田辺 陽子(たなべ ようこ、1966年1月28日 - )は、… 田辺 陽子(たなべ ようこ、1966年1月28日 - )は、日本の柔道家(五段)。東京都出身。日本大学法学部教授(体育)。身長173cm。得意技は大内刈と寝技。 練馬区立開進第四中学校から東京都立駒場高等学校へ進学、高校時は陸上部に所属し、やり投でインターハイで8位に入賞する。3年次の授業で柔道と出会い、講道館に通い始めた。陸上推薦で進学した東京女子体育大学を中退後に日本大学に進学してからは本格的に柔道に打ち込み、1986年には全日本体重別選手権で優勝(以後1992年まで7連覇)、翌1987年には女子柔道の日本一を決める全日本選手権で優勝(以後1992年まで6連覇)を果たし、女子柔道界のトップ選手として君臨していく。
加古 智美(かこ ともみ、1965年12月28日 - )は、… 加古 智美(かこ ともみ、1965年12月28日 - )は、愛知県出身の日本の柔道家。現役時代は56kg級の選手。身長156cm。 八幡中学3年の時に地元の名古屋で開催された環太平洋柔道選手権大会の52㎏級で3位になった。半田商業高校3年の時に強化選手選考会と体重別の56kg級でそれぞれ3位に入った。1984年に国際武道大学の柔道部に1期生として入学すると、1年の時には強化選手選考会で3位だった。2年の時には強化選手選考会で決勝まで進むが、北海道女子短大1年の渡部五月に敗れて2位にとどまった。体重別では3位だった。3年の時には体重別の決勝で日本電気の水滝栄子を縦四方固で破って初優勝を飾り、世界選手権代表に選ばれた。
鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - … 鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - )は、千葉県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長171cm。 足立学園高校から日本体育大学へ進むと、1年の時に正力杯78kg級で3位になったとされている。2年の時には正力杯で3位、正力国際では決勝で東海大学3年の松田亮一に判定で敗れて2位だった。3年の時には講道館杯の決勝で福岡大学教員の高野裕光に有効で敗れた。正力杯では優勝すると、正力国際でも決勝で松田を判定で破って優勝を飾った。また、フィンランド国際とブルガリア国際でも優勝した。4年の時には正力国際の決勝でソ連のバシール・ワラエフに判定で敗れた。1988年には慶應義塾高校の体育科教員になると、講道館杯で3位になった。
丸山 顕志(まるやま けんじ、1965年8月21日 - )は… 丸山 顕志(まるやま けんじ、1965年8月21日 - )は、宮崎県宮崎市出身の日本の柔道家。現役時代は65kg級の選手。身長169cm。得意技は丸山スペシャルと呼ばれていた変形の袖釣込腰。長男の丸山剛毅は2011年の世界ジュニア81kg級チャンピオン。次男の丸山城志郎は2019年に世界選手権66 kg級で優勝した。 長崎で生まれるがその後宮崎に移り、5歳の時に後に井上康生を輩出することになる「静充館柔道場」で柔道を始めた。 宮崎中学から国士舘高校に進み、3年の時には金鷲旗で2位となった。国士舘大学2年の時には新人体重別で優勝。3年の時には正力杯と正力国際の決勝で、長年のライバルとなる東海大学の大熊政彦をそれぞれ下して優勝を果たした。
渡辺 直勇(わたなべ なおたけ、1965年6月27日 - )… 渡辺 直勇(わたなべ なおたけ、1965年6月27日 - )は、北海道出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長174cm。体重120kg。現在は、金沢学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。専門は柔道方法学、コーチ学。 旭川龍谷高校1年の時に1年先輩の野村幸生などとともに活躍して全国高校選手権の団体戦で優勝を飾った。 筑波大学2年の時に、この当時全日本学生柔道連盟と対立関係にあった全柔連傘下の全日本大学柔道連盟が主催する、団体戦の全日本大学柔道大会で優勝した。3年の時は2位だったが、4年の時は再びチームの優勝に貢献した。 1988年には筑波大学大学院へ進学した。1989年の全日本選手権では予想外の活躍で準決勝まで進むも、東海大学4年の関根英之に判定負けを喫したが3位入賞を果たした。
持田 達人(もちだ たつと、1965年4月3日 - )は、日… 持田 達人(もちだ たつと、1965年4月3日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。 現役時代は78kg級の選手。身長174 cm。 福岡県糸島郡志摩町(現・糸島市)出身。小学生の頃は町道場に籍を置いてはいたものの、主にラグビーをやっていてウィングとして活躍した。東京に柔道私塾・講道学舎が設立され、叔父の辰次が初代師範を務める事となると、生来より運動神経の良かった達人に白羽の矢が立ち、中学入学と同時に上京し講道学舎にて柔道を本格的に始める事となった。持田ら講道学舎の4期生はわずか6人だが、飛松秀樹や古賀元博(古賀稔彦の兄)ら小学生チャンピオンが3人おり、柔道未経験者で身長も150cmに満たない持田はゴミのように扱われた。
持田 治也(もちだ はるや、1965年3月20日 - )は、… 持田 治也(もちだ はるや、1965年3月20日 - )は、日本の柔道家。東京都中央区出身。現役当時の階級は-95kg級。現在は世田谷学園教諭(柔道部顧問)。 柔道私塾の財団法人日本柔道育英学会講道学舎を創設した横地治男の孫にあたることから、1977年7月1日、講道学舎竣工期から他の塾生とともに柔道に取り組んだ。 弦巻中学入学当時、同校に柔道部がなかった事から、5名の有志で柔道同好会を発足。 弦巻中柔道部発足当時の顧問は同校体育教諭であった野原明(現世田谷区スポーツ振興財団理事長)。 弦巻中学から世田谷高校(現:世田谷学園)へ進学すると、3年時には金鷲旗高校柔道大会で1年後輩となるバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦の兄である古賀元博や世界選手権-78kg級で2位となる従兄弟の持田達人とともに活躍して初優勝を果たした。
山口 香(やまぐち かおり、1964年12月28日 - )は… 山口 香(やまぐち かおり、1964年12月28日 - )は、日本の柔道家(2020年8月現在、七段)、体育学者。学位は博士(生命医科学、山梨大学)、体育学修士(筑波大学大学院・1989年)。筑波大学人間総合科学学術院 人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学教授。 1988年ソウルオリンピックで銅メダルを獲得した。全日本柔道連盟女子強化委員、日本オリンピック委員会理事、コナミ取締役、日本学術会議会員、筑波大学柔道部女子監督を歴任。得意技は小内刈。 東京都豊島区で出生し、欧州と米国が強く日本人の勝利が少なかった時期に第3回世界選手権で日本人女性柔道家として史上初の金メダルを獲得している。 現役時代は「女三四郎」と称賛された。
大村 嘉奈(おおむら かな、1964年10月11日 - )は… 大村 嘉奈(おおむら かな、1964年10月11日 - )は、日本の柔道家。現役時代は72kg級及び72kg超級の選手。広島県出身。 就実高校1年の時に体重別選手権66kg超級決勝で鈴木金属工業の佐藤広世に敗れるも2位となった。続く強化選手選考会では72kg超級に出場して、決勝で宮城学院中学教員の川村順子に敗れた。2年の時には体重別選手権で3位だった。3年の時には体重別選手権の決勝で茂原農業高校の鈴木洋子に敗れて2位にとどまった。 1983年には東海大学へ進学すると、1年の時には体重別選手権の決勝で鈴木を破って、ようやく全国大会初優勝を遂げた。2年の時には体重別選手権の72kg級で3位だったが、強化選手選考会では決勝で浪人生の田辺陽子を破って優勝を飾った。
坂下 誠(さかした まこと、1964年7月30日 - )は滋… 坂下 誠(さかした まこと、1964年7月30日 - )は滋賀県出身の日本の柔道家、教員。65kg級の選手。身長170cm。 比叡山高校3年の時にインターハイの中量級で優勝を飾った。新人体重別では3位だった。筑波大学へ進学すると、1年の時にはプエルトリコのマヤグエスで開催された世界ジュニアでは、決勝でソ連のセルゲイ・コスミニンを破って優勝を飾った。しかし、新人体重別では決勝で東海大学の村山晴夫に敗れて2位にとどまった。2年の時には正力杯で3位だった。3年の時には講道館杯で3位に入った。4年の時には選抜体重別で3位に入った。1987年には西武百貨店筑波の所属になると、講道館杯では決勝まで進むも日体大研究生の山本洋祐に敗れて2位だった。
藤原 健(ふじわら たけし、男性、1964年7月24日 -)… 藤原 健(ふじわら たけし、男性、1964年7月24日 -)は、愛媛県越智郡大三島町(現・今治市)出身の空手家・柔道家・グレコローマンレスラー・キックボクサー・格闘家。 芦原会館創始者・初代館長の芦原英幸は師匠である。 更にはサウンドエンジニア・プロデューサー・プロドライバーである。 1969年(昭和44年)初頭より喧嘩十段と云われた天才空手家、芦原英幸より極真空手を学ぶ。 小学生の時第一回全世界空手道選手権大会を応援観戦為上京した際、極真会館大山倍達館長より 「極真空手はねぇ、総合武道だよー、空手向上の為にキックボクシング・柔道・レスリング何でもやりなさい。 そして、空手で一番強く成りなさい」と言われた。
森山 孝臣(もりやま たかおみ、1964年5月30日 - )… 森山 孝臣(もりやま たかおみ、1964年5月30日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。71kg級の選手。身長172cm。 東海大相模高校2年の時にインターハイ団体戦で優勝を飾った。3年の時には高校選手権の団体戦決勝で旭川龍谷高校に敗れて2位だった。 東海大学1年と2年の時に新人体重別71kg級で3位になった。3年の時には正力杯で3位となった。 1987年に神奈川県警の所属となると、1989年の講道館杯では3位だった。1990年の講道館杯では決勝で世界チャンピオンである日体大大学院の古賀稔彦に袖釣込腰の技ありで敗れた。体重別では3位だった。1992年の全国警察柔道選手権大会では軽量級で2位になった。
村上 修司(むらかみ しゅうじ、1964年5月28日 - )… 村上 修司(むらかみ しゅうじ、1964年5月28日 - )は愛媛県出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。 今治南高校3年の時にインターハイの重量級で優勝を飾った。1983年に日本大学へ進学すると、1年の時には優勝大会と新人体重別95kg超級で3位になった。2年の時には優勝大会で3位だったが、新人体重別では優勝を飾った。正力国際の無差別では決勝で天理大学4年の正木嘉美に敗れて2位だったものの、団体戦では優勝した。3年の時には講道館杯で優勝を飾った。優勝大会でも1年後輩の持田達人などとともに活躍してチームの優勝をもたらした。正力杯でも決勝で秋田経済法科大学4年の渡辺浩稔を破って優勝を飾り、団体戦との2冠を達成した。
松田 亮一(まつだ りょういち、1964年5月2日 - )は… 松田 亮一(まつだ りょういち、1964年5月2日 - )は、熊本県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長170cm。 東海大第五高校1年の時に金鷲旗で優勝した。2年の時にはインターハイ団体戦で2位だった。3年の時には金鷲旗で2位となった。東海大学へ進むと、2年の時に正力杯78kg級で優勝した。3年の時には正力国際の決勝で日体大3年の鏑木文隆を判定で破って優勝した。4年の時には講道館杯で3位になると、体重別では決勝で福岡大学教員の高野裕光に指導で敗れた。正力国際でも決勝で鏑木に判定で敗れて2位だった。1987年には福岡県教育委員会の所属になった。1988年には糸島高校の教員になると、体重別では決勝で世界チャンピオンである筑波大学4年の岡田弘隆に敗れて2位だった。
村田 正夫(むらた まさお、1964年4月6日 - )は、日… 村田 正夫(むらた まさお、1964年4月6日 - )は、日本の柔道家(講道館7段)。現役時代は中量級の選手として全日本選抜体重別選手権優勝や世界選手権3位等の成績を残し、引退後は新日本製鐵の柔道部監督やイタリア・ナショナルチームのコーチを務め、びわこ成蹊スポーツ大学の准教授および柔道部監督を経て、大阪成蹊大学教授を務める。 愛知県一宮市出身。父の仕事の関係で小学2年生の時に大阪府守口市に転居した。市立第四中学(現在は閉校)を経て柔道の名門・東海大相模高校に進学。高校3年次の1982年に春の講道館杯で3位、夏のインターハイ軽重量級では準優勝した。 高校卒業後、東海大学柔道部に進み、1983年・翌84年と立て続けに全日本ジュニア選手権を制すと、続く85・86年には全日本学生体重別選手権を、卒業直前の1987年1月には正力杯国際学生大会を獲得して、学生柔道界の中量級において確固たる地位を築いた。
小野 幸司(おの こうじ、1964年2月23日 - )は北海… 小野 幸司(おの こうじ、1964年2月23日 - )は北海道出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。身長164cm。2022年現在は帯広緑陽高校の教員を務める。 東海大第四高校から東海大学へ進むと、2年の時に新人体重別の60kg級で2位となった。4年の時には講道館杯で優勝すると、選抜体重別でも3位になった。正力杯で優勝すると、神戸で開催されたユニバーシアードでは個人戦で2位にとどまったものの、団体戦で優勝を飾った。 1986年には東海大学の大学院へ進むと、講道館杯で3位だったものの選抜体重別で優勝を果たした。1986年ソウルアジア大会では決勝でロサンゼルスオリンピック銀メダリストである地元韓国の金載燁に背負投で敗れて2位に終わった。
岡田 龍司(おかだ りゅうじ、1964年2月13日 - )は… 岡田 龍司(おかだ りゅうじ、1964年2月13日 - )は、広島県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長175cm。体重120kg。 近代福山高校3年の時に金鷲旗で2位、インターハイ団体戦で3位となった。近畿大学へ進むと、2年の時に世界ジュニアの95kg超級決勝でソ連のゲナンジー・ヤレメンコに敗れて2位だった。新人体重別でも決勝で東海大学2年の樋川純に敗れた。3年の時には正力杯で3位となった。無差別で争われる学生選手権では決勝で天理大学4年の正木嘉美に敗れた。正力国際では無差別で3位になった。4年の時には正力杯で再び3位だったものの、学生選手権では決勝で天理大学3年の野村幸生を破って優勝した。
吉鷹 幸春(よしたか ゆきはる、1964年2月12日 -)は… 吉鷹 幸春(よしたか ゆきはる、1964年2月12日 -)は日本の柔道家。現役時代は71kg級の選手。身長169cm。得意技は背負投、巴投。現在は桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部の教授で、同学部の学部長を務めている。柔道部の男女総監督も務めており、関東学生柔道連盟会長、全日本学生柔道連盟理事も務めている。。 香川県東かがわ市出身、世界選手権78kg級で4連覇を達成した藤猪省太の出身校である名門の大川中学に入学してから柔道を始めたこともあって、中学時代はレギュラーになれなかった。その後、寒川高校に進むと力を付けて、3年の時にはインターハイ中量級で優勝を飾るまでになった。筑波大学に進学すると、正力杯・全日本学生体重別選手権大会71kg級で2年、3年と連覇するたが、4年時には全柔連と学柔連の紛争により同大会への出場が叶わず3連覇はならなかった。
松雪 博(まつゆき ひろし、1964年1月28日 - )は、… 松雪 博(まつゆき ひろし、1964年1月28日 - )は、佐賀県出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級。身長170cm。 中学になると上京して、創設間もない柔道私塾の講道学舎へ入塾した。1年後輩には持田治也、2年後輩には持田達人、古賀元博などがいた。弦巻中学から世田谷学園高校に進むが、この当時全国大会で大きな実績は上げていない(1年後輩の持田が高校3年の時に金鷲旗で初めての高校タイトルを獲得した)。 1982年に日本大学へ入学すると、3年の時には正力国際の65kg級で優勝を飾った。4年の時には正力国際の団体戦準決勝で韓国の尹容勃に反則の対象となる体を捨てた脇固めを食らって反則勝ちになるも、左肘を負傷して団体戦決勝のソ連戦及び個人戦には出場できず2連覇はならなかった。
八戸 かおり(はちのへ かおり、1964年1月4日 - )は… 八戸 かおり(はちのへ かおり、1964年1月4日 - )は、北海道函館市出身の日本の女子柔道家。61kg級の選手。身長162cm。得意技は大外刈と寝技。現姓は森山。 小中学生の頃は水泳を習っていて、全国レベルで活躍する。さらに柔道も中学2年で始める。遺愛女子高校に入学すると柔道に専念して、早くも全日本女子体重別の上位に入る活躍を見せ、東海大学に入学後はついに体重別で優勝を果たし、大学3年の時には世界選手権で3位に入る。 また、無差別の全日本選手権の第1回大会では61kg級の選手ながら、体重を70Kg近くまで増量して出場、決勝では自分より50kgも重い松本宣子と対戦して判定勝ちを収めて優勝を飾った。
古賀 元博(こが もとひろ、1964年または1965年6月2… 古賀 元博(こが もとひろ、1964年または1965年6月25日 - 2025年1月24日)は、佐賀県三養基郡出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級と71kg級。身長168cm。弟はバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦。 柔道は小学校3年の時に近所の友達の影響で弟の稔彦とともに始めた。小学校を卒業すると上京して柔道私塾の講道学舎へ入塾した。弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で3位となった。なお、講道学舎の厳しさを考慮して弟の入塾には断固反対していたが、弟は全く聞き入れず兄と同じ道を辿ることになった。講道学舎では東京オリンピック中量級金メダリストの岡野功より直立姿勢から投げ切る一本背負投を直々に伝授されて得意技にしていった。
樋川 純(といかわ じゅん、1963年7月12日 - )は、… 樋川 純(といかわ じゅん、1963年7月12日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長180cm。体重120kg。 東海大相模高校3年の時にインターハイ団体戦で優勝した。新人体重別95kg超級では3位になった。1982年に東海大学へ入学すると、1年の時には新人体重別で3位だった。2年の時には正力杯で3位だったが、新人体重別では近畿大学2年の岡田龍司を破って優勝した。正力国際の団体戦では決勝のソ連戦で勝利したものの、チームは敗れて2位だった。3年の時には優勝大会の3連覇に貢献して優勝選手に選ばれた。正力国際の団体戦では決勝のソ連戦で敗れたものの、チームは優勝を飾った。
小澤 雄二(おざわ ゆうじ、1963年7月8日 - )は、愛… 小澤 雄二(おざわ ゆうじ、1963年7月8日 - )は、愛媛県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長161cm。 今治南高校2年の時にインターハイの軽量級で3位になった。 筑波大学3年の時に講道館杯の決勝で奈良工業高校教員の細川伸二に敗れて2位だった。正力杯でも2位にとどまった。また、東ドイツ国際では3位だったが、西ドイツ国際 では優勝を飾った。4年の時にはフランス国際でも優勝した。1986年には山形県教育委員会の所属になると、講道館杯では決勝でダイコロの木田守に敗れて2位だった。1987年の講道館杯では3位だった。1988年にはハンガリー国際で優勝するも、体重別では3位だった。
渡辺 浩稔(わたなべ ひろとし、1963年4月25日 - )… 渡辺 浩稔(わたなべ ひろとし、1963年4月25日 - )は秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長184cm。体重155kg。 父親が村相撲で活躍しており、自身も小学生の頃から体格が大きかったこともあって、柔道を始めるようになった。大曲中学から秋田経済法科大学附属高校に進むも、この当時大きな実績はなかった。秋田経済法科大学に進むと、山下泰裕の最大のライバルの一人だった柔道部監督である遠藤純男の指導を受けることになり、実績を上げるようになっていった。3年の時には全日本選手権に出場すると、初戦となる2回戦で山下と対戦した。山下が指導を先取するも、中盤に渡辺が蟹挟を仕掛けると山下は腰から崩れて尻餅をついた。
羽賀 善夫(はが よしお、1963年1月8日 - )は、京都… 羽賀 善夫(はが よしお、1963年1月8日 - )は、京都府出身の、日本の柔道家。階級は95kg級。身長183cm。長男の善之介は六角橋中学3年の時に全日本選抜少年柔道大会無差別で優勝した。次男の龍之介は2015年の世界選手権100kg級のチャンピオンとなった。 大谷高校から天理大学へ進むと、1年の時に優勝大会で優勝した。全日本ジュニアの95kg級では3位になった。2年からは優勝大会で3年連続2位にとどまった。無差別で争われる全日本学生選手権では3回戦で国士舘大学4年の斉藤仁を有効で破るなどの活躍で3位に入った。3年の時には全日本選手権で5位になった。正力杯決勝では、後に世界選手権を2連覇する同期のライバルである東海大学3年の須貝等を破って優勝を飾った。
須貝 等(すがい ひとし、1962年12月29日 - )は、… 須貝 等(すがい ひとし、1962年12月29日 - )は、北海道古平町出身の日本の柔道家。 中学生の時に柔道を始めて、東海大四高に入学後は個人戦や団体戦で全国優勝を果たし東海大学に進学。怪我に悩まされたこともあったが克服して、数々の大会で活躍する。新日本製鐵に入社した年に初の世界選手権代表となり、それまで日本選手がメダルを取ったことのなかった95キロ級で、オリンピックチャンピオンである地元の河亨柱を決勝において見事な体落で破るなど、オール一本勝ちで優勝を果たす。 翌年のアジア大会では2位に終わったものの、1987年の世界選手権では2回戦でブラジルのアウレリオ・ミゲルに苦戦した以外は順当勝ちして2連覇を果たした。
朝飛 大(あさひ だい、1962年12月28日 - )は、神… 朝飛 大(あさひ だい、1962年12月28日 - )は、神奈川県横浜市出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級〜95kg級の選手。 全国警察柔道選手権大会で優勝経験があり、東京オリンピックでは軽量級のコーチでもあった父親の朝飛速夫が開設した朝飛道場で、幼少の時から柔道に慣れ親しんでいた。明大中野中学から明大中野高校へ進むと、3年の時にインターハイ重量級で決勝まで進むが、天理高校3年の正木嘉美に敗れて2位だった。明治大学へ進むと、3年の時には正力杯86kg級で優勝を果たした。また、2年連続して優勝大会で3位となった。1985年には神奈川県警の所属となると、全日本選手権に出場を果たして3回戦まで進んだ。
田所 勇二(たどころ ゆうじ、1962年11月6日 - )は… 田所 勇二(たどころ ゆうじ、1962年11月6日 - )は、茨城県出身の、日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長178cm。 多賀高校時代には寝技の名手として知られる柏崎克彦に寝技をみっちり仕込まれて得意にしていった。3年の時には新人体重別71kg級で3位になった。東海大学へ進学すると、1年の時から新人体重別78kg級では2連覇を飾った。2年の時からは優勝大会で3連覇した。3年の時には正力国際で優勝を飾った。4年の時には正力国際の71kg級に出場して決勝で日体大1年の古賀元博と対戦すると、相手得意の一本背負投で効果を取られるも、終了と同時に田所得意の腕挫十字固を極めて審判が一本を宣するも、結局それは試合終了後の動作と判断されたことにより2位に終わった。
正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - … 正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - )は、大阪府忠岡町出身の日本の柔道家、スポーツ科学研究者。天理大学体育学部体育学科教授。
飛崎 哲治(とびさき てつじ、1962年6月1日 - )は、… 飛崎 哲治(とびさき てつじ、1962年6月1日 - )は、高知県出身の日本の柔道家。65kg級と71kg級の選手。身長168cm。 国士舘大学に入学すると、新人体重別と正力杯の65kg級で優勝を飾った。その後、階級を71kg級に上げると、正力国際でも優勝を成し遂げた。大学を卒業後に警視庁へ入庁すると、1986年の選抜体重別では決勝で日体大1年の古賀稔彦を有効で破って優勝を飾った。嘉納杯では3位だった。1987年のフランス国際では決勝で地元フランスのマルク・アレクサンドルに敗れて2位だった。講道館杯では決勝で再び古賀を技ありで破って優勝を果たした。しかし、選抜体重別では初戦で天理大学の古田知史に敗れて世界選手権代表にはなれなかった。
向井 幹博(むかい みきひろ、1962年4月22日 - )は… 向井 幹博(むかい みきひろ、1962年4月22日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。段位は七段を取得。身長170cm。のちに講道館道場指導部課長に。 長崎県立長崎南高等学校から筑波大学を経て、筑波大学大学院へ進んだ。大学時代にはフランスのストラスブルクで開催された世界学生の60kg級で3位、団体戦で2位となった。さらにはこの当時、全日本学生柔道連盟と対立関係にあった全日本柔道連盟側の全日本大学柔道連盟が新たに設けた第一回の全日本大学柔道体重別選手権大会において優勝を飾った。ブルガリア国際でも優勝した。1986年には佐世保南高校の教員として、モスクワで開催されたCNN創業者のテッド・ターナー考案による第一回のグッドウィル・ゲームズに出場すると、決勝で地元ソ連の選手を破って優勝を飾った。
出口 達也(でぐち たつや、1962年4月21日 - )は富… 出口 達也(でぐち たつや、1962年4月21日 - )は富山県出身の日本の柔道家。60kg級の選手。身長164cm。現在は広島大学の教授で、柔道部監督も務めている[4]。
三戸 範之(さんのへ のりゆき、1961年12月19日 - … 三戸 範之(さんのへ のりゆき、1961年12月19日 - )は、秋田県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。段位は七段。身長178cm。2016年現在は秋田大学教育文化学部の教授を務める。 秋田高校から筑波大学へ進学すると、2年の時に新人体重別86kg級で2位に入った。3年の時には正力杯で2位だった。4年の時には講道館杯で3位になった。 その後筑波大学の大学院へ進んだ。さらに八戸工業高等専門学校の教員となると、1986年の講道館杯では3位だったが、選抜体重別では決勝で東海大学4年の村田正夫を破って優勝を飾った。アジア大会では決勝で地元韓国のパク・キュンホに判定で敗れて2位に終わった。
岡田 正行(おかだ まさゆき、1961年11月2日 - )は… 岡田 正行(おかだ まさゆき、1961年11月2日 - )は、広島県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長178cm。体重120kg。 近代福山高校から近畿大学へ進むと、4年の時に正力杯の95kg超級で3位となった。1984年に大阪府警の所属となると、講道館杯で3位になった。1986年の講道館杯では決勝で近畿大学教員である弟の岡田龍司を腕挫脚固で破って、全国大会初優勝を飾った。1987年の全日本選手権では史上3組目の兄弟出場を果たした。自らは初戦で敗れるも、一緒に出場した弟は3位入賞を果たした。1988年の講道館杯では3位になった。 (出典、JudoInside.com)。
滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2… 滝吉 直樹(たきよし なおき、1961年10月27日 - 2022年6月14日)は北海道出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長184cm。体重143kg。 東海大第四高校3年の時には金鷲旗で、後に95kg級で世界選手権2連覇を達成することになる1年後輩の須貝等とともに活躍して、初優勝をもたらした。さらに、インターハイの重量級でも優勝を飾った。新人体重別では3位だった。1980年には東海大学に進学すると、優勝大会では3度も優勝を果たした。3年の時には優秀選手にも選ばれた。講道館杯でも優勝を果たした。4年の時には講道館杯で2連覇を達成したが、無差別で争われる全日本学生選手権では決勝で天理大学3年の正木嘉美に敗れて2位だった。
松本 宣子(まつもと のりこ、1961年9月2日 - )は、… 松本 宣子(まつもと のりこ、1961年9月2日 - )は、三重県四日市市出身の日本の柔道家。現役時代は72kg超級の選手。身長170cm。体重101kg。段位は五段。得意技は内股、大外刈。父は元大相撲力士の劍龍猛虎、兄も大相撲で活躍した巨砲丈士。 暁高校から中京大学に進学すると、陸上競技の砲丸投で活躍して東海地区のチャンピオンにもなった。他に円盤投、空手、ウエイトリフティングなどにも取り組んでいた。しかし、砲丸投げでは世界はおろか国内でも勝てそうにないと考えて、21歳の時に全日本選手権で2位になったこともある河原月夫が運営する河原道場に入門して柔道に転向することになった。始めて1年もせずに体重別66kg超級で3位となった。
斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 201… 斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - 2015年1月20日)は、青森県青森市出身の日本の柔道家。ロサンゼルスオリンピック・ソウルオリンピック柔道男子95kg超級金メダリスト。国士舘大学体育学部教授、同大学柔道部監督、全日本代表監督を務めた。段位は講道館9段。位階は従五位。二人の息子がおり、二男は斉藤立。親戚は同郷青森市出身の元WBA世界フライ級チャンピオンのレパード玉熊。 1961年に青森市筒井八ッ橋(のちの筒井2丁目)で生まれ、1967年に市立筒井小学校へ入学。小学校時代には既に体が大きく、相撲をやっていて同級生らからは“水デブ”などとあだ名されていた。TBS系テレビドラマ『柔道一直線』にて、主人公(一条直也)が特訓して大きな相手を投げ飛ばしたり足でピアノを弾いたりするシーンを見て、「柔道をやれば、出来ない事もやれるようになるのではないか」と思ったのがきっかけとなり、父に「死ぬまで柔道をやるから」と誓って柔道着を買ってもらい、柔道を始め、アニメ『アニメドキュメント ミュンヘンへの道』の影響でいつしか自然と五輪を目指すようになっていったという。
大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - … 大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - )は、日本の柔道家。8段を取得。宮崎県西諸県郡野尻町(のちの小林市)出身。身長178cm。 1988年ソウルオリンピック(男子86kg級)銅メダリストで、のちに全日本柔道連盟強化コーチを務める。 宮崎県中央部に位置する西諸県郡野尻町で、 農林業を営む大迫家5人姉兄の末っ子として生まれる。柔道は、地元の紙屋中学校時代に始めた。中学時代は無名選手だったが、県立宮崎商業高校の藤井猪徳監督(当時)に誘われ、1976年に同校へ入学。高校時代は藤井の家に下宿しながら3年間を過ごし、高校3年次にはインターハイの団体戦でベスト8に入る。 1979年に天理大学へ進学すると、2年次よりレギュラーとして活躍し、この間に同大学は全日本学生優勝大会において、1980年3位、81年優勝、82年準優勝という好成績を収めている。
木田 守(きだ まもる、1960年11月15日 - )は、大… 木田 守(きだ まもる、1960年11月15日 - )は、大分県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長162cm。得意技は一本背負投。 柔道は中学1年の時に友達の影響で始めた。大分県立国東高等学校から京都産業大学法学部へ進むと、2年の時から2年連続で学生選手権60kg級で2位となった。3年の時に講道館杯60kg級の決勝で新田高等学校教員の浅見三喜夫に敗れるが2位になった。4年の時には講道館杯で3位だったが、初開催となった正力国際では60kg級の初代チャンピオンとなった。また、西ドイツ国際及び東ドイツ国際でも優勝を飾った。1983年にはダイコロの所属になると、講道館杯では3位だった。
宮腰 裕之(みやこし ひろゆき、1960年7月21日 - )… 宮腰 裕之(みやこし ひろゆき、1960年7月21日 - )は、北海道出身の、日本の柔道選手である。階級は71kg級と78kg級。身長172cm。 国士舘高校2年の時にインターハイの中量級で2位となった。東海大学2年の時には新人体重別71kg級で同じ東海大学の久野裕久を破って優勝を飾った。4年の時には講道館杯で3位だったが、正力杯では天理大学の鴨川裕美を破って優勝した。嘉納杯では決勝で東海大学大学院の中西英敏に敗れて2位だったものの、フィンランドのユヴァスキュラで開催された世界学生では個人戦と団体戦で2冠を達成した。初開催となった正力国際でも78kg級の初代チャンピオンになった。 1983年には警視庁の所属となると、講道館杯で3位になった。
山本 洋祐(やまもと ようすけ、1960年6月22日 - )… 山本 洋祐(やまもと ようすけ、1960年6月22日 - )は、日本の柔道家。 1987年の第15回世界選手権大会金メダリスト、1988年のソウル五輪銅メダリストで、現在は日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科の教授を務める。 熊本県飽託郡天明町(現・熊本市南区)出身。小学校5年生の時に兄の影響で柔道を始め、町立天明中学校入学後に本格的に稽古に打ち込んだ。県立宇土高校へ進学し、3年生の時に開催された1978年12月の全日本新人体重別選手権大会に出場すると、得意技の左背負投を武器に日本体育大学の長尾文男に次ぐ準優勝という好成績を残した。 1979年の春に日本体育大学に入学すると直後の講道館杯で3位となり、同年11月の全日本新人体重別選手権大会では決勝戦で筑波大学の阿部雄二を降すなどして優勝を果たした。
赤星 陽治(あかほし ようじ、1960年6月2日 - )は、… 赤星 陽治(あかほし ようじ、1960年6月2日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長174cm。 熊本第一工業高校から日本大学へ進むと、1年の時に新人体重別78kg級の決勝で筑波大学の高野裕光に敗れて2位だった。2年の時も新人体重別の決勝で明治大学の藤本一博に敗れて2位にとどまった。3年の時には優勝大会で3位となった。4年の時には正力杯の決勝で東海大学の山田剛を破って優勝を飾った。優勝大会では昨年に続いて3位だったが、フィンランドのユヴァスキュラで開催された世界学生では個人戦と団体戦で2冠を達成した。初開催となった正力国際でも78kg級の初代チャンピオンになった。
細川 伸二(ほそかわ しんじ、1960年1月2日 - )は、… 細川 伸二(ほそかわ しんじ、1960年1月2日 - )は、兵庫県一宮町(現・宍粟市)出身の柔道家。1984年ロサンゼルスオリンピック柔道男子60kg級金メダリストで1980年代の日本の軽量級を代表する選手。得意技は背負い投げ、巴投げ、内股すかし。身長157cm。
高野 裕光(たかの ひろみつ、1959年8月25日 - )は… 高野 裕光(たかの ひろみつ、1959年8月25日 - )は熊本県下益城郡出身の日本の柔道家。階級は78kg級。身長は175cm。得意技は大外刈、大内刈。
浅見 三喜夫(あさみ みきお、1959年1月7日 - )は、… 浅見 三喜夫(あさみ みきお、1959年1月7日 - )は、愛媛県の宇和島市・九島出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級及び65kg級の選手。次女は48kg級の世界チャンピオンである浅見八瑠奈。現在は新田高校の教頭及び柔道部顧問。 柔道は城南中学に入ってから兄の影響で始めた。新田高校2年の時にはインターハイ軽量級で3位になると、3年の時には中量級で3位となった。その後筑波大学に進学するが、1年の時に肘をケガして従来の得意技だった背負投が使えなくなったので、今までとは違ったスタイルの背負投を編み出すことになった。2年の時には新人体重別で優勝を飾った。4年の時には60kg級の選手ながら全日本学生柔道優勝大会のメンバーに選ばれて準優勝を果たした。
藤原 敬生(ふじわら たかお、1958年11月5日 - 20… 藤原 敬生(ふじわら たかお、1958年11月5日 - 2011年8月29日)は、日本の柔道家(講道館7段)。 岡山県和気郡和気町出身。町立和気中学校への入学に際し、当時バレーボールがブームだった事や自身の父親が相撲で30回以上国体へ出場した経験を持つ選手だった事もあり藤原はバレーボール部か相撲部への入部を考えていたが、和気中学校でまともに活動しているのが柔道部だけだったため同部への入部を決めた。中学校時代は藤原の父親も指導員として毎日道場に顔を出し、技の基本を指南したという。藤原は中学生時代に見た1972年のミュンヘン五輪に感銘を受け、この頃から自身も自然とオリンピックを目指すようになっていった。
木村 昌彦(きむら まさひこ、1958年8月26日 - )は… 木村 昌彦(きむら まさひこ、1958年8月26日 - )は、日本の柔道家、研究者。 山形県米沢市で生まれる。筑波大学体育専門学群コーチング卒業。山梨大学大学院総合研究部医学領域社会医学講座博士課程修了。 1987年、防衛大学校所属で第13回全日本サンボ選手権大会90 kg超級優勝。 1998年ドイツ国際銀メダリストの宝寿栄が横浜国立大学時代に柔道部監督をつとめていた。1992年バルセロナオリンピックから2016年リオデジャネイロオリンピックまでオリンピックにおいて柔道日本代表選手団に携わる。2015年現在、全日本柔道連盟強化委員。2016年リオデジャネイロオリンピックでは柔道日本代表チームのチームリーダーを務める。
中西 英敏(なかにし ひでとし、1958年6月3日 - )は… 中西 英敏(なかにし ひでとし、1958年6月3日 - )は日本の柔道家。東海大学体育学部教授。
伊藤 久雄(いとう ひさお、1958年3月3日 - )は大分… 伊藤 久雄(いとう ひさお、1958年3月3日 - )は大分県出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長178cm。体重113kg。 京都産業大学時代には世界選手権の78kg級で4連覇を達成することになる藤猪省三などの指導を受けると、3年の時には優勝大会ではチーム初となる3位に押し上げる原動力となった。4年の時にも優勝大会で活躍して3位となった。1980年に滋賀県警の所属となると、講道館杯の95kg超級決勝で福岡県警の百田秀明に敗れて2位だった。1981年から2年続けて体重別で3位になった。また、日本国際柔道大会では無差別で3位に入った。全国警察柔道選手権大会の無差別ではこの年から5回も優勝を成し遂げた。
原口 謙一(はらぐち けんいち、1957年8月26日 - )… 原口 謙一(はらぐち けんいち、1957年8月26日 - )は、熊本県出身の日本の柔道家。階級は60kg級。身長167cm。得意技は巴投、腕挫十字固。 熊本市立藤園中学校、九州学院高校では山下泰裕と同期だった。大学は山下と同じく東海大学に進むと、1976年の全日本新人体重別軽量級で優勝を飾った。1979年には全日本学生柔道選手権大会60kg級で優勝すると、選抜体重別でも国士舘大学教員の森脇保彦を破って優勝するが、世界選手権代表には選出されなかった。1980年には大学を卒業して栃木体育館所属となった。1981年には今市高校教員となり、日本国際柔道大会で優勝すると、1982年にはフランス国際でも優勝を飾った。