中 達也(なか たつや、1964年5月29日 - )は、日本… 中 達也(なか たつや、1964年5月29日 - )は、日本の空手家(日本空手協会七段)。東京都小石川出身。日本空手協会(JKA)総本部師範、同協会総務部次長を務める。 弟が空手をやっていた事をきっかけに、13歳から全日本空手道連盟和道会に入門し空手を開始。高校時代には目黒高校空手道部、大学時代には拓殖大学空手道部に所属。その後、日本空手協会の研修生(第28期卒業)となる。現在は、日本空手協会大志塾(NPO法人伝統空手道協会大志塾)や拓殖大学空手部総監督として、後進の指導に当たっている。 バンダイナムコエンターテインメントのゲームソフト『鉄拳7』に登場するリディア・ソビエスカのモーションキャプチャを務めた。
羽田 真宏(はだ まさひろ、1964年4月10日 – )は、… 羽田 真宏(はだ まさひろ、1964年4月10日 – )は、日本の男性空手家、キックボクサー。埼玉県上尾市出身。初代UKF世界ライト級チャンピオン。シュートボクシング・スーパーライト級(旧シーガル級)チャンピオン。戦績は60戦51勝5敗4分。真心舘空手八段、テコンドー三段、拳法二段、柔道二段。引退後は故郷の上尾にある白龍ジムの会長に就任し、シュガーみゆき、神風杏子、早千予を輩出した。
小田 勝幸(おだ かつゆき、男性、1964年(昭和39年)4… 小田 勝幸(おだ かつゆき、男性、1964年(昭和39年)4月2日 - )は、広島県出身の空手家(四段)。極真会館(松井派)広島県支部の支部長。 高校卒業後上京し、極真会館総本部の若獅子寮に入寮、内弟子となる。大山倍達より直接指導を受け、3年間修業したのち卒寮した。 その後、極真会館東京城西支部(山田雅稔支部長)に移籍し、指導を受けた。 現在は、広島県下、23ヶ所に支部道場を持つ。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
川島 智太郎(かわしま ともたろう、1964年3月20日 -… 川島 智太郎(かわしま ともたろう、1964年3月20日 - )は、日本の政治家・空手家。立憲民主党所属の元衆議院議員(1期)。改革フォーラム21代表、国際空手道連盟 極真会館関東本部(本部長・山田雅稔)東京城北支部練馬関町同好会責任者。日本未来の党幹事(選挙担当)、自由党事務総長を務めた。 大分県別府市生まれ。明治大学付属中野高等学校定時制、日本大学法学部政治経済学科卒業。1986年、ビル管理会社を設立し、役員を務める。小沢一郎秘書を経て自由党結党に参加。自由党東京都連副幹事長などを務める。2000年、第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で東京9区から出馬するも落選。2003年、再び自由党公認で東京9区から出馬することが内定していたが、民由合併に伴う候補者調整に伴い民主党の吉田公一が公認を受けたため、比例東京ブロックから単独で出馬するも落選。
神谷 有樹彦(かみや ゆきひこ、1964年3月 - )は、日… 神谷 有樹彦(かみや ゆきひこ、1964年3月 - )は、日本の男優・空手家で、岐神空手の代表師範。日本大学櫻丘高等学校、日本大学文理学部哲学科卒。 13歳より極真会館総本部に入門、大山倍達より直指導を受ける。途中、退館するが、1984年に再入門。 1988年3月 初段取得。本部で指導を務める。1992年の1月から5月迄オーストラリアにて修行。 1996年10月 ワイルドスタント同好会責任者就任。 1997年10月 パリ演武会参加。 2001年まで極真会館松井派所属。四段取得。 2002年、岐神空手設立。一時、極真会館 宗家に移籍し、五段を取得するが1年で退館。岐神空手に復帰。六段昇進。 空手を続けながら大学卒業後、(株)ビッグバンに入社。
村上 竜司(むらかみ りゅうじ、1964年1月8日 - )は… 村上 竜司(むらかみ りゅうじ、1964年1月8日 - )は、日本の男性空手家。愛媛県西条市出身。士道館最高師範・士魂村上塾塾長。2013年4月1日よりマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟代表に就任。
内田 順久(うちだ よりひさ、1963年11月9日 - )は… 内田 順久(うちだ よりひさ、1963年11月9日 - )は、日本の空手家。大阪府出身。京都産業大学卒。国際実践融合空手道 内田塾の塾長。 大阪府高槻市生まれ。京都産業大学法学部卒業。京都教育大学研究生修了。 1984年に全日本空手道連盟で史上最年少全日本王者に輝き、1986年には全日本王者3連覇を達成。 1985年に第2回GAISFワールドゲームズ世界選手権大会75kg級優勝も果たした。その他、全日本学生個人選手権大会史上初3連覇、アジア・太平洋選手権大会4連覇も達成。 1989年に国際実践融合空手道内田塾を設立。 2003年に現役を引退。 2014年に旗揚げした新異種格闘技団体「巌流島」の実行委員会メンバーに就任(空手代表)。
松井 章圭(まつい しょうけい、韓国名: 文 章圭〈ぶん あ… 松井 章圭(まつい しょうけい、韓国名: 文 章圭〈ぶん あきよし/ムン・ジャンギュ、朝: 문장규〉、1963年〈昭和38年〉1月15日 -)は、日本の空手家。国際空手道連盟極真会館の館長。極真空手八段。大東流合気柔術二段。 極真空手界を代表する名空手家の一人で、外国人初の全世界空手道選手権大会王者。大山倍達、盧山初雄と共に日本における極真空手道の普及に貢献した。 1963年(昭和38年)1月15日、東京都文京区で在日韓国人2世 として東京大学医学部附属病院にて生まれる。族譜は南平文氏の38代目にあたる。後に、父の転居に伴い千葉県柏市に移り住む。 1975年(昭和50年)6月、柏市立柏中学校に入学後、『少年マガジン』に連載されていた『空手バカ一代』を読んで大山倍達に憧れ、それまで習っていた少林寺拳法を辞め、加藤重夫がインストラクターを務める流山市の極真会館千葉北支部(手塚道場)に入門。
桑島 靖寛(くわじま やすひろ、1962年〈昭和37年〉10… 桑島 靖寛(くわじま やすひろ、1962年〈昭和37年〉10月12日 - )は、日本の空手家(全日本極真連合会六段)。香川県出身。本名は桑島 保浩。 香川県東かがわ市(旧大川郡引田町)生まれ。 京都産業大学在学中に川畑幸一の極真会館京都支部に入門。先輩の三明広幸、後輩の小井義和と共に稽古に励み、都道府県単位で行われる地方大会に出場し活躍した(岡山大会優勝など)。 1984年(昭和59年)に無差別級の第16回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に初出場。4回戦で竹山晴友に判定負け。ベスト16。 1985年(昭和60年)の第17回全日本空手道選手権大会に出場し、3回戦で堺貞夫に判定負け。 1986年(昭和61年)の第18回全日本選手権に出場し、同門の小井義和に敗れるも、8位に入賞した。
黒澤 浩樹(くろさわ ひろき、男性、1962年(昭和37年)… 黒澤 浩樹(くろさわ ひろき、男性、1962年(昭和37年)9月6日 - 2017年(平成29年)3月25日)は、日本の空手家。東京都品川区出身。東海大学工学部卒。 裕福な家庭に育ち、少年期はヴァイオリンと剣道を習う。中学時代、極真会館総本部に入門。その後、座間中村道場(師範中村辰夫)に移籍する。そして先輩である小笠原和彦の紹介で山田雅稔が管轄する東京都下城西支部へ再度移籍した。この頃から首都圏交流試合を皮切りに全日本、全世界選手権で活躍し始める。その合間に城西支部の傘下で中野区に道場を開く。極真会館の選手権大会から退いてからは、プロの格闘家としても活躍する。分裂以降は極真会館松井派に属し、同派支部長に昇格するが、松井章圭と対立し、独立。
緑 健児(みどり けんじ、男性、1962年(昭和37年)4月… 緑 健児(みどり けんじ、男性、1962年(昭和37年)4月18日 - )は、日本の空手家、空手指導者である。段位は新極真会空手八段。鹿児島県奄美大島出身。NPO法人全世界空手道連盟新極真会代表理事。公益社団法人全日本フルコンタクト空手道連盟理事長。 鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島)に生まれる。梶原一騎原作の極真空手を題材とした『空手バカ一代』に感銘を受け1978年に上京、高校進学と同時に当時の極真会館東京城南川崎支部(廣重毅支部長)に入門する。 1985年、1987年の全日本ウェイト制空手道選手権大会にて軽量級の部で優勝。また、無差別級のみで行われる全日本空手道選手権大会(1985年開催)において、5位入賞(敢闘賞受賞)という成績を挙げる。
角田 信朗(かくだ のぶあき、1961年4月11日 - )は… 角田 信朗(かくだ のぶあき、1961年4月11日 - )は、日本の男性空手家。大阪府堺市出身。正道会館最高師範(六段)、K-1競技統括プロデューサー、レフェリー。タレント・俳優・歌手としても活動している。奈良県立生駒高等学校、関西外国語大学外国語学部英米語学科卒。娘に熊本県高森町を拠点に活動するご当地アイドル酒粕ガールズ(SKG)のメンバーである角田友里亜がいる。血液型はAB型。ジャイロスコープ所属
山田 ゆかり(やまだ ゆかり、1961年3月3日 - )は、… 山田 ゆかり(やまだ ゆかり、1961年3月3日 - )は、日本の空手家、元空手指導者である。 大阪体育大学に入学してから空手を始め、1982年には日本代表として世界空手道選手権大会の組手個人60キロ級で優勝した。 指導者としては23歳の時に東大阪高等学校(現在の東大阪大学敬愛高等学校)の空手道部監督に就任し、以来現在まで25年間にわたって指導を続けている。2008年には全国高等学校空手道選抜大会の女子部門で個人形・組手、団体形・組手の4種目完全優勝を達成し、続いてインターハイで同部を女子組手団体で2年連続優勝させ、同年度(2008年度)の大阪スポーツ大賞では大阪府から優秀指導者として表彰された。
坂本 恵義(さかもと しげのり、男性、1960年(昭和35年… 坂本 恵義(さかもと しげのり、男性、1960年(昭和35年)4月5日 - )は、日本の空手家(極真空手七段)であり、国際空手道連盟極真会館坂本派の代表である。熊本県出身。 熊本県旧上益城郡矢部町(山都町)出身。熊本県立矢部高等学校卒業。 16年間のサラリーマン生活を経て、1997年、空手道場運営に専念。 1987年、27歳で出場した第4回全日本ウエイト制大会がデビュー戦という大器晩成型選手。 1990年(当時30歳)、第7回全日本ウエイト制大会中量級で準優勝、以降毎年全日本ウエイト制大会、全日本大会、ワールドカップ、世界大会などに出場、多数の実績を残した。小柄であるが、下段蹴りの威力は重量級。
小笠原 和彦(おがさわら かずひこ、1959年12月12日 … 小笠原 和彦(おがさわら かずひこ、1959年12月12日 - )は、日本の空手家(八段)・プロレスラー。静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。空手道創天極真小笠原道場、プロ空手押忍闘夢STORM代表。東海大学文学部史学科卒業。 元極真会館城西支部所属。得意技の飛び後ろ蹴りを武器に、1983年に行われた第15回全日本空手道選手権大会で準優勝。以降も、第16回大会では第5位に、第18回大会では第7位に入賞。 1984年11月18日、百人組手に挑戦するも43人で失敗に終わった。 2002年1月6日、プロレスリングZERO-ONE後楽園ホール興行に乱入し、試合後の橋本真也に「お前の蹴りには蝿が止まる」と喧嘩を売った事がきっかけでプロレスに進出。
平野 雅龍(ひらの がりゅう、1957年5月15日 - 20… 平野 雅龍(ひらの がりゅう、1957年5月15日 - 2016年5月25日)は、岩手県北上市出身の空手家。国際総合武道教育連盟総裁、空手道牙城會館創始館長。元・全日本フルコンタクト空手道連盟理事。教士八段。 幼少より武道を修練し、柔道、剛柔流空手、極真空手などを修行した後、自ら「創拳道」を興し、さらに大道塾など、多種の武道を研鑽して1989年(平成元年)に空手道牙城會館を設立。2000年(平成12年)には武道教育を通じての人材育成、各種武道団体との交流推進を指標として、国際総合武道教育連盟を発足させた。 現在、岩手県北上市を中心に県内各地に支部を開設し空手指導を行う一方、連盟加盟団体との交流を深めている。
青柳 政司(あおやぎ まさし、1956年12月27日 - 2… 青柳 政司(あおやぎ まさし、1956年12月27日 - 2022年7月6日)は、日本の男性空手家、プロレスラー。愛知県豊田市出身、福岡県糟屋郡出生。血液型AB型。身長172cm、体重93kg。空手道場・国際空手拳法連盟「誠心会館」の館長であり、通称「青柳館長(あおやぎかんちょう)」。プロレスへの参戦活動で知られ、数多くの団体を渡り歩いた。 福岡県で炭鉱労働者の家庭に生まれるが、いわゆるエネルギー革命の影響で父親が職を失ったため愛知県豊田市に移住。小中学生時代は水泳をやっており、県大会の代表に選ばれたこともある。 プロレスへの憧れは中学生時代からあったが、当時は身長180cmに満たない選手など稀な時代であったため、あきらめていた。
西村 誠司(にしむら せいじ、1956年6月9日 - )は、… 西村 誠司(にしむら せいじ、1956年6月9日 - )は、日本の空手家。熊本県出身。全日本空手道連盟公認七段。全日本空手道連盟和道会所属。一般社団法人全日本空手道 拳誠塾・代表理事。 別記無き限りによる。 別記無き限りによる。 別記無き限りによる。 別記無き限りによる。
香川 政夫(かがわ まさお、1955年〈昭和30年〉6月8日… 香川 政夫(かがわ まさお、1955年〈昭和30年〉6月8日 - )は、大阪府出身の空手家。全日本空手道連盟公認八段。日本空手松涛連盟九段・首席師範。帝京大学空手道部師範。息子は、空手家の香川幸允。 定時制高校へ通いながら、空手家であった兄の影響を受けて空手の道へ入る。日本空手協会主催の関西地区大会での活躍が評価され、帝京大学法学部へ入学する。卒業後、日本空手協会の指導員となる。 第1回IBUSZワールドカップ団体形の部優勝、第28回全国空手道選手権大会(日本空手協会 (JKA) )組手の部・形の部ダブル優勝、第3回松濤杯世界空手道選手権大会 (JKA) 組手の部優勝。 1983年4月より帝京大学空手道部監督・師範に就任。
新垣 清(あらかき きよし、1954年10月17日 - )は… 新垣 清(あらかき きよし、1954年10月17日 - )は、沖縄県那覇市出身の空手家、作家。 現米国硬式空手道連盟会長、沖縄空手道無想会最高師範。 1967年、13歳で長嶺将真十段の松林流に入門。その傍ら、多くの沖縄空手界の重鎮や長老の下へと通い、古伝の沖縄空手、古武道を修得する。1973年、沖縄県立那覇高等学校を卒業。1977年、初渡米。 1978年、自身の空手流派にフルコンタクト制も導入。その後、タイのバンコクにてムエタイの殿堂ルンピニー・スタジアムに出場。 1981年に再渡米し、ユタ州ソルトレイクシティーにおいて無想会を創始した。 山根流棒術で知られる大城利弘は、兄弟子に当たる。
三瓶 啓二(さんぺい けいじ、男性、1954年(昭和29年)… 三瓶 啓二(さんぺい けいじ、男性、1954年(昭和29年)9月13日 - )は、日本の空手家(新極真会七段)。NPO法人全世界空手道連盟新極真会福島支部長。 福島県双葉郡富岡町出身。福島県立磐城高等学校を経て、早稲田大学第二文学部卒。早稲田大学在学時は、極真会館早稲田大学支部(早大極真会)第3代主将となる。 1974年、極真会館の第6回オープントーナメント全日本空手道選手権大会で8位入賞。 1979年11月に開催された第2回全世界空手道選手権大会では準決勝でウィリー・ウィリアムスと対戦。ウィリーの度重なる掴みからの膝蹴り、三瓶を投げた事から、ウィリーの反則負けとなる。決勝に進出した三瓶は中村誠に敗れ、準優勝。
瀬戸 利一(せと りいち、男性、1954年(昭和29年)9月… 瀬戸 利一(せと りいち、男性、1954年(昭和29年)9月2日 - )は、日本の歯科医師・空手家(極真連合会七段)。本名読みは「せと としかず」。神奈川県足柄上郡山北町出身。一般社団法人極真会館(全日本極真連合会)理事・上席師範。東北歯科大学歯学部・明治大学商学部商学科卒業。 1969年、極真カラテ創始者・大山倍達に師事、内弟子となる。第8回オープントーナメント全日本空手道選手権大会出場、世界大会最終選考選手でもあった。 1975年、初段取得。1976年、大山倍達より「神奈川北支部」設立を拝命、現在に至る。 2011年、第17回統一地方選挙で神奈川県議会議員選挙(南足柄市選挙区)に出馬するも落選する。
浜井 識安(はまい のりやす、1954年(昭和29年)2月1… 浜井 識安(はまい のりやす、1954年(昭和29年)2月15日 - 2023年(令和5年)12月14日)は、日本の空手家・経営コンサルタント。男性。石川県七尾市出身。国際空手道連盟 極真会館浜井派の会長・極真会館力謝会の代表。極真空手九段。 弟・浜井良顕(本名:良明)は極真会館松井派の中部本部長、娘の浜井美香は極真会館浜井派の代表である。 小学校時代に柔道の茶帯を取得。石川県立七尾高等学校在学中から松濤館流空手を始め、1972年に一橋大学法学部へ入学し空手部に入部、同年7月に池袋の極真会館本部道場へ入門。その1週間後に前年度全日本チャンピオンの佐藤勝昭と組手を行ったところ、浜井の回し蹴りが偶然にも佐藤の顎を捉えたことによりノックダウンしてしまった。
二宮 城光(にのみや じょうこう、1954年(昭和29年)1… 二宮 城光(にのみや じょうこう、1954年(昭和29年)1月27日 - )は、日本の空手家で、国際空手道円心会館の館長である。男性。愛媛県八幡浜市日土町出身。米国コロラド州デンバー在住。 1969年(昭和44年)に極真会館芦原道場(八幡浜)へ入門。並行して高校では柔道の稽古も積む。 第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に初出場し、三回戦で佐藤勝昭と対戦、判定負けした。第5回全日本選手権ではベスト8進出で盧山初雄と対戦したが判定負け、6位入賞。第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場し、準決勝まで勝ち上がり、佐藤勝昭に判定負け、3位入賞した。第8回全日本選手権では決勝に進出、秋田支部の佐藤俊和に判定負けし準優勝。
喜久川 政信(きくかわ まさのぶ、1954年 - )は、カナ… 喜久川 政信(きくかわ まさのぶ、1954年 - )は、カナダ在住の空手家。沖縄県宮古島宮古島市(旧・平良市)出身。沖縄小林流空手振興会・カナダ総本部の会長である。沖縄空手道小林流尚倫会の垣花恵春会長(国際沖縄小林流空手道連盟会長)より2022年一月23日に範士十段を允許される。 幼少の頃より柔道、剣道に親しみ、知花朝信の初期の弟子で池原師、仲里周五郎系統の儀武師、喜屋武系統の当間師より空手の手ほどきを受ける。 1985年に沖縄空手道小林流小林館協会を退会し、東辰徳範士十段(1952-2012)と共に沖縄小林流空手振興会を設立し、会長に就任する。1990年にアメリカ海兵隊普天間基地の武道指導員。
山田 雅稔(やまだ まさとし、本名:雅俊、男性、1953年(… 山田 雅稔(やまだ まさとし、本名:雅俊、男性、1953年(昭和28年)12月27日 - )は、日本の空手家・公認会計士。東京都出身。極真会館(松井章奎館長)総本部長・東京城西支部長。極真空手八段。東京都立戸山高校を経て中央大学商学部卒業。松井章圭は同大学同学部の後輩。
石井 和義(いしい かずよし、1953年(昭和28年)6月1… 石井 和義(いしい かずよし、1953年(昭和28年)6月10日 - )は、日本の空手家。実業家。1980年に正道会館を創始し、館長を務める。1993年にK-1を創設し、2002年に不祥事により全役職を辞任。2023年に日本キックボクシングリーグ機構を設立し、発起人・顧問を務める。2024年にアドバイザーとしてK-1に復帰。愛媛県宇和島市出身。 愛媛県北宇和郡三間町(後の宇和島市)で3人兄弟の次男として生まれる。父は画家・横山大観の弟子。横山と一緒に中国本土へ渡り水墨画を学んでいたが、終戦後その夢が閉ざされ、自転車屋を営むが家は貧しく、石井は新聞配達や喫茶店でアルバイトをしながら家計を助けていた。
花澤 明(はなざわ あきら、1953年 - )は、日本の空手… 花澤 明(はなざわ あきら、1953年 - )は、日本の空手家。男性。千葉県出身。国際総武館空手道連盟総武館館長、MA日本キックボクシング連盟花澤ジム会長・同連盟副理事長。 千葉県袖ケ浦市出身。木更津中央高校で柔道部に所属しながら、松濤館流空手道の道場にも通った。柔道で関東大会まで進んだことから、1971年に城西大学に推薦入学したが、空手道部副主将の吉岡幸男が花澤を柔道部から引き抜いたため、空手道部に移籍。主将には三浦美幸、OBには設立者の添野義二、二期生に高木薫がおり、4年生の三浦・吉岡が三期生、花澤は六期生にあたる。同部は当時としては珍しい極真会館傘下の空手道部で、在学中は三浦・吉岡に指導を受けたほか、空手道部が夏合宿を毎年四国で実施していたことから、芦原英幸にも教わった。
田原 敬三(たはら けいそう、男性、1952年11月4日 -… 田原 敬三(たはら けいそう、男性、1952年11月4日 - 2005年6月11日)は、日本の空手家である。日本空手道・徹武館(広島)館長。
井上 誠吾(いのうえ せいご、1952年〈昭和27年〉9月4… 井上 誠吾(いのうえ せいご、1952年〈昭和27年〉9月4日 - )は、日本の俳優、脚本家、空手家。福岡県宮若市出身。俳優としては本名の他、誠吾 大志の芸名も用いている。 ジャパンアクションクラブ (JAC)に入団後、テレビドラマのレギュラー出演に『大非常線』の伊丹始役、『影の軍団III』の大六役、『柳生十兵衛あばれ旅』の南郷覚之進役、『正義のシンボル コンドールマン』のゼニクレージー役、等がある。 映画では『ラグビー野郎』の有田弘役、『極道渡世の素敵な面々』の白石役、等々に出演。 1990年頃からテレビドラマ・オリジナルビデオ・演劇の脚本を手がけており、Black JAC公演『マグニチュード11』、JAC公演『七人の戦士』、磨心頑公演『モンスタールーム』、等を執筆。
平野 賢己(ひらの けんみ、1951年9月15日 - )は、… 平野 賢己(ひらの けんみ、1951年9月15日 - )は、日本の空手家。広島県江田島市出身。 広島商科大学(現 広島修道大学)卒。少林寺流空手道五行舘 舘長九段、全日本格斗打撃空手道連盟元常任理事、全日本硬式空手道連盟元理事。 広島修道大学拳法部1971年入門、第八代主将。少林寺流空手道錬心舘初代宗家保勇に師事。その後信販会社ライフはじめ仕事の傍ら、月心会岡田俊郎会長、曲家道場長堀一洋館長、昭林流励武塾鶴田勝塾長、松涛会(国立市)の会長とも交流を深め技術を学ぶ。 最短30才で師範ライセンス取得後、1981年宮城県仙台市八幡支部開設を機に千葉県行徳支部、大阪市阿倍野支部、奈良県桜ヶ丘支部、東京三鷹支部、多摩支部を開設。
杉原 正康(すぎはら まさやす、1951年6月30日 - )… 杉原 正康(すぎはら まさやす、1951年6月30日 - )は、日本の空手家。大阪府出身。NPO法人国際空手拳法連盟白蓮会館宗師。 大阪府東大阪市出身。大阪府立山本高等学校、近畿大学を卒業後、東大阪市消防局に就職(のちに退職)。高校時代には柔道(二段)を学び、大学時代に少林寺拳法(六段・准範士)に入門する。1984年国際空手拳法連盟白蓮会館を設立。 1983年に正道会館主催の全日本空手道選手権大会に出場。出場のきっかけは己と少林寺拳法の実践性を模索するためといわれ、当時は少林寺拳法の道院長であったためその名前を隠すために白蓮会館の流派名で出場。3位入賞する事により格闘技界で話題となったため、少林寺拳法連盟から独立、後に「最強の侵略者」の異名を取る事となる白蓮会館を設立する。
藤岡 真(ふじおか しん、1951年2月19日 -)は、日本… 藤岡 真(ふじおか しん、1951年2月19日 -)は、日本の推理作家、空手家。1992年に『笑歩』でデビューし、その後5作の長編を発表している。バカミス作家とも呼ばれる。 神奈川県鎌倉市生まれ。宮城県仙台第二高等学校を経て早稲田大学理工学部卒業後、広告代理店に入社。CMディレクターとして、全日本CM大賞、電通賞、ニューヨークADC賞、カンヌ国際広告祭金獅子賞受賞。『笑歩(しょうほ)』で第10回小説新潮新人賞受賞(選考委員;井上ひさし、筒井康隆)。1993年に長編推理小説『ゲッベルスの贈り物』を発表し、以後推理作家として活動を続けている。 また空手家でもあり、中村日出夫を総師とする空手道拳道会の池袋本部道場塾頭も務めている。
森 俊博(もり としひろ、1950年10月27日 - )は、… 森 俊博(もり としひろ、1950年10月27日 - )は、日本の空手家。 組手競技においてJKA主宰世界選手権で優勝、JKA全日本選手権にて2度優勝を経験。日本空手協会宮城県本部顧問。 宮城県亘理町に生まれる。1969年3月、仙台商業高等学校卒業1973年3月、東北学院大学経済学部商学科卒業。モリプレゼンス株式会社代表取締役社長。 森は空手競技で大きな成功を収めてきた。
富樫 宜資(とがし よしもと、1950年6月1日 - )は、… 富樫 宜資(とがし よしもと、1950年6月1日 - )は、日本の空手家。日本空手道無門会の創設者・代表(宗主会長)で段位は十段。山形県酒田市常禅寺出身。亜細亜大学出身。 高校時代からキックボクシングに興味を抱き、大学入学後、空手を稽古し始める。 1970年には10日間の山篭り修行をおこなう。同年の第2回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に白帯でエントリーした。2回戦で西田幸夫と対戦するが判定負け。1971年の第3回全日本選手権では3回戦で佐藤勝昭に敗北。対戦した佐藤勝昭は試合内容を富樫の前額部に跳び膝蹴りをヒットさせ、大差の判定で勝利したと述べている。 1973年の6月から9月中旬まで奥多摩で100日間の山篭りを行い、空手の稽古に励んだ。
倉本 成春(くらもと なりはる、1950年4月5日 - )は… 倉本 成春(くらもと なりはる、1950年4月5日 - )は、兵庫県伊丹市出身の空手家で、総合武術鍛錬場・倉本塾塾長。 10歳の時、地元にあった糸東流の空手道場に入門する。共に通い始めた同級生たちがやめていく中、空手修行を続け、中学2年で初段、高校2年で二段を取得する。高校を卒業して上京、中村日出夫門下に入り内弟子となる。中村門下では茶帯から再スタートし、3年後、中村から初段を許される。以後6年間、稽古時間8~10時間、平均睡眠時間4時間という空手三昧の日々を経験する。 1972年11月、中村門下の内弟子としての修行を終え、地元・兵庫に戻る。兄の商いを手伝う一方で、空手道の鍛練に精進し、中国拳法の修行者、剣道の師範など、種々の武道家や格闘家たちと親交を深める。
三浦 美幸(みうら みゆき、1949年10月21日 - )は… 三浦 美幸(みうら みゆき、1949年10月21日 - )は、日本の空手家。男性。国際空手道三浦道場首席師範。段位は八段。千葉県木更津市出身。1972年の極真会館主催による、第4回オープントーナメント全日本空手道選手権大会でチャンピオンに輝いた。 船舶技師の息子として生まれる。兄弟は弟と妹。中学生で松濤館流空手道を始め、18歳の誕生日に黒帯弐段を取得する。若年時には柔道も経験し、17歳のときに初段も取得している。 1968年に城西大学入学後、添野義二が設立した極真会館傘下の空手道部に第三期生として入部し、再び白帯から始める。部の先輩には一期生の添野の他に、二期生の高木薫らがおり、同期には“幻の強豪”と称された吉岡幸男、後輩には六期生の花澤明がいる。
宇城 憲治(うしろ けんじ、1949年1月15日 - )は、… 宇城 憲治(うしろ けんじ、1949年1月15日 - )は、日本の空手家。宮崎県小林市出身。全日本剣道連盟居合道・無双直伝英信流教士七段。創心館空手道範士八段、宇城塾総本部道場創心館館長。沖縄古伝空手に関する著書多数。 1967年に宮崎大学入学と同時に空手を始める(空手道部に入部。1951年から同部の最高師範を座波仁吉が務めていた)。宮崎県代表選手として全日本空手道連盟の全国大会に出場。当時、最年少での出場であった。 卒業後、大阪に移り、1973年より座波仁吉(心道流空手道心道会最高師範)から直接指導を受け始める。それまでの競技空手に疑問を感じ、沖縄古伝空手に傾注する。 1986年由村電器(株)技術研究所所長。
宮川 博人(みやがわ ひろひと、1949年 - )は、日本の… 宮川 博人(みやがわ ひろひと、1949年 - )は、日本の空手家・農業者(わさび)。世界新実戦空手道機構宮川道場館長。山梨県笛吹市在住。 高校から空手を学ぶ。寸止め出身。自宅裏に8畳程度の「宮川道場」を開き、空手指導を行う。実践空手道場八段の達人である。空手以外にキックボクシングも習得し実践する。 山梨県に5つ道場がある。イランやアフガニスタン、パキスタンの発展途上国など、世界に13カ国に宮川道場の支部がある。新実践空手道の国際大会を開催しており、各大会で教え子選手は大会結果を現している。 日本国から世界にいるのであるが、特にイランには弟子が多く、1万人超いると言う。イラン元大統領ラフサンジャニと空手普及の功績をたたえ、謝意を示した。
高木 薫 (たかぎ かおる、1948年10月9日 - 200… 高木 薫 (たかぎ かおる、1948年10月9日 - 2005年10月6日)は、福島県出身の空手家。大山倍達存命時は、極真会館北海道支部支部長、極真会館全国支部長協議会副会長の任にあった。 福島県いわき市出身。極真会館での同郷の後輩には佐藤勝昭がいる。1967年(昭和42年)に城西大学理学部数学科へ入学し、当時としては珍しい極真会館傘下の空手道部に入部した。主将には同部を創設した当時2年生の添野義二、高木は同部の二期生にあたる。後に入部してくる後輩には三期生の三浦美幸・吉岡幸男、六期生には花澤明がいる。 添野から学んだほか、大学1年生の二学期から本部道場にも通い、山崎照朝の指導を受けた。また空手道部が夏合宿を毎年四国で実施していたので芦原英幸にも教わった。
磯部 清次(いそべ せいじ、男性、1948年(昭和23年)3… 磯部 清次(いそべ せいじ、男性、1948年(昭和23年)3月1日 - )は、ブラジル・サンパウロ州在住の空手家。極真会館(松井派)南米地区連盟総責任者・国際委員。段位は八段。福井県福井市出身。 K-1のテレビ中継などでは、アナウンサーから「磯部師範」と呼ばれており、一般でもこの呼び名の方が浸透している。 試割りを見て空手道に憧れを抱き、1961年(昭和36年)より習い始める。 1963年(昭和38年)より道場に通うが、道場の師範代が喧嘩に負けたのを聞き、空手道に失望する。 ある日、大山倍達の著書「100万人の空手」を読んで感銘を受け、東京の本部道場で極真会館の練習に仮参加する。その後、本格的に修行を積むため1970年(昭和45年)に上京。
吉岡 幸男(よしおか ゆきお、1948年(昭和23年)- )… 吉岡 幸男(よしおか ゆきお、1948年(昭和23年)- )は、日本の空手家。男性。極真会館主催の第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会6位入賞。幻の強豪と称された。身長180cm、体重75kg。 千葉県佐倉市出身。習志野市立習志野高等学校では剣道部に所属し、参段を允許された。1968年(昭和43年)に城西大学へ入学して、当時としては珍しい極真会館傘下の空手道部に入部。同期には三浦美幸がおり、主将には同部を創立した当時3年生の添野義二、吉岡の一期上の先輩・二期生には高木薫、後に入部してくる後輩の六期生には花澤明がいる。 添野・高木らから学んだほか、山崎照朝の指導を受け、空手道部が夏合宿を毎年四国で実施していたので芦原英幸にも教わった。
添野 義二(そえの よしじ、1947年9月29日 - )は、… 添野 義二(そえの よしじ、1947年9月29日 - )は、日本の空手家(士道館九段)・キックボクサーであり、世界空手道連盟士道館館長・キックボクシング「そえのジム」会長。極真会館出身で、城西の虎・極真の猛虎などの異名を持ち、山崎照朝と共に極真の龍虎と呼ばれていた。土方歳三に憧れていた事から一時期、添野 義三(そえの よしぞう)とも名乗っていた。士道館最高師範の添野達一は長男。 埼玉県所沢市出身。1964年9月1日に極真会館に入門。館長の大山倍達を筆頭に、大山道場時代からの師範代である石橋雅史・黒崎健時らが指導を行っていた。先輩には大山茂・大山泰彦・千葉真一・郷田勇三・中村忠・加藤重夫・藤平昭雄・芦原英幸らがいた。
山崎 照朝(やまざき てるとも、Terutomo Yamaz… 山崎 照朝(やまざき てるとも、Terutomo Yamazaki、1947年7月31日 - 2025年6月22日)は、日本の武道家・空手家・キックボクサー・ジャーナリスト・歌手。空手道段位 : 七段。身長177cm、62kg。異名は極真の龍・天才。 空手道の一つの理想的な組手を、フルコンタクト空手で示したことにより、歴史に残る空手家だと評価されている。アメリカ合衆国の武道雑誌『ブラックベルト』にもその名は刻まれており、真剣を思わせる切れ味鋭い技で、自らは傷を負わずに対戦相手をバッサリ斬ってとるファイティングスタイルから、キックボクシングでも幻の名選手と評され、異なる格闘技で一時代を築いた強豪である。
横田耕作(よこた こうさく、1947年(昭和22年)7月23… 横田耕作(よこた こうさく、1947年(昭和22年)7月23日 - )は、兵庫県出身の浅井流松濤館空手家及び著作家。米国カルフォルニア州在住。海外では Kousaku Yokota の名で通っている。 昭和22年兵庫県芦屋市に生まれる。幼年時代は神戸市東灘区に住み市立小学校を卒業する。中学、高校は西宮にある関西学院に進む。 小学校五年生・10歳で兵庫県[東灘警察署]の道場にて柔道を始め武道に目覚める。柔道で初段を取得後16歳で空手を始める。最初は松濤館と剛柔流の両方の流派を稽古するが一年後、神戸市に本部を構える日本空手協会空手兵庫県本部道場にて松濤館空手に一本化する。その後2001年まで約40年間協会 (JKA) の会員として米国を中心として空手の研修・指導に専心する。
松島 良一(まつしま よしかず、男性、1947年(昭和22年… 松島 良一(まつしま よしかず、男性、1947年(昭和22年)4月23日 - )は、日本の空手家。群馬県出身。NPO法人 I.K.O.MATSUSHIMA 国際空手道連盟 極真会館の代表。段位は九段。 群馬県山田郡大間々町(現みどり市)出身。 桃太郎侍ばりの伊達男で、日活ニューフェースの一員だった。もちろん映画には出演してない。誘われたことはあるらしいが映画俳優ではない。 1965年、東京池袋の極真会館総本部道場に入門。 1970年4月1日、極真空手創始者・大山倍達より、群馬県で最初の支部認可を受ける。 2015年11月、2016年11月に前橋市民体育館に於いて、第5回I.K.O.MATSUSHIMA全世界極真空手道選手権大会が開催されると発表した。
矢原 美紀夫(やはら みきお、1947年4月4日 - )は、… 矢原 美紀夫(やはら みきお、1947年4月4日 - )は、松濤館スタイルの空手家。段位は十段位。 矢原は昭和1947年愛媛県出身で、古くから武士のルーツを持つ名家の4男。彼は柔道で武道の訓練を始めた。その後、日本空手協会(JKA)で空手の修業のため上京を考えて国士舘大学に進学し、勉学をしながら、一方で協会の研修生(ジュニアインストラクター)となり、競技空手選手としてキャリアを始める。1974年から1984年にかけて、組手と型の両方で大きな成功を収めた。 1987年から1999年まで続いたJKAでのリーダーシップのためのいさかいの後、これに見切りをつけ、2000年に独自の組織である空手之道世界連盟、通称『KWF』を設立した。
垣花 恵春(かきのはな けいしゅん、男性、1947年3月1日… 垣花 恵春(かきのはな けいしゅん、男性、1947年3月1日 - )は、日本の空手家で、沖縄空手道小林流尚倫會沖縄本部道場範士。国際沖縄小林流空手道連盟の会長でもある。沖縄県宮古島宮古島市(旧・平良市)出身。段位は十段。 1988年10月、沖縄空手道小林流小林館協会垣の花道場開設。同道場に於ける門下生指導と共に沖縄県初の施設機能強化推進費の補助を基に美さと児童園空手クラブを結成。 1990年5月、社会福祉法人国際福祉会理事長末吉業信を会長として、青少年の健全育成、国際交流親善を標榜する沖縄空手道小林流尚倫會を発足。現在は同会副会長。 1992年7月、沖縄コンベンションセンター会議棟ならびに展示棟に於いて琉球・韓国青少年交流祭を第一部シンポジウム、第二部交流祭の構成にて開催。
久場 良男(くば よしお、 (1946-09-07) 194… 久場 良男(くば よしお、 (1946-09-07) 1946年9月7日 - )は、沖縄県の伝統派空手・剛柔流空手家。剛柔流範士十段。 拳武館主宰。沖縄空手道拳法会会長・宗師範。沖縄県空手道連合会相談役。元沖縄市空手道連盟理事長。元沖縄市スポーツ少年団本部委員。 中学より剣道を学んだ後、15歳より渡口政吉に師事する。。学生時代には名城大学薬学部で和道流を経験した。名城大学薬学部、明治鍼灸大学を卒業し、薬剤師と鍼灸師の国家資格を持つ。26歳で沖縄に戻り、当時のコザ市中の町にあった渡口政吉の道場沖縄空手道剛柔流尚禮館に再入門し、35歳の時に師範免状を授かる。自身の道場「拳武館」を主宰するまで、渡口政吉が東京で活動している期間は沖縄空手道剛柔流尚禮館コザ道場門下生の稽古指導をしていた。
佐藤 勝昭(さとう かつあき、1946年4月4日 - )は、… 佐藤 勝昭(さとう かつあき、1946年4月4日 - )は、日本の空手家で、佐藤塾の宗師である。選手権大会参戦時の体格は、身長180cm・体重90kg。柔道も参段を允許されている。 五人兄弟の末っ子として樺太で生まれる。1947年(昭和22年)に福島県勿来に移住し、中学2年生から柔道を始めた。福島県立磐城高等学校に進学するが、家庭の事情で東京に引っ越す事になり、高校1年生の2学期から錦城高校に転校し、柔道を続けた。高校での練習の他に講道館にも稽古へ通っていた。卒業後は共同通信社に入社し、勤務時間外は講道館や三鷹警察署で柔道を続け、大成高校でも1年間の条件付きでコーチを引き受けるなど仕事と柔道両方に勤しみ励んだ。