仲村 錦治郎(なかむら きんじろう、1975年5月2日 - … 仲村 錦治郎(なかむら きんじろう、1975年5月2日 - )は、日本の元卓球選手。会社員。戦型は右シェイクハンドのドライブマン。渡辺武弘とのダブルスでバルセロナオリンピック出場を果たした。明徳義塾中学校・高等学校から大正大学に進学、大学卒業後はグランプリに所属し、現役引退後は松下浩二が代表取締役を務めるヤマト卓球株式会社で開発担当として取締役を務めていたが、現在は執行役員になっている。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
安藤 正勝(あんどう まさかつ、1975年2月9日 - )は… 安藤 正勝(あんどう まさかつ、1975年2月9日 - )は、大阪府大阪市西成区出身の卓球選手。6段(京都府)。 愛知工業大学名電高等学校、愛知工業大学で同級生の今枝一郎、鬼頭明とともに活躍、1991年のインターハイで優勝、1993年の全日本大学対抗卓球選手権では準優勝、1994年には優勝している。また個人でも1994年。、1995年の全日本学生卓球選手権では村上裕和に敗れベスト8となった。 大学卒業後は健勝苑に入り、1999年の全日本卓球選手権大会混合ダブルスでは西飯由香とのペアで優勝した。2000年には日本卓球協会にレジスタード・プロ登録を行い、バタフライとアドバイザリー契約を結んだ。 その後、卓球ブンデスリーガでプレーした後、豊橋市の企業、タイコウハウスの選手兼監督を務めていた。
今枝 一郎(いまえだ いちろう、1974年11月6日 - )… 今枝 一郎(いまえだ いちろう、1974年11月6日 - )は、日本の元卓球選手。1994年の全日本男子シングルスチャンピオン。日本卓球協会5段。 現在は母校である愛工大名電高にて監督を務めている。 1989年、全国中学校卓球大会の男子シングルスで優勝、愛知工業大学名電高等学校に進学、1991年のインターハイでは同級生の鬼頭明、安藤正勝とともに優勝した。愛知工業大学に進学し、1年生の1993年には、第42回世界卓球選手権の団体メンバーに入り8位となった。全日本学生卓球選手権大会で鬼頭とのペアで男子ダブルス優勝、インカレで団体準優勝を果たした。さらに1994年には全日本学生選手権の男子シングルスで優勝、インカレでも27年ぶりに団体優勝し、全日本選手権では松下雄二を破り優勝した。
田崎 俊雄(たさき としお、1974年11月1日 - )は、… 田崎 俊雄(たさき としお、1974年11月1日 - )は、栃木県出身の卓球選手・指導者・監督である。選手時代は、明治大学を経て、実業団の協和発酵(現・協和キリン)に所属した。引退後は、協和発酵、明治大学、デンソーといった各チームで指導者・監督として活動している。 母校の明治大学を卒業後、実業団の協和発酵に所属した。1999年には、ドイツの卓球ブンデスリーガ1部リーグの所属のチームであるゲナンに移籍しており、松下浩二に続く日本人として二人目の卓球ブンデスリーガ1部リーグ選手となった。 世界卓球選手権には、1993年イェテボリ大会にて当時18歳でデビューを果たし、団体戦でジャン=ミッシェル・セイブ(世界ランキング1位)を破る健闘をみせた。
坂田 愛(さかた あい、1974年9月14日 - )は、熊本… 坂田 愛(さかた あい、1974年9月14日 - )は、熊本県熊本市出身の卓球選手。姉はいずれも卓球選手の坂田和美(元・日本生命)と坂田倫子(元・熊本スポーツ振興事業団)という卓球3姉妹の3女。熊本中央女子高等学校(現・熊本中央高等学校)卒業後、日本卓球リーグの強豪・日本生命に入社。1998年の全日本卓球選手権・女子シングルスの部で優勝している。 1998年の全日本卓球選手権は決勝で小山ちれを下しての優勝だった。当時の小山ちれは中国から帰化後、1992年から全日本卓球選手権では6連覇中であり、その全盛期に小山ちれを破って日本一の座に着いている。 世界卓球選手権にも1997年のマンチェスター大会、1999年のアイントホーフェン大会、2000年のクアラルンプール大会に出場した。
鬼頭 明(きとう あきら、1974年9月10日 - )は、日… 鬼頭 明(きとう あきら、1974年9月10日 - )は、日本の卓球選手。愛知県出身。日本人卓球選手としては松下浩二に次ぐレジスタードプロ第2号として、ドイツのプロリーグに参戦した。ダブルスの名手として、数々の大会で入賞している。 小学3年の頃、両親の影響で卓球を始める。ただ、当時は野球もやっており、投手として少年野球のチームで活躍していた。その後、卓球を続ける道を選択した。 愛知工業大学名電高等学校、愛知工業大学に進学後、同級生の今枝一郎、安藤正勝と共に活躍し、1991年のインターハイでは団体での優勝に貢献した。 大学を卒業するとともに、レジスタードプロ宣言して、松下浩二に次ぐプロ卓球選手第2号として、ドイツのブンデスリーガに参戦。
西飯 美幸(にしい みゆき、1973年9月26日 - )は、… 西飯 美幸(にしい みゆき、1973年9月26日 - )は、三重県出身の卓球選手。現姓小林。 三重県立白子高等学校、愛知工業大学から健勝苑、ファミタク(東京)を経て2010年4月よりルネサスSKY(旧NEC九州)に所属。2011年に退社。妹は卓球選手の西飯由香(21クラブ)。全日本卓球選手権・女子ダブルスでは姉妹ペアで1998年・1999年・2000年の3連覇を達成している。実父は1971年の世界卓球選手権の代表にもなったサウスポーの西飯徳康(三重高田高等学校‐名古屋商科大学卒)、実母は1971年世界卓球選手権・女子ダブルス3位の西飯幸子(東北学院大学卒)。夫は2000年全日本卓球選手権混合ダブルス優勝のパートナーで、専修大学男子卓球部元監督の小林仁(専修大学卒)。
糀谷 博和(こうじたに ひろかず、1971年8月6日 - )… 糀谷 博和(こうじたに ひろかず、1971年8月6日 - )は、日本の元卓球選手、社会保険労務士。大阪府大阪市平野区出身。糀谷社会保険労務士事務所の代表、株式会社陽転の代表取締役。 右手4指欠損という、生まれつき右手が親指しかない状態で、1971年8月6日、大阪市平野区にて生まれる。父親が筋ジストロフィーでもあり家計を支えていたのは母親である。小学校4年生の時に片手でもできる卓球に出会い、長居障碍者スポーツセンターで卓球を始める。 長居障碍者スポーツセンターで出会った方の縁で、当時、大阪でも強豪校になりつつあった上宮高等学校の総監督(田中拓氏)と出会い上宮高校に進学する。第44回国民体育大会(青年の部)で優勝。
内山 京子(うちやま きょうこ、1968年 - )は、日本の… 内山 京子(うちやま きょうこ、1968年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表としてソウルオリンピックや世界卓球選手権に出場。アジア卓球選手権でメダルを獲得。 埼玉県上福岡市 (現・ふじみ野市)・大井西中学校在学時の1982年、全国中学校卓球大会シングルスで優勝。ジュニア日本代表に選出され、1983年にマナーマ (バーレーン) で開催されたアジアジュニア卓球選手権では石田清美と出場した女子ダブルスで銅メダルを獲得。 神奈川県・京浜女商高在学時の1984年度、全日本卓球選手権大会ジュニアの部決勝で山口裕恵を2-1で下し初優勝。1985年度、全日本選手権ジュニア決勝で松崎静香を2-1で下し2連覇。
松下 浩二(まつした こうじ、1967年8月28日 - )は… 松下 浩二(まつした こうじ、1967年8月28日 - )は、日本の元卓球選手、Tリーグアンバサダー。愛知県豊橋市出身。カット主戦型。グランプリ大阪所属。ITTF世界ランキング最高位は17位。段級位は6段。双子の弟の松下雄二も卓球選手。妻は同じく卓球選手の武田明子。また甥に松下大星(松下雄二の実子)がいる。 現役引退後は卓球用品総合メーカー「VICTAS」の社長やTリーグチェアマン(理事長)等を歴任。 小学3年生のときに、双子の弟の松下雄二とともに卓球を始める。全国中学校卓球大会では2年生と3年生の時にシングルスで決勝に進出するも、同い年でその後ダブルスのパートナーかつライバルとなる渋谷浩に敗れる。
松下 雄二(まつした ゆうじ、1967年8月28日 - )は… 松下 雄二(まつした ゆうじ、1967年8月28日 - )は、愛知県出身の元卓球選手、卓球指導者、卓球解説者。 双子の兄である松下浩二とともに小学3年生で卓球を始めた。 全日本卓球選手権では男子シングルスで準優勝、男子ダブルスで優勝歴あり。1989年、1991年、1995年には、世界卓球選手権の日本代表として出場した。 男子ホープスナショナルチームの監督(U-12,U-10,U-8統括)を務めている。 妻は元選手の松下智子(旧姓下長)。息子の松下海輝(長男)、松下大星(次男)、松下竜巳(三男)も卓球選手。
渋谷浩(しぶたに ひろし、1967年4月6日 - )は、福岡… 渋谷浩(しぶたに ひろし、1967年4月6日 - )は、福岡県出身の元卓球選手。同じカットマンの松下浩二と共に永年日本代表で活躍した。1999年の全日本卓球選手権大会で偉関晴光を破り悲願の初優勝を遂げた。 武蔵野市立第三中学校、熊谷商業高等学校、明治大学出身。関東学生リーグでは史上最多タイの36勝をマークした。明治大学卒業後は、川崎製鉄の実業団チームでプレーした。廃部後は、日産自動車に所属し、陳龍燦、高志亮とともに常勝時代を築いた。また男子日本代表として世界卓球選手権に1987年から2000年までの7大会連続(1999年の個人戦と2000年の団体戦は1つの大会と数えた場合)出場した。オリンピックにもバルセロナオリンピック、アトランタオリンピック、シドニーオリンピックの3大会連続出場している。
海津 富美代(かいづ ふみよ、1967年4月1日 - )は、… 海津 富美代(かいづ ふみよ、1967年4月1日 - )は、日本の元卓球選手。旧姓は山下。身長154cm、体重47kg[要出典]。福井県小浜市出身。最終所属は松下電工彦根。1992年バルセロナオリンピック・1996年アトランタオリンピック代表。 小浜市立田鳥小学校から小浜市立小浜中学校に進む。中学校のクラブ活動で卓球を始める[要出典]。福井県立若狭高等学校を経て、中京大学体育学部卒業後、松下電工彦根に入社。 オリンピックには2度出場したが、決勝トーナメント1回戦が最高であった。1993年11月に結婚。このため、バルセロナオリンピックは「山下」姓での出場だったが、アトランタオリンピックは「海津」姓での出場である。
岩崎 清信(いわさき きよのぶ 1967年1月30日- )は… 岩崎 清信(いわさき きよのぶ 1967年1月30日- )は日本の元卓球選手。1996年に全日本卓球選手権を制覇している。五段。 埼玉県立熊谷商業高等学校で吉田安夫の指導を受けた。専修大学に進学、関東学生卓球リーグでは4年間で36勝4敗の成績を残した。1988年の全日本学生卓球選手権で準優勝している。専修大学を卒業後、日産自動車に入社し社会人選手とし活躍、1993年の全日本社会人卓球選手権で優勝した。1996年には全日本卓球選手権で優勝した。1997年のジャパントップ12卓球大会でも優勝している。 卓球選手として引退後同社を退職しタマスに入社した。 所属は総務部だが卓球の振興のため全国各地で学生等の技術指導も行っている。
下長 智子(しもなが ともこ(現姓、松下) 1966年7月1… 下長 智子(しもなが ともこ(現姓、松下) 1966年7月14日- )は熊本県熊本市西区出身の元卓球選手。全国中学校卓球大会、全日本卓球選手権大会ジュニアの部、インターハイで優勝し大学在学中に世界卓球選手権にも出場した。夫は元卓球選手の松下雄二。
渡辺 武弘(わたなべ たけひろ、1961年12月16日 - … 渡辺 武弘(わたなべ たけひろ、1961年12月16日 - )は、日本の元卓球選手、卓球指導者。福岡県山門郡大和町(現柳川市)出身。戦型は左ペンホルダードライブマン。 熊谷商業高校から明治大学、協和発酵(現・協和発酵キリン)に進んだ。1988年ソウルオリンピック、1992年バルセロナオリンピックの2回オリンピックに出場、世界卓球選手権には1983年から1991年まで4度日本代表に選ばれて出場した。1991年の全日本卓球選手権では、渋谷浩を破りシングルス優勝を果たした。その後いったんは卓球界から離れ、酒類関係の営業職に就いた。 2011年4月、中部大学准教授に就任し、卓球の指導を行う。 2021年10月、卓球女子ナショナルチームの監督に就任した。
村上 恭和(むらかみ やすかず、1957年12月9日 - )… 村上 恭和(むらかみ やすかず、1957年12月9日 - )は、広島県御調郡向東町(現・尾道市)出身の元卓球選手、卓球指導者。現在、Tリーグの日本生命レッドエルフで監督を務める。前・卓球女子日本代表監督。卓球女子日本代表監督は2008年から務め、2012年のロンドンオリンピックでは女子団体で銀メダル、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは女子団体で銅メダルを日本にもたらした。 尾道市立向東中学校〜近畿大学附属福山高等学校〜近畿大学商経学部商学科卒業(1980年)。近畿大学卒業後、和歌山相互銀行(現・紀陽銀行)入社。卓球選手として1983年世界卓球選手権混合ダブルスなどに出場。30歳で引退後、1990年より日本生命女子卓球部の監督を務める。
新保 富美子(しんぽ ふみこ、1956年11月14日 - 、… 新保 富美子(しんぽ ふみこ、1956年11月14日 - 、現姓は齋藤)は、日本の元卓球選手。カット主戦型。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で銀メダル獲得。国際卓球連盟世界ランキング最高位は8位。 東奥女高、富士短大卒業。北海道拓殖銀行に所属。 1973年度、全日本卓球選手権大会ジュニアの部で準優勝。 1974年度、テヘラン (イラン) で開催されたアジア競技大会卓球競技では団体(英語版)で枝野とみえ、大関行江、高橋省子らとともに銅メダル。全国高等学校選抜卓球大会でシングルス優勝。 1978年度、バンコク (タイ) で開催された1978年アジア競技大会卓球競技(英語版)では団体で小室恵子、千葉良子、長洞久美子らとともに銅メダル。
小野 誠治(おの せいじ、1956年6月18日 - )は、愛… 小野 誠治(おの せいじ、1956年6月18日 - )は、愛媛県西予市生まれの元卓球選手。近畿大学卒業後、日本楽器に所属。1992年 (平成4年) にグランプリに移籍し、1996年 (平成8年) 度全日本選手権を最後に、現役を引退。現在はヤマト卓球に勤務している。
高橋 省子(たかはし しょうこ、現姓・石井、1955年または… 高橋 省子(たかはし しょうこ、現姓・石井、1955年または1956年 -)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で女子ダブルス金メダル。国際卓球連盟世界ランキング最高位は37位。段級位は9段。 栃木県立真岡女子高等学校在学時の1973年度、全国高等学校卓球選手権大会ではシングルス、菅谷佳代と出場した女子ダブルスでともに優勝。国民体育大会卓球競技では高校の部で菅谷らとともに栃木県代表として優勝。 1974年度、テヘラン (イラン) で開催された1974年アジア競技大会卓球競技(英語版)では団体で枝野とみえ、大関行江らとともに銅メダル。国民体育大会では一般の部で栃木県を優勝に導く。
菅谷 佳代(すがやかよ、1955年または1956年 -)は、… 菅谷 佳代(すがやかよ、1955年または1956年 -)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で女子団体銅メダル。 栃木県立真岡女子高等学校在学時の1973年度、全国高等学校卓球選手権大会では高橋省子と出場した女子ダブルスで優勝。国民体育大会卓球競技では高校の部で高橋らとともに栃木県代表として優勝。 青山学院大学在学時の1975年度、全日本大学総合卓球選手権大会では高山徳子と出場した女子ダブルスで初優勝。全日本卓球選手権大会で高山と出場した女子ダブルス決勝で小野文子 / 鎌倉由美子組を2-0で下し優勝。 1976年度、大学選手権ではシングルスで初優勝。 1977年度、大学選手権ではシングルスで2連覇、塚本英子と出場した女子ダブルスで2度目の優勝。
前原正浩(まえはら まさひろ、1953年11月24日 - )… 前原正浩(まえはら まさひろ、1953年11月24日 - )は、日本の元卓球選手、現指導者。東京都墨田区錦糸町出身。段級位は7段。現役時代は明治大学を卒業後協和醗酵キリンに所属し、全日本選手権男子シングルス優勝や、日本代表として活躍。現役引退後は ソウル、アトランタ、シドニーの3度のオリンピックで日本代表監督を務めた後、現在は国際卓球連盟副会長。日本卓球協会副会長。日本オリンピック委員会評議員。 1953年 東京都墨田区生まれ。父正作と母美津(故人)のもとに生まれる。四つ違いの姉、二つ違いの兄がいる。 錦糸小学校4年生時に姉の影響で卓球を始める。「東京では飯が食えない」が父の口癖だったが、両親の反対を押し切り練習に行くほどのめり込む。
小野 智恵子(おの ちえこ、1953年 - 、現姓・岩田)は… 小野 智恵子(おの ちえこ、1953年 - 、現姓・岩田)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権に出場。 富士短大在学時の1972年度、全日本大学総合卓球選手権大会ではシングルスで優勝。 第一勧業銀行在籍時の1974年度、全日本社会人卓球選手権では長洞久美子と出場した女子ダブルスで初優勝。全日本卓球選手権大会シングルス決勝では横田幸子に0-3で敗れ準優勝。葛巻まゆみと出場した女子ダブルス決勝で小野文子 / 鎌倉由美子組を2-0で下し優勝。 1975年度、カルカッタ (インド) で開催された第33回世界卓球選手権では枝野とみえと出場した女子ダブルス準々決勝でエルミラ・アントニアン(英語版) / タチアナ・フェルドマン(英語版)組 (ソビエト連邦) に2-3で敗退。
横田 幸子(よこた さちこ、1952年5月19日 - )は、… 横田 幸子(よこた さちこ、1952年5月19日 - )は、栃木県宇都宮市出身の卓球選手。現在国際卓球連盟の女性ワーキンググループ、アジア卓球連合理事を務めている。 1971年の関東学生新人卓球選手権大会シングルス、ダブルスで優勝、全日本卓球選手権大会で1972年、1974年女子シングルス優勝、1975年中央大学を卒業、1975年の第33回世界卓球選手権女子ダブルスでは大関行江とのペアで銅メダル、1977年の第34回世界卓球選手権混合ダブルスで田阪登紀夫とのペアで銀メダルを獲得した。 現役引退後、スウェーデン人ジャーナリストと結婚した彼女は15年間をスウェーデンで過ごし、その頃には日本卓球協会の国際委員(ヨーロッパ担当)を務め、1993年に帰国し日本卓球協会事務局長に就任した。
阪本 礼子(さかもと れいこ、1950年または1951年 -… 阪本 礼子(さかもと れいこ、1950年または1951年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。世界卓球選手権銀メダリスト。 四天王寺高校在学時の1968年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルス、岡田千鶴と出場した女子ダブルスで優勝。 専修大学在学時の1970年度、全日本卓球選手権大会に平野美恵子と出場した女子ダブルス決勝で前年優勝の福野美恵子 / 山口朝子組を2-1で破り初優勝。伊藤繁雄と出場した混合ダブルス決勝で長谷川信彦 / 大関行江組に0-2で屈し準優勝。 1971年度、名古屋市で行われた第31回世界卓球選手権シングルスで16強。平野と出場した女子ダブルス準々決勝で小和田敏子 / 今野安子組(日本) に3-2で勝利。
西村 卓二(にしむら たくじ、1948年8月14日 - )は… 西村 卓二(にしむら たくじ、1948年8月14日 - )は兵庫県多可郡黒田庄町(現在の西脇市)出身の卓球指導者。現在、東京富士大学の教授で同大学の卓球部も指導している。女子日本代表監督を2001年より務めて2003年の世界卓球選手権ドーハ大会では銅メダルを日本にもたらした。関東学生卓球連盟理事長も務めている。 兵庫県多可郡黒田庄町(現在の西脇市)で生まれ、6歳から富山県で暮らす。卓球は富山市立南部中学校2年の時に始めた。富山県立富山商業高等学校に進学し北信越大会で優勝を果たし全日本ジュニアでもベスト8に入った。高校卒業後サラリーマンとなったがその後中央大学に進学し卒業後、1970年代初めより富士短期大学(現東京富士大学)卓球部の指導者となった。
平野 美恵子(ひらの みえこ、1948年または1949年 -… 平野 美恵子(ひらの みえこ、1948年または1949年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。 誠心高校在学時の1966年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルスで優勝。 専修大学在学時の1967年度、シンガポールで開催されたアジア卓球選手権では井上哲夫と出場した混合ダブルスで金メダル。 1969年度、全日本卓球選手権大会に福野美恵子と出場した女子ダブルス決勝で前年優勝の小和田敏子 / 今野安子組を2-1で破り初優勝。 1970年度、名古屋市で開催されたアジア選手権で福野と出場した女子ダブルスで銀メダル。全日本大学対抗卓球大会では専修大を優勝に導き、敢闘賞に選出された。
別所 キミヱ(べっしょ キミヱ、1947年12月8日 - )… 別所 キミヱ(べっしょ キミヱ、1947年12月8日 - )は、日本のパラ卓球選手(クラス5)。パラリンピックには2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロの4大会連続で出場。リオデジャネイロ大会時の年齢は68歳で、これは日本人パラリンピック選手の最高齢記録である。 試合時に蝶の髪飾りをつけていることから、「バタフライ・マダム」または「マダム・バタフライ」の愛称でも呼ばれる。 1947年12月8日、広島県安芸太田町で8人きょうだいの末っ子として生まれる。広島県立加計高等学校卒業後に敷島製パンに入社。20歳の時に結婚して兵庫県明石市に移住する。 1987年9月、夫が突然くも膜下出血で倒れ死別する。
小和田 敏子(こわだ としこ、1947年11月17日 - )… 小和田 敏子(こわだ としこ、1947年11月17日 - )は、日本の卓球選手。元世界チャンピオンである。 山形県河北町出身。現姓・竹内。河北町立谷地中学校(現在の河北町立河北中学校)、山形県立谷地高等学校卒業。体育の教師になることを夢見て、両親の反対を押し切って中京大学体育学部に進学。 1969年の世界卓球選手権ミュンヘン大会では女子シングルスで優勝、混合ダブルスと女子団体で銅メダルを獲得し、輝かしい成績を収める。 1970年3月、中京大学卒業。同大学体育学部の助手となる。 1971年の世界卓球選手権名古屋大会では、同じ河北町出身の大場恵美子、そして大関行江、今野安子と共に女子団体で優勝を果たした。
田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都… 田阪 登紀夫(たさか ときお 1947年9月4日- )は京都府京都市出身の卓球選手、体育学者。2018年3月、退職。同志社大学スポーツ健康科学部教授。 東山高校で今井良春(東山高校卓球部を45年間指導して7回インターハイを制した。)の指導を受けて、1965年にインターハイのシングルスで優勝、その後早稲田大学社会科学部に進学、卒業後は青卓会に所属した。 1968年、長谷川信彦とのペアでアジア選手権大会の男子ダブルスで優勝、翌年から世界卓球選手権の日本代表となり、1969年第30回世界卓球選手権ミュンヘン大会のシングルスで銅メダル、ダブルスで長谷川信彦とのペアで銀メダルを獲得(この大会で優勝した団体は長谷川信彦、河野満、伊藤繁雄、井上哲夫、笠井賢二がメンバーであった。
長谷川 信彦(はせがわ のぶひこ、1947年3月5日 - 2… 長谷川 信彦(はせがわ のぶひこ、1947年3月5日 - 2005年11月7日)は、日本の卓球選手。 愛知県瀬戸市に生まれ、最初はペンホルダーグリップの選手としてスタートした。ペンホルダー時代はあまり成功しなかったため、1963年、当時日本ではまだ珍しかったシェークハンドグリップに転向し、これをきっかけに躍進。名古屋電気工業高校時代の1964年には全国高等学校卓球選手権大会男子複に優勝。愛知工業大学に進学した翌1965年には、史上最年少の18歳9ヵ月で全日本卓球選手権大会男子単を制した。全日本選手権男子単では総計6度の優勝に輝き、これは水谷隼、斎藤清につぐ歴代3位の記録である。 1966年にはヨーロッパツアーに参戦し、エーベルハルト・シェーラー(西ドイツ)らを破る活躍をみせる。
福野 美恵子(ふくの みえこ、1947年または1948年 -… 福野 美恵子(ふくの みえこ、1947年または1948年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。 藤園女子高校在学時の1965年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルスで優勝。 専修大学在学時の1967年度、国民体育大会卓球競技では一般の部で富山県代表として優勝。全日本卓球選手権大会に馬淵常美と出場した混合ダブルス決勝で河原智 / 大関行江組に0-2で敗れ準優勝。 1968年度、ジャカルタ (インドネシア) で開催されたアジア卓球選手権では大関と出場した女子ダブルス、伊藤繁雄と出場した混合ダブルスでともに金メダル獲得。全日本大学総合卓球選手権大会では広田佐枝子と出場した女子ダブルスで優勝。
濵田 美穂(はまだ みほ、1947年 - )は、高知県出身の… 濵田 美穂(はまだ みほ、1947年 - )は、高知県出身の卓球選手。戦型はカット主戦型。世界卓球選手権の女子シングルスで小和田敏子と共に最後にメダルを取った日本人選手である。その後第54回世界卓球選手権個人戦で平野美宇が48年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した。元高知工科大学教授。現在土佐女子中学高等学校の校長。 中央大学文学部に進学、1966年の関東学生新人卓球選手権大会では女子シングルス、ダブルスで優勝した。1969年、世界選手権ミュンヘン大会女子シングルスで3位に入った。1970年大学を卒業、タマスに入社、1971年の世界選手権名古屋大会女子ダブルスで3位、同年の全日本卓球選手権大会の女子ダブルスでは大関行江とのペアで優勝した。
河野 満(こうの みつる、1946年9月13日- )は、日本… 河野 満(こうの みつる、1946年9月13日- )は、日本の元卓球選手。1977年開催の第34回世界卓球選手権バーミンガム大会で優勝した、元世界チャンピオンでもある。青森県十和田市出身。 現在は青森大学卓球部監督。 コピー選手を育成するシステムが存在していた頃の中国卓球ナショナルチームに於いても「河野選手とワルドナー選手だけはコピー出来ない」と言われた。 ワルドナーは「自分が手本にしたプレイヤーは王会元選手と河野選手である」と明言している。 青森県十和田市の運動具店に生まれた。 青森商業高校時代、全日本卓球選手権大会ジュニアの部で優勝。 専修大学3年次の1967年に開催された第29回世界卓球選手権ストックホルム大会にて、世界選手権初出場。
広田 佐枝子(ひろた さえこ、1946年または1947年 -… 広田 佐枝子(ひろた さえこ、1946年または1947年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む複数のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。段級位は9段。 中学1年から卓球を始め、広島県立大竹高等学校を経て専修大学に入学。 1967年度、ストックホルム (スウェーデン) で行われた世界選手権ではシングルスで16強。森沢幸子と出場した女子ダブルス準決勝ではスベトラーナ・グリンベル(英語版) / ソージャ・ルドノワ(英語版)組 (ソビエト連邦) に3-2で勝利。決勝では山中教子 / 深津尚子組 (日本) を3-0で下し金メダル。
伊藤 繁雄(いとう しげお、1945年1月21日 - )は、… 伊藤 繁雄(いとう しげお、1945年1月21日 - )は、日本の卓球選手。 山口県周南市生まれ。専修大学卒業。1969年の世界選手権で男子シングルス、男子団体優勝の2冠に輝いた。生まれつき左利きであるが、現役を引退するまで、右手でラケットを打ち続けた。現在は、小中学生対象の講習会に参加し選手育成に努めている。 1971年名古屋世界選手権では団体戦で調子が出ず、苦手を公言していたカラカセビッチ等欧州選手の他中国選手の前陣速攻にも苦戦していたが、個人戦になると期待された長谷川、河野が敗退する中で李富栄、シュルベクの強敵を連破、17歳のステラン・ベンクソンには敗れたものの決勝に進出し、面目を保った。
鍵本 肇(かぎもと はじめ、1945年 -)は、高知県出身の… 鍵本 肇(かぎもと はじめ、1945年 -)は、高知県出身の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダルを獲得した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は12位。 高知県立須崎工業高等学校、早稲田大学卒業。なお父は須崎工高の職員だった。 1965年度、北京国際卓球大会(英語版)シングルスで銀メダル。全日本卓球選手権大会では斉藤敏男と出場した男子ダブルスで長谷川信彦 / 馬場園憲組を2-0で下し優勝。 1966年度、全日本学生卓球選手権大会シングルスで優勝。 1967年度、ストックホルム (スウェーデン) で開催された第29回世界卓球選手権では河原智と出場した男子ダブルスで16強。団体で河原、木村興治、河野満、長谷川とともに金メダル。
深津 尚子(ふかつ なおこ、1944年12月23日 - )は… 深津 尚子(ふかつ なおこ、1944年12月23日 - )は、日本の元卓球選手。段級位は9段。 愛知県額田郡岩津町(現・岡崎市宮石町)出身。生家は紡績業を営んでいた。7人きょうだいの末っ子。岡崎市立奥殿小学校、岡崎市立香山中学校(現・岡崎市立新香山中学校)、桜丘高等学校卒業。1963年、慶應義塾大学文学部社会学科に進学。 1965年4月、ユーゴスラビアのリュブリャナで開催された第28回世界卓球選手権大会に日本代表として参加。団体戦では男女とも中国に敗れるが、深津は女子シングルスで決勝まで進出し、中国の林慧卿と対戦した。 深津はフルセットの大接戦の末に優勝、世界チャンピオンとなった。なお、このとき銅メダルを獲得したのは、1967年の第29回世界選手権で団体・混合複優勝した山中教子である。
野平 孝雄(のひら たかお、1943年または1944年 – … 野平 孝雄(のひら たかお、1943年または1944年 – 2013年5月12日)は、日本出身の元卓球選手、指導者。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で銀メダルを獲得。全日本監督も務めた。野平明雄は実兄。 専修大学在学時の1964年度、全日本学生卓球選手権大会シングルスで優勝。 1965年度、リュブリャナ (ユーゴスラビア) で開催された第28回世界卓球選手権男子シングルスで李富栄(英語版)(中国)に敗れ16強。団体は荻村伊智朗・木村興治・小中健・高橋浩とともに銀メダル。 大学卒業後、シチズン時計、唐橋卓球に所属。1983年から全日本のコーチ、監督、国際競争力委員長を歴任。2013年5月2日死去、享年69歳。
森沢 幸子(もりさわ さちこ、1943年 - )は、日本の卓… 森沢 幸子(もりさわ さちこ、1943年 - )は、日本の卓球選手。熊本県出身。日本卓球協会から9段に認定されている。女子選手ばなれした強打を放つ選手であった。 専修大学在学中の1963年10月に宮城県の仙台で行われた東日本学生卓球選手権では中央大学の関正子に1-3で敗れて準優勝となった。1964年10月の千葉県営体育館で行われた東日本学生卓球選手権では女子ダブルスで下山智子とのペアで同じ専修大学の大城・磯村組を3-1で破り初優勝した。1865年1月12日に日本卓球協会が発表したランキングで、山中教子、磯村淳、深津尚子に続いて4位となった。 1964年、1965年に関東学生卓球選手権で下山智子との女子ダブルスで2年連続優勝、1965年度の全日本硬式卓球選手権では準々決勝で関正子に打ち勝ち、準決勝で山中教子を破り、決勝でチームメートの下山智子を3-1で破り優勝した。
関 正子(せき まさこ、1941年または1942年 - 20… 関 正子(せき まさこ、1941年または1942年 - 2019年9月18日、現姓は「両澤」)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む計8個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は3位。段級位は9段。 安部学院高在学時の1958年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルスで優勝。 1959年度、国民体育大会卓球競技では高校の部で東京都代表として優勝。 中央大学在学時の1960年度、全日本学生卓球選手権大会ではシングルス、小川節子と出場した女子ダブルスでともに優勝。 1961年度、北京 (中国) で行われた世界卓球選手権ではシングルスで16強、岡田と組んだ女子ダブルスでも16強。
木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、… 木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む計9個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を支える選手の一人として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は4位。段級位は9段。元日本卓球協会副会長。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1961年度、北京 (中国) で行われた世界卓球選手権では星野展弥と出場した男子ダブルス準決勝で荘則棟 / 李富荣(英語版)組 (中国) に3-1で勝利。決勝でもゾルターン・ベルシック(英語版) / フェレンツ・シド組 (ハンガリー) を3-1で下し金メダル。
福島 萬治(ふくしま まんじ、1939年または1940年 -… 福島 萬治(ふくしま まんじ、1939年または1940年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表としてアジア競技大会卓球競技で金メダルを獲得した。 広島県立因島高等学校在学時に全国高等学校卓球選手権で準優勝。 専修大学在学時の1960年度、全日本卓球選手権大会で江頭新生と出場した男子ダブルス決勝で山本義徳 / 石橋征組に0-2で敗れ準優勝。 1961年度、全日本選手権で栗田和代と出場した混合ダブルス決勝で星野展弥 / 伊藤和子組に0-2で敗れ準優勝。 1962年度、全日本学生卓球選手権大会で吉本忠義と出場した男子ダブルス優勝。 全日本選手権で吉本と出場した男子ダブルス決勝で三木圭一 / 瀬川栄次組を2-0で下し優勝。
水村 治男(みずむら はるお、1938年10月15日 – 2… 水村 治男(みずむら はるお、1938年10月15日 – 2024年8月22日)は、日本の卓球指導者。東京都江東区出身。 東京都江東区生まれ、 昭和26年江東区立八名川小学校卒業、昭和29年江東区立深川第二中学校卒業、昭和33年関東商工高等学校(現在の関東第一高等学校)卒業、昭和37年國學院大學卒業。 卓球選手としての活動を経て、 1970年代初頭より東京富士大学(旧・富士短期大学)女子卓球部の指導を開始した。西村卓二とともに、同部を関東学生リーグ優勝10回、全日本大学総合卓球選手権(インカレ)優勝4回、全日本団体戦優勝3回に導くなど、長年にわたり国内の学生卓球界を支えた。。 指導経験を活かした卓球技術書・練習書の執筆にも取り組み、以下のような著作がある。
松崎 キミ代(まつざき きみよ、1938年6月18日- )は… 松崎 キミ代(まつざき きみよ、1938年6月18日- )は、香川県三豊郡高瀬町(現三豊市)出身の元卓球選手。現姓・栗本。専修大学卒業。戦型はペン表ソフト前陣速攻型。日本卓球界の黄金時代を代表する女子選手のひとりであり、1997年にはその功績をたたえられ世界卓球殿堂入りを果たした。 酒屋の6人姉妹の長女。憧れの卓球選手は江口冨士枝。 小学校5年の時に卓球を始めた。1959年に行われた世界卓球選手権大会の女子シングルスで優勝、その後1963年の大会でも優勝し世界チャンピオンとなった。1961年の世界選手権の際に、周恩来からマオタイ酒をプレゼントされた。2020年、渋谷区名誉区民に顕彰された。 2010年4月17日の渋谷区体育協会のジュニア育成事業の合同開講式で『一番大事なのは気持の持ち方だ。
星野 展弥(ほしの のぶや、1937年2月1日 – 2020… 星野 展弥(ほしの のぶや、1937年2月1日 – 2020年2月22日)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む計4個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は9位タイ。段級位は9段。 1958年度、全日本卓球選手権大会シングルス決勝で成田静司に1-3で敗れ準優勝。 1959年度、ドルトムント (西ドイツ) で行われた世界選手権ではシングルスで16強。成田と出場した男子ダブルスでは準々決勝敗退。難波多慧子と出場した混合ダブルスでも準々決勝敗退。団体で成田、村上輝夫、荻村伊智朗と金メダル。世界ランキング13位タイ。
野平 明雄(のひら あきお、1937年 - 2015年2月4… 野平 明雄(のひら あきお、1937年 - 2015年2月4日)は、日本の卓球選手。 千葉県立佐倉高等学校を経て専修大学出身。 1955年度、全日本卓球選手権大会では津野達雄と出場した男子ダブルスで荻村伊智朗 / 田中利明組を2-0で破り優勝。 1956年、東京で開催された第23回世界卓球選手権シングルス準決勝で田中に1-3で敗れ銅メダル。津野と出場した男子ダブルスで16強。 フォアハンドの豪打を武器に専修大学で活躍。現役引退後は指導者としても活躍し、千葉県の千城台卓球クラブで少年少女の育成に励み、五輪代表、世界代表の選手を育て上げた。平成元年アジアジュニア男子監督。1993年のアジアカップ日本代表男子総監督。
村上 輝夫(むらかみ てるお、1937年? - 2013年1… 村上 輝夫(むらかみ てるお、1937年? - 2013年12月17日)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル2個を含む計4個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は4位。段級位は9段。 1955年度、国民体育大会卓球競技高校の部で青森県代表として渋谷五郎らと優勝。 明治大学在学時の1957年度、全日本学生卓球選手権大会で渋谷と出場した男子ダブルスで優勝。全日本卓球選手権大会では渋谷と出場した男子ダブルスで佐原睦男 / 坂井昭一組に0-2で敗れ準優勝。 1958年度、国体一般の部で青森代表として渋谷らと優勝。
田中 利明(たなか としあき、1935年2月24日 - 19… 田中 利明(たなか としあき、1935年2月24日 - 1998年2月6日)は日本の卓球選手。 北海道紋別市出身(小樽市生まれ)。日本大学卒業。 世界卓球選手権では、1955年から3年連続決勝に進出し、1955年および1957年に世界チャンピオンとなった。また荻村伊智朗、角田啓輔らとともに、1954年から、世界卓球選手権男子団体3連覇に貢献した。男子シングルスでは、1955年、ドリナーをわずか15分で破り初優勝、1956年は決勝で荻村に敗れたが、1957年は決勝で荻村を破り2度目の優勝を果たした。1956年大会の男子団体準決勝ルーマニア戦では日本が3-4と追い込まれた(5点先取)8番手の試合で、ゲームオール14-20とマッチポイントを取られた状況から23-21と逆転勝利した。
児玉 圭司(こだま けいじ 1935年1月27日 – )は、… 児玉 圭司(こだま けいじ 1935年1月27日 – )は、日本の実業家、卓球選手・指導者。株式会社スヴェンソン 代表取締役会長。日本学生卓球連盟名誉会長、公益財団法人日本卓球協会顧問、一般社団法人明大卓球マネジメント 代表理事、学校法人明治大学顧問、明治大学駿台体育会(46部)名誉会長、明治大学体育会卓球部名誉総監督、一般社団法人卓球で日本を元気にする会代表理事、一般財団法人KODAMA国際教育財団代表理事。 1935年、東京都中央区八重洲(日本橋呉服橋)にて出生。 小学4年生の時に東松山市に集団疎開。3月10日東京大空襲で実家が全焼し京橋区に移住するも、5月25日山の手大空襲で再び被災。戦後は大学まで新橋で過ごす。