遠藤 嘉右衛門(えんどう かうえもん、1881年〈明治14年… 遠藤 嘉右衛門(えんどう かうえもん、1881年〈明治14年〉4月22日 - 1945年〈昭和20年〉9月4日)は、日本の地主、政治家。衆議院議員(1期)。幼名・要三郎。 島根県神門郡今市町(現出雲市)で先代遠藤嘉右衛門の二男として生まれ、1914年(大正3年)家督を相続し嘉右衛門を襲名した。 1901年(明治34年)東京専門学校政治経済科を卒業。今市町長、簸川郡町村会長、今市商工会顧問、今市町農会長、簸川郡青年団長、同自治協会長、同衛生会頭、雲陽実業銀行頭取、出雲製織(株)取締役となる。 1916年(大正5年)の島根県郡部の第12回衆議院議員総選挙補欠選挙で立憲同志会から立候補して当選する。衆議院議員は1期務めた。
桜井 三郎右衛門(さくらい さぶろうえもん、1881年〈明治… 桜井 三郎右衛門(さくらい さぶろうえもん、1881年〈明治14年〉4月15日 - 没年不明)は、日本の実業家、島根県多額納税者、島根県の大地主。族籍は島根県平民。 島根県・桜井三郎右衛門の長男。1908年、家督を相続し、旧名・直養を改め襲名する。農業を営む。八雲銀行、出雲館製糸所各取締役、松江銀行監査役をつとめる。 住所は島根県仁多郡阿井村(現・奥出雲町)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高橋 弥左衛門(たかはし やざえもん、1881年〈明治14年… 高橋 弥左衛門(たかはし やざえもん、1881年〈明治14年〉4月12日 - 没年不明)は、日本の実業家、青森県多額納税者、地主。金木商事代表取締役。金木銀行取締役。族籍は青森県平民。 青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)出身。高橋彌左衛門の養孫。高橋清吉の二男。1904年、家督を相続し、前名・徳三郎を改める。農業を営み、傍ら銀行会社の重役を兼ねる。 住所は青森県北津軽郡金木町。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
加計 正文(かけ まさふみ、1881年〈明治14年〉2月2日… 加計 正文(かけ まさふみ、1881年〈明治14年〉2月2日 - 1969年〈昭和44年〉)は、日本の政治家、実業家、地主、広島県多額納税者。広島県山県郡加計町長。加計銀行頭取。加計隅屋22代当主。 広島県山県郡加計町(現安芸太田町)出身。加計八右衛門の長男。1898年、あるいは1906年、第六高等学校一部甲類を卒業。東京帝国大学文科に修学。夏目漱石の講義を熱心に聴講していたが、1905年時点で家業を継ぐため帝大を中退している。1917年、正式に家督を相続した。 加計銀行頭取、加計町長2期、郡教育会長、1913年以来広島地方森林会議員、県山林会理事、県産業調査会委員等に選ばれ、加計銀行が芸備銀行と合併後芸備銀行加計支店長、山林会副会頭。
白勢 友彌(しろせ ともや、1880年〈明治13年〉3月9日… 白勢 友彌(しろせ ともや、1880年〈明治13年〉3月9日 - 1916年〈大正5年〉)は、日本の農民、大地主、新潟県多額納税者。族籍は新潟県平民。 新潟県北蒲原郡金塚村(現・新発田市金塚)出身。白勢長衛の弟。1911年(明治44年)、家督を相続した。1914年(大正3年)、早稲田大学推薦校友となる。農業を営み、大地主であった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岸野 伊太郎(きしの いたろう、1880年〈明治13年〉2月… 岸野 伊太郎(きしの いたろう、1880年〈明治13年〉2月16日 - 没年不明)は、日本の政治家、地主。 東京府・伊平の長男。農業を営む。1917年に西巣鴨町会議員となり、1期満了、2期再選する。1920年、国勢調査委員に任命される。 出納監査委員、西巣鴨町教育会評議員、上睦会会長、西巣鴨第四部青年団副団長、氷川神社氏子総代である。宗教は日蓮宗。住所は東京市豊島区池袋2丁目。 岸野家について『豊島区大総覧 2597年版』によると、 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
矢田貝 猶治(やたがい ゆうじ、1880年〈明治13年〉 -… 矢田貝 猶治(やたがい ゆうじ、1880年〈明治13年〉 - 1921年〈大正10年〉)は、日本の会社役員、政治家、醸造家、素封家、鳥取県の大地主。矢田貝家3代目。中国貯蓄銀行取締役。米子信託監査役。鳥取県西伯郡会議員。大幡村会議員。大幡信用購買組合監事。 鳥取県会見郡大幡村大字上細見(のち西伯郡岸本町大字上細見、現・西伯郡伯耆町大字上細見)出身。酒、醤油醸造業を営む。連合国傷病兵罹災者慰問会寄付者である。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大熊 仁三郎(おおくま にさぶろう、1879年〈明治12年〉… 大熊 仁三郎(おおくま にさぶろう、1879年〈明治12年〉11月29日 - 1945年〈昭和20年〉3月5日)は、日本の政治家、実業家、地主。浅草区会議員。日出土地社長。族籍は東京平民。 東京府浅草区橋場町(現・東京都台東区)・大熊政次郎の二男。浅草橋場生まれ。1896年、家督を相続した。尋常高等両小学を通じて8年間常に最優等を以て首席を占めたが、卒業後不幸にして病気となり学事に親しむことを得なかった。 1899年、日本護謨会社の設立に奔走する。日本護謨合資会社出資社員として会計監督の任に当たる。1900年、組織を改めて株式会社となると、監査役に挙げられ、後取締役となり1924年8月、専務取締役に就任し、傍ら1925年、日出土地会社を創立して社長に就任した。
13代 絲原 武太郎(いとはら ぶたろう、1879年(明治1… 13代 絲原 武太郎(いとはら ぶたろう、1879年(明治12年)11月21日 - 1966年(昭和41年)9月4日)は日本の地主、実業家、政治家。鉄師絲原家13代、貴族院多額納税者議員。旧姓・江角、旧名・徳次郎。 島根県出雲郡原鹿村(現出雲市斐川町原鹿)で、地主・江角勝太郎の二男として生まれた。1900年、東京正則中学校を卒業し東京高等商業学校(現一橋大学)に入学したが、1901年に鉄師糸原家12代・絲原武太郎の養子となり中退した。1911年、養父の死去に伴い家督を継承し武太郎を襲名した。 家業の製鉄業を1922年に廃業し、新たな事業として、先代が推進した植林を継続する中で製炭に着目して、島根木炭として関東地方にも出荷した。
野田 三郎(のだ さぶろう、1879年〈明治12年〉2月5日… 野田 三郎(のだ さぶろう、1879年〈明治12年〉2月5日 - 没年不明)は、日本の篤農家、新潟県多額納税者、地主。族籍は新潟県平民。 新潟県北蒲原郡水原町(現・阿賀野市)出身。野田三郎の五男。1906年、家督を相続し前名・又五郎を改め襲名する。農業を営む。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。住所は新潟県北蒲原郡水原町(現・阿賀野市)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石橋 長右衛門(いしばし ちょうえもん、1878年〈明治11… 石橋 長右衛門(いしばし ちょうえもん、1878年〈明治11年〉11月10日 - 1937年〈昭和12年〉10月31日)は、日本の政治家、実業家、島根県の大地主。雲陽実業銀行取締役。松江銀行監査役。族籍は島根県平民。 出雲国簸川郡古志村に生まれる。石橋助市の長男。幼い頃に父母が亡くなり、祖父母の鞠育を受け成長する。1881年、家督を相続する。1899年、青年実業会を起し、その会長となる。 1901年、村民の輿望を受け、村長に選任され、村政を統治する。古志貸金合名会社を創起し、その社長となる。古志銀行、雲陽実業銀行各取締役、松江銀行監査役などをつとめる。 住所は島根県簸川郡古志村(現・出雲市)。 石橋家は旧幕時代に累代組頭及び下郡役を勤め、苗字帯刀を許された閥閲で、郷党に推重された。
名島 嘉吉郎(なしま かきちろう、1877年〈明治10年〉7… 名島 嘉吉郎(なしま かきちろう、1877年〈明治10年〉7月 - 没年不明)は、日本の実業家、鳥取県多額納税者、鳥取県の大地主。米子商工会議所顧問。族籍は鳥取県平民。 鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)出身。名島嘉吉郎の長男。1909年、家督を相続し、前名・庄三郎を改め襲名する。砂糖、醤油、肥料商並金銭貸付業を営む。 銀行会社の重役であり、中国興業銀行頭取、博愛病院代表取締役、山陰貯蓄銀行、米子ガス各取締役、名島合名会社代表社員をつとめる。 宗教は浄土宗。趣味は囲碁、盆栽。住所は米子市博労町1丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高頭 仁兵衛(たかとうじんべえ/にへえ、1877年5月20日… 高頭 仁兵衛(たかとうじんべえ/にへえ、1877年5月20日 - 1958年4月6日)は、明治から昭和にかけての登山家、地主、実業家。仁兵衛は高頭家当主の代々の名乗りで、歴代との区別のため「山の仁兵衛」とも称される。本名は式(しょく)、字は義明、号は海峰。 1877年(明治10年)5月20日、新潟県三島郡深沢村(現在の長岡市)の豪農である父・清蔵義宗と母・リクの長男として生まれる。幼名は式太郎(しょくたろう)。始祖藤原高藤から37代目、中興の祖である高遠宗朝(信州高遠に由来)から16代目、初代仁兵衛義清から9代目、牧野忠精に謁見し名字帯刀を許され高頭姓を名乗った仁兵衛義章から5代目となる。高頭家は代々長岡藩川西組の庄屋を務めた家系で多額納税者でもあり、祖父義直は当時県内で貴族院の互選資格を持つ15人のうちの1人であった。
瀬田 熊太郎(せた くまたろう、1877年〈明治10年〉4月… 瀬田 熊太郎(せた くまたろう、1877年〈明治10年〉4月12日 - 1945年〈昭和20年〉11月6日)は、日本の政治家、実業家、商人(農具商)、精米業者、地主。 物品貸付業、農具商、精米業、農業などを営んだ。エステー自動車商会長、東京ガレージ常務取締役、伊豆水産、日本住宅各取締役、東京府北豊島郡上板橋村会議員、同村青年団名誉団員、同村在郷軍人分会名誉会員、同村学務委員、北豊島郡町村組合会議員、同村消防組委員などをつとめた。 1945年11月6日に死去。行年69才。東京都豊島区雑司が谷の霊園に墓がある。 板橋町大山の質商・瀬田文次郎の弟、瀬田醻一の叔父である。住所は上板橋村字宿(現・板橋区弥生町)、上板橋一丁目。
溝手 保太郎(みぞて やすたろう、1877年(明治10年)3… 溝手 保太郎(みぞて やすたろう、1877年(明治10年)3月30日 - 1933年(昭和8年)11月25日)は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。 溝手直次郎の長男として岡山県都宇郡早島村(現都窪郡早島町)に生まれる。一時直次郎の兄の養嗣子となるが、のち復籍し、9歳にして家督を相続する。1896年(明治29年)1月、早島、倉敷の地主、佐藤、綱島、大橋らと共に中備銀行を創立し頭取に就任した。早島随一の大地主として120町歩の小作地を経営し、その収入を株式や公債に当て利殖を図る。1910年(明治43年)韓国併合を契機に韓国にも180町歩の土地を購入、農場経営に着手した。
目黒 孝平(めぐろ こうへい、1877年(明治10年)3月2… 目黒 孝平(めぐろ こうへい、1877年(明治10年)3月2日 - 1919年(大正8年)10月10日)は、明治から大正期の地主、実業家、政治家。衆議院議員、新潟県北魚沼郡須原村長。号・皆水。 新潟県魚沼郡、のちの北魚沼郡須原村(守門村須原を経て現魚沼市須原)で、大地主・目黒徳松の長男として生まれる。1899年(明治32年)12月、家督を相続した。慶應義塾を経て、同志社に進み政治経済を学んだ。 帰郷して須原村長に2回選出された。公共事業などに私財を投じて信望があった。日本赤十字社特別社員、東洋調帯取締役、戦友共済生命保険(のち東邦生命保険)取締役なども務めた。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙に新潟県郡部で立憲国民党から出馬して初当選。
石谷 源十郎(いしたに げんじゅうろう、1876年〈明治9年… 石谷 源十郎(いしたに げんじゅうろう、1876年〈明治9年〉11月30日 - 1951年〈昭和26年〉)は、日本の実業家、政治家、鳥取県多額納税者、地主。鳥取県会議員。鳥取県八頭郡智頭町会議員。八頭銀行頭取。因幡木材会社社長。因伯時報社取締役。 鳥取県八頭郡智頭町大字智頭出身。石谷源蔵の長男。1896年、鳥取中学校を卒業する。1905年、家督を相続する。父祖の家業である農業、林業の経営に従事する。 1911年、鳥取県会議員に当選し1期間をつとめ政友会鳥取県支部の幹部として活躍し、1919年、政友会鳥取県支部幹事長に挙げられる。 政友会に属し、地方名望家としてその名を知られる。政友会系統の政治家として智頭町を二分してアンチ米原民政派の勢力の中心だった。
木下 盛三郎(きのした せいざぶろう、1876年〈明治9年〉… 木下 盛三郎(きのした せいざぶろう、1876年〈明治9年〉3月1日 - 没年不明)は、日本の実業家、資産家、鳥取県多額納税者、地主。木下合資会社代表社員。族籍は鳥取県平民。 鳥取県日野郡阿毘縁村(現日南町)出身。木下彦四郎の長男。鉱業、農業、金融業を営む。社会公益事業等にも尽瘁する。 赤十字社特別社員である。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。住所は鳥取県日野郡阿毘縁村大字阿毘縁。 木下家は当地方の豪家として知られ、多数の山林と耕地とを有し、県下の大地主である。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10… 高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10月31日 - 1943年(昭和18年)2月7日)は日本の大地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 島根県神門郡稗原村(簸川郡稗原村を経て現出雲市)で大地主・高橋守衛の長男として生まれる。松江修道館を修了した。1906年(明治39年)3月に家督を相続した。 1904年(明治37年)稗原三等郵便局を開設して同局長に就任。稗原村会議員、同村区会議員、同村農会長、同村学務委員、島根県地方森林会議員、簸川郡教育会長などを務めた。 実業界では、1906年、簸川銀行取締役に就任。その他、簸上鉄道取締役、出雲電気取締役社長、島根県農工銀行頭取などを務めた。
木島 岩太郎(きしま いわたろう、1875年〈明治8年〉9月… 木島 岩太郎(きしま いわたろう、1875年〈明治8年〉9月5日 - 1957年〈昭和32年〉)は、日本の会社役員、地主、銀行家、政治家。 鳥取県八頭郡若桜村大字若桜(現・若桜町)出身。木島嘉七郎の長男。因幡高等小学校に学ぶ。貨物運送業、倉庫業、木材製造販売業を営む。1902年、若桜赤松組合村会議員となり、以来継続して若桜町会議員となる。 1911年4月に若桜町助役、1912年5月に辞任する。八頭郡所得税調査委員を4年つとめる。八頭郡会議員に6年在職し、副議長を1年つとめる。 合資会社若桜銀行業務担当社員、木島合名会社社員、因幡木材合資会社有限責任社員となる。1918年4月、同志と共に若桜運送を創立し、その監査役となる。
木本 主一郎(きもと しゅいちろう、1875年(明治8年)5… 木本 主一郎(きもと しゅいちろう、1875年(明治8年)5月10日 – 1939年(昭和14年)9月18日)は、明治から昭和前期の地主、実業家、政治家。衆議院議員、和歌山県海草郡木ノ本村長。幼名・八郎。 和歌山県海部郡木ノ本村(海草郡木ノ本村を経て現和歌山市木ノ本)で、地主、酒造業・木本太兵衛の長男として生まれた。1895年(明治28年)東京専門学校(現早稲田大学)政治科を卒業。1904年(明治37年)家督を相続し主一郎と改名。家業を営んだ。 1905年(明治38年)8月、木ノ本村長に就任し、1912年(明治45年)4月まで在任。1907年(明治40年)10月、海草郡会議員となり1期在任。1911年(明治44年)9月、和歌山県会議員に当選し、以後、1927年(昭和2年)まで連続して再選され、1928年(昭和3年)2月、衆議院議員に当選のため県会議員を辞職した。
西山 金蔵(にしやま きんぞう、1874年〈明治7年〉11月… 西山 金蔵(にしやま きんぞう、1874年〈明治7年〉11月19日 - 没年不明)は、日本の政治家、地主・家主。 西山常次郎の長男。西巣鴨町会議員、池袋第二小学校小学会副会長、西巣鴨町第四部青年団長、西山会第一部長、氏神氷川神社世話人である。また1930年2月17日より1931年6月29日まで西巣鴨町助役をつとめた。住所は東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋(のち東京都豊島区池袋1丁目)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
長尾 元太郎(ながお もとたろう、1874年(明治7年)11… 長尾 元太郎(ながお もとたろう、1874年(明治7年)11月2日 - 1935年(昭和10年)3月28日)は、明治から昭和前期の林業家・農業経営者・地主・実業家・政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員、岐阜県武儀郡菅田町長。 岐阜県武儀郡、のちの沙田村(菅田村、菅田町、益田郡金山町を経て現下呂市金山町)で、素封家・長尾四郎右衛門の長男として生まれ、1916年(大正5年)家督を相続した。慶應義塾、東京高等商業学校(現一橋大学)で学んだ。 帰郷して農業、林業を営む。また、大垣銀行監査役、美濃銀行取締役、濃飛農工銀行取締役、岐阜不動産取締役、菅田町農会長、同町教育会長、武儀郡教育会員、岐阜県農事協会理事などを務め、小作制度の改善などに尽力した。
坂口 拙三(さかぐち せつぞう、1874年(明治7年)3月3… 坂口 拙三(さかぐち せつぞう、1874年(明治7年)3月3日 - 1946年(昭和21年)11月24日)は、明治から昭和前期の農業経営者・地主・実業家・政治家。衆議院議員、岐阜県会議長。 岐阜県方県郡、のちの稲葉郡木田村(現岐阜市)で、豪農・坂口太八郎の長男として生まれる。1888年(明治21年)岐阜高等小学校を卒業し、1889年(明治22年)上京して、慶應義塾正課を卒業し、さらに東京法学院(のち英吉利法律学校、現中央大学)で学んだ。 帰郷して家業の畜産業を継承。北海道、朝鮮で開墾事業を行い、揖斐川電力(現イビデン)取締役、岐阜製氷取締役、京城工業社長、日本鉄煉瓦取締役などを務め、岐阜市でS電機商会を、中華民国山東省青島で雑貨店を経営した。
根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日… 根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日 - 1954年(昭和29年)12月4日)は、山梨県出身の地主、政治家、実業家。貴族院議員を務めた。 明治7年2月15日、山梨県巨摩郡築地新居村(現在の中巨摩郡昭和町)で、父・内藤宇兵衛(思温)、母・とよの間に四男として生まれた。1893年(明治26年)に同志社普通学校を卒業、この頃にキリスト教の洗礼を受けた。1896年(明治29年)には同志社ハリス理科学校(現在の同志社大学理工学部)を卒業した。京都滞在は通算9年に及んだ。 卒業後、茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、同下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)で教職を務めた。
堀 正一(ほり しょういち、1873年(明治6年)10月22… 堀 正一(ほり しょういち、1873年(明治6年)10月22日 - 1920年(大正9年)4月3日)は、明治から大正期の地主、教育者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 山口県都濃郡、のちの末武北村(花岡村を経て現下松市)で、豪農・堀済三の長男として生まれる。山口高等中学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学文科大学史学科を卒業し、さらに同研究科を修了した。 1900年(明治33年)以降、滋賀県立第二中学校(現滋賀県立膳所高等学校)教諭、日本大学講師、学習院講師、宮内省図書寮勤務などを務めた。1905年(明治38年)3月、家督を相続した。 1907年(明治40年)に帰郷し農業経営を行う。
5代 伊藤 長次郎(いとう ちょうじろう、1873年(明治6… 5代 伊藤 長次郎(いとう ちょうじろう、1873年(明治6年)4月11日 - 1959年(昭和34年)6月12日)は、明治から昭和期の大地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。初期の産業組合指導者。幼名・熊蔵。 兵庫県印南郡今市村(伊保村 を経て現高砂市伊保町)で大地主、4代伊藤長次郎の長男として生まれる。兵庫県尋常中学校(のち姫路中学校、現兵庫県立姫路西高等学校)を卒業し、京都の顕道学校、東京の国民英学会、日本法律学校で英語、法律を学んだが、父の病により学業を中断して帰郷した。1895年(明治28年)9月、父の死去に伴い家督を相続し第5代長次郎を襲名した。 1896年(明治29年)以降、加古川銀行頭取、三十八銀行頭取、神栄社長、兵庫県農工銀行取締役、兵庫県農会長、印南郡会議員、同郡参事会員、日英博覧会評議員、茶業組合中央会議特別議員、生産調査会委員などを務めた。
原岡 永江(はらおか ながえ、1873年〈明治6年〉2月18… 原岡 永江(はらおか ながえ、1873年〈明治6年〉2月18日 - 1945年〈昭和20年〉4月11日)は、日本の実業家、政治家、香川県の大地主。衆議院議員(当選1回)。族籍は香川県平民。 香川県綾歌郡富熊村(現・丸亀市綾歌町富熊)出身。素封家・原岡勇次郎の長男。農業を営む。香川県会議員、同参事会員、富熊村農業会長、宇多津塩田社長となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において香川県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員は1期務め、1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1934年に私財を投じて富熊小学校に大講堂を建築して寄贈した。1945年4月11日に死去した。
石川 茂吉(いしかわ もきち、1872年〈明治5年〉11月2… 石川 茂吉(いしかわ もきち、1872年〈明治5年〉11月29日 - 没年不明)は、日本の政治家、地主・家主。 農業を営み、西巣鴨町町会議員、衛生委員、同町教育会評議員、青年団名誉会員、共賛会委員、氏神氷川神社総代、重林寺総代である。住所は東京府北豊島郡西巣鴨町字池袋。 父・瀧之進は池袋村の村長や、1889年6月5日より1891年9月5日まで巣鴨村助役をつとめた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
松下 専次郎(松下 専治郎、まつした せんじろう、1872年… 松下 専次郎(松下 専治郎、まつした せんじろう、1872年〈明治5年〉10月 - 没年不明)は、日本の実業家、地主。族籍は鳥取県平民。 鳥取県平民・松下角作の二男。廃家・松下氏を再興する。質屋、金銭貸付業を営む。岡田汽船監査役・同取締役、美保関電気監査役などをつとめる。 住所は鳥取県西伯郡境町松ヶ枝町(現境港市松ヶ枝町)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
沢原 精一(澤原 精一、さわはら せいいち、1871年9月1… 沢原 精一(澤原 精一、さわはら せいいち、1871年9月18日〈明治4年8月4日〉 - 1953年〈昭和28年〉7月1日)は、明治から昭和時代戦前の政治家、実業家、銀行家、広島県多額納税者、地主・家主。貴族院多額納税者議員。勲四等。呉商工会議所顧問。族籍は広島県平民。 広島県比婆郡山内東村(現・庄原市)出身。戸谷次助の二男。幼少の頃に賀茂郡荘野村の叔父岡崎鼎の養子となる。1896年(明治29年)7月に先代ウタの入夫となり1902年(明治35年)9月に家督を相続した。 1896年(明治29年)以降、呉貯蓄銀行取締役、呉陽倉庫、瀬戸内海横断電力、呉製氷各社長、沢原銀行取締役のほか、呉商業会議所会頭、呉市会議長、日本放送協会理事、広島県商工団体連合会顧問、呉信用組合長などを歴任した。
堀 榮助(ほり えいすけ、1871年7月13日(明治4年5月… 堀 榮助(ほり えいすけ、1871年7月13日(明治4年5月26日) - 1940年(昭和15年)7月19日)は、日本の地主、神奈川県多額納税者、資産家。族籍は神奈川県平民。前名・三郎。 神奈川県横浜市出身。先代榮助の長男。1892年、東京専門学校(現早稲田大学)邦語政治科卒業。同期卒業生46人中第4位であった。1902年、父が病没したため家督を相続し、三郎を改め襲名した。 貸地業を営んだ。北海道、朝鮮に土地を有し、多額納税者であった。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。 宗教は日蓮宗。趣味は読書、俳句。住所は神奈川県横浜市中区英町、同市神奈川区浅間町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
12代 工藤 八之助(くどう はちのすけ、1871年3月23… 12代 工藤 八之助(くどう はちのすけ、1871年3月23日(明治4年2月3日)- 1928年(昭和3年)8月21日)は、明治から昭和初期の地主、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名・松吉、旧名・郁之助。 出羽国村山郡米沢村(山形県西村山郡高松村を経て現寒河江市米沢)で、素封家・先代工藤八之助(五八)の長男として生まれる。格知学舎で国史、国文、漢学などを学んだ。1900年(明治33年)家督を相続し12代八之助を襲名した。 1900年以降、高松村会議員、村山郡会議員、同議長、村山郡農会長、高松村長、山形県会議員、同参事会員などを務めた。 実業界では、羽前製糸社長、庄内電気社長などを務めた。
坂口 惣五郎(さかぐち そうごろう、1870年12月25日〈… 坂口 惣五郎(さかぐち そうごろう、1870年12月25日〈明治3年11月4日〉 - 1939年〈昭和14年〉3月17日)は、日本の政治家、実業家、地主。米子市会議員。カギさ醤油醸造元坂口商店取締役社長。族籍は鳥取県平民。 鳥取県西伯郡米子町大字尾高町(現・米子市尾高町)出身で、生家は木綿問屋。木綿商・坂口平吉郎の四男。1902年、兄・平兵衛方より分家をする。 会社の重役であり、坂口商店代表取締役、大谷オフセット社長、米子家畜市場、日本製絲、山陰水産、米子電車軌道、米子製鋼所各取締役、米子電車軌道、博愛病院各監査役、有限責任米子信用組合第二代組合長などをつとめる。 1907年から1911年まで米子町収入役をつとめる。
網蔵 平輔(あみくら へいすけ、1870年12月23日(明治… 網蔵 平輔(あみくら へいすけ、1870年12月23日(明治3年11月2日)- 1947年(昭和22年)2月18日)は、明治時代後期から昭和時代の日本の大地主、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名・静。妹の夫は貴族院議員 秋山源兵衛。 網蔵輝祖の孫、輝明の長男として生まれ、1889年(明治22年)2月に家督を相続する。本籍は山梨県北巨摩郡塩崎村(後の同郡双葉町、現在の甲斐市)で農業を生業にした。明治法律学校を修了した。 山梨証券監査役として山梨県多額納税者に列し、1915年(大正4年)貴族院議員に互選され、同年4月29日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。 ほか、北巨摩郡会議員、同郡塩崎村長を務めた。
川上 栄太郎(榮太郎、かわかみ えいたろう、1870年6月1… 川上 栄太郎(榮太郎、かわかみ えいたろう、1870年6月13日(明治3年5月15日)- 1930年(昭和5年)9月28日)は、明治から昭和初期の酒造家、地主、実業家、政治家。衆議院議員、新潟県古志郡中通村長。 越後国古志郡摂田屋村、のちの新潟県古志郡中通村(上組村、宮内町を経て現長岡市 摂田屋)で、酒造業・川上生三郎の長男として生れた。1886年(明治19年)長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を卒業。高橋竹之助から漢学・詩文を学んだ。1897年(明治30年)家督を相続し家業の酒造業を営んだ。 長岡酒造組合長、新潟県酒造組合連合会長、長岡米穀株式取引所理事長、新潟県地主協会評議員、中越酒造社長などを務めた。
高木 藤太郎(たかぎ とうたろう、1870年5月16日〈明治… 高木 藤太郎(たかぎ とうたろう、1870年5月16日〈明治3年4月16日〉 - 1945年〈昭和20年〉3月4日)は、日本の地主・家主、資産家。 愛知県海部郡津島町(現・津島市)出身。野口米次郎の兄。高木益喜の養子となる。1893年、慶應義塾別科を卒業する。地家主で、貸地貸家業を営む。 商業人であったが、和歌、和文、書道が堪能だった。宗教は真宗。趣味は和歌、漢詩。住所は東京市日本橋区大伝馬塩町・同区本町4丁目、京橋区京橋1丁目・同区大鋸町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治… 川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治3年4月5日)- 1937年(昭和12年)10月17日)は、明治から昭和前期の地主、実業家、政治家。衆議院議員。 播磨国飾西郡書写村(兵庫県飾西郡曽左村、飾磨郡曽左村を経て現姫路市)で、大地主で代々里正を務めた醤油醸造業、川口家先代当主・川口木七郎、つた の長男として生れ、1881年(明治14年)8月、家督を相続し木七郎を襲名した。漢学を修め、のち神戸で外国人教師から英語、フランス語を学んだ。 家業の醤油醸造業を営み、山陽醤油社長、神戸信託取締役、姫路三十八銀行取締役、姫路銀行取締役、飾磨銀行取締役、神栄生糸取締役、飾磨郡素麺製造販売組合長などを務めた。
紀藤 閑之介(きとう かんのすけ、1869年12月9日〈明治… 紀藤 閑之介(きとう かんのすけ、1869年12月9日〈明治2年11月7日〉 - 1961年〈昭和36年〉9月28日)は、日本の政治家、実業家、名望家、資産家、地主・家主、山口県多額納税者。第3・6代山口県宇部市長。族籍は山口県士族。 宇部村長、宇部銀行の頭取、宇部共同義会会長等を務めた紀藤織文は、閑之介の叔父にあたり、織文の孫にあたるのが弁護士の紀藤正樹。 閑之介は1869年(明治2年)11月7日、長州藩主毛利氏の永代家老福原氏の家臣である紀藤宗介(後の宇部共同義会初代会長)の長男として長門国厚狭郡川上村(現山口県宇部市)に生まれた。 第三高等中学校(現:京都大学)を卒業した後、宇部村に戻った閑之介は「村内の情報を村民に伝えることが村人の民度を向上させ、ひいては国の繁栄に通じる」と考え、1912年(明治45年)、宇部時報(現:宇部日報)を発刊した。
永田 勘六(ながた かんろく、1869年8月17日〈明治2年… 永田 勘六(ながた かんろく、1869年8月17日〈明治2年7月10日〉 - 1927年〈昭和2年〉3月9日)は、日本の資産家、農民、埼玉県多額納税者、埼玉県の大地主。前名は平次郎。族籍は埼玉県平民。 埼玉県南埼玉郡粕壁町(現・春日部市)の人で、先代・永田勘六の長男。1895年、家督相続と共に襲名して前名・平次郎を改めた。農業を営み、県下の大地主であった。多額納税者として知られた。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。住所は埼玉県南埼玉郡粕壁町(現・春日部市)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青柳 信五郎(あおやぎ しんごろう、1869年2月17日(明… 青柳 信五郎(あおやぎ しんごろう、1869年2月17日(明治2年1月7日)- 1914年(大正3年)11月22日)は、明治期の地主、政治家。衆議院議員。 越後国三島郡河根川村(新潟県三島郡王寺川村大字河根川を経て現長岡市河根川町)で、大地主・農業、青柳逸庵の五男として生まれる。漢学を修めた。1884年(明治17年)に英学を修め大学予備門に進んだが、家庭の事情で勉学を断念し1890年(明治23年)に帰郷した。 大寺川村会議員、三島郡会議員、新潟県会議員などを務めた。自由主義を標榜し、立憲政友会が組織されると入党して新潟県支部幹事に就任し、党勢の拡大に尽力した。1903年(明治36年)3月、第8回衆議院議員総選挙に新潟県郡部から政友会所属で出馬して初当選。
土田 万助(萬助、つちだ まんすけ、1869年2月16日(明… 土田 万助(萬助、つちだ まんすけ、1869年2月16日(明治2年1月6日)- 1942年(昭和17年)6月15日)は、明治から昭和時代の大地主、篤農家、林業家、政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 出羽国平鹿郡、のちの秋田県平鹿郡館合村(大雄村を経て現横手市)で土田吉治の長男として生まれ、土田彦七の養子となる。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て秋田師範学校に進学したが中退して帰郷した。1905年(明治38年)養父の隠居により家督を相続した。 1900年(明治33年)館合村農会を設立し、科学農法を導入し米の品質改良に尽力。1905年(明治38年)に計画された区画整理事業を推進し、1917年(大正6年)までに450ヘクタールが完成した。
奥田 柳蔵(柳藏、おくだ りゅうぞう、1868年12月15日… 奥田 柳蔵(柳藏、おくだ りゅうぞう、1868年12月15日(明治元年11月2日)- 1942年(昭和17年)2月10日)は、明治から昭和前期の大地主、農業経営者、林業家、実業家、政治家。衆議院議員、14代奥田家当主。 因幡国高草郡猪子村(鳥取県高草郡大和村、気高郡大和村字猪子を経て現鳥取市猪子)で、大地主、大庄屋・奥田長十郎の長男として生まれ、1884年(明治17年)1月、家督を相続した。漢籍を修めた 国民協会に加わり、その解散後、同志と政治結社・因幡同志会を結成した。1895年(明治28年)大和村会議員となる。気高郡会議員も務め、1899年(明治32年)鳥取県会議員に選出され1期在任した。1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で鳥取県郡部から出馬して初当選。
高井 利平(たかい りへい、旧姓・臼井、前名・竹次郎、186… 高井 利平(たかい りへい、旧姓・臼井、前名・竹次郎、1868年11月18日〈明治元年10月5日〉 - 没年不明)は、日本の実業家・地主・資産家。万里銀行頭取。五十六銀行常務取締役。三十八銀行、高井織物各監査役。姫路莫大小取締役。族籍は兵庫県平民。 兵庫県加東郡上福田村字木梨(現・加東市)に生まれた。臼井庄吉の二男。小野中学校卒業後、東京、大阪、琉球等の各地の銀行に勤務した。高井家の養子となり、1898年に養祖父利平の後を承け家督を相続し、前名竹次郎を改め襲名した。 資性温厚、誠直であった。趣味は謡曲、仕舞囃子。宗教は曹洞宗。住所は兵庫県姫路市大黒町。
上松 泰造(うえまつ たいぞう、1868年11月1日(明治元… 上松 泰造(うえまつ たいぞう、1868年11月1日(明治元年9月17日) - 1949年(昭和24年)8月2日)は、明治から昭和時代前期の大地主、政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 関谷與藤治の二男、関谷醇三の弟としてのちの岐阜県に生まれ先代上松治郎一の養子となり1905年(明治38年)1月、家督を相続する。岐阜県師範学校を経て、東京法学院を卒業する。農業を営む傍ら、濃飛農工銀行、岐阜貯蓄銀行、第十六銀行各取締役、鏡島銀行頭取、岐阜不動産、岐阜信託各取締役、岐阜県農会長、稲葉郡農会副会長などを歴任した。 1915年(大正4年)岐阜県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年10月2日から1925年(大正14年)9月28日まで在任した。
伊藤 武七郎(いとう ぶしちろう、1868年7月23日(明治… 伊藤 武七郎(いとう ぶしちろう、1868年7月23日(明治元年6月4日)- 1936年(昭和11年)10月26日)は、大正から昭和前期の大地主、政治家。衆議院議員、東京府荏原郡荏原町長。 武蔵国荏原郡下蛇窪村(東京府荏原郡平塚村、平塚町、荏原町、東京市荏原区を経て現東京都品川区)で、地主・伊藤受房の二男として生まれる。父は杜松斎景湖と名乗り寺子屋を開いていた。攻玉社中学校(現攻玉社中学校・高等学校)で学んだ。1917年(大正6年)5月に家督を相続した。 平塚村内堀普通水利組合議員、同村会議員、同耕地整理組合長、荏原郡会議員、荏原町長、東京府会議員(4期)、同副議長、土地貸借価格調査委員、品川普通水利組合会議員、東京市会議員、同参事会員、荏原区公民学務委員などを務めた。
生島 五郎兵衛(いくしま ごろべえ、旧姓・上西、前名・百太郎… 生島 五郎兵衛(いくしま ごろべえ、旧姓・上西、前名・百太郎、1868年4月26日〈明治元年4月4日〉 - 没年不明)は、日本の地主、家主、資産家、名望家、兵庫県多額納税者。族籍は兵庫県平民。 兵庫県有馬郡大沢村(現・神戸市北区大沢町)生まれ。上西文右衛門の二男。先代五郎兵衛の養子となる。1894年、家督を相続し、百太郎を改め襲名する。貸金業、土地家屋貸付業を営む。 兵庫県の大地主である。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。宗教は真宗。趣味は書画、骨董、読書。兵庫県在籍で、住所は神戸栄町通2丁目、別宅は中山手通4丁目。 家系について『人事興信録』によると「生島家は古くより神戸に住し、醸造を業とし、同地草分けの旧家で資産家として名がある」という。
松実 喜代太(まつみ きよた、1867年1月3日(慶応2年1… 松実 喜代太(まつみ きよた、1867年1月3日(慶応2年11月28日) - 1953年(昭和28年)5月2日)は、日本の政治家、地主。衆議院議員(当選5回、立憲政友会所属)、新十津川村長。参議院議員橋本聖子の大叔父にあたる。 大和国吉野郡南十津川村(現在の奈良県吉野郡十津川村)出身。奈良県士族・松実漏器の長男。 1884年(明治17年)に上京し、成城学校、慶應義塾で学ぶ。東京時代には三田の下宿で血脇守之助、矢野文雄、藤田茂吉らと政談を闘わせた。1890年(明治23年)に横浜商業学校を卒業した。その前年に十津川大水害があったのをきっかけに、十津川村民とともに北海道樺戸郡に移住し、新十津川村を開いた。
氏家 丈吉(うじいえ じょうきち、旧姓・富樫、前名・吉郎、1… 氏家 丈吉(うじいえ じょうきち、旧姓・富樫、前名・吉郎、1866年10月5日〈慶応2年8月27日〉 - 1942年〈昭和17年〉8月8日)は、日本の政治家、実業家、資産家、宮城県多額納税者、地主。族籍は宮城県平民。 山形県東置賜郡屋代村字竹森(現・高畠町)出身。富樫六右衛門の二男。山形県立山形中学校を卒業。1888年、先代・丈吉の養子となり、1906年、家督を相続し前名・吉郎を改め襲名し、2代目丈吉となる。家業を継いだ。 「加登丈」と称し、金融業を営んだ。角田電気鉄道、角田製氷会社等の重役であった。角田製氷社長、東北冷蔵製氷、大日本水道水管各取締役などをつとめた。 明治末より角田町会議員、1915年より郡会議員であった。
木下 義之(きのした よしゆき、1866年9月24日〈慶応2… 木下 義之(きのした よしゆき、1866年9月24日〈慶応2年8月16日〉 - 1923年〈大正12年〉6月9日)は、日本の政治家、衆議院議員(鳥取市選出、当選1回)、地主。旧姓は足羽。族籍は鳥取県士族。 伯耆国日野郡二部村(のち鳥取県日野郡溝口町二部、現・伯耆町)出身。士族・足羽純亭の六男。1889年、木下家に養子入りする。鳥取市会議員、同議長、鳥取県会議員、同参事会員、鳥取県農工銀行取締役となる。 鳥取電燈創立の際に監査役となり、のちに取締役となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において鳥取市選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した。1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。