柏木 久美子(かしわぎ くみこ、1978年10月9日 - )… 柏木 久美子(かしわぎ くみこ、1978年10月9日 - )は、東京都出身のアルペンスキーヤー。小樽双葉女学園卒。
職業がスキー:126人
柏木 久美子(かしわぎ くみこ、1978年10月9日 - )… 柏木 久美子(かしわぎ くみこ、1978年10月9日 - )は、東京都出身のアルペンスキーヤー。小樽双葉女学園卒。
井山 敬介(いやま けいすけ、1978年6月28日 - )は… 井山 敬介(いやま けいすけ、1978年6月28日 - )は日本の男性プロスキーヤー。北海道富良野市出身。全日本ナショナルデモンストレーター認定7期(2006-2020)。ばんけいスキー学校所属。 札幌第一高等学校在学中からナショナルチームに入る。1996年には米国Breckenridgeの回転にてFISワールドカップに出場する。 2000年より技術選に参戦。2007年・2008年に2連覇、2014年には3度目の優勝を果たす。 2007年10月にはスキー仲間の丸山貴雄、柏木義之、吉岡大輔らとニュージーランドを舞台に業界20年ぶりとなるスキー映画「4ce Cut the Wind」を製作、出演。目黒にて上映会開催。
曽根田 千鶴(そねた ちづる 1978年2月15日 - )は… 曽根田 千鶴(そねた ちづる 1978年2月15日 - )は、日本のクロスカントリースキー選手。山形県最上町出身。北海道自衛隊スキー連盟に所属している。 小学校のときは陸上競技を行い、最上中学校1年の時にクロスカントリースキーを始めた。山形県立新庄北高等学校向町分校に進学し、高校2年の時は国体のリレーで青木富美子とチームメートになった。2001年ノルディックスキー世界選手権に出場したが、2002年のソルトレイクシティオリンピック代表を逃し、2003年2月のアジア冬季競技大会代表に選ばれて夏見円、福田修子、横山寿美子との20kmリレーで銀メダルを獲得したものの、2003年ノルディックスキー世界選手権の代表になれず、一時は競技引退も考えた。
皆川 賢太郎(みながわ けんたろう、1977年5月17日 -… 皆川 賢太郎(みながわ けんたろう、1977年5月17日 - )は、日本の元アルペンスキー選手。主に回転で活躍していた。関根学園高校から北照高校へ2年次編入後卒業、日本体育大学体育学部体育学科卒業(特別卒業認定)。1998年長野オリンピックを皮切りに、2002年ソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピックと4大会連続日本代表として出場。元妻は元フリースタイルスキー・モーグル選手の上村愛子。 新潟県南魚沼郡湯沢町出身。大学の後輩にトリノオリンピック代表吉岡大輔・佐々木明などがいる。 2008年〜2009年シーズン「チームアルビレックス新潟」、2009年〜2010年シーズン「株式会社竹村コーポレーションスキークラブ」、2011年〜2012年シーズン「株式会社ドームスキークラブ」、2013年〜2014年シーズン「株式会社プリンスホテル」に所属していた。
廣井 法代(ひろい のりよ、1976年5月3日 - ) は、… 廣井 法代(ひろい のりよ、1976年5月3日 - ) は、日本のアルペンスキーヤーである。新潟県小千谷市出身。新潟県立湯沢高等学校卒業。1998年長野オリンピック、および2002年ソルトレークシティオリンピックと2006年トリノオリンピックに出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
滝下 靖之(たきした やすゆき、1976年(昭和51年)1月… 滝下 靖之(たきした やすゆき、1976年(昭和51年)1月31日 - )は、日本のアルペンスキー選手。 北海道留萌市出身。札幌第一高等学校卒業。ミズノに所属。1998年長野オリンピックと2002年ソルトレークシティオリンピックに出場した。
畑中 みゆき(はたなか みゆき、1975年12月18日 - … 畑中 みゆき(はたなか みゆき、1975年12月18日 - )は、宮城県塩竈市出身のフリースタイル・スキー選手(モーグル→ハーフパイプ)である。 塩竈市立第二中学校時代はバスケットボール部で活躍。聖和学園高等学校時代はハンドボール部で主将を務め、インターハイ・国体に出場。ニックネームはQちゃん。かつて佐川急便北海道支社(現:北海道支店)に所属していた。 2006年6月29日、畑中は都内で会見を開きフリースタイル・スキー・ハーフパイプへの転向を正式に表明した。フリースタイル・スキー・ハーフパイプは2003~04年シーズンからワールドカップに採用された新種目。オリンピック種目には入っていないが、2009年に福島県・猪苗代町で開催されるフリースタイルスキー世界選手権でも実施される。
浦木 健太(うらき けんた、1975年 - )は、日本の元ア… 浦木 健太(うらき けんた、1975年 - )は、日本の元アルペンスキー選手、実業家。東京都出身。2025年現在はスキー用品メーカーのケスレの代理店などを経営する。 中学まで新潟県の石打丸山スキー場で過ごし高校はアメリカへ。高校卒業後は当時ベネトン傘下だったノルディカ(英語版)の日本法人(日本ノルディカ)に入社。全日本アルペンチームに10年間在籍しヨーロッパ各国を転戦した。1996年は全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技の男子大回転で優勝し、1996年アジア冬季競技大会でも男子大回転で金メダルを獲得。1997年アルペンスキー世界選手権では日本代表に選ばれ男子大回転に出場するが、1本目途中棄権に終わる。
出来島 桃子(できじま ももこ、1974年6月24日 - )… 出来島 桃子(できじま ももこ、1974年6月24日 - )は、新潟県新潟市西区出身のクロスカントリースキー選手、バイアスロン選手。兄がいる。 新潟県立新潟南高等学校を経て、新潟大学工学部に入学。 悪性腫瘍の摘出手術の影響で右腕が不自由になった。大学卒業後は公務員試験に合格し、現在は新発田市役所勤務。2006年のトリノパラリンピックに出場しクロスカントリー5kmで14位、15kmでは13位、太田渉子と小林深雪と共に出場したリレーでは5位の成績を収めている。2008年からはバイアスロン競技にも出場をはじめ、障害者スキーノルディック世界選手権などでも入賞を果たしている。 ソチパラリンピックの不利な扱いを受けたとする抗議が、国際パラリンピック委員会に棄却された。
横山 寿美子(よこやま すみこ、1974年3月25日 - )… 横山 寿美子(よこやま すみこ、1974年3月25日 - )は、日本、新潟県妙高高原町(現在の妙高市)出身の元クロスカントリースキー選手。父は元クロスカントリー選手・指導者でトリノパラリンピックのコーチ兼ワックス技術者であった横山久雄、姉は元クロスカントリースキー選手の横山久美子。 小学校2年時にクロスカントリースキーを始める。 妙高高原町立妙高中学校(現・妙高市立妙高高原中学校)-新潟県立新井高等学校-日本大学-北越銀行-セコム上信越。2006/2007シーズン限りで国際舞台からは退き2007年11月に結婚。冬季オリンピックに4回出場、ノルディックスキー世界選手権には8度出場した。日本大学時代は全日本学生スキー選手権で1年生から4年連続2冠王の偉業(史上初)を樹立した。
萩原 貴則(はぎわら たかのり、1973年11月17日 - … 萩原 貴則(はぎわら たかのり、1973年11月17日 - )は、スキー・元ノルディック複合・ワールドカップ代表。群馬県利根郡片品村出身。 地元で行われた国体を契機に競技生活に入る。群馬県武尊高等学校(現群馬県立尾瀬高等学校)、早稲田大学、トーエネックに順次所属した。1999年からワールドカップを転戦。1999年のワールドカップBでは準優勝という快挙を成し遂げる。国内では第56回、第58回の国民体育大会冬季大会スキー競技大会で優勝。2003年には第81回全日本スキー選手権大会でノルディックコンバインドに優勝するなど名実ともに日本のトップ選手として活躍。 2003年限りで第一線を退き、後進の指導に当たっている。
瀧澤 宏臣(たきざわ ひろおみ、1973年9月13日 - )… 瀧澤 宏臣(たきざわ ひろおみ、1973年9月13日 - )は、山形県米沢市出身の元アルペンスキー及びフリースタイルスキーモーグル、スキークロス選手。 身長:177cm、体重:85kg、足のサイズ:26cm。使用スキーメーカーはHEAD(ヘッド)。 山形県立山形中央高等学校、近畿大学時代までアルペンスキー選手として活躍。高校1年から全日本ナショナルチームに所属。高校3年生でシニアBチーム昇格。この時回転種目で年代別世界ランキング1位となった。1995年(大学4年)時に突如アルペンスキーからモーグル競技に転向し、長野オリンピック代表候補までのぼり詰めたが、直前の怪我のため出場ならず。 2000年3月でモーグル競技引退。
大日方 邦子(おびなた くにこ、1972年4月16日 - )… 大日方 邦子(おびなた くにこ、1972年4月16日 - )は、東京都出身の元チェアスキーヤー。元東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事。2022年1月現在、電通グループフェロー及び電通総研副所長。 神奈川県立柏陽高等学校、中央大学法学部卒業。NHKの教育番組ディレクターを経て、現在は電通パブリックリレーションズ勤務。2017年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。 冬季パラリンピックにリレハンメルからバンクーバーまで5大会連続出場し、アルペンスキー競技で合計10個のメダル(金2個、銀3個、銅5個)を獲得。冬季パラリンピックにおける日本人初の金メダリスト(1998年長野大会、滑降)。
横山 久美子(よこやま くみこ、1972年4月7日 - )は… 横山 久美子(よこやま くみこ、1972年4月7日 - )は、日本、新潟県妙高高原町(現在の妙高市)出身の元クロスカントリースキー選手。父は元クロスカントリー選手・指導者でトリノパラリンピックのコーチ兼ワックス技術者であった横山久雄、妹は元クロスカントリースキー選手の横山寿美子。 新潟県立新井高等学校-松蔭女子短期大学-昭和電機-守谷商会-セコム上信越。2002年8月に現役引退し2003年9月にオーストリア人男性と結婚、ラムサウ在住。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
富井 剛志(とみい つよし、1971年〈昭和46年〉8月3日… 富井 剛志(とみい つよし、1971年〈昭和46年〉8月3日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。 長野県下高井郡野沢温泉村出身。長野県飯山南高等学校卒業、野沢温泉スキークラブ所属。 その後、1992年アルベールビルオリンピックと1998年長野オリンピックに出場する。アルベールビル五輪では滑降で25位、長野五輪では滑降で17位、スーパー大回転で24位に入った。2001年(平成13年)引退した。
今井 博幸(いまいひろゆき、1970年3月12日 - )は、… 今井 博幸(いまいひろゆき、1970年3月12日 - )は、日本、長野県信濃町出身の元クロスカントリースキー選手。指導者。1990年代から2000年代前半にかけて国内外で活躍した。 8歳でスキーを始め、長野県長野吉田高等学校時代までは陸上とスキーを掛け持ちしていた。その後中央大学に進学、卒業後はNTT東日本長野に所属した。 冬季オリンピックには、1992年のアルベールビルオリンピックから4大会連続出場、1998年地元開催の長野オリンピックではリレーで日本クロスカントリースキー史上初の入賞(7位)に貢献した。2002年のソルトレイクシティオリンピックでは50kmクラシカルで日本人選手史上最高の6位入賞を果たした。
三浦 豪太(みうら ごうた、1969年8月10日 - )は、… 三浦 豪太(みうら ごうた、1969年8月10日 - )は、日本のプロスキーヤー、登山家、実業家。博士(医学)(順天堂大学)取得者である。身長166cm。愛称は「ゴンちゃん」。三浦雄一郎の次男、山岳スキーヤーの三浦敬三は祖父。 1994年リレハンメルオリンピック・1998年長野オリンピックフリースタイルスキー競技男子モーグル日本代表選手。神奈川県鎌倉市生まれ。東京都老人科学研究所研究員、国士舘大学ハイテクリサーチセンター研究員。ワオ係数の提唱者である。2014年ソチオリンピックでは、スキークロスをはじめとしたフリースタイルスキーでの独特の解説が「詳しすぎる解説」として話題になる。 2025年現在はリゾート開発を手掛ける「北海道グローバル」社の社長を務め、旭川市のカムイスキーリンクス(神居山)周辺にホテル・コテージなどを含めたスキーリゾートを開設する事業を進めている。
長浜 一年(ながはま かずとし、1969年4月29日 - )… 長浜 一年(ながはま かずとし、1969年4月29日 - )は、日本、青森県野辺地町出身の元クロスカントリースキー選手。1990年代に国内外で活躍した。 専修大学-シークラフトスキークラブ-野辺地スキークラブ
倉西 誠一(くらにし せいいち、1968年3月24日 - )… 倉西 誠一(くらにし せいいち、1968年3月24日 - )は、株式会社KADOKAWAのブランドカンパニーの一つであるアスキー・メディアワークスの編集者。第7編集局(アスキー系編集部)局長。 石川県金沢市出身。1980年より富山県小杉町(現射水市)に移る。富山県立富山中部高等学校、立教大学文学部日本文学科卒業。大学在学中の1986年よりペヨトル工房に散発的に参加する。 1991年よりフリーのゲームライターとなり、『ゲームボーイ』のライター(アニキ倉西)として活動。1993年に大学を卒業し、1995年より『電撃PlayStation』に参加、2003年より2009年まで同誌編集長(第2代)。2009年7月に『電撃DS&Wii』を総合誌『電撃ゲームス』(2011年5月休刊)にリニューアルさせたのち、『週刊アスキー』に異動している。
青木 富美子(あおき ふみこ、1966年11月22日 - )… 青木 富美子(あおき ふみこ、1966年11月22日 - )は日本、山形県真室川町出身の元クロスカントリースキー選手。指導者。 山形県立真室川高等学校-日本大学-山形県総合運動都市公園公社-山形県立真室川高等学校教諭、SAJナショナルジュニアチームコーチ 1990年代に日本のエースとして国際大会で活躍、1996/97シーズンのクロスカントリースキー・ワールドカップでは3度5位入賞している。国内では全日本選手権で2年連続4冠となるなど個人通算24勝を記録した。
伊東 秀人(いとうひでと、1966年(昭和41年)4月9日 … 伊東 秀人(いとうひでと、1966年(昭和41年)4月9日 - )は、日本のスキーヤー。蔵王温泉(山形県山形市)出身。山形県スキー連盟所属。蔵王温泉スポーツ大使。全日本スキー連盟元ナショナルチーム(1982-1992)。元ナショナルデモンストレーター(1993-2009)。フランス国家スキー検定教師。 現在はプロスキーヤーとして選手や一般のスキーヤー指導、スキーイベントプロデュースなど活躍中。同じくデモンストレーターの伊東秀朗は弟。実家は蔵王温泉でペンションぼくのうち・ローソン山形蔵王温店・山形県観光物産会館で「ファーストフード・エフワン」を営んでいる。 中学時代からアルペンスキーで頭角を現し、日本大学山形高等学校時代に国体の少年組優勝を皮切りに全国的なスキー選手として認知される。
阿部 雅司(あべ まさし、1965年8月13日 - )は、北… 阿部 雅司(あべ まさし、1965年8月13日 - )は、北海道留萌郡小平町出身のスキー・ノルディック複合の元選手、元指導者。1990年代に活躍し、オリンピックおよびノルディックスキー世界選手権の団体戦で3度金メダルを獲得した。現在は北海道名寄市の特別参与と札幌オリンピックミュージアム名誉館長を兼任している。 小学1年でスキーを始め、当時の指導者の勧めで小学3年からジャンプ競技を開始。小平町立小平中学校に進学後、中学1年でノルディック複合に転向。3年連続全国大会出場の実績を残して、強豪・東海大学付属第四高等学校に進学した。高校3年時にはキャプテンに抜擢され、全日本選手権・少年組で優勝。インターハイと国体では2位となる活躍を見せた。
熊谷 克仁(くまがい かつひと、1964年10月3日 - )… 熊谷 克仁(くまがい かつひと、1964年10月3日 - )は、日本のアルペンスキーヤーである 。 1988年の冬季オリンピックに出場した 。近畿大学卒。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
高野 孝子(たかの たかこ、1963年3月30日- )は、日… 高野 孝子(たかの たかこ、1963年3月30日- )は、日本の女性冒険家として、1995年に冒険家5人と5ヶ月かけてロシアからカナダまでの北極海を世界で初めて無動力(スキー・犬ぞり・カヌー)の極点横断をした。現在は野外・環境教育活動家として、特定非営利活動法人ECOPLUSの代表理事を務める。新潟県南魚沼市大沢在住。
佐々木 一成(ささき かずなり、1962年11月25日 - … 佐々木 一成(ささき かずなり、1962年11月25日 - )は、日本、青森県平内町出身の元クロスカントリースキー選手。1980年代から1990年代にかけて活躍した。 東奥義塾高等学校→専修大学→北野建設 冬季オリンピックに4回出場、1992年アルベールビルオリンピックでは選手団主将を務めた。全日本スキー選手権大会では個人四冠を3度達成するなど通算26勝(歴代1位)を記録した。 ソルトレークシティオリンピックコーチ。
倉田 秀道(くらた ひでみち、1961年8月26日 - )は… 倉田 秀道(くらた ひでみち、1961年8月26日 - )は、日本のスキー指導者。2003年から2016年まで早稲田大学スキー部監督を務め、2014年ソチオリンピックには渡部暁斗を始め、スキー部OB4人、現役部員2人を日本代表として送り込んだ。 早稲田大学社会科学部を卒業。早稲田大学院スポーツ科学研究修士課程を修了。 1984年に大東京火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)に入社する。 1996年に早稲田大学スキー部のコーチに就任し、1999年に助監督に就任。2003年より監督となる。2006年より、あいおいニッセイ同和損害保険から早稲田大学に客員教授として出向しフルタイム監督としてスキー部を指導する。
児玉 修(こだま おさむ、1956年9月21日 - )は、日… 児玉 修(こだま おさむ、1956年9月21日 - )は、日本のスキー選手。長野県出身。日本大学文理学部ドイツ文学科卒業。2010年まで全日本スキー連盟・アルペンチームのヘッドコーチを務めた。 1970年代後半から1980年代前半にかけて、海和俊宏と共に日本の回転競技を引っ張った。1980年レングリースで開かれたワールドカップ男子回転競技において、日本人初となる優勝選手とのタイム差1秒を切る6位入賞の快挙を成し遂げている。 児玉は国産スキー(小賀坂スキー)を履いてFISワールドカップを戦った選手でもある。児玉のタイム差1秒を切る6位入賞は日本製のスキー板が世界に通用することを当時証明したことと言える。
海和 俊宏(かいわ としひろ、1955年4月24日 - )は… 海和 俊宏(かいわ としひろ、1955年4月24日 - )は、山形県最上町出身の元アルペンスキー選手。日本が生んだ初のワールドカップ・第1シード選手。現在はカイワスポーツクリエイティブ代表として、北志賀よませ温泉スキー場で、ホテルとスキースクールを経営し、レーシングキャンプから修学旅行の団体まで、幅広くスキー、スノーボードを教えている。よませは、海和の移住以降、レーシング系スキーヤーのメッカの一つとなっている。 1976年の第54回全日本スキー選手権大回転優勝。 1977年オーストリアのサン・アントンで開かれたFISワールドカップ・男子回転で1位とのタイム差が1秒16で7位に入り、第1シード入りを果たす。
角皆 優人(つのかい まさひと、1955年1月26日 - )… 角皆 優人(つのかい まさひと、1955年1月26日 - )は、日本のフリースタイルスキー選手(モーグル・エアリアル・アクロなど)・水泳選手、スキー指導者、作家。 群馬県高崎市出身。群馬県立高崎高等学校卒業、青山学院大学中退。 高校までは水泳選手として活動し、1972年200メートル個人メドレー群馬県優勝他。高校の同級生に指揮者 三澤洋史、政治家 下村博文がいる。 青山学院大学在学時代フリースタイルスキーに取り組み、学内にフリースタイルスキーチームを創設、初代部長を務める。 1978年~1986年、全日本フリースタイルスキー選手権大会総合優勝7回、種目別優勝35回(全日本フリースタイルスキー協会主催・全日本スキー連盟主催大会)。
片桐 幹雄(かたぎり みきお、1955年1月9日 - )は、… 片桐 幹雄(かたぎり みきお、1955年1月9日 - )は、日本のアルペンスキーヤーである。 彼は、1976年の冬季オリンピックと1980年の冬季オリンピックに出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
千葉 晴久 (ちば はるひさ、1951年〈昭和26年〉6月3… 千葉 晴久 (ちば はるひさ、1951年〈昭和26年〉6月3日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の元アルペンスキーヤー。 1951年、北海道旭川市出身。北日本学院高校(現在の旭川大学高校)から進学した専修大学在学中、1972年札幌オリンピックと1976年インスブルックオリンピックに出場した。1972年第50回全日本スキー選手権大会アルペン競技「回転」で優勝。札幌オリンピック大回転19位。プロに転向する[いつ?] SRAプロスキーサーキットプロレレースに参戦し、日本人初の優勝。 後進の指導に取り組み選手層を厚くするため、1986年に任意団体会長、長野オリンピック開催の1998年にNPO法人ナスターレース協会初代会長に就任。
市村 政美(いちむら まさみ、1950年〈昭和25年〉12月… 市村 政美(いちむら まさみ、1950年〈昭和25年〉12月29日 - )は、日本のアルペンスキー選手。1970年代の日本スキー界で活躍した。現在は競技スキーを専門とするスキースクール冬龍門の代表を務める。 群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)出身。群馬県立利根農林高等学校(現・群馬県立利根実業高等学校)から法政大学に進学し、中退。1971年(昭和46年)に日本楽器製造(現・ヤマハ)に入社。 1972年(昭和47年)の札幌オリンピックに出場し、大回転3分15秒34で15位、回転1分54秒83で17位の成績を収める。1977年(昭和52年)1月24日、オーストリア・キッツビューエルで行われたアルペンスキー・ワールドカップ男子回転第5戦ハーネンカム大会にて7位入賞の快挙を成し遂げた。
富井 澄博(とみい すみひろ、1949年〈昭和24年〉10月… 富井 澄博(とみい すみひろ、1949年〈昭和24年〉10月20日 – 2013年〈平成25年〉1月19日)は、日本のアルペンスキーヤー。 長野県出身。1972年の冬季オリンピックと1976年の冬季オリンピック に出場した。 引退後は後進選手の育成に尽力し、1998年長野オリンピックではアルペン女子の競技委員長を務めた。2013年(平成25年)1月、腎盂がんのため長野県上高井郡小布施町の病院で死去した。
沖津 はる江(おきつ はるえ、1949年5月31日 - )は… 沖津 はる江(おきつ はるえ、1949年5月31日 - )は、日本のアルペンスキー選手。札幌オリンピック代表となるなど1960年代末から1970年代に活躍した。群馬県吾妻郡草津町出身。大東文化大学卒業。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
斉藤 博(さいとう ひろし、1948年〈昭和23年〉10月 … 斉藤 博(さいとう ひろし、1948年〈昭和23年〉10月 - )は、日本の元アルペンスキー選手・指導者。 選手時代は中央大学スキー部、その後札幌の三共電装にノンプロ選手として所属し、その後歌志内市役所の職員となった後の28歳まで選手として活動。[要出典] その後かもい岳レーシングチームを設立。 選手としては宮様国際スキー競技会、富良野での国体、北海道選手権などで優勝。[要出典] 北海道美唄市出身。 北海道美唄市で生まれ、5歳の時に父親から買ってもらったスキーでスキーをはじめる。 当時は美唄にはリフトのあるスキー場はなく、自分の足で登って滑る毎日を過ごした。 その後美唄市立栄小学校、東明中学校、美唄東高校を経て、中央大学に入学する。
古川 年正 (ふるかわ としまさ、1947年5月11日 - … 古川 年正 (ふるかわ としまさ、1947年5月11日 - )は、日本のアルペンスキーヤー 。 北海道枝幸郡出身。北海高等学校を経て、芝浦工業大学へ進む。1972年札幌オリンピックで男子回転に出場したが、骨折による途中棄権で終わった。のち日本オリンピック委員会の理事や選手強化副本部長、全日本スキー連盟常務理事を歴任し、2014年ソチオリンピックでは日本代表選手団の副団長を務めた。2017年(平成29年)第一線から退いた。2018年(平成30年)現在、長野県上高井郡野沢温泉村に在住し、ペンション・シュネーを経営している。
長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 20… 長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 2017年9月4日)は、日本のノルディックスキー・クロスカントリースキー選手、放送記者、ニュースキャスター、実業家。青森放送代表取締役会長、青森商工会議所相談役、東北稲門スキー倶楽部会長、青森県スキー連盟会長。青森県南津軽郡大鰐町生まれ(本籍地は弘前市)。早稲田大学(教育学部国語国文学科)卒業。旧姓:松岡(まつおか)。 小学校3-4年時、大鰐スキークラブ会長を務めた父の儀助に連れられ阿闍羅山で滑り始め、間もなく「学校で一番早かったから」自然な形で距離スキーに入っていった。 青森県立弘前高等学校で長利武記の指導を受け、2年時に全国高等学校総合体育大会ノルディックスキー・クロスカントリー男子15キロで優勝。
丸山 寿一(まるやま じゅいち、1945年2月23日 - )… 丸山 寿一(まるやま じゅいち、1945年2月23日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。 長野県出身。1968年の冬季オリンピックで男子滑降に出場した。
気田 義也(きだ よしなり、1943年9月29日 - 200… 気田 義也(きだ よしなり、1943年9月29日 - 2009年9月13日)は、日本の元アルペンスキー選手。東京都生まれ、北海道蘭越町育ち。北海道倶知安高等学校卒。 倶知安高校在学時の1961年に全日本スキー選手権大回転を制した。早稲田大学進学後の1964年インスブルックオリンピックに出場し男子回転で34位、男子大回転で39位となっている。全日本スキー選手権では1965年、1966年と回転で連覇、北海道拓殖銀行就職後に出場した1968年のグルノーブルオリンピックでは予選で敗退した。2009年に死去。65歳没。
丸山 仁也(まるやま ひとなり、1942年4月21日 - )… 丸山 仁也(まるやま ひとなり、1942年4月21日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。 長野県出身。慶應義塾大学文学部卒業。妻は大杖美保子。義弟(妻の弟)は大杖正彦。 1968年グルノーブルオリンピックで男子滑降に出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年(昭和17年)2月… 福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年(昭和17年)2月10日 - 1975年(昭和50年)9月23日?)は、日本のアルペンスキーヤー。 北海道磯谷郡蘭越町出身。北海道倶知安農業高等学校から明治大学に進み、大学3年時の1963年に第41回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技に滑降と回転の2種目で優勝する。1963年、北海道スポーツ賞を受賞する。 1964年1月19日、オーストリアで開かれたゴルデック国際スキー大会の回転競技で優勝する。同年、オーストリアチロル州のインスブルックで開かれた第9回オリンピック冬季競技大会に出場した。成績は滑降が45位、回転が23位、大回転が25位であった。 1965年1月にスイスで開かれたラウバーン国際スキー大会において、男子滑降で43位、男子回転レースで14位に終わる。
富井 一(とみい はじめ、1940年〈昭和15年〉12月11… 富井 一(とみい はじめ、1940年〈昭和15年〉12月11日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。日本楽器に所属。1964年冬季オリンピックに滑降、回転および大回転の3種目で出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
大平 義博 (おおひら よしひろ、1940年9月9日 - )… 大平 義博 (おおひら よしひろ、1940年9月9日 - )は、日本のアルペンスキーヤーである。 北海道出身。彼は、オーストリアのチロル州インスブルックで開催された1964年冬季オリンピックに出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年… 安達 晟(あだち あきら、1939年5月3日 - 2020年7月25日[要出典])は、北海道余市町出身の元ノルディックスキー(スキージャンプ)選手、スキー指導者、スキージャンプ審判員。 北海道余市町大川町出身。北海道余市高等学校ではスキー部に所属。在学中、ジャンプ競技では、2年生時に全道スキー大会純ジャンプ2位、全国高等学校スキー大会2位、3年生時に全国高等学校スキー大会2位の成績を残す。 1958年(昭和33年)、札幌鉄道管理局(国鉄北海道支社、現在の北海道旅客鉄道鉄道事業本部に相当)に入社。札幌鉄道管理局スキー部に入部した。当時の札鉄スキー部は、純ジャンプに秋葉信夫、大内誠一、 距離競技では工藤誠二、谷口明見(ノルディック複合、オリンピック3回出場)らの有力選手を擁していた。
見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、… 見谷 昌禧(みたに まさよし、1938年1月5日 - )は、日本の元アルペンスキー選手、スキー指導者、スキージャーナリスト、スキー技術研究家。 見谷スキースクール会長。国際スキージャーナリスト協会(AIJS)会員。 戦後北海道小樽市に移る。小樽潮陵高時代、全国高等学校スキー大会の大回転で優勝する。 卒業後、早稲田大学に進み、1959年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春に次いで2位となり、翌1960年のスコーバレーオリンピッの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で53位、大回転で33位となったが、回転では失格した。 1962年には、フランス・シャモニーで開催された世界選手権と、スイス・ヴィラールで開催されたユニバーシアードに出場し、世界選手権では回転で21位、大回転で28位、ユニバーシアードでは回転で3位に入賞した。
多田 修(ただ おさむ、1935年5月16日 - )は、北海… 多田 修(ただ おさむ、1935年5月16日 - )は、北海道出身の元アルペンスキー選手。 北海高 → 早稲田大学 → 伊勢丹 1955年の第28回全日本学生スキー選手権大会の回転で優勝。荒削りながら、コースの選定には独特の勘があったと言われる。1959年のスコーバレーのプレオリンピックでは、欧米の強豪を相手に、滑降・回転・大回転の3種目総合で4位に入る健闘を見せた。同年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春・見谷昌禧に次いで3位に入り、翌1960年のスコーバレーオリンピックの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で46位、回転で26位、大回転で35位だった。
黒岩 達介(くろいわ たつゆき、1935年〈昭和10年〉1月… 黒岩 達介(くろいわ たつゆき、1935年〈昭和10年〉1月15日 - 2013年〈平成25年〉11月5日[要出典])は、日本のスキー指導者。 群馬県高崎市に生まれる。実家は万座温泉の旅館。群馬県立高崎高等学校を中退。兄の死去により旅館を継ぐために東京・銀座の料亭で修業し四条流庖丁式を身に付け、ふぐ調理師資格を取得した。 1958年(昭和33年)に万座を訪れたオーストリアのルディ・マット(ドイツ語版)のスキー術に感銘を受けスキー指導者を志す。オーストリアに留学し、シュテファン・クルッケンハウザー(ドイツ語版)に師事。1966年(昭和41年)に杉山進に次いで日本人2人目となるオーストリア国家検定スキー教師の資格を得る。
園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 … 園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 - )は、日本のスキー指導者。群馬県出身。 1934年(昭和9年)、群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)に、園部良雄の次男として生まれる。幼少から園部ヒュッテ前インターハイ発祥の地大穴スキー場でスキーを学ぶ。群馬県立沼田高等学校卒業後、国鉄大井工場で勤務。 法政大学に入学し、全日本学生選手権・全日本選手権を制覇。法政大学を中退し、1961年(昭和36年)プロに転向。1962年(昭和37年)に苗場スキースクールを立ち上げた。 プロ団体「日本職業スキー教師連盟」(SIA)を有志と発足。現在は、全日本スキー連盟(SAJ)でスキースクール代表を務める。
三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 … 三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、日本のスキー選手、登山家、獣医師。青森県出身。クラーク記念国際高等学校名誉校長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、株式会社ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、株式会社三浦雄一郎事務所代表取締役。 北海道大学獣医学部助手、青森大学教授、日本プロスキー連盟会長、社団法人日本職業スキー教師協会顧問、日本プロモーグルスキー協会会長などを歴任した。 クラーク記念国際高等学校の校長に就任するとともに、全国森林レクリエーション協会の会長などを務めている。また、札幌市手稲区親善大使に委嘱されると同時に、青森市の名誉市民にも選ばれている。
杉山 進(すぎやま すすむ、1932年4月10日 - 202… 杉山 進(すぎやま すすむ、1932年4月10日 - 2025年4月10日)は、長野県下高井郡野沢温泉村出身の元アルペンスキー選手、指導者。 「杉山スキー&スノースポーツスクール」代表。日本職業スキー教師協会(SIA)第5代会長。 幼少期からスキーに親しみ、旧制飯山中学・飯山北高ではスキー部で活躍。高校1年の時、従兄の片桐匡(元全日本スキー連盟副会長、長野県スキー連盟会長)の紹介で、猪谷六合雄・千春父子と知り合う。北アルプス・涸沢での猪谷父子の合宿にも参加し、大きな影響を受ける。高校卒業後、長野電鉄に入社。1954年の第32回全日本スキー選手権大会では、滑降・回転の2冠となり、次世代の有力選手として注目されるようになる。