越川 芳明(こしかわ よしあき、1952年4月10日 - )… 越川 芳明(こしかわ よしあき、1952年4月10日 - )は、日本のアメリカ文学研究者、翻訳家、映画評論家。 明治大学副学長(2016-2020年)、明治大学文学部教授 (1993-2023年)、明治大学名誉教授(2023年)、千葉県銚子市出身。 幼少時は、音楽家の父の影響で書道やピアノなどのお稽古ごとに励む一方、小学校では早くも筆と鍵盤に別れをつげ、野球部に所属して泥にまみれる。その頃、地元のスポーツ好きの少年たちがあこがれる銚子商業の斉藤一之監督の指導を仰ぎ、プロ野球選手になることを夢見る。 その夢は、6年のときに転校した興野小学校で同学年の渡辺進(斎藤監督のもとで甲子園に行き、ヤクルトスワローズに入団)の段違いの打撃とプレーを目のあたりにして、早くも断念。
荒木 久文(あらき ひさふみ、1952年 - )は、日本の映… 荒木 久文(あらき ひさふみ、1952年 - )は、日本の映画評論家・ラジオパーソナリティ兼番組プロデューサー。 昭和27年(1952年)長野県上田市真田町出身。長野県上田高等学校を経て、早稲田大学卒業後、ラジオ関東(現 RFラジオ日本)入社。在職中は編成・制作局を中心に営業局・コンテンツ部などで勤務。元ラジオ日本編成制作局次長。プロデューサー・ディレクターとしては、アイドル、J-POP、演歌などの音楽番組を制作。2012年、同社退職後、ラジオ各局で、映画をテーマとした番組に出演。評論家・映画コメンテイターとして映画紹介・映画評などを担当。 現在は報知映画賞選考委員、日本映画ペンクラブ会員。 CDレーベル「Radi-on(ラディ-オン)」(日本クラウン)を設立し5組以上のアーティストのデビューを手掛ける。
田中 秀雄(たなか ひでお、1952年 - )は、日本近現代… 田中 秀雄(たなか ひでお、1952年 - )は、日本近現代史研究家、映画評論家である。東亜連盟の流れをくむ石原莞爾平和思想研究会をはじめ、台湾研究フォーラム、日韓教育文化協議会、軍事史学会、戦略研究学会等の会員。 福岡県出身。慶應義塾大学文学部を卒業。映画『南京の真実』第一部『七人の死刑囚』については高く評価している。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
高橋 良平(たかはし りょうへい、1951年12月8日- )… 高橋 良平(たかはし りょうへい、1951年12月8日- )は、日本のSF小説及びSF映画評論家、翻訳家、フリー編集者。日本SF作家クラブ会員。 愛知県豊橋市出身。高校時代からSFファン活動を開始。1976年中央大学文学部哲学科を卒業し、すばる書房に入社。のち、SFヴィジュアル雑誌『スターログ』副編集長を経て、フリーに。 『本の雑誌』に「戦後日本SF出版史」を長期連載していたが、2021年5月号で終了。この連載は2025年4月現在、単行本化がされていない。 『本の雑誌』1997年3月号において、日本のSFが商業的に成功していない当時の状況へのいらだちから、「ここ十年のSFはみんなクズだ!」と題して鏡明と対談し、いわゆる「SFクズ論争」の口火を切った。
西村 雄一郎(にしむら ゆういちろう、1951年10月30日… 西村 雄一郎(にしむら ゆういちろう、1951年10月30日 - )は、佐賀県を拠点に活動する映画評論家。 佐賀県佐賀市の老舗旅館「松川屋」の長男として生まれる。5歳の時、松竹映画『張込み』のロケ隊が実家の旅館に押し寄せてきた。ロケ隊が1ヶ月も宿泊地として借りきったためであった。特に刑事役の宮口精二から可愛がられた。小学校4年の時に黒澤明監督の『椿三十郎』に感銘を受けたのが、映画の世界をめざす契機となった。 佐賀県立佐賀西高等学校卒業後、本格的に映画を勉強する事を志し、早稲田大学第一文学部演劇科に入学。大学1年の時、黒澤監督作品「どですかでん」が赤字となり、それが発端で、黒澤の自殺未遂事件が起きた。
前田 英樹(まえだ ひでき、1951年〈昭和26年〉9月4日… 前田 英樹(まえだ ひでき、1951年〈昭和26年〉9月4日- )は、日本の仏文学者、文芸・映画評論家。立教大学名誉教授。 大阪生まれで奈良で育つ。1974年中央大学文学部仏文科卒、1980年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1985年広島大学総合科学部専任講師、1987年助教授、1991年立教大学文学部フランス文学科助教授、1994年教授、2006年より立教大学現代心理学部映像身体学科教授。2017年定年で名誉教授。 はじめはフランス思想、言語論を専攻し、ソシュール研究者だった。2000年代前後から東西の映画・文学・美術・思想を、言語、身体、記憶、時間をテーマに論じている。 文芸評論、美術論考の著作に『日本人の信仰心』、『絵画の二十世紀』が、映画関連では『小津安二郎の喜び』を刊行。
鈴木 一誌(すずき ひとし、1950年〈昭和25年〉4月8日… 鈴木 一誌(すずき ひとし、1950年〈昭和25年〉4月8日 - 2023年〈令和5年〉8月19日)は、日本のグラフィックデザイナー、映画批評家である。 東京造形大学中退。杉浦康平事務所に12年間在籍したのち、1985年に独立。1981年、第1回ダゲレオ出版評論賞を受賞する。1998年、第29回講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞する。1995年から1999年にかけて、『知恵蔵』のフォーマットをめぐる裁判が朝日新聞社とのあいだで行われ、2001年、その記録をまとめた『知恵蔵裁判全記録』が刊行される。2001年より戸田ツトムとともに雑誌『d/SIGN』の責任編集にたずさわる。2011年、土本典昭との編著『全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する』が刊行される。
大久保賢一(、1950年2月13日 - )は、日本の映画評論… 大久保賢一(、1950年2月13日 - )は、日本の映画評論家。多摩美術大学造形表現学部講師。
増山 法恵(ますやま のりえ、1950年1月29日 - 2… 増山 法恵(ますやま のりえ、1950年1月29日 - 2021年6月30日から7月1日にかけての未明)は、日本の漫画原作者、小説家、書評家、映画評論家、音楽評論家。東京都出身。血液型はB型。 漫画家・竹宮惠子のプロダクションのプロデューサー兼ディレクターを20歳のときから務め、『変奏曲』の原作なども担当する。15年間務めたのち独立、フリーライターとして活動する。のりす・はーぜの筆名で、『風と木の詩』のその後を書いた小説『神の子羊』や、イギリスのパブリックスクールを舞台にしたミステリー『永遠の少年』を執筆。他に、増山のりえの名前で『アリス・ブック』『少女風雅』の編纂など。 幼少時から指が人よりもよく動いたという理由で、両親のすすめでピアノを習い始め、小・中学校時代は桐朋学園大学の『子供のための音楽教室』に通い、将来はプロのピアニストを目指していた。
原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - 2025… 原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - 2025年12月8日)は、日本の映画評論家、映画監督、脚本家。 静岡県沼津市出身。スカイホーク所属(業務提携:つばさプロジェクト)。BS朝日番組審議会委員。 静岡県立沼津東高等学校卒業、東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)、ペパーダイン大学中退。 幼少期より年間100本観るほど映画を愛好し、自身も大勢の観客を沸かせたり感動させたりしたいと考え映画監督を志すようになる。1962年に東京・有楽町で見たドン・シーゲル監督の『突撃隊』に感銘を受け、映画を見るたびに映画に関するメモや論評を書くようになった。 ロンドンに語学留学中の1972年、『ラスト・ショー』の評論を『キネマ旬報』に載せたことをきっかけに映画評論家となり、『キネマ旬報』や『宝島』にアメリカ発の映画情報を寄稿。
稲川 方人(いながわ まさと、1949年6月1日 - )は、… 稲川 方人(いながわ まさと、1949年6月1日 - )は、日本の詩人、映画監督、映画評論家である。
福間 健二(ふくま けんじ、1949年3月10日 - 202… 福間 健二(ふくま けんじ、1949年3月10日 - 2023年4月26日)は、日本の詩人、翻訳家、映画評論家、映画監督、首都大学東京名誉教授。新潟県出身。 旧・東京都立大学(現・東京都立大学)人文学部英文学科卒業。同大学院人文科学研究科修士課程修了。岡山大学教養部講師、東京都立大学助教授、教授、2005年首都大学東京人文科学研究科教授、2013年定年退職、名誉教授。 2023年4月26日、肺炎のため死去。74歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
滝本 誠(たきもと まこと、1949年1月19日 - )は、… 滝本 誠(たきもと まこと、1949年1月19日 - )は、日本の美術・映画評論家、編集者。デイヴィッド・リンチ研究の第一人者。京都府福知山市出身。 東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。平凡出版(のちのマガジンハウス)に入社し、『クロワッサン』『ダカーポ』『鳩よ!』『自由時間』『ブルータス』などの編集者をつとめながら、評論を発表する。 SF誌『月刊バルーン』(1979年9月 - 12月号)に「都筑明」名義で、フィリップ・K・ディック『バルカンの鎚』の翻訳を連載したが、雑誌の休刊で未完となった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
永瀧 達治(永滝 達治、ながたき たつじ、1949年- )は… 永瀧 達治(永滝 達治、ながたき たつじ、1949年- )は、日本のフランス音楽・映画評論家、翻訳家。 兵庫県神戸市生まれ、大阪府育ち。静岡大学中退、パリ第3大学映画科に在籍。帰国後、1970年代より、評論家、プロデューサーとして、数多くのフランスの歌手を日本に紹介。1990年仏政府芸術文化シュバリエ、2005年オフィシエ章受勲。日仏メディア協会(TMF)理事。 妻はフランソワーズ・モレシャン。アガタ・モレシャンは妻の連れ子。
吉田 真由美(よしだ まゆみ、1949年 - )は、日本の映… 吉田 真由美(よしだ まゆみ、1949年 - )は、日本の映画評論家、DJ。 富山県生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。1969年より映画評論業。1984年より「自然食というライフスタイル」実践の自称「エコおばさん」。1990年代末より「手書き原稿を提出する唯二の映画評論家」の1人となり今日に至る。 フォーク歌手で白鷗大学教授の山本コウタローとは事実婚の関係だった。馴れ初めはラジオ深夜番組「パック・イン・ミュージック」で、山本が一部、吉田が二部を担当したこと。
瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 19… 瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 1999年3月16日)は、日本のミステリー評論家、映画評論家、編集者。筆名に、宅和宏、藤崎誠などがある。 映画評論家の瀬戸川宗太は弟。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業。在学中は「ワセダミステリクラブ」に所属し、海外ミステリ評論を手掛けていた。1年後輩の北村薫や、2年後輩の折原一らと親交があった。卒業後は東宝に入社し、テレビ部に配属されてテレビ番組の制作にたずさわり、7年後に退社。 1973年に紀田順一郎、荒俣宏が創刊した雑誌『幻想と怪奇』に、鏡明とともに編集同人として参加。 1980年、自身の個人出版社「トパーズプレス」を設立。 また、1982年に読書人向けの雑誌『BOOKMAN』を創刊。
北島 明弘(、1948年 - )は日本の映画評論家。上智大学… 北島 明弘(、1948年 - )は日本の映画評論家。上智大学卒 1948年、長崎県に生まれる。さまざまな職種を経て、1975年、キネマ旬報社に入社。映画雑誌、映画書籍の編集に携わる。1989年、独立して映画評論家となる。SF映画、ホラー映画、ミステリ映画の著書多数。
高田 純(たかだ じゅん、1947年12月11日 - 201… 高田 純(たかだ じゅん、1947年12月11日 - 2011年4月21日)は、日本の脚本家、映画評論家。 別名義に「たかい すみひこ」がある。 長崎県西彼杵郡出身。慶應義塾大学文学部卒。 父親は広島市で爆心地から2キロで被爆しており、被爆2世として出生。本人曰く、親の一族は大半が教師という「教員一族」。 大学入学後に任侠映画を多く見まくっていたということで、その後も「任侠映画を語らせたら日本で五本の指に入る」ほどの自信があるとも語っている。大学在学中には落語研究会に所属、その後同会の先輩でもある松原敏春に弟子入りし、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)などのコント番組のギャグなどを手掛ける。
二階堂 卓也(にかいどう たくや、1947年 - )は、日本… 二階堂 卓也(にかいどう たくや、1947年 - )は、日本の映画評論家、雑誌編集者。本名、大塚 公平(おおつか こうへい)。 上智大学文学部新聞学科卒業。小学校時代より映画に親しみ、新東宝、東宝時代劇、日活アクション、やくざ映画、香港活劇、そして、マカロニウエスタンに代表されるヨーロッパの娯楽映画全般と、世間がB級、C級と評する映画、ピンク映画などを徹底的に見続け、評論活動を展開。 一方、昭和40年代中頃から秋田書店にて、壁村耐三の下で『週刊少年チャンピオン』『月刊少年チャンピオン』編集者として活動していた。両誌では、古賀新一『エコエコアザラク』、どおくまん『暴力大将』『熱笑!! 花沢高校』、内崎まさとし『らんぽう』、小山田いく『すくらっぷ・ブック』などを担当。
貴田 庄(きだ しょう、1947年(昭和22年) - )は、… 貴田 庄(きだ しょう、1947年(昭和22年) - )は、日本の映画評論家、書物史家、工芸家。 小津安二郎を中心とした映画、俳優に関する評論を書く。 青森県弘前市生まれ。早稲田大学大学院芸術学修士課程修了。1977年からパリ装飾美術学校書物中央校で学び、1981年修了。
千葉 伸夫(ちば のぶお、1945年8月16日 - )は、日… 千葉 伸夫(ちば のぶお、1945年8月16日 - )は、日本の映画評論家。 1945年、旧満洲国錦州省に生まれる。早稲田大学大学院演劇課修士課程修了。 葉山三千子に会い、自著を渡したことがある。
おすぎ(1945年〈昭和20年〉1月18日 - )は、日本の… おすぎ(1945年〈昭和20年〉1月18日 - )は、日本のタレント、映画評論家である。横浜市立桜丘高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。プラムクリークス所属。本名は杉浦 孝昭(すぎうら たかあき)。ファッション評論家のピーコは一卵性双生児の兄である。きょうだいは他に姉2人。 芸名の由来は、本名の杉浦からで名付け親は永六輔である。 あまり裕福な家庭ではなく、小さい頃は家が狭かったため、ピーコと一緒に寝ていたと言う。その後36歳の時に両親を亡くしている。 中学生の頃から程ヶ谷カントリー倶楽部でキャディーのアルバイトをし、中村寅吉のキャディーを務めたこともある。芸能界入りする前は松下興産や東京ガスに勤めていた。
土岐 寛(とき ひろし、1944年5月16日 - 2025年… 土岐 寛(とき ひろし、1944年5月16日 - 2025年6月16日)は、日本の行政学者・政治学(専攻は地方自治・都市政策)、映画評論家。大東文化大学名誉教授。博士(政策科学)。 映画評論家としては村瀬 広(むらせ ひろし)のペンネームを使っている。またゴルゴ13好きでゴルゴ教授という愛称で呼ばれたという。 1944年、山形県鶴岡市(旧東田川郡広瀬村)に生まれる。1963年3月山形県立鶴岡南高等学校卒業、1968年3月京都大学法学部卒業。1968年4月から1971年9月まで日本郵船株式会社(横浜支店・東京支店)に勤務。1973年2月から1992年3月まで、財団法人東京市政調査会研究部研究員補・研究員・主任研究員・雑誌「都市問題」編集長・第二研究室長を経て、1992年4月から1994年3月まで大東文化大学法学部政治学科助教授。
西脇 英夫(にしわき ひでお、1943年11月9日 - 20… 西脇 英夫(にしわき ひでお、1943年11月9日 - 2021年6月4日)は、日本の映画評論家・漫画原作者・小説家・脚本家。東京都出身、日本大学芸術学部卒。 1965年に大学卒業後、CFプロダクション勤務、雑誌『東京25時』(アグレマン社)の編集部を経てフリーとなる。以後、『キネマ旬報』(キネマ旬報社)、『映画批評』(新泉社)などの映画雑誌に映画評論のコラムを発表。現在でも『キネマ旬報』でコラムを発表している。 漫画原作を手掛ける際は、主に『東史朗』名義で活動している。また、清彗社の漫画情報誌『だっくす』1978年9・10月号から改名後の『ぱふ』1979年9月号まで、『B級劇画講座』というコラムを連載していた(西脇英夫名義)。
太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - … 太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - )は、日本の思想評論家、映画評論家、編集者、翻訳家。 東アジア反日武装戦線のメンバーの支援活動を行っている。 釧路市生まれ。1968年、東京外国語大学ロシア語科卒。 出版社からの就職が一旦内定したが取り消された。翻訳や校正、肉体労働のアルバイトをしながら、国立国会図書館などで研究活動をしていた。どちらかというと、ソ連を先頭とする世界共産主義運動に対する幻想は持たず、アナキズムの方向性を抱いていたと回顧している。 1960年代には、レボルト社からアジア、アフリカ、ラテンアメリカについての情報を扱った『世界革命運動情報』の編集、刊行に関わってきた。
増田 貴光(ますだ たかみつ、1941年6月14日 - 20… 増田 貴光(ますだ たかみつ、1941年6月14日 - 2015年4月2日)は映画評論家、司会者、実業家。 元モデルで、『MEN'S CLUB』に登場したこともある。本名:増田元臣。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)出身。 東京本郷で3代続いた看護婦家政婦紹介所経営者の家庭に生まれる。幼時に父を亡くし、母と姉に育てられた。 慶應義塾大学法学部在学中から増田貴光の筆名で「映画の友」に映画批評を寄稿。「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題するコラムを目にとめた三島由紀夫から手紙を貰い、以後三島と親交を結んだ。1970年に三島が自決すると「ぼくは三島先生に殉死したい」と語ったこともある。 大学卒業後、日本航空に入社するも1年で退社し渡米。
渡辺 祥子(わたなべ さちこ、1941年 - )は、日本の映… 渡辺 祥子(わたなべ さちこ、1941年 - )は、日本の映画評論家である。本名は松本祥子。夫は、同じく映画評論家の筈見有弘。日本映画ペンクラブ代表幹事。 埼玉県生まれ。1959年、共立女子大学文芸学部芸術学科卒業。雄鶏社に入り月刊「映画ストーリー」編集部を経て、フリーの編集、映画評論に活躍。「映画ストーリー」編集部勤務中、筈見有弘と結婚。 1993年、夫と共同監修した著書『映画・ビデオ・テレビ外国俳優大事典』で第2回淀川長治賞を受賞。
吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日… 吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日本の映画評論家、著述家。 1940年三重県津市に生まれる。久居中学校、三重県立津高等学校、早稲田大学教育学部国語国文科卒業。1962年4月、三重県立高等学校(国語科)教諭となる。1996年3月、津東高等学校退職。1997年4月~2006年3月三重大学(共通教育機構)非常勤講師。2001年4月、愛知淑徳大学非常勤講師。2007年4月愛知淑徳大学教授。2010年4月愛知淑徳大学非常勤講師、2015年3月退職。 1979年、キネマ旬報創刊60周年記念論文「『祇園の姉妹』と溝口健二の先駆性」で佳作入選。1982年、『男はつらいよの世界』刊行などによって三重県文化奨励賞(文学部門)受賞。
権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 -… 権藤 晋(ごんどう すすむ、本名:高野 慎三、1940年 - )は、日本の編集者、出版社経営者、随筆家、漫画評論家、映画評論家、文具店経営者。本名でも、著作活動を行っている。特につげ義春にこだわり、つげ作品の多くを世に出すべく奔走したことでも知られる。出版社 北冬書房を主催。貸本漫画史研究会会員。つげの『ねじ式』の原稿の「××クラゲ」を「メメクラゲ」と誤植し、のちにつげが「その方がいいね」といったことから、「メメクラゲ」のまま出版が続けられ流行語となるなど誤植の歴史に名を残したことでも知られる。 元々は白土三平のファンで、その後、水木しげるのファンとなりさらにつげ義春のファンとなった。1961年頃に白土の『忍者武芸帖』を読み、その後貸本漫画で全作品を読んでいく。
小野 耕世(おの こうせい、1939年11月28日 - )は… 小野 耕世(おの こうせい、1939年11月28日 - )は、日本の映画評論家、漫画評論家、海外コミック翻訳家、海外コミック・アニメーション研究家。東京都世田谷区出身。 アメリカンコミックス紹介で、KOSEIというペンネームを使っていたことがある。 日本における海外コミックの翻訳出版および研究、紹介の第一人者。元NHK職員。日本マンガ学会理事をへて3代目会長。日本漫画家協会会員(参与)。 熱気球パイロットのライセンスを持っており、日本気球連盟会員。 父は漫画家の小野佐世男。 東京市世田谷区代田[要出典]に生まれるが、自宅が空襲にあい、埼玉県指扇(さしおうぎ)の母方の親戚宅[要出典]に疎開する。戦中にインドネシアに渡っていた父の小野佐世男が1946年5月末に帰国し、世田谷・北沢の父の姉の家に家族で転居する。
山根 貞男(やまね さだお、1939年10月15日 - 20… 山根 貞男(やまね さだお、1939年10月15日 - 2023年2月20日)は、日本の映画評論家、漫画評論家、翻訳家。かつては、菊池浅次郎のペンネームを使用していた。 大阪府出身。大阪外国語大学フランス語科卒業。大学時代は演劇部の活動に熱中する。 25歳で書評紙『日本読書新聞』の編集者となる。1967年には、読書新聞の同僚だった権藤晋(高野慎三)や、石子順造らと日本初の漫画評論誌『漫画主義』を創刊。菊池浅次郎名義で、3月の創刊号に漫画史上画期的なつげ義春の「沼」を論じた「不可能性への出発」を掲載。白土三平以外で最も早い時期につげ義春を絶賛。同誌や「夜行」などでつげ義春の作品などを論じた。 1969年から1971年まで波多野哲朗(大学の演劇部の先輩だった)、手島修三とともに映画批評誌『シネマ69』(誌名は『シネマ70』『シネマ71』と変遷し、毎年3号を刊行)を創刊し、編集・発行に携わった。
山城 新伍(やましろ しんご、1938年〈昭和13年〉11月… 山城 新伍(やましろ しんご、1938年〈昭和13年〉11月10日 - 2009年〈平成21年〉8月12日)は、日本の俳優・司会者・タレント・映画監督・映画評論家・声優。大橋巨泉と同様、知的・反権力・少しエッチな芸風の司会者として活躍した。最終所属はオフィスタッチ。本名は渡辺 安治(わたなべ やすじ)。京都市上京区出身。 元妻は花園ひろみ、娘は南夕花。 京都府京都市で開業医の子として生まれる。京都府立山城高等学校卒業。高校ではラグビー部に入っていた。両親と同じ道に進もうと医大への進学を考えて大阪医科大学、関西医科大学を受験したが、いずれも不合格だった。 医師の道を諦め、時代劇スターに憧れ、エキストラをやった後、東映ニューフェイス第4期に応募して、1957年に東映へ入社。
山田 宏一(やまだ こういち、1938年9月13日- )は、… 山田 宏一(やまだ こういち、1938年9月13日- )は、日本の映画評論家、翻訳家。 オランダ領東インド、バタヴィア(現・インドネシア、ジャカルタ)生まれ。東京を経て秋田県八森に疎開した。 1960年、早稲田大学第一文学部フランス文学科を中退。同年4月、東京外国語大学フランス語学科に入学。 1963年4月1日から10日にかけて、第3回「フランス映画祭」が東京都千代田区の東商ホールで開催された。『突然炎のごとく』『シベールの日曜日』など計9本の長編と、短編映画『ふくろうの川』が上映された。フランソワ・トリュフォー、アラン・ドロン、マリー・ラフォレ、セルジュ・ブールギニョン、アレクサンドラ・スチュワルト、アルベール・ラモリスらが映画祭に参加するため来日した。
渡辺武信(わたなべ たけのぶ、1938年1月10日 - )は… 渡辺武信(わたなべ たけのぶ、1938年1月10日 - )は、日本の詩人・建築家・映画評論家。
秋山 登(あきやま のぼる、1938年 - )は映画評論家。… 秋山 登(あきやま のぼる、1938年 - )は映画評論家。 1938年生まれ。慶應義塾大学卒業。元朝日新聞編集委員。2024年現在、朝日新聞に映画批評を掲載しているほか月刊誌のHanada(飛鳥新社)でも「今月のこの1本」のタイトルで連載中である。かっては、映画雑誌のFlix(ビジネス社)にも映画批評を掲載していた。また、日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞の選考委員も務めている。
松島 利行(まつしま としゆき、1937年11月11日 - … 松島 利行(まつしま としゆき、1937年11月11日 - 2018年5月11日)は、日本の映画評論家。三留まゆみは妻。 東京生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業後、毎日新聞社に入社。『サンデー毎日』編集部を経て、1979年2月より正式に毎日新聞の映画担当記者となる。その後、毎日新聞の映画・囲碁担当の編集委員も務めた。 日活芸術学院講師。文化庁芸術祭賞、毎日映画コンクール、キネマ旬報などの審査選定委員を務める。 2018年5月11日、心不全のため死去。80歳没。
筈見 有弘(はずみ ありひろ、1937年8月20日 - 19… 筈見 有弘(はずみ ありひろ、1937年8月20日 - 1997年6月14日)は、日本の映画評論家である。本名は松本有弘。 父は映画評論家の筈見恒夫で、筆名は父の筆名にちなむ。妻も映画評論家の渡辺祥子。 東京都新宿区生まれ。1960年、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。大学時代は演劇に熱中し、毒蝮三太夫・影万里江らと劇団山王を創立。 卒業後、イタリフィルム(のち、東京第一フィルム)、日本ヘラルド映画の宣伝部を経て、1975年からフリーの映画評論家。1977年に創刊された『映画宝庫』の責任編集を石上三登志、増淵健らとともに担当。日本大学芸術学部講師も務めた。 1993年、妻と共同監修した著書『映画・ビデオ・テレビ外国俳優大事典』の刊行により淀川長治賞を受賞。
蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月2… 蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月29日 - )は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。 専門はフローベール研究だが、ロラン・バルトやミシェル・フーコーなどフランス現代思想が1970年代から日本へ紹介される際に中心的役割を果たす1人となったほか、近現代文学・映画評論の分野でも数多くの批評を手がけている。 1980年代以降は各国の映画製作者とも幅広く交流し、小津安二郎など日本映画の世界的再評価に大きく貢献した。東京大学教養学部教授(表象文化論)、第26代東京大学総長(1997年-2001年)を歴任。東京大学名誉教授。 蓮實は、雪舟などの研究で知られた日本美術史家・蓮實重康の息子として、1936年に東京で生まれた。
波多野 哲朗(はたの てつろう、1936年3月15日 - 2… 波多野 哲朗(はたの てつろう、1936年3月15日 - 2020年10月2日)は、日本の映画評論家、映像作家、翻訳家。東京造形大学名誉教授、日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。 福井市出身。日本映像学会元会長、日本映画学会名誉顧問、日本アニメーション学会名誉会員 を務めた。 1969年から1971年まで山根貞男、手島修三とともに映画批評誌『シネマ』(誌名は『シネマ69』『シネマ70』『シネマ71』と変遷)の編集・発行に携わる。 1998年には、オートバイによるユーラシア大陸横断ツーリングを計画し、みずから隊長としてロシアのウラジオストックからポルトガルのロカ岬まで16000キロを約2か月をかけて横断に成功した。
大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 19… 大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 1973年1月27日)は、日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。ペンネームの「大伴」は大伴家持に、「司」は司葉子に由来。 本名は四至本豊治(ししもと とよじ、後に「よしもと」と読みを改める)。父は国際ジャーナリストの四至本八郎(ししもとはちろう)。母の四至本愛子(本名はアイ)は母権擁護運動家でコラムニスト。叔父(母の弟)にニコンの研究で名高い荒川龍彦。 四至本八郎とアイの息子として東京市本郷区の順天堂医院に生まれる。 1938年から父の任地メキシコで育ち、アステカのピラミッドや石像から大きな影響を受ける。
平山 允(ひらやま まこと、1935年12月15日 - )は… 平山 允(ひらやま まこと、1935年12月15日 - )は、日本のアナウンサー、映画評論家。TBSアナウンサー第7期生。日本映画ペンクラブ会員。東京府(のちの東京都)出身。 早稲田大学第一政経学部卒業後、1961年4月にTBSへアナウンサー第7期生として入社。主に芸能(歌謡)、ニュース、スポーツ番組を担当した。深夜ラジオワイド番組『パック・イン・ミュージック』では、秘密結社「TBSシネクラブ」シヤチョーとして、映画情報コーナーを担当。一方で、映画雑誌『ロードショー』などで映画評を発表するほか、「毎日映画コンクール」の司会と選考委員を25年以上に渡り担当。 その間、報道局ニュース部(1964年3月)→ニュース取材部(1965年12月)→ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)→テレビ本部報道局ラジオニュース部(1970年7月)→ラジオ本部アナウンス室(1971年4月)→ラジオ本部アナウンス室兼第二制作局スポーツ部(1984年6月)→編成局番組宣伝部(1986年7月)→事業総局ライブラリー局資料部(1991年5月。
浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10… 浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10日 - )は、日本の司会者、タレント、パーソナリティ、映画評論家。本名は塩濱 眞(しおはま まこと)。既婚者で、妻もかつてタレントとして活動していた。 京都府京都市の出身。家庭の事情(両親が上海に渡った)から2歳で養子に出されたため、本名の苗字(塩濱)は子供がいなかった母方の伯母夫妻にあたる養父母の苗字でもある。 京都市立旭丘中学校、京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部を卒業。俳優の田村高廣、小説家で弁護士の和久峻三、元阪神タイガース監督の吉田義男は高校の先輩、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、元毎日放送アナウンサーの野村啓司、シンガーソングライターの尾崎亜美は、高校の後輩である。
石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日 - )は、日… 石子 順(いしこ じゅん、1935年1月10日 - )は、日本の漫画評論家、映画評論家。本名は石河 糺(いしこ ただし)で、1960年代後半ごろから「石子順」のペンネームを使用する。 評論家の石子順造(本名:木村泰典、1929年 - 1977年)とはペンネームが似ている上に、主たる評論分野が同じ漫画及び映画であり、活動期間が1970年代において重なっていて、しかも両者ともに日本共産党との関係が深い(石子順造は離党している)ために混同されやすく、親子もしくは親戚とおもわれている場合もあるが全くの別人で血縁関係もない。 1935年、京都府京都市生まれ。1953年に中国より帰国。1961年、東洋大学文学部卒。
須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 201… 須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 2017年1月2日)は、日本の映画監督、脚本家、映画評論家、思想評論家。 ドキュメンタリー映画や思想や生き方についての評論集の著作を数多く輩出している。 大阪府生まれ、幼少期に山口県下関市に移住、戦時中に川棚温泉に疎開後、再び下関市に戻り旧制豊浦中学に入学、学校制度の変更後山口県立豊浦高等学校在学中、新聞部に所属、山口県秋吉台でおこなわれた1泊2日の反戦・平和キャンプ集会に参加、県警警備部刑事の撮影した写真によって参加が学校に明るみに出て、反省文を提出すれば無期停学にするという学校の処分を、何もやましい事がないのに反省文は出せないと拒否し、強制退学となる。
三木 宮彦(みき みやひこ、1933年4月8日 - )は、映… 三木 宮彦(みき みやひこ、1933年4月8日 - )は、映画評論家。 東京生まれ。本名・饗場徳衛。東京外国語大学イスパニア語学科卒。日本放送協会国際局編成部職員および国際短波放送北欧向け番組PD、映画評論家。専門分野はベルイマンを中心とする北欧映画および北欧文化一般。
松田 政男(まつだ まさお、1933年1月14日 - 202… 松田 政男(まつだ まさお、1933年1月14日 - 2020年3月17日)は、日本の政治運動家、映画評論家。 台北生まれ。東京都立北園高等学校在学中の1950年に日本共産党に入党し、軍事方針をとる所感派に属しながら、武装組織である山村工作隊等で活動し、同校卒業後、職業革命家となるも、1954年の第二次総点検運動により党活動停止処分を受ける。 その後、共産党神山派で活動するが、ハンガリー動乱を巡る神山派分裂後は、トロツキズムからアナキズムに接近。60年安保の後は未來社で編集者として勤めつつ、チェ・ゲバラやフランツ・ファノンの第三世界革命論を導入しながら、直接行動の原理を模索した。 1962年に、山口健二、川仁宏らと自立学校を企画し、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、栗田勇、森秀人らを講師とした。
おかだ えみこ(1933年~1934年 - 2023年11月… おかだ えみこ(1933年~1934年 - 2023年11月20日)は、日本の映画評論家、アニメーション研究家、CMプランナー。 本名、岡田英美子。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。 兵庫県芦屋市出身。1957年、慶應義塾大学文学部図書館学科卒業。横山隆一のアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」、東映のCMプランナーを経て、フリーとなる。傍ら「映画評論」での執筆をスタート、以後、アニメーション評論家として活躍。 著書に「人形アニメーションの魅力」「歴史をつくったアニメ・キャラクターたち」、共著に「僕らの実戦アニメ塾」「アニメの世界」「ひとりから始めるアニメの作り方」などがある。
平尾 圭吾(ひらお けいご、1933年 - 2011年1月1… 平尾 圭吾(ひらお けいご、1933年 - 2011年1月12日)は、日本の映画評論家、作家、翻訳家、エッセイスト。 香川県生まれ。香川県立高松高等学校を経て、慶應義塾大学文学部を卒業後、大映に入社。7年間のアメリカ大映総支配人、のち映画評論やプロ野球、競馬エッセイなどを書くほか翻訳を多く行う。
河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - … 河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - 1991年8月11日)は、日本の映画評論家、 音楽評論家。 河野房夫、末高淑子の長男として、慶應義塾大学病院に生まれる。伯父に淑子の兄、早稲田大学商学博士、愛知学院大学名誉教授の末高信がいる。 基比古の名は両親が基督教徒であることに由来し、国文学者の笹川臨風に拠って命名された。1956年に早稲田大学第一文学部英文科を卒業。淀川長治が主催する映画友の会に在籍、同級生には作家の生島治郎と小林信彦がいる。日本コロムビア洋楽部入社。ディレクターとして音楽制作を手掛け、渡米するようになった。 日本コロムビア退社後、日本クラウン、ワーナーパイオニアに転勤し、退社後フリーに転向。
佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 198… 佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 1988年2月27日)は、日本の映画雑誌編集者、映画評論家、映画コレクター、映画上映活動家である。「アングラのジューシン」と呼ばれた。