金 哲彦(きん てつひこ、1964年2月1日 - )は、在日… 金 哲彦(きん てつひこ、1964年2月1日 - )は、在日韓国人の元陸上競技選手、陸上競技・駅伝解説者、マラソン中継リポーター。NPO法人ニッポンランナーズファウンダー、元日本陸上競技連盟女子長距離マラソン強化部長、元エディオン女子陸上競技部ゼネラルマネジャー、元東京経済大学陸上競技部アドバイザリーコーチ、ライツネットワークメンバー。作家の高史明は叔父、実兄の木下和彦はフランス料理店「レストラン・キノシタ」のオーナーシェフ。 福岡県北九州市門司区出身。かつては日本名(通名)の「木下 哲彦」を名乗るが、大学卒業時に現在の韓国名に改称した。韓国語読みは「キム・チョロン(김철언)」だが、日本語読みを用いる。
愛敬 重之(あいきょう しげゆき、1964年1月29日 - … 愛敬 重之(あいきょう しげゆき、1964年1月29日 - )は、日本の元陸上選手、政治家。3000メートル障害を専門とした。1986年アジア競技大会と1985年アジア陸上競技選手権大会で金メダルを獲得した。ユニバーシアードにおいて2度銅メダルを獲得し、日本選手権においても2度優勝している。 1983年と1987年の世界陸上競技選手権大会にアジア人として唯一障害走に出場した。1985年IAAFワールドカップにアジア代表として出場した。自己ベストである8:31.27(1983年に記録)は、2020年に三浦龍司に破られるまで長らく日本ジュニア記録であった。 三重県桑名市出身。1979年に三重県立四日市工業高等学校に入学し、1981年に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の1500m障害で優勝し、国民体育大会の5000mで2位となった。
西 政幸(にし まさゆき、1964年1月25日 - )は、旭… 西 政幸(にし まさゆき、1964年1月25日 - )は、旭化成陸上部所属の元陸上競技選手、元監督。鹿児島県出水市(旧出水郡野田町)出身。出水学園高等学校卒。1987年にローマで開催された世界陸上競技選手権大会のマラソン日本代表。2017年元日のニューイヤー駅伝では監督としてチームを18年ぶりの優勝に導き、4連覇を達成。2020年に勇退。
尾崎 峰穂(おざき みねほ, 1963年9月20日 - )は… 尾崎 峰穂(おざき みねほ, 1963年9月20日 - )は、東京都新宿区出身の陸上競技選手。 小学校時代には野球、中学、高校時代にはバレーボール経験を持つ。18歳時に発症した原因不明の視神経萎縮により失明をした。その後は都立文京盲学校に入学、そこで陸上競技を始める。1984年には1984年ニューヨーク・ストークマンデビルパラリンピックに日本代表として出場、100m、走幅跳、やり投、円盤投、三段跳の種目に参加し100mこそ予選落ちしたもののやり投で4位、円盤投で3位、三段跳で2位、走幅跳では1位となった。以来7度のパラリンピックに出場し11枚のメダルを手に入れており、1984年のニューヨーク・ストークマンデビルパラリンピックから2000年のシドニーパラリンピックまでは4大会連続の金メダルを獲得、2004年のアテネパラリンピックまでは6大会連続メダルを獲得している。
中野 孝行(なかの たかゆき、1963年8月28日 - )は… 中野 孝行(なかの たかゆき、1963年8月28日 - )は、日本の陸上競技指導者、元陸上選手。帝京大学駅伝競走部監督、帝京大学スポーツ医科学センター准教授。北海道白糠町出身。
中田 はじめ(なかた はじめ、1963年7月23日 - )は… 中田 はじめ(なかた はじめ、1963年7月23日 - )は、吉本興業所属の元漫才師、現喜劇役者。また正道会館貝塚支部長も務めている。本名は大井 肇(おおい はじめ)。大阪府岸和田市出身。血液型はA型。大阪府立佐野高等学校卒業。
只隈 伸也(ただくま しんや、1963年7月22日 - )は… 只隈 伸也(ただくま しんや、1963年7月22日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中・長距離走種目。大東文化大学スポーツ・健康科学科教授。 福岡県出身。北九州市立霧丘中学校→九州国際大学付属高等学校(旧 八幡大学附属高等学校)→九州電電→大東文化大学→女子栄養大学大学院修士課程修了。ヤクルト→仙台育英学園高等学校陸上競技部監督→大東文化大学陸上競技部コーチ、陸上競技部監督。2008年現在は陸上競技指導者を退任、大東文化大学スポーツ・健康科学科准教授。身長174 cm、血液型A型。 九州国際大学付属高等学校(旧 八幡大学附属高等学校)時代は九州地区でも負け無しの強さを発揮。なお、マラソン・駅伝解説者のニッポンランナーズ理事長金哲彦とは高校の同級生であり、箱根駅伝(ラジオ中継)、NHKデジタル総合にて2007年3月4日放送の第62回びわ湖毎日マラソン・世界陸上選手権代表選考会で一緒に解説を行った。
柴田 博之(しばた ひろゆき、1963年4月26日 - )は… 柴田 博之(しばた ひろゆき、1963年4月26日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。専門は走幅跳。現在は洛南高等学校の教員で、同校陸上部監督。 京都府城陽市出身。妻は元400m走日本記録保持者の柴田こずゑ。 城陽市立城陽中学校時代に陸上競技に出会い、走高跳の選手として活躍。洛南高等学校進学後は走幅跳に転向し、インターハイ2位の実績を残す。 天理大学に進学し、4年生時に全日本インカレで優勝。卒業後は母校・洛南高等学校の教員になりながら、現役を続行。1988年の日本選手権で初優勝し、同年のソウルオリンピックの男子走幅跳の日本代表に選出された。 1992年に選手を引退し、以降、洛南高等学校陸上部での指導に専念している。
松井 江美(まつい えみ、1963年2月20日 - )は、日… 松井 江美(まつい えみ、1963年2月20日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門はやり投。オリンピックの日本代表に3度選ばれた(出場は2回)。2017年時点での氏名は藤本 江美(ふじもと えみ)。 高校時代の1980年、5月31日の8か国大会代表選考会に高校新記録で優勝。この年、日本が不参加となった1980年モスクワオリンピックの日本代表に選ばれる。母校の岡山県美作高等学校には、松井のオリンピック代表選出記念碑が建立されている。全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)では、1979年と1980年に連覇を達成した。 中京大学に進み、卒業後は中京大職員を経て大京に就職する。この時期、日本陸上競技選手権大会では、1981年(第65回)から1984年(第59回)までと、1986年(第61回)から1988年(第63回)まで、1990年(第65回)の合計8回、優勝を達成した。
永尾 嘉章(ながお よしふみ、1963年2月9日 - )は、… 永尾 嘉章(ながお よしふみ、1963年2月9日 - )は、兵庫県三木市出身の日本の車いす陸上競技選手 (T54) 。神戸市在住。ANAORI Athlete Club(アナオリアスリートクラブ)に所属。 短距離選手としてパラリンピック7大会出場を果たした、車いす陸上界のパイオニア。2012年まで自己記録の更新をし続けるなど、メディアからは『超人』『ラストサムライ』などと言われている。アテネパラリンピック選手団主将を務め、400×4mで自身初、リレー初の銅メダルを獲得。パラリンピック車いす陸上選手最多出場選手で、T54クラスという層の厚いクラスで、すべての大会において決勝進出を果たしている。 5歳でポリオ(小児麻痺)を発症、兵庫県内の養護学校高等部在籍中に車いす陸上を始めた。
是永 克也(これなが かつや、1963年1月27日 - )は… 是永 克也(これなが かつや、1963年1月27日 - )は、日本の俳優、タレント、喜劇役者、脚本家、演出家。劇団『BigSmie』主宰。株式会社ビッグスマイル・プロモーション代表取締役。 コメディアンを目指して大分から上京後、渡辺プロダクションに所属。コント集団時代のホンジャマカの後、10年間コンビとして活躍した。ただし相方は何度か変わっており、その中の一人にケンキ(コンビ解散後はどーよ→ピン芸人)がいる。31歳の時に舞台に目覚め、自ら劇団を旗揚げ。その後は、芝居の枠だけに囚われず、アカペラパフォーマンス等の前衛的なライブを精力的に開催。 その後、JME (ジャパン・ミュージックエンターテインメント) に所属。
杉本 美樹(すぎもと みき、1963年1月21日 - )は、… 杉本 美樹(すぎもと みき、1963年1月21日 - )は、日本の喜劇役者、芸人であり、漫才コンビ濱根・杉本のメンバーである。本名同じ。血液型はO型。愛称は「浪速のミキティ」。独身。大阪府茨木市出身。吉本興業大阪本社所属。吉本総合芸能学院(NSC)1期生。 1982年4月、吉本興業が設立した新人タレント養成所「吉本総合芸能学院」(NSC)1期生として入学。 1982年7月、NSC同期生と「富山・杉本」を結成。1982年度の「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」決勝大会まで残るが解散。 1982年8月、漫才コンビ「ハイティーンラブ」を結成。フジテレビ「笑ってる場合ですよ!」の「お笑い君こそスターだ!」に出演。
矢野 哲(やの さとし、1963年1月16日 - )は、日本… 矢野 哲(やの さとし、1963年1月16日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。宮崎県延岡市出身。筑波大学体育専門学群卒業。現在はJFEスチール競走部の監督を務める。 宮崎県立延岡西高等学校、筑波大学出身。 箱根駅伝には3度出場。4年時の第61回箱根駅伝は復路は雪が舞う悪コンディションだった中で、7区を担当。区間賞を獲得する活躍で、6年連続のシード権獲得に貢献した。 日本電信電話株式会社(NTT)に入社し、NTT中国(現:NTT西日本)として全日本実業団駅伝には8回出場した。また、1987年には世界クロスカントリー選手権の日本代表として出場している(結果は184位)。 1995年3月に現役を引退し、同年4月からはNTT中国のコーチを務め、1997年には監督に就任した。
葭原 滋男(よしはら しげお、1962年11月23日 - )… 葭原 滋男(よしはら しげお、1962年11月23日 - )は、パラリンピックの陸上競技及び自転車競技のメダリスト。埼玉県鶴ヶ島市出身(出生:東京都杉並区)。 埼玉県鶴ヶ島町立(現:市立)第2小学校、鶴ヶ島町(現:市)立中学校、埼玉県立小川高等学校、学校法人神田外語学院卒業。 10歳の頃に網膜色素変性症が発覚、22歳の時に、障害者認定、40歳過ぎから白杖を使用し始め、現在は光覚弁(光が見える程度)の残存視力あり。 株式会社泰運紹介で1年間の勤務後、国立身体障碍者リハビリテーションセンターで、あん摩・マッサージ・指圧師、鍼師、灸師の免許を取得。 その後、東京都職員として28年間勤務、参天製薬株式会社を経て、現在は株式会社mitsukiに勤務。
園原 健弘 (そのはら たけひろ、1962年11月9日 - … 園原 健弘 (そのはら たけひろ、1962年11月9日 - )は、日本の陸上競技選手。実業家。五輪選手。ウォーキングプロデューサー。散歩指導者。散歩評論家。元陸上日本代表。元アシックス社員。
渋谷 俊浩(しぶたに としひろ、1962年8月30日 - )… 渋谷 俊浩(しぶたに としひろ、1962年8月30日 - )は、日本の元陸上競技選手(長距離走、マラソン)。兵庫県加古川市出身。
大志田 秀次(おおしだ しゅうじ、 1962年5月27日 … 大志田 秀次(おおしだ しゅうじ、 1962年5月27日 - )は、陸上競技指導者(駅伝競走)、元選手。東京国際大学駅伝部監督・Honda陸上競技部エグゼクティブアドバイザーを経て現在は 明治大学体育会競走部駅伝監督。岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡工業高等学校、中央大学卒業。 (現)盛岡市立見前中学校3年生の時、全中800mで優勝。岩手県立盛岡工業高等学校を卒業後、中央大学に進学。現役時代の箱根駅伝では、4年時の第61回大会で8区区間賞を獲得している。卒業後は本田技研工業陸上競技部に入部。1986年アジア競技大会では、1500mに日本代表として出場し金メダルを獲得した。現役引退後の1991年から2001年までは同部でコーチを務めた。
溝口 和洋(みぞぐち かずひろ、1962年3月18日 - )… 溝口 和洋(みぞぐち かずひろ、1962年3月18日 - )は、日本の陸上競技選手。専門はやり投。和歌山県西牟婁郡白浜町保呂出身。 1989年5月27日以降、やり投の日本記録(87m60)を30年間以上保持し続けている。 高校からやり投を始め、三年時のインターハイでは59m68で6位、国民体育大会では60m72で2位となっている。 1981年に京都産業大学に進学。4年時のロサンゼルスオリンピックでは74m82で予選20位。 1985年にゴールドウインに入社。 1986年のソウルアジア大会では76m60で優勝、金メダルを獲得。 1987年8月30日の世界陸上ローマ大会では80m24で6位入賞。 1988年ソウルオリンピックでは77m46で予選19位。
浦田 春生(うらた はるお、1962年3月9日 - )は、日… 浦田 春生(うらた はるお、1962年3月9日 - )は、日本の陸上競技選手。陸上競技指導者。専門は長距離走。熊本県天草市出身。九州学院高等学校、中央大学経済学部国際経済学科卒業。本田技研工業入社後、選手として競技生活を経て、1995年から2002年、同社陸上競技部監督就任。2008年から2016年は中央大学陸上競技部駅伝監督。息子の浦田優斗も陸上長距離種目選手。 1992年バルセロナオリンピックおよび1991年世界陸上競技選手権大会男子10000m日本代表。身長171cm、体重59kg(1992年当時)。 1977年九州学院高校に入学、九州高校駅伝や1979年滋賀インターハイ5000mに出場した。
池田富雄(いけだとみお、1962年1月 - )は、日本のボデ… 池田富雄(いけだとみお、1962年1月 - )は、日本のボディービルダー、砲丸投選手。 兵庫県神戸市生まれ、兵庫育英高校出身。高校卒業後、日本国有鉄道(現JR)に就職。国鉄時代は朝霧駅、西明石駅勤務を経て、1984年に鉄道公安官となる。国鉄民営化とともに、1987年兵庫県庁に入庁。1990年にボディビルコンテストデビューした。 近年では、40歳から45歳までの間に全日本マスターズ陸上5回の優勝を飾った。40歳のとき自己ベストでもある年齢別日本記録(14m25)を樹立。その他、M40歳クラス(40歳以上44歳以下)では全日本、近畿、兵庫県マスターズの大会記録保持者となる。M45歳(45歳以上49歳以下)クラスでは、2007年度全日本マスターズで記録(優勝)した13m69が2007年度マスターズ世界年間ランキングで19位にランクされる。
遠藤 司(えんどう つかさ、1961年11月9日 - )は、… 遠藤 司(えんどう つかさ、1961年11月9日 - )は、日本の陸上競技(長距離走)選手・指導者。 秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身。小学校の卒業文集に「オリンピックに出たい」と記したという。秋田県立横手工業高等学校在学中、全国高等学校総合体育大会で男子800メートル走に出場、1分50秒9で優勝。高校3年生の時に早稲田大学競走部の中村清監督と出会い、早稲田大学を目指す。高校3年生の入試の結果発表前に行ったニュージーランド合宿中に中村から、不合格であることを伝えられたが、その時に聖書の言葉を引用して「『成功する道は、狭くて険しい』。これから成功する道を選んだのだから、頑張りなさい」と言われ、一浪の末合格した。
坂口 泰(さかぐち やすし、1961年9月2日 - )は元陸… 坂口 泰(さかぐち やすし、1961年9月2日 - )は元陸上競技選手(長距離・マラソン)で、陸上長距離指導者。日本陸連男子マラソン強化コーチ。 広島県世羅郡世羅町出身。古くから駅伝競走の盛んな地で、駅伝の名門広島県立世羅高校へは山奥の自宅から走って通った。全国高等学校駅伝競走大会では中心選手として2年時に4位、3年時は1区・区間賞もチームは9位だった。インターハイ1500mと国体5000mで優勝。卒業後は地元の広島大学に入って教師になるつもりだったが、当時早稲田大学競走部の瀬古利彦に声をかけられ、中村清監督が実家まで足を運んでくれたため、早稲田大学に進学した。早稲田では箱根駅伝で2年時に9区区間賞、3年時に9区区間新記録。
谷口 伴之(たにぐち ともゆき、1961年7月21日 - 1… 谷口 伴之(たにぐち ともゆき、1961年7月21日 - 1990年8月23日)は日本の陸上競技(マラソン)選手。現役中に交通事故で死亡した。 神奈川県立川崎北高等学校卒業後、早稲田大学に入り競走部に所属。4年時の箱根駅伝(第60回大会)では9区で区間賞を獲得し優勝に貢献。1985年ヱスビー食品に入社。陸上競技部に入り、1987年のボストンマラソンで5位入賞。1990年のロンドンマラソンでは9位でゴールした。同年9-10月開催のアジア競技大会(北京)の男子マラソン日本代表に選ばれたが、大会開催を翌月に控えた8月23日、北海道常呂町での合宿中に交通事故に遭い、29歳の若さで死亡した(エスビー食品陸上競技部員交通死亡事故)。
加藤 覚(かとう さとし、1961年7月16日 - )は、日… 加藤 覚(かとう さとし、1961年7月16日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離種目。元専修大学陸上競技部コーチ。神奈川県横浜市瀬谷区出身。 藤沢商業高等学校(現・藤沢翔陵高等学校)在校時、全国高等学校総合体育大会5000mに出場して優勝した。その後、専修大学へ進学して関東インカレで長距離トラック種目にて活躍する。一方で、駅伝においては、箱根駅伝に1年次から出場していたが、4年次の第60回大会に1区を走って区間3位の結果が自身としては最高の記録(このほかに全日本大学駅伝などにも出場)。 専修大学卒業後は日産自動車、ダイエー(選手の後、コーチを務める)などの実業団で活躍し、2001年には専修大学陸上競技部のコーチ就任。
米重 修一(よねしげ しゅういち、1961年6月24日- )… 米重 修一(よねしげ しゅういち、1961年6月24日- )は、鹿児島県鹿屋市出身の日本の元陸上競技選手。1988年ソウルオリンピックで日本代表に選ばれ5000m、10000mに出場した。5000mの日本記録保持者でもあった。 中京商業高等学校から大東文化大学に進学、箱根駅伝を4年間のうち、3回出場した。4年次には2区で区間賞を受賞している。しかし大学2年の夏に心疾患を患い、一時は競走生命をも失いかけた。ところが1年後の夏にこの疾患が完治。その1年後カナダのエドモントンで行われたユニバーシアードの10000mに出場して優勝するまでに至った。全日本大学駅伝対校選手権大会でも大東文化大学のエースとして活躍、第15回大会では優勝を経験している。
高野 進(たかの すすむ、1961年5月21日 - )は、日… 高野 進(たかの すすむ、1961年5月21日 - )は、日本の陸上競技選手、指導者。男子400mの元日本記録保持者である。静岡県富士宮市出身。富士市立吉原商業高等学校、東海大学体育学部卒業。東海大学大学院修了。東海大学体育学部競技スポーツ学科専任教授、東海大学陸上競技部監督。日本スプリント学会会長。日本陸上競技連盟理事。北京オリンピックおよびロンドンオリンピック陸上競技日本選手団監督。 富士宮市麓生まれ。高校から陸上競技に本格的に取り組む。当初は棒高跳を専門にしていたが高校1年時の練習中にひざを故障、足が速かったこともあって短距離に転向し、400mを中心としたスプリンターとなる。東海大学進学時は文学部に入学したが後に体育学部へ進み、学部卒業の後は大学院修了を経て母校の講師に就任した。
工藤 一良(くどう かずよし、1961年2月27日 - )は… 工藤 一良(くどう かずよし、1961年2月27日 - )は、青森県名川町(現・南部町)出身の陸上競技、マラソン選手・指導者。青森県立名久井農業高等学校卒業。1980年代から1990年代にかけて選手として活動した。 名久井農業高校時代は、全国高等学校駅伝競走大会に出場。1区を担当し、高校2年時の第28回大会(1977年)は区間13位、そして高校3年時の第29回大会(1978年)で区間賞 を獲得した。 高校卒業後は白水昭興監督に見初められ、名門だったリッカー陸上部に入部。駅伝の他にトラック競技でも活躍。特に十和田八幡平駅伝競走全国大会に相性が良く、第32回大会(1979年)では1区3位、第36回大会(1983年)では3区区間賞 の好記録を残し、リッカーの優勝に貢献した(リッカー陸上部は1984年に休部したので、第36回大会の優勝は有終の美を飾る物だった)。
麻場 一徳(あさば かずのり、1960年9月12日 - )は… 麻場 一徳(あさば かずのり、1960年9月12日 - )は、日本の元陸上競技選手。現山梨学院大学教授、同大学陸上競技部部長兼監督。 愛知県岡崎市出身。岡崎市立城北中学校卒業。愛知県立岡崎高等学校卒業後、筑波大学へ進学。大学4年次の第9回アジア大会では、1600mリレーで第1走を務め優勝に貢献。同じく400mリレーでは第3走を務め3位入賞。大学卒業後は筑波大学大学院に進学。ユニバシアードエドモントン大会では、400mで準々決勝進出。翌年の第1回世界陸上競技選手権大会では、1600mリレーで第2走を務め、準決勝進出。 現役を退いた後は筑波大学体育センター準研究員を経て、1987年に都留文科大学文学部初等教育学科の専任講師に就任。
大塚 正美(おおつか まさみ、1960年8月3日 - )は、… 大塚 正美(おおつか まさみ、1960年8月3日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。茨城県神栖市出身。日本体育大学体育学部卒業。現在は城西国際大学経営情報学部教授。 中学校は神栖市立神栖第一中学校、高校は茨城県立水戸工業高等学校出身。高校時代は全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の1500mで優勝を果たしている。 大学は日本体育大学に入学すると、1年時に第56回箱根駅伝の8区に出走。前半は慎重に入ったが徐々にペースを上げ、1時間06分20秒の区間新記録をマークし、チームの総合優勝に貢献した。また、8区の区間記録は第71回箱根駅伝で中央大学の榎木和貴が更新するまで15年間破られなかった。約2週間後に行われた全日本大学駅伝では1区を走り区間新記録をマークした。
大森 重宜(おおもり しげのり、1960年(昭和35年)7月… 大森 重宜(おおもり しげのり、1960年(昭和35年)7月9日 - )は、日本の神職、陸上競技選手である。早稲田大学教育学部、國學院大學文学部神道学科卒、日本体育大学大学院修士課程修了。
松原 薫(まつばら かおる、1960年2月22日 - )は、… 松原 薫(まつばら かおる、1960年2月22日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。新潟県柏崎市出身。 ナイキジャパン所属時の1984年に日本陸上競技選手権大会の100m優勝、1987年の同大会でも優勝している。東日本実業団陸上競技選手権大会では、第26回、第28回、第30回、第32回、第33回と5回優勝している。1988年ソウルオリンピックでは4×100mリレーのメンバー(松原薫・青戸慎司・栗原浩司・笠原隆弘)として1次予選に出場し39秒70で準決勝に進んだ。 現在は、陸上クラブ のコーチをしている。
福光 久代(ふくみつ ひさよ、本名:森田 久代、1960年2… 福光 久代(ふくみつ ひさよ、本名:森田 久代、1960年2月19日- )は、日本の元陸上競技選手。女子走高跳の元日本記録保持者である。佐賀県東脊振村(現・吉野ヶ里町)出身。1984年ロサンゼルスオリンピック女子走高跳日本代表。 佐賀県立鳥栖高等学校1年生の時に国民体育大会で1学年上の八木たまみを初めて目にし、「雲の上の人」という印象を抱く。高校在学時代の八木には一度も勝てなかったが、目標として練習に励んだ。八木が高校を卒業した後の1977年の全国高等学校総合体育大会に1メートル (m)78センチ (cm)の記録で初優勝。 高校卒業後、静岡県の大昭和製紙に入社。1979年のアジア陸上選手権(東京)では銅メダル。
青井由美子(あおい ゆみこ、1960年 - )は、日本の陸上… 青井由美子(あおい ゆみこ、1960年 - )は、日本の陸上競技選手。群馬県高崎市(旧吉井町)出身。昭和50年代に400mハードルの日本記録を6回更新した伝説の名選手である。群馬県立富岡東高等学校を経て関東学園大学卒業。卒業後はナイキジャパンに入社した。愛称は「あおちゃん」。可憐なルックスからアイドル的な人気を誇り、増田明美らと人気を二分した。現姓高橋。
金子 健司(かねこ けんじ 1960年-)は、日本の陸上競技… 金子 健司(かねこ けんじ 1960年-)は、日本の陸上競技選手・陸上競技指導者。やり投SM35日本記録保持者。日本陸上競技連盟投てきコーチ。日本マスターズ陸上競技連合普及振興部長。群馬県吾妻郡東吾妻町(旧吾妻町)出身。群馬県立中之条高等学校、国士舘大学体育学部卒業。
中山 竹通(なかやま たけゆき、1959年12月20日 - … 中山 竹通(なかやま たけゆき、1959年12月20日 - )は、長野県北安曇郡池田町出身の日本の元陸上競技(長距離種目)選手、指導者。身長180cm、体重58kg(現役当時)。息子の中山卓也も陸上長距離種目選手。 1980年代後半に瀬古利彦や宗茂、宗猛兄弟、新宅雅也らと、1990年代前半には谷口浩美、森下広一らと日本マラソン界をリードした。2時間10分を切るサブテン5回は川内優輝、高岡寿成に続き、瀬古利彦、佐藤敦之、藤原新と並び日本歴代3位タイ、2時間9分を切るレース4回は高岡と並び日本最多タイ(2014年現在)。 生家は山間の農家だった。長野県池田工業高等学校時代に陸上競技を始める。高校3年時には国民体育大会長野県予選の少年男子A5000mで優勝するも、記録的に本選で上位に入れそうもないと判断され、派遣を見送られる。
浅井 えり子(あさい えりこ、1959年10月20日 - )… 浅井 えり子(あさい えりこ、1959年10月20日 - )は日本女子の陸上競技選手及び指導者で、競技種目は長距離走・マラソンである。帝京科学大学客員教授、同大学女子駅伝チームアドバイザー、足立区教育委員。 主な実績に1988年ソウルオリンピック・女子マラソン日本代表(25位)、1986年ソウルアジア競技大会・女子マラソン金メダリスト、1994年名古屋国際女子マラソン優勝など。 東京都足立区出身。東京都立足立高等学校に入学してから間もなく、友人からの誘いを機に陸上競技部へ入部するも、特別目立った成績は残せないままで、高校を卒業した。文教大学に進学後も再び陸上部に所属。同大学の3年在学中だった、1980年11月の第2回東京国際女子マラソンへ初マラソンに挑戦し12位、3時間0分台のゴールタイムで完走を果たした。
金井 豊(かない ゆたか、1959年〈昭和34年〉10月16… 金井 豊(かない ゆたか、1959年〈昭和34年〉10月16日 - 1990年〈平成2年〉8月23日)は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手。1984年ロサンゼルスオリンピック男子10000mで7位に入賞したが、現役中に交通事故で死去した。30000mの日本学生記録保持者でもある。 群馬県沼田市沼須町出身。群馬県立沼田高等学校3年生時の1977年に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)の800mで優勝した。 早稲田大学への進学を目指したが、1978年の受験は不合格となり、翌1979年に入学した。入学後は早稲田大学競走部のエースとして箱根駅伝などで活躍する。在学中の1981年に、ニュージーランド・クライストチャーチで30000mに出場して、1時間33分52秒9の日本学生新記録を樹立した。
前田 直樹(まえだ なおき、1959年7月23日 - )は、… 前田 直樹(まえだ なおき、1959年7月23日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。山梨県笛吹市出身。日本体育大学卒業。 笛吹市立浅川中学校、山梨県立山梨園芸高等学校、日本体育大学出身。 中学時代は野球部に所属し、外野とリリーフ投手として県大会優勝に貢献した。陸上競技は高校時代に始めた。 3年時の第57回箱根駅伝では7区で区間賞を獲得し、6km地点で順天堂大学を抜いてトップで襷を渡した。しかし、日本体育大学は8区で再び先頭を譲り、総合2位でのフィニッシュとなった。 4年時の第58回箱根駅伝では主将として9区を任される。2位とは1分53秒差の首位で襷を受け取ったが、18.3kmで順天堂大学に交わされると最終的には歩き出してしまい、逆に1分46秒の差をつけられた。
尾縣 貢(おがた みつぎ、1959年6月29日 - )は、日… 尾縣 貢(おがた みつぎ、1959年6月29日 - )は、日本の陸上競技解説者・陸上競技選手・体育学者。元十種競技日本王者。博士(体育科学)(筑波大学)。日本陸上競技連盟会長。筑波大学大学院人間総合科学研究科教授。 兵庫県加東郡滝野町(現在の加東市)出身。兵庫県立小野高等学校、筑波大学卒業。 小野高校時代、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の110mHに出場。全国制覇を成し遂げた。筑波大学時代は、十種競技の日本のトップ選手として名をはせた。小野高時代の1977年にアメリカ・ロサンゼルスで開催された日米ジュニア陸上大会で記録した110mHの14.1秒と、筑波大時代の1982年に筑波大で開催された混成記録会での十種競技7255点は、2021年現在も兵庫県民男子最高記録の地位を維持し続けている。
田中 照代(たなか てるよ、1959年5月24日 - )は、… 田中 照代(たなか てるよ、1959年5月24日 - )は、車いすの陸上競技・マラソン選手。岐阜県出身、 ASSA-TC 所属。 IPC 陸上競技クラス T52 、身長150cm、体重40kg 。 1996年、アトランタパラリンピック 800m を世界新記録で金メダルを獲得、2000年、シドニーパラリンピック 200m 、 800m 、 1500m 銀メダル、2008年、北京パラリンピック 100m 銅メダル。クラス T52 の 800m の世界記録、 400m のアジア記録、日本記録などを樹立した。 1959年5月24日、岐阜県土岐市生まれ。1973年、交通事故で頸椎を損傷し入院治療。1978年、多治見西高等学校卒業後、国立障害者リハビリテーションセンターに入所。
本田 陽(ほんだ よう、1959年4月29日 - 2018年… 本田 陽(ほんだ よう、1959年4月29日 - 2018年10月2日)は、日本の陸上競技解説者・陸上競技選手・体育学者。中京大学 スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授。 西和中3年時に、第1回全日本中学校陸上競技選手権大会において三種競技B優勝。なお三種競技はこの年度より発足。 静岡・浜松北高を経て慶大に進学。1980年に西ドイツ(当時)・マインツ大に留学してコーチングを学ぶ。1997年に中京大に赴任。1998年から陸上部コーチを務め、2006年監督に就任する。 中田有紀、桐山智衣、中村明彦らのコーチとして指導。
上田 誠仁(うえだ まさひと、1959年1月9日 - )は、… 上田 誠仁(うえだ まさひと、1959年1月9日 - )は、日本の元陸上競技選手。山梨学院大学スポーツ科学部教授(体育学)・山梨学院大学陸上競技部顧問兼中距離コーチ。また、関東学生陸上競技連盟では駅伝対策委員長と評議員を務めている。 香川県生まれ。善通寺市立東中学校3年時(1973年)に2000mで5分43秒4の中学新を樹立し全中陸上の前身である全日本中学校放送陸上競技選手権大会で全国1位のタイムとなった。 尽誠学園高等学校3年時には長野インターハイ(1976年)、5000mで2位。高校生としては珍しく、1977年2月には別府大分毎日マラソンのハーフマラソン部門に出場し、2010年現在で日本高校最高記録として残る1時間4分15秒を残している。
阪本 孝男(さかもと たかお、1958年12月19日 - )… 阪本 孝男(さかもと たかお、1958年12月19日 - )は、1970年代から1980年代の日本の元陸上競技選手で、陸上競技指導者、陸上競技解説者。現役時代の専門種目は走高跳で、元日本記録保持者。1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表。群馬県出身。 群馬県立富岡高等学校から筑波大学に進む。1977年10月の日本学生陸上競技対校選手権大会で、2メートル21の日本タイ記録を達成した。1978年、日本陸上競技選手権大会に初めて優勝し、代表として出場したアジア競技大会(バンコク)でも優勝する。1979年4月の静岡リレーカーニバルで2メートル25の日本新記録を樹立した。1980年モスクワオリンピック代表に選ばれたが、日本が不参加のため出場できなかった。
八木 たまみ(やぎ たまみ、現在の姓名:秋田 たまみ、195… 八木 たまみ(やぎ たまみ、現在の姓名:秋田 たまみ、1958年〈昭和33年〉11月15日 - )は、日本の陸上競技選手。走高跳元日本記録保持者。群馬県伊勢崎市連取町出身。伊勢崎市立殖蓮中学校、太田市立商業高等学校、関東学園大学卒業。日本人女子としてはじめて1m90の壁を突破した選手として知られる。 伊勢崎市立殖蓮中学校に在籍中の1973年11月、国立競技場で開催された全日本ジュニア選手権にて1m70(日本中学新記録)で優勝。 1974年、太田市立商業高等学校に進学。全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)では初年度より優勝する。1976年8月5日、長野市で開催されたインターハイにて1m80の日本高校新記録で優勝し、同時にインターハイ3連覇を成し遂げた。
阿部 文明(あべ ふみあき、1958年7月31日 - )は、… 阿部 文明(あべ ふみあき、1958年7月31日 - )は、新潟県出身の元陸上競技選手。専門は長距離走で、主にマラソンで活躍した。 駒澤大学から日本電気HEで活躍した。駒澤大学時代は箱根駅伝に2年次から3度出場し、いずれも花の2区を走り4年次には区間賞を獲得した。大学在学中からマラソンを走り、びわ湖毎日マラソンで2度の優勝を果たした(1985年に初優勝した時のタイムは、フランク・ショーターの大会記録を12年ぶりに更新するものだった)。1982年にはアジア競技大会で銀メダルを獲得し、1987年には世界陸上競技選手権大会に出場している。
児玉 泰介(こだま たいすけ、1958年7月26日 - )は… 児玉 泰介(こだま たいすけ、1958年7月26日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。マラソン元日本記録保持者。 鹿児島県薩摩郡東郷町(現在の鹿児島県薩摩川内市)出身。私立川内実業高等学校(現れいめい高等学校)卒業後、陸上競技部があった隣県(宮崎県)の旭化成に入社。 1986年の別府大分毎日マラソンで日本歴代9位(当時)となる2時間10分34秒の好タイムで優勝。続く10月の北京国際マラソンではジュマ・イカンガー( タンザニア)、伊藤国光らを抑え2時間7分35秒のマラソン日本最高記録(当時)をマークし優勝。この記録は1999年に犬伏孝行によって塗り替えられるまで12年間破られることはなかった。
吉田 雅美(よしだ まさみ、1958年6月14日 - 200… 吉田 雅美(よしだ まさみ、1958年6月14日 - 2000年3月7日)は、日本の男子陸上競技選手。専門はやり投。後輩の溝口和洋とともに、やり投の第一人者として近代オリンピックをはじめとする各種国際大会に出場した。 和歌山県有田市出身。 1983年10月17日、87m18の日本記録(旧規格やり)を記録した[要出典]。1984年ロサンゼルスオリンピックの代表に選ばれ、81m98(旧規格やり)を記録し、5位に入賞した。 1986年に男子用やりは規格が変更されたが、その後も第一線で競技を続け、1988年ソウルオリンピック・1992年バルセロナオリンピックまで3大会連続で代表に選ばれて出場している。このほか、1983年アジア陸上競技選手権大会(クウェート)や、1990年アジア競技大会(北京)でも優勝歴がある。
中村 孝生(なかむら たかお、1958年1月22日 - )は… 中村 孝生(なかむら たかお、1958年1月22日 - )は、日本の元陸上競技選手。群馬県出身。群馬県立前橋工業高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。 1970年代から1980年代にかけて長距離種目で活躍した。モスクワオリンピック代表、アジア大会2冠などの実績を誇る。瀬古利彦らとしのぎを削った名ランナーである。1980年ヱスビー食品入社。モスクワオリンピック代表に選出されるも、ソ連のアフガニスタン侵攻の影響で日本選手団は不参加を決定。不運に泣いた。ヱスビー食品陸上競技部競技部長を務めた。立正大学陸上競技部駅伝部門の初代監督を経てアドバイザーとなる。 インターハイ(2年生時)では800m・1500m優勝の瀬古をおさえ5000m優勝した。
新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に… 新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に改名していたが、現在は雅也に復している)、1957年12月20日 - )は、広島県三原市出身の陸上競技、マラソン選手。広島県西条農業高校、日本体育大学卒業。1970年代後半から1980年代にかけて瀬古利彦、宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通らとともに日本陸上界をリードした名選手である。 広島県三原市立幸崎中学校で、陸上部に入り陸上をはじめた。中学時代は目立った選手ではなかったが、負けず嫌いで、練習は熱心で、一人で遅くまで走っていることも多かった。高校進学では、駅伝で有名な世羅高校を希望したが、学区が違うため、広島県立西条農業に進学し、約2時間かけて通学していた。
川本 和久(かわもと かずひさ、1957年12月5日 - 2… 川本 和久(かわもと かずひさ、1957年12月5日 - 2022年5月11日)は、日本の陸上競技指導者。福島大学人文社会学群人間発達文化学類教授。福島大学陸上競技部監督。東邦銀行陸上競技部監督。日本陸上競技連盟女子短距離部長。 これまで教え子たちが樹立した日本記録は、リレーなども含めて51回。日本選手権は65勝。オリンピック・世界選手権などの日本代表は26名。日本インカレでは2連勝。雉子波秀子(現二瓶)、池田久美子(現井村)、丹野麻美(現千葉)、吉田真希子、久保倉里美が日本記録を更新している。 1957年佐賀県伊万里市生まれ。1970年伊万里市立山代西小学校卒業。1973年伊万里市立山代中学校卒業。