近藤 美月(こんどう みつき、2004年11月28日 - )… 近藤 美月(こんどう みつき、2004年11月28日 - )は、日本の柔道選手。佐賀県武雄市出身。階級は48kg級。身長152cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は内股。兄は60㎏級の近藤隼斗。 柔道は6歳の時に武雄警察署少年柔道教室で始めた。有田中学3年の時に全国中学校柔道大会の48kg級で5位になった。佐賀商業高校へ入学すると、1年の時には全国高校選手権で2位になった。2年の時にはインターハイ48kg級の決勝で修徳高校2年の宮木果乃を大外返で破って優勝した。全国高校選手権では準決勝で宮木に僅差で敗れて3位だったが、団体戦では優勝した。3年の時にはインターハイの準決勝で宮木を技ありで破るなどして2連覇を達成した。
原口 慎太郎(はらぐち しんたろう、2003年9月6日 - … 原口 慎太郎(はらぐち しんたろう、2003年9月6日 - )は、佐賀県武雄市出身で伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士で元ラグビーユニオン選手。 中学時代はソフトテニス部所属で高校からラグビーを始めた。 2022年、佐賀工業高校卒業後、東海大学工学部建築学科入学。なおラグビー部ではリーグ戦2試合出場。 2026年3月、東海大学卒業。同年7月、大相撲新弟子検査受検で合格。 ラグビー選手として活躍した頃から火ノ丸相撲をよく読んでいたので相撲への道を選択した。 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJラグビー/Pラグビー)。
相良 竜之介(さがら りゅうのすけ、2002年8月17日 -… 相良 竜之介(さがら りゅうのすけ、2002年8月17日 - )は、佐賀県武雄市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ベガルタ仙台所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 FCノーティーズを経て、中学校からサガン鳥栖アカデミーへ加入。2019年8月、トップチームに2種登録された。同年はU-17日本代表としてもプレーした。 2020年6月、トップチームに再び2種登録され、同年8月5日、ルヴァンカップグループステージ第2節の横浜FC戦で先発出場し、公式戦デビューした。同年10月、2021年からのトップチームへ昇格が内定した。11月29日、第30節のガンバ大阪戦でJ1初先発を果たし、プロ初ゴールを決めた。
近藤 隼斗(こんどう はやと、2001年5月15日 - )は… 近藤 隼斗(こんどう はやと、2001年5月15日 - )は、日本の柔道家。佐賀県武雄市出身。階級は60kg級。身長163cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は大内刈。妹は2021年のインターハイ48kg級で優勝した近藤美月。 柔道は7歳の時に武雄警察署少年柔道教室で始めた。小学校6年の時に全国小学生学年別柔道大会の50kg級に出場するも、初戦で敗れた。有田中学2年の時には全国中学校柔道大会66kg級の2回戦で敗れるも、3年の時には60kg級に出場して優勝した。佐賀工業高校に進むと、1年の時には全日本カデで優勝した。世界カデでは個人戦と団体戦でともに3位となった。全国高校選手権では優勝した。
松尾 啓輔(まつお けいすけ、男性、1996年6月21日 -… 松尾 啓輔(まつお けいすけ、男性、1996年6月21日 - )は、佐賀県武雄市出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。身長195cm、体重89kg。 佐賀県武雄市出身。御船が丘小学校、武雄中学校を卒業後、福岡大学附属大濠高校、福岡大学に進学。元々はバレー部に所属だったが、中学2年からバスケットボールを始める。 福大大濠高校進学後は、2年時にインターハイ3位ウィンターカップ準優勝。3年生時には、U-18日本代表候補、2014年インターハイ優勝。ウィンターカップでは八村塁率いる仙台大学附属明成高校に敗れ準優勝。高校の同級生には津山尚大がいる。 2018年2月15日、大学3年生ながら特別指定選手として熊本ヴォルターズと契約。
古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 - )は、… 古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 高校野球の経験者である父親の影響で、武雄市立武内小学校の3年時に投手として野球を始め、武雄市立武雄北中学校在学中には、投手や三塁手として佐賀県の中学野球大会へ出場した。 佐賀県立有田工業高等学校への進学後は、1年夏からのベンチ入りを経て、2年秋からエースの座を確保。3年時の5月から6月にかけて開催された第60回NHK杯佐賀県高等学校野球大会では、決勝戦で敗れながらも、通算投球イニング40回2/3で40奪三振を記録した。夏の全国高等学校野球選手権佐賀大会では、決勝までの5試合(投球回数47イニング)通算で47三振を奪い、いずれの試合でも1点差の完投勝利を記録。
青木 理奈(あおき りな、1991年4月27日 - )は、日… 青木 理奈(あおき りな、1991年4月27日 - )は、日本のローカルタレント。 佐賀県武雄市生まれ、武雄市育ち。O型。御船が丘小学校、武雄中学校、武雄高校、福岡大学卒。 レポーター、MC、CM出演等で、佐賀県を中心に九州で活動中。 佐賀県有明海の非公認ゆるキャラ「有明ガタゴロウ」とのユニット「がたりな」としても活動中。 大学在学中の2012年4月に、「世界一の九州をつくろう!」をテーマに九州・沖縄各県のFM局が公募した「九州氷結クラブ」に佐賀代表として選抜された。 好きなことは、ジャニーズを見ること知ること楽しむこと、愛犬と戯れること、今日1日のおもしろかったことを誰かに話すこと。 将来の夢は「ラジオパーソナリティとして自分の番組をもちたい」と話していた。
大宅 龍則(おおや たつのり、1986年6月17日 - )は… 大宅 龍則(おおや たつのり、1986年6月17日 - )は、日本のレフェリー、プロレスラー。KOBEメリケンプロレス所属。佐賀県武雄市出身。身長163cm、体重70kg。血液型A型。 レフェリーデビューは、2006年2月2日福岡うきは市吉井体育センター、キング・シーサー & スペル・シーサー VS 堀口元気 & トザワ & ヴァンジェリス戦。 2007年当時のヒールレフェリー玉岡金太との抗争により、5月12日の『マッスルライヴ』でCIMAと組んで試合に挑んだが、健闘むなしく玉岡からフォール負けを喰らった(玉岡のパートナーはGamma)。肘を痛めたため11月から欠場する。 公平なジャッジでファンから支持されている。
田上 貴之(たがみ たかゆき、1984年5月29日 - )は… 田上 貴之(たがみ たかゆき、1984年5月29日 - )は、日本の元陸上競技選手。佐賀県武雄市出身。専門は長距離。佐賀県立白石高等学校、城西大学出身。 高校時代は高井和治、松瀬元太らと同級生で、3年時の全国高校駅伝では最終7区で区間賞の走りを見せ佐賀県勢最高の成績となる準優勝に貢献した。大学は平塚潤を監督に迎え創部3年目となる城西大学に進学。同大のエースとして箱根駅伝、全日本大学駅伝の初出場時は共にメンバー入りした。なお箱根駅伝には1年時から4年連続で出場している。2005年にはユニバーシアード大会の代表選考会である日本学生ハーフマラソンで優勝。出場したユニバーシアード・イズミル大会のハーフマラソンで銀メダルを獲得した。
大久保 千夏(おおくぼ ちなつ、1981年4月4日 - )は… 大久保 千夏(おおくぼ ちなつ、1981年4月4日 - )は、大分朝日放送 (OAB) の社員で元アナウンサー。 佐賀県武雄市出身、福岡県在住期間あり。早稲田大学卒業。静岡放送アナウンサーの小沼みのりとは、共に早大アナウンス研究会に在籍していたとき以来の友人である。 2004年4月に大分朝日放送に入社し、同期の梅中悠介とともに同局のアナウンサーになる。以来、2016年10月1日付で東京支社業務部へ異動するまで12年半にわたってアナウンサーを務めた。異動前には報道制作局報道部の課長も務めていた。 その後は東京支社業務部の課長を経て、2017年4月から同営業部で編成業務担当課長を務めている。 身長は、背伸びをした状態で159cmだと答えている。
森 惠佑(もり けいすけ、1980年4月17日 - )は、佐… 森 惠佑(もり けいすけ、1980年4月17日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロサッカー選手。現在は、サガン鳥栖U-15監督。 1999年〜2004年の6シーズン、サガン鳥栖でプレー。ルーキーイヤーの1999年4月14日、セレッソ大阪戦でJリーグ初出場。2001年8月3日、湘南ベルマーレ戦でJリーグ初ゴール。2004年9月、サガン鳥栖からアローズ北陸へ期限付き移籍。2005年8月から水戸ホーリーホックに練習生として参加し、2006年に正式加入した。同年はリーグ戦12試合に出場。
福地 寿樹(ふくち かずき、本名:福地 和広(ふくち かずひ… 福地 寿樹(ふくち かずき、本名:福地 和広(ふくち かずひろ)、1975年12月17日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
井手 茂太(いで しげひろ、1972年1月8日 - )は、日… 井手 茂太(いで しげひろ、1972年1月8日 - )は、日本のダンサー、振付師、演出家。 ダンスカンパニー「イデビアン・クルー」主宰。佐賀県武雄市出身。 1991年、ダンス・カンパニー「イデビアン」を結成し、1995年に「イデビアン・クルー」と名称を変えて旗揚げ公演『イデビアン』を行う。 2004年、振付家として初めて読売演劇大賞優秀スタッフ賞を、2006年にはアサヒビール芸術賞を受賞。 2009年から2011年まで、ゼリア新薬のヘパリーゼのCMに背広姿で踊りだすサラリーマンの役で出演。 2011年、音楽劇「時計じかけのオレンジ」の振付を担当する。 ダンス・カンパニー「イデビアン・クルー」での作品発表に加え、演劇作品への演出や振付、CM・ミュージック・ビデオの振付や出演など、幅広いジャンルでも活動する。
古里 泰隆(ふるさと やすたか、1971年4月9日 - )は… 古里 泰隆(ふるさと やすたか、1971年4月9日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ、1969年〈昭和44年〉11… 樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ、1969年〈昭和44年〉11月18日 - )は、日本の政治家、連続起業家(シリアル・アントレプレナー)、一般社団法人理事・理事長、経営者。樋渡社中株式会社代表取締役、宇多津町まちづくりアドバイザー、一般社団法人巨樹の会理事、株式会社地域経済活性化支援機構社外取締役、関西学院大学大学院客員教授、一般社団法人全国空き家バンク推進機構理事長。 前武雄市長(3期)、2015年にCCCが設立した子会社ふるさとスマホ株式会社(後に株式会社TSUTAYAに吸収合併され解散)の代表取締役社長に就任、2016年から会長だった。2017年1月18日にホワイトテクノロジー株式会社を設立し、2018年8月31日まで代表取締役だった。
本山 博幸(もとやま ひろゆき、1969年9月28日 - )… 本山 博幸(もとやま ひろゆき、1969年9月28日 - )は、日本の政治家、建築士。神奈川県松田町長(4期)。 佐賀県武雄市出身。東海大学工学部卒業。2000年(平成12年)頃、松田町に移り住んだ。住宅建築会社社長を務める。 2013年(平成25年)9月8日に行われた松田町長選挙に立候補。現職の島村俊介との一騎打ちを制し初当選した。9月23日、町長就任。 2017年(平成29年)、再選を果たす。2021年(令和3年)、3選。 その後、2025年(令和7年)9月に改選を迎える直前に、2014年(平成26年)に定めていた「連続して3期を超えて在任することのないよう努める」とするいわゆる多選自粛条例の廃止を求める住民の直接請求が町議会で審議され、同年5月3日に条例廃止を賛成多数で可決している。
松尾 亜紀子(まつお あきこ、1964年12月1日 - )は… 松尾 亜紀子(まつお あきこ、1964年12月1日 - )は、日本の工学者。専門は、数値流体力学、デトネーション研究。博士(工学)(名古屋大学・1993年)。慶應義塾大学教授。日本航空宇宙学会会長。ディスコ取締役。内閣府宇宙政策委員会委員。 佐賀県武雄市出身。佐賀県立武雄高等学校、津田塾大学学芸学部数学科卒業。名古屋大学大学院工学研究科博士前期課程航空宇宙工学専攻修了後、リクルート入社。リクルート・スーパーコンピューター研究所在籍中にアメリカ合衆国のプリンストン大学へ留学。帰国後にリクルートを退職し名古屋大学大学院工学研究科博士後期課程へ進学。1993年に博士論文「Multi-Dimensional Unsteady Characteristics of the Standing Oblique Detonation」を提出し名古屋大学から博士(工学)の学位を取得。
佐々木 浩三(ささき こうぞう、1962年5月23日 - )… 佐々木 浩三(ささき こうぞう、1962年5月23日 - )は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会佐賀支部所属、ホームバンクは武雄競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第50期生。師匠は次兄である佐々木昭彦(43期)。 父、母、長兄の和徳(51期)、次兄の昭彦も元競輪選手、和徳の息子・翔一(93期)は競輪選手、という競輪一家で育つ。 龍谷高等学校を経て、競輪学校に第50期生として入学。 競輪学校卒業後の1982年11月6日、久留米競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。 1985年から特別競輪(現在のGI)に参加実績があり、過去に特別競輪で2回の決勝進出歴がある。 兄二人は先に引退したが、浩三自身は還暦を迎えてさらに現役を続けた。
北村 信(きたむら まこと、1960年11月10日 - )は… 北村 信(きたむら まこと、1960年11月10日 - )は日本の財務官僚。内閣府沖縄振興局長、関東財務局長などを歴任。 佐賀県武雄市出身。佐賀県立武雄高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。早大政経学部在学中に国家上級甲種試験(行政)に合格。1984年4月 大蔵省入省(主計局総務課)。1985年 主計局主計企画官付(調整)。1988年7月 理財局資金第一課企画係長。1989年7月 瀬戸税務署長。1990年7月 銀行局総務課金融市場室課長補佐(金融市場)。その後の課長補佐時代は防衛庁防衛局計画課員、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)、主計局主計官補佐(公共事業第二係主査)、主計局主計官補佐(地方財政第一、二係主査)、主計局主計官補佐(公共事業総括、公共事業第一、二係主査)、大臣官房調査企画課長補佐(総括)などを務める。
樋渡 真司(ひわたし しんじ、1960年9月22日 - )は… 樋渡 真司(ひわたし しんじ、1960年9月22日 - )は、日本の俳優。佐賀県武雄市出身。佐賀県立武雄高等学校、専修大学経済学部卒業。JUN-OFFICE及び自転車キンクリーツカンパニー所属。1986年より劇団「自転車キンクリート」の公演に出演。
佐々木 昭彦(ささき あきひこ 1960年1月7日 - )は… 佐々木 昭彦(ささき あきひこ 1960年1月7日 - )は、元競輪選手。佐賀県武雄市出身。日本競輪学校第43期卒業。現役時は日本競輪選手会佐賀支部所属。師匠は西村康博。初出走は1979年4月13日の防府競輪場で初勝利も同日。 父母のみならず、兄(佐々木和徳、51期)、弟(佐々木浩三、50期)も元競輪選手、和徳の息子・翔一(93期)は競輪選手という競輪一家に生まれ育つ。 佐賀武雄高校在学中はインターハイ、国体等で活躍。1978年には日本競輪学校に入学し第43期生となる。競輪学校時代の同期には、在校1位の北村徹、高校時代はバレーボールの選手から適性試験で入学し後に佐々木の親友となる滝澤正光、佐々木とは高校時代同級生であった小川博美、社会人野球出身の富原忠夫などがおり、43期は例年になくハイレベルという評判が持ち上がり、みな競輪選手になってからもその期待通りの活躍をしていた。
田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、… 田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)を務めた。 福岡県生まれ、佐賀県武雄市出身。武雄市立武雄小学校、武雄市立武雄中学校、佐賀県立武雄高等学校、クレイトン大学教養学部政治学科卒業。 広告代理店東急エージェンシー勤務を経て、1987年に中曽根康弘(第71 - 73代内閣総理大臣)事務所に入所。1993年12月より、中曽根の秘書、公設第一秘書、政策秘書を務める。 2010年7月の第22回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で比例区から立候補したが、落選した。2014年3月に同党から当選していた藤巻幸夫が死去したことに伴い、同選挙におけるみんなの党比例区名簿にて、11位となっていた田中を繰り上げ当選とすることが、同年3月28日に行われた中央選挙管理会の選挙会で決定した(みんなの党の獲得議席数は7でその時点までで8位から10位の3人が既に繰り上げ当選していたため11位の田中が当選となった)。
田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、… 田中 茂(たなか しげる、1957年11月27日 - )は、日本の政治家。前参議院議員(1期)。
吉竹 顕彰(よしたけあきら、1957年(昭和32年) - … 吉竹 顕彰(よしたけあきら、1957年(昭和32年) - )は、日本の気象予報士。NHK福岡放送局の夕方ニュースで気象キャスターを務める。 佐賀県武雄市出身。佐賀県立武雄高等学校を経て九州大学理学部物理学科を卒業した。 1980年、日本気象協会九州支社に入社した。 1990年よりNHK福岡の気象キャスターを担当する。 2022年、第74回NHK放送文化賞を受賞した。 趣味は植物観察、自転車、読書、音楽(ジャズ)など。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
八月 真澄(はづき ますみ、1948年8月8日 - )は、日… 八月 真澄(はづき ますみ、1948年8月8日 - )は、日本の歌手でミュージカル女優、作詞・作曲家。 ウイリー沖山の直弟子。ヨーデル講師でありBelting歌唱法のインストラクターでもある。 現在はライブ活動は不定期に開催しリモートで全国の生徒にヨーデルを指導。 佐賀県武雄市出身。小学校時代に神戸に一家で移住。高校卒業と同時に伊藤忠商事大阪本社に英文タイピストとして勤務するも19才で退社し舞台俳優を目指し単身上京。演劇の勉強をしながらステージで歌う。 NHKのヤング101の第二期生に合格して、青木マスミとしてNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に1971年7月7日に初出演。ヤング101には1974年3月31日の番組最終回まで在籍した。
中野 和雄(なかの かずお、1946年1月8日 - 2023… 中野 和雄(なかの かずお、1946年1月8日 - 2023年7月)は、日本の編集者。佐賀県武雄市出身。早稲田大学卒業。 集英社に入社し『週刊少年ジャンプ』編集部に配属。ギャグ漫画家の発掘に才能を見せ、吉沢やすみ、コンタロウ、小林よしのり、ゆでたまごの担当編集者を務めた。 『週刊少年ジャンプ』副編集長を経て、『フレッシュジャンプ』副編集長、のちに2代目編集長を歴任。だが、新人漫画家の育成を目的として創刊された『フレッシュジャンプ』が徐々に本来の趣旨を超えて独立志向を強めたため、上司の西村繁男により「週刊少年ジャンプの編集方針の支障になっている」と判断され、休刊に追い込まれる。 『フレッシュジャンプ』編集長から解任された中野は、集英社の子会社である集英社インターナショナルに出向し、『コミック格闘王』編集長などに就いていた。
長嶺 豊(ながみね ゆたか、1943年11月5日 - 202… 長嶺 豊(ながみね ゆたか、1943年11月5日 - 2022年7月7日)は、佐賀県杵島郡若木村(現・武雄市)出身の元競艇選手。 弟の長嶺保も元ボートレーサー。 小学校5年の時に大阪府大阪市へ移り、中学時代は野球に熱中したが、身長が思うように伸びず、進学をあきらめ競艇選手になる道を選んだ。長嶺によると「裏街道に行ってもおかしくなかった」というほど荒んだ日々を送った時期もあったが、住之江で競艇のレースを観戦したのがきっかけで一念発起したという。大阪府モーターボート競走会補助員を経て、選手養成所の入所試験に2度目の受験で合格。1963年11月に競艇選手としてデビューし、ガッツあふれるプレーで「浪速のドン」と呼ばれる 。
荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は… 荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は、現在の佐賀県武雄市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。176cm、94kg。最高位は東十両8枚目。得意技は左四つ、寄り。 1956年5月場所初土俵、1964年3月場所十両昇進。しかし十両中位の壁を破れず、1966年9月場所を以て廃業した。 2024年8月20日に放送された『開運!なんでも鑑定団』(テレ東)のコーナー「出張!なんでも鑑定団」(岡山県矢掛町)に、依頼人の大伯父(依頼人の祖母が荒川の妹)として観客席で出演。それによると引退後は佐賀でちゃんこ鍋料理店を2014年頃に畳むまで経営していたという。その際、同期で後に横綱となった大鵬とは仲が良く、荒川の引退の時に大鵬から餞別として贈られた、大鵬が大関時代に使っていた化粧廻しの一つが出品された。
吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 20… 吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 2016年3月9日)は、佐賀県武雄市出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)・コーチ。 武雄高校では、1951年秋季九州大会県予選準決勝に進むが佐賀高に敗退。翌1952年夏の甲子園県予選も準決勝で佐賀商に敗れる。卒業後は日鉄二瀬に入社し、1956年の都市対抗に四番打者として出場。1回戦では本塁打を放ち富士製鐵室蘭を降すが、2回戦で日本コロムビアに9回サヨナラ負け。チームメートには古葉竹識・江藤慎一・井洋雄らがいた。 1957年、東映フライヤーズへ入団。3月30日の阪急との開幕戦(西宮)では新人ながら四番左翼手に抜擢され、梶本隆夫からプロ初安打を放つ。
貝原 俊民(かいはら としたみ、1933年8月24日 - 2… 貝原 俊民(かいはら としたみ、1933年8月24日 - 2014年11月13日)は、日本の自治官僚、政治家。位階は従三位。第5代兵庫県知事(在任:1986年11月24日 - 2001年7月31日、4期)。 佐賀県武雄市に生まれる。佐賀県立武雄高等学校、東京都立北園高等学校を経て、東京大学法学部卒業後に旧自治省へ入省。1970年、兵庫県に総務部地方課長として出向して財政課長、農林部長、総務部長などを歴任、1980年から副知事を務める。1986年には知事となり4期15年を務めたが、任期を1年残した2001年に、辞任した。防災士を育成する特定非営利活動法人日本防災士機構会長を経て同機構顧問に就任。 2007年4月29日の春の叙勲で、旭日大綬章を受章する。
河内 良弘(かわち よしひろ、1928年8月20日 - )は… 河内 良弘(かわち よしひろ、1928年8月20日 - )は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、天理大学名誉教授。専門は東洋史、特に東北アジア史。満洲族に関する研究に従事。 佐賀県武雄市出身。1950年から1951年まで千葉県成田町立中学校教諭。1954年京都大学文学部東洋史学科卒業、同大学院博士課程満期退学。1973年天理大学教授、1987年京都大学文学部教授。1992年定年退職、名誉教授、天理大学教授、1999年定年、名誉教授。2016年日本学士院賞受賞。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山崎 森(やまざき しげる、1924年(大正13年)1月1日… 山崎 森(やまざき しげる、1924年(大正13年)1月1日 - )は、日本の詩人、カウンセラー。佐賀県武雄市生まれ。1952年九州大学法学部卒。横浜家庭裁判所家事調停委員、東京家庭裁判所、横浜家裁で調査員、大学講師をへて、国際カウンセリング協会主任研究員。
長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸… 長島 厚(ながしま あつし、1923年 - ) は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。1945年8月の「占守島の戦い」の生き残り。 佐賀県武雄市出身。1938年(昭和13年)に、陸軍予科士官学校進学のため佐賀県立武雄中学校を中退する。 1938年(昭和13年)陸軍予科士官学校に入学する。1941年(昭和16年)7月、陸軍士官学校(55期)卒業後、関東軍戦車第四連隊に配属となり、第五方面軍将校として札幌に赴任するが、第九十一師団戦車第十一連隊指揮官として千島列島の占守島に着任する。 1945年(昭和20年)8月15日にソ連軍が爆撃を開始。8月18日未明にはソ連軍部隊が占守島の竹田浜に上陸し、その「占守島の戦い」に大尉として応戦することとなる。
中村 是好(なかむら ぜこう、1900年〈明治33年〉12月… 中村 是好(なかむら ぜこう、1900年〈明治33年〉12月6日 - 1989年〈平成元年〉12月6日)は、日本の俳優・盆栽家。本名は中村愚堂。愛称はゼコやん。 榎本健一のカジノ・フォーリーの旗揚げに参加し、エノケン一座の中堅として活躍。エノケン主演の映画でも三枚目を演じ、戦後は庶民的な演技で多くの作品に出演した。晩年は盆栽家として知られ、日本小品盆栽協会会長を務めた。 1900年(明治33年)12月6日、佐賀県杵島郡朝日村大字(現武雄市)に生まれる。11歳の時に嬉野市の瑞光寺で得度して、名を禅徳、号を愚堂と改め、のち愚堂を本名とする。1919年(大正8年)に京都市の大徳寺の般若林に入学する。 1921年(大正10年)、新派新声劇の伊東好郎の門下となり、以後、道頓堀の山長一座や神田劇場の中村歌扇一座、根岸大歌劇団、曾我廼家十吾一座、曾我廼家五九郎劇などで活動する。
石井 秀八(いしい ひではち、1876年(明治9年)1月 -… 石井 秀八(いしい ひではち、1876年(明治9年)1月 - 没年不明)は、日本および台湾の実業家、技術者、電気工業家。 佐賀県杵島郡住吉村(のち山内村→山内町、現・武雄市)で、石川政右衛門の長男として生まれる。家は代々鍋島氏の藩臣だった。幼時に郷校で学を修め、1889年(明治22年)に上京して欧文成功学館に入って語学を学ぶ。その後、工手学校に入り、芝中学校に転校して卒業した後、高等工業学校に入学して電気科を卒業。東京の三吉電気工場に入って、技師となる。 その後、京都電燈付属工場の主任技師に転じ、さらに横浜電話交換局技師、不二製紐会社電気部技師、横浜ヒーリング商社の主任技師などを経て、明治35年に横浜で電気商社を起こして独力で経営に従事するが不成功に終わり、大阪に出て関西電気商社を設立・経営するがこれもうまくいかなかった。
有田 源一郎(ありた げんいちろう、1853年10月7日(嘉… 有田 源一郎(ありた げんいちろう、1853年10月7日(嘉永6年9月5日)- 1914年(大正3年)12月15日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 肥前国杵島郡、後の朝日村(現佐賀県武雄市朝日町)で武雄鍋島家家臣・有田(河原)竜左エ門の子息として生まれる。立野元定、草場佩川に師事し漢学を修める。 明治維新を迎え、小学校教員となるが、1886年、同志四名が各々米二百俵を出資して貸金業・甘久共同会社を設立し、同社は後に佐賀銀行の前身の一つ佐賀興業銀行に発展した。 1886年、佐賀県会議員に選出され、県議を五期、また参事会員も務めた。1908年5月、第10回衆議院議員総選挙おいて佐賀県郡部から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員を一期務めた。
五十村 良行(いがむら りょうこう、1850年1月8日(嘉永… 五十村 良行(いがむら りょうこう、1850年1月8日(嘉永2年11月25日)- 1905年(明治38年)7月8日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の官僚・政治家。衆議院議員。旧姓・佐々木、名・達之助。 肥前国杵島郡武雄(現佐賀県武雄市)で武雄鍋島家家臣・佐々木家に生まれ、五十村平左エ門の養子となる。漢学を修めた。 明治5年1月(1872年2-3月)石鉄県十三等出仕となり、以後、司法省十二等出仕、司法少解部、判事・高知裁判所徳島支庁在勤、脇町区裁判所長、熊本県警部兼属、熊本警察署長兼監獄署長、山梨県収税長、愛媛県収税長、大分県参事官などを歴任。 1892年2月、第2回衆議院議員総選挙おいて佐賀県第三区から出馬して二位景暢と選挙戦を戦い当選し、衆議院議員を一期務めた。
二位 景暢(にい かげのぶ、1849年(嘉永2年7月)- 1… 二位 景暢(にい かげのぶ、1849年(嘉永2年7月)- 1921年(大正10年)1月13日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の政治家。衆議院議員。通称・徳太郎。 肥前国杵島郡武雄(現佐賀県武雄市)で武雄鍋島家家臣の家に生まれる。戊辰戦争では主君鍋島茂昌に従い、小隊司令官として羽州を転戦した。 1873年、佐賀県第三十三大区及び第三十四大区副戸長に就任。佐賀の乱では中立党に所属し武雄勢第四小隊副司令として政府軍に協力した。以後、第三十三大区及び第三十四大区副区長、学区取締、区戸長、杵島郡書記などを務め、1880年9月、杵島郡長に就任し1890年6月まで在任。この間、学校の建設、道路の整備、災害の復興などに尽力した。
山口 小一(やまぐち こいち、1841年3月29日(天保12… 山口 小一(やまぐち こいち、1841年3月29日(天保12年2月7日)- 1911年(明治44年)8月27日)は、幕末の佐賀藩武雄領主・武雄鍋島家家臣、明治期の政治家。衆議院議員。 肥前国杵島郡武雄村小楠(現佐賀県武雄市)で武雄鍋島家家臣(足軽)の家に生まれる。幕末には名誉とされていた武雄領の時報役を務めた。戊辰戦争では主君鍋島茂昌に従い羽州を転戦した。 その後、武雄軍団所史生、副戸長を務め、1880年、長崎県会議員に当選。1883年、佐賀県会議員に選出され、1887年、鎌田景弼佐賀県知事により抜擢され佐賀県属・土木課副長に就任。その後、退官して県会議員に復帰し、1902年、県会議長に就任した。
山口 尚芳(やまぐち ますか / なおよし / ひさよし、天… 山口 尚芳(やまぐち ますか / なおよし / ひさよし、天保10年5月11日〈1839年6月21日〉 - 1894年〈明治27年〉6月12日)は、日本の士族(佐賀藩士)、官僚、政治家。父は山口尚澄。通称は範蔵(はんぞう)、範造、範三、繁蔵。 「尚芳」の読みは「なおよし」とされることが一般だった。しかし、当時の官僚たちの履歴資料が『勅奏任官履歴原書』(国立公文書館所属)として1995年に刊行され、そこに載っていた読みが「ますか」であった。同資料は掲載された人々自身の閲読を経ていることから信頼性は高く、「ますか」の読みが併記されることが増えている。 幼少のころから佐賀藩武雄領主・鍋島茂義に将来性を見込まれ、佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の命令により、他の藩士子弟らとともに長崎に遊学し、オランダ語や英語を学んだ。
巌谷 龍一(いわや りゅういち、天保元年12月〈1831年〉… 巌谷 龍一(いわや りゅういち、天保元年12月〈1831年〉 - 1900年〈明治33年〉5月24日)は、日本の裁判官・陸軍軍人。肥前国武雄出身の佐賀県士族。号を玄龍という。巌谷竜一。 天保元年12月(1831年)、肥前国武雄に生まれる。幼少より武雄の医師・清水宗庵に師事して医学を志すが、のちに脱藩して京都へ上り、苦学のかたわら夜陰に按摩や阿呆陀羅経を語って学資を得たという。京都の町で高杉晋作と行き逢って意気投合し、のち長州に赴いて井上馨らと交わり、大村益次郎に蘭語を学んで洋式兵学を研鑽したと伝わる。 幕末に帰郷し、領主鍋島茂昌により身教館の監督と洋式兵術の指南を命ぜられる。戊辰戦争では茂昌に従い、武雄軍団参謀として秋田方面に出征し武雄藩の軍功に寄与した。
おの くみこ(本名:小野 久美子、7月21日 - )は、佐賀… おの くみこ(本名:小野 久美子、7月21日 - )は、佐賀県武雄市出身のラジオパーソナリティでローカルタレントである。 血液型はA型。現在は佐賀市に在住。 関西の短大を卒業する年の春に、母親からの勧誘でNHK佐賀のFMリクエストアワーのアシスタントに合格し、1年間アシスタントを務める。 サガテレビのレポーターを務めた後、エフエム佐賀の局アナになり、エフエム滋賀のパーソナリティを経てフリーに転身、熊本に拠点を移す。
AMADORI(あまどり)は、佐賀県出身の女性シンガー。 1… AMADORI(あまどり)は、佐賀県出身の女性シンガー。 1981年3月31日生まれ(公式サイトより)。O型。佐賀県武雄市出身()。佐賀県立武雄高等学校を卒業後、2000年に上京。 ユニット「windy hill」を結成し、音楽活動を開始する。 windy hill は2001年に活動休止、以後「AMADORI」としてソロで活動をはじめ、2005年シングル「光~大切にするべきはその手~」でメジャーデビュー。 AMADORIは、公式サイトによると、アマツバメの古称で、『「雨の中を飛ぶ鳥のイメージ」で、切なく悲しくも、力強い存在であり続けるという意味を込めて自ら』命名したという。
森 望(もり のぞむ)は、日本の地方公務員、国土交通技官。国… 森 望(もり のぞむ)は、日本の地方公務員、国土交通技官。国土交通省国土技術政策総合研究所道路交通研究部長や、国立研究開発法人土木研究所研究調整監を経て、久留米市副市長。 佐賀県武雄市生まれ。九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修了。1984年、建設省入省。国土交通省国土技術政策総合研究所道路空間高度化研究室長等を経て、2006年、国土交通省都市・地域整備局大都市圏整備課関西文化学術研究都市建設推進室長。 2008年、国土交通省国土技術政策総合研究所総合技術政策研究センター建設マネジメント研究官。2012年、国土交通省国土技術政策総合研究所道路研究部長。2014年、国土交通省国土技術政策総合研究所道路交通研究部長。