深尾 光洋(ふかお みつひろ、1951年7月7日 - )は、… 深尾 光洋(ふかお みつひろ、1951年7月7日 - )は、日本の経済学者。武蔵野大学経済学部教授、慶應義塾大学名誉教授。元日本経済研究センター理事長。専門は国際金融論、コーポレートガバナンス。 岐阜県岐阜市生まれ。1970年岐阜県立岐阜高等学校卒業。1974年京都大学工学部卒業、日本銀行入行。日本銀行から米国ミシガン大学に留学し、1981年に経済学博士 (Ph.D) を取得。その後、経済企画庁調査局、経済協力開発機構 (OECD) 金融財政政策課エコノミスト、日本銀行金融研究所調査役、日本銀行調査統計局参事などを経て、1997年4月から2017年3月まで慶應義塾大学商学部教授。2003年金融審議会保険の基本問題に関するワーキンググループ専門委員。
熊田 力三(くまだ りきぞう、1949年10月10日 - )… 熊田 力三(くまだ りきぞう、1949年10月10日 - )は、元岐阜放送アナウンサー。岐阜県岐阜市出身。関西大学経済学部卒業。 現在はFMわっち専属アナウンサーとして活躍中
吉村 泰典(よしむら やすのり、1949年1月26日 - )… 吉村 泰典(よしむら やすのり、1949年1月26日 - )は、日本の医学者、産婦人科医。慶應義塾大学名誉教授。新百合ヶ丘総合病院名誉院長。専門は生殖生理学、不妊症学、臨床内分泌学。内閣官房参与(第2次安倍内閣。少子化対策・子育て支援)。日本産科婦人科学会理事長、日本生殖医学会理事長を歴任。 岐阜県岐阜市出身。父は日本電信電話公社の技術者、母は洋裁学校の経営者。岐阜市立木之本小学校、岐阜市立本荘中学校、岐阜県立岐阜高等学校を経て、1975年に慶應義塾大学医学部を卒業。同大学で研修医となり、以後、国立埼玉病院、横浜警友病院、慶應義塾大学医学部、浜松赤十字病院において産婦人科医として勤務。1983年よりアメリカ合衆国に留学(ペンシルバニア病院、ジョンズ・ホプキンズ大学)。
奥田 喜久男(おくだ きくお、1949年1月2日 - 202… 奥田 喜久男(おくだ きくお、1949年1月2日 - 2024年7月18日)は、日本の経営者、週刊BCN主幹。岐阜県岐阜市出身。 1971年、皇學館大学文学部を卒業し、電波新聞社に入社して編集記者を務める。 1981年8月18日 、株式会社コンピュータ・ニュース社(現在の株式会社BCN)を設立。IT業界紙「ビジネス・コンピュータ・ニュース(現在の週刊BCN)」の創刊編集長となる。次世代のエンジニアを育てることを目的とする特定非営利活動法人 ITジュニア育成交流協会の理事長も務める。趣味は登山。 「奥田喜久男の千人回峰」(週刊BCNで連載)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大野 秀敏 (おおの ひでとし、1949年 - )は、日本の… 大野 秀敏 (おおの ひでとし、1949年 - )は、日本の建築家・都市構想家。東京大学名誉教授。元東京大学大学院教授(新領域創成科学研究科環境学専攻、工学部建築学科兼担)。2015年よりアプルデザインワークショップ代表取締役。 東京大学建築学科では芦原義信、香山壽夫、稲垣栄三らの薫陶を受ける。修士課程を修めたのち建築家槇文彦の事務所で実務経験を積む。在職中に槇が東大教授に就任し、最初の助手栗生明の後任として1983年より助手を務めた。その後工学部建築学科助教授に昇格。東京大学新領域創成科学研究科新設に参画し1999年に教授(社会文化環境学専攻)に就き、2015年に定年退職、同大名誉教授。 社会文化環境学専攻での研究活動は都市の未来像構想に向けられた。
Mr.マリック(ミスターマリック、英語表記:Mr. Mari… Mr.マリック(ミスターマリック、英語表記:Mr. Maric 、1948年12月29日〈戸籍上は1949年1月1日〉- )は、日本のマジシャン。本名・出生名は 松尾 昭(まつお あきら)。別名義として、栗間 太澄(くりま たすみ)と 松尾 幻燈斎(まつお げんとうさい)がある。身長160 cm。著名な親族として、実娘のLUNA(ラッパー)がいる。 所属する芸能事務所は有限会社マリックエンターテイメント、テレビ朝日映像株式会社。関連会社に株式会社マリックプロモーション(芸能事務所)もある。「超魔術師」「サイキックエンターティナー」を名乗る。 (事実上)1948年(昭和23年)12月29日に岐阜県岐阜市で生まれる。
小川 真里子(小川 眞里子、おがわ まりこ、1948年10月… 小川 真里子(小川 眞里子、おがわ まりこ、1948年10月 - )は、日本の科学史家、三重大学名誉教授。 岐阜市生まれ。岐阜県立岐阜高等学校卒。1971年東京大学教養学部基礎科学科卒。1974年同大学院理学研究科科学史科学基礎論修士課程修了。1978年同人文科学研究科比較文学比較文化博士課程中退。1986年三重大学人文学部助教授、1994年教授、2012年特任教授、2015年名誉教授。 2010年科学技術社会論学会・柿内賢信記念賞受賞。2018年日本科学史学会学術賞受賞。
細江 茂光(ほそえ しげみつ、1948年(昭和23年)4月1… 細江 茂光(ほそえ しげみつ、1948年(昭和23年)4月18日 - 2020年(令和2年)4月16日)は、日本の政治家。元岐阜市長(5期)。 岐阜県岐阜市伊奈波通出身。岐阜市立金華小学校(現岐阜市立岐阜小学校)、岐阜市立伊奈波中学校、岐阜県立岐阜高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、京都大学法学部卒業。同年4月、三井物産に就職。 2002年(平成14年)1月11日、市職員の公職選挙法違反事件により、岐阜市長の浅野勇が辞職。これに伴って2月24日に行われた市長選挙に民主党の推薦を受けて立候補。5人の候補者を破り初当選した。投票率は49.55%。 2006年(平成18年)、再選。投票率は30.28%。
藤吉 好則(ふじよし よしのり、1948年 - )は、日本の… 藤吉 好則(ふじよし よしのり、1948年 - )は、日本の生物学者。京都大学名誉教授、東京科学大学総合研究院高等研究府特別栄誉教授、日本学士院会員。日本学士院賞受賞。紫綬褒章、瑞宝重光章受章。専門は、生物物理学、構造生理学。岐阜県岐阜市出身。 極低温電子顕微鏡の開発を通じて、膜タンパク質の構造解析を可能にし、その構造の解明に貢献した。これまでの主な業績として、バクテリオロドプシン、水チャネル(アクアポリン)、アセチルコリン受容体、ギャップジャンクション、タイトジャンクションの鍵となるクローディンの構造と機能の解明がある。
千藤 三樹男(せんどう みきお、1947年9月28日 - )… 千藤 三樹男(せんどう みきお、1947年9月28日 - )は元プロ野球選手(外野手)。野球解説者。岐阜県出身。
大倉比呂志(おおくら ひろし、1947年9月28日 - )は… 大倉比呂志(おおくら ひろし、1947年9月28日 - )は、日本の国文学者、昭和女子大学名誉教授。 岐阜市生まれ。1971年早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。81年同大学院文学研究科博士後期課程修了。昭和女子大学助教授をへて、教授。2018年名誉教授。専攻、中古・中世日記文学、平安後期・鎌倉時代物語文学。
古田 肇(ふるた はじめ、1947年〈昭和22年〉9月13日… 古田 肇(ふるた はじめ、1947年〈昭和22年〉9月13日 - )は、日本の政治家、通産・経産・外務官僚。元岐阜県知事(公選第16・17・18・19・20代)。無所属。2022年3月27日からは全国知事会副会長(東海北陸ブロック)を務める。 岐阜県岐阜市生まれ。岐阜市立加納中学校、岐阜県立岐阜高等学校卒業。1971年6月、東京大学法学部卒業。同年7月、通商産業省(現・経済産業省)に入省(貿易振興局貿易振興課)。同期入省に杉山秀二(事務次官)、今井康夫(特許庁長官)、鹿島幾三郎らがいる。1974年にフランス国立行政学院(ENA)に留学した。 1994年、羽田孜内閣総理大臣の首相秘書官に就任し、村山富市内閣総理大臣の下でも引き続き首相秘書官を務めた。
松原 敏春(まつばら としはる、1947年2月13日 - 2… 松原 敏春(まつばら としはる、1947年2月13日 - 2001年2月6日)は、岐阜県岐阜市出身の脚本家・作詞家・演出家。慶應義塾大学法学部卒業。1992年、『家族日和'93』で第11回向田邦子賞受賞。 松原敏春が脚本したテレビドラマ、バラエティ番組、舞台演劇は以下の通りである。
栃葉山 暁輝(とちばやま あきてる、1946年5月7日 - … 栃葉山 暁輝(とちばやま あきてる、1946年5月7日 - 1992年1月11日)は、岐阜県岐阜市出身で春日野部屋所属の元大相撲力士。最高位は西十両9枚目。本名は臼井 仁志(うすい ひとし)。身長187cm、体重133kg。得意技は押し。 旧大日本帝国海軍の海軍相撲で鳴らした父の影響で、岐阜市立明郷中学校2年生より相撲を始める。春日野部屋からスカウトされたが、進学を条件に上京し、明治大学附属中野高等学校に入学、春日野部屋に住み込みながら高校生活を送る。 高校時代には、1963年、1964年に全国高等学校相撲選手権大会で2連覇。明治大学に進学するも1年途中で退学し春日野部屋に正式に入門。1966年1月場所に初土俵を踏む。
中条 きよし(なかじょう きよし、本名:下村 清〈しもむら … 中条 きよし(なかじょう きよし、本名:下村 清〈しもむら きよし〉、1946年〈昭和21年〉3月4日 - )は、日本の歌手、俳優、政治家。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。岐阜県岐阜市出身。現在は静岡県熱海市在住。 岐阜県岐阜市生まれ。岐阜市立伊奈波中学校卒業、岐阜東(1年次は岐東)高等学校商業科中退。 大阪の劇団に所属し、役者を目指す。歌手の前座のピンチヒッターとして歌いレコード会社関係者の目に止まる。 1968年、高波 晃(たかなみ あきら)の芸名で「帰って来た波止場」で歌手デビュー。 1971年、今度は渥美 健(あつみ けん)に芸名を改め、「心の古傷」で再デビューした。 20代半ばで東京・赤坂にスナックを出店した。
高土 新太郎(こうづち しんたろう、1944年10月26日 … 高土 新太郎(こうづち しんたろう、1944年10月26日 - 2024年1月22日)は、日本の俳優、お笑い芸人、漫談家。 岐阜県岐阜市出身。東京都東村山市を経て現在は神奈川県横浜市在住。人喰企画所属。 岐阜東高等学校、日本大学経済学部出身。
山本 寛斎(やまもと かんさい、1944年2月8日 - 20… 山本 寛斎(やまもと かんさい、1944年2月8日 - 2020年7月21日)は、日本のファッションデザイナー、イベントプロデューサー。 寛斎スーパースタジオ会長。別名表記はやまもと 寛斎。神奈川県横浜市出生、岐阜県岐阜市出身。本名は山本 寛斎(やまもと のぶよし)。 岐阜県立岐阜工業高等学校卒業、日本大学文理学部英文科中退。 1971年に日本人として初めて、ロンドンでファッションショーを開催したことでも知られる。このロンドンのショーがデビューとなり、1974年にパリコレクション、1979年にはニューヨークコレクションに参加。フランス・パリ、イタリア・ミラノ、米国・ニューヨーク、スペイン・マドリードなど世界各地の主要都市に「ブティック寛斎」を出店しファッションデザイナーとしての地位を確立した。
石榑 郁郎(いしぐれ いくろう、1942年12月7日 - )… 石榑 郁郎(いしぐれ いくろう、1942年12月7日 - )は、日本棋院所属の囲碁棋士。岐阜県岐阜市出身、木谷實九段門下、九段。詰碁創作の名手として知られ、多数の作品を発表している。 小学3年で碁を覚え、父とともに中部総本部の五十川正雄の碁会所に通い腕を磨いた。
小椋 一葉(おぐら かずは、1942年4月10日 - )は、… 小椋 一葉(おぐら かずは、1942年4月10日 - )は、日本の文筆家。本名・美子。 岐阜市生まれ。1966年京都大学教育学部卒、70年同大学院教育社会学修士課程修了。 心理相談室、愛知県立大学助手を経て文筆家。 民間伝承や神社分布、祭神の分析等から古代史の謎に迫る斬新な方法で、黎明期の歴史の暗部に新たな光を当てたシリーズ<伝承が語る古代史>で脚光を浴びる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
鈴木 ユリイカ(すずき ユリイカ、1941年10月30日 -… 鈴木 ユリイカ(すずき ユリイカ、1941年10月30日 - )は、日本の詩人、翻訳家。岐阜県岐阜市出身。明治大学文学部仏文科卒業。本名、鈴木雅子。
髙木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は… 髙木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は、プロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市育ち。
神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉… 神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉7月16日 - )は、日本の映画監督、脚本家。岐阜県岐阜市中西郷出身。2022年5月より東京都内から長野県上田市に移住(2024年9月時点)。 農家に生まれる。岐阜県立岐阜北高等学校に在学中は画家を志していた。日本大学芸術学部映画学科に在学中は演劇に傾倒していたが、1964年(昭和39年)、4年生の時に重症の右湿性肋膜炎を患い大学を中退し帰郷する。病気の回復後に再び上京し、映画芸術誌編集部のアルバイトを経て、1965年(昭和40年)、新藤兼人監督が主宰する近代映画協会に参加する。なお、大学時代の同窓生にアニメーション監督の富野由悠季がいる。
岡本 太一(おかもと たいち、1941年(昭和16年)1月2… 岡本 太一(おかもと たいち、1941年(昭和16年)1月24日 - 2009年(平成21年)6月16日)は、日本の実業家。岐阜県岐阜市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 三井物産を経て、1972年に家業の鍋屋工業(現鍋屋バイテック)へ入社。1980年に同会社の代表取締役社長に就任し2007年から取締役会長。 「職人のプライドを取り戻す」「社員が自ら考えて働ける楽しい現場」を目標に、「多品種微量生産」「当日出荷の即納体制」「自前の機械づくりによる安価な製造原価の実現」を徹底し、更に国際化を推進することによって差別化を図り、一介の鋳造業者であった鍋屋バイテックを超優良企業に変身させた。 また、三井物産勤務時に訪れた米デュポン・GEの工場にヒントを得、本社工場を「工園(工場公園)」と命名し、美しい緑と芝生に囲まれ、美術館・コンサートホールといった文化施設と、プール・フィットネスセンター・ジャグジー・カフェバー等のレクレーション施設を備えた、大学のキャンパスのような工場をつくりあげ、更に、社員が生き生きと働けるように、様々な「楽しく働ける仕掛け」を実現した。
森 真(森 眞、もり しん、1940年(昭和15年)2月24… 森 真(森 眞、もり しん、1940年(昭和15年)2月24日 - 2021年(令和3年)9月3日)は、日本の政治家。岐阜県各務原市長(4期)、岐阜県議会会議員、社会党岐阜県本部委員長、民主党岐阜代表代行などを歴任した。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、早稲田大学第一法学部卒業。会社員から地元紙の新聞記者を経て、社会党の書記長だった山本幸一の秘書を務めた。2度の落選を経て、1979年に岐阜県議会議員選挙に当選し5期務めた。 1997年に各務原市長選に立候補し当選。2013年の任期満了に伴う同市長選で新人の浅野健司に敗れ、落選するまで4期務めた。 2015年、旭日中綬章を受章。 2021年9月3日14時15分、誤嚥性肺炎のため死去。
荒岐山 正(あらきやま ただし、1940年1月5日 - 19… 荒岐山 正(あらきやま ただし、1940年1月5日 - 1986年9月5日)は、岐阜県岐阜市弥八町出身(出生地は徳島県徳島市)で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は永野 正(ながの ただし)。最高位は東前頭11枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は177cm、142kg。得意手は左四つ、寄り。 中学校卒業後、時津風部屋へ入門し、1955年3月場所で初土俵を踏んだ。 その後、1960年5月場所で十両昇進、1961年3月場所で入幕を果たした。 しかし、新入幕時に右足を骨折する等、負傷に悩まされた。幕内では結局、1度も勝ち越す事ができなかった。 現役晩年は幕下まで陥落し、1963年5月場所限り、23歳の若さで廃業。
熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は… 熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は、日本の実業家。JTCメディアグループの現代表取締役、名古屋アナウンサーアカデミーの現理事長、元ラジオ岐阜のアナウンサー、元中京テレビ放送のアナウンサー。岐阜県岐阜市出身。法政大学卒業。 大学卒業後、ラジオ岐阜に入社。その後、1969年に中京テレビが開局するのに合わせて移籍し、同局第1期のアナウンサーとして入社(同期に山崎正)。中京テレビでは主に報道とスポーツ関連の番組を担当し、ワイドニュース『6時のNEWS』の初代キャスターを務めた。また、第2回NNSアナウンス大賞で大賞を受賞。これは地方局のアナウンサーとしては初の受賞例である。その後、報道部へ異動。
伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日… 伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日本の化学者。専門は有機金属化学。日本化学会を通した化学教育への貢献が評価される。横浜国立大学名誉教授。 岐阜県岐阜市出身。都立西高校卒業、東京工業大学工学部卒業、1967年に東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、東京工業大学資源化学研究所助手を経て1975年に横浜国立大学工学部助教授、1989年に同教授、組織替えにより2001年から同大学院工学研究院教授。2004年に定年退官、横浜国立大学名誉教授。 現在、株式会社アド技術顧問兼監査役。 1990年に日本化学会の理事に着任、化学教育へ取り組む。1999年から日本化学会副会長(2年間)、2001年に化学教育協議会副会長、2002年に日本科学教育学会の副会長。
安田 暎胤(やすだ えいいん、昭和13年(1938年)2月9… 安田 暎胤(やすだ えいいん、昭和13年(1938年)2月9日 - )は現代の法相宗の僧。岐阜県岐阜市生まれ。12歳で薬師寺に入寺。龍谷大学大学院修了。法相宗大本山薬師寺執事長、副住職、管主を経て、2009年8月より薬師寺長老。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19… 松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19日 - 2022年(令和4年)2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は従三位。元衆議院議員(通算3期)、元参議院議員(2期)。 岐阜県岐阜市出身。第3次小泉改造内閣において、2005年(平成17年)10月31日から2006年(平成18年)9月26日まで、内閣府特命担当大臣(食品安全、科学技術政策)、情報通信技術 (IT)担当大臣を務めた。 岐阜県立加納高等学校を経て、1960年(昭和35年)に東京大学法学部(法律学)を卒業後、通商産業省に入省。同期に、堺屋太一、熊野英昭(元通産事務次官)、高橋達直、吉田文毅(特許庁長官)、若林茂(大臣官房審議官、旧ヤハギ社長)など。
葛西 道生(かさい みちき、1937年3月5日 - 2015… 葛西 道生(かさい みちき、1937年3月5日 - 2015年4月3日)は、日本の生物物理学者。大阪大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。 岐阜県岐阜市出身。1959年名古屋大学理学部物理学科卒業。大澤文夫研究室出身。1961年名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻修了、理学修士、名古屋大学理学部助手。1964年名古屋大学より理学博士の学位を取得。1968年パスツール研究所CNRS研究員。1970年大阪大学基礎工学部助教授。1977年大阪大学基礎工学部教授。1992年日本生物物理学会会長。2001年大阪大学名誉教授、龍谷大学理工学部教授。2015年腎臓癌のため豊中市の病院で死去。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日 - )は、大阪… 森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(捕手)・指導者・監督、野球解説者。本名「森 昌彦」(もり まさひこ)。
平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日… 平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日本の歌人。 岐阜県岐阜市生まれ。実家は金津の遊郭であったという。3歳のときに父を結核で亡くし、9歳で母も亡くし、祖母に育てられる。1944年に遊郭がまるごと岐阜市郊外の長森に移転して疎開するという経験をする。高校生のときに作歌を始め、1954年に新聞歌壇で高安国世に採用される。 1960年に小瀬洋喜が岐阜青年歌人会の機関誌として発行した同人誌「斧」の創刊メンバーとなり、2年ほど同誌に拠って活動。60年代の前衛短歌運動を牽引した。1961年に第一歌集『顔をあげる』を発表。その後しばらく歌作から離れるが、冨士田元彦のすすめで「現代短歌 雁」誌上にて復帰し、1976年に第二歌集『前線』を発表。
筑間 啓亘(ちくま ひろのぶ、1934年11月5日- )は… 筑間 啓亘(ちくま ひろのぶ、1934年11月5日- )は、日本の経営者である。プロ野球球団近鉄バファローズ球団社長を務めた。 岐阜県岐阜市出身。1952年に東京大学法学部私法学科を卒業し、同年に近畿日本鉄道に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1997年6月には常務に就任した。1998年6月から2003年6月までに常任監査役を務め、2004年6月までに監査役を務めた。 その一方で、1995年6月から1998年6月までに近鉄バファローズ球団社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )… 棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )は、日本の弁護士。元通産官僚、第25代通商産業事務次官、石油資源開発社長、石油鉱業連盟会長。 岐阜県岐阜市生まれ。軍人であった父を3歳の時に亡くし、母と祖父母に育てられた。 岐阜県立岐阜北高等学校から東京大学法学部に入学。在学中は行政法・自治法が専門の田中二郎のゼミで学ぶ。ゼミの同期には片山虎之助(参議院議員、初代総務大臣)がいた。「広域行政の必要性」を説く田中からは自治省への入省を勧められ、片山も自治省でのキャリアを積む事となるが、棚橋は「日本はまだまだ経済発展が必要だ。出来るならば、産業政策を担う通産省に入りたい」と志した。 1958年、東大法学部を卒業し通商産業省入省。
梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 20… 梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 2017年8月29日)は、日本の政治家。建設省官僚。前岐阜県知事、元全国知事会会長。氏名の読みは一般には「かじわら たく」として知られる。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、京都大学法学部卒業。 県立岐阜高校、京都大学法学部を卒業後、旧建設省に入省し、都市局局長等を歴任。鳥取県に出向し知事の西尾邑次の部下だったこともある。 1985年に当時の岐阜県知事だった上松陽助の部下として、岐阜県副知事に就き、上松の引退を受け1989年(平成元年)に夢おこし県政を掲げ岐阜県知事に初当選。以降4期16年在任し、全国知事会長も歴任した。 県内の産業振興にも積極的に取り組み、当時はほとんど知られていなかったCOSMOS (COsmic Scale Multimedia Of Six-faces) と称する当時世界に2台しか存在しなかった6面スクリーンの最先端の仮想現実環境の研究拠点を含む研究施設を県内に整備して振興に努めた。
河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 19… 河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 1984年9月11日)は岐阜県出身の元プロ野球選手。右投右打。
篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 202… 篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 2025年3月25日)は、日本の映画監督。株式会社表現社代表取締役、早稲田大学特命教授、日本中国文化交流協会代表理事、城西国際大学メディア学部客員教授。 岐阜県岐阜市生まれ。梅林小学校、岐阜県立加納高等学校、早稲田大学第一文学部卒業後、松竹に入社。1960年代にかけて大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーヴェルバーグの旗手と呼ばれた。 早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになる。翌年に独立プロダクションの株式会社表現社を設立。前衛的作品も辞さない大島や吉田に比べ、篠田は平易なサービス精神も持ち合わせており、独立後の1960年代後半から1970年代前半は『心中天網島』(1969年)や『無頼漢』(1970年)などの先鋭的な作品を独立プロから連発したが、1970年代後半からは『はなれ瞽女おりん』(1977年)や『鑓の権三』(1986年)などの大手映画会社配給の大作が多く、『鑓の権三』ではベルリン国際映画祭の銀熊賞 (芸術貢献賞)を受賞した。
わかやま けん(本名:若山 憲、1930年1月29日 - 2… わかやま けん(本名:若山 憲、1930年1月29日 - 2015年7月17日)は日本の絵本作家。 グラフィックデザインの世界から児童書の世界へ入る。『きつねやまのよめいり』(こぐま社)では、第16回サンケイ児童出版文化賞を受賞。また海外などでも評価を受ける。代表作として「こぐまちゃんえほんシリーズ」(こぐま社)などの作品があり、2017年時点で累計約954万部、特に『しろくまちゃんのほっとけーき』は、293万部を記録するベストセラーとなった。 1930年、岐阜県岐阜市出身。1945年12月、15歳のときに偶然見かけた雑誌『週刊少国民』に衝撃を受け、活動していた洋画家や童画家の作品に触れる。1948年頃から岐阜市のデザイン事務所に勤務し、グラフィックデザイナーとして仕事をするかたわらで、童画に強く惹かれていく。
吉村 道明(よしむら みちあき、1926年〈大正15年〉9月… 吉村 道明(よしむら みちあき、1926年〈大正15年〉9月19日 - 2003年〈平成15年〉2月15日)は、日本のプロレスラー。火の玉小僧と呼ばれた。 現役引退後は、近畿大学相撲部顧問として後進の指導にあたった。岐阜県岐阜市出身。 14歳で大日本帝国海軍の志願兵となり、海軍通信学校普通科練習生を36番の成績で卒業し、太平洋戦争に出征。シンガポール駐留中に海軍相撲で活躍し、海軍通信学校高等科練習生として5番の成績で卒業。終戦後は機雷除去の仕事を一年間務めた後、トヨタ自動車に勤務。1949年にトヨタ自動車を退社して近畿大学へ入学し、相撲部に入部。学生横綱(1949年、史上2人目となる大学1年で優勝)、国民体育大会個人優勝など輝かしい実績を残す。
浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 … 浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 - 2007年〈平成19年〉1月23日)は、日本の政治家。岐阜市長(3期)。
富田 重夫(とみた しげお、1925年7月4日 -2024年… 富田 重夫(とみた しげお、1925年7月4日 -2024年8月21日 )は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。 岐阜県岐阜市生まれ。1948年慶應義塾大学経済学部卒業、同年助手、1957年専任講師、1966年「現代経済学の体系的理解 方法論的研究」で経済学博士。同年教授。1977年紺綬褒章受章。1991年定年、名誉教授。聖学院大学政治経済学部教授、浜松大学教授などを歴任した。2024年8月21日逝去、享年99歳。同年11月15日のゼミのOBOG会は、当初「富田先生の数え100歳をお祝いする会」の予定であったが、急遽「富田先生を偲ぶ会」に変更されて開催された。
三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 -… 三笑亭 夢楽(さんしょうてい むらく、1925年1月5日 - 2005年10月28日)は、岐阜県岐阜市出身の落語家。生前は落語芸術協会に所属。本名∶渋谷 滉。出囃子は『筑摩祭』。 錦城商業学校卒業。映画カメラマンの成島東一郎は中学時代の同級生。 幼少時代に馬賊に憧れていたことから、1942年より単身中国北京へ移住。敗戦後帰国し、農林省開拓局に入局。 永井荷風を通じて正岡容を知り、その紹介で、1949年3月に五代目古今亭今輔に入門する。前座名は「今夫」。しかし、当の本人は新作落語、古典落語の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日柳家金語楼から渡された新作の台本を「八っつぁん」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線に転向する。
渡邊 力(わたなべ つとむ、1923年10月6日 - 197… 渡邊 力(わたなべ つとむ、1923年10月6日 - 1972年11月4日)は、日本の医師・医学者。また慶應義塾大学医学部教授。専門は微生物学。胃癌のため慶應病院で死去、享年49。 岐阜県岐阜市出身。1948年に慶應義塾大学医学部を卒業後、微生物遺伝学を専攻し、この立場から1972年に胃癌で倒れるまで、細菌の薬剤耐性獲得の機序の研究に終生をかけ、多くの成果を通じて近代分子生物学上のみならず、治療医学ならびに公衆衛生学上重大な貢献を成し遂げた。 研究生活前半の約10年間は当時結核治療に福音をもたらしたストレプトマイシンに対し、細菌がどのような機作によって耐性を獲得するかを、遺伝学的に詳細に検討し、いわゆる「自然突然変異および選択説」を実験的に明らかにした。
中原 宏(なかはら ひろし、1923年8月29日 - 198… 中原 宏(なかはら ひろし、1923年8月29日 - 1986年9月27日)は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
梶田 昭(かじた あきら、1922年12月2日 - 2001… 梶田 昭(かじた あきら、1922年12月2日 - 2001年1月7日)は、日本の医師、医学史家、東京女子医科大学名誉教授。 岐阜県岐阜市生まれ。地元の小学校に入学後1929年に東京・池袋の小学校に転校。1934年、府立五中(現:東京都立小石川中等教育学校)の受験に失敗し城西学園中学校入学。1938年、旧制一高文科受験に失敗し府立五中補習科へ。1939年旧制浦和高等学校理科へ入学。1942年東京大学医学部入学。 大学時代は太平洋戦争最中であり、学徒出陣壮行会にも参加。その一週間後、故郷・岐阜での徴兵検査に丙種合格も徴兵は免れる。戦後は原爆被害地の広島で研究班の一員として原爆症解剖にあたる。 1945年9月に東大医学部を繰り上げ卒業。
伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 201… 伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 2011年7月20日) は岐阜県岐阜市生まれのプロ野球選手(外野手)、高校野球監督。
沢田 文吉(さわだ ぶんきち、1920年7月18日 – 20… 沢田 文吉(さわだ ぶんきち、1920年7月18日 – 2006年6月12日)は、日本の棒高跳び選手。 1940年代から1950年代にかけて活躍、日本陸上競技選手権大会優勝9回、アジア大会金メダル2回。1952年ヘルシンキオリンピックでは6位入賞を果たした。 岐阜市出身。1938年、旧制岐阜中学校(現在の岐阜県立岐阜高等学校)在学中、全国中等学校選手権(全国高等学校陸上競技対校選手権大会の前身)で110mハードル走に出場し優勝している(16.8秒)。 東京文理科大学(東京教育大学を経て筑波大学の前身となる官立大学)に進む。1942年、日本学生陸上競技対校選手権大会で優勝(4m00)。同年、日本陸上競技選手権大会で初優勝(4m10)。
国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2… 国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2011年3月8日)は、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(内野手)、野球解説者、実業家。
高橋 重信(たかはし しげのぶ / じゅうしん、1918年〈… 高橋 重信(たかはし しげのぶ / じゅうしん、1918年〈大正7年〉4月9日 - 1980年〈昭和55年〉7月30日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員。 岐阜県岐阜市出身。1938年(昭和13年)岐阜県師範学校を卒業し、1944年(昭和19年)同研究科を卒業した。 小学校訓導、陸軍伍長、岐阜県下国民学校訓導、中学校教諭、岐阜市教育委員会副委員長、日本社会党岐阜県本部書記長などを務めた。1955年(昭和30年)の岐阜県議会議員選挙に岐阜市選挙区から左派社会党公認で立候補して当選した。1959年(昭和34年)、1963年(昭和38年)は社会党公認で当選している。衆議院議員補欠選挙に立候補するため、1964年(昭和39年)12月6日付で県議を辞職した。