支倉 隆子(はせくら たかこ、1941年3月11日 - )は… 支倉 隆子(はせくら たかこ、1941年3月11日 - )は、日本の詩人。 本名は川瀬 隆子(旧姓・支倉)。夫は画家の川瀬裕之。 北海道札幌市生まれ。労働基準局勤務の父親の転勤で、中学2年から高校時代まで滝川市で育つ。北海道滝川高等学校を経て、1963年北海道大学文学部ロシア文学科卒業。 1976年に詩集『音楽』、1979年に『琴座』で2度H氏賞候補となる。1995年に『酸素31』で第19回地球賞を受賞。その後2003年に『身空x』で詩歌文学館賞候補となっている。 平明な表現の中に、幻想的要素を漂わせた作風が特色。ヴィジュアル・ポエトリィの活動を積極的に行っており、近年は朗読や美術家としての活動も行っている。
横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年〈昭和16年〉1月… 横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2023年〈令和5年〉2月2日)は、日本の政治家、弁護士。 衆議院議員(通算12期)、北海道知事(公選第10・11・12代)、衆議院議長(第73代)、衆議院副議長(第63代)、民主党総務会長を歴任。父は元日本社会党衆議院議員の横路節雄。 北海道札幌市で次男として生まれる。父・節雄は教員で、後に日本社会党で北海道議会議員、衆議院議員を務めた。母・美喜は経済学者の野呂栄太郎の妹である。札幌市立二条小学校を卒業。中学生時代に交通事故に遭い療養生活を余儀なくされ、4年かけて16歳で札幌市立啓明中学校を卒業する。北海道札幌西高等学校に入学するが、1年生の2学期から東京都立九段高等学校に転校し、同校を卒業。
樋口 雅山房(ひぐち がざんぼう、1941年-)は、日本の書… 樋口 雅山房(ひぐち がざんぼう、1941年-)は、日本の書家。北海道出身。前衛的な書道作品を手がけ、多数の文字デザインやアーティストとのコラボレーションによる創作活動を行う現代書家である。札幌市白石区在住。 1941年北海道に生まれる。家は薬屋を営んでいた。書道を習い始めたのは小学1年生の時である。小学生時代は、毎日のように書道展や美術展に通い詰めて過ごした。1957年、北海道札幌東高等学校に入学し、書道部で加納守拙に師事した。前衛的な書を指導していた加納守拙との出会いは、後生まで大きな影響を及ぼすこととなった。また、同じ書道部には阿部典英が在籍していた。この頃、井上有一の作品に出会ったことで、京都で結成された書の前衛派による墨人会に興味をもち、修学旅行で京都を訪れた際、墨人会のリーダーであった森田子龍を訊ねている。
西村 六善(にしむら むつよし、1940年- )は、日本の外… 西村 六善(にしむら むつよし、1940年- )は、日本の外交官。外務省欧亜局長を経て、経済協力開発機構(OECD)政府代表部特命全権大使、地球環境問題担当特命全権大使兼気候変動担当政府代表、内閣官房参与等を歴任した。 北海道札幌市生まれ。麗澤高等学校を経て、上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中に外務公務員試験に合格。1962年大学を中退し、外務省入省。条約局協定課長、報道課長、大臣官房総務課長を経て、1994年シカゴ総領事。1997年外務省欧亜局長。1999年からOECD日本政府代表部特命全権大使を務め、気候変動問題などを担当。2002年特命全権大使(アフガニスタン支援調整担当)。2003年駐メキシコ特命全権大使。
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月… 保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家。 北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち(なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない)。 北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる。父親は群馬県、母親は江別市出身。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生、西部邁は中学校の1年先輩に当たる。
阿部 典英(あべ てんえい、1939年12月 - )は日本の… 阿部 典英(あべ てんえい、1939年12月 - )は日本の彫刻家。本名は阿部典英(あべ のりひで)。 北海道札幌市生まれ。疎開により同島牧村で少年期を過ごす。。北海学園大学経済学部卒業。元浅井学園大学(現在の北翔大学)教授。立体造形の作品を多数発表している。 1939年札幌市生まれ。父親は島牧郡東島牧村(現島牧村)、母親は寿都郡寿都町出身。疎開により、幼年期を茅部郡森町・寿都郡黒松内町などで過ごした後、5歳の時東島牧の父方の祖父母の家に移り、中学時代まで育った。本人も「島牧に自分の原風景がある」と語る。北海道札幌東高等学校に入学、美術部に入部したが、部の顧問教師に阿部の抽象絵画が受け付けられず、退部した。
黒川 雄二(くろかわ ゆうじ、1939年(昭和14年)9月2… 黒川 雄二(くろかわ ゆうじ、1939年(昭和14年)9月20日 - 2022年(令和4年)9月21日)は日本の基礎医学研究者、厚生労働技官。専門は毒性学、実験腫瘍学。北海道札幌市生まれ。黒川利雄の長男。 1964年東北大学医学部医学科卒業。1969年同大学医学部大学院医学研究科を修了し医学博士。その後、東北大学抗酸菌病研究所肺がん研究部門の文部教官助手。1975年から約2年間アメリカ国立癌研究所病理部客員研究員として比較腫瘍学研究室(Dawe,CJ博士)に留学。1978年、国立衛生試験所(現国立医薬品食品衛生研究所)安全性生物試験研究センター病理部腫瘍病理室長(部長小田嶋成和)に就任。1987年同所毒性部長を経て、1995年同所安全性生物試験研究センター長。
伊藤 隆道(いとう たかみち、1939年1月2日 - )は日… 伊藤 隆道(いとう たかみち、1939年1月2日 - )は日本の造形家。「動く彫刻」の第一人者。東京芸術大学名誉教授。環境芸術学会会長、道都大学客員教授等も歴任。 北海道札幌市に生まれる。北海道札幌南高等学校を経て、東京芸術大学美術学部工芸科で金属工芸を専攻。ショーウィンドウディスプレイのデザインを皮切りに、彫刻、照明など幅広く立体造形の作品を手がける。鏡面のステンレスパイプを曲げ、モーター駆動により優美な造形を動かす作品を制作する。
小川 捷之(おがわ かつゆき、1938年10月30日 - 1… 小川 捷之(おがわ かつゆき、1938年10月30日 - 1996年12月6日)は、日本の臨床心理学者。学位は、教育学博士(筑波大学・論文博士・1978年)。 北海道札幌市生まれ。実験心理学から臨床心理学に転じ、関東におけるユング派分析心理学研究の拠点となった山王教育研究所を主宰した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
菊地 昌実(きくち まさみ、1938年(昭和13年)9月20… 菊地 昌実(きくち まさみ、1938年(昭和13年)9月20日 - 2020年(令和2年)5月27日)は、日本のフランス文学・比較文学者、北海道大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。1961年東京大学教養学部教養学科フランス分科卒、1966年東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。北海道大学教養部助教授、言語文化部教授、2002年名誉教授。肝炎訴訟を支える会世話人代表。 2020年5月27日、胃癌のため死去。
竹内 善徳(たけうち よしのり、1937年 <昭和12年> … 竹内 善徳(たけうち よしのり、1937年 <昭和12年> 8月27日 - 2006年 <平成18年> 5月14日)は、日本の柔道家。1962年全日本選手権の覇者。国際柔道連盟副会長、筑波大学名誉教授らを歴任。叙従四位、授瑞宝中綬章。 北海道札幌市出身。北海道札幌東高等学校で本格的に柔道をはじめ、北海道チャンピオンとなる。高校卒業後は柔道の道を志し東京教育大学(のちの筑波大学)へ進学。大学での同級生に学生初の全日本選手権覇者となる猪熊功がいたが、2人の先輩にあたる長谷川博之(埼玉県柔道連盟副会長)は「荒武者でファイターの猪熊に対し、竹内は理論派で紳士」と語っている 1960年に大学を卒業すると、大分の大分上野丘高校にて教師に。
栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年〈昭和12年〉5月9日… 栗塚 旭(くりづか あさひ、1937年〈昭和12年〉5月9日 - 2025年〈令和7年〉9月9日)は、日本の俳優。男性。身長175cm(1967年1月)。劇団くるみ座出身。 北海道札幌市出身。札幌市立向陵中学校、京都府立洛北高校卒業。 1965年にテレビドラマで演じた土方歳三が当たり役となり、以降も多くのドラマや映画、舞台で土方を演じた。 幼少のころに父を亡くし、札幌市立向陵中学校を卒業するころには母も亡くしたため、教師をしていた兄夫婦を頼って1953年に京都市へ移り住む。 高校へは編入というかたちで入学し、定時制へ1年間通ったのち、全日制へ移った(定時制当時は、法然院などへ来ていた映画撮影隊のロケーションを昼間の空いた時間を使ってよく観に行っていた)。
灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月… 灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月17日 - )は、日本の競技麻雀のプロ雀士、エッセイスト、漫画原作者、歌手。日本プロ麻雀連盟名誉会長(第2代会長)。同団体内での段位は九段。 北海道札幌市生まれ。国鉄勤務の父に従って幼少期は道内各地を転々とした後に室蘭市に移る。小学5年生の頃に大人が打つ麻雀を後ろで見てルールを覚える。 北海道室蘭栄高等学校を経て、北海学園大学経済学部に入学。大学在学中よりすすきののキャバレーで支配人らと麻雀を打ちステージで歌を歌うという生活を送り、麻雀で生計を立てることを誓う。卒業後7年間は各地を転々としいわゆる麻雀放浪をする。 1976年、第1期最高位戦で優勝(順位率部門)。
近藤 良一(こんどう りょういち、1937年3月13日 -… 近藤 良一(こんどう りょういち、1937年3月13日 - 2015年2月22日)は、日本の僧侶・哲学者・仏教学者。専門はインド哲学・仏教学。苫小牧駒澤大学2代学長。号は「近藤聖欣」。駒澤大学名誉教授・曹洞宗北大寺住職だった人物。札幌市生まれ 関稔とは同じ師を持つ同門で、急病により同学長を辞任し、後輩に学長職を引き継いでもらった。
浅野 孝(あさの たかし、1937年2月7日 - ) は、日… 浅野 孝(あさの たかし、1937年2月7日 - ) は、日本出身でアメリカ合衆国の環境工学者。カリフォルニア大学デービス校名誉教授。 北海道札幌市生まれ。北海道札幌南高等学校卒業後、1959年北海道大学農学部農芸化学科卒業。1965年カリフォルニア大学バークレー校工学部土木・環境工学科工学修士(M.S.E.)。1970年ミシガン大学土木環境工学科工学博士(Ph.D.)。1978年から1999年までカリフォルニア州水資源管理局水質高度利用専門官兼務。1981年カリフォルニア大学デービス校教授。2002年カリフォルニア大学デービス校名誉教授。2009年科学技術振興機構水領域アドバイザー。
田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 -… 田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 - 没年不明 )は、北海道札幌市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は羽賀 弘道(はが ひろみち)。173cm、85kg。最高位は東十両18枚目。得意技は右四つ、寄り。 北海道札幌北高等学校では陸上競技で活躍して3年生で円盤投げや砲丸投げの記録を作り、その評判を聞いた立浪部屋の世話人中ノ島が訪ねて来て勧誘し、北光山と名乗って土地相撲で活躍した父は入門を承諾した。自身は小学校時代から絵画と漫画描きに熱中しており、それを活かせる商業デザイナーを志望していたが、相撲は嫌いではなかったので高校3年生で中途退学して入門した。1954年9月場所に初土俵。
田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - … 田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - 2018年12月30日)は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。兄は、元プロ野球選手の田原基稔。 兄の影響で野球を始め、北海高では、1年夏の甲子園に控え投手としてベンチ入りするなど将来を嘱望された。2年次からエースとなるが、1952年夏の北海道大会では、1回戦で太田侃(元近鉄)・橋本力(元毎日)・渡部久仁男(元巨人)らを擁する函館西高に0対10と7回コールド負けを喫する。以後は当時の監督であった筧智の指示で、1日800球の投げ込みや走り込み、100本ノックなどの猛練習でスタミナをつける。同年の秋季大会では、決勝で再び函館西高と顔を合わせるが、8対1で快勝して雪辱を果たし、翌1953年の選抜出場を果たす。
大塚 榮子(おおつか えいこ、1936年〈昭和11年〉1月1… 大塚 榮子(おおつか えいこ、1936年〈昭和11年〉1月13日 - )は、日本の薬学者、遺伝子学者。核酸の化学合成技術を用いて、がん遺伝子の全合成やヒト成長ホルモンの遺伝子による合成を達成し、核酸ならびにタンパク質の構造や機能を解明した。また、RNAの化学合成技術の開発と機能の解明、RNAの配列特異的な切断技術の開発も行い、現在の核酸医薬の基礎を作った。 1936年(昭和11年)、北海道札幌市生まれ。中高一貫のミッションスクール・北星学園女子中学高等学校に学ぶ。高校時代に盲腸をこじらせて入院した際に、病院で楽しそうに働く人の姿に興味を持つ。1954年(昭和29年)北海道大学に進学し、大学2年生の10月に新設の医学部薬学科(現・薬学部)へ進学。
白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )… 白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。北海道札幌市出身(岩見沢市、または小樽市出身とする文献もある)。81プロデュース所属。 北海道札幌南高等学校卒業後、NHK札幌放送劇団に入る。1957年のラジオドラマ『赤い石』で、同年度の芸術祭文部大臣演技奨励賞を受賞。そのことがきっかけで、東京放送劇団に移る。その後プロダクションエム・スリーに所属した。この間俳優座養成所第13期生として入所し、3年間演技の基礎を学んでいた。 近年は朗読を中心に活動を続けている。 特技は東北弁。趣味はシャンソン。 札幌市立豊水小学校(現:札幌市立資生館小学校)時代の5年生の時に、卒業式で在校生総代として祝辞を読む時の皆から募集した祝辞の作文をはっきりと大きい声で、皆の前で聞こえるように読む課題で、子供たちにコンクールをしていた。
大西 敬三(おおにし けいぞう、1935年10月1日 - 2… 大西 敬三(おおにし けいぞう、1935年10月1日 - 2018年2月3日)は、日本の経営者、工学博士。日本製鋼所社長を務めた。北海道札幌市出身。 1960年に北海道大学工学部冶金工学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。1989年に取締役に就任し、1991年に常務、1993年に専務を経て、1994年に副社長に就任し、1995年に社長に昇格。2001年に相談役を経て、2009年に名誉顧問に就任。1975年から1977年までに室蘭工業大学で非常勤講師、1989年から1991年までに客員教授を務め、日本防衛装備工業会会長も務めた。 2005年に旭日中綬章を受章した。 2018年2月3日病気のために死去。
西里 静彦(にしさと しずひこ、1935年6月9日 - )は… 西里 静彦(にしさと しずひこ、1935年6月9日 - )は、カナダの行動計量学者(計量心理学)。学位は、Ph.D.(ノースカロライナ大学・1966年)。トロント大学名誉教授、アメリカ統計学会フェロー、日本行動計量学会名誉会員。北海道札幌市生まれ、十勝郡浦幌町育ち。 マギル大学心理学部研究員、マギル大学精神医学部統計コンサルタント、トロント大学オンタリオ教育大学院測定評価学部部長、トロント大学オンタリオ教育大学院教授、国際計量心理学会会長などを歴任した。 日本で生まれ、カナダで活躍した行動計量学者である。国際計量心理学会の会長を務めるなど要職を歴任し、計量心理学と非線型多次元データ解析の発展に尽くした。
川嶋 至(かわしま いたる、1935年(昭和10年)2月15… 川嶋 至(かわしま いたる、1935年(昭和10年)2月15日 - 2001年(平成13年)7月2日)は、文芸評論家。北海道札幌市生まれ。1958年(昭和33年)北海道大学文学部国文科卒業後、1964年(昭和39年)同大学院博士課程満期退学。日本近代文学を専攻していた在学中に『位置』の同人となる。その後、岩手大学講師、東京工業大学助教授、教授を歴任。川端康成の研究家として知られ、川端の元恋人の伊藤初代の実体をいち早く究明した研究者として注目された人物である。 大学院時代の1961年(昭和36年)3月、評論「『伊豆の踊子』を彩る女性(上・下)」を発表し、いち早く川端康成の初期の恋人「伊藤初代」の存在に着目していたが、この論はほとんど注目されなかった。
内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 -… 内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 - 2022年2月2日)は、読売新聞グループ本社顧問、同社元代表取締役社長、日本新聞協会会長、第13代横綱審議委員会委員長。位階は正三位。 北海道札幌市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学文学部社会学科卒業。1957年4月、読売新聞社入社。地方部を中心に記者として活動する。制作局を担当していた当時、印刷拠点の分散化を経営トップに進言して功績が認められる。のちに渡邉恒雄から後継者指名を受ける。 2022年2月2日21時48分、心不全のため、東京都内の病院で死去。86歳没。同日付をもって正三位に叙され、旭日大綬章を受章した。
木村 直司(きむら なおじ、1934年9月11日 - )は、… 木村 直司(きむら なおじ、1934年9月11日 - )は、日本のドイツ文学者、上智大学名誉教授。専攻はゲーテ研究。 札幌市出身。北海道札幌北高等学校卒、1959年上智大学文学部ドイツ文学科卒業、西ドイツに学び、1963年ミュンヘン大学で博士号。 1963年上智大学文学部専任講師、68年助教授、75年教授、2000年定年退職、名誉教授、レーゲンスブルク大学客員教授。1982年ジーボルト賞を受賞した。 ドイツ文芸アカデミー通信会員、日本ゲーテ協会副会長、ウィーン文化科学研究所 (INST) 副会長、元レーゲンスブルク独日協会副会長。
宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 - … 宇能 鴻一郎(うの こういちろう、1934年7月25日 - 2024年8月28日)は、日本の小説家、官能小説家、推理作家。 北海道札幌市出身。本名鵜野 廣澄(うの ひろずみ)。下の名前を音読みした「ウノコウチョウ」をもじったペンネームであり、同人誌時代には「宇野興長」の筆名も用いていた。嵯峨島 昭(さがしま あきら)名義で推理小説も執筆している。 東京府士族の鵜野二弥と、佐賀県士族の綾(旧姓:徳久)の間に長男として出生。軍事会社の工場の副所長 であった父の転勤に従い各地を転々とし、奉天から敗戦で引き揚げた。満州時代、小学校5〜6年のころ、盗みを働いて捕まり、ロシアの司令官の邸宅で全裸のまま給仕をさせられたことがある、という。
本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、… 本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、日本の劇場経営者、実業家、俳優である。本多劇場グループ代表として、下北沢が「演劇の街」と呼ばれるようになった契機を作った。社団法人日本劇団協議会顧問。東京都世田谷区在住[要出典]。息子は本多劇場総支配人の本多愼一郎。 北海道札幌市に生まれ、1953年(昭和28年)に北海道立伏見高校(現・北海道札幌啓北商業高等学校)を卒業後、北海道放送(HBC)の演劇研究所で学んだ後に上京した。 初めは俳優として活動し、映画俳優として新東宝に入社、1955年(昭和30年)の「新東宝ニューフェイス 第4期生」となった。新東宝ニューフェイスの同期には、女優・三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代、北沢典子、浅田勝子らがいた。
三代目 貴音 三郎助(さんだいめ きおん さぶろうすけ、19… 三代目 貴音 三郎助(さんだいめ きおん さぶろうすけ、1934年(昭和9年)3月25日 - 2025年(令和7年)11月30日)は、長唄唄方、人間国宝。本名は宮田 哲男(みやた てつお)。長らく東音宮田哲男(とうおん みやた てつお)を名乗っていたが、2009年に「貴音三郎助」の名跡を三代目として襲名した。
竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 202… 竹山 実(たけやま みのる、1934年3月15日 - 2020年9月24日)は、日本の建築家。竹山実建築綜合研究所所長。イリノイ大学名誉教授。武蔵野美術大学名誉教授。アメリカ建築家協会(AIA)名誉会員。 北海道札幌市出身。フルブライト奨学金で留学したハーバード大学大学院修士課程を修了後、ホセ・ルイ・セルトや、イサム・ノグチの事務所に勤務し、その後、1962年、デンマークに渡る。デンマークでは、ヨーン・ウツソン、アルネ・ヤコブセン、フィン・ユール、ヘニング・ラーセンの事務所に勤務、また、1963年から一年間、教師としてデンマーク王立アカデミー建築科に勤めた。 1964年に帰国し、竹山実建築綜合研究所を設立。
片岡 寛光(かたおか ひろみつ、1934年 - )は、日本の… 片岡 寛光(かたおか ひろみつ、1934年 - )は、日本の行政学者。学位は、博士(政治学)(早稲田大学)。称号は、早稲田大学名誉教授(2005年)、瑞宝中綬章受章(2012年)、早稲田大学名誉評議員(2014年)。専門は、行政学。 札幌市生まれ。北海道札幌西高等学校、早稲田大学政治経済学部卒。 1967年以降早稲田大学政治経済学部に助手から勤務。1976年から教授。1990年から1994年まで同学部長。1994年から1998年まで同大学大学院政治学研究科委員長。2003年から2005年まで同大学大学院公共経営研究科専任教授・委員長。カリフォルニア大学で在外研究を行う。1990年から1994年日本行政学会理事長。
工藤 恒美(くどう つねみ、1933年11月17日 - )は… 工藤 恒美(くどう つねみ、1933年11月17日 - )は日本の漫画家、イラストレーター。日本漫画家協会会員。北海道札幌市出身。女性名に多い名前であるが男性である。 北海道札幌東高等学校卒業。北海道大学で文部事務官を勤め、その間、おおば比呂司と出会い展覧会などの仕事に携わるようになる。また、札幌市の広報誌に4コマ漫画などを発表。その後、文部事務官を辞し1962年に上京。新聞の4コマ漫画を中心に執筆活動を行い、1981年『ツッパラサール学園』にて第27回文藝春秋漫画賞を受賞した。
松本 徹(まつもと とおる、1933年8月19日 - )は、… 松本 徹(まつもと とおる、1933年8月19日 - )は、日本の文芸評論家。近畿大学・武蔵野大学教授、三島由紀夫文学館館長を経て顧問。 北海道札幌市生まれ。大阪市立大学文学部国語国文学科卒業後、産経新聞社に入社。記者時代の1963年に「森鷗外ノート」で第6回群像新人文学賞(評論部門)候補。1973年に「三島由紀夫論」を発表。文芸評論、小説を書き、徳田秋声論を書いている。1977年に姫路工業大学、1980年に近畿大学教養部教授。1982年から『文學界』で同人雑誌評を担当、1993年から2004年まで武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)教授。その時期は作家・漫画家の白倉由美の指導教官だった。 2006年『徳田秋声全集』(八木書店)の編纂で菊池寛賞受賞。
有馬 龍夫(ありま たつお、1933年6月13日 - )は、… 有馬 龍夫(ありま たつお、1933年6月13日 - )は、日本の外交官。元日本国政府代表で、外務省北米局長、内閣外政審議室長、駐ドイツ特命全権大使、早稲田大学教授、中東調査会理事長を歴任。次男の有馬裕も外交官で、外務省大臣官房審議官及びサイバーセキュリティ政策担当大使である。 北海道札幌市生まれ。1950年、成蹊中学校卒業。成蹊高等学校在学中に、米国セント・ポールズ・スクールへ留学。1957年、ハーバード大学政治学部卒業。ハーバード大学大学院に進み、博士号取得、同大講師となる。1962年、外務省入省。北米局長、内閣外政審議室長、駐オランダ大使、駐ドイツ大使などを歴任。1997年、同省参与。1998年4月から2004年3月にかけ、早稲田大学政治経済学部教授。
石田英夫(いしだ ひでお、1933年5月3日- )は、日本の… 石田英夫(いしだ ひでお、1933年5月3日- )は、日本の経営学者。経済学博士(慶應義塾大学・論文博士・1976年)。慶應義塾大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。北海道札幌東高等学校卒業。1957年慶應義塾大学経済学部卒業、1964年ハーバード・ビジネス・スクール修了、1976年「日本の労使関係と賃金決定に関する実証的研究」で慶應義塾大学より経済学博士の学位を取得。1961年慶應義塾大学ビジネススクール助手、1968年助教授、1976年教授、大学院経営管理研究科教授。1999年定年、名誉教授、東京理科大学教授、2002年中村学園大学教授、2007年東北公益文科大学教授。
青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2… 青山 裕治(あおやま ひろはる、1933年4月28日 - 2015年12月10日)は、北海道札幌市出身 のプロ野球選手(投手)。 札幌光星高から社会人野球の札幌鉄道管理局に入団。社会人時代は、1955年にノンプロ全国大会で優勝。 1956年に大映スターズに入団。1958年にチームが大毎オリオンズへ吸収合併となり、同年は大毎でプレーし、シーズン終了後に退団。 1960年から1962年まで、社会人野球の東洋高圧砂川でプレーした。 引退後は岩手県北上市の会社に勤務していた。2015年12月10日、北上市で死去。82歳没。
浅見 公子(あさみ きみこ、1933年3月16日 - )は、… 浅見 公子(あさみ きみこ、1933年3月16日 - )は、日本の法学者。学位は、法学博士(北海道大学)。専門は比較法、英米の家族法に関する研究業績で知られる。成城大学名誉教授。北海道札幌市出身。
中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、… 中野 美代子(なかの みよこ、1933年3月4日 - )は、日本の中国文学者、作家。北海道大学文学部、言語文化部教授を経て、北海道大学名誉教授。『西遊記』などの中国文学、中国文化をテーマにした論考・エッセイ、中国やアジア諸地域を舞台にした小説作品を多数発表。 北海道札幌市生まれ。北海道庁立札幌高等女学校(現北海道札幌北高等学校)、北海道札幌西高等学校を経て、1956年北海道大学文学部中国文学科卒業、同助手。 1961年に「世界ノンフィクション全集」監修者の吉川幸次郎に指名されて、耶律楚材「西遊録」を翻訳。また吉川には広く教えを受けた。65年オーストラリア国立大学高等学術研究所助手、67年退職、68年、香港、台湾で資料収集をへて帰国、71年北海道大学文学部助教授、81年教授、83年同言語文化部教授。
伊藤 竹男(いとう たけお、1933年1月9日 - )は、国… 伊藤 竹男(いとう たけお、1933年1月9日 - )は、国営競馬、日本中央競馬会の騎手ならびに調教師であった人物。 1951年に国営競馬(後の日本中央競馬会)でデビュー。キタノオー、ダイゴホマレ、ガーネット、ニットエイトなどに騎乗して八大競走8勝、通算では471勝を挙げた。特に追い込みを身上とした勝負強い騎手として知られた。1972年より調教師として厩舎開業し、1998年8月に引退。日本中央競馬会調教師の伊藤伸一は長男。1958年初頭までは「勝尾(かつお)」姓であった。 1933年、北海道札幌市に生まれる。両親は市内で「入枡」という天ぷら店を経営しており、常連であった騎手兼調教師の上村大治郎に数頭の競走馬を預けてもいた。
半田 正夫(はんだ まさお、1933年1月3日 - )は、日… 半田 正夫(はんだ まさお、1933年1月3日 - )は、日本の法学者(知的財産法・民法)。元学校法人青山学院理事長、元青山学院大学学長。法学博士(北海道大学、1967年)(学位論文「著作権の一元的構成について」)。弁護士(第二東京弁護士会)。北海道札幌市出身。
大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日… 大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日本の実業家。NTTドコモ社長、同社会長を歴任。北海道札幌市出身。 1945年北海道庁立札幌第一中学校入学、1951年北海道札幌北高等学校卒。1957年東京大学法学部卒業後、日本電信電話公社(現NTT)入社、1966年北海道石狩深川電報電話局長。電気通信総合研究所経営研究室長、データ通信本部営業部長などを経て、1988年NTT取締役経営企画本部長、1990年同常務企業通信システム本部長、1992年NTT移動通信網(NTTドコモ)社長、1998年同会長、現在に至る。社長時代にiモード開発を推進した。 多趣味で知られ、学生時代は全都道府県を旅行したように、今もぶらり出かける外出を好む。
五十嵐 日出夫(いがらし ひでお、1932年 <昭和7年> … 五十嵐 日出夫(いがらし ひでお、1932年 <昭和7年> 2月7日 - 2006年 <平成18年> 10月20日)は、日本の工学者・官僚。北海道大学名誉教授・北海学園大学名誉教授。北海道における都市計画学の第一人者。札幌市出身。位階は正四位。 1954年(昭和29年)北海道大学工学部土木工学科卒業後、同年運輸省入省。間もなく北海道開発局へ出向。1956年(昭和31年)北海道大学工学部土木工学科専任講師(都市計画学担当)。1958年(昭和33年)同工学部土木工学科助教授(都市計画学担当)。1975年(昭和50年)同工学部土木工学科教授(交通計画学講座)。1995年(平成7年)北海道大学停年退官。
五十嵐 恒夫(いがらし つねお、1932年 - 2024年)… 五十嵐 恒夫(いがらし つねお、1932年 - 2024年)は、日本の農学者。農学博士。北海道大学名誉教授。北海道のキノコの権威。北海道自然環境保全審議会会長、北海道森林審議会会長、北海道国土利用計画審議会会長、北海道林木育種協会会長などを歴任。 1960年北海道大学農学博士。論文は「北海道針葉樹生立木の腐朽・腐朽菌の培養的性質ならびにトドマツ・エゾマツ材の比較抵抗力に関する研究 」。 北海道出身。1955年、北海道大学農学部林学科卒業。造林学、森林病理学の立場から菌類を研究。80年代、90年代にそれぞれ264種、266種のキノコを収録した図鑑を発表し、さらに2006年、800種のキノコを収録したキノコ図鑑を発表した。
笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月… 笠井 誠一(かさい せいいち、1932年 - 2025年6月12日)は、日本の洋画家。立軌会同人、愛知県立芸術大学名誉教授。シンプルな描線で、緻密に構築された静物画を描いた。 1932年、北海道札幌市生まれ。生家は札幌時計台近くに店を構えるマリヤ手芸店。北海道札幌西高等学校を経て、1957年東京芸術大学卒業。1959~66年、滞仏。1985年から立軌会同人。1991年、名古屋市芸術賞芸術特賞。2001年、安田火災東郷青児美術館大賞受賞・同記念展。2015年、笠井誠一展(札幌芸術の森美術館)、2018年、笠井誠一展(練馬区立美術館)。2018年、瑞宝中綬章受章。 2025年6月12日、老衰のため、自宅で亡くなった。
奥野 正男(おくの まさお、1931年11月15日 - 20… 奥野 正男(おくの まさお、1931年11月15日 - 2020年6月6日)は、日本の考古学者、古代学者。元筑紫古代文化研究所代表。元東アジアの古代文化を考える会会長。元宮崎公立大学教授。 北海道札幌市出生、美唄市出身。炭鉱で働きながら美唄東高等学校定時制を卒業。三井美唄炭鉱などに勤務の傍ら、リアリズム研究会や日本民主主義文学同盟に所属し、雑誌『現実と文学』『民主文学』などに小説を発表。1965年には小説「地底の炎」で第3回リアリズム文学賞を受賞している。後に古代史に関心を向け、1980年に「邪馬台国九州論―鉄と鏡による検証」で『邪馬台国』創刊1周年記念論文最優秀賞受賞。1981年に「三角縁神獣鏡の研究」で第6回郷土史研究賞特別賞受賞。
石田 満(いしだ みつる、1931年10月22日 - 201… 石田 満(いしだ みつる、1931年10月22日 - 2019年6月19日)、日本の法学者・弁護士。専門は商法・保険法。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1967年)(学位論文「保険の目的物の譲渡 」)。上智大学名誉教授。北海道札幌市生まれ。鴻常夫門下。 主に保険法が専門。特に、損害保険・自動車保険を研究。 『商法・保険法の現代的課題 : 石田満先生還暦記念論文集』(文眞堂 1992年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
布施豊正(ふせ とよまさ、1931年- )は、日本出身の、北… 布施豊正(ふせ とよまさ、1931年- )は、日本出身の、北米で活動した自殺学者、ヨーク大学名誉教授。 札幌生まれ。札幌第一高等学校(現札幌南高校)卒。1950年戦後初の占領軍によるアメリカ留学生選抜試験に合格し渡米。1954年ミズーリバレーカレッジ卒業後、1956年カリフォルニア大学バークレー校に進学、修士号取得。61年同大学にて博士号取得。アンティオク大学、コーネル大学客員教授。1968年ベトナム反戦運動の一環として他のアメリカ人反戦教授と共にカナダに移住。フランス語系のモントリオール大学に准教授として赴任。同年12月、ノーベル委員会による特別招待で川端康成のノーベル賞授賞式に参加。1972年ヨーク大学に正教授(自殺学)として迎えられる。
桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] … 桂 信雄(かつら のぶお、1930年10月18日[要出典] - 2020年11月16日)は、日本の政治家。元札幌市長(在任1991年 - 2003年、3期)。 1931年(昭和6年)、北海道札幌市に生まれる。札幌市立山鼻小学校、北海道立札幌第二高等学校(現:北海道札幌西高等学校)卒業。北海道大学法経学部を卒業後、札幌市役所に就職。札幌市役所では、施設局市街地開発部長、総務局財政部長、北区長、企画調整局長、教育長を歴任。1983年6月、札幌市助役に着任。 1991年、自民党・社会党・公明党・民社党の推薦を得て、札幌市長選挙に立候補。共産党推薦候補などに大差をつけて当選。初の札幌生まれの市長となる。
中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日… 中谷 一郎(、1930年10月15日 - 2004年4月1日)は、日本の俳優。本名は中村 正昭(なかむら まさあき)。北海道札幌市出身。妻は俳優座の女優・美苗。 北海道立札幌第一高等学校(現・北海道札幌南高等学校)卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科を中退。 親友から「新劇を受けたらどうだ」と助言を受け、演劇の道を志す。 1952年に俳優座養成所に第4期生として入所。同期には仲代達矢・宇津井健・佐藤慶・佐藤允らがいる。なお、このうち佐藤允、仲代、中谷の3人は、後年岡本喜八監督作品の常連として喜八一家と呼ばれるようになり、佐藤慶も2本の岡本作品に出演している。舞台のみならず、映画・テレビで存在感のある脇役として活躍した。
石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月… 石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月22日 - 2006年〈平成18年〉9月18日)は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、公明党委員長(第5代)、総務庁長官(第13・14代)、公明新党代表(初代)、新進党副党首、公明党最高顧問を歴任した。実兄は参議院議員を務めた石田次男。 北海道札幌市生まれ。旧制明治中学、明治大学商学部を卒業後、聖教新聞広告部に務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から立候補し、初当選(通算10期)。公明党臨時党大会で公明党副書記長に就任し、19年に渡り務める。 1986年12月、衆参同日選挙後に行われた公明党大会で公明党筆頭副委員長に就任する。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2… 左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日 - 2012年2月10日)は、日本の俳優。北海道札幌市出身。血液型はA型。本名は廣田 信夫(ひろた のぶお)。劇団中芸、東京芸術座、東京俳優生活協同組合を経て、最終所属はたむらプロ。舞台芸術学院卒業。 高校卒業後に兄を頼って上京。1955年に劇団中芸入団。1959年に東京芸術座が誕生すると団員の一人となる。東京芸術座の舞台やテレビ、映画で活躍した。1979年に京都市民映画祭でテレビ部門男優賞を受賞。 結束信二作品の常連的存在で、『忍びの者』から『燃えよ剣』までの全ての作品に出演していた。特にテレビ時代劇『用心棒』シリーズは、左右田のみ同じ品田万平役でシリーズ4作全て出演した。