笠井 寛司(かさい かんじ、1933年11月2日 - 200… 笠井 寛司(かさい かんじ、1933年11月2日 - 2002年2月2日)は日本の女性器学者、産婦人科医。元滋賀医科大学助教授。 京都市左京区岡崎生まれ。京都大学医学部薬学科を経て、1961年(昭和36年)医学科を卒業。1966年に京都大学大学院医学研究科博士課程修了。1968年に医学博士号を取得。1969年より日本バプテスト病院産婦人科に勤務。その後、1976年に滋賀医科大学助教授となる。組織内分泌学の研究と解剖学的体型要素を分析した。女性のセックス(女性問題)と女性器研究と女性の性行動に実態調査を行った。 1990年から第10回日本性科学学会の学会長を務めた。組織内分泌学の研究と、生物学・老化・医学・哲学・ジェンダーの観点から女性の性器研究、男性経験など性行動の実態調査、女性器とは何かの性問題などを追及した。
三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本… 三上 隆雄(みかみ たかお、1933年11月2日-)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、青森県議会議員(3期)、相馬村議(5期)を務めた。 青森県中津軽郡相馬村のリンゴ農家出身。青森県立弘前高等学校中退。1971年、相馬村議会議員、同議長を経て、1989年の第15回参議院議員通常選挙青森県選挙区で、反核燃料を掲げ無所属で立候補し現職の松尾官平を破り、初当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙で落選。1999年の青森県議会議員選挙弘前選挙区に出馬し、初当選。以後3期務める。2008年、民主党会派に入る。2009年の第45回衆議院議員総選挙で青森4区の津島恭一の選対本部長を務める。2011年4月、民主党公認で立候補した青森県議会議員選挙で落選。
松田保(まつだ たもつ、1933年11月1日 - 2016年… 松田保(まつだ たもつ、1933年11月1日 - 2016年9月10日)は、日本の医学者。血液疾患が専門。 石川県金沢市出身。1958年金沢大学医学部卒、1963年同大学院博士課程修了、医学博士。金沢大助手、1972年東京都老人総合研究所、東京都養育院附属病院、1984年金沢大学医学部教授。97年定年退官、名誉教授。 1976年にベルツ賞2等賞を受賞し、またSFが好きで、1991年金沢で行われた日本SFコンベンションで講演し、暗黒星雲賞を受賞。
亀井 郁夫(かめい いくお、1933年〈昭和8年〉11月1日… 亀井 郁夫(かめい いくお、1933年〈昭和8年〉11月1日 - 2019年〈令和元年〉5月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。学校法人萩学園理事長、学校法人こおりやま東都学園理事長。弟は衆議院議員の亀井静香(誕生日は1936年の同じ日)。 広島県比婆郡山内北村(現・庄原市川北町)出身。旧制広島県立広島第一中学校(現・広島県立国泰寺高等学校)、広島県立広島皆実高等学校を経て、東京大学法学部を卒業。1957年に旭化成工業に入社し、1985年には取締役合成樹脂第一事業部長兼会長付に就任したが、翌1986年に退社。 1987年に広島県議会議員に初当選し、以後二期連続当選。1993年に県議を辞職して広島県知事選挙に立候補するが藤田雄山に敗れる。
堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は… 堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は、日本の劇作家、演出家、演劇評論家。演出家として三島作品を多数手がける。また、新作能の作者として、数多くの作品を手がけている。
小住 健蔵(こずみ けんぞう、1933年11月 - )は、北… 小住 健蔵(こずみ けんぞう、1933年11月 - )は、北朝鮮による拉致被害者(西新井事件の被害者)。政府認定は受けていないが、「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)では「拉致被害者」として認定している。 1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)にかけて、北朝鮮の工作員チェ・スンチョル(通称「朴」)によって拉致された。いわゆる「背乗り拉致」の被害者である。 小住健蔵は1933年(昭和8年)11月、樺太に生まれた。小学校・中学校を樺太で終え、1948年(昭和23年)、引揚船で北海道函館市に引き揚げてきた。引揚が遅れたのは、父親が土木技師をしており、ソ連占領後も技師として働けと命じられたためであった。
杉山 正樹(すぎやま せいじゅ 1933年11月 - 200… 杉山 正樹(すぎやま せいじゅ 1933年11月 - 2009年1月16日)は東京府出身の文芸評論家、編集者。本名読みは、まさき。
堀 宏(ほり ひろし、1933年(昭和8年)11月 - 20… 堀 宏(ほり ひろし、1933年(昭和8年)11月 - 2012年(平成24年)9月3日)は、ジャーナリスト。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、報道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:メディア)。
竹内 誠(たけうち まこと、1933年10月29日 - 20… 竹内 誠(たけうち まこと、1933年10月29日 - 2020年9月6日)は、日本の歴史学者・江戸時代学者、徳川林政史研究所名誉所長、江戸東京博物館名誉館長、東京学芸大学名誉教授。 1933年、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区)で生まれた。東京教育大学(現・筑波大学)文学部日本史学専攻に進学し、西山松之助に師事した。1957年に卒業。同大学大学院文学研究科に進み、1963年に博士課程を単位取得満期退学。 その後は、徳川林政史研究所に主任研究員として勤務。その後信州大学助教授に転じ、1970年より東京学芸大学助教授を務めた。1977年に学位論文『寛政改革の研究』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。
岩田 宗一(いわた そういち、1933年10月29日 - 2… 岩田 宗一(いわた そういち、1933年10月29日 - 2020年6月8日)は、日本の声明研究者。大谷大学名誉教授。 京都市生まれ。1959年京都市立音楽短期大学(現・京都市立芸術大学)卒業。1965年佛教大学卒業。大谷短期大学助教授、大谷大学教授、1999年退任、名誉教授。2020年6月8日に死去。86歳没。
田平 英二(たびら えいじ、1933年10月28日 - 20… 田平 英二(たびら えいじ、1933年10月28日 - 2008年7月5日)は、日本の経営者。近畿日本ツーリスト社長を務めた。 長崎県出身。1957年に日本大学法学部政経学科を卒業し、同年に近畿日本ツーリストに入社。1990年3月に取締役、1992年5月に常務を経て、1997年3月に社長に就任。2000年9月に取締役相談役に就任し、2001年3月には相談役に就任。 2008年7月5日に心不全のために死去。74歳没 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
半村 良(はんむら りょう、1933年10月27日 - 20… 半村 良(はんむら りょう、1933年10月27日 - 2002年3月4日)は、日本の男性小説家。 本名:清野 平太郎(きよの へいたろう)。 東京府東京市葛飾区生まれ。小学1年生の時に父を失う。1942年から1945年まで母親の実家である石川県能登地方に疎開していた。1952年、東京都立両国高等学校を卒業。その後は連込み宿の番頭やキャバレーのバーテンなど30近い職業を転々とした。広告代理店に勤務していた時代にはニッポン放送と密接な関係を持ち、5代目月の家圓鏡(後の8代目橘家圓蔵)をラジオパーソナリティとして発掘した。 1962年、短編小説『収穫』が第2回ハヤカワ・SFコンテストに入選(第3席)し、作家デビューした。
糸川 嘉則(いとかわ よしのり、1933年10月27日 - … 糸川 嘉則(いとかわ よしのり、1933年10月27日 - 2014年8月31日)は、日本の栄養医学者、京都大学名誉教授。 東京府生まれ。1952年順天堂大学医学部進学課程修了。1959年京都大学医学部卒。1965年「放射性アリチアミンの生体に対する作用」で医学博士。京大医学部衛生学科助教授、1979年教授、1997年定年退官、名誉教授、福井県立大学教授。 2011-14年仁愛大学学長。2014年8月31日、心房細動のため死去、80歳。 1996年紫綬褒章受章。2008年11月瑞宝中綬章受章。1992年ベルツ賞2等賞受賞。
小坂 健介(こさか けんすけ、1933年10月27日 - 2… 小坂 健介(こさか けんすけ、1933年10月27日 - 2021年12月10日)は、日本の経営者。信濃毎日新聞社社長を務めた。 長野県長野市出身。1957年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社した。1964年に信濃毎日新聞社に転じ、1965年に取締役に就任し、1971年に常務、1982年に専務を経て、1988年に副社長に就任し、1993年3月には社長に昇格。2011年3月には取締役相談役に就任。共同通信社理事、日本新聞協会理事も務めた。また長野テレメッセージ社長も務めている。 2012年11月に旭日重光章を受章した。 2021年12月10日、心不全のために死去。88歳没。 長男は小坂壮太郎(信濃毎日新聞社長)。
藤木 久志(ふじき ひさし、1933年10月27日 - 20… 藤木 久志(ふじき ひさし、1933年10月27日 - 2019年9月28日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士(東北大学)。専門は日本中世史。立教大学名誉教授。 1933年10月27日、新潟県東蒲原郡上川村出身。敗戦後に加茂市へ転居した。1956年、新潟大学人文学部卒業。当初は英語を学ぶことを考えていたが、井上鋭夫による日本史の講義に面白みを感じたため、歴史学の専門課程に進んで師事した。1963年、東北大学大学院文学研究科博士課程修了。その後、アカデミックポストを得るまでは読売新聞社や中央公論社が刊行していた歴史全集の編集に携わった。また、集英社や角川書店ではゴーストライターも担当していた。
原 良馬(はら りょうま、1933年10月25日 - 201… 原 良馬(はら りょうま、1933年10月25日 - 2019年7月24日)は、群馬県出身の競馬ジャーナリスト、元俳優。 本名・荻原 昻(おぎはら たかし)。 東京都立北園高等学校卒業。慶應義塾大学中退後、俳優座に6期生として入所。同期には山本學、市原悦子、大山のぶ代がいる。NHK連続ドラマ『バス通り裏』などに出演。退所後は宗教雑誌発行の出版社勤務やフリーのルポライターを経て、読売新聞東京本社に、当時発行していた週刊読売記者として入社。 1969年にスピードシンボリが勝った有馬記念の特集記事を書いたことがきっかけで競馬ジャーナリストを志すようになり、1970年にデイリースポーツ東京本社へ入社。原がデイリーに入社した当時のスポーツ紙の競馬記者は調教時計を計って予想するだけのスタイルであったが、原はトラックマンデビューが38歳と他の記者よりも遅れていたため、他の記者とは違うことをやろうと主に厩舎取材に専念した。
安西 邦夫(あんざい くにお、1933年10月25日 - 2… 安西 邦夫(あんざい くにお、1933年10月25日 - 2013年6月9日)は、日本の実業家。東京ガス、社長、会長、相談役、特別顧問を歴任。慶應義塾評議員。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。妻は川鍋秋蔵の娘・邦子。 東京府東京市生まれ。父の安西浩は、後に第9代東京ガス社長・会長を務めた。 学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科を経て、1956年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 1956年4月、東京ガス入社。主に営業畑を歩み、顧客サービスの向上・改善に取り組んだ。後に取締役、常務取締役、専務取締役を歴任、1989年に第13代社長に就任。1999年に会長に退き、2007年に相談役、2010年に特別顧問となる。
宮野 彬(みやの あきら、1933年10月25日 - 202… 宮野 彬(みやの あきら、1933年10月25日 - 2020年2月13日)は、日本の刑法学者。 東京府生まれ。1957年に中央大学法学部、1963年に東京大学大学院法学政治学研究科刑法専攻博士課程中退。鹿児島大学助教授を経て、明治学院大学教授。2003年定年、名誉教授。安楽死、裁判の報道などを論じた。
上田 五千石(うえだ ごせんごく、1933年10月24日 -… 上田 五千石(うえだ ごせんごく、1933年10月24日 - 1997年9月2日)は、東京都出身の俳人。秋元不死男に師事。「畦」創刊主宰。本名は明男。 東京都渋谷区代々木山谷町生まれ。法相宗東京出張所長の三男。この父は古笠(こりゅう)の号を持つ俳人で、五千石も幼少時より父と兄から俳句を教わった。幼時は代々木上原で満ち足りた幼年期を過ごすが、戦時に長野県へ疎開、その間の昭和20年(1945年)に代々木の自宅を空襲で失った。昭和21年(1946年)、静岡県富士郡岩松村(現在の富士市)に転居。昭和22年(1947年)1月に静岡県立清水中学校(現在の清水東高校)に3学期のみ編入学した後、静岡県立富士中学校(翌年静岡県立富士高等学校となる)2年に転入し、校内文芸誌「若鮎」の制作に加わる。
渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10… 渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年(昭和8年)10月24日 - 2014年(平成26年)4月30日)は、日本の作家。北海道空知郡上砂川町朝陽台出身。1958年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。
藤田 洋(ふじた ひろし、1933年10月24日 - 201… 藤田 洋(ふじた ひろし、1933年10月24日 - 2018年9月28日)は、日本の歌舞伎・演劇評論家。 東京府生まれ。青山学院大学文学部卒。1962年から『演劇界』の編集に携わり、1980年より編集長、演劇出版社社長。 1970年:菊田賞受賞、1986年:独立。1993年:『演劇年表』で芸術選奨文部大臣賞を受賞する。 1993年から1996年まで第二国立劇場(現・新国立劇場)の初代演劇芸術監督を務める。 1999年:紫綬褒章受章。2005年:旭日小綬章受章。2018年:敗血症のため死去した。享年84。墓所は多磨霊園。 日本演劇協会専務理事、文化財保護審議会専門委員、隔月刊誌『新・能楽ジャーナル』編集委員などを務めた。
堀越 孝一(ほりこし こういち、1933年10月23日 - … 堀越 孝一(ほりこし こういち、1933年10月23日 - 2018年9月8日)は、日本の西洋史学者。学習院大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 1933年、東京市滝野川区(現東京都北区)生まれ。東京都立北園高等学校を経て、1956年東京大学文学部西洋史学科を卒業。卒業後は高校非常勤講師を務めた。1959年には堀一孝の筆名で柴田翔らの同人誌『犀』に参加。 1960年に東京大学大学院に入学し、堀米庸三に師事した。1966年、博士課程満期退学し、茨城大学講師となった。1968年に助教授昇進。1971年から一年間、文部省在外研究員としてパリに滞在。1974年、学習院大学助教授となり、1976年より教授。2001年より人文科学研究所長。
井畑 明男(いばた あきお、1933年(昭和8年)10月23… 井畑 明男(いばた あきお、1933年(昭和8年)10月23日 - 2023年(令和5年)12月25日)は、日本の銀行家。元青森銀行頭取。青森県経営者協会会長。 青森県出身。東北大学卒業後、青森銀入行。 営業、人事と行内業務に幅広く精通し、副頭取就任後は、当時の梅内敏浩頭取とともに行内改革を進めた。 1997年(平成9年)、頭取に昇格する。トップ在任時においては、リテール強化に取り組んだほか秋田銀行、岩手銀行との提携を実現させた。また、県内企業の育成や地域貢献にも取組んだ。 2007年(平成19年)に、会長に退いた。 2023年(令和5年)12月25日午前8時7分、老衰のため青森市内の施設で死去した。
片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月2… 片倉 邦雄(かたくら くにお、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の外交官。湾岸戦争時にイラク駐箚特命全権大使を務めた。 1933年(昭和8年)10月22日、東京に生まれる。本籍地は宮城県。片倉家は伊達政宗の乳母喜多の名跡を継いだ田村宗顕の後裔に当たる。夫人は民族学者の片倉もとこ。 旧制宮城県佐沼中学校(現在の宮城県佐沼高等学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1953年(昭和28年)4月、東京大学教養学部理科Ⅱ類に入学する。1954年(昭和29年)4月、東大教養学部文科Ⅰ類に入学する。1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)までダートマス大学に留学した。1959年(昭和34年)東大法学部公法科に戻り、在学中の同年9月、外務公務員採用上級試験に合格する。
草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年〈昭和8年〉10月2… 草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の女優。本名:栗田 光子(くりた みつこ、出生姓は富田)。 神奈川県横浜市神奈川区出身。草琇舎(そうしゅうしゃ)所属。オスカープロモーションと業務提携している。 神奈川県立横浜平沼高等学校卒業(49期)。妹は冨田恵子。作曲家の芥川也寸志は元夫。 4人兄弟の長女。妹(第2子)は富田恵子。 虚弱傾向を克服するため、小学生からバレエを始める。1950年に松竹歌劇団(SKD)に5期生として入団し、淡路恵子、深草笙子と共に「スリーパールズ」を結成。豊かな歌唱力を持ち味とした。SKD在籍中の1953年、松竹(松竹京都撮影所)から映画『純潔革命』で銀幕デビューも果たした。
石津 隆敏(いしづ たかとし、1933年〈昭和8年〉10月2… 石津 隆敏(いしづ たかとし、1933年〈昭和8年〉10月22日 - 2020年〈令和2年)2月19日〉は、昭和から平成時代の政治家。実業家。愛媛県川之江市長。 川之江市出身。1952年(昭和27年)愛媛県立川之江高等学校卒業。伊予三島市の大王製紙に入社。1959年(昭和34年)伊予段ボール工業に出向、1965年(昭和40年)取締役工場長を経て、1977年(昭和52年)に独立して紙加工の瀬戸紙工を興した。自民党員としても活発に活動し、自民党川之江支部の幹部を務めた。ほか、宇摩交通安全協会副会長を務めた。 1989年(平成元年)タックシステム設立。1990年(平成2年)川之江市長に当選し、合併するまでの4期務めた。
橋本 力(はしもと ちから、1933年〈昭和8年〉10月20… 橋本 力(はしもと ちから、1933年〈昭和8年〉10月20日 - 2017年〈平成29年〉10月11日)は、北海道出身のプロ野球選手、俳優。ポジションは外野手。OKエンターテイメント所属。 1952年(昭和27年)、函館西高校3年生時に第24回選抜高校野球大会へ出場。初戦でこの大会の優勝校となる静岡商業高校に1-0で敗れる。 1952年(昭和27年)、第34回高校野球選手権に出場。準々決勝で成田高校に延長15回の末4-1で敗れた。 1953年(昭和28年)、プロ野球国鉄スワローズへ入団予定だったが、恩人と敬愛する沼澤康一郎から囲い込みを受け、毎日オリオンズへ入団。 1957年(昭和32年)、外野手レギュラーを獲得。
甕 滋(もたい しげる、1933年10月20日 - )は日本… 甕 滋(もたい しげる、1933年10月20日 - )は日本の農水官僚。林野庁次長、大臣官房長、食糧庁長官、林野庁長官、農林水産事務次官、農林漁業信用基金理事長、地方競馬全国協会会長、農林水産技術会議会長などを歴任。血液型はA型。 長野県安曇野市出身。長野県上田高等学校、東京大学法学部卒業。日本政治史を専門とする岡義武のゼミで学ぶ。東大時代の同期に内海孚らがいた。自分にとって一番性に合うのは農林省だと考え、1957年に同省に入省。配属先は農政局総務課。1975年5月 畜産局食肉鶏卵課長。1978年7月 農林水産省畜産局食肉鶏卵課長。同年8月 大臣官房参事官。1979年8月 畜産局畜政課長。1981年7月 大臣官房秘書課長。
浮州 重紀(うきす しげき、1933年10月20日 -202… 浮州 重紀(うきす しげき、1933年10月20日 -2025年8月14日 )は、愛知県出身の元プロ野球選手(投手)。 愛知県立挙母高等学校から1952年名古屋ドラゴンズに入団。10月5日の対松竹ロビンス戦(中日球場)で初登板完封勝利を挙げるが、これが唯一の勝利となった。1955年限りで引退。シュートが武器だった。
久保山 和夫(くぼやま かずお、1933年10月20日 - … 久保山 和夫(くぼやま かずお、1933年10月20日 - )は、佐賀県出身のプロ野球審判員。 佐賀県立鳥栖工業高等学校卒業後、立命館大学に入学。大学卒業後にパ・リーグ審判部に入局し、3000試合出場を達成するなど長らく活躍、1995年まで現役をつとめた。審判員袖番号は8(1977年初採用から1995年引退まで、8は1997年以降栁田昌夫がつけている)。日本シリーズ3回、オールスター6回出場しており、1970年代から1980年代を代表する名審判であった。 通算試合出場数は3190試合。 プロ野球を離れてからは少年野球の審判指導などで活躍。京都府K-Ball少年野球連盟の理事(審判部長)も務めた。
大原 博志(おおはら ひろし、1933年10月19日 - )… 大原 博志(おおはら ひろし、1933年10月19日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。 伊都高校から1952年に大阪タイガースへ入団。
中井 明孝(なかい あきたか、1933年10月19日 - 2… 中井 明孝(なかい あきたか、1933年10月19日 - 2025年12月30日)は、日本の経営者。古河機械金属社長、会長を務めた。 東京都出身。1957年に東京大学法学部を卒業し、同年に古河鉱業(のちの古河機械金属)に入社。1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1996年6月に副社長に就任し、1997年6月には社長に昇格。2001年6月に会長に就任し、2003年6月には顧問に就任。 2001年11月に藍綬褒章を受章。 2025年12月30日、老衰のため死去した。92歳没。
中村 光男(なかむら みつお、1933年10月19日 - )… 中村 光男(なかむら みつお、1933年10月19日 - )は、日本の文化人類学者、千葉大学名誉教授。東南アジアのイスラーム、特にインドネシアのイスラーム社会運動の研究者として国際的にも著名。 旧関東州大連市生まれ。父中村繁次は満州電業技師、のち北満支社長、戦犯としてソ連に抑留、20年の重労働刑、1955年帰国後、キリスト教牧師となる。家族は敗戦後1947年まで、中国東北部長春市で過ごした。1947年8月東京に引き揚げ。 1949年東京都立国立中学校卒業、1952年東京都立新宿高等学校卒業を経て、同年、東京大学入学。中学・高校時代より、青年共産同盟(青共)に加入、わだつみ会、反戦学生同盟で活動。
石井 茂雄(いしい しげお、1933年10月19日 - 19… 石井 茂雄(いしい しげお、1933年10月19日 - 1962年2月8日)は、日本の画家。東京都文京区出身。オノ・ヨーコは従姉。 1950年に文化学院を卒業。 第28回日本版画協会展(東京都美術館)にて「タレントたちA、B」が協会賞を受賞。会友となった。 主な作品に「暴力シリーズ」、「戒厳状態シリーズ」などがある。 持病の喘息が悪化し、1962年に28歳で夭折した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
水谷 研治(みずたに けんじ、1933年10月18日 - )… 水谷 研治(みずたに けんじ、1933年10月18日 - )は、日本の経済学者。経済評論家。経済学博士(名古屋大学)、中京大学名誉教授。「日本経済の分析と展望」などを研究テーマとしてテレビ、ラジオへの出演多数。愛知県名古屋市出身。兄は名古屋大学名誉教授の水谷伸治郎。
須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 201… 須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 2017年1月2日)は、日本の映画監督、脚本家、映画評論家、思想評論家。 ドキュメンタリー映画や思想や生き方についての評論集の著作を数多く輩出している。 大阪府生まれ、幼少期に山口県下関市に移住、戦時中に川棚温泉に疎開後、再び下関市に戻り旧制豊浦中学に入学、学校制度の変更後山口県立豊浦高等学校在学中、新聞部に所属、山口県秋吉台でおこなわれた1泊2日の反戦・平和キャンプ集会に参加、県警警備部刑事の撮影した写真によって参加が学校に明るみに出て、反省文を提出すれば無期停学にするという学校の処分を、何もやましい事がないのに反省文は出せないと拒否し、強制退学となる。
稲吉 靖司(いなよし やすし、1933年10月18日 - )… 稲吉 靖司(いなよし やすし、1933年10月18日 - )は、日本の俳優。旧芸名:稲吉 靖(読みは同じ)。 東京市(現:東京都)中野区野方出身。 明治大学商学部卒業。東京コドモサークル、劇団こけし座、劇団山王、衣笠プロ、東映、三木事務所、天知プロダクション を経て、エヌ・エー・シー、中里事務所 に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
菅野 聖子(かんの せいこ、1933年〈昭和8年〉10月17… 菅野 聖子(かんの せいこ、1933年〈昭和8年〉10月17日 - 1988年〈昭和63年〉6月1日)は、日本の仙台出身の美術家。前衛美術グループ・具体美術協会後期の「第三世代」メンバーとしても知られる。製図用品を用い、細く均一な線の集積によって画面を構築する、繊細で詩的な画風が特徴。 宮城県仙台市大町生まれ。旧姓、相澤。1940年から46年の間、太平洋戦争の影響で転居を繰り返す。尚絅女学院高等学部在学中から絵画を学び始め、1954年、福島大学学芸学部図工科に入学。1956年卒業後は仙台に戻り、石巻服飾技芸専門学校に入学。当時尚絅女学院短期大学教授で〈水彩聯盟〉会員であった海老原省象の美術教室に通い、色面構成による叙情的な抽象画で「水彩聯盟展」や「創元会展」に初入選。
奥田 博之(おくだ ひろゆき、1933年10月16日 - )… 奥田 博之(おくだ ひろゆき、1933年10月16日 - )は、フリーアナウンサーで、元ラジオ神戸(現在のラジオ関西)アナウンサー。 京都府京都市出身。同志社大学法学部時代は放送部に所属。大学在学中(採用決定後)からラジオ神戸で仕事をしていたという。 卒業後の1958年(昭和33年)にラジオ神戸に入社。ラジオ関西時代は、「電話リクエスト」でマリア・リグレステイ、「ラジオ関西のナマナマ大放送」では笑福亭鶴光と担当するなど看板アナウンサーとなり、また、阪神タイガース戦をメインにプロ野球中継も担当、日本シリーズ中継ではラジオ関東(現在のラジオ日本)でもその放送は流れた。 1979(昭和54)年頃ラジオ関西を退職しフリーアナとなり、読売テレビ「2時のワイドショー」やサンテレビ「サンテレビボックス席」の中継で活躍した。
小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )… 小沢 重光(おざわ しげみつ、1933年10月15日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
飯尾 為男(いいお ためお、1933年10月15日 - )は… 飯尾 為男(いいお ためお、1933年10月15日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
私市 保彦(きさいち やすひこ、1933年10月14日 - … 私市 保彦(きさいち やすひこ、1933年10月14日 - )は、日本のフランス文学・比較文学者、武蔵大学名誉教授。 バルザックやジュール・ヴェルヌを中心とするフランス文学研究と、フランス文学を基礎に、幻想文学、児童文学の分野での比較文学的研究を行う。そのかたわら、創作活動も行う。 東京の阿佐ヶ谷生まれ。戦争中に長野県諏訪郡富士見村に個人疎開、1946年長野県立諏訪中学入学、1947年千葉県立船橋中学に転校、1952年県立船橋高校卒業、1956年東京大学文学部仏文科卒業、61年同大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻修士課程修了。 1961年和洋女子大学専任講師。1968年武蔵大学助教授、のち教授。
豊田 博(とよだ ひろし、1933年10月14日 - )は日… 豊田 博(とよだ ひろし、1933年10月14日 - )は日本の体育学者。 山口県出身。山口県立光高等学校から1957年に日本体育大学を卒業。東京大学教養学部助手、講師を経て同学部助教授。のちに千葉大学教養学部に転じ同学部教授。退官後は名誉教授。 学生時代はバレーボール選手で、教員となったのちもバレーボール選手の体力面における科学的な研究や指導方法の研究を行い、1964年の東京オリンピックでは強化コーチを務めた。発表した書籍、論文多数。 バレーボール球界では、日本バレーボール協会常任理事、専務理事を歴任。国際バレーボール連盟の副会長、技術コーチ委員長、公認コーチ指導委員なども歴任した。その著書「ジュニアバレー・コーチングマニュアル」の推薦のことばとして、日本小学生バレーボール連盟会長は「日本の小学生・中学生バレーの育ての親」と最大級の賛辞を送っている。
稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。
稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。 知事時代の功績には、2000年に開催された九州・沖縄サミットの誘致と二千円札(弐千円券)の発行、沖縄都市モノレール線の開通などがある。 防衛官僚の守屋武昌は普天間基地移設問題の早期決着を目指していたが、2005年の日米合意2日後に反対を表明した稲嶺知事(当時)から「守屋さん、沖縄では大きな仕事は20年かかるんですよ。新石垣空港だってそうでしょう。
及川 和男(おいかわ かずお、1933年10月13日 - 2… 及川 和男(おいかわ かずお、1933年10月13日 - 2019年3月10日)は、日本の作家。小説、ノンフィクション、児童文学など幅広く活動した。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本児童文学者協会、島崎藤村学会会員。一関市立一関図書館名誉館長。 東京府(現・東京都)池袋に生まれ、豊島区立池袋第五小学校入学後、本郷区立駒本国民学校に転校。1945年(昭和20年)の東京大空襲の後に福島県南会津郡檜原村へ疎開。その後、岩手県内を転々とし、1946年(昭和21年)12月から父の郷里である一関市に住むようになる。1949年、一関市立一関中学校卒業。 1952年、岩手県立一関第一高等学校普通科を卒業後、岩手殖産銀行(現:岩手銀行)に入行、銀行員として勤務の傍ら小説を書く。
光田 寧(みつた やすし、1933年10月13日 - 199… 光田 寧(みつた やすし、1933年10月13日 - 1999年3月25日)は、日本の気象学者。超音波風速温度計の開発で有名。「気団変質実験計画 (AMTEX)」や「黒河流域における地空相互作用に関する日中共同研究 (HEIFE)」、標準計画台風の概念の導入で知られる。京都大学名誉教授。腎臓障害で週3回の人工透析を19年余り続けながら研究を推進した。叙正四位、勲三等旭日中綬章受章。
目良 浩一(めら こういち、1933年10月13日 - 20… 目良 浩一(めら こういち、1933年10月13日 - 2019年12月17日)は、日本出身の都市研究者。社会工学者。都市経済工学者。交通工学者。南カリフォルニア大学名誉教授。ウィラメット大学経営大学院客員教授など。歴史の真実を求める世界連合会創設者・初代代表。福岡県出身。 朝鮮京城府生まれ。福岡県立伝習館高等学校から、東京大学に進学。1957年、東京大学工学部建築学科卒業時は総代。卒業設計を手伝いにきていた女性と結婚。大学卒業後は同大学大学院建築学専攻修士課程に進学し、丹下健三に師事。建築家志望であったが、1959年、同大学院修士課程修了後、博士課程進学の直後、フルブライト留学生として都市計画・都市経済学分野を修めるべく渡米し、プリンストン大学建築学部大学院都市計画学専攻修士課程に進学。
石川 克彦(いしかわ かつひこ、1933年10月13日 - … 石川 克彦(いしかわ かつひこ、1933年10月13日 - )は、愛知県丹羽郡扶桑町出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
中野 克彦(なかの かつひこ、1933年10月13日 - )… 中野 克彦(なかの かつひこ、1933年10月13日 - )は、日本の経営者。日本ゼオン社長、会長を務めた。 東京都出身。1956年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年4月に日本ゼオンに入社。1981年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月には社長に就任。2003年6月に会長に就任し、2007年6月から相談役を務めた。 2009年11月に旭日中綬章を受章。