日渡 騰輝(ひわたり とうき、2004年9月20日 - )は… 日渡 騰輝(ひわたり とうき、2004年9月20日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 龍ケ崎市立城ノ内小学校で4年生の時に龍ヶ岡ヤンキースで野球を始める。龍ケ崎市立城ノ内中学校在学時は硬式野球のクラブチームである取手ヤングでプレーしていた。 霞ヶ浦高等学校に進学し、1年秋から正捕手を務める。2年秋からは4番、主将を務めた。甲子園大会出場はなく、3年夏は茨城大会準決勝で土浦日大に敗れた。同学年に赤羽蓮、1学年下に木村優人がいた。プロ志望届を提出したが、2022年のドラフト会議での指名はなかった。 大学進学の選択肢もあったが、「1年でも早くプロで勝負して、ダメなら、あきらめて違う道も考えたい」という意向から、ベースボール・チャレンジ・リーグの茨城アストロプラネッツに入団した。
鷹啄 トラビス(たかはし トラビス、2001年9月17日 -… 鷹啄 トラビス(たかはし トラビス、2001年9月17日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。ポジションはディフェンダー。 駒澤大学在籍中に、水戸ホーリーホックへの練習参加したことがあったが契約に至らず、卒業後は大阪府枚方市の福田総合病院で介護の仕事に携わりながらJFLのFC TIAMO枚方へ入団。 2024年12月20日、J2の水戸ホーリーホックへの移籍が発表された。 2026年、J1のセレッソ大阪へ完全移籍。腰椎椎間板ヘルニアで離脱。
染野 唯月(そめの いつき、2001年9月12日 - )は、… 染野 唯月(そめの いつき、2001年9月12日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・東京ヴェルディ所属。ポジションはフォワード(FW)。 茨城県龍ケ崎市出身で中学時代は鹿島アントラーズ・つくばジュニアユースに在籍していたが、ユースに昇格することができずに尚志高校に進学した。2年時の全国高校サッカー選手権大会では5得点をあげて得点王に輝いた。3年生となった2019年に中学時代に過ごした鹿島アントラーズに加入が内定した。しかし、その後の代表合宿中に怪我をしてしまい、高校最後の選手権はメンバー外となった。 2020年より鹿島アントラーズに入団した。7月4日、怪我で出遅れていたが第2節の川崎フロンターレ戦で途中出場からJ1デビューを果たした。
永澤 詩音(ながさわ しおん、1999年11月2日 - )は… 永澤 詩音(ながさわ しおん、1999年11月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 茨城県龍ケ崎市出身。 茨城県立牛久高等学校を経て、中京大学在学中の2021年6月、セレクションを経てV.LEAGUE参入を目指すチームであるアルテミス北海道の内定選手となった。 2023-24シーズンにVリーグデビューを果たすと、チームの優勝は逃したもののサーブ賞を受賞した。 2024年3月、チームの体制変更にともないアルテミスを退団した。同年6月にKUROBEアクアフェアリーズ富山入団が発表された。 2024年10月13日、チーム開幕戦となったSAGA久光スプリングス戦でSVリーグ初出場を果たした。
椎名 真子(しいな まこ、1999年8月6日 - )は、日本… 椎名 真子(しいな まこ、1999年8月6日 - )は、日本の女子バレーボール選手。 茨城県龍ケ崎市出身。友達の影響で小学5年生からバレーボールを始める。 2015年、下北沢成徳高等学校に進学。チームは、2016年、2017年に、全日本高等学校選手権大会(春高バレー)で連覇。2018年は春高バレーでベスト4に留まるが、自身は優秀選手賞を受賞した。また、2017/18シーズン、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属する埼玉上尾メディックスの内定選手となった。 2018年、高校卒業後に、埼玉上尾メディックスに入団した。入団1シーズン目となる2018/19シーズンにV1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
加藤 拓己(かとう たくみ、1999年7月16日 - )は、… 加藤 拓己(かとう たくみ、1999年7月16日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・京都サンガF.C.所属。ポジションはフォワード。 山梨学院高校在学中よりU-16からU-19日本代表の経験を持つ。 1999年7月16日、茨城県龍ケ崎市に生まれる。小学生、中学生時代は鹿島アントラーズの下部組織に所属したが、高校進学の際にユースチームへの昇格を逃し、山梨学院高校に進学する。 高校では、2年次となる2016年の全国高等学校サッカー選手権大会の県予選では決勝戦でゴールを決めるなど優勝に貢献するも、その後左足首を骨折し選手権大会には出場できず。3年次は主将を務め選手権大会に出場した。
中山 雄太(なかやま ゆうた、1997年2月16日 - )は… 中山 雄太(なかやま ゆうた、1997年2月16日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC町田ゼルビア所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ、サイドハーフ、ディフェンシブハーフ、ウイングバック)。日本代表。 茨城県龍ケ崎市で教員の両親のもとに生まれ、小学校1年時に兄が所属していた北文間スポーツ少年団に加入し、本格的にサッカーを始めた。龍ケ崎市立愛宕中学校サッカー部でプレーしていた中学2年時に茨城県トレセンに選出され、練習試合で柏レイソルU-15と対戦した際にスカウトを受け、中学3年時から柏の下部組織に入団した。
斉藤 真理菜(さいとう まりな、1995年(平成7年)10月… 斉藤 真理菜(さいとう まりな、1995年(平成7年)10月15日 - )は、日本の陸上競技選手。専門競技はやり投。スズキアスリートクラブ所属。 茨城県龍ケ崎市出身。龍ケ崎市立城南中学校を経て、茨城県立土浦湖北高等学校に入学した。その後、国士舘大学に所属した。 2017年の世界陸上競技選手権大会に日本代表として出場した。同年の2017年夏季ユニバーシアードで銀メダルを獲得した。同大会台北で個人記録である62.37メートルを記録した。 2023年、アジア陸上競技選手権大会で61.67メートルをマークし優勝した。同年の第107回日本陸上競技選手権大会で61.14メートルを記録し、5年ぶりの優勝を果たした。
がんばる太郎(がんばるたろう、1991年7月1日 - )は、… がんばる太郎(がんばるたろう、1991年7月1日 - )は、かつて活動していた日本のお笑い芸人である。茨城県龍ケ崎市出身。2026年3月31日までワタナベエンターテインメントに所属していた。 2017年、スクールJCAに26期生として入学した。JCAを卒業後、2018年にワタナベコメディスクールの28期生として入学し、翌年3月に主席で卒業した。2019年からワタナベエンターテインメント所属となる。 2018年7月1日、トリオ「つばめ花火」を結成した。その後、1年目からワタナベお笑いNo.1決定戦準決勝に進み、各メディアに出演した。ウチのガヤがすみません! (日本テレビ)でトリオ初出演を果たし、がんばる太郎がメインのコーナー企画が始まると、ふざけすぎたキャラクターが一部の視聴者から伝説と称されるもさすがにやりすぎであると放送後のSNSでは番組の在り方に賛否両論の声が多数あったが、最終的にフィフィががんばる太郎を称賛する形となって収束した。
清原 大貴(きよはら だいき、1989年6月11日 - )は… 清原 大貴(きよはら だいき、1989年6月11日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 中学校時代の同級生にはフリークライマーの野口啓代がいる。 小学校3年時に竜ケ崎リトルで野球を始める。 中学生(竜ヶ崎シニア)時代には投手として関東シニア三羽烏と呼ばれるまで成長し、卒業後は2学年上の兄を追い常総学院高校へ進学。下級生の時は主に三塁手として主軸を打ち、2年春に投手に転向。同年夏に投手兼内野手として第88回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦の対今治西戦で代打として安打を放ちリリーフとして好投するも敗北。エースとなった3年時には部内暴力や野球特待生問題で約半年間の活動停止処分を受けながらも、処分明けの練習試合では強豪校相手に6試合連続完封勝利を収め、プロ注目の選手として名が挙がるようになる。
野口 啓代(のぐち あきよ、1989年5月30日 - )は、… 野口 啓代(のぐち あきよ、1989年5月30日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の日本のスポーツクライマー。夫はスポーツクライマーの楢﨑智亜。 東洋大学附属牛久高等学校、東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科を中退。身長:165cm、体重:49kg。 ワールドカップ優勝は通算21勝を数え、「日本クライミング界の女王」と呼ばれる。 2000年、小学校5年生の夏に家族旅行で訪れたグアムのゲームセンターでフリークライミングを体験する。帰国後もクライミングへの興味を持ち続け、自宅近くのつくば市にオープンしたばかりのPUMPスポーレクライミングジムに通いはじめる。小学校から中学校に進学する期間の春休みに開催された全日本ユース選手権では中高生を押しのけて優勝。
鈴木 奈々(すずき なな、1988年〈昭和63年〉7月9日 … 鈴木 奈々(すずき なな、1988年〈昭和63年〉7月9日 - )は、日本の女性ファッションモデル、タレント。TWIN PLANET ENTERTAINMENT所属。茨城県龍ケ崎市出身。 勉強が苦手であったことから、当時その地域で最も偏差値の低い高校に進学。同高校においても10教科中9教科で1を取るという成績不振から退学となった。その後、通信制高校に再入学し卒業している。 高校生時代には学校のクラブ活動にギャル同好会を作って活動。『Popteen』モデルの益若つばさの追っかけをし、益若が出演するイベントやファッションショーに足繁く通っていた。高校3年生の時に参加した益若の握手会で、同誌スタッフにスカウトされ業界入り。
岡野 裕城(おかの ゆうき、1986年10月22日 - )は… 岡野 裕城(おかの ゆうき、1986年10月22日 - )は、日本の男性総合格闘家。茨城県龍ケ崎市出身。マッハ道場所属。東洋大学卒業。第6代HEATライト級王者。 茨城県龍ケ崎市出身で、高校まではバスケットボール部であった。その後マッハ道場に入門し、格闘技を始めた。 2008年6月15日、プロデビュー戦となったDEEP GLOVE 2で大野崇と対戦し、TKO勝ち。 2009年、全日本アマチュア修斗選手権ライトヘビー級(-83kg)で優勝。 2010年1月23日、修斗ミドル級新人王決定トーナメント1回戦で瀬戸哲男と対戦し、3-0の判定勝ち。 2010年7月4日、修斗ミドル級新人王決定トーナメント準決勝で井上雄策と対戦し、0-3の判定負け。
トミー茨城(トミーいばらき、1979年10月20日 - )は… トミー茨城(トミーいばらき、1979年10月20日 - )は、日本のプロレスのレフェリーである。主に2AWにおいてレフェリングを行い同団体に所属する。茨城県龍ケ崎市出身。身長161cm、体重67kg。本名は非公開。 2002年4月8日、ディファ有明でのKAIENTAI DOJO(2019年に2AWに名称変更)旗揚げ戦でデビュー。2026年1月現在、2AWのメインレフェリーを務める。 観客から微妙と評価されるレフェリングで注目される有望株といわれる。千葉Blue Fieldでの試合終了後に行われる、ときわ苑集会では、味方冬樹と共に参加する。ブログを始めたが三日坊主に終わるが、2代目のブログはなんとか継続中。
桜井"マッハ"速人(さくらい"マッハ"はやと、1975年8月… 桜井"マッハ"速人(さくらい"マッハ"はやと、1975年8月24日 - )は、日本の男性総合格闘家。茨城県龍ケ崎市出身。マッハ道場主宰。ブラジリアン柔術黒帯。元修斗世界ウェルター級王者。修斗四天王の一人。
相澤 トオル(あいざわ トオル、1971年(昭和46年)7月… 相澤 トオル(あいざわ トオル、1971年(昭和46年)7月2日 - )は茨城県龍ケ崎市出身の洋画家。 ニューヨークのAgora Gallery専属作家として活動している。本名は相澤透[要出典]。 元日本表象美術協会委員 二科会会員の両親の間に生まれる。 1990年、日本表象美術協会(日象展])に、題名「CAT'S」を出品し、新人奨励賞を受賞する。 1992年から日本表象美術協会会員となり、茨城支部長を務める。1997年に日本表象美術協会委員に推挙される。同年、アメリカから帰国途中飛行機のエンジントラブルによりアラスカ (アンカレッジ空港)に不時着 その時観たアラスカの印象に感動して「アラスカの思い出」シリーズを作成した。
きむらひろき(1970年1月25日 - )は、日本の漫画家。… きむらひろき(1970年1月25日 - )は、日本の漫画家。時折デザイナーも兼任。茨城県龍ケ崎市出身、東京都足立区在住。千代田工科芸術専門学校漫画科卒。 代表作に『Jack&Chibi』、『コングルGood』など。 埼玉県吉川市のカルチャーセンター吉川カルチャークラブと埼玉県三郷市のカルチャーセンターソレイユカルチャーセンターで「ペン画・漫画・イラスト」教室も開催している。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
松田 哲 (まつだ てつ、1963年 - )は、日本の社会学… 松田 哲 (まつだ てつ、1963年 - )は、日本の社会学者。流通経済大学スポーツ健康科学部教授。茨城県龍ケ崎市出身。 専攻は教育社会学。経済学部在学中に社会学の講義を受けたことで社会学研究の道を志す。社会学の諸問題について自ら作詞、作曲したオリジナルソングにのせて分かりやすく解説する、「コンサート・レクチャー」と題した講演会を全国各地で展開している。また、青少年教育の分野において各種審議会委員などの要職も務めている。
中山 一生(なかやま かずお、1962年(昭和37年)11月… 中山 一生(なかやま かずお、1962年(昭和37年)11月13日 - )は、日本の政治家。茨城県議会議員(2期)。元茨城県龍ケ崎市長(3期)。 祖父は衆議院議員を務めた中山栄一。父は防衛庁長官を務めた中山利生。 茨城県龍ケ崎市生まれ。龍ケ崎市立龍ケ崎小学校、龍ケ崎市立愛宕中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校、日本大学法学部法律学科卒業。 大学卒業後は、父・中山利生の政策担当秘書を務めた。 1991年、中山利生が宮澤内閣で防衛庁長官に任命された際には、秘書官を務めた。 2005年、第44回衆議院議員総選挙に茨城県第3区から無所属で出馬したが、自民党の葉梨康弘、民主党の小泉俊明の後塵を拝し、得票数3位で落選した。
椎名 市衛(しいな かずえ、1953年(昭和28年) 5月1… 椎名 市衛(しいな かずえ、1953年(昭和28年) 5月17日 - )は茨城県在住の北辰一刀流の伝道者。北辰一刀流第七代宗家。武号は成胤。直心影流剣術師範。日本伝統文化保存会会長。剣道場床工事「武床工舎」代表。 茨城県龍ケ崎市に生まれる。大学卒業後、剣道修業。31歳公立中学の数学教員、52歳退職。同年、道場床工事「武床工舎」を創立。剣道場床工事の専門家として、日本並びに海外にて道場建設を行う。剣道場床工事の専門家。 2013年6月、北辰一刀流宗家継承。世界各地で、剣術等の指導を行う。鷹匠、猛禽類ブリーダー 中学に入り剣道を始める。最初に師事したのは、元陸軍大尉武田治衛教士。後に北辰一刀流第6代師範谷島三郎教士の指導を受ける。
宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は… 宮本 孝男(みやもと たかお、1950年4月17日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の、元プロ野球選手及び元競輪選手。1972年及び競輪時代の登録名は宮本 孝雄(読み同じ)。 竜ヶ崎第一高校ではエース。切れのいいカーブを武器とした本格派。コントロールがあとひと息といわれているが、主将で四番を打ちバッティングも高く評価されていた。1968年ドラフト会議で東映フライヤーズから3位指名を受け入団。ポジションは投手。1972年の登録名は宮本 孝雄。同年限りで引退。 その後、競輪選手に転身。日本競輪選手会茨城支部に在籍していた。日本競輪学校第35期生で、同期には中野浩一らがいる。なお、競輪選手登録名は宮本 孝雄である。
吉田 克己(よしだ かつみ、1949年1月1日- )は、日本… 吉田 克己(よしだ かつみ、1949年1月1日- )は、日本の法学者。専門は民法。北海道大学名誉教授。早稲田大学大学院法務研究科教授。学位は、博士(法学)(東京大学・1998年)。元民主主義科学者協会法律部会理事。 茨城県龍ケ崎市出身。東京大学法学部卒。稲本洋之助の弟子。新潟大学法学部助教授、教授、北海道大学教授、北海道大学出版会理事長、北海道大学大学院法学研究科長(法学部長)を歴任。 土地法の研究にはじまり、家族と法,特に高齢化社会における民法理論、現代社会の構造変化に伴う民法理論の変化などについて研究行う。近年では、「公」と「私」を峻別した近代法のパラダイムを批判的に再検討し、公正な競争秩序や良好な自然環境、都市環境を確保するためには行政機関や市町村だけでなく、市民が能動的な役割を果たす「公私協働」が重要であるとし、新たな実定法パラダイムの構築に関する研究を行う。
北澤 寛治(きたざわ かんじ、1947年 - )は、日本の外… 北澤 寛治(きたざわ かんじ、1947年 - )は、日本の外交官。外務省カリブ室長や、駐コンゴ民主共和国兼コンゴ共和国特命全権大使を務めた。北沢寛治とも。 茨城県龍ケ崎市出身。1966年茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。1970年中央大学法学部卒業。1972年外交官試験合格。1973年外務省入省。2000年ハイチ臨時代理大使。外務省中南米局南米カリブ課地域調整官兼カリブ室長を経て、2008年から駐コンゴ民主共和国特命全権大使を務め、道路整備などの援助を進めた。2011年兼コンゴ共和国特命全権大使。2022年、瑞宝中綬章受章。
岡野 功(おかの いさお、1944年(昭和19年)1月20日… 岡野 功(おかの いさお、1944年(昭和19年)1月20日 - )は、日本の柔道家、流通経済大学名誉教授。1964年(昭和39年)東京オリンピック柔道男子80kg級金メダリスト。身長170cm。体重80kg。 茨城県龍ケ崎市出身。福井英一の漫画『イガグリくん』に影響を受け中学から柔道を始める。茨城県立竜ヶ崎第一高等学校卒業。中央大学法学部に在学中の1964年(昭和39年)、東京オリンピックに中量級の日本代表として出場し、金メダルを獲得した。1965年(昭和40年)の世界選手権でもオール一本勝ちで優勝し、21歳で柔道中量級における世界のトップ選手となる。1972年の(昭和47年)全日本柔道選手権覇者でミュンヘンオリンピック中量級で金メダルを獲得した関根忍とは同学年のライバルであった。
海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1… 海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1997年7月5日)は、茨城県龍ケ崎市出身で小野川部屋(のち出羽海部屋)に所属した大相撲力士。本名は入井 勇(いりい いさむ)。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、蹴手繰り、蹴返し、突き落とし。 中学校卒業後に角界入りし、1956年5月場所、小野川部屋から初土俵を踏んだ。最初は本名でもある「入井」の名で番付に付いたが、当時日本で人気が高かった元力士のプロレスラー・力道山にあやかろうとして、「海力山(かいりきざん)」という四股名を考え、日本相撲協会に改名届を出した。ところが、実際に発表された1957年1月場所の番付表には、なぜか「海乃山」と記されていた。
伊藤 文子(いとう ふみこ、1940年3月5日 - )は、日… 伊藤 文子(いとう ふみこ、1940年3月5日 - )は、日本の走幅跳選手。日本選手権2連覇、元日本記録保持者。1960年ローマオリンピックに出場し、1962年アジア競技大会では銀メダルを獲得した。夫も陸上競技選手の鈴木章介(1964年東京オリンピックに十種競技で出場)で、結婚後は鈴木姓を名乗っている。次男は元プロ野球選手の鈴木望。 茨城県龍ケ崎市出身。茨城県立竜ヶ崎第二高等学校卒業。高校卒業後はリッカーミシンに所属。1959年には日本陸上競技選手権大会女子走幅跳で優勝。翌1960年の日本選手権で2連覇を果たした。 1961年4月29日には走幅跳で6m11を記録。山内リエが1947年に立てた記録(6m07)を塗り替える日本記録であった。
井原 哲夫(いはら てつお、1939年6月7日 -)は、日本… 井原 哲夫(いはら てつお、1939年6月7日 -)は、日本の経済学者、作家、SF作家。慶應義塾大学名誉教授。 茨城県龍ケ崎市生まれ。1963年慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院商学研究科博士課程満期退学、1977年「個人貯蓄の決定理論」で商学博士を取得。学部・大学院の指導教授は尾崎巌。1972年慶応義塾大学商学部助教授、1979年教授。2005年定年、名誉教授、尚美学園大学総合政策学部教授を務めた。 1976年「個人貯蓄の決定理論」でエコノミスト賞受賞。専攻は、サービス経済学。 原さとるの筆名でSF小説も書いた。
牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1… 牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1997年10月6日)は、日本のドキュメンタリー映像作家。父は歴史学者の牛山栄治 東京都出身。小学6年生から旧制中学校卒業まで現在の茨城県龍ケ崎市で過ごす。 茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎第一高等学校)を経て1953年、早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業。早稲田大学卒業後、開局したての日本テレビに入社し、報道記者として活躍。 1954年に日本テレビで放送された、吉田内閣不信任案における国会の混乱や造船汚職事件などを扱った『特集第十九国会』が彼のテレビ・ドキュメンタリーのデビューとなった。 1961年から、ドキュメント番組『ノンフィクション劇場』を制作。
中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 20… 中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 2004年9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、防衛庁長官、自民党副幹事長、衆議院安全保障委員長などを歴任。位階は正三位。 衆議院議員を務めた中山栄一の息子として、茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現・龍ケ崎市)に生まれた。旧制龍ケ崎中学(現・竜ヶ崎一高)を経て、日本大学法学部を卒業。大学時代は水泳部に所属し、副主将を務めた。 大学卒業後、父の秘書を経て1969年の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧茨城県第1区から出馬し当選。以降9期当選した。法務政務次官や自治政務次官を経て、1992年12月12日、宮澤改造内閣で初入閣し、防衛庁長官に任命された。
竜ヶ嵜 唯雄(りゅうがさき ただお、1920年1月28日 -… 竜ヶ嵜 唯雄(りゅうがさき ただお、1920年1月28日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。芝田山部屋から高砂部屋所属。茨城県龍ケ崎市出身。本名は中山 唯雄(なかやま ただお)。最高位は東十両12枚目。得意技は左四つ、寄り、上手投げ。 横綱・宮城山福松の芝田山部屋に入門、1935年5月場所で初土俵を踏む。親方が亡くなり、高砂部屋に移籍した1944年1月場所に十両に昇進するが、応召され全休する。翌5月場所に出場するが2勝8敗と負け越し、幕下に陥落する。その後は勝ち越すことなく、三段目まで陥落した1946年11月場所に廃業。廃業後は広島の野球チームグリーンバーグ(のち結城ブレーブス)に入団、捕手となった。
飯島 亮(いいじま りょう、1908年〈明治41年〉4月20… 飯島 亮(いいじま りょう、1908年〈明治41年〉4月20日 - 1990年〈平成2年〉)は、日本の造園家、作庭家、庭園作家、造園研究者、造園指導者、造園教育者。元千葉大学園芸学部教授。農学博士。茨城県龍ケ崎市出身。
服部 正一郎(はっとり しょういちろう、1907年11月17… 服部 正一郎(はっとり しょういちろう、1907年11月17日 - 1995年3月20日)は、日本画家、日本芸術院会員。茨城県出身。 茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現龍ケ崎市)出身。旧制龍ヶ崎中学(現茨城県立竜ヶ崎第一高等学校)在籍中は弓道部で活躍したという。1929年(昭和4年)の第16回二科展で「庭」が初入選。 1967年(昭和42年)の第52回二科展に出品した「水郷」によって翌年に日本芸術院賞を受賞。 1987年(昭和42年)に日本芸術院会員となる。1992年、勲三等瑞宝章受章。 1995年(平成7年)3月20日に茨城県取手市の取手協同病院で死去。
来栖 七郎(くるす しちろう、1883年(明治16年)7月2… 来栖 七郎(くるす しちろう、1883年(明治16年)7月20日 - 1928年(昭和3年)5月24日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 茨城県北相馬郡北文間村(現在の龍ケ崎市)出身。日本法律学校を経て、東京政治学校を卒業。二六新報記者、同理事、帝国通信記者、自由通信社理事などを歴任。さらに殖民協会理事長を務めた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。次の第16回衆議院議員総選挙でも再選された。
海老原 半三郎(えびはら はんざぶろう、1876年 - 19… 海老原 半三郎(えびはら はんざぶろう、1876年 - 1953年)は、明治期の大日本帝国陸軍軍人。茨城県龍ケ崎市出身。最終階級は歩兵特務曹長。日露戦争にて金鵄勲章を受章した。 明治期・皇室警護の近衛兵として、全国将兵の中から選抜(五代前まで調査があり、県知事・連隊長・郡市役所幹部・駐在の警察官の責任で推薦された)され、「近衛連隊」に入隊。当時、歴代の皇太子が在籍した近衛歩兵第一連隊は、帝国陸軍の最高峰だった。 日露戦争に出征し、奉天進軍。明治38年(1905年)3月10日、奉天付近では既に屍が累々としており、海老原半三郎の所属する近衛歩兵第一連隊においてもロシア軍の総反撃により、将兵はことごとく第一戦に展開し、肉弾相打つ激戦となる。
山崎 慎三(やまざき しんぞう、1854年(安政元年3月) … 山崎 慎三(やまざき しんぞう、1854年(安政元年3月) - 1912年(明治45年)2月8日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名は守正、字は子順。茨城県河内郡馴柴村長。 常陸国河内郡馴馬村(茨城県河内郡馴柴村、稲敷郡馴柴村を経て現龍ケ崎市)出身。幼い頃より椎名克堂、朽木久綱などについて学び、土浦藩儒の五十嵐儀一に師事し和漢学を修めた。その後、江戸に遊学し文武を研鑽した。 馴馬村副戸長、同戸長、門倉村ほか五箇村連合戸長を経て、1889年(明治22年)馴柴村長に就任。翌年、1890年(明治23年)には茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで務めた。
一力 長五郎(いちりき ちょうごろう、1815年(文化12年… 一力 長五郎(いちりき ちょうごろう、1815年(文化12年) - 1859年9月21日(旧暦8月25日))は、常陸国河内郡若柴村(現在の茨城県龍ケ崎市若柴)出身で木瀬部屋に所属した大相撲力士。本名は山崎 安好(やまざき やすよし)。 常陸国河内郡若柴村で生まれる。1837年10月場所において序ノ口から初土俵を踏み、1849年11月場所で新入幕を果たした。結果的に三役昇進は果たせなかったものの、劔山谷右エ門、小柳常吉に強く、両者には無敗だったことから江戸相撲の中では「大物食い」として名を馳せた。1859年に奥州・一ノ関で行われた巡業に参加中、急逝した。44歳没。死因は病死または斬殺と伝わる。 出身地である龍ケ崎市若柴の星宮神社には、一力が奉納したと伝わる灯篭2基が残っている。