石田 侑資(いしだ ゆうすけ、2002年11月11日 - )… 石田 侑資(いしだ ゆうすけ、2002年11月11日 - )は、徳島県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・京都サンガF.C.所属。ポジションは、ディフェンダー。 徳島県吉野川市(出生時は麻植郡鴨島町)出身。地元の小中学校(吉野川市立森山小学校・吉野川市立鴨島東中学校)を卒業後、千葉県にある船橋市立船橋高等学校へ進学。3年次にはキャプテンを務め、第99回全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト8進出に貢献、大会優秀選手に選出された。 2021年より、ガイナーレ鳥取へ加入した。開幕戦の鹿児島ユナイテッドFC戦で54分から交代でJリーグデビューを果たすと、60分にプロ入り初ゴールを挙げ逆転勝利に貢献した。
武岡 龍世(たけおか りゅうせい、2001年5月28日 - … 武岡 龍世(たけおか りゅうせい、2001年5月28日 - )は、徳島県吉野川市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 実兄の武岡大聖は元プロ野球選手で、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスに所属していた。 小学校2年から鴨島バッファローズで軟式野球を始め、投手や遊撃手としてプレーし、6年には硬式野球チームの徳島ホークスに所属。鴨島第一中学校1年の時にはカル・リプケンワールドシリーズのメンバーに選出され、準優勝を遂げる。 中学校卒業後は八戸学院光星高等学校へ進学。高校では1年春より遊撃手のレギュラーを獲得し、2年秋からは主将を務める。2年夏からは3季連続甲子園出場を果たし、第101回全国高等学校野球選手権大会の智弁学園戦で甲子園では自身初となる本塁打を放った。
武岡 大聖(たけおか たいせい、1998年6月28日 - )… 武岡 大聖(たけおか たいせい、1998年6月28日 - )は、徳島県吉野川市出身の元プロ野球選手(内野手)。弟は東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手の武岡龍世。 小学校6年時(5年の終わり頃)よりから野球を始める。 吉野川市立鴨島第一中学校に進むと硬式野球チームの「徳島ホークス」へ入団。年代別の日本代表にも選出されている。 進学した生光学園高等学校野球部では臨時コーチの元読売ジャイアンツの平田薫から指導を受ける。 高校卒業後は弟・龍世が進学していた青森県の八戸学院光星高等学校の姉妹校に当たる八戸学院大学に進学。大学時代には全日本大学野球選手権に出場している。大学4年時にはプロ志望届を提出するが、指名漏れとなった。
尾崎 望良(おざき のぞみ、1988年9月7日 - )は、徳… 尾崎 望良(おざき のぞみ、1988年9月7日 - )は、徳島県吉野川市出身の女子ソフトボール選手(投手)。藤田倭との二枚看板で太陽誘電の二刀流選手として活躍した。 藤田倭らと共に、古くから太陽誘電ソルフィーユを支えてきた。数少ない二刀流として活躍した。 2018年の世界選手権においての反省を生かし、ヘッドコーチの宇津木麗華が2018年ジャパンカップ国際大会で召集した。本人もこれがラストチャンスと思い、東京オリンピック出場を目指して奮闘していたが、惜しくもオリンピック日本代表には選ばれなかった。
颯音(さつね、1983年 - )は、日本の作家。 徳島県麻植… 颯音(さつね、1983年 - )は、日本の作家。 徳島県麻植郡(現在の吉野川市)出身。 地元の高校卒業後、デザイン系の学校へと進学する。在学中に軽度うつ状態に陥り、「小学生時代から行っていた」というリストカットやOD(オーバードーズ)等の自傷行為に走り、当時からの記録を綴り、リストカットなどの過激な画像の掲載「リスカ日記」を公開している。2007年にフィクション小説「出来るだけ長く、出来るならずっと。」を発表した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
井筒 昭雄(いづつ あきお、1977年10月20日 - )は… 井筒 昭雄(いづつ あきお、1977年10月20日 - )は、日本の作曲家、音楽家。徳島県吉野川市出身。CM音楽、劇伴音楽等の作曲に加え、一人多重録音ソロユニットFab Cushionとしても活動。 1999年に一人多重録音ソロユニットFab Cushion(Vroom Soundsよりリリース)として音楽活動を開始。全ての楽器を自ら演奏することを得意とする。銀杏BOYZの峯田和伸とは東京情報大学の同期である。 2004年にはABCマートCM『前進する靴編』において44回ACC CMフィスティバル・ベスト作曲賞を受賞。 2008年より中路あけ美とLEMOを結成。 2014年4月20日、FAB CUSHIONとしての活動を再開。
加藤 竜人(かとう たつひと、1976年8月11日 - )は… 加藤 竜人(かとう たつひと、1976年8月11日 - )は、徳島県麻植郡山川町(現:吉野川市)出身の元プロ野球選手(投手)。
金山 明子(かなやま あきこ、1976年6月17日 - )は… 金山 明子(かなやま あきこ、1976年6月17日 - )は、JRT四国放送の元女性アナウンサー。 徳島県吉野川市出身。鳴門教育大学学校教育学部卒業。1999年JRTに入社。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
佐々木 健一(ささき けんいち、1973年6月7日 - )は… 佐々木 健一(ささき けんいち、1973年6月7日 - )は、徳島県麻植郡川島町(現:吉野川市)出身の元プロ野球選手(投手)。四国放送の気象予報士、報道記者である佐々木聖夏は実娘。 徳島県麻植郡川島町(現吉野川市)に生まれ、地元の公立小中学校(吉野川市立川島小学校、吉野川市立川島中学校)を卒業後、徳島商業高へ進学。2年生だった1990年の夏の甲子園(第72回全国高等学校野球選手権大会)にエースとして出場し、3回戦まで進出した。3年夏は県大会初戦で池田高校に敗れた。高校の2学年後輩に川上憲伸がいた。 1991年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。 1993年に一軍に初昇格し、5試合登板も勝ち星なしだった。
犬伏 孝行(いぬぶし たかゆき、1972年8月11日 - )… 犬伏 孝行(いぬぶし たかゆき、1972年8月11日 - )は日本の陸上競技元選手・現指導者。元マラソン日本最高記録保持者。徳島県吉野川市出身。
三木 亨(みき とおる、1967年〈昭和42年〉7月10日 … 三木 亨(みき とおる、1967年〈昭和42年〉7月10日 - )は、日本の政治家。 財務大臣政務官(第3次安倍第2次改造内閣)、参議院議員(2期)、徳島県議会議員(2期)、自由民主党参議院副幹事長、同参議院政策審議会副会長、同環境関係団体委員長、同政務調査会環境部会長、同選挙対策委員会副委員長などを歴任。父は徳島県知事を務めた三木申三。 徳島県吉野川市出身。吉野川市立川田小学校、徳島文理中学校・高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。 2007年、徳島県議会議員選挙に吉野川市選挙区から立候補し初当選。2011年に再選。 2013年、第23回参議院議員通常選挙において徳島県選挙区より、民主党現職の中谷智司らを破り、自民党公認で初当選。
遠藤 貴巳(えんどう よしみ、1959年4月3日 - )は、… 遠藤 貴巳(えんどう よしみ、1959年4月3日 - )は、元四国放送の男性アナウンサー。徳島県吉野川市出身。
大川 隆法(おおかわ りゅうほう、出生名:中川隆、1956年… 大川 隆法(おおかわ りゅうほう、出生名:中川隆、1956年〈昭和31年〉7月7日 - 2023年〈令和5年〉3月2日)は、日本の宗教家、思想家、作家。幸福の科学の創始者・総裁。 2022年12月時点、説法回数は3,500回、著作の公称の発刊点数は日本国内で3,100書、作詞・作曲を手がけた作品は450曲を超える。幸福の科学のほか幸福実現党、ニュースター・プロダクション、ARI Productionなど、幸福の科学グループの多くの企業・団体で会長や総裁職を勤めていた。 29歳年下の後妻(再婚)である大川紫央 (現総裁補佐)については、”坂本龍馬の生まれ変わり”であるとしている。 1956年7月、徳島県麻植郡川島町大字桑村(現在の吉野川市川島町桑村)に、日本共産党活動家で、畜産コンサルタントであった父・善川三朗(本名:中川 忠義、共産党名:中川只芳)と母・君子の次男として生まれた。
喜多洲山(きた しゅうざん、旧名:喜多修司、1953年3月6… 喜多洲山(きた しゅうざん、旧名:喜多修司、1953年3月6日 - )は、日本の経営コンサルタント。株式会社喜望大地代表取締役会長。 徳島県吉野川市出身。関西大学商学部中退後、家業の小売業に従事する。年商1億円から50億円まで事業を拡大し、ベンチャー・キャピタル4社から出資を受けIPOを目指したが、負債30億を抱え経営危機に陥る。組織再編とM&Aにて事業を再生した後、経営責任を取り退任。2005年、喜望大地経営株式会社を創業、経営コンサルティングに従事する。経営・事業再生・M&A、ベンチャー育成などのコンサルティング活動や、東京・大阪を中心としたセミナーの開催、メールマガジン・著書の執筆などの活動をしている。
貴島 孝雄(きじま たかお、1949年1月9日 - )は、日… 貴島 孝雄(きじま たかお、1949年1月9日 - )は、日本の工学者。山陽小野田市立山口東京理科大学工学部教授。マツダの元エンジニア。徳島県吉野川市出身。 ロードスターやRX-7、787Bといった同社を代表するスポーツカー、レーシングカーの開発で知られる。 徳島県麻植郡鴨島町(現在の吉野川市)出身。徳島県立徳島東工業高等学校(現在の徳島県立徳島科学技術高等学校)卒業後、1967年に東洋工業(現在のマツダ)に入社。 1994年、平井敏彦の退職に伴い初代ロードスターの開発主査に就任し、その後は順次、2代・3代ロードスター及び3代目RX-7の開発主査を務める。2009年にマツダ株式会社定年退職。同年、山口東京理科大学(現在の山陽小野田市立山口東京理科大学)工学部機械工学科教授就任。
川真田 哲哉(かわまた てつや、1947年(昭和22年)9月… 川真田 哲哉(かわまた てつや、1947年(昭和22年)9月18日 - 2019年(令和元年)9月10日)は、日本の政治家。位階は従四位。吉野川市長(4期)、徳島県議会議員(5期、自由民主党)。 徳島県麻植郡鴨島町(現・吉野川市)出身。吉野川市立鴨島小学校、吉野川市立鴨島第一中学校、徳島県立川島高等学校卒業。 1968年4月、農林水産省中四国農政局農地開発機械公団(麻植開拓パイロット事業所)に勤務。その後、1971年に四国開発株式会社へ入社し、1981年には同社の代表取締役に就任。 1989年9月、徳島県議会議員に初当選。自民党の会派に所属した。1999年から2003年まで徳島県議会議長を務め、その間、徳島県議会交友会初代会長、徳島県監査委員、少子高齢化対策特別委員会委員長、議会運営委員会副委員長、総務常任委員会委員、総合交通対策特別委員会委員などを務めた。
樫本 孝(かしもと たかし、1946年(昭和21年)12月1… 樫本 孝(かしもと たかし、1946年(昭和21年)12月15日 - )は、日本の政治家。実業家。大阪経済大学理事。阿波バラス社長。 大阪経済大学経済学部卒業。徳島文理大学大学院総合政策学研究科修了。徳島県吉野川市出身。 徳島県鴨島町(現:吉野川市)出身。大阪経済大学経済学部を卒業し、大学卒業後は阿波バラスへ入社。1992年(平成4年)に鴨島商工会議所(現:吉野川商工会議所)の会頭に就任。 1991年(平成3年)に徳島県議会議員選挙に出馬し初当選し、2019年(令和元年)まで通算5期務めた。その間、2009年(平成21年)から2010年(平成22年)まで徳島県議会副議長、2012年(平成24年)から2013年(平成25年)まで徳島県議会議長を務めた。
安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018… 安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018年5月26日)は、日本の実業家。小松製作所代表取締役社長や、日本建設機械工業会会長、国家公安委員会委員などを務めた。 1937年に陸軍大学校学生安崎操(のちに陸軍中佐・第6方面軍参謀や、自衛隊陸将・東北方面総監を歴任)の長男として、東京で生まれ、徳島県吉野川市鴨島町で育つ。1959年3月一橋大学社会学部卒業。中国経済史専攻。1961年3月一橋大学経済学部を卒業。理論経済学専攻。大学時代は小笠原流の弓道部に所属。後年には、私費を投じて大学の弓道場の建て直しを行った。 1961年4月小松製作所入社。同社では主に国際部門を担当し、海外事業展開を進めた。
阿部 永(あべ ひさし、1933年 - )は、日本の哺乳類学… 阿部 永(あべ ひさし、1933年 - )は、日本の哺乳類学者。学位は、農学博士(北海道大学・1960年)。北海道大学名誉教授。北海道大学農学部教授などを歴任。 元日本哺乳類学会会長。日本哺乳類学会特別会員。哺乳類研究グループと日本哺乳動物学会の初期からの会員であった。 1933年、徳島県吉野川市生まれ。父は徳島県における自然史研究の大家の阿部近一。北海道大学農学部農業生物学科卒。1961年北海道大学大学院農学研究科博士課程修了、北海道大学農学部付属博物館助手、1969年北海道大学農学部応用動物学講座助教授、1992年北海道大学農学部応用動物学講座教授、1996年北海道大学農学部農林生態学講座教授、1997年3月北海道大学農学部を定年退職。
原田 一美(はらだ かずみ、1926年8月24日 - 201… 原田 一美(はらだ かずみ、1926年8月24日 - 2016年3月1日 )は、日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。徳島ペンクラブ理事。徳島県麻植郡(現・吉野川市)山川町出身。 1947年徳島師範学校本科卒業後、県内の小学校・中学校で教員を務めたほか、徳島市教育委員会・徳島県教育委員会などで勤務、1987年3月、徳島市立富田小学校校長を最後に退職。 1961年に出版された『ホタルの歌』は第1回学研児童文学賞ノンフィクション部門を受賞、全国学校図書館協議会課題図書にも選定された。その後、『出会いがあって』で第1回石森延男児童文学賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22… 中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22日 - 1994年(平成6年)1月27日)は、日本の作家。 宗教団体 幸福の科学を設立した大川隆法(現・総裁)の伯母(大川隆法の父・善川三朗の姉)である。 1919年(大正8年)、徳島県麻植郡東山村(現・吉野川市)生まれ。川島尋常高等小学校卒、私立順心高等女学校中退。後、様々な職を経験する。 1942年(昭和17年)、第3回『文庫』懸賞短篇小説で、二等当選。受賞作「寄附徴収員」。徳島県の同人誌『飛行船』などで執筆を始める。小説「幽囚転々」が直木賞候補になって間もなく出版社のすすめで上京した。中野あたりのアパートで執筆生活をはじめたが、充分な準備の無いままの都会の一人暮らしゆえ、作品の完成もままならず、1年後には故郷徳島に帰ることになった。
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2… 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。
天野 節(あまの みさお、1911年2月10日 - 没年不明… 天野 節(あまの みさお、1911年2月10日 - 没年不明)は、日本の洋画家。徳島県麻植郡美郷村(現吉野川市)出身。徳島県師範学校卒業。 日本色彩学会名誉会員。奉天省美術展特選、新世紀美術展大内賞、徳島県出版文化賞などを受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
林 雲渓(林 雲谿、はやし うんけい、本名:林 勇、1903… 林 雲渓(林 雲谿、はやし うんけい、本名:林 勇、1903年(明治36年)1月6日 - 1990年(平成2年)9月11日)は、日本画家。徳島県麻植郡鴨島町(現吉野川市)出身。 1984年(昭和59年)に南画に優れた功績を挙げた第一人者として徳島県文化賞を受賞。 四国八十八箇所11番札所である藤井寺本堂の天井絵には雲渓の描いた雲龍が描かれている。30畳ほどの大きさがあり、繊細な線と睨みをきかせた迫力のある顔が薬師如来を守つているかのように見える。 現在、鴨島町の吉野川市立森山小学校に雲渓の記念碑が建てられている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
妹尾 芳太郎(せのお よしたろう、1898年(明治31年)3… 妹尾 芳太郎(せのお よしたろう、1898年(明治31年)3月7日 - 1969年(昭和44年)1月19日)は、日本の政治家。徳島県吉野川市出身。 麻植郡山瀬町山崎(現在の吉野川市)生まれ。1917年(大正6年)、徳島県師範学校(現在の徳島大学)を卒業。 師範学校卒業後、麻植郡山崎尋常高等小学校訓導、師範学校付属小学校訓導、三好郡加茂尋常高等小学校長、徳島県視学、徳島県学務部学務課長、美馬高等女学校長を歴任。 1939年(昭和14年)に徳島市助役に就任。1947年(昭和22年)には公選により選ばれた初めての徳島市長に就任、1948年(昭和23年)まで務めた。 市長退任後は長崎県に行き、高田水産副社長などを務めた。
鳴門洋 利之助(なるとなだ としのすけ、1886年11月2日… 鳴門洋 利之助(なるとなだ としのすけ、1886年11月2日 - 1922年10月4日)は、徳島県吉野川市鴨島町出身で中川部屋に所属した力士。本名は藤井 利助。171cm、100kg。最高位は西前頭5枚目。 同郷の7代中川(元幕内鬼鹿毛)のもとに入門、1905年1月初土俵。初め鬼見嵜と名乗ったが、幕下時代の1910年6月に鳴門洋と改名している。1913年1月新十両昇進。1915年1月新入幕を果たした。左四つからの寄り・押しを得意としていた。幕内での勝ち越しは1915年6月の4勝2敗1預3休のみであったが、東西制の恩恵を受け、最高位は前頭5枚目で、幕内に10場所在位した。1918年1月から師匠の四股名の鬼鹿毛を襲名したが、その頃から病気に罹り振るわず、1920年1月十両に転落してその場所限りで廃業、2年後に没した。
藤井 真信(ふじい さだのぶ、1885年(明治18年)1月1… 藤井 真信(ふじい さだのぶ、1885年(明治18年)1月1日 – 1935年(昭和10年)1月31日)は、日本の財政家、大蔵官僚。大蔵大臣。 徳島県麻植郡牛島村(現・吉野川市)に、藤井市三郎の四男として生まれる。生家は古くから藍商を営む名家であった。徳島中学校、第三高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学独法科を首席で卒業。高文試験16番目(180人中)で大蔵省に入省する(配属先は専売局書記)。主に税務畑を歩み、1923年9月19日、蔵相事務担当秘書官(〜1926年11月11日)、1924年6月6日、主税局国税課長併任(〜1926年11月11日)、同年12月20日、大臣官房秘書課長併任(〜1926年11月11日)、1926年11月5日、東京税務監督局長、1927年7月17日、主税局長、1929年7月4日、主計局長と順調に昇進を重ね、1934年5月に高橋是清蔵相の下で大蔵次官に就任する。
曾我廼家 五九郎(そがのや ごくろう、1876年4月12日 … 曾我廼家 五九郎(そがのや ごくろう、1876年4月12日 - 1940年7月7日)は、日本の喜劇俳優。本名は武智 故平(たけち こへい)。大正時代に浅草の「喜劇王」として知られた。 武智鉄二の父とは従兄弟どうし。またフランキー堺は五九郎の甥にあたる。 1876年(明治9年)4月12日、徳島県麻植郡鴨島町に武智亀之助と母ミヤの長男として生まれる。祖父は武智友弥。弟に民次がいる。 徳島中学校卒業後、自由民権運動に感化され数え年16歳のときに東京に行き、板垣退助邸の玄関番となる。その折り星亨邸の玄関番をしていた横田千之助と懇意になる。 その後壮士として弾圧を受け、大阪の中江兆民の許に身を寄せる。その頃、道頓堀の浪花座で公演をしていた角籐定憲一座に入り「雪中梅」で初舞台を踏む。
平野 鍋吉(ひらの なべきち、1868年7月13日(明治元年… 平野 鍋吉(ひらの なべきち、1868年7月13日(明治元年5月24日) - 1932年(昭和7年)12月31日)は、日本の政治家、実業家。徳島県吉野川市出身。徳島県立徳島中学校卒業。 麻植郡山川町瀬詰(現在の吉野川市)で生まれる。実家は代々酒造業、藍商を営んでいる。 後に鉱山業に転じ海部郡の浅川鉱山で成功し、後に三菱鉱業に譲渡した。 徳島県会議員を経て1930年(昭和5年)に第17回衆議院議員総選挙に当選。その後、貴族院議員に立候補をしたが、病のため辞退した。 1932年(昭和7年)、65歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
川真田 徳三郎(かわまた とくさぶろう、1860年3月5日(… 川真田 徳三郎(かわまた とくさぶろう、1860年3月5日(安政7年2月13日) - 1918年(大正7年)11月22日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。 阿波国麻植郡(ごおり)鴨島字上下島(現在の徳島県吉野川市鴨島町上下島)出身。初名は国三郎。 麻植郡会議員、徳島県会議員、所得税調査委員、徴兵参事員などを務める。阿波商業会議所会頭などを経て、1890年の第1回衆議院議員総選挙に出馬し当選。以降、第2回、第7回から第13回総選挙で立憲政友会より9回当選を果たす。 また阿波国共同汽船専務、阿波藍社長、徳島鉄道社長、阿波藍同業組合組長などを歴任。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
劔山 谷右エ門(つるぎざん たにえもん、1852年2月9日(… 劔山 谷右エ門(つるぎざん たにえもん、1852年2月9日(嘉永5年1月20日) - 1910年(明治43年)11月21日)は、阿波国麻植郡鴨島村(現・徳島県吉野川市)出身の大相撲力士。本名は吉原 熊十郎。最高位は大関。所属部屋は猪名川部屋(大阪)→梅ヶ谷のち雷部屋(東京)。身長177cm、体重120kg。 1870年(明治3年)、大坂相撲で鶴ヶ濱という力士であった父の縁での猪名川の門に入り響矢 熊吉で初土俵。1875年(明治8年)6月入幕(西前頭12)。翌1876年(明治9年)大坂相撲で脱走事件が起き、脱走組は「開化組」を名乗った。響矢も開化組に加わり大関を務めた。1878年(明治11年)9月帰参。
泉 智等(いずみ ちとう、嘉永2年1月11日〈1849年2月… 泉 智等(いずみ ちとう、嘉永2年1月11日〈1849年2月3日〉 - 1928年〈昭和3年〉9月26日)は、真言宗の僧。書家。徳島県吉野川市出身。花桝伊兵衛の五男。幼名は直蔵。号は物外(ぶつがい)。 1860年(万延元年)、12歳で出家する。1864年(元治元年)の頃より、徳島の芝「秋邨塾」で柴秋邨に漢籍を学ぶ。その後、1868年(明治元年)から1872年(明治5年)まで高野山で、1873年(明治6年)から1877年(明治10年)まで京都で仏教学を学ぶ。 1879年(明治12年)より真言宗布教師として全国を巡錫し、1900年(明治33年)に京都仁和寺の第35世門跡に就任、1908年(明治41年)に京都泉涌寺の第147代長老となる。
近藤 廉平(こんどう れんぺい、1848年12月20日(嘉永… 近藤 廉平(こんどう れんぺい、1848年12月20日(嘉永元年11月25日)- 1921年(大正10年)2月9日)は、幕末から大正期の武士(徳島藩士)、実業家、政治家、華族。男爵、日清汽船社長、日本郵船会社第3代社長、貴族院男爵議員。 阿波国麻植郡(のちの鴨島町西麻植江川、現・徳島県吉野川市)の医者の家に生まれる。 1862年(文久2年)に徳島藩中老である仁尾内膳の書生となる。同年、新居水竹の小心塾にて益田永武と共に学ぶ。その後、柴秋邨の思斉塾に転学。当時出会った阿部興人とは終生の親友となる。師であった水竹が庚午事変に関係して切腹を命じられた際は、徳島市の潮見寺に遺髪を葬った。 慶應義塾、大学南校に学び、1872年(明治5年)淡路出身の星合常恕に勧められ岩崎弥太郎が経営する三菱商会に入る。
芳川 顕正(よしかわ あきまさ、1842年1月21日〈天保1… 芳川 顕正(よしかわ あきまさ、1842年1月21日〈天保12年12月10日〉- 1920年〈大正9年〉1月10日)は、日本の官僚・政治家。旧姓は原田、高橋、幼名は賢吉。号は越山。栄典は従一位勲一等伯爵。 官僚時代は、藩閥の後ろ盾がなく苦労するが、銀行制度の確立に貢献。山縣有朋に認められて政界へ進出した。東京府知事(第8代)、貴族院議員。司法大臣(第5代)、文部大臣(第3代)、内務大臣(第12・16・23代)、逓信大臣(第9・12代)、枢密院副議長(第4代)を務めた。東京府知事では市区改正や築港に尽力し、第1次山県内閣の文部大臣では教育勅語の制定に関与した。 阿波国麻植郡山川町(現:徳島県吉野川市)で医師であった原田民部の5人兄弟の末子として生まれる。
川真田 市太郎(かわまた いちたろう、1842年(天保13年… 川真田 市太郎(かわまた いちたろう、1842年(天保13年2月) - 1919年(大正8年)5月30日)は、日本の政治家、実業家。徳島県吉野川市出身。別名は市兵衛。 麻植郡鴨島町(現在の吉野川市)で生まれる。実家は藍商を営む。藍の粗悪を戒め、製品の声価を高めることに努めた。また、吉野川の氾濫を防ぐため、堤防を修築する等の功績を上げた。 1887年(明治20年)、阿波国共同汽船を起し、同社の社長に就任。1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し当選。徳島鉄道の敷設、吉野川改修工事に功労があった。 1919年(大正8年)5月30日、78歳で没する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
仁木 竹吉(にき たけよし、天保5年3月17日(1834年4… 仁木 竹吉(にき たけよし、天保5年3月17日(1834年4月25日) - 大正4年(1915年)8月31日)は、日本の北海道開拓者。特に現在の北海道余市郡仁木町の開拓に従事し、その町名の由来となった。 天保5年(1834年)阿波国麻植郡児島村(徳島藩。現・徳島県吉野川市)にて、大島源左衛門の七男として生まれる。天保11年(1840年)より剣術を阿波郡香美村の佐藤丈左衛門に、漢学を麻植郡宮島村の青山賢之進と香美村の佐藤健吉に習った。大島家は徳島藩士・赤川三郎左衛門の配下であった。嘉永6年(1853年)美馬郡拝原村(現・徳島県美馬市)仁木伊兵衛の養子となる。仁木家は徳島藩筆頭家老・稲田氏の配下である郷士で、藩の特産である藍製造を家業としていた。