狩生 聖真(かりう しょうま、2006年12月25日 - )… 狩生 聖真(かりう しょうま、2006年12月25日 - )は、大分県佐伯市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 佐伯市立明治小学校2年生のときに『佐伯スラッガーズ』で野球を始め、佐伯市立昭和中学校では軟式野球部に所属。3年春は県大会で優勝し、九州大会ベスト4。中学までは投手も兼任していたが、主に遊撃手であった。 佐伯鶴城高校へ進学すると、投手に専念し、1年夏の大分大会では背番号12でベンチ入り。1年秋は背番号1を付けたが、県大会では明豊との準決勝に敗れ、高田との3位決定戦にも敗れ、県4位であった。エースとして臨んだ2年夏の大分大会は鶴崎工業との3回戦で敗退。2年秋は背番号10を付け、県大会ではまたも明豊との準決勝に敗れたが、杵築との3位決定戦には勝利し、県3位であった。
古川 雄大(ふるかわ ゆうだい、2004年5月25日 - )… 古川 雄大(ふるかわ ゆうだい、2004年5月25日 - )は、大分県佐伯市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれる。佐伯市立上野小学校3年生の時に野球を始め、佐伯市立昭和中学校在学時は硬式野球のクラブチームである佐伯マリンボーイズに所属していた。 大分県立佐伯鶴城高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年夏は背番号20ながら4番を務めた試合もあり、同年秋から4番に定着した。3年夏の大分県大会、大分国際情報との初戦(2回戦)では9球団、25人のスカウトが視察に訪れた中で本塁打を含む3安打の活躍で勝利に貢献した。同大会ではベスト4まで勝ち上がったが、準決勝で大分舞鶴に逆転サヨナラ負けを喫した。
二田 理央(にった りお、2003年4月10日 - )は、大… 二田 理央(にった りお、2003年4月10日 - )は、大分県佐伯市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはフォワード(FW)。 佐伯リベロFCを経てサガン鳥栖U-18に入団し、2020年にはクラブユース選手権の優勝メンバーになった。2021年にはトップチームに2種登録され、6月23日のJ1第19節・横浜F・マリノス戦でJリーグデビューを果たした。 同年6月30日付でトップチームとプロ契約を締結すると、翌7月1日より当時オーストリア・ブンデスリーガ2部に所属していたFCヴァッカー・インスブルックの練習に参加。その後、7月15日付で同クラブのU-23チーム(3部所属)への期限付き移籍が決定した。
宇高 魁人(うたか かいと、1998年8月13日 - )は、… 宇高 魁人(うたか かいと、1998年8月13日 - )は、大分県佐伯市出身のサッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。 長崎総合科学大学附属高校時代に第95回全国高等学校サッカー選手権大会に出場している。 卒業後は東京国際大学に進学した。2021年、ヴェルスパ大分に加入。しかしこの年の8月にFC大阪(2021年はF.C.大阪)に移籍した。 2023年4月16日のJ3リーグ・FC岐阜戦で右腓骨遠位部骨折、右脛骨遠部骨折、右足関節内側側副靱帯及び右前脛骨腓靱帯損傷の全治3ヶ月のけがを負った。 2024年11月27日、FC大阪との契約満了を発表。 2025年1月10日、ラインメール青森への加入を発表。
中村 健人(なかむら けんと、1997年9月1日 - )は、… 中村 健人(なかむら けんと、1997年9月1日 - )は、大分県佐伯市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。Jリーグ・レイラック滋賀FC所属。 東福岡高校では、3年時に背番号「10番」を背負って高校サッカー選手権の優勝に貢献した。卒業後、明治大学へ進学。明治大学でも4年次に総理大臣杯、関東大学サッカーリーグ戦、インカレでそれぞれ優勝に貢献し、高校と大学でそれぞれタイトルを獲得した。 2019年9月、鹿児島ユナイテッドFCへの加入内定が発表された。 2021年11月30日、契約満了による退団が発表された。同年12月10日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場。
佐野 皓大(さの こうだい、1996年9月2日 - )は、大… 佐野 皓大(さの こうだい、1996年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校4年時に「佐伯リトルヤンキース」で軟式野球を始めると、佐伯市立鶴谷中学校時代には「大分南リトルシニア」でプレー。九州大会でベスト4を経験した。 大分高等学校への進学後は、1年生の秋にエースの座を確保すると、2年生の秋から「4番・投手」として投打にわたって活躍。明豊高校と対戦した3年夏の選手権大分大会決勝では、延長10回を投げて5失点ながら、打者として4打数3安打を記録。チームを春夏通じて初めての全国大会出場へ導いた。全国大会では日本文理高校との1回戦に「4番・投手」として先発したが、8回を投げて13安打で5失点。
岩﨑 知瑳(いわさき かずさ、1995年1月8日 - )は、… 岩﨑 知瑳(いわさき かずさ、1995年1月8日 - )は、大分県佐伯市出身のプロサッカー選手。九州サッカーリーグ・ジェイリースFC所属。ポジションはゴールキーパー。 2017年に福岡大学を卒業しJ3・鹿児島ユナイテッドFCに加入。チームがJ2に昇格した2019年は、背番号を29に変更した上で新体制メンバーに名を連ねていたが、シーズン開始前にFCマルヤス岡崎に期限付き移籍することとなった。2020年、鹿児島に復帰。 2021年12月1日、契約満了による退団が発表。12月10日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した 2022年、九州サッカーリーグに所属するジェイリースFCへ加入。
宇田 沙織(うだ さおり、現姓・石坂、1993年1月16日 … 宇田 沙織(うだ さおり、現姓・石坂、1993年1月16日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。 大分県佐伯市出身。小学2年のとき、近所のお姉さんに誘われたことをきっかけにバレーボールを始めた。 中学はバレーボール強豪校である諫早市立諫早中学校に進学。 高校は地元大分県の全国レベルの強豪校である東九州龍谷高等学校に進学。3年間、出番らしい出番はなかったが、最後の大会となる2011年1月の第63回全日本バレーボール高等学校選手権大会に出場し同校の春高四連覇に大きく貢献。 鹿屋体育大学に進学。 2014年12月1日、PFUブルーキャッツへの入団内定が発表された。同期入団は石橋朋美、清水眞衣ら。
戸高 弘貴(とだか ひろき、1991年11月18日 - )は… 戸高 弘貴(とだか ひろき、1991年11月18日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロサッカー選手。登録ポジションはミッドフィールダー。 中学校まで大分トリニータの下部組織でプレー。中学校卒業後は静岡学園高校を経て、立命館大学へ進学した。 2014年より、大学で同期の垣根拓也と共にFC町田ゼルビアへ入団。2014年12月26日に左膝軟骨損傷の手術 を受け、リハビリに励んでいたが2015年7月17日に再手術を受けたため、2015年J3シーズン、2016年J2シーズン共に出場機会は無かった。 2017年、3シーズンぶりの公式戦出場を果たすと、自己最多の6得点をマークした。2019年を以て契約満了により町田を退団した。
小野 寛智(おの ひろとも、1990年12月18日 - )は… 小野 寛智(おの ひろとも、1990年12月18日 - )は、2016年現在トップリーグのNTTコミュニケーションズシャイニングアークスに所属するラグビー選手。
日高 亮(ひだか りょう、1990年7月19日 - )は、大… 日高 亮(ひだか りょう、1990年7月19日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 大分県佐伯市立色宮小学校では5年生から色宮少年野球クラブで投手として野球を始めた。佐伯市立米水津中学校時代は軟式野球部に所属した。 日本文理大附高では1年の秋からベンチ入りを果たし、2年秋の県南リーグではノーヒットノーランを記録した。 2008年(3年春)は34年ぶりに大分県大会で優勝したが、九州大会では初戦敗退。大分大会では初戦の2回戦で大分高校に初回の3安打で2失点したものの2回以降無安打13奪三振の投球を見せて最速144km/hも記録した。チームは次の3回戦で敗退し、甲子園出場は叶わなかった。
丸山 文裕(まるやま ふみひろ、1990年7月1日 - )は… 丸山 文裕(まるやま ふみひろ、1990年7月1日 - )は、日本の陸上競技選手、専門は長距離種目。大分県佐伯市出身。旭化成陸上部所属。現在同部の主将を務める。 大分東明高校では主力選手として全国高校駅伝などで活躍。3年時の全国高校駅伝では、1学年下に既に頭角を現していた油布郁人(駒澤大学→富士通)がいたためチームのエースではなかったものの、4区を区間3位で走り、チームの5位入賞に貢献した。また、全国都道府県対抗駅伝にも大分県の代表として2年時、3年時と二度出場し、いずれも高校生最長区間の5区(8.5㎞)で区間3位と好走した。高校卒業後、大学には進学せず旭化成に入社。 旭化成入社後は着実に実力を付けていき、入社4年目の2013年2月の熊日30キロロードレースでは、川内優輝(埼玉県庁、当時)と熾烈な優勝争いを演じ、川内から遅れることわずか3秒でゴールし準優勝。
成迫 健児(なりさこ けんじ、1984年7月25日 - )は… 成迫 健児(なりさこ けんじ、1984年7月25日 - )は日本の陸上選手、政治家。大分県議会議員(2期)。 大分県佐伯市出身。2007年、ミズノに入社。2013年、地元の佐伯市に戻り、佐伯市役所職員として東京オリンピック出場を目指す公務員ハードラー。
嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ、1982年3月19日 - )… 嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ、1982年3月19日 - )は、大分県佐伯市出身で尾車部屋に所属した元大相撲力士。大分県立中津工業高等学校から日本体育大学体育学部武道学科卒業。本名は大西 雅継(おおにし まさつぐ)、愛称は本名の「マサツグ」。身長177cm、体重148kg、血液型はB型。現在は年寄・中村。星座は魚座、干支は戌年。好物は名古屋のうな丼。趣味はイカ釣り、睡眠、パソコン、ボウリング、相撲の話。得意技は突き・押し。尊敬する力士は千代大海。最高位は東関脇(2016年3月場所)。FacebookとTwitter、Instagramを利用している。また、2015年11月4日付けでブログを始めた。
梶川 善寛(かじかわ よしひろ、1978年4月17日 - )… 梶川 善寛(かじかわ よしひろ、1978年4月17日 - )は九州地方で活動する元ローカルタレント。佐伯市議会議員(1期)。 大分県佐伯市出身。血液型O型。 大分県立佐伯鶴城高等学校、熊本大学工学部物質生命化学科を経て、KBCテレビの情報番組『アサデス。九州・山口』の企画「アサデス農園」でデビュー。以降2006年3月まで同番組のレギュラーレポーターとして活躍した後、大分朝日放送『れじゃぐるテレビ』でレポーターを務めた。2014年4月4日より2021年2月26日まで大分朝日放送『JOKER DX』にてメインパーソナリティを務めた。 2021年4月4日告示の佐伯市議会議員選挙において無所属で立候補し、同年11日の投開票の結果、得票数1位の3,991票で初当選。
山田 和宏(やまだ かずひろ、1978年 - )は、日本の画… 山田 和宏(やまだ かずひろ、1978年 - )は、日本の画家。サロン・ドートンヌ会員。大分県蒲江町(現佐伯市)出身。1903年に設立されたフランスの美術展覧会サロン・ドートンヌ展での発表をはじめ、欧州・ニューヨークで作品を発表。 2019年に6大陸世界73カ国4300点超えの作品を対象に開催された、アメリカ合衆国ARC財団(en:Art Renewal Center)が主催する写実絵画世界公募展『14th International ARC Salon Competition』において、日本人初のChairman's Choice Award(ARC財団会長賞)を受賞。 2025年に米国ARC財団が参加するグローバル文化遺産プロジェクト「Lunar Codex」に選出される。
五十川 ゆき(いそがわ ゆき、1977年5月1日-)は、大分… 五十川 ゆき(いそがわ ゆき、1977年5月1日-)は、大分県佐伯市出身の演歌歌手。レコード会社は日本クラウン。所属事務所は株式会社 Jewel Star プロダクション。本名:五十川由紀(いそがわゆき)。 高校卒業後、父母の理解の元、福岡・東京で歌と演劇を勉強。ドラマ・V シネにも出演。その後地元に戻り2000年にNHKのど自慢に出場したことをきっかけに演歌に専念することを決意。地元の敬老会や歌謡ショーなどで活躍し、2005年にはカラオケ教室「YUKIミュージックスクール」を設立。また、カラオケ大会で九州大会最優秀賞を2年連続で受賞し、全国大会でも第3位を獲得。 2008年2月27日、作詞家・木下龍太郎のスカウトによりキングレコードより「十字架(クルス)の海/蛍火挽歌」を発売してメジャーデビュー。
河井 誠(かわい まこと、1974年4月24日 - )は、日… 河井 誠(かわい まこと、1974年4月24日 - )は、日本の俳優。大分県佐伯市出身。血液型A。身長165cm。井筒和幸監督作品 映画『のど自慢』(1999)のヒロインの相手役オーディションで選ばれデビュー。俳優デビュー前はジャニーズJr.の時代もありドリーム4プロモーション所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
今井 まこと(いまい まこと、1971年7月9日 - )は、… 今井 まこと(いまい まこと、1971年7月9日 - )は、日本の実業家。芸能タレント文化人プロダクションテイナーズ代表取締役及び芸能事務所株式会社ICH専務取締役を務める。萩本欽一とインターネット放送局「欽ちゃんネル」を手掛け、番組のエグゼクティグプロデューサーをも務める。大分県佐伯市出身。 大分県佐伯市で生まれ、父親は学校教員である。学生時代、美術・音楽活動に傾倒。高山辰雄賞や大分高校ロック選手権グランプリなど数々獲得する。1999年にITデザイン会社を起業し、福岡、東京と支店を出すも、リーマンショックの影響を受け2010年に倒産。数億の借金を背負いホームレスとなる。(当時、鬱病で自殺未遂を何度かしていると本人のFacebookで語っている。
川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - … 川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。妻は堀恵子。
西嶋 賢司(にしじま けんじ、1970年12月14日 - )… 西嶋 賢司(にしじま けんじ、1970年12月14日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 佐伯豊南高時代は安藤信二(当時・青野姓)とバッテリーを組み、3年次の夏に4番打者として大分県大会で決勝に進出するが、エース・川崎憲次郎擁する津久見高に敗れ準優勝に終わった。自身は、3割4分6厘の好打率をマークした。 1988年オフに、ドラフト外でロッテオリオンズに外野手として入団。打力を活かすための転向であったが、後に再び捕手に戻る。 しかし、一軍出場が無いまま1994年限りで現役を引退した。引退後は福岡県に転居し、野球塾を運営。2023年末には地元で安藤、川崎とともに少年野球の指導にあたった。
安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日 - )は、… 安藤 信二(あんどう しんじ、1970年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。現役時代は安藤 真児(読み同じ)の登録名も使用した。 佐伯豊南高では3年夏の県大会でエースとして西嶋賢司とのバッテリーで川崎憲次郎(津久見高)と投げ合うが敗れた。1988年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。 プロ入りと同時に投手から内野手に転向すると共に、「青野信二」から「安藤信二」に改姓した。プロ2年目の1990年に一軍初出場を果たす。 1992年の日本シリーズには代打で出場。1993年に「安藤真児」に改名した。1995年にはファームで首位打者のタイトルを獲得するなどしたが、一軍では主に代打での起用が目立った。
穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月2… 穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月24日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の前衆議院議員(3期)、株式会社ジョイフル第2代・第5代代表取締役社長。ジョイフル創業者の穴見保雄の長男。 同社顧問(元社長)でアメイズ副社長の児玉幸子は叔母、現社長の穴見くるみは妻、アメイズ現社長の穴見賢一は実弟である。 大分県佐伯市出身(現在は大分市中島西に在住)。大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校卒業。一浪後法政大学経済学部に進んだが中退。 1994年に父が経営するジョイフルに入社。1997年に地域子会社の中国ジョイフル(岡山県倉敷市)の社長に就任(ジョイフル本社はこの時点で一旦退職)。
野村 昭彦(のむら あきひこ、1968年8月30日 - )は… 野村 昭彦(のむら あきひこ、1968年8月30日 - )は、大分県佐伯市出身の元アマチュア野球選手(投手)、野球指導者。広島で監督を務めた野村謙二郎の弟。 佐伯鶴城高校では、1986年の夏の甲子園に出場し、エースとして活躍し、チームはベスト8に進んだ。高校卒業後に駒澤大学に進学して硬式野球部に所属し、東都大学野球リーグでは2度のリーグ優勝を経験した。 大学卒業後は、社会人野球の日本石油に入団し、都市対抗野球で2度の優勝を経験した。 その後は日本石油と駒澤大学でコーチを務め、2013年から2018年までに環太平洋大学の監督を務めた。2018年からは大学日本代表のコーチを務めている。その後は父親の介護のために退任し、地元へ戻っていたが2022年より監督に復帰した。
鶴羽 佳子(つるは よしこ、1968年3月31日 - )は、… 鶴羽 佳子(つるは よしこ、1968年3月31日 - )は、日本の政治家。北海道議会議員(1期)。元北海道放送のアナウンサー。社会福祉法人札幌恵友会理事。政治活動時の名前は鶴羽 芳代子(読み同じ)。現在の本名は佐藤 佳子(さとう よしこ)。 大分県佐伯市出身。大分県立佐伯鶴城高等学校、千葉大学教育学部小学校教員養成課程国語科専攻を卒業後、北海道放送にアナウンサーとして入社。番組中の料理コーナーでのハプニング「ささみとささげの勘違い」はハプニング大賞を受賞。同社を退社後、フリーアナウンサーとしてテレビ番組の司会やキャスター、研修講師などを行う。 その後、テレビ番組制作会社「オフィス鶴羽」(現・株式会社ボウス)を設立し、NHKの情報番組の制作を中心にテレビの仕事を行う。
盛田 賢司(もりた けんじ、1966年12月5日 - )は、… 盛田 賢司(もりた けんじ、1966年12月5日 - )は、日本の漫画家。大分県佐伯市出身。
野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - … 野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、元監督、野球評論家。
竹内 力(たけうち りき、1964年〈昭和39年〉1月4日 … 竹内 力(たけうち りき、1964年〈昭和39年〉1月4日 - )は、日本の俳優・タレント・歌手・映画プロデューサー・YouTuber。RIKIプロジェクト所属。大分県佐伯市出身。本名の読みは「たけうち ちから」。愛称は「力さん」、「力ちゃん」。 父は家具職人だった。大分県立佐伯豊南高等学校卒業。高校時代はサッカー部に所属。 高校卒業後、高校の恩師の勧めで、大阪に出て三和銀行淡路支店(現・三菱UFJ銀行淡路支店)に勤務する銀行員となった。銀行員時代に習得した札勘定の技術が彼の代表作『難波金融伝・ミナミの帝王』で大いに役立ったと語っている。髪型は高校時代からリーゼントをしており、銀行員時代も社風を無視してリーゼントで通した。
団塚 栄喜(だんづか えいき、1963年 - )は、日本の風… 団塚 栄喜(だんづか えいき、1963年 - )は、日本の風景司。大分県佐伯市大入島生まれ。 コンテンポラリーアートをバックボーンとした独創的な ランドスケープクリエイター。 1963年大分県生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、もの派を代表する現代美術家・関根伸夫に師事。1999年にEARTHSCAPE設立。「EARTHSCAPE(アースケイプ)」とは、宇宙から見た丸くて青い地球の姿。この言葉を自身の事務所名にしている団塚栄喜は、制作活動そのものが地球に還る持続可能なプロセスを重要視し、自らを〈風景司〉と名乗る。人と自然との関係性を創りだす事象をデザインと捉え、体験の媒体となるデザインワークを行う。
中鶴 勝祥(なかつる かつよし、1962年5月22日 - )… 中鶴 勝祥(なかつる かつよし、1962年5月22日 - )は、日本のアニメーター。大分県佐伯市出身。東映動画(現・東映アニメーション)出身で、現在はフリー。 高校卒業後、1981年に東映動画に入社。もっぱら海外との合作作品を担当していたが、「鳥山明の絵を描きたい」と自ら志願して、1986年に放映開始の『ドラゴンボール』では第4話より原画で参加して注目を受ける。『ドラゴンボールZ』では作画監督も経験し、魔人ブウ編以降の『Z』や『ドラゴンボールGT』、『ドクタースランプ』や『ドラゴンボールDAIMA』ではキャラクターデザインを担当。 さらに、Vジャンプ連載の漫画『ちょっとだけかえってきた Dr.スランプ』、『貯金戦士キャッシュマン』のリメイク版では作画も担当。
高槻真裕(たかつき まさひろ・1960年12月26日 - )… 高槻真裕(たかつき まさひろ・1960年12月26日 - )、作詞家、作曲家、編曲家、演奏家、音楽プロデューサー。社団法人日本音楽著作権協会会員。 大分県佐伯市出身。Black Tie Circuit Inc. 代表。Moon Cycle Records 代表。 学生時代よりアントニン・ドヴォルザーク、モデスト・ムソルグスキー、エクトル・ベルリオーズ等のクラシック音楽に傾倒。ゲオルク・ショルティに憧れ指揮者を目指す傍ら、精力的にロックバンド活動を展開。 1986年に発表した自主制作アルバム『女と男のアンソロジー』がきっかけとなり、翌年上京。初めて作品を提供した男闘呼組の1stスタジオ・アルバム『男闘呼組』が1988年日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。
榎 徹(えのき とおる、1959年2月4日 - )は、大分… 榎 徹(えのき とおる、1959年2月4日 - )は、大分県佐伯市出身の実業家。 株式会社大分フットボールクラブ(Jリーグ・大分トリニータ運営会社)取締役、ならびにJリーグ監事。 大分県立佐伯鶴城高等学校・九州大学法学部を経て、1982年に大分県職員に採用される。2008年開催のチャレンジ!おおいた国体では国体局・競技式典課主幹(式典担当)として運営に携わった。その後は商工労働部・雇用人材育成課参事、企画振興部文化スポーツ振興課長、東部振興局長などの役職を歴任した。 2016年1月にJリーグ・大分トリニータの運営会社である株式会社大分フットボールクラブの代表取締役に就任。なお就任が決まったのはリリースの1日前であった。
西田 和昭(にしだ かずあき、1958年7月16日 - )は… 西田 和昭(にしだ かずあき、1958年7月16日 - )は、大分県佐伯市出身の俳優、映画評論家、ゆーとぴあ・ホープ門下のお笑い芸人。本名並びに旧芸名は西田 和晃、ぼん西田。愛称は永らく「ぼんちゃん」。2010年7月以降『異母栗 ぼん』(いぼぐり ぼん)の異名も持つ。 中学時代に見た、ジャン=ルイ・バローの「天井桟敷の人々」を見てパントマイムにあこがれ、学園祭などで披露していた。第一経済大学在学中は、宮﨑重明(飛鳥涼)、柴田秀之(Chage)らと同窓。チャゲ&飛鳥は7名を加えたバンドで、そのメンバーらと共に活動していた。メジャーデビューにあたり2人だけが売り出される事になり、他の創立メンバーはチャゲ&飛鳥から放逐された(西田はバンドメンバーではないので直接の関係はない)。
山脇 恭二(やまわき きょうじ、1957年9月17日 - )… 山脇 恭二(やまわき きょうじ、1957年9月17日 - )は、日本の元体操選手。岐阜大学教育学部教授。娘に同じ体操選手の山脇佳奈がいる。 大分県佐伯市出身。佐伯市立彦陽中学校、大分県立佐伯鶴城高等学校、日本大学文理学部卒業。1984年ロサンゼルスオリンピック体操男子団体銅メダリスト。日本体育学会所属。 あん馬、つり輪、平行棒、鉄棒の技「ヤマワキ」に名を残している(体操競技の技名一覧)。
馬渡 龍治(まわたり たつはる、1957年7月26日 - )… 馬渡 龍治(まわたり たつはる、1957年7月26日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。 大分県佐伯市出身。上智大学卒業後、新菱冷熱工業に就職。衆議院議員鳩山邦夫の秘書をつとめる。2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では、東京15区から民主党公認で出馬する。無所属の元職柿沢弘治に大敗し落選。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では、神奈川4区から無所属で出馬する。再び大敗し、供託金を没収。 2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では、愛知3区から自由民主党公認で出馬する。民主党の前職近藤昭一に敗れるが比例東海ブロックで復活し初当選。 2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、再び自民党公認で愛知3区から出馬する。
今津 淳子(いまづ じゅんこ、1957年〈昭和32年〉5月2… 今津 淳子(いまづ じゅんこ、1957年〈昭和32年〉5月28日 - )は、大分県出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1985年(昭和60年)4月、埼玉県で失踪した。職業は保育士。失踪当時は27歳であった。非公式ながら、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にいる」という情報が寄せられている。 今津淳子は、1957年5月28日生まれ、大分県佐伯市上浦町出身。失踪時は、身長158センチメートル、体重59キログラム前後であった。色白で、額の中央に指先大の小さなアザがあった。近視のため普段はコンタクトレンズを使用していたが、眼鏡をかけることもあった。埼玉県深谷市の私立保育園で保育士として働いており、同市櫛引に所在する職員寮で生活していた。
今井 彰 (いまい あきら、1956年 - )は、元NHKエ… 今井 彰 (いまい あきら、1956年 - )は、元NHKエグゼクティブプロデューサー、作家。名古屋経済大学客員教授。大分県佐伯市出身[要出典]。 1980年、NHK入局。1991年、NHKスペシャル「タイス少佐の証言」を制作、文化庁芸術作品賞を受賞。1994年、NHKスペシャル「埋もれたエイズ報告」を制作、日本ジャーナリスト会議本賞、放送文化基金奨励賞を受賞。同作は東京地方裁判所で検証物・証拠として上映された[要出典]。2000年 - 2005年まで「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」制作統括を務めた。2005年、NHKエグゼグティブプロデューサーとなる。 2008年11月、東京都渋谷区の衣料品店で、Tシャツやマフラーなど4点を万引きした疑い。
松田 宏也(まつだ ひろなり、1955年12月28日 - )… 松田 宏也(まつだ ひろなり、1955年12月28日 - )は、日本の登山家。大分県佐伯市出身。 同志社大学の山岳同好会に所属し、アラスカのヘイズ山登頂などで経験を積む。卒業後は日本ペイントに就職。1979年に千葉県の市川山岳会に入会する。 1982年5月、市川山岳会隊の一員として中華人民共和国四川省の大雪山脈ミニヤコンカへの登頂に挑戦。同隊員の菅原信をパートナーとし、2人で頂上を目指すものの、悪天候に阻まれて下山。しかし頼みの綱であったサポート隊がキャンプを撤収して下山した後であったため、菅原と2人での下山を強いられる。途中、菅原は衰弱により下山することができず、単独での下山となった松田は山中を19日間さまよった末、満身創痍のところを地元民に発見され、奇跡的に生還を遂げた。
山野内 倫昭(やまのうち みちあき、1955年12月8日 -… 山野内 倫昭(やまのうち みちあき、1955年12月8日 - )は、カトリック教会の聖職者、サレジオ会士。カトリックさいたま教区の司教である。洗礼名は「マリオ」。 1955年12月8日、大分県佐伯市生まれ。1964年、家族と共にアルゼンチンへ移住。1975年、移住したアルゼンチンでサレジオ修道会に入会。1976年から1979年まで哲学と神学を学び、神学と教育学の学士号を修得。1984年1月31日に終生誓願、1984年12月21日に司祭に叙階された。叙階後、1985年から1988年まで、アルゼンチンのコルドバでサレジオ会哲学院で養成を担当。1988年から1991年まで、サレジオ会哲学院院長と管区評議員。
大鶴 基成(おおつる もとなり、1955年3月3日 - )は… 大鶴 基成(おおつる もとなり、1955年3月3日 - )は、日本の元検察官、弁護士。 大分県佐伯市出身。検察官として東京地方検察庁特別捜査部長、函館地方検察庁検事正、東京地方検察庁次席検事、最高検察庁公判部長などを歴任し、2011年8月に退官。弁護士登録し東京都港区のサン綜合法律事務所で客員弁護士として活動している。東京地方検察庁次席検事のときには、事実上陸山会事件の捜査の指揮を執ったと報じられた。部下の田代政弘らと共謀して虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、小沢一郎の起訴相当議決をさせたとして、偽計業務妨害罪で健全な法治国家のために声をあげる市民の会から告発されたが、嫌疑なしとして不起訴となった。
伊達 治一郎(だて じいちろう、1952年1月6日 - 20… 伊達 治一郎(だて じいちろう、1952年1月6日 - 2018年2月20日)は、日本のレスリング選手。大分県佐伯市出身。1976年モントリオールオリンピックレスリング男子74kg級金メダリスト。 統合により母校を引き継ぐ大分県立佐伯豊南高等学校の正門横庭園には伊達治一郎の記念碑が宗兄弟の記念碑「栄光の軌跡」とともに設置されている。
浅利 妙峰(あさり みょうほう、1952年 - )は、大分県… 浅利 妙峰(あさり みょうほう、1952年 - )は、大分県佐伯市の麹(こうじ)食品専門店・糀屋本店の9代目社長。「こうじ屋ウーマン」を名乗り、麹文化の普及と伝承活動を行っている。 1952年(昭和27年)、1689年(元禄2年)創業の糀屋本店の長女として生まれる。幼名は直美(なおみ)。 1973年(昭和48年)に糀屋本店に入社。時代の変化から味噌や醤油・甘酒は家庭で作るものから買うものに変化しており、麹の売り上げは年々減少、2005年には糀屋本店の8代目の幸一が体調を崩し、店の存続を迫られることになった。浅利は打開策を求め古い文献を読み漁り、江戸時代の文献『本朝食鑑』から漬物床としての「塩麹漬」の存在を知る。
田中 利明(たなか としあき、1951年(昭和26年)5月1… 田中 利明(たなか としあき、1951年(昭和26年)5月13日 - )は、日本の政治家。元大分県佐伯市長(2期)。元大分県議会議員(5期)、元佐伯市議会議員(4期)。 大分県佐伯市出身。1971年(昭和46年)3月、大分県立佐伯鶴城高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、宮崎大学農学部卒業。 1983年(昭和58年)4月、旧佐伯市議会議員選挙に立候補し初当選。4期連続当選。1999年(平成11年)4月、大分県議会議員選挙に立候補し初当選。 2002年(平成14年)11月、佐伯市長の小野和秀が任期途中で死去。これに伴って同年12月22日に行われた市長選挙に立候補するも、元市長の佐藤佑一に敗れ落選。
村上 憲郎(むらかみ のりお、1947年 - )は、日本の実… 村上 憲郎(むらかみ のりお、1947年 - )は、日本の実業家。システムエンジニア。豊の国かぼす特命大使。 大分県佐伯市出身。大分県立佐伯鶴城高等学校、京都大学工学部資源工学科卒業。 日立電子、DECを経て、Northern Telecom Japan代表取締役。2001年、ドーセントの日本法人を立ち上げる。 2003年4月1日より、Google米国本社副社長兼Google日本法人代表取締役に就任。2008年12月31日に退任し、2009年1月1日より同社名誉会長。現在は同社の経営からは退き、村上憲郎事務所代表を務めている。 2014年4月 東京工業大学学長アドバイザリーボード委員、大阪工業大学情報科学部客員教授に就任。
大石 弥太郎(おおいし やたろう、1943年10月6日 - … 大石 弥太郎(おおいし やたろう、1943年10月6日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
内田 恒二(うちだ つねじ、1941年10月30日 - )は… 内田 恒二(うちだ つねじ、1941年10月30日 - )は、日本の経営者。 大分県佐伯市出身。佐伯鶴城高等学校を経て、1965年に京都大学工学部精密工学科を卒業し、同年にキヤノンに入社。 カメラ開発部門に携わり、数多くの名機の開発にも携わっていた。1997年に取締役に就任し、常務、専務を経て、2006年に副社長に就任し、同年5月から2012年3月までに社長を務めた。2012年3月から相談役を務めた。 2012年から2014年までにビジネス機械・情報システム産業協会会長を務めた。
阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - )は… 阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
河野 正(かわの ただし、1936年5月29日 - 没年不詳… 河野 正(かわの ただし、1936年5月29日 - 没年不詳)は、大分県出身のプロ野球選手。 佐伯鶴城高校から、1955年に読売ジャイアンツへ入団。4年目の1958年に一軍公式戦初出場を果たすと、翌1959年に76試合に出場、5月30日の対中日ドラゴンズ戦で代打満塁本塁打を放つが、シーズンでは打率.160、1本塁打に留まる。その後も外野の控えとして1960年に68試合、1961年に20試合に出場するが、両年とも打率1割台に終わり、1961年限りで現役引退した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - … 御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - )は、日本の経営者・実業家。キヤノン代表取締役会長。 第6代、第8代キヤノン社長を経て、同会長。第2代日本経済団体連合会会長を務め、現在は名誉会長。内閣府経済財政諮問会議議員。若者の人間力を高めるための国民会議議長。鉄道貨物協会会長。読売新聞グループ本社監査役。ラグビーワールドカップ2019組織委員会会長。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会名誉会長。 大分県立佐伯鶴城高等学校から転入して東京都立小山台高等学校、中央大学法学部卒業。「財界総理」といわれる日本経済団体連合会会長職に私立大学出身者として初めて就任した。
坂本 義和(さかもと よしかず、1925年 - 没年不詳)は… 坂本 義和(さかもと よしかず、1925年 - 没年不詳)は、日本の社会運動家。「引揚を記念する舞鶴全国友の会」理事長、関西蒲江郷友会理事および教育報道新聞神戸市局長を歴任した。大分県蒲江町出身。 1945年(昭和20年)8月の終戦時、旧満州奉天第三方面軍司令部に所属していた。シベリア抑留(パフタラル収容所(現・ウズベキスタン)、カラカンダ収容所(現・カザフスタン)を経て、1948年(昭和23年)9月、舞鶴港に復員した。 帰国後は第百生命保険に勤務し、1985年(昭和60年)に定年退職する。 2006年には劇団四季がシベリア抑留を題材として上演した『ミュージカル異国の丘』の公演に招待された。