高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 19… 高取 正男(たかとり まさお、1926年3月16日 - 1981年1月3日)は、日本の歴史学者・民俗学者。専攻は、日本文化史・民俗学。元京都女子大学教授。 1926年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、京都大学文学部史学科に入学。1951年に卒業し、同大学大学院にて国史学を専攻して柴田實に師事した。また先輩の竹田聴洲と出会い、民俗学を志した。 京都女子大学非常勤講師に就いた後、1961年に同大学助教授に就任。1966年に教授昇格。1977年より国立民族学博物館客員教授も務めた。 専門は民俗学で、宗教民俗学。没後には法藏館より『高取正男著作集』(全5巻)が刊行された。
桑原 章吾(くわばら しょうご、1926年3月16日 - 2… 桑原 章吾(くわばら しょうご、1926年3月16日 - 2008年1月6日)は、日本の医学者(微生物学)。元学校法人東邦大学理事長。勲三等旭日中綬章受章。 愛知県名古屋市生まれ。1943年9月東京帝国大学医学部を卒業。1949年5月松本医科大学助教授を経て、1954年5月に東邦大学医学部細菌学教授として着任、1969年4月同大学医学部長・学校法人東邦大学理事を経て、同年11月学校法人東邦大学理事長に就任、1991年8月に退任するまでの連続7期22年間理事長を務め、同大学の充実発展と経営基盤に尽力した。また、私立医科大学理事長会代表幹事、厚生省中央薬事審議会委員を始め社会福祉法人鶴風会、日本ワックスマン財団などの理事を務め、学会においては日本化学療法学会、日本感染症学会、日本細菌学会、日米医学協力委員会コレラ専門部会等で長く要職にあった。
稲川 誠一(いながわ せいいち、1926年1月11日 - 1… 稲川 誠一(いながわ せいいち、1926年1月11日 - 1985年3月20日)は、日本の歴史学者である。元聖徳学園岐阜教育大学教授。 愛知県名古屋市出身。第七高等学校造士館を経て、1948年に東京帝国大学文学部国史学科卒業、同大学院に進学。健康診断の結果、公立高校に就職できず、はじめ鶯谷女子高等学校に赴任し、後に健康が回復してから岐阜県立大垣北高等学校の教諭などをつとめる。その後、1980年に高山短期大学助教授、1982年に聖徳学園岐阜教育大学講師。1984年に助教授、1985年に教授に昇進。 七高で久保田収、東大で平泉澄に師事。日本中世史を専門とし、『新修大垣市史』の中世の部分を担当し、また岐阜県内の東大寺領荘園の研究に従事。
仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月… 仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月27日 - 1988年(昭和63年)11月18日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(2期)。 愛知県渥美郡神戸村(現・田原市)で農業を営んでいた父親の仲谷清一は第一次世界大戦の好況にあおられ、田畑を売り、機屋(はたや)を始めた。ところがつぶれてしまい、夜逃げ同然で一家は名古屋市に出た。1925年10月27日、仲谷は名古屋市西区桜木町3丁目で出生した。父親は織機会社のあとミシン会社に勤め、やがて仲谷ミシン商会として独立した。 名古屋市立新道尋常小学校、愛知県立明倫中学校卒業。1945年3月、第四高等学校文科甲類卒業。同年4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学。
渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8… 渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8月19日 - 2022年〈令和4年〉6月23日)は、日本の作曲家、編曲家。「ちゅうめい」は本名を音読みしたペンネームであり、本来の読みは「わたなべ みちあき」。 父は渡邊工業社長・名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者の渡辺俊雄。息子は作曲家・編曲家の渡辺俊幸。孫(俊幸の息子と娘)はナレーター・声優の渡辺眞伍、芸術家アイドルとして活動するマコ・プリンシパル(渡辺真子)。 また、作詞家の田野倉健之がアシスタントを務めた。 愛知県名古屋市出身。愛知県立明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)、第八高等学校理科、東京大学文学部心理学科卒。
伊藤 延男(いとう のぶお、1925年3月8日 - 2015… 伊藤 延男(いとう のぶお、1925年3月8日 - 2015年10月31日)は、日本の建築史学者、文化財保護者、文化功労者。東京国立文化財研究所名誉研究員、神戸芸術工科大学名誉教授。 愛知県名古屋市出身。愛知一中を経て、1947年東京帝国大学工学部建築学科卒業後、国立博物館に入り、奈良国立文化財研究所建造物研究室長、1961年「中世和様建築の研究」で東京大学より工学博士の学位を取得。1971年文化庁文化財保護部建造物課長、1978年東京国立文化財研究所所長。87年定年退官、名誉研究員、神戸芸術工科大学教授、同名誉教授。1995年勲三等旭日中綬章受章。2004年文化功労者。2012年ガッゾーラ賞受賞。
豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年… 豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年)2月27日 - )は、日本の実業家、技術者。勲等は桐花大綬章。学位は工学博士(名古屋大学・1955年)。トヨタ自動車株式会社名誉会長、日本経済団体連合会名誉会長、株式会社デンソー取締役、東和不動産株式会社取締役会長、社会福祉法人恩賜財団済生会会長、学校法人海陽学園理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事。
安藤 巌(安藤 巖、あんどう いわお、1925年1月28日 … 安藤 巌(安藤 巖、あんどう いわお、1925年1月28日 - 2009年11月11日)は、日本の弁護士、日本共産党員、政治家。衆議院議員(4期)。 愛知県名古屋市出身。1948年に京都大学法学部を卒業後、中部日本新聞社に入り記者となるが、1950年にレッドパージの対象者とされ退社し、日本共産党に入党する。1961年に弁護士を開業、東海労働弁護団代表幹事や総評弁護団代表幹事などを歴任するかたわら、四日市公害や大須事件の弁護団にも加わる。 1976年の衆議院議員選挙に日本共産党公認で旧愛知県第6区から立候補し初当選を果たし、1990年の落選まで衆議院議員を通算4期務めた。議員在職中は法務、決算の各委員のほか、共産党愛知県副委員長などを歴任した。
安井久善(やすい ひさよし、1925年1月24日 - 200… 安井久善(やすい ひさよし、1925年1月24日 - 2001年7月14日)は、日本の国文学者、軍事史学者、日本大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1944年4月、陸軍士官学校を卒業し(第57期)、陸軍中尉で終戦を迎える。1949年3月、日本大学法文学部国文科卒業。1951年4月、同大学院(旧制)終了し、1952年1月、宮内庁書陵部に入る。 1952年9月、保安隊に入る。1954年7月、陸上自衛隊発足とともに陸上自衛官。1960年、防衛大学校陸上防衞学助教授。この時代に軍事史の著作、論考を著しはじめる。 1965年日本大学商学部助教授、1970年教授、1976年「藤原光俊の研究」で日大文学博士。
田辺 広雄(田邊 廣雄、たなべ ひろお、1925年1月15日… 田辺 広雄(田邊 廣雄、たなべ ひろお、1925年1月15日 - 1999年4月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、名古屋市会議員(5期)、守山市議会議員などを務めた。 愛知県名古屋市生まれ。父親は守山町長を務めた。関西学院大学専門学校政経科卒業後、家業の毛織物会社を継いだ。1955年、守山市議会議員に立候補し当選。1963年に守山市が名古屋市と合併した後は名古屋市会議員を5期務め、議長も務めた。 1983年の衆議院選挙と1986年の衆議院選挙に旧・愛知1区から立候補するが落選。自民党内では安倍派に所属し、竹下派の今枝敬雄と公認を争った。 1990年2月18日に行われた衆議院選挙に自民党の公認を得て立候補し初当選。
宮下 信明(みやした のぶあき、1924年8月25日 - 2… 宮下 信明(みやした のぶあき、1924年8月25日 - 2005年9月6日)は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、内野手。
石井 信弘(いしい のぶひろ、1924年〈大正13年〉7月4… 石井 信弘(いしい のぶひろ、1924年〈大正13年〉7月4日 - 1987年〈昭和62年〉2月4日)は、昭和時代の政治家。愛知県尾西市長。 名古屋市出身。1942年(昭和17年)愛知工業学校卒業。 同校卒業後、名古屋鉄道管理局に入る。のち中島郡起町役場に転じ、市制施行で尾西市役所に移る。1977年(昭和52年)助役を経て、1981年(昭和56年)尾西市長に当選。同年7月に就任し、2期目在任中に死去した。
碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2… 碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2013年7月18日)は、日本の法学者、法哲学者。東京大学名誉教授。日本バートランド・ラッセル協会理事。 分析哲学、批判的合理主義に近い立場から理論哲学として法哲学を展開し、以後の日本の法哲学に大きな影響を及ぼした。主著に『法哲学概論』『法と社会』など。 愛知県名古屋市出身。旧制武蔵高等学校では、講師であった下村寅太郎に紹介され、バートランド・ラッセルに触れる(後に日本バートランド・ラッセル協会設立発起人となっている)。 1944年(昭和19年)短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年10月、海軍主計見習士官。
鬼頭 勝治(きとう かつじ、1924年5月28日 - )は、… 鬼頭 勝治(きとう かつじ、1924年5月28日 - )は、愛知県名古屋市南区野立町出身の元プロ野球選手(外野手)。
長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2… 長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2020年7月8日)は、日本のフランス文学者。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。読売新聞記者をへて日本大学教授。フランス・リヨン大学客員教授。フランス政府より芸術文化勲章一等章。1973年セネガルのサンゴール賞を受賞。1985年芸術文化勲章コマンドゥール受賞。Académie des siences d’outre「フランス海外学士院」会員。 ジョルジュ・サンドのほか、ナポレオン評伝などを執筆、翻訳も多い。 2020年7月8日、死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 200… 長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 2004年1月9日 )は、日本の経営者。レンゴー社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1945年5月25日、長谷川薫大尉は特攻機に乗り沖縄で被弾する。米駆逐艦キャラハンに救助される。1952年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に聯合紙器(のちのレンゴー)に入社した。1961年に監査役に就任し、1962年5月に常務、1970年5月に専務を経て、1973年2月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格した。包装機械や紙器などの関連分野に進出し、業務内容を拡大し、東南アジアや中国にも事業を拡げた。コンピューターを使った管理システムを導入し、1999年にはセッツとの合併を主導した。
南 利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 199… 南 利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 1995年1月13日)は、日本の喜劇俳優。本名は野津 俊三(のづ しゅんぞう)。
長尾 十三二(ながお とみじ、1924年2月8日 - )は、… 長尾 十三二(ながお とみじ、1924年2月8日 - )は、日本の教育学者。専門は西洋教育史。特にアドルフ・ライヒヴァイン(de:Adolf Reichwein)を研究した。 名古屋市出身。1952年東京文理科大学教育心理学特別研究生前期課程修了、65年「プロイセン絶対主義の崩壊過程における教育政策の研究 Abiturientenexamenの実施過程を通してみた」で東京教育大学教育学博士。東京教育大学助教授、教授、1975年立教大学教授、1985年中央大学文学部教授。93年退任。
尾関 雅則(おぜき まさのり、1924年(大正13年)1月2… 尾関 雅則(おぜき まさのり、1924年(大正13年)1月29日 - 2014年(平成26年)1月1日)は、日本の電気工学者。鉄道技術者。元鉄道総合技術研究所理事長。 愛知県名古屋市生まれ。旧制長野県立松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て1946年東京帝国大学電気工学科卒業、同年運輸省に入省。1972年日本国有鉄道電気局長に転じ、1975年同理事。1979年日立製作所に転じ、1981年同取締役。1985年情報処理学会会長就任。1987年鉄道総合技術研究所理事長に就任し、1990年退職。
尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )… 尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )は、日本の国語学者・国文学者。専攻は国語学史・国学・古代文学。愛知県立大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。尾崎忠征、尾崎良知の子孫。1949年東京大学文学部国文学科卒業。1949年名古屋大学文学部文部教官三級、1955年愛知県立女子短期大学助教授、1957年愛知県立女子大学助教授、1961年同大学教授、1966年愛知県立大学教授。1988年、定年退職、愛知県立大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1999年、定年退職。
大島 国雄(大島 國雄、おおしま くにお、1923年10月1… 大島 国雄(大島 國雄、おおしま くにお、1923年10月15日 - 2016年1月24日)は、日本の経営学者。 名古屋市出身。1944年陸軍士官学校卒、1950年愛知大学法経学部卒、75年「公企業に関する経営学的研究」で神戸大学経営学博士。50年運輸調査局研究員、1955年東京都立商科短期大学講師、助教授、教授、1966年青山学院大学経営学部教授、70-72年学部長、92年定年、名誉教授、駿河台大学教授。99年退職。ソビエト経営学が専門。
大矢 雅彦(おおや まさひこ、1923年5月1日 - 200… 大矢 雅彦(おおや まさひこ、1923年5月1日 - 2005年3月3日)は、日本の地理学者(自然地理学)。早稲田大学名誉教授。葛飾区郷土と天文の博物館名誉館長。愛知県名古屋市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小柳 輝一(こやなぎ てるいち、1923年2月24日 - 1… 小柳 輝一(こやなぎ てるいち、1923年2月24日 - 1996年8月1日)は、食物社会史家。ジャーナリスト。 愛知県名古屋市出身。法政大学専門部法律学科卒。 中日新聞、時事新報の記者をへて、食物社会史を研究し、著作をなした。
野口 昇(のぐち のぼる、1922年(大正11年)3月18日… 野口 昇(のぐち のぼる、1922年(大正11年)3月18日 - 1945年(昭和20年))は、昭和前期に活躍した中等学校野球の選手、プロ野球選手。
山桝 忠恕(やまます ただひろ、1922年 - 1984年1… 山桝 忠恕(やまます ただひろ、1922年 - 1984年11月13日)は、日本の会計学者。学位は、経済学博士(慶應義塾大学・1960年)(学位論文「監査制度の展開」)。慶應義塾大学教授を歴任。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、1942年に彦根高等商業学校(現滋賀大学経済学部)卒業。1945年神戸経済大学(現神戸大学)卒業。平井泰太郎門下。神戸大学講師、松山商科大学助教授、神戸商科大学助教授等を経て、1960年に慶應義塾大学教授。同年「監査制度の展開」で慶應義塾大学より経済学博士の学位を取得。三邊金蔵、小高泰雄を財務会計論において後継した研究者の一人とされる。
生島 実(實、いくしま みのる、1921年 <大正10年> … 生島 実(實、いくしま みのる、1921年 <大正10年> 6月12日 - 2004年 <平成16年> 12月11日)は、日本の経営者。北海道ガス社長を務めた。位階は正五位。 愛知県名古屋市出身。1947年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1948年に東京ガスに入社。1972年9月に取締役に就任し、1973年9月に常務、1977年1月に専務を経て、1981年7月に副社長に就任し、1985年6月には北海道ガス社長に就任。1990年6月に取締役相談役に就任。 1991年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2004年12月11日肺水腫のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997… 堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997年10月6日)は、ジャーナリスト、俳人。 愛知県名古屋市生まれ。本名・堀健三。名古屋高等商業学校卒、神戸大学卒。1948年中部日本新聞に入社、ニューデリー特派員、モスクワ特派員、論説委員、1972年「東京新聞」の「筆洗」欄を担当。モスクワ滞在の際「フルシチョフ」をもじって古蝶(ふるしてふ)の俳号をつける。東京新聞客員論説委員。1993年『俳人松瀬青々』で俳人協会評論賞受賞。
佐藤 武男(さとう たけお、1921年3月31日 - )は、… 佐藤 武男(さとう たけお、1921年3月31日 - )は、日本の経済学者、東京学芸大学名誉教授、関東学園大学名誉学長。 愛知県名古屋市出身。1942年東京帝国大学経済学部卒、東京学芸大学助教授、教授、1984年定年退官、関東学園大学教授、1994年学長を経て、名誉学長となる。1997年勲三等旭日中綬章受勲。近代経済学が専門。
祖父江 逸郎(そぶえ いつろう、1921年3月19日 - 2… 祖父江 逸郎(そぶえ いつろう、1921年3月19日 - 2021年3月29日)は、日本の医師(神経内科)、軍医。 公益財団法人 長寿科学振興財団名誉理事長および名古屋大学名誉教授、愛知医科大学名誉教授。息子に学校法人愛知医科大学理事長・愛知医科大学学長の祖父江元。愛知県名古屋市出身。 愛知一中を経て、1943年に名古屋帝国大学医学部卒業。海軍軍医学校での訓練を経て軍医中尉となり、戦艦大和に乗艦。乗組軍医としてマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に従軍した。1945年1月に広島県江田島の海軍兵学校大原分校に転勤(乗艦していた大和は1945年4月沈没)。8月6日の広島原爆投下の3日後に現地調査を行った。 戦後は1950年代から多発した「薬害スモン」のほか、筋萎縮性側索硬化症(ALS)やパーキンソン病など難病の原因究明や治療法の開発に貢献。
盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 199… 盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 1999年10月3日)は、日本の技術者、実業家。井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人。1992年(平成4年)、名誉大英帝国勲章を受勲。
三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年1月12日 … 三國(三国) 一朗(みくに いちろう、1921年1月12日 - 2000年9月15日)は、日本の放送タレント、エッセイストである。
千谷 道雄(ちや みちお、1920年11月11日 - 200… 千谷 道雄(ちや みちお、1920年11月11日 - 2006年)は、日本の歌舞伎評論家。 愛知県名古屋市生まれ。1942年東京帝国大学国文科を繰り上げ卒業で兵役。同期に阿川弘之がいる。戦後ソ連に抑留され、1947年帰国し、東京で中学の国語教師、1949年守随憲治の世話で松竹に入り、中村吉右衛門劇団で制作担当となった。1961年、8代目松本幸四郎とともに東宝へ移籍。大部屋俳優の暮らしぶりの悲惨さなど、歌舞伎世界の裏面を描いた『秀十郎夜話』で、1959年読売文学賞を受賞した。 三島由紀夫が6代目中村歌右衛門を描いた『女方』の視点人物・増山について、千谷は「自分をモデルにしている」と述べている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
原田 督三(はらだ とくぞう、1919年8月28日 - 19… 原田 督三(はらだ とくぞう、1919年8月28日 - 1976年3月30日)は、愛知県出身のプロ野球選手、野球解説者。ポジションは外野手。1948年~1955年まで原田徳光の登録名でプレー。
矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日 - 20… 矢橋 浩吉(やばし こうきち、1919年3月15日 - 2016年10月6日)は、昭和期の実業家。元揖斐川電気工業(現・イビデン)社長。愛知県名古屋市出身。旧制名古屋高等商業学校卒。 旧姓は亀山。父・亀山恭平、母・正子の三男。時期は不明だが、矢橋家(大垣市赤坂町の県内屈指の旧家)に婿入りしている。 在任中はプリント配線板、セラミックスといった事業を育て、今日のイビデンの主力事業の礎を築いた。その一方、オイルショック等の影響で業績が悪化したため、1976年に緊急合理化対策を発表し、大量の人員整理等を行った。さらに事業の分社化を行い、イビデン電子工業、イビデングラファイト、イビデン計算センター(現・タック)、イビデン興産)などを設立した。
岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982… 岩間 和夫(いわま かずお、1919年2月7日 - 1982年8月24日)は日本の技術者、経営者、実業家である。第4代ソニー社長。トランジスタに着目し、日本における半導体産業の基盤を創った男ともいわれた。愛知県名古屋市出身。
野口 二郎(のぐち じろう、1919年1月6日 - 2007… 野口 二郎(のぐち じろう、1919年1月6日 - 2007年5月21日)は、日本のプロ野球選手。愛知県名古屋市生まれ。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の次兄。中等学校野球で2度の優勝を飾り、プロ入り後は多投の中で好記録を残したことから「鉄腕」と称された。
片山 光生(かたやま てるお、1918年(大正7年)9月27… 片山 光生(かたやま てるお、1918年(大正7年)9月27日 - 1985年(昭和60年)8月16日)は、日本の建築家。官庁営繕と民間の建築家として活躍。建設省近畿地方建築局時代の奈良県庁舎が代表作。 名古屋市生まれ。愛知県立第五中学校、奈良中学校、旧制第六高等学校(岡山)を経て、1943年京都帝国大学工学部卒業。海軍に入り、高知で終戦を迎える。 1946年以降、運輸技官、建設技官として高松、大阪に赴任。1956年以降、建設省近畿地方建設局(課長職)、関東地方建設局(同)、中国地方建設局(部長職)を経て、1969年、建設大臣官房庁舎営繕部建築課長。 1973年に退官し、京都の内藤建築事務所の代表取締役社長に就任。
安井 鍵太郎(やすい けんたろう、1918年4月10日 - … 安井 鍵太郎(やすい けんたろう、1918年4月10日 - 2015年11月10日)は、愛知県名古屋市出身のプロ野球選手。
小酒井 望(こさかい のぞむ、1918年3月31日 - 19… 小酒井 望(こさかい のぞむ、1918年3月31日 - 1989年1月15日)は、日本の医学者。順天堂大学医学部教授を経て、同大学名誉教授。細菌学、臨床検査学が専門。 名古屋市生まれ。小酒井不木の長男。1941年東京帝国大学医学部卒。1942年1月、陸軍短期現役として陸軍軍医学校防疫研究室に配属。1952年東京大学医学博士。国立東京第一病院、1961年順天堂大学医学部教授。1983年定年、名誉教授。1984年、初代順天堂大学医学部附属浦安病院院長に就任し、現職で死去した。
伊藤 庄七(いとう しょうしち、1918年3月20日 - 1… 伊藤 庄七(いとう しょうしち、1918年3月20日 - 1999年3月6日)は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。
馬渕 和夫(まぶち かずお、1918年3月19日 - 201… 馬渕 和夫(まぶち かずお、1918年3月19日 - 2011年11月24日)は、日本の国語学者。筑波大学名誉教授、東京成徳短期大学名誉教授。勲三等瑞宝章受章。長く「馬淵和夫」の表記を用いた。 愛知県名古屋市生まれ。東京文理科大学卒、1961年「日本韻学史の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。東京教育大学、筑波大学教授、1981年定年退官、名誉教授、東京成徳短期大学教授、2003年退職。1995年春、勲三等瑞宝章受勲。 馬渕の研究対象は広範囲にわたり、そのような意味においては総合性が大きな特色の一つであるといえるが、新たに開拓された分野として真っ先に挙がるのは、悉曇学や日本語の音韻史である。
横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - … 横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - 1988年11月1日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正三位。 日本社会党所属の衆議院議員(11期)。 愛知県名古屋市生まれ。3歳のときに父親を亡くす。中京商業学校卒業後に鉄道員として鉄道省(当時)に就職。国鉄労働組合(国労)の結成に参加する。 1947年に日本共産党による国労の組合活動への介入に反発した国労組合員を中心に国鉄労組反共連盟(後に国鉄民主化同盟=国鉄民同)が結成されると、これに参加。1950年に民同の支持で国労本部企画部長となるが、団体として加盟していた日本労働組合総評議会(総評)が「平和四原則」を決定すると、これに則る形で「平和三原則」を盛り込んだ運動方針案を提出する。
野口 明(のぐち あきら、1917年8月6日 - 1996年… 野口 明(のぐち あきら、1917年8月6日 - 1996年10月5日)は、日本の野球選手。プロ野球・中日ドラゴンズの監督も務めた。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の長兄。
齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年〈大正6年〉6月… 齋藤 真成(さいとう しんじょう、1917年〈大正6年〉6月5日 - 2019年〈令和元年〉11月19日)は、日本の僧、洋画家、元・真正極楽寺(真如堂)第53世貫主、元・京都教育大学教授、元・成安女子短期大学講師、愛知県名古屋市出身。
鬼頭 数雄(きとう かずお、1917年4月25日 - 194… 鬼頭 数雄(きとう かずお、1917年4月25日 - 1944年7月)は、愛知県出身のプロ野球選手。
宇野 光雄(うの みつお、1917年4月10日 - 1994… 宇野 光雄(うの みつお、1917年4月10日 - 1994年4月17日)は、愛知県名古屋市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。 旧制和歌山中学では春の選抜に4年連続出場し、1933年はベスト4、1934年はベスト8まで進出。1936年には優秀選手賞になるなど、走攻守揃った三塁手として名を馳せた。このように和歌山中学は強豪校であったが、宇野の学年7人が卒業を前に引退すると部員が5人だけになってしまい、その状況で入部した4年生の一人が西本幸雄であった。 中学卒業後の1937年に慶應義塾大学へ進学すると、戦前の黄金期に中心選手として活躍。飯島滋弥・宮崎要・大館盈六と共に「100万ドルの内野陣」と謳われた。
小島 要治(こじま ようじ、1917年2月28日 - 199… 小島 要治(こじま ようじ、1917年2月28日 - 1991年10月23日)は、日本の経営者。カゴメ社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1935年、旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を卒業し、同年に愛知トマト製造(現在のカゴメ)に入社した。1949年に取締役に就任し、1962年に常務、1969年に副社長を歴任し、1979年から1982年までに社長を務めた。 1991年10月23日、心不全のために死去。74歳没。
有島 一郎(、1916年〈大正5年〉3月1日 - 1987年… 有島 一郎(、1916年〈大正5年〉3月1日 - 1987年〈昭和62年〉7月20日)は、日本の俳優。本名は大島 忠雄()。愛知県名古屋市出身。旧制名古屋中学校卒業。有島一郎一座に始まり、小夜福子一座、劇団たんぽぽ、劇団空気座、松竹大船、東宝芸能を経て、最後はフリーだった。俳優・歌手のRomi(成田路実)は孫。 鉄工所経営者の長男として生まれる。 日置尋常小学校を経て名古屋中学に入学。その頃から芝居好きで、学生時代は学芸会の花形であった。が、両親が相次いで亡くなる不幸に見舞われ、自活を迫られる。 1933年、俳優を目指して当時の人気スターだった田村邦男に弟子入り。十代で軽演劇の世界へと飛び込む。
小塚 光彦(こづか みつひこ、1916年(大正5年) - 2… 小塚 光彦(こづか みつひこ、1916年(大正5年) - 2011年(平成23年)7月26日)は、日本のフィギュアスケート選手。 「フィギュア王国」愛知県の基礎を築いた。長男はグルノーブルオリンピック男子フィギュアスケート代表の小塚嗣彦、孫はバンクーバーオリンピック男子フィギュアスケート代表、2011年世界選手権銀メダリストの小塚崇彦。 愛知県名古屋市生まれ。学業を終え満州に渡り、満州国協和会の保安部警務司のカメラマンとなる。撮影に訪れた新京の児玉公園(いまの勝利公園)で撮影モデルに頼んだ少女スケーターと出逢ったことがきっかけでフィギュアスケートを知り、自らもスケートを始める。その後、フィギュアスケート選手中村公正と知己となったことで練習に励み、満州では中村とともに優れた成績を収めるほどになった。
大隈 孝一(おおくま こういち、1915年12月22日 - … 大隈 孝一(おおくま こういち、1915年12月22日 - 1997年8月23日)は、日本の経営者。大隈鉄工所(のちのオークマ)社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1940年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1943年に大隈鉄工所に入社した。副社長などを歴任し、1948年から1978年までに社長を務めた。 名古屋青年会議所初代会頭、中部経済連合会副会長、名城大学理事長、南山大学非常勤講師なども務めた。1977年に藍綬褒章を受章し、1992年に勲三等旭日中綬章を受章した。 1997年8月23日脳梗塞のために死去。81歳没。