茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、192… 茨木 のり子(いばらぎ のりこ、本姓・三浦(みうら)、1926年(大正15年)6月12日 - 2006年(平成18年)2月17日)は、日本の詩人、随筆・童話・脚本も執筆。 主な詩集に、『見えない配達夫』(1958年)、『鎮魂歌』(1965年)、『自分の感受性くらい』(1977年)、『倚(よ)りかからず』(1999年)など。 大阪回生病院で、宮崎洪(ひろし)、勝の長女として生まれる。1937年12月、のり子が11歳の時に、母、勝が結核で死去。。 1939年、愛知県立西尾高等女学校(現・西尾高等学校)入学。卒業後上京し、帝国女子医学・薬学・理学専門学校(現・東邦大学)薬学部に入学する。19歳の時に終戦を迎え、1946年に同校を繰り上げ卒業。
小暮 智一(こぐれ ともかず、1926年6月10日 - 20… 小暮 智一(こぐれ ともかず、1926年6月10日 - 2025年5月22日)は、日本の天文学者。専門は天体物理学、天体分光学。京都大学名誉教授。美星天文台名誉台長。第35代日本天文学会理事長。群馬県桐生市出身。 1926年群馬県桐生市生まれ。父は開業医。9人兄弟。桐生市立昭和尋常高等小学校、旧制・群馬県立桐生中学校、旧制・浦和高等学校(理科甲類)を経て、1950年に京都大学理学部(宇宙物理学専攻)を卒業。数少ない同期の一人に寿岳潤がいた。大学卒業後、大阪市立高校で数学、京都府立高校で地学の高等学校教員を務める。 1961年京都大学理学部助手。1969年茨城大学理学部助教授。1969年茨城大学理学部教授。
佐野 實(さの みのる、1926年6月10日 - 2012年… 佐野 實(さの みのる、1926年6月10日 - 2012年5月8日)は日本の実業家。医療機器・ガラス製品メーカーであるニプロの創業者であった。 山梨県出身。東海科学専門学校(現・東海大学)を経て1954年にニプロの前身である精密機械会社「日本硝子商事」を設立。その後一代で医療機器・医薬品へ進出するなど順調に事業を拡大していき、1992年には東証一部へ上場させるなど経営者として成功を収めた。 ニプロで得た利益を地元・山梨へ還元し、母校である身延高校に対しては室内野球練習場建設の資金を提供、山梨に誕生したプロサッカークラブ・ヴァンフォーレ甲府へはNIPROロゴをユニフォームの胸スポンサーとして掲出し支援を行った。
佐内 正治(さない まさじ、1926年(大正15年)6月9日… 佐内 正治(さない まさじ、1926年(大正15年)6月9日 - 2019年(平成31年)4月24日)は、日本の政治家。山口市長(3期)。 山口県山口市出身。海軍兵学校を経て、敗戦後は山口県庁に入り、企画部長を務める。その後山口市議会議員を務め、山口県産業技術開発機構副理事長に就任する。 1990年の山口市長選に立候補して初当選、3期12年務めた。2002年に引退した。2019年4月24日で死去。92歳没。
筑紫 まり(つくし まり、1926年6月7日 - 1988年… 筑紫 まり(つくし まり、1926年6月7日 - 1988年10月30日)は、元宝塚歌劇団月組トップ娘役の人物である。舞踊家・松原貞夫の妻。六本木で歌える店『まり』を経営した。熊本県人吉市出身。本名は松原淳子。宝塚歌劇団時代の愛称はジュンちゃん。入団時の芸名は相良 智代(さがら ともよ)。 1943年、宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学。 1945年、33期生として、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は13人中4位。 1946年、『カルメン』で初舞台を踏む。 配属組は月、声楽専科、雪の順である。 1959年2月28日付で、宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は雪組公演『秋の踊り (日本の旋律)/戯れに恋はすまじ』である。
平松 一朗(ひらまつ いちろう、1926年〈大正15年〉6月… 平松 一朗(ひらまつ いちろう、1926年〈大正15年〉6月6日 - 2022年〈令和4年〉8月15日)は、日本の実業家。京浜急行電鉄社長、同社会長、横浜新都市センター社長、横浜ポルタ会会長、日本民営鉄道協会会長等を歴任した。位階勲等は従三位旭日大綬章。 東京府品川生まれ。府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校卒業。海軍兵学校同期にノーリツ創業者の太田敏郎、阪急電鉄社長および平松の後任として日本民営鉄道協会会長を務めた小林公平等がいた。1949年(昭和24年)東京工業大学機械工学科卒業。1950年(昭和25年)京浜急行電鉄入社。経理部長等を経て、1981年(昭和56年)取締役に昇格。
牧野 由朗(まきの よしろう、1926年(大正15年)6月6… 牧野 由朗(まきの よしろう、1926年(大正15年)6月6日 - 2016年(平成28年)5月25日)は、日本の社会学者。専門は、地域社会学・農村社会学。愛知大学第12代学長。北京第二外国語学院名誉教授。勲三等旭日中綬章。 入学してから、研究者として定年退職するまで一貫して愛知大学で過ごす。社会学者としては、志摩(三重県)の漁村や渥美(愛知県)の農村を対象に長らく研究をおこなっている。 愛知大学では、短大部長に始まり、文学部長、中国学術委員長、国際交流委員長、評議員、理事、理事長、学長など要職を歴任。この功績から、愛知大学から名誉教授ならびに名誉役員の称号が授与されたほか、愛知大学同窓会からも2012年に「愛知大学の隆昌発展、東亜同文書院大学のよき伝統の継承や同窓会との関係強化に尽力」したことを理由に同窓会創立60周年特別奨励賞が贈られている。
海老原 治善(えびはら はるよし、1926年6月6日 - 2… 海老原 治善(えびはら はるよし、1926年6月6日 - 2005年8月)は、日本の教育学者。 東京出身。東京教育大学卒。国民教育研究所員、関西大学助教授、教授、1983年東京学芸大学教授、1990年定年退官、東海大学教育研究所教授。1997年退職。海後勝雄らの教育史研究会に参加、教育政策史を研究。著作集全8巻がある。
大野 公男(おおの きみお、1926年(大正15年)6月4日… 大野 公男(おおの きみお、1926年(大正15年)6月4日‐ 2017年(平成29年)7月24日)は、日本の化学者。学位は、理学博士(東京大学)。北海道大学名誉教授・北海道情報大学名誉学長。2004年瑞宝中綬章受章。東京都出身。 父の大野龍太は元大蔵次官、弟の大野正男は弁護士で元最高裁判事、長男の大野英男は物理学者で東北大学総長。 専門は量子化学。原子分子の波動関数などの非経験的計算。 『北海道人物・人材リスト 2004 あ-お』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)p390を参照
小田切 茂造(おだぎり しげぞう、1926年6月3日 - )… 小田切 茂造(おだぎり しげぞう、1926年6月3日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手。
土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年〈大正15年〉5月3… 土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年〈大正15年〉5月31日 - 2008年〈平成20年〉10月5日)は、日本の政治家。 参議院議員(5期)、参議院議長(第17・18代)、環境庁長官(第11代)、埼玉県知事(第54・55・56代)、埼玉県議会議員(2期)、自由民主党最高顧問、自由民主党参議院議員会長を歴任した。 土屋家は大工を営んでおり、父・澄男は家業から技術を習得し、内務省技師として茨城県行方郡潮来町(現:潮来市)に赴任していた頃に義彦が生まれた。次弟は昭二(大正製薬会長)、三弟は祐三。 義彦が6歳の時に父が急性肺炎で死去。母・初江は義彦らを残して家を去ったため、義彦と祐三は東京府北豊島郡高田町(現:東京都豊島区高田)で大工を自営していた父方の祖父母である土屋仁作・たつも夫妻に引き取られた。
青木 和夫(あおき かずお、1926年5月31日 - 200… 青木 和夫(あおき かずお、1926年5月31日 - 2009年8月15日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。お茶の水女子大学名誉教授。 1926年、東京生まれ。東京大学文学部国史学科に入学し、石母田正に師事した。 卒業後は、お茶の水女子大学教授として勤務。1989年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は放送大学教授として教鞭をとった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
菊田 昇(きくた のぼる、1926年5月31日 ‐ 1991… 菊田 昇(きくた のぼる、1926年5月31日 ‐ 1991年8月21日)は、日本の産科婦人科医師、医学博士。1970年代に「赤ちゃん斡旋事件」(菊田医師事件)と呼ばれる事件を起こし「実子特例法」を提唱し、現在の特別養子縁組制度の制定に大きな影響を与えた。1991年、世界生命賞を受賞。 宮城県石巻市生まれ。旧制宮城県石巻中学校、東北帝国大学医学部卒業。当初は精神科を志望していたが、最終的には産婦人科を選んだ。大学卒業後は東北大学医学部附属病院などに勤務した。1956年、学位論文「妊娠中毒症眼球結膜血管の顕微鏡撮影による研究」で東北大学より医学博士の学位を取得。市立秋田総合病院産婦人科医長を務めた後、故郷の石巻市で開業。
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月3… 渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月30日 - 2024年〈令和6年〉12月19日)は、日本の新聞記者・実業家。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。「ナベツネ」の通称で知られ、読売関係者の間では「ワタツネ」と呼ばれていた。株式会社読売新聞社社長、読売ジャイアンツの球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長を歴任した。日本のプロ野球界に関連する渡邉の伝説は数知れず、自ら「俺は最後の独裁者だ」と語ったとされ、マスメディアにおいて「野球界の独裁者」または単に「独裁者」と呼ばれていることについては渡邉自身が認めていた。
渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月3… 渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月30日 - )は、日本の新聞記者、実業家。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。勲等は旭日大綬章。「ナベツネ」の通称で知られる。
宮沢 澄也(みやざわ すみや、1926年5月29日 - 没年… 宮沢 澄也(みやざわ すみや、1926年5月29日 - 没年不明)は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2… 岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2005年2月25日)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。大阪府大阪市出身。 1949年京都大学法学部を卒業し、1949年に阪神電気鉄道に入社した。 1976年には球団常務に就任し、1978年から球団代表を務め、1978年のドラフト会議では江川卓、翌年のドラフト会議では岡田彰布の抽選を引き当てた。1985年10月に日本航空123便墜落事故で死去した中埜肇の後継として球団社長に就任した。その年の11月には阪神タイガースは球団初の日本一を果たした。1988年に退任した。 2005年2月25日に心不全ため死去。78歳没。 大学時代には野球部に所属して二塁手として活躍しており、現場に理解がある球団幹部とも言われていた。
田中 益夫(たなか ますお、1926年5月28日 - 200… 田中 益夫(たなか ますお、1926年5月28日 - 2007年5月14日)は、日本の経営者。関西ペイント社長を務めた。 大阪府出身。1957年に京都大学経済学部を卒業し、同年に関西ペイントに入社。1971年5月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月には会長に就任し、1997年6月から相談役を務めた。 1998年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2007年5月14日に肺炎のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
黒岩 澄雄(くろいわ すみお、1926年5月28日 - 20… 黒岩 澄雄(くろいわ すみお、1926年5月28日 - 2014年10月6日)は、日本の植物生態学者。京都大学名誉教授。元愛媛女子短期大学副学長。日本農業気象学会賞受賞。 1953年東京都立大学理学部卒業。1960年東京大学大学院生物系研究科博士課程修了。1961年東京大学理学部助手。1965年京都大学理学部附属植物生態研究施設助教授。1973年京都大学理学部附属植物生態研究施設教授。1975年京都大学理学部附属植物生態研究施設長。京都大学当生態学研究センター設立に尽力し、1990年に定年退官し、京都大学名誉教授の称号を受けた。退官後は、学校法人創志学園理事、学校法人神戸創志学園理事、愛媛女子短期大学副学長を務めた。
泉州山 久義(せんしゅうざん ひさよし、1926年5月28日… 泉州山 久義(せんしゅうざん ひさよし、1926年5月28日 - 没年不明 )は、春日野部屋に所属した元力士。元年寄・14代千田川。本名は川崎 久義(かわさき ひさよし)。現在の大阪府貝塚市出身。身長176cm、体重81kg。最高位は西十両2枚目。得意技は突っ張り、左四つ。 浪速中学在学時に春日野の後援者に見出されて、中退し、1940年5月場所で初土俵を踏んだ。突っ張りを武器に順調に番付を上げ、1946年11月場所東幕下4枚目で5勝2敗で勝ち越し、翌場所の十両昇進を確実にした。しかし、場所後の四国巡業中に南海大地震に遭い、宿舎の2階から転落し肋骨を折る大怪我を負った。1947年6月場所で十両昇進。
古谷 俊夫(ふるや としお、1926年(大正15年)5月27… 古谷 俊夫(ふるや としお、1926年(大正15年)5月27日 - )は、日本の教育者、実業家。一般社団法人高知県食品衛生協会会長、高知県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長、高知県能楽協会第3代会長、特定非営利活動法人板垣会初代会長、海軍高知県海洋会会長、「京大土佐吉田会」会長。勲三等瑞宝章。 自宅が旧土佐藩士・乾和正(内蔵進)邸を改築した旅館兼料亭の朝日軒であり、南隣が旧板垣退助邸であったことから、板垣邸跡に建つ高野寺の庭は、幼少期からの遊び場であった。 高知市立第三尋常小学校(のちの高知市立追手前小学校)在学中の1937年(昭和12年)4月6日、高野寺の谷信讃の発意により板垣を顕彰する「板垣会館」が同寺内に建立された際は、成績優秀(首席)であったため、小学生代表として、来賓・頭山満、板垣退助長女・片岡兵子、退助孫・宮地茂秋ら臨席のもと、祝辞を奉読している。
真木 洋三(まき ようぞう、1926年5月27日 - 200… 真木 洋三(まき ようぞう、1926年5月27日 - 2005年1月16日)は、日本の作家。ジャーナリスト。 福岡県生まれ。本名・石丸守孝。九州大学経済学部卒。民間テレビ放送基幹局営業部長を歴任。 2005年、膵臓癌のため死去、78歳。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
赤尾 嘉文(あかお よしふみ、1926年 <大正15年> 5… 赤尾 嘉文(あかお よしふみ、1926年 <大正15年> 5月27日 - 2019年 <令和元年> 5月25日)は、日本の経営者。山口放送社長、会長を務めた。 山口県出身。1952年に早稲田大学第一文学部を卒業し、1956年2月に山口放送に入社した。 1970年5月に取締役に就任し、1974年5月に常務、1984年6月に専務を経て、1987年6月に第2代社長に就任。2006年6月には会長に就任。この間、テレビ部門のキー局である日本テレビ放送網との関係改善に努めたほか、佐々部清監督作品である『チルソクの夏』の制作に関与するなど、山口放送の発展に尽力した。 2019年5月25日、脳梗塞のために死去。
辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26… 辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26日 - 2008年(平成20年)7月5日)は、日本の実業家。辻兵グループ総帥。日本青年会議所、秋田商工会議所会頭、日本バスケットボール協会会長などを務めた。秋田県秋田市出身。 秋田県屈指の素封家である1856年(安政3年)創業の呉服店「辻兵」に生まれた。辻兵太郎の息子。秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、東京商科大学(現:一橋大学)を卒業後、高島屋飯田(現:丸紅)に入社。 1952年(昭和27年)、五代目兵吉を襲名。以後、辻兵・辻不動産・秋田いすゞ自動車などの辻兵グループ企業のトップを務め、同グループを秋田県下有数の企業グループまでに育てた。
奥野 一雄(おくの かずお、1926年5月26日 - 199… 奥野 一雄(おくの かずお、1926年5月26日 - 1992年2月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期、日本社会党)。 北海道函館市出身。1944年札幌逓信講習所卒。のち、北海道函館商業高等学校で学ぶ。函館郵便局や電電公社函館通信部に勤務し、全電通函館支部を結成して、委員長となる。その後、函館市議や北海道議となる。1979年と1983年の函館市長選挙に立候補したが落選した。1983年の第37回衆議院議員総選挙で北海道3区から日本社会党公認で立候補して当選。以来連続2期務める。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選した。1992年2月17日死去、65歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される。
石田 善人(いしだ よしひと、1926年5月25日 - 19… 石田 善人(いしだ よしひと、1926年5月25日 - 1996年12月4日)は、日本の歴史学者。岡山大学名誉教授。専門は日本中世史。 神戸市生まれ。県立明石中学校(現:兵庫県立明石高等学校)、東京高等師範学校、1952年京都大学文学部卒業。卒業論文は、「畿内の一向一揆に関する一考察」。 1961年神戸大学教育学部講師、1962年同助教授を経て、1970年に岡山大学教養部教授。1992年に定年退官し、神戸女子大学教授。1992年、岡山大学名誉教授。1993年、文化庁地域文化功労者表彰。1996年、兵庫県文化賞受賞。逝去にあたり、正四位・勲三等旭日中綬章を贈られた。 日本中世における惣村の研究を大きく進めた。
安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24… 安藤 昇(あんどう のぼる、1926年(大正15年)5月24日 - 2015年(平成27年)12月16日)は、日本の元ヤクザ、俳優、小説家、歌手、プロデューサー。東京府豊多摩郡(のちに東京市淀橋区)東大久保天神下(現・東京都新宿区新宿6丁目)出身。 サラリーマンの三男一女の長男として大久保天神下で生まれる。小学3年時に6年の番長を刺し学校を制圧。神奈川県川崎市立川崎中学校に進学するも喧嘩に明け暮れ、濡れ衣を着せられ、15歳で調布市の感化院に入れられる。旧制中学校時代は転校を繰り返し、父の満州転勤に伴い16歳のとき満州に渡り、奉天第一中学校に進学。同校退学後内地へ戻り、京王商業転入。不良学生を束ねて加納貢と意気投合し兄弟分になる。
浜島 朗(濱嶋 朗、はましま あきら、1926年5月23日 … 浜島 朗(濱嶋 朗、はましま あきら、1926年5月23日 - 2016年9月2日)は、日本の社会学者、東京学芸大学名誉教授。 東京生まれ。1949年東京大学文学部社会学科卒。東京学芸大学助教授、1969年教授、名誉教授、埼玉大学教育学部教授、帝京大学文学部教授、1997年定年退任。
砂田量爾(すなだ りょうじ、1926年5月21日 - 201… 砂田量爾(すなだ りょうじ、1926年5月21日 - 2015年3月23日)は、日本のシナリオ作家。 愛媛県今治市出身。旧制松山高校から大阪帝国大学(現・大阪大学)理学部化学科卒。理学部へ進んだのは「一種の徴兵拒否」が目的と話したことがある。教師になるが一年で上京、欧文のタイピング、翻訳、オーディオの製造販売から物作りが得意なことを活かして闇市で売るなどさまざまな職を転々とする。初めて書いた脚本は、岩波映画の子供向け科学映画。友人にTBSの「七人の刑事」のスタッフに紹介されて脚本を1本書いたら採用され、1962年から「七人の刑事」のシナリオに参加、以後テレビドラマ、演劇台本などを多く書いた。「風の色」「風の町」「娘たちの四季」などがある。
北田芳治(きただ よしはる、1926年5月21日- )は、日… 北田芳治(きただ よしはる、1926年5月21日- )は、日本の経済学者、東京経済大学名誉教授。元政治経済研究所理事長。 東京出身。東京商科大学(現一橋大学)卒。高島善哉ゼミ出身。1982年政治経済研究所理事長。東京経済大学経営学部助教授となり、教授。1998年定年、名誉教授となる。日本学術会議会員を務めた。
三輪正(みわ まさし、1926年5月20日- )は、日本の哲… 三輪正(みわ まさし、1926年5月20日- )は、日本の哲学者。大阪大学名誉教授。 鳥取県生まれ。1948年京都帝国大学文学部哲学科卒、1950年大阪大学文学部助手、1954‐56年パリ大学で学び、哲学博士、1958年奈良県立医科大学助教授、1963年京都大学教養部助教授、1967年大阪大学文学部助教授、70年教授、1990年定年退官、神戸学院大学教授。
西山 浅次郎(にしやま あさじろう、1926年5月20日 -… 西山 浅次郎(にしやま あさじろう、1926年5月20日 - 2021年3月30日)は、英文学者、慶應義塾大学名誉教授。 茨城県生まれ。1950年慶應義塾大学文学部英文科卒、1958年慶大法学部講師、64年助教授、71年教授、1989年定年退任、名誉教授、杏林大学教授。
沢島 忠(さわしま ただし、旧字体:澤島、1926年〈大正1… 沢島 忠(さわしま ただし、旧字体:澤島、1926年〈大正15年〉5月19日 - 2018年〈平成30年〉1月27日)は、日本の映画監督、舞台演出家である。時代劇、ひばり映画、および東映任侠映画の先駆者・巨匠として知られ、舞台演出家としても活躍していた。沢島 正継(読みは同じ)とも。 滋賀県愛知郡(現在の東近江市)に生まれる。八日市中学校(現・滋賀県立八日市高等学校)卒業。1948年(昭和23年)、同志社大学文学部の聴講生となり、同大で教えていた野淵昶監督に師事、野淵の主宰する劇団「エランヴィタール」に参加し、演出助手となる。翌年大学を中退する。1950年(昭和25年)3月、同劇団が解散、俳優の月形龍之介の紹介で東横映画助監督部に入社する。
大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - (20… 大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - (2001-03-16) 2001年3月16日(満74歳没))は、日本のベンチャーの父であり、株式会社CSKの創業者。元CSK社長・会長、セガ・エンタープライゼス会長、ニュービジネス協議会会長。日本の富豪である。1998年11月に個人資産2700万USDをマサチューセッツ工科大学(MIT)に寄付したことから、MITが「Okawa Center for Future Children」設立を発表。また2001年1月には、家庭用ゲーム機分野からの撤退を決めた株式会社セガに個人資産約850億円を寄付をした。ナパ・バレーのワイン農園などを所有する。一般財団法人大川ドリーム基金は、大川功氏の意志に基づき、先端的新産業分野におけるベンチャー企業家・事業創造者への助成や支援、アントレプレナーの育成を通じてベンチャー企業の振興・発展を図ること等を目的として2010年7月に発足した。
安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997… 安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997年3月11日)は、北海道出身の大蔵官僚、実業家。
賀来 龍三郎(かく りゅうざぶろう、1926年〈大正15年〉… 賀来 龍三郎(かく りゅうざぶろう、1926年〈大正15年〉5月19日 - 2001年〈平成13年〉6月23日)は、日本の経営者・実業家。キヤノン元社長・会長・名誉会長。キヤノンカメラを大手情報機器メーカーに成長させるなど「キヤノン中興の祖」と呼ばれている。長年に渡り、経済同友会副代表幹事を務めた。 愛知県岡崎市田町生まれ。生後半年で岡崎市を離れ、父の郷里である大分県中津市で育った。20歳で、太平洋戦争の敗戦を迎えた後、代用教員や行商など苦学を重ねながら青山中学校、第五高等学校を経て千葉工業大学工学部に入学するも中退。その後、故郷の九州大学経済学部へ入学し、1954年(昭和29年)に卒業する。 九州大学卒業後、現在のキヤノン(旧キヤノンカメラ)に入社。
氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年… 氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年)5月17日 - 2011年(平成23年)3月28日)は、日本のジャーナリスト、実業家。位階は正三位。 日本テレビ放送網代表取締役会長、日本民間放送連盟会長、読売新聞グループ本社取締役相談役を歴任。位階は正三位。読売新聞グループの総帥である渡邉恒雄の盟友として、同グループ内、特に日本テレビにおいて強大な発言力を有していた。趣味はパソコン。 また、東京都歴史文化財団理事長、東京都現代美術館館長も務めた。 古河合名理事を務めた氏家貞一郎の長男として東京に生まれる。 旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)で同級生の網野善彦、1年先輩の渡邉恒雄と知り合う。
松本 善明(まつもと ぜんめい、本名:まつもと よしあき、1… 松本 善明(まつもと ぜんめい、本名:まつもと よしあき、1926年5月17日 - 2019年6月24日)は、日本の弁護士、日本共産党名誉役員、公益財団法人いわさきちひろ記念事業団評議員。元衆議院議員。最初の妻は画家のいわさきちひろ(1974年死別)。 大阪府生まれ。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)卒業。海軍兵学校(75期)で終戦を迎え、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科在学中に日本共産党に入党。1949年(昭和24年)大学を卒業して国会秘書となり、1950年(昭和25年)にいわさきと結婚。1951年(昭和26年)司法試験合格、1952年(昭和27年)に司法修習生となり、1954年(昭和29年)からは弁護士として、松川事件やメーデー事件、労働争議に関わる。
飯沼 慧(いいぬま けい、1926年〈大正15年〉5月17日… 飯沼 慧(いいぬま けい、1926年〈大正15年〉5月17日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の俳優、声優。大阪府出身。 京都府京都市に生まれて幼少時代に大阪府に移住。 関西工業学校(現・常翔学園高等学校=旧・大阪工業大学高等学校)土木科卒業後、兵庫県土木部西宮土木出張所(現・近畿中国森林管理局)に就職するも兵役に就く。終戦後に帰還。 1948年に大阪に本拠地を置く劇団芸術劇場→民衆劇場に入団。青年期より、飄々とした風貌から老け役を得意とする。直後に三座が合併したため関西芸術座となり座員となる。 1960年に『関西芸術座』を退座した後、劇団プロメテに移籍。 1966年、劇団プロメテ退団後に上京して文学座養成所に入所。
猪熊 時久(いのくま ときひさ、1926年〈大正15年〉5月… 猪熊 時久(いのくま ときひさ、1926年〈大正15年〉5月17日 - 2002年〈平成14年〉6月20日)は、日本の経営者。明電舎社長、会長を務めた。群馬県前橋市出身。妻は聖心女子大学名誉教授・猪熊葉子。カトリック教徒。 1947年第一高等学校を卒業。1950年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に住友銀行に入行。1977年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1983年6月には明電舎副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。1991年6月には会長も兼任、1992年6月に会長に専任し、1998年6月から相談役を務めた。 2002年6月20日呼吸不全のために死去。
小川 利夫(おがわ としお、1926年5月17日 - 200… 小川 利夫(おがわ としお、1926年5月17日 - 2007年7月21日)は、日本の教育学者、名古屋大学名誉教授。 神奈川県出身。東京大学卒。 日本社会事業大学助教授を経て、名古屋大学教育学部助教授。1974年、教授。1977年、教育学部長。1989年、定年退官、名誉教授、愛知大学教授。1997年、退職。日本社会教育学会会長。
久司 道夫(くし みちお、1926年5月17日 - 2014… 久司 道夫(くし みちお、1926年5月17日 - 2014年12月28日)は、アメリカ合衆国のボストンを拠点に自然食のマクロビオティックの研究、発展、普及に努めた。アメリカ国内を起点としてヨーロッパ、日本でも活動した。健康が世界平和の鍵だとした。クシインスティチュートインターナショナル代表、久司財団会長、イーストウエスト財団会長、社団法人日本緑十字社社長。和歌山県紀の川市(旧:粉河町)出身。 1926年5月17日、和歌山県紀の川市(旧:粉河町)にて生誕する。幼少期から世界平和に関心を持っており東京大学にて政治学・法学を学ぶ。東京大学法学部政治学科卒業。同大学院国際政治学修了。 東京大学在学中に、食養研究家・思想家の桜沢如一の世界政府運動に関わる。
勝谷 保(しょうや たもつ、1926年(大正15年)5月17… 勝谷 保(しょうや たもつ、1926年(大正15年)5月17日 - 2015年(平成27年)2月26日)は日本の官僚、実業家、元中小企業庁長官、元インドネシア石油(現・国際石油開発帝石)社長・会長。山口県出身。
滝沢 菊太郎(たきざわ きくたろう、1926年5月17日 -… 滝沢 菊太郎(たきざわ きくたろう、1926年5月17日 - 2002年8月12日)は、日本の経営学者。 東京市(現千代田区)出身。1952年東京商科大学(現一橋大学)卒、1966年「日本工業の構造分析 日本中小企業の一研究」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。名古屋大学経済学部助教授、教授。1979年経済学部長、附属経済構造分析センター長。1985年第10回中小企業研究奨励賞特選出版賞受賞。1990年定年退官し、名誉教授となり、中京大学教授を務めた。1989年から1992年まで日本中小企業学会会長。
蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023… 蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023年3月17日)は、日本の医学者。天然痘の撲滅に尽力した。 熊本県熊本市生まれ。旧制熊本中学、熊本医科大学(現・熊本大学医学部)卒業。 臨床医を経て、1950年に厚生省(現・厚生労働省)に医系技官として入省した。 1962年からWHOアフリカ事務局員としてリベリアに赴任し、天然痘の対策に尽力した。 1977年にはWHOの世界天然痘根絶対策本部長に就任。最後の流行地ソマリアでは紛争の中ワクチン接種を続け、1980年の天然痘根絶宣言につなげた。 1985年に帰国後、国立熊本病院(現・国立病院機構熊本医療センター)院長に就いた。 1988年に日本国際賞を受賞している。
若井 恒雄(わかい つねお、1926年(大正15年)5月15… 若井 恒雄(わかい つねお、1926年(大正15年)5月15日- 2021年(令和3年)2月28日 )は、日本の銀行家。三菱銀行頭取を務めた。 東京出身。府立第八中、一高を経て、東京大学法学部政治学科入学後、終戦直前、学徒動員で陸軍松本連隊に入隊したが、復学。1948年に東大を卒業。三菱銀行に入行した。しかし、入行後3ヶ月で胸を患い、1年半の療養を余儀なくされた。一時は、退職を覚悟したこともあったというが、職場復帰を果たした。 昇格、昇進は随分長く同期生よりは遅れていたが、実力と実績で補って、結局は頭角を現し、世田谷支店長、業務第一部副部長兼企画・法人・個人各課長、本店営業第二部次長、京橋支店長、総合企画部長を歴任。
太壽堂 鼎(たいじゅどう かなえ、1926年5月14日 - … 太壽堂 鼎(たいじゅどう かなえ、1926年5月14日 - 1996年8月28日)は、日本の法学者。専門は国際法。京都大学名誉教授。元姫路獨協大学教授。 1926年5月14日、京都市に生まれる。1939年から3年間、宗教家の大谷光瑞の門下生として京都、台湾にて修業を積み、1943年10月、専門学校入学者検定試験に合格。同年12月より1945年10月まで、徴用工および現役兵として勤務した。 旧制第三高等学校を経て1953年に京都大学法学部を卒業し、同大学法学部助手として国際法の研究を開始した。最初に取り組んだのは領域法の理論であり、1955年の助手論文「国際法上の先占について――その歴史的研究」においては思想史や経済史を参照しつつ、縦断的に国際先占原則の成立と展開の跡を研究した(領域法の社会学的研究)。
持田 恵三(もちだ けいぞう、1926年5月14日 - 20… 持田 恵三(もちだ けいぞう、1926年5月14日 - 2010年1月20日)は、日本の農業経済学者。 北海道砂川市生まれ。1953年東京大学農学部農業経済学科卒。1962年同大学院博士課程修了、「日本農業の近代化過程」で農学博士の学位を取得。農林省農業総合研究所、和光大学経済学部教授。1997年定年、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 耕三(たなか こうぞう、1926年〈大正15年〉5月1… 田中 耕三(たなか こうぞう、1926年〈大正15年〉5月13日 - 2021年〈令和3年〉9月12日)は、日本の経営者。山口銀行元頭取。 山口県徳山市(現周南市)出身。埼玉県朝霞市の海軍兵学校在学中に終戦を迎える。 戦後、慶応義塾大学大学院経営管理学研究科修士課程修了、日立製作所に入社。人事部労務課に配属され労働組合との交渉窓口を担当した。 1953年(昭和28年)、山口銀行から労務管理の責任者として招聘され、翌年3月入行。7月1日、総務部長代理に就任する。以後、総務部人事課長、総務部次長兼人事課長等、長らく人事部門の役職を歴任し、本店営業部副長となる。 1975年(昭和50年)5月取締役に選任され、80年12月常務、86年6月専務に昇進する。
瀬田 道弘(せだ みちひろ、1926年〈大正15年〉5月13… 瀬田 道弘(せだ みちひろ、1926年〈大正15年〉5月13日 - 2007年 〈平成19年〉 10月31日)は、日本の政治家。元奈良県香芝市長(1期)。位階は正六位。旭日双光章受章。 兵庫県神戸市出身。1948年〈昭和23年〉神戸工業専門学校(現・神戸大学工学部)卒。卒業後はミノルタカメラ(現・コニカミノルタ)に入社。財務部長、保険代行会社取締役などを務める。1992年〈平成4年〉香芝市長選挙に立候補し、当選する。1996年〈平成8年〉にも立候補し、再選を目指したが、落選した。2007年〈平成19年〉10月31日死去。死没日付をもって正六位に叙され、旭日双光章を受章した。