綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不… 綿貫 惣司(わたぬき そうじ、1915年4月6日 - 没年不明)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(内野手)。 川越中学出身。1931年に第8回選抜野球大会へ3番ファーストとして出場したがチームは初戦で杉浦清、野口明らがいた中京商業に0-11で敗れた。卒業後に立教大学へ進学し、景浦將と共にクリーンナップを打つなど活躍した。 1936年に大学を中退して東京セネタースへ入団。1938年に応召。 戦後はノンプロの豊岡物産で監督兼選手として都市対抗野球大会に出場し、日本球界初の天覧試合にも出場している。 1950年から1953年まで、富士製鐵室蘭の監督を務めた。
亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 19… 亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 - 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)初代会長。 代表作にフジテレビジョンの旧シンボルマーク(8マーク)や日本電信電話(NTT)のマーク(ダイナミックループ)、TDKおよびニコンFのロゴマーク、1964年東京オリンピックのポスター、サンケイアトムズ、ヤクルトスワローズのユニフォームがある。 没後、亀倉雄策の遺族の寄付により、亀倉の業績を讃えるとともにグラフィックデザインのさらなる発展をめざして亀倉雄策賞が設けられている。
黒丸 正四郎(くろまる しょうしろう、1915年4月6日 -… 黒丸 正四郎(くろまる しょうしろう、1915年4月6日 - 2003年11月6日)は、日本の医学者、精神科医。神戸大学名誉教授。 鹿児島県出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1935年第七高等学校造士館 (旧制)卒業。京都帝国大学医学部卒。1948年医学博士。大阪市立大学医学部助教授、神戸医科大学助教授、1959年同教授、1966年神戸大学教授、1980年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、1986年退任。精神神経科学。 1988年、勲三等旭日中綬章を受章。2003年11月6日、肺炎のため死去。
尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6… 尚 明(しょう あきら、1915年4月5日 - 1991年6月11日)は、日本の官僚。元日本住宅公団副総裁。 琉球王国最後の国王・尚泰王の六男・尚光の息子として東京都に生まれる。1933年旧制武蔵高等学校卒業後、1938年に東京帝国大学を卒業し、大蔵省営繕管財局へ入省。1964年、建設省住宅局長を経て、1966年には日本住宅公団理事となり、1971年には日本住宅公団の副総裁に就任。その後も日本住宅リフォームセンター(現在の住宅リフォーム・紛争処理支援センター)初代理事長をはじめ住宅産業情報サービス、性能保証住宅登録機構などの理事長を務めた。 また、日本におけるダイニングキッチンの発明者としても知られている。
岡部 健二(おかべ けんじ、1915年(大正4年)4月5日 … 岡部 健二(おかべ けんじ、1915年(大正4年)4月5日 - 没年不詳)は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。 操練38期。最終階級は少尉。 福岡県福岡市出身。旧制修猷館中学卒業後、海兵団に入団。搭乗員を志し、1937年(昭和12年)3月10日、操縦練習生となる。同期生に坂井三郎(首席)。 同年11月30日、操縦練習生課程を修了し、佐伯海軍航空隊に配属された。その後大村海軍航空隊を経て、昭和13年7月にいよいよ戦線を担う第十二航空隊に配属、中国大陸で任務に就いたものの、空戦の機会にあいまみえることはなかった。 翔鶴飛行機隊に転属して間もなく太平洋戦争開戦を迎え、ハワイ・真珠湾攻撃で母艦直衛任務を実施。
斎藤 光(さいとう ひかる、1915年4月5日 - 2010… 斎藤 光(さいとう ひかる、1915年4月5日 - 2010年7月11日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 英文学者斎藤勇の長男として東京府に生まれる。 1939年、東京帝国大学英文科卒業、1940年、東北帝国大学副手、1941年、第四高等学校教授、1946年、第一高等学校教授、1950年、東京大学教養学部助教授、のち教授を務める。1976年、定年退官後は日本大学教授、明星大学教授を歴任、1990年から1997年まで自由学園理事長を務める。 1991年、勲三等旭日中綬章受章。 2010年7月11日、肺炎のため死去。95歳没。墓所は多磨霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長尾 良(ながお はじめ、1915年4月5日 - 1972年… 長尾 良(ながお はじめ、1915年4月5日 - 1972年3月29日)は、日本の作家。 兵庫県飾磨郡(現:姫路市)家島町真浦出身。東京帝国大学文学部卒。平林英子・中谷孝雄に師事、『コギト』同人として小説を書く。 太宰治らと親しく、檀一雄の異父妹の高岩忍と結婚。 また、出版社「ぐろりあ・そさえて」の編集者としても働いていた。同社は播磨の大地主で貴族院議員の伊藤長次郎の弟・伊藤長蔵が設立した出版社で、小説や歌集、評論を多く出していた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
江口 行男(えぐち ゆきお、1915年4月4日 - 没年不明… 江口 行男(えぐち ゆきお、1915年4月4日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは一塁手、二塁手。
岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4… 岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4月3日 - 2012年(平成24年)11月28日)は歌人。 兵庫県神戸市生まれ。神戸尋常小学校、関西学院中等部を経て、熊本薬学専門学校(現熊本大学薬学部)卒業。 1937年(昭和12年)、山下陸奥の歌誌「一路」入会。1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)にかけて、作歌を中断。1947年(昭和22年)、上京し国立習志野病院の薬局長として勤務。1948年(昭和23年)、「一路」を退会し、山形義雄、芝山永治らと「工人」を創刊。1950年(昭和25年)、金子一秋、葛原繁、三木あや、山崎一郎らとともに「泥の会」の活動を開始。1954年(昭和29年)、山崎方代らと同人誌「黄」を創刊。
飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年〈大正4年〉4月2… 飛鳥田 一雄(あすかた いちを、1915年〈大正4年〉4月2日 - 1990年〈平成2年〉10月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、横浜市長(4期)、日本社会党委員長を歴任した。 横浜市滝頭町出身。厚木市の旧家で医師の家に生まれる。 父は弁護士で横浜市会議長・高松高検検事長を務めた飛鳥田喜一。5歳の頃に小児麻痺にかかり、左足が不自由となった。これを機に、名の読みを「かずお」から「いちを」に改める。障碍を理由に入学を反対する教員を長野正義(のち飛鳥田夫婦の仲人。横須賀市教育長を経て横須賀市長)らの教員が説得して入学できた神奈川県立横浜第一中学校(現・神奈川県立希望ヶ丘高等学校)を経て、旧制水戸高等学校(現・茨城大学)を受験するが、左足の障害を理由に不合格とされた。
直井 潔(なおい きよし、1915年4月1日 - 1997年… 直井 潔(なおい きよし、1915年4月1日 - 1997年11月23日)は日本の小説家。 広島県広島市に生れ、兵庫県滝川中学卒業後は区役所に勤める。応召により中国戦線に出征して病を得、本土に送還のうえ入院する。全身が「石地蔵のように」硬直する奇病で、現地の風土病に罹患したらしい。以降身体の自由を欠き、寝たきりの生活となって、老母の看護を受けながら療養を余儀なくされる。 病床でつれづれのあまり手に取った『暗夜行路』に感激し、これを暗唱するまで読みこみ、著者志賀直哉に師事せんことを願う。文通によって志賀もその境遇に同情し、読書をはげましながらしきりと小説の執筆をすすめたが、1943年小説『清流』の原稿が手元に送られるに至ってその出来栄えを称揚し、これが直井の文壇へのデビューとなった。
鈴木 鶴雄(すずき つるお、1915年4月1日 - 没年不明… 鈴木 鶴雄(すずき つるお、1915年4月1日 - 没年不明)は、和歌山県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、一塁手、外野手。
宮本 順三(みやもと じゅんぞう、1915年4月1日 - 2… 宮本 順三(みやもと じゅんぞう、1915年4月1日 - 2004年1月13日)は玩具デザイナー。 1915年大阪府に生まれる。生まれた時の名前は村田順三だった。父の村田兼吉は呉服屋の経営者であるとともに羽織裏の友禅デザイナーでもあった。母が病弱だったことから生まれてすぐに親戚の宮本甲造の養子になった。幼少時から玩具と絵に興味を示していた。彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)に進学し美術部を創部して自身の名前をもじったZUNZOの号を使用した。部活動の他に中之島洋画研究所で学んだ。昭和東北大凶作を憂いて募金集めに絵画即売会を彦根土橋町(現・彦根市銀座町)のマルビシ百貨店で開催したこともある。
吉田 富穂(よしだ とみほ、1915年(大正4年)4月1日 … 吉田 富穂(よしだ とみほ、1915年(大正4年)4月1日 - 1991年(平成3年)12月7日)は、日本の農学者。農学博士(北海道大学)。元専修大学北海道短期大学学長。岩手県水沢市生まれ。1989年勲三等旭日中綬章。 農業機械開発研究の権威で、山田忍の後輩にあたる。同氏に引き続き専修大学北海道短期大学の発展に尽力。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岡田 一男(おかだ かずお、1915年3月31日 - 200… 岡田 一男(おかだ かずお、1915年3月31日 - 2009年3月7日)は、日本の歴史学者。日本文化大学名誉教授。宮本武蔵の研究家として関連著書がある。茨城県出身。剣道教士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
守屋 美都雄(もりや みつお、1915年(大正4年)3月31… 守屋 美都雄(もりや みつお、1915年(大正4年)3月31日 - 1966年(昭和41年)7月10日)は、日本の東洋史学者。 東京出身。旧姓・吉川。1938年東京帝国大学文学部東洋史学科卒。東洋大学教授、1951年大阪大学文学部助教授、57年教授。1962年「中国古歳時記の研究 資料復元を中心として」で阪大文学博士。中国古代史、家族制度を研究した。在任中に51歳で死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日 - 2… 市原 松平(いちはら まつへい、1915年3月30日 - 2001年4月11日)は、日本の土木工学者。京都帝国大学工学部卒業。名古屋大学名誉教授。土木学会名誉会員。地盤工学会名誉会員。土圧・間隙水圧の計測方法に関する研究を行い多面土圧計などの計測機器を開発。特に土圧研究の分野で多くの業績を上げた。勲二等瑞宝章受章。 1915年(大正4年)、現在の千葉県佐倉市に生まれる。旧制千葉県立佐倉中学校(現:千葉県立佐倉高等学校)、旧制大阪高等学校(現:大阪大学一般教養部)を卒業。 1941年(昭和16年)12月、京都帝国大学工学部土木工学科卒業。内務省国土局に採用される。 1942年(昭和17年)2月、近衛工兵連隊に現役兵として入隊。
丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 198… 丸山 豊(まるやま ゆたか、1915年3月30日 - 1989年8月8日)は、日本の医師、詩人。現代日本における代表的な詩人の一人。 福岡県八女郡広川町出身。福岡県中学明善校在学中より野田宇太郎らと同人誌「日時計」を発行。1932年第一早稲田高等学院に進学するも中退し、父と同じく医学を志して、1937年九州医学専門学校卒業。 1941年以降、軍医として中国、フィリピン、ビルマを転戦した。復員後の1946年、久留米市にて豊泉会丸山病院を開業。医師として働く傍ら詩作を行う。1947年、安西均、野田宇太郎らと詩誌「母音」を創刊。谷川雁、川崎洋、有田忠郎ら九州の詩人たちが参加した。1966年、福岡県詩人会を設立して代表幹事に就く。
難波 春水(なんば しゅんすい、1915年3月30日 - 1… 難波 春水(なんば しゅんすい、1915年3月30日 - 1947年10月)は、昭和時代前期日本の作詞家。別名義に芳賀 武(はが たけし)がある。 1915年(大正4年)、鹿児島県川辺郡知覧村(現在の南九州市)に生まれる。村立知覧小学校高等科を卒業後、県立薩南工業学校建築科を経て大阪高等工業学校を卒業した。 帰郷後の1940年(昭和15年)、華北交通が懸賞募集した社歌で一等入選。1942年(昭和17年)には鹿児島日報(南日本新聞の前身紙)が真珠湾攻撃で戦死した横山正治を顕彰する歌の選定を企画し、懸賞募集を行った「あゝ軍神横山少佐の歌」に「芳賀武」名義で入選した。戦後は広島県の「三原市々歌」に本名、大阪府の「高槻市歌」および鹿児島県の「川内市民歌」に「芳賀武」名義で相次いで入選したが、このうち「高槻市歌」の発表演奏が行われたのと同時期の1947年(昭和22年)10月に急逝した。
石川 次夫(いしかわ つぎお、1915年(大正4年)3月30… 石川 次夫(いしかわ つぎお、1915年(大正4年)3月30日 - 1974年(昭和49年)3月28日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(4期)。 茨城県で生まれた。1935年、東京商科大学専門部を卒業。 日立製作所に入社し、多賀工場厚生課長、同勤労課長、同企業課長を歴任。その後、茨城県議会議員に選出され三期務めた。 1958年4月、第28回衆議院議員総選挙で茨城県第二区から日本社会党所属で立候補して当選。その後、第29回、第31回、第32回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算四期務めた。この間、日本社会党政審科学技術政策委員長、同総合エネルギー政策委員会事務局長、同党茨城県連書記長、同委員長、電機労連顧問、日本社会党茨城県本部顧問などを務めた。
佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 … 佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 - 2006年(平成18年)6月17日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1958年)。上智大学名誉教授。文化功労者。また、内閣法制局参事官として日本国憲法の制定作業に携わった。主著『日本国憲法概説』(学陽書房刊)は版を重ねている。京都府京都市出身。宮沢俊義門下。弟子に粕谷友介、向井久了、高野敏樹、吉川和宏、矢島基美、藤本富一、松田聰子、玉巻弘光、前田徹生など。 京都府京都市に生まれる。1931年(昭和6年)4月1日:第二高等学校文科乙類入学。1934年(昭和9年)3月31日:第二高等学校文科乙類卒業。
神田 順治(かんだ じゅんじ、1915年3月29日 - 20… 神田 順治(かんだ じゅんじ、1915年3月29日 - 2005年8月13日)は、元日本野球規則委員会委員長、東京大学運動会硬式野球部監督、東京大学教養学部教授。 1915年(大正4年)、東京・本郷に生まれる。第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)、第八高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学文学部教育学科に入学し、1939年に卒業後は厚生省体力局体育科に嘱託職員として勤務。中国戦線に応召し、南苑飛行場整備班長の陸軍中尉であった。 復員後、東京大学厚生部に勤務し、東京大学運動会主事を経て、東京大学運動会硬式野球部監督、1949年より同大教養学部助教授。プロ野球コミッショナー参与、朝日新聞社運動部嘱託、清和女子短期大学教授などを歴任。
中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1… 中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1992年11月18日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(4期)。総理府総務長官、沖縄開発庁長官、危機管理担当大臣などを務めてきた。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、農林省に入省。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、1941年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業。陸奥に配属。1942年10月、特設巡洋艦りおん丸主計長となりラボールに赴任し、航空用ガソリン輸送に従事。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進む。1944年1月、ラボールで戦傷を受け、同年5月、海軍病院を退院し、海軍省兵備局第3課兼運輸総局船員局に転じて終戦を迎えた。
木藤 才蔵(きどう さいぞう、1915年〈大正4年〉3月29… 木藤 才蔵(きどう さいぞう、1915年〈大正4年〉3月29日 - 2014年〈平成26年〉7月24日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1974年)(学位論文 「連歌史の研究」)。日本女子大学名誉教授。 台湾・台北市生まれ。1939年東京帝国大学文学部国文科卒。佐賀大学助教授、1965年日本女子大学教授。1974年「連歌史の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。同著作で日本学士院賞受賞。1985年日本女子大を定年、名誉教授。中世文学、特に連歌が専門。
浜川 才治郎(濱川、はまかわ さいじろう、1915年〈大正4… 浜川 才治郎(濱川、はまかわ さいじろう、1915年〈大正4年〉3月29日 - 2006年〈平成18年〉8月30日)は、日本の政治家。釜石市長(3期) 。勲四等旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1931年、私立釜石夜間中学校(現・岩手県立釜石高等学校)卒。卒業後は漁業に従事する。1947年から釜石市議会議員を3期務め、1971年、岩手県議会議員に当選し、1期務める。1975年、釜石市長に当選し、市長を3期務める。1987年に落選した。ほかに全国鮭鱒流網漁業組合連合会常務理事、釜石商工会議所会頭などを務めた。2003年に勲四等旭日小綬章を受章。2006年に死去した。
池田 義祐(いけだ よしすけ、1915年 <大正4年> 3月… 池田 義祐(いけだ よしすけ、1915年 <大正4年> 3月28日 - 1992年 <平成4年> 3月28日)は、日本の社会学者。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 福井県坂井郡雄島村出身。旧制福井県立三国中学校卒業。1931年、大谷大学文学部社会学科卒業。1962年、「支配関係の研究」により大谷大学文学博士。 1946年大谷大学文学部講師、49年助教授、1954年京都大学文学部助教授、64年教授、78年定年退官、名誉教授、大谷大学教授。1988年3月退職。同年春の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。1992年3月死去。死没日付をもって正四位に叙された。
西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - … 西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。サクラクレパス社長。西村治兵衛の孫。娘の結婚で皇室と縁続きとなった。 京都府京都市出身。祖父は西村治兵衛、父は1937年にサクラクレパス社長に就任した西村斎次郎。 1939年に神戸商業大学を卒業。大阪ガスでの勤務を経て、1940年8月にサクラクレパス社長に就任した。 1974年10月に藍綬褒章を受章した。 1982年8月29日、肝硬変のために死去。67歳没。
黄 順元(ファン・スンウォン、ファン・スノン、1915年3月… 黄 順元(ファン・スンウォン、ファン・スノン、1915年3月26日 - 2000年9月14日)は韓国の小説家、詩人。淡い同性愛とサディズム、マゾヒズムを抱く「落胆したロマンチスト」を描写する黄の作風は、詩人として出発した抒情的感性から来るのかもしれない。50年代以降、党派文学に対する批判が起こる韓国文壇で、感受性で美学を形象化してきた黄は純文学のひとつの頂きをなしている。 1915年3月26日、平安南道大同郡在京面氷庄里175番地に生まれる。父は黄賛永。母は張賛朋。三人兄弟の長男。1919年、黄が4歳のとき、三・一運動に父が関わり、日帝当局に逮捕される。それは後に『父』を書く土台になった事件である。
木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 20… 木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 2004年11月7日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画美術家、劇作家、演出家、俳優、彫刻家。本名は木俣 三郎(きまた さぶろう)、舞台俳優・映画美術家としては衣 恭介(ころも きょうすけ)、時代劇俳優としては木南 兵介(きなみ へいすけ)、現代劇俳優として鬼塚 大吉(おにつか だいきち)等、多くの別名をもつ。プロダクション鷹・日東テレビ映画の創業者・元代表取締役、ムービーブラザースの共同代表を歴任した。高見順の短篇小説『大部屋の友』の主人公モデル、あるいは世田谷区・豪徳寺の「無名戦士慰霊記念碑」のレリーフ彫刻を手がけた彫塑作家としても知られる。
今野 忠一(こんの ちゅういち、本名:今野 忠市、1915年… 今野 忠一(こんの ちゅういち、本名:今野 忠市、1915年3月26日 - 2006年4月15日)は、山形県天童市出身の日本画家。埼玉県在住。故郷の蔵王や月山を始め、多くの山岳や巨木を題材に、前景から背景まで分厚く塗る重厚な作風で知られた。 1931年南画家の後藤松亭に入門し、松石と号す。1934年高嶋祥光を頼って上京し、児玉希望の門人となり、欣泉と号して写実的な風景画を学ぶ。1940年には新海竹蔵を介して郷倉千靱の草樹社に入塾、忠一と号して花鳥画に取り組む。1940年第27回院展に「菜園」が初入選。 戦後も院展に入選を続け、1954年「晩彩」、1956年「残雪」、1959年「吾妻早春」がいずれも奨励賞を受賞。
渡辺 道子(わたなべ みちこ、1915年3月25日 - 20… 渡辺 道子(わたなべ みちこ、1915年3月25日 - 2010年1月23日)は、東京都出身の元弁護士。戦後初の女性弁護士で第二東京弁護士会に所属した。日本女性法律家協会会長、婦人少年問題審議会会長、中央労働基準審議会公益委員、日本キリスト教女子青年会(日本YWCA)理事長などを務めた。女子学院、東京女子大学、明治大学専門部女子部法科を経て、早稲田大学法学部卒業。 2010年1月23日に肺炎のため死去した。享年94歳。 日本社会党に所属し党婦人局長を務めた渡辺道子は同姓同名の別人である。 1956年(昭和31年)5月11日参議院法務委員会公聴会にて、死刑廃止に賛成する旨の発言を行っている。 1958年(昭和33年)11月4日衆議院地方行政委員会公聴会にて、警察官職務執行法改正案に対して反対する旨の発言を行っている。
千葉 源蔵(ちば げんぞう、1915年(大正4年)3月25日… 千葉 源蔵(ちば げんぞう、1915年(大正4年)3月25日 - 1988年(昭和63年)9月21日)は、日本の実業家。文藝春秋名誉会長、日本雑誌協会・日本雑誌広告協会・出版健康保険組合各理事長を歴任した。
小杉 二郎(こすぎ じろう、1915年(大正4年)3月25日… 小杉 二郎(こすぎ じろう、1915年(大正4年)3月25日 - 1981年(昭和56年)2月17日)は、日本のインダストリアルデザイナー。東洋工業(現在のマツダ)の乗用車やトラック、新三菱重工業(現在の三菱重工業)のスクーター、蛇の目ミシン工業のミシンなどのデザインを手がけ、日本のインダストリアルデザイナー第一世代を代表する人物として知られる。没後38年を経た2019年(令和元年)11月、日本自動車殿堂の2019年度の殿堂者に選出された。 父は洋画家の小杉放庵、兄は美術史学者の小杉一雄、甥には洋画家の小杉小二郎(一雄の子)がいる。 1915年(大正4年)、東京市滝野川区にて洋画家である父・小杉放庵(国太郎)と母・ハルの二男として生まれる。
笹崎 僙(ささざき たけし、1915年3月25日 - 199… 笹崎 僙(ささざき たけし、1915年3月25日 - 1996年8月7日)は、日本のプロボクサー。北海道空知郡歌志内町(現歌志内市)出身。 戦前、戦後にピストン堀口恒男のライバルとして活躍した昭和初期における日本を代表するボクサーの一人。その鋭いストレートから「槍の笹崎」の異名で呼ばれた。戦後の初代日本ライト級チャンピオン。通算戦績115戦72勝(26KO)28敗11分3EX無判定。引き分けを挟まない26連勝の記録を保持。試合数115戦は日本歴代8位。 1941年に両国国技館で行われた堀口戦は元同門という因縁や、笹崎の公開挑戦状に対し堀口が応戦し、舌戦を繰り広げたことなどにより大きな話題を呼び、「世紀の一戦」と謳われ日本ボクシング界では伝説の試合として語り草となっている。
関戸 力(せきど つとむ、後に矢崎姓、1915年3月25日 … 関戸 力(せきど つとむ、後に矢崎姓、1915年3月25日 - 1987年11月23日)は、北海道小樽市出身のノルディック複合、クロスカントリースキー選手。 旧制小樽商業学校 → 札幌鉄道管理局(現・JR北海道鉄道事業本部) 小樽商業時代の1933年、第11回全日本スキー選手権大会のノルディック複合個人とクロスカントリースキー個人長距離(18km)の少年の部で優勝。卒業後札幌鉄道管理局に入り、1935年の全日本スキー選手権大会のノルディック複合とクロスカントリースキー個人長距離(17km)の成年の部でともに2位となり、翌1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックの代表に選出される。同オリンピックのノルディック複合個人では35位、クロスカントリースキー個人長距離(18km)では55位、4x10kmリレーで12位だった。
帖佐 美行(ちょうさ よしゆき、1915年〈大正4年〉3月2… 帖佐 美行(ちょうさ よしゆき、1915年〈大正4年〉3月25日 - 2002年〈平成14年〉9月10日)は、彫金家、文化勲章受章者。鹿児島市立美術館顧問 鹿児島県薩摩郡宮之城町(さつま町)生まれ、出身。本名・良行。小学校卒業後、兄を頼って13歳で上京。1930年小林照雲に師事、1940年海野清に師事する。1942年第5回新文展で初入選、1954年の第4回と1955年の第5回の日展で連続して特選、1962年の第5回(民営化後)日展で文部科学大臣賞、1965年第8回日展で日本芸術院賞を受賞。 1957年日展審査員。1958年日本金工作家協会結成に参加、日展評議員、1962年現代工藝美術家協会結成に参加、1969年日展理事、1974年日本芸術院会員、1975年日展常務理事、1978年日本新工芸美術家連盟を結成。
石原田 愿(いしはらだ すなお、1915年(大正4年)3月2… 石原田 愿(いしはらだ すなお、1915年(大正4年)3月24日 - 1987年(昭和62年)3月19日)は、昭和時代の競泳選手。 鹿児島県姶良郡福山村(福山町を経て現霧島市)に生まれる。旧制福山中学校(現 鹿児島県立福山高等学校)出身。 明治大学在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに競泳日本代表として男子1500m自由形に出場し4位に入賞した。つづく1936年ベルリンオリンピックでは前大会と同じく男子1500m自由形に出場し4位に入賞した。
渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日… 渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日 - 2005年(平成17年)10月4日)は、日本の政治家、経済学者。日本共産党参議院議員。 静岡県沼津市出身。1941年(昭和16年)九州帝国大学法文学部経済学科を卒業する。福岡経済専門学校(後の福岡大学)教授を務めた後、1946年(昭和21年)日本共産党に入党。党中央委員、中央委員会経済調査部長、経済政策委員会責任者などを歴任。 1968年(昭和43年)第8回参議院議員通常選挙で全国区から立候補し当選する。当選回数2回。党参議院国会対策委員長などを務めた。 2005年(平成17年)10月4日多臓器不全のため死去。90歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
玉上 琢弥(たまがみ たくや、1915年3月24日 - 19… 玉上 琢弥(たまがみ たくや、1915年3月24日 - 1996年8月30日)は、日本の国文学者。谷崎潤一郎の『源氏物語』現代語訳の監修者であり、自身も『源氏物語』の現代語訳を完成させた。学位は、文学博士(京都大学)。大阪女子大学名誉教授。 東京生まれ。旧制浪速高等学校卒業後、京都帝国大学国文科で、澤瀉久孝の教えを受ける。京都帝国大学国文科卒業。1939年、同大学院在学中、『源氏物語』現代語訳を完成した谷崎潤一郎が京大国文科の招きで話をした時に連なっていた。戦後、京大国文科助手を務めていた1951年から、谷崎の新訳の手伝いをし、事実上の監修者となった。その時期すでに「源氏物語音読論」を書いており、後の谷崎版の新々訳が「ですます」体になったのは、玉上の影響ではないかと言われている。
染谷 勲(そめや いさお、1915年〈大正4年〉3月23日 … 染谷 勲(そめや いさお、1915年〈大正4年〉3月23日 - 2007年〈平成19年〉12月31日)は、日本の電気工学者であり、無線通信分野の先駆者。 東京帝国大学工学部電気工学科卒業後、逓信省電気通信研究所で無線通信の開発実用化研究に従事した。 戦後、電電公社が新超多重回線を建設する際マイクロ波多重通信方式の実用化研究の責任者を務める、国際無線通信諮問委員会(現・国際電気通信連合無線通信部門)のカラーテレビジョン伝送に関する規格設定に参加するなど、無線通信技術実用化の牽引役となった。その後日本電気に移り通信技術の発展に尽力した。 情報理論分野で重要とされている標本化定理を、クロード・シャノンとは独立に証明した。
田中 康三(たなか やすぞう、1915年3月22日 - 19… 田中 康三(たなか やすぞう、1915年3月22日 - 1989年6月18日)は、日本の騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、調教師(日本中央競馬会)。 第二次世界大戦前後の時期に花形騎手として名を馳せ、1941年秋の帝室御賞典や、戦後最初のダービー開催となった1947年の東京優駿などに優勝した。しかし1949年に自身が引き起こしたミナトクヰン事件を境に斜陽となり、1955年に調教師に転身。1989年に勇退するまで、それぞれ宝塚記念に優勝したエイトクラウン、ナオキ母子などを手掛けた。 1915年、東京府南多摩郡忠生村(現:東京都町田市)に生まれる。尋常小学校卒業後、1933年9月に東京競馬場の北郷五郎厩舎に騎手見習いとして入門した。
松平 永芳(まつだいら ながよし、1915年〈大正4年〉3月… 松平 永芳(まつだいら ながよし、1915年〈大正4年〉3月21日 - 2005年〈平成17年〉7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官、神職。靖国神社第6代宮司(1978年 - 1992年)時代には、A級戦犯の合祀を実施したことで知られる。 二女武子の婿は17代目住友吉右衛門である。 東京に生まれる。祖父は松平春嶽。父は春嶽の長男・松平慶民(子爵、宮内大臣、戦後は宮内府長官)。母幸子は男爵新田忠純の四女。妻充子は侍従武官・侯爵醍醐忠重(海軍中将)の二女。また、尾張徳川家を継いだ侯爵徳川義親(靖国会初代会長)は叔父に当たる。 暁星中学校を卒業。1937年(昭和12年)海軍機関学校(第45期)を経て、1944年(昭和19年)10月、海軍少佐・正五位に至る。
杉山 尚(すぎやま たかし、1915年3月21日 - 200… 杉山 尚(すぎやま たかし、1915年3月21日 - 2004年4月20日)は、日本の内科学者。専門は温泉医学、リハビリテーション、消化器病学。医学博士 宮城県仙台市生まれ。 1939年、東北帝国大学医学部卒業後、同医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。医学博士(東北大学)、論文「各種胃疾患の胃曲線に関する研究」。1948年、同内科助教授。1955年、東北大学医学部附属温泉医学研究実験所教授・附属鳴子分院院長。日本温泉物理医学会、日本温泉科学会、日本リウマチ学会、宮城県温泉審議会、日本リハビリテーション医学会などの会長を歴任。1987年、勲三等旭日中綬章受章。2004年(平成16年)逝去、享年89。
上関 敏夫(かみぜき としお、1915年3月20日 - 20… 上関 敏夫(かみぜき としお、1915年3月20日 - 2003年8月21日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 北海道出身。1946年に北海道庁立釧路中学校を卒業し、同年に北海タイムス社に入社。1942年に統合により、北海道新聞社に転じ、1964年12月に取締役に就任し、1966年に常務を経て、1968年に社長に就任。1979年1月に会長に就任し、1981年には相談役に就任。 1986年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2003年8月21日脳梗塞のために死去。88歳没。
伊藤 通弘(いとう みちひろ、1915年〈大正4年〉3月20… 伊藤 通弘(いとう みちひろ、1915年〈大正4年〉3月20日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 慶應義塾大学経済学部卒業。1936年ベルリンオリンピックで男子トーナメントに出場した。慶應義塾からは伊藤のほか、上野安夫、柳武彦、浜田駿吉が参加している。 伊藤赳夫 | 伊藤通弘 | 上野安夫 | 大津敏雄 | 菊池信 | 倉内大次 | 酒井義雄 | 杉山益男 | 武知治 | 田中昇 | 浜田駿吉 | 村岡敏 | 柳武彦 | 脇坂貞夫 | 監督: 石川周策 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
中川 平太夫(なかがわ へいだゆう、1915年3月18日 -… 中川 平太夫(なかがわ へいだゆう、1915年3月18日 - 1987年6月14日)は、公選第4代福井県知事(任期は1967年4月23日 - 1987年4月22日、5期)。福井県遠敷郡野木村(のちの遠敷郡上中町、現在の三方上中郡若狭町)出身。若狭町名誉町民(1983年11月3日、当時の遠敷郡上中町より称号贈呈)。息子は元福井県議会議長の中川平一。
土方 武(ひじかた たけし、1915年(大正4年)3月18日… 土方 武(ひじかた たけし、1915年(大正4年)3月18日 - 2008年(平成20年)10月15日)は日本の実業家、元住友化学工業社長・会長。元日本たばこ産業会長。元経済団体連合会副会長。岐阜県岐阜市出身。
鈴木 新夫(すずき あらお、1915年3月17日 - 198… 鈴木 新夫(すずき あらお、1915年3月17日 - 1980年5月10日)は、日本の洋画家。主に具象画の制作を行った。
八田 亭二(はった こうじ、1915年3月17日 - 199… 八田 亭二(はった こうじ、1915年3月17日 - 1994年)は、日本の教育者。父は元旧制新潟高等学校初代校長の八田三喜。兄は演出家の八田元夫。 東京出身。東京帝国大学大学院理学部動物学科卒業。
小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年〈大正4年〉3月1… 小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年〈大正4年〉3月16日 - 1997年〈平成9年〉7月26日)は、日本の数学者。東京大学名誉教授。学位は理学博士(東京大学・1949年)。 東京帝国大学理学部数学科卒。同大学で博士号取得。日本人初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者となった。 農政官僚だった小平権一の長男として東京に生まれる。東京府立第五中学(現:東京都立小石川中等教育学校)、第一高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学理学部数学科および物理学科卒。東京大学理学博士(1949年)。 フィールズ賞を1954年に日本人として初めて受賞(調和積分論、二次元代数多様体(代数曲面)の分類などによる)。