堀 達也(ほり たつや、1935年11月22日 - )は、日… 堀 達也(ほり たつや、1935年11月22日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。1995年から北海道知事(公選第13・14代)2期8年務めた。北海学園元理事。札幌大学前理事長。北海道開拓記念館(現・北海道博物館)元館長。北海道スポーツ協会会長。 樺太敷香郡泊岸村出身。網走支庁遠軽町で育つ。1954年、遠軽高校卒業。1958年、北海道大学農学部林産学科を卒業し、北海道庁に入庁。初任地は網走支庁上渚滑林業指導事務所であった。 林務部、北海道大阪事務所、秘書課長、生活環境部次長、土木部次長、知事室長、北海道公営企業管理者、横路孝弘の下で副知事などの職を経て、1995年に北海道知事選に無所属(新進党・日本社会党・公明・民社協会推薦)で出馬し、伊東秀子を破って初当選する。
柚木 馥(ゆのき ふく、1935年11月22日 - 2007… 柚木 馥(ゆのき ふく、1935年11月22日 - 2007年1月30日)は、日本の障害児教育研究者。岐阜大学名誉教授。 群馬県出身。1958年東京教育大学教育学部特殊教育専攻卒、1965年北海道大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、岐阜大学教育学部講師、助教授、教授、1999年定年退官、名誉教授、桜花学園大学教授。1999年「知的障害者の法外小規模施設における教育実践」で北海道大学より博士(教育学)の学位を取得。
岡部 進(おかべ すすむ、1935年(昭和10年)11月21… 岡部 進(おかべ すすむ、1935年(昭和10年)11月21日 - )は、日本の数学者。神奈川県小田原市鴨宮出身。 1935年(昭和10年)11月21日、神奈川県小田原市鴨宮に生まれる。1954年(昭和29年)神奈川県立小田原高等学校を卒業、一浪した後、1955年(昭和30年)4月、横浜国立大学学芸学部数学科に入学。同大学を1959年(昭和34年)3月に卒業し、同年5月より1994年(平成6年)3月まで、東京都・神奈川県公立高校数学科教諭、教頭を勤める。この間、数学者・小倉金之助の数学教育論を研究し、授業実験を通して、その理論を検証、同時にこの理論を現代へ生かすべく、授業・単元の三段階論及び「日常性の数学」を提唱した。
大石 千八(おおいし せんぱち、1935年(昭和10年)11… 大石 千八(おおいし せんぱち、1935年(昭和10年)11月21日 - 2011年(平成23年)9月26日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(中曽根派)。静岡県吉田町出身。 1954年(昭和29年)静岡県立榛原高等学校卒業。1960年(昭和35年)早稲田大学第一商学部卒業、NHKにアナウンサーとして入局。徳島放送局、名古屋放送局、福岡放送局でスポーツ担当で12年間勤務した。 1972年(昭和47年)父八治の政界引退を受けて、その地盤を継承し、第33回衆議院議員総選挙に旧静岡1区から初当選。以後、1993年(平成5年)の第40回総選挙まで連続して再選され、衆議院議員に連続8期在任した。
有村 國孝(ありむら くにたか、1935年〈昭和10年〉11… 有村 國孝(ありむら くにたか、1935年〈昭和10年〉11月21日 - )は、日本の技術者、発明家、工学博士。ICカードの発明者。 1964年東京工業大学大学院博士課程修了、工学博士。1970年にICカードを発明し特許を取得。アリムラ技研株式会社の代表取締役として、商用化に挑戦したが、経営破綻し1993年に株式会社エイアイテクノロジーへ営業譲渡された。同社は2001年にジーエルサイエンス株式会社に吸収されたが、2013年にジーエルソリューションズ株式会社として再び分社化された。また、基本特許の切れた1990年からは平松雄一などによりICカードの市場開発も行われた。 有村國俊滋賀県議会議員は甥。
田中 一生(たなか かずお、1935年11月21日 - 20… 田中 一生(たなか かずお、1935年11月21日 - 2007年3月9日)は、東欧・バルカン地域、とくにユーゴスラビアの言語・文学を日本に紹介し続けた、在野の研究者、翻訳家、作家。本名・一夫。 北海道中西部の美唄市生まれ。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。1962年、政府交換留学生としてベオグラード大学哲学部美術史科に留学。1968年に帰国後、大学講師などを務めながら、イヴォ・アンドリッチの翻訳のほか、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語、スロベニア語、バルカン現代史を研究した。 2006年に、バルカン地域の紹介などの業績に対し、当時のセルビア・モンテネグロから勲二等ヴーク・カラジッチ勲章が送られた。
茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 20… 茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 2022年9月5日)本名:山口良一は、日本の作詞家・作曲家。元歌手。全日本音楽著作家協会・常任理事(詩)2003年。日本作詩家協会 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
高橋 達直(たかはし みちなお、1935年(昭和10年)11… 高橋 達直(たかはし みちなお、1935年(昭和10年)11月20日 - )は、日本の通産官僚。元中小企業庁長官。元ライオン社長。
時浪 春樹(ときなみ はるき、1935年11月20日 - 没… 時浪 春樹(ときなみ はるき、1935年11月20日 - 没年不明)は、時津風部屋に所属した元力士。本名は石丸 春樹(いしまる はるき)。現在の愛媛県新居浜市出身。178cm、97kg。最高位は東十両3枚目。得意技は右四つ、寄り。 1953年5月場所に初土俵。1959年9月場所に十両昇進。21場所十両を務め、1963年5月場所に27歳で廃業。巡業では初っ切りや弓取りを務めており、大田山の後継候補に挙げられたことがある。
櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 -… 櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 - )は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。 京都府立桃山高等学校、京都教育大学卒業。専攻は数学であった。在学中より福本正に作曲を学び、卒業後、本格的に作曲活動を開始する。伝統的な邦楽を基調とした日本的な作風で知られ、国内外で高い評価を得ている。 また、より広い作曲活動を求め、絵画・建築・写真・映像などの分野との一体化による、構造的芸術の創造を目指して取り組んでいる。作曲・編曲・指揮といった音楽分野を越えて、イヴェント・コーディネーターとして広く活躍している。 2000年代以降は、ジャズ楽曲を吹奏楽用に編曲した作品をウィンズスコアより発表しており、編曲家としての新たな一面を見せるなど、精力的な活動を展開している。
岡田 朝雄(おかだ あさお、1935年11月19日- )は、… 岡田 朝雄(おかだ あさお、1935年11月19日- )は、日本のドイツ文学者、東洋大学名誉教授。 東京生まれ。1959年学習院大学文学部独文科卒。1961年中央大学大学院独文科修士課程修了。東洋大学助教授、教授。2006年、定年退任、名誉教授。日本昆虫協会設立メンバーの一人。
広田 尚敬(ひろた なおたか、1935年11月19日 - )… 広田 尚敬(ひろた なおたか、1935年11月19日 - )は日本の鉄道写真家。中央大学経済学部卒業。 東京都に生まれる。幼少時より鉄道に興味を持ち、大学卒業後、会社員を経て1960年にフリーの写真家となる。日本の鉄道雑誌・書籍のほか、米国の鉄道雑誌「Trains」でも写真を発表し、鉄道撮影において高い評価を得た。特に1970年代~80年代初めは、南正時と共に日本において最も有名な鉄道写真家であった。 当初は廣田尚敬という名を使っていたが、子供たちにも解かりやすいようにと広田尚敬に変えたという。 編成写真だけでなく、革新的な撮影技法や自作の撮影機材を用い、斬新な作品を輩出した。中でも走行中の列車の側面を車両の真横から自作のスリットカメラを使い流し撮りし、車両があたかも止まって背景が流れているかのように撮る撮影手法が特に知られており、広田はこの撮影方法を動止フォトグラフと呼んでいる。
星野 恒彦(ほしの つねひこ、1935年11月19日 - )… 星野 恒彦(ほしの つねひこ、1935年11月19日 - )は、日本の俳人、英文学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立日比谷高等学校卒業。1959年早稲田大学第一文学部英文科卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。立正大学教養部助教授、早稲田大学法学部教授。2003年退任、名誉教授。 1976年「れもん」に入会、多田裕計に師事。1980年「貂の会」に入り川崎展宏に師事。 2002年『俳句とハイクの世界』で俳人協会評論賞受賞。俳人協会理事(国際部長)、国際俳句交流協会副会長、「貂」代表。
山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出… 山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出典] - 2016年2月29日)は、日本の建築家。山崎泰孝+AZ環境計画研究所を主宰し代表を務めた。 兵庫県芦屋市生まれ。京都府立鴨沂高等学校を経て、1960年早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1960年〜1970年坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)。1973年、株式会社アズ・インスティチュート(AZ Institute AZ環境計画研究所)設立。1976年福井工業大学教授( - 1996年)、1997年近畿大学文芸学部芸術学科教授( - 2003年)(近畿大学日本文化研究所)[要出典]。 1977年「善光寺別院願王寺」で。昭和51年度 日本建築学会賞(作品)。
梅本 彪夫(うめもと あやお、1935年(昭和10年)11月… 梅本 彪夫(うめもと あやお、1935年(昭和10年)11月18日 - )は、日本の実業家。東京放送(現・TBSホールディングス)元常務取締役。テレパック・TBSサンワーク元社長。お笑いタレントの渡部建は甥。 梅本正倫・とねの次男として奈良県に生まれる。1958年(昭和33年)九州大学経済学部を卒業。同年東京放送に入社。 1978年(同53年)6月パリ支局長、1986年(同61年)6月人事労務局長、1988年(同63年)2月制作局長、1989年(平成元年)1月テレビ編成局長を経て、1991年(同3年)6月テレパック社長に就任。 1992年(同4年)6月東京放送取締役、1993年(同5年)6月同社常務を経て、1995年(同7年)TBSサンワーク社長に就任。
岩森 道子(いわもり みちこ、1935年11月18日 - )… 岩森 道子(いわもり みちこ、1935年11月18日 - )は、日本の作家。 山口県下関市生まれ。京都女子大学短期大学部文学部国文科卒。結婚後、福岡県北九州市に住む。 1975年(昭和50年)より同人誌『海峡派』に加わる。 1986年、「抱卵」が第17回九州芸術祭文学賞の地区次席になる。1987年、九電女のエッセイ特選に選ばれる。1987年、「雪迎え」で第18回九州芸術祭文学賞の最優秀作受賞、第1回三島由紀夫賞候補、第99回芥川賞候補となる。1988年、「香水蘭」で第100回芥川賞候補となる。1996年、「噴水の向こうの風景」で第1回草枕文学賞を受賞。 1.芥川賞のすべて・のようなものhttps://prizesworld.com/akutagawa/kogun/kogun99IM.htm
深沢 秋男(ふかさわ あきお、1935年11月17日 - 2… 深沢 秋男(ふかさわ あきお、1935年11月17日 - 2021年1月15日)は、日本の国文学者。専門は仮名草子、特に如儡子『可笑記』。また『井関隆子日記』を再発見した功績でも知られる。 山梨県身延町生まれ。身延高等学校を経て、1962年法政大学文学部日本文学科卒。同年、桃源社編集部に就職。1969年誠文堂新光社事典部に転職。1983年昭和女子大学専任講師、1987年同助教授、1994年同教授。2005年定年退職、2008年同大学名誉教授。 鹿島則文旧蔵の桜山文庫、鈴木重嶺旧蔵の翠園文庫を昭和女子大学図書館に収めるにあたり尽力した。
酒井 政利(さかい まさとし、1935年〈昭和10年〉11月… 酒井 政利(さかい まさとし、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2021年〈令和3年〉7月16日)は、日本の音楽プロデューサー・メディアプロデューサー。酒井プロデュースオフィス代表取締役社長。日本ストリートダンス協会非常勤理事。国立国会図書館典拠データ検索・提供サービスによれば、1938年生まれと書かれた。 和歌山県有田市生まれ。父は建築設計事務所を営み、母は専業主婦。8人兄弟の末っ子であった。母は幼い政利を連れて酒井家に後妻として嫁いだ。 和歌山県立箕島高等学校、立教大学文学部卒業。大学卒業後、映画製作を志し松竹に入社するもまもなく退社し、その後日本コロムビア、CBS・ソニーレコードの音楽プロデューサーとして数多くのミュージシャンを発掘、育成する。
生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 20… 生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2015年〈平成27年〉10月27日)は、日本のイラストレーター。油絵風の画法が特徴。イラスト集や作品展のタイトルでは生賴範義の表記が見られる。「生瀬 範義」は誤表記。息子のオーライタローも画家。 兵庫県明石市生まれ。第二次世界大戦さなかの1945年に鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)に疎開。鹿児島県立川内高等学校卒業。高校卒業後、東京芸術大学美術学部に入学したが、後に中退した。1962年、イラストレーターとして活動を開始。1973年、東京から妻の郷里宮崎県宮崎市に転居。 1980年、SF雑誌に発表した「スターウォーズ」のイメージ画が、制作者のジョージ・ルーカスの目に留まり、その続編ポスター用イラストを正式に依頼される。
伊藤 通明(いとう みちあき、1935年11月16日 - 2… 伊藤 通明(いとう みちあき、1935年11月16日 - 2015年9月26日)は、福岡県出身の俳人。宗像郡福間町生まれ。西南学院大学文学部英文学科卒。大学時代、安住敦の句文に接したことから俳句をはじめる。1962年、同人誌「裸足」創刊編集。1967年、「春燈」入会、安住敦に師事。1986年、「裸足」を「白桃」に改称し主宰。代表句に「夕月や脈うつ桃をてのひらに」などがあり、みずみずしい叙情句が特色。句集に『白桃』『西国』『蓬莱』『荒神』、編著に『久保田万太郎』などがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小林 久三(こばやし きゅうぞう、1935年11月15日 -… 小林 久三(こばやし きゅうぞう、1935年11月15日 - 2006年9月1日)は、日本の小説家・推理作家。脚本家、プロデューサーとしても活動した。本名読みは、こばやしひさみ。日本推理作家協会元会員。 茨城県古河市生まれ、県立古河第一高校から東北大学文学部へ進学する。野村芳太郎監督松本清張原作『張込み』を観て映画の道を志し、大学卒業後1961年に松竹大船撮影所に助監督として入社。シノプシス(原作の要約)作成の仕事を経て、喜劇を中心に多数の映画に脚本家としても名を連ねた。中では『吸血鬼ゴケミドロ』が今日でも有名だが、共同脚本の高久進は、後年『映画芸術』誌上で小林は会社のお目付け役で実際には執筆していないと語っている(小林は高久のSFセンスを絶賛している)。
大澤 豊(おおさわ ゆたか、1935年〈昭和10年〉11月1… 大澤 豊(おおさわ ゆたか、1935年〈昭和10年〉11月15日 - 2020年〈令和2年〉1月1日)は、日本の映画監督。有限会社こぶしプロダクション代表。 群馬県高崎市出身。群馬県立高崎高等学校、群馬大学教育学部卒業。太平洋戦争中の疎開を描いた『ボクちゃんの戦場』(原作:奥田継夫、出演:前田吟・藤田弓子)で1985年(昭和60年)ベルリン国際映画祭児童映画部門3賞を受賞した。 そのほか、1997年(平成9年)日本映画ペンクラブ賞を、2000年手話をテーマにした『アイ・ラヴ・ユー』で日本アカデミー賞特別賞を、2011年『いのちの山河〜日本の青空II〜』で岩手県いのちの灯文化賞を受賞した。 東京都葛飾区在住。
南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 202… 南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 2022年10月24日)は、日本の実業家。 フジ・メディア・ホールディングス取締役監査等委員及びフジテレビジョン監査役。東京電力で第9代社長を経て顧問、財団法人省エネルギーセンター会長、社団法人企業情報化協会会長などを務めた。 三重県出身。三重県立上野高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業し東京電力入社。取締役を経て1999年に東京電力社長。これまでの東京電力社長職は政界との繋がりが強い総務畑が主流だったが、電力自由化に伴い霞が関に顔が利くという理由から企画畑出身の南が選ばれた。 2002年、原子力発電所の点検記録の改竄事件の責任をとって、社長を辞任。
田島 信威(たじま のぶとし、1935年11月15日 - )… 田島 信威(たじま のぶとし、1935年11月15日 - )は、日本の官僚、大学教授。 1961年に東京大学法学部を卒業後、参議院法制局に1999年まで勤務した。1995年から1999年までは法制局の局長を務めている。退職後は大学教授として教鞭をとった。2007年(平成19年)11月3日に瑞宝重光章を受章。 代表的な著書に参議院法制局在職時代に著した『最新法令の読解法』(初版1980年、第3版2006年、ぎょうせい)があり、その他、法令や条例関係の著述が共著のものも含め数冊ある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
村木 良彦(むらき よしひこ、1935年(昭和10年)11月… 村木 良彦(むらき よしひこ、1935年(昭和10年)11月15日 - 2008年(平成20年)1月21日)は、日本のメディアプロデューサー、実業家。テレビマンユニオン社長。東京国際大学国際関係学部教授。宮城県仙台市出身。東京大学文学部卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
南野 知惠子(のおの ちえこ、1935年〈昭和10年〉11月… 南野 知惠子(のおの ちえこ、1935年〈昭和10年〉11月14日 - )は、日本の看護学者、政治家。勲等は旭日大綬章。「惠」ではなく「恵」を用いて南野 知恵子とも表記される。 山口大学医療技術短期大学部看護学科教授、日本赤十字看護大学看護学部教授、自民党参議院議員(3期)、参議院文教科学委員長、法務大臣(第74・75代)、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)、日本ユネスコ国内委員会委員などを歴任。 1935年、満洲国の竜江省斉斉哈爾市(現:中華人民共和国チチハル市)にて生まれ、1946年に日本に引き揚げる。その後は鹿児島県にて育つ。1954年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1958年3月、大阪大学医学部附属助産婦学校卒業。
多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は… 多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は、日本の経営者。タダノ社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日商岩井に入社。 1959年に多田野鉄工所(のちのタダノ)に転じ、1975年に取締役に就任し、1979年11月に常務、1985年11月に常務、1993年6月に副社長を経て、1997年6月には社長に就任。2003年6月に会長に就任し、205年3月からは相談役を務めた。 2004年4月に藍綬褒章を受章。
新宮 正志(しんぐう まさし、1935年11月14日 - 2… 新宮 正志(しんぐう まさし、1935年11月14日 - 2020年10月17日)は、日本の政治家。北海道室蘭市長(4期)。 北海道旭川市出身。1958年、専修大学商経学部卒。同年、室蘭市役所に入り、環境衛生、市民福祉、財政、総務の各部長を経て、1990年に収入役となる。1995年、室蘭市長選挙に立候補して初当選、以来、連続4期務める。2011年に室蘭市長を退任。2020年に死去した。
有町 昌昭(ありまち まさあき、1935年11月13日 - … 有町 昌昭(ありまち まさあき、1935年11月13日 - )は、福岡県京都郡行橋町(現:行橋市)出身の元プロ野球選手。
村瀬 嘉代子(むらせ かよこ、1935年11月13日 - 2… 村瀬 嘉代子(むらせ かよこ、1935年11月13日 - 2025年1月2日)は、日本の臨床心理学者。臨床心理士。博士(文学)。日本臨床心理士会元会長。一般財団法人公認心理師試験研修センター(旧 日本心理研修センター)顧問(前理事長)。 専門は、心理療法の治療機転、子供と家族への統合的心理療法、聴覚障害者への心理的援助。臨床心理学者で元東大教授の村瀬孝雄は夫。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
比嘉 昇(ひが のぼる、1935年〈昭和10年〉11月13日… 比嘉 昇(ひが のぼる、1935年〈昭和10年〉11月13日 - 1992年〈平成4年〉12月24日)は、日本の政治家。沖縄県浦添市長(4期)。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 沖縄県出身。1960年(昭和35年)3月、琉球大学文理学部法政学科卒業。その後は裁判所書記官として、沖縄の裁判所を転々とする。1971年(昭和46年)、退職して、弁護士となる。1972年(昭和47年)沖縄県議選に浦添市選挙区から無所属で立候補して当選した。同年6月25日に就任した。1974年(昭和49年)5月31日に自民党入りした。1976年(昭和51年)の選挙で再選を果たした。 1980年(昭和55年)の浦添市長選挙に自民党、民社党、新自由クラブ推薦の無所属で立候補し、社会党、共産党推薦、公明党支持の沖縄社会大衆党公認で現職の又吉盛一を破って初当選を果たした。
中島 丈博(なかじま たけひろ、1935年〈昭和10年〉11… 中島 丈博(なかじま たけひろ、1935年〈昭和10年〉11月12日 - )は、日本の脚本家・小説家・映画監督。京都府生まれ、高知県中村市(現・四万十市)育ち。 父は日本画家の中島敬朝。京都で生まれ、太平洋戦争の影響で1945年10歳のとき、高知県中村市へ疎開。そこでプライバシーが筒抜けな地元住民の生活に衝撃を受け、それが作風にも影響を与えたと語っている。この頃のことは『野蛮な詩』(疎開後の小学生時代)、『郷愁』(中学時代)、『祭りの準備』(20代、上京まで)で小説・映画化している。1954年に高知県立中村高等学校を卒業。家はずっと貧乏で、父が胃潰瘍で入院して金がかかり大学進学を断念し、高知相互銀行に就職し三年ほど勤務する。
本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1… 本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日 - 1991年8月17日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。位階は正五位。勲等は勲三等。派閥は三塚派に所属した。 福岡県北九州市八幡東区生まれ。福岡県立八幡高等学校を経て、立命館大学法学部卒業。大学在学中は、ボクシング部と弁論部に所属し、大学代表として弁論大会に出場することもあった。 1964年、自民党衆議院議員小峰柳多の秘書。のちに参議院議員鬼丸勝之の秘書を経験。 1971年、福岡県議会議員選挙初当選。以後2期務める。 1980年の第12回参議院議員通常選挙と1983年の第13回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から自由民主党公認で立候補するも次点落選。
中村 修一郎(なかむら しゅういちろう、1935年11月12… 中村 修一郎(なかむら しゅういちろう、1935年11月12日 - 2009年12月22日)は、日本のプロ野球選手。二塁手が主だが三塁・一塁も守った。右投右打。
佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は… 佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は、香川県出身の元プロ野球選手(投手)。 香川県立観音寺第一高等学校卒業。 1954年(昭和29年)観音寺第一高校を卒業後、倉敷レイヨン(現・クラレ)へ入社。同社の硬式野球部(1973年に廃部)に入部し、活躍する。 1955年(昭和30年)倉敷レイヨンを退社し、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)へ入団。同年3月31日、近鉄パールス戦(平和台球場)で、プロ初勝利を記録する。同年4月17日、大映スターズ戦(茨城県営球場)で、2勝目を挙げる。 1958年(昭和33年)広島カープ(現・広島東洋カープ)へ移籍。しかしここでは、1試合のみの登板に終わる。
朝崎 郁恵(あさざき いくえ、1935年11月11日 - )… 朝崎 郁恵(あさざき いくえ、1935年11月11日 - )は鹿児島県大島郡瀬戸内町加計呂麻島生まれの唄者(奄美民謡歌手)。奄美島唄独特のこぶしや裏声で聞く者の心に訴えかける唄声を持ち、ひぎゃ唄と呼ばれる奄美大島南部の島唄伝承の第一人者と言われるベテランである。 加計呂麻島花富(けどみ)の鍼灸師で島唄の研究に情熱を傾けた父辰恕(たつじょ)や、母、祖母の影響を受けて島唄を覚え、10代で天才唄者として活躍。吟遊詩人福島幸義を師匠とし、加計呂麻島、奄美大島各地で唄を披露していた。結婚後は東京を中心に活動し、奄美島唄朝崎會を主宰して後進の育成を図るとともに、日本各地の芸能・各国の民族音楽とも交流し、新しい島唄の創作に力を注ぐ。
郡司 洋(ぐんじ ひろし 1935年11月10日〜2007年… 郡司 洋(ぐんじ ひろし 1935年11月10日〜2007年10月14日 享年71)は日本のプロゴルファー。栃木県那須湯本出身。栃木県立黒磯高校卒業。身長164cm、血液型A型。 学生時代、名門那須ゴルフクラブにてアルバイトキャディをしていた頃、台湾の陳清水プロの引き玉(バックスピン)を目の当たりにして驚愕し、ゴルフのプロになる事を決意する。当時、千葉カントリークラブの建設に携わっていた清水建設の清水陽之助に声を掛けられ上京。24歳でプロテストに合格し、千葉カントリークラブ創設以来50年に渡り所属ヘッドプロとして活躍。 現役のトーナメントプロでありながら多数のプロゴルファーを育てた事でも有名。弟子の中では、横島由一(13勝)、1999年賞金女王となった村口史子(7勝)、全米オープン出場の増田伸洋(2勝)、他十数名。
喜志 哲雄(きし てつお、1935年〈昭和10年〉11月10… 喜志 哲雄(きし てつお、1935年〈昭和10年〉11月10日 - 2025年6月30日)は、日本の英米演劇学者。京都大学名誉教授。京都府京都市右京区在住(2023年時点)。 父親は詩人で作詞家の喜志邦三。 1935年兵庫県西宮市生まれ。1958年京都大学文学部英文科卒、1960年から1961年コロンビア大学留学。1964年京大大学院博士課程満期退学、同年京大教養部専任講師、1967年助教授。1973年文学部英文科助教授、1982年教授。この間、1967年から一年間スタンフォード大学客員准教授、1980年インディアナ大学客員教授。1996年から1998年まで京大大学院文学研究科研究科長。1999年定年退官。
若桑 みどり(わかくわ みどり、1935年〈昭和10年〉11… 若桑 みどり(わかくわ みどり、1935年〈昭和10年〉11月10日 - 2007年〈平成19年〉10月3日)は、日本の美術史学者。千葉大学名誉教授。専門は西洋美術史・表象文化史・ジェンダー史・ジェンダー文化論。旧姓は山本。 東京に生まれた。山本政喜の二女。父・山本政喜は福岡県出身の英文学者・翻訳家である。兄は有斐閣の編集者だった山本阿母里、ロシア文学者の川端香男里。東京学芸大学教授だった哲学者の若桑毅は元夫。 玉川学園中学部・高等部を経て、1953年に東京都立駒場高等学校芸術科(後に東京都立芸術高等学校として分離独立するも閉校)を卒業。1958年東京藝術大学美術学部卒業。1960年同芸術学専攻科修了。
清水 嘉与子(しみず かよこ、1935年〈昭和10年〉11月… 清水 嘉与子(しみず かよこ、1935年〈昭和10年〉11月9日 - )は、日本の政治家、看護師。環境庁長官(第37・38代)、参議院議員(3期)などを歴任した。 東京都立北園高等学校、東京大学医学部衛生看護学科卒業。看護婦として、関東逓信病院看護部看護婦長、東京大学医学部教官、厚生省医務局看護課長などを務めた。 1989年の第15回参議院議員通常選挙に自民党公認、日本看護協会・日本看護連盟の推薦(石本茂の後継)を受けて参議院比例区から出馬し、初当選。連続当選3回。党内では清和会に所属。労働政務次官・参議院文教委員長などを経て、1999年小渕改造内閣に環境庁長官として初入閣。翌年発足した第1次森内閣でも再任された。
真下 惇至(ましも よしのり、1935年(昭和10年)11月… 真下 惇至(ましも よしのり、1935年(昭和10年)11月9日 - 1986年(昭和61年)3月26日)は、日本のホルン奏者。元京都市立芸術大学音楽学部助教授。徳島文理大学客員教授。 東京芸術大学音楽学部卒業。京都府出身。 京都府出身。1958年(昭和33年)に東京芸術大学音楽学部を卒業し、大学在学中にはNHK交響楽団へ入団する。 大学卒業後は日本フィルハーモニー交響楽団へ入団し、1962年(昭和37年)から1970年(昭和45年)まで読売日本交響楽団のホルン奏者として活躍した。また関西ブラスアンサンブルを主宰し、京都市立芸術大学助教授、徳島文理大学客員教授を務めた。 1986年(昭和61年)3月26日、死去。
加藤 修甫(かとう しゅうほ、1935年11月9日 - 20… 加藤 修甫(かとう しゅうほ、1935年11月9日 - 2012年4月16日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した調教師。1990年東京優駿(日本ダービー)優勝馬アイネスフウジン、1998年天皇賞(秋)優勝馬オフサイドトラップ等を管理した。1990年度JRA賞最高勝率調教師。千葉県市川市出身。日本大学農獣医学部獣医学科卒業。 1935年、日本競馬会中山競馬場に所属する調教師・加藤朝治郎の長男として生まれる。幼少期から父と同じく調教師を志し、日本大学在学中に調教助手免許を取得。卒業後、学友であった成宮明光と共にアメリカの生産現場を視察した後、父の元で助手となった。 1971年に調教師免許を取得。
小山 邦武(こやま くにたけ、1935年(昭和10年)11月… 小山 邦武(こやま くにたけ、1935年(昭和10年)11月7日 - )は、日本の政治家、農学者、酪農家、起業家。専門は畜産学。長野県飯山市長(1990年-2002年)。 長野県小諸市出身。1959年(昭和34年)北海道大学農学部畜産学科卒。1959年(昭和34年)酪農学園大学酪農学部助手の後、アメリカのイリノイ大学大学院修士課程修了し修士号を取得。再び酪農学園大学に戻り、同酪農学部専任講師。1969年(昭和44年)農畜産業振興実践のため酪農学園大学を退職し、長野県飯山市藤沢地区に入植。同地区にあった実験農場を譲り受け、乳牛などの酪農経営を始める。 その後、酪農家をする傍ら、飯山市農業委員会会長や飯山市自然保護審議会会長などを務める。
前田 利祐(まえだ としやす、1935年〈昭和10年〉11月… 前田 利祐(まえだ としやす、1935年〈昭和10年〉11月6日 - )は、旧加賀藩前田家第18代当主。宮内庁委嘱掌典。全国石川県人会連合会会長。関東東京石川県人会会長。四高記念文化交流館初代館長。 学習院大学政経学部を卒業後、日本郵船に入社し、のちに同社のグループ会社である八馬汽船の常務取締役を務めた。徳川宗家第18代当主である徳川恒孝は、学習院大学政経学部・日本郵船の双方で5年後輩である。前田と徳川は日本郵船で同じ部に勤務したことがあり、徳川は当時のことを下記のように回想している。 2001年(平成13年)12月7日、敬宮愛子内親王の「浴湯の儀」において、徳川(徳川宗家当主)と前田(加賀前田家当主)の2人は、「読書役(とくしょやく)」の児玉幸多(学習院大学名誉教授)と共に、読書鳴弦の儀を執り行った。
植村 峻(うえむら たかし、1935年11月6日 - )は、… 植村 峻(うえむら たかし、1935年11月6日 - )は、日本の切手・紙幣研究家。 東京生まれ。1958年東京都立大学法経学部法学科卒業後、大蔵省印刷局に入り、印刷局小田原工場長、滝野川工場長、本局製造部長、同業務部長を経て、1994年退官。紙幣等の調査研究機関「カレンシー・リサーチ」を設立。財団法人印刷朝陽会専務理事、お札と切手の博物館顧問、財団法人切手の博物館理事、ICOMON(国際通貨および銀行博物館会議)アジア地区理事、IBNS(国際銀行券協会)会員。
宮原 賢次(みやはら けんじ、1935年〈昭和10年〉11月… 宮原 賢次(みやはら けんじ、1935年〈昭和10年〉11月5日 - 2026年〈令和8年〉1月5日)は、日本の実業家。第7代住友商事社長・現相談役、日本電気取締役、日立製作所社外取締役。社団法人日本貿易会会長。元日本経団連副会長。21世紀政策研究所理事長。日本機械輸出組合理事長。財団法人国際民商事法センター会長。 ニューヨークに通算9年間(1966年 - 1972年、1990年 - 1993年)駐在した米国通。在米期間中の米国の金融機関との付き合いから学んだ、リスク・リターンをベースにした「改革パッケージ」のモデルを1998年に作成。全社のビジネスラインを約250に分解し、徹底した不採算事業の整理と、不良債権処理によって、財務体質を改善した。
沢田 哲郎(さわだ てつろう、1935年(昭和10年)11月… 沢田 哲郎(さわだ てつろう、1935年(昭和10年)11月5日 - 1998年(平成10年)1月16日)は、日本の昭和・平成期の絵師、版画家。澤田哲郎 (画家)とは別人。
東 京二(あずま きょうじ、1935年11月5日 - )は、… 東 京二(あずま きょうじ、1935年11月5日 - )は、漫談家・漫才師。北海道出身(漫才協会のプロフィールでは函館市、落語協会のプロフィールでは札幌市)。本名:神田 公司。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
木村 東道(きむら とうどう、1935年11月4日 - 20… 木村 東道(きむら とうどう、1935年11月4日 - 2007年7月8日)は、書家。木村卜堂の長男として東京都荒川区に生まれる。本名は繁男、東道は号。
岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 -… 岡ノ山 喜郎(おかのやま よしろう、1935年11月3日 - 没年不明)は、岡山県小田郡矢掛町出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は山部 喜一郎(やまべ きいちろう)。最高位は東前頭5枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は185cm、112kg。得意手は右四つ、寄り。 鮮魚商の家庭に生まれ、岡山県立矢掛高校に在学中は、ハンドボール部で活躍した。 高校卒業後、元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門し、1955年5月場所で初土俵。 同場所では番付外と新序で、ともに好成績を残した。そのため、翌9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 同場所より出身地の岡山県に因んだ四股名、「岡ノ山」を名乗る事になり、廃業までこの四股名で通した。