宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 20… 宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 2011年1月10日)は、昭和・平成期の俳人。神奈川県横浜市生まれ。横浜商工実習学校商業部(現・神奈川県立商工高等学校)で担任であった大野林火の指導を受けたのをきっかけに俳句をはじめる。卒業後は大阪住友海上保険(のちの三井住友海上火災保険)に入社、同時期に林火の「濱」同人。濱賞、濱同人賞を受賞、林火死去後の1998年より「濱」副主宰を務める。林火の句風を受け継いだ叙情性のある句風。1997年、句集『遠樹』で第37回俳人協会賞受賞。俳人協会副会長も務めた。2011年1月10日死去、81歳。
平井 正(ひらい ただし、1929年11月10日 - )は日… 平井 正(ひらい ただし、1929年11月10日 - )は日本のドイツ文学者。元立教大学教授。
岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007… 岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007年5月11日)は、日本の元ラグビー選手。元ラグビー日本代表監督。日本ラグビーフットボール協会理事。同志社大学ラグビー部元監督、同大名誉教授。同大FWで活躍。同志社ラグビーの象徴ともされる存在である。
常見 英夫(つねみ ひでお、1929年11月10日 - 2… 常見 英夫(つねみ ひでお、1929年11月10日 - 2003年2月2日)は、日本の経営者、銀行家。足利銀行頭取を務めた。 群馬県出身。1950年に東京大学法学部を卒業し、同年に足利銀行に入行した。1980年6月に取締役に就任し、1982年12月に常務、1987年6月に専務、1989年12月に副頭取を経て、1992年6月には頭取に昇格。1997年2月から同年12月までに相談役を務めた。 2003年2月2日、心不全のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
水田 珠枝(みずた たまえ、1929年11月9日 - 202… 水田 珠枝(みずた たまえ、1929年11月9日 - 2026年4月18日)は、日本の思想史研究者。名古屋経済大学名誉教授。公益財団法人東海ジェンダー研究所顧問。専門は政治思想史、女性学。 東京府生まれ。1949年津田塾専門学校(現:津田塾大学)英文科卒。1955年名古屋大学法学部政治学科卒、1957年同大大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了、同助手、1962年同朋大学専任講師。1963年東海女子短期大学専任講師、1964年助教授。1965年市邨学園短期大学助教授、1970年教授、1980年市邨学園大学教授、1983年校名変更で名古屋経済大学経済学部教授。1980年「女性解放思想史」で名大法学博士。
花村 えい子(はなむら えいこ、1929年11月9日 - 2… 花村 えい子(はなむら えいこ、1929年11月9日 - 2020年12月3日)は、日本の漫画家・アーティスト。社団法人日本漫画家協会理事、東京工芸大学芸術学部客員教授、フランス国民美術協会(ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール)の会員。レディースコミックの先駆者で、ミステリのコミカライズも多く手がける。埼玉県川越市出身。 埼玉県川越市で「相模屋庄兵衛」の名で代々続く商家に生まれる。父は花村の祖母が営む相模屋への婿だったが、花村が生まれた後、離婚。母は不在がちで、祖母に育てられた印象が強いと花村は回想している。川越高等女学校に通い、終戦を迎える。その間際に祖母を亡くす。中原淳一に憧れ、女子美術大学へ入学、中退。
狩野 直禎(かの なおさだ、1929年〈昭和4年〉11月8日… 狩野 直禎(かの なおさだ、1929年〈昭和4年〉11月8日 - 2017年〈平成29年〉2月7日)は、日本の東洋史学者。京都女子大学名誉教授。 東京府生まれ。1950年旧制第三高等学校を経て、1953年京都大学文学部史学科卒業(東洋史専攻で、古代中国史を専門)。1961年聖心女子大学助教授、1971年京都女子大学文学部教授。1993年から1997年まで学長。1998年定年退任となり名誉教授の称号を授与。 1994年、「後漢政治史の研究」で京大文学博士。『三国志』などについて一般向けの著書が多く、「三国志学会」会長でもあった。また第三高等学校の校史の編纂にあたった。 狩野直喜の嫡孫で、弟子らの講義ノートを基に著作の編さん解説を行った。
板橋守邦(いたばし もりくに、1929年11月7日 - 19… 板橋守邦(いたばし もりくに、1929年11月7日 - 1994年1月26日)は、日本のジャーナリスト。 新潟県出身。新潟中学校卒業後、海軍兵学校78期。1953年東京大学文学部仏文科卒、毎日新聞社に入り、『エコノミスト』編集長、1979年論説委員。その後北海道女子短期大学教授を務め、64歳で死去。捕鯨史の著書などを著した。
秋山 余思(あきやま よし、1929年11月7日 - 200… 秋山 余思(あきやま よし、1929年11月7日 - 2006年5月14日)は、日本のイタリア語学者。元東京外国語大学外国語学部教授。元イタリア学会会長。 1929年、ドイツ文学者の秋山六郎兵衛の次男として父の赴任地であった福岡県で生まれた。福岡県中学修猷館を経て、1954年、東京外国語大学イタリア語学科を卒業。1956年京都大学大学院文学研究科修士課程を修了。イタリア政府奨学生としてミラノ大学文哲学部に留学した。 帰国後、1965年に京都大学文学部助手となる。その後、京都外国語大学講師、1972年に東京外国語大学助教授、1975年に同教授に昇進。学界では、1990年から1992年までイタリア学会会長を務めた。
岩井 護(いわい まもる、1929年11月7日 - 2013… 岩井 護(いわい まもる、1929年11月7日 - 2013年1月30日)は、日本の小説家。 福岡県生まれ。西南学院大学経済学部卒業。1968年、「雪の日のおりん」で第10回小説現代新人賞受賞。 小説「花隠密」(講談社刊)が松平健の主演で舞台作品となり、大阪の新歌舞伎座などで上演された。花を愛した徳川家斉にハナショウブを献上する肥後と宇和島の「花戦争」を背景とし、勝負に負けた宇和島から花作りの秘密をさぐりに肥後に潜入する「花隠密」の悲恋を描いた作品。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 201… 鈴木 章夫(すずき あきお、1929年11月7日 - 2010年10月28日)は、日本の医学者、医師。専門は心臓外科学。 冠動脈外科医であり、心臓のバイパス手術の権威。1995年から2008年まで東京医科歯科大学の学長を務めた。 週刊少年チャンピオン1977年10月31日発売45号に掲載された、手塚治虫連載のブラック・ジャック第188話「肩書き」に、J大学(順天堂大学)の鈴木教授なる人物が言及されている。鈴木本人は「彼が僕の記事をどこかで読んだんじゃないかな?」と述べている(手塚治虫は病気の為ブラック・ジャックを長期休載後第188話「肩書き」で連載再開しており充電期間中に構想を書き溜めたものが、第188話「肩書き」である。
中村 智子(なかむら ともこ、1929年11月7日 - )は… 中村 智子(なかむら ともこ、1929年11月7日 - )は、日本の編集者、評論家。 東京生まれ。1952年日本女子大学英文科卒業、中央公論社に入社。「婦人公論」「思想の科学」「中央公論」編集部に属し、のち書籍編集者となり、1978年に退社。東京大学新聞研究所講師をつとめた。 思想の科学研究会会員、離婚後、評論活動を始める。小田切秀雄に師事し、宮本百合子の伝記を描いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
新井 裕(あらい ひろし、1929年〈昭和4年〉11月6日 … 新井 裕(あらい ひろし、1929年〈昭和4年〉11月6日 - 2018年〈平成30年〉8月18日)は、群馬県出身の実業家。第一勧業銀行副頭取、オリエントコーポレーション社長などを務めた。 1929年、群馬県前橋市出身。1947年旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。1953年に明治大学商学部を卒業し、第一勧業銀行入行。1973年赤羽支店長となり、以降は神保町、堂島、昭和通、京橋支店の各支店長を歴任した。1982年に取締役営業第二部長、1984年に常務取締役、1987年に代表取締役専務、1988年に代表取締役副頭取に昇進。1992年に山万アーバンフロント代表取締役社長、翌1993年にオリエントコーポレーション社長に就任。
羽仁 協子(はに きょうこ、1929年11月5日 - 201… 羽仁 協子(はに きょうこ、1929年11月5日 - 2015年4月5日)は、日本の音楽教育家、翻訳家。 羽仁五郎と羽仁説子の娘、羽仁進の妹として東京府に生まれる。祖父母に当たる羽仁もと子・羽仁吉一夫妻が創設した自由学園で学ぶ。在学中に山本直純や林光らと共に音楽教育を受け、齋藤秀雄指揮教室にて指揮法を学んだ。同門には小澤征爾、久山恵子、秋山和慶らがいる。1949年自由学園高等科卒業。 1953年に渡欧。ウィーン滞在を経て、1958年ライプツィヒ音楽院指揮科卒業。同年よりハンガリーに移り住み、父・五郎を通じてコダーイ・ゾルターンに会う機会を得た。1959年から1967年までブダペスト大学(正式名はエトヴェシュ・ロラーンド大学、略称:ELTE)で日本語講師を務める。
神川 正彦(かみかわ まさひこ、1929年11月5日 - 2… 神川 正彦(かみかわ まさひこ、1929年11月5日 - 2009年3月13日)は、日本の哲学者、比較文明学者、國學院大學名誉教授、元神奈川大学教授。 東京帝国大学教授神川彦松と日商社長下坂藤太郎の長女美知子の三男として鎌倉に生まれる。1948年旧制鎌倉中学(現:鎌倉学園高等学校)卒業。1953年東京大学文学部哲学科卒業。1958年東京大学大学院人文科学研究科哲学科博士課程満期退学。1973年、「歴史における言葉と論理」で文学博士。神奈川大学助教授、教授。1976年、國學院大学教授、退任後名誉教授。日本価値観変動研究センター所長。妻は作家の神川十浄(カミカワトキヨ)。長男はムービンストラテジックキャリア(東証グロース市場421A)創業者・代表取締役社長の神川貴実彦(カミカワキミヒコ)
玉井 孝(たまい たかし、1929年〈昭和4年〉11月5日 … 玉井 孝(たまい たかし、1929年〈昭和4年〉11月5日 - 2016年〈平成28年〉12月21日)は、日本のアナウンサー・司会者。元、ラジオ神戸(CR、現:ラジオ関西 (CRK))・朝日放送(ABC)アナウンサーで、アクト・アカデミー芦屋の校長も務めた。 特記事項のないものはすべてABC制作の番組。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
逗子 とんぼ(ずし とんぼ、1929年11月5日 - )は、… 逗子 とんぼ(ずし とんぼ、1929年11月5日 - )は、日本の俳優、コメディアン。 日本大学芸術学部卒業。大学卒業後、新派の地方巡業一座、清水金一一座などで下積み生活を送る。1955年、これで芽が出なかったら廃業することを考えながら、三木鶏郎主宰のトリローグループに参加し、三木門下に入る。芸名も三木が名付けた。芸名はみんなで海水浴に行った時に生まれたという。昭和30年代初め頃(1955年頃)から歌と洋舞とコントの得意な“二枚目半”として活躍。色川武大は彼の風貌をして「万年青年のよう」と評し、その風貌は「どの番組に出ても邪魔にならない」として「各テレビ局がまだ整備されていなかった時代、重量感のある番組が制作出来なかった当時は打って付けのタレントだった」としている。
関根 茂(せきね しげる、1929年11月5日 - 2017… 関根 茂(せきね しげる、1929年11月5日 - 2017年2月22日)は、将棋棋士。山川次彦八段門下。棋士番号は61。2002年に引退。 東京府南葛飾郡(現:東京都葛飾区)出身。妻は関根紀代子女流六段。 農林技官からプロ棋士になった異色の経歴を持つ。加藤一二三は奨励会同期となる。 高校時代に将棋に熱中し、作家・菊池寛を顧問に、永井英明が創立していた若者の将棋の会「青棋会」に参加する。この会には清水孝晏(将棋史研究家・『将棋世界』編集長となる)、田辺忠幸(観戦記者)、斎藤栄(作家)らが参加していた。 農林技官となるが、将棋の夢がすてがたく、1951年、22歳で1級で奨励会入り。公務員を務めながら修行し1953年に四段に昇段してプロ入り。
佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、… 佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、日本の指揮者。東京管弦楽団音楽監督。東京合奏団主宰・音楽監督。世田谷区民吹奏楽団音楽監督。 国立音楽大学卒業。ウィーン国立音楽大学修了。秋田県秋田市土崎港の生まれ。妻は西川清子(チェンバロ奏者)。 1954年、国立音楽大学卒業。1956年、ウィーン国立音楽大学(オーストリア)に留学し、1960年、同大学の指揮・作曲科を修了。なお、妻の西川清子(挙式は1957年5月)も一緒に留学していた。ウィーン・アカデミー管弦楽団、ウィーン古典合奏団に入団して活動。 その一方、ウィーン少年合唱団の日本招へいなど、オーストリアと日本の音楽交流で尽力。 1961年の日本帰国後、1962年から指揮者として東京交響楽団などを担当。
山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日 - 1997… 山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日 - 1997年3月8日)は、日本の脚本家、小説家である。 1929年(昭和4年)11月4日、神奈川県横浜市に生まれる。 第二次世界大戦終了後、明治大学専門部文科を卒業し、化粧品をセールスしたり、通訳を務めたり、 1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争で設立された特需会社、あるいは相互金融会社に勤務した。 1955年(昭和30年)、同年下村明が発表した小説『黒帯三国志』の映画化に参加、松浦健郎、谷口千吉とともに脚色した。同作は、谷口が監督、東宝が製作して、翌1956年(昭和31年)1月29日に公開され、映画脚本家としてデビューした。デビュー第2作は、同年、ひきつづき松浦とともに宮本幹也の小説『大学の石松』を脚色、伊賀山正徳が監督し、東映東京撮影所が製作、東映が配給して同年5月18日に公開された。
谷内 昭(やち あきら、1929年(昭和4年)11月3日 -… 谷内 昭(やち あきら、1929年(昭和4年)11月3日 - 2004年(平成16年)10月19日)は、日本の医学者。消化器癌研究の第一人者。学位は、医学博士。元札幌医科大学学長。指導教授は札幌医科大学5代学長・和田武雄。門下生に、札幌医科大学第9代学長、東京大学医科学研究所附属病院長)・今井浩三、北海道大学遺伝子病制御研究所教授・髙岡晃教などがいる。 1954年北海道大学医学部卒業。1961年札幌医科大学大学院医学研究科修了。1961年同医学部内科学教室助手。1966年同医学部内科学第一講座講師。1973年同医学部内科学第一講座助教授。1980年同医学部内科学第一講座教授。1990年札幌医科大学副学長・札幌医科大学附属病院長。
木下 元二(きのした もとに、1929年(昭和4年)11月3… 木下 元二(きのした もとに、1929年(昭和4年)11月3日 - 2004年(平成16年)12月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算2期)。兵庫県の戦後初の自由法曹団員でもある。 兵庫県神戸市出身。旧制六甲中学校を経て、1949年(昭和24年)立命館大学専門部法政科を卒業。神戸市内で中学校教諭を2年間務める。その後司法試験に合格し1956年(昭和31年)4月に神戸弁護士会へ入会、1969年(昭和44年)には同会副会長を務める。この間総評系の法律事務所を自由法曹団所属の弁護士らと設立する。 1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙(兵庫県地方区、共産党)で落選。
鳴海 日出夫(なるみ ひでお、1929年(昭和4年)11月2… 鳴海 日出夫(なるみ ひでお、1929年(昭和4年)11月2日 - 2016年)は、昭和期の歌手。 新潟県高田市(現上越市)出身。幼くして、父親の仕事の関係で中国へ渡る。敗戦後、引き揚げ旧制高田中学へ入学。1948年(昭和23年)、中学卒業後、かつてから親交のあった作曲家田村しげるの勧めで、NHKのど自慢素人音楽会に出場し合格。全国大会にチャレンジし、第4回NHK全国のど自慢大会で「白い花の咲く頃」を歌い2位、翌年の1952年(昭和27年)3月、「山のけむり」を歌い優勝。同年コロムビアに入社。恩師田村しげるが作曲した「島は国境の彼方へ」でデビュー。 1954年(昭和29年)、「東京の恋唄」のヒットにより、コロムビアの人気歌手の仲間入りを果たす。
村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月… 村田 良平(むらた りょうへい、1929年(昭和4年)11月2日 - 2010年(平成22年)3月18日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使、駐ドイツ連邦共和国大使などを歴任した。退官後、日米核持ち込み問題について、日米核密約の存在を実名で証言した。 京都府出身。旧制桃山中学校、旧制第三高等学校を経て、京都大学法学部卒業後、1952年(昭和27年)外務省入省。 ドイツ語研修、在ドイツ連邦大使館、経済局欧州課、在オーストリア大使館などを経て、経済局国際機関第二課長、在アメリカ合衆国日本大使館参事官、条約局参事官、中近東アフリカ局長、駐アラブ首長国連邦大使、駐オーストリア大使、経済局長、外務審議官(政務担当)、外務事務次官を歴任。
久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 20… 久野 浩平(ひさの こうへい、1929年11月2日 - 2010年1月1日)は、日本のテレビドラマおよびラジオドラマの演出家、ディレクター。福岡県北九州市出身。 九州大学卒業後、ラジオ九州(現:RKB毎日放送)に入社し、ラジオドラマのディレクターとして活躍。『魚と走る時』などを担当した。また、『中村一郎』で、劇作家として駆け出しだった寺山修司を見出した人物でもある。 その後、テレビドラマでも活躍し、特に「東芝日曜劇場」や「近鉄金曜劇場」など、TBS系列に全国放送されたRKB制作の単発ドラマを数多く演出。『死ぬほど逢いたい』、『ひとりっ子』(放送中止)、『山ほととぎす ほしいまま』、『海より深き』、『目撃者』といったテレビ創生期の名作を生み出した。
佐藤 三夫(さとう みつお、1929年11月2日 - )は、… 佐藤 三夫(さとう みつお、1929年11月2日 - )は、ルネッサンスの研究者、詩人、千葉大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1954年東京教育大学哲学科卒、61年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1973-74年ローマ大学文学哲学部に学び、1984-85年パドヴァ大学文学哲学部に学ぶ。1977年「ユマニストとデカルトの時代における世界観形成の基本問題」で東京教育大学文学博士。1966年流通経済大学講師、67年助教授、72年教授、1983年千葉大学教育学部教授。95年定年退官、名誉教授。 『世界史』の受験参考書を書いている佐藤三夫は、ほぼ同年だが小石川高校の教諭を長く務めた別人である。
伊達 宗行(だて むねゆき、1929年11月1日 - 202… 伊達 宗行(だて むねゆき、1929年11月1日 - 2023年2月27日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校、1952年東北大学理学部卒業、1955年同大学院理学研究科物理専攻中退。1961年「塩化コバルトの反強磁性共鳴吸收」で大阪大学理学博士。東北大学金属材料研究所、1959年大阪大学理学部助教授、教授、学部長、1993年定年退官、名誉教授。日本物理学会会長、日本原子力研究所先端基礎研究センター長。 伊達氏庶流大條氏本家(明治時代に伊達に復姓)の第20代当主。父は宮城師範学校教授の伊達宗雄。お笑い芸人伊達みきお(サンドウィッチマン)の父の又従兄弟(はとこ)にあたる。
松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年(昭和4年)11月1… 松尾 尊兊(まつお たかよし、1929年(昭和4年)11月1日 - 2014年(平成26年)12月14日)は、日本の歴史学者。日本近現代史専攻。大正デモクラシー研究をライフワークとした。京都大学名誉教授。 1929年、鳥取県鳥取市で生まれた。旧制鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、旧制松江高等学校(現・島根大学)文科甲類を経て、京都帝国大学文学部に進学。この年の学生は、入学・卒業いずれも旧制では最後の京都大学の学生であった。京大では国史学の北山茂夫に師事した。1953年9月に卒業。 1954年4月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1970年5月に同研究所助教授に昇格。1971年1月、京都大学文学部史学科助教授に移り、現代史学講座を担当した。
加藤 正俊(かとう しょうしゅん、1929年11月1日 - … 加藤 正俊(かとう しょうしゅん、1929年11月1日 - 2009年9月8日)は、臨済宗の僧、仏教学者。京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町)出身。臨済学院中学部を経て、1954年花園大学仏教学部卒。その後、臨済宗妙心寺派円福僧堂に掛搭。1956年(昭和31年)より天龍寺塔頭の慈済院の稲葉心田に師事した。そして1972年には立命館大学大学院日本史学修士課程修了。1964年禅文化研究所研究員、花園大学文学部教授。2000年名誉教授。天龍寺塔頭金剛院住職。2009年9月、京都市内の病院で遷化。。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
山崎 利男(やまざき としお、1929年11月 - )は、日… 山崎 利男(やまざき としお、1929年11月 - )は、日本の東洋史学者。インド史・日印交流史が専門。東京大学名誉教授。 東京生まれ。1954年東京大学文学部東洋史学科を卒業。同年に東大東洋文化研究所助手。1959 - 61年にインド出張。その後、61年東洋文化研究所専任講師、64年助教授、72年まで東京大学文学部助教授も併任。72年に東洋文化研究所教授。1986 - 88年東文研所長・東大評議員・文献センター所長、90年定年退官、名誉教授、帝京大学教授、91年中央大学文学部教授。2000年退職。
岩間 芳樹(いわま よしき、1929年(昭和4年)10月31… 岩間 芳樹(いわま よしき、1929年(昭和4年)10月31日 - 1999年(平成11年)6月13日 )は、日本の脚本家、作詞家。日本放送作家協会理事長。静岡県出身。 静岡県で生まれ、父の転勤で福島県に移る。福島県立福島高等学校を経て、早稲田大学第一文学部に入学するも、学生時代にNHKラジオドラマで脚本家としてデビュー。1952年に中退し脚本家に専念。民放ラジオやテレビ放送が始まるに合わせ脚本家として活躍する。 ドキュメンタリーを得意とし、社会派ドラマを次々と生み出し、『マリコ』(原作柳田邦男・NHK)で第32回芸術選奨放送部門大臣賞、1983年に日仏合作ドラマ『ビゴーを知っていますか』(NHK・アンテンヌ2)でエミー賞国際優秀賞、1993年11月22日放送の『定年、長い余白』(TBS)で第12回向田邦子賞受賞するなど数々の賞を受賞。
巽 和夫(たつみ かずお、1929年(昭和4年)10月31日… 巽 和夫(たつみ かずお、1929年(昭和4年)10月31日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の建築学者。専門は建築社会システム、特に建築生産論やハウジング論。京都大学名誉教授、福山大学名誉教授。巽和夫建築研究所代表取締役。 1929年10月、京都府京都市に生まれる。1953年に京都大学工学部建築学科(西山夘三研究室)を卒業し、1962年には同大学院工学研究科博士課程を修了。工学博士。この間、京都大学工学部助手や建設省建築研究所研究員を務める。 1966年より京都大学工学部に助教授として奉職し、1968年には教授に昇任する。大学着任後、建築における生産性や資源問題に着目して「ハウジング論」という研究領域を開拓し、多くの研究者との共同研究により「高層集合住宅研究」、「都市型ハウジングシステム研究」などを推進。
松尾 和子(まつお かずこ、1929年10月31日 - 20… 松尾 和子(まつお かずこ、1929年10月31日 - 2024年4月10日)は、日本の弁護士、弁理士。中村合同特許法律事務所に所属した。 知的財産法に関する実務の第一人者として知られ、日本商標協会の設立、2005年の知的財産弁護士ネットワーク創設に携わる。内閣府知的財産戦略会議メンバー、経済産業省産業構造審議会知的財産政策部会委員など公職も務めた。 森永製菓副社長・取締役、秋田県醗酵工業社長を務めた白川順一の四女。夫は松尾浩也東京大学名誉教授。 2024年4月10日、死去。満94歳没。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
前田 豊(まえだ ゆたか、1929年10月31日 - )は、… 前田 豊(まえだ ゆたか、1929年10月31日 - )は、日本の経営者。オークマ社長を務めた。 愛知県出身。1953年に名古屋大学工学部電気学科を卒業し、同年3月に大隈鉄工所(のちのオークマ)に入社。1979年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1991年2月には社長に就任。1994年3月に会長に就任。
西垣 昭(にしがき あきら、1929年(昭和4年)10月30… 西垣 昭(にしがき あきら、1929年(昭和4年)10月30日 - 2021年(令和3年)7月13日)は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。位階は従三位。娘は石川県副知事の西垣淳子。 大蔵事務次官時代、消費税創設を盛り込んだ税制改革関連法の成立に尽力した。 旧大蔵省同期入省者(昭和28年新制入省組)には、梅沢節男(公正取引委員会委員長、国税庁長官、主税局長)、石川周(常陽銀行会長・頭取、国土事務次官、造幣局長)、矢崎新二(防衛事務次官)、酒井健三(国際金融局長、国税庁次長)、垂水公正(アジア開発銀行総裁、関税局長)、大竹宏繁(経済企画事務次官、経済企画審議官)、今永伸二(駐英公使)などがいる。 昭和28年旧制入省組には、吉野良彦、水野繁、津島雄二、大場智満、宮本保孝などがいる。
五代目 春風亭 柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう、1929… 五代目 春風亭 柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう、1929年10月29日 - 1991年2月7日)は、東京市芝区(現:東京都港区)新橋出身の落語家。本名:大野 和照。生前は落語協会所属。出囃子は『さつまさ』。 旧制正則中学在学中に、志願して海軍に衛生兵として入隊。 その後は職を転々とし、1950年3月、五代目蝶花楼馬楽(後の八代目林家正蔵、林家彦六)に入門し小照を名乗る。翌1951年に一旦は転職するも、翌1952年に再入門。林家正太を名乗る。翌1953年5月、二ツ目に昇進し、照蔵に改名。1962年5月、真打に昇進し、五代目春風亭柳朝を襲名する。 亭号が「春風亭」になったのは、師匠が「林家正蔵」の名跡を七代目正蔵の遺族である初代林家三平より一代限りの条件で借り受けていたことから、三平に配慮して自分の弟子が真打に昇進したときは他の亭号に変えさせていたためである。
木津川 昭夫(きつかわ あきお、1929年(昭和4年)10月… 木津川 昭夫(きつかわ あきお、1929年(昭和4年)10月28日- 2012年(平成24年)5月22日)は、日本の詩人。 北海道滝川市生まれ。旧制滝川中学校(現北海道滝川高等学校)卒業。戦後から詩作を始め、新十津川町の同人誌「道標」を経て、更科源蔵主宰の札幌市の詩誌「野性」に参加。「文芸首都」にも参加した。上京後、1973年に「ホルン」、1977年「曠野」を創刊。同人に狩野敏也、矢口以文など。 「火牛」「青い花」「日本未来派」同人。2001年から2002年にかけて、日本現代詩人会会長をつとめた。
鷹司 誓玉(たかつかさ せいぎょく、1929年(昭和4年)1… 鷹司 誓玉(たかつかさ せいぎょく、1929年(昭和4年)10月28日 - )は、浄土宗大本山善光寺大本願の第121世法主。尼公上人。大僧正。全日本仏教婦人連盟名誉会長。 鷹司信敬(公爵鷹司煕通の四男)と母敦子(水野家出身)の娘として東京で生まれる。俗名は「榮子(しげこ)」。幼い頃を杉並区で過ごす。女子学習院に入学。父が大阪府堺市立水族館館長に就任したので堺に移住したが、戦時中で勉学ができる環境になく父の元を離れ、再び女子学習院に転学。終戦後は、京都府立女子専門学校に入学。卒業後、大阪市立女子専門学校の研究室に勤務。その後、新制大学となった慶應義塾大学文学部(通信教育課程・第2類)に入り、古代から中世にかけての日本史を研究し卒業。
植田 新也(うえだ しんや、1929年(昭和4年)10月28… 植田 新也(うえだ しんや、1929年(昭和4年)10月28日 - 2007年(平成19年)4月20日)は、日本の経営者。産業経済新聞社社長を務めた。 奈良県出身。1953年に京都大学文学部を卒業後、産業経済新聞社に入社。 1981年7月に取締役に選任され、常務を経て、1985年6月から1992年6月まで社長を務め、1988年にはカラー化や題字ロゴの変更などの紙面の刷新を実現させた。1992年6月に取締役顧問、9月に取締役相談役、10月には代表取締役相談役に就任した。 ニッポン放送監査役、日本工業新聞会長、彫刻の森美術館館長も務めた。 2007年4月20日、膵臓癌のために死去。77歳没。6月13日、帝国ホテルで行われたお別れの会には新聞業界をはじめとする各界の要人ら約600人が参列した。
新田 博衞(にった ひろえ、1929年10月28日 - 20… 新田 博衞(にった ひろえ、1929年10月28日 - 2020年4月11日)は、日本の美学者。京都大学名誉教授。 京都市生まれ。1955年京都大学文学部哲学科卒業。1960年京都大学大学院文学研究科博士課程美学美術史専攻修了。京都大学文学部助手(1961年4月-1964年3月)、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)講師(1964年4月-1966年3月)を経て京都大学教養部講師へ(1966年4月)。1968年4月より同助教授、1978年5月より同教授。1988年4月-1990年3月教養部長。1992年10月より総合人間学部教授に異動、1993年3月停年退官後、大阪芸術大学大学院教授(1993年4月-2000年3月)。
越智 治雄(おち はるお、1929年10月27日 - 198… 越智 治雄(おち はるお、1929年10月27日 - 1983年6月24日)は、日本近代文学研究者、元東京大学教養学部教授。
秦 哲美(はた てつみ、1929年(昭和4年)10月27日 … 秦 哲美(はた てつみ、1929年(昭和4年)10月27日 - 2020年(令和2年)5月27日)は、日本の政治家。元埼玉県議会議員。父は大宮市長の秦明友。立憲民主党さいたま市議会議員の西山幸代は三女。 埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。専修大学商経学部経済学科卒。埼玉県立大宮工業高等学校、埼玉県立大宮高等学校、埼玉県立熊谷農業高等学校、埼玉県立浦和第一女子高等学校の事務長等を務める。 1986年に大宮市長選挙に立候補したが落選。1987年に埼玉県議会議員に立候補し、当選。1993年に行われた第40回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧埼玉5区から立候補したが落選。 その後、県議会議員に復帰。
蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996… 蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996年1月1日)は、アメリカ文学者、批評家、太陽社社長。本名・三宅二郎。 兵庫県姫路市出身。東京外国語大学英米科卒業、東京大学英文科大学院修了、群馬大学勤務。1961年、磯田光一、小野二郎、近藤耕人、柘植光彦、中井多津夫らと第16次『新思潮』(晶文社)を創刊、1964年まで続いた。1971年、明治大学専任講師を辞任。 1967年、出版社・太陽社を興し、大学の語学テキストのほか、アメリカ文学や、ヒッピー文化に関する翻訳、自らの著作を刊行する。1979年、神保町で古書店「ワンダーランド」を開いた。 雑誌『新批評』に、英文科教授平井正穂から不当な扱いを受けたとして告発文を発表した。
渡部 保夫(わたなべ やすお、1929年10月27日 - 2… 渡部 保夫(わたなべ やすお、1929年10月27日 - 2007年4月12日)は、日本の刑事法学者。弁護士。元裁判官(札幌高等裁判所判事、最高裁判所調査官)。博士(法学)(1992年・北海道大学)。北海道室蘭市出身。 1929年、北海道生まれ。1953年東京大学法学部卒業後、1955年から30年間、裁判官を務める。 裁判官を退官後は、法学者、弁護士を務めた。 2007年4月12日、仕事を終え深夜に入浴をしていたところ脳内出血のため死去。77歳没。 裁判官時代、社会党代議士恐喝事件、青梅事件第二次控訴審無罪判決、梅田事件再審開始抗告審決定、北炭ガス爆発事故事件、北大電気メス禍事件等に関与。札幌地方裁判所の所長代行(1969年4月-1977年3月)、最高裁刑事調査官室の上席調査官(1978年4月-1981年3月)など司法行政にも関わった。
榎本 勝起(えのもと かつおき、1929年〈昭和4年〉10月… 榎本 勝起(えのもと かつおき、1929年〈昭和4年〉10月26日 - 2021年〈令和3年〉11月22日)は、日本のアナウンサー、放送ジャーナリスト。TBSアナウンサー第3期生。東京都町田市出身・在住。愛称は「榎さん(えのさん)」。 東京都立玉泉中学校(現在の東京都立西高等学校)3期→駒澤大学文学部英米文学科卒業。1952年11月23日にTBSの前身であるラジオ東京に入社、編成局考査部、制作一課、調査部を経て1954年4月にアナウンサーとなる(第3期生)。以後、ラジオ局制作現業部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ局第一制作部(1968年9月)、テレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1971年3月)に配属される。
荒川 浩和(あらかわ ひろかず、1929年10月26日 - … 荒川 浩和(あらかわ ひろかず、1929年10月26日 - )は、日本の工芸研究者。 秋田県生まれ。1954年学習院大学文学部卒。56年同大学院修士課程修了。1954年東京国立博物館にはいり、漆工室室長、工芸課課長を務めた。
池広 一夫(いけひろ かずお、1929年10月25日 - 2… 池広 一夫(いけひろ かずお、1929年10月25日 - 2025年10月15日)は、日本の映画監督。脚本家の石松愛弘は義弟。 東京府(現東京都)出身。父親は大映の重役で 製作部長・大阪支社長・東京撮影所所長などを歴任した池広利夫。東京都立千歳中学校(のちの東京都立千歳高等学校)卒業。幼少時から撮影所の近くで育ったこともあり、小学生時代には子役としての活動もしていた。立教大学経済学部在学中は「映画研究会」に属する。映画監督を志し、父親の反対を押し切り、レッドパージで加藤泰らを解雇した影響から臨時の助監督を募集していた大映京都撮影所の入社試験を受験。1950年10月付で同社に入社。同期には土井茂、黒田義之、井上昭らがいる。
松本 克己(松本 克巳、まつもと かつみ、1929年10月2… 松本 克己(松本 克巳、まつもと かつみ、1929年10月25日 - 2025年4月19日)は、日本の言語学者、金沢大学および静岡県立大学名誉教授。 長野県生まれ。1953年に東京大学文学部言語学科を卒業、1956年3月に東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、同年4月以降、金沢大学法文学部講師、助教授を経て教授。筑波大学大学院文芸・言語研究科教授、静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授などを歴任した。 西洋古典語、印欧比較言語学、言語類型論を専門分野とし、1991年4月から1993年3月まで12代日本言語学会会長を務める。 1970年代、上代特殊仮名遣について、フェルディナン・ド・ソシュールの「内的再構」を用いた手法で「上代語5母音説」を提起し、注目を浴びた。
山西 敏一(やまにし としかず、1929年(昭和4年)10月… 山西 敏一(やまにし としかず、1929年(昭和4年)10月25日 - 没年不詳)は、日本の政治家。大阪府柏原市市長(第3代)。8期32年間を務め引退後、後継に指名の人物が出馬した市長選で、対立候補の岡本泰明(第4代市長)が不利になる記事をミニコミ紙に書かせ、買収容疑で逮捕。在任中に随意契約の便宜を業者に図り続けた収賄も発覚し、実刑判決を受けた。 1947年(昭和22年)旧制大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業し、関西学院大学へ進み、1952年法学部法律学科を卒業。 1973年3月の柏原市長選で「全く門外漢と申しますのか、行政の素人」ながら立候補し初当選して以降、連続当選。2001年(平成13年)2月11日に投開票の市長選で得票率57.88%(1万5,714票)で8期目を務めたが、75歳になるのを機に健康上の理由と称して引退表明。
花岡 圭三(はなおか けいそう、1929年10月25日 - … 花岡 圭三(はなおか けいそう、1929年10月25日 - 2023年2月14日)は、日本の自治官僚。 1929年、広島県三原市出身、三原城そばの商家の五男として生まれる。旧制忠海中学校、旧制第六高等学校を経て東京大学法学部政治学科に入学。忠海中学校在学中に学徒動員を経験。海軍士官学校への入学を志していたが、終戦も学徒動員先で迎えることとなった。 東京大学卒業後の1953年に自治官僚となる。 沖縄返還に際し、物価や関税の急激な変動に晒される“新”沖縄県民の声に耳を傾け東奔西走した。 兵庫県、山形県、福岡県等の出向を経て、1980年に大阪府知事岸昌に請われて大阪府副知事に就任。 1983年7月に自治大学校校長となり、1984年7月に自治省財政局長に就任。