中村 優斗(なかむら ゆうと、2003年2月8日 - )は、… 中村 優斗(なかむら ゆうと、2003年2月8日 - )は、長崎県諫早市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 諫早市立長田小学校で2年生の時に野球を始め、諫早市立長田中学校では軟式野球部に所属していた。 「県庁で働いて地元に貢献したい」という思いから、公務員への就職実績が高かった長崎県立諫早農業高等学校へ進学。1年秋からエースを務めた。3年夏は新型コロナウイルスの影響で公式戦が中止となり、県で行われた独自大会では初戦敗退。思うような形で高校野球を終えられず、公務員よりも野球への思いが強くなった。 愛知工業大学監督を務める元プロ野球選手の平井光親に見出されて同校に進学し、1年春から先発を任された。
田川 亨介(たがわ きょうすけ、1999年2月11日 - )… 田川 亨介(たがわ きょうすけ、1999年2月11日 - )は、長崎県諫早市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・鹿島アントラーズ所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 小学1年の時に地元の雲仙アルディートに加入しサッカーを始める。中学進学後も同チームでプレーし、高校のサッカー強豪校からのスカウトもあった。アルディートの監督から「プロを目指すのであればJチームの下部組織がいい」と助言を受け、高校進学時に長崎県内の強豪校ではなく隣県のサガン鳥栖下部組織に加入した。2016年に2種登録選手として登録された。2種登録選手としての公式戦出場はなかったが、2017年からサガン鳥栖トップチームに昇格。
森 真奈美(もり まなみ、1996年6月14日 - )は、日… 森 真奈美(もり まなみ、1996年6月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、長崎県諫早市出身の元テレビ長崎(KTN)アナウンサー(2020年9月の再編まではヨジマル!班(制作部)所属)、夫は俳優の石垣佑磨。 1996年6月14日 生まれ。長崎県諫早市出身。 長崎県立長崎南高等学校時代は、長崎がんばらんば国体(第69回国民体育大会) の少年女子共通やり投で 49m13 で5位に入賞。福岡大学スポーツ科学部スポーツ科学科 に進学し、陸上競技部槍投チームに所属した。 DAZNガールや雑誌「LIRY」のモデル、また映画やテレビ番組にも出演するなど学生時代にも活動していた。 2019年10月1日にテレビ長崎の夕方情報番組『ヨジマル!』に出演し、2020年10月に左記番組が『マルっと!』になるにあたりアナウンス業務が「アナウンス部」に統合されてからも出演している。
田川 紘美(たがわ ひろみ、1995年9月8日 - )は、日… 田川 紘美(たがわ ひろみ、1995年9月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 長崎県諫早市出身。姉の影響で小学2年生の頃からバレーボールを始める。 九州文化学園高等学校では3年生でキャプテンを務め、エースの田中瑞稀とともに第66回全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)での優勝に貢献した。 長崎国際大学を経て、9人制のパナソニックブルーベルズに入団。1年目からレシーバーとして活躍した。 2020-21シーズンは、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属する埼玉上尾メディックスにセッターとしてレンタル移籍となった。埼玉上尾は冨永こよみ(現姓:岩崎)の欠場と井上美咲の移籍で主力セッター2名を一度に欠いた状況であった。
山本 凌雅(やまもと りょうま、1995年7月14日 - )… 山本 凌雅(やまもと りょうま、1995年7月14日 - )は、長崎県諫早市出身の陸上競技選手。専門は三段跳で16m87(日本歴代6位)の自己ベストを持つ。U20室内日本記録保持者、日本高校記録保持者。2017年ロンドン世界選手権の日本代表。JAL所属。 長崎県諫早市出身。血液型はA型。 小さい頃からボール遊びが好きで、弟とよくキャッチボールをしていたこともあり将来の夢は野球選手だったが、小学4年生の時に友達と一緒に入った野球チームは1年でやめてしまった。陸上競技は小学校6年生の時に、学校の先生から誘われて明峰ジュニア陸上クラブに入って始めると、校内一の俊足を生かし、100m、ハードル、走幅跳、走高跳など色んな種目に取り組んだ。
對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ、1993年6月27日 -… 對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ、1993年6月27日 - )は、長崎県諫早市出身で、境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は梅野 勝満(うめの まさみつ)。身長185.0cm、体重143.0kg、血液型はA型。最高位は東十両9枚目(2023年3月場所)。 諫早市立湯江小学校4年次に、地元の相撲道場(両国少年相撲クラブ)で相撲を始めた。諫早市立高来中学校時代はバスケットボール部に所属したが、部活引退後に相撲の大会に出場したところ、勝ち進んで全中に出場したことで高校の相撲部から勧誘され、諫早農業高校農業土木科に進学した。同校在学中は、高校総体や国体少年の部に出場した経験を持つ。日本大学文理学部体育学科に進学し相撲部へ入部すると、1年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会100kg未満級優勝、2年次に東日本学生相撲競技会優勝、3年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級優勝の実績を残した。
井上 大仁(いのうえ ひろと、1993年1月6日 - )は、… 井上 大仁(いのうえ ひろと、1993年1月6日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。長崎県諫早市出身。諫早市立飯盛中学校、鎮西学院高等学校、山梨学院大学各卒業。現在三菱重工マラソン部所属。2018年ジャカルタアジア競技大会金メダリスト、2017年世界陸上ロンドン大会日本代表(共に男子マラソン種目)。山梨学院大学時代から力をつけ、卒業後の2018年アジア大会(ジャカルタ)でエルアバシとデットヒートを繰り広げラスト100mでスパート合戦となり見事差し切り優勝した。
山﨑 賢人(やまさき けんと、1992年12月17日 - )… 山﨑 賢人(やまさき けんと、1992年12月17日 - )は、日本の競輪選手、自転車競技選手。長崎県諫早市出身。日本競輪選手会長崎支部所属、ホームバンクは佐世保競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第111期生。師匠は山口幸太郎(77期)。 姓の部分について、日本競輪学校在籍時は山﨑(「﨑」は異体字。いわゆる「たつさき」)で掲載されており、自転車競技としての所属チームであるチーム楽天Kドリームスの選手紹介やJOCのパリオリンピック選手名簿にも山﨑で記載されている。一方、競輪選手としては選手プロフィールや表彰資料で山崎賢人として記載されており、自転車競技時と競輪選手とで表記が異なる。 メディア記事においても、新聞メディアでは新字体での表記が原則のため、「競輪」として扱う場合でも新聞記事では山崎と表記されている。
山口 美咲(やまぐち みさき、1990年1月20日 - )は… 山口 美咲(やまぐち みさき、1990年1月20日 - )は、長崎県諫早市出身の元競泳選手。種目は自由形。 諫早市立真城中学校、近畿大学附属高校、近畿大学卒。2008年北京オリンピック4×200mフリーリレー代表、2016年リオデジャネイロオリンピック4×100mフリーリレー8位。 2009年9月12日には、第64回国民体育大会で長水路の100m自由形で54秒43の日本記録を樹立した。
諫誠 章道(かんせい あきみち、1989年8月25日 - )… 諫誠 章道(かんせい あきみち、1989年8月25日 - )は、長崎県諫早市出身で境川部屋に所属した元大相撲力士。本名は三木 章道(みき あきみち)。現役時代の体格は身長183cm、体重173.7kg、血液型はA型。最高位は東幕下3枚目(2014年1月場所)。 憧れの力士は同部屋の豊響であり、「一気に持っていく相撲を取りたい。」と話している。 相撲を始めたのは長崎県雲仙市立南串第二小学校の1年生の時であり、両親と共によく食事に行っていた近所のちゃんこ屋の主人の勧めで長崎県立諫早農業高等学校の相撲道場に通うことになった。一方で小学4年生からは空手を始めた。わんぱく相撲では5年、6年時に全国大会へ出場した経験を持つ。
水口 大地(みずぐち だいち、1989年6月28日 - )は… 水口 大地(みずぐち だいち、1989年6月28日 - )は、長崎県諫早市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 長崎県立大村工業高等学校を卒業後の2008年、四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。セインツに入ったのは、土田瑞起がトライアウトを受ける際に「一人はいやだ」という理由で一緒に行くことになったのがきっかけだったという。1年目は主に遊撃手として起用され、2009年はコーチの古屋剛に守備についての指導を受けたほか、二遊間を組んでいた二塁手の松井宏次の技術を参考にしていた。2010年限りでチームが経営難で解散、救済ドラフトにおいて香川オリーブガイナーズに指名され移籍した。香川のコーチだった前田忠節は長崎時代から水口を評価し、球団首脳に救済ドラフトでの獲得を要望したと述べている。
牟田 真司(むた しんじ、1988年10月3日 - )は、日… 牟田 真司(むた しんじ、1988年10月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 長崎県諫早市出身。兄の影響で中学1年生からバレーボールを始める。 大村工業高等学校、東亜大学を経て、2010/11シーズン、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属するサントリーサンバーズの内定選手となった。 2011年、大学卒業後に、サントリーサンバーズに入団した。入団1シーズン目となる2011/12シーズンにV・プレミアリーグの試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2013年、2012/13 V・プレミアリーグをもって現役を引退した。現役引退後は、チームの事務局に就任。2016/17シーズンよりチームマネージャーに就任。
岩永 麻里江(いわなが まりえ、1988年5月20日 - )… 岩永 麻里江(いわなが まりえ、1988年5月20日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 長崎県諫早市出身。九州文化学園高校在学中は、春高バレーやインターハイなどで活躍。 筑波大学3年在学中の2009年には、皆本明日香、渡邉美穂らとともに全日本インカレにおいて優勝に貢献し、自らもリベロ賞を獲得した。 2011年4月VチャレンジリーグのPFUブルーキャッツに入団。同年7月、第26回ユニバーシアード代表に選出された。 2011/12 Vチャレンジリーグにおいて、最優秀新人賞のタイトルを獲得した。出身地開催となった長崎がんばらんば国体を花道に、2014年10月31日をもって現役引退した。
三好 洋央(みよし ひろちか、1987年5月17日 - )は… 三好 洋央(みよし ひろちか、1987年5月17日 - )は、長崎県諫早市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)、フォワード(FW)。 4人兄弟の次男に生まれ、兄の影響でサッカーを始めた。高校時代は大分トリニータU-18に所属。 2006年大阪教育大学体育会サッカー部を経て、2010年よりブラウブリッツ秋田へ入団。J3リーグ初参入の2014年は得点ランキング4位タイとなる12得点を挙げた。同シーズン終了後秋田との契約満了が発表されたが、翌2015年1月に秋田と再契約を結んだ。 2016年、藤枝MYFCに移籍。翌2017年を以て現役を引退。 2018年、フロントスタッフとして藤枝MYFCに入社。
梅崎 司(うめさき つかさ、1987年2月23日 - )は、… 梅崎 司(うめさき つかさ、1987年2月23日 - )は、長崎県諫早市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダーで、主にトップ下、左サイドでプレーした。元日本代表。 大分トリニータU-18から2005年にトップチームへ昇格。2006年途中からレギュラーに定着した。同年8月31日、アジアカップ2007の最終予選に向けたA代表メンバーに、当時のチームメイトであった西川周作と共に選出された。これによりクラブ初のA代表選手となると、9月6日に行われたイエメン戦で交代出場し、代表初出場を記録した。 2007年1月26日にフランス2部のグルノーブル・フット38へ期限付き移籍。
POCOX御膳(ぽこっくすごぜん、1986年12月25日 -… POCOX御膳(ぽこっくすごぜん、1986年12月25日 - )は、日本の元お笑い芸人。 長崎県諫早市出身。かつてはワタナベエンターテインメント九州事業本部に所属していた。血液型AB型。2010年6月より活動休止。事務所ホームページのプロフィールが削除されているため、引退したものと思われる。活動休止後はフリーで画家活動を開始しインターネットで絵画やグッズの販売を行なっている。 2009年4月、ワタナベエンターテインメント九州事業本部に所属しデビュー。 合成写真作りが趣味にあり、合成で作った「イメージ作品集」の他、Macintoshで作曲した「御膳のテーマ」(自分のテーマ曲)、ぬいぐるみを使った「御膳昔話」をYouTubeに投稿するなどしている。
LIPSTORM(リップストーム、本名:辻 杏莉(つじ あん… LIPSTORM(リップストーム、本名:辻 杏莉(つじ あんり)、1985年8月20日 - )は、日本のヒップホップMC。長崎県諫早市出身。Joint M`s 所属。元S7ICKCHICksメンバー。BRETHREN CREW(ブレジンクルー)が生んだFEMALE RAPPER。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
中村 北斗(なかむら ほくと、1985年7月10日 - )は… 中村 北斗(なかむら ほくと、1985年7月10日 - )は、長崎県諫早市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(サイドバック)及びミッドフィールダー(ウイングバック、サイドハーフ、ボランチ)。 実兄は元プロ野球選手の中村隼人。 小学3年(8歳)でサッカーを始める。当時はFWを務めていた。高校サッカー界の名門、長崎県立国見高等学校へ進学。1年時からレギュラーを獲得する。ここでFWからボランチにコンバートされ、「エースキラー」として活躍。同期には平山相太、兵藤慎剛がいた。在籍中の3年間で全国高校サッカー選手権・総体・高円宮杯に優勝5回、準優勝2回の成績を残した。高校サッカー選手権の決勝戦に3年連続で先発フル出場しており、この記録を持つのは戦後の高校選手権史上、中村ただ一人である。
森岡 紘一朗(もりおか こういちろう、1985年4月2日 -… 森岡 紘一朗(もりおか こういちろう、1985年4月2日 - )は、日本の競歩選手、競歩コーチ。ユニバーシアードの20km競歩で2005年、2007年の2大会連続で銅メダル。2006年アジア競技大会20km競歩銅メダル。2008年北京オリンピックの20km競歩に出場。広州アジア大会50km競歩で3時間47分41秒のタイムで銅メダル。日本選手権の20km競歩で2010年、2011年に優勝。現在はコーチ。富士通所属。 長崎県諫早市出身。長崎県立諫早高等学校卒業、順天堂大学卒業。もとは長距離ランナーだったが、高校2年のとき競歩に転向。2003年、地元の長崎で行われた長崎ゆめ総体5000m競歩決勝でトップでフィニッシュしたが、歩型違反により失格となった。
松橋 優(まつはし まさる、1985年3月22日 - )は、… 松橋 優(まつはし まさる、1985年3月22日 - )は、長崎県諫早市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード、ディフェンダー。 元サッカー選手の松橋章太は実兄。 長崎県立国見高等学校を卒業後早稲田大学を経て2007年、大分トリニータに入団。2年間でゴール数は2に終わったが、いずれも2007年、2008年の5月3日に記録している。 2009年から2年間ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍。2011年シーズンより完全移籍となる。2012年よりサイドバックにコンバートされた。 2013年は開幕から左サイドバックとしてスタメン出場が続いたが、第12節サンフレッチェ広島戦でペナルティエリア内において得点機会阻止の反則を犯し、一発退場。
今村 昌弘(いまむら まさひろ、1985年 -)は、日本の推… 今村 昌弘(いまむら まさひろ、1985年 -)は、日本の推理小説家。長崎県出身。代表作は『屍人荘の殺人』シリーズ。 長崎県諫早市生まれ、兵庫県神戸市育ち。 岡山大学医学部保健学科放射線技術科学専攻を卒業。 声優の入江麻衣子ははとこである。 大学卒業後、診療放射線技師として勤務しながら小説を書き続ける。29歳で退職し執筆に集中。 2017年、『屍人荘の殺人』で第27回鮎川哲也賞を受賞する。受賞作について、推理作家の北村薫は、「奇想と本格ミステリの融合が、実に見事。この頭の働きには、素直に脱帽するしかありません」と評している。同作は「このミステリーがすごい!2018」第1位、「2018 週刊文春ミステリーベスト10」第1位、「2018 本格ミステリ・ベスト10」第1位、第15回本屋大賞第3位、第18回本格ミステリ大賞など、デビュー作ながら高く評価された。
中村 祐志(なかむら ゆうし、1984年9月30日 - )は… 中村 祐志(なかむら ゆうし、1984年9月30日 - )は、日本の俳優。長崎県諫早市出身。イトーカンパニー所属。身長182cm、血液型はO型。エンターテインメントユニットPUPAメンバー。 日本大学経済学部卒業。 元競泳選手(専門は背泳ぎ)。日本大学在学時の2005年度男子50m背泳ぎ日本ランキング(短水路)で10位にランクイン。 五輪、世界選手権の選考会でもある日本選手権に4年連続出場し、国民体育大会など国内最高峰の大会にも出場し続けた。 日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)では1年時から4年間レギュラー選手として出場。3、4年時に総合優勝し天皇杯獲得に貢献し、全国制覇を成し遂げている。 大学卒業後、一般企業に就職したが知人の勧めもありモデルを経て俳優の道へと進む。
酒井 泰滋(さかい たいじ、1984年8月28日 - )は、… 酒井 泰滋(さかい たいじ、1984年8月28日 - )は、長崎県諫早市出身の元男子バスケットボール選手。背番号は28。 身長190cm、体重88kg、血液型A型、ポジションはフォワード。 福大大濠高、慶大では主将を務めた。慶大へは一般入試により入学している。実弟・祐典も福大大濠高に進み主将を務め、その後慶大を経て、現在は九州電力で活躍している。 大学時代のチームメイトに竹内公輔がいる。 2009年には東アジア競技大会で初のA代表入りを果たす。 2013年、日立東京の主将に就任。 2016年オフ引退とチームアンバサダー就任を発表。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。
廣田 瑞人(ひろた みずと、1981年5月5日 - )は、日… 廣田 瑞人(ひろた みずと、1981年5月5日 - )は、日本の男性総合格闘家。長崎県諫早市出身。CAVE所属。元DEEPライト級王者。元SRCライト級王者。元CAGE FORCEライト級王者。 幼少時代に相撲を経験。ボクシングではインターハイに2度出場している。21歳の時にプロ格闘家を目指し上京した。 2004年9月20日、第11回全日本アマチュア修斗選手権大会ウェルター級(-70kg)に参加し、優勝を果たした。 2005年2月6日、プロ修斗デビュー。 2005年9月23日、修斗新人王決定トーナメント決勝で児山佳宏に判定勝ちし、ウェルター級新人王となった。 2007年2月17日、修斗環太平洋ウェルター級王座決定戦で中蔵隆志と対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
中村 隼人(なかむら はやと、1975年8月22日 - )は… 中村 隼人(なかむら はやと、1975年8月22日 - )は長崎県出身の元プロ野球選手(投手)、飲食店経営者。2002年から2004年6月1日までの登録名は隼人。弟はプロサッカー選手の中村北斗。
井上 周一郎(いのうえ しゅういちろう、1975年- )は、… 井上 周一郎(いのうえ しゅういちろう、1975年- )は、日本の彫刻家。鹿児島女子短期大学児童教育学科教授。長崎県諫早市出身。日展会員,日本彫刻会正会員(展覧会委員),白日会会員, 日本美術家連盟会員等。 現在、鹿児島大学教育学部非常勤講師も務める。 現在、大理石を中心とした彫刻作品の製作活動を主に行っている。石彫刻でありながらも柔らかさや気品を持った作品が特徴的であり、第50回記念日本彫刻会展覧会で『東京都知事賞』を受賞した作品の「春水」は、審査員・美術評論家の武田厚氏より、「石を扱いながら、主題に見る通りの、柔和で優美な香りを感じさせる表現も特異である」と講評された。
貝塚 政秀(かいづか まさひで、1974年12月25日 - … 貝塚 政秀(かいづか まさひで、1974年12月25日 - )は、長崎県諫早市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
松田 紀子(まつだ のりこ、1973年7月19日 - )は、… 松田 紀子(まつだ のりこ、1973年7月19日 - )は、長崎県諫早市出身の雑誌・書籍編集者、コミュニケーション・ディレクター。『はちみつコミックエッセイ』編集長 及び ファンベースディレクター職を兼任。エッセイ漫画 編集者の第一人者で、編集者として「コミックエッセイ」「雑誌」の双方で共感性を重視したヒット作品を多く創出している。『レタスクラブ』・『オレンジページ』・『東京ウォーカー』3誌の元編集長。 新卒で福岡県の編集プロダクションに就職し、その1年半後に契約社員としてリクルート『じゃらん九州』に1997年入社し編集者の道に進む。2000年に上京し、メディアファクトリーに入社。『コミックエッセイ編集グループ』で『ダーリンは外国人』(小栗左多里著 シリーズ累計400万部超え)など20代でミリオンセラーシリーズを量産した。
石本 努(いしもと つとむ、1973年2月4日 - )は、長… 石本 努(いしもと つとむ、1973年2月4日 - )は、長崎県諫早市小川町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現役時代は北海道日本ハムファイターズに所属し、現在は同球団のスカウトを務めている。
森 秀昭(もり ひであき、1972年10月16日 - )は、… 森 秀昭(もり ひであき、1972年10月16日 - )は、長崎県諫早市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現FCバイエルン・ツネイシU-13コーチ。 1991年にマツダSCに入団。同期は森山佳郎、柳本啓成、笛真人、路木健、松山大輔、小倉一浩。しかし、トップチームであるマツダSCでの出場機会はなく、サテライトチームであるマツダSC東洋での出場のみだった。サンフレッチェ広島設立とともにプロ契約。1995年にビム・ヤンセン監督によってレギュラーに抜擢されるも、翌1996年は怪我もあり出場は無かった。 同年途中にアビスパ福岡へ移籍すると、レギュラーとして活躍。1998年にはJ1参入決定戦にも出場し、得点した。
草場 道輝(くさば みちてる、本名同じ、1971年1月1日 … 草場 道輝(くさば みちてる、本名同じ、1971年1月1日 - )は、日本の漫画家。長崎県諫早市出身。長崎大学卒業。代表作は『ファンタジスタ』、『LOST MAN』。
松田 奈緒子(まつだ なおこ、1969年1月21日 - )は… 松田 奈緒子(まつだ なおこ、1969年1月21日 - )は、日本の漫画家。女性。長崎県諫早市出身。夫は漫画解説者の新保信長。実妹はコミックエッセイ劇場編集長の松田紀子。 小学5年生のとき大和和紀の『はいからさんが通る』を読んで漫画家を志す。長崎日本大学高等学校卒業。1学年上に谷川史子がいた。 上京して少女漫画家の木原敏江のアシスタントを務めた後、27歳のときに『コーラス』(集英社)に掲載された『ファンタスティックデイズ』でデビュー。 『重版出来!』はドラマ化され、小学館漫画賞を受けた。
古賀 友一郎(こが ゆういちろう、1967年(昭和42年)1… 古賀 友一郎(こが ゆういちろう、1967年(昭和42年)11月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。
垣根 涼介(かきね りょうすけ、1966年4月27日 -)は… 垣根 涼介(かきね りょうすけ、1966年4月27日 -)は、日本の小説家。長崎県諫早市生まれ。長崎県立諫早高等学校、筑波大学第二学群人間学類卒。 小学校6年生から小説を読み始め、サマセット・モーム『月と六ペンス』に感動する。その後にトルーマン・カポーティ、ガルシア・マルケスなどを読む。 高校卒業と同時に上京し、筑波大学に入学する。卒業後はリクルートに入社し、『とらばーゆ』、『ビーイング』、『テクノロジービーイング』という求人情報誌3誌を受け持ち、インタビューやコピーを書く仕事をする。2年で退職し、1年間ブラブラしていた。次に就職した商社は3か月で辞め、その次に就職した近畿日本ツーリストには7年半勤務し、業界団体や奉仕団体などへの視察旅行の企画・立案を行った。
大久保 潔重(おおくぼ ゆきしげ、1966年〈昭和41年〉3… 大久保 潔重(おおくぼ ゆきしげ、1966年〈昭和41年〉3月12日 - )は、日本の政治家、歯科医師。長崎県諫早市長(2期)。元長崎県議会議員(4期)。元参議院議員(1期)。 長崎県諫早市生まれ。長崎県立諫早高等学校、長崎大学歯学部卒業。東京都、神奈川県の歯科医院勤務を経て、福岡県福岡市博多区で歯科医院を開業し、地域の歯科医療に携わる。2002年、小沢一郎政治塾修了(同塾の第1期生)。 2003年、長崎県議会議員選挙に出馬し、初当選した。2005年、長崎県議を任期途中で辞職し、第44回衆議院議員総選挙に長崎2区から民主党公認で出馬したが、自由民主党前職の久間章生に敗れ、落選した。2006年、長崎県議会補欠選挙に出馬し、当選。
稲田 雅裕(いなだ まさひろ、1965年〈昭和40年〉9月3… 稲田 雅裕(いなだ まさひろ、1965年〈昭和40年〉9月3日 - )は、日本の国土交通技官。港湾空港技術研究所長や国土交通省港湾局長を歴任。 長崎県諫早市出身。長崎県立諫早高等学校を経て、1990年九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修了、運輸省入省、2003年国土交通省総合政策局政策課課長補佐。2006年国土交通省関東地方整備局港湾空港部地域港湾空港調整官。 2007年国土交通省港湾局計画課計画企画官。2009年国土交通省九州地方整備局博多港湾・空港整備事務所長。2011年国土交通省港湾局計画課事業企画官。2013年国土交通省港湾局計画課企画室長。2015年国土交通省近畿地方整備局港湾空港部長。
諫見 泰彦(いさみ やすひこ、1965年 - )は、九州産業… 諫見 泰彦(いさみ やすひこ、1965年 - )は、九州産業大学 建築都市工学部住居・インテリア学科 准教授(地域貢献実践学)。文化庁 文化芸術による子ども育成総合事業 派遣芸術家(メディア芸術)。 長崎県諫早市出身。1984年、長崎県立諫早高等学校、1988年、福岡大学工学部建築学科を卒業し、九州芸術工科大学(現 九州大学)大学院芸術工学研究科に進学。1990年、修士課程修了(芸術工学修士)。長崎県立長崎工業高等学校建築科教諭(1990年 – 1997年)、学校法人麻生塾麻生工科専門学校建築学科教務(1997年 – 2001年)、福岡市立博多工業高等学校建築科教諭(2001年 – 2006年)としての教育実践の傍ら、長崎大学工学部社会開発工学科内地留学研修員、国立教育政策研究所教育情報・資料センター共同研究員、近畿大学九州工学部産業デザイン学科/同建築学科兼職教員として研究活動を行った。
村岡 克彦(むらおか かつひこ、1963年6月26日 - )… 村岡 克彦(むらおか かつひこ、1963年6月26日 - )は、日本の映画プロデューサー。学校法人東放学園評議員。東放学園映画専門学校非常勤講師。長崎県諫早市出身。 長崎県諫早市立飯盛中学校、長崎県立諫早高等学校卒業。福岡大学経済学部経済学科中退。コンサートイベンター、CDプロモーター等を20年余り務め、その間YUI、絢香などのメジャーデビューにも深く関わる。 その後、映画プロデューサーとしての活動を始め、2013年認知症となった母と息子の物語「ペコロスの母に会いに行く」(主演:赤木春恵・岩松了 / 特別協賛:ソニー生命保険)を製作。キネマ旬報ベストテン日本映画第1位、映画芸術ベストテン日本映画第1位、毎日映画コンクール日本映画優秀賞ほか国内外の映画賞を数多く受賞。
大久保 哲也(おおくぼ てつや、1962年9月1日 - )は… 大久保 哲也(おおくぼ てつや、1962年9月1日 - )は、長崎県諫早市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、野球指導者。 弟に元プロ野球選手の大久保勝也がいる。 海星高等学校卒業後に九州産業大学に進学して硬式野球部に所属し、福岡六大学野球リーグでは、捕手として活躍し、ベストナインに2度選ばれ、1984年の秋季リーグでは最優秀選手賞を受賞した。 大学卒業後は、社会人野球の三菱重工長崎のチームに入団し、コーチを兼任した時期も含めて14年間プレーした。 2002年秋からは母校の九州産業大学の監督に就任。2005年の明治神宮野球大会ではチームを日本一に導いた。大学日本代表のコーチを経て、2019年からは監督を務め、2023年に開催された第44回日米大学野球選手権大会ではアメリカ開催では16年ぶり2回目の優勝に導いた。
坪田 まり子(つぼた まりこ、1960年11月20日 - )… 坪田 まり子(つぼた まりこ、1960年11月20日 - )は、日本のキャリアカウンセラー、元アイドル歌手、元女優。本名は坪田 真理子(読みは同じ)。歌手・女優時代の芸名は倉田 まり子(くらた まりこ)。 長崎県諫早市出身。日出女子学園高等学校卒業。1974年、長崎放送制作(TBS系列全国ネット)『家族そろって歌合戦』が長崎県島原市で収録され、それに出場したところスカウトマンに見初められて高校1年のとき上京。1978年4月から、NHKの人気歌番組『レッツゴーヤング』のサンデーズの一員としてレギュラー出演(〜1981年3月)した。芸名の「倉田」は、師匠で作曲家の当時レッツゴーヤングの司会を務めていた都倉俊一から一字もらった。
神田 広美(かんだ ひろみ、Hiromi kanda、195… 神田 広美(かんだ ひろみ、Hiromi kanda、1956年11月3日 - )は、現在アメリカで活動している日本の歌手、作詞家。 本名同じ。身長164cm(1977年の時点)。長崎県諫早市出身、大阪府岸和田市育ち。一人っ子。小学6年生の時にCMソングがきっかけで音楽好きになる。 大阪女学院高等学校卒業。中学生時代の部活は剣道部で初段。高校生時代の部活はフェンシング部で、フェンシング高1女子新人戦の関西大会で3位の成績を収めたことがある。高校生時代は音楽よりも絵画が得意で、美術校への進学も真剣に考えていたことがあったが、やはり歌手の夢があきらめきれず、美術校への進学は断念。しかしその後もイラストが一番の趣味になっている。
役所 広司(やくしょ こうじ、Koji Yakusho、19… 役所 広司(やくしょ こうじ、Koji Yakusho、1956年〈昭和31年〉1月1日 - )は、日本の俳優・ナレーター・声優。 ワイ・ケイ事務所所属。本名:橋本 広司(はしもと こうじ)。 長崎県諫早市で誕生。男5人兄弟の末っ子。長崎県立大村工業高等学校卒業後、上京して千代田区役所土木工事課に勤務。 友人に連れられて観劇した仲代達矢主演の舞台公演『どん底』に感銘を受け俳優への道を志す。200倍もの難関である仲代が主宰する俳優養成所無名塾の試験に合格。芸名は前職が役所勤めだったことに加え、役どころが広くなることを祈念して仲代が命名。演技経験がなかった為、挨拶から指導を受ける。無名塾は2期生。当初は所属する無名塾の舞台公演に出演。
嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ、1955年(昭和30年)8… 嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ、1955年(昭和30年)8月14日 - 2006年(平成18年)10月7日)は、長崎県北高来郡森山町(現在の諫早市)大字森山慶師野名出身で大鵬部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は田中 修(たなか おさむ)。現役時代の体格は190cm、122kg。最高位は西前頭2枚目(1983年(昭和58年)7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 横綱・大鵬の内弟子として森山町立森山中学校卒業直前に二所ノ関部屋へ入門し、1971年(昭和46年)1月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。翌年1月には、引退後「一代年寄」となった大鵬親方が二所ノ関部屋から分家独立したのに伴い、大鵬部屋へ移籍。
阿修羅・原(あしゅら・はら、本名:原 進 / はら すすむ、… 阿修羅・原(あしゅら・はら、本名:原 進 / はら すすむ、1947年1月8日 - 2015年4月28日)は、日本のプロレスラー。長崎県北高来郡森山町(現・諫早市)出身。ラグビーの日本代表を経てプロレスに転向し、国際プロレスや全日本プロレスで活躍していた。 中学時代は柔道、諫早農業高校では当初は相撲に打ち込んでいたが、高校2年にラグビーに転向。この時からラグビー選手として頭角を現した。高校卒業後に上京し東洋大学を経て、拠点を東京から一旦大阪に移して1969年に近畿日本鉄道(近鉄)に入社。近鉄では入社数年後に駅係員として勤務していた実績がある。また、入社と同時に近鉄ラグビー部に所属した。 近鉄時代の1970年に日本代表に選出され、同年3月22日の秩父宮ラグビー場におけるブリティッシュ・コロンビア州代表戦でNO8として初キャップを獲得した。
市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月… 市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月17日 - 2011年(平成23年)12月10日)は、日本の脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。日本放送作家協会の会長を務めた。長崎県諫早市出身。 妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。妹は放送作家の市川愉味子(井上愉味子)。実質的なデビュー作は円谷プロ製作『快獣ブースカ』。代表作は『傷だらけの天使』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『コメットさん』『露玉の首飾り』『TAJOMARU』など多数。 実家の呉服屋を継がずに旧海軍大村航空隊の教官となった父・市川一郎(同志社専門学校高等商業部出身)と、寛政5年(1793年)創業の老舗の諫早名物おこし屋の娘であった母との間に1941年(昭和16年)誕生。
芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - … 芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - )は、日本の電気技術者、実業家。九州電力代表取締役副社長や、九州通信ネットワーク代表取締役社長、博多座代表取締役社長、九州先端科学技術研究所理事長等を歴任した。 長崎県諫早市出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年九州大学工学部電気工学科卒業、九州電力入社。上椎葉水力発電所、北九州支店電力課で計5年現場経験を積んだのち、、本社の工務部給電課に配属された。1973年フランス電力で研修。1982年九州電力本社企画部設備計画課長。1987年電気事業連合会に工務部長として出向。1992年九州電力大分支店長。1995年九州電力工務部長。1996年九州電力企画部長。
福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - … 福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - 没年不明 )は、長崎県諫早市川床町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。 少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市でトヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。 その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。 1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。
諫早 英雄(いさはや ひでお、1922年〈大正11年〉4月2… 諫早 英雄(いさはや ひでお、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2007年〈平成19年〉2月28日)は、日本の華族(旧佐賀藩国老、男爵)、地主。 長崎県北高来郡諫早村(現・諫早市)出身。諫早不二雄の長男、あるいは二男。1923年、襲爵する。 1924年6月に農務局がまとめた「五十町歩以上ノ大地主」によると、当時まだ幼少の英雄は田97.7町、畑23.3町、計121.0町の耕地をもち、面積では県内第4位の地主で、主な耕地は北高来郡内の10町村にまたがり、小作人は530戸である。 宗教は曹洞宗。住所は長崎県北高来郡諫早町、諫早市原西小路、東京市小石川区白山御殿町、世田谷区松原町。 諫早市の初代教育委員を務めた。
広津 雲仙(ひろつ うんせん、1910年〈明治43年〉10月… 広津 雲仙(ひろつ うんせん、1910年〈明治43年〉10月1日 - 1989年〈平成元年〉9月19日)は、昭和期に活躍し、日展内閣総理大臣賞や日本芸術院賞を受賞した書家。日展の要職を歴任し常務理事を務めたほか、日本書芸院の設立、読売書法会の創立に尽力した。また、書道雑誌『墨滴』を刊行すると同時に、墨滴会を主宰し、後進の育成に力を注いだ。長崎県北高来郡高来町出身(現、諫早市高来町)で、本名は廣津 四郎(ひろつ しろう)。雅号の「雲仙」は、長崎県の雲仙岳に由来する。 雲仙の作品は、堅実な古典的基礎の骨格を、穏和な肉付きで包んでいて、厳しい格調の高さや内的精神の強さが、気取りや誇張のない、やさしい品の良さで仕上げられている。
木原 通雄(きはら みちお、1909年〈明治42年〉3月30… 木原 通雄(きはら みちお、1909年〈明治42年〉3月30日 - 没年不明)は、日本の銀行役員、会社役員。みずほフィナンシャルグループ取締役兼執行役社長木原正裕、衆議院議員木原誠二は孫。 長崎県北高来郡諫早村(現・諫早市)出身。木原中三の長男。1933年、東京商大卒業。第一銀行に入る。1947年4月、安本に派遣され、長官高瀬荘太郎秘書となり同年6月同行に復帰し、丸ノ内支店長代理に就任、同支店次長、京都支店次長、一宮支店開設準備委員長、一宮支店長、外国部次長、有楽町丸ノ内各支店長を歴任する。 1956年11月、厚生部長に転じ、1958年3月、宇都宮支店長。1960年11月、人事部長。1962年4月、福岡支店長、同年5月取締役に就任。