山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月1… 山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉12月13日)は、いわゆる「津波てんでんこ」を広めた日本の津波災害史研究家。元日本共産党中央委員会文化部長。『津波ものがたり』で「日本自然災害学会賞」功績賞、「平成15年度防災功労者表彰」などを受賞。 1924年1月16日生まれ。岩手県気仙郡綾里村(現大船渡市三陸町綾里)出身。1896年の明治三陸津波では、山下の祖母ら親族3人を含む一族9人が溺死した。1933年の9歳の時にも昭和三陸津波に遭い、高台に登って難を逃れた。この時期の昭和東北大凶作も体験している。 1967年の善隣学生会館事件について、「井上清の中傷に答える 厳然たる事実にもとづいて」を著し、歴史学者井上清による日本共産党と日中友好協会への批判に反論した。
酒井 忠治(さかい ただはる、1924年〈大正13年〉1月1… 酒井 忠治(さかい ただはる、1924年〈大正13年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉6月9日)は、日本の書家・漢文学研究家。 雅号は南山。(財)致道博物館顧問、鶴岡市文化財保護審議委員長、左衛門尉酒井家分家当主、鶴岡書道会顧問。 旧庄内藩主酒井家20代当主・酒井忠良の次男として山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)に生れる。書家の松平穆堂より指導を受ける。1939年(昭和14年) - 山形県立鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業。 1962年(昭和37年)3月 - 昭和三十六年度学芸員無試験認定 合格。(財)致道博物館副館長。 1995年(平成7年)11月27日 - 鶴岡市の文化賞「高山樗牛賞」を受賞。
鷹司 平通(たかつかさ としみち、1923年(大正12年)8… 鷹司 平通(たかつかさ としみち、1923年(大正12年)8月26日 - 1966年(昭和41年)1月27日)は鉄道研究家。日本交通公社交通博物館調査役。五摂家の一つだった鷹司家の27代目当主。
土居 晴夫(どい はるお、1923年(大正12年)5月6日 … 土居 晴夫(どい はるお、1923年(大正12年)5月6日 - 2018年(平成30年)2月16日)は、日本の歴史家、坂本龍馬研究家。龍馬の甥にあたる坂本直寛の孫。 兵庫県神戸市生まれ。報徳商業学校(現在の報徳学園)卒。神戸市職員、八代学院大学(現・神戸国際大学)講師。神戸史学会、土佐史談会、高知海南史学会に所属。龍馬研究会顧問・東京龍馬会顧問・愛媛龍馬会顧問を歴任した。
戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月1… 戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月16日 - 2000年(平成12年)4月17日)は、日本の画家、民俗研究家、作家。兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。息子は作家の戸井十月。 早稲田高等学院在学中に学徒出陣で中国に赴任。敗戦により捕虜となった後に復員し、早稲田大学に復学するが中退。1946年に共産党に入党し、1950年に脱党。 人形劇団プークでの民主主義的文化活動などを経て画家となる。それと並行して日本の民俗史や民衆史などを研究。特に秩父事件の研究では第一人者とされている。 人形劇団プークのリーダーだった、川尻東次・川尻泰司兄弟の妹・錦子と結婚。 2000年4月17日、胃がんにより死去。
上杉 千郷(うえすぎ ちさと、1923年4月3日 - 201… 上杉 千郷(うえすぎ ちさと、1923年4月3日 - 2010年6月30日)は、日本の狛犬研究家、神職。学校法人皇學館常任顧問。 岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市)の神社社家19代目に生まれる。神宮皇學館大學付属専門部在学中に学徒出陣、第一期海軍飛行専修予備生徒となり海軍少尉任官、沖縄戦に参加する。1944年9月に神宮皇學館大學付属専門部、1950年3月に國學院大學文学部を卒業。 1952年4月に総理府事務官となり、その後、法務大臣秘書官、郵政大臣秘書官を経て、全国神社総代会参事、全国神社会館館長、岐阜県神社庁副庁長(1971年3月)、鎮西大社諏訪神社宮司(1982年4月)、世界連邦日本宗教委員会議長(1995年4月)、長崎県神社庁長(1998年7月)、世界宗教者平和会議日本委員会評議員(1999年4月)を歴任。
林 直道(はやし なおみち、1923年3月31日 - 202… 林 直道(はやし なおみち、1923年3月31日 - 2023年1月6日 )は、日本のマルクス経済学者・百人一首研究家。大阪市立大学名誉教授。専門は、恐慌論、日本経済論。関西勤労者教育協会副会長。百人一首について歌織物説を唱える。 1923年、大阪市に生まれる。1946年大阪商科大学卒。1977年野呂栄太郎賞受賞。1964年大阪市立大学教授、1974年「景気循環の研究」で大阪市大経済学博士。1983年同名誉教授、大阪経済法科大学教授。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
芝 清之(しば きよし、1923年(大正12年)3月28日 … 芝 清之(しば きよし、1923年(大正12年)3月28日 - 1998年(平成10年)1月12日、本名: 柴 清(しば きよし))は、大衆芸能・浪曲研究家、浪曲作家。 木馬亭の実質的な支配人で、『月刊浪曲』の創刊や編集発行も務めた浪曲界の生き字引的存在であった。諸芸懇話会会員。 東京出身、東京高等工業学校(現・東京工業大学)卒業。当初は建築会社の社長で坂東玉三郎の後援者であったが、衰退期にあった浪曲の将来を案じて1970年(昭和45年)より浪曲の歴史調査や資料収集を始め、その後社長職を弟に譲り、以後浪曲の再興のために尽力した。浪曲の台本執筆や木馬亭の経営に加わり後継者育成に注力するほか、1982年(昭和57年)に『月刊浪曲』を創刊した。
浜野 栄次(はまの えいじ、1923年〈大正12年〉3月20… 浜野 栄次(はまの えいじ、1923年〈大正12年〉3月20日 - 1992年〈平成4年〉3月27日)は、日本の写真家、昆虫研究家。 1923年(大正12年)、東京下谷に生まれる。子供の頃から昆虫に興味があり、井之頭にあった平山博物館館長の平山修次郎の教えを受ける。第一東京市立中学校卒、1945年(昭和20年)に明治大学商学部を卒業。 戦後、暮しの手帖社の松本政利に写真を学び、編集長の花森安治の勧めで昆虫写真を専門とすることを志す。1964年(昭和39年)から東南アジア各国を取材で巡り、日本に帰国後は学習雑誌や図鑑などに多くの写真を発表する。特に台湾への訪問は30数次に渡り、その成果は『台湾産蝶類生態大図鑑』としてまとめられた。
高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 19… 高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 1999年9月26日)は、日本の編集者、歴史学者、昭和史研究家。元みすず書房取締役。筆名は渡辺正治。 青森県八戸市出身。1943年中央大学専門部経済学科卒業。同年12月学徒動員で入隊。1946年みすず書房の創立に加わり同書房に勤務。1963年から小尾俊人編集長と協力し企画、刊行した「現代史資料」は、1965年第13回菊池寛賞を受賞した。1991年に退職した後は、昭和史研究に従事。
山本 まつよ(やまもと まつよ、1923年 - 2021年1… 山本 まつよ(やまもと まつよ、1923年 - 2021年11月27日 )は、日本の翻訳家、児童文学研究家。 岡山県岡山市出身。神戸女学院高等部英語師範科卒業。 山陽新聞の記者として働いていた1949年に、アメリカの招待で新聞社の代表としてアメリカに派遣され、新聞事情を学ぶ。翌年、ミズーリ大学でジャーナリズムを学び、帰国後、1962年までアジア財団日本支部に勤めた。 石井桃子との出会いを機に、児童文学に関心を寄せ、「子ども文庫の会」を設立。児童書の翻訳と、家庭文庫の普及に努めた。みずからも「わかば文庫」を運営しながら、1980年創刊の『季刊 子どもと本』の刊行や、児童書に関するセミナーで、子どもの本を選ぶことの重要性を伝えた。
高田 富佐雄(たかだ ふさお、1923年 - 1991年10… 高田 富佐雄(たかだ ふさお、1923年 - 1991年10月30日)は、日本のジャーナリスト、中国研究家。 佐賀県出身。東亜同文書院大学卒。毎日新聞記者となり、中国に勤務、江頭数馬らと文化大革命に遭遇。1966年ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。のち毎日を退社、大森実の「東京オブザーヴァー」に参加。
能坂 利雄(のうさか としお、1922年9月9日 - 199… 能坂 利雄(のうさか としお、1922年9月9日 - 1991年8月1日)は、富山県氷見郡氷見町(現氷見市)生まれの小説家・歴史研究家。書や日本画もよくし、李鷗と号して個展も開いた。日本ペンクラブ会員、日本文芸家協会会員、日本紋章学研究所長。王貞治ははとこに当る(王貞治の母・登美が能坂の祖母の姪という間柄)。 1922年9月9日、富山県氷見郡氷見町に生まれる。能坂が富山新聞に寄稿した自叙伝によれば、早熟な少年だったようで、15歳の時に早くも「吐血」と題する時代小説を「どこかの雑誌」に投稿。さらに富山新聞の前身に当たる越中新聞にも「旅笠街道」という股旅物を投稿。こちらは全5回の連載だったという。 1944年、富山青年師範学校(現富山大学)卒業。
丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 20… 丹波 哲郎(たんば てつろう、1922年7月17日 - 2006年9月24日)は、日本の俳優・芸能プロモーター・心霊研究家。東京府豊多摩郡大久保町(現:東京都新宿区)出身。身長175cm。血液型はO型。
林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年1… 林 裕(はやし ゆたか、1922年7月7日 - 1986年10月19日)は、日本の囲碁に関する評論家、編集者、観戦記者、研究家。日本棋院所属の後に執筆に専念。 東京渋谷出身。姉が福原義虎七段と結婚した縁で、1941年頃から日本棋院に出入りするようになる。1943年に学徒動員で応召。 1946年、中央大学法学部卒。戦後1948年に、村島誼紀らが『碁の新聞』を出す際に編集を任される(3号で終刊)。その後『棋道』編集の手伝いをしていて、1950年日本棋院事務局に入り、『棋道』『囲碁クラブ』や棋書を編集。編集部長、中央会館事務局長を務め、1968年には「囲碁史展」(日本橋東急百貨店)を主導した。1969年退職。
吉田 たすく(吉田祐よしだ たすく、大正11年(1922年)… 吉田 たすく(吉田祐よしだ たすく、大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」の研究・試織を繰り返し、復元した。風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい『紬と絣の技法入門』として刊行する。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士。 鳥取県倉吉市広瀬町の開業医、伊藤琢郎・久代の子として生まれる。8人兄弟の6男。旧制鳥取県立倉吉中学校(現・鳥取県立倉吉東高等学校)を卒業し、研数専門学校物理科に入学。
川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 20… 川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 2009年1月13日)は、漢文・中国文学、明治文学研究家。 愛媛県宇和島市出身(ただし生まれはアメリカ合衆国モンタナ州ディアロッジ)。宇和島中学(現愛媛県立宇和島東高等学校)、大東文化学院(現大東文化大学)卒業。元関東学院女子短期大学教授。 「明治村通信」の編集長を長くつとめた。 母方祖父母の住む吉田町の吉田尋常高等小学校に途中編入、母国語による学習をはじめ、のち宇和島の父母のもとに転じ宇和島市立第二尋常小学校を卒業、愛媛県立宇和島中学校在学、のち大東文化学院で漢学を学ぶ。 帝国海軍従軍後、東京にて「文芸新誌」編集人、中河与一編「現代フランス素描集」などの発行名義人に任じ、やがて新制度による中学校、高等学校発足後、宇和島市立城南中学校、愛媛県立吉田高等学校を含む県下の公立学校4校で教員勤務。
市原 麟一郎(いちはら りんいちろう、1921年11月22日… 市原 麟一郎(いちはら りんいちろう、1921年11月22日 - 2023年9月24日)は、日本の民話研究家、児童文学作家。 土佐民話の会主宰、文学館・語りと紙芝居の会代表。 高知県出身。日本大学高等師範部地歴科を卒業。 高知県の民話の採話と記録に努め、月刊『土佐の民話』を発行する傍ら、民話を子どもたちに語り継ぐため、手づくり紙芝居をもって、県内各地の保育・幼稚園、小学校、図書館などへの巡回公演を行った。また小学生、一般対象に紙芝居講座(演じ方、作り方)の講師を務めた。1987年、民話の発掘と伝承の仕事により高知県文化賞を受賞。 2023年9月24日、老衰のため死去、101歳。
芳賀 日出男(はが ひでお、1921年9月10日 - 202… 芳賀 日出男(はが ひでお、1921年9月10日 - 2022年11月12日)は、日本の写真家、民俗研究家。日本・世界の祭り・民族・民俗芸能の写真取材をおこなった。子息は写真家の芳賀日向。 関東州大連(現・中華人民共和国遼寧省内)に生まれる。慶應義塾大学文学部を卒業した[要出典]。大学では折口信夫に教えを受け、それに触発されて卒業後に民俗を撮影する写真家となる。 1973年に全日本郷土芸能協会を設立した(のちに理事長を務める)。1985年に株式会社芳賀ライブラリーを設立して取締役会長となる[要出典]。 複数の賞や顕彰を受けている(詳細後述)。 100歳を超えた2021年にも活動していた。 2022年11月12日、老衰のため死去。
益田 一(ますだ はじめ、1921年6月18日 - 2005… 益田 一(ますだ はじめ、1921年6月18日 - 2005年12月8日)は、日本の写真家、魚類研究家。 1921年に東京で生まれる。慶應義塾大学文学部独文科卒業。 1960年代以降水中写真家として活動し、多くの魚類図鑑を刊行した。益田海洋生物研究グループを結成して活動。当時としては画期的なカラー写真による生態観察の成果を次々と発表し、海洋関係の学会に新風を吹き込んだ。 1964年、伊豆海洋公園(静岡県伊東市)に伊豆海洋公園ダイビングセンターを設立、所長を務めた。また、東海大学の海洋学部アクアラング訓練所を改称し、潜水訓練センターを設立(1985年閉鎖)。1974年、株式会社益田海洋プロダクションを設立し、代表取締役会長を務めた。
酒井 傳六(さかい でんろく、1921年4月17日 - 19… 酒井 傳六(さかい でんろく、1921年4月17日 - 1991年8月17日)は、日本の翻訳家、エジプト研究家。文筆家。 新潟県佐渡島生まれ。1943年東京外国語学校仏語部卒業。1955年から1957年まで朝日新聞社特派員としてエジプトに滞在。古代エジプトの研究・訳業著述に従事。 1991年8月17日、頚椎損傷のため死去。
杉浦澄子(すぎうら すみこ、1921年3月15日- )は、裏… 杉浦澄子(すぎうら すみこ、1921年3月15日- )は、裏千家流の茶人、陶芸研究家。 浅井竹五郎の次女として名古屋に生まれる。別名・澄心庵、杉浦宗美。愛知県立第一高等女学校卒。1941年東京女子大学英文科中退。東京大学印度哲学研究室にて中村元の指導をうける。裏千家茶道教授。
久米 康生(くめ やすお、1921年3月10日-2015年)… 久米 康生(くめ やすお、1921年3月10日-2015年)は、和紙研究家。 徳島県名西郡石井町生まれ。筆名・芳水康史。1943年東京帝国大学文学部東洋史学科中退。1946年より毎日新聞記者、76年に定年退職後、和紙の研究に専念。雄松堂出版顧問。1989年和紙文化研究会代表、2011年名誉会長。
山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年… 山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年)1月18日 - 1991年(平成3年)10月9日)は、日本の地理学者、地名研究家。 1921年(大正10年)1月18日、愛知県豊橋市に生まれる。旧制豊橋中学校卒業後、小学校教諭を務めるが、退職して上京。1942年(昭和17年)に法政大学高等師範部歴史地理科を卒業する。渡辺光に師事した。文科省図書局・教科書局を経て、1946年建設省国土地理院地図部研究員に勤務。地図部研究係長、技術院養成所(建設大学校)教官、同研究員などを歴任する。1960年からは国土地理院の代表として、海上保安庁水路部と共同で設立された「地名等の統ーに関する連絡協議会」の委員を勤めた。
桑原 啓善(くわはら ひろよし、1921年1月1日 - 20… 桑原 啓善(くわはら ひろよし、1921年1月1日 - 2013年7月22日)は、日本の詩人、心霊研究家。ペンネームは山波 言太郎(やまなみ げんたろう)。慶應義塾大学経済学部卒業。 学生時代に心霊研究の迷信を叩くことを試みるが、逆に心霊研究を正しいと考えるようになり、同研究の道に入る。心霊科学研究会を創設した浅野和三郎の後継者である脇長生に師事。1985年、任意団体「シルバー・バーチの会」(後のニューエイジ団体『生命の樹』)を設立し、「ネオ・スピリチュアリズム」を唱導する。 1992年、癒やしの力を持つ発声法として「リラ」を考案。人間の耳には聞こえない自然界の呼吸音が癒やしと生命力の回復になると考え、これを「自然音楽」と呼び、この自然音楽で人を癒やす「自然音楽療法」を1995年に開始。
小泉富太郎(こいずみ とみたろう、1920年12月25日 -… 小泉富太郎(こいずみ とみたろう、1920年12月25日 - 2008年5月1日)は日本の地方公務員、刀剣研究家。横浜市助役、神奈川県公安委員会委員などを務めた。1992年には勲三等瑞宝章を受章。 1938年に神奈川県立横浜第三中学校を卒業後、1943年に國學院大學文学部国史科卒業。その後大日本帝国海軍に入隊した。 1949年に横浜市に入庁。主に清掃局の畑一本で過ごしてきた。清掃局清掃施設課長、清掃局管理部長などを経て、1971年9月1日に清掃局長、1972年8月3日に総務局長、1975年5月26日には横浜市助役に就任した。1979年5月25日に辞職。 1982年10月21日 神奈川県公安委員会委員。
宮城 信勇(みやぎ しんゆう、1920年11月28日 - 2… 宮城 信勇(みやぎ しんゆう、1920年11月28日 - 2019年9月16日)は、沖縄県出身の八重山方言研究家、郷土史家。石垣市名誉市民。 1920年11月28日、沖縄県八重山郡石垣町(現在の石垣市)新川で生まれる。母は『八重山生活誌』で第1回伊波普猷賞を受賞した宮城文。 九州帝国大学法文学部を卒業。教員を経て、八重山群島政府文教部長、八重山地区教育長、琉球政府企画局長、沖縄電力取締役等を歴任。 定年後の1976年、母とともに石垣方言の研究をはじめ、翌1977年に『八重山ことわざ事典』を出版。2003年には、1万7千語余りを収録する『石垣方言辞典』を完成させた。1993年に東恩納寛惇賞、2016年に伊波普猷賞、2020年に吉川英治文化賞を受賞。
土門 周平(どもん しゅうへい、1920年11月18日 - … 土門 周平(どもん しゅうへい、1920年11月18日 - 2017年)は、日本の軍事史研究家、作家。本名・近藤新治。妻は作家の近藤富枝。 東京出身。東京府立第四中学校を経て、陸軍士官学校(第55期、機甲科)卒業。騎兵第29連隊、戦車第28連隊中隊長等の部隊勤務をへて、終戦時は陸軍大尉、戦車第4師団通信隊長であった。 戦後、さまざまな職業を経て警察予備隊に入隊し陸上自衛隊勤務、富士学校教官などを経て防衛研究所戦史編纂官に就く。退官後も防衛研究所、自衛隊幹部学校で軍事戦略思想史、戦争指導史を講義。国際軍事史学会日本事務局担当を経て、日本軍事史学会副会長、戦略研究学会会長。 勤務のかたわら執筆した時代小説でサンデー毎日大衆文藝賞佳作。
鈴木 喬(すずき たかし、1920年11月10日 - 201… 鈴木 喬(すずき たかし、1920年11月10日 - 2010年10月29日)は、熊本県の歴史研究家。地名研究家としても知られる。 鈴木喬は、父・鈴木登(1888年 - 1954年、京都帝国大学文学部史学科出身)が京都市視学であったので、京都大学医学部附属病院で生まれた。満2歳で父が第五高等学校教授に招請されて、熊本で育つ。碩台幼稚園、白川小学校時代を通じて本を読むのが好きであった。熊本中学校(現県立熊本高等学校)時代は3年にわたって結核を患う。日本大学文学部史学科卒業。1945年の東京大空襲は辛うじて逃れたが、熊本大空襲で自宅が被爆、父親の多くの史料が焼失した。 戦後は新制中学で教職につき、熊本市立白川中学校、熊本市立出水中学校などに勤務する。
井手 文子(いで ふみこ、1920年7月13日 - 1999… 井手 文子(いで ふみこ、1920年7月13日 - 1999年12月10日)は、日本の近代女性史研究家。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。自由学園高等部卒業。在学中、羽仁五郎を囲む世界史研究講座に参加し、1945年治安維持法により検挙される。戦後は民主主義科学者協会(略称:民科)に所属して1948年の婦人問題研究会(1957年 日本女性史研究会に発展、1963年ごろ 活動停止)の結成に参加、松下圭一らと1960年現代婦人問題研究会(1969年解散)にも参加。平塚らいてうや雑誌「青鞜」の研究、『伊藤野枝全集』(學藝書林)の編纂を行った。1961年に刊行した『青鞜』(弘文堂)では、従来は平塚らいてうを中心として研究されていた青鞜社を、集団としての女性解放運動の視点からとらえ直した画期的な研究書として支持を得た。
今井 金吾(いまい きんご、大正9年(1920年)7月5日 … 今井 金吾(いまい きんご、大正9年(1920年)7月5日 - 平成22年(2010年)5月2日)は、日本のジャーナリスト、文筆家、江戸・街道研究家。日本経済新聞社記者。街道歩きの第一人者[要出典]。『半七捕物帳』の研究でも知られる。 大正9年(1920年)7月5日、東京府東京市神田区に生まれ育つ。後に品川区大井に移る。先祖は群馬県碓氷郡坂本町(現安中市松井田町坂本)という。 戦後間もない昭和21年(1946年)、早稲田大学を卒業して日本経済新聞社に入社、社会部に配属され、帝銀事件・下山事件・三鷹事件等の取材に関わった。警視庁キャップ、婦人家庭部長、大阪本社社会部長、東京本社地方部長、札幌支社長等を歴て、昭和49年(1974年)定年退職した。
大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月2… 大崎 映晋(おおさき えいしん、1920年〈大正9年〉6月21日- 2015年〈平成27年〉)は日本の水中写真家・水中考古学者・海女文化研究家。中央大学経済学部卒業、東京藝術大学油絵画科中退。1938年(昭和13年)、トレジャー・ダイバーの第一人者片岡弓八に師事し、海軍水路部勤務などを経て、戦後は名取洋之助の門下に入り、水中写真家として国内外の映画の水中撮影を数多く手掛ける。1960年から1961年(昭和35年-36年)、サンタモニカ国際写真コンクールにてアカデミー賞受賞。1970年(昭和45年)、ジャック・マイヨールが伊豆半島でフリー・ダイビングの世界新記録を出した時に彼をサポートし、以後、ジャックと交遊を続ける。
塚原 雄太(つかはら ゆうた、1920年(大正9年)6月12… 塚原 雄太(つかはら ゆうた、1920年(大正9年)6月12日 - 2011年(平成23年)12月30日)は、日本の教育者、教育研究家。 1920年(大正9年)6月12日、栃木県に生まれる。1944年(昭和19年)に法政大学経済学部を繰り上げ卒業する。学徒出陣で陸軍東部第17部隊に入隊し、1945年(昭和20年)に敗戦により復員する。復員後、土木労務者、米軍PXのバーテンダー、露天商組合事務員などを経て、1947年(昭和22年)に東京荒川区の荒川区立第七中学校の教員となる。1954年(昭和29年)に荒川区立第九中学校にうつり、1957年(昭和32年)から1981年(昭和56年)まで同校第二部(夜間学級)で教鞭をとった。
久野 健(くの たけし、1920年4月19日 - 2007年… 久野 健(くの たけし、1920年4月19日 - 2007年7月27日)は、日本の仏像研究家。日本彫刻史が専門で、仏像研究に日本で初めて光学的方法を適用した。 東京都出身。東京帝国大学卒。 1945年(昭和20年)、文部省美術研究所(現東京国立文化財研究所)入所。 1959年(昭和34年)、神奈川県横須賀市芦名の浄楽寺で、江戸時代の地誌に仏師運慶との関係を伝える記録があった仏像5体(阿弥陀如来坐像・観音菩薩立像・勢至菩薩立像・毘沙門天立像・不動明王立像)を調査し、内部から運慶の銘札を発見し運慶作であることを実証した。 1976年(昭和51年)に「平安初期彫刻史の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。
金 達寿(キム・タルス/キムダルス、김달수、1920年〈大正… 金 達寿(キム・タルス/キムダルス、김달수、1920年〈大正9年〉1月17日(陰暦1919年11月27日) - 1997年〈平成9年〉5月24日)は、在日朝鮮人小説家・古代史研究家。朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮総連を強く支持していたものの、実態を知り、1981年に韓国訪問以降は第三者の立場を取った。 日本統治下朝鮮の慶尚南道昌原郡内西面虎渓里(現・大韓民国慶尚南道昌原市馬山会原区)に、中農の地主の三男として生まれる。父・金柄奎、母・孫福南、長兄・金声寿、次兄・金良寿、妹・金ミョンスがいた。 父柄奎が遊蕩に耽り、破産。1925年(大正14年)、金達寿が5歳の時、両親は長男声寿と妹ミョンスを連れて、内地に渡る。
後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10… 後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10月12日)は、日本の経済学者・経済思想史研究家。 神戸市生まれ。兵庫県第二神戸中学校(「神戸二中」、現在の兵庫県立兵庫高等学校)卒業。兵庫県立神戸高等商業学校(のちの神戸商科大学、現在の兵庫県立大学)を経て神戸大学卒業。指導教官は福田徳三門下の宮田喜代蔵。近畿大学商経学部元教授。思想の科学研究会会員。 マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるカルヴァン派に相当するものが、日本における浄土真宗であると考え、『真宗と資本主義』(所書店、1973年)を著した。また恩師と同じ福田門下である大熊信行の着想を展開させた『配分の経済学』(同文館出版、1977年)を出版した。
広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1… 広池 秋子(ひろいけ あきこ、1919年(大正8年)11月1日 - 2007年(平成19年)11月25日)は、日本の小説家、評論家、ヨーガ研究家。埼玉県出身。本名は増田秋子。東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)卒。丹羽文雄に師事し、1953年「オンリー達」で芥川賞候補となる。以後は評論家として活動。 「オンリー達」は、『現代の女流文学 第1巻』(毎日新聞社、1974)、『女性作家シリーズ 現代秀作集』(角川書店、1999)、『戦後の出発と女性文学 第8巻 (昭和28年)』(ゆまに書房、2003)所収。
丹羽 基二(にわ もとじ、1919年9月5日 - 2006年… 丹羽 基二(にわ もとじ、1919年9月5日 - 2006年8月7日)は、日本の民俗学者、苗字・家紋研究家。イタリアのオリエンタル大学名誉教授、文学博士。日本家系図学会会長、日本伝統美保存会、地名を守る会代表などを歴任した。 1919年、栃木県で生まれた。1944年、國學院大學国文科を卒業する。卒論のテーマは『源氏物語』。柳田國男、樋口清之、折口信夫、太田亮らに師事した。高校教師の傍ら苗字調査を続け、1980年の退職後に本格的な研究活動に入り、全国の100万基の墓を巡った。 2006年8月7日、肺炎のため逝去。 栃木県佐野市に住んでいた幼少時に、隣組の住人の苗字、四十八願(よいなら)に関心を抱き、師事した柳田國男にその苗字について質問をしたところ、柳田に勧められ苗字の研究を開始する。
小林 計一郎(こばやし けいいちろう、1919年5月21日 … 小林 計一郎(こばやし けいいちろう、1919年5月21日 - 2009年11月1日)は、日本の歴史学者、郷土史研究家。長野県史編纂委員、長野郷土史研究会会長(初代)。長野工業高等専門学校、文化女子大学長野専門学校、信州短期大学の元教授。長子は、長野郷土史研究会の二代目会長の小林一郎。脚本家の小林雄次と小林英造は孫。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学校(現長野高校)を卒業し、神宮皇學館に進学する。小林一茶研究で知られる伊藤正雄に師事して国文学を学ぶ。1941年に卒業。兵役を経て、1946年から大阪府立農学校や長野県の高等学校教諭、長野工業高等専門学校教授、信州短期大学教授などを歴任。1991年信州短大退職、名誉教授の称号を受ける。
中村保雄(なかむら やすお、1919年4月26日 - 199… 中村保雄(なかむら やすお、1919年4月26日 - 1996年2月6日)は、日本の能面研究家。 東京出身。父は能面作家・中村直彦。1940年東京物理学校数学科卒。高校教師となり、京都府立鴨沂高等学校校長、京都文化短期大学教授。1965年京都新聞社文化賞、80年「能面」で芸術選奨文部大臣賞受賞。
根本 順吉(ねもと じゅんきち、1919年3月30日 - 2… 根本 順吉(ねもと じゅんきち、1919年3月30日 - 2009年9月22日)は、日本の気象研究家。雅号は迷亭翁。 東京都文京区本郷出身。1941年、中央気象台附属気象技術官養成所(現・気象大学校)卒業。戦時中は海軍軍属として航空気象業務に従事。戦後は気象庁予報課、長期予報課各種予報技術担当「気象百年史」編纂などの後、1975年退官。1963年日本付近の異常低圧に気づき、以後異常気象の解析を行う。1975年『気象百年史』を完成、退官後は啓蒙家として子供向けの著書などを多く執筆した。 1970年~1985年埼玉大学教養学部兼任講師。1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。 1970-80年に地球寒冷化を予測していたが、その後の温暖化現象について、温室効果ガスを原因とする説をとらず、予測を超えた変化であるといった立場をとった。
細田 貴助(ほそだ きすけ、1919年(大正8年) - 没年… 細田 貴助(ほそだ きすけ、1919年(大正8年) - 没年不明)は、長野県茅野市出身の郷土史研究家、閉校した諏訪郡富士見町立落合小学校 の元校長。茅野市神長官守矢史料館初代館長。
松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 201… 松本 旭(まつもと あさひ、1918年6月29日 - 2015年10月30日)は、日本の俳人、俳句研究家、国文学者、作詞家。埼玉大学名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。従四位。 埼玉県大石村(現・上尾市)出身。本名の読みは「あきら」。東京文理科大学卒業後、埼玉県立浦和高等学校で教鞭を執った。埼玉大学教育学部助教授、教授、1972年から1975年まで埼玉大学教育学部附属小学校校長兼任。1983年定年退官、名誉教授、城西大学女子短期大学部教授。 加藤楸邨、角川源義に師事して俳句を詠み、1978年俳誌『橘』を創刊、主宰。妻も俳人の松本翠。「村上鬼城研究」で俳人協会評論賞受賞。連歌・近代俳句の研究家でもあった。
小泉 清子(こいずみ きよこ、1918年5月7日 - )は、… 小泉 清子(こいずみ きよこ、1918年5月7日 - )は、日本の実業家であり、きもの研究家である。呉服販売会社「鈴乃屋」代表取締役会長。
山路 健(やまじ たけし)、1918年3月31日 - 19… 山路 健(やまじ たけし)、1918年3月31日 - 1999年6月8日)は、日本の農業史学者、食文化研究家、文筆家。 三重県生まれ。筆名・梶山健。慶応義塾大学法学部法律学科卒業。 1952年農業発達史調査会研究員として『日本農業発達史』の執筆に参加。1959年より農政調査委員会、1960年企画部長、常任理事、専門委員。『食の科学』(光琳)編集長。1986年から文筆活動に専念。 1988年「文化的・社会経済的視座から考察した「食」の変貌に関する研究」で東京農業大学農学博士。
磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 20… 磯野 富士子(いその ふじこ、1918年3月24日 - 2008年1月5日)は、日本のモンゴル研究家、翻訳家。 広島県生まれ。日本女子大学附属高等女学校卒業。日本女子大学校英文科卒業。磯野誠一と結婚、1943年誠一とともにモンゴルに行き、西北研究所の所員となる。 戦後帰国、『冬のモンゴル』を刊行。1961年「再び主婦労働について」を発表し、第二次主婦論争の口火を切る。1966年『オルドス口碑集』の翻訳を出版、パリのラティモア-モンゴル学研究所主任研究員となる。 父は海軍技術少将穂積律之助、伯父に東大教授穂積重遠と叔父に京城電気取締役穂積真六郎。祖父東大教授穂積陳重、祖母歌子は渋沢栄一の長女であり、父の律之助は栄一の2番目の孫であった
南沢 宣郎(みなみさわ のぶろう、1918年2月11日 - … 南沢 宣郎(みなみさわ のぶろう、1918年2月11日 - )は、事務処理の研究家。 東京市本郷区千駄木生まれ。1950年東京大学経済学部卒業、小野田セメントに入社、経理部、企画調査室長、1953年総務部情報処理担当部長として事務処理の一貫機械化を推進した。のち顧問。白鴎女子短期大学教授。1958年『オートメーションと会計学』で日経・経済図書文化賞、日本図書文化賞受賞。1959年NONA経営文献賞、1978年経営科学文献賞、日本コンピュータ・ユーティリティ協会理事長、日本データ・プロセッシング協会副会長。
安田 義章(やすだ よしあき、本名:安田安造<やすだ やすぞ… 安田 義章(やすだ よしあき、本名:安田安造<やすだ やすぞう>、1918年<大正7年>1月22日 - 2008年<平成20年>10月18日)は、日本の性風俗研究家、AV男優である。最晩年の別称は安田老人。 1918年(大正7年)1月22日、指物師である父、安田利作、母、キヨノの長男として、東京都荒川区にて出生。生家は職人を何人も雇う、家具製造所であった。木工が好きではなかった安造は、高等小学校卒業後の1930年(昭和5年)、神田の文房具店に奉公に出された。 この頃、得意先の女子店員に誘惑されたり、公衆便所を覗いたりして性に目覚める。 その後、築地の魚河岸で働くが、1年もしないうちに辞め、実家へ戻った。
加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 199… 加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の大正、昭和の庶民史、世相・風俗・文化史などの評論家・庶民文化研究家・紙芝居作家。 東京市浅草区神吉町(現・東京都台東区東上野四丁目、五丁目辺り)の貧困家庭に生まれ、荒川区尾久に育つ。本名は加太一松(かぶと かずまつ)だが、名門の加太家の血筋を誇る父に反発し、尋常小学校5年の時から「かた」と名乗るようになった。父親が働かないため関東大震災前に母親と別れ、大商人の妾をしていた伯母(父親の姉)に育てられる。 紙芝居の世界に入ったのは高等小学校在学中の14歳の時。高等小学校卒業後、師範学校への進学を希望していたが、給費制度廃止のために断念し、紙芝居の世界で働く。
本間 信治(ほんま のぶはる、1918年 - 1995年4月… 本間 信治(ほんま のぶはる、1918年 - 1995年4月28日)は、日本の地名研究家。本名は本間 信治(のぶじ)。 東京生まれ。中央大学専門部商学科卒。第二次大戦のとき沖縄戦に参加。 戦後、測量会社に勤務のかたわら、地名を研究。地名研究協議会、地名文化研究会主宰。楠原佑介の師にあたる。