外林 大作(そとばやし だいさく、1916年10月11日 -… 外林 大作(そとばやし だいさく、1916年10月11日 - 2012年4月2日)は、日本の臨床心理学者、横浜市立大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校、旧制水戸高等学校を経て、1941年に東京帝国大学文学部心理学科を卒業。1949年東京学芸大学助教授、1950年横浜市立大学助教授、1951年ロール・プレイング療法を日本に導入。1956年教授。1982年定年退官、名誉教授。1989年勲三等旭日中綬章受勲。
柴田 タカ(しばた たか、1916年10月10日 - 199… 柴田 タカ(しばた たか、1916年10月10日 - 1991年)は、日本の短距離走選手。1932年ロサンゼルスオリンピックで女子100メートル競走に出場した。 山形県山形市において、菓子店の長女として生まれる。山形高等女学校(現在の山形県立山形西高等学校)在校中、1932年ロサンゼルスオリンピックで女子100メートル競走に出場した。山形県初の女子オリンピック選手である。オリンピックでは予選で落選しており、公式記録上は「記録なし」とされている。 同大会には渡辺すみ子(1916年11月28日生まれ)が満15歳で女子100m走に出場している。オリンピックに出場した日本の陸上選手としては渡辺が最年少記録(2022年現在も維持)とされ、柴田はこれに次いで年少の選手とされる。
吉田 弘重(よしだ ひろしげ、1916年(大正5年)10月1… 吉田 弘重(よしだ ひろしげ、1916年(大正5年)10月10日 - 2014年5月)は、日本のアメリカ文学者、広島大学名誉教授。広島県佐伯郡生まれ。広島文理科大学卒、1967年「シンクレア・ルイスの言語の構造と組織」で広島大学文学博士。広島大学文学部助教授、教授、1980年定年退官、名誉教授、広島修道大学教授、ノートルダム清心女子短期大学教授。1992年勲三等旭日中綬章受勲。
内薗 耕二(うちぞの こうじ、1916年10月9日 - 20… 内薗 耕二(うちぞの こうじ、1916年10月9日 - 2006年10月25日)は、日本の医学者(生理学)。階級は海軍中尉。勲等は勲二等。学位は、医学博士(東京大学・1950年)。東京大学名誉教授、静岡県立大学名誉教授、生理学研究所名誉教授。 東京帝国大学医学部副手、東京大学医学部講師、新潟大学医学部教授、東京大学医学部教授、生理学研究所所長(初代)、岡崎国立共同研究機構機構長(第2代)、静岡女子大学学長(第5代)、静岡県立大学学長(初代)、静岡県立大学短期大学部学長(初代)などを歴任した。 1916年、鹿児島県鹿屋市にて生まれた。 鹿児島県立鹿屋中学校 (旧制)を経て、1937年に第一高等学校理科乙類を卒業後、東京帝国大学医学部医学科に進学して医学を学び1941年に卒業した。
高村 勝治(たかむら かつじ、1916年10月9日 - 20… 高村 勝治(たかむら かつじ、1916年10月9日 - 2009年4月3日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。筑波大学名誉教授。専門はアーネスト・ヘミングウェイで、第二次世界大戦後のアメリカ文学研究の開拓者の一人だった。 石川県生まれ。1940年東京文理科大学卒業、1941年同大学院中退、助手。1946年東京高等師範学校助教授、1948年教授、1949年東京文理科大講師、東京教育大学助教授、1962年「「ローストジェナレーション」研究」で文学博士、1964年教授、移転に伴い筑波大学教授、1980年定年退官、名誉教授、共立女子大学教授。 1990年、勲三等旭日中綬章受勲。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
人見 楠郎(ひとみ くすお、1916年10月7日 - 200… 人見 楠郎(ひとみ くすお、1916年10月7日 - 2000年11月4日)は、日本の教育者、学校法人昭和女子大学の第2代理事長、昭和女子大学第5代学長。1974年から死去した2000年まで26年間にわたり長く学園経営のトップであり、学外での役職も数多く歴任し、「カリスマ理事長」として知られた。 岡山県出身。父は、詩人で昭和女子大学創設者の人見東明(圓吉)。 旧制第四高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部を卒業。旧制第八高等学校の漢文講師などを経て、1946年に父が経営する学園(後の学校法人昭和女子大学)に入り、1951年に関連法人である学校法人昭和高等学校に付設された昭和幼稚園の主事、次いで同法人が設けた昭和小学校の主事となり、1960年には第2代幼稚部園長となった。
笹間 良彦(ささま よしひこ、本名: 笹間 恒雄(ささま つ… 笹間 良彦(ささま よしひこ、本名: 笹間 恒雄(ささま つねお)、1916年10月6日 - 2005年11月5日)は、日本の歴史家、武具研究家。文学博士。 専門の武具関係を中心に、歴史・民俗に関する著書多数。 1916年、東京府東京市下谷区(現在の台東区)にて生まれる。1935年、埼玉県立浦和中学校卒業。 30歳前後から、武具、風俗史、民俗学研究の為、長期間日本全国を行脚し資料を収集する。以来半世紀以上にわたって歴史学研究を続ける事となる。甲冑研究の第一人者で、日本甲冑武具歴史研究会会長に就任し、武具の歴史研究で成果を上げた。その後も江戸時代の制度や司法に関する著作を著し、『江戸幕府役職集成』では海音寺潮五郎から推薦の辞を寄せられる。
孫 権培(ソン・グォンベ、朝鮮語: 손권배/孫權培、1916… 孫 権培(ソン・グォンベ、朝鮮語: 손권배/孫權培、1916年10月6日 - 1990年2月19日)は、大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。第3代韓国国会議員。 本貫は密陽孫氏(朝鮮語版)。号は民斉(ミンジェ、朝鮮語: 민제/民齊)。 日本統治時代の全羅北道完州郡出身。久留米の明善中学校卒。1954年の第3代総選挙では自由党の候補として国会議員に当選し、裵恩希の一級参謀を務めたが、裵の失脚後は自由党を離党し民主党に移籍した。他には太白新聞主幹、三南日報社社長、大韓独立促成国民会全羅北道支部宣伝部長、独立闘争委員会全羅北道団団長、大韓青年団全羅北道団団長、国民会全羅北道支部委員長、自由党完州乙区党委員長・全羅北道党副委員長を歴任した。
久保 等(くぼ ひとし、1916年〈大正5年〉10月6日 -… 久保 等(くぼ ひとし、1916年〈大正5年〉10月6日 - 2002年〈平成14年〉6月15日)は、日本の政治家。 日本社会党所属の衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、衆議院永年在職議員。 香川県綾歌郡生まれ。1941年、中央大学法学部卒業。 1953年、全電通労組(現NTT労組)初代委員長を経て、第3回参議院議員通常選挙全国区当選。1958年、参議院社会労働委員長。 1968年、参議院逓信委員長。1972年、衆議院に鞍替え出馬して第33回衆議院議員総選挙香川2区当選。1977年、衆議院公害対策並びに環境保全特別委員長。 1983年、第37回衆議院議員総選挙で加藤常太郎に309票差で敗れ落選。
吉野 裕子(よしの ひろこ、1916年10月5日 - 200… 吉野 裕子(よしの ひろこ、1916年10月5日 - 2008年4月18日)は、日本の民俗学者。 東京都に赤池濃の三女として生まれる。1934年女子学習院本科を卒業し、1936年に同院高等科を卒業。1942年『風のさそひ』を上梓。専業主婦となるが、日本舞踊を習っていたことから民俗学に関心をもち、1954年津田塾大学卒業、1970年著書『扇』を刊行、1977年「陰陽五行思想から見た日本の祭」により東京教育大学文学博士の学位を授与される。在野の学者として著書多数。全集全12巻がある。 2008年4月18日、心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鈴木 鎮郎(すずき しずお、1916年〈大正5年〉10月4日… 鈴木 鎮郎(すずき しずお、1916年〈大正5年〉10月4日 - 2006年〈平成18年〉3月10日)は、日本の経営者。三楽オーシャン((現在のメルシャン)社長、会長を務めた。東京都出身。 1939年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に昭和酒造(のちの三楽オーシャン)に入社。1946年に取締役に就任し、1958年に常務、1970年に専務を経て、1977年には社長に就任。1985年に会長、1987年に取締役相談役を経て、1988年には相談役に就任。 1980年に藍綬褒章を受章し、1986年に勲三等瑞宝章を受章。 2006年3月10日、心不全のために死去。89歳没。
豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日 - 200… 豊 永光(ゆたか えいこう、1916年10月3日 - 2001年7月12日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(1期)。名瀬市長(1期)。 鹿児島県名瀬市(奄美市)出身。鹿児島県立大島中学校 (旧制)四年修了で第七高等学校造士館 (旧制)に進学、卒業。1939年、高等試験行政科試験に合格、翌年東京帝国大学法学部を卒業。農林省に入り、畜産局資料課長、大臣官房広報課長、大阪、熊本の各営林局長となり、1967年の第31回衆議院議員総選挙に奄美群島区から無所属で立候補したが落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙で保岡武久を破り、初当選した。しかし、1972年の第33回衆議院議員総選挙では保岡武久の息子の保岡興治に敗れて落選。
大島 友治(おおしま ともじ、1916年〈大正5年〉10月2… 大島 友治(おおしま ともじ、1916年〈大正5年〉10月2日 - 1999年〈平成11年〉4月19日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員。栃木県出身。 1941年京都帝国大学農学部卒業。終戦後、小野寺村の農業協同組合を経て栃木県庁に入庁。教育次長、農務部長などを歴任した後、1974年の参院選に自民党公認で栃木選挙区から出馬し初当選。連続当選3回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に所属。派内では同郷の渡辺に近い存在だった。 1977年科学技術政務次官(福田赳夫内閣)、参議院文教委員長、参議院内閣委員長などを経て、1990年2月第2次海部内閣の科学技術庁長官として初入閣。同年の12月まで務めた。
神馬 駿逸(しんめ しゅんいつ、1916年10月2日 - 1… 神馬 駿逸(しんめ しゅんいつ、1916年10月2日 - 1993年)は、日本の会計学者。専門は原価計算、工業簿記、病院会計など。甲南大学経営学部教授、東洋大学経営学部教授を歴任した。 1916年(大正5年)10月2日、千葉県長生郡一松村乙421番地に生まれる。 甲南大学経営学部教授を長らく務め、1982年(昭和57年)3月に定年退職。同年4月に甲南大学名誉教授となり、退職後も東洋大学経営学部教授を務めた。 主な研究領域は以下の通り: これらの分野で専門書を複数著し、会計理論と実務の橋渡しに貢献した。 また、夷谷広政との共編で『神馬新七郎の会計学実践―パイオニア会計人の栄光』(税務経理協会、1977年)を刊行している。
谷 伍平(たに ごへい、1916年10月1日 - 2007年… 谷 伍平(たに ごへい、1916年10月1日 - 2007年6月20日)は、日本の政治家、官僚。元北九州市長(1967年~1987年)で、福岡県直方市出身。
石橋 弘(いしばし ひろし、大正5年(1916年)10月1日… 石橋 弘(いしばし ひろし、大正5年(1916年)10月1日 - )は日本の実業家、政治家。元境港市議会議員(副議長)。旧姓松井。医師松井功の実兄。境港造船(株)代表取締役石橋雄器のは婿養子。 鳥取県西伯郡淀江町(現米子市)出身。 昭和17年(1942年)早稲田大学商学部卒業。同年合名会社石橋造船鉄工所代表社員に就任。昭和18年(1943年)(株)石橋造船鉄工所代表取締役就任。昭和32年(1957年)境港造船(株)代表取締役就任。 尊敬する人物は西郷隆盛、上杉謙信。座右の銘は「百術は一誠にしかず」。趣味は旅行、カメラ、読書。住所は境港市岬町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
金丸 貞三(かなまる ていぞう、1916年(大正5年)10月… 金丸 貞三(かなまる ていぞう、1916年(大正5年)10月1日 - 1942年(昭和17年)12月24日)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者でエース・パイロット。最終階級は陸軍中尉。 1916年(大正5年)10月1日、宮崎県宮崎市に生まれる。1934年(昭和9年)2月、陸軍少年飛行兵の第1期生として所沢陸軍飛行学校に入校した。1935年(昭和10年)11月に卒業すると、ついで明野陸軍飛行学校で戦闘機の戦技教育を受け、1936年(昭和11年)2月に飛行第8連隊(台湾・屏東)へ配属された。 1937年(昭和12年)7月に支那事変が勃発、8月中旬に戦火が上海に拡大すると、飛行第8連隊の1コ戦闘機中隊を基幹に独立飛行第10中隊(九五式戦闘機装備)が編成され上海戦線に投入された。
渡辺 利一郎(わたなべ りいちろう、1916年10月 - 1… 渡辺 利一郎(わたなべ りいちろう、1916年10月 - 1984年12月2日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 現在の栃木県足利市に生まれ、小学4年生頃より本格的に柔道を始める。天才柔道少年と呼ばれ新聞にも掲載され話題になった。 1932年初段取得。現在よりも初段取得が難しく、2段を持っていれば警察署等で充分に柔道教師が務まった当時、渡辺は翌33年1月に2段となって飯塚国三郎(のち10段)の門下となり、同年8月には3段に昇段。翌1934年には4段に進んで1936年1月に弱冠19歳で5段と、異例の早さで昇段を重ねた。この間、飯塚の助手として東京農業大学や東京工業大学、慶應義塾大学、立正大学のほか水産講習所で指導の傍ら自身も修行に励み、講道館の高等柔道教員養成所を卒業した。
柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日… 柴田 南雄(しばた みなお、1916年〈大正5年〉9月29日 - 1996年〈平成8年〉2月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家、音楽学者。 東京府東京市神田区駿河台袋町(現:東京都千代田区神田駿河台)に生まれ、1945年まで東京府豊多摩郡大久保町字百人町(現:新宿区百人町)で暮らす。 1921年、東京女子高等師範学校附属幼稚園(現:お茶の水女子大学附属幼稚園)に入る。1923年、暁星小学校入学。1932年、暁星中学校から成城高等学校尋常科(現:成城大学)に編入。1933年、成城高等学校高等科理科甲類(英語クラス)に進んだ頃から、ピアノを岩井貞麿、ジェームス・ダンに、チェロを鈴木二三雄に、作曲を細川碧、諸井三郎に、指揮法を斎藤秀雄に師事。
間垣 洋助(まがき ようすけ、1916年9月29日 - 19… 間垣 洋助(まがき ようすけ、1916年9月29日 - 1990年10月19日)は、日本のプロテスタントの神学者。 台湾出身。青山学院大学大学院修了。1983年「ヨハネ福音書のキリスト論」で立教大学神学博士。日本ルーテル神学大学教授、1979年から1984年まで図書館長、学長。
斎藤 数衛(さいとう かずえ、1916年9月27日 - )は… 斎藤 数衛(さいとう かずえ、1916年9月27日 - )は、日本のアメリカ文学者・翻訳家。 東京生まれ。1940年京都帝国大学文学部英文科卒。早稲田大学法学部教授を務めた。英米文学、推理小説など多数を翻訳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
佐伯 孝(さえき たかし、1916年9月27日 - 2009… 佐伯 孝(さえき たかし、1916年9月27日 - 2009年12月16日)は、日本の実業家。日清製粉(現日清製粉グループ本社)社長や、同社会長を務めた。藍綬褒章受章。 長崎県佐世保市出身。1941年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業後、日清製粉(現日清製粉グループ本社)入社。 同社入社後は製粉事業部門で営業、生産、秘書、調査、経理などを担当し、1969年取締役に昇格。1978年常務取締役。1981年から社長を務め、五分無償増資などを行った。1983年藍綬褒章受章。1986年会長に就任。 2009年肺炎のため死去。享年93。
平松 小いとゞ(ひらまつ こいとど、1916年(大正5年)9… 平松 小いとゞ(ひらまつ こいとど、1916年(大正5年)9月26日 - 1944年(昭和19年)6月7日)は、日本の俳人。 和歌山県新宮市出身。父・竈馬の影響下、高濱虛子に師事、時にユーモアを交えた繊細で家庭的な温もりを持つ作風であったが、学徒動員で出兵、中国河南省での作戦に従軍、戦闘中に敵軍の銃弾に斃れた。《紙白く書き遺すべき手あたゝむ》は、出兵に際しての遺書とも取れ、命日は「白紙忌」と名付けられた。 1916年(大正5年)9月26日、父・平松竈馬(「ホトトギス」俳人、本名義彦、俳号はいとどとも、いとゞとも記される)、母・おとえの長男として、和歌山県東牟婁郡新宮町磐盾に生まれる。本名は一郎。
澤田 允茂(さわだ のぶしげ、1916年9月26日 - 20… 澤田 允茂(さわだ のぶしげ、1916年9月26日 - 2006年4月14日)は、日本の哲学者、慶應義塾大学名誉教授。日本哲学会会長、日本科学哲学会会長を歴任。ヘーゲル批判を行ったことでも知られる。 1916年、東京府生まれ。愛媛県立松山中学校を経て、1934年3月、久留米市の福岡県立中学明善校を卒業。同年4月、慶應義塾大学に入学し、日吉の予科1期生となった。1940年3月、慶應義塾大学文学部西洋哲学科を卒業し、高等部の助手となった。 同年12月に陸軍に応召し麻布第3連隊に入隊。中国北部へ送られ、1941年1月、河南省の首都開封近隣に駐屯する第35師団の機関銃中隊に配属された。夏頃、保定に設けられた予備士官学校に入ったが、病気入院で卒業できず、乙種幹部候補生として原隊復帰し、軍曹となった。
井上 茂(いのうえ しげる、1916年〈大正5年〉9月26日… 井上 茂(いのうえ しげる、1916年〈大正5年〉9月26日 - 2002年〈平成14年〉5月21日)は、日本の法学者。専門は法哲学。第8代お茶の水女子大学学長。日本法哲学会理事長(1975年11月 - 1979年11月)。 兵庫県に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1938年3月旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1942年9月東京帝国大学法学部法律学科を卒業。その後、3年間兵役に就いた後、1945年11月、東京大学大学院(法理学専攻)に進む。東大では尾高朝雄の最初の門下生であった。 1949年5月、お茶の水女子大学講師となり、その後、同大学にて、1953年5月、助教授、1959年7月、教授(1982年2月まで)、1967年10月、文教育学部長(1969年9月まで)、1976年6月、大学院人間文化研究科長(1979年2月まで)を経て、1979年2月、お茶の水女子大学学長に就任し、1982年2月まで務めている(同月、お茶の水女子大学名誉教授の称号授与)。
小野 順造(おの じゅんぞう、1916年9月26日 - 19… 小野 順造(おの じゅんぞう、1916年9月26日 - 1989年6月28日)は、日本の経営者。大阪府大阪市出身。 1941年に大阪商科大学を卒業し、同年に小野市兵衛商店(現在の小野薬品工業)に入社。 取締役、常務、専務を経て、1968年6月に副社長に就任し、1977年2月には社長に昇格。1986年2月から会長を務めた。 1989年6月28日肺炎のために死去。72歳没。
坂寄 俊雄(さかより としお、1916年9月26日 - 19… 坂寄 俊雄(さかより としお、1916年9月26日 - 1997年6月3日)は、日本の社会福祉学者。立命館大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1942年京都帝国大学経済学部卒業。大阪社会事業短期大学助手、立命館大学経営学部助教授、教授、学部長、立命館常務理事。1982年定年、名誉教授、日本福祉大学教授。
三瀦 信吾(みつま しんご、1916年9月26日 - 200… 三瀦 信吾(みつま しんご、1916年9月26日 - 2003年1月6日)は、日本の法学者。高崎経済大学名誉教授。専門は、法哲学・明治憲法史・防衛法史・皇室典範を研究。東京都港区出身。 父は法学者で東京帝国大学法学部教授を務めた三潴信三。弟は経済学者で筑波大学名誉教授の三潴信邦。姉の夫は法学者で東京大学名誉教授の山田晟。妻の兄は思想史学者で学習院大学名誉教授の筧泰彦。妻の父は法学者の筧克彦。 1941年、東京帝国大学法学部を卒業した。財団法人皇学会研究員。1942年、臨時召集された。1945年、復員した。善隣協会専門学校 (旧制)兼任講師。1949年、東京大学大学院(旧制)修了。明治大学法学部助教授。
楠田 久男(くすだ ひさお、1916年9月25日 - 202… 楠田 久男(くすだ ひさお、1916年9月25日 - 2020年2月26日)は、日本の機械工学者、佐賀大学元学長。専門は伝熱工学。 鳥栖市出身。旧制佐賀高等学校を経て、1939年9月に九州帝国大学工学部機械工学科卒業。熊本大学工学部教授、佐賀大学理工学部教授、同学部長などを経て、1986年から1990年まで佐賀大学学長を務めた。サガン鳥栖の前身である鳥栖フューチャーズの設立に尽力した。 2020年2月26日、老衰のため鳥栖市の特別養護老人ホームで死去。103歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
長谷川 靑澄(はせがわ せいちょう、1916年9月25日 -… 長谷川 靑澄(はせがわ せいちょう、1916年9月25日 - 2004年7月23日)は、日本の美術家、日本画家。本名は義治(よしはる)。 精密な描写をもとにしたデフォルム、また琳派や西洋の油彩絵画とも一線を画したマチエールに強いこだわりをもった独特な画風を確立した。作品は専ら日本美術院展覧会への出品作であり、日本美術院同人、同評議員となった。 1916年(大正5年) 9月25日、長野県下水内郡飯山町(現飯山市)に生まれる。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)卒業。 15歳で地元の細野順耳(菊池契月の兄)に学び、1933年(昭和8年)上京し、18歳で松岡映丘門の吉村忠夫に入門し大和絵を専攻。1952年(昭和27年)36歳の時に吉村忠夫の急逝をうけ、日本美術院・同人の中村貞以(なかむらていい、1900年 - 1982年)に入門し、日本美術院展覧会を目指し研鑽を重ねる。
中山 育雄(なかやま いくお、1916年9月24日 - 19… 中山 育雄(なかやま いくお、1916年9月24日 - 1986年7月10日)は、日本の経営者。中山製鋼所社長、会長を務めた。福岡県出身。 1937年に神戸高等商業学校を経て、1940年に大阪帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年に中山製鋼所に入社。1945年6月に取締役に就任し、同年12月には社長に昇格。1973年11月から1975年5月までに会長を務めた。 1973年11月に藍綬褒章を受章。 1986年7月10日肺炎のために死去。69歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
畠山 孝(はたけやま たかし、1916年 <大正5年> 9月… 畠山 孝(はたけやま たかし、1916年 <大正5年> 9月22日 - 1998年 <平成10年> 10月29日)は、宮城県議会議長(自由民主党)、唐桑町長。ボート競技(ローイング競技)の選手、指導者。オリンピアン。位階は従五位。 宮城県本吉郡唐桑町(現・気仙沼市)鮪立生まれ。旧制気仙沼中(現・宮城県気仙沼高等学校)、早稲田第二高等学院(現・早稲田大学高等学院・中学部)を経て1939年早稲田大学商学部を卒業。 早大在学中、1936年のベルリンオリンピックのかじ付きフォア(三番手)に出場、敗者復活戦で敗退した。前年の1935年の全日本エイト選手権では七番を漕ぎ優勝した。 大学卒業後も南満州鉄道に勤務の傍ら明治神宮大会に優勝。
横山 堅七(よこやま けんしち、1916年9月22日 - 生… 横山 堅七(よこやま けんしち、1916年9月22日 - 生没不明)は、日本のバスケットボール選手。1936年ベルリンオリンピックに出場した。 新潟県立新潟商業学校(現在の新潟県立新潟商業高等学校)に学び、強豪の籠球部(バスケットボール部)に所属した。早稲田大学に進み、バスケットボール部に所属。早稲田大学在学中、1936年ベルリンオリンピックに出場した。1938年には東洋選手権大会日本代表、1939年には来日したカナダのチーム(「ウェスターン軍」)と対戦した日本代表チームの一員となり、宗像卯一とともに年間最優秀選手に選ばれた。1940年には東亜競技大会の日本代表選手となる。 その後、日本鋼管に所属。
小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月2… 小田切 秀雄(おだぎり ひでお、1916年(大正5年)9月20日 - 2000年(平成12年)5月24日) は、日本の文芸評論家、近代文学研究者。法政大学名誉教授。 1916年(大正5年)、東京都品川区生まれ。府立高等学校尋常科に入学する。1932年(昭和7年)、学内の共産党グループのキャップとして治安維持法違反で警視庁目黒署に逮捕され、15日間勾留された後、3ヶ月の停学処分を受ける。翌年、府立高等学校高等科に進学するも、再び治安維持法違反で逮捕され、75日間拘留される。「軽はずみでした、もうしません」と宣誓書を書いて転向し、起訴猶予処分で釈放され、高等学校から諭旨退学処分を受ける。1935年、学生運動に参加せず学業に専念することを条件として、法政大学予科に編入学を認められる。
高田 敞(たかだ たかし、1916年9月19日 - 1985… 高田 敞(たかだ たかし、1916年9月19日 - 1985年12月26日)は、日本の経営者。鐘淵化学工業社長、会長を務めた。 東京都出身。1941年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に鐘紡に入社。1949年9月に鐘淵化学工業に転じ、1962年11月に取締役に就任し、1966年11月に常務、1971年5月に専務、1978年6月に副社長を経て、同年11月には社長に就任した。1984年11月から会長を務めた。 1985年12月26日、心筋梗塞のために死去。69歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
三宅 邦子(みやけ くにこ、1916年9月17日 - 199… 三宅 邦子(みやけ くにこ、1916年9月17日 - 1992年11月4日)は、埼玉県南埼玉郡岩槻町(現さいたま市岩槻区)出身の女優。本名・三浦やす(みうら やす)。 天保年間創業の老舗料亭に生まれる。埼玉県立久喜高等女学校卒業後、松竹に入社し1934年に「夢のさゝやき 」で映画デビュー。1942年結婚のため退社したが1948年に復帰し、以降の小津安二郎監督作品の多くに出演した。小津の死後は「サインはV」「たけくらべ」などテレビ出演が多くなった。 1992年11月4日、急性心不全のため死去。76歳。 生家の料亭「ふな又」は、さいたま市岩槻区で現在も営業している。
安田 隆明(やすだ たかあき、1916年9月17日 - 20… 安田 隆明(やすだ たかあき、1916年9月17日 - 2009年7月20日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 石川県出身。石川県立青年学校教員養成所(後の石川青年師範学校、現在の金沢大学)を卒業し、石川県庁に入庁。 石川県総務部長、副知事などを経て、1968年の参議院議員選挙に石川県選挙区から無所属で出馬し初当選。当選後に自由民主党に入党し、党内では宏池会に所属。1982年第1次中曽根内閣の科学技術庁長官として初入閣。 1986年政界引退。同年秋の叙勲で勲一等瑞宝章受章(勲五等からの昇叙)。 2009年7月20日、肺炎のため死去。92歳没。死没日をもって正七位から従三位に叙される。 石川県中小企業団体中央会長(後に名誉会長)を務めた。
前田 光嘉(まえだ みつよし、1916年(大正5年)9月16… 前田 光嘉(まえだ みつよし、1916年(大正5年)9月16日 - 2009年(平成21年)4月13日)は、日本の官僚。元建設事務次官。三重県出身。 建設省都市局長、営繕局長、住宅局長、大臣官房長を経て、1965年(昭和40年)建設事務次官に就任。1967年(昭和42年)に退官。 1970年(昭和45年)から1978年(昭和53年)まで日本道路公団総裁を務めた。1989年(平成元年)の春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。
北川 謙次(きたがわ けんじ、1916年(大正5年)9月16… 北川 謙次(きたがわ けんじ、1916年(大正5年)9月16日 - 1989年(平成元年)12月23日)は、日本の政治家。東大阪市長(第3代、2期)。息子は元国土交通副大臣を務めた自由民主党元参議院議員の北川イッセイ(北川一成)。日本社会党の大阪府議だった北川信次は従兄。勲等は勲三等瑞宝章。 大阪府出身。1934年(昭和9年)旧制大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業した。 日本社会党公認で布施市(現・東大阪市)議会議員に当選の後に社会党を離党して市会議長などを経て、1967年(昭和42年)4月の統一地方選挙で自民党から立候補し大阪府議会議員(旧布施市選挙区、定数4)に伏見格之助(日本社会党)を抑え得票数4位で当選(伏見は次点に終わる)。
重松 通雄(しげまつ みちお、1916年9月16日 - 19… 重松 通雄(しげまつ みちお、1916年9月16日 - 1979年12月16日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 NPBにおけるアンダースロー第1号ともいわれる。 越智中学校から広島県呉市の呉海軍工廠電気部に所属し、11チームあった同社の硬式野球部の電気部エースとして「オール呉」が編成されるといつも選抜された。また、1936年に創設された現行プロ野球に名乗りを上げたが、加盟は認められなかった名古屋市の球団「セントラル・シティ」に偽名で登録し、数試合投げていた。しかし、試合後に酒を飲んで警察に拘留された件で呉工廠への復帰が閉ざされ、先に阪急入りしていた倉本信護から阪急入団テストの話を聞いてテストに合格し、1936年に創立したばかりの阪急軍に入団すると、三宅大輔監督からアンダースローへの変更を言い渡される。
及位 ヤヱ(のぞき やえ、1916年(大正5年)9月16日 … 及位 ヤヱ(のぞき やえ、1916年(大正5年)9月16日 - 2005年(平成17年))は、日本の女性パイロットで秋田県山本郡八竜町出身。通称は、及位ヤエ、及位野衣。戸籍名は『ヤヱ』であったが、第一航空学校在籍時に男性名ばかりの名札の中で目立つことを嫌い、漢字を当てた『野衣』の名で飛行活動を行った。単発小型機で日本一周に成功、NHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のモデルのひとりである。元社団法人日本婦人航空協会の設立者で理事長。
大友 一明(おおとも かずあき、1916年9月16日 - 没… 大友 一明(おおとも かずあき、1916年9月16日 - 没年不明)は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手、投手。
秋枝 三郎(あきえだ さぶろう、1916年(大正5年)9月1… 秋枝 三郎(あきえだ さぶろう、1916年(大正5年)9月15日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」搭乗員としてマダガスカル攻撃作戦に参加し、戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。 山口県豊北町阿川土井出身。9人兄弟姉妹の三男である。妻は海軍大佐・小早川隆次の娘、文子。山口中学を経て、海軍兵学校を卒業。秋枝は海兵66期で、同期生に特殊潜航艇(以下「特潜」)艇長としてシドニー湾攻撃で戦死した松尾敬宇、中馬兼四らがいる。1939年(昭和14年)6月、海軍少尉任官。戦艦「霧島」、駆逐艦「江風」乗組みを経て、1940年(昭和15年)11月、水上機母艦「千代田」 乗組みとなる。
仲川 幸男(なかがわ ゆきお、1916年9月15日 - 20… 仲川 幸男(なかがわ ゆきお、1916年9月15日 - 2008年(平成20年)10月18日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 愛媛県伊予郡南山崎村(現伊予市)出身。伊予実業学校(現愛媛県立伊予農業高等学校)卒業。松山市議会議員、愛媛県議会議員を経て1980年、青井政美の後任で愛媛県選挙区から自民党公認で参院選に出馬し当選。1986年の参院選にも再選。国会議員を務めた間に、農林水産政務次官、参議院文教委員会委員長、同農林水産委員長を歴任した。1992年の参院選には出馬せず、愛媛選挙区からは野間赳が当選した。引退後、山本順三に自分の後援会を提供した。愛媛県建設業協会長、自由民主党愛媛県連合会幹事長、愛媛県議会議長、全国高等学校PTA連合会会長も務めた。
番正 辰雄(ばんじょう たつお、1916年(大正5年)9月1… 番正 辰雄(ばんじょう たつお、1916年(大正5年)9月15日 - 1989年(平成元年)4月16日)は、日本の地方政治家。香川県坂出市長に4選され、4期目の在職中に死去した。 1916年、当時の坂出町中央町に生まれる。 名古屋高等工業学校卒業後、1948年に坂出市役所に入り、建設課長などを経て、1967年には助役となった。建設課長在任時には坂出人工土地の開発に関わり、新たな土地買収策を編み出した。この事業には1966年度の日本都市計画学会石川賞(計画設計部門)が贈られ、番正も受賞者の一人となった。 市長としては、瀬戸大橋の着工から開通まで地元自治体として関わり続けたほか、番の州臨海工業団地への企業誘致に尽力した。
高田 宗彦(たかだ むねひこ、本名:松本 慈美、1916年(… 高田 宗彦(たかだ むねひこ、本名:松本 慈美、1916年(大正5年)9月15日 - 2004年(平成16年)3月31日)は、長崎県島原市出身の俳優。長女は、女優の松本留美。 母親の姉が勉学のためイギリスに渡り、そこで現地の英国人と付き合い家庭をもった。高田の母も勉強のためにイギリスに渡り、そこでスコットランド人の男性と知り合い結婚、生まれたのが高田である。その日本人離れした容貌から、戦時中は「鬼畜米英」と罵られ、つらい思いをしたという。 日本大学歯学部に入ったが、役者に興味を持ち、芸術学部に転部して演技を学んだ。 戦後、大映の社員俳優として、大映倒産時まで在籍した。外国人役を中心に数多くの作品に出演したが、ほとんどが端役である。
鈴木 重吉(すずき じゅうきち、1916年9月14日 - 2… 鈴木 重吉(すずき じゅうきち、1916年9月14日 - 2002年11月30日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 北海道利尻島出身。1945年広島文理科大学卒、北海道庁通訳官、小樽商業学校教諭、札幌文化専門学院(現・札幌学院大学)教師、1947年北海道帝国大学文学部助手、1949年北海道大学法学部講師、1951年同文学部講師、1952年助教授、1965年「ホーソーン研究」で立教大学文学博士。1968年教授、1980年定年退官、名誉教授、立正大学教授、1986年定年退職。1992年秋、勲三等旭日中綬章受勲。
巽豊彦(たつみ とよひこ、1916年(大正5年)9月12日 … 巽豊彦(たつみ とよひこ、1916年(大正5年)9月12日 - 2013年(平成25年)12月9日)は、日本の英文学者。上智大学・上智大学短期大学部・東京工科大学名誉教授。巽孝之丞の次男で、長男に巽孝之がいる。東京生まれ。 第二次世界大戦において、日本軍により召集を受けた戦争経験者である。戦争終結後の1946年に復員した。2013年12月9日に死去。死因は老衰であった。カトリック信者であった。
小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(… 小池 喜孝(こいけ きこう (別名よしたか))、1916年(大正5年)9月11日 - 2003年(平成15年)11月28日)は、日本の教育者、編集者、歴史研究者。東京都出身。 1916年(大正5年)9月11日、東京府北多摩郡東村山村(現:東京都東村山市)に小池喜八(東村山化成小学校の校長)とキク(または喜久)の長男として出生。1936年(昭和11年)に東京府青山師範学校を卒業。小学校教師として東郷小学校に勤務する傍ら、法政大学高等師範部に通い、歴史や社会学の教科研究を続ける。太平洋戦争中は鷺宮国民学校(現:中野区立鷺宮小学校)に赴任し、福島県へ児童らと疎開した。 戦後は、東京都教育労働組合執行委員に選出され、書記局員を務めるが、1948年(昭和23年)にGHQから教職追放令が下ると公職追放となった。
尹 吉重(ユン・ギルジュン、いん きつじゅう、 日本名平沼 … 尹 吉重(ユン・ギルジュン、いん きつじゅう、 日本名平沼 吉重、1916年9月11日〈陰暦8月14日〉 - 2001年10月11日)は、韓国の政治家、弁護士。本貫は坡平尹氏。号は青谷。革新政党・進歩党の幹事長を務めるなど進歩主義勢力で活動した後、全斗煥政権下では与党議員として活動するなど変転の激しい人物として知られる。国会議員を通算で6期(2・5・8・11・12・13代)務めた。 元国会議員の李鉉帥(朝鮮語版)は娘婿。 咸鏡南道北青郡出身。江原道原州郡の文幕普通小学校、京城法政学校を経て日本大学在学中に朝鮮弁護士試験に合格。高等文官試験合格後は朝鮮総督府に勤務し、康津郡守、務安郡守を務めた。1945年2月より朝鮮総督府学務局事務官。