見習(警察庁キャリア組)第1期生。 2004年頃から社会問題となった警察不正経理問題を、その20年前の1984年に初めて告発した。松橋の告発は、国会で取り上げられるなど話題となったものの、当時の警察庁からは無視された。 北海道出身。旧制小樽経済専門学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
難波 喜造(なんば きぞう、1924年11月30日 - 20… 難波 喜造(なんば きぞう、1924年11月30日 - 2005年10月14日)は、日本の教育学者、国文学者。元神戸大学、早稲田大学教授で日本文学協会創立メンバー。専門は国語教育学。 大阪府出身。天王寺中学校(現天王寺高校)卒業後、高知高等学校(現高知大学)理学部に入学し、文学部に編入・卒業した。卒業後、東京帝国大学(現東京大学)文学部に入学・卒業し、同大学院に進学・満期退学後は都立高校国語科教諭として、東京都立赤城台高等学校、東京都立大学附属高等学校へ赴任した その後、奈良教育大学助教授・同教授を務め、教授時には奈良教育大学附属小学校長を併任した。神戸大学教育学部教授、佛教大学文学部教授を歴任後、早稲田大学大学院客員教授となり国語教育学を講じた。
塚本 悦郎(つかもと えつろう、1924年11月30日 - … 塚本 悦郎(つかもと えつろう、1924年11月30日 - 2014年8月16日)は、福岡県出身のプロ野球選手(外野手)。 明善中を経て西南学院経済専門学校を卒業。戦前にプロ球団を保有し、日本野球連盟への復帰を目指す西日本鉄道に進む。1948年の都市対抗にチーム初出場。武末悉昌の好投もあって決勝に勝ち進み星野組と対戦、初参加で初優勝を果たす。武末以外のチームメートにも宮崎要、武末悉昌、上野義秋、深見安博、大崎憲司、伴勇資ら、のちにプロ球団の主力となる選手が揃っていた。 1950年に西日本鉄道が創立した西鉄クリッパースへ入団する。1952年には外野陣の一角として起用され、規定打席には届かなかったが打率.308を記録。
森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日… 森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日 - 1998年(平成10年)8月26日)は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役社長。 広島県広島市で生まれ、旧満州で育つ。旧制広島高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業する。 大学時代、GHQ関連のアルバイトを始めるが、そこで森田に割り振られた仕事は、その日の朝刊に載った記事のうちGHQの高官に読ませたいとして担当の将校がよりわけた記事を英文に訳すことだった。ところが、渡される記事のほとんどが日経の記事だった。「また日経ですか」と森田が聞くと日系二世の中尉は笑って、「しようがないさ。ここの記事がいちばん公平で参考になるんだから」と応えた。
瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2… 瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2021年6月27日)は、日本の劇作家・演出家。青年劇場顧問。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。旧制第五高等学校卒業、九州大学中退。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
経塚 幸夫(きょうづか ゆきお、1924年〈大正13年〉11… 経塚 幸夫(きょうづか ゆきお、1924年〈大正13年〉11月29日 - 1997年〈平成9年〉7月10日)は、日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。 兵庫県津名郡一宮町(現淡路市)出身。1941年に兵庫県立洲本商業高校(現兵庫県立洲本実業高等学校)を卒業後、布施市議、東大阪市議や大阪府議(3期)、東大阪医療生活協同組合(東大阪生協病院を運営)会長などを経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧大阪4区から三谷秀治の後継として出馬し初当選を果たす。1986年の第38回衆議院議員総選挙で再選。当選2回。1990年の第39回衆議院議員総選挙には出馬せず、地盤を吉井英勝に譲り引退を表明する。
細川 益男(ほそかわ ますお、1924年〈大正13年〉11月… 細川 益男(ほそかわ ますお、1924年〈大正13年〉11月29日 - 2010年〈平成22年〉3月31日)は、日本の実業家、馬主。 1924年11月29日、大阪府に生まれる。 1943年、旧制浪速高等学校を卒業後、京都帝国大学工学部化学機械科へ入学。卒業後、武田薬品工業で研究員として勤めたのち、1951年、父の細川永一から細川鉄工所(現:ホソカワミクロン)を継承し、1961年に同社の代表取締役社長となる。1995年、同社代表取締役会長に就任。 2006年、東北大学の非常勤理事に就任。 2010年3月31日、肺炎のため死去。85歳没。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。
匠 秀夫(たくみ ひでお、1924年(大正13年)11月28… 匠 秀夫(たくみ ひでお、1924年(大正13年)11月28日 - 1994年(平成6年)9月14日)は、北海道出身の美術評論家。挿絵など近代日本美術史研究で著書多数がある。 札幌一中(現北海道札幌南高等学校)卒、京都大学文学部選科中退、北海道大学文学部西洋史学科卒、同大学院(旧制)修了。高校教諭を経て、1966年(昭和41年)から札幌大谷短期大学教授。1968年(昭和43年)から神奈川県立近代美術館に勤務、1981年(昭和56年)には同館長となる。1987年(昭和62年)に茨城県立美術博物館(現茨城県近代美術館)の館長となる。
加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月… 加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月28日 - )は、日本の医師。内科医。専門は循環器内科。旧姓、山田。元宮内庁皇太后宮侍医長。医学博士(東京大学)。 侍医、また侍医長として昭和天皇や香淳皇后の治療に当たった。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1948年(昭和23年)、東京大学医学部卒業。1949年(昭和24年)、東京大学医学部左々、美甘内科教室勤務。1952年(昭和27年)、東京大学助手。1955年(昭和30年)、関東逓信病院内科勤務。1957年(昭和32年)、医学博士(東京大学)。1964年(昭和39年)、佐々木研究所附属杏雲堂病院内科勤務。1976年(昭和51年)、銀座菊池病院内科勤務。
大橋 吉之輔(おおはし きちのすけ、1924年11月27日 … 大橋 吉之輔(おおはし きちのすけ、1924年11月27日 - 1993年11月2日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 1937年に広島高師附属中学校に入学、いわゆる「四修」で四年で卒業し、1941年に旧制広島高校に進学。1943年に東京帝国大学に入学した。1945年、召集を受けて朝鮮に派兵されるが間もなく終戦となり、戦後八か月ほど同地に滞在した後、1946年に帰国。1948年3月に東京帝大文学部英文科を卒業する。学生時代は慶應義塾とは一切関わりがなかった。東大では、中野好夫に師事した。卒業論文でシャーウッド・アンダスン論を書こうとしたが、そのための資料が東大の図書館にはほとんどなく、早稲田大学の龍口直太郎教授が作品を所蔵していることを聞きつけ、直談判し資料の貸し出しに成功した。
庄司 厚(しょうじ あつし、1924年〈大正13年〉11月2… 庄司 厚(しょうじ あつし、1924年〈大正13年〉11月27日 - 2018年〈平成30年〉1月1日)は、日本の政治家。千葉県館山市長(2期)。位階は正六位。旭日双光章。 千葉県安房郡九重村(現在の館山市)出身。1944年千葉師範学校(現在の千葉大学教育学部)卒業。千葉県内の小中学校の教諭を務める。1990年の館山市長選挙に無所属で立候補し、初当選。1994年に再選。1998年に落選。2002年の市長選挙に再び立候補したが落選した。2007年秋の叙勲で旭日双光章を受章。2018年死去。死没日付をもって正六位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
黒田 善弘(くろだ よしひろ、1924年11月25日 - 2… 黒田 善弘(くろだ よしひろ、1924年11月25日 - 2010年5月20日)は、日本の経営者。住友製薬社長、会長を務めた。兵庫県尼崎市出身。 1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年に取締役に就任し、1980年に常務、1982年に専務を経て、1984年10月に住友製薬副社長に就任し、1986年3月から1989年3月までに社長を務めた。 2010年5月20日腎細胞がんのために死去。85歳没。
吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年〈大正13年〉11… 吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年〈大正13年〉11月25日 - 2012年〈平成24年〉3月16日)は、日本の詩人、評論家。「隆明」を音読みして「りゅうめい」とも。著書に『共同幻想論』(1968年)など多数。東京工業大学世界文明センター特任教授。第二次世界大戦後、東京下町の生活と文化を思想の下地に、多方面の時代の問題について積極的に批評を展開し、長きにわたって日本の論壇をリードした。長女は漫画家のハルノ宵子、次女は作家の吉本ばなな。 東京市月島生まれ。兄2人姉1人妹1人弟1人の6人兄弟。実家は熊本県天草市から転居してきた船大工で、貸しボートのような小さな船から、一番大きいのは台湾航路で運送の航海をするような船 を作っていた。
川畑 博(かわばた ひろし、1924年11月23日 - 没年… 川畑 博(かわばた ひろし、1924年11月23日 - 没年不明)は、香川県出身のプロ野球選手(投手、捕手)。 志度商業学校から1942年に巨人軍(現・読売ジャイアンツ)へ入団する。入団年の1942年シーズンには、登板・先発登板・完投など巨人軍における球団最年少記録を数多く記録した。もともと捕手だったが、戦時中で人不足のため投手も兼任していた。巨人軍では1944年のシーズンに4番打者としての先発出場もあった。 1945年に軍に徴兵され、レイテ島戦線で戦った後、1946年に復員し、四国鉄道局、丸亀南海興業でプレーした後に1949年に大映スターズから球界へ復帰したが、戦争で肩を痛めたこともあり思うような成績を残せずに同年限りで現役を引退した。
飯田 喜四郎(いいだ きしろう、1924年11月22日 - … 飯田 喜四郎(いいだ きしろう、1924年11月22日 - 2025年1月4日)は、日本の建築史家。専攻は、フランス建築史(中世ゴシック建築)・建築保存修復学。工学博士。名古屋大学名誉教授。博物館明治村館長、財団法人明治村副理事長。NPO法人歴史建築保存再生研究所理事。 日本における西洋建築史学の研究者としての著作、翻訳が多数あるほか、新宿御苑御休所、原爆ドーム等多くの保存修復事業の委員長を歴任した。 現在の東京都新宿区生まれ。松本高等学校理科甲類、東京大学第二工学部建築学科卒業。1953年から1956年にフランス留学、フランス文部省文化財保護事業部主任建築家事務所にて研鑽を積む。帰国後、宮内庁管理部勤務を経て、1963年、名古屋大学工学部助教授。
青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 199… 青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 1997年11月4日)は、兵庫県三木市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。愛称は「ジャジャ馬」。2009年、野球殿堂入り。
増山 道保(ますやま みちほ、1924年(大正13年)11月… 増山 道保(ますやま みちほ、1924年(大正13年)11月21日 - 1999年(平成11年)9月14日)は、日本の政治家。宇都宮市長(5期)、栃木県議会議員(3期)、宇都宮市議会議員(1期)などを歴任した。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 栃木県宇都宮市塙田町出身。父・村字(むらじ)は、有限会社増山貨物(現・増山貨物自動車株式会社)の創業者で、8人きょうだい(6男2女)の3番目の男子として出生した。他の兄弟が宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)へ進んだのに対し、最初から家業を継ぐつもりだったので、宇都宮商業学校(現栃木県立宇都宮商業高等学校)へ進学・卒業し、1944年に巣鴨経済専門学校(現千葉商科大学)を卒業した。
裾分 一弘(すそわけ かずひろ、1924年11月21日 - … 裾分 一弘(すそわけ かずひろ、1924年11月21日 - 2016年2月17日)は、日本の西洋美術史学者、学習院大学名誉教授。 岡山県生まれ。九州帝国大学文学部哲学科卒。同大学院修了。1958年九州大学助手、1962年武蔵野美術大学助教授、1967年学習院大学文学部教授。95年定年退任、名誉教授。レオナルド・ダ・ヴィンチ研究の第一人者だった。 2003年11月瑞宝中綬章受章。 (古田光、藤田健治、木田献一、屋形禎亮、澤柳大五郎、廣川洋一、中野幸次、秀村欣二、兼岩正夫、清水富雄、裾分一弘、下村寅太郎、西沢龍生、永井博による共編著)
石田 よし宏(いしだ よしひろ、1924年(大正13年)11… 石田 よし宏(いしだ よしひろ、1924年(大正13年)11月20日 - 2015年(平成27年)5月14日)は、日本の俳人。栃木県宇都宮市出身。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大学農学部)農業経済学科卒業。本名は石田 榮宏(いしだ よしひろ)。 現代俳句協会に所属した俳句作家(本人は俳人ではなく俳句作家という肩書きを好んで使っていた)で、作品は前衛的な俳句、難解俳句と評される。評論も得意とし、『月々のことば』と称する俳句の評論を、毎月はがきで発行し、ライフワークとなっていた。 20代で作句を始め、俳誌「風」、「鬼怒」(創刊同人)、「鷹」を経て、平成12年「地祷圏」創刊・代表就任。平成21年通信句会『統』発足・主宰就任。
庄司 肇(しょうじ はじめ、1924年11月20日 - 20… 庄司 肇(しょうじ はじめ、1924年11月20日 - 2011年2月1日)は、日本の作家、文芸評論家、眼科医。 千葉県生まれ。九州高等医学専門学校卒。眼科医のかたわら小説、評論を書き文芸誌『きゃらばん』を主宰する。 作品に『庄司肇コレクション』『庄司肇作品集』がある。現代作家論が多い。 2011年2月1日、転移性肺腫瘍のため86歳で死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - … 西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - 2007年10月9日)は、日本の陸水学者。名古屋大学名誉教授。日本自然保護協会参与、日本陸水学会会長などを務めた。詩人で作詞家の西條八十は実父。童話作家の三井ふたばこは実姉。 1924年(大正13年)11月19日に東京都で生まれる。1937年(昭和12年)東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)に入学。1942年(昭和17年)に旧制松本高校理科甲類に入学し、湖沼学者でもあった向井正幸とともに木崎湖の透明度測定を行なったのをきっかけに、湖沼の研究に魅せられ湖沼学の道に進んだ。1945年(昭和20年)東京大学理学部地理学科に入学、湖沼学者の吉村信吉に師事して各地の湖沼調査を行なった。
西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - … 西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - 2007年10月9日)は日本の陸水学者。名古屋大学名誉教授。日本自然保護協会参与、日本陸水学会会長などを務めた。詩人、作詞家の西條八十は実父。童話作家の三井ふたばこは実姉。
横井 芳弘(よこい よしひろ、1924年11月18日 - 2… 横井 芳弘(よこい よしひろ、1924年11月18日 - 2007年7月12日)は、日本の法学者。労働法学者。学位は、法学博士。中央大学名誉教授。元日本労働法学会代表理事。香川県高松市出身、京城で育つ。 この他に、日本労働法学会代表理事(1982年~1984年)、早稲田大学法学部・神奈川大学法学部・一橋大学法学部・法政大学法学部の非常勤講師も務めた。 労働法全般を研究領域としていたが、特に労働協約、団結権論、争議行為を研究。 当時、中央大学には労働法の研究者がいなかった為、学外指導教授として吾妻光俊(一橋大学名誉教授)の薫陶を受けた。 『法学新報』101巻9号、1995年 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 200… 長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 2002年5月25日)は、日本の小説家。 和歌山県田辺市生まれ。東京大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社入社。整理部を経て編集委員。整理部時代の先輩に作家の小峰元がいる。1979年(昭和54年)定年退職。 定年退職後江戸川乱歩賞をめざし、昭和55年東海地震をテーマとした「M8以前」で第26回の最終候補作となるも落選。翌昭和56年原子力発電所の建設にまつわる疑惑をテーマとした「原子炉の蟹」で第27回江戸川乱歩賞を受賞。当初は社会派推理小説、後に山岳小説を得意分野とした。 2002年5月25日、脳梗塞のため大阪府吹田市の病院で逝去。享年77。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
北見 俊夫(きたみ としお、1924年11月18日 - 19… 北見 俊夫(きたみ としお、1924年11月18日 - 1995年3月23日)は、日本の民俗学者。 新潟県佐渡島生まれ。東京文理科大学史学科卒。東京教育大学助教授、教授、筑波大学教授、大東文化大学教授。1976年「日本海上交通史の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1973年『日本海上交通史の研究』で柳田賞受賞。日本交通史、日本流通史、民俗学専攻。1995年3月23日、膵臓癌のため死去。没後、勲三等瑞宝章叙。
森久保安美(もりくぼ やすみ、男性、1924年11月18日 … 森久保安美(もりくぼ やすみ、男性、1924年11月18日 - 2012年3月6日)は、日本の国語教育学者。産業能率大学名誉教授。 神奈川県藤野町(現相模原市)生まれ。1944年神奈川師範学校卒、玉川学園中学部教諭、川崎市教育委員会に入り、理事、川崎市教育研究所長、産業能率大学教授、名誉教授。
木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - … 木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - )は、日本の西洋史学者、立正大学名誉教授。日露交渉史を研究した。 1924年、大阪府守口市生まれ。召集をへて、戦後京都大学西洋史学科を卒業。 1951年、鹿児島大学文理学部助教授に着任。1964年、学位論文『ルーシ」という語の意味に関する歴史的一考察』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1965年より鹿児島大学教養部教授、1971年より教養部長を務めた。1976年、立正大学教授となった。1995年に立正大学を定年退任し、名誉教授となった。
川竹 和夫(かわたけ かずお、1924年11月17日 -20… 川竹 和夫(かわたけ かずお、1924年11月17日 -2009年11月16日 )は、日本の社会学者(放送研究、国際コミュニケーション)である。 1949年(昭和24年)に東京大学文学部仏文科を卒業後、1950年(昭和25年)日本放送協会入局。放送記者、報道局副部長を経て、1970年(昭和45年)放送総局番組総括センター主管、翌1971年(昭和46年)放送センター建設委員会事務局次長、1973年(昭和48年)研究開発委員会事務局次長、1974年(昭和49年)会長室付、1976年(昭和51年)放送文化研究所次長、1977年(昭和52年)放送世論調査所所長等を経て、1982年(昭和57年)東京女子大学教授、1993年(平成5年)駒沢女子大学教授を歴任。
五味 克夫(ごみ よしお、1924年11月17日 - 202… 五味 克夫(ごみ よしお、1924年11月17日 - 2023年10月10日)は、日本史学者、鹿児島大学名誉教授。 愛知県豊橋市生まれ。1950年東京大学文学部国史学科卒業。1955年旧制大学院修了。日本常民文化研究所研究員、開成学園高等学校教諭、鹿児島大学文理学部助教授、同大学法文学部助教授・教授を務め、1990年定年退官、名誉教授となり、鹿児島女子大学教授を務めた。鹿児島県史料編さん顧問。2002年、勲三等旭日中綬章を受章。
金子 満広(かねこ みつひろ 1924年〈大正13年〉11月… 金子 満広(かねこ みつひろ 1924年〈大正13年〉11月17日 - 2016年〈平成28年〉4月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算6期)。日本共産党書記局長、副委員長を歴任した。 1924年(大正13年)、群馬県利根郡利根村大楊(現・沼田市利根町大楊)に生まれる。尋常高等小学校卒業後、1941年(昭和16年)国鉄信越線横川機関区に就職。1944年(昭和19年)に運輸通信省鉄道教習所を卒業し、国鉄の東京鉄道局水上機関区に配属される。 1946年(昭和21年)日本共産党に入党。同年国鉄労働組合(国労)結成。7万5000人首切り反対闘争に参加。1949年(昭和24年)に国労高崎支部長となる。
石松 安次(いしまつ やすじ、1924年(大正13年)11月… 石松 安次(いしまつ やすじ、1924年(大正13年)11月17日 - 2018年(平成30年)3月20日)は、昭和から平成時代の政治家。位階は正五位。 大分県日田市長。日田市名誉市民。 日田市出身。高等小学校卒業。 日田商工会議所会頭を経て、1979年(昭和54年)から日田市長に4選。1995年(平成7年)引退した。市政、郷土の振興発展の実績から、2000年(平成12年)9月、日田市名誉市民に推挙された。 2018年(平成30年)3月20日、心不全のため死去した。
谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日… 谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日 - 1999年〈平成11年〉3月6日)は、日本の経営者。北陸電力社長を務めた。富山県魚津市出身。位階は従三位。 1946年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1947年に北陸配電(のちの北陸電力)に入社した。1974年に取締役に就任し、1979年に常務、1981年に副社長を経て、1987年に社長に就任。1993年に会長に就任。 北陸経済連合会会長、ケーブルテレビ富山社長も歴任。 1986年に藍綬褒章を受章し、1998年に勲一等瑞宝章を受章。 1999年3月6日急性肺炎のために死去。74歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
渡辺 一郎(わたなべ いちろう、1924年11月16日 - … 渡辺 一郎(わたなべ いちろう、1924年11月16日 - 没年未詳)は、日本の歴史家。武術・武道史、体育史に関して多くの著作がある。筑波大学名誉教授。 1924年、愛知県に生まれる。1948年に東京文理科大学文学部国史学科国史学専攻卒業。東京教育大学文学部助手を経て同大学体育学部助教授、同体育史講座に属し、1968年4月、体育学部武道学科に武道論講座が新設されると、柔道論講座の大滝忠夫教授と共に移行して武道学科武道論講座を担当した。後に同大学教授、筑波大学教授、名誉教授。また、大学助手時代から収集していた武鑑を復刻して出版している。 近代武道史研究資料(渡辺一郎 編) 武道伝書聚英(渡辺一郎、中林信二 共編) 文化史、武芸、芸道論 徳川幕府大名旗本役職武鑑
利根 はる恵(とね はるえ、本名:飯野 静子(いいの しずこ… 利根 はる恵(とね はるえ、本名:飯野 静子(いいの しずこ)、1924年〈大正13年〉11月15日 - 2005年〈平成17年〉4月27日)は、日本の元女優。演技派の脇役。利根 はるゑとも表記される。千葉県千葉市出身。 1924年、東京府生まれ。松竹少女歌劇団の松竹少女歌劇学校を1年で中退し、松竹大船入社。芸名は池上鶴代。 丸山定夫の苦楽座を経て、1947年、新宿ムーラン・ルージュに入り、1949年東宝『今日われ恋愛す』でデビュー。 1950年、新東宝入社、『熱泥地』で初主演。 1952年、大映と本数契約。山本薩夫監督の『真空地帯』の娼婦を演じた。 1953年、現代俳優協会に参加、『ひめゆりの塔』などに出演。
清水 望(しみず のぞむ、1924年(大正13年)11月15… 清水 望(しみず のぞむ、1924年(大正13年)11月15日 - 2014年(平成26年)12月3日[要出典])は、日本の法学者、早稲田大学名誉教授。 内村鑑三の弟子・清水繁三郎の子として長崎県長崎市に生まれる。1948年早稲田大学政経学部政治学科卒、助手、講師、助教授、1960年教授。1970年「西ドイツの政治機構」で政治学博士(早稲田大学)。1995年定年退任、名誉教授。妻の義弟が松澤弘陽。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
上崎 美恵子(こうざき みえこ、1924年11月15日 - … 上崎 美恵子(こうざき みえこ、1924年11月15日 - 1997年9月2日)は、日本の児童文学作家。福島県二本松市出身。本名・美枝子。 1924年11月15日、福島県二本松市に生まれる。6歳の時に一家で上京。青山学院高等女子部(現・青山学院中等部・高等部)を1940年に卒業し、青山学院女子専門部(現・青山学院女子短期大学)に進学(のち1年次修了後に休学、中退)。東京大空襲のため故郷の二本松に疎開。戦後まもなく結核に罹り、国立中野療養所に6年間入所。その間に児童文学を読み耽り、自身も1972年から自作童話を書き始める。1976年「魔法のベンチ」「ちゃぷちゃっぷんの話」で第6回赤い鳥文学賞受賞。
小島 一郎(こじま いちろう、1924年11月14日 - 1… 小島 一郎(こじま いちろう、1924年11月14日 - 1964年7月7日)は日本の写真家。 青森県青森市出身。戦後、青森を拠点に北国の風景を撮り続けた。写真家として本格的に活動したのは、1954年頃から死去までの10年ほどに限られている。この間、厳寒の津軽や下北の風土を大胆な構図と独特の世界観で表現する。雪原、農作業風景など平凡な被写体と覆い焼きによって強調した空の風景から生み出される強烈なイメージや構図力と確かな技術は、日本の報道写真のさきがけである名取洋之助からも高い評価を受ける。ベタ焼きに代わるものとして考え出した通称「小島のトランプ」と呼ばれる手札サイズの作品群も特徴的である。また、小島の写真店に勤めていた沢田教一に大きな影響を与えた。
鈴木 登紀子(すずき ときこ、1924年11月14日 - 2… 鈴木 登紀子(すずき ときこ、1924年11月14日 - 2020年12月28日)は、日本の料理研究家。愛称は「ばぁば」。 青森県八戸市出身。現八戸東高校卒。幼少時に母親から料理の方法を学ぶ。太平洋戦争終結後に結婚、東京へ引っ越す。近所での料理の腕前が評判になり、自宅で料理教室を開く。これがきっかけで『きょうの料理』(NHK、1970年〈昭和45年〉初出演)に出演し、46歳で料理研究家としてデビュー。同番組には43年にわたって出演した。後には『キユーピー3分クッキング』(日本テレビ)(1979年4月- 1980年9月、隔週土曜日講師)に出演するようになり、講師として知られるようになる。 また、『明石家さんちゃんねる』(TBS系)では「さんま・ばぁばのおいしい時間よ」というコーナーを担当していた。
木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月1… 木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月13日 - 1994年〈平成6年〉11月13日)は、日本の集団遺伝学者。中立進化説を提唱した。日本人で唯一ダーウィン・メダルを受賞。また、パフィオペディラムの育種家としても知られる。学位は、理学博士(大阪大学・1956年)。国立遺伝学研究所名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。文化勲章受章。岡崎市名誉市民。 中立進化説とは、分子レベルの進化はダーウィン的な「サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト(fittest)」(適者生存)だけではなく、生存に有利でも不利でもない中立的な変化で「サバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト(luckiest)」、すなわち、たまたま幸運に恵まれたものも残っていくという学説である。
大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月… 大島 清次(おおしま せいじ、1924年(大正13年)11月13日 - 2006年(平成18年)11月23日)は、昭和から平成にかけての日本の美術史家、美術評論家。 栃木県宇都宮市生まれ。1951年(昭和26年)に早稲田大学文学部を卒業。その後、栃木県立高等学校教諭や法政大学文学部講師を経て、1972年(昭和47年)に栃木県立美術館副館長、1981年(昭和56年)に同館長となった。1986年(昭和61年)に世田谷美術館長となり、2005年(平成17年)まで務めた。2006年(平成18年)11月23日、肺炎のため栃木県下野市の病院で死去した。 フランス絵画史やジャポニスムの研究を専門とし、特にジャポニスム研究においては先駆的で本格的な研究業績を残した。
勝山 淳(かつやま じゅん、1924年〈大正13年〉11月1… 勝山 淳(かつやま じゅん、1924年〈大正13年〉11月11日 - 1945年〈昭和20年〉7月24日)は、日本の海軍軍人。海兵73期。大東亜戦争(第二次世界大戦)の末期、人間魚雷「回天」で出撃し、米護衛駆逐艦「アンダーヒル」を撃沈した。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少佐。 1924年(大正13年)11月11日に茨城県那珂郡那珂町(現在の那珂市)で生まれる。色白・真面目でいつも「自分は水戸っぽだ」と周囲に言っていた。旧制水戸中学校を卒業後、海軍兵学校(73期)へ進学する。1944年(昭和19年)3月22日に海軍兵学校を卒業すると、柱島泊地から戦艦「大和」に乗艦し、訓練を続けながらシンガポールのリンガ泊地へ向かい、そこで軽巡洋艦「能代」へ乗り組んで実習を重ねる。
厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11… 厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11月11日 - )は、日本の翻訳家。 夫は英文学者・厨川文夫。旧姓は広瀬 圭子(ひろせ けいこ)。 オスカー・ワイルド、サマセット・モームなどを訳し、後年は児童書を多く訳した。 厨川圭子は、医師・広瀬季雄の娘として中華民国奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)で生まれた。1942年に東京府立第三高等女学校を卒業、1944年には津田英学塾を卒業した。終戦後の1946年、慶應義塾大学文学部英文科に女子学生の第一期生として入学し、西脇順三郎、厨川文夫に師事して1949年卒業した。 1949年、1月に前妻と離婚した厨川文夫と同年7月結婚。1950年、単身でアメリカへ1年間留学。
工藤 弘安(くどう ひろやす、1924年〈大正13年〉11月… 工藤 弘安(くどう ひろやす、1924年〈大正13年〉11月10日 - 2012年〈平成24年〉2月9日)は、日本の総理府技官、統計学者。元行政管理庁行政管理局統計主幹、元成城大学経済学部教授。 新潟県新潟市旭町通2番町(現 新潟市中央区旭町通2番町)の新潟医科大学解剖学第一教室初代教授・工藤得安の長男として出生。 1942年(昭和17年)3月に新潟中学校を卒業、1944年(昭和19年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、10月に東京帝国大学第一工学部航空学科に入学、1946年(昭和21年)3月に応用数学科に転科、1948年(昭和23年)6月に卒業。 1948年(昭和23年)7月から東京大学第一工学部応用数学科森口研究室で研究、美濃部亮吉に見込まれ、11月から内閣統計委員会事務局に勤務、1949年(昭和24年)5月に統計官に就任、1955年(昭和30年)5月から総理府統計局に勤務、1959年(昭和34年)5月から行政管理庁統計基準局に勤務、1971年(昭和46年)4月に行政管理庁行政管理局国際統計管理官に就任、1972年(昭和47年)3月に同局統計企画課長に就任、1977年(昭和52年)9月に同局統計主幹に就任。
堀之内 久男(ほりのうち ひさお、1924年11月10日 -… 堀之内 久男(ほりのうち ひさお、1924年11月10日 - 2010年3月31日)は、日本の政治家。郵政大臣(第62代)、農林水産大臣(第13代)、衆議院議員(8期)、宮崎県都城市長(2期)等を歴任。