柳家 せん八(やなぎや せんぱち、1948年2月5日 - 2… 柳家 せん八(やなぎや せんぱち、1948年2月5日 - 2022年9月11日)は、落語協会所属の落語家。群馬県太田市出身。本名∶吉沢 博。出囃子は『かわいい魚屋さん』、定紋は『花菱』。 1968年4月に四代目柳家小せんに入門、前座名せん松を名乗る。1973年9月に春風亭一朝、三遊亭勝馬と共に二ツ目昇進、せん八に改名。 1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬、六代目古今亭志ん橋、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬とともに真打に昇進。 生前最後の寄席への出演は2021年1月5日の浅草演芸ホールとなった。 2022年9月11日0時00分、腹膜炎のため、東京都内の自宅で死去。
矢崎 滋(やざき しげる、1947年9月2日 - )は、日本… 矢崎 滋(やざき しげる、1947年9月2日 - )は、日本の俳優、司会者、プロ落語家。東京都出身。身長は、173cm。体重は、65kg。血液型はAB型。父は言語学者でアンデルセンの翻訳家としても知られる元東京教育大学教授の矢崎源九郎。叔父は法哲学者で大阪大学名誉教授の矢崎光圀。
桂 南喬(かつら なんきょう、1947年8月7日 - )は、… 桂 南喬(かつら なんきょう、1947年8月7日 - )は、東京都中野区出身の落語家。落語協会所属。出囃子∶『吉原雀』。紋∶「丸に剣かたばみ」。本名:末吉 豊比古。 1963年1月、三代目三遊亭金馬に入門。前座名は三遊亭ゆたか。翌年1月21日、東京有楽町の東宝名人会にて初高座。演目は「寿限無」。1965年2月に三代目金馬が死去したため、兄弟子の二代目桂小南門下に移籍、桂ゆたかに改名。同時に、落語芸術協会に加入 する。 1967年10月に二ツ目昇進、南笑に改名。 1977年3月に真打昇進し、南喬と改名。1984年に桂文朝、桂文生、文生の弟子桂きん治と共に落語協会の五代目柳家小さん門下へ移る。 年に2回行われる独演会「桂南喬ひとりっきり会」を行っている。
4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 … 4代目 林家 小染(はやしや こそめ、1947年6月11日 - 1984年1月31日)は、大阪府大阪市出身の上方噺家。本名: 山田 昇(やまだ のぼる)。出囃子は『たぬき』。
三遊亭 小遊三(さんゆうてい こゆうざ、1947年〈昭和22… 三遊亭 小遊三(さんゆうてい こゆうざ、1947年〈昭和22年〉3月2日 - )は、日本の落語家。落語芸術協会所属、同協会参事。神奈川県横浜市出生、山梨県大月市出身。本名は天野 幸夫(あまの ゆきお)。マネジメントは大有企画に所属。出囃子は「ボタンとリボン」または「春はうれしや」。定紋は「高崎扇」。日本テレビ『笑点』の大喜利メンバー。 山梨県立都留高等学校在学中、卓球部でキャプテンを務めていたことから、1964年の東京オリンピックでは聖火ランナーに抜擢される。これは、本来なら他の部のキャプテンがランナーを務める予定だっだが、そのランナーが不祥事を起こしたため、急遽代わりに選ばれたものである。地元の山梨県大月市で1.2km区間を走った。
三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく、1947年3月1日 -… 三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく、1947年3月1日 - )は、埼玉県川越市出身の落語家。五代目圓楽一門会顧問。出囃子は『松の太夫』または『正札付』。本名:内田 啓次。 1965年10月、五代目三遊亭圓楽に入門。五代目圓楽の総領弟子であり、圓楽の師匠・六代目三遊亭圓生にとって初の孫弟子であった。前座名は圓生の本名「山崎松尾」から一字をとり「楽松」と名付けられた。入門時に師匠の圓楽は自身の活動が忙しく、また当時は大師匠・圓生の身の回りの世話をする前座がいなかったため、圓生のもとに預けられて修行する。圓生は「初孫」として可愛がってくれたが、稽古の時だけは怖ろしかったという。 1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、金原亭駒三、三遊亭梅生、立川談十郎とともに二ツ目昇進。
三代目 柳家 権太楼(やなぎや ごんたろう、1947年1月2… 三代目 柳家 権太楼(やなぎや ごんたろう、1947年1月24日 - )は、東京都北区出身の落語家である。本名:梅原 健治。落語協会所属、同協会相談役。出囃子は『金比羅船々』。 現在の落語界を代表する爆笑派。十八番の『代書屋』で知られる。 明治学院大学落語研究会で活躍。大学卒業後の1970年4月1日、五代目柳家つばめに弟子入り。前座名柳家ほたるを名乗る。前座時代には立川寸志、林家種平、林家公平の4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。1974年9月に師匠つばめが死去したため、大師匠である五代目柳家小さん門下に直る。 1975年11月、古今亭八朝、林家らぶ平と共に二ツ目昇進。
桂 南八(かつら なんぱち、1946年11月14日 - 20… 桂 南八(かつら なんぱち、1946年11月14日 - 2007年11月15日)は、落語芸術協会に所属していた落語家。本名∶楡井 勇。 1947年、群馬県新田郡に生まれる。地元の高学を卒業後三洋電機に入社。サラリーマンとなる。 1967年、二代目桂小南に入門。1970年、二ツ目昇進。 1981年に三笑亭夢太朗、三遊亭栄馬と共に真打昇進。1984年、国立演芸場にて金賞受賞。 2007年、消化管出血のため死去。61歳没。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日 -… 三遊亭 好楽(さんゆうてい こうらく、1946年8月6日 - 、本名、家入 信夫(いえいり のぶお))は、落語家。円楽一門会の会長。
2代目 桂 歌之助(かつら うたのすけ、1946年7月30日… 2代目 桂 歌之助(かつら うたのすけ、1946年7月30日 - 2002年1月2日)は、岡山県岡山市出身の[要出典]上方落語の落語家。本名∶北村 和喜。出囃子∶『たぬき』または『八島官女』[要出典]。 大阪府立大手前高等学校卒業後、建築科の大学を志すも2浪で失敗する[要出典]。浪人中に3代目桂米朝と小松左京が司会を務めた『題名のない番組』(ラジオ大阪)を愛聴し、それがきっかけで米朝の落語に惹かれる。1967年7月に千日劇場に出ていた[要出典]米朝に入門し、桂扇朝を名乗る。1970年にトップホットシアターで初舞台[要出典]。 落語会開催のたびに不幸な出来事(下記詳細)が起こると評されたために改名を考え、姓名判断に凝っていた香川登志緒の勧めもあって[要出典]、1974年1月[要出典]に歌之助を襲名した。
柳家 三寿(やなぎや さんじゅ、1946年5月23日 - 2… 柳家 三寿(やなぎや さんじゅ、1946年5月23日 - 2020年6月20日)は、宮城県気仙沼市出身の落語家。落語協会所属。本名∶鈴木 猛。出囃子は「東京音頭」。 宮城県気仙沼高等学校、 明治大学法学部卒業。 柳家 千壽(やなぎや せんじゅ、1962年? - )は、落語家。東京都渋谷区生まれ、葛飾区育ち。出囃子は「お江戸日本橋」。
4代目桂 文字助(かつら もじすけ、1946年2月13日 -… 4代目桂 文字助(かつら もじすけ、1946年2月13日 - )は、東京都江東区出身の落語家。落語立川流に所属していたが、2015年に脱退。本名、松田 治彦(まつだ はるひこ)。神奈川県立神奈川工業高等学校卒業。出囃子は『外記猿』。
四代目 桂 文字助(かつら もじすけ、1946年〈昭和21年… 四代目 桂 文字助(かつら もじすけ、1946年〈昭和21年〉2月13日 - 2021年〈令和3年〉10月16日)は、東京都江東区出身の落語家。本名∶松田 治彦。出囃子は『外記猿』。「落語立川流きっての武闘派」「相撲噺のスペシャリスト」と評される。 神奈川県立神奈川工業高等学校卒業。噺家になる前は「デン助劇団」の役者を志し、松竹演芸場の裏方をしていた。 1964年4月、六代目三升家小勝に入門。「三升家勝松」を名乗る。前座時代の1966年5月15日、『笑点』(日本テレビ)の初代座布団運びとして、1967年1月22日まで出演。これにより七代目立川談志と繋がりができる。 1968年5月に二ツ目昇進。1971年に師匠・小勝が死去したため七代目立川談志門下に移り「立川談平」と改名。
桂 朝太郎(かつら ちょうたろう、1946年2月11日 - … 桂 朝太郎(かつら ちょうたろう、1946年2月11日 - )は大阪府出身の落語家。本名は小田 幸吉(おだ こうきち)。大阪高等学校出身。独身。愛称は「朝(ちょう)さん」。
4代目 立花家 千橘(たちばなや せんきつ、1946年2月3… 4代目 立花家 千橘(たちばなや せんきつ、1946年2月3日 - )は、上方落語の落語家。本名は田井 利孝。立花オフィス(一時師匠の事務所であった露の五郎兵衛事務所所属)所属、上方落語協会顧問。樺太生まれで高知県(名古屋市在住経験も在る)育ち。 樺太の生まれで戦後まもなく高知県に引き揚げた。名古屋市立菊里高等学校定時制卒業。高校時代に演芸を知り大須演芸場に通うようになり1966年6月1日、2代目露の五郎兵衛(当時は2代目桂小春団治)に入門、桂団丸を名乗る。1967年にうめだ花月で初舞台。1968年、師が2代目露乃五郎を襲名したことに伴い、亭号を「露の」に改める。 1993年、4代目立花家千橘を襲名し、1951年に2代目立花家花橘が死去して以来、上方では途絶していた亭号「立花家」を復活させた。
二代目 金原亭 馬の助(きんげんてい うまのすけ、1945年… 二代目 金原亭 馬の助(きんげんてい うまのすけ、1945年12月19日 - )は、茨城県稲敷郡美浦村出身の落語家。落語協会所属。本名∶松本 直夫。出囃子は『どうぞ叶えて』。 1965年6月、初代金原亭馬の助に入門し「小馬吉」で初高座。 1971年11月、三遊亭歌司、橘家竹蔵、柳家さん八、三遊亭歌橘、三遊亭楽松、林家九蔵、三遊亭朝治と共に二ツ目昇進し「駒三郎」に改名。1976年に師匠馬の助が死去した為十代目金原亭馬生門下に移籍。 1981年3月に柳家さん喬、五街道雲助、三遊亭圓龍、七代目むかし家今松、三遊亭歌司、橘家竹蔵と共に真打昇進し、二代目金原亭馬の助を襲名。 寄席では百面相を演じることもある。
七代目 むかし家 今松(むかしや いままつ、1945年10月… 七代目 むかし家 今松(むかしや いままつ、1945年10月30日 - )は、千葉県松戸市出身の落語家。本名:鵜殿 真克。落語協会所属。出囃子は『舌出し三番叟』。紋は『裏梅』。 1965年1月、十代目金原亭馬生に入門、前座名は「駒次」で、3月14日に新宿末廣亭で「道灌」を演じ初高座。 1970年4月に六代目柳家小団治、柳家小三太、三遊亭旭生と共に二ツ目昇進、七代目むかし家今松を名乗る。 1981年3月に柳家さん喬、五街道雲助、三遊亭圓龍、三遊亭歌司、二代目金原亭馬の助、橘家竹蔵と共に真打昇進。 1987年12月、第33回 国立演芸場 花形若手演芸会新人賞金賞受賞、演目は「笠碁」。 口癖は「そんなに売れたくない」。
初代 三笑亭 夢丸(さんしょうてい ゆめまる、1945年〈昭… 初代 三笑亭 夢丸(さんしょうてい ゆめまる、1945年〈昭和20年〉10月4日 - 2015年〈平成27年〉3月7日)は、落語芸術協会所属の落語家。本名∶坂田 宏。神奈川県横浜市出身。出囃子は『元禄花見踊』。 横浜市立金沢高等学校卒業。身長172cm。血液型はA型。 2001年(平成13年)ごろから自主的にテレビ出演を控えるようになり、ライフワークとして、演芸情報誌「東京かわら版」と編集長の大友浩(当時)の協力のもと、江戸を舞台にした古典題材の落語台本を一般公募、優秀作を「夢丸新江戸噺」として高座にかけた。応募資格はプロアマ問わず、台本の条件は「日本人が着物を着ていた時代を背景とする噺」。ストーリー性があり、口演に30分以上必要な噺を希望していた。
六代目(四代目)月の家 圓鏡(つきのや えんきょう、1945… 六代目(四代目)月の家 圓鏡(つきのや えんきょう、1945年9月11日 - )は、長野県出身の落語家。出囃子∶「木曽節」。本名∶日吉 正。落語協会所属。 長野県下伊那郡売木村生まれ、東京都大田区蒲田育ち。東京都立大森高校卒業、東京理科大学理学部中退。 1966年2月、五代目月の家圓鏡に入門、1970年10月に前座名「月の家杵助」として楽屋入り。初高座は人形町末廣。 1972年4月に二ツ目昇進、橘家舛蔵に改名。1974年、第3回放送演芸大賞最優秀ホープ賞を受賞。 1982年4月に三遊亭小歌、柳家さん枝、林家えび蔵、林家ばん平、金原亭駒三らとともに真打昇進。初代月の家小圓鏡に改名。1999年4月に六代目月の家圓鏡を襲名した。
昔昔亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう、1945年5月20… 昔昔亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう、1945年5月20日 - 2025年12月28日)は、落語芸術協会所属の落語家。長野県小諸市出身。本名∶柳澤 尚心。出囃子∶『旧桃太郎の唄』。 長野県更級農業高等学校を卒業した[要出典]。 1965年6月、5代目春風亭柳昇に入門、前座名は「昇太」。1969年4月、二ツ目に昇進し、「春風亭とん橋」と改名。1972年、「笑橋」と改名。[要出典] 1981年10月、真打に昇進し、「3代目昔々亭桃太郎」と改名[要出典]。昔々亭桃太郎を名乗った落語家が何人いたか正確な数は不明だが、本人は「初代は鬼が島に行った人で、自分は三代目」と発言している(落語芸術協会のホームページや、本人のサインでは三代目となっている)。
柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年1月28日 - … 柳家 さん遊(やなぎや さんゆう、1945年1月28日 - )は、東京都練馬区生まれの落語家。本名∶中 義夫。落語協会所属。出囃子は「三社祭」。 東京工業高校卒業。噺家になりたいと思いつつも、親のために一度は諦めて社会人になった経験を持つ。 1965年3月、五代目柳家小さんに入門し、本名から取った前座名「柳家小よし」を名乗る。 1970年4月、柳家小団治、三遊亭旭生、むかし家今松と共に二ツ目昇進し「柳家小三太」と改名。二ツ目になるとき師匠に相談したら「小團治」と「小三太」が余っており、同時昇進の武助と二人でジャンケンで決めなさいと言われたが、武助が「ジャンケンでなく、彼女に相談して決めてもいいですか」と言い、その結果武助の彼女が小團治を選んだので、さん遊は「小三太」になった。
芝垣 美男(しばがき よしお、1945年 - )は、日本の弁… 芝垣 美男(しばがき よしお、1945年 - )は、日本の弁護士・アマチュア落語家。高座名は「山笑亭小粒」。芝垣美男法律事務所所長。札幌弁護士会所属。北海道室蘭市生まれ。 1969年北海道大学法学部卒業。在学中に司法試験合格。また、在学中に北海道大学落語研究会初代会長を務めた。1974年弁護士登録。芝垣美男法律事務所所長。1984年室蘭落語長屋に参加し、本格的に落語家活動も始める。1994年(平成6年)全日本社会人落語選手権大会で準優勝。2010年現在、北海道素人落語協会会長。 この他、1985年に札幌弁護士会副会長。 『北海道人物・人材情報リスト2004 か-と』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)p966 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
和泉家 志ん治(いずみや しんじ 1945年 - )は、日本… 和泉家 志ん治(いずみや しんじ 1945年 - )は、日本の落語家、ローカルタレント。
初代 三遊亭 圓丈(しょだい さんゆうてい えんじょう、19… 初代 三遊亭 圓丈(しょだい さんゆうてい えんじょう、1944年12月10日 - 2021年11月30日)は落語協会に所属していた落語家。本名:大角 弘。愛知県名古屋市出身で、東京都足立区六町に在住していた。出囃子は『官女』。新作落語において多くの作品を残し、後進の新作落語家に大きな影響を与えたことで知られる。 1944年12月10日、愛知県名古屋市瑞穂区雁道町に生まれる。生家は写真館。明治大学文学部中退。 1964年12月、6代目三遊亭圓生に入門、七番弟子となる。顔かたち雰囲気が「ヌーッ」としているところからの師匠の命名で前座名「三遊亭ぬう生」を名乗る。 1969年4月、二ツ目に昇進。 1978年3月、6人抜きの抜擢で柳亭金車と共に真打に昇進して「三遊亭圓丈」を襲名。
六代目 古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう、1944年8… 六代目 古今亭 志ん橋(ここんてい しんきょう、1944年8月17日 - 2023年10月8日)は、東京都墨田区江東橋出身の落語家。本名∶小椋 幸彦。落語協会所属。出囃子は「大拍子」。 東京都立第四商業高等学校卒業後ガソリンスタンドに勤務。 1969年1月、三代目古今亭志ん朝に入門。1972年10月に前座となる、前座名「古今亭志ん太」。 1975年5月、蝶花楼花蝶、立川談生、林家源平、立川小談志と共に二ツ目昇進。 1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬、柳家せん八、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬と共に真打昇進。六代目古今亭志ん橋を襲名。
三遊亭 左圓馬(さんゆうてい さえんば、1944年4月10日… 三遊亭 左圓馬(さんゆうてい さえんば、1944年4月10日 - 2023年10月27日)は、群馬県吾妻郡中之条町出身の落語家。落語芸術協会所属。本名∶横手 基彦。出囃子は『鉄道唱歌』。 1969年1月、四代目三遊亭圓馬に入門。前座名「喜久馬」を名乗る。 1973年4月、二ツ目に昇進し「三遊亭桂馬」に改名。二ツ目時代は「落語水心倶楽部」を結成し全国で落語会を開催した。 1984年4月、四代目三遊亭圓左、三代目三遊亭小圓右、三遊亭左遊、桂南治と共に真打昇進し「三遊亭左圓馬」に改名。 2023年10月27日、死去。79歳没。 訃報は所属されている落語芸術協会からは会員や公には告知されず、11月頃にプロフィールに忌日が追記され掲載欄が「故人」の項に変更されていた。
桂 枝助(かつら えだすけ、1943年(昭和18年)3月22… 桂 枝助(かつら えだすけ、1943年(昭和18年)3月22日 - 2004年(平成16年)1月2日)は、東京都墨田区出身の落語家。本名∶小林 光久。生前は落語芸術協会所属。出囃子は『串本節』。 1958年3月、二代目桂枝太郎に入門し、前座名「桂小枝」を名乗る。 1963年3月、二ツ目昇進し「桂枝松」に改名。 1974年4月、三遊亭圓輔と三遊亭若馬と共に真打昇進し「枝助」と改名。 2000年6月、落語芸術協会監事に就任。2004年1月2日に膵臓がんのため死去。60歳没。 血液型はO型。二ツ目時代、二代目桂小文治の家の掃除を命じられ、小文治が大切に育てていた庭の石灯籠のコケを落としてピカピカに磨き上げ、大激怒されたというしくじり話がある。
三笑亭 茶楽(さんしょうてい ちゃらく、1942年〈昭和17… 三笑亭 茶楽(さんしょうてい ちゃらく、1942年〈昭和17年〉7月3日 - )は、落語芸術協会所属の落語家。本名∶鈴木 健治。出囃子は『岸の柳』。 1942年(昭和17年)7月3日、東京都品川区に生まれる。 1961年3月、東京都立戸山高等学校卒業。東大受験に2度失敗し、以前から好きだった落語家になることを決意。1963年5月に八代目三笑亭可楽に入門し、三笑亭可六を名乗るが、翌年(昭和39年)8月に師匠可楽が亡くなったため兄弟子の三笑亭夢楽門下に移籍。 1966年10月、二ツ目に昇進し「茶楽」と改名。 1976年4月、三代目三遊亭若圓遊と共に真打昇進。
和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 199… 和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 1994年1月31日)は、上方噺家・エッセイスト・イラストレーター・タレント。芸名は笑福亭小つる(しょうふくてい こつる)。5代目笑福亭松鶴の孫(娘の子)で、6代目松鶴の甥にあたる。 大阪市に生まれ、生家は呉服屋、子供の頃から祖父・5代目松鶴に連れられ寄席通いをした。1947年7月に正式に5代目松鶴に入門し「笑福亭小つる」を名乗り、翌年1月に大阪市今里の双葉館で初舞台を踏む。小唄や寄席踊りで高座を勤め人気者になる。中学校卒業頃まで高座を勤め、大阪市立工芸高等学校を入学と同時にいったん廃業し学業に専念。 高校の美術油絵科を卒業後の1963年、そごう宣伝部に就職し、1970年まで勤める。
春雨や 落雷(はるさめや らくらい、1942年 - )は、落… 春雨や 落雷(はるさめや らくらい、1942年 - )は、落語家。本名∶安倍 正之。「日本では数少ない医師免許を持つ落語家」を標榜し、落語と講演を組み合わせた「お達者落語会」を開催している。 島根県松江市在住。師匠の四代目春雨や雷蔵が所属する落語芸術協会には所属していないが、春雨や一門の真打を与えられている。最近では、山陰放送ラジオにも定期的に登場し活躍の場を広げている。また、東京のお江戸日本橋亭で定期的に行われる雷蔵八百夜(雷蔵一門会)にも不定期で出演しているが、その際には落語のみで講演は行わない。講演は主に自らの経験に基づいた医療講演を行うが、一般市民向けの場合極力専門用語を排し落語の様にわかりやすく聴衆に語り掛ける手法が特徴である。
林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年11… 林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年11月29日 - )は、日本のタレント、漫談家、写真家、落語家。自らが運営するP&P企画所属。また漫談家として落語協会所属。落語家としての高座名は林家たいぺー。 大阪府大阪市浪速区日本橋3丁目生まれ、同市阿倍野区育ち。ただし、小学校は旧南区(当時)の大阪市立精華小学校。中学校は同中央区大阪市立南中学校出身。私立浪速高等学校卒業。大阪スタヂアムの近く(当時の実家は裕福で、ヤマギワソフト大阪店が建つ前の土地に建っていた)で育った。 幼い時から江戸っ子の粋に憧れており、東京都に移住した当時、非常に人気が高かった初代林家三平への弟子入りを目指す。「いきなり弟子入りを頼んでも断られるだろう」との考えにより、思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。
柳亭 金車(りゅうてい きんしゃ、1941年9月14日 - … 柳亭 金車(りゅうてい きんしゃ、1941年9月14日 - )は、東京都江東区亀戸出身の落語家、キックボクシングリングアナウンサー。落語協会所属。本名∶宮崎 悦男。出囃子は『鶴亀』。 法政大学経済学部卒業。 1964年6月に五代目柳家小さんに入門、前座名は「小丸」。 1968年5月、柳家とんぼ、桂楽之助と共に二ツ目昇進。 1978年3月、初代三遊亭圓丈と共に真打に昇進し、「金車」に改名。 古典落語だけではなく、「安全落語」「経営落語」なども演じている。 寄席には基本出演していない。 以下の興行のリングアナウンサーを務める。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
三代目 三遊亭 歌奴(1941年7月18日 - 2004年4… 三代目 三遊亭 歌奴(1941年7月18日 - 2004年4月6日)は、落語家。本名∶平田 昭宏。出囃子∶『梅の栄』。 東京都立一橋高等学校卒業。 1959年5月、二代目三遊亭歌奴に入門。前座名は「どん栗」。 1963年5月に柳家小きんと共に二ツ目昇進、「歌雀」に改名。 1973年9月に林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、柳家さん弥、金原亭桂太と共に真打昇進。1975年5月に大師匠・師匠が名乗った名跡である三遊亭歌奴を三代目として襲名。 2004年4月6日、肝臓がんのため死去。62歳没。
六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭… 六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭和15年〉10月3日 - 2022年〈令和4年〉9月15日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会所属。本名∶橋本 八郎。出囃子は『新曲浦島』。 東京都立文京高等学校卒業。 1959年3月、八代目春風亭柳枝に入門。「枝女吉」を名乗るが、同年10月、師匠柳枝が死去。兄弟子枝吉と共に六代目三遊亭圓生門下に移り、「吉生」と改名。 1962年11月、林家こん平と共に二ツ目昇進。 1969年3月、抜擢され真打に昇進し、六代目三遊亭圓窓を襲名。1970年6月21日より笑点の大喜利にレギュラー出演、そこでのキャラは常識派であった。番組500回記念では兄弟子・五代目圓楽とリレー落語を演じた。
東家 夢助(あずまや ゆめすけ、1940年9月22日 - 2… 東家 夢助(あずまや ゆめすけ、1940年9月22日 - 2018年3月31日)は函館市在住の落語家。東京生まれ。本名∶田中 誠。道南落語倶楽部所属。 1940年、東京都中央区の聖路加国際病院で田中誠として産声を上げる。 1947年、東京都港区立白金小学校に入学、幼いころから落語好きだった。 1953年、明治学院中学校に入学。高校時代は上野にある寄席、鈴本演芸場に通った。高校2年のとき落語家を志す。 1959年、明治学院高等学校を卒業。五代目柳家小さんに弟子入り。7年余り修行する。前座名は師匠初の芸名でもある「栗の助」、4月21日に初高座。 1963年、二ツ目に昇進、柳家小三太に改名。 1966年、芸に行き詰まり苦悩。
4代目 笑福亭 円笑(しょうふくてい えんしょう、1940年… 4代目 笑福亭 円笑(しょうふくてい えんしょう、1940年3月26日 - )は、東京都品川区出身、京都市北区在住(2025年現在)の落語家。本名:鈴木 義男。出囃子『駕屋』。 上方落語協会所属であるが、江戸弁による江戸落語を高座にかけている。2025年時点で上方落語協会で最年長の会員である。芸能事務所には所属していない。 小学校の頃から落語に興味を持ち後にアマチュア落語で名をはせる。この頃に同学年の柳家小三治と出会っている。[要出典]攻玉社高等学校を卒業した。 卒業後は、6代目三遊亭圓生への弟子入りを家族から反対される。家出同然で家を出て、アマチュア落語家を続けながら生計を立てるためにサラリーマンや板前などの職に就いていたが、諦めきれず30代半ばで大阪府大阪市に移住する[要出典]。
2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ と… 2代目桂 枝雀(かつら しじゃく、本名:前田 達(まえだ とおる)、1939年(昭和14年)8月13日 - 1999年(平成11年)4月19日)は、兵庫県神戸市生まれの落語家。3代目桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後2代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも、超人的努力と空前絶後の天才的センスにより、客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓する。出囃子は『昼まま』。実の弟はマジシャンの松旭斎たけし。長男は桂りょうば。
春風亭 栄橋(しゅんぷうてい えいきょう、1939年〈昭和1… 春風亭 栄橋(しゅんぷうてい えいきょう、1939年〈昭和14年〉3月5日 - 2010年〈平成22年〉1月12日)は、東京都秋川市(現:あきる野市)出身の落語家。落語芸術協会真打。本名∶山田 昌男。出囃子は『喜撰』。 1957年3月に東京都立国立高等学校卒業後、三代目桂三木助に入門。前座名は桂木久夫。1960年、三木助が日本芸術協会を脱会したため大師匠六代目春風亭柳橋門下に移籍し、春風亭柳夫に改名。 1961年10月、二ツ目昇進し、栄橋に改名。1967年に『笑点』の第1回若手大喜利に出演。1969年4月から11月にかけて『笑点』の大喜利に出演。若手大喜利メンバーからの昇格は初である。 1973年10月、三遊亭圓太と共に真打昇進。
金原亭 伯楽(きんげんてい はくらく、1939年2月16日 … 金原亭 伯楽(きんげんてい はくらく、1939年2月16日 - 2026年3月28日)は、神奈川県横浜市出身の落語家。本名∶津野 良弘。落語協会所属。出囃子∶「鞍馬」。紋∶「鬼蔦」。 1961年3月に法政大学法学部を卒業し、4月に十代目金原亭馬生に入門。前座名は「桂太」。 1964年9月に二ツ目昇進。1969年6月から12月に『セイ!ヤング』(文化放送)でパーソナリティを務める。 1973年9月に林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥と共に真打昇進。1980年3月に「伯楽」と改名。 2026年3月28日、肺炎のため死去。87歳没。
三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3… 三代目 古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3月10日 - 2001年10月1日)は、東京都文京区本駒込出身の落語家。本名:美濃部 強次(みのべ きょうじ)。出囃子は『老松』。定紋は『鬼蔦』。 五代目古今亭志ん生の次男。十代目金原亭馬生の弟、女優の池波志乃は姪、俳優の中尾彬は義甥にあたる。 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他に、同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。 なお、後述の通り、「古今亭志ん朝」を名乗った人物は他に2人いるが、いずれも名乗った期間が極めて短い。そのため、単に「古今亭志ん朝」とした場合、三代目(真打昇進から没するまで40年以上にわたって「志ん朝」を名乗り続けた)を指すことがほとんどである。
初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年〈昭和13年〉… 初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年〈昭和13年〉3月10日 - 2018年〈平成30年〉3月28日)は、神奈川県横浜市出身(同県三浦郡葉山町生まれ)の落語家・漫談家。本名∶鈴木 傑。通称「カチョヤン」。後年は兵庫県西宮市に居住した。 幕末以来の「月亭」の亭号を名乗り、弟子に月亭八方など、孫弟子に八光や方正などを持ち、「月亭一門」を形成している。定紋は月紋、または桂米朝一門の用いる結び柏。出囃子は「ああそれなのに」または「芸者ワルツ」。 デビュー以降、最初の師匠の事務所であった吉本興業に長年所属し、米朝一門に移ったのちも、一門の多くのように米朝事務所(1974年創立)に所属せず、ケーエープロダクション、スパンキープロダクションを経て、フリーランスとなる。
柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1… 柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1月18日 - 2022年〈令和4年〉2月15日)は、落語協会に所属していた落語家。新潟県中蒲原郡村松町(現・五泉市)出身。本名∶榑井 昌夫(くれい まさお)。 新潟県立村松高等学校卒業後1957年6月に五代目柳家小さんに入門、柳家小二三を名乗り内弟子修行。 1960年11月に二ツ目昇進し、柳家小三郎に改名。1962年、さん吉に改名。(※一部の資料で-1963年改名となっている) 1973年3月、三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、三升家勝二、桂小益、林家枝二、さん吉の十人で真打昇進。 サウナで倒れ全身火傷を負ってしまい、闘病・リハビリをしていた。
橘家三蔵(たちばなや さんぞう、1937年11月11日 - … 橘家三蔵(たちばなや さんぞう、1937年11月11日 - 1997年2月3日)は落語家。本名∶佐野 行男。生前は落語協会所属。 1937年11月東京市浅草区生まれ。東京都立忍岡高等学校卒業。 1957年3月、七代目橘家圓蔵に入門し「三蔵」を名乗る。 1962年5月、三遊亭生之助と共に二ツ目昇進。 1973年9月、林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥、金原亭桂太の十人で真打昇進。 1997年2月3日死去、59歳没。 『長短』『出来心』などを好く演じていた。
林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉1… 林家 木久扇(はやしや きくおう、1937年〈昭和12年〉10月19日 - )は、日本の落語家、漫画家、画家、実業家。所属事務所のトヨタアートの代表取締役社長である。 血液型はA型、出囃子は「宮さん宮さん」、定紋は林家彦六一門の定紋である「中陰光琳蔦」。前名の初代林家木久蔵としても知られる。 1937年10月19日、東京市日本橋区久松町の雑貨問屋に生まれる。比較的裕福な幼少期を過ごしたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼、自身は青森県への疎開など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた。自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至る。
桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14… 桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - )は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。
9代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1936年7月… 9代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1936年7月21日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の落語家。落語芸術協会所属。本名:石上 吉男。出囃子:『勧進帳』。 茨城県立鹿島高等学校を卒業した。 1955年5月、8代目三笑亭可楽に入門、前座名「可津男」を名乗る。1958年9月、三遊亭とん馬とともに二ツ目昇進し「可勇」と改名。 1964年8月に師匠の8代目可楽が死去し、10月に兄弟子三笑亭夢楽門下に移籍した。 1969年9月、8代目都家歌六とともに真打昇進し「浮世亭写楽」に改名。1992年9月、9代目となる「三笑亭可楽」を襲名。1995年より落語芸術協会監事を務めた。 2025年の三遊亭円輔没後、落語芸術協会の落語家では最高齢となっている。
7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、19… 7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、1936年〈昭和11年〉1月2日 - 2011年〈平成23年〉11月21日)は、東京府小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家。落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。血液型AB型[要出典]。
春風亭 一柳(しゅんぷうてい いちりゅう、1935年〈昭和1… 春風亭 一柳(しゅんぷうてい いちりゅう、1935年〈昭和10年〉10月12日 - 1981年〈昭和56年〉7月9日)は、東京都出身の落語家。生前は落語協会所属。 六代目三遊亭圓生に入門して三遊亭 好生と名乗った。師の圓生を神のように崇拝し、「圓生の影法師」と揶揄されるほど芸風も似ていたが、圓生に疎まれて冷遇された。落語協会分裂騒動の際に圓生一門を離れて八代目林家正蔵(後の林家彦六)の弟子となり、春風亭一柳へと改名した。圓生の没後に暴露本を出版して物議を醸し、精神を病んで自殺した。 東京都立西高校への入学に前後して同居していた母と祖母を相次いで亡くし、本人も病弱のため高校を長期休学することとなった。
桂 音也(かつら おとや、1935年10月4日 - 1978… 桂 音也(かつら おとや、1935年10月4日 - 1978年3月28日)は、上方落語の落語家(上方噺家)で、フリーアナウンサー。本名は今井 清之。 大阪府箕面市に生まれる[要出典]。 神戸大学法学部卒業後、1960年に朝日放送にアナウンサーとして入社した。スポーツ番組や歌番組、演芸番組を担当する。後輩の道上洋三、乾浩明らと落語研究会を作り趣味で落語を始めた、この会には客として桂米朝一門の3代目桂米朝、2代目桂枝雀(当時は桂小米)や漫才作家の三田純市らが見に来ていた。会では主に古典落語を演じていた、これがきっかけで桂枝雀の教えを乞うようになる。[要出典] 1967年に朝日放送を退職してフリーの司会者となる。
3代目 橘ノ 圓(たちばなの まどか、1935年8月27日 … 3代目 橘ノ 圓(たちばなの まどか、1935年8月27日 - 2014年5月29日)は、山形県南陽市出身の落語家。落語芸術協会理事。本名∶布施 重雄。 南陽市立梨郷中学校を卒業。ガラス工場などの社会人を経験した後、1954年9月、4代目三遊亭圓馬に入門。三遊亭冨太馬で初高座を踏む。1958年3月に二ツ目に昇進し三遊亭扇馬と改名。[要出典] 1969年4月、3代目桂圓枝、2代目春風亭梅橋とともに真打昇進し、3代目橘ノ圓を襲名した。 2014年5月29日午前2時40分 肺炎のため埼玉県三郷市内の病院で死去(満78歳没)。戒名は「天真院和樂圓證信士」。墓所は東京都葛飾区の南蔵院 [要出典]。 没後、同じ落語芸術協会に所属する桂夏丸が『橘ノ圓物語』という新作を演じている。