斎藤 博之(さいとう ひろゆき、1919年5月22日 - 1… 斎藤 博之(さいとう ひろゆき、1919年5月22日 - 1987年3月8日)は、日本の洋画家、絵本作家。 独立美術協会展に出品して入選。『しらぬい』で第2回講談社出版文化賞絵本賞、『がわっぱ』他で、第21回小学館絵画賞(現在の小学館児童出版文化賞)を受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008… 小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008年9月14日)は、福岡県八女郡福島町(現・八女市福島)の生まれの小説家。経済人などの伝記小説で知られる。本名は小嶋直記。作家・小島英記は長男。 旧制福岡高等学校卒業。東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。河和海軍航空隊に配属。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進し、名古屋監督官事務所監査官付として終戦を迎えた。 戦後、私立八女津女子高等学校(現在の八女学院高等学校)や、母校でもある八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)で社会科の教師として教鞭を取り、詩人の松永伍一を教えたこともある。
中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22… 中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22日 - 1994年(平成6年)1月27日)は、日本の作家。 宗教団体 幸福の科学を設立した大川隆法(現・総裁)の伯母(大川隆法の父・善川三朗の姉)である。 1919年(大正8年)、徳島県麻植郡東山村(現・吉野川市)生まれ。川島尋常高等小学校卒、私立順心高等女学校中退。後、様々な職を経験する。 1942年(昭和17年)、第3回『文庫』懸賞短篇小説で、二等当選。受賞作「寄附徴収員」。徳島県の同人誌『飛行船』などで執筆を始める。小説「幽囚転々」が直木賞候補になって間もなく出版社のすすめで上京した。中野あたりのアパートで執筆生活をはじめたが、充分な準備の無いままの都会の一人暮らしゆえ、作品の完成もままならず、1年後には故郷徳島に帰ることになった。
小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 200… 小島 貞二(こじま ていじ、1919年3月21日 - 2003年6月24日)は、日本の著作家、相撲・プロレス・演芸評論家にしてそれらの歴史研究者、作詞家。 相撲関係の雑誌などでは大須 猛三(おおす もうさん)のペンネームを使っていたことがある。 愛知県豊橋市出身。旧制豊橋中学校(現:愛知県立時習館高等学校)を卒業後、漫画家を志して上京し、川原久仁於に師事して絵を描いていたが、身長182cmの体格を見込まれて大相撲の出羽海部屋に入門することになり、1938年5月場所に本名で初土俵を踏む。双葉山の70連勝を阻止した平幕時代の安芸ノ海の付け人を経験し、その70連勝阻止の瞬間を裏方からの目線で見た著作がある(別冊1億人の昭和史 昭和大相撲史)。
水上 勉(みずかみ つとむ、1919年3月8日 - 2004… 水上 勉(みずかみ つとむ、1919年3月8日 - 2004年9月8日)は、日本の小説家。福井県生まれ。社会派推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、伝記小説『一休』などで知られる。禅寺を出奔して様々な職業を経ながら宇野浩二に師事、社会派推理小説で好評を博して、次第に純文学的色彩を深め、自伝的小説や女性の宿命的な悲しさを描いた作品で多くの読者を獲得。その後は歴史小説や劇作にも取り組む一方、伝記物に秀作を残した。作品の映像化も多い。日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。 福井県大飯郡本郷村(現おおい町)の、佐分利川沿いの集落で棺桶造りや宮大工をしていた家に生まれ[要ページ番号]、5人兄弟の次男として育った。
持永 只仁(もちなが ただひと、1919年3月3日 - 19… 持永 只仁(もちなが ただひと、1919年3月3日 - 1999年4月1日)は、日本のアニメーション監督、人形アニメーション作家。 芸術映画社でアニメーションの世界に入り、満州映画協会入社後、日本敗戦後も中国東北部に残留して中国名「方明」でアニメーション映画を製作し続け、中華人民共和国建国後は上海に移動して上海美術映画製作所の前身となるアニメスタジオの設立に携わった。帰国後、人形アニメーション映画の製作に関わる。日本アニメーション協会名誉会員。中国にはその貢献を称えて「持永只仁賞」「持永只仁奨学金」などが存在している。 題名末尾の▲印は監督・演出(導演)以外のスタッフ参加作品 ※以降の監督作品はカラーフィルムにより製作 この時期は、タイトル上の役職はAnimagic〈時にSupervisor〉
鮎川 哲也(あゆかわ てつや、1919年2月14日 - 20… 鮎川 哲也(あゆかわ てつや、1919年2月14日 - 2002年9月24日)は、日本の小説家。本名、中川 透(なかがわとおる)。東京府に生まれ、大連に育つ。拓殖大学商学部卒。 アリバイ崩しを得意とし、『ペトロフ事件』『黒いトランク』『人それを情死と呼ぶ』など、鬼貫警部を探偵役とする本格推理小説を発表。ほか『りら荘事件』『死者を笞打て』などの長編小説や多数の短編小説を執筆し、さらにはアンソロジーの編纂や、新人の育成などにも力を尽くした。 1919年2月14日、東京府巣鴨に生まれた。父が南満洲鉄道地質調査所の測量技師となったため、小学3年生のときに一家で満洲大連に移り住み、旧制中学を卒業するまでここで過ごした。
中道 風迅洞(なかみち ふうじんどう、1919年2月11日 … 中道 風迅洞(なかみち ふうじんどう、1919年2月11日 - 2011年4月15日)は、青森県八戸市出身の日本放送協会職員、どどいつ作家、詩人。本名・中道定雄(なかみち・さだお)、 早稲田大学卒。1941年東京中央放送局(後のNHK)に入局。バラエティー番組「とんち教室」や、ドキュメンタリー番組、テレビ文芸部部長、芸能局長などを歴任。退職後は詩人、どどいつ作家となる。 NHKラジオ第1放送のリスナー参加の番組「文芸選評」で「どどいつ」の選者として参加。著書に「新編・どどいつ入門」がある。 2011年4月15日、心不全のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読み同じ〉、1919年〈大正… やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読み同じ〉、1919年〈大正8年〉2月6日 - 2013年〈平成25年〉10月13日)は、日本の漫画家・絵本作家・詩人。有限会社やなせスタジオ社長。高知県出身(後述)。妻は編集者の小松暢。 『アンパンマン』の原作者として知られる。社団法人日本漫画家協会代表理事理事長(2000年5月 - 2012年6月)、社団法人日本漫画家協会代表理事会長(2012年6月 - 2013年10月)を歴任。 作曲家としてのペンネームは「ミッシェル・カマ」。壮年期までは「やなせ・たかし」と中黒が付された表記をされていた。 絵本作家・詩人としての活動が本格化する前までは頼まれた仕事はなんでもこなし、編集者・舞台美術家・演出家・司会者・コピーライター・作詞家・シナリオライターなど様々な活動を行っていた。
西原 康(にしはら こう、1919年1月28日 - 1983… 西原 康(にしはら こう、1919年1月28日 - 1983年12月25日)は、劇作家、児童文学作家。 東京出身。別名・阿久津光。東洋大学文学部東洋文学科卒。在学中から斎田喬宅に下宿して児童向け台本、劇団テアトル・ピッコロの脚本を書き、20歳で児童劇集『花ひらく』を刊行。1946年NHK児童番組部嘱託。
武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 19… 武田 武彦(たけだ たけひこ、1919年1月21日 - 1998年4月23日)は、日本の作家、翻訳家、アンソロジスト。蘭 妖子としても活動した。 東京出身。早稲田大学専門部政経学科卒業。 詩人の岩佐東一郎の紹介で岩谷満と知りあいとなり、1946年に岩谷とともに『宝石』の創刊に携わり、武田自身の作品も掲載された。1948年に『宝石』の編集長となったあとも、推理小説家としての活動も並行して行なった。1950年に編集長を退任すると、翻訳や子供向けリライト、アンソロジーを手掛けた。熱心な宝塚歌劇のファンでもあった。
天城 一(あまぎ はじめ、1919年1月11日 - 2007… 天城 一(あまぎ はじめ、1919年1月11日 - 2007年11月9日)は、日本の小説家、推理作家、数学者(解析学)、大阪教育大学名誉教授。本名中村 正弘。 別筆名に「高天原 アリサ」「青山 狂介」がある。 東京生まれ。東北帝国大学数学科卒業。 1947年、探偵小説雑誌『宝石』2・3月合併号(岩谷書店)掲載の短編「不思議な国の犯罪」(後に「不思議の国の犯罪」に改題)でデビュー。摩耶正を探偵役とした密室ものの作品を発表し、寡作ながらも学者独特の観察眼からの作品は人気が高い。 1955年に長編「圷家殺人事件」執筆後、長らく作品がなかったが、1975年に復活。アリバイを重視した島崎警部を探偵役とした作品を発表した。
太田 大八(おおた だいはち、1918年12月29日 - 2… 太田 大八(おおた だいはち、1918年12月29日 - 2016年8月2日)は、日本の絵本作家・画家。 長崎県大村町(現・大村市)出身。戦時中に(旧制)多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)図案科を卒業。1945年8月、徴用で勤務していた会社の出張で広島県大竹に赴き8月5日に広島市に入ったものの、間一髪で原爆被爆を免れ、被爆翌日の惨状を目撃した。 戦後、大阪市で復興のための建築パネルを建てたことをきっかけに美術界に戻り、デザインの仕事をするために東京に帰って「スタヂオ・トーキョー」を設立した。さらに偶然再会した同級生の依頼で詩のイラストを描いたことがきっかけで、絵本作家となる。1949年のデビュー以来、130作の創作絵本、230作の児童書の挿絵を手掛けている。
いわさき ちひろ(本名:松本 知弘 まつもと ちひろ、旧姓:… いわさき ちひろ(本名:松本 知弘 まつもと ちひろ、旧姓:岩崎)、1918年12月15日 - 1974年8月8日、女性)は、子供の水彩画に代表される日本の画家、絵本作家。岩崎ちひろ、岩崎千尋、イワサキチヒロで発表された作品もある。父は陸軍勅任建築技師の岩崎正勝。母・文江は大日本連合女子青年団(のちの大日本青少年団)主事。前夫は東洋拓殖職員、後夫は日本共産党元衆議院議員で弁護士の松本善明。孫は絵本作家の松本春野。 1918年、雪の降る師走の朝にちひろは日本帝国陸軍築城部の建築技師の父親、女学校の教師の母親という当時としては珍しい共働き家庭における三姉妹の長女として福井県武生町(現在の越前市)橘で生まれた。
藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 201… 藤原 てい(ふじわら てい、1918年11月6日 - 2016年11月15日)は、日本の作家。夫は作家の新田次郎(本名・藤原寛人)、数学者でエッセイストの藤原正彦は次男。エッセイストの藤原咲子は長女。孫はベーシストの村井研次郎。旧姓両角。 長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供3人を連れ満州より引き揚げ、1946年帰国、心臓を患い寝たきりで、精神にも変調をきたしていたらしく、しばらくして新田も帰国したが、すぐには夫と分からない状態だったという。 帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。
趙 欣坡(チョ・フンパ、朝鮮語: 조흔파、1918年11月4… 趙 欣坡(チョ・フンパ、朝鮮語: 조흔파、1918年11月4日 - 1980年12月24日) は、大韓民国の小説家、放送作家。 本名は趙 鳳淳(チョ・ボンスン、조봉순)。本貫は漢陽趙氏。 日本統治時代の平安南道平壌に生まれ、1941年に専修大学法科卒業。1950年代初頭より文壇に登場した。1947年までソウル中央放送局アナウンサーを務め、そのほか京畿女子高等学校の教員、『現代女性』主幹、『国都新聞』『世界日報』『韓国経済新聞』の論説委員などを務めた。1960年公報室公報局長に異動後、国務院事務処公報局長とソウル中央放送局長などを務めた。また、1964年に発表した小説『ヤルゲ(ヤルゲ: 小憎らしい者の意)伝』で知られている。
丘美 丈二郎(おかみ じょうじろう、1918年〈大正7年〉1… 丘美 丈二郎(おかみ じょうじろう、1918年〈大正7年〉10月31日 - 2003年〈平成15年〉12月11日)は、日本の探偵小説作家、SF作家。『地球防衛軍』など東宝の特撮映画の原作者としても知られる。本職は航空自衛隊および民間航空会社のテストパイロット。 大阪府出身。本名は兼弘 正厚。 ペンネームは、俳優の岡譲司に似ていると言われたことと、海野十三を愛好していたことから、海野のペンネームの一つである丘 丘十郎と岡の名をもじったものである。旧表記は丘見丈二郎。書籍『東宝特撮映画全史』では昭和30年代に現在の筆名に改名したと記述していたが、丘美自身は「丘見」表記は誤字であるとしている。資料によっては、名前の読みを「たけじろう」と誤記しているものもあった。
亀井 健三 (かめい けんぞう、1918年10月8日 - 2… 亀井 健三 (かめい けんぞう、1918年10月8日 - 2002年12月24日)は、日本の教育者、科学書翻訳家、ちぎり絵作家。元がんぴ舎役員。 鳥取県米子町(現米子市)に生まれる。父かた母かたとも米子在住の町人の家系。生家は砂糖、乾物等を商っていた。1941年東北大学法文学部哲学科卒業。ハルピン学院に留学し、1946年帰国する。高校教員をするかたわらソ連科学文献10数編を翻訳紹介。1975年高校教員を辞職。たたら書房代表取締役を経て、ちぎり絵普及に専念する。全国和紙ちぎり絵サークル主宰、1986年モスクワ日本産業展でちぎり絵を実演。 ゆかりの地として、西伯郡米子町、神戸市、仙台市、茨城県、中国(満州)、島根県各地、米子市がある 亀井健三は、科学書の翻訳をしていた。
松村 喜雄(まつむら よしお、1918年9月16日 - 19… 松村 喜雄(まつむら よしお、1918年9月16日 - 1992年1月10日)は、日本の外交官、推理小説評論家、推理作家、翻訳家。三谷 幸夫、花屋 治の筆名もあり。東京府出身。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)新小川町生まれ。実母は江戸川乱歩・平井蒼太兄弟の従妹。親戚として幼時から乱歩と交際して育つ。 小学校卒業後、花崎清太郎および石川一郎の両人と知り合い、彼らの影響で読書の世界に熱中。早稲田実業学校を経て東京株式取引所に勤務。このときの同僚に劇作家の小野田勇がいた。勤務の傍ら、フランス語を独習。のち編入試験を受けて東京外国語学校(現在の東京外国語大学)仏語科に入学。卒業後は外務省に勤務。
小沼 丹(おぬま たん、1918年〈大正7年〉9月9日 - … 小沼 丹(おぬま たん、1918年〈大正7年〉9月9日 - 1996年〈平成8年〉11月8日)は、日本の小説家、英文学者。位階は従四位。本名は小沼 救(おぬま はじめ)。日本芸術院会員。 「大寺さんもの」など、日常を題材とした小説のほか、随筆の名手としても知られる。また、英文学者としても知られており、早稲田大学では文学部教授として教鞭を執った。 東京府東京市下谷区下谷町に父邁(すぐれ)、母涙子(るいこ)の長男として生まれる。明治学院中学部、高等学部英文科を経て、1942年(昭和17年)に、早稲田大学文学部英文科を卒業した。後年、1958年(昭和33年)から、母校早稲田大学文学部で教授を務めている。
清水 基吉(しみず もとよし、1918年(大正7年)8月31… 清水 基吉(しみず もとよし、1918年(大正7年)8月31日 - 2008年3月30日)は、俳人、小説家。本名、清水基嘉(読み同じ)。 現在の東京都渋谷区の宇田川町・道玄坂、港区の青山かいわいに、生まれ育った。1925年(大正14年)、東京府青山師範学校附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)へ入った。1931年(昭和6年)東京市立第一中学校(現:九段高校)に進むが胸を病んで中退し、1934年16歳、正則英語学校(現:正則学園高等学校)へ転じた。 1938年(昭和13年)から4年近く、各地に転地療養し、その間の1940年横光利一を知り、翌年、句誌『鶴』の主宰者、石田波郷の門に入った。同人誌に参加し、北條誠、巖谷大四、村松定孝らを知った。
中川 幸夫(なかがわ ゆきお、1918年7月25日 - 20… 中川 幸夫(なかがわ ゆきお、1918年7月25日 - 2012年3月30日)は、日本の前衛いけばな作家。華道家、芸術家。代表作に「花坊主」「魔の山」などがある。香川県出身。 敗戦直後の日本で勃興し、数年間の隆盛ののちに収束した「前衛いけ花」の活動家として知られる。この頃には中川のほかに勅使河原蒼風、小原豊雲、中山文甫らが同様の活動をしていた。この極めてアーティスティックな花の表現運動は「流派」という大きな流れを頂点とするいけ花界ヒエラルキーをどのように維持してゆくかに執着する動きにはあわず、「古典のみなおし」という建前によって後退、収束を余儀なくされた。中川は「流派」に属さず「流派」を持たないことで、唯一「前衛いけ花」作家でありつづける事を貫いた。
島 比呂志(しま ひろし、1918年7月23日 - 2003… 島 比呂志(しま ひろし、1918年7月23日 - 2003年3月22日)は、日本の小説家。本名 岸上薫(きしうえ かおる)。 香川県観音寺市出身。旧制香川県立三豊中学校、東京高等農林学校獣医学科卒業。 1940年(昭和15年)東京高等農林学校卒業後、満洲国立大陸科学院獣疫研究所に勤務。1943年(昭和18年) 東京高等農林専門学校(現 東京農工大学)助教授に就任。 1947年(昭和22年)6月、ハンセン病を発病し、国立療養所大島青松園に入所。1948年(昭和23年)6月、国立療養所星塚敬愛園へ転園。1958年(昭和33年)より、同人雑誌『火山地帯』を主宰。1990年(平成2年)6月、エイズ裁判原告赤瀬範保から「癩患者はなぜ怒らないのか?」という手紙を受け取る。
堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 … 堀田 善衛(ほった よしえ、1918年〈大正7年〉7月7日 - 1998年〈平成10年〉9月5日)は、日本の小説家、評論家。
桂 英澄(かつら ひでずみ、1918年6月26日 - 200… 桂 英澄(かつら ひでずみ、1918年6月26日 - 2001年1月28日)は、日本の小説家。父は東京帝国大学教授(金属工学)の桂弁三。姉は洋画家・桂ゆき。 東京市本郷区生まれ。1943年京都帝国大学文学部哲学科卒。在学中から太宰治に師事。卒業後NHKに入社、戦後放浪生活に入り八年ほど療養生活をしたのち、同人誌に創作を発表。1971年『早稲田文学』に「寂光」を連載、72年同作で直木賞候補となる。
松本 美樹(まつもと みき、1918年5月30日 - 200… 松本 美樹(まつもと みき、1918年5月30日 - 2001年)は、日本の元プロデューサー、元作家。宣弘社に所属していた。愛媛県出身。本名は松本 美喜男。長男は、フジテレビで外信部記者、解説委員、ニュースキャスターを務めた松本方哉。 アニメ『サザエさん』の初代プロデューサーなどを務めた。 旧制中学校卒業後に作家を目指し、両親に勘当同然の扱いを受けるも叔父を頼り上京した。日本大学芸術学部卒業後は、作家の横光利一に弟子入りした。 第二次世界大戦時は召集され、シベリアに抑留される。 終戦後は帰国し、大正製薬の宣伝課長に就任した。その後、宣伝で携わった縁から宣弘社に転職した。 宣弘社入社後は東芝の専任部門「東芝分室」を立ち上げ、同社が提供する特撮番組『光速エスパー』やアニメ『忍風カムイ外伝』のプロデューサーを務めた。
唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2… 唐沢 隆三(からさわ りゅうぞう、1918年5月4日 - 2011年5月6日)は、社会運動研究者・俳人・自由律俳句研究者・作家。「唐沢柳三」の筆名も使用する。石川三四郎に師事する。 長野県に生まれる。滋野尋常高等小学校、長野県上田中学校(現:長野県上田高等学校)、純真学園、東京物理学校(現:東京理科大学)を経て、北海道帝国大学理学部数学科を卒業。北海道大学応用電気研究所に勤務。同研究所を退職後、東京に移住し、東京都立桜町高等学校、東京都立北高等学校ほか都立高校の教員を務めた。 出版のためにソオル社を興し、書籍の編集・発行も行った。 上田中学校時代に荻原井泉水の俳句誌『層雲』に参加した。 個人誌『柳』および『美』の発行者。
三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月… 三井 ふたばこ(みつい ふたばこ、1918年〈大正7年〉5月3日 - 1990年〈平成2年〉10月29日)は、日本の童話作家、詩人、随筆家。本名・嫩子。 西条八十の長女として東京府に生まれる。弟に西條八束。 東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)を経て、日本女子大学英文科中退。父とともに詩誌『ポエトロア』を発行、童話、詩集、翻訳、父の詩集の編纂などを行う。1970年に父が没した後は、父の思い出などを書いた。当初、三井嫩子、三井ふたばこ、三井ふたば子などの表記を用いたが、夫が亡くなったこともあり、父の没後は西條嫩子の名を用いた。
広津 桃子(ひろつ ももこ 廣津桃子、1918年3月21日 … 広津 桃子(ひろつ ももこ 廣津桃子、1918年3月21日 - 1988年11月24日)は、日本の作家、随筆家。広津和郎の娘。 広津和郎と下宿屋の娘神山ふくの長女として生まれる。神山家は幕末に御家人から町人になり、桃子の祖父の代には麴町の英国大使館近くで薪炭を商っていたが、永田町で下宿屋を始めた一家である。生まれて間もなく両親は別居し、母のもとで育つ。日本女子大学国文科卒業後、叔母の神山かねが経営する目黒区駒場町の下宿屋「西山寮」で母と暮らしながら、女学校で教鞭を取っていたが、1945年5月の空襲で西山寮が全焼する。戦後、同人雑誌『文学行動』に「窓」を発表し、1952年より母、叔母とともに藤沢市鵠沼に暮らす。
福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月1… 福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月19日 - 1979年(昭和54年)8月13日)は、日本の小説家、詩人、フランス文学者。
小坂 秀二(こさか ひでじ、1918年3月16日 - 200… 小坂 秀二(こさか ひでじ、1918年3月16日 - 2003年4月6日)は、日本の歯科医、相撲評論家、著作家、アナウンサー。 太平洋戦争で軍医として徴用され終戦まで中国の陸軍病院に勤務。その後NHK・TBSで相撲等でスポーツアナウンサーとして活躍。1974年にアナウンサーを引退。1975年に歯科医に復帰後は、相撲評論家・著作家としても活動し、「柏鵬時代」の命名者でも知られる。 東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)出身。幼年期から相撲になじみ、学生時代が双葉山の全盛と重なっていたこともあって、さらに没頭する。 東京高等歯科医学校卒業。卒業後、歯科医となる。 東京高等歯科医学校時代、翌日に解剖学の大事な卒業試験を控え猛勉強中に「双葉山70連勝ならず!」の一報が入り、その衝撃で試験のことが頭に入らなくなり、翌日、追試験覚悟で臨んだところ、厳格で知られる試験官の藤田恒太郎教授が相撲好きの人で、「小坂君、双葉山負けたね!」といきなり話をふられた。
中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)… 中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)3月5日 - 1997年(平成9年)12月25日)は、日本の小説家・文芸評論家・詩人。なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある。
有馬 頼義(ありま よりちか、1918年〈大正7年〉2月14… 有馬 頼義(ありま よりちか、1918年〈大正7年〉2月14日 - 1980年〈昭和55年〉4月15日)は、日本の小説家。中間小説、社会派推理小説の分野で活躍した。旧・筑後国久留米藩主有馬家の第16代当主。 伯爵有馬頼寧の三男として東京市赤坂区青山(現・東京都港区青山)に生まれる。母貞子は北白川宮能久親王の第2王女。 頼寧の母・寛子(頼義の祖母)は岩倉具視の五女。頼義の妹の澄子は足利惇氏の妻。姉の正子は亀井茲建の妻であり、衆議院議員亀井久興は甥にあたる。 兄2人の早世と病弱により早くから伯爵家を嗣ぐことを決められる一方、有馬家と母の実家・北白川宮家の複雑な家庭環境を肌で感じる多感な幼少期を過ごした。
後藤 杜三(ごとう もりぞう、1918年1月25日 -199… 後藤 杜三(ごとう もりぞう、1918年1月25日 -1991年5月10日)は日本の眼科医、俳人、作家。北海道生まれ。本名・英三。私立岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)卒、1946年北海道帝国大学で医学博士。 1949年、「北海道文学者の会」を石塚喜久三らと結成。鎌倉で後藤眼科医院を開業し、同人誌『南北』を主宰していた。 久保田万太郎に師事し、『新誌』に連載した『わが久保田万太郎』で1974年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22… 蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22日 - 2009年(平成21年)1月3日)は、日本の海軍軍人、経済学者、伝記作家。専門は財政学。獨協大学名誉教授。 1918年、青森県東津軽郡小湊町(現平内町)で生まれた。旧制巣鴨中学校・浦和高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学経済学部に進学。1941年、繰り上げ卒業。海軍兵科予備学生(1期)として海軍に入隊。連合艦隊司令部附となり、海軍甲事件で負傷した宇垣纏の秘書を務め、『戦藻録』の一部を筆記した。最終階級は海軍大尉。 1945年、巣鴨経済専門学校教授に就いた。1947年、北海道大学法文学部予科専任講師に転じた。1950年、北海道総合開発委員会事務局次長に就任。
加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 199… 加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の大正、昭和の庶民史、世相・風俗・文化史などの評論家・庶民文化研究家・紙芝居作家。 東京市浅草区神吉町(現・東京都台東区東上野四丁目、五丁目辺り)の貧困家庭に生まれ、荒川区尾久に育つ。本名は加太一松(かぶと かずまつ)だが、名門の加太家の血筋を誇る父に反発し、尋常小学校5年の時から「かた」と名乗るようになった。父親が働かないため関東大震災前に母親と別れ、大商人の妾をしていた伯母(父親の姉)に育てられる。 紙芝居の世界に入ったのは高等小学校在学中の14歳の時。高等小学校卒業後、師範学校への進学を希望していたが、給費制度廃止のために断念し、紙芝居の世界で働く。
三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月… 三宅 千代(みやけ ちよ、1918年1月7日-2017年3月30日)は、昭和・平成期の歌人・作家。 愛知県名古屋市にて眼科医の家系に生まれる。旧姓・杉田。杉田久女の夫・杉田宇内は遠縁にあたる。 母が崖からの転落事故の後遺症で半身不随となったため、幼少期は両親それぞれの実家や親戚宅に預けられて育つ。そうした生活から非行少女的な行動をとるようになったが、小学4年のときに担任教師の綴り方指導を受け、新愛知新聞への投稿で50回入賞するなど文才を認められたことで立ち直った。東京女子大学国文科在学中に歌誌「詩歌」に入会し、前田夕暮に師事。卒業後は名古屋市立大学病院の勤務医・三宅寅三と結婚するが、結婚の翌年に夫が太平洋戦争に召集され、その所属部隊はレイテ島で全員玉砕したと伝えられる。
北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 197… 北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 1976年11月18日)は、日本の小説家、劇作家。
北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 197… 北條 誠(ほうじょう まこと、1918年1月5日 - 1976年11月18日)は、日本の小説家、劇作家。 東京生まれ。1934年旧制府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を四修で卒業。1940年早稲田大学国文科卒。出征ののち、1943年東亜交通公社勤務。川端康成に師事し、1940年『埴輪と鏡』で芥川賞候補。戦後、鎌倉文庫に入社、編集をおこなう。1946年『寒菊』『一年』で野間文芸奨励賞受賞。1947年(昭和22年)、ラジオドラマ『向う三軒両隣』の脚本を八住利雄、伊馬春部、北村寿夫とともに交代で執筆。終戦直後の民主的で明るい人間関係を描くホームドラマは人気番組となった。1953年(昭和28年)『白扇』で直木賞候補。
大門 一夫(だいもん かずお、1918年 - 1992年)は… 大門 一夫(だいもん かずお、1918年 - 1992年)は日本の毛髪に関する著作家。 執筆のかたわらパーマ液や脱毛剤など戦後の美容科学の先駆者としての功績が高く、理美容師の育成にも努めた。 東京田端に生まれる。1941年 東京帝国大学医学部薬学科卒。1992年 急性肺炎のため死去(享年74) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月… 宮崎清隆(みやざき きよたか、1918年 - 2001年5月25日)は、日本の小説家、陸軍軍人。最終階級は陸軍憲兵曹長、作詞家。 新潟県刈羽郡田尻村(現・柏崎市)生まれ。日本大学法学部、経済学部卒。柔道四段、剣道三段。日中戦争では陸軍憲兵曹長として、大陸で転戦し多くの戦傷を負う。戦後は戦争犯罪人として指名され「東洋の魔王」と呼ばれるが連合軍の追跡を逃れ中国を脱出し、6ヵ月の逃避行を行った。1951年日本独立に際し追及を解かれ、後にその体験などを著作としベストセラーとなった。鉄道弘済会本部会長室秘書課勤務。 また、三島由紀夫に惚れられて、15万円のスーツをプレゼントされることや唯一の弟子とも見られていた。
平山 三郎(ひらやま さぶろう、1917年(大正6年)11月… 平山 三郎(ひらやま さぶろう、1917年(大正6年)11月20日 - 2000年(平成12年)3月24日)は、東京出身の作家。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)に生まれる。1932年(昭和7年)鉄道省東京鉄道局に就職した。戦後も日本国有鉄道の機関紙『國鐵』の編纂に従事しながら法政大学文学部を卒業した。大学時代は授業料を内田百閒に肩代わりしてもらっていた。 内田百閒の教え子として知られ、夏目漱石の流れを汲む作家でもある。その生涯を通して、内田百閒の身辺の叙述・研究に当たった。 百閒の代表作『阿房列車』シリーズにおいては、百閒の旅のお供をする「ヒマラヤ山系」として登場している。対して平山は百閒を「四ッ谷の先生」と呼んでいた。
遠山 あき(とおやま あき、1917年10月24日 - 20… 遠山 あき(とおやま あき、1917年10月24日 - 2015年10月28日)は、日本の元作家。 千葉県大多喜町生まれ。千葉県女子師範学校(千葉大学の前身のひとつ)卒。小学校教員を務めるが、戦後は農業に専念した。1967年に農民文学会入会、1975年に『槇の会』を立ち上げて同人誌『槇』を発行。1978年「雪あかり」で千葉文学賞、1980年『鷺谷』で農民文学賞を受賞。1994年藍綬褒章受勲。 2015年10月28日午前4時40分、肺炎のため市原市の高齢者施設で死去。98歳没。2016年市原市特別市民栄誉賞を受賞。
福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日… 福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日 - 1991年〈平成3年〉11月13日)は、岩手県出身の染絵作家、美術教師である。 1917年(大正6年)、岩手県遠野市に生まれ、翌年に家族で盛岡市に移り住んだ。1930年、旧制盛岡中学校に入学し、絵画部に入部。その当時に京都から赴任していた中井汲泉の薫陶を受けた。1939年に日本大学芸術科に進学し油絵を専攻したが、戦争のため繰上げ卒業となり、軍に入隊。満洲で終戦を迎えたのち、ソビエト連邦によりシベリアに抑留され、日本に帰国できたのは1948年であった。盛岡に戻ると実家のある法泉寺(現在の 北山)に居住し、盛岡高等学校の美術科の教員職に就いた。
岡田みゆき(おかだ みゆき、1917年(大正6年)10月5日… 岡田みゆき(おかだ みゆき、1917年(大正6年)10月5日 - 2008年(平成20年)1月12日)は、日本の小説家。徳島県徳島市出身。徳島県女子師範学校専攻科卒業。 徳島市で生まれ、徳島県女子師範学校専攻科を卒業。卒業後は小・中学校教諭を務める傍ら、同人誌『徳島作家』に参加し創作を続ける。1960年(昭和35年)に「谷間の神」が第3回婦人公論新人賞佳作に選ばれる。1961年(昭和36年)、「石ころ」が芥川龍之介賞候補に選ばれる。徳島県作家協会理事を歴任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
那須 国男(なす くにお、1917年9月20日 - )は、日… 那須 国男(なす くにお、1917年9月20日 - )は、日本の作家、編集者、評論家、翻訳家。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。太平洋戦争時中ヴェトナムの日本大使館に勤務。 戦後、『個性』『人間』編集次長。1949年「還らざる旅路」で芥川賞候補。 フランス語の翻訳などしたのち、アフリカ評論家となる。
斎藤 襄治(さいとう じょうじ、1917年8月26日 - 2… 斎藤 襄治(さいとう じょうじ、1917年8月26日 - 2007年6月12日)は、日本のイギリス文学者、翻訳家、著作家。 東京高等商船学校助教授・茨城キリスト教大学教授・同学長・立正大学教授を歴任。 東京都生まれ。静岡県浜松市育ち。1943年京都帝国大学言語学科卒。東京高等商船学校助教授。 敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民間情報教育局顧問。その後外務省勤務。日本の小説を英訳するなど文化の国際交流に尽くす。 1969年茨城キリスト教大学教授、1975年から1978年学長。1980年立正大学教授、1988年定年退任。ダートマス大学客員教授。
伊藤 桂一(いとう けいいち、1917年8月23日 - 20… 伊藤 桂一(いとう けいいち、1917年8月23日 - 2016年10月29日)は、日本の小説家、詩人。『静かなノモンハン』などの戦場小説や、時代小説、私小説風な身辺小説などがある。日本芸術院会員。
川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 19… 川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 1999年7月5日)は、日本の劇作家、小説家、フランス文学者。東京都立大学名誉教授。 栃木県足利市出身。第一高等学校を経て、東京帝国大学仏文科卒。一高時代から小説を書き、戦後は都立大学助教授、教授、1957年小説「般若心経」が中央公論新人賞佳作として掲載される。66年戯曲「関東平野」で第12回岸田國士戯曲賞受賞。82年都立大を定年退官、名誉教授、獨協大学教授。
織田 五二七(おだ いふな、1917年5月27日 - 200… 織田 五二七(おだ いふな、1917年5月27日 - 2009年5月5日)は、日本の医師・作家。 佐賀県生まれ。織田長益の三男・織田俊長の子孫で、鍋島家鹿島藩藩医織田家の13代目。1935年に上京、日本大学医学部卒、1942年海軍軍医中尉に任官、軍艦「常磐」軍医長。のち大尉。1960年医学博士。佐賀県鹿島市に織田病院を設立し、院長、特定医療法人祐愛会織田病院理事長。そのかたわら、評論・小説などを書いた。 2009年5月5日、胆嚢癌のため死去。91歳没。