大島 蓉子(おおしま ようこ、本名:大場 陽子、1953年1… 大島 蓉子(おおしま ようこ、本名:大場 陽子、1953年1月22日 - )は、日本の女優、タレント。宮城県古川市(現在の大崎市古川)出身。血液型はAB型。身長168.5 cm。青年座映画放送所属。 宮城県岩出山高等学校卒業。 当初は青年座研究所で大島 瑶子名義で活動。 1989年、スクリーンデビュー。 あらゆる作品の端々に登場しており、昼ドラや2時間ドラマにも多数出演。 2000年から放映された『トリック』シリーズでの大家・池田ハル役が当たり役となって以降、コミカルなキャラクター・おばちゃん役での起用が増加した(東北弁を生かした役柄も多い)。それ以前は『サイコメトラーEIJI』に登場する管理人という似たキャラクターを演じている。
佐々木 治樹(ささき はるき、1953年、)東京六大学野球選… 佐々木 治樹(ささき はるき、1953年、)東京六大学野球選手(野手)。右投右打。慶應義塾大学硬式野球部所属。
佐藤 仁一(さとう じんいち、1951年(昭和26年)4月2… 佐藤 仁一(さとう じんいち、1951年(昭和26年)4月22日 - )は、日本の政治家。宮城県議会議員(2期)。元宮城県岩出山町(現・大崎市)長(4期)。 宮城県大崎市出身、大崎市立岩出山中学校、宮城県古川高等学校卒業後、酪農業に従事する。1990年、岩出山町長に当選、大崎市に合併する2006年まで4期務めた。この間、岩出山町にある道の駅あ・ら・伊達な道の駅の社長に就任、経営を黒字に転換させた。2010年の大崎市長選挙に立候補したが、現職の伊藤康志に敗れた。2014年の大崎市議会議員選挙に立候補してトップ当選した。2018年の選挙でも2位で再選。2019年の宮城県議会議員選挙で大崎市選挙区から立憲民主党公認で立候補し、当選した。
荒川 忠一(あらかわ ちゅういち、1951年〈昭和26年〉4… 荒川 忠一(あらかわ ちゅういち、1951年〈昭和26年〉4月 - )は、日本の機械工学者。数値流体力学の権威。世界最軽量の汎用小型風力発電システムの開発の第一人者。東京大学名誉教授、京都大学特任教授、名古屋大学客員教授。世界風力エネルギー学会副会長。
佐々木 宗實(ささき もとみ、1948年 - )は、日本生ま… 佐々木 宗實(ささき もとみ、1948年 - )は、日本生まれの画家であり、新制作協会の絵画部会員として活動する人物である。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身で、1966年に宮城県古川高等学校を卒業し、1969年に日本美術学校油絵科を修了した。 佐々木が生まれた1948年は、第二次世界大戦終戦後の混乱期にあたる。日本は戦後復興の途上にあり、美術界もまた大きな変革の時代を迎えていた。戦前の伝統的な日本画・洋画に加え、戦後は前衛芸術や抽象表現が台頭し、美術界は多様化していった。1950年代~60年代にかけて、日本では具体美術協会などが登場し、新しい表現が模索された。1970年代に入ると、高度経済成長期を背景に日本の美術界も安定し、写実表現や抽象画など多様な作品が発表されるようになった。
伊東 総一郎(いとう そういちろう、1947年10月21日 … 伊東 総一郎(いとう そういちろう、1947年10月21日 - )は、宮城県大崎市出身の射撃選手。宮城県築館高等学校卒業。バルセロナ五輪、アトランタ五輪代表。宮城県クレー射撃協会会長。
中鉢 良治(ちゅうばち りょうじ、1947年9月4日 - )… 中鉢 良治(ちゅうばち りょうじ、1947年9月4日 - )は、日本の実業家。学位は工学博士(東北大学・1977年)。国立研究開発法人産業技術総合研究所最高顧問、東京情報デザイン専門職大学学長。 ソニー株式会社執行役副社長兼COO、同取締役・代表執行役社長兼エレクトロニクスCEO、同取締役・代表執行役副会長、国立研究開発法人産業技術総合研究所理事長、社団法人日本経済団体連合会評議員会副議長・産業技術委員会共同委員長、ゆうちょ銀行取締役、NTT取締役などを歴任した。 1947年、宮城県大崎市にて生まれた。宮城県仙台第二高等学校卒業。小野寺正(のちにKDDI社長)は高校の理系クラスの同級生。高校卒業後は、東北大学工学部へ進学。
佐々木 多利爾(ささき たりじ、1946年 -)は、日本のグ… 佐々木 多利爾(ささき たりじ、1946年 -)は、日本のグラフィックデザイナー。宮城県大崎市出身。『月刊コロコロコミック』の表紙装丁の2代目デザイナーとして知られる(初代は有賀一宇)。 小学館とのかかわりが長く、『コロコロコミック』の表紙装丁を1986年1月号(No.93)から担当。2020年11月18日には、同一の児童向け雑誌の表紙を最も長く担当したデザイナーとしてギネス世界記録に認定され、認定証を授与された(同年7月15日までの34年213日が「同一雑誌の表紙をデザインした最長期間」とされている)。 以前は『幼稚園』のデザインにも携わっており、『コロコロコミック』の創刊準備室が『幼稚園』編集部の隣にあったことから、『コロコロコミック』との縁が生まれたという。
原口 證(はらぐち あきら、1945年11月27日 –)は日… 原口 證(はらぐち あきら、1945年11月27日 –)は日本の元技術者(現在は退職)である。円周率の暗記で知られている。 宮城県古川市(現・大崎市古川)の寺院で生まれ育つ。宮城県古川工業高等学校卒業後、東北沖電気工業、日立製作所茂原工場に30年余年勤務した。退職後、円周率の暗記を始め、2004年に当時の世界記録である54,000桁を達成する。その後、同年に記録を68,000桁に伸ばし、2005年に83,431桁、2006年に100,000桁の暗記を達成した。トイレにまでカメラでついていくなど、不正が無いことを証明するため徹底的に記録された。しかし、この記録はギネス・ワールド・レコーズに申請中の段階であり、2017年時点でも正式に認定されていない(インド人のスレシュ・クマール・シャルマの70,030桁が、ギネス世界記録公認の世界記録である)。
岩渕 勝好(いわぶち かつよし、1945年 -2018年)は… 岩渕 勝好(いわぶち かつよし、1945年 -2018年)は、日本のジャーナリスト、産経新聞論説委員。東北福祉大学教授、川崎医療福祉大学教授。
菅井 秀郎(すがい ひでお、1944年 - )は、日本の工学… 菅井 秀郎(すがい ひでお、1944年 - )は、日本の工学者、名古屋大学大学院工学研究科教授、中部大学客員教授。 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。東北大学工学部卒業。東北大学大学院工学研究科修士課程修了。
大沼 直紀(おおぬま なおき、1942年1月12日 - )は… 大沼 直紀(おおぬま なおき、1942年1月12日 - )は日本の教育学者。博士(医学)、国立大学法人筑波技術大学名誉教授・元学長、東京大学先端科学技術研究センター元客員教授 聴覚障害学の第一人者、宮城県出身。
板橋 秀一(いたばし しゅういち、1942年 - )は、日本… 板橋 秀一(いたばし しゅういち、1942年 - )は、日本の音声工学者。筑波大学名誉教授。言語資源協会会長。 音声信号処理、音声認識、音声合成といった分野の研究者で、特に音声通信技術や音声処理技術の発展に貢献してきた。 1942年(昭和17年)宮城県に生まれる。1960年(昭和35年)に宮城県古川高等学校卒業、1964年東北大学工学部卒業、1970年東北大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学、東北大学電気通信研究所助手。1972年工業技術院電子技術総合研究所技官。1974年同主任研究官。 1977年からストックホルム王立工科大学客員研究員。1982年から筑波大学電子情報工学系助教授に就任。1987年に教授就任。
佐々木 敦(ささき あつし、1942年 - 2007年5月1… 佐々木 敦(ささき あつし、1942年 - 2007年5月17日)は、元NHKアナウンサー。 宮城県古川高等学校、東北大学卒業後、1967年にNHK入局(同期に松平定知など)。番組での軽快なトークから『トンちゃん』のあだ名で知られた。退局後は地元の校歌作詞などを手掛けた。
名取 四郎(なとり しろう、1942年 - 2005年10月… 名取 四郎(なとり しろう、1942年 - 2005年10月5日)は、日本の宗教学者、美術史家。立教大学名誉教授。特にキリスト教美術を中心とした学術研究で知られる。立教大学で長年にわたり教鞭を執り学問的な業績だけでなく教育活動も高く評価されている。 1942年(昭和17年)宮城県大崎市に生まれる。大崎市立岩出山中学校を経て、1960年(昭和年)に宮城県古川高等学校卒業後、早稲田大学文学部に進学した。大学では文学を学び、特に宗教と美術に関心を持ち、1969年に早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。宗教学および美術史を深めた。1960年代後半、日本では戦後復興が進む中、文化的にも新しい潮流が生まれていた。
高橋 俊裕(たかはし としひろ、1939年11月28日 - … 高橋 俊裕(たかはし としひろ、1939年11月28日 - )は、トヨタ自動車常務、東京トヨペット社長、トヨタアドミニスタ社長、日本郵政公社副総裁。 トヨタ自動車で「営業の神様」「真に優れたリーダー」「貴重な隠し玉」と言われ豪放果断な実行力から「トップエグゼクティブ」の一人になる人物と言われていたが小泉内閣最大の目玉である郵政民営化にともないトヨタ方式(Japan Post System)を取り入れるため上司である奥田碩の推薦により郵政公社の重職を務めることになった。
石崎 允(いしざき まこと、1939年2月 - 2009年8… 石崎 允(いしざき まこと、1939年2月 - 2009年8月3日)は、日本の医学者。腎臓透析を専門とする。CAPD仙台カテーテルを開発した。 宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)に生まれる。小牛田町立小牛田中学校、宮城県古川高等学校を経て、東北大学医学部卒業。東北大学講師を経て仙台社会保険病院に勤務し、腎不全患者のために腎移植を推進すると共に、人工透析の技法を開発した。
佐々木 謙次(ささき けんじ、1939年〈昭和14年〉1月2… 佐々木 謙次(ささき けんじ、1939年〈昭和14年〉1月2日 - 2024年〈令和6年〉12月24日)は、日本の政治家。宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。旭日小綬章。 宮城県大崎市志田郡古川町(旧・古川市→現・大崎市古川)出身。大崎市立古川中学校、宮城県古川高等学校を経て、1961年に東北学院大学文経学部卒。古川商工会議所に入り、中小企業相談所次長などを経て、1983年、古川市議会議員に当選。4期務め、議長も務めた。1999年に古川市議を退任し、翌2000年に古川市長に当選した。古川市長を2期務め、在任中に古川市は近隣の町村との合併に向け、協議会が結成され、古川市長の佐々木が合併協議会会長となった。
大森 英樹(おおもり ひでき、1938年 - )は、日本の数… 大森 英樹(おおもり ひでき、1938年 - )は、日本の数学者、東京理科大学名誉教授。
鈴木 徹(すずき とおる、1936年4月4日 - 2004年… 鈴木 徹(すずき とおる、1936年4月4日 - 2004年12月22日)は、宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身のプロ野球選手・審判員。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の古川高校を卒業後、1955年に内野手として大洋ホエールズに入団。同期に伊藤春男がいる。一軍出場のないまま引退し、1963年にセ・リーグ審判員に転じる。1963年~1993年まで31年間審判員を務め、2539試合に出場したのち、1993年シーズン終了後引退。また、1992年から1993年までは審判部主任を務めた。審判員袖番号は17。 日本シリーズの出場はないが、オールスターは4回出場、1992年第2戦(7月19日・千葉マリンスタジアム、ヤクルトの古田敦也がオールスター史上初のサイクルヒットを達成した試合)では右翼線審、出身地(宮城球場)での開催となった第3戦では球審を務めた。
大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8… 大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8日 - )は、日本の女優である。本名:椎名 暁美。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。身長160cm、血液型はB型。特技はジャズダンス。東京理科大学名誉教授の大森英樹は実弟。作家の大森黎は実姉。 短大生だった19歳の時にスカウトされて日活に入社する。 テレビドラマ初出演は1957年である。 翌年から始まった『バス通り裏』にレギュラー陣の1人として出演する(十朱幸代や岩下志麻らを世に出した人気ドラマだった)。番組が終了すると活動の中心を舞台へ移し、子ども向けミュージカルで歌って踊り、1年に200本もの舞台をこなしていたという。 私生活では28歳で結婚、30代半ばで劇団を辞めて一時休業(子供はいない)。
加藤 孝義(かとう たかよし、1936年 - )は、日本の心… 加藤 孝義(かとう たかよし、1936年 - )は、日本の心理学者、岩手大学・東北大学名誉教授。 宮城県大崎市に生まれる。大崎市立鳴子小学校、大崎市立鳴子中学校、宮城県古川高等学校卒業、1967年東北大学大学院文学研究科博士課程(心理学専攻)中退。東北大学文学部助手、宮城県技術吏員、岩手大学教養部・人文社会科学部教授、同名誉教授、東北大学情報科学研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授、尚絅学院大学教授を務めた。1992年「認知の体制化に関する研究」で東北大学博士(文学)。2015年11月瑞宝中綬章受章。
中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年〈昭和10年〉1月2… 中川 裕雄(なかがわ やすお、1935年〈昭和10年〉1月2日 - 2024年〈令和6年〉10月1日)は、日本の実業家。電子機器メーカー・アンリツの元社長。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。 宮城県古川高等学校卒業。1958年に山形大学工学部電気工学科を卒業し、安立電気(現・アンリツ)に入社。1991年に取締役、1995年6月に専務に就任。 翌年6月、菅居紳至のあとを受けて61歳で社長に昇格。海外部門の再編成に注力し、1国に複数のグループ企業が所在していた状態を1国1社に整理した。 2000年6月に退任して会長。社長の後任には塩見昭が就いた。2001年4月に藍綬褒章を受章。 2024年10月1日に死去。
曽根 敏夫(そね としお、1935年 - )は、日本の音響学… 曽根 敏夫(そね としお、1935年 - )は、日本の音響学者、東北大学名誉教授、秋田県立大学名誉教授。専攻は音響学、環境工学、情報通信工学。 曽根が生まれた1935年(昭和10年)は世界恐慌の余波が残る中で日本が戦時体制へと向かっていた時期であった。その後、太平洋戦争が勃発し、日本は敗戦をむかえる。戦後、日本はGHQによる占領政策のもとで復興を進め、1950年代には高度経済成長の兆しが見え始める。この時期、科学技術の発展が日本の産業復興を支える重要な要素となり、特に電気、通信、音響といった分野での研究が加速していった。 1935年(昭和10年)宮城県に生まれる。1953年(昭和28年)に宮城県古川高等学校卒業。
高橋 勇悦(たかはし ゆうえつ、1935年 - )は、日本の… 高橋 勇悦(たかはし ゆうえつ、1935年 - )は、日本の社会学者、旧・東京都立大学名誉教授。専攻は都市社会学。 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。1958年東北大学文学部社会学科卒。63年同大学院博士課程満期退学。立正大学講師、明治学院大学助教授、東京学芸大学助教授、東京都立大学教授、99年定年退官、名誉教授、大妻女子大学教授。2006年退職。94年日本都市学会賞受賞。
大友 篤(おおとも あつし、1934年 - )は、日本の社会… 大友 篤(おおとも あつし、1934年 - )は、日本の社会学者、統計学者、人口地理学。宇都宮大学教授、日本女子大学人間社会学部教授。 1934年(昭和9年)宮城県古川市に生まれる。1952年(昭和27年)に宮城県古川高等学校卒業、1956年東北大学理学部卒業、1976年理学博士。現在一般財団法人日本統計協会の研究員を務める。過去には総理府統計局、国際連合アジア経済研究所、総理府統計研究所や宇都宮大学、日本女子大学人間社会学部・人間社会工学部で教授を歴任。社会の変化をデータから読み解く研究に取り組んでいる。 21世紀に入り、少子高齢化や都市化、女性の社会進出など、日本社会は急速に変化している。こうした変化を正しく理解し、政策に生かすためには、統計データを活用した科学的な分析が不可欠となっている。
藤井 一行(ふじい かずゆき、1933年3月30日 - 20… 藤井 一行(ふじい かずゆき、1933年3月30日 - 2015年12月25日 )は、日本の政治学者、ロシア思想史学者、富山大学名誉教授。 宮城県大崎市生まれ。1951年岩手県立黒沢尻高等学校卒業、東京外国語大学ロシア語学科入学。3年生に進級したあと、肺結核のため2年間休学。1957年同大学卒業。同年、一橋大学大学院社会学研究科入学、金子幸彦に師事。1965年一橋大学大学院博士課程満期退学。1967年、札幌大学外国語学部ロシア語学科助教授。1972年金沢大学教養部助教授(ロシア語)。1978年富山大学人文学部教授(ロシア語ロシア文学コース担当)。1998年、富山大学を定年退官、名誉教授。 19世紀ロシアの民主主義思想、20世紀初頭のロシア・マルクス主義(とりわけレフ・トロツキー)、スターリン主義体制、北朝鮮体制などを研究してきた。
角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 20… 角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 2024年9月1日)は、日本の卓球選手。荻村伊智朗、田中利明らと共に日本卓球界に黄金時代を築き、「史上最速の強打者」と言われた選手。 宮城県志田郡古川町(現在の大崎市古川)出身。旧制宮城県古川中学校時代に卓球を始め、宮城県古川高等学校卒業と同時に大学入学の費用を稼ぐため、東京・日暮里の卓球ラケットメーカー・アームストロング (卓球)に就職。3年間の社会人生活を送る。アームストロングが建設した東京卓球会館の2階の6畳一間に住み込みで働き、仕事終了後は東京卓球会館で腕を磨いた。当時、東京卓球会館には荻村伊知郎、富田芳雄、大川とみなど、錚々たる顔ぶれが練習にきており現在では「伝説の卓球場」と呼ばれている。
佐藤 進(さとう すすむ、1932年10月14日 - 201… 佐藤 進(さとう すすむ、1932年10月14日 - 2017年2月10日)は、東急レクリエーション元社長。
及川 馥(おいかわ かおる、1932年10月10日 - )は… 及川 馥(おいかわ かおる、1932年10月10日 - )は、日本のフランス文学者。茨城大学名誉教授、弘前大学教授、愛国学園大学教授。専門はフランス文学(近代詩、文芸批評)。 宮城県生まれ。宮城県古川高等学校卒業。1961年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。弘前大学、茨城大学を経て、愛国学園大学教授。日本フランス語フランス文学会会員、H.Boco研究会会員。みずから詩も書く。トドロフ、セール、バシュラールなどフランス思想書の数々の翻訳でも知られる。 2011年、瑞宝中綬章受章。
大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )… 大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )は、日本の作家、ノンフィクション作家。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。本名・小山玲子。妹に女優の大森暁美、弟に数学者の大森英樹がいる。1955年東北大学法学部卒業。NHKに入り、教育局テレビディレクター。62年結婚して退社。1972年「黎まやこ」名義「五月にー」で文學界新人賞受賞、1981年「大河の一滴」で読売「女性ヒューマンドキュメンタリー」大賞を受賞した。受賞作は夫の連れ子だった脳性まひの義理の息子を描いたもの。
フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月… フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月18日 - 2008年〈平成20年〉10月27日)は日本のムード歌謡歌手である。 本名は永井 清人(ながい きよと)。「魅惑の低音」と称された独特の豊かな低音を武器に、師である作曲家の吉田正(吉メロ)とともに都会的でジャズテイスト溢れるムード歌謡のジャンルを切り開き、数多くのヒット曲を世に送った。 宮城県大崎市出身。幼少時に父を亡くし、芝居小屋を経営する母に育てられる。幼少時から歌手に強い憧れがあり、旧制宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒業後の昭和26年ごろに東京へ出て就職していた兄を頼り上京し、進駐軍のキャンプ地でのトレーラー運転手、アルバイト生活を送る。
三塚 武男(みつか たけお、1932年 - 2011年3月1… 三塚 武男(みつか たけお、1932年 - 2011年3月12日)は、日本の社会福祉学者。同志社大学名誉教授、熊本学園大学教授。社会福祉学の分野においての研究で地域社会における福祉制度の在り方を問い地域住民が積極的に参加し自治を促進する方法を探る研究をしてきた。 1932年(昭和7年)宮城県に生まれる。1950年(昭和25年)に宮城県古川高等学校卒業後、同志社大学に進学、大学では社会福祉学を学び、地域社会の福祉制度に関する専門的な知識を学んだ。同志社大学文学研究科の教授として、社会福祉学を専門に教育活動を行い、地域福祉や住民自治に関する研究を重ねた。福祉学の理論だけではなく、実践的な問題解決にも重点を置いて研究を進め、地域社会での実践的な福祉制度の改善に貢献してきた。
三浦 澄能(みうら すみよし)(1930年〈昭和5年〉3月3… 三浦 澄能(みうら すみよし)(1930年〈昭和5年〉3月31日-)は、日本の実業家。1993年から1996年まで住友電設で社長として在任していた。
京極 昭(きょうごく あきら、1930年2月5日 - 202… 京極 昭(きょうごく あきら、1930年2月5日 - 2021年5月22日)は、ベガルタ仙台社長。 古川高等学校、東北大学英文学科を卒業後、河北新報社にて報道部長、編集局長、専務取締役を歴任。報道部長時代には連載企画「植物人間」で1973年度日本新聞協会賞(編集部門)を受賞した。1999年にベガルタ仙台の運営会社「東北ハンドレッド」の代表取締役社長に就任。2003年12月、チームのJ2降格を受けて引責辞任。
白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年1… 白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年10月22日)は、日本生まれの画家であり、独立美術協会の審査員を務めた経歴を持つ。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身。戦後の日本美術界において独自の画風を確立し、数々の展覧会で評価された。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の出身、宮城県古川高等学校を卒業後東京芸術大学(旧東京美術学校)に進学。大学では日本画と洋画の基礎を学びながら、美術史に関心を深めた。在学中に樋口加六、海老原喜之助ら日本の美術界の著名な画家に師事。これにより白鳥は、フランスの巨匠アンリ・ルソーや藤田嗣治(レオナール・フジタ)の影響を受けた芸術潮流を間接的に受け継ぐこととなった。
松本 慶蔵(まつもと けいぞう、1929年1月15日 - 2… 松本 慶蔵(まつもと けいぞう、1929年1月15日 - 2023年10月2日)は、日本の医学者であり、感染症学・熱帯医学の専門家。長崎大学熱帯医学研究所名誉教授であり、長崎大学医学部附属病院の熱研内科科長も務めた。特に呼吸器感染症や結核の研究において多大な貢献を果たし、日本の熱帯医学発展に寄与した。1991年に紫綬褒章を受章。 1929年(昭和4年)、宮城県大崎市に生まれる。戦時中は海軍兵学校に入り、長崎県佐世保の針尾島にいた。戦後、1947年(昭和22年)に旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)卒業。第二高等学校を経て東北大学医学部に進学し、東北大学医学部大学院内科系を修了した。その後は同大学第一内科学教室で研究を開始した。
佐々木 欽三(ささき きんぞう、1928年 - )は、NHK… 佐々木 欽三(ささき きんぞう、1928年 - )は、NHKプロデューサー、広報事業局長。 宮城県大崎市生まれ。宮城県古川高等学校、東北大学文学部哲学科卒業。NHKに入局。 「新日本紀行」、「日本の素顔」など多くのドキュメンタリーを制作。とりわけ志賀直哉、三島由紀夫、荒木貞夫、スカルノなど、昭和史の人びととの接点が多かった。人事本部主幹、広報事業局長を務めた。
中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月… 中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月17日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。位階は正五位。 宮城県志田郡古川町(旧・古川市、現・大崎市古川)出身。小牛田農林高等学校、1948年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。1967年、古川市議会議員に当選し、議長も務める。1988年の古川市長選挙に立候補したが千坂侃雄に敗れ、落選した。1992年の市長選挙に再び立候補して現職の千坂侃雄を破って当選した。1996年の市長選挙でも再選。2000年の市長選挙では元市議会議長の佐々木謙次に敗れた。 2019年3月5日、老衰のため死去、91歳。
千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日… 千坂 侃雄(ちさか ただお、1927年(昭和2年)2月10日 - 2017年(平成29年) 2月28日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(1期)。位階は正六位。旭日双光章。 宮城県大崎市志田郡古川町(のち古川市→大崎市古川)出身。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒。国民学校教諭を務め、1946年、古川町役場に入る。財政、秘書、商工、都市計画課長のほか、古川青年会議所理事長、古川市体育協会理事などを歴任した。その後、古川市収入役となり、1988年の古川市長選挙に立候補し、元市議会議長の中川俊一を破って当選した。4年後の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した中川俊一に敗れた。
遠山 仁一(とおやま じんいち、1927年(昭和2年) - … 遠山 仁一(とおやま じんいち、1927年(昭和2年) - )は、宮城県大崎市出身の経営者、実業家。宮地エンジニアリンググループ代表取締役社長。社団法人日本橋梁建設協会第5代会長。 宮城県大崎市出身。1950年(昭和25年)に宮城県古川高等学校を卒業。のちに宮地エンジニアリンググループ入社。同社において要職を歴任し、代表取締役に就任。社長在任中の1993年(平成5年)6月には、業界団体である日本橋梁建設協会(橋建協)の第5代会長に就任し、1997年(平成9年)6月までの4年間にわたり日本の橋梁建設協会の発展と技術向上を牽引した 。また同協会において飯田庸太郎氏(三菱重工業社長)らと共に副会長を務めるなど、業界の首脳として長年貢献した。
早坂 啓(はやさか けい、1925年(大正14年)9月8日 … 早坂 啓(はやさか けい、1925年(大正14年)9月8日 - 没年不明)は、日本の銀行家。德陽シティ銀行社長を務めた。 早坂順一郎・ともよの長男として、現在の大崎市古川(旧・古川市)で生まれる。 古川高等学校、東海科学専門学校を卒業。1950年に三徳無尽に入社。翌年の相互銀行法の施行に伴い、三徳無尽は「德陽相互銀行」に改称した。入行後、経理、業務各課長、業務部次長を歴任し、1962年4月取締役に選任される。その後、常務、専務、副社長を経て、1980年1月社長に就任した。このほか、東北放送、仙台空港ビル、宮城県開発の各取締役、仙台商工会議所副会頭、仙台経済同友会副代表幹事も務めている。 啓が社長に就任した頃の德陽相互銀行は、東北の相互銀行界ではトップに位置し、全国でも資金量(1986年3月末現在6187億円)では18位で上位グループに属した。
佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - … 佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - 2011年4月12日)は、日本の工学者、工学博士。東北大学名誉教授。東北学院大学名誉教授。宮城県古川市(現大崎市古川)に生まれる。東京タワー(日本電波塔)の放送アンテナや、新幹線の通信システムの設計、開発に従事。通信工学の権威。 専門は通信工学、電気回路学、情報伝送工学、環境電磁工学で著書も多い。主な業績として次のものが挙げられる。
多藤 省徳(たとう せいとく、1916年 - )は、日本の実… 多藤 省徳(たとう せいとく、1916年 - )は、日本の実業家。生涯を捕鯨の発展に捧げた。鯨類研究所の大村秀雄は多藤を「捕鯨の大家」と賞賛した。 宮城県古川市(現大崎市古川)出身。旧制古川中学(宮城県古川高等学校)、1939年に函館高等水産学校(北海道大学の前身校の一つ)を卒業し極洋捕鯨に入社。小笠原捕鯨、北洋捕鯨、南氷洋捕鯨などに尽力。1961年の国際捕鯨オリンピックでは船団長として船団を率いた。その後、同社取締役、常務取締役、専務取締役、1976年には取締役副社長を歴任した。
永沢 幸七(ながさわ こうしち、1913年3月24日 - 2… 永沢 幸七(ながさわ こうしち、1913年3月24日 - 2010年9月17日 )は、日本の心理学者、東京家政学院大学名誉教授。 宮城県古川市(現・大崎市古川)生まれ。宮城県古川高等学校卒業。東京文理科大学心理学科卒。(筑波大学卒。)同研究科修了。同大助手、非常勤講師をへて東京家政学院大学教授。1984年定年退任、国士舘大学教授。
近藤 鏡ニ郎(こんどう きょうじろう、1913年 - 197… 近藤 鏡ニ郎(こんどう きょうじろう、1913年 - 1975年)は、日本のアイヌ音楽研究家。アイヌ民族の歌謡や文化の記録・研究に尽力した。本名は近藤善兵衛。 宮城県古川市(現・大崎市古川)に生まれる。宮城県立古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒業後、朝日新聞社に入社。戦時中に海軍に応召され、復員後に郷土芸能・アイヌ歌曲の採譜に尽力した。1957年に「ピリカ・ピリカ」の採譜・編曲により芸術祭文部大臣賞、1960年にユーカラ劇「コタンの森」で北海道芸術新賞を受賞。その他、松前神楽の保存活動・研究にも当たった。1969年、北海道文化団体協議会事務局長に就任。 近藤がアイヌ音楽研究家として活動した時期、日本は高度経済成長期にあり、伝統文化や少数民族の文化保存の重要性が再認識されていた。
佐々木 慶市(ささき けいいち、1912年12月20日 – … 佐々木 慶市(ささき けいいち、1912年12月20日 – 2002年 8月21日)は、日本の歴史家。 宮城県大崎市生まれ、1930年に第二高等学校に入学。柔道部の選手でもあった。3年生のときに日本史の本を読むようになり、特に三浦周行『国史上の社会問題』を読んだことが室町期の社会に興味を持つきっかけとなった。また、在学中に 武内義範らと歴史同好会の活動をし、そこで伊東信雄と知り合い、東北帝国大学への進学を勧められた。1933年に二高を卒業する。同年、東北帝国大学法文学部に入学。古田良一に師事するとともに、中村吉治の指導も受けた。また、伊木寿一から古文書学を学び、実習で飯野八幡宮文書の調査を行ったことが、のちの好嶋荘や岩城氏の研究につながった。
祇園寺 信彦(ぎおんじ のぶひこ、1911年8月27日 - … 祇園寺 信彦(ぎおんじ のぶひこ、1911年8月27日 - 1998年11月23日)は日本の西洋史学者。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)生まれ。宮城県古川中学校(現:宮城県古川高等学校)卒業、第二高等学校(独法)卒業、東北帝国大学法文学部西洋史学科卒業。1962年「古ローマの社会と政治」で東北大学文学博士。東北大学文学部助教授、教授。1975年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授。 専門は西洋古代史で、主としたのは、古代ローマにおける政治権力のあり方とその歴史的変遷、さらにその過程において個人が織り成した役割の問題の解明であった。研究は大類伸、原随園の学問的伝統を継承しつつ、マックス・ヴェーバーの歴史学方法論をよりどころとし、西洋古代史の研究と後進の指導に当たり、古代ローマ史研究において開拓者的な役割を果たした。
大衡 照夫(おおひら てるお、1911年〈明治44年〉6月2… 大衡 照夫(おおひら てるお、1911年〈明治44年〉6月22日 - 1997年〈平成9年〉11月22日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。位階は正五位。 宮城県志田郡古川町(旧・古川市→大崎市古川)出身。旧制古川中学校(現・宮城県古川高等学校)を経て、1948年、宇都宮高等農林学校(現・宇都宮大学農学部)卒。卒業後は全国購買組合連合会に入り、同連合会東京支所肥料部肥料飼料統制課属、同肥料課長、同肥料飼料統制課長となり、退職、帰郷し、1950年、保護司となる。1951年から古川市議会議員に当選し、7期務め、副議長、議長を歴任し、この間、宮城県社会教育委員を務めた。1976年の古川市長選挙に立候補し、現職の三上馨一を破って初当選した。
伊達 篤郎(だて とくろう、1911年 - 2007年)は、… 伊達 篤郎(だて とくろう、1911年 - 2007年)は、日本山岳協会最高顧問、仙台藩士会会長、瑞鳳殿顧問。伊達政宗の末裔(藩主一門分家の岩出山伊達家出身)。 宮城県大崎市に生まれる。大崎市立岩出山中学校、宮城県古川高等学校、東京高等工学校(現・芝浦工業大学)卒業。宮城県庁、仙台市役所勤務を経て、1968年仙台市博物館館長となる。1974年から瑞鳳殿再建期成会事務局長を務め、第二代・第三代の霊廟再建に当たる。1986年より財団法人瑞鳳殿顧問を務めた。 1972年藍綬褒章受章。