橋 幸夫(はし ゆきお、本名:橋 幸男(読み同じ)、1943… 橋 幸夫(はし ゆきお、本名:橋 幸男(読み同じ)、1943年〈昭和18年〉5月3日 - 2025年〈令和7年〉9月4日)は、日本の歌手、俳優、プロデューサー。 舟木一夫、西郷輝彦とともに『御三家』と称された。血液型はA型。著書に認知症の実母の介護生活を綴った『お母さんは宇宙人』がある。 俳優の橋龍吾は息子、演歌歌手の橋宏之(はしひろゆき)は甥にあたる。東京都荒川区出身。静岡県熱海市在住。 晩年はアルツハイマー型認知症を患っていた。 1943年5月3日、東京府東京市荒川区に呉服屋の9人兄弟の末っ子として生まれた。ちなみに、「橋」という珍しい苗字は、先祖が代々滋賀県で神主を務めていたことに由来するという。
ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきや… ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきやま ゆうじ)、1943年〈昭和18年〉4月27日 - 2020年〈令和2年〉5月12日)は、日本の漫画家。 1943年、東京都の日暮里で出生。姉、兄、弟、妹それぞれ1人ずつの5人きょうだいの次男。父は腕のいい朝鮮人の造花職人だった。第二次世界大戦中は栃木県田沼町に疎開した。10歳のとき父親が事業に失敗し足利市へ転居。極貧生活を経験する。子供の頃から漫画を描き出し、中学2年生で漫画本を自作した。 高校への進学を勧められたが、親兄弟のことを考えて中学卒業後に上京し、神田の貸本漫画の取次店、芳明堂に就職。芳明堂に勤務しながら、取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、漫画家の前谷惟光邸へ日参して、漫画家を目指した。
秋葉 忠利(あきば ただとし、1942年〈昭和17年〉11月… 秋葉 忠利(あきば ただとし、1942年〈昭和17年〉11月3日 - )は、日本の政治家、数学者。第33-35代広島市長(3期)、衆議院議員(3期)、社会民主党国会対策委員長(第2代)、同政策審議会長(第3代)を歴任。 日本社会党(後に社会民主党)に所属し、1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に大原亨の後継者として出馬し、初当選。以後当選3回。1期目の当選後、筒井信隆らと共に「ニューウェーブの会」を設立し、対案を出す党に社会党を生まれ変わらせることを目指した。 1999年(平成11年)に衆議院議員を辞職し、広島市長選挙に立候補。市民の党の応援を受け、自民党が推薦する元厚生官僚(広島市助役)の大田晋や広島市議会議長経験者など新人5人と激戦の末、初当選する。
伴 久美子(ばん くみこ、1942年〈昭和17年〉4月10日… 伴 久美子(ばん くみこ、1942年〈昭和17年〉4月10日 - 1986年〈昭和61年〉5月10日)は、童謡歌手。東京都荒川区出身。 幼少期よりアマリリス児童合唱団に入り、小学校三年生の時、NHK『子どものど自慢』に1位入賞。たまたま、その時の歌唱を聞いていた佐々木すぐるの目に留まり、コロムビア専属童謡歌手となる。佐々木の指導方法に無理があったため、半年後突然声が出なくなるという不幸に見舞われるが、コロムビアの当時の担当ディレクターが指導方法を改善した結果、歌えるまでに回復する。 サトウハチロー、中田喜直などが曲を提供し、「猫踏んじゃった」、「ナコちゃん」、「めんこい仔馬」、「べこの子うしの子」、「わらいかわせみに話すなよ」などたくさんのヒット曲を吹き込む。
川口 節子(かわぐち せつこ、1941年〈昭和16年〉11月… 川口 節子(かわぐち せつこ、1941年〈昭和16年〉11月6日 - 2013年1月18日)は、日本の女優。東京市(現:東京都)荒川区出身。身長154cm、体重49kg。血液型はA型。 和洋女子大学家政学部中退[要出典]。東宝芸能学校[要出典]、東宝(1963年-1970年代)、新星プログループを経て、宝井プロジェクトに所属していた。 1963年に東宝へ入社し、映画『林檎の花咲く町』でデビュー。東宝が専属俳優制度を廃止した後は、記平佳枝、東静子らとともに新星プロで女優業を継続していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
浜田 光正(はまだ みつまさ、1938年7月23日 - )は… 浜田 光正(はまだ みつまさ、1938年7月23日 - )は、日本の騎手(国営競馬、日本中央競馬会)、調教助手(日本中央競馬会)、調教師(日本中央競馬会)。 2009年に定年のため引退し、2012年現在は競馬評論家。栗東トレーニングセンター所属であった。 JRAにおける表記では浜田となっているが、濱田が正しい。 東京都荒川区の千住大橋付近で生まれる。競馬との出会いは1951年の東京優駿(日本ダービー)を父の友人である馬主に招待され観戦したことによるという。トキノミノルが優勝したこのレースを見たことをきっかけに騎手を目指すようになり、その馬主の紹介で18歳のときに騎手見習いとなった。 1957年3月1日に騎手免許を取得し、東京競馬場の内藤潔厩舎所属でデビューした。
森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19… 森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19日 - 1980年(昭和55年)2月24日)は、日本の登山家。 1937年12月19日、東京府北豊島郡(現在の東京都荒川区)に4人兄弟の長男として生まれた。 戦争中、埼玉県松伏に疎開、家族で自給自足生活に入った。小学校4年生の時に、母が死亡。父が再婚すると、野田の醤油工場に奉公に出される。中学校を卒業できないまま実家に戻り、父の下で金型工の見習いとなる。そのころブームになりつつあった登山を始めるようになる。 1959年に東京緑山岳会に入会。主に谷川岳でのクライミングにのめりこんで行く。金型工としての腕はあったが、山登りを優先し、職場を転々とする生活になった。
安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - … 安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - )は、大相撲の元幕内呼出。本名は高沢 安雄。東京都荒川区出身。二所ノ関部屋所属。 番付制度が導入されてから、後輩呼出にどんどん抜かれた。番付では秀男に抜かれ、呼び上げでは秀男、拓郎、琴二、次郎、克之、志朗、重夫に抜かれていった。停年直前の2001年3月場所の時点では、順席は幕内呼出2番手でありながら、呼び上げは十両取組担当であった。
一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2… 一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2020年11月27日)は、日本の漫画家。本名:寺田 国治(てらだ くにはる)。 東京都荒川区出身。敗戦を疎開先の福島県石川町で迎える。絵物語作家、岡友彦(歌川大雅)の弟子を経て、1956年に『なぞのからくり屋敷』(「てらだくにじ」名義)でデビュー。 1960年代から1970年代にかけて、多くの特撮ヒーロー作品のコミカライズを手がけており、特にピー・プロダクションの作品の大半を漫画化している。中でも『スペクトルマン』への思い入れは強く、1999年に角川書店から復刻された単行本に加筆を施したり、2006年には後日談を発表したりしている。 2005年、『画業半世紀一峰大二大全集』で第34回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
宮崎 晃(みやざき あきら、1934年10月27日 - 20… 宮崎 晃(みやざき あきら、1934年10月27日 - 2018年11月25日)は、日本の映画監督、脚本家。東京市(現東京都)荒川区出身。 1934年、東京市荒川区日暮里に生まれる。東京都立北園高等学校を卒業後、出版社で働くかたわら新劇の演出家を志す。4年間の社会人生活の後、東京外国語大学ロシア語科へ入学。 1961年、大学卒業と同時に松竹大船撮影所の助監督試験に合格して入社。野村芳太郎や山田洋次の助監督を務める。山田作品の多くでは脚本も共同執筆、『男はつらいよ』シリーズにも第2~6作、第11作に参加した。1971年、「泣いてたまるか」で監督デビュー。1975年、戯曲『青い鳥』をベースにした『想い出のかたすみに』監督。
藤里 まゆみ(ふじさと まゆみ、1932年2月16日 - )… 藤里 まゆみ(ふじさと まゆみ、1932年2月16日 - )は、日本の女優。東京府(現:東京都)南豊島郡南千住出身。本名は伊沢 つや子。 1947年、松竹歌劇団入団。男役として活躍し、1951年に幹部となる。1952年、東映に入社。 ※特記のないものは東映配給作品
堀 源一郎(ほり げんいちろう、1930年5月19日 - 2… 堀 源一郎(ほり げんいちろう、1930年5月19日 - 2023年3月14日)は日本の天文学者。専門は天体力学。東京大学名誉教授。 東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区西日暮里)出身。荒川区立真土小学校(現・荒川区立ひぐらし小学校)から東京市立第二中学校(現・東京都立上野高等学校)に進み、その後第一高等学校を経て学制改革で東京大学を再受験し、東大理科に入学した。 萩原雄祐の弟子で、専門は師の萩原と同じく天体力学。天体力学の中でも、惑星、衛星、人工衛星の長年運動理論の世界的権威であり、特に1966年に発表した正準変数による一般摂動理論は、2020年7月現在で実に390篇の他の論文に引用されている。
三島 耕(、1927年〈昭和2年〉5月20日 - )は、日本… 三島 耕(、1927年〈昭和2年〉5月20日 - )は、日本の俳優。東京府北豊島郡日暮里町出身。本名は長谷 勝博。 1947年、東京都立第四高等学校理科卒業。1950年、太泉映画のニューフェイスとなり、翌年『我が一高時代の犯罪』でデビュー。引き締まった男性的な風貌と堅実な演技を見せた。その後、松竹、日活、綜芸プロを経て、1958年に東宝と契約を結ぶ、多くの作品で主に脇役として活躍した。東宝特撮映画の出演も多い。1962年にフリーランスとなり、太平洋テレビジョン、さち子プロに所属していた。 また、1950年代後半から1970年代にかけてテレビドラマにも出演していたが、後に芸能界を引退した。
吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 … 吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の小説家。
池田 光夫(いけだ みつお、1927年 - 2002年6月1… 池田 光夫(いけだ みつお、1927年 - 2002年6月13日)は、日本のバンドネオン奏者。タンゴ楽団『池田光夫とロス・アミーゴス』代表 1927年生まれ。東京都荒川区育ち。若いころより、ギターやピアノを演奏していた。1948年より、バンドネオンを演奏するようになった。 1950年より、プロのバンドネオン奏者として活動を始めた。オルケスタ・ティピカNHKの指揮者となった。『早川真平とオルケスタ・ティピカ東京』にも参加した。1974年、『池田光夫とロス・アミーゴス』を結成した。1985年には、アルゼンチンのホセ・コランジェロ楽団との共演を行い文化庁芸術祭賞を受賞した。2001年頃まで活躍した。『日本のバンドネオン奏者第一人者』と紹介されることもある。
平井 さち子(ひらい さちこ、1925年8月31日 - )は… 平井 さち子(ひらい さちこ、1925年8月31日 - )は、東京都出身の俳人。東京市日暮里(現荒川区)生。1946年、夫の恩師である中村草田男の「萬緑」に入会。1956年、夫と大学の同級であった高橋沐石の勧めで「子午線」に参加。夫の留学や赴任に伴いアメリカ合衆国、ついで北海道に移住。当地では野鳥愛護活動に従事、また北海道文学館理事も務めた。1983年、東京に戻る。1990年、『鷹日和』により第30回俳人協会賞受賞。他の句集に『完流』『紅き栞』『背中』『日々片々』がある。季題趣味を離れた自由な句風。
鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 -… 鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 - 1989年10月18日)は、井筒部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)、再度井筒部屋、陸奥部屋に所属した元力士、元若者頭。本名は近藤 貢(こんどう みつぐ)。現在の東京都荒川区出身。176cm、113kg。最高位は西十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1939年1月場所に初土俵。序ノ口で全敗したり、幕下から序二段まで下がるなど、出世が遅かったが、初土俵が同期の栃錦に「十両に上がったら俺の化粧廻しをやるから」と励まされて奮起し、初土俵から16年が経った1955年3月場所に30歳で十両昇進。1957年1月場所に32歳で引退し、若者頭に転じた。
白井 義男(しらい よしお、1923年〈大正12年〉11月2… 白井 義男(しらい よしお、1923年〈大正12年〉11月23日 - 2003年〈平成15年〉12月26日)は、日本の元プロボクサー。東京市(現東京都)荒川区出身。元世界フライ級王者で、日本人として初めての世界王者となった。現代とは違い、世界王座までの距離が比べ物にならないほど遠かった時代のチャンピオンとして高い評価を得ている。最優秀選手賞に5度選ばれた記録を持つ。 小学6年生時の夜祭りの余興で行ったカンガルーとのボクシングに負けて以後、ボクシングにのめり込んだという。プロデビューは戦時下の1943年。8戦全勝の成績を残すが招集されて海軍に従軍し、整備士として終戦を迎える。復員後、ボクシング界へ復帰したものの海軍時代に特攻機を整備した際の労災により腰痛となり、引退寸前の危機に追い込まれた。
森下 正雄(もりした まさお、1923年〈大正12年〉10月… 森下 正雄(もりした まさお、1923年〈大正12年〉10月20日 - 2008年〈平成20年〉12月5日)は、日本の東京都荒川区出身の紙芝居師。紙芝居全盛期である終戦直後から紙芝居の衰退する高度経済成長期、そして21世紀に至るまで生涯現役を貫いて紙芝居を上演し、児童文化保存に貢献した。喉頭癌で声帯除去手術を受けて声を失って以降、手術前の上演の声を録音したカセットテープで紙芝居を演じたことでも知られる。 東京都荒川区東日暮里で、紙芝居師の父・森下貞三のもとに誕生した。当初の職業は菓子工場員だった。戦中は出征、戦後は4年間のシベリア抑留を経て、1949年(昭和24年)に帰国した。第二次世界大戦の空襲で職場が失われたため、父の指導を受けた後、1950年(昭和25年)、父の家業を継いで紙芝居を始めた。
美空 ひばり(みそら ひばり、1923年2月16日 - )は… 美空 ひばり(みそら ひばり、1923年2月16日 - )は、日本の昭和の戦前期の女優である。 東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区日暮里地域)生まれ。本名:高城富久子(結婚後、山本富久子)。松竹少女歌劇学校第5回卒業生として1938年に松竹歌劇団に入団。美空ひばりという芸名はこの入団のときからのもの。先輩に類似した名前の「御空ひばり」がいるが別人。同歌劇団では、小月冴子や並木路子、加藤治子(御舟京子)の一期後輩。幾野道子の一期先輩。初舞台は浅草・国際劇場。 1940年に大都映画に入社し、複数の映画に主演または準主演で出演した。代表的な出演映画は、『大陸は微笑む』(弥刀研二監督、1940年)、『時代の狼火』(大伴龍三監督、1941年)、『太閤への使者』(益田晴夫監督、1941年)。
長島 隆一(ながしま りゅういち、1922年1月29日 - … 長島 隆一(ながしま りゅういち、1922年1月29日 - 没年不明)は、日本の俳優。東京府北豊島郡南千住町(現:東京都荒川区)出身。 旧芸名・別名は長島 隆二、長嶋 隆一。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
安田 義章(やすだ よしあき、本名:安田安造<やすだ やすぞ… 安田 義章(やすだ よしあき、本名:安田安造<やすだ やすぞう>、1918年<大正7年>1月22日 - 2008年<平成20年>10月18日)は、日本の性風俗研究家、AV男優である。最晩年の別称は安田老人。 1918年(大正7年)1月22日、指物師である父、安田利作、母、キヨノの長男として、東京都荒川区にて出生。生家は職人を何人も雇う、家具製造所であった。木工が好きではなかった安造は、高等小学校卒業後の1930年(昭和5年)、神田の文房具店に奉公に出された。 この頃、得意先の女子店員に誘惑されたり、公衆便所を覗いたりして性に目覚める。 その後、築地の魚河岸で働くが、1年もしないうちに辞め、実家へ戻った。
小松崎 茂(こまつざき しげる、1915年〈大正4年〉2月1… 小松崎 茂(こまつざき しげる、1915年〈大正4年〉2月14日(戸籍上2月21日[要出典]) - 2001年〈平成13年〉12月7日)は、東京府(現:東京都)出身の画家・イラストレーター。 空想科学イラスト・戦記物・プラモデルの箱絵(ボックスアート)など、挿絵画家の第一人者として幅広く活躍した。 東京府北豊島郡南千住町(現在の東京都荒川区南千住)で生まれ、青年期には日本画家を志望し花鳥画の堀田秀叢(ほったしゅうそう)に学ぶ。しかし、転じて秀叢の弟弟子の画家・小林秀恒の下で挿絵画家の道を歩むことになる。 1938年(昭和13年)に「小樽新聞」に連載の悟道軒圓玉の講談小説『白狐綺談』の挿絵でデビューし(筆名は「恒方」)、翌々年には科学雑誌『機械化』の挿絵で、戦争物や空想科学を題材にした絵を描き評判になる。
森下 貞義(もりした さだよし、1915年〈大正4年〉 - … 森下 貞義(もりした さだよし、1915年〈大正4年〉 - 2001年〈平成13年〉3月)は、日本の紙芝居師。東京府荒川出身。父は紙芝居師の森下貞三、弟も同じく紙芝居師の森下正雄。 17歳のとき、ごく自然に父と同じ紙芝居師の仕事に就いた。当時は日本全国の紙芝居師の数は5万人ともいわれる、紙芝居の全盛期であった。 戦中は仕事を中断したものの、1948年(昭和23年)に復帰。この頃が紙芝居の第2のピークであり、東京だけでも3000人以上の紙芝居師がいた。1953年(昭和28年)、東京都紙芝居コンクールで特選に選ばれた。前年の同コンクールで弟の正雄も特選に選ばれていたことで、紙芝居一家として有名になった。
上條 静光(かみじょう せいこう、1908年(明治41年)5… 上條 静光(かみじょう せいこう、1908年(明治41年)5月20日 - 2007年(平成19年)4月24日)は、日本画家。東京に生まれる。本名:上條健吉(かみじょう けんきち)。 現在の東京都荒川区日暮里の商家に生まれる。父方の本家は江戸、現在の中央区日本橋の油問屋・桝屋の屋号で商いをする油問屋であった。母は石川県輪島市の出身で輪島塗頭領、木下家の長女。健吉が三歳の時に父が亡くなる。1915年(大正4年)第二日暮里尋常小学校入学、1921年(大正10年)卒業し、東京府私立順天中学校入学、在学中より画家を志す。1923年(大正12年)関東大震災、1925年(大正14年)日暮里の大火で生家を焼失する。
雷山 勇吉(らいざん ゆうきち、1907年5月17日 - 1… 雷山 勇吉(らいざん ゆうきち、1907年5月17日 - 1973年1月7日)は、東京都荒川区出身で伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。本名は豊田 光三。身長167cm、体重101kg。最高位は東前頭12枚目(1933年5月場所)。引退後は一時期年寄として後進の指導につとめた。 伊勢ノ海部屋に入門して、1923年1月場所初土俵を踏む。出世は遅く、三段目から序二段に陥落したり、幕下から三段目に陥落したこともあったが、1931年5月・10月と三段目上位で好成績を残し(10月場所は全勝して三段目優勝をとげた)、1932年1月に幕下に復帰したところに、春秋園事件で大量の脱退者が出たため、2月場所では繰り上がって幸運な新十両昇進となった。
茂呂 真由美(もろ まゆみ、2月4日 - )は、日本のゲーム… 茂呂 真由美(もろ まゆみ、2月4日 - )は、日本のゲームクリエイター、キャラクターデザイナー。株式会社セガ、セガサミーホールディングス株式会社所属。CEDEC2023、2024、2025企画委員。 東京都荒川区出身。私立女子聖学院中学校・高等学校、御茶ノ水美術学院、すいどーばた美術学院、桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒。実家は呉服屋。 株式会社セガ・エンタープライゼスに家庭用ゲームソフトのデザイナーとして入社。『スペースチャンネル5』に出てくる宇宙人「モロ星人」の産みの親で、名前の由来にもなっている。 ゲーム業界での女性の働き方や、ゲーム業界で長く働き続けるための体験談のセミナー、ミートアップの登壇や、ワーキングペアレントの働き方と悩みについての講演、ラウンドテーブルの主催を数多く行っている。
『ちりとてちん』 『キミ犯人じゃないよね?』 『あんどーなつ… 『ちりとてちん』 『キミ犯人じゃないよね?』 『あんどーなつ』 『就活のムスメ』 『恋するキムチ』 『三角波』 『ピン女のメリークリスマス』 『おふこうさん』 『女くどき飯』 『風林火山』 『龍馬伝』 『八重の桜』 『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』 『遺留捜査』第1シリーズ
秋葉 達雄(あきば たつお)は、日本の空間デザイナー。株式会… 秋葉 達雄(あきば たつお)は、日本の空間デザイナー。株式会社T&C JAPAN取締役会長。 MUSE Design Awards、Global Future Design Awardsなど国際的なデザインアワードにおいて多数の賞を受賞している。 フルCGアニメーションやAIを使った空間デザインプレゼンテーションを得意とし、新宿歌舞伎町で100件以上の店舗デザインを手がける。 東京都荒川区出身。20歳から10年以上にわたりエンターテインメント系の接客業に従事した。接客業は軌道に乗っていたが、ある挫折をきっかけに自暴自棄になっていたところ、知人から新宿・歌舞伎町のホストクラブの店舗デザインを依頼された。
浅沼 ひろゆき(あさぬま ひろゆき)は、日本の漫画家。 東京… 浅沼 ひろゆき(あさぬま ひろゆき)は、日本の漫画家。 東京都荒川区東尾久に生まれ、西尾久で育つ。小学生のころから漫画を描くことが好きだった浅沼だが、高校を中退し、千代田工科芸術専門学校漫画科に入学した時には「夢よりも現実を考える年齢」であったため、「漫画家になれるとは本気で思ってなかった」。サラリーマンになりたくないと考えた浅沼は、ホストクラブの面接を受ける。しかし面接で衣服を自分で揃えるよう言われ、金がなかった浅沼は、賞金を目当てに4コマ漫画新人賞に応募した。その応募作「少年とニワトリ」で第7回谷岡ヤスジ賞で大賞を受賞。その後仕事の注文が殺到したため、ホストクラブではなくプロの漫画家として活動する。
諏訪 孝二 は、日本の元俳優、声優。早稲田大学政治経済学部中… 諏訪 孝二 は、日本の元俳優、声優。早稲田大学政治経済学部中退。東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区)で生まれる。
野沢 雅子 は、日本の声優、女優、歌手。東京都荒川区日暮里(… 野沢 雅子 は、日本の声優、女優、歌手。東京都荒川区日暮里(現・東京都荒川区)出身。青二プロダクション所属。劇団ムーンライト主宰。日本俳優連合副理事長。
片岡 鶴太郎 は、日本の俳優、お笑いタレント、画家、書家、ヨ… 片岡 鶴太郎 は、日本の俳優、お笑いタレント、画家、書家、ヨガ実践家。かつてはプロボクサー活動もしていた。
泉 政行 は、日本の俳優。東京都荒川区出身。駒込高等学校、東… 泉 政行 は、日本の俳優。東京都荒川区出身。駒込高等学校、東海大学第二工学部機械科卒業。ギフト最終所属。
吉澤 智恵 は、日本の元女子バレーボール選手。
金原亭 小駒(きんげんてい ここま)は、落語家の名前。歴代の… 金原亭 小駒(きんげんてい ここま)は、落語家の名前。歴代の小駒は前座・二つ目時代に名乗っていただけなので、原則として代数はつけない。 金原亭 小駒(きんげんてい ここま、1995年(平成7年)9月6日 - )は、日本の落語家、元・俳優(山田清貴名義)である。本名∶美濃部 清貴。 十一代目 金原亭馬生門下。母は十代目金原亭馬生の次女の美濃部 由紀子。 落語協会二ツ目の勉強会「チャノマ」メンバー。2022年(令和4年)からは自身と同じ世襲落語家である林家たま平らと共に二ツ目の世襲落語家の落語会である「若旦那の会」の公演を行っている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山川 修身(やまかわ おさみ)こと 沈 敬変(シム・キョンピ… 山川 修身(やまかわ おさみ)こと 沈 敬変(シム・キョンピョン、朝: 심경변, 1920年 - 1997年7月10日)は、在日韓国・朝鮮人のヤクザ。指定暴力団・稲川会傘下組織である山川一家の創設者。三代目稲川会では最高顧問を務めた。 1920年(大正9年)、東京都荒川区南千住で生まれる。少年時代から不良であり、浅草では同じ不良同士のグループに加入していた。その後、兄の影響で北海道に転居し、炭鉱労働者となった。 1945年(昭和20年)の終戦後に東京へ戻ると、東京市蒲田区(現在の大田区蒲田)を拠点に愚連隊を結成する。やがて山川は多摩川を越えて川崎へ進出し、勢力拡大に成功。1958年(昭和33年)には山川は80人以上を率いる集団の頭領となっていた。