角田 史雄(つのだ ふみお、1942年 - )は、日本の工学… 角田 史雄(つのだ ふみお、1942年 - )は、日本の工学者。埼玉大学工学部教授を経て、同大学名誉教授。理学博士。 専門分野は地質学、地震工学。浅層地殻における断層の深部形態、断層帯の構造と形成過程、断層近傍の強震動の発生機構などを研究。 著書の中で地震の発生原因として地球表面を覆うプレートの移動により地震が発生すると言う「プレートテクトニクス理論」だけでは説明できない部分を、地球内部の高熱の移動(マントルプルーム)による「熱移送説」で説明を試みている。
土橋 陸夫(どばし みちお、1942年- 2022年[要出典… 土橋 陸夫(どばし みちお、1942年- 2022年[要出典])は、日本の医学者、民俗学者。専門分野とは別に、草木塔に関する資料の収集もおこなった。 埼玉県白岡町出身[要出典]。1961年埼玉県立浦和高等学校卒業。1966年宇都宮大学農学部農芸化学科卒業。翌1967年から1976年まで福島県立医科大学に勤務。 山形大学より医学博士の学位を取得。山形大学医学部で助手となり、1998年7月から同大学環境保全センターに勤務、のちに講師となり、2008年3月に退職した。 山形大学が独立行政法人化された際、当時の学長だった仙道富士郎が実施した「自然と人間の共生」をテーマとしたプロジェクト募集(対象は学外も含む)に「草木塔ネットワークの設立と調査・研究・利用の推進」で最優秀賞(学長賞)を獲得し、最優秀賞に対して実施されるプロジェクトに従事した。
岸 信介(きし しんすけ、1942年 - )は、日本の合唱指… 岸 信介(きし しんすけ、1942年 - )は、日本の合唱指揮者である。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身で現在は東京都品川区在住。 埼玉県立浦和西高等学校を経て国立音楽大学声楽科卒業。指揮法を山田一雄、和声・合唱法を増田順平に師事。日本合唱協会(日唱)に入団し、コンサートマスターを務める。 日唱退団後、日唱ジュディ(日唱の合唱講座)を担当したのを機に合唱指揮者として独立。現在24の合唱団を擁する「舫の会」の指揮者として、演奏会、コンクール、新作の委嘱初演など多方面に活動する。1998年、全日本おかあさんコーラス大会全国大会において、女声合唱団はづきを指揮し、最高賞たるグランプリを受賞。全日本合唱コンクールにおいても多数の合唱団を全国大会に導く。
石川 光庸(いしかわ みつのぶ、1942年 - )は、日本の… 石川 光庸(いしかわ みつのぶ、1942年 - )は、日本のドイツ語学者、京都大学名誉教授。ゲルマン語学、独語専攻。 埼玉県生まれ。埼玉県立熊谷高等学校をへて、東京教育大学卒、慶應義塾大学大学院博士課程中退。 慶大助手をへて、商学部助教授。1976年京都大学教養部助教授、教授をへて、人間・環境学研究科教授。2008年定年退任、名誉教授。
安孫子 誠也(あびこ せいや、1942年 - )は、日本の物… 安孫子 誠也(あびこ せいや、1942年 - )は、日本の物理学者。聖隷クリストファー大学名誉教授。専門は非平衡熱力学、物理学史。 東京生まれ。父は日本画家の安孫子荻聲。1960年東京都立日比谷高等学校卒業。1964年東京大学理学部物理学科卒業。1975年同大学大学院理学系研究科博士課程単位取得。1981年「共鳴ラマン散乱における磁気励起子と仮想励起子の果す役割」で理学博士(東京大学)。1982年東京大学教養学部非常勤講師(1982-1984年、1992年、1996-1997年)、東京女子大学文理学部非常勤講師 (1992年まで)、日本大学文理学部非常勤講師(1994年まで)。1988年聖隷学園浜松衛生短期大学教授。
上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版… 上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版画家、現代美術家。 1942年東京都杉並区に生まれる。小学校低学年より油彩をはじめ、中学、高等学校の頃は抽象画を描く。 東京都立工芸高等学校卒業後、東京写真専門学校へ通う。画家・小野木学(叔父)の思想概念に影響を受けた。 国画会展、モダンアート展へ抽象絵画を出品。写真製版による捺染技術を知り、シルクスクリーン技法に興味を示す。 1960年代以後、美術界は写真の時代に入り、ベンヤミンの著書「複製技術時代の芸術」などに翻弄され芸術はアウラを超え「写真」と「版画」の時代に変革していった[独自研究?][要出典]。 そんな中で上矢津も油彩の抽象絵画から離れ、剥製や標本の写真をシルクスクリーンに転写、1970年『シリーズ博物詩』を制作。
笹尾 哲夫(ささお てつお、1942年 - )は日本出身の天… 笹尾 哲夫(ささお てつお、1942年 - )は日本出身の天文学者、理学博士。元国立天文台教授。専門は地球回転運動、固体地球物理学など。 1972年に東京大学理学系研究科博士課程を修了する。大学院では天文学を専攻し海野和三郎に師事した。同年に文部省緯度観測所研究員となり、1978年~1979年にコロラド大学環境科学協同研究所客員研究員を経て、1988に国立天文台地球回転系教授に就任する。VLBIによる高精度天体位置計測、大気モデルと位相補償方式、地球回転運動などを研究分野として活動した。VERA計画(VLBI Exploration of Radio Astrometry、天文広域精測望遠鏡)を統括責任者として推進した。
不破 由晴(ふわ よしはる、1942年 - 2014年)は、… 不破 由晴(ふわ よしはる、1942年 - 2014年)は、日本の金属造形家。クックベッセル株式会社元会長。東京市小石川区(現・東京都文京区)出身。 金属工芸家として活動し、金属を金槌で打って加工する鍛金(タンキン)技法によって、多彩な作品を制作した。日本橋銀座四丁目の金属標識板は、彼の作品として、通行する人々の目に触れている。 沸騰すると笛が鳴る画期的な仕組みを発明し、これを組み込んだアルミニウムのケトル(湯沸かし)をデザインし、その機能と芸術性は評価され、グッドデザイン賞として選定された。 日本から諸外国に輸出されたが、現在では各国で生産されるようになり世界的な普及を齎した。 笛吹きケトルの発明とデザインは、揺るぎないものとなった。
殿前 康雄(とのまえ やすお、1942年 - )は、日本の教… 殿前 康雄(とのまえ やすお、1942年 - )は、日本の教育者。翔凜中学校・高等学校理事長代行。東京都立高校や各地の私立高校多数において、教頭、校長などの要職を歴任した。 東京都出身。1960年、東京都立大泉高等学校卒業。1966年、東京理科大学理学部物理学科卒業。 1966年、物理科教諭として都立高校教員となり、東京都立代々木高等学校、東京都立大山高等学校、東京都立久留米西高等学校、東京都立小金井北高等学校、1990年に東京都立久留米高等学校教頭、1994年に東京都立清瀬高等学校教頭、1995年に東京都教育庁人事部管理主事を経て、1996年に東京都立羽村高等学校校長、1999年から2003年まで東京都立八王子東高等学校校長を務めた。
東 千秋(あずま ちあき、1942年 - )は、日本の工学者… 東 千秋(あずま ちあき、1942年 - )は、日本の工学者(工学博士)。放送大学名誉教授。専門は、材料工学、高分子化学。 北海道生まれ。東京都立三鷹高等学校卒業。上智大学大学院理学研究科修士課程修了。昭和50年、上智大学より工学博士の学位を取得。博士論文は「α,β-不飽和カルボニル化合物の構造とその重合反応性に関する研究」。上智大学理工学部助手(1969年 - 1982年)、マサチューセッツ大学アマースト校高分子工学科客員研究員(1974年 - 1976年)、ブラジルリオデジャネイロ連邦大学高分子研究所客員教授(1980年 - 1981年)、上智大学理工学部講師(1982年)、リオデジャネイロ連邦大学高分子研究所准教授(1982年 - 1986年)、放送大学教養学部助教授(1986年 - 2006年)、同教授(2006年 - 2013年)を歴任。
星田 宏司(ほしだ ひろし、1942年 - )は、日本のコー… 星田 宏司(ほしだ ひろし、1942年 - )は、日本のコーヒー研究家。 東京生まれ。早稲田中学校・高等学校卒、成蹊大学卒業(社会学専攻)。 現在、(株)いなほ書房代表。季刊雑誌「珈琲と文化」編集長。コーヒーの歴史と文化をテーマに、文献収集・執筆を中心に活動。元金沢大学講師、日本コーヒー文化学会常任理事(出版編集委員長)を務める。
宇高 良哲(うだか よしあき、1942年 - )は、日本の仏… 宇高 良哲(うだか よしあき、1942年 - )は、日本の仏教学者、大正大学名誉教授。 埼玉県出身。大正大学大学院修士課程修了、大正大講師、助教授、教授、1998年「近世関東仏教教団の研究 特に浄土宗・真言宗・天台宗を中心に」で大正大学文学博士。2012年定年退任、名誉教授。
殿岡 駿星(とのおか しゅんせい、1942年 - )は、静岡… 殿岡 駿星(とのおか しゅんせい、1942年 - )は、静岡県出身のジャーナリスト。 浜松市に生まれ、5歳から東京に育つ。1961年、明治大学付属明治高等学校卒業。1968年、明治大学文学部を卒業し、朝日新聞社に記者として入社、浦和支局に赴任し警察担当者として「狭山事件」など事件をおもに取材。1973年、北海道支社報道部へ転勤し道議会を担当。1974年、旭川支局に転勤。1977年、東京本社に異動し、内勤の紙面編集記者となる。1988年頃から狭山事件の取材に本格的に取り組み、石川一雄の冤罪説を展開。2002年に同社を定年退職。退職後、合資会社勝どき書房を立ち上げる。「昭和俳句弾圧事件」に取り組み、岳父である自由律俳人橋本夢道を研究、「夢道サロン」代表となる。
小方 武雄(おがた たけお、1942年 <昭和17年> - … 小方 武雄(おがた たけお、1942年 <昭和17年> - )は、日本の地方公務員、土木技術者。神奈川県県土整備部長、神奈川県都市整備技術センター理事長を歴任。勲位は瑞宝小綬章。 1942年 神奈川県相模原市生まれ。1961年 神奈川県立湘南高等学校卒業。1966年 東京大学工学部土木工学科卒業。同年 神奈川県庁に入庁し、土木部道路建設課、1988年 横浜国立大学非常勤講師、1989年 (平成元年) 厚木土木事務所道路都市課長、1991年 同部道路管理課長、1993年 小田原土木事務所長、1996年 同部道路整備課長。1998年 同部技監、2001年 県土整備部長。2003年 財団法人神奈川県都市整備技術センター理事長。
林 吉永(はやし よしなが、1942年 - )は、日本の航空… 林 吉永(はやし よしなが、1942年 - )は、日本の航空自衛官。神奈川県出身。
大島 信三(おおしま しんぞう、1942年 - )は、日本の… 大島 信三(おおしま しんぞう、1942年 - )は、日本のジャーナリスト、著作家。 新潟県に生まれ、新潟県立村上高等学校を卒業した。早稲田大学教育学部を卒業し、1964年に、産経新聞社に入社した。以降は新聞と雑誌の両部門で経歴を積み、『週刊サンケイ』編集長、『新しい住まいの設計』編集長、特集部編集委員、『正論』編集長、編集局編集委員を歴任した。特別記者を経て、2009年に退社し、以降はフリージャーナリストとして活動。 1990年に『正論』編集長となった大島は、読者投稿欄の拡充を皮切りに誌面の改革をおこない、9万部だった部数を、最盛期には15万部にまで伸張させた。読者投稿欄は、最も多い時期で50ページ超となったという。
中嶌 哲演(なかじま てつえん、1942年(昭和17年) -… 中嶌 哲演(なかじま てつえん、1942年(昭和17年) - )は、日本の僧。平和運動家、反原発活動家。熊取六人衆支援者。 福井県小浜市生まれ。東京芸術大学中退。高野山大学仏教学科卒業。 高野山大学在学中、友人に半ば強引に平和講習に連れて行かれ、1963年に広島原爆の男性被爆者と出会ったのを機に、小浜で被爆者を訪ね歩いて、広島から呼んだ専門医の診察を受けてもらうなど、被爆者支援の活動を始める。また、日本宗教者平和協議会にかかわった。 1968年に帰郷。1994年の被爆者援護法制定まで26年間、被爆者支援を目的に毎月6日と9日に明通寺周辺3集落(約80戸)で托鉢を続けた 。 1968年に小浜市に原発4基の建設・誘致の計画が持ち上がり、1969年に地元漁協による「内外海原発設置反対推進協議会」の活動が始まる中で、1971年暮れに同協議会の後継組織「原発設置反対小浜市民の会」を結成、事務局長を務める。
光山 勝治(みつやま しょうじ、1942年 - )は日本の漫… 光山 勝治(みつやま しょうじ、1942年 - )は日本の漫画家、元アニメーター。福井県出身。 福井市生まれ、北陸高等学校商学部卒業。学生時代より手塚治虫のアシスタントとして活動し、1961年の虫プロダクション(旧社)設立メンバーとなりテレビアニメ『鉄腕アトム』や『ビッグX』、アニメーション映画『ある街角の物語』で原画や演出を担当した。その後、村野守美と共に虫プロを離れあなぐまプロダクションに所属。 1966年に有限会社キングプロダクションを設立して独立し、1968年には石川球太の後継で『少年画報』に特撮『怪獣王子』のコミカライズを執筆する。1972年にはカナダのトロントへ渡って現地でアニメのキャラクターデザイン・原画・美術などを担当した。
内田 良子(うちだ りょうこ、1942年 - )は、日本の心… 内田 良子(うちだ りょうこ、1942年 - )は、日本の心理カウンセラー。立教大学非常勤講師。主に児童・生徒の不登校問題を対象とする。 1942年、朝鮮慶尚南道生まれ。長野県諏訪郡富士見町育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て東京女子大学を卒業後、1973年より、東京都内の複数の保健所、及び佼成病院小児科で心理相談員を務める。NHKラジオ第1放送電話相談「子どもの心相談」を長年担当。1998年、子ども相談室「モモの部屋」を設立。
伊藤 達雄(いとう たつお、1942年(昭和17年) - )… 伊藤 達雄(いとう たつお、1942年(昭和17年) - )は、日本の医学者。専門は整形外科学。特に脊椎脊髄外科学、リウマチ整形外科。東京女子医科大学八千代医療センター初代院長・名誉院長。東京女子医科大学名誉教授。医学博士。 1961年(昭和36年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1967年(昭和42年)、千葉大学医学部卒業。1968年(昭和43年)、千葉大学医学部整形外科教室入局。1977年(昭和52年)、千葉大学医学部整形外科助手。1978年(昭和53年)、米国南イリノイ大学整形外科留学clinical fellow。1979年(昭和54年)、富山医科薬科大学整形外科講師、1985年(昭和60年)、同助教授。
大槻 公一(おおつき こういち、1942年 - )は、日本の… 大槻 公一(おおつき こういち、1942年 - )は、日本の獣医学者。鳥インフルエンザ研究の第一人者。鳥取大学名誉教授。獣医学博士(北海道大学・論文博士・1980年)。静岡市出身。 渡り鳥の保有する鳥インフルエンザウイルスの調査、病原性などの解析、新型インフルエンザウイルス出現メカニズムの解明などを研究。獣医事審議会委員(農水省)や家きん疾病小委員会委員(農水省)などを歴任。鳥インフルエンザ、鶏伝染性気管支炎、鶏病などに関する著書・学術論文・総説は160編を超える。 静岡市清水区出身。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、北海道大学獣医学部獣医学科卒。塩野義製薬油日ラボラトリーズ研究員を経て、1971年、鳥取大学農学部講師。
寺本 義也(てらもと よしや、1942年 - )は、日本の経… 寺本 義也(てらもと よしや、1942年 - )は、日本の経営学者。専門は、経営戦略論、経営組織論など。 明治学院大学・筑波大学大学院・北海道大学大学院教授、早稲田大学教授を経て、現在ハリウッド大学院大学副学長・教授。ベストセラーとなった歴史研究と組織論を組み合わせた旧日本軍に対する学際的研究『失敗の本質』にも参加している。 名古屋市出身。学部及び大学院では古川栄一(一橋大学教授)の指導を受けた。
清水 幹裕(しみず つねひろ、1942年 - )は、日本の元… 清水 幹裕(しみず つねひろ、1942年 - )は、日本の元アマチュア野球審判員であり弁護士。東京大学野球部の選手時代は外野手。愛知県立岡崎北高等学校から東大を経て、旧文部省入省。その後弁護士へ。 1966年から2007年まで東京六大学野球の審判員を、1980年から2000年まで高校野球審判員をそれぞれ務め、高校野球においては1995年の第67回選抜高等学校野球大会決勝戦(観音寺中央 - 銚子商)、1997年の第69回選抜高等学校野球大会決勝戦(中京大中京 - 天理)、1998年第80回全国高等学校野球選手権大会準決勝第2試合(明徳義塾 - 横浜)で球審を、その年の決勝戦(横浜 - 京都成章)で1塁塁審をそれぞれ務めた。
山田 晏子(やまだ やすこ、1942年 - )は、日本の声楽… 山田 晏子(やまだ やすこ、1942年 - )は、日本の声楽家、ソプラノ歌手。 リサイタル、ジョイントリサイタル、や数多くのコンサートに出演。特に長年に亘り、チャリティコンサートをはじめ、音楽活動を通して京田辺市の音楽文化発展と社会福祉面に意欲的に取り組んでいる。またヘルムート・ドイチュに長期に亘って師事しドイツリートを修学。1998年~2006年の8年間京田辺市教育委員を務め、教育委員長表彰授賞。 京都教育大学附属桃山中学校、京都市立堀川高等学校音楽課程 (現京都市立音楽高等学校)を経て、京都市立音楽短期大学 (現京都市立芸術大学)声楽科卒業。林達次に師事。京都府京田辺市生まれ。
相馬 芳枝(そうま よしえ、1942年〈昭和17年〉 - )… 相馬 芳枝(そうま よしえ、1942年〈昭和17年〉 - )は、日本の化学者。学位は、工学博士(京都大学・1977年)。神戸大学大学院自然科学研究科教授を経て、神戸大学特別顧問。国連世界化学年(2011年)に表彰された世界の女性化学者23名で唯一の日本人。 山口県生まれ。大阪府立東淀川高等学校卒業。1965年(昭和40年)神戸大学理学部化学科卒業、通産省大阪工業技術試験所(現産業技術総合研究所)入所。 1977年京都大学より工学博士の学位を取得。1978年米国カリフォルニア大学博士研究員。1993年(平成5年)フランス国立科学研究センター(CNRS)客員教授併任。1997年神戸大学大学院自然科学研究科教授併任。
重松 伸司(しげまつ しんじ、1942年(昭和17年)- )… 重松 伸司(しげまつ しんじ、1942年(昭和17年)- )は、インド学者、名古屋大学、追手門学院大学名誉教授。 大阪府出身。1966年京都大学文学部東洋史学科卒、1974年同大学院文学研究科修士課程修了。インド・マドラス大学インド歴史学部大学院、1972-1974年ハワイ州立大学社会学部助手。1974年京都大学文学部助手、1976年名古屋大学文学部講師、1978年助教授、1990年教授、1992年名古屋大学大学院国際開発研究科教授、1999年「近代タミル移民社会史研究 -マレーシアおよびシンガポールにおける移民社会の形成と変容」で京大博士(文学)。2003年退官、追手門学院大学名誉教授、2013年退職。
乙田 東洋司(おつだ とよし、1942年 - 2014年)は… 乙田 東洋司(おつだ とよし、1942年 - 2014年)は、大阪市生まれの遊戯文芸研究家。 元落語家。上方言語遊戯の会「笑鬼会」本院冗皇(会長)。著書で、回文やいろは歌といった言葉遊び作品を数多く発表した(著書は後述)。日本ペンクラブ会員(1986年より)。 小学校4年の頃より、ラジオのお笑い番組荒らしで名を馳せ、清風高校3年当時には、ABCラジオ『漫才教室』を「卒業」(4週勝ち抜き)するなど、賞金を稼ぐ。1960年、高校卒業と同時に、2代目三遊亭百生に入門、三遊亭 扇生を襲名。同年、千日劇場で初舞台、高座に上る。落語家当時の芸人仲間に横山やすし、若井ぼん、前田五郎、2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴など。
三田 晃(みた あきら、1942年 - )は、大阪府出身の元… 三田 晃(みた あきら、1942年 - )は、大阪府出身の元アマチュア野球選手(投手)。 成器商業高校から1961年に大和証券へ入社し、藤本英雄監督の指導を受け、同年の都市対抗にチーム初出場を果たす。1963年の都市対抗ではエース小弓場保をリリーフで支え準々決勝に進むが、富士製鐵室蘭の佐藤進に抑えられ10回裏0-1でサヨナラ負けを喫する。同年に野球部が活動停止したため、1964年に大昭和製紙へ転籍。金沢宏らと共に投の主軸として活躍し、1965年の第13回選抜社会人野球静岡大会ではチームの優勝に貢献して、最高殊勲選手にも選ばれた。同年の都市対抗では1回戦で松下電器を相手に先発するが惜敗し、秋の産業対抗では決勝に進み富士製鐵と対戦。
小川 英光(おがわ ひでみつ、1942年 - )は、日本の情… 小川 英光(おがわ ひでみつ、1942年 - )は、日本の情報工学者。東京工業大学名誉教授。元電子情報通信学会情報・システムソサイエティ会長。 1960年広島県立府中高等学校卒業。1965年東京工業大学理工学部電子工学科卒業、通商産業省工業技術院電子技術総合研究所入所。1972年東京工業大学電気工学科助手。1977年東京工業大学より論文博士として工学博士の学位を取得。飯島泰蔵に師事。 1978年東京工業大学情報工学科助教授。1984年ヘルシンキ工科大学客員教授。1987年東京工業大学情報工学科教授。2001年東京工業大学大学院情報理工学研究科長。研究室の指導学生に杉山将東京大学教授や、平林晃衆議院議員など。
横山 正明(よこやま まさあき、1942年 - ) は、日本… 横山 正明(よこやま まさあき、1942年 - ) は、日本の機械工学者。東京工業大学名誉教授。元鶴岡工業高等専門学校校長。元山形県立産業技術短期大学校校長。元山形県科学技術会議会長。 香川県生まれ。香川県立丸亀高等学校を経て、1965年東京工業大学理工学部制御工学科卒業。1967年東京工業大学大学院機械工学専攻修士課程修了。1973年工学博士。1980年東京工業大学助教授。1991年東京工業大学教授。2001年東京工業大学附属図書館すずかけ台分館長。2003年東京工業大学附属図書館長。2006年東京工業大学名誉教授、鶴岡工業高等専門学校校長、日本工学アカデミー会員。2011年山形県立産業技術短期大学校校長。
角田 由紀子(つのだ ゆきこ、1942年 - ) は、日本の… 角田 由紀子(つのだ ゆきこ、1942年 - ) は、日本の弁護士。第二東京弁護士会、角田愛次郎法律事務所所属。 性暴力被害者の権利擁護活動、セクハラ、DV、ポルノグラフィーの問題を専門としている。東京・強姦救援センター法律顧問、人権団体イクオリティ・ナウ理事、希望のたね基金顧問。 ミシガン大学客員教授、明治大学法科大学院教授、ジェンダー法学会理事、日本学術会議特任連携会員、ポルノ・買春問題研究会共同代表、NPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」代表理事、日弁連両性の平等に関する委員会委員などを歴任した。
津村 禮次郎(つむら れいじろう、1942年 - )は、シテ… 津村 禮次郎(つむら れいじろう、1942年 - )は、シテ方観世流の能楽師。二松學舍大学文学部特任教授。観世流緑泉会代表、重要無形文化財「能楽」保持者(総合認定)、福岡県出身。 1942年福岡県北九州市生まれ。1960年福岡県立八幡高等学校卒業、1963年能「花月」初シテ、翌年一橋大学経済学部卒業、1969年一橋大学社会学部卒業。在学中に一橋観世会で女流能楽師の津村紀三子に師事し、能楽師の道を志す。卒業の後は先代観世喜之に師事する。1967年4月日蓮宗本山海光山佛現寺において出家得度(板垣日応上人門弟)し、同年8月に身延山信行道場を修了し僧籍を取得する。同年師の津村紀三子の養子となる。1970年観世流師範 、1971年能「道成寺」初演。
雨宮 真人(あまみや まこと、1942年 - )は、日本の情… 雨宮 真人(あまみや まこと、1942年 - )は、日本の情報工学者。九州大学名誉教授。元電子情報通信学会副会長。 福岡県立修猷館高等学校を経て、1967年九州大学工学部電子工学科卒業。1969年九州大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了、日本電信電話公社入社。1978年九州大学工学博士。1988年九州大学大学院総合理工学研究科教授。1993年情報処理学会論文賞受賞。2000年電子情報通信学会フェロー。自然言語処理や並列処理の先駆的研究が評価され、2003年情報処理学会フェロー。2005年電子情報通信学会情報・システムソサイエティ会長。2006年電子情報通信学会副会長。
坂口 拓史(さかぐち たくし、1942年 - )は、日本の警… 坂口 拓史(さかぐち たくし、1942年 - )は、日本の警備会社経営者、著作家、評論家。坂口れい子の長男。 台湾生まれ。熊本県八代市出身。九州学院高等学校卒、法政大学二部文学部中退、セコム(訓練担当)をへて日本平和警備保障社長、のち顧問。 裏社会についての著作多数。
石川 公一(いしかわ こういち、1942年 - )は、日本の… 石川 公一(いしかわ こういち、1942年 - )は、日本の地方公務員。別府市助役や、大分県教育委員会教育長、大分県副知事、立命館アジア太平洋大学教授、国立大学法人大分大学理事等を歴任した。 大分県生まれ。大分県立大分舞鶴高等学校を経て、1965年大分大学経済学部経済学科卒業、大分大学経済学専攻科入学。1968年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。指導教官蓼沼謙一。父親が倒れたため大学教員になることを断念し、同年大分県入庁。大分県総務部総務課参事、大分県保健環境部環境保全課長、大分県総務部地方課長等を経て、1997年大分県企画部過疎・地域振興対策局長。1998年別府市助役。 2000年大分県監査事務局長。
柏 英樹(かしわ ひでき、1942年 - 2025年4月)は… 柏 英樹(かしわ ひでき、1942年 - 2025年4月)は東京都出身のスポーツライターである。 青山学院大学卒業。大学在学中はラグビー選手として、同ラグビー部の主将を務めていた。1964年、報知新聞社に入社し、スポーツ報知記者としてアマ・スポーツ記事を担当。1976年から読売ジャイアンツ番記者となり、特に長嶋茂雄への密着取材を長年行い、長嶋とその親族との親交も深いとされている。 1998年に報知新聞社を退社し、1999年からフリーのスポーツライターとして活動を開始する。引き続き長嶋への密着取材をするほか、アール・エフ・ラジオ日本の番組「柏英樹のG PLUS SPORTS」でディスクジョッキーを担当していた。
吉川 武男(よしかわ たけお、1942年 - )は、日本の会… 吉川 武男(よしかわ たけお、1942年 - )は、日本の会計学者。横浜国立大学名誉教授、エジンバラ大学客員研究員、バランススコアカード研究会学術顧問。栃木県出身。 専門分野は原価計算と管理会計。所属学会は、日本原価計算研究学会、日本会計研究学会、日本管理会計学会。1996年〜1999年は公認会計士二次試験委員を務めていた。2021年、瑞宝中綬章受章。
豊 遙秋(ぶんの みちあき、1942年 - )は、日本の地球… 豊 遙秋(ぶんの みちあき、1942年 - )は、日本の地球科学者。専門は鉱物学、鉱床学。理学博士。 東京都生まれ。平安時代から続く京方の笙を家業とする楽家に生まれたが、家業を継がず、桜井欽一が主催する鉱物愛好家の会「無名会」に入会して鉱物学を志す。秋田大学鉱山学部卒業、東京大学大学院工学系研究科修士課程修了、同理学系研究科博士課程中退。1981年2月「氷長石及び珪灰鉄鉱における秩序状態と生成条件の関係に関するX線的研究」で、理学博士(東京大学)。 東京大学総合研究資料館助手を務めたあと、旧工業技術院地質調査所(現独立行政法人産業技術総合研究所地質調査総合センター)に入所。図幅調査や記載鉱物学を担当。
岩本 勲(いわもと いさお、1942年(昭和17年) - )… 岩本 勲(いわもと いさお、1942年(昭和17年) - )は、日本の政治学者、大阪産業大学名誉教授。 大阪府生まれ。1965年(昭和40年)、大阪大学法学部卒業。1971年(昭和46年)、同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1999年(平成11年)、「現代フランス政治過程の研究 -1981~1995」で、法学博士(大阪大学)の学位を取得。三重短期大学法経科助教授、教授。1986年(昭和61年)、大阪産業大学教授。2011年(平成23年)、定年退任。
川道麟太郎(かわみち りんたろう、1942年- )は、日本の… 川道麟太郎(かわみち りんたろう、1942年- )は、日本の建築学者、歴史学者。 神戸市生まれ。1966年京都工芸繊維大学卒、大阪大学大学院工学研究科修士課程修了。1980年「高密度生活空間における集団密度の影響に関する研究」で工学博士。関西大学工学部助教授、教授を務める。2006年依願退職。建築論・建築計画学専攻。退職後は西郷隆盛について調べ著作をなしている。
品川 日出夫(しながわ ひでお、1942年 - ) は、日本… 品川 日出夫(しながわ ひでお、1942年 - ) は、日本の生物学者。大阪大学名誉教授。元日本遺伝学会会長。木原賞受賞。 1964年国際基督教大学教養学部自然科学科卒業。1966年大阪大学大学院理学研究科修士課程修了。1969年プリンストン大学大学院生物学部修士課程修了、M.A.。1971年大阪大学微生物病研究所助手。1974年理学博士。1987年大阪大学微生物病研究所助教授。1992年大阪大学微生物病研究所教授。1995年日本分子生物学会評議員。2005年大阪大学微生物病研究所招へい教授、大阪大学名誉教授、バイオアカデミア株式会社代表取締役社長、日本遺伝学会会長。2015年阪大理生物同窓会会長。
高杉 豊(たかすぎ ゆたか、別表記:髙杉 豊、1942年また… 高杉 豊(たかすぎ ゆたか、別表記:髙杉 豊、1942年または1943年 - )は、日本の地方公務員、医師。大阪府保健衛生部長、同副知事、大阪府立病院機構理事長を歴任。瑞宝中綬章受章。 1968年 大阪大学医学部卒業。1971年 大阪府立病院泌尿器科、大阪府保健予防課長、1996年 (平成8年) 4月 江部高廣の後任として環境保健部長、1998年4月 保健衛生部長、大阪府立病院長兼府健康福祉部医療監、2003年7月 梶本徳彦とともに大阪府副知事。2007年3月 山登敏男と小河保之を後任に梶本とともに任期満了退任。2008年 地方独立行政法人大阪府立病院機構理事長、2012年 公益財団法人大阪府保健医療財団理事長、2017年 公益財団法人大阪国際がん治療財団理事長兼任。
田畑 稔(たばた みのる、1942年 - )、日本の哲学者。… 田畑 稔(たばた みのる、1942年 - )、日本の哲学者。季報『唯物論研究』編集長。専門はドイツ哲学、マルクス主義。 大阪市生まれ。三重県名張市出身。大阪大学大学院文学研究科博士課程哲学哲学史専攻単位取得退学。富山大学教養部専任講師、助教授(1974 - 1979、哲学担当)、広島経済大学経済学部教授(1998 - 2002、倫理学担当)、大阪経済大学人間科学部教授(2002 - 2012、人間論、哲学担当)。2012年定年退職。 1980年11月に山本晴義、鷲田小弥太、笹田利光、平等文博などとともに大阪唯物論研究会哲学部会を組織。翌1981年には季報『唯物論研究』を創刊、編集長(18号までは編集責任者)となった。
布引 敏雄(ぬのびき としお、1942年 - )は、日本の歴… 布引 敏雄(ぬのびき としお、1942年 - )は、日本の歴史学者、大阪観光大学名誉教授。 満洲国ハイラル市生まれ。戦後、引揚げて山口県小野田市に住む。1965年大阪大学文学部卒業。香川県立高松高等学校に勤める。66年退職して大阪大学大学院文学研究科へ進学、68年同修士課程修了後、山口県文書館に勤務。山口県立山口農業高等学校秋穂分校・山口県立萩高等学校・山口県立山口中央高等学校教諭を経て、1985年大阪明浄女子短期大学講師、助教授、2000年大阪明浄大学観光学部教授。2006年校名変更で大阪観光大学教授、2013年定年、名誉教授。
南川 諦弘(みなみがわ あきひろ、1942年 -2025年 … 南川 諦弘(みなみがわ あきひろ、1942年 -2025年 )は、日本の法学者、弁護士。専門は行政法・地方自治法。大阪学院大学法務研究科教授・研究科長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
脇本 實(わきもと みのる、1942年 - )は、日本の数学… 脇本 實(わきもと みのる、1942年 - )は、日本の数学者。九州大学名誉教授。専門は表現論、特にリー環の表現論。 1965年 大阪大学理学部物理学科を卒業後、数学科に編入学し、1967年 卒業。1969年 大阪大学理学研究科数学専攻修士課程修了、1970年 大阪大学助手、1972年 理学博士。1972年 広島大学助教授、三重大学助教授、同教授を経て、1996年 九州大学大学院数理学研究科教授。2005年 同名誉教授。退官後もMITのヴィクトル・カッツとの共著を含めて活発な研究を継続している。 リー環の表現論、W代数等に関する多くの論文を書いている。1992年 E.Frenkel, V.Kacと共著でW代数に対してモジュラー不変性を持つ既約指標の存在、構成法を予想した。
坂手 恭介(さかて きょうすけ、1942年 - )は日本の会… 坂手 恭介(さかて きょうすけ、1942年 - )は日本の会計学者。大阪経済大学理事、山口大学名誉教授。山口大学副学長、桃山学院大学副学長、経済産業省平成21年度「地域イノベーション創出研究開発事業」事業化評価委員などを務めた。専門は管理会計学。
大場 宏(おおば ひろし、1942年 - )は、日本の電気技… 大場 宏(おおば ひろし、1942年 - )は、日本の電気技術者、住友電装元専務執行役員。 大阪工業大学工学部電気工学科を卒業後、住友電装に入社。主に技術部門や海外事業開発の要職を経験後、同社常務執行役員を経て、専務執行役員として経営に参画。特にワイヤーハーネス事業のグローバル展開において重要な役割を果たし、2002年にはヨーロッパ拠点のSumitomo Electric Wiring Systems Europe取締役を兼務するなど、海外戦略の推進を担った。2006年に専務執行役員を退任し、同社顧問に就任。長年にわたり、電気工学の専門知見を活かして自動車用配線システムの技術向上と事業拡大に貢献した。
尾崎 三郎(おざき さぶろう、1942年 - 2021年)は… 尾崎 三郎(おざき さぶろう、1942年 - 2021年)は、日本の大蔵官僚、税理士。元国税庁熊本国税局長。元ビジネス会計人クラブ名誉相談役。 大阪生まれ。1961年国税庁大阪国税局入局。1967年大阪市立大学法学部卒業。国税庁直税部資産税課実査官、国税庁直税部資産税課審理第一係長を経て、1986年国税庁直税部資産税課課長補佐、1993年国税庁大阪国税局彦根税務署長、1995年国税庁大阪国税局課税第一部資産税課長、1999年国税庁課税部資産税課長、2000年国税庁熊本国税局長、2001年退官、尾崎税理士事務所所長。ミロク情報サービスMJS税経システム研究所税務システム研究会顧問、ビジネス会計人クラブ名誉相談役なども務めた。
神尾 暢子(かみお のぶこ、1942年 - )は、日本の国文… 神尾 暢子(かみお のぶこ、1942年 - )は、日本の国文学者・国語学者。学位は、博士(文学)(大阪市立大学・論文博士・1995年)(学位論文「王朝文学の表現形成」)。大阪教育大学名誉教授。 大阪市立大学大学院修士課程修了、1973年大阪学芸大学講師、助教授、大阪教育大学教授、2008年定年退任、名誉教授、甲子園大学教授。1995年「王朝文学の表現形成」で大阪市立大学より博士(文学)の学位を取得。第2回日本古典文学会賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。