羽倉 信也(はぐら のぶや、1919年〈大正8年〉1月17日… 羽倉 信也(はぐら のぶや、1919年〈大正8年〉1月17日 - 2004年〈平成16年〉4月12日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取、第42代全国銀行協会会長、神社本庁理事。位階は従三位。 京都府生まれ。羽倉家の家系は千年前に迪ることができ、先祖代々京都伏見稲荷大社の社家(社務を司る家)であった。 慶應義塾大学予科に進み、英文学を極め、1941年(昭和16年)に同大経済学部卒業後、特殊銀行であった日本勧業銀行に入行。学生時代に培った英語力を活かし、アメリカの金融制度の翻訳や調査、戦後はGHQに提出する資料の作成に携わる。銀行員生活の大半を国際畑で過ごし、ニューヨーク支店長などを歴任し、1968年(昭和43年)に取締役丸の内支店長。
石井 冨士雄(いしい ふじお、1919年1月16日 - 20… 石井 冨士雄(いしい ふじお、1919年1月16日 - 2007年9月5日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。岩手県和賀郡沢内村(現西和賀町)出身。 1943年9月に東北帝国大学法学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1946年3月に大蔵省に入省。1968年4月に岩手銀行常務に就任し、1974年11月に専務を経て、1977年12月には頭取に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に退いた。 2007年9月5日、心不全で死去。
小熊 孝次(こぐま こうじ、1918年12月18日 - 20… 小熊 孝次(こぐま こうじ、1918年12月18日 - 2015年7月6日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。神奈川銀行頭取、会長を務めた。北海道出身。 1939年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に大蔵省に入省。 東京税関長、会計検査院参事官などを経て、1970年2月に会計検査院事務総局次長に就任。1971年10月に住宅金融公庫理事に就任し、1972年8月から1977年11月までに副総裁を務めた。1977年12月に神奈川相互銀行社長に就任し、1989年4月には神奈川銀行頭取に就任。1989年6月から会長を務めた。 1990年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2015年7月6日病気のために死去。96歳没。
服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1… 服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1999年11月29日)は、日本の銀行家、実業家。日本人初の世界銀行副総裁。 服部岱三・芳枝夫妻の長男として1918年(大正7年)三重県三重郡三重村(現:四日市市)に生まれる。幼少時は父の海外転勤に従いロンドンで7年間、上海で3年間を過ごした。長崎県の旧制大村中学校、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。卒業後台湾銀行に入行したがすぐ海軍予備学生となり、海軍大尉としてラバウルで終戦を迎え、そのまま現地で日本人戦犯の弁護人も務めた。 47年復員後日本銀行に入行。1950年フルブライト基金によりミネソタ大学大学院にて留学し財政、金融を学ぶ。
松尾 保司(まつお やすじ、1918年(大正7年)9月28日… 松尾 保司(まつお やすじ、1918年(大正7年)9月28日 - 2015年(平成27年)5月9日 )は、日本の銀行家。七十七銀行頭取を務めた。 岐阜県出身。1942年に京都帝国大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。外為局調査役、高松、福岡各支店次長、青森支店長を歴任。 1965年10月、七十七銀行に迎えられ、常務に就任。1967年4月に専務、1972年4月に副頭取、1982年4月には頭取に昇格。1987年4月に常任相談役に退き、1992年4月に非常勤相談役。 2015年5月9日、誤嚥性肺炎のため死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河合 英一(かわい えいいち、1918年 <大正7年> 9月… 河合 英一(かわい えいいち、1918年 <大正7年> 9月6日 - 2004年 <平成16年> 2月3日)は、日本の銀行家。阿波銀行頭取、会長を務めた。位階は従五位。 愛知県豊橋市出身。1942年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年9月に日本銀行に入行。1970年5月に阿波銀行専務に就任し、1971年12月に副頭取を経て、1973年4月には頭取に就任。1986年6月に会長を経て、1994年6月には相談役に就任。 1980年11月に藍綬褒章を受章し、1988年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年2月3日肺炎のために死去。85歳没。死没日付をもって正七位から従五位に進階した。
市川 慶三(いちかわ けいそう、1918年7月8日 - 20… 市川 慶三(いちかわ けいそう、1918年7月8日 - 2003年4月13日)は、日本の銀行家。 石川県羽咋郡志雄町(現宝達志水町)出身。1938年に早稲田大学専門部商科を卒業し、同年に朝鮮殖産銀行に入行。 1945年12月に宇部信用組合を経て、1952年6月には西日本相互銀行に転じ、1970年5月に取締役に就任。1973年7月に常務、1975年12月に専務を経て、1978年2月に副社長に就任し、1982年10月には社長に昇格。1984年4月には普通銀行に転換した西日本銀行頭取に就任。1988年6月に会長に就任し、1995年6月に常任相談役を経て、1996年6月には相談役に就任。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。
井上 信一(いのうえ しんいち、大正7年(1918年)1月2… 井上 信一(いのうえ しんいち、大正7年(1918年)1月24日 - 平成12年(2000年)2月24日)は、日本の銀行家、仏教思想家。 熊本県出身。元宮崎銀行頭取。高千穂商科大学理事。「仏教経済学」を研究。 父は内務官僚(元兵庫県警察部長)の井上政信。母は元鉄道大臣小川平吉の長女。叔父井上春成は元工業技術庁長官。 小学校の五年と六年の時に、両親が続けざまに亡くなる。1930年高千穂小学校卒業、1941年東京帝国大学経済学部卒業、日本銀行に入る。1971年同行貯蓄推進部長より宮崎銀行に転じ副頭取、頭取、相談役を歴任。1983年同行を辞す。 仏教経営フォーラム会長、仏教振興財団理事長、地球主義学会会長、高千穂商科大学理事を務める。
堀 太郎(ほり たろう、1917年 <大正6年> 12月25… 堀 太郎(ほり たろう、1917年 <大正6年> 12月25日 - 1995年 <平成7年> 11月17日 )は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 京都府京都市出身。1943年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1968年7月に経済企画庁審議官、1970年7月に本州四国連絡橋公団理事、1973年6月に世界銀行日本代表理事兼大蔵省顧問兼外務省参与を経て、1976年12月に十八銀行に転じ、副頭取に就任し、1983年10月には頭取に昇格した。1990年2月には会長に就任。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1995年11月17日、心不全のために死去。
氏家 卓也(うじいえ たくや、1917年〈大正6年〉11月2… 氏家 卓也(うじいえ たくや、1917年〈大正6年〉11月24日 - 2008年〈平成20年〉11月15日)は、日本の実業家、銀行家。ダイヤモンドリース(現・三菱HCキャピタル)社長。 宮城県出身。氏家清吉の二男。1943年、東北大学法学部卒業。三菱銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。摩耶に配属。経理学校付第12期見習尉官隊指導官付に転任。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進し、川棚海軍工廠会計部兼水雷部部員として終戦を迎えた。 解員(復員)後、三菱銀行に復帰し、外資部次長や鉄鋼ビル支店長等を歴任。
山室 勇臣(やまむろ ゆうしん、1917年(大正6年)8月3… 山室 勇臣(やまむろ ゆうしん、1917年(大正6年)8月31日 - 2016年(平成28年)2月27日)は、日本の銀行家、教育者。三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)副頭取を務めた後、財団法人国際教育振興会理事長、ダイヤモンドリース(現・三菱HCキャピタル)社長・会長・相談役、国際大学第4代理事長。 東京府生まれ。陸軍中将・山室宗武の次男。 大東亜戦争の勃発した前年の1940年(昭和15年)7月、第七回日米学生会議では、宮澤喜一(東京帝国大学)、山崎秀之(神戸商科大学)、苫米地俊博(東京商科大学)の3名と共に日本側学生として参加。総務委員長を務めたが、特高警察が「この国家非常時に、毛唐と一緒に騒ぎ立てるとは何事か」と叱責を受ける。
中込 達雄(なかごめ たつお、1917年5月5日 - 没年不… 中込 達雄(なかごめ たつお、1917年5月5日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。泉州銀行頭取を務めた。 山梨県出身。1944年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に大蔵省に入省。1966年に大臣官房会計課長、1969年に関東財務局長、1970年に住宅公団理事を経て、1972年には泉州銀行副頭取に就任し、1974年11月には頭取に昇格。1993年5月に会長、1996年6月に取締役相談役名誉会長、1998年6月に相談役名誉会長、1999年6月に顧問を経て、2000年6月には名誉顧問に就任。 2004年4月に瑞宝中綬章を受章。
田場 典正(たば てんせい、1917年 <大正6年> 3月2… 田場 典正(たば てんせい、1917年 <大正6年> 3月28日 - 2006年 <平成18年> 11月2日)は、日本の銀行家。琉球銀行頭取を務めた。位階は正五位。 沖縄県出身。1941年に早稲田大学商学部を卒業し、1942年に日本通運を経て、1948年6月に琉球銀行に入行。1972年1月に専務に就任し、1981年6月には頭取に昇格。1985年6月に会長に就任し、1994年6月には取締役相談役に退いた。 1987年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2006年11月2日に肺炎のために死去。89歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
谷 信一(たに しんいち、1917年3月14日 - 1980… 谷 信一(たに しんいち、1917年3月14日 - 1980年9月6日)は、日本の銀行家。生え抜き初の東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取を務めたが、病気で退任した。正四位勲二等瑞宝章。藍綬褒章受章。 岐阜県出身。1937年に名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業し、同年に愛知銀行に入行。歴代頭取が日本銀行出向者に占められる中、1975年5月から生え抜きの初の東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取を務めたが、1980年に急病で頭取職を同窓たる加藤隆一に譲り退任した。1979年藍綬褒章受章。1980年正四位勲二等瑞宝章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山崎 勲(やまざき いさお、1917年3月12日 - 199… 山崎 勲(やまざき いさお、1917年3月12日 - 1999年10月31日)は、日本の経営者、銀行家。関西相互銀行社長を務めた。 熊本県出身。1940年に神戸商業大学を卒業し、同年に住友銀行に入行。1967年11月に取締役に就任し、1972年1月から1974年5月までに常務を務めた。。銀泉社長、大和ハウス工業監査役を歴任し、1978年12月には関西相互銀行社長に就任。1986年6月に会長を経て、1994年6月には関西銀行相談役に就任。 1987年4月に勲四等瑞宝章を受章。 1999年10月31日脳梗塞のために死去。82歳没。
岡野 喜一郎(おかの きいちろう、1917年2月19日 - … 岡野 喜一郎(おかの きいちろう、1917年2月19日 - 1995年8月13日)は、日本の経営者、銀行家。駿河銀行頭取、会長を務めた。静岡県沼津市出身。 1941年に慶應義塾大学法学部を卒業。三井銀行での勤務を経て、1949年に駿河銀行に転じ、1954年11月に取締役に就任し、1958年に常務、1963年に専務を経て、1964年8月には頭取に就任した。1981年3月に会長に就任。 1995年8月13日心不全のために死去。78歳没。
大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 … 大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 - 1983年(昭和58年)8月30日頃)は、日本の銀行家。北洋相互銀行取締役社長、日本銀行事務管理部長、北海道経営者協会会長などを歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡中学校を経て、1941年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業と同年に日本銀行に入行する。学生時代は年間百日以上も山登りに費やしたが、高橋泰蔵ゼミナールでは抜群の成績で、入行後も、2度ぐらい大学に戻らぬかといわれた逸材であった。 1953年に通商産業省に出向する。日銀に戻って外国為替局次長、新潟支店長を歴任後、1964年から札幌支店長を務め、大学同窓の森鼻武芳(のちに北海道銀行頭取)とゴルフや囲碁を嗜み、交遊を持つようになる。
吉田 雄三(よしだ ゆうぞう、1916年 <大正5年> 8月… 吉田 雄三(よしだ ゆうぞう、1916年 <大正5年> 8月8日 - 1992年 <平成4年> 1月25日)は、日本の経営者、銀行家。山陰合同銀行頭取を務めた。位階は正五位。 山形県出身。1940年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1967年4月に日本開発銀行理事を経て、1973年11月に山陰合同銀行に転じ、副頭取に就任し、1975年12月には頭取に昇格した。1983年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1989年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1992年1月25日、脳出血のために死去。75歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
山本 勝孝(やまもと かつたか、1916年6月6日 - 19… 山本 勝孝(やまもと かつたか、1916年6月6日 - 1991年4月7日)は、日本の経営者、銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。 東京都出身。1941年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、1942年1月に日本銀行に入行。1970年5月に武蔵野銀行常務に就任し、1976年6月に専務、1978年11月に副頭取を経て、1979年2月から1983年6月までに頭取を務めた。 1991年4月7日、急性心不全のために死去。74歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
渡辺 孝友(わたなべ たかとも、1916年5月22日 - 1… 渡辺 孝友(わたなべ たかとも、1916年5月22日 - 1986年12月17日)は、日本の銀行家、経営者。島根県大田市出身。 1939年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年4月に日本銀行に入行。長崎支店長、総務部長を経て、1966年6月に営業局長に就任し、1968年1月から1975年2月までに理事を務めた。1975年4月に日本開発銀行副総裁に就任し、1979年4月には総裁に昇格した。 1986年12月17日脳内出血のために死去。70歳没。
池浦 喜三郎(いけうら きさぶろう、1916年(大正5年)4… 池浦 喜三郎(いけうら きさぶろう、1916年(大正5年)4月21日 - 1998年(平成10年)11月9日)は、日本の銀行家。日本興業銀行(現:みずほフィナンシャルグループ)頭取、同会長を歴任し、中山素平後の興銀で一時代を築いた。 和歌山県出身。1939年(昭和14年)東京帝国大学法学部を卒業し、日本興業銀行に入行。取締役名古屋支店長、常務取締役、副頭取を経て、1975年(昭和50年)第4代興銀頭取に就任。頭取時代には、それまでの国内における重厚長大産業向け中心であった興銀の融資を転換し、海外支店網を拡大し、興銀の国際化路線を強力に推進した。こうして興銀は海外のリゾート施設建設や第二パナマ運河構想などを手がけることとなる。
守分 勉(もりわけ つとむ、旧姓藤井、大正5年(1916年)… 守分 勉(もりわけ つとむ、旧姓藤井、大正5年(1916年)4月19日 - 平成12年(2000年)8月16日)は、日本の銀行家。元中国銀行頭取・会長。 中国地方各地で、税務署長を務めた地主藤井宇一郎の5男として、広島県深安郡千田村(現福山市)で生まれる。 京都帝大卒後、神戸海上保険勤務を経て守分家の婿養子となる。 1948年(昭和23年)中国銀行入行。支店長、役員等歴任。義父である守分十の死去に伴い、頭取に就任する。 頭取在任時は、自主健全経営を堅持したほか、時代に即応した経営戦略を打ち出し人事諸制度の整備、改革の実施、事務管理体制の強化、店舗網の整備拡充、総合オンライン体制への移行や相次ぐ関連会社の設立などの施策を講じた。
山田 時雄(やまだ ときお、1916年2月3日 - 2001… 山田 時雄(やまだ ときお、1916年2月3日 - 2001年5月20日)は、日本の経営者、銀行家。阪神相互銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1939年に神戸商科大学を卒業し、同年に神戸銀行に入行。1945年に川西機械製作所を経て、1952年に阪神相互銀行に転じ、1962年5月に取締役に就任し、1967年5月に常務、1973年5月に専務を経て、1975年5月に社長に就任。1981年6月に会長、1983年6月に取締役相談役、1985年6月相談役を経て、同年12月には顧問に退いた。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲四等瑞宝章を受章。 2001年5月20日肺炎のために死去。85歳没。
氏家 栄一(うじいえ えいいち、1915年(大正4年)12月… 氏家 栄一(うじいえ えいいち、1915年(大正4年)12月12日 - 2002年(平成14年)12月6日)は、日本の銀行家。七十七銀行会長、頭取。 四代目氏家清吉(七十七銀行頭取)の長男として、宮城県伊具郡角田町(現・角田市)に生まれる。 1940年(昭和15年)、短期現役海軍主計科士官(4期)に志願。同年5月、海軍経理学校に入校して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。重巡「摩耶」庶務主任などを務めた。1945年(昭和20年)5月、海軍主計少佐に進級して終戦を迎えた。 日銀勤務を経て、頭取だった父・清吉の死去に伴い、七十七銀行に副頭取として入行。1970年(昭和45年)には、頭取に昇格する。 トップ在任時においては、経営の近代化に努め、1972年(昭和47年)の東証2部上場(翌年1部に指定替え)、現本店ビルの竣工等を実現。
片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月… 片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本の銀行家。北都銀行取締役相談役、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 秋田県湯沢市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、三菱商事入社。 1949年(昭和24年)には、父である片野重脩が設立を主導した秋田無尽に入社。その後、秋田相互銀行社長に就任した。 社長在任時は、1976年(昭和51年)の事務センターの開館、翌年にはオンラインシステムの稼動開始など事務のOA化を促進し体制の整備にあたった。また、1982年(昭和57年)には現在の北都ビルディングにあたる「新本店ビル」の竣功にこぎ着けた。
森鼻 武芳(もりはな たけよし、1915年(大正4年)9月9… 森鼻 武芳(もりはな たけよし、1915年(大正4年)9月9日 - 1998年(平成10年)10月6日)は日本の大蔵官僚、銀行家。北海道銀行頭取を17年間務めたほか、全国地方銀行協会副会長や日本カーリング協会会長、北海道公安委員会委員長等も務めた。 東京出身。1941年に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、大蔵省入省。理財局属。入省同期には柏木雄介(東京銀行頭取、財務官)、加治木俊道(関西電力副社長、証券局長)、塩崎潤(総務庁長官、経済企画庁長官、主税局長、国税庁次長)らがおり、のちにこれらのメンバーとともに太平洋戦争開戦に備えた敵産管理法案の策定作業をおなこなった。1942年2月、ジャワ軍政監部財務部に転任。
田川 孝治(たがわ こうじ、1915年 <大正4年> 8月3… 田川 孝治(たがわ こうじ、1915年 <大正4年> 8月3日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。鳥取銀行頭取を務めた。 大阪府出身。1939年に大阪商科大学を卒業し、同年に三和銀行に入行した。1971年11月にオリエント・リース副社長を経て、1973年5月に鳥取銀行副頭取に就任し、1980年6月には頭取に昇格した。1987年6月には取締役相談役に就任。1988年6月には今橋興業会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山田 春(やまだ はじめ、1915年(大正4年)3月5日 -… 山田 春(やまだ はじめ、1915年(大正4年)3月5日 - 2004年(平成16年)8月16日)は、日本の銀行家。三菱銀行頭取を務めた。愛知県出身。 1936年に高文司法科に合格。1937年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行した。 仙台支店長、本店営業部次長、考査室長兼調査部副部長、調査部長兼考査室長、人事部長兼研修所長を歴任。 1966年11月に取締役に選任。1970年5月に常務、1974年1月に専務、同年12月に副頭取、1978年1月に頭取に就任した。1986年6月に会長に退き、相談役を経て、1998年4月には特別顧問に就任した。また全国銀行協会連合会会長も歴任した。 2004年8月16日、心不全のため、東京都中央区内の病院で死去。
飯田 良一(いいだ りょういち、1914年9月10日 - 1… 飯田 良一(いいだ りょういち、1914年9月10日 - 1979年2月6日)は、日本の経営者、銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。新潟県出身。 1937年に高等文官試験行政科司法科に合格、1938年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年大蔵省に入省。1963年5月から1966年9月までに国民金融公庫理事を務めた。1966年11月に武蔵野銀行専務に就任し、1968年11月に副頭取を経て、1977年6月には頭取に就任。 1979年2月6日、がん性腹膜炎のため在任中に死去。64歳没。
伊村 光(いむら ひかり、1914年8月12日 - 1996… 伊村 光(いむら ひかり、1914年8月12日 - 1996年10月15日)は、日本の銀行家。山口銀行頭取を務めた。 山口県出身。1935年に山口高等商業学校を卒業し、同年に百十銀行に入行。1944年3月に山口銀行に転じ、1960年4月に取締役、1967年4月に常務、1970年4月に専務を経て、1974年5月には頭取に就任。1992年6月から会長を務めた。 1983年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1996年10月15日呼吸不全のために死去。82歳没。
村上 素男(むらかみ もとお、1914年8月6日 - 200… 村上 素男(むらかみ もとお、1914年8月6日 - 2004年5月11日)は、日本の経営者、銀行家。東京都民銀行頭取を務めた。 東京都出身。1938年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1962年に取締役、1965年に常務を経て、1972年2月に東京都民銀行専務に就任し、1973年5月に副頭取を経て、1976年8月には頭取に就任。1979年6月から1982年6月までに会長を務めた。1983年3月から1988年3月に日本銀行政策委員を務めた。 1980年11月に藍綬褒章を受章。 2004年5月11日心不全のために死去。89歳没。
葛西 清美(かさい きよみ、1914年(大正3年)4月10日… 葛西 清美(かさい きよみ、1914年(大正3年)4月10日 - 1995年(平成7年)2月20日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取、青森朝日放送初代社長を務めた。 青森県出身。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)、東北帝國大学法学部法律学科を卒業後、東北興業に入社。子会社等を担当する。 その後、持病を再発したこともあり、前夫人の祖父にあたる唐牛敏世のすすめで弘前無尽(弘前相互銀行の前身)に入社する。入社早々、いきなり支配人兼営業部長をまかせられ困惑したという。役員昇格後は、主に内部改革をまかせられ、コンピューターを業界に先駆けて導入するなどして、弘前相銀は、バイタリティあふれる相互銀行として急成長を果たした。
長谷川 吉郎(はせがわ きちろう、1913年(大正2年)10… 長谷川 吉郎(はせがわ きちろう、1913年(大正2年)10月31日 - 1995年(平成7年)5月16日)は、日本の銀行家。元山形銀行頭取、会長。 長谷川吉三郎(吉弥)山形銀行頭取の子として、山形県山形市に生まれる。 慶大卒後、従軍、各社役員を経て、両羽銀行に入行。1972年(昭和47年)には、15年あまり頭取を務めた三浦弥太郎の後任として昇格する。 トップ在任中は経営の近代化に努め、1973年(昭和48年)の東証2部上場(1975年(昭和50年)1部に指定替え)を実現。山形県下の企業としては初の東証上場を成し遂げた。また、第一次オンラインシステムの構築、ファームバンキングシステムの開発、地区センター設置も手がけたほか、いわゆるオイルショックを卓越した経営手腕により無事に乗り切った。
松澤 卓二(まつざわ たくじ、1913年(大正2年)7月17… 松澤 卓二(まつざわ たくじ、1913年(大正2年)7月17日 - 1997年(平成9年)9月8日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長のほか、全国銀行協会連合会会長、経済団体連合会、日本経営者団体連盟副会長等を歴任した。その風貌と行動力がフランスの英雄を彷彿させるとして金融界のナポレオンと呼ばれた。 東京・日本橋蛎殻町に生まれる。父は弁護士で裕福な家庭に育った。 東京府立第六中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 安田財閥の持株会社である安田保善社の入社試験に合格し、富士銀行の前身となる安田銀行に入行。初任地として馬喰町支店に配属となる。その後、赤紙が来て満州に渡り、幹部候補生学校に入学し、少尉に任官となる。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1913年7月13日 - 199… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1913年7月13日 - 1995年4月2日)は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。愛知県名古屋市出身。 1936年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行した。中央信託銀行常務、日本興業銀行常務、日本冶金工業会会長などを経て、1974年に日本債券信用銀行頭取に就任。1979年に顧問に就任。 1978年に藍綬褒章を受章。 1995年4月2日脳梗塞のために死去。81歳没。
中井 正一(なかい まさかず、1913年 <大正2年> 2月… 中井 正一(なかい まさかず、1913年 <大正2年> 2月21日 - 1993年 <平成5年> 7月30日)は、日本の経営者、銀行家。北國銀行頭取を務めた。位階は従五位。 香川県出身。1935年に早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年4月に日本銀行に入行。1958年11月に北國銀行に転じ、専務に就任し、1964年11月に副頭取を経て、1968年11月には頭取に昇格した。1978年12月に会長を経て、1984年6月には顧問に退いた。 1976年11月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1993年7月30日、北アルプスで下山途中で遭難し、死亡。80歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
磯田 一郎(いそだ いちろう、1913年1月12日 - 19… 磯田 一郎(いそだ いちろう、1913年1月12日 - 1993年12月3日)は、日本の銀行家、元ラグビー日本代表選手。 住友銀行頭取・会長、経団連副会長などを歴任した日本を代表する銀行家で、住銀の高収益体質を確立し都市銀行上位行に発展させるなどの功績を挙げるなど、「住友銀行中興の祖」「住友銀行の天皇」と称された。しかし晩年には住銀と反社会的勢力の関係を近づけさせてしまうなど負の側面が目立ち、最終的にイトマン事件が原因で引責辞任した。 海軍軍人だった父親の赴任先、京都の舞鶴に生まれ、父が退役後、岡山の三井物産船舶部(後の商船三井)に入社したため岡山で育つ。岡山市立内山下小学校から旧制岡山一中(後の岡山県立岡山朝日高等学校)に進むが、父の転勤で旧制第二神戸中学校(のち兵庫県立兵庫高等学校)に転校。
栗林 四郎(くりばやし しろう、1912年10月19日 - … 栗林 四郎(くりばやし しろう、1912年10月19日 - 1992年5月24日)は、日本の経営者、銀行家。京都銀行頭取を務めた。大分県出身。 1935年に京都帝国大学を卒業し、朝鮮銀行での勤務を経て、1946年に大蔵省に入省。1951年に京都銀行に転じ、1953年に常務に就任し、1972年に頭取に就任。1979年には会長に就任。 1992年5月24日肺炎のために死去。79歳没。
美馬 儀一郎(みま ぎいちろう、1911年(明治44年)11… 美馬 儀一郎(みま ぎいちろう、1911年(明治44年)11月14日 - 2009年(平成21年)4月6日)は、日本の銀行家。阿波銀行頭取、徳島商工会議所会頭。高松高等商業学校卒業。徳島県徳島市出身。旧名・勤一。 徳島市の豪商・美馬家に生まれる。父は祖父美馬儀一郎の養子・美馬弘美、母は祖父の二女・久で、その長男。父が離縁となり、祖父の死後、1939年8月に家督を相続した。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岡 一雄(おか かずお、1911年9月5日 - 1986年8… 岡 一雄(おか かずお、1911年9月5日 - 1986年8月28日)は、日本の経営者、銀行家。足利銀行社長を務めた。島根県平田市出身。 1933年に高等文官試験行政科に合格し、1934年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。 1958年に中小企業金融公庫理事を経て、1960年11月に足利銀行常務に就任し、1961年11月に専務、1972年5月に副頭取を経て、1974年4月には社長に就任。1978年6月から1982年6月までに特別顧問を務めた。 1981年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 1986年8月28日脳梗塞のために死去。74歳没。
前野 直定(まえの なおさだ、1911年〈明治44年〉1月2… 前野 直定(まえの なおさだ、1911年〈明治44年〉1月21日 - 1971年〈昭和46年〉7月24日)は、日本の銀行家。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問 。 1911年(明治44年)3月8日、吉本家の男子として、高知県高知市鷹匠町2に生まれる。のち前野家を継いで姓を改む。 高知県立高知城東中学校(現・高知追手前高校)卒業後、旧制高知高等学校を経て、1935年(昭和10年)、東京帝国大学法学部法律学科に学ぶ。東京帝大法学部法律学科在学中に高等試験行政科に合格。 東京帝大法学部法律学科を卒業後、横浜正金銀行に入り、1941年(昭和16年)、大蔵省に入省。為替局属。1944年(昭和19年)4月、総務局。
西園寺 不二男(さいおんじ ふじお、1910年11月26日 … 西園寺 不二男(さいおんじ ふじお、1910年11月26日 - 1986年5月31日)は、日本の銀行家。西園寺家第39代当主。 1910年11月26日、東京府にて宮内省の官僚・西園寺八郎の三男として誕生。1935年、東京帝国大学経済学部を卒業し日本銀行に入行。 兄の公一がゾルゲ事件に連座して廃嫡されたことによって新たに西園寺家の相続人となったが、1946年の父・八郎の死後、襲爵手続きは行わなかった。なお、華族制度は翌1947年に廃止された。 第二次世界大戦後は、日銀資金局復興金融課長等を務め、1952年に日銀を退職し、同年8月、義父・鮎川義介が経営権を持っていた中小企業助成銀行(現・三井住友銀行)の頭取に就任。
森永 貞一郎(もりなが ていいちろう、1910年9月9日 -… 森永 貞一郎(もりなが ていいちろう、1910年9月9日 - 1986年5月30日)は日本の大蔵官僚、銀行家。元大蔵事務次官、第5代東京証券取引所理事長、第23代日本銀行総裁。 妻は南洋庁長官・田原和男の長女で若槻禮次郎元首相の孫娘に当たる。 宮崎県小林市出身。父・貞右衛門は町会議員・商工会長などを務めた。宮崎・小林中学、第五高等学校を経て、1932年に東京帝国大学法学部を卒業。同年、大蔵省に入省。主税局属。戦時中は理財局金融課長や理財局証券課長、総合計画局参事官、大臣官房文書課長等を歴任し、戦後は経済安定本部総裁官房次長、長沼弘毅次官の下で大臣官房長を務め、1953年8月に主計局長、1957年5月に大蔵事務次官に就任。
福島 武二(ふくしま たけじ、1910年5月31日 - 19… 福島 武二(ふくしま たけじ、1910年5月31日 - 1971年12月1日)は、日本の銀行家。阿波銀行頭取を務めた。徳島県出身。 神戸商業大学を卒業し、1934年に阿波商業銀行(のちの阿波銀行)に入行した。 1947年に取締役に就任し、1948年に常務、1965年5月に専務を経て、1967年11月には頭取に就任。 1971年12月1日腹膜炎により死去。61歳没。
中村 俊男(なかむら としお、1910年(明治43年)1月7… 中村 俊男(なかむら としお、1910年(明治43年)1月7日 - 1998年(平成10年)12月23日)は、日本の銀行家。三菱銀行頭取、会長を務めた。 東京出身。1932年に東京帝国大学法学部を卒業し、三菱銀行に入行。 ニューヨーク支店長、外国部次長、丸ビル支店長、調査部長、名古屋支店長を歴任。 1960年取締役に選任。常務、副頭取を経て、1970年10月から1978年1月までに頭取を務め、1978年1月から1986年6月までに会長を務めた。 全国銀行協会連合会会長、経済団体連合会副会長、東京三菱銀行相談役・特別顧問、三菱総合研究所取締役、ホテルオークラ監査役なども歴任した。 1998年12月23日、心不全のために死去。
近藤 敬四郎(こんどう けいしろう、1910年 <明治43年… 近藤 敬四郎(こんどう けいしろう、1910年 <明治43年> 1月2日 - 1991年 <平成3年> 4月2日)は、日本の経営者、銀行家。新潟県長岡市出身。位階は従五位。 1936年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に六十九銀行(のちの北越銀行)に入行。 1965年11月に取締役に就任し、1968年12月に常務、1972年11月に専務を経て、1977年6月には頭取に就任。1981年6月には相談役に就任。 1982年4月に勲四等瑞宝章を受章。 1991年4月2日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
金田 利雄(かねだ としお、1909年〈明治42年〉10月1… 金田 利雄(かねだ としお、1909年〈明治42年〉10月10日 - 1998年〈平成10年〉12月22日)は、日本の政治家、銀行家。新鶴村長、福島協和信用組合理事長。 1909年(明治42年)10月10日、旧新鶴村(現会津美里町)生まれる。 福島県立会津工業高等学校卒業後、福島県経済農業協同組合連合会に勤務する。 同校出身者として初めて旧新鶴村長に選出され、旧新鶴村長を務める。 村長在任中、「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」を参議院に提出し、それらが1963年(昭和38年)12月21日に受理され、広域簡易水道を完成させた。 新鶴村長退任後、同校出身者として初めて福島協和信用組合理事長に就任。
市田 禎蔵(禎藏、いちだ ていぞう、1909年 <明治42年… 市田 禎蔵(禎藏、いちだ ていぞう、1909年 <明治42年> 9月30日 - 1992年 <平成4年> 7月27日)は、日本の経営者、銀行家。位階は正五位。 滋賀県出身。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行。1959年4月に日本開発銀行理事を経て、1966年5月に常陽銀行副頭取に就任し、1967年11月には頭取に昇格。1975年7月に会長、1979年12月に取締役相談役を経て、1981年6月には相談役に退いた 1980年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1992年7月27日心不全のために死去。82歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
金丸 吉生(かなまる よしお、1909年 <明治42年> 9… 金丸 吉生(かなまる よしお、1909年 <明治42年> 9月6日 - 1995年 <平成7年> 9月20日)は、日本の経営者、銀行家。百五銀行頭取を務めた。位階は正五位。 三重県鈴鹿市出身。1934年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1940年に百五銀行に入行。1955年10月に取締役に就任し、1957年10月に常務、1963年10月に専務を経て、1969年5月に副頭取に就任し、1977年11月に頭取に昇格。1991年6月に会長に就任。1987年6月から1995年6月までに近畿日本鉄道取締役を務めた。 1980年11月に勲五等瑞宝章を受章し、1988年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1995年9月20日心筋梗塞のために死去。
関根 太郎(せきね たろう、1909年7月19日 - 199… 関根 太郎(せきね たろう、1909年7月19日 - 1992年8月23日)は、日本の銀行家、経営者。足利銀行頭取を務めた。 埼玉県出身。1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に日本銀行に入行。1960年5月に国庫局長、1962年9月に九州石油専務、1965年10月に副社長を経て、同年11月に足利銀行副頭取に就任し、1972年5月には頭取に昇格。1974年4月には顧問に就任。 1992年8月23日胸部大動脈瘤破裂のために死去。83歳没。