妹沢 克惟(せざわ かつただ、1895年(明治28年)8月2… 妹沢 克惟(せざわ かつただ、1895年(明治28年)8月21日 - 1944年(昭和19年)4月23日)は、日本の地球物理学者・地球科学者・地震学者。東京帝国大学地震研究所所長。弾性力学研究者としてしられている。 石川県に生まれる 。1921年(大正10年)東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業し、翌年東京帝大助教授となり造船工学者の末広恭二のもとで振動論を研究した。航空研究所を経て後、末広の招きで地震研究所にうつり、1928年(昭和3年)教授、1942年(昭和17年)寺沢寛一の辞任により同研究所所長に選任された。1944年(昭和19年)に死去した。 地震波伝播の数理解析が著名であるが、飛行機の機体構造に関する数理的研究も数多く残されている。
藤生 安太郎(ふじお やすたろう、1895年(明治28年)8… 藤生 安太郎(ふじお やすたろう、1895年(明治28年)8月21日 - 1971年(昭和46年)12月7日)は、大正から昭和期の柔道家、政治家、雑誌編集者。衆議院議員。講道館柔道七段。 佐賀県東松浦郡、のちの唐津市で藤生利太郎の長男として生まれる。1898年(明治31年)家督を相続。唐津中学校を退学、門司の豊国中学校から東京外語学校に進み、1918(大正7年)東京外国語学校(現東京外国語大学)支那語科を卒業した。一年志願兵として入営し、陸軍歩兵伍長となった。 その後、新潟県立村上中学校(現新潟県立村上高等学校)、陸軍士官学校、警視庁、東京高等学校、拓殖大学の嘱託教師・柔道師範を務めた。この間、北白川宮永久王、竹田宮恒徳王、朝香宮鳩彦王、李王の柔道師範となる。
横山 竹男(よこやま たけお、1895年〈明治28年〉8月1… 横山 竹男(よこやま たけお、1895年〈明治28年〉8月18日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。基隆市尹、高雄市長。 横山文吉の長男として香川県三豊郡詫間村(現三豊市詫間町)に生まれる。1910年(明治43年)4月、通信伝習所を卒業後、1911年(明治44年)3月、詫間郵便局に奉職。1915年(大正4年)9月、台湾に渡り、台南郵便局通信手を経て、1922年(大正11年)12月に台湾総督府属、総督官房秘書課勤務を発令される。 1930年(昭和5年)台北高等商業学校書記兼文教局学務課勤務を経て、1934年(昭和9年)5月に交通局副参事鉄道部庶務課勤務に転じ、1935年(昭和10年)10月に地方理事官に進み、台南市助役に就任。
鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年〈明治28年〉8… 鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年〈明治28年〉8月16日 - 1989年〈平成元年〉5月13日)は、洋画家。 東京府八王子生まれ。白馬会洋画研究所で黒田清輝に師事する。 1934年(昭和9年)出品した第二十一回二科展で推奨に選出されたことなどを契機に、1936年(昭和11年)、二科会に新会員として迎えられる。1955年(昭和30年)、二科会を退会して一陽会を結成し中心的存在として活躍する。1960年(昭和35年)、日本芸術院賞受賞、1969年(昭和44年)、日本芸術院会員、1988年(昭和63年)、文化功労者。
瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月1… 瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月16日 - 1968年〈昭和43年〉)は、日本の政治家、東京府多額納税者、鍋屋、金融業、地主・家主。東京市会議員(板橋区選出、革正会会員)、板橋区会議員。 東京府北豊島郡板橋町大山出身。質商・瀬田文次郎の長男。 早稲田中学、同高等学院を経て1917年、早稲田大学大学部法学科英法科卒業。貸地貸家業、金融業を営んだ。 1921年5月、板橋町会議員に当選し、1932年9月市郡併合迄3期在職。1931年4月、板橋町名誉助役として市郡併合迄在職。 1932年11月、板橋区会議員に当選。1933年3月、東京市会議員に当選。1938年4月、東京市参事会員に当選。
秋葉 安太郎(あきば やすたろう、1895年8月15日 - … 秋葉 安太郎(あきば やすたろう、1895年8月15日 - 1969年12月4日)は、国文学者、日本大学学長を務めた。 千葉県山武郡蓮沼村(現・山武市)出身。日本大学法文学部国文科卒。日大予科教授、日大教授、文理学部長、学長。1954年「大鏡の語法の研究」で日大文学博士。1965年定年退任、名誉教授。1967年4月、勲二等瑞宝章を受章。墓所は多磨霊園。
番匠谷 英一(ばんしょうや えいいち、1895年8月14日 … 番匠谷 英一(ばんしょうや えいいち、1895年8月14日 - 1966年6月17日)は、日本の劇作家、ドイツ文学者。立教大学名誉教授。 現在の大阪府泉佐野市にて運送業を営み、泉陽銀行取締役を務めた番匠谷平吉の長男として生まれる。旧制岸和田中学校、第三高等学校を経て1920年京都帝国大学独文科卒業。1924年懸賞戯曲『黎明』に当選し、劇作家として活動するかたわらドイツ文学の翻訳を行う。1928年立教大学教授、61年定年となり名誉教授。 シュニッツラーを中心にドイツ文学、またアンデルセンなどを翻訳した。また劇作家として、源氏物語、宇治十帖を扱った戯曲を残した。 立教大学で教鞭を執る傍ら、立教大学劇研究会の会長も務めた。
矢崎 美盛(やざき よしもり、1895年8月13日 - 19… 矢崎 美盛(やざき よしもり、1895年8月13日 - 1953年4月7日)は日本の哲学者、美術史家。
副見 喬雄(ふくみ たかお、1895年(明治28年)8月12… 副見 喬雄(ふくみ たかお、1895年(明治28年)8月12日 - 1978年(昭和53年)7月12日)は、日本の内務・警察官僚。官選鳥取県知事。 岐阜県出身。第三高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し静岡県属となる。 以後、鹿児島県警察部保安課長、警視庁保安課長、内務事務官、埼玉県書記官・警察部長、兵庫県経済部長、長崎県総務部長などを歴任。 1939年1月、鳥取県知事に就任。戦時体制の強化などに尽力。1940年12月、台湾総督府交通局総長に転じ、1945年1月まで在任。同年に退官し、その後、住宅営団理事を務めた。 戦後、公職追放となった。
田中 源三郎(たなか げんざぶろう、1895年(明治28年)… 田中 源三郎(たなか げんざぶろう、1895年(明治28年)8月12日 - 1953年(昭和28年)12月24日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 兵庫県明石郡大久保村江井島(大久保町を経て現明石市)で生まれる。同志社大学、法政大学で学んだ。 兵庫県会議員に選出され、同参事会員も務めた。1937年(昭和12年)4月の第20回衆議院議員総選挙で兵庫県第3区から立憲政友会公認で出馬して当選したが、1939年(昭和14年)8月4日、衆議院議員選挙法違反事件の上告が大審院で棄却され判決が確定したため議員を退職した。戦後、1946年(昭和21年)4月の第22回総選挙で兵庫県第1区から日本自由党公認で出馬して再選され、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で兵庫県第3区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に通算3期在任した。
志方 益三(しかた ますぞう、1895年8月10日 - 19… 志方 益三(しかた ますぞう、1895年8月10日 - 1964年5月8日)は、日本の化学者。京都大学元教授、名古屋大学元教授。父は司法官の志方鍛。甥は科学者の石原守一。 東京府東京市小石川区生まれ。茨城県師範学校附属小学校、旧制東京府立第四中学校、旧制第一高等学校を経て、1920年に東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。理化学研究所に入り、鈴木梅太郎のもとで研究を行った。1922年、ヨーロッパに留学する。チェコスロバキアのプラハ・カレル大学で、後にノーベル賞を受賞するヘイロウスキーと共に、滴下水銀電極を用いて電圧‐電流曲線を自動記録する装置(ポーラログラフ)を完成させた。志方は帰国する際、この装置を一つ持ち帰っている。
谷萩 那華雄(やはぎ なかお、1895年(明治28年)8月9… 谷萩 那華雄(やはぎ なかお、1895年(明治28年)8月9日 - 1949年(昭和24年)7月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 茨城県生まれ。1914年(大正3年)3月、茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(第29期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第15連隊付となる。1919年(大正8年)4月から1920年(大正9年)12月までシベリア出兵に従軍。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(第39期)を卒業し歩兵第15連隊中隊長に就任。 1929年(昭和4年)3月、教育総監部付勤務となり、第19師団参謀を経て陸軍技術本部付兼軍事調査委員(新聞班)に就任。
遠藤 永次郎(えんどう えいじろう、1895年8月8日 - … 遠藤 永次郎(えんどう えいじろう、1895年8月8日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人。陸軍技術少将。工学博士。専門は燃料学、造兵学。 福岡県出身。1915年福岡県立中学修猷館、1918年7月第五高等学校工科を経て、1921年3月九州帝国大学工学部応用化学科を卒業。 1921年6月、陸軍工兵中尉任官。1935年1月、論文「発動機燃料ノ「ノツキング」性及防止ニ関スル研究」により工学博士の学位を得る。1939年8月陸軍航空兵大佐に累進。1940年12月陸軍航技大佐に転科し、1941年7月陸軍燃料廠廠員となる。1944年3月陸軍航技少将に累進し、同月、陸軍燃料廠が改組された陸軍燃料本部の陸軍燃料技術研究所所長に就任。
相羽 有(あいば たもつ、1895年8月8日 - 1979年… 相羽 有(あいば たもつ、1895年8月8日 - 1979年4月6日)は、日本の民間航空業及び自動車業の草分けとして活躍した実業家。1916年(大正5年)羽田の地に日本飛行学校を設立し、後の東京国際空港(羽田空港)の礎を築いた。通称・羽田の父。 日本最初期の自動車学校も開設しており、日本のスチュワーデス(エア・ガール)の生みの親としても知られる。 1895年(明治28年)8月に栃木県宇都宮町伝馬町の呉服商相瀬屋・相羽正吉の四男として生まれる。家は裕福だったが4歳で父を、5歳で母を亡くし、伯父の田中千代吉に養育された。 小学生の頃にはライト兄弟初飛行のニュースに大きな衝撃を受ける。その後、宇都宮商業学校を中途退学し、横浜にあった英国人学校のフェアモント・アカデミーに入学。
櫻井 清香(さくらい きよか、男性、1895年(明治28年)… 櫻井 清香(さくらい きよか、男性、1895年(明治28年)8月7日 - 1969年(昭和44年))は、日本の芸術家(画家)。愛知県名古屋市出身。源氏物語絵巻の昭和復元模写を作成したことで有名。父櫻井武愷宮之亟、母三保の二男。兄は桜井馨、弟は桜井鐐三。桜井 清香と表記する場合もある。 他多数の作品が徳川美術館に所蔵されている。 櫻井家は元々は氏を橘(橘氏の流れを汲む氏族である)と名乗っていたが、いつの頃からか櫻井に改めたとされる。氏を改めたのは櫻井作之右衛門佐武の時であると考えられる(理由は不明)。
相良 徳三(さがら とくぞう、1895年8月4日 - 197… 相良 徳三(さがら とくぞう、1895年8月4日 - 1976年8月21日)は、日本の美学美術史学者、成城大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市船津町出身。京都帝国大学美学美術史学科卒。東京日日新聞、成城高等学校、日本大学、北京師範大学、宮崎大学で教え、成城大学教授、1966年定年退任、名誉教授。美学・美術史などを研究、文芸評論や英文学の翻訳もおこなった。伊集院 斉の別名を使った。
大井 直之助(おおい なおのすけ、1895年(明治28年)8… 大井 直之助(おおい なおのすけ、1895年(明治28年)8月3日 - 1973年(昭和48年)11月29日)は、大正から昭和前期の農業指導者、政治家。衆議院議員、秋田県由利郡矢島町(現・由利本荘市)長。 秋田県由利郡矢島町で生まれる。1914年(大正3年)秋田県立秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を卒業した。 1921年(大正10年)矢島町会議員に選出され4期在任。1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで秋田県会議員、矢島町長に在任。その他、本荘税務署所得調査委員、矢島町産業組合長、秋田県農業会由利支部長・理事、同県森林組合連合会理事、帝国在郷軍人会由利郡連合会分会長などを務めた。
中山 岩太(なかやま いわた、1895年8月3日 - 194… 中山 岩太(なかやま いわた、1895年8月3日 - 1949年1月20日)は、戦前の日本の新興写真を代表する写真家の1人。福岡県柳川市出身。 福岡県柳川で実業家・中山重行の一人息子として生まれる。小学生のときに家族で上京、仰高小学校、京北中学校を経て、1918年に東京美術学校臨時写真科を卒業(第1期生)。農商務省の派遣で、アメリカのカリフォルニア大学で学ぶ。その後、ニューヨークにて、菊地東陽のスタジオで働いたり、「ラカン・スタジオ」を開設したのち、1926年には渡仏。マン・レイや未来派のエンリコ・プランポリーニと知り合う。 1927年に日本に帰国したのちは、芦屋カメラクラブをハナヤ勘兵衛ら地元の写真愛好家を集め結成し、欧米での経験を生かして活躍。
坂口 献吉(さかぐち けんきち、1895年(明治28年)8月… 坂口 献吉(さかぐち けんきち、1895年(明治28年)8月3日 - 1966年(昭和41年)8月13日)は、大正 - 昭和期の日本の実業家。新潟市出身。元衆議院議員で元新潟新聞社社長の坂口仁一郎の長男。作家の坂口安吾の長兄。新潟日報社第2代社長。新潟放送初代社長。新潟県立新潟中学校、早稲田大学専門部政治経済科卒業。
青木 香雪(あおき こうせつ、本名:青木 徳太郎、1895年… 青木 香雪(あおき こうせつ、本名:青木 徳太郎、1895年8月2日 - 1978年12月30日)は、日本の仏師。愛称は人形徳さん。 1895年(明治28年)8月2日、滋賀県甲賀郡岩根村(現・湖南市正福寺)にて出生。石部高等小学校卒業。1915年(大正4年)、日本美術院第二部卒業(第1期生)。後に美術院の院長に就いた明珍恒男に学ぶ。1970年(昭和45年)、文化庁より文化財保護功労者として表彰を受ける。 滋賀仏像彫刻家同好会会長。甲西町文化財審議委員。甲西町指定無形文化財認定保持者の第1号に選定される。1978年(昭和53年)滋賀会館ギャラリーにて個展開催。同年12月30日、84歳の生涯を閉じた。
本間 精(ほんま きよし、1895年8月1日 - 1948年… 本間 精(ほんま きよし、1895年8月1日 - 1948年9月1日)は、昭和時代の内務・警察官僚。官選の秋田県知事、岡山県知事、福岡県知事。 本間啓太郎(農林省勅任技師)の長男として生まれる。横浜一中、第二高等学校を経て、1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年9月、大学院に進み経済行政を専攻した。 1920年(大正9年)7月、神奈川県属となり内務部地方課に配属。同年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年(大正10年)8月、神奈川県警視に就任し、以後、沖縄県内務部学務課長、山口県内務部学務兵事課長、群馬県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、栃木県内務部長、広島県書記官・内務部長、警視庁警務部長、北海道庁総務部長などを歴任。
原田 義和(はらだ よしかず、1895年8月1日 - 197… 原田 義和(はらだ よしかず、1895年8月1日 - 1973年6月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
水橋 藤作(みずはし とうさく、1895年(明治28年)7月… 水橋 藤作(みずはし とうさく、1895年(明治28年)7月30日 - 1958年(昭和33年)8月11日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。 富山県上新川郡滑川町(中新川郡滑川町を経て現滑川市)出身。1921年(大正10年)郵便集配人として勤務。その後、逓信事務官に任官。 戦後、労働運動に加わり、全逓信従業員組合(のちの日本郵政公社労働組合)に加盟し、全逓中央執行委員、全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で出馬して当選し、労働者農民党に転じ参議院議員に1期在任した。その間、芦田内閣労働政務次官などを務めた。
澤田 政廣(さわだ せいこう、1894年〈明治27年〉8月2… 澤田 政廣(さわだ せいこう、1894年〈明治27年〉8月22日- 1988年〈昭和63年〉5月1日)は、日本の彫刻家。静岡県熱海市生まれ。本名は寅吉。日本彫塑会名誉会長。 1894年(明治27年)に澤田小兵衛と妻とくの三男として静岡県熱海町(現在の熱海市)に生まれる。幼年期に実家は「亀屋」という屋号で廻船業を営み、少年期には製材業を営んでいた。 1913年(大正2年)、旧制静岡県立韮山中学校(現在の静岡県立韮山高等学校)を中退後、澤田の遠縁で高村光雲の高弟でもある山本瑞雲を頼って上京し内弟子となる。1918年(大正7年)東京美術学校彫刻科別科卒業。その後仏像彫刻を行う。 1931年(昭和6年)帝展審査員となる。
飯田 清三(いいだ せいぞう、1894年8月22日 - 19… 飯田 清三(いいだ せいぞう、1894年8月22日 - 1976年9月24日)は、日本の実業家。野村證券第2代社長。 鹿児島県出身。1919年東京帝国大学卒業。野村證券常務取締役を経て、1940年野村證券専務取締役。1941年9月から1947年8月まで野村證券社長を務め、本店の東京移転などを行った。1942年野村信託取締役。1944年野村銀行取締役。1945年野村生命保険監査役。その後公職追放となり、1950年(昭和25年)に追放解除。1976年(昭和51年)に死去。墓所は多磨霊園。
田中 徳次郎(たなか とくじろう、1894年〈明治27年〉8… 田中 徳次郎(たなか とくじろう、1894年〈明治27年〉8月20日 - 1992年〈平成4年〉7月9日)は、日本の実業家。東京海上火災保険社長、日本損害保険協会会長などを歴任した。 群馬県西群馬郡高崎町(現高崎市)出身。1913年群馬県高崎中学校(現群馬県立高崎高等学校)卒業。1917年東京高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。一橋基督教青年会出身。同年三菱合資入社。1935年三菱海上火災保険大阪支店長。1944年東京海上火災保険取締役。1947年東京海上火災保険社長。1948年日本損害保険協会会長。1952年海運造船合理化審議会委員、国際電信電話設立委員。1953年三菱銀行取締役。1955年日本海外移住振興設立委員、自動車損害賠償責任保険審議会委員。
藤岡 長敏(ふじおか ながとし、1894年(明治27年)8月… 藤岡 長敏(ふじおか ながとし、1894年(明治27年)8月19日 - 1965年(昭和40年)2月21日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 奈良県宇智郡北宇智村近内(現在の五條市)出身。北宇智村長・藤岡長二郎の三男として生まれる。奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)を経て、第三高等学校を卒業。 1920年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し京都府属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格。 以後、警視庁警視、広島県書記官・学務部長、鹿児島県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、東京府総務部長、警視庁警務部長などを歴任。 1938年2月、香川県知事に就任。
伊藤 卯四郎(いとう うしろう、1894年8月19日 - 1… 伊藤 卯四郎(いとう うしろう、1894年8月19日 - 1974年5月1日)は、大正、昭和時代の労働運動家・政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)。衆議院鉱工業委員長、民社党中央執行副委員長。 長崎県南高来郡有明町(現島原市)出身。島原尋常高等小学校卒。東洋哲学塾に学ぶ。 その後は北海道に渡り、炭鉱夫として働く。労働運動に身を投じ、1920年歌志内炭坑労働組合組合長となる。1922年長崎県に移り、日本労働総同盟南九州連合会を結成する。1928年福岡県に移り、八幡製鉄所労働組合顧問となり、労働運動を指導する。社会民衆党福岡県連書記長、福岡県会議員を2期務めた。 戦後は日本社会党結党に参加。
生方 誠(うぶかた せい、1894年〈明治27年〉8月17日… 生方 誠(うぶかた せい、1894年〈明治27年〉8月17日 - 1978年〈昭和53年〉10月6日)は、日本の薬剤師、政治家、行政委員。群馬県利根郡沼田町(現:沼田市)出身。群馬県会議員、沼田町長、国家公安委員、群馬県薬剤師会会長、群馬県町村長会長などを務めた。妻は歌人の生方たつゑ、長女は料理研究家の生方美智子。 1894年(明治27年)、沼田町上之町の老舗薬種商「かどふぢ(角藤)」を営む生方弥右衛門の長男として生まれる。1910年(明治43年)旧制前橋中学校利根分校(現・群馬県立沼田高等学校)を修了し、1912年(明治45年)同本校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。1916年(大正5年)に千葉医学専門学校薬学科(現:千葉大学薬学部)を卒業した。
近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年〈明治27年〉8… 近藤 伊與吉(こんどう いよきち、1894年〈明治27年〉8月17日 - 1944年〈昭和19年〉)は、日本の俳優、脚本家、映画監督である。村田実らの起こした新劇の劇団「踏路社」を振り出しに、映画俳優になり、映画も監督し、無声映画時代のスター俳優となったことで知られる。 1894年、新潟県佐渡に生まれる。 その後上京し、1917年2月17日に村田実、青山杉作、関口存男、木村修吉郎らの起こした新劇の劇団「踏路社」(1917年 - 1920年)に参加し、俳優として舞台を踏む。1919年、25歳のとき、「天然色活動写真」(天活)の社員であり映画理論家として知られる帰山教正の「映画芸術協会」設立に、村田実、青山杉作らとともに参加、設立第一作『深山の乙女』および『生の輝き』にそろって出演する。
石田 幸太郎(いしだ こうたろう、1894年8月15日 - … 石田 幸太郎(いしだ こうたろう、1894年8月15日 - 1987年6月6日)は、日本の英文学者、ノートルダム女子大学名誉教授。 京都府出身。1919年(大正8年)京都帝国大学英文学科を卒業後、万朝報の記者を務める。その後、梅花女子専門学校教授、国民社編集長を経て立命館大学教授。さらにノートルダム女子大学教授を務めた。英文学、比較文学の研究を行った。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
那須 政隆(なす せいりゅう、1894年(明治27年)8月1… 那須 政隆(なす せいりゅう、1894年(明治27年)8月15日 - 1987年(昭和62年)5月31日)は、日本の仏教学者。専門は密教。大正大学学長、同大名誉教授、智積院化主(真言宗智山派管長)及び真言宗長者。愛知県龍照院住職。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
長井 源(ながい げん、1894年(明治27年)8月13日 … 長井 源(ながい げん、1894年(明治27年)8月13日 - 1966年(昭和41年)9月19日)は、日本の政治家、弁護士。三重県飯南郡粥見町(現松阪市)出身。戦前の大日本帝国の帝国議会の民政党衆議院議員。戦後の日本進歩党・改進党・日本民主党・自由民主党の衆議院議員。 三重師範学校(現在の三重大学)を卒業した。三重県内の尋常小学校の教員を経て、法律を学ぶため1923年(大正12年)明治大学法学部法律学科を卒業した。高等文官試験をパス(合格)した。衆議院議員に初当選する前のキャリアとして、弁護士、松阪市会議員、三重県会議員、第33代三重県会副議長(昭和8年11月~昭和10年10月在任)を務めた。
寺崎 覚(本姓:寺﨑 覺、てらさき さとる、1894年(明治… 寺崎 覚(本姓:寺﨑 覺、てらさき さとる、1894年(明治27年)8月13日 - 1984年(昭和59年)2月2日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員、久留米市功労者。 福岡県久留米市津福本町で生まれる。 久留米市鳥飼産業組合理事、同鳥飼農業会長、久留米市農地委員会長、福岡県農村青年連盟久留米地区委員長、久留米市鳥飼農業協同組合理事などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に福岡県第3区から出馬して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で再選され、衆議院議員に連続2期在任した。この間、日本農民党情報部長などを務めた。 その後、久留米市教育委員会委員長に就任した。
城戸 四郎(きど しろう、1894年8月11日 - 1977… 城戸 四郎(きど しろう、1894年8月11日 - 1977年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。元松竹会長。現在の松竹社長迫本淳一は孫。
岩崎 民男(いわさき たみお、1894年(明治27年)8月8… 岩崎 民男(いわさき たみお、1894年(明治27年)8月8日 - 1978年(昭和53年)1月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 山口県出身。農業・岩崎孝の長男として生まれる。萩中学校、広島陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校本科を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第20連隊付となる。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した。 1923年(大正12年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員を経て、1926年(大正15年)3月、陸軍兵器本廠付となり陸軍派遣学生として東京帝国大学法学部で学ぶ。1929年(昭和4年)3月、陸軍技術本部付兼陸軍省官房付に発令され、兵器本廠付(陸軍省調査班)に転じた。
平 貞蔵(たいら ていぞう、1894年8月7日 - 1978… 平 貞蔵(たいら ていぞう、1894年8月7日 - 1978年5月28日)は、日本の思想家。新人会、昭和研究会に参加。昭和塾を設立。 山形県東置賜郡佐沢村(現在の長井市上伊佐沢)に平八蔵の二男として生まれる。米沢中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大の新人会に所属。 佐々弘雄の紹介で、奉天において後藤隆之助らに会い、これが縁で昭和研究会の支那問題研究会に参加することになり、多くの軍人と接触した。ソ連旅行中の宮本百合子と会っている(「道標」) 1926年〜1928年、1931年から1933年にかけ、法政大学図書館館長に就任。 昭和13年(1938年)5月に大山岩雄とともに中支視察のため上海へ赴き、6月に野田清海軍少将らと現地視察談を昭和研究会で発表。
沢田 一郎(さわだ いちろう、1894年8月7日 - 198… 沢田 一郎(さわだ いちろう、1894年8月7日 - 1984年2月3日、享年89)は、元日本オリンピック委員会名誉委員、元ヤナセ常務。
石井 悌(いしい てい、1894年8月6日 - 1959年1… 石井 悌(いしい てい、1894年8月6日 - 1959年11月19日)は、日本の昆虫学者。学位は、農学博士(東京大学・論文博士・1932年)。 神奈川県出身。東京帝国大学農科大学実科卒。農商務省入省、農事試験場技手、1932年、「日本産跳小蜂亜科ニ関スル研究(英文) 」で、東京大学より農学博士の学位を取得。1935年東京高等農林学校(現東京農工大学)教授。のち日本植物防疫協会常務理事・研究所長、日本応用動物昆虫学会評議員・会計監査。病害虫防除、農業昆虫や寄生バチの研究を行った。
井上 武士(いのうえ たけし、1894年〈明治27年〉8月6… 井上 武士(いのうえ たけし、1894年〈明治27年〉8月6日 - 1974年〈昭和49年〉11月8日)は、日本の作曲家。東京音楽大学教授。群馬県勢多郡芳賀村(現・前橋市)出身。代表作は「チューリップ」「海」。作曲数は約500曲とも200曲以上ともされ、日本音楽史上に残る数々の唱歌・童謡の作品を遺した。上記2曲は日本の歌百選に選ばれている。 日本教育音楽協会会長・全日本児童音楽連盟会長などの要職を歴任。各地の学校の校歌作曲にも多く携わった。 戦後は、新宿区戸山町の戸山ハイツに居住。活動の傍ら地元の東戸山小学校PTAコーラスの指導も行っていた。 死後の1975年(昭和50年)、生前の業績をたたえて、母校の群馬大学に群馬大学教育学部同窓会と群馬県音楽教育協会によって石碑が建立された。
石田 千太郎(いしだ せんたろう、1894年(明治27年)8… 石田 千太郎(いしだ せんたろう、1894年(明治27年)8月5日 - 没年不詳)は、日本の逓信官僚、政治家。朝鮮総督府逓信局長、愛知県議会議員(5期)、朝鮮石炭株式会社社長などを歴任した。 愛知県丹羽郡犬山町(現在の犬山市)出身。1914年(大正3年)、逓信官吏練習所を卒業し、通信書記補、逓信属を務めた。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科に合格し、翌年に朝鮮総督府属となった。同理事官、平安北道地方課長、同秘書課長、林野調査委員会事務官、江原道警察部長、平安南道警察部長、慶尚南道警察部長、殖産局鉱山課長を歴任。1938年(昭和13年)、平安南道知事に就任し、さらに厚生局長を経て、1942年(昭和17年)に逓信局長となった。
能勢 克男(のせ かつお、1894年8月2日 - 1979年… 能勢 克男(のせ かつお、1894年8月2日 - 1979年6月17日)は、日本の思想家、社会運動家。同志社大学法学部教授、弁護士、京都家庭消費組合、京都洛北生活共同組合(現・京都生活協同組合)初代理事長。 1894年8月2日、裁判官である父・能勢萬、国分三亥の妹である母・三美の長男として仙台片平町の裁判所官舎に生まれる。仙台第一中学校、第二高等学校を経て、1919年東京帝国大学法学部を卒業。古河合名会社に入社後、遠縁の海老名弾正、宮川経輝の紹介により1922年に同志社大学講師、1924年同教授。賀川豊彦、杉山元治郎、中島重の指導で行われていた「同志社労働者ミッション」の一環である同志社消費組合に参加、1927年柳宗悦らと上賀茂民芸協団設立。
射場 保昭(いば やすあき、1894年(明治27年)8月2日… 射場 保昭(いば やすあき、1894年(明治27年)8月2日 - 1957年(昭和32年)4月24日)は、日本の実業家、アマチュア天文家。 資産に恵まれた貿易商であり、1928年に神戸市の自宅に私設天文台「射場天体観測所」を開設。1930年代前半には欧米の天文学者と活発な交流を行った。藤原定家の日記『明月記』に残された「客星」(超新星など)の出現記録を、海外に紹介した人物である。 明治時代における日本有数の肥料輸入・販売会社「鈴鹿商店」の創業者・鈴鹿保家の嫡男として、1894年(明治27年)8月2日に東京・深川に生まれる。幼名は「鈴鹿 醇」。久松小学校の高等科を1年飛び級で卒業し、1907年に京華中学校に入学するも、間もなくオーストラリアに留学した。
内ヶ崎 昇(うちがさき のぼる、1894年(明治27年)7月… 内ヶ崎 昇(うちがさき のぼる、1894年(明治27年)7月31日 - 1976年(昭和51年)5月23日)は、日本の政治家。宮城県富谷村長(2期)。 宮城県黒川郡富谷村(のち富谷町、現・富谷市)出身。富谷高等小学校卒。農業に従事する。1921年(大正10年)富谷村会議員に当選。1923年(大正12年)富谷村助役を経て、1929年(昭和4年)7月富谷村長に就任した。 村長時代は宮城県町村会副会長、県農会代議員や耕地整理組合長に就任。村長は1937年(昭和12年)6月まで務めた。 戦後の1947年(昭和22年)富谷村議会議員選挙に立候補し、当選、議員を1967年(昭和42年)まで5期20年務めた。
中川 与之助(なかがわ よのすけ、1894年7月30日 - … 中川 与之助(なかがわ よのすけ、1894年7月30日 - 1968年8月1日)は、日本の経済学者、元京都帝国大学教授。文学博士。ナチス研究により戦後公職追放された。川田順の「老いらくの恋」騒動の当事者の一人。 富山県上新川郡熊野村江本(現:富山市江本)の農家、中川滋次郎・チイ夫妻の次男に生まれる。苦学して特待生で東京高等師範学校に入学、卒業後、奈良県郡山中学校(現・奈良県立郡山高等学校)で教師をしたあと、1924年に京都帝国大学経済学部卒業、大学院に進み、30歳の時に下宿先の娘鈴鹿俊子(17歳)と結婚、一男二女を儲ける。 1928年に大学院を中退して京大講師となり、1930年助教授、1931年から1933年まで文部省の辞令によりドイツ留学、1943年教授。
工藤 昭四郎(くどう しょうしろう、1894年7月30日 -… 工藤 昭四郎(くどう しょうしろう、1894年7月30日 - 1977年10月13日)は、日本の官僚、実業家。日本興業銀行大阪支店長、大蔵省物価部長、復興金融金庫理事長、東京都民銀行頭取、経済同友会代表幹事などをつとめた。従三位勲一等瑞宝章。 1894年 徳島県 徳島市に生まれる。旧制徳島中学校、 第六高等学校を経て1921年に東京帝国大学法学部卒業。卒業後、日本興業銀行に入行、参事、調査部長、融資第四部長と昇進し、終戦時は大阪支店長であった。 1945年 大蔵省物価部長に転じ、翌年2月16日から相次いで実施された預金封鎖、財産税徴収、国家補償の全面打ち切り、米の強制供出、隠退蔵物資の強制買い上げ、失業対策など一連の非常措置の実施を主となって行い、成果を上げた。
前田 和三郎(まえだ わさぶろう、1894年〈明治27年〉7… 前田 和三郎(まえだ わさぶろう、1894年〈明治27年〉7月28日 - 1979年〈昭和54年〉8月17日)は、日本の整形外科医、医学博士、慶応義塾大学教授。 大阪市出身。1920年京都帝国大学医学部卒。卒業後は同大学の副手となる。1922年に助手となり、翌年同大学院に入り、1925年学位を受け、講師となる。1926年熊本医大(現・熊本大学医学部)教授兼整形外科医長となり、1928年慶應義塾大学医学部教授兼整形外科教室主任。1948年医師国家試験委員。1951年立川病院長も兼任した。この間文部省在外研究員として欧米に留学。日本外科学会、日本整形外科学会、日本胸部外科学会、麻酔学会の各会長を務めた。
古谷 専三(ふるや せんぞう、1894年7月27日 - 19… 古谷 専三(ふるや せんぞう、1894年7月27日 - 1991年9月6日)は、日本の英文学者。 神奈川県出身。旧制厚木中学校卒、教員検定試験合格、早稲田大学中退、日本大学文理学部卒、小学校・中学校教員、私塾経営をへて1942年日本大学助教授、教授、1959年「Studies in George Eliot’s realism」で日大文学博士。64年定年、1966年帝京大学文学部教授、文学部長。三男は英文学者の古谷三郎。ジョージ・エリオットが専門。
田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1… 田岡 嘉寿彦(たおか かずひこ、1894年7月27日 - 1985年7月21日)は、日本の弁護士・法学者。専門は私法学。大阪経済大学元理事長、同名誉教授。 1894年(明治27年)香川県三野郡上高瀬村(現 三豊市高瀬町)に生まれる。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、1915年(大正4年)京都帝国大学法律科入学、1918年(大正7年)に卒業し司法官試補となる。1920年(大正9年)大阪地方裁判所判事に任官。1922年(大正11年)学界に転じ大分高等商業学校教授に就任、法律学を担当。翌1923年(大正12年)よりイギリス・ドイツに留学する。1929年(昭和4年)彦根高等商業学校に転任し民法、商法などを講じた。
渡邉 健(わたなべ けん、1894年〈明治27年〉7月27日… 渡邉 健(わたなべ けん、1894年〈明治27年〉7月27日 - 1952年〈昭和27年〉3月31日)は、日本の政治家・医師。衆議院議員(2期)。 茨城県出身。渡邉賢次郎の長男として生まれる。1917年千葉医学専門学校(現在の千葉大学医学部)卒。卒業後は陸軍軍医となる。橋田病院に勤務し、独立して1922年に内科医院を開業する。この他茨城県議、東茨城郡渡里村(現在の水戸市)長、同在郷軍人会分会長、同農会長などを歴任する。また、上海事変に従軍し、支那派遣軍への慰問歴もある。 1940年1月、第20回衆議院議員総選挙茨城県第1区の再選挙で衆議院議員に当選。次の1942年の第21回衆議院議員総選挙には翼賛政治体制協議会(翼協)の推薦を受けて再選。