飯村 五郎(いいむら ごろう、1888年(明治21年)4月1… 飯村 五郎(いいむら ごろう、1888年(明治21年)4月13日 - 1946年(昭和21年)5月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→昭和会)、弁護士。 茨城県筑波郡真瀬村(現在のつくば市)出身。飯野茂吉の二男として生まれ、1910年(明治43年)に茨城県会議長飯村忠七の婿養子となった。1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学を卒業後、一年志願兵制度によって陸軍三等主計に任じられた。退役後は弁護士を開業した。 1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた。その間、米内内閣で厚生参与官を務めた。1935年(昭和10年)には昭和会を結党にも参加している。
小河 虎彦(おがわ とらひこ、1888年〈明治21年〉4月1… 小河 虎彦(おがわ とらひこ、1888年〈明治21年〉4月1日 - 1975年〈昭和50年〉5月8日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・合屋。 大分県速見郡日出村(現日出町)で、合屋家次の二男として生まれ、弁護士・小河源一の養子となる。1911年(明治44年)明治大学法律科卒。司法官試補となり、弁護士の業務に従事する。山口地方裁判所所属弁護士会会長、山口県議となる。 1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙において山口2区から立憲民政党公認で立候補したが落選した。1934年(昭和9年)の山口2区の補欠選挙で民政党公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務めた。1936年(昭和11年)第19回総選挙で落選した。
平野 龍起(ひらの たつき、1888年(明治21年)2月16… 平野 龍起(ひらの たつき、1888年(明治21年)2月16日 - 1945年(昭和20年)8月10日)は、日本の政治家、弁護士。熊本市長。 熊本県鹿本郡来民町(現在の山鹿市)出身。第一高等学校を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。東京で弁護士を開業したが、1918年(大正7年)に熊本市に移り、後には熊本弁護士会長に選出された。1921年(大正10年)より熊本市会議員に選ばれ、副議長、議長を務めた。また熊本県会議員にも選ばれた。その他に肥後米券社理事、鹿本鉄道株式会社監査役、熊本脳病院監事などを務めた。 1942年(昭和17年)、熊本市長に就任。終戦直前の1945年8月10日に病のため死去した。
金 炳魯(キム・ビョンノ、1888年1月27日(旧暦1887… 金 炳魯(キム・ビョンノ、1888年1月27日(旧暦1887年12月15日) - 1964年1月13日)は、韓国の独立運動家・弁護士・政治家。大韓民国初代大法院長。許憲・李仁と並んで、日本統治下での三大民族弁護士のひとりとして名を馳せた。本貫は蔚山金氏。号は街人(カイン)。 全羅北道淳昌郡の郷班の家に生まれる。 父の金相熹は漢城府の司諫院に正三品で仕官していたため、祖父から儒学の薫陶を受けた。1904年には全羅南道潭陽の日新學校で西洋人宣教師から算術や西洋史などの新学問を学び、1905年の乙巳条約をきっかけに、崔益鉉のもとを訪ねて義兵闘争に参加した。1906年に金性洙の昌興學校に入学し、留学を決意、1910年に渡日し、明治大学法学部(夜間部)に入学、1912年に明治大学高等研究科の3年次に編入し、1915年に卒業した。
斎藤 巌(さいとう いわお、1887年(明治20年)12月2… 斎藤 巌(さいとう いわお、1887年(明治20年)12月22日 - 1934年(昭和9年)2月5日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 熊本県合志郡合志村(現在の合志市)出身。1909年(明治42年)に明治大学法科を卒業した後、長崎市で九州日の出新聞記者となり、1911年(明治45年)に弁護士を開業した。 長崎県会議員、同副議長を経て、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。また長崎市会議員も兼ねた。
森 兼道(もり かねみち / けんどう、1887年(明治20… 森 兼道(もり かねみち / けんどう、1887年(明治20年)12月11日 - 1981年(昭和56年)1月29日)は、日本の弁護士、警察官、政治家。衆議院議員。 鹿児島県 姶良郡、後の帖佐村(帖佐町、姶良町を経て現姶良市)で、森兼友の七男として生まれる。1922年(大正11年)日本大学専門部法律家を卒業した。警視庁巡査、警部補を務め、1923年(大正12年)弁護士を開業した。 本所区会議員、東京市会議員、同参事会員、同学務委員、同財政調査会長などを務めた。1936年(昭和11年)2月、 第19回衆議院議員総選挙に東京府第4区から立憲民政党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 戦後に帰郷して、鹿児島県弁護士会長、鹿児島地方裁判所調停員、鹿児島家庭裁判所調停員を務めた。
星島 二郎(ほししま にろう、1887年(明治20年)11月… 星島 二郎(ほししま にろう、1887年(明治20年)11月6日 - 1980年(昭和55年)1月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。元衆議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 岡山県児島郡藤戸町(現・倉敷市藤戸町)出身。岡山中学校、第六高等学校、東京帝国大学卒業。政界入りする前は弁護士であり、東京・日比谷に片山哲らと中央法律事務所を開設し、森戸事件等を担当した。 戦前は普通選挙運動、婦人参政権、公娼廃止に熱心な自由主義的・進歩的な立場を貫き、母性保護連盟の委員として母子保護法の成立(1937年)にも尽力した。 戦時中も議会政治擁護の立場を変えなかった。戦後は山崎首班工作に関与したこともあった。
紅露 昭(こうろ あきら、1887年10月20日 - 19… 紅露 昭(こうろ あきら、1887年10月20日 - 1967年6月15日)は日本の政治家、弁護士。衆議院議員(当選4回、立憲政友会→日本進歩党)。 1887年(明治20年)10月20日、徳島県那賀郡桑野村(現・阿南市桑野町)にて生まれる。1914年(大正3年)に法政大学、1916年(大正5年)に日本大学法律科高等専攻科を卒業。税務署に勤めた後、弁護士および弁理士として従事する。 1932年(昭和7年)に第18回衆議院議員総選挙に当選し、立憲政友会に所属する。戦後、日本進歩党に入り、幣原喜重郎内閣で農林政務次官を務める。1946年(昭和21年)に公職追放される。 日本弁護士協会理事、日本大学評議員、日満法曹協会理事、サンケエ株式会社社長などを歴任し、1955年(昭和30年)に日本住宅福祉協会を設立する。
松永 東(まつなが とう、1887年〈明治20年〉10月15… 松永 東(まつなが とう、1887年〈明治20年〉10月15日 - 1968年〈昭和43年〉1月22日)は、日本の実業家、弁護士、弁理士、政治家。位階は正三位。 第45代衆議院議長。第76代文部大臣。さいたま市名誉市民。 長崎県南高来郡北串山村(のち小浜町、現雲仙市)の農家に生まれる。松永道広の長男。鎮西学院を卒業。1905年、上京した。弁護士事務所の書生をしたり、新聞配達をした。 早稲田実業学校出身。早稲田大学商科に学び中退した(1934年に推薦校友)。また日本大学に学び、法律の勉強をした。1911年、家督を相続した。弁護士試験に合格後弁護士、弁理士を開業した。傍ら武州鉄工所社長、武州瓦斯取締役を兼ねた。
大野 緑一郎(おおの ろくいちろう、明治20年(1887年)… 大野 緑一郎(おおの ろくいちろう、明治20年(1887年)10月1日 - 昭和60年(1985年)9月2日)は、日本の内務官僚、弁護士。第37代警視総監、朝鮮総督府政務総監など歴任。 第82代・第83代内閣総理大臣・橋本龍太郎の外祖父。衆議院議員・橋本岳の曾祖父。 明治20年(1887年)10月1日、現在の埼玉県さいたま市(旧浦和市)に農業・大野安之助の四男として生まれた。旧制一高を経て、明治45年(1912年)7月東京帝国大学法科大学(独法)卒業。内務省入省。 大正3年(1914年)7月、秋田県庶務課長。大正5年(1916年)11月、香川県勧業課長。 大正15年(1926年)9月、徳島県知事。
李 範昇(イ・ボムスン、朝鮮語: 이범승、1887年8月29… 李 範昇(イ・ボムスン、朝鮮語: 이범승、1887年8月29日 - 1976年9月3日)は、日本統治時代の朝鮮の公務員、大韓民国の警察署長、弁護士、政治家、実業家。京城図書館(現・鍾路図書館(朝鮮語版))の設立者であり、初代楊州警察署長、初代京城府尹、第2・5代韓国国会議員(第5代は参議員)を歴任した。 同じく第2代国会議員を務めた李肯鍾は甥。 忠清南道燕岐郡(現・世宗特別自治市)または漢城府出身。京都帝国大学(現・京都大学)法科卒、同大学院で奨学生として法制史の研究を行って修了。1921年に京城図書館(現・鍾路図書館(朝鮮語版))を設立し、1923年から民立大学期成準備会発起人、普成専門学校(現・高麗大学校)講師を務め、その後は親日団体の同民会で活動した。
山口 政二(やまぐち まさじ、1887年(明治20年)8月6… 山口 政二(やまぐち まさじ、1887年(明治20年)8月6日 - 1927年(昭和2年)2月23日)は、衆議院議員、弁護士。 埼玉県比企郡小見野村(現在の川島町)に山口喜一郎の二男として生まれる。1910年7月に第一高等学校大学予科を、1914年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。高等文官試験に合格し、同年、朝鮮総督府試補に任ぜられ、翌1915年朝鮮総督府道事務官。その後、陸軍省御用掛、青島守備軍民政部事務官を歴任した後、1921年10月に弁護士登録し、開業した。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から立候補し、当選した。無所属であったが、1924年5月30日に中正倶楽部設立に参加し、同年10月23日に立憲政友会に移るも、1925年6月1日には新正倶楽部設立に参加した。
片山 哲(かたやま てつ、1887年〈明治20年〉7月28日… 片山 哲(かたやま てつ、1887年〈明治20年〉7月28日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の弁護士、政治家。栄典は従二位勲一等。クリスチャン。内閣総理大臣 (46代)。 社会民衆党書記長(初代)、衆議院議員(10期)、社会大衆党執行委員、日本社会党書記長(初代)、日本社会党委員長(初代)、民主社会党常任顧問、日本中国文化交流協会会長(初代)を歴任した。 和歌山県西牟婁郡田辺に生まれる。和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校(現・京都大学)を経て、一家で同郷の人物で「軍艦行進曲」の作詞者・鳥山啓宅に寄宿、東京帝国大学法学部独法科卒業。卒業後、YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設、弁護士として活動した。
長野 国助(ながの くにすけ 1887年(明治20年)6月1… 長野 国助(ながの くにすけ 1887年(明治20年)6月11日 – 1971年(昭和46年)4月12日)は、日本の弁護士。第3代日本弁護士連合会会長。 1887年、現在の愛媛県今治市生まれ。1912年、明治大学を卒業。1918年、弁護士登録。1921年、自由法曹団の結成に参加。1952年、第3代日本弁護士連合会会長に就任。1964年、学校法人明治大学理事長に就任。 全国人権擁護委員連合会会長も務めるなど、人権擁護活動においても功績を残す。また、裁判官任命諮問委員会委員、国際弁護士団の首席弁護士、日本国際法律家連絡協会会長、日ソ交流協会理事長、日朝協会会長なども務めた。1971年、死去。83歳。
中山 福蔵(なかやま ふくぞう、1887年6月7日 - 19… 中山 福蔵(なかやま ふくぞう、1887年6月7日 - 1978年10月13日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(3期)。 熊本県玉名郡江田村出身。中山勝平の二男。7歳のときに父が亡くなり、母に連れられ鹿児島県の志布志に移る。 1903年志布志尋常高等小学校を卒業し、長崎県の鎮西学館(鎮西学院)入学。1905年鎮西学館より大阪府立富田林中学校 (旧制)2年に編入し、さらに1907年(明治40年)奈良県立郡山中学校 (旧制)へ転校。1908年に第七高等学校造士館へ入学し、1911年 7月に卒業。同年東京帝国大学法学部に入学し、1918年卒業。大学卒業後、東京で弁護士となるが、東大の同級生と法廷で争うことを避けて大阪に弁護士事務所を開き、大阪弁護士会所属で活動。
谷村 唯一郎(たにむら ただいちろう、1887年4月5日 -… 谷村 唯一郎(たにむら ただいちろう、1887年4月5日 - 1982年5月29日)は、日本の弁護士・最高裁判所判事。 鹿児島県大島郡名瀬町(名瀬市を経て現奄美市)生まれ。会計検査院の書記をしながら、1914年に中央大学法律科を卒業。1917年に弁護士となり、戦前には東京弁護士会会長を務める。戦後は法曹一元化に一環として司法次官(後の法務事務次官)として数々の法改正を手がけ、司法研修所の設立に力を尽くした。また、GHQの公職追放解除を審査する公職資格訴願審査委員会委員長を歴任。 1951年4月、最高裁判所判事となる。 定年前の1956年11月に「定年なんて老いぼれの烙印を押されるのは嫌」として依願退官。
奥山 八郎(おくやま はちろう、旧名・奥八、1887年(明治… 奥山 八郎(おくやま はちろう、旧名・奥八、1887年(明治20年)3月10日-1967年(昭和42年)10月1日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会(日弁連)会長、第二東京弁護士会(二弁)会長を歴任。在野法曹界の元老格だった。徳之島町名誉町民、奄美市名誉市民(旧・名瀬市名誉市民)。 鹿児島県にある徳之島の亀津(現・大島郡徳之島町)生まれ。亀津尋常高等小学校卒業(現・徳之島町立亀津小学校)。沖縄県にわたって学資をかせぎ、遭難のすえ宮崎県に漂着して鹿児島県本土経由で上京。東京で弁護士事務所の書生をしながら正則英語学校の夜学に通い、後にドイツ語教授の住み込み書生に転じて京華中学校 (旧制)卒業。1906年(明治39年)の旧制高等学校試験に合格。
中谷 貞頼(なかたに さだより、1887年2月8日 - 19… 中谷 貞頼(なかたに さだより、1887年2月8日 - 1954年11月21日)は、日本の実業家、映画製作者、弁護士、政治家である。大正から昭和初年にかけて衆議院議員であり、日本活動写真(日活)の専務取締役、代表取締役社長として映画を製作した。衆議院議員の中谷元は孫。 1887年(明治20年)、茨城県真壁郡下妻町(現・下妻市)に元下妻藩士・中ノ内昌為の四男として生まれる。 1901年(明治34年)母の兄弟であった、もと土佐藩士で大審院判事や樺太地方裁判所長などを務めた中谷速水の養子となった。 1913年(大正2年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。三井物産に入社して香港支店勤務となるが辞職して台湾に移り、弁護士を開業。
長井 亜歴山(ながい あれきさん、1887年〈明治20年〉1… 長井 亜歴山(ながい あれきさん、1887年〈明治20年〉1月19日 - 1966年〈昭和41年〉6月12日)は、日本の外交官、弁護士、弁理士。東京帝国大学法学部卒業。 父はエフェドリンの発見者で日本薬学の父として知られる長井長義。祖父は徳島藩医の長井琳章。 1887年(明治20年)、近代薬学の開祖である長井長義とドイツ人女性のテレーゼ・シューマッハの長男として生まれる。第一高等学校仏法科を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、逓信省勤務、久原本店勤務を経て、外交官となり、6ヶ国語に精通した。また勝海舟の孫で、目賀田種太郎の次女・多計代(たけよ)と結婚した。 駐ドイツ日本国大使館付商務官となり、第二次世界大戦のベルリン陥落後はアメリカ軍によりワシントンD.C.に連行された。
杉生 糺 (すぎう ただす、1887年1月15日 – 196… 杉生 糺 (すぎう ただす、1887年1月15日 – 1968年)は、日本の弁護士。初代名古屋高等裁判所長官。 明治20年(1887年)福井県三方郡三方町に生まれる。昭和37年3月 – 旧制小浜中学校卒業、第一高等学校入学。 大正2年 6月 – 東京大学法学部卒業。大正3年3月 – 弁護士開業。大正11年 – 東京市浅草区会議員当選。昭和14年 – 弁理士。 昭和22年9月26日 – 名古屋高等裁判所長官。昭和27年1月14日 – 定年退官。昭和27年2月 – 弁護士復帰。
本村 善太郎(もとむら ぜんたろう、1887年〈明治20年〉… 本村 善太郎(もとむら ぜんたろう、1887年〈明治20年〉1月15日 - 1970年〈昭和45年〉6月24日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。佐賀県出身。 1915年(大正4年)に京都帝国大学独法科を卒業し、すぐに弁護士になった。第一東京弁護士会に所属し、弁護活動をする一方で日本発送電会社の顧問や調停委員などを務めた。 1951年(昭和26年)4月に第一東京弁護士会の司法制度調査委員会委員長、次いで同5月に日弁連人権擁護委員会委員長となり、弱者の救済に尽くした。 1952年(昭和27年)1月に最高裁判所判事に就任。就任の際には「裁判以外に何事も関心なし。裁判を通じで法治国の体面、内容を充実したい。
宮崎 一(みやざき はじめ、1886年〈明治19年〉11月2… 宮崎 一(みやざき はじめ、1886年〈明治19年〉11月21日 – 1951年〈昭和26年〉10月10日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 埼玉県北足立郡浦和町(現在のさいたま市)に衆議院議員宮崎鏋三郎の長男として生まれる。浦和中学校、第一高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学を卒業した。卒業後は浦和で弁護士事務所を開業した。1919年(大正8年)に埼玉県会議員に当選し、後には議長も務めた。また浦和弁護士会長にも選ばれた。 1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4回連続当選を果たした。その間、米内内閣で陸軍参与官に、幣原内閣で陸軍政務次官・第一復員政務次官に就任した。
柏田 忠一(かしわだ ただかず、1886年(明治19年)11… 柏田 忠一(かしわだ ただかず、1886年(明治19年)11月5日 - 1958年(昭和33年)10月3日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党)、弁護士。 岩手県二戸郡金田一村(現在の二戸市)出身。1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、オックスフォード大学に留学した。その後、上海日日新聞社主筆を経て、1916年(大正5年)に弁護士を開業。また財団法人東亜攻究会理事を務めた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その後は、拓殖大学教授やハルビン市公署顧問を務めた。 またその他に、東北桐材株式会社取締役、アマゾン興業株式会社監査役、馬淵電気株式会社顧問などを務めている。
草野 豹一郎(くさの ひょういちろう 1886年10月7日 … 草野 豹一郎(くさの ひょういちろう 1886年10月7日 - 1951年9月12日)は、日本の裁判官、法学者、弁護士。
上田 孝吉(うえだ こうきち、1886年(明治19年)9月1… 上田 孝吉(うえだ こうきち、1886年(明治19年)9月18日 – 1952年(昭和27年)8月16日)は、日本の政治家で立憲政友会所属の衆議院議員、弁護士。 石川県石川郡金石町(現在の金沢市)に扇能長平の二男として生まれ、上田喜久代の養子となった。1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、弁護士となった。大阪市会議員を務め、参事会員、副議長を歴任した。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。5回連続当選を果たした。その間、平沼内閣で逓信参与官を、鈴木貫太郎内閣で農商政務次官をそれぞれ務めた。 戦後、推薦議員のため公職追放となった。
天辰 正守(あまたつ まさもり、1886年(明治19年)8月… 天辰 正守(あまたつ まさもり、1886年(明治19年)8月19日 – 1963年(昭和38年)8月2日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(立憲政友会)。 鹿児島県薩摩郡平佐郷天辰村(平佐村、川内町、川内市を経て現在の薩摩川内市天辰町)で、医師・天辰登雲の二男として生まれた。医師の道を避けて1917年(大正6年)京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。福岡地方裁判所所属の弁護士となった。その後、判事となり、那覇地方裁判所判事、鹿児島地方裁判所判事、熊本地方裁判所判事を歴任した。1923年(大正12年)に退官し、衆議院嘱託として欧米各地を視察した。翌年に帰国し、再び弁護士を鹿児島市で開業した。
山中 恒三(やまなか つねぞう、1886年(明治19年)6月… 山中 恒三(やまなか つねぞう、1886年(明治19年)6月23日 - 1975年(昭和50年)7月1日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 山口県都濃郡富田村(新南陽市を経て現周南市)出身。山中安兵衛の二男として生まれる。第六高等学校を経て、1912年(明治45年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。司法省に入省。1914年(大正3年)内務省に転じ三重県属となる 以後、三重県警視、同県安濃郡長、青森県理事官、岐阜県警察部長、北海道庁書記官・拓殖部長、福岡県書記官・内務部長、北海道庁土木部長などを歴任。 1929年(昭和4年)2月、富山県知事に就任。
有吉 実(ありよし みのる、1886年(明治19年)5月5日… 有吉 実(ありよし みのる、1886年(明治19年)5月5日 - 1968年(昭和43年)6月29日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選宮崎県知事、尼崎市長。 京都府出身。有吉三七の三男として生まれる。第六高等学校を卒業。1912年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1913年(大正2年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。司法省を経て内務省に入省し徳島県属となる。 以後、徳島県警視、徳島県理事官、長野県理事官、山形県理事官、鳥取県警察部長、三重県警察部長、福岡県書記官・警察部長、宮崎県書記官・内務部長、愛知県書記官・警察部長などを歴任。 1930年(昭和5年)8月、宮崎県知事に就任。
遠藤 柳作(えんどう りゅうさく、1886年〈明治19年〉3… 遠藤 柳作(えんどう りゅうさく、1886年〈明治19年〉3月18日 - 1963年〈昭和38年〉9月18日)は、日本の政治家、官僚、実業家、弁護士。衆議院議員。貴族院議員。参議院議員。武蔵野銀行初代頭取。 埼玉県葛飾郡千塚村(北葛飾郡行幸村、幸手町を経て現幸手市)生まれ。遠藤幸五郎の二男。第二高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業後、文官高等試験に合格し、内務省に入る。朝鮮総督府に入り試補、同書記官、同秘書官を務めた。1920年、東京府産業部長、次いで千葉県内務部長、青森・三重県知事を歴任した。 1928年、埼玉3区から立憲政友会に属して衆議院議員となった。弁護士を開業し、武蔵野鉄道会社社長に就任。
木村 篤太郎(きむら とくたろう、1886年〈明治19年〉2… 木村 篤太郎(きむら とくたろう、1886年〈明治19年〉2月7日 - 1982年〈昭和57年〉8月8日)は、日本の政治家、検察官、弁護士、剣道家である。 検事総長(第19代)、第一東京弁護士会会長(第16代)、法務大臣(初代)、保安庁長官(初代)、防衛庁長官(初代)、全日本剣道連盟会長(初代)等を歴任した。 太平洋戦争での日本の敗戦直後に政官界へ転じ、幣原喜重郎首相によって検事総長に登用され、続く吉田茂内閣では司法大臣として初入閣。1946年(昭和21年)11月3日に公布された日本国憲法には、首相の吉田、無任所国務大臣の幣原に続き三番目に署名した。 その後、公職追放令により公職追放されるが、追放解除程無くして第3次吉田内閣の改造時に法務府初代総裁として再入閣。
李 仁(イ・イン、朝鮮語: 이인、1886年または1890年… 李 仁(イ・イン、朝鮮語: 이인、1886年または1890年9月20日または1896年10月26日 - 1979年4月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、弁護士、検察官、裁判官、政治家。米軍政庁大法院長代理、第4代米軍政庁検事局検事総長、過渡政府大検察庁検察総長、初代法務部長官、制憲・第3・5代韓国国会議員(第5代は参議員)を歴任した。 本貫は慶州李氏、号は愛山。李益斎の子孫で、性理学者の李寛俊は祖父、自彊会と大韓協会の中心人物だった李宗栄は父、独立運動家の李始栄(朝鮮語版)は叔父。元国会議員の李泰九(朝鮮語版)は娘婿。 慶尚道大邱都護府(現・韓国大邱広域市)出身だが、先祖代々は慶州に在住。
海野 普吉(うんの しんきち、1885年(明治18年)8月2… 海野 普吉(うんの しんきち、1885年(明治18年)8月29日 - 1968年(昭和43年)7月6日)は、昭和戦前・戦後の社会派、自由人権派の弁護士。 多くの思想裁判・政治裁判の弁護をする。戦後は社会運動も行う。戦後初の最高裁判事も受けず、親友の片山哲内閣の法務大臣も受けず、一貫して在野の弁護士であることを貫く。
許 憲(ホ・ホン、きょ けん、1885年7月22日 – 19… 許 憲(ホ・ホン、きょ けん、1885年7月22日 – 1951年8月16日)は、朝鮮の政治家、弁護士、独立運動家。 朝鮮王朝時代の咸鏡北道明川郡に生まれる。普成専門学校を経て、日本の明治大学法学部を卒業し、1907年には大韓帝国の弁護士試験に合格した。 1919年の三・一独立運動では、抗日派の代表的な弁護士として活躍した。その後は、朝鮮共産党の創党に参加し、コミンテルンの承認を得るために送られた曺奉岩が1928年2月に上海で日本の領事館警察に逮捕された事に伴い、京城地方裁判所において無償で彼の弁護を担当した。光州学生事件後のデモに関与して逮捕され、弁護士資格を剥奪、1943年には禁止されていた海外の短波放送を聴取した廉で逮捕され、1945年8月の解放まで収監された。
福井 盛太(ふくい もりた、1885年〈明治18年〉7月14… 福井 盛太(ふくい もりた、1885年〈明治18年〉7月14日 - 1965年〈昭和40年〉12月27日)は、日本の弁護士(第一東京弁護士会会長)、検察官、政治家。検事総長、衆議院議員(3期)、日本弁護士連合会副会長、共立薬科大学理事長等を歴任。また、日本野球機構初代コミッショナーを務めた。従三位、勲二等旭日重光章、館林市名誉市民。囲碁5段、柔道3段。 1885年(明治18年)、群馬県邑楽郡館林町(現在の館林市)に、旧館林藩士・福井盛武の長男として生まれる。館林小学校尋常科・同高等科を経て、1900年(明治33年)群馬県立太田中学校を卒業し旧制第二高等学校に進む。1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、翌年弁護士開業。
古島 義英(ふるしま よしひで / ぎえい、1885年(明治… 古島 義英(ふるしま よしひで / ぎえい、1885年(明治18年)6月12日 - 1962年(昭和37年)8月31日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員。 埼玉県南埼玉郡三箇村(菖蒲町を経て現久喜市)に生まれる。1906年(明治39年)に日本大学法律科を卒業し、判事検事登用試験及び弁護士試験に合格し、司法官試補を経て弁護士となる。1926年(大正15年)の東京市会議員選挙に立候補したが落選した。1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に立憲民政党から出馬し、当選する。以来通算7回当選。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では翼協非推薦で立候補して落選した。その間に第1次吉田内閣の司法政務次官、裁判官弾劾裁判所長、臨時法制調査会委員長、裁判官訴追委員会長等を歴任する。
姉歯 松平(あねは しょうへい、1885年(明治18年)5月… 姉歯 松平(あねは しょうへい、1885年(明治18年)5月17日 - 1941年(昭和16年)10月10日)は、日本の裁判官、弁護士、法学者。日本統治下の台湾で活動した。 1885年(明治18年)、宮城県栗原郡長岡村大野(現在の大崎市古川、旧・古川市)に、姉歯五郎左衛門の五男として生まれた。 中学生のとき、学費が払えず中学校を中退し、のちに上京し、弁護士飯田宏作の事務所で写字生として活動した。 1906年(明治39年)6月、中央大学専門科卒業後、1907年、1908年、1909年、1910年の4回にわたって判事検事登用試験を受験したものの 、いずれも失敗し、1911年(明治44年)にようやく合格を果たした。
近藤 守蔵(こんどう もりぞう、1885年〈明治18年〉4月… 近藤 守蔵(こんどう もりぞう、1885年〈明治18年〉4月30日 - 1942年〈昭和17年〉)は、日本の俳人、弁護士。鳥取県弁護士会副会長。 鳥取県気高郡美穂村大字下味野(現・鳥取市)出身。近藤寛次郎の長男。近藤家は分家筋で、美穂村にて代々農業を営む。1904年に鳥取一中を卒業。1908年に第一高等学校を卒業。 1912年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。東京有楽町で弁護士開業。父親がやっていた朝鮮忠清北道の農場経営を手伝うため朝鮮にわたり、傍ら京城で法律事務所を開く。 忠清北道官選道評議員に選ばれる。1929年に郷里の鳥取に帰り、西町で弁護士事務所を開設する。 「鳥取県下法曹界の第一人者」と評される。
本田 英作(ほんだ えいさく、1885年(明治18年)4月1… 本田 英作(ほんだ えいさく、1885年(明治18年)4月18日 - 1948年(昭和23年)10月4日)は、衆議院議員(立憲民政党→日本自由党)、弁護士。 長崎市出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。司法官試補を経て、鹿児島地方裁判所や長崎地方裁判所で判事を務めた。退官後は弁護士事務所を開業し、長崎市会議員を3期、長崎県会議員を2期務めた。 1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回・第20回でも再選された。 戦後の1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選。第23回でも再選された。その間、第1次吉田内閣で外務政務次官に就任した。
水野 重功(みずの しげかつ、1885年(明治18年)3月2… 水野 重功(みずの しげかつ、1885年(明治18年)3月20日 - 1960年(昭和35年)5月4日)は、日本の検事、弁護士。朝鮮総督府官僚。 山形県鶴岡市出身。水野重慎の息子として生まれる。荘内中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)、第四高等学校を経て、1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。統監府判事を経て、朝鮮総督府判事となった。平壌地方裁判所判事、京城地方法院判事、同検事、京城覆審法院検事、京城地方法院検事、大邱地方法院検事、京城覆審法院検事、高等法院検事、朝鮮総督府法務局刑事課長、同法務課長、高等法院検事を歴任し、1930年(昭和5年)に欧米諸国を視察した。帰国後、京城地方法院検事正、平壌覆審法院検事長、京城覆審法院検事長を経て、1943年(昭和18年)に高等法院検事長に就任した。
中島 鵬六(なかじま ほうろく、1885年(明治18年)2月… 中島 鵬六(なかじま ほうろく、1885年(明治18年)2月17日 - 1931年(昭和6年)2月17日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 宮城県加美郡中新田村(現在の加美町)出身。中新田町長・中島金也の長男として生まれる。古川中学校(現宮城県古川高等学校)、第二高等学校を経て、1912年(大正元年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、弁護士となる。仙台産馬畜産組合長、大東銀行監査役を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で3期務めた。この間、馬政委員会委員、帝国馬匹協会理事を務めた。
南 慎一郎(みなみ しんいちろう、1885年(明治18年)2… 南 慎一郎(みなみ しんいちろう、1885年(明治18年)2月8日 - 1965年(昭和40年)8月17日)は、日本の弁護士。富山県高岡市長。勲五等双光旭日章。 富山県高岡市出身。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業。三共株式会社秘書・泰昌製薬株式会社取締役を務め、1921年(大正10年)に退職した。同年、弁護士を開業した。 1926年(大正15年)、高岡市長に選出され、1930年(昭和5年)まで在任した。 退任後は日本興業銀行取締役、高岡土地株式会社監査役を務め、1932年(昭和7年)より再び弁護士を開業した。1940年(昭和15年)から検事に転じ、岡山地方裁判所検事、横須賀区裁判所検事を務めた。
小野寺 章(おのでら あきら、1884年(明治17年)12月… 小野寺 章(おのでら あきら、1884年(明治17年)12月10日 - 1935年(昭和10年)2月3日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、実業家、弁護士。 岩手県東磐井郡黄海村(藤沢町を経て現一関市)に小野寺治平の二男として生まれる。1909年(明治42年)、明治大学を卒業。卒業後は「刑法研究会」をおこして、研究調査に励んだ。1913年(大正2年)、弁護士試験に合格し、法律事務所を開いた。また日本林産株式会社を創業して取締役に就任し、さらに京浜窯業株式会社の監査役も兼ねた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回・第18回と当選を重ねた。その間、東北振興会幹事として、昭和東北大凶作や昭和三陸地震の救済に尽力した。
守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884… 守屋 栄夫(もりや えいふ、守屋 榮夫、明治17年(1884年)11月8日 - 昭和48年(1973年)2月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、歌人。衆議院議員、宮城県塩竈市長。宮城県平民。 元駐アフガニスタン公使守屋和郎の兄。元防衛事務次官守屋武昌の父。 明治17年(1884年)、宮城県遠田郡に生まれた。守屋徳郎の長男。宮城県古川高等学校卒業。二高を経て、 明治43年(1910年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業。文官高等試験に合格。 内務省に入省。千葉、愛知各県理事官、内務監察官、内務省参事官、朝鮮総督府秘書官、同秘書課長、同庶務部長、内務省社会局社会部長を歴任。1925年(大正14年)3月、社会局第二部長を務めていた際に、第7回国際労働会議政府代表に前田多門とともに選出。
中野 邦一(なかの ほういち、1884年(明治17年)10月… 中野 邦一(なかの ほういち、1884年(明治17年)10月25日 - 1965年(昭和40年)4月13日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、衆議院議員。位階は正四位。 旧佐賀藩士・木村清の長男として佐賀県佐賀郡西与賀村(現:佐賀市)で生まれる。母が中野方蔵の姪という関係から中野家の養嗣子となった。佐賀中学校、山口高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、内務省に入り警視庁警部となる。 以後、警視庁警視、芝西久保警察署・本郷駒込警察署・浅草南元町警察署の各署長、高知県・愛知県の各理事官、香川県警察部長、岡山県警察部長、宮城県警察部長、京都府警察部長、愛媛県内務部長、秋田県書記官・内務部長などを歴任。
霜山 精一(しもやま せいいち、1884年(明治17年)10… 霜山 精一(しもやま せいいち、1884年(明治17年)10月15日 - 1975年(昭和50年)3月12日)は、日本の司法官僚、弁護士。大審院長、最高裁判所判事、貴族院議員。従二位勲一等。 1910年(明治43年)に東京帝国大学を卒業。1912年(大正元年)12月に判事に任官。司法省参事官も務め、1924年(大正13年)1月に大審院判事、1934年(昭和9年)5月に札幌控訴院院長になった時は51歳で全国控訴院長のうち最年少であった。この後、広島控訴院長を経て、1939年(昭和14年)に東京控訴院長と昇進。1942年(昭和17年)に控訴院判事人事は部長会議(分科会)の合議で決めることになっていたが、霜山院長の独断で代理部長の人事を決めた際に、法律違反だとして若手判事らが徒党を組んで抗議して撤回を迫られるという控訴院分科会事件が発生した。
今村 正美(いまむら まさみ / まさよし、1884年(明治… 今村 正美(いまむら まさみ / まさよし、1884年(明治17年)10月11日 - 1945年(昭和20年)2月22日)は、日本の検察官、内務・警察官僚、弁護士。官選滋賀県知事。 香川県丸亀市出身。今村信美の二男として出生。明治大学、日本大学の各法科を卒業。1905年11月、判事検事登用第1回試験に合格。1906年7月、司法官試補・和歌山区裁判所及同検事局事務修習となる。以後、大阪、岡山地方の各検事、山口県理事官、富山県警察部長、北海道庁警察部長、高知県書記官・内務部長、熊本県書記官・内務部長などを歴任。1927年5月、熊本県内務部長から滋賀県知事に就任(在任期間:昭和2年5月17日~昭和3年6月29日)。
久埜 茂(くの しげる、1884年(明治17年)10月 - … 久埜 茂(くの しげる、1884年(明治17年)10月 - 1970年(昭和45年))は、日本の逓信官僚、弁護士。元逓信省郵務局長。 鳥取県会見郡西福原村(現米子市西福原)出身。久埜龜吉の長男。 米子中学(現米子東高校)、岡山の第六高等学校を卒業。次いで上京し東京帝国大学法科大学法律学科(獨法)へ入り1911年(明治44年)卒業。文官高等試験に合格し逓信省に入る。以来、通信事務官補、逓信局事務官補、逓信局副事務官兼戦時船舶管理局事務官、管船局書記官、逓信書記官兼高等海員審判所審判官、台湾総督府交通局参事、逓信大臣官房秘書課長同監察課長、広島逓信局長、逓信省郵務局長兼逓信官吏練習所長などを歴任した。
森田 政義(もりた まさよし、明治17年(1884年)9月2… 森田 政義(もりた まさよし、明治17年(1884年)9月29日 - 昭和14年(1939年)3月21日)は、日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(立憲政友会)。大阪府平民。実業家・タレント大屋政子の父。 熊本県の森田實政の弟。 大正3年(1914年)明治大学法科を卒業。弁護士試験合格。大正9年(1920年)分家する。大正13年(1924年)から衆議院議員を6期務め、立憲政友会総務となった。昭和4年(1929年)12月、選挙法違反により衆議院議員を退職。翌昭和5年(1930年)の第17回総選挙で復帰。昭和12年(1937年)の第20回総選挙で落選するが、翌昭和13年(1938年)同じ選挙区の西尾末広が議会から除名されたため、繰り上げ当選となる。
村上 常太郎(むらかみ じょうたろう、1884年〈明治17年… 村上 常太郎(むらかみ じょうたろう、1884年〈明治17年〉9月15日 - 1975年〈昭和50年〉3月)は日本の検察官、弁護士。元東京控訴院次席検事。政治家村上誠一郎の祖父。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
谷原 公(たにはら いさお、1884年(明治17年)9月2日… 谷原 公(たにはら いさお、1884年(明治17年)9月2日 - 1982年(昭和57年)11月6日)は、日本の政治家、弁護士。 徳島県海部郡、のちの川上村(海南町を経て現海陽町)出身。1914年、明治大学法科卒業。小学校校長、川上村長、徳島県会議員等を経て、1924年5月の第15回衆議院議員総選挙において徳島3区(小選挙区制)から政友本党公認で立候補して初当選。以来1945年12月までの間、徳島1区(1928年の第16回衆議院議員総選挙から)から衆議院議員に4期当選。衆議院懲罰委員長を歴任した。所属は立憲民政党を経て、1945年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選。