高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932年2月5日 - 20… 高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932年2月5日 - 2024年10月17日)は、日本の美術史学者・美術評論家。位階は従三位。 東京大学文学部名誉教授。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院院長、公益財団法人西洋美術振興財団理事長、大原美術館館長などを務めた。秋田県立美術館顧問。 1932年、東京で生まれた。父は哲学者・高階順治で、母方の姓を継いで旧姓・佐々木を名乗った。東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学し、のちに東大教授となる芳賀徹、平川祐弘、石井進、平田賢とは同じクラス(第1部)であり、波多野里望とはこの頃から仲良しであった。1944年に小学校を卒業し、東京高師附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。
桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3… 桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3日 - 2025年(令和7年)3月27日)は、日本の文芸評論家。東洋大学名誉教授。 紫綬褒章受章。芸術選奨文部大臣賞、伊藤整文学賞、毎日出版文化賞、他受賞。 1950年に一橋大学商学部に入学するも、在学時に一橋大学社会学部に転部。同・社会学部を卒業後は、研究社(出版社)に勤務する一方、村上一郎(文芸評論家)とともに同人誌「典型」「無名鬼」を編集し評論活動を開始。 後に東洋大学文学部教授を務めた。東洋大学退職後は名誉教授の称号を受け、東洋大学兼任研究員を務めた。他に多摩美術大学、大妻女子大学講師、日本近代文学館理事等も務めた。 1990年に毎日出版文化賞を受賞。
影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 200… 影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 2005年9月13日)は、日本の社会評論家、和光大学名誉教授。 長く日本電信電話公社に勤務し、調査役、国立電報電話局長などを歴任して女性管理職の先駆的存在として知られ、評論家としても活動し、女性の社会進出を訴え、後には和光大学教授となった。 影山は、女性の社会進出の妨げになるとして、労働時間に関する女子の保護規定撤廃を唱えるなど、男女雇用機会均等法(1986年)を先取りする主張を早くから展開していた。 長野県小諸市出身(出生地は北海道)。長野県松本深志高等学校を経て、1954年に東京大学経済学部を卒業し、成績トップで日本電信電話公社に入り、経営調査室に配属された。
岡田 寛(おかだ ひろし、1932年〈昭和7年〉1月30日 … 岡田 寛(おかだ ひろし、1932年〈昭和7年〉1月30日 - 2025年〈令和7年〉11月)は、香川県高松市出身・在住の音楽評論家・ディスクジョッキー。愛称「カンさん」。 早稲田大学政治経済学部卒業。1954年に高島屋飯田に入社するが、家業の旅館業を継ぐために1年で帰郷する。 クラシック音楽・タンゴに特に造詣が深く、地元のラジオ香川→RNCラジオ(西日本放送)が開局した当初(1953年11月)から2017年10月29日まで日曜に放送されていたタンゴ音楽の専門番組「タンゴアルバム」は番組開始当初に構成作家として参加したのち、1955年よりパーソナリティーとなる。番組はじめの「タンゴファンの皆様こんにちは(後に「こんばんは」)。
笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 20… 笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 2017年11月8日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。日本大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1950年、日本大学第一高等学校卒業。1954年、日本大学文学部国文学科卒業。1979年、日本大学文理学部教授。2002年、同名誉教授。 はじめ歌作を行う。評論は中世文学から出発し、1967年、『中世の発見』『中世の美学』を刊行。その後、近代文学における情念に関心を寄せながら、『虚構と情念』『泉鏡花 美とエロスの構造』『谷崎潤一郎 宿命のエロス』などを刊行。現代短歌や現代俳句も論じている。
鶴羽 伸子(つるわ のぶこ、女性、1932年1月7日 - 2… 鶴羽 伸子(つるわ のぶこ、女性、1932年1月7日 - 2002年12月8日)は、日本の翻訳家・文芸評論家。本姓は斎藤(さいとう)。 石川県金沢市生まれ。石川県立金沢第二高等女学校在学中の1945年5月に、東京から疎開転校してきた曽野綾子と出会う。1954年金沢大学法文学部卒業。大学の同級生に、後に金沢女子短期大学教授となる森井道男がいる。1957年から1967年まで、金沢アメリカ文化センター図書主任を務める。 曽野綾子の評伝を表し、曽野や夫の三浦朱門とともに翻訳を手がけるが、1981年には曽野に対し「もう付き合わない」と通告し絶縁状態となった。晩年には癌に冒され、聖路加国際病院の緩和ケアー病棟に入院した1999年に、曽野と連絡を取り復縁する。
渡邊 一民(わたなべ かずたみ、1932年1月5日 - 20… 渡邊 一民(わたなべ かずたみ、1932年1月5日 - 2013年12月21日)は、フランス文学者、文芸評論家。立教大学名誉教授。 東京生まれ。父は日東製粉代表取締役専務(常務)・渡辺昇。1955年東京大学文学部仏文科卒。1960年同大学院博士課程満期退学、立教大学一般教育部専任講師、1963年助教授。1965年立教大学文学部フランス文学科助教授、1970年教授。1981-1983年文学部長。1982年『岸田国士論』で亀井勝一郎賞を受賞した。1997年立教大学を定年退職。同年立教大学名誉教授の称号を受ける。 前妻は酒匂秀一の娘。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
野末 陳平(のずえ ちんぺい、本名:同じ、旧本名:野末 和彦… 野末 陳平(のずえ ちんぺい、本名:同じ、旧本名:野末 和彦〈のずえ かずひこ〉、1932年〈昭和7年〉1月2日 - )は、日本の放送作家、経済評論家、政治家。野末陳平事務所代表。 レイク浜松カントリークラブ(引佐観光開発)代表取締役会長。落語立川流顧問。駄句駄句会同人、俳号は「野ざらし」。 参議院議員(4期)、税金党党首(初代)、参議院大蔵委員長、WWF常任理事、サイバー大学客員教授などを歴任した。 父親は鉄道院の役人で、各地の駅を設計していた。母親は岡山県岡山市の出身で、薬剤師になるため上京し、明治薬学専門学校を卒業後、薬局で働いていたとき、見合い結婚。父親が山口県立工業の教師として赴任した山口県宇部市で陳平(和彦)は生まれた。
定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 200… 定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 2001年10月30日)は、日本の編集者、評論家、劇作家。日本フェノロサ学会、日本浮世絵協会会員。 福岡県北九州小倉出身。旧制五高卒業。1954年、東京大学文学部仏文科卒業。のちに日本読書新聞・日本エディタースクールで同僚となる吉田公彦(旧名:谷川公彦。谷川雁ら谷川兄弟の末弟)とは、五高・東大とおしての同級生。 日本読書新聞に入社し編集者に。1958年の週刊読書人創刊による分裂時にも編集部に残り、編集長の巌浩の片腕として活躍。1962年からは編集長もつとめた。 1965年には谷川雁らが創設したラボ教育センターに入社。のちの、ラボ教育センターの分裂時には、谷川と行動をともにし、1981年「十代の会」の発起人の一人として同会創立に参加。
新谷 行(しんや ぎょう、1932年 - 1979年3月18… 新谷 行(しんや ぎょう、1932年 - 1979年3月18日)は、昭和期の詩人、文芸評論家、歴史家。本名:新屋 英行(あらや・ひでゆき)で、北海道の騎手・新屋幸吉は兄にあたる。妻は詩人の上杉浩子。 留萌郡小平蘂村(現在の小平町)に、馬喰の五男として生まれる。1953年に留萌高等学校を卒業し、中央大学法学部に入学するために上京。大学を卒業する頃に詩人の金子光晴を訪問し、出版社の編集の勤務とともに文学活動を続ける。1959年に佐藤久夫・桜井滋人・竹川弘太郎とともに同人雑誌『詩域』を創刊。1964年に同人雑誌『あいなめ』に参加する(金子光晴・松本亮・桜井・竹川)。1968年には出版社を辞め、デパートの広報課に勤めるが翌年の夏にはそこも辞め生活のために週刊紙の埋め草記事を書くほかは自分の作品作りに専心し始める。
田中 敦(たなか あつし、1932年 - )は、日本のテレビ… 田中 敦(たなか あつし、1932年 - )は、日本のテレビプロデューサー・テレビディレクター・音楽評論家・音楽プロデューサー。 1955年、国立音楽大学卒業後にラジオ東京(のちの東京放送=TBS→東京放送ホールディングス)へ入社。同期にアナウンサーの鈴木治彦らがいる。入社当時ラジオ東京テレビ(のちのTBSテレビ)が開局しており、それと同時に数々の番組ディレクターを担当し、1958年5月4日からスタートした『ロッテ 歌のアルバム』ではプロデューサーを担当し、人気歌手の歌謡ショーの司会を担当していた玉置宏を司会に起用、正統の歌謡番組として王道を歩み続け数々のスターと歌手を育て上げた。更には無名のスポンサーだったロッテの知名度を上げた。
相倉 久人 (あいくら ひさと、1931年12月8日 - 2… 相倉 久人 (あいくら ひさと、1931年12月8日 - 2015年7月8日)は、東京府出身の音楽評論家、ジャズ司会者。 サウンド自体の評論ではなく、演奏者と聴衆の関係性、あるいはある音楽がその時代に生まれた意味合いを社会的なデータと絡めながら論じるなど、一種の社会論的な評論をするのが特徴。2007年に出版した『新書で入門 ジャズの歴史』では、自分がジャズから離れた(後述)後の時代のジャズをポスト・モダンの一言で片付ける荒業を見せた。 東京大森・馬込(現・東京都大田区)生まれ。東京陸軍幼年学校在学中に終戦を迎える。第49期生で同期に西村京太郎。 東京大学(文学部美学美術史学科、のちに中退)在学中からジャズ喫茶「コンボ」に入り浸り、ジャズ評論を書き始め、『ミュージック・ライフ』誌でデビュー。
佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 201… 佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 2019年9月1日)は、日本の建築家、建築評論家、近代建築研究者。 アカデミズムに属さず、自ら設計事務所を経営する傍ら、在野の研究者というスタンスを貫いた。唯一在職した法政大学では、非常勤講師の立場を通した。しかし、在野であるために何者にも遠慮することなく辛辣な批判を加える立場を崩さなかった。 1931年北海道小樽市に生まれる。北海道大学に入り、当初数学を目指したが、教師のアドバイスにより断念して建築へ転向。立原道造に傾倒して学内誌に立原論を投稿。在学中からアメリカの建築雑誌『アーキテクチュラル・レヴュー』を購読し、以来海外の建築動向には一貫して注目。
瀧 悌三(たき ていぞう、1931年11月6日 - )は、美… 瀧 悌三(たき ていぞう、1931年11月6日 - )は、美術評論家。 東京生まれ。1955年東京大学文学部美学美術史学科卒業。日本経済新聞社入社。文化部に勤務、編集委員として美術を担当、1992年11月退社。『二科70年史』の編纂など美術史の研究、美術評論に活躍。
中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 19… 中河 原理(なかがわ げんり、1931年11月4日 - 1998年4月3日)は、朝日新聞記者、音楽評論家。 作家・中河与一の次男として東京都に生まれる。 旧制成蹊高等学校卒業。 東京大学英文科卒業、同修士課程修了、朝日新聞社に入社、音楽評論家として活動した。 平明で的確なクラシック音楽評で知られた。 1998年4月3日、心筋梗塞のため66歳で亡くなった。
天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日… 天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日本の小説家、文芸・SF評論家。日本の著名な同人作家。 本名、渡辺晋(わたなべ すすむ)。 広島県呉市に生まれる。旧制呉一中(現広島県立呉三津田高等学校)2年生のとき、学徒動員先の呉海軍工廠から自宅に戻って就寝中に被爆。 1961年3月、岡山大学大学院医学研究科内科学課程修了。医師。医学博士。本名でのSFファン活動も行い、SF同人誌「宇宙塵」では初期からの同人。また自身でも同人誌「イマジニア」を主宰していた。「SFマガジン」にコラムを連載したこともある。1969年8月には「日本SFファンダム賞」受賞。 2004年5月、広島ペンクラブ副会長。
伊藤 成彦(いとう なりひこ、1931年10月24日 - 2… 伊藤 成彦(いとう なりひこ、1931年10月24日 - 2017年11月29日)は、日本の政治学者、文芸評論家。中央大学名誉教授。 1931年10月24日、石川県金沢市に生まれる。東京大学文学部ドイツ文学科卒業。在学中は東京大学新聞の編集長を務めていた。東京大学大学院で国際関係論、社会運動・思想史を専攻する。修士・博士課程修了。1973年中央大学商学部教授。1980年9月ローザ・ルクセンブルク研究国際協会を設立(1985年、「ローザ・ルクセンブルク国際協会」に改称)。2002年中央大学名誉教授。 2017年11月29日、死去。
高橋 英郎(たかはし ひでお、1931年10月9日 -201… 高橋 英郎(たかはし ひでお、1931年10月9日 -2014年3月18日)は、日本の音楽・文芸評論家。 東京府生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。明治学院大学文学部教授を経て、1983年より「モーツァルト劇場」を主宰、日本語によるオペラ公演の制作・訳詞・総監督を務める。1975年プーランク=アポリネールの『ティレジァスの乳房』の訳詞上演でジロー・オペラ賞を受賞。1990年トマの『ハムレット』でクリエーション大賞を受賞。モーツァルト5大オペラをはじめ、ドビュッシー、プーランク、オッフェンバックなど、これまでの舞台公演に対して2006年度エクソンモービル音楽賞を受賞(著書のプロフィールより)。 2014年3月18日午前4時21分、慢性呼吸不全のため、東京都内の病院で死去。
曽野 綾子(その あやこ、1931年9月17日 - 2025… 曽野 綾子(その あやこ、1931年9月17日 - 2025年2月28日)は、日本の小説家、政治評論家。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。 「曾野 綾子」とも表記される。本名は三浦 知壽子(旧姓:町田)。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。 聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。有吉佐和子と共に「才女」として注目された。晩年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、保守的論者としても有名だった。
中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 200… 中野 謙二(なかの けんじ、1931年9月12日 - 2004年11月19日)は、日本のジャーナリスト、中国問題評論家。現代中国学会会員。 富山県高岡市生まれ。1954年、東京外国語大学中国語科卒業。 1954年毎日新聞社入社。1970年ソウル支局長、1973年香港支局長、東京本社外信部副部長を経て、1976年北京支局長、1979年論説委員。 1986年高岡短期大学教授に就任。1989年東海大学教授、2002年定年退職。 2000年、アジア人口・開発協会評議員。
小笠原 克(おがさわら まさる、1931年9月3日 - 19… 小笠原 克(おがさわら まさる、1931年9月3日 - 1999年12月9日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家。 北海道小樽市生まれ。北海道大学文学部卒。同大学院を経て、1961年藤女子大学助教授、のち教授。1962年、大炊絶の筆名で「私小説論の成立をめぐって」で第5回群像新人文学賞評論部門受賞。同年より『位置』を主宰、1968年、沢田誠一らとともに『北方文芸』を創刊、長く編集長の座にあった。伊藤整、小林多喜二など北海道出身の文学者のほか、野間宏など戦後文学を研究。1974年、北海道文化賞奨励賞受賞。藤女子大学教授在任中に、小樽文学館長を兼務(『小林多喜二とその周圏』著者紹介)。両職共に在任中に逝去。
野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 201… 野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 2015年12月5日)は、児童文学・文芸評論家。父は野口雨情。文芸誌「群系」創刊同人。 東京府北多摩郡武蔵野町(現武蔵野市)生まれ。父・雨情の病気療養と疎開のため栃木県河内郡姿川村(現・宇都宮市)に引っ越し、栃木県立宇都宮高等学校卒業後、1954年早稲田大学第一文学部仏文科卒。55年金の星社に入り、57年財団法人大蔵財務協会に勤務。のち武蔵野女子大学客員教授。同人誌「群系」創刊同人。2012年12月、長年の執筆活動により、第一回群系賞を受賞。墓所は小平霊園。
向井 爽也(むかい そうや、1931年8月24日 - 200… 向井 爽也(むかい そうや、1931年8月24日 - 2005年2月5日)は、日本の演劇評論家、TBSディレクター。洋画家向井潤吉の長男。 1931年(昭和6年)、東京に生まれる。麻布高校、早稲田大学仏文科・政治科、早稲田大学大学院演劇科を卒業。TBSテレビで番組制作に携わりながら、演劇評論を執筆する。1963年(昭和38年)、浅草で劇団を立ち上げていた萩本欽一を誘い、初めてテレビに出演させた。 1973年(昭和48年)に創部された東京大学レスリング部の初代監督を務めた。1978年(昭和53年)時点では他に日本アマチュア・レスリング協会理事、同学連理事、同社会人連盟常務理事、国学院大学レスリング部コーチなどの経歴が記載されている。
中原 佑介(なかはら ゆうすけ、1931年8月22日 - 2… 中原 佑介(なかはら ゆうすけ、1931年8月22日 - 2011年3月3日)は、日本の美術評論家。京都精華大学学長、同大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。本名は江戸頌昌(えどのぶよし)。神戸一中、旧制三高、京都大学理学部卒、京都大学大学院中退。湯川秀樹研究室で理論物理学を専攻していたが、在学中の1955年美術評論が雑誌に掲載されたのを機に、美術批評家となる。 1965年、赤瀬川原平の「千円札裁判」で特別弁護人となる。 1970年に第10回日本国際美術展「東京ビエンナーレ」(通称「人間と物質」展)のコミッショナー、1976年と1978年にベネチア・ビエンナーレのコミッショナーを務めた。1990年3月から9月まで水戸芸術館美術部門芸術総監督を務めた。
服部 潔(はっとり きよし、1931年〈昭和6年〉8月18日… 服部 潔(はっとり きよし、1931年〈昭和6年〉8月18日 - 2017年〈平成29年〉8月25日)は、日本の教師、教育評論家。 群馬県伊勢崎市出身。1957年埼玉大学教育学部卒業。埼玉県川口市立飯塚小学校、同仲町小学校などで教員として勤務した。全国生活指導研究協議会中央常任委員、東京都立大学非常勤講師、日本生活指導研究所事務局長。 この項目は、教育者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。
藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006… 藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006年2月9日)は、愛媛県新居浜市出身(越智郡宮窪村四阪島生まれ)の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27… 吉武 輝子(よしたけ てるこ、1931年(昭和6年)7月27日 - 2012年(平成24年)4月17日)は、日本の作家・評論家。反戦平和、男女平等を主なテーマとしていた。長女は看護師で随筆家の宮子あずさ。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦翌年の14歳の時、進駐軍兵士5人に襲われる性被害を受け、2度にわたる自殺未遂を経験する。東洋英和女学院高等部卒業。1954年3月、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同年、東映に入社。監督志望だったが広報部に配属され、宣伝部で活躍し、1961年に日本で初めての女性宣伝プロデューサーとなる。長女出産で、意に反する庶務に配置転換させられたのを機に退職。 フリーとなった以後は、旧社会党系の政治・市民運動に取り組む。
平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )… 平川 祐弘(ひらかわ すけひろ、1931年7月11日 - )は、日本の比較文学研究者、評論家。東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。
小林 薫(こばやし かおる、1931年7月11日 - )は、… 小林 薫(こばやし かおる、1931年7月11日 - )は、日本の国際的経営評論家。経営学者。産業能率大学名誉教授。 1954年、東京大学法学部卒業。マンハッタン大学経営学部にフルブライト・プログラムで留学。 その後、興亜石油、日本能率協会などを経て現職。 NHK教育テレビ「英語ビジネスワールド」(講師として1998年4月から1年間)や「英語で勝負」に出演した経験を持つ。 ASTD(1981年より)、ドラッカー学会、国際ビジネス研究学会、組織学会、米国教育訓練学会、欧州経営開発学会などに所属、米国経営近代化学会(SAM)国際理事兼日本支部長、人材育成学会副会長も務める。 ピーター・ドラッカーとは約50年に及ぶ親交を結び、ダイヤモンド社刊のドラッカーの『21世紀の企業経営』(ビデオ8巻+解説書)の総監修や、『経営の新次元』『新しい経営行動の探求』などの訳出も行っている。
鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 200… 鈴木 保巳(すずき やすみ 1931年6月26日 - 2008年2月9日)は、競輪評論家、元競輪選手。群馬県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第1期生。現役時は日本競輪選手会群馬支部所属。選手登録番号5808。 夫人も、実子の鈴木一正(48期)も元競輪選手。この他、甥にあたる鈴木大介(37期)も元競輪選手だった。 群馬県立前橋高等学校時代は野球部の主将として活躍し、1948年に行われた第30回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後は日本大学に進学した後、競輪に転向する形で競輪学校に第1期生として入学。 競輪選手としては1951年9月に京王閣競輪場でデビューし、35歳まで現役を続けたが、1966年9月9日に選手登録を消除して引退。
細田 勝(ほそだ まさる、1931年〈昭和6年〉6月23日 … 細田 勝(ほそだ まさる、1931年〈昭和6年〉6月23日 - 2021年〈令和3年〉12月31日)は、東京都新宿区出身のアナウンサー、大相撲評論家。 早稲田大学文学部卒業。1954年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。以来、スポーツアナウンサーとして、33年に渡って活躍。大相撲に対する造詣が深く、1相撲番組を15年に渡って担当。進行を担当した『大相撲熱戦十番』は「大相撲熱戦十番の狂言回し」と自らを紹介した。 文化放送の定年退職後は大相撲評論家として、著書出版の他、講演会活動を行った。 2021年12月31日、腎不全のため死去。その死去は文化放送の後輩アナウンサーである坂信一郎が雑誌『相撲』(ベースボール・マガジン社)に寄稿したことで明らかにされた。
篠原 央憲(しのはら ひさのり、1931年6月9日 - )は… 篠原 央憲(しのはら ひさのり、1931年6月9日 - )は、日本の詩人、評論家。本名は篠原 啓介。また作家活動も行っており日本ペンクラブ会員である。 徳島県徳島市生まれ。徳島県立工業学校(現・徳島県立徳島工業高等学校→徳島県立徳島科学技術高等学校)在学中から少年詩人として活躍。卒業後は、徳島民報社(現・徳島新聞)、大阪読売新聞、産経新聞の記者を経て出版社の編集長、社長を歴任する。その後作家活動を始める。
山折 哲雄(やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11… 山折 哲雄(やまおり てつお、1931年〈昭和6年〉5月11日 - )は、日本の宗教学者、評論家。専攻は宗教史・思想史。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、21世紀高野山医療フォーラム副理事長、総合研究大学院大学名誉教授、平城遷都1300年記念事業評議員。教育改革国民会議委員。角川財団学芸賞、和辻哲郎文化賞、山本七平賞選考委員。1997年に白鳳女子短期大学赴任以降は行政職に就くことが続いた。岩手県花巻市出身。京都市在住。 日本人の宗教意識や精神構造を研究し、現代社会論や文明論を精力的に展開する。著書に『日本人の霊魂観』(1976年)、『悲しみの精神史』(2002年)、『義理と人情』(2011年)など。
藤田 忠(ふじた ただし、1931年(昭和6年)5月6日 -… 藤田 忠(ふじた ただし、1931年(昭和6年)5月6日 - 2021年 (令和3年) 5月15日)は、日本の経営学者、ビジネス評論家。元国際基督教大学教授。 日本経営数学学会会長、日本交渉学会会長、ライシャワー大学院大学設立準備委員会代表、日本交渉協会理事長等を歴任。 青森県生まれ。1958年一橋大学商学部卒。1964年同大学院博士課程満期退学。指導教官は久武雅夫教授(のちに国際基督教大学学長)。 1964年神奈川大学経済学部助教授、1968年国際基督教大学教養学部教授。1997年国際基督教大学退職、東京国際大学商学部教授。指導学生に各務洋子駒澤大学学長などがいる。 1973年から74年までハーバード大学燕京研究所で客員研究員で務め、帰国後ハーバード・ビジネス・スクールで出会ったハーバード流交渉術を日本で紹介。
東畑 朝子(とうはた あさこ、1931年(昭和6年)3月11… 東畑 朝子(とうはた あさこ、1931年(昭和6年)3月11日 - )は、日本の栄養評論家、料理研究家。 東畑精一の次女。三重県出身。女子栄養短期大学を卒業し、国立中野療養所栄養士、北里研究所付属病院栄養士、東京大学医学部助手を経て、女子栄養大学講師、お茶の水女子大学講師。1974年「2、3のDNA阻害剤の阻害様式について」で東邦大学より医学博士。テレビ、雑誌でフードドクターとして活躍する。弟は慶應義塾大学名誉教授・東畑隆介(1933年 - )。
近藤 信行(こんどう のぶゆき、1931年3月11日 - 2… 近藤 信行(こんどう のぶゆき、1931年3月11日 - 2022年7月17日)は、日本の文芸評論家。編集者。 文芸評論のほか、著作は登山関連書を軸としていた。 東京生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒、同大学院修士課程修了。 中央公論社で『中央公論』『婦人公論』などの編集に携わった後、1969年、文芸雑誌『海』を創刊する。翌年まで編集長を務め、1973年-1976年再度編集長になったあと、退社。 1978年『小島烏水 山の風流使者伝』で大佛次郎賞を受賞した。山梨県立文学館館長を2013年3月まで務めた。 2022年7月17日、老衰のため死去。91歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は… 久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は、日本の経済評論家。
津田 類(つだ るい、1931年3月6日 - )は、演劇評論… 津田 類(つだ るい、1931年3月6日 - )は、演劇評論家。
利沢 行夫(りざわ ゆきお、1931年2月23日 - 201… 利沢 行夫(りざわ ゆきお、1931年2月23日 - 2019年1月12日)は、日本のアメリカ文学者、文芸評論家。筑波大学名誉教授。 栃木県生まれ。本名・幸雄。東京教育大学卒、1967年「自己救済のイメージ 大江健三郎論」で群像新人文学賞受賞。東京教育大学助教授、教授、筑波大学教授、1994年定年退官、名誉教授。2019年1月12日に死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 201… 大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 2017年4月5日)は、日本の詩人・評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事。日本人初のストルガ詩の夕べ金冠賞受賞者。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 1931年生まれ。中学3年生の夏に終戦を迎え、「二十歳で死ななくてもいいのか」と思い、創作活動へ。旧制第一高等学校を経て、東京大学では同人誌「現代文学」を創刊。詩のほかに詩人論、翻訳も発表。 1953年に「現代詩試論」を発表。読売新聞で記者として働く傍ら、批評家として評価される。谷川俊太郎をはじめとした詩人や批評家との交流があり、それに触発された。 1960年頃からラジオ放送の場で、詩人、作家との共同制作=「うたげ」を盛んに行い、言葉と映像、美術、音楽など様々なものを生み出した。
落合 清彦(おちあい きよひこ、1931年2月6日- )は、… 落合 清彦(おちあい きよひこ、1931年2月6日- )は、日本の演劇評論家、編集者。 東京都出身。1956年早稲田大学国文科を卒業。東京創元社で「名作歌舞伎全集」の編集に、第三文明社で「絵本通俗三国志」の校訂に携わる。ほか、成城大学文芸学部講師を務めた。
山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 202… 山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 2024年1月17日)は、日本の弁護士、著作家、翻訳家、ワイン評論家。日本労働弁護団名誉会長、日本輸入ワイン協会会長、世界ソムリエコンクール日本代表審査委員、一般社団法人「日本ワインを愛する会」会長。東京ドイツワイン協会名誉顧問。 日本でもっともワイン関連著作の多い人物であるとされている。 1931年、神奈川県横浜市の伊勢佐木町にある商家(自転車屋)の生まれ。旧制中学3年だった14歳の時に太平洋戦争終戦を迎え、戦後にはサイクリングクラブを設立している。旧制中学卒業後、昼間は英語の通訳養成学校に通い、夜間は早稲田大学夜間部に通った。学生時代には学生演劇活動も行っており、後に劇団四季の顧問となっている。
杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 -… 杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 - 2015年5月27日)は、日本のフランス文学者・文芸評論家・エッセイスト。国際日本文化研究センター名誉教授、京都女子大学名誉教授。日本芸術院会員。 京都府京都市出身。1948年、旧制四高に入学。1949年に学制変更で、新制京都大学文学部仏文科に入学。1953年に卒業後、1956年、同大学院に入学し、1961年、博士課程単位取得満期退学。 1962年、京都女子大学文学部専任講師、1965年、助教授、1971年、教授。1988年に新設された国際日本文化研究センター教授に就任し、1996年に定年退職。同年に日本芸術院会員、筑摩書房で『杉本秀太郎文粋』(全5巻)が刊行された。
磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18… 磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18日 - 1987年(昭和62年)2月5日)は、日本の文芸評論家、イギリス文学者。東京工業大学教授などを歴任。没後勲四等旭日小綬章受章。 1964年に三島由紀夫論『殉教の美学』を刊行し文壇に登場。戦後文学の再検討を進め、文学を通した近代論へと批評の幅を広げた。代表作に『永井荷風』、『思想としての東京』、『鹿鳴館の系譜』などがある。 神奈川県横浜市中区伊勢町(現・西区伊勢町)に生まれ、東京都葛飾区亀有育ち。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)3年の時に敗戦を迎え、1948年に第一高等学校 (旧制)入学。東京大学文学部英文学科に進学し、イギリス・ロマン派を専攻して卒業。
瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年… 瀬木 慎一(せぎ しんいち、1931年1月6日- 2011年3月15日)は、日本の美術評論家。 東京府生まれ。中央大学法学部卒業後、1950年代から岡本太郎、花田清輝らの前衛芸術運動「夜の会」に参加するなど美術評論に関わり、多くの著述を執筆した。東京芸術大学でも美術論や芸術史の講義をした。日本に多くの西洋美術を紹介する。とくに社会や経済の視点から美術を論じた美術社会学研究が著名で、海外でも知られている。 総合美術研究所所長・国際美術評論家連盟会長・ジャポニズム学会常任理事・国際浮世絵学会理事などを歴任。 テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても、たびたび出演した。 2011年3月15日、肺炎のため80歳で死去。
横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2… 横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2015年2月17日)は、日本の音楽評論家。 探偵小説家の横溝正史の長男として東京に生まれる。少年時代に音楽評論家の属啓成から音楽理論を学んだ。東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)在校中に疎開で転校し、岡山県矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)及び早稲田大学第一文学部英文科をそれぞれ卒業。 大学卒業後に東京新聞に入社、23年間、文化部音楽担当記者を務め、1977年に退社、音楽評論家となる。 100回を超える渡航を重ね、2005年にフィンランド政府よりフィンランド獅子勲章騎士第1級章を授与される。その他、武蔵野音楽大学、東京音楽大学、昭和音楽大学、成城大学短大などで教鞭をとった。
上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2001年〈平成13年〉7月21日)は、文芸評論家。 広島県生まれ。本名・中村宏。早稲田大学文学部フランス文学科卒。同大学院修士課程修了。1967年『三田文学』で「共感と挫折」を発表し、文芸評論家として活動を開始。二松学舎大学教授を務めた。遠藤周作などキリスト教作家を論じた。
陰里 鉄郎(かげさと てつろう、1931年1月1日 - 20… 陰里 鉄郎(かげさと てつろう、1931年1月1日 - 2010年8月7日)は、日本の美術評論家。 長崎県北松浦郡生月町出身。1956年東京藝術大学美術学部藝術学科卒。神奈川県立近代美術館、東京国立博物館、東京国立文化財研究所の学芸員、1982年三重県立美術館館長、横浜美術館館長、女子美術大学教授、名古屋芸術大学教授。
鈴木 道子(すずき みちこ、1931年 - )は、日本の音楽… 鈴木 道子(すずき みちこ、1931年 - )は、日本の音楽評論家。祖父は鈴木貫太郎。 東京府出身。自由学園ピアノ学校に学び、林光は同級生であった。東京女子高等師範学校附属高等学校から東京女子大学文学部英米文学科に進む。高校の頃からNHKやTBSのラジオ放送に出演していた。大学卒業後、文化放送にアナウンサーとして入社したが、レコード室を経て、音楽番組を手がけるプロデューサーとなり、『モダン・ジャズを分析する』で『スイングジャーナル』誌のプロデューサー・オブ・ジ・イヤーを受賞した。 1960年にアメリカ合衆国へ渡り、1年半ほどで帰国して以降は、フリーランスとしてラジオ番組のプロデューサーやディスクジョッキー、音楽評論家として活動した。
大小田 八尋(おおこだ やひろ、1931年 - )は、鹿児島… 大小田 八尋(おおこだ やひろ、1931年 - )は、鹿児島県出身の陸上自衛官、軍事評論家、安全保障アナリスト、ノンフィクション作家。八尋総研代表。鹿児島県立指宿中学校 (旧制)から鹿児島県立甲南高等学校を卒業後、北海学園大学卒業。 大学卒業後、自衛隊に入隊。陸上自衛隊化学学校戦術教官、北部方面総監部広報室長、北部方面総監部法務課長などを経て退官。退官後、セントラル警備保障に再就職。札幌支社長などを歴任する。その傍ら、軍事評論家、安全保障アナリストとしての活動を開始し、八尋総研を立ち上げ代表に就任。ノンフィクション作家としても活躍している。他に、冬総研国際環境総合研究所所長などの要職を歴任した。