安田 裕美(やすだ ひろみ、男性、1948年4月7日 - 2… 安田 裕美(やすだ ひろみ、男性、1948年4月7日 - 2020年7月6日)は、日本の作曲家・編曲家・ギタリスト。北海道小樽市出身。実妻はシンガーソングライターの山崎ハコ(大分県日田市出身)。 小樽桜陽高等学校卒業、獨協大学外国語学部ドイツ語学科中退。六文銭、フライング・キティ・バンドのメンバーとして活動。その後、サポート・ギタリストをする傍ら、作曲・編曲活動も行う。井上陽水のデビュー当時を支えたバック・ギタリストとして有名。 2020年7月6日14時33分(JST)、かねてから患っていた大腸がんのため死去。72歳没。訃報は山崎の所属レコード会社であるテイチクエンタテインメントから発表された。
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小泉 まさみ(こいずみ まさみ、本名:小泉正美、1948年2… 小泉 まさみ(こいずみ まさみ、本名:小泉正美、1948年2月21日 - )は、神奈川県出身の作曲家・編曲家。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。血液型O型。小泉まさみ&こんがりトーストを経て、作曲家として活動。 ザ・ベンチャーズを知りバンドを始め、加山雄三、ポール・マッカートニーに触発され作曲を始める。 筒美京平、橋本淳に師事し、1972年にコロムビアレコードから「はなくそは空気のかけら」でデビュー。 ヤマハポピュラーソングコンテストで入賞しヤマハ専属になり、ワーナー・パイオニアから小泉まさみとこんがりトースト名義で「おやすみ」をリリース。以後LP「メロディランド」「コットンハウス」、シングル「妹の部屋」「バイバイゲーム」リリース。
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馬飼野 康二(まかいの こうじ、本名同じ、1948年1月26… 馬飼野 康二(まかいの こうじ、本名同じ、1948年1月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト。愛知県豊橋市出身。父はギタリスト・作曲家の馬飼野昇、兄は作曲家・編曲家の馬飼野俊一。 大津美子のバックバンドや、ご当地ソングの作曲を手がけていた父・馬飼野昇の影響もあり、幼少期から兄ともども家族でタンゴバンドを組むなど音楽や楽器に触れて過ごす。愛知県立豊橋商業高等学校卒業後、本格的に音楽を学ぶため尚美高等音楽学園に進むが中退。 1968年、グループ・サウンズバンド「ブルー・シャルム」を結成し、西郷輝彦に認められ1969年にデビュー(「馬飼野 睦」名義)。ブルー・シャルムの解散後は、兄・俊一の影響で作曲・編曲家となる。
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吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本のレ… 吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本のレコーディング・エンジニア、編曲家。 東京都出身。東京都立葛西工業高等学校電子科卒業。 1967年に東芝音楽工業の録音部に入社。ザ・ランチャーズの喜多嶋修と共に匿名ユニット「ジャスティン・ヒースクリフ(Justin Heathcliff)」を結成。同名アルバムを発表するも不発に終わる。 1970年、仕事をめぐり上司と衝突し、録音部からの配転を命ぜられ、クビに近い形で退社する。その後、かつての仕事仲間である細野晴臣に誘われてはっぴいえんどの『風街ろまん』にミキサーとして参加。以降、日本では初となるフリーのエンジニアとして活動。 松本隆に対して専業作詞家になることを勧めたのも吉野で、1974年に当時自らが担当していたアグネス・チャンのオリジナル・アルバム『アグネスの小さな日記』の収録曲の作詞を松本に依頼した。
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神山 純一(かみやま じゅんいち、1948年 - )は、日本… 神山 純一(かみやま じゅんいち、1948年 - )は、日本の作曲家、編曲家。日本作編曲家協会会員。自然を素材にした音楽を数多く作っている。 神奈川県私立栄光学園から早稲田大学に進学。在学中より作曲・編曲を始め、何度かの渡米で実践を積む。 大学在学中は、永井純として活動。カレッジ・フォークとして人気を集めた。代表曲「海 (THE SEA WITH YOU)」はかぐや姫によってカバーされ『かぐや姫LIVE』にも収録されている。 「海」を発表した時は大学1年生で人前で歌った経験はほとんどなく、度々おぼつかないギターを弾きながら「ボク、また恋をしちゃった」などと言っては自作の歌を自分の部屋で壁に寄りかかって唄うような青年だった。
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瀬尾 一三(せお いちぞう、1947年9月30日 - )は、… 瀬尾 一三(せお いちぞう、1947年9月30日 - )は、兵庫県生まれの日本の音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、シンガーソングライター。主に中島みゆき、長渕剛、吉田拓郎、かぐや姫、德永英明、風、伊勢正三などの作品を多数手がけていることで知られ、特に中島みゆきのプロデュースに力を注いでいる。 関西大学文学部中退。学生時代から関西フォーク・シーンで音楽活動を始め、1969年より翌年にかけて金延幸子、中川イサト、松田幸一らとともにグループ「愚」として活動。ロックやボサノヴァの要素も取り入れたユニークなスタイルのフォークグループとして注目を集め、2枚のシングルを残した(うち1枚は「秘密結社○○教団」名義)。
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南郷 達也(なんごう たつや、1947年8月11日 - )は… 南郷 達也(なんごう たつや、1947年8月11日 - )は、東京都江戸川区出身の作曲家、編曲家。日本作曲家協会理事。 明治大学マンドリン倶楽部OB。同サークルの創設者である古賀政男に感化され、音楽制作を始めた。 その後、演歌・歌謡曲の編曲家として活動。美空ひばり「みだれ髪」、ちあきなおみ「紅とんぼ」、氷川きよし「最後と決めた女だから」、石川さゆり「大阪のおんな」、石原詢子「おんなの涙」などのヒット曲がある。 本格的な演歌にしたいというスタッフの意向により、コンピュータゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に起用されたこともある。 シングル表題曲は太字 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
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矢野 誠(やの まこと、1947年6月25日 - )は、日本… 矢野 誠(やの まこと、1947年6月25日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、ピアニスト。 1947年生まれ。東京都出身。幼少時から英才教育を受け、オーストラリア留学を経て、桐朋学園大学音楽学部作曲科に入学した。 1970年代初めからオリジナル・ムーンライダーズ(元はっぴいえんどの松本隆を中心とした、現在のムーンライダーズの前身バンド)のオルガニストを経て、細野晴臣らのキャラメル・ママ、ティン・パン・アレー系のミュージシャンや、松本隆、筒美京平らと協力しながら活動。 無名の頃の大貫妙子を紹介、シュガー・ベイブ結成のきっかけを作っている。 1972年、南沙織、ブレッド&バターなどのアルバムで編曲家としてデビュー。
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佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 … 佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 - 2012年(平成24年)10月26日)は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、作曲家、編曲家、レコーディング & ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、音楽プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。日本のトップ・キーボーディストとして知られる。 1947年6月3日、真宗大谷派の寺の長男として鹿児島県の知覧にて生を受け、2年後の1949年に京都の寺に移住する。中学時代の14歳の頃になると「寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか」と自問し、世の中への怒りや人間社会の偽善性や生きることへの希望も見失う精神的ブラックホールの真っ只中にいた。
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吉田 憲司(よしだ けんじ、1947年 - )は、日本のスタ… 吉田 憲司(よしだ けんじ、1947年 - )は、日本のスタジオ・ミュージシャン、トランペット奏者、作曲家、編曲家。日本初のサルサ・グループであるオルケスタ・デル・ソルに結成から17年間在団。 岡山県岡山市出身。3歳からヴァイオリンを習い、中学入学からはトランペットも始める。岡山県立岡山東商業高等学校に進み、2年生からは本格的にトランペットに転向。卒業後は国立音楽大学に入学。在学中からジャズのグループを仲間達と結成し、都内でのライブ活動を始める。4年生の卒業前に顔見知りだった指揮者からの話で都内の某オーケストラのオーディションを受けるが、合格通知が届かなく、先輩の誘いで卒業後、高橋達也・東京ユニオンにも参加するが、数ヶ月で退団し、猪俣猛のサウンド・リミテッドとザ・サードに移籍。
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松田 昌(まつだ まさ、1946年12月10日 - )は、日… 松田 昌(まつだ まさ、1946年12月10日 - )は、日本・兵庫県生まれ、東京芸術大学作曲科出身の電子オルガン・鍵盤ハーモニカ奏者、作曲家、編曲家である。名古屋音楽大学客員教授、宇都宮短期大学特別講師。 1973年第10回ヤマハ・エレクトーン・インターナショナル大会でグランプリ受賞。その後キーボーディスト・作曲家として、日本全国各地海外での演奏活動を中心に、映画/ミュージカルの作曲、テレビの音楽制作/プロデュースイベント出演、後進の指導等、精力的に活動中。コンサートでは、尺八、バイオリン、二胡とのデュオ等で、アジアと日本の伝統的な音楽の融合を目指し、表情の豊かさとシャープな演奏で独自の世界を築き上げている。
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川村 栄二(かわむら えいじ、1946年12月6日 - 20… 川村 栄二(かわむら えいじ、1946年12月6日 - 2025年5月11日)は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。北海道小樽市出身。 少年時代にギターにはまり、北海道大学の軽音楽クラブに入る。大学を中退し、キャバレーでバンドマンをしていた時に、大学の先輩の誘いでネム音楽院の講師になる。講師と並行して因幡晃や高木麻早などヤマハに所属するアーティストのバックバンドも務めるようになる。 しかし、自身のプレイヤーとしての技量に限界を感じ、32歳の時から本格的にアレンジャーとして活動。1981年にテレビドラマ『拳骨にくちづけ』から劇伴を担当する。1983年に『小説吉田学校』の映画版で本格的に劇伴を手掛けるようになる。
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萩田 光雄(はぎた みつお、1946年6月16日 - )は、… 萩田 光雄(はぎた みつお、1946年6月16日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。静岡県出身。血液型A型。 疎開先の福島県信夫郡信夫村(現在の福島市)で生まれた。戦後、そこから一家は東京に戻ろうとしたが、まだ焼け野原だったため、埼玉県浦和に引っ越す。 両親はともに静岡の生まれで、家業は電子部品を作る会社の経営で、家は東京の大森にあった。 父は音楽には興味はなかったが、母は琴を弾き、11才年の離れた兄は、自分で電蓄を作り、ベートーヴェンやモーツァルトのレコードを聴いていた。上の姉はピアノを習っていたので、自宅にはピアノがあったが、幼少期の音楽体験はなかった。 中学校に入りブラスバンドの応援で打楽器を担当し、その後正式部員となり3年に進級する際、先生から「(管楽器の)トランペットとホルンとチューバの欠員が出たので、どれかやってみないか」と言われ、チューバだけ音が出せたので、担当した。
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設楽 幸嗣(したら こうじ、1946年6月4日 - )は、日… 設楽 幸嗣(したら こうじ、1946年6月4日 - )は、日本の作曲家・編曲家、音楽プロデューサーであり、元俳優、元子役俳優である。本名同じ。 1946年(昭和21年)6月4日、山形県酒田市に生まれる。父は設楽幸聖(日本正統運命学研究会会長)、母は一楽庵宗美(石州流茶道)、作曲家の武満徹は叔父にあたる。 父の幸聖が松竹の洋画宣伝部に在籍していた1951年(昭和26年)、『夢と知りせば』に出演する子役を探していた同作の監督の中村登に見いだされ、木暮実千代演じる「阿久津絹代」の息子「光久」役で同作に出演、同作は1952年(昭和27年)1月3日に公開されて映画界にデビューした。1953年(昭和28年)には東宝に貸し出され、千葉泰樹監督の『愛情について』、熊谷久虎監督の『白魚』、杉江敏男監督の『サラリーマンの歌』、および南旺映画製作、新東宝配給、斎藤達雄監督の『純情社員』にも出演した。
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深町 純(ふかまち じゅん、1946年〈昭和21年〉5月21… 深町 純(ふかまち じゅん、1946年〈昭和21年〉5月21日 - 2010年〈平成22年〉11月22日)は、日本の作曲家・編曲家・キーボーディスト・シンセサイザー奏者。東京都出身。一部の作品で馬場 浩の名を使用。 3歳よりピアノを習い始め、高校時代にはオペラの指揮や演出を手がける。東京都立大泉高等学校卒業。東京芸術大学作曲科を卒業直前に中退。 1971年(昭和46年)、ポリドールより1stアルバム『ある若者の肖像』でデビュー。以降は作曲、編曲やプロデュース、テレビ番組やCM、映画音楽を手掛けるほか、フュージョンのキーボーディストとして活動。 シンセサイザーにも造詣が深く, 1970年代初頭から数々のアルバムでシンセサイザーを使用している。
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梅垣 達志(うめがき たつし、1946年4月4日 - )は、… 梅垣 達志(うめがき たつし、1946年4月4日 - )は、日本のシンガーソングライター・作曲家・編曲家・ギタリスト。Allan McGee (Alan Mcgee) 名義活動や、グリティー梅垣名義の作品もある。 京都の実家の二階の部屋は、かつて画家の竹久夢二が愛人と間借りを数年していた。 1970年3月関西大学経済学部卒業。 1970年11月5日に第2回ヤマハポピュラーソングコンテストで、自ら作詞・作曲した『さすらう若者の歌』を歌唱してヤマハポプコン作曲コンクール入賞となる。 1976年11月14日にNHKホールで開催された荒井由実リサイタル「14番目の月」で、瀬尾一三らとともにバック・コーラスを担当する。
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荒川 達彦(あらかわ たつひこ、1944年9月12日 - )… 荒川 達彦(あらかわ たつひこ、1944年9月12日 - )は、兵庫県尼崎市出身のサクソフォーン奏者・作曲家・編曲家。 元・荒川達彦カルテット、The Great American Music Band、荒川バンドのリーダー。 '64年にサクソフォーン奏者としてプロデビューし、ブルーコーツ、アロー・ジャズ・オーケストラを経て、'70年にコンボバンド・荒川達彦カルテットを結成。'74年に渡米し作・編曲を学び、帰国後の'78年、高橋達也と東京ユニオンへの提供楽曲として「源氏」を発表。同年のモントルー・ジャズ・フェスティバルにて高い評価を得る。その後、岡野等、塩村修、荒木敏男らと共にザ・グレイト・アメリカン・ミュージック・バンド(後の荒川バンド)を結成し、解散後はスタジオミュージシャンや舞台音楽などの作曲に携わる。
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中島 良史(なかじま よしふみ、1944年2月5日 - )は… 中島 良史(なかじま よしふみ、1944年2月5日 - )は、日本の音楽家、作曲家・編曲家、指揮者、音楽プロデューサー、元国立音楽大学准教授。東京都出身、国立音楽大学作曲科卒業、同専攻科修了。 「国際音楽祭ヤング・プラハ」創設者の一人で、1992年以来21年間にわたり日本代表を務め、チェコ屈指の音楽祭として確立させたことで知られる。 1944年(昭和19年)2月5日、東京都に生まれる。1945年、戦火を避けるため母とともに福島県岩瀬郡桙衝村(現・須賀川市)へ疎開。父は茨城県内の駐屯地で終戦を迎えた。1947年に帰京し、三鷹町(現・三鷹市)に居住戦後混乱期の社会情勢を目の当たりにしながら幼少期を過ごす。
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丸山 雅仁(まるやま まさひと、1943年12月23日 - … 丸山 雅仁(まるやま まさひと、1943年12月23日 - 2020年6月3日)は、日本の作曲家、編曲家。 2014年、第56回日本レコード大賞で編曲賞を受賞。 2020年6月3日、急性呼吸器不全のため死去。76歳没。約2年前から体調を崩して療養中だった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
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石川 鷹彦(いしかわ たかひこ、1943年7月16日 - )… 石川 鷹彦(いしかわ たかひこ、1943年7月16日 - )は、北海道札幌市生まれの編曲家、ギタリスト、スタジオ・ミュージシャンである。 北海道札幌市生まれ。小学生のときに東京に移る。1968年に同じ多摩美術大学の小室等とともに六文銭を結成。その後吉田拓郎・かぐや姫・イルカ・アリスらの演奏を担当。1970年代のフォーク・ニューミュージックシーンにおいて多くの演奏を残し、編曲家としても数々のヒット曲を生み出した。 1992年にさだまさしのアルバム『ほのぼの』をプロデュースして以来、さだのサポートメンバーとしての活動が多かった。『第47回NHK紅白歌合戦』においても、さだのサポートメンバーとして出演した。 1996年9月から10月にかけて、NHK趣味百科「アコースティック・ギター入門」に加藤和彦とともに講師として出演。
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たかしま あきひこ(1943年5月24日 - 2016年10… たかしま あきひこ(1943年5月24日 - 2016年10月16日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身。 本名は高島 明彦(読み同じ)で、本名名義での作品も存在する。 1968年に東京藝術大学作曲科を卒業。山本直純門下生であり、山本が音楽を担当していたTBSのバラエティ番組『8時だョ!全員集合』では山本のアシスタントを務める。 1970年代からは、山本から役目を引き継いで『全員集合』の音楽を担当したほか、『ドリフ大爆笑』(フジテレビ)のテーマ曲やBGM、ザ・ドリフターズのオリジナル曲、および志村けんのバラエティ番組挿入曲などの作曲・編曲を手がける。またドリフターズ関連以外にも、テレビドラマ・テレビアニメや映画等の劇伴音楽、バラエティ番組のBGM、報道番組のテーマ曲、CMソング等の作曲・編曲を数多く手がけた。
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帰山 栄治(かえりやま えいじ、1943年 - 2022年1… 帰山 栄治(かえりやま えいじ、1943年 - 2022年11月22日)は、日本の作曲家・編曲家。福井県大野市出身。 1962年に名古屋大学文学部に入学し、ギターマンドリンクラブに入部、後に同クラブ第6代指揮者。同期のコンサートマスターが榊原喜三である。作曲を中田直宏に師事。名古屋マンドリン合奏団の指揮者、いくつかの学生マンドリンクラブの指導、マンドリン及び合唱コンクールの審査員など。作曲作品は、マンドリン音楽のほか、ギター合奏曲、現代邦楽、室内楽、独奏曲、歌曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など百数十曲。マンドリン合奏への編曲作品も二百数十曲あり、特に、ロシア民族楽器オーケストラ曲の紹介に注目すべきものがある。
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三枝 成彰(さえぐさ しげあき、1942年7月8日 - )は… 三枝 成彰(さえぐさ しげあき、1942年7月8日 - )は、日本の作曲家、編曲家、コラムニスト。株式会社メイ・コーポレーション代表取締役、東京音楽大学客員教授、日本作編曲家協会副会長、日本交響楽振興財団理事、日本現代音楽協会理事、渡辺音楽文化フォーラム理事、全日本ピアノ指導者協会(PTNA)相談役、サイバー大学客員教授、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員。1989年までは本名の三枝 成章(読みは同じ)名義で活動していた。 疎開先の兵庫県西宮市に生まれ、生後40日で東京都に移り、千葉県や神奈川県を転々として育つ。1946年頃からピアノを習い始め、1951年、桐朋学園の子供のための音楽教室に入り、入野義朗に作曲を師事。
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坂田 晃一(さかた こういち、1942年2月10日 - )は… 坂田 晃一(さかた こういち、1942年2月10日 - )は、日本の作曲家、編曲家。尚美学園大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学高等学院を卒業。東京芸術大学器楽科(チェロ専攻。中退)の後、1963年から1967年にかけて山本直純のアシスタントを務めると同時に作編曲を師事した。1965年に作曲家としてデビュー。 作品は幅広く、ビリーバンバンの「さよならをするために」、伝書鳩の「目覚めた時には晴れていた」、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおるの「鳥の詩」、チェリッシュの「あの空へ帰ろう」の作曲・編曲を手がけている。 また、フジテレビの「世界名作劇場」の音楽を担当した他、数々のTVドラマや映画、アニメの音楽も手がけている。
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浅川 マキ(あさかわ マキ、1942年1月29日 - 201… 浅川 マキ(あさかわ マキ、1942年1月29日 - 2010年1月17日)は、日本の歌手、作詞(詩)家、作曲家、編曲家。淺川マキと綴られることもある。本名:森本悦子。 石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。石川県立金沢二水高等学校卒業。 浅川マキは詳しい生い立ちを公表せず、学習研究社が1980年5月に刊行した『NEW MUSIC'81 ニューミュージック事典』の「アーティスト名鑑」では「1961年に法律の勉強をするため上京。その後某放送局ののど自慢で8人抜きをしたことから、浜口庫之助に認められ歌の世界に入る。黒人霊歌やジャズなどを得意とする」などと書かれている。 町役場で国民年金窓口係の職に就くも程なくして上京する。
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福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2… 福田 和禾子(ふくだ わかこ、1941年11月28日 - 2008年10月5日)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。東京都出身。父は流行歌手の松平晃。 東京学芸大学附属世田谷小学校・中学校、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作曲を下総皖一、池内友次郎、矢代秋雄、いずみたくに師事。大学在学中から、父の親友であった藤山一郎の専属ピアニストとして活動。 大学卒業後の1964年から、NETテレビや東京12チャンネルの学校放送、およびNHK教育テレビジョンの子供番組の音楽の作曲・演奏を担当。『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』、『みんなのうた』等の楽曲を数多く手がけた。
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桑原 洋明(くわはら ひろあき、1941年9月12日 - 2… 桑原 洋明(くわはら ひろあき、1941年9月12日 - 2022年2月15日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京都立川市生まれ。国立音楽大学作曲科卒業。菊川廸夫、外崎幹二、島岡譲、高田三郎に師事。1970年に「吹奏楽のための3つの断章」でJBA作曲賞を受賞。 藤田玄播、斎藤高順、岩河三郎、岩井直溥、名取吾朗、川崎優、奥村一とともに作曲家グループ「ニュー・エイトの会」を結成し、意欲的に吹奏楽曲の作曲を行った。また、クラシック曲からの吹奏楽編曲も多く手がけている。
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河野 土洋(かわの くにひろ、1941年8月31日 - 20… 河野 土洋(かわの くにひろ、1941年8月31日 - 2017年10月29日)は、日本の作曲家・編曲家。東京都出身。長男は、作曲家の河野圭。 テレビ・CM・吹奏楽など幅広いジャンルで活躍。シンセサイザーによる楽曲も多く手掛けた。代表作に、AC(公共広告機構)のサウンドロゴ、テレビアニメ『サザエさん』の劇伴(BGM〈2代目〉)など。 中学生の頃からヴァイオリンを始め、朝日ジュニア・オーケストラにて指導者で作曲家の呉泰次郎に音楽の基礎を学ぶ。東京都立新宿高等学校卒業。 学生時代には大学のオーケストラや芥川也寸志が音楽監督を務めた新交響楽団のコンサートマスターとして活動。芥川直々の指導のもと、長期にわたるリハーサルや数多くのコンサートを通じて楽曲を演奏・分析した経験が、その後の音楽活動に大きな影響を与えることとなった。
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大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、194… 大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、1941年〈昭和16年〉5月30日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。静岡県熱海市出身。『ルパン三世』シリーズの作曲家としても知られる。 日本テレビ音楽専属、フリーを経て、バップ専属で活動している。 静岡県熱海市にある旅館瑞雲荘大野屋(後のホテル大野屋)を創業した大野市郎の次男として生まれ、小学生の時からピアノを始める。6年生の2学期までは地元の小学校に通い、その後は小田原にある小学校・中学校まで越境通学していた。小田原市立第一中学校(現:小田原市立城山中学校)卒業後は慶應義塾高等学校に進学。同級生だった明石勇(クラリネット担当、後にNHKアナウンサーとなる)らと「ジュニア・ライト・ミュージック」を結成。
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アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - … アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - )は、日本人ギタリスト、歌手、編曲家。東京国際大学人間社会学部客員教授。 ギター演奏や、ピアノ、ギター寄贈などの活動を通してキューバとの親善交流を精力的に行っている。 1941年2月26日、東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。 1949年に日比谷公会堂で催された「古賀政男ショー」を母親と観劇した。このショーの1部と2部の幕間に日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫が出演した。阿部の弾いたギターソロ「荒城の月」を聞いて母親に「ギターをやりたい」と懇願する。当時通っていた小学校の担任に母親が相談し、当時開いていた阿部のギター教室を探し当て阿部に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。
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筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日 - )… 筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日 - )は、日本の作曲家、編曲家。本名は渡辺栄吉(わたなべ えいきち)。東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。青山学院大学経済学部卒業。弟は音楽プロデューサーの渡辺忠孝。筒美音楽事務所(個人事務所)代表(神奈川県逗子市所在)。2003年、紫綬褒章受章。
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鈴木 宏昌(すずき ひろまさ、1940年5月26日 - 20… 鈴木 宏昌(すずき ひろまさ、1940年5月26日 - 2001年5月21日)は、東京都出身のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。ニックネームが「コルゲン」であることから、愛称は「コルゲンさん」。 歯科医の息子として生まれ、慶應義塾大学経済学部に進学。大学在学中はジャズ・ピアノに傾倒し、佐藤允彦、大野雄二と共に「慶應三羽烏」として名をはせる。ニックネームの「コルゲン」はもともとは佐藤のものであったが、佐藤が渡米し、その後を受けた形で参加したグループで「二代目コルゲン」と言われていた鈴木がいつしか「コルゲン」のニックネームとなって定着した。 大学在学中より「ジョージ川口とビッグ4+1」に加入し、プロとして活動を開始。
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大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12… 大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。京都府京都市出身。 1962年から1970年までザ・スパイダース、1971年から1972年までPYG、1971年から1980年まで井上堯之バンドのメンバーとして活動。1980年に大野克夫バンドを結成し、活動を続ける。愛称は克夫ちゃん。 後述するように、沢田研二をはじめ多数の歌手へ楽曲を提供している。1975年の「時の過ぎゆくままに」は約92万枚の売り上げを記録。1977年の「勝手にしやがれ」は89万枚の売り上げを記録。第19回日本レコード大賞の大賞、第8回日本歌謡大賞の大賞、第10回日本有線大賞の大賞を受賞し、主要な賞レースを独占した。
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甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、… 甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、大分県別府市生まれの日本の作曲家・編曲家・明治大学マンドリン倶楽部音楽監督・常任指揮者・OB会会長。古賀政男音楽文化振興財団理事。 1958年、明治大学法学部入学、明治大学マンドリン倶楽部に入部する。1962年に卒業後、大学の先輩にあたる古賀政男に作曲を、佐伯亮に編曲を師事する。 1965年に日本コロムビアに専属作曲家として迎えられ、藤山一郎・島倉千代子・都はるみ・舟木一夫・大川栄策・ペギー葉山・大月みやこ・キム・ヨンジャなどの楽曲、日本相撲協会練成歌(作曲)、器楽曲アルバム、カラオケなどを合わせると、これまでに6,000曲以上の楽譜を制作。
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鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、… 鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。妻は元歌手の小野階子(おの しなこ)。 慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。学生時代は慶應義塾大学ライトミュージックソサエティに所属。 母が所有していたピアノを独学で習得し、学生時代からジャズ・ピアニストとして活動を始め、のちに「ザ・ヒットパレード」のバックバンドにも参加。中村八大の影響でプロの作曲・編曲家を目指す。 西ドイツ・ドルトムントで開催された1966年世界体操競技選手権に日本代表専属のピアニストとして参加。床運動の規定曲を作曲する。 プロの作曲家としてデビューまもない1968年に『天使の誘惑』が、第10回日本レコード大賞を受賞する。
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佐伯 亮(さえき まこと、1938年2月24日 - 2008… 佐伯 亮(さえき まこと、1938年2月24日 - 2008年11月3日)は、日本の作曲家・編曲家。馬場良の別名を持つ。 東京都中野区出身。明治大学法学部卒業。マンドリン倶楽部に在籍し、卒業後古賀政男に師事。 1961年、コロムビアレコード専属の作曲家となる。翌年、美空ひばり「恋の曼珠沙華」で日本レコード大賞編曲賞受賞。さらに翌年、美空ひばり「柔」のレコード大賞受賞を機に、一気にトップ編曲家の地位を確保した。 1972年、編曲を担当したぴんからトリオの「女のみち」は400万枚を越す未曽有の大ヒットとなった。 美空ひばりのステージにおける音楽監督を25年間務めた事でも有名である。変わったところでは、競艇で1991年 - 2010年まで使われた、一般競走の際のファンファーレ(優勝戦は除く)の作曲を担当していた。
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川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 202… 川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 2021年10月20日)は、日本の作曲家、編曲家。兵庫県神戸市出身。本名:川口 眞弘(かわぐち まさひろ)。 幼少期は岡山県倉敷市、岡山市育ち。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、東京芸術大学に進学した。 東京芸術大学音楽学部楽理科に2年在籍したのち、作曲科へ転科。在学中から越路吹雪のバックバンド「クレール・ド・シャルム」のピアニストとして活動。その傍らでいずみたくの事務所で編曲のアルバイトも行っており、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』で編曲家としてデビュー。そのまま本業となったため、大学は4年で中退。 1966年、ザ・ベンチャーズが作曲した「二人の銀座」(歌:和泉雅子・山内賢)の編曲を担当。
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田辺 信一(たなべ しんいち、1937年10月2日 - 19… 田辺 信一(たなべ しんいち、1937年10月2日 - 1989年4月29日)は、日本の作曲家、編曲家。岡山県総社市出身。慶應義塾大学のジャズサークルで音楽を学んだ。 作曲家・編曲家として多数の楽曲を制作、石坂浩二の金田一耕助シリーズの音楽を担当した。他にも歌謡曲の作曲としても知られる。元々ジャズ畑の人間であった(慶應ライトミュージックソサイエティ出身)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
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京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、… 京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、クラリネット奏者。 本名は安野 健三。京都府出身。筆名の「京」は出身地に、「建輔」は次男の名前に由来する。 同志社大学工学部卒業。大学在学中からのスウィング・ジャズの演奏活動を経て、音楽出版社に勤めた後、作曲活動を開始する。以降、多くの歌謡曲(特に演歌)を編曲、古賀政男記念音楽大賞や藤田まさと賞などを受賞している。 1974年の映画『エスパイ』より映画・テレビの音楽を担当する。1977年の特撮テレビドラマ『快傑ズバット』の主題歌「地獄のズバット」では、当時小学生だった長男の「派手な音色がいいんじゃない」という意見をヒントにして、演奏に琵琶を用いている。
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藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013… 藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013年1月30日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京府出身。キリスト教信者で洗礼名はミカエル。父はキリスト教会の牧師で、オルガンと讃美歌の響きで育つ。中学校の吹奏楽部でトランペットを担当。高校卒業後、神学校に入学し教会音楽に親しむが1年で中退。その後、国立音楽大学に入学し、フルートを専攻。在学中、大橋幸夫の指導する同大学ブラスオルケスターの編曲を担当。同大学を卒業後に作曲を学ぶ。尚美学園講師や洗足学園音楽大学で客員教授を務めた。 2002年から2006年まで、日本吹奏楽指導者協会(JBA)の第10代会長を務めた。 作曲活動のほか、管弦楽作品からジャズ、ポピュラー音楽などの幅広い吹奏楽編曲で知られる。
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服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11… 服部 克久(はっとり かつひさ、1936年〈昭和11年〉11月1日 - 2020年〈令和2年〉6月11日)は、日本の作曲家、編曲家。東京府(現:東京都)出身。 1936年、作曲家・服部良一の長男として生まれる。幼少より音楽の英才教育を受け、国立学園小学校、成蹊中学校・高等学校を経てパリ国立高等音楽院へ留学。和声、フーガ、対位法を学んだ後、1958年卒業。帰国後すぐに戦後の復興後のテレビ放送の草創期より活動を始める。 日本テレビ『サンデーダーク』、『ハニータイム』、フジテレビ『ミュージックフェア』などを皮切りに、テレビ、ラジオ番組、ドラマ、アニメ、映画の音楽を数多く担当。1971年には、「花のメルヘン」で第13回日本レコード大賞編曲賞を受賞。
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保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日… 保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。 東京都生まれ。1960年東京芸術大学作曲科卒。作曲を長谷川良夫、指揮法を渡邉暁雄に師事。卒業作品にて第29回毎日コンクール作曲部門(管弦楽)で第1位受賞。以後作曲活動の傍ら、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭をとり、兵庫教育大学名誉教授。作陽音楽大学客員教授、浜松アクト音楽院音楽監督を歴任。日本バンドクリニック委員会名誉顧問。作品は管弦楽曲、オペラ、室内楽、ミュージカルなど幅広く、吹奏楽では日本を代表する作曲家の一人。 管弦楽分野では、1966年より岡山大学交響楽団の常任指揮者となり、同団を全国的な水準へ押し上げた。
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櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 -… 櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 - )は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。 京都府立桃山高等学校、京都教育大学卒業。専攻は数学であった。在学中より福本正に作曲を学び、卒業後、本格的に作曲活動を開始する。伝統的な邦楽を基調とした日本的な作風で知られ、国内外で高い評価を得ている。 また、より広い作曲活動を求め、絵画・建築・写真・映像などの分野との一体化による、構造的芸術の創造を目指して取り組んでいる。作曲・編曲・指揮といった音楽分野を越えて、イヴェント・コーディネーターとして広く活躍している。 2000年代以降は、ジャズ楽曲を吹奏楽用に編曲した作品をウィンズスコアより発表しており、編曲家としての新たな一面を見せるなど、精力的な活動を展開している。
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はやし・こば(1935年7月27日 - 2016年1月11日… はやし・こば(1935年7月27日 - 2016年1月11日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都生まれ。本名、小林郁夫(こばやし いくお)。 東京都立大学心理学科卒業(音楽心理学専攻)。 東芝音楽工業(後の東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン、現在はユニバーサルミュージック)の専属編曲家などを経た1962年、三木鶏郎の音楽工房に加わり、CMソングの作曲に携わる。はやし・こば(本名は小林)の名付け親も、三木である。 その後独立して、1972年にコバ・ミュージック出版株式会社を設立。数々のCMソング・サウンドロゴを手がけてきた。 CMディレクターの市川準が手掛けたテレビCMのサウンドロゴを作曲したのが縁で、市川が監督を務めた映画の常連俳優として出演した他、宮崎駿監督によるスタジオジブリのアニメ映画『千と千尋の神隠し』では、河の神役で声優として出演した。
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横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 20… 横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 2017年7月8日)は、日本の作曲家、編曲家である。広島県広島市出身。 両親とも学校の教員。小学3年生の時に父親の転勤により呉市に転居したため、1945年の原爆被災を免れる。本人は呉から原爆のキノコ雲をもろに見て覚えていると話している。 小学6年生の時に再び父親の転勤により同じ広島県の甲奴郡に転居、甲奴郡には中学3年生の時まで暮らす。ある日に父親の勤務していた上下高等女学校(現・広島県立上下高等学校)で行われた、オペラ歌手の藤原義江と大谷洌子が出演する演奏会を父親と一緒に観に行き、魅了される。これに元々音楽が好きだったこともあって、中学2年生の時の進学指導で先生に「歌手になる」と答えたところ、先生から「音楽をやるなら作曲家にならなきゃだめだ」と言われ、広島音楽高等学校を勧められて同校に創立2期生として入学。
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蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年〈昭和10年〉3月… 蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年〈昭和10年〉3月13日 - 2024年〈令和6年〉12月26日)は、日本の作曲家、編曲家である。別名︰冬木 透(ふゆき とおる)名義を用いる。 満洲国の首都新京出身で、14歳で母の郷里広島県へ戻る。広島県北の高校から広島市内の広島観音高等学校へ転校。1952年創立のエリザベト短期大学作曲科に入学し、宗教音楽専攻科を修了。1956年、TBS(当時ラジオ東京)へ音響効果技師として入社。当初はラジオを担当していたが、途中から開局したばかりのテレビへ軸を移す。翌1957年、国立音楽大学作曲科に3年生として編入するが、TBSにも社員として在籍。1958年、連続テレビドラマ『鞍馬天狗』において、不足分の音楽を作曲して劇伴作曲家デビュー。
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前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひ… 前田 憲男(まえだ のりお、本名:前田 暢人〈まえだ のぶひと〉、1934年12月6日 - 2018年11月25日)は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家、指揮者。 大阪府出身。小学校教師であった父より、幼少より読譜を学ぶ。大阪府立桜塚高等学校卒業と同時に、プロのジャズピアニストとして活動を開始。ピアノ・指揮法とも独学で習得する。1955年に上京、名門ジャズバンド「西條孝之介とウエスト・ライナーズ」などのメンバーとして活躍。以後、様々なバンドに参加する一方、数多くのテレビ番組のテーマ音楽を手がける。特に、テレビ番組で共演し、共に昭和9年生まれの芸能人の会「昭和九年会」のメンバーでもある大橋巨泉とは親交も深く、巨泉が出演した番組のテーマ音楽の大半を手がけている。
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三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - … 三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - 1986年5月16日)は、東京都出身の作曲家、編曲家、ジャズピアニスト、レーシングドライバー、俳優、映画監督。 妻はボーカリストの宮崎正子。 鮎川義介の懐刀で満州重工業開発理事や日本コロムビア社長などを歴任した三保幹太郎の息子。高校時代から、ピアニストの守安祥太郎に師事し、在学中の1950年に「クール・ノーツ」でプロデビュー。慶應義塾大学卒業後は、トミー・パーマー・オーケストラなどでピアニストとして活動。1959年4月、前田憲男、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を結成。同年『モグラの唄』で芸術祭奨励賞受賞。1961年、日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献し、2度目の芸術祭奨励賞を受賞。
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森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 -… 森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 - 2018年8月19日 )は、日本の作曲家、編曲家。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校卒業。指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事。 「君といつまでも」「恋のしずく」「ブルー・シャトウ」「今日でお別れ」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。作・編曲の傍ら、映画やテレビ番組の音楽監督・プロデューサーとして活動。主な作品に、映画音楽「若大将シリーズ」「宇宙からのメッセージ」「山下少年物語」「典子は、今」など。 またカーティア・リッチャレッリのレコーディング、サルバトール・アダモのコンサートのプロデュースなど外人アーティストの音楽制作プロデュースも積極的に手がける。
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越部 信義(こしべ のぶよし、1933年8月21日 - 20… 越部 信義(こしべ のぶよし、1933年8月21日 - 2014年11月21日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都出身。 子ども向けの楽曲や童謡をはじめ、テレビ・CM・舞台など幅広いジャンルで活躍。NHKのテレビ番組『おかあさんといっしょ』で楽曲制作を約40年にわたり担当したほか、テレビアニメ『サザエさん』の劇伴(BGM)を作曲したことでも知られた。代表作は「おもちゃのチャチャチャ」など。 中学生の頃からピアノのバイエルをはじめる。本人いわく「普通の音楽家より始める時期は遅かった」とのこと。その後、高校在学時にクラシック音楽の作曲家を志す。 1957年、東京藝術大学作曲科卒業。在学時は池内友次郎に師事する。
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